2022年03月30日

春の日に横手から松川浦へ (喫茶店は場所がいいと価値がある)


春の日に横手から松川浦へ

(喫茶店は場所がいいと価値がある)

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ドマーニより外を見る



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横手の御堂
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まだ白鳥がいた、今年は寒いからなのか?(宇多川の河口)

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グランパ
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偶然こんなふうにとれたのも不思議
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これは大きな石の倉庫である、石の蔵は結構被害があった

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城跡の石灯籠は全部落ちた




(横手)

春なれも御堂廃れて木の根っこ

春の日や円墳いくつか横手かな

(松川浦)

春の山丘の上なる喫茶店

若妻と子とにぎわいぬ春の草

白鳥なお残りいて春日さす

松川浦水面光りて初燕

松川浦春の鴎や喫茶店

春の夕母の子を抱き眠るかな


犬ふぐり御堂の前に咲き満つも参る人なく廃れけるかな

春なれも横手の御堂廃れたり地蔵倒れて直す人なし


横手から松川浦の方に行った、横手は円墳が五つくらいある、これは電車からも見える
そして南相馬市の鹿島区は古墳の町として知られている、それだけ古墳が多いからだ
ただ桜井古墳のような大きなものはない、
今回はその円墳の後ろに御堂がありそこは廃れていて誰もお参りしない
地蔵とかも倒れていたし直す人もいない、その隣の家は空家になっていた
何か空家が目立つのである
この御堂は誰も参る人がないから廃れた、でも江戸時代からありここに人がお参りしていたときは活きていた、その暮らしが消失したのである
これは別に原発事故とは関係していない、その前から廃れていたのである
こうして暮らしがなくなると御堂でも神様で死んでしまうのである

そういうことは原発事故の避難区域が空家だらけとなって多い
そうでなくても空家が増えて限界集落がふえて昔あった暮らしが失われ神社でも御堂でも廃れるのである、何があそこに祀られているかもわからない、やはり時代によって失われものがありそれはもう回復しないのである、なぜならそうした暮らしがなくなったからである、村があるとしてもそういうものもここではなくなっている
ただ古墳があるのだから古代から長くここに人が住んでいたのである

次に相馬市の道の駅から近い小高い丘にあるカフェDOMANI【ドマーニ】でランチを食べたここは二回しか行っていない、ここは場所がいいのである
前は畑であり春の山が見えた、畑には春の草が見えた
メルヘンチックに作った喫茶店である、あれは結構金がかかった感じがする
子供と若い人に向きに作っているとしても結構年配の人も入っている

今春休みだから母と子どもと一緒に来た人がいた
そこでちょっと話した、ソロバン習って何の役にもたたないと言ったらその母親もソロバン習ったという、でも二十代でソロバン習っていたのか?
もうソロバンを習う塾はなくなっているのではないか、ともかくせっかく子供の時習ったものでも何の役にもたたないのには本当に損だと思った
どうしても時代が変わるとそうなることがある、先を見据えて勉強しないと何の役にもたたず大損だったとなる

それから松川浦に行き新しいレストラン兼喫茶店に入った
そこは前が松川浦に接して景色がいい、でもそこは喫茶店ではない、レストランであり食事する場所である、だから中はうるさくみんなで食事していた
喫茶店はやはり食事するだけではない、くつろぐ空間の演出が必要である
でも今はもう喫茶店だけではやれないから相当に減ったのである
私は喫茶店が好きである、休み物思いにふけったりしていたからだ
喫茶店は場所が影響する、あそこは薔薇の花を飾って有名である
でも前が畑で山脈が見える、場所としてはいい、磯部にも新しい喫茶店ができたが海も見えないし入る気がしないのである
初燕を見た、二羽くらい見た、これはどこで見るかで印象が変わる、初燕はまさに本格的な春の到来を告げるものである

やはり眺めがいいというときそれで価値が生まれる、気分よくなるからだ
この辺で喫茶店でいいのは中村珈琲店では藤の花が咲き見物である
後は鹿島区の海老村の隠れた所にある納屋を改造した喫茶店もいい
でもここは二回くらい行ってあとは行っていない、まだやっているのかどうかもわからない、ここは予約制であったから簡単には入れなかったのである
あとは鹿狼(がろう)山のふもとの喫茶店は海を望むから気持ちいい場所である
ただそこは自転車で行くのには遠いから簡単には行けない

それから松川浦の新しくできたグランンパは眺めがいい、じき前が松川浦である
春の光りに水面が反射していた、鴎が飛んできた、鴨も泳いでいた
ここは眺めとしては一倍いい、でもここは喫茶店ではない、食事する場所なのである
だからいろいろな料理を出している、喫茶店としてくつろぐには向いていないとはなる

それから浜の駅松川浦によった、これは震災以後できたのものである
ただあまり買うものがなかった、魚とかでも種類とか少ないし買い物で得するというものも見えない、ここは観光客用なのだろう、観光客用は意外と高くてもいいものがないことがある
そもそも漁業というのは衰退産業であり跡継ぎいないとかなっていた
だから実際原発事故でわかったように東電からの補償金で事故前もそっちのほうが収入が大きかったのである、漁協組合はそれだけ補償が大きかった、そのことは追求して来た
ただそうなったのも結局農業とか漁業が衰退産業になっていたからである
そこで東電の原発に頼っていたとなる
でもこれから食料危機が言われているから地元の農業でも漁業でも食料を供給する仕事は大事にされるようになるかもしれない、海外からも食糧か入って来なくなると騒いでいるからである、すると国内で食糧を供給することは大事な優先的な仕事になり収入をも増えるかもしれないのだ
時代が変わり価値ないものが今度は価値があるようになる、原発は確かに金の生る木だったがそのマイナス面が事故で露骨に現れたのである

ここより地元の人が買っている、JA旬の広場が安い、花でも半分くらいの値段である
花は高いからである、ここは地元の人が行く場所である
でもかえってこういう場所が安いのである、別に品物が悪いわけでないのである
こういう場所の方が日常的に地元の人が利用していてかえっていいのである
旅すると観光用の店に入ると高くて損するとなる、でもこういう場所は地元でしかわからないことがある

地震の被害は松川浦でも家全体壊れたのは一軒くらいでありそんなに目立つものはなかった、ただ屋根はそれなりに壊れていた、津波の被害からすれば比べようがないとなる
だからこうした記事でも出せる
相馬市内で大きな石の蔵を直していた、石の蔵は地震には弱かった、でも結構石の蔵があると見た、全体的に見ればあれだけの大地震でもそんなに被害があるとは見えない
津波の被害が一番恐ろしいのである

母親が子供抱くのを見て帰る、地震はあったが全体的には平和である
ただ家の内部はそれなりに壊れている、私の家の場合、階段が壊れたので危険になっている、なかなか被害全容はわかりにくい、それなりに被害はあった
でもあれだけの地震であっても全壊した家は見なかったのである
地震だけの被害だったらそれほどではないと見たのであく

春の日に横手から松川浦へ (喫茶店は場所がいいと価値がある)


春の日に横手から松川浦へ

(喫茶店は場所がいいと価値がある)

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springswan1.jpg

まだ白鳥がいた、今年は寒いからなのか?(宇多川の河口)

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グランパ
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偶然こんなふうにとれたのも不思議
matukawauraharu1111.jpg


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これは大きな石の倉庫である、石の蔵は結構被害があった



(横手)

春なれも御堂廃れて木の根っこ

春の日や円墳いくつか横手かな

(松川浦)

春の山丘の上なる喫茶店

若妻と子とにぎわいぬ春の草

白鳥なお残りいて春日さす

松川浦水面光りて初燕

松川浦春の鴎や喫茶店

春の夕母の子を抱き眠るかな


犬ふぐり御堂の前に咲き満つも参る人なく廃れけるかな

春なれも横手の御堂廃れたり地蔵倒れて直す人なし


横手から松川浦の方に行った、横手は円墳が五つくらいある、これは電車からも見える
そして南相馬市の鹿島区は古墳の町として知られている、それだけ古墳が多いからだ
ただ桜井古墳のような大きなものはない、
今回はその円墳の後ろに御堂がありそこは廃れていて誰もお参りしない
地蔵とかも倒れていたし直す人もいない、その隣の家は空家になっていた
何か空家が目立つのである
この御堂は誰も参る人がないから廃れた、でも江戸時代からありここに人がお参りしていたときは活きていた、その暮らしが消失したのである
これは別に原発事故とは関係していない、その前から廃れていたのである
こうして暮らしがなくなると御堂でも神様で死んでしまうのである

そういうことは原発事故の避難区域が空家だらけとなって多い
そうでなくても空家が増えて限界集落がふえて昔あった暮らしが失われ神社でも御堂でも廃れるのである、何があそこに祀られているかもわからない、やはり時代によって失われものがありそれはもう回復しないのである、なぜならそうした暮らしがなくなったからである、村があるとしてもそういうものもここではなくなっている
ただ古墳があるのだから古代から長くここに人が住んでいたのである

次に相馬市の道の駅から近い小高い丘にあるカフェDOMANI【ドマーニ】でランチを食べたここは二回しか行っていない、ここは場所がいいのである
前は畑であり春の山が見えた、畑には春の草が見えた
メルヘンチックに作った喫茶店である、あれは結構金がかかった感じがする
子供と若い人に向きに作っているとしても結構年配の人も入っている

今春休みだから母と子どもと一緒に来た人がいた
そこでちょっと話した、ソロバン習って何の役にもたたないと言ったらその母親もソロバン習ったという、でも二十代でソロバン習っていたのか?
もうソロバンを習う塾はなくなっているのではないか、ともかくせっかく子供の時習ったものでも何の役にもたたないのには本当に損だと思った
どうしても時代が変わるとそうなることがある、先を見据えて勉強しないと何の役にもたたず大損だったとなる

それから松川浦に行き新しいレストラン兼喫茶店に入った
そこは前が松川浦に接して景色がいい、でもそこは喫茶店ではない、レストランであり食事する場所である、だから中はうるさくみんなで食事していた
喫茶店はやはり食事するだけではない、くつろぐ空間の演出が必要である
でも今はもう喫茶店だけではやれないから相当に減ったのである
私は喫茶店が好きである、休み物思いにふけったりしていたからだ
喫茶店は場所が影響する、あそこは薔薇の花を飾って有名である
でも前が畑で山脈が見える、場所としてはいい、磯部にも新しい喫茶店ができたが海も見えないし入る気がしないのである
初燕を見た、二羽くらい見た、これはどこで見るかで印象が変わる、初燕はまさに本格的な春の到来を告げるものである

やはり眺めがいいというときそれで価値が生まれる、気分よくなるからだ
この辺で喫茶店でいいのは中村珈琲店では藤の花が咲き見物である
後は鹿島区の海老村の隠れた所にある納屋を改造した喫茶店もいい
でもここは二回くらい行ってあとは行っていない、まだやっているのかどうかもわからない、ここは予約制であったから簡単には入れなかったのである
あとは鹿狼(がろう)山のふもとの喫茶店は海を望むから気持ちいい場所である
ただそこは自転車で行くのには遠いから簡単には行けない

それから松川浦の新しくできたグランンパは眺めがいい、じき前が松川浦である
春の光りに水面が反射していた、鴎が飛んできた、鴨も泳いでいた
ここは眺めとしては一倍いい、でもここは喫茶店ではない、食事する場所なのである
だからいろいろな料理を出している、喫茶店としてくつろぐには向いていないとはなる

それから浜の駅松川浦によった、これは震災以後できたのものである
ただあまり買うものがなかった、魚とかでも種類とか少ないし買い物で得するというものも見えない、ここは観光客用なのだろう、観光客用は意外と高くてもいいものがないことがある
そもそも漁業というのは衰退産業であり跡継ぎいないとかなっていた
だから実際原発事故でわかったように東電からの補償金で事故前もそっちのほうが収入が大きかったのである、漁協組合はそれだけ補償が大きかった、そのことは追求して来た
ただそうなったのも結局農業とか漁業が衰退産業になっていたからである
そこで東電の原発に頼っていたとなる
でもこれから食料危機が言われているから地元の農業でも漁業でも食料を供給する仕事は大事にされるようになるかもしれない、海外からも食糧か入って来なくなると騒いでいるからである、すると国内で食糧を供給することは大事な優先的な仕事になり収入をも増えるかもしれないのだ
時代が変わり価値ないものが今度は価値があるようになる、原発は確かに金の生る木だったがそのマイナス面が事故で露骨に現れたのである

ここより地元の人が買っている、JA旬の広場が安い、花でも半分くらいの値段である
花は高いからである、ここは地元の人が行く場所である
でもかえってこういう場所が安いのである、別に品物が悪いわけでないのである
こういう場所の方が日常的に地元の人が利用していてかえっていいのである
旅すると観光用の店に入ると高くて損するとなる、でもこういう場所は地元でしかわからないことがある

地震の被害は松川浦でも家全体壊れたのは一軒くらいでありそんなに目立つものはなかった、ただ屋根はそれなりに壊れていた、津波の被害からすれば比べようがないとなる
だからこうした記事でも出せる
相馬市内で大きな石の蔵を直していた、石の蔵は地震には弱かった、でも結構石の蔵があると見た、全体的に見ればあれだけの大地震でもそんなに被害があるとは見えない
津波の被害が一番恐ろしいのである

母親が子供抱くのを見て帰る、地震はあったが全体的には平和である
ただ家の内部はそれなりに壊れている、私の家の場合、階段が壊れたので危険になっている、なかなか被害全容はわかりにくい、それなりに被害はあった
でもあれだけの地震であっても全壊した家は見なかったのである
地震だけの被害だったらそれほどではないと見たのであく