2022年03月06日

人間は結婚でも子育てもすべきときしないとあとはできない (チャンスを逃し、時間を無駄にするのが人間の一生)


人間は結婚でも子育てもすべきときしないとあとはできない

(チャンスを逃し、時間を無駄にするのが人間の一生)

婚期を逃す
子供持つ時期を逃す
学ぶ時期を逃す
スキルを身につける時期を逃す
相手を知る時期を逃す
愛することを逃す
冒険する時を逃す
チャンスを逃す
.........

韓国で結婚しても子供作らないとか結婚しない人が増えて出生率が世界で一番低い、韓国人がいなくなると将来を心配する、それは日本と同じだった
なぜ子供もたないのか?それは子供を育てることが負担なのである
金銭的にも苦しくなっている人が多いし仕事をしているキャリアウーマンは仕事が出産で仕事が中断されるとブランクができて仕事ができなくなると言っていた

人生の大きな落とし穴は何かするチャンスを必ず逃している
そしてそのチャンスを活かさないともうあとは二度と活かすことができない
それでみんな老人になって後悔するのである
まず後悔しない人はいない、私に後悔がないと言っても実際は後悔している
あの時こうれば良かったとかみんな後悔するのである

将来自分がどういう人間になりたいのか?

それが自分自身にもわからないのである、家具職人になるために丁稚奉公して技術を習得している10代の若者のことを放送していた、それが辛いと泣いていた
ではその家具職人でもそれが将来役立つかとなると今は機械化してAI化するからその家具職人として生きていけるのかとなるとわからない
ただ手でしかできないものがあり丸味も帯びた所は手でないとできないとしている
でも将来的にそうした職業でも生き残れるのかとなるとわからない、やめた人もいる
私は子供の時、ソロバンが得意であった、でもそれが何の役にもたたなかった

全くこれは時間の無駄だったのである、それは私の父親が酒屋の丁稚奉公をしていて
ソロバンを習わせたのである、その後計算はコンピュター化してソロバンは無用化したのである、こういう変化が常にあり若い時習ったことが将来役にたつかどうかわからないのである、もし役にたたなっかたら貴重な若い時の時間を無駄にしたとなる
その方が後悔することになる、ただ家具職人として役にたたなくてもそうした経験は貴重である、なぜなら人生は短い、何であれ経験することは貴重なのである
人間は経験することでも学ぶことでも限られているからである
たちまち時間が過ぎてしまうのである
人間はいくら本を読んでもわからないことがある、経験しないとわからないことがある
だから経験することはなんでも貴重だとなる

とにかく女性でも婚期を逃すなと親がうるさく言う時、女性の華やかな旬の時は短い
すぐに女性でも30過ぎるとおばさんとかなり子供すら産めなくなるのである
それも本当に早いから婚期をうるさく言うのである
男性でも実際婚期があり40になったらもう結婚もできずる一生独身だとなる
それが自分自身でもあった、ただ結婚とか子育てとかは本当に負担である
戦前なら子供をとう思って育てたかというと親に尽くさせるために子供を産んでいたのである、今後進国の人が日本で働いているのは親に仕送りしている
親に尽くこせるために子供を産んでいたのである、今は全然違っている
一人の子供を産み育てることが金銭的に時間的にも労力でも相当な負担になっている
すると本来するべきものができなくなる、仕事していても出産で中断して仕事もできなくなるとかなる、これも人生にとって痛手なのである

人間というのは本当に老人になればわかる、こんなに時間が早く過ぎるのかということに驚くのである、20代の盛りはあっというまに過ぎて30過ぎて40になると白髪でてきておっさんと呼ばれるようになる、そして何かをすることを何でも逃したことに気づく菜のである
求道でも「若き内神を知れ」てあり若いうち求道しないものは老人になってはできない
老人になれば仏教でいう悟りのような境地にはなる、でも神を知ることはできない
それは最もは血気盛んな時にするものであり老人になってはできなくなっているのだ
でも若いうちこの世のものに魅了される、女性でもなんであれ魅了される
そうして夢中になっているうちに時間でもたちまちすぎてしまうのである

結局人間の失敗と後悔は時間を無駄にした

このことに尽きる、何か有意義なことをすべきなのにそのチャンスを活かせなかった
時間を使いなかったということである
自分の家族も全部死んで後悔する、もっと優しくすれば愛すれば良かったとかにもなる
家族にすべきことしなかったことを後悔する、でも死んだらもう何もできないとなる
供養ししても返事も返ってこないのである
だから介護でも苦しいが終わり死ぬとみんなもっと優しくしていれば良かったと後悔しているのである
こうして後悔が人生なりともなっている
いかに時間を有効に活用しなかったかを後悔する、またチャンスを活かせなかったを後悔する、何かチャンスも何回もないのである、一回のチャンスで人生が決まることすらあるそして一回の失敗でもあとは成功もないということもある
なぜなら何回も挑戦して時間をかけてすることができない、時間がそんなに与えられていないからなのだ

芸術家の8割が独身だというときもし結婚して子育てしてとかなったらとても創作に時間を使いなくなる、その負担が大きすぎるのである、自分の場合たいして才能もないのに
俳句とか短歌とか詩を創りつづけてきた、それは自由な時間を与えられてできたことである、もし結婚して働いて子育てしてとかしたらできないのである
人間は何か身につけるのに必ず時間がかかるのである
花を知るのにも必ずフラワーアレンジメントでも家の中に一週間でも二週間でもさらに長く毎日見ているとその花が心に深く映ってくるのである
とても一日では花でも深く見れないのである

人間の愛と信頼関係でも時間をかかる、即席に相手を信頼できない、家族でも長い間一緒に暮らすことで愛とか信頼関係が生まれる
一緒に暮らさなければ兄弟だろうが姉妹だろうが愛情とか生れない、それで兄弟でも遺産相続では他人でしかたないから殺したりする、それは別に血縁でもありうるがもう一緒に育たなかったら兄弟という感覚はない、私の兄は子供の時5年間は一緒に暮らしたから
辛うじて兄という感覚をもったから今は死んでも供養しているとなる

結局人間は何に時間を費やしたかで決まる、その人を見る場合、この人は何に時間を費やした人なのかを見ればわかる、それが人生だったからである
会社勤めの人は人生の大半を過ごしたのだから会社人生でありそれが人生だったとなる
社畜としてもそれが人生だったとなのである、そもそも才能だってそれを伸ばすには時間がかかるのである、学ぶのにも失敗しているのは効率的に学べない、学ぶ方法が間違っていたとなる、そして時代時代で学ぶことも方法も違っている、今なら学ぶ方法が多様である、youtubeなどは学ぶのにはいいツールである、前なら学校しか学ぶ環境がなかったからである、だから将来的には別に学校に行かなくても学べる環境ができる
するとそこから天才のような人が生れるかもしれない、興味のあることを子供の時育てればそうなる、学校は一律的であり多様な人を育てることがてきないからだ

人間が時間の無駄が多いというとき人間はまた浪費が多い、何かを身につけるには精進が必要である、天才でない限り必ず必要である、芸術にしても何か創作するにしても心の節制が必要である、座禅なんか無駄ではないかとなるが口をつつしむとか心を浄化するとかで心を重点にして修行する、すると心が澄んで透明な水のようになり花でも自然の美を心に映すことになる、でも汚れた世界にいれば汚れた人と交われば心も濁るのである
まずそうした汚れた俗世間に交わると汚れていることは普通だとなってしまう
それでカルト教団などはそこは何ら宗教などない、心がどうだとかそんなことを全く問題にしていない、会員を増やして権力化することしかない、そこにどんな人でも欲深い人でも歓迎される、心を浄化するなど関係ない、ただ御利益求めているから膨大な有象無象の人間が集まる大衆化したものとなる

人間はまた若い時かここうして無駄なことに時間を使いすぎるのである、そして最後はすべて空の空なりで終わる、何で生きたかもわからなくなる
そうして繰り返されてきたのが人間だとなる、そうした業とか欲とか依然として消えないからそうなる、人間社会が変わらないのはそのためなのである
科学技術て進歩しても人間そのものは根本的には変わらないから業をカルマを繰り返すのである