2022年04月30日

南相馬市相馬市の地震の被害写真 (まだ屋根などが修復できない家が多い)


南相馬市相馬市の地震の被害写真

(まだ屋根などが修復できない家が多い)



南相馬市小山田地区

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これ中は土壁である、表面の壁がはがれた



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ここの墓地は斜面だから被害が大きかった
なぜなら街中の近くの平地の墓地では墓が倒れていないからだ
私の家の墓はその街中にあるから倒れていないのである



日立木の小川

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橋の下の方の支えの石だろうか?
かなり重いものがはずれたのである、これだけのものが動くということは
相当な衝撃だったのである、橋自体が壊れたものもある

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相馬の道の駅の被害が意外と大きかった
中の商品は全部撤去されて廃業になる

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政経東北4月号

相馬市の道の駅は中の商品は全部撤去されている
ここは営業をんつ始めるのか?

政経東北に売り上げが年々落ちていると記事があった
ここは立地として街から離れていることが問題だったのかもしれない
道の駅でも原町だと街とつながってるから便利になるからだ
相乗効果じある、ここは田んぼの中に一つだけ孤立してある感じになる
景色はいいにしても他に店もなにもいから相乗効果はないのである

売り上げも来訪者も震災以後からコロナウィルス騒ぎでへりづつけていた
意外と福島中央道ができて寄る車の数が相当数減った
それで福島中央道のインターチェンジの方に道の駅を作っていればと書いてあった
現代は車社会だから車の影響が大きいのである
鉄道でもそれで廃れたからである
常磐高速の鹿島区のSAに比べればわかるその人の数は百倍なのか千倍なのか
人の出入りが全然違うからである
結局営業できなくなりやめるとしている

鹿島区屋形地区

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このように石を積んだ塀は地震に弱い
石の蔵でもみんな一部壊れていた、ただ十分の一とか一部である
でも石積みの家は地震に弱い
でも市営住宅のコンクリートの古い家は壊れていない
50年以上とかすぎているのである
かなり老朽化しているのに全然壊れていない

なぜなのか?

鉄筋が中に入っているからかもしれない
ただこのようにい石積みは地震に弱いことがわかった


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石の蔵は意外と多かった


今回の地震の被害が意外と多かった、屋根の瓦が破壊されたのが多い、家の中はわからないが障子などはぼろぼろになっている、自分の家でもそうである
まだかたづけられないのである、本が散乱しているし戸なども壊れている
障子も一部だめになった、でも一回知っている大工さんが来たが来ない
数が多いから地元の人だけでは手が回らない、それで仙台からタクシーで来た人が何人かいた、仕事をするために来たのだろう、6000円くらいで来れたのは何か仕事関係で安くなったのだろう

石の蔵はたいがい壊れている、一部であるにしても壊れている
あれだけの地震なのだから石積みは地震には弱い、レンガも弱い、中国とか他でもレンガの家が多いから震度5くらいでも壊れる
日本がでは地震が多いから家の強度は高い、でも今回の地震では屋根の瓦とかグシはずれたりこわれた
数が多いから当分修復はできない、職人の手が回らないかである
posted by 老鶯 at 18:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年04月29日

新田川の岸辺の八重桜が見物 (タンポポ、夕雲雀、西洋シャクナゲ、草萌える、八重桜、赤いツツジ、枝垂桜)


新田川の岸辺の八重桜が見物

(タンポポ、夕雲雀、西洋シャクナゲ、草萌える、八重桜、赤いツツジ、枝垂桜)
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喫茶店8.30

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西洋シャクナゲを植えた覚えがないのである、これも謎である

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新しい新築群の家の一つ

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この土壁といいいかにも昔の生活の名残りがある、木の根と石があっている
私の家も最後に土壁にしたのである、その時職人がいなくなっていたのである

たんぽぽの咲きつづくや海に出る

タンポポの朝咲きつづき海に出る

街中にたんぽぽ映えて往き来かな

大海の波の音ひびき朝雲雀

六号線八重桜咲き喫茶店

定着す枝垂桜に庭の石

浜街道新緑そよぎ走るかな

五六羽の山鳩集い草萌ゆる(午後)

土壁に石に木の根や草萌ゆる

夕燕交わり盛ん街を行く

浜街道ツツジの赤く夕暮れぬ

若き等にツツジの赤く夕暮れぬ

一心に鳴き続けるや夕雲雀

悔いなくも鳴きてひびかむ夕雲雀


石ありて菖蒲の静か事もなく庭に咲きつつ余生あるべし

いづこより種の飛びきて我が庭に紫のつつじ咲くもあやしき

この道を今日も行くにき庭の石枝垂れ桜やなじみけるかな

新田川の岸に八重桜咲きつづき午後の陽射しに川面光りぬ

街道の道になお長く太き松我がよりにつつ春の日暮れぬ


浜通りだとタンポポが咲くとき海に向かうのが向いている
海には開放感があるからだ、六号線8・30には一回だけ入った
何か喫茶店が私は好きである、喫茶店には八重桜とか合っている
安らぐ場所だからである

この辺では3.11の震災以後新しい家が建ち新しい街が二つくらいできた感じになる
枝垂桜が咲き庭の石を見るとここに定着して落ち着いたという感じになる
人間はなかなかその土地になじむことがむずかしいからだ
十年くらいすぎてようやく多少はなじむとかなる、とにかく人間はなじむにしろ時間がかかるのである

昨日は晴れたので浜街道を行きそこで発見したのが新田川の岸辺に咲いていた八重桜の並木道である、これは知らなかった、近くでも知らない場所がまだある
何かいい場所がある、でもどうしても原発避難区域になったところは小高でも浪江でも
飯館村でも寂びれたものとなり花も映えない
やはり人間が住んで暮らしがないと花も映えないとなる

つまり純自然のままの状態と一旦人間が住んだ場所とは違う、人間の手の入らない純自然の場所はそれはそれで荘厳なものがある
でも一旦人間が住んだ場所では人が住まなくなると淋しいものになる
それが庭でわかる、庭の石でも木でも人間化しているからだ
それで空家になったところでは余計に淋しくなる
石でも木でも人間化していたからである

工場のある浜街道の松の木は幹が太いしいい木である、街道には松がふさわしいのであるただ浜街道も依然として双葉、大熊とかは自転車では行けない
街道としてつながらないのである、街道は今は旧道ともなっていたがそれなりに車でも通っていた、それも通らないとなると淋しいとなる
やはり人間の生活があり人間の行き来がないと道も活きないとなる

ともかくここ十年以上は災いがつづいている、それで疲れた、ただ今や災いなくて余生をすごすことである、年取ったら負担になるからだ、
30年以上は災いがなかった、一回水害があり床上浸水になったくらいである
平穏な生活が30年とかつづいた、それは今なれば特別恵まれたことだったのである
この世とは常に火宅の世であった、戦争というのは自然災害より最悪だった
それが70年前に現実に日本でもあり3百万に死んでいるのだ
そしてウクライナ戦争になった、激動の時代になったのである
人間はもう70年も生きていれば必ず大きな変動があり翻弄されるようになっている
一生平穏で終わることはなかったのである

俳句とか短歌でも今や写真は欠かせない、なぜなら私は写生俳句から俳句でも作り始めたからである、短歌でもそうである、写生というとき写真とあっているのである
それは見たままを映しているからである
そして時間的にも朝なのか午後なのか夕方なのかが写生でも大事である
八重桜の写真は午後であり夕方になりそれが合っていたのである
昨日は晴れていたので気持ち良かった、写真もいいのがとれたので満足である
いい写真をとるコツはただ枚数を多くとることである
いろいろな角度から枚数をとってそこからいいものを選ぶのがいい、それがデジタルカメラの時代の写真のとりかたなのである

ただレンズとかにこるときりがなくなる、そして重いので持ち運びにくいから困る
ただ写真にこるとどうしてもレンズの作用が大きいのである
私はそこまでこっていないのである
でもどうしても今は映像の時代であり写真がないとものたりない
インタ−ネットのいい点はいくらでも映像が素人でも出せることなのである
これが雑誌だったら印刷していたら大変な金がかかりできなかったからだ
それで現代は表現の時代でありyoutubeで個人でもテレビ局にもなれる時代なのである
ただ手間はかかる、ワードプレスとかSSLにできないのがまずいと思っている
それも今になるとなんかめんどうになっている、だから技術的なことは若い時からなじんでいないとできない、それで今は若い人が有利になるのである

2022年04月28日

地震で屋根とか壊れた空家の問題 (空家を放置できない、責任がある)


地震で屋根とか壊れた空家の問題

(空家を放置できない、責任がある)
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ここは20年なのか相当長い間空家だった
でも外見は痛んでいなかった
今回の地震で相当傷んだ、でも直さないと梅雨とかなりさらにいたんでくる
今直す家が多いので順番待ちとなっている、ただこれだけ損傷すると直すのに金がかかる
他でも空家になっているで地震で損傷した家を三軒見ている
その家の所有者でも住まないとすると直してどうするのかとなる



今回の地震でこの辺では相当数屋根の瓦などが壊れた、それで未だにブルーシートの家がある、その中に近くでも瓦屋根が壊れてそのままになっている
その家の不思議は20年なのかとにかく長く空家なのである
見た目は空家でも普通に見える、知らない人だと人が住んでいるように見える
でも毎日見ていると今回の被害が大きかった
壊れて下に散乱した瓦はかたづけたが屋根の瓦はそのままである
それで困るのは雨になると雨漏りして相当に家自体がいたむ
でも空家だから放置しているともなる、ただ今屋根を直すにしても順番待ちだから簡単にはできない、その内梅雨になったりしたら雨漏りしたら困ると見た

空家というのは何かただ放置しておけばいいというものではない
もう一つの空家は東京に住んでいる息子が最近死んだのである、金持ちの家であり立派な家であり庭もいい、でも放置してある、利用するようにも見えないのである
だからもったいないと見る、誰も利用しないでただ放置されている
このまま放置されたまま直さないでいると荒れて来る、すると回りにも影響する
第一原発事故の避難区域になったところは空家だらけなのである
だからこれもどうするのかとなる、利用する人がいないのである

空家の問題はただ別に放置していればいいとならない、ただどういう理由で放置されているのかわからない、何か理由があって将来に利用することがありそのままにしているのかもしれない、でもいつまでも空家になっていることは迷惑にもなり危険にもなる
こうして放置された空家は別にそのまま放置していいともならない
でも利用する人はいない、そして人間は何でも必ず責任をもたされるている
その土地に住み家を建てるだけで責任をもたされていたのである
だから空家でも放置されていると回りで迷惑にもなる
責任をもってなんとかしてくれとなる、でも第三者勝手に利用することもできない
そこに権利があるからだ、でも権利を持つことは責任を持たされていることなのだ
だから利用しないならなんとかしてくれとなる、責任をとってくれとなる

ただ空家でも所有していると今回の地震で壊れても住んでいないとか住む予定もないとしたら金かけるのも無駄だともみる、もしかしたら百万とかでもかかるからである
住むこともないのにそうして空家に金をかけて維持することが嫌になるだろう
でも放置されたままでは困るとなる
それは耕作放棄地でもそうである、草ぼうぼうのままの土地をもっていてどうするのだとなる、それは回りでも困るとなる、つまり土地でも家でもそれを所有しているだけで責任がある、この辺では原発事故があり住んでいるだけで住民の責任が問われたのである

権利があるということは必ず責任がともなう、権利を主張するのはいい、でも必ず責任がともなっている、民主主義になったら常に権利を主張する
権利は利権にもなる、でも必ずの権利には責任がともなっていたのである
漁業権でもそれは権利であった、でもそれを東電に売って多額の補償金を事故前にももらっていた、それが責任になっていたのである
海は俺たちのものだという権利を言うのはいい、ではその権利は何のために与えられていたのか、資源の保護とかであり漁業の維持のためだった
でも東電から多額の補償金をもらったということは東電で海を汚して魚とれなくなっても文句を言うなという金だったのである
つまり金には必ず責任がともなっていたのである、金は具体的だからわかりやすいのである

一見何かを所有したり権利があるというとき得なことばかりだと思う
でも必ず責任がともなっている、あらゆることに特権があり上級人間になりかいとなる
官僚とかなると天下りで多額の金が入ってくるとかある
それは東電でもあった、でもその人たちは事故の責任があったのだ
だから責任をとって東電からもらった金は返還すべきだとなる
事故の責任があったからだ、安全を計る責任があったからだ
でも原発事故では幹部でも天下り官僚でも一切責任をとっていないのである
つまりあらゆる権利には責任がともなっているのである
権利を得たい得だけをしたいとしてもそこには責任が課せられている
長男が親の財産を前は受け継ぐ権利があったが長男には家を守る責任が課せられていたし親の世話をしたりと長男には長男の責任が課せられていた
何か特権があるとしても責任が重いものとなる

それで侍は権利があったとしても上に立つものとしてあっても責任が重かった
だから責任をとらされて切腹させられた、それが嫌だから庶民は侍になりたくなかったのである、ただ民主主義社会になると誰も責任を感じない、ただ得すればいい権利を主張するようになった、それが大衆民主主義の問題になる
誰も責任が自覚できない、投票するにしてもせいぜい百万分の一の責任しかない
するともう何の責任もないとなる、もし一人の票が十票とかなっていたら責任を感じる
要するに現代の問題は誰も責任を感じない社会である
権利は利権は主張するが責任はとらないという社会である
でも人間は必ず責任をとらされるようになっている
住んでいるだけとらされる、それが原発事故で故郷に住めなくなって理解したのである

大衆民主主義でもやはり一人一人に必ず責任がとらされる、数が多いからとしてすべてを数で決めたとしてもその結果は一人一人に責任となってはねかえってくる
無責任社会などありえないのである、責任は必ずなんでもとらされる
その責任が余りにも重いものともなる、戦争に熱狂したときでも3百万にが死ぬという責任を国民はとらされたのである
今回の知床観光船の事故でもそうである、26人が死んだとなるとその責任は余りにも重すぎたのである、となれば前からそういう責任を自覚する対策が必要だった
それで法律では必ず免責事項をことこまかに書いている
私たちには会社でも責任をとりませんと書いてあるのである
そういう責任を自覚してするのならいいが責任の自覚がなくただ付和雷同して大勢に従うということはあとで責任をとらされて痛い目にあうことになる
その責任の自覚がないことが問題なのである

いづれにしろ空家問題は深刻である、ただ放置されるままにしておけない、それは危険にもなる、火事とかにもなりやすい、管理する人がいないからである
つまり空家にしていても所有者の責任がつきまとっているのである
ただ一方で新築の家を建てるのが増えている、空家は利用されない
でも膨大な空家は利用されず放置されることと逆である
ともかく今回の地震でも空家のことを考えさせられた
それだけ空家が目につくし何とかしてくれともなっているのである
posted by 老鶯 at 07:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年04月26日

知床観光船の社長は借金して余裕がなかった (モラルなき社会で起きる事故事件ー原発事故もそうだった)


知床観光船の社長は借金して余裕がなかった

(モラルなき社会で起きる事故事件ー原発事故もそうだった)

事業を拡大し続け、借金を重ね、銀行からお金を借りられないくらい、借金が増えていたようです。他の会社は元漁師や経験者が経営に携わっているのに、知識も経験もない桂田さんが、なんで観光船なんかに手を出したのか、疑問に思っていた。

借金していたということでこうなった、借金に追われていてもう安全をみれなかった
なんとか金にしようとなった、こういうことが本当に多いのである
余裕がないことがこういう結果になる
一回二回くらい危険なんだから無理して出なくても良かった
そもそも借金から犯罪になるのが推理ドラマの定番なのである
借金していることが犯罪の動機になっていることが多いのである
だから借金しているかどうか調べるのである

ただ本当に事業している人でも失敗して借金している人が多いのである
この人は借金に借金を重ねていたのである、それでけ余裕がないからこういう事故が起きた、借金はそれだけ怖いのである、なんとか返すとなり犯罪にもなるからだ
だから事業でも経営となると資金が必要だけど借金して始めるとなると危険にもなる
ただ見通しがあればいいがそれがなかったりしたらやめるべきだとなる
でも自分はやれると思って事業を始めるのだからそれを止めることもできない
実際事業で成功するのは20人一人とかしかいないのである
それだけの確率でしか成功しない、すると簡単に事業はできないとなる

こうして借金のとばっちりを受けて20数人も死んだということである
だから借金は怖いのである、事業とか経営となると額が大きいから危険になる
簡単に返せない額だからである、小さい額でも借金に追われて苦しんでいる人はいる
でもそれはたいした額ではない、それでもヤクザ風の人が来て絶えず脅されたりしていたのである
私の家で店を始める時、5万だったのか今ならその十倍の金になっていたかもしれない
ただ戦後まもなくで小さな店であっても一応金がかかったから銀行から借りようとしたが銀行では貸してくれなかったのである
ただその時は何もない時代であらゆる小店でも下請けの町工場でももうかった事業に成功していたのである、そういう時代だったら銀行で金を貸しても良かったが銀行はなかなか担保がないと貸さないのである

ともかくこの事故の原因はこんな借金に追われているような社長だから起きた
他にいろいろ理由があると思ったがこれはもう社長の責任であり他にはない
情状酌量の余地もない、でも乗客はそんな事情など知らないのである
だから不運ともなる、仲間の業者も危険だから出ない方がいいというのあえて船をだしたのは借金のためだったのである

ともかく事業者でも経営者でも今回だったら船の操作のことや天候や地形や海流のことなどを知る人がやるべきだと書いたがそれ以前の問題だったのである

モラルが喪失した人が経営者になっていた!

このことが最大の問題だったのである、何か技術関係だと理系であり技術者として優れていればいいとなる、でも何か経営者というのはモラルが関係している
そんなものどうでもいいとみる人もいる、文系なんか科学のこと技術のことを知らないのだから何も言うなということにもなる
でも経営となるとモラルが関係してくる、原発事故の原因はそもそも嘘をついていたり
御用学者でも技術者でも本当のことを知らせないという単純なモラルが喪失していて
事故になったということもある、嘘でも隠していて「安全神話」を作っていたのである
モラルはむずかしいことではない

嘘をつくな!

ただそれだけのことであるがこれがどれだけむずかしいか、守れないか?いろいろな営業でも立場でも嘘つかずに仕事ができないということがある
でもそれが恐ろしい結果にもなる、だから経営者となるとモラルが関係している
それから会社の社長がトイレ掃除していたというときもそれなりの理由がある
そんなことする必要がないという優秀な技術者とかいる
でも人間は謙虚な心が必要でありただ社長だから威張っているだけでは勤まらないともみる、こういうことで経営には宗教も関係するともなる

その人はまず人に対して何もする気がない、ただ威張っていたいということで事業を始めた、自分は優秀なんだということを示したいということで始めたようだ
だから人のためには何もしたくない、現実に自分でも苦しんでいる人でも自ら荷物一つも持ちたくない人だったのである
そんなこと社員でもすればいいとなるがそういう人のために何もしたくない、助けたくないという人が社長になれるのかとなる
ただ技術的に優れているとかだけで理系で経営者になれるとも思えないのである
原発を運営していた幹部は嘘をついていた、「安全神話」を作り嘘をついていた
危険なことを言わなかったことが問題だったのである
そうなれば何も安全を計ることはない、努力する必要もないからである
ただ拝んでいれば安全だともなるからである、「安全、安全」と唱えていれば安全だとなってしまうからでなしる、それは科学者にふさわしくないものだったのである

この知床の観光船事故は全くモラルの欠如が原因だった、他のことは関係なかったのである
こうして全くモラルに欠如した人でも経営者になれるということが問題だったのである
でも何かこうした観光業者の社長でもこの人はどんな人なのかモラルのことなど問わないのである、技術的なことは問題にするがモラルは問題にしないのである
そして借金のことも問題にしない、いちいち調べたりしないとなる
でも借金していてその人がどんな人か回りの人は知っていたのである
そういう人でも社長になれたということが問題なのである
ただモラルなど関係ない、社長は利益をあげる人ができる人で出世するとなる
それで東電の社長はコストカッターとしてのし上がり社長になっていたのである
その人のモラルがどうのこうなど回りでも問わないのである
つまり利益が上がればいいとしかないのである
それはどこでも会社でもみんなそうだとなる、それが資本主義社会だとなる
だからモラルなき経済でありそれが社会を荒廃させてまた危険にもなる

グロ−バル経済ももともとモラルはない、それは覇権国がアメリカでも世界から富を収奪するシステムである、それでわからないにしてもデーブステートが支配して世界から富を吸い上げられるとしている
何か資本主義がマックスウェバーのキリスト教の修道院からはじまり他者への奉仕のために資本蓄積するということが資本主義の起りだったということでもそうである
何かそこにはモラルがはじまっていた、でもそれが強欲資本主義とか金融資本主義とかに変貌したのである
このモラルなき経済になったとき退廃が生れやがて今回の事故でもそうだが自ら崩壊してゆくともなる
そもそもウクライナ戦争でもアメリカの軍産複合体が戦争を起こしたとか言う時でもそうである、戦争で武器を使うから売れてもうかる、戦争によってもうかる会社というのは
全くモラルなどないのである、アメリカで人道を盛んに言うけどアメリカにモラルなどないのである、もちろんロシアにもモラルはない、人道もない、でもアメリカにもないのである

いづれにしろいろいろな事故の原因を探ると技術的なことやいろいろあるが人間のモラルの荒廃がある、この事故は明らかに社長にはモラルはなくなっていた
借金に追われて客の安全などどうでもいいとまでなっていた
これも恐ろしいことである、そんな人でも社長になれるからである、社長にモラルなど要求しないからである、別にヤクザでも社長になれるともなる
その社長に徳とかモラルなど要求しないのである、どれだけ利益をあげるかもうける人なのかで選ばれるだけだとなるからだ
モラルというときそもそも学校ではただ知識だけを教えられる、受験競争では試験の点数が良ければいい、そして受験戦争に勝った人が指導者になれる
東大が出たら上級官僚になれていい暮らしができるとかしかないのである
全くそこにモラルが消失しているのである、すると利益になればいいということでモラルがないのだからいろいろ問題が起きてくるのである
戦後の社会はアメリカに習い、ギブミーチョコレートから始まった
チョコレートをもらい食べられればいいしかなくなった、そして金をどれだけとれるかで優劣が決まる社会になったのである

明治時代になぜ優秀な人物が出たのか?それは江戸時代の武家の出が多かった、その侍は武士道を身をもって学びモラルを身につけた人である、知識だけの人ではなかった、そういう教育が藩校だけではない、その社会全体で育んでいたのである
だから内村鑑三のような人物がでた、それは侍の家の出でありモラルを生活の中で身につけていたからである
今の社会では戦後ではそうして日本のモラル自体が消失した、ただアメリカに習い利益だけを金だけを追求する社会になったのである、金儲ける人が一番偉いとなったのである、得とか全然重んじない、医者でも医は仁術となっていた
でも医でも教育でもなんでも金が第一であり利益を第一となった社会なのである
そういう社会は獣社会ではないか、もうモラルなき経済であり金をどれだけ稼ぐかですべてが決まるからである

モラルを一番重んじる宗教自体が戦後が新興宗教が興隆したのも全くモラルなどない
創価をはじめとして御利益追求権力追求しかなくなっていたのである
それは会社でも事業でもどれだけ利益をあげるかですべてが決まる社会である
すべての欲望が是認されかえってもっと欲を持てぎらぎらした欲をもてと指導しているのである、これも異常なのだが異常とも思わない、それほどモラルが荒廃してしまった社会になっていたのであるつ
だから原発事故でも追求してきたが今回の事故でもそうだった、ただこれはわかりやすい小さな会社のことだからわかりやすいのである、その悪がまざまざと見えたからである
でも大きな会社になるともう悪があってもわかりにくいのである
それがグロ−バル社会になるとますますわからない、悪は見ることはできない、それで隠されたデーブステートが世界を支配していると言われるようになる
それは見えないからそうなる、見えない暗い場所に悪は住みつきやすいのである

人間の失敗の原因 
(知床観光船事故でも共通したものがあった―戦争、原発事故でも同じ)

知床観光船事故はなぜ起きた (余裕がないことが事故につながる)

借金していたから余裕がなかった!それが事故の原因



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人間の失敗の原因 (知床観光船事故でも共通したものがあった―戦争、原発事故でも同じ)


人間の失敗の原因

(知床観光船事故でも共通したものがあった―戦争、原発事故でも同じ)

●人間の奢り

●安全より金儲け

●土着的な生活からの乖離


何か人間に起きて来る問題には法則がある、法則とはカルマでもある
つまり同じ事が繰り返されることである
その大きな要因に人間の奢りがある、それは自然災害でも戦争でもあらゆることで人間の奢りが原因して起きる
それは法則のようにあてはまる、だから何かが起きたとして原因を探ると奢りがあったとなる、そしておごれるもの久しからずとなる
人間はいかに繁栄を極めていても奢りやがて帝国でも大国でも没落してゆく
それは歴史をみればみんなそうである、大国の興亡があり今は衰退している
だからアメリカがいつまでも大国でありえないのである
もう衰退が始まっているのかもしれない、ただ人間の弱点は短期的視点でしか見れないからわからないのである

ただ確かなことは人間には必ず奢りがでてきて失敗する、夜郎自大国は漢がたいしたことはないとみくびった、でも自分たちの国には鉄器はなく青銅器てありそれで敗れたのである、これは日本でもアメリカなどたいしたことがないとみくびった結果として大敗北となった、日本ではアメリカのことを一般国民は知らなかったからである
ところがアメリカでは日本のことを相当に研究して熟知していたのである
日本はその時夜郎自大国になっていたのである
またいくら大国でもすべてが思う通りになるとは限らない、それがベトナム戦争だった
ベトナム戦争ではなぜあれほどアメリカが爆撃しても負けなかったのか?
それは土着的であり地理を知り尽くしていて地下にもぐり食べ物はイモでしのいだとかある、熱帯ではイモが主食ともなり育ちやすいのである
だから日本がでも救荒食物としてサツマイモ取り入れたのである
米だけでぱたりないからである、確かにサツマイモだと米代わりにもなるのである

ウクライナ戦争でもなぜ大国のロシアに負けないのか、それは大国ロシアの奢りがあったウクライナを小国として軽くみた、なめてかかった、でも思わぬ反撃にあって苦しんでいる、そして背後にアメリカとかNATOがいるのにそれも重く考えなかった
そして意外とロシア軍の兵器が旧式でその軍隊も強力なものではなかった
「天の時、地の利、人の和」がやはり通用していたのである
ウクライナは地の利に通じていた、ロシアはそれがない、また人の和でもウクライナには人の和があり自分たちの国を守ろうとする土着的意思かあった、愛国心があった
ロシアにはそうしたものがない、それで士気があがらない、それはベトナム戦争でも同じ事があったのだ、ベトナム人は地理に通じていたし愛国心がありそれでアメリカでも負けた、だからどんなに大国でも必ずしも大国がすべて有利だとはならないのである

そしてこれは戦争のことだが知床観光船の事故でも同じ事が言えたのだ
その観光船を運航していたのは地元の人ではなかった、全国からの寄せ集めだったのである、そしていかにその地形が複雑だったかである、海流も関係していて危険な場所だったのである、それは地元の漁師は熟知していた、また風も関係していた
なぜ転覆したかというと北西の風が強くそれを受けたのも原因だとしている
別な方向の風だったらそうはならなかったとしている
風とか海流とか地形とか複雑にからんで事故になったのである

そのことはこの辺の原発事故でも言えた、そもそも日本で地震が多いから原発には向いていない地形だったのである、津波もあるし原発には向いていない国土だったのである
それでアメリカでは西海岸には原発を作らず東の方に作っていたのである
また竜巻があるので電源を地下も設置していた、でも日本では地下に接することはかえって危険でありそのために津波で浸水して電源がとまり原子炉を冷却できずに大事故になった
これも地の利があり土着的なものとして生活していない人達が作ったためにそうなった
なぜなら東北電力の副社長は三陸の津波のことを知っていて低い土地に作ろうとしたが
10メートルとか高くしろとして作ったのでぎりぎりで助かったのである
それは女川とかは三陸に近いからそういう意識が生まれていたのである
つまり土着的生活をしていればそういうことを意識するからである

とにかく意外と地形とその風土とか天候とかは住んでみないとわかりにくいのである
どういう風が吹くとかもわかりにくい、浜通りだと3月頃に海から東風(こち)が吹く
原発が爆発した時その東風が吹いて山の方に吹いて飯館村が一番被害があった
それは不運だったのである、海の方に吹いていればあんな被害にはならなかったのであるだから一次産業とかなると風土と密接に関係している
農業とか漁業とか林業でもその土地の風土と深く関係している
すると工業にしてもそういうその土地特有の風土とか地形とか海流にでも通じていないと危険になる、それが見逃されて大事故になったのである

またもう一つの原因としして安全より金を稼ぐことが優先される、東電の社長はコスト削減で成果があり社長になったとされている
どうしても経営だと儲けが優先される、今回の知床観光船でもそうだったらしい
社長が危険でも金儲けを優先して船をあえてださせた、それは原発事故とも似ている
それは人間一般に共通している、つまり失敗の原因は共通したものがありカルマとして起こる
奢りが失敗の原因だというとき事業で失敗した人も技術者としては優れていても経営者になったときうまくいかず失敗したとなる、俺は優秀だという奢りがあり失敗したとなる
人間は本当は自然のことでもなんでも知り尽くすことはできない、それは万能の神しかしりえない、そしてウィルスでも未知のことが起きてきて対処できない
でも科学万能社会になると科学でなんでもできると過信するようになる
そして科学者が技術者が神官となったのが現代である
そうして「安全神話」が作られたのである、そして日本の技術は優秀だから安全だとしていたのである、事故は起きないという確信までになっていたのである
それも打ち砕かれたのである

ともかく安全を無視するときでも何でも人間には責任が課せられている
それで今回のような知床観光船事故でも20数名が死んだというときその責任は余りにも重すぎたから恐怖である、そんな責任を負えるのかとなる
もう死んでお詫びするほかないとなまでなる、金銭的にも賠償は無理になるからだ
原発事故の被害も故郷に住めなくなるとか甚大だった、でもその責任が上の人はとっていない、誰もとっていないのである、天下りした官僚も大きな金をもらっていても
責任をとっていない、金だけはもらえますとなっているだけなのである

つくづく庶民が侍になりたくなかったというとき責任をとらされるからである
切腹させられるからである、それだけ重い責任をになえないとして侍になりたくなかったのである、でも今だと金だけはもらいます、責任はとりませんとなっているのである
そうはいっても戦争の結果でも3百万人死んだとか原発事故でも観光船でも20数名が死んだということでその責任は余りにも重すぎるものとなったのである
プーチン戦争の暴挙でもロシア兵が相当数死にウクライナ人も甚大な被害を受けた、その責任は誰がとるのかとなる
プーチンは敗戦ならもうロシアから追放か死刑にもなるだろう、それだけの人命であれ失ったのだから当然だともなる
つまりそれだけの責任を引き受けざるをえないのである
上にたつことはそれだけの責任を引き受けることだからいいようでも庶民が侍になりたくないという気持ちがわかる
責任が余りにも重すぎるからである

posted by 老鶯 at 08:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年04月25日

知床観光船事故はなぜ起きた (余裕がないことが事故につながる)


知床観光船事故はなぜ起きた

(余裕がないことが事故につながる)


事故の修理をしておらず船の先端に亀裂がある

・他社が運行しない期間ですら運航

・事故当日は同業者に全力で止められるも出航

・波浪注意報が出ているのに全コース強行

サービス業を少しやってたことがあるけど、消費者が一円でも安いサービスを求めるのが悪いんだよ
この観光船だって8000円の料金が高いというやつがたくさんいるけど、
船の維持管理費や人件費を考えたら1万円でも安いくらい

なぜそもそも無理して船をだしたのか、回りから警告されてもあえて出したのか?

この原因は余裕がないことではなかった?、その余裕とは金の問題だったかもしれない、コロナウィルスとかで観光客が減ったとかあり無理しても稼ぐ必要があったためなのか?
というのは私はここのウトロの民宿で経営が苦しいことをその女主人から延々と聞かされたからである、それも20、30年前とかなるかもしれない、夫の主人が何か遊んでいるとか愚痴を延々と言っていたのである
つまり観光でもやはり客が来なければやっていけないとなる、そこには大きなホテルもあるらそっちの方に泊まる人がいたのかもしれない

とても運航が無理でもあえて船をだしのか、その理由は金を稼ぐということで強いられたのかとなる
もし収入がある程度あり余裕があれば今日は危険だから出さないという判断にもなる
ただ客がどうしても行きたいということもある
なぜならせっかく遠くまで来て観光もできずに帰るとなるとかなり損した気分になるからである
何か時間をかけ金をかけて苦労して来たんだからお目当ての観光ができないと損したとなる、そういうことは観光にある

サービス業を少しやってたことがあるけど、消費者が一円でも安いサービスを求めるのが悪いんだよ

これは言える、金銭的に安くしようとすると観光客にも金の余裕がないからである
なるべく安く観光しようとする泊まろうとするすると当然安全面でもおろそかになる

それなりに金がかかるのだからしかたがないとかならないのである
ところが金に余裕がある人は安くしようとはしない、それだけの仕事なのだから払ってもいいとなる
一二割高くなってもいいとかなる
そういう自分も金がなかったからこういう考えにはならない、余裕がなかったからだ
ただ金銭的に余裕ができたときそういう考えになったのである
だから金の影響はつくづく大きいと思った、金に余裕がない人が多い社会は危険がますのである

人間が余裕がないことがこうした事故にもつながる人間が余裕がないことが常に危険な状態になる
なんとか稼げないとどうにもならない、危険でも客をのせて金を稼がねばならないと思ったのかもしれない、それは別にあらゆる職業でとにかく金を稼ぐために不法なことでも
無理なことでする傾向がある
まず人を助ける時余裕がない人は助けることができない
借金で首が回らない人が病気とか苦しい時来た時とうなるのか、その人の頭の中は借金で一杯なのである、人のことを気遣う余裕がないのである
そうして自分は介護とか自分の病気でそんな余裕がない人がきて死ぬ目にあったからだ
人間は余裕がないと強迫観念になり判断を誤る、戦争だって日本の戦争にしろもう経済封鎖で追い詰められてアメリカと戦争するほかないとなる、余裕が全くなくなり真珠湾攻撃になったのである、経済的に余裕があればそうならなかったかもしれないからだ

何でも余裕がないことは判断を誤らせるのだ、金に余裕がないとやはり余裕がないから
金をなんとか稼がねばならないとなる、また営業でもノルマが課せられてそれを達成しろと上から言われて余裕がないからもう客の身になって考えることもできないのである
会社に余裕がなくなればとにかく稼がねばならないともなる
そのことでかえって人間は失敗することになるが余裕がないからそんなことを言っていられないとなる
だから意外と余裕は大事だなとなる、それで貯金があれば余裕が生まれる
貯金がないといつも追われていて余裕がないから相手のことを思いやることなどできないのである
つまり人を思いやるには余裕が必要なのである
だから余裕ない人に金でもなんでも相談しても無駄だとなりむしろ危険だとなる

日本は貧困化してくると余裕がない人が増大する、するとみんな余裕がないからギスギスした社会になる、すでになっている、もう物価高だとか電気代からガス代あがるとかなり経済的に余裕がない、そういう人と接しいるともうこっちも苦しくなり余裕がなくなる
何か交通事故でも起きる時急いで時間の余裕がないとかのときなりやすいともなる
それは時間であれ金であれ追われているからそうなる
勉強でも常に脅迫的に強制されてしても身につかない、余裕があってその人なりに勉強すれば身につくとなる

ともかく金でも時間でも余裕がないことは危険である、観光だと金もそうだが時間に追われるのである、ゆっくり見たいとしてもできない、またせっかく遠くから来たのだから
見たいともなる、また観光業者でも金を稼がねばならないとなり無理をする
そして事故になる、現代社会は金であれ時間であれ常に追われている
観光でもじっくり見ることもできない、時間に追われるからである
そうして急ぐ旅は心に記憶されないのである、記憶されないということはせっかく遠くまで行ったとしても行かなかったと同じになってしまうのである

だから何度も行っているように記憶する旅をしろとなる
なぜならせっかく旅しても記憶していないと行ったことにもならないからである
現実近くでも行った所を全く記憶していなかった、だから初めて行ったと同じだった
あんな坂があったとは全く記憶になかった、こうして全く記憶に残らないことがある
得に外国旅行はそうなりやすい、だからせっかく行ってもどこに行ったかも記憶に残らない、記憶は月日が過ぎるとますますあいまいになってゆくからである

私の場合は北海道は十回とか行っているからウトロにも行ったとか思い出す
あの岩も見ている、あそこから船がでて事故になったのかと見る
知床半島には冬にも行った、その時だったのか民宿に泊まった、食事をしたとかなる
いづれにしろ二十、三十年も過ぎると記憶があいまいになる
ぼんやりと霧がかかったようになる、特に旅になると外国だったら一回しか行けないとかなりますますその記憶は消失してゆき思い出せなくなるのである

何か観光でも危険がある、知らない所でなれていない所だと事故になりやすい
ただ常に人間社会には生きるのに危険がある、家にいても地震があるし水害にもあったし安全はない、危険と突然襲いかかってくる、津波などは逃げる余裕もなにもないただ咄嗟に逃げる他ないのである
ただ余裕がないことが事故に成り安いことは確かである
余裕が無いから判断を誤るのである、じっくり考えることもできないからその人なりの勉強ができない身につかないとなる
ただ観光でも遊びでもそこには危険がある、でも今回はプロが案内したのであり危険はわかっていたのに船を出したのだから観光客に責任はない
でも金を稼がねばならないという余裕のなさがそうさせたとなればやはり余裕がないということが人間にとって危険なものになる
現代はこうして金でも時間でも余裕がない人が多いからそれが危険になる

posted by 老鶯 at 06:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年04月24日

出稼ぎの歴史 (戦後の焼け野原から高度成長時代をふりかえる)


出稼ぎの歴史

(戦後の焼け野原から高度成長時代をふりかえる)

秋田県の農家は1戸平均1.1haの田を持っている。米はlhaから100俵とれるとしても,収入は,新米価でも156万円。必要経費を抜いた純益は80万そこそこだ。米以外の野菜,養鶏,酪農などは,価格が不安定で収入には大きな波があり,たびたび,大きな赤字になる危険がある。農業以外の収入が,農業を支えるために求められる。主人,長男が会社,工場で働き,主婦もパートに出る。収入は安定しているが,金額は安い。パートでは,一日働いても1,300円から1,500円しという相場だ。ここから一歩ふみ出そうとすると,月収10万円以上の出稼ぎしかない。


 「出稼ぎの犠牲者,一年間で79人」という記事が出た0は,48年4月のことだった。秋田にきて,一ヵ月の新参者にとって,この数字は驚きだった。
なにしろ,年間の交通事故死者が160人程の県である。交通事故死の半分にあたる人々が,県外の,都会の灰色街で,出稼ぎで死んでいく。これはどう考えても異常でないか。しかも,死者の8割が,病死だ。病を背負い,本業の農業を離れて,出稼ぎにと出ていく人たち

日本の求人を見ていると、月収20万円に満たない募集が大半を占めていて、ゾッとすることがある。

月20万円に満たない給料でいったいどうやって生活しろというのだろう。飲食業界の給料はあらゆる業界の中でも特に安い。

料理人のような専門職には付加価値があるので、いまや海外の方がよほどいい給料で生活できるのだろうが、その専門的な知識を身に付けるためには少なくとも数年間は日本で労働をしなければならない。

いずれにせよ、日本の多くの企業が提示する給料ではまともな生活はできないし、子供を育てるのも不可能に近い。

近い将来、多くの日本人が海外へ「まともな生活をするため」に出稼ぎへ行く時代が来るのではないかと思う。



過ぎ去った時代をふりかえると不思議になる、でも何かその時代のことが良くわからなくなる、人間はとにかく忘れやすいのである自分自身これだけプログとかで書き続けていてもそれが自分の書いたもののように思えないことがある
それだけ人間は忘れやすいのである、だから何でも何か書き留めて記録することも大事になる、旅したとしてもなんでもいいからその時その場の感想を書いておくと後で思い出すことになる

そして人間の記憶が何か一時代を経験するにしてもみんな違った経験をしているのだ
同世代でも私の同級の中学時代の三分の一くらいが東京に集団就職していた
何で行ったかというと蒸気機関車だったのである、東京オリンピックの頃までまだ蒸気機関車だったのである、だからこれもそう思えなくなっているのである
ただトンネルを通ると石炭が燃料だから煙で顔がすすけたことを覚えている
ただ東京オリッピックの時、蒸気機関車だというのも何かぴんとこなくなっているのだ

東京オリッピックは高校の時であり日本中が熱中した、その原因がテレビが出始めて実況中継されたこともあり日本中がリアルタイムで同時に見ていたからである
その熱気は去年の東京オリッピックとは全然違っていた、高度成長期の日本が戦後から復興する熱気に満ちていたのである、バレーボールの東洋の魔女とかがそうであった
その時日本が世界に経済力をつけて躍進する時代だったのである
その熱気がオリッピックに反映されたのである

一番驚いたのは東京の人口である

戦争が終わった時、東京の人口は三百万人だった!

これは信じられないとなる、焼野原から食べ物もない時代から東京は一千万以上の人口になったからだ

戦後に天皇が人間宣言した結果、精神の空白ができていろいろな新興宗教が生れて信者が増えたというのも興味深い、創価がその時団地の宗教として生まれた
つまり東京は地方から上京する人たちによって作られたのであり団地はサラリーマンにとって憧れだったのである、団地に住めることは一段上のクラスの人となることだったのである、だから創価が団地の宗教と言われたのである、地方から集まった人達の拠り所になったからである、座談会形式で信仰を深めて団結したのである
その頃はまだ政治には進出していないから国家的にみてそれほど脅威ではなかったのである
そしてなぜその後会員が増えたかというと丁度高度成長時代と重なり御利益が現実にあったから増えたのである、それは本来の宗教ではない、御利益宗教であり何でもいいから
欲望を満たすものとして会員が増えたのである
今新興宗教が衰退しているのは経済が停滞して御利益がなくなったからである
とにかくその時代は何かぎらぎらした欲望に満ちていてその欲望を奨励して充たすものとして創価などの信仰宗教が勢力を拡大して大きな政治勢力ともなったのである
それは本来の宗教とは関係ないものであり御利益がなくなり衰退するだけだとなる

その頃また出稼ぎ者が増えたのは高度成長期であり東京が戦後の焼け野原から300万人から一千万人に人口急激に増加したからである、この人口の増加を吸収する仕事が東京に生まれていたのである
それで私の大正生まれの母親は原町紡績で糸取りをして働いていた、次に東京で女中として働いたのである、その当時から東京に出る人が多かったのである
そして出稼ぎというときもオリッピックでも巨大な公共事業があり人手がいくらあっても足りないという状態だった

そこで農村地域から出稼ぎ者が来たのである、でも驚きは過酷な労働で病死したとか疲弊した人が相当にいた、その労働環境は厳しかったのである
不思議なのはその時暴力団が繁栄していた、そういう飯場とかに暴力団の資金源になっていた、手配師がいてはんばに送り込んだ
そこで過酷な労働を強いられて死んだ人もいる、それが自分自身が経験していたのである手配師に連れられて工事現場の飯場に行きビルを建てる現場で働いた
それが四階でありそれでそこから落下して死ぬところだったのである
だからそうして工事現場で出稼ぎ者が死んだ人もかなりいたということである

「出稼ぎの犠牲者,一年間で79人」という記事が出た0は,48年4月のことだった。秋田にきて,一ヵ月の新参者にとって,この数字は驚きだった

出稼ぎ者というときその飯場とか働く場所が劣悪だったのである、集団就職した人達も工場でも劣悪な環境にもあった、まだ福祉とか整備されていないからである
工事現場で死んだとしても保証などなかったともなる、そういう時代だったとなる

ただ出稼ぎは江戸時代からあった越後とか新潟県では雪深いから冬に出稼ぎに行く所で知られていた、子供だと越後獅子とかで子供が使われたとかなる
田中角栄は工事を請け負う土建業者でありその頃道路でもビルでも何でも新しく作る時代だから財を成したとなる、高度成長時代はインフラ整備の時代だったからである
出稼ぎは賃金の差から起きてくる、今出稼ぎに来ているのは貧しいベトナムとかネパール人とかである、ここは最低限の生活だから賃金の差で日本に出稼ぎにきている
そして逆に日本人が外国にアジアでも出稼ぎに行く、肉体労働なくて頭脳労働者も優秀な人は賃金差で外国で働くとなる
なぜなら日本の賃金は全く上がらない、優秀な若者は外国を目指すとなってしまうのである、グローバル社会ではそうなってしまうのである

そしてこの辺でなぜ双葉大熊地域に原発が作られたか誘致されたかというと

出稼ぎしなくても地元で働き住みたい

このことがあって積極的に原発は誘致されたのである、だからそういう切実な事情があり原発は誘致され建てられたのである、双葉とか大熊地域などはこの辺ではチベットとか言われていたという、原町市とか相馬市となるとそれなりの経済規模根があり働く場があったとなるがそこにはなかったからだとしている、人間はとにかく経済が優先される
食うことが第一となる、だから危険は無視されたのである
それは出稼ぎとも深く関係していたのである



4Kカラーでよみがえる 終戦直後の日本 - NHK

今日この放送みて興味深かった、これを深堀りというかそれぞれの経験をふまえて語ればさらに記録として興味深く残されることになる
今は放送局でないにしろインタ−ネットで素人でも個々人でもその歴史を記録を残せるのである
この文でもそうである、でも映像となるとなかなかむずかしいのである
ただ一つの時代をとらえるにも個々人でも体験が違っているから一人の体験からその時代を見るのはむずかしいのである

私自身の体験からすれば大学は遊びの場であり集団就職した人達とはあまりにも違っていたからである、でもアルバイトなどはしていたしその後就職しないで放浪して何か飯場などに迷い込んだとなる、でも本当の出稼ぎ者はもっと厳しかったとなる
私は何か20代は結構苦しかった、でもその後楽をした結果体力も回復した
私は集団になじめない性格であり結局引きこもりとして30年間家にいて自由に生活していた、こうできたのも親がそうさせてくれたからだとなり感謝して今でも親を供養しているのである
ただそのマイナスも大きく介護になって死ぬほどの苦しみを味わったのである
それも自分のカルマだったとなる





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2022年04月23日

ロシア総主教が核兵器を祝福する異常 (組織化団体化した宗教は権力志向で政治家と同じ)


ロシア総主教が核兵器を祝福する異常

(組織化団体化した宗教は権力志向で政治家と同じ)

relogionrossia1.jpg
ロシア正教トップが元KGB? 侵攻と信仰の”ただならぬ”仲
https://www.youtube.com/watch?v=YdCikK71lpM&ab_channel=TBSNEWSDIGPoweredby

今回のウクライナ戦争はいろいろな問題を提起した、何か盛んに武器のショーにもなっている、ロシア軍の弱さは旧式の武器を使っていたとかそれでこれでは使えないとかロシア製の武器を買っていたインドとか中国は不安になった
またドルが使いないとかスウィフトで金の流れがとめられたとかもあった
それは基軸通貨のドルに対する反発としても現れた
そして今回はロシア正教の問題がクローズアップされた
それが余りにも信じられないものだった
核兵器をキリル総主教が祝福している、プーチンと一体化してウクライナ侵攻を奨励している
それがどうしてそうなったのかというとソ連時代にロシア正教が弾圧されて存続できないような状態になったからである、そのことから国家なくして宗教もないとしてそうなったという
それにしても宗教が平和を一番大事にするのに核兵器を祝福するというのが信じられないとなる
ただ核兵器が信仰の対象となる映画を見た、だから想像上ではそういうことがありえた
核兵器が国を守るものとなるからそうなったのである

いづれにしろ宗教というのはもともとローマ帝国に取り入れられてから政治化して本来の宗教というのはなくなった、キリスト教が政治的に利用されるようになった
カトリックと政治的だからこういうことがありうるのかともなる
ただロシアというのは謎が多い、何か西側の文明から見るとまだ前近代的なものが残っている、政教一致というのもそれらは前近代的なものとして継続されてきたからである
フランス革命の大きな命題が政教分離にあったというこもある
日本の太平洋戦争も天皇を神とする政教一致がありそこで戦後は政教分離になったのである

その弊害として戦後は新興宗教が興隆した、それがカルト教団である、創価がその最たるものであり政治化して選挙宗教となり権力収奪を目的とするものとなった
本来の個々の心にその信仰心をおくものとは違う、集団組織化してこの世の権力をにぎりこの世を支配するということで360日選挙運動している
そして自民党でも創価の票を入らないと落選する人が相当数いると恐れているのである
そうしてその票でもって権力を左右する、それが政教一致になっているのは一票を入れることが信仰になっているからだ、御利益となるのは経済的理由でありまた成仏するとかになり選挙に勝つことは仏法の勝利として常勝だとなり団結するのである
それは全く政教一致で法律違反なのだけど自民党は票が欲しくて容認しているのである

これと同じようにロシアも政教一致なのである、ただそれが度はずれているから理解しかねるとなる、核兵器を祝福して戦争も奨励しているからだ
ただ天皇を神として戦争した日本でもそういうことがあったからそれは世界史でもあったそもそも宗教が戦争と関係しないとなっていない、もともと旧約では聖戦として預言者が指揮して勝った記録である
中世になっても十字軍でもキリスト教の武装集団だしイスラムでも武力と関係して生まれている、日本だとそもそも僧侶集団が城のようなものを作っていた
それは一向宗ではそうだった、それで僧が武士になったというとき歴史は連続しているからである、僧兵ともなるのである
だから僧が権力を得るために武装集団になっても不思議ではないのである
戦争ともなれば武器をもって戦う集団なのである、また利権集団だからこそ比叡山が城のようになっていて琵琶湖の船運から税をとっていたとかなり信長が攻めたのである
だから組織化集団化した宗教は本来の宗教とははずれた世俗的権力的宗教になったのである、そこを誤解するのである
それでオウムは極端な武装集団として政権を奪取しようとしたのである、創価もまた武装化しなくてもやはり目的は同じである

つまりロシアには何か前近代的なものがツアリーとかの支配がありその歴史がプーチンに受け継がれている、政教一致がある、近代化とは政教分離したことが大きな変化だったからである、西側でもカトリックの政治化があり支配した歴史があったからだ
それでプーチン皇帝であり習近平皇帝になる、その皇帝とロシア正教の総主教のキリルが一体化している、だから宗教とは何なのだろうとなる
宗教とは戦争を奨励して人類を滅亡させる核戦争する奨励していることの不可解なのである
ただ宗教団体組織となるとそれは宗教というより巨大な権力でありその権力でもって世界を支配することを目的化している、ますキリストとかシャカとか寝る所もない、岩窟で悟りを開いたとかとは全く関係ないこの世の力とを栄華を宗教で求めるとなるからこの世はわからなくなるのである、だから組織化集団化した宗教は宗教ではない、この世の権力を得ることが目的だから世俗の政治と同じなのである
だか。らどうして宗教を看板にしているのかわからないのである
そこが暴力団の看板でもかかげていればわかりやすい、宗教の看板をかかげていることは実際は全く正反対のものなのである

武器こそ核こそ力だ
金こそ力だ
数こそ力だ

宗教団体は神仏であれ信じていない、この世の力を得てこの世を治めることしかない
だから神仏に祈ることが矛盾なのである、神仏からみてそれは何なのとなってしまう
でも現実はその核兵器を持つことでそれを力として金を力としてあとは数を力として
支配しようとする、それはサタンの仕業ではないか?
根本的に矛盾したものになる、一方でジキルの顔をして善人の顔をして実際はハイドでありその両面があり矛盾してくる、偽善者になってしまうのである
別に暴力団ですとか看板を出していればそういうことはない
またあらゆる欲望を満たすためにしている営利団体ですとかなっていれば問題ないのである、どうしても自己矛盾になってくる、でも大衆洗脳団体だからそんな疑問すら大方は考えないかもしれない、別に金になればいいとか仲間がこんなに多いのだから力になるだろうとかしかない、後はやめると罰当たるとかなんとかあり実際祝福よりそういう恐怖が与えられるだけなのである

いづれにしろロシアという国はわかりにくい、もちろん外国はみんなわかりにくい
でもおそらく日本人は西側からしかアメリカ側からしか世界を見ないから理解しにくいとなる、西側のアメリカは戦争国家でありベトナム戦争であれイラク戦争であり人道に反する大量殺戮をしてきたからだ、だからそういう国がロシアを一方的に人道で責められるのか?日本の戦争でも原爆を落としたからである、そんな国が人道を言えるのかともなる
専制国家と民主自由国家の戦いだとしているが人道に反することが戦争でありそれは否定されるべきだとなる、民主自由の前に人道があることになる
その人道を無視してきたのがアメリカなのである、人道とか人権を旗印にしてもやはりアメリカもそんなこと無視して世界を支配したいという権力を追及する国なのである

ともかくロシアという国はわかりにくい、それは情報でも閉鎖しているし観光旅行でも制限されているからロシア人と接している人も少ない、交流がないためでもある
ただ核兵器で脅したり核兵器をロシア正教の総主教が祝福したりとその異様さは何なのかとなる、そこに一人のプーチン皇帝が君臨して独裁者がいて核兵器で脅して来る
それは核兵器で脅すテロと同じでありテロ国家にもなる
ブーチンは最後に核と一緒に世界を滅ぼすとまでなっている、こんなことがありうるのか?一人の人間によって人類は滅亡することがありうるのかとなる

ただ武器とはそういものであり核戦争で人間が滅びるのが人間のカルマともなる
最終戦争となりハルマゲドンで滅びるのである、それが聖書でも予言されていたから本当にそれが起きるのかとなり恐怖した
明らかにエゼキル書の予言ではロシアがゴグでありそれはアジアのことであり中国もふくまれるとなるからだ、つまりロシアと中国連合とアメリカを中心とした西側連合の最終戦争の場がウクライナになるという恐怖を世界に与えたのである
だから今までの地域紛争とは違う、世界最終戦争の場になるとして恐怖したのである
日本でもロシアが北海道を攻めてくるという宣言したことでもそうである
全世界が震撼したのであり日本も例外ではない、ただ正直ロシアとは何かというとき理解できないのである

ただウクライナ人がシベリアに前もつれていかれて強制労働されたとかある
そして今回の戦争でも強制的にシベリアに連れていかれる
それは日本軍でも経験していて34万にも死んだという説もある、これもカルマの繰り返しだとなる、だからロシアでは強制労働あり歴史をくりかえしているのである



オウム真理教の痕跡をクリミアで見た。今もロシアに残る麻原彰晃の幻影
https://www.huffingtonpost.jp/kazuhiro-sekine/aum-shinrikyo-in-russia_a_23479379/

こんなことがあった、オウムはまさに武装集団化していた宗教団体である
それでロシアに接触したのは武器を手に入れるためだった
オウムも宗教であるが信じられないものだった、それがロシア正教でもオウムと似ているとなるから何か人間には世界でも共通したものがあると思った
posted by 老鶯 at 13:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

折り畳み自転車の旅はうまくいかなかった (相馬から岩沼から二本松へー鉄道の旅はしにくい)


折り畳み自転車の旅はうまくいかなかった

(相馬から岩沼から二本松へー鉄道の旅はしにくい)

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折り畳み自転車は意外と旅がしにくかった、いちいち折り畳み袋に入れるのもめんどうなのである、そして私の自転車はドイツ製のBD1でありこれは10数年前に買ったもので
いいものなのである、重さも11キロくらいで軽いのである
でも持ち運ぶと結構重かった、特に階段を上り下りすると相当に負担になった
それでエレベーターを利用するといいと思った
また折りたたまないで階段を上り下りすれば楽である
折り畳み自転車は利用していなかったのでうまくいかなかった
途中でチェーンがねじれて動けなくなり駅から自転車屋に行き直してもらったから助かった、前は8キロも歩いたことがあったから自転車は怖い面がある

結局何か折り畳み自転車を利用するメリットを感じなかった、というのは駅から歩いてもいい距離しか使わなかったからかえって折り畳み自転車が移動するのに足かせとなってしまった、十キロでもいいから利用していたらそうはならなかった
前は駅から二十キロとか離れた距離を行ったから有用だった
今回は駅からそんなに離れない距離しか行かないからかえって足かせとなってしまった

というのは岩沼で乗り換え次に大河原でおりて次にまた白石で降りて福島でとまり待ち合わせで二本松に行った
岩沼から直通で二本松に行く電車はないのである
これも不便だと思った、そこで50分とか待ち合わせがあったりして時間が遅れると困るのである
それで良く自分の街の無人駅でも待ち合わせの時間が一時間とかなり隣の市まで歩いて行こうとする人がいる、一時間おきとなると一時間を待つのが長いのである
なぜなら旅でも先を急ぐことがあるからだ
今回の目的は人目千本桜を見るのと二本松の桜を見ることだったからだ
今は鉄道の旅はしにくい、便秘が少ないのが最大の問題である
新幹線とかは30分おきくらいに行くとなるがローカル線は一時間おきになっている
もっと間が空くことがあるから利用しにくいのである
30分おきくらいだと相当に利用しやすい、なぜなら30分は待てるからだ
一時間になると待てなくなるのである




stationshop1.jpg
白石市駅前の店兼食堂


これが良かった、白石市なのに駅前に食堂がないことは変だった
でもここではいろいろ用がたせる、買い物もできるし食事もできるからいい
やはり駅ではちょっと離れていても待ち合わせでは不便になる
どうしても駅内とか駅前に必要なのものなのである
でも駅で案内してそういうものがないので困る人がいたのである
というのはどうしても駅で待ち合わせの時間があるからそうなる
それが不便なのだが人間的なものも生みだしていたのである
ただ忙しい現代では電車は時間があきすきで不便になってしまったのである




駅前のことでは白石市の駅前で食事しようとしたが食堂が見当たらないのも変だった
普通駅前にあるはずだがないのである
そして駅前に店がありその中に食堂がある、でもそれは狭い場所であり食堂とも言えないそこで野菜とか果物とか売っていて手作りの惣菜が売っていた
それをおかずにして隣の狭い食堂で食べさせるのである
それが何か人間的で良かったのである、おばちゃんが声をかけたりして人間的なのであるだからスーパー等と違ってこういう小さな店は人間的なものが残っている
それで旅して阿武隈山中の石川の方に行った時、万屋(よろぶや)が残っていて
そこでご飯と味噌汁が無料で御馳走してくれたのである
こういうことは今の時代にはありえないことだったので不思議だった

要するにまずコンビニとかは人間的なものがゼロである
人間的なあたたかみなどない、客でも逆に店員を人間と見ていない、店員も客を人間とは見ていないのである、どっちにしろロボットという感覚なのである
そこには確かに便利さはある、コンビニエンスがあるが人間的な情とか消失している
それはやはり車社会になってそれに適合することでそうなったとみる
鉄道だとまだ人間的なものがあり駅前通りとか発展したのである
駅というのは街の中心的機能としてあった
なぜ食堂がないのかと聞いたらみんなやめたと言っていた、経営として成り立たなくなっている
何か駅前より今は車社会になると道の駅が中心になる、現実にこの辺でも原町の道の駅が中心であり駅前通りはすたれている、道の駅が街の玄関ともなる
要するに駅とういのはそれだけ車社会になり利用価値がなくなったのである
何か鉄道開通から150年とかがその記念のハンカチを買った、150年過ぎて鉄道の変化も大きかった

次に二本松へ行った、二本松の駅前にインド料理店があるのは不思議だった
そこでナンとカレーとか食べた、カレーに豆が入ったのがうまかった
カレーの種類は多い、本場のものだからうまいと思った
インドにもネパールにも行ったからということで入った、ネパール料理もだしている
この料理は共通している、外国料理はどうしても口になじめないものがある
それで外国旅行ではまともなもの食べた記憶がないのである
もちろん自分の旅の目的はあくまでも旅することであり料理にはこだわらないというよりこだわれないとなっていた

ただなんかこれだけ旅ばかりしている旅の評論家のようにもなっていることに気づいた
夜になり今回泊まろうとした、アーバンホテルとか駅前に大きなホテルがありそこに泊まろうとした、ただ折り畳み自転車などをもっていると面倒になる
何か現代は旅人はいない、ホテルを利用しているのはビジネスマンが多いとなると背広を着てネクタイをしめているという感じの人が多数である
するとなかなか入りにくいとなる、まず自転車旅行だと泊まることもできないとなる
汚れることもあるからそうなる

その前の日本風の旅館ならいいと思って聞いたらそこは満員だった
実際はアーバンホテルも満員だったのだ

コロナウィルスウイルスですいている空きが多いみて泊まろうとしたができなかった
これは意外だった、そしてこれから連休にかけて意外と宿は混んでいると思った
もうコロナウィルスのことをあまり気にしなくなったのかもしれない
でもうるさく電車でアナウンスするから警戒しているかと思った
でも駅前の旅館でもホテルでも満員なのだからそうとも見えなかった

ただ正直ホテルと旅館でも旅人に親切ではない、特に満員とかなると普通の客でないと嫌われる、ただ部屋があいていれば嫌でも泊まらせるとなる
とにかく自分はこれだけ旅してもホテルとかただ泊まるだけである
でも何かそこに人間的なものはない、だから例え困っていても親切にはしない
別なホテルがあると言っても暗いし行きにくいのである
ただ今回は別に日帰りの旅だから気にすることはなかった
でも帰るのにも福島市で乗り換え岩沼で乗り換えその岩沼から新地行きでありそこで
50分待って11時ころに原町行に乗ったのである
たこれだけ遅い便があったから乗れた

旅行で注意すべきは

連休に向かい宿は満員になっているかもしれないから注意!

有名な観光地だと泊まれないことがあるから注意である

旅でぱ泊まれないことが一番困る

でもそれを泊める方は気にしないのである、でも寝る所もないとしたらどうするのか
それは本当に困るのである、だから自転車旅行ではテントとかが必ず必要なのである
それで水戸黄門の映画で必ず旅籠ではなく民間の家に泊めさせてもらうともなる
それは宿が満員だと本当に困るからである、でも泊める方は全くそういうことは気にしない、そこの心遣いはないのである
そもそもホテルがホスピタルとか病院の起源になったからだ旅人をいたわることから始まっている、それが今はないのである

まず金が第一であり金によって待遇は変わる、そしてそもそも車で来るのだから歩いてくるのではないからねぎらうとかいたわりとかはなくてもいいのである
つまり現代には旅人はいないし旅人をねぎらうということもなくなったのである
でも歩くとか自転車とかの旅となると疲れるのだからねぎらいが必要なのである
でもそういう人は例外だから歓迎したりもてなしはしない
それは車社会になれば自転車が邪魔なのと同じでありそんな客は邪魔だともなるのであるそれは人が悪いというより車社会になって人も変わってしまったのである

なぜ自分が自転車旅行にこだわっているかというと車だとどうしても風とか感じない
鉄道でも電車だと風とか感じないのである
風流とは風を感じ流れを感じることである

旅人に流れだぎちてつばめ飛ぶ

川が激しく流れる、旅人もその流れのように行く、また禅宗では雲水となる
雲のように流れ水のように流れる、それが旅なのである
それで私は禅宗にひかれるのである車ではその風を遮断するから風流もなくなのである
とにかく一日の折り畳み自転車でも相当疲れた、体力の限界を感じた
やはりきつい旅でもなんでもできなくなるからできる内にしていた方がいいとなる
とても今でも外国旅行はできないとなるからだ


2022年04月21日

二本松城の桜散る(短歌) (一目千本桜ー蔵王を見て二本松城へ)


二本松城の桜散る(短歌)

(一目千本桜ー蔵王を見て二本松城へ)

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千本桜は一部咲いていても実際はほとんど散っていた



二本松城へ


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山桜は咲いていた

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天主台からの展望

クリック拡大
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街中の坂の道に清水が滴りたまり飲める

きれいに見るにはクリック拡大してくださしい




赤々と朝チューリップ駅を出る

日立木駅はや花散りて電車すぐ

走り行く車窓に見ゆる朝桜

海沿いを咲きつづくかな朝桜

駅とまる鳩や電車を待ちにけり

雄大に蔵王の迫り芽吹きかな

旅人や流れたぎちて燕飛ぶ

千本桜花散る後の余韻かな

十万石六十万石や桜かな

仙台城六十万の夕桜

春の月赤くも笑う顔に見ゆ



福島や菜の花桜桃の花電車過ぎ行く境を越えて

つばへ飛び千本桜なお残る花のあまたや散りにけるかな

二本松城天主台高く桜咲き四方の山々望みけるかな

二本松城高きに上り高峰を仰ぎ見るかな春になりしも

なお残る二本松城の桜かな山を上りて風騒ぎ散る

山桜なお残り咲き大方は散りにけらしも二本松城かな

城あれや桜は散るも優艶に枝垂桜の赤さをましぬ

天を衝く高峰そびゆ四方の山見晴らす春や二本松かな

二本松城白壁映えて根づく松枝垂桜の色濃く暮れぬ

二本松城高きに上り桜見ゆ四方見晴して栄なるかな

二本松市街を通り岩よりしたたる清水我が飲みにけり

二本松城今はあまたのスミレかな庶民の上り花見て帰る

城近く耕す人や力なり菜の花桜に飾られけるかな

二本松城こぶしの咲きて夕日さし山城なれや高きを上る

少年隊城を守るとここに死す今年三日で花は散りしと

二本松山々高く囲みつつ国をし思ふ花の咲くかな


二本松まで折り畳み自転車で岩沼回りで行った
桜は一目千本桜でも散っていた、今年は桜が散るのが早かった、ここでは四日で散ったとか二本松では三日で散ったとか言っていた、だから一部咲いていたにしろほとんど散ったのである
なぜか桜は二本松だと近いと見えて遠い、それで前も桜は散っていたのである
外でも桜を見ようとすると散っているのである
それ一目千本桜でもその時自転車で苦労して来たがみんな散っていたのである
要するに桜は見ようとすると散っているのが多いのである
咲く時期が短すぎるからである

浜通りでものたりないのは高い山がないことである、でも蔵王は南相馬市鹿島区まで見えるのである、ただ蔵王が大きく見えるのは中通りである、二本松城の天主台に登るとその高い山を望むことができるし二本松城は古い城の山城の形がそのまま残っているからめずらしいのである
確かにあそこに立つと一つの大きな国を感じる、それも山々に囲まれた国を感じるのである、それで明治維新で二本松県になるということもあったのである
ここから会津とかなると遠いのである、浜通りは阿武隈山脈にさえぎられて福島県は地理的に分断されているからである

二本松は坂が多い、その坂を上って山の間の道に岩から清水がしたたり飲めた
市街のなかにそういう場所があるのはやはり山があるからだとなる
近くに畑がありそこで畑を耕す人がいた、それも街の中になるのである
地形的にそうなっている、ただ耕地としては斜面が多いから利用しにくい
そもそも日本は平地が少ないの山国である、だから野(の)とは斜面のことなのである
また平とは狭い地域で山でも平となっている所が耕地となるから地名化したのである
つまり平な所が日本がでは貴重なのである

ともかくもともと日本でも地形によって城でも作られた、要害となる場所に作られた
それがやがて平城になった、でも山城の形態を残しているのは少ないのである
二本松城は大きくても山城の形を残しているから魅力がある
城をいろいろ見ていてもこういう城が日本がでは見ていないのである
全体の山を利用して城を作っているからである


写真には文字が入っていないですが俳句と短歌をあはまてください



2022年04月19日

飯館村の佐須から高速道路ができて食堂の客が減ったこと (車社会で情が喪失したことの怖さ) 飯館村の佐須から霊山へ高速道路ができて食堂の客が減ったこと (車社会で情が喪失したことの怖さ)


飯館村の佐須から霊山へ高速道路ができて食堂の客が減ったこと

(車社会で情が喪失したことの怖さ)


飯館村の佐須で何か警備の人が10人くらいいたのか、チューリップの丘にして見せるために警備の人が整理していた、でもチャーリップは、三列くらいしかさ咲いていないから
無料であった、実際は大人だと八百円とる、60種くらい咲くから見物ではあるが
高いようにも思う
その人たちはどういう団体がわからないが有志の医者の会のことを言っていた
ワクチンは危険だからと医者が警告している、特に子供には危険だとしている
その人たちはどうも原発を廃止しろという方ではない、原発は必要だとしている
その理由が別に死人がでていないからだという、だから被害がないとしている
それも変だがやはり放射線の被害はあるから警戒している
ワクチンの被害は良くわからないからかえって副作用があるから危険だと警告している
ともかくボランティアでも地震被害でかけつけたDRTもそうだが組織化していないとできない、その人たちも大きなジープをもった人が来たり何か組織化して働いていたからである
地元の人ではない人達であった

それから佐須を出て霊山の道に出て下ってゆきそこで2時過ぎていて腹減ったので
食堂がないかと聞いた、それとすぐ近くに一軒あった
その食堂で聞いた、高速ができて車が通らないから客が少ないでしょうと・・
そしたら相当に影響している、客が少なくなった
夏は海の方へ行く車で一杯で繁盛していたという、車が通らないことは現代では本当に影響する、シャッター通りも車の影響でそうなったからである
日曜日だったので車は多少通っていた、でも霊山の相馬の方へ行く方はほとんど車が通らないのである
だからサイクリング道路にはいいと思った、現実にロードで上ってゆく人がいた
石戸村では車が出れる道を作るように要求はしたができなかった

何が人間を社会をかえたかというと車ほど社会でも人間でも変えたものはない
それは人間の人格まで変えたし社会そのものを変えたのである
つまり車に適応した社会になったからである
そこに人間的な情は喪失したのである

とにかく夜になって真っ暗な道を帰ってきたが一台の車にも出合わなかったらか安全だった、自転車は夜は危険だからである
でも夜は結構冷えたのである、そこで山上の方にきてコンビニに入りコーヒーとパンを食べた
冷えたのでその中でコーヒーを飲みパンを食べていたらここでは食べないでくださいとして外で食べることになった
何かここでもコンビニでもスーパーでも相手の事情など考えない
すっど自転車で走って来たので結構冷えたのですとか言っても何にも通じない
しかし車だとそんなこと関係ないからである、車の中で食べればいいだけである
つまり前々から言っているように車というのは便利でも人間の情を奪ったのである
歩く旅だったら相当に疲れているから宿に入ればまず足を洗うとかする
そして疲れたでしょうとかねぎらいの言葉がある、そうなるのはそれだけ疲れているし旅することが苦しいからである、そこで相手のことを自ずと思うようになる
でも今は車だと疲れているとか考慮しないのである

それで阿武隈山中を旅してそこは昔の店であり万事屋のようなものが残っていた
そこでは御飯と味噌汁とを御馳走したのである
そんなことをこれでけ旅しても経験したことがないのである
それは山の中で昔が残っていたのでそうなったとみる
コンビニだったら店員と話ししたりもしない、コンビニの店員は昔の店とは違う
昔の店は何か人間的なものがあったとなる、そこで何か話したりできる
コンビニで一番気にしているのは盗まれることである、わずかのもの百円二百円でも盗まれるからである
それで疑われて二回ひどい目にあった、それは間違ったものでも犯人扱いされてひどい目にあった
それは店にしても通りすがりの人であり信用していないということである
でももの凄い剣幕で責めてきたのには驚いた
ただコンビニでも客は客ではない、通りすがりの人だからそうできるのである

そこに別に信頼関係などないからである、また一人などどうでもいいからである、店の経営には全く関係ないからである
人間の関係は今やこのように希薄化してそうなっている
でも奇妙なことはなじみになってゆくとコンビニでも親しみを感じる、すると何かそこでは盗んだりできないとなる
ローソンでは手渡しでコーヒーを渡すのは人間的でありたいということでそうなった
それもまた逆な意味で経営としていいのかもしれない、つまり温かい人間の手で渡されるから人間的な情が伝わるともなるからである何でも効率的で機能的で合理的だからいいとは人間には当てはまらないのである

要するに現代の車社会でも人間は必要ないのである
だからコンビニでも店員はもういらない、自動販売機が置かれるだけになる
人間はコストだとなっているからだ、それは鉄道の駅でも無人化するのもそうである
人間は一番のコストだからいらないとなるのだ
その時駅には人間的なものがなくなる、何か高速のSAと駅の相違は駅だと電車を待っていた電車が遅れたり何かかにかわからない困ることがありそれで聞かれることがあった
一番聞かれたのは下りなのか上りなのかそのホームがわからないのである
それが意外だったが私自身も他の駅に行ってホームが上りなのか下りなのかわからなかったからだ
また駅をでると道を聞かれたりする、SAではそういうこともないのである

やがてあらゆる場所に人間そのものが消える、無人化して案内するのはロボットになる
人間はコストだからいらないとなる、でもそこで失われるものがある
人間でしかできないことがある、それは人間の情だということである
これは機械にはロボットには持てないのである
例えば中学生が受験で間違って駅におりた、ひどく腹減っていたのである
それで近くに菓子屋があったので菓子を与えたのである
何かこういうことは人間にしかできないのである
そういう人間の情が失われたのが現代である、確かに車は便利だし不可欠である
そこで失われたものがあるということを知るべきである

これは人間社会のいたるところでそうなっている、病院でも機械に診てもらうのか人間の医者に診てもらうのかわからなくなる、AIの方が優秀だともなるからだ
でもそこで人間の情がない、機械とロボットに囲まれて息を引き取るともなりかねないのである、孤独死なども増えるのはやはり情が失ってきた社会だからそうなる
江戸時代辺りは医が仁術というとき病気は直せないものとしてあった
ただ患者が来たら情をもって接していたのである
外でも人間は情でもって接ししていた、また農家では曲がり屋で馬小屋と一体化して
家族のようになっていた、すると馬と結婚した娘がいたというのもわかる
動物だと必ず情で接するからである、情が育まれるのである
その代わりになったのがペットだということがわかる
人間は情なしで愛なしで生きられないからである

ただ便利さでも何でも何かを得れば必ず何かを失うのが人間である
何かを失えばまた何かを得るようになっている
だから人間社会が便利になり進歩したとしても失ったものがある
ただそれを自覚しない、車社会になれば車に適応したものとなり人間の情など全く無視されるのである、そこに殺伐とした社会が生まれる
ともかくコンビニの店員は客を人間のように見ていない
通りすがりのものであり人間に見ていない、次から次と遠くからの人が来るのだからそうなるそしてまた逆に客でも店員を人間に見ていない、ロボットのようにみているだけである、だからこそコンビニでも無人化して人間はいなくなる

鉄道の駅が無人化すると同じなのである、鉄道会社でも乗客を人間と見ていない
ただ物体を駅から駅に安全に正確に運ぶことには努力するが仕事になるのがそのほかのサービスはしない、だから駅員はコストでありロボットで十分であり無人化する
何でもこうして人間はコストであり無人化するのである
その時情もない殺伐とした社会になる、その影響が怖いのは人間から情が失われて何になるのか?人間社会が非情化して殺伐として人を人とも見ないものとなる
それは怖いものでもある、戦争でも直接人を殺すというよりコンピュター操作で遠くの物を殺すとなると見えないのだから人間を殺すという罪悪感もなくなる
そうなった社会はどうなるのか?それは恐ろしい社会にもなる
ただそんなことをいちいち人間は考慮しない、便利になればいいしかないのである

だからこそやはり人間を人間とみれなくなったからナチスとかでも大量に人間をガス室送りとかなったり全体主義となり人間は物のように殺されてゆくともなる
事務員はただ殺されてゆく人間を数字のようにしか認識できない
人間が情でもって通じ合わない社会で生きていればそうなるのである
あらゆる場所で情が喪失して人間は人間としてみれない、そうなる社会も怖いとなる
そもそも宗教が情を重んじる、情とは愛のことでもある、そのことを一番重んじたのである
でも現代社会では情は喪失した、確かにそれで得るものがあったが失ったものがある
それが情であり愛だったともなる、それが人間に一番大事だとキリストでもシャカでも説いたものが喪失したらどうなるのか?
それを良く考える人はいないのである
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【出遅れ!】分科会の報告が遅い!すでに「有志医師の会」は動いていました・・動きの速さが違いすぎて驚く
https://onl.sc/rGsMEh4
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2022年04月18日

飯館村の佐須から石戸村ー石田村を回り霊山神社へ(2) (桜の短歌連作の説明)


飯館村の佐須から石戸村ー石田村を回り霊山神社へ(2)

(桜の短歌連作の説明)

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官軍の旗

霊山から落ち延びた南朝の子孫が野馬追に出ている
天皇の菊の紋は南朝である
この一石坂を上ると日吉神社になる、そこは霊山で落ち延びて来て武者が館にすんだの


これはつながっている、だから春でも写真では青色でも夕方でそう見えたのだ残雪の峰が見えて雪が大きくすると見えるのである
この連邦は圧巻であった
大霊山線に見晴台がありそこからの眺めがいいのである

平安時代初期、859年に「慈覚大師」によって開山された霊山は、東北における天台宗の拠点として栄えていました。山中では3,000もの堂や塔が築かれ、最盛期には3,600人もの僧が修行していたとされています

霊山の山頂には、かつては巨大な山岳寺院が存在しました。それが慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん)によって開かれた霊山寺です。円仁は比叡山延暦寺で最澄に師事したのち、遣唐使として唐代の中国に渡り、本邦への密教移入に貢献した「入唐八家(にっとうはっけ)」のひとりに数えられています。帰国後には中尊寺(岩手県西磐井郡平泉町)や浅草寺(東京都台東区浅草)など数多くの寺の開基に携わり、859(貞観元)年に霊山寺が開山されました。

山伏は、山岳修行により宗教的な能力を身につける。「山に伏す」ことから山伏(山臥)といわれた。特定の霊場寺社に拠点をもちつつも、各地の霊山を渡り歩いて修行する「旅の宗教者」でもあった。
https://museum.bunmori.tokushima.jp/hasegawa/exhibition/shugen.htm?msclkid=fbf69c4cbedf11ec84549bdc6bc5d2af

僧の住居。僧房。房。転じて、僧侶。「師の坊」

寺社が信者のために設けた宿泊所。宿坊。

2 幼い男の子に対する愛称。また、その自称。「坊をつれて散歩に行く」

3 奈良・平安時代の都城の行政区画の一単位。平安京では、東西南北の大路に囲まれた区域。1坊は4保で4町四方。また、その大路をいう

かつて、霊山と丸森の筆甫とは山道を通して交流がありました。古の修験者は不動明王堂前を通って霊山寺を往復したといわれています。その証拠に、筆甫の七坊というのがあり「延元二年(1337年)北畠顕家が義良親王を伴って霊山城に立てこもった時、霊山の学習坊として、漆坊(うるしぼう)・請願坊(じょうがんぼう)・向坊(むかいぼう)・中坊(なかぼう)・若狭坊(わかさぼう)・松ヶ坊(まつがぼう)・欄坊(らんぼう)の七坊が置かれた。現在も残っている地名はその坊跡である」(ふるさとの伝説より抜粋)ちなみに筆甫の七坊のうち松ヶ坊は現在ダムの名前、漆坊は地名として残っています。

https://www.zuiunzi.net/igu/bsrisuto.g2/7.html?msclkid=194ea726beec11ec8ec43c2c518c7c55

霊山はもともと天台宗であり山を根拠とした宗教であり中国から入ってきた
中国にも山岳宗教があり必ず高い塔が山に鋭く立っている
道元禅師が座禅組んで修行した天童寺も山の上にある、そこから高い塔がいくつか見えた日本では有名なのは山形県の山寺である
ただ福島県の霊山に関しては3600人の僧侶が修行していたということが実感できないのである、第一そんな人数を食べさせるのにどうしていたのか、誰が食料を提供していたのかとなるからだ、ただそうした修験者何か能力を持っていて加持祈祷して庶民とつながっていた、薬草なども山でとっていたのである
古代でもそれ以後でも人間の一番苦しんでいたのは今と変わりなく病気だったからである病気の加持祈祷のためにそれだけの寺が作られたともなる
今でも一番大きな立派なビルは病院なのである、南相馬でも市立病院がそうである

ともかく山岳宗教というとき六根清浄を唱え修行したのは清浄な山の気にふれて心を浄めることなのである、だから今のカルト宗教団体とかなんとか様々な団体には宗教を感じるものはない、むしろ経済団体でありただ御利益を追求する経済人であり会社員と同じである、または政治に深くかかわり御利益を追求する、選挙のために24時間365日選挙運動している創価などがそうでり他でも似たりよったりなのである
だから何か山伏などが異様なものと現代でぱ見ているがむしろ今のカルト宗教団体が異常なのである、都会から生まれているからそういうものはみんな異常なのである
宗教とは何の縁もないのである、なぜそうなったかというと東京とか大都会から生まれことに由来している、創価が団地の宗教が由来になっていることでもわかる
地方から出て来た人達が仲間を作り拠り所にしたのである
それはそれで悪いものではないがもともと心を浄めることは大都会では不可能である
それで心とは全く関係ないカルト宗教団体になったのである
宗教というときお釈迦様でもどうして岩窟で座禅をしていたのか?
それはそもそも心を浄めるためにそうしていたのである

それでこうして山と結びついている自然と結びついている宗教の方が自分にとっては本来の宗教として再発見する、そのために自分もそうしてきた、山とか森とか木とか石とかとアイディンティティ化して詩にしてきたのである
ただそこには人間がいないので自分自身また異常化していたとなる
ただ今の大都会からそもそも宗教は生まれえようがないのである
そこは迷路でありどんなことしてももその迷路から脱することはできない、そしてその
迷宮に怪獣が住んでいて餌食になり食べられるのである
その迷宮は古代にもあったからやはり今あることは昔もあったというカルマ論になる

ともかく霊山神社と霊山寺があり修験道を基にして次に霊山城が南朝の城として作られたのである、もともとそこには寺であり僧院があった、そこで学問岩とかあるのはそのためである、ただどうしてもそれが実感しにくいのである
歴史を知る時、大事なのなんらか実感することなのである、それがないと興味も湧かないのである
それで自分自身はこの霊山神社に確かに訪れた、でも霊山神社どうして行ったのか忘れてしまっていた、顕家の像があったなとは覚えていたが今回行ってあんなに高い所に霊山神社があるとは全く忘却していた
20年から30年前になると人間は忘れる、こうして忘れることは今回たずねも始めて訪ねたと同じだったのである、霊山神社のことを覚えていないからである
本当に不思議なのは人間は一回合ったり訪ねた場所でも忘れると始めて来たとなる
人間でも出合っても忘れると始めて出合ったともる、もしかして前世にあっていた人なのかもしれないがそのことが意識できないと同じになる

実際に飯館村の佐須から峠を越えると吾妻山が見える、その時気持がいいのである
その場所は忘れないのである、それは何度も行っているからである
でもそこを下り坂を下って行った石戸村というのは本当に初めて行った場所としか思えない、何か記憶していることがないからだ、でもそこを通っていたことは確かなのである
ただそこには行かず霊山神社に行く石田村の方に行ったことは覚えている
ただ霊山神社のことはを覚えていない、どうしして行ったのかも覚えていない
回りの風景も初めて見るものだった、あんなに山間高く家があるとは思わなかった
この辺ではあういう風景は見ないのである、だから見慣れぬ風景だから魅かれたともなる

いづれにしろ霊山と相馬藩は関係が深い、なぜなら霊山城が炎上して南朝が滅びたとき
落ち延びた武者の末裔が子孫になっているからだ、南相馬市の鹿島区の真野がそうであるまたその旗印に菊の紋の侍の家が二軒くらいあるからだ
また只野という姓が50人くらいいるからこの辺は只野氏一族だともなる
この只野氏は郡山市の多田野村が発祥の地なのである
そして天皇に由来する菊の紋は南朝なのである、南朝こ天皇の本筋であり明治天皇は南朝を引き継いだとしているからだ
それだけ南北朝の戦いは日本全土をまきこみ禍根を残したのである

こういう戦いの血なまぐさい歴史があるのだが霊山神社は別のもののように思えた
それは修験道の寺のようにも見えた、そこで聞こえたの四十雀なのか夕べ一羽はさえづる声がひびいていた、夕暮れであり巫女が一人戸締りしていた
なんとも静謐な感じがしたのである
ただここを自転車で登るのには苦労した、登山と同じだった、こんな高い所にあることが意外だった、その記憶が全くなくなっていたからである

石田村の方には来ていた、湧き水の里とあり清流が霊山から流れ高い所に家があり大きな岩がありこんなところにも家があったのかと驚き記憶していた
でも今回はそこまで夕暮れになり行けなかった

ともかくこの桜さく時期は変わり安い、今日は曇って今は雨が降ってきた
桜はもう散るだけであり、明日は残る花にもなる、桜の咲く時期は短いのである
だから日本中いくらでも桜が咲いても見れる桜が期間が短いからとても見れないのである




飯館村を回り霊山神社へ(佐須から石戸村ー石田村ー桜の短歌)

飯館村を回り霊山神社へ(佐須から石戸村ー石田村ー桜の短歌)

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大倉からへ佐須へ行く道は一昨年から通じていない
今回の地震でも壊れたからさらに長引く

この石は地震で落ちてきた、でもそう見えないだろう
何か座石とかなづけられる、座るにいい石だからである
でも不思議なのは地震で落ちたということはあとから見たらわからないのである
だから年代としていつ落ちたかを記録していればわかるのである



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クリック拡大しないと鮮明に見れません
ただブラウザによって見えないものがあります、一度コピーして別なソフトで見るといいです


里の道山鳩歩み花の影

山吹きや磐打つ流れひびくかな

山桜高きより散り触れられず

山の村十軒ほどや花に雲

地震にて落ちし石一つ変化かな




記録として残されていたもの

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大岩に桜の咲きて石田村

これは桜の樹なのか?確かにこういう光景だったが今回は
ここを通っていない

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この滝がどこにあるのかわからなくなった、霊山神社にもうでた帰りの道だった



顕家の像に朝散る桜かな

祭られて神社を覆う桜かな

夕べ散る花のあわれや霊山城

山陰の霊山町や夕桜

隠里滝のひびきに夕桜

ここに記録として残っている、でも思い出せないものがあった
http://www.musubu.jp/ryouzankikouhaiku.htm





(大倉から佐須へ)

清流の巌にひびき山桜見上げて高く朝に咲くかも

鶯の声のみ高くひびきけり人気なき村我が通りゆく

人住まぬ家にそあわれ水の出て春に来たりてしのびけるかな

冬ごもりながくもあれな峠越え高く連なる春の峰々

春光や峠を越えて吾妻嶺を我が仰ぎ見て伊達市に入りぬ

(石戸村)

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風そよぎ花の散るかな旅人休む石戸村かも

白壁の蔵の大きも霊山や枝垂桜の石戸村かな

(石田村)



古き碑に春の日さして山の道上りてたずぬ人のありしも

古き碑の並びし山路桜咲き夕暮れあわれたずぬ人あり

山により家の古りぬも夕暮れや桜色にそ染まりひそまる

墓一つたずねてあわれ石田村我が去りゆくや春の夕暮れ

(霊山神社へ)


この石段を上り霊山神社に行ける、でも草に埋もれた道となっている
もともとはこの道を行っていたのだろう、でも高いのである



石田村枯木に墓地や春来るも

ここの墓地には江戸時代の墓がある、でも幕末でありそれほど古いものではないだろう

霊山神社への道


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ここから霊山神社に行けるが道は荒れている
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春なれも枯木に墓地や石田村


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分け入りて古木の桜石田村


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霊山神社の手水鉢


花おおふ石段高く椿散り霊山神社に登る道かな

登り行く石段高く桜咲き椿も散りぬ霊山神社へ

花冷えにみちのくの桜散りはかなき命偲び惜しみぬ

山の奥霊山神社をもうで帰る滝のひびきて花の夕暮れ

顕家の像に花散るなお残る花や夕暮れ我が去りにけり

あわれかな花散る跡の霊山城南朝の夢ここにつええぬ

登り来て霊山神社に四十雀鳴く声ひびきて春の夕暮れ

手水鉢白椿そえ水いでぬ霊山神社に巫女一人かな


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みちのくの春の連峰春夕焼け

安達太良ー吾妻嶺ー後ろに飯豊山ー蔵王ー大東岳が見える
この連邦は圧巻である
(大霊山線)

吾妻峰に蔵王連なり夕陽没る青々として春の夕暮れ

赤々と春の夕陽の映え没りぬ高くも連なる峰々望む

一時や昨日は晴れるもたちまちに雨ふりて変わりやすしも花は散りゆく



これがわかりやすい


2022年04月16日

寒さがもどったけどまたあたたかくなるから耐えられる (希望無くして生きられない人間)


寒さがもどったけどまたあたたかくなるから耐えられる

(希望無くして生きられない人間)

この二日間寒い、冬にもどった、今年は寒さがつづいているのか?
でもに三日前は暑かった、灯油を買おうとしたが二日くらいならがまんできると思い
買わなかった、でも寒い、私の家は旧式の家だから隙間風が入ってきて寒いのである
老人になると寒いとか暑いのに弱くなる、私はもともと寒さにも暑さにも弱い

でもなぜ灯油を買わなかったのか?
それはもう一日くらい待てばあたたかくなる、天気予報でそうなっているからだ
そうなると二日くらいならがまんしようとなる
つまりがまんするのはわずかの時間であると思うからがまんできる

冬があるとしてそれなりに長いとしても必ず春が来るから冬を耐えてゆこうとする
もし春が来ないとしたらもう耐えられないのである
絶望しかなくなる、これは経済でも言える、日本は貧困化している、ますます貧困化して食糧さえたりなくなり奪い合いになり飢饉にもなるとかになる心配ばかりしていたら
生きる気力もなくなる

今日は悪くても明日は良くなる

こうならないと生きる希望もなくなる、ウクライナのように戦争で苦しんでいると必ず戦争が終わるということを必死に願うようになる、今は苦しくても戦争は終わる
その終わることを必死に願うようになる
戦争はいづれ終わることは確かだからである、戦争はやはり長くても二三年で終わる
でもアフガニスタンとかテロとかなるとなかなか終わらなかった
そこで住んでいた少女が戦争がないことがどれだけか幸せかと言っていたことがわかる

ともかく人間から希望がなくなったら生きることはできない
これからも寒い日がつづき暖かくならないとしたら絶望だとなる
そうなると働く意欲もでてこない、いくら働いても暮らしが良くならない
給料も上がらない、暮らしは悪くなるだけだとなれば働く意欲もなくなる
人間はやはり今日よりは明日が良くなるということが生きる力となる

なぜ今世相が暗いかというと悪いことしかイメージできないからである
経済はますます悪くなるとか貯金していても預金封鎖されるとか賃金は上がらず物価だけが高くなってくるとかいいことを言う人がいないのである
それは現実がそうなっているのだからしかたないとなる
人間はそうなると消費もしいなのである、そしてますます暗くなり景気も悪くなる
景気は気であり気分だとするときその気が悪くなっているから全体的に暗くなっているのである、景気も良くならないとなる、つまり気分の影響で景気も良くならないとなる

宗教の必要性は来世があり天国があり死んでもそこに行けるということが希望になる
なぜ宗教が過去でもこれほど頼る人が増えたのか?それは希望をもちたい、題目でも念仏でも唱えていれば来世では極楽に行けるとなっていたからだ
どん底でもそれが希望になっていたのである、病気でも治るとなれば一心に祈るとなる
要するに医療すらない時代にはそうして祈るしかなかったのである
だから会津の方でも病気が治るということで仏教が普及したのである
山伏がいたのも山で薬草をとり病気治療していた、加持祈祷がまた仕事だったのである
医者代わりだったのである

要するに人間は死んだら終わりで何もなくなるとなればもう希望はないのである
人間は死んでも終わらない、天国に行きそこでこそ本当の生が始まるとなることを信じれば希望となりこの世の辛いことに耐えられるとなる
人間はそもそも希望をとったら生きられないのである

「パンドラの箱」の中身は「災い」です。病気、憎悪、犯罪、争いなど、人のさまざまな悪行を指します。また怒りや悲しみ、苦しみといった人にとってのネガティブな感情も災いのひとつとして数えられます。

最後に「希望」が残されたのです

様々な災いがありでも希望が最後に残されたのである、この世には様々な災いが災難があるが希望があれば生きられる
悪いことばかり言われるが実際の生活ではいろいろ改良されているのである
道は良くなり様々なものが快適になっている、それは常に改良をつづけているからである悪い事ばかり言うが人間は毎日それぞれの場で働いていて改善改良しているのだから
良くなっているのである
あらゆる分野で毎日改良がつづけられているからだ、機械でもより使いやすいように工夫改良が続けられている
だからコンピュターでもインタ−ネットでもそうだがそこで学ぶ機会が増大したのである本ならどんな本でも田舎でも通販でボタン一つ押せば買えるのである
すると田舎でも独学してでも相当なレベルの知識を持つことができる
学校教育ではとても教育としてはたりないからだ、するとこれからもしかしたら日本から少数精鋭となり天才とか生まれてくるかもしれない、天才でもそもそもそういう人を産む環境がないと生まれないからである

人間はそもそもどこかで希望を見出さないと生きていけない、何するにしてもそうであるだからそもそも経済でも今日より明日が良くなるという希望がないと成り立たない
ただ金は紙切れになるとか預金封鎖があるとか恐慌になるとか食糧もなくなるとかなんとかそんな暗い事ばかり言っていたらみんな落ち込むだけでますます景気が悪くなる
そうあっても何か希望を見出してゆかねば生きていけないのである

種をまいてそれが育ち果実となるからこそ働くのである、どうせ種をまいても育たない
天候が悪いとか自然災害がきて無駄になるとか思っていたらそもそも何もできない
食料すら作ることがてきないとなる
何か現代はまさに種をまいても育たない無駄だという感覚になっているのである
でも実際はあるゆる方面で改良は改善はしているのである
ただ日本に欠けているものは何か新しい物を発明できないことである
新しい物を作りだせないことが問題なのである

人間は過去をみればもっと悪い条件の中でも生きてきた、そして改良改善してきた
何か希望となるものを見出してきたのである、常に暗黒があったがやはり希望を見出して今日が築かれて来たのである
だからなぜ未来が暗黒ばかり語られるのか?それが異常なほどそうなのである
暗い未来しか見えないのである
種をまき肥料をやりそれが育ち果実となる、そう思って働く、現実にみんなそう思って働いている、でも暗い未来しか見えない、暗黒の未来のみがあるようになっている
それがおかしいとなる、もちろん常に暗黒はある、冬の時期はある
でも必ず春が来るから耐えられるのである

明日に向かって希望の太陽は輝く
その輝きは衰えることがない
神は人間から希望を奪わない
来世の天国も約束されている
汝はその場その場で希望を見いだせ
そして勤めて希望を見いだせ

ともかく人間の苦しみは永遠にはつづかない、いつかは終わる、それを介護で感じた
介護の期間は平均的に長い、5年が平均としても十年とかにもなる
だから早く死んでくれともなる、でもいつまでも続かないのである
人間の苦しみは何であれいつかは終わる、冬はいつまでもつづかないいつかは終わり春が来るのである
だから神を待ち望めとなる、神は架空のものではなく実存するものであり約束を果たすしうるものだからである、万能の神だからである
要するに希望なくして人間は生きられないのである

orengelily1111.jpg

我が室にオレンジリリーの一輪の咲きまた一輪咲きぬ希望なるかな

一輪オレンジリリーが咲いたそしてまた一輪咲いた、今は三輪咲いている
つまり希望とはこうして花が咲いてゆくことなのである
この世に花が咲き満ちる、暗黒ばかり語っていたらきりがないしかえってそのために景気が気が悪くなってくるのである、今は本当に経済的にも悪い気におおわれている
でも何かしらそれぞれの場で希望を見出さねば生きていけないのである
なも実際はそれぞれの場で改良改善が続けられているから良くなっているのである
パソコンでも安くてもいいものになっている、機械でも良くなっている、安く買えている20年前とかは40万くらいしていた、それも今のパソコンとは違っていて普通の人はマニアでないと使いないものだったのである
人間はともかくどちらかというと悪いことを見る、マスコミとかでも悪い予想を言う
視聴率を稼ぐために悪いことを言うのである、もちろん悪いこともありうる
でもそればかり言っていたら人間は生きていけないとなる
悪いことがあってもいいことがあるということも言わないとバランスがとれないのである


スマホで写真をとると花の名前とか関連したものがててくる
オレンジリーリーという名前の花だった
こういうふうにいろいろなものが学べるのである

2022年04月15日

人間はなぜ戦争になるのか?(2) (民族の抗争は延々と大陸では継続されてきたー日本と違う大陸国家の 歴史)


人間はなぜ戦争になるのか?(2)

(民族の抗争は延々と大陸では継続されてきたー日本と違う大陸国家の 歴史)



東ローマ帝国やオスマン帝国の支配を受け、その影響(特にビザンティン文化)を受けている。また、東ローマ帝国やオスマン帝国と、神聖ローマ帝国、オーストリア帝国など西方の勢力との衝突点であり、宗教でも正教会、イスラム教とカトリックが混在している。19世紀から20世紀にかけて、多民族を包含する巨大な帝国が失われた後、民族混住の地であったこの地域はヨーロッパの火薬庫と呼ばれ、両世紀を通してバルカン戦争や両世界大戦、一連のユーゴスラビア紛争などの多くの争いを経験した。
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人間が集団的に対立するのはなぜなのか?
日本だったら人種間での対立はない、日本に住んでいればみんな日本人だからである
でも大陸になると民族でも人種でも多様であり対立が生まれる
それは人間の歴史が始まって以来あった
日本がでは民族とか人種とかあまり意識しない、日本に住んでいればみんな日本人だからである、でも一旦外国に出ると常に日本人だということを意識せざるをえないのである
そして民族とは何かとなるとその定義はむずかしいのである

日本人の基本的アイディンティティは村という狭い地域で作られていた、その歴史も長いのである、その村の範囲も狭いし500人くらいの規模だろう、そこで閉鎖的に暮らしていたのである、日本人にとって外の人は異人であり警戒されていた
第一なかなか村の中に入り込めない、江戸時代ならみんな村に入ってきたよそ者はすぐにわかり警戒して監視する、だから日本人の国意識は村が基本になっている
国(くに)と国家は違っている、

国(くに)とは地理的にも一つの世界観が形成される範囲である
例えば会津だと古代から一つの国(くに)として意識されていた

会津嶺の 国をさ遠み 逢はなはば 偲ひにせもと 紐結ばさね

その国の範囲がどれくらいの範囲になるのかわからないが確かにそこは国として意識されていた、それで最初の国は大和朝廷から奈良の都から国造(くにのみやっこ)が官人が覇権されたの国として意識された、その範囲が国だった、それは狭い範囲である
だから会津でも実際は狭い範囲でありそれがやがて拡大されて会津全体の広い領域となった、ここだと浮田国造が置かれた地域が大和朝廷から認定された国だったとなる

国というときもともとこのように狭い範囲で意識していたものである
すると国というのは無数にあることになる、その数が多い、日本国家として意識することでも日本は江戸時代までしていない、藩が国であり藩の外は外国にもなる
現実に藩内でしか通用しない貨幣があり藩の外にでるときは 両替する必要があった日本はそもそも狭い範囲で村で自給自足していて村の外とは交わらなかった
だからこの辺の伝説で麦踏みの仕事を手伝った人が隣の村の人でも蛇だったとかなる
つまり今なら外人をそうみるのとにている、でも不思議なのは言葉は通じていた
第一隣村でも人が交わらないというのは相当に閉鎖されて暮らしていたとなる

それで飯館村の大倉村と佐須村は明治以降も民情が違うので合併しないとかなっていた
この民情とかがわからないが意外と今でも日本人は村意識が根強く残っている
よそ者を警戒して受け入れないということがある
第一大倉村と佐須村は5、6キロくらいしか離れていないのである
自転車で行くとそれなりに遠さは感じるがそれにしても村と村は交流せず暮らしていたとなる、またそうして孤立していても暮らせていたともなる
今なら外国から物が入らないと大騒ぎになっているのにそうして村だけで自立して自給自足して暮らしていたのが不思議だとなる、もう今の生活から比べればいろいろなものが足りないのである、医者もいないし何かもない、この辺ではむずかしい病気になると仙台の方の医者に行く、仙台市にはいい病院があり医者がいるからである
江戸時代はもう簡単にいい医者にかかれない、とにかく江戸時代は眼の病気が多かった
それで座頭とかも多かった、それは栄養不足から来ていたらしい、それで眼の病気を直したいとして村の外にでて関所を出て看てもらうとした人が記録に残っている

ともかく日本でいう国というのはこのうよに村が基本となって狭いのである
そして小国という地名が多いのは狭い範囲でも自給自足していてそこを国とか感じていたから地名化したのである
そして日本人のアイディンティティはどの村に所属しているからがアイディンティティになる、人種とか関係ない、民族とか関係ないのである、どこどこの村に住んでいるということが今の国籍になる、そしてお国訛りがありそれで分けることになる
それで日本人の姓はたいがいどこかの村の名前が姓になっている
必ず姓をたどると村の名前があり地名がありそこから出て来たのが姓である
でも外国だと大陸だと姓は土地とは関係ない、血縁である、先祖が誰であるかでありそれで一族がある、一族意識は血族であり先祖を同じくするものである
だから外国人の大陸では誰の先祖なのかということが大事になる
それは中国でも同じである、中国で重んじるのは姓を同じくする一族なのである
韓国でもそうである、姓を同じくするの人たちは同族となり連帯を持つのである

日本でも村だけではない、源氏平家という大きな氏族が生まれると大きな氏族に属して
姓を同じくして一族意識をもつ、でも日本は基本的に村で生活を共に々するもののつながりは強いのである、小さい村だと家族のようにもなっていたのである
それで一家族の子供でも村の子供となり名付け親とかいろいろ実質的にも村の子供となると家族のように扱ったとなる
でも日本がでは姓よりどの村に所属しているかが大事である
そこが大陸とは相当に違っているから大陸の歴史を理解しにくいのである

そもそもウクライナ人とロシア人を区別するものはなになのか、顔を見ても区別できないだろう、なぜウクライナという国が成立したのか?それもわかりにくいのである
そして日本だったら島国だからいつも領土は海に囲まれて変化しないのである
でもヨ−ロッパとか東欧とかイスラム国でも常に領土は拡張したり縮小したり一定ではないのである、そしてなぜ東欧諸国にいろいろな国があるのか理解できないのである
なぜあのように小国がロシアとの間にあるのか理解できない
ドイツだと強力なゲルマン人がいて一つの民族国家を形成していることはわかる
フランスでもそうだしイギリスでもそうである、アングロサクソンとかの人種である
その人たちは体も大きくモンゴル人のようなアジア系とは違う、そしてスラブ人となるとこれはアジア系とヨ−ロッパ系の混血なのかとなる

ともかく大陸国家は様々な民族が人種がか混交している、だから聖書でもこの世にいることは異邦人だということになる、常に異民族が混交して同一民族となりえないからであるそして大陸は遊牧民族であり移動する、今回のウクライナ戦争でも何百万人が移動した
そういうことが大陸では陸続きだから常に起きてきたのである
それが動乱となり戦争ともなる、だから国家の消長が常にありウクライナがボーランドであったときもある、今の領土が日本がのように島国で古代から同じということがなかったのである、そこに勢力が変わり領土も拡張したり縮小したりしてきたの歴史である
こういう歴史が日本がとは相当に違うから理解しにくいのである
日本人は一民族でありみんな日本人だとなる、でも大陸では様々な人種が民族がいて争っていたのである
そして民族を抹殺するジェノサイドでも起きていた、それは旧約聖書でも神の民であるユダヤ民族に逆らう者に対してジェノサイドがあった
また中国人でも民族が混交している、胡人というのはイスラム系であり胡国という国が生まれた、また中国では戦争になったら敵国の者は墓からも暴きだしても罰している
でも日本では敵国の人でも争っても敵味方塚として丁重に葬っているのである
墓が残されているのである、それは薩長軍が東北に攻めてきて争ったが九州の侍でも敵味方塚に葬られている、こういうことは中国にないから驚いているのである

漢字文化圏には古来より「胡」という姓が存在し、霊太后の父胡国珍、北宋の儒者胡安国中国共産党総書記の胡錦濤、ベトナムの国父ホー・チ・ミン(胡志明)などがいる。

その起源は、華人に同化した異民族出身の者が漢風の姓を付けたのが始まりとも言われるが、通志の氏族略が伝えるところによると、春秋時代の陳の初代君主胡公に由来し、陳の滅亡後に陳の遺民が名乗ったのが始まりと書かれている。

百家姓において、「胡」の姓は十三大姓の一つに数えられている。

ベトナムの国父ホー・チ・ミン(胡志明)がそうなのか、ベトナムでは漢字を使ったいた時代があるから中華文明圏内にあったともなる
胡人とは今のウィグルとかのイスラム系でもある、その人達が胡人であり胡の国となった、、姓はその胡の国に由来している
姓が同一民族となるから大陸国家では多様な民族がいて姓が同じだと一族意識が生まれるのである

いづれにしろウクライナ戦争のことを理解することは本当にむずかしい
そもそもこの戦争の発端はウクライナの東部地域のロシア人とウクライナ人の争そいにあった、でもそもそもロシア人とウクライナ人の相違は何なのかというと理解できないのである、ロシア人とウクライナ人を区別できるのかとなるからだ
日本人と韓国人と中国人を区別できるのかとも似ている、だから必ずしも民族だけがアイディンティティにはならないのである
そもそも国家というのは何かというとき大陸国家だと一民族が国家とはならない
アメリカでも見ればわかる、人種が混交しているから民族国家ではない、それでその国家をまとめる原理は何なのかとなると日本がのように一民族国家としてまとめられない
それで人種差別がありそれをまとめるのに苦労するのである

東欧となるとまた宗教でもわかりにくい、カトリックからプロテスタントからギリシャ正教からロシア正教とか別れてきたからわかりにくい、イスラムでも「スンニ (スンナ)派」と「シーア派」とかなぜ争うのかもわかりにくい、宗教も根深い対立の原因となる
ロシア人とウクライナ人が兄弟のようなものだとかルーツを同じするものだとか言うのになぜこんなに激しい戦争をするのかもわかりにくい、同族でこんな残酷な戦争するのかとなるからだ、ただ大陸国家では民族の抗争が延々とつづいてきた、その延長としてウクライナとロシアの争いがあるとなる
この争いの発端は東部地域のドンパスとかにありそこで実際に抗争が小規模の争いがあり殺し合いもしてきた、それが大きく発展したのが今の戦争なのである
その火種となるのものが拡大し拡散したのである、だから何か事件があるとき時系列で見ないとわからない、何事も突発的に起こらない、積み重ねられた時系列の歴史を見ないと理解できないのである
それでプーチンにもロシアにも言い分があったということは理解できる

そもそもなぜあんなに東欧に小国家があるのか?

それ自体が歴史的にもわかりにくい、ルーマニアがローマニアでありローマの延長としてあり東西にローマ帝国が分離して生まれ国だとなる
ヨ−ロッパとは何かとなればローマ帝国を形成した地域が基本として作られたものだとなる、その前はフランスでもドイツでも蛮族とされていたからである
そしてキリスト教が東方に広がってもロシア正教とかまた別なものである
そこにはモンゴルの血も交じっている、プーチンの顔がモンゴル人の顔にも似ている
そしてウクライナ戦争でも歴史が繰り返すということで歴史を実感する
タタールの軛(くびき)のことをロシアが中国の属国になるとか言う時なるほどと思った歴史は繰り返すである、ロシアはウクライナ戦争以後小国化して中国の配下になると言う時、確かにタタールの軛の再来だともなるからだ
常に大陸国家には消長がある、領土でも固定してみれないのである、日本のように島国として古代から変わらない領土を維持するのは世界でも珍しいのである
歴史とは何か?それはこのように長大なものでありその継続なのである
だからウクライナ戦争もこの長大な人類の歴史の中で繰り返されてきたれのとして起こったのであるつまり歴史とはエンドレスの物語なのである、だからこそ歴史は繰り返すとなるのである、人間個々人でもカルマは繰り返すとなるのである
そして人間はこうして誰しも長大な歴史の一コマを生きているとなるのである
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2022年04月14日

戦争はなぜなくならないのか? (職業は業であり武器を売るために戦争が必要ー覇権国になるための利権争いが原因)


戦争はなぜなくならないのか?

(職業は業であり武器を売るために戦争が必要ー覇権国になるための利権争いが原因)

 「一国の戦争能力がどの程度にあるかと云うことを判定する一つの基礎でありまして、其の国がどの程度に自給自足が出来るのかと云うことが、其の国の戦争力を判定する一の重要なる要素に相成って参る訳でございます」(東亜経済懇談会第一回大会報告書)

 日本食レストラン営む日本人に聞く現状「ロシアは経済危機を何度も経験...正直これくらいのは慣れている」』(MBS NEWS 4月12日)でも紹介されているように、モスクワは穏やかなものだ。グッチなどの西側のブランドが休業しているだけで、スーパーにはものがあふれて、人々も特に困った様子もない。

 自衛隊はずっと「定員割れ」が続いている。さすがにこればっかりは「外国人労働者を増やせば解決」というわけにはいかないので、入隊できる年齢を引き上げてなんとかしのいでいるが、これから深刻な“国防力不足”が到来することは間違いない

  
 日本が侵攻されたら「敗戦濃厚」な理由、核武装・防衛費増より大事なのは?

●グロ−バル経済の問題(アメリカ一局の金融支配)

●エネルギー問題、食糧問題

●防衛問題

ウクライナ戦争の問題は何か具体的に問題を提起した、ここにロシア正教もからんでくるとなると複雑である、つまりキエフはロシア正教の下位に属するとか序列があり
西側の支配に入らないことを望んでいる、宗派争いがある
そしてそのトップだプーチンを支持しているのである
宗教家が戦争を支持するのかとなる、一部は司教でも反対して制裁されたとかなる

戦争で問題になるのは武器とか兵隊の数とか主要問題のようでそれだけでは戦いない
兵站がロジステックが大事だというときそうである
戦争とは国をあげての総力戦になる、腹が減っては戦いなとなるからだ
またかエネルギー問題も重要である
戦争するにしても必ず燃料に石油を使う、それで聞いた話では特攻隊はゼロ戦でも燃料がなく片道しか飛ぶことができないものだった
だからもう帰ることもできないので戦艦につっこんで死んでいったという

ロシアがなぜ戦いるのかとなると石油天然ガスがあり食糧があり自給自足できる
これが強みなのである、日本はエネルギーもないし食糧も自給自足していない
様々な物でも外国に頼っているのである、それで日本がロシアのようには戦いないとしている
日本の戦争もこうして物量作戦ができずに兵站で補給ができないので敗れたとしている
「勝つまでは欲しがりません」では勝てなかったのである
また航空機の時代に竹槍で戦おうとしたのだから相当に時代遅れだったのである

●人間の職業は業(カルマ)であり武器を売らないと失業するから戦争をする

ロシアでも中国でも広大な穀倉地帯がある、食糧は供給できる、日本はエネルギーもないし食糧もまかないないとしたら戦いない、兵士すら不足している、若い人で成り手がないそれで原町駅前で中学生まで自衛隊の人が勧誘していた、何か見分けがつかないでそうなったらしい、誰も自衛隊になど入りたくない、仕事としてあまり評価されないからである何か自衛隊とか医療関係でも警察でもそういう仕事は必ずしもいいとは限らない
なぜなら兵隊となると戦争が仕事であり戦争になると重要なものとなる
価値があがる、戦争がないと何しているのかとなる、ただ飯食っているのかとも見られるただ災害の時一番働いたのは自衛隊である、橋を架けたりいろいろ武器で戦わなくてもできるからである、それで三人が過労で死んでいる

今回のウクライナ戦争でも言われるのはアメリカの軍産複合体が戦争させたとか言われるなぜなら戦争にならないと武器を生産しても消化されない、売れないからである
それで盛んに旧式の戦車とか武器でもウクライナ戦争で使われた
戦争の時は必ず旧式の武器でも売れるのである、明治維新の時もアメリカの南北戦争の時の旧式な武器が鉄砲などが使われたとしている
つまり旧式な武器でも戦争にるなると必要になり使われるということである

ともかく怖いのは職業は業なのである、それで現実に消防士が仕事がないとして放火した事件があったのだ、火事になれば仕事があるが火事がなければ仕事がない、だから職業は業であり怖いものをもっているのだ
警察でも悪人がいて犯罪がないと用がないとなるからだ
医者でも病人がいないと商売にならないともなる、これらの職業は何か本当に人間の業だともなる、これらの仕事は暇なときの方が平和でいいのである
これらの仕事が増えて重要になるとき社会は不穏になって平和でないということである
だから自衛隊で隊員が集まらないというときそういう仕事はやはり社会で重要ではない
そういうことはやはりいい社会であり時代だとなる
戦争は人が殺し合うのだから最悪なのである、あらゆるものが破壊され何か建設的なものがなくなる、残虐行為も野放しになり人間が野獣化する
人を多く殺した人が英雄にもなるのだからそうなる

ただなぜ人間社会から戦争がなくならないのか?

つまり原因はいろいろあるにしても人間の業があり戦争がなくならない
それは武器を作り売る人達がいて戦争がないと大量に失業するとアメリカでは言われるからだ、アメリカの主要な産業が武器を作ることでありロシアでも武器を輸出しているからだ、そこで戦争をウクライナにでも入り画策したというのも理解できる
大量の武器が必要になりドイツでも高い爆撃機を買うことになり防衛費も増大したことでもわかる、つまりアメリカの軍産複合体にとって戦争になると在庫一掃にもなり売れるからだ、でも戦争は人を殺し合うのだから何であれ最悪なのである
武器を売ることは戦争を奨励することにもなるからだ
武器の開発はいいものではない、それは人殺しをどれだけ効率的にするかということを開発するともなるからだ
病気だったら医者でも懸命に直すために働いている、それは悪いとはならないのである
そもそも剣をもつ者は剣で滅びるというのは武器を作るものは宗教では否定されるのである

戦争がなぜなくならないのか?その大きな原因が武器を作る人達がいてそれを売らねば生活できない人達がいるからだ、またアヘンとか栽培するのはそれでしか生活できない人達がいるからだとなる、アメリカがなぜ戦争をしてきたのか?
それは軍産複合体があり武器を売らねば生活できない人が相当すいるからだとなる
消防士がわざわざ放火して火事を起こしたようにウクライナでも画策したとされる
それは消防士が放火するのとにている
また昨今のウィルス騒ぎでもそうである、ウィルスが世界に蔓延すればワクチンを作る製薬会社が大儲けするから陰謀論になる
病気を人工的にウィルスは作りだしてばらまけばそこで製薬会社が大儲けするとなる
そういうことが確かにある、医者は今では商売でありいらない薬まで飲ませるからであるそしてしなくてもいい手術までされたりるすと医者も怖いとなるのである

●江戸時代でも丸森の森林資源をめぐり三つ巴の争そい

なぜ戦争がなくならないのかと問う時、なぜ日本では戦国時代が終わった時、戦争がなくなったのかということも問いになる
なぜ三百年も戦争がなかったのか?こんなこと世界ではありえないのである
それは大陸国家と事情が違うというのもある、でもなぜ日本ではこうして平和が300年もつづいたのかとなる
では多数の藩があってもその藩同士が必ずしも協力しあったということもないのである
なぜなら相馬藩と伊達藩があっても相馬藩内の飯館村が飢饉の時、伊達藩では応援していないのである、今なら外国まで災害とかあると応援している
でも江戸時代は藩が違えば応援しない、でも相馬藩内では飯館村に援助していたのである戦国時代が終わっても依然として敵国という意識があった
また藩は別々の国であり援助したりしなかったともなる
経済的には藩が違えば別々であり今のように世界までグロ−バル化して経済でも一体化しないのである

なぜ戦争が起きるのかとなるとやはり経済的問題があり利権化して争う
それを象徴していたのが丸森の森林資源をめぐって伊達藩と米沢藩と伊達藩が三つ巴で争ったのである、それは有名である、丸森は森林資源が豊だったからである
この資源をめぐる争いは世界でも石油とか天然ガスとかで起きている
ロシアは石油でも石炭でもガスでも豊かだからである
それがロシアの強みになっている、それでロシアはあれだけ世界から責められても対抗できるとなる、日本では資源がないからできないとなる
レバノンで石油が高くなり森の木を伐採していることが問題になっている
やはり追い詰められるとこうなる、自国内にあるものでまかなう他なくなる
日本でもエネルギーは木材であり炭だったからである
そういう生活は戦後でも十年くらいはそういう生活だったのである
石油などわずかしか使っていない、ガスも使っていない、石炭がエネルギーであり
蒸気機関車の燃料は石炭だったとなるからだ
そもそも山の入会権をめぐって村同士の争いがありそこに大名が加担して戦国時代になったとも言われる

●大盗も英雄となり戦争でも残酷な殺人者が英雄になる

戦争になるのは戦国時代でも相手国の持っているものを自分の国のものにしたいということがある、日本では資源がないようでも土地が資源になる、土地があれば米でも作れて強国にできるからである、だから土地の争いが戦争の原因になる、これは個々人でも土地の争そいがある、経済的利権争いがある、土地の争いはどこでも常にある
基本的に国の争いも土地を得るための争そいになる
ウクライナは広大な土地があり穀倉地帯である、それでロシアがそこを欲しがった
それでウクライナでとれた食糧を麦などロシアがとってウクライナでは

「富農」と認定されたウクライナ農民たちはソ連政府による強制移住により家畜や農地を奪われ、「富農」と認定されなくとも、少ない食料や種子にいたるまで強制的に収奪された結果、大規模な飢饉が発生し、330万人[9]から数百万人ともされる餓死者・犠牲者を出した

まさに食糧の収奪があからさまに行われた、こういう歴史があるからウクライナはロシアに従属したくないとなっている
要するに国同士になると強い国が弱い国から強制的に武力で奪う、国が強盗になる
それは不思議に是認される、大盗になるとそれはとがめられなくなる
なんらか大きな権力を力をもつ者は盗んでもとがめられないのである
また為政者でも国民から富を収奪していてもとがめられない、つまり大盗だともなるのである、天下りとかがそうである
現実に中国では本当に盗賊の頭が皇帝までなったからである
本当にグロ−バル経済でも大盗となればとかめられない、だからこそアメリカでも世界の覇権を握り手放さないとなる

つまりこの世では小盗は常に厳しく罰せられるけど大盗は罰せられないのである
かえって讃えられ英雄化されるのである
シリアで残酷に殺したロシアの将軍は英雄であり総指揮官になったのもそうである
殺人鬼であっても戦争では英雄になるのである
だからみんな大盗になりたいのである、権力を握りたいのである
それは国内でもそうである、それは共産主義でもそうである、その幹部は国民から富を収奪する大盗にもなる、中国でもものすごい富が幹部になると利権をもち得られるからである
いづれにしろなぜロシアがウクライナに侵攻して戦争になったのか、それはアメリカの覇権に挑戦したともなる、ウクライナはもともとロシアのものだとして侵攻した
そこには利権がある、穀倉地帯でありそこを手に入れればロシアがまた強国になるからであるそして今度は北海道も因縁つけてロシアのもともとの領土だとか言う
それでウクライナは遠い国でもロシアは隣国であり恐怖になったのである

●世界がグロ−バル化して第一次第二次世界大戦になった

別にグロ−バル化でも貿易でも悪いものではない、でもなぜ世界で広く交わるようになったとき第一次世界大戦となり第二次世界大戦となったのか?
明治維新があり日本でも開国して世界と広く交わった時、3百万人も死ぬような戦争になったのか?、それはグロ−バル化して広く世界と交わる結果そうなった
経済的平和的な面だけで交わればいいのだがそこで対立が生じて争いになったのである
つまりグロ−バル化とは世界の富をアメリカなり覇権国が収奪するシステムなのである
だから当然それに反発する国がでてくる、それが最初は覇権を争った米ソ対立を産んた
次に米中の対立になったのでしなる
グロ−バル経済は平和的なものとして交流するとはならない、そこで覇権国になったものに富が収奪されるシステムなのである
そこに公平な自由競争とか市場とかはない、一見あるようにみえてその富は覇権国に集まるようになる、それでドルが世界の基軸通貨となる
紙切れのドルをいくらでも刷って世界の物が買えるとなる、石油でもドルでしか買えないというのはおかしいともなる

ただではアメリカだけを批判していいかとなるとならない、今度は中国が覇権国になったら日本は完全に従属国になり中国人に支配される、なぜなら中国人は日本に住むようになるからだ、もう中国の一部と日本はなってしまうのである
要するにアメリカが世界木警察になったように世界の平和を保つにはそれだけの力をもった国が必要だともなる、なぜなら小国分立していたら争いがやまないからである
だから米ソ冷戦でも世界が二分化されても力の均衡があるとき平和が保たれる
その均衡が破られると世界がまた四分五裂の争そいになる
それで三国志がまさにそういう世界だった、三国に力が分散したとき力が均衡したとき
平和が保たれるとかなる教訓だったのである

結局貿易だけならいいがそうはならない、必ず対立が生れ争いになるのが人間のカルマなのである

理想はやはりともに貿易でも栄えることである

伊達と相馬の境の桜 花は相馬に 実は伊達に

戦国時代は争っていても江戸時代になり平和になると互いに栄えることを志向した
何か互いに国同士でもたりないんものがありそれを補い共に栄えるのが理想だとなる
なぜそうならないのか、それが一方が一方的に富を収奪しようとするからである
つまり覇権争いは利権争いなのである、双方に利するものがあっても自分の国だけが
覇権をにぎり世界を支配したいということがあり世界から戦争がなくならないのである

個々人でも俺はお前より上だとか俺が優秀だとか常にこだわっている
国同士でも変わらないのである、強い国に従いとなるからだ
なぜそもそも人間に平和がないかとなるとキリストのように下僕になりなさいということができないからである
ただ力でもって支配して上に立とうとするからである、結局人間はそうしてカルマを繰り返しているとなる、それはこの世の終わりまでつづく
最後に神が治めない限り平和はない、それはこの世が滅びてからだとなる
それはいづれ近いうちに来る、そういう時期に来ている
グロ−バル化経済でもそこに公平とかないのである、だから行き詰まり反抗する国が出てきてもおかしくないのである、もちろんロシアがいいとかはならない
ロシア自体がまた覇権を握りたいという野望の国だからである
そこで最終戦争がハルマゲドンが起きてもおかしくないとなる
そして人類滅亡してそのあとに神の国が来るとなる、それが希望だとなる








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2022年04月13日

家事と機械と買い物 (機械の操作に追われる現代社会)


家事と機械と買い物

(機械の操作に追われる現代社会)

家事というのは相当に年期を経ないとできない、それが意外と広範囲になっているからだ特に料理はできない、十年していてもできない、それはすでに能力であり天賦の才とかないとできない、そして時間がかかりすぎるのである
用意するものが広範囲だからできない、そして何を買ったのか冷蔵庫にあるものを忘れて失敗している、結局人間はいろいろなことに頭が回らないのである
プログに記事を出すだけでも手間なのである

そしてわかったことは家事でも何でも今は機械と深く関係している
いい道具を機械を買うとそれで相当に助かる、でもいい機械を道具を使わないとうまくいかない
その一つが蒸し器だった、大きな蒸し器を買ったがそれが長く時間がかかりすぎていたのである、でも今回の安いものでは三分の一くらいに時間が短縮されていたのである
だからこれを長く使っていたのが失敗だった、時間の無駄だったとなる
料理をするにもやはり道具に左右されている
いかに機械を使いこなすかとで料理でも家事でも相当に違ったものになるし手間がはぶける

なぜ今そうなっいるのかというと戦前辺りは家事は手間だから東京の中産階級でも女中を二人雇っていたとかなる、なぜそうなのかとなるとそれだけ家事は手間だったのである
洗濯機がないから洗濯板でごしごし手で洗っていればそうなる
でも今なら洗濯機に入れればいいだけである
その相違も大きいのである
石油ストーブに灯油を入れるのに手で押して入れるのをしていたら手間だった
それを電気の自動式にしたら楽だった、手間が省けた、その差も大きかったと思う

いかに現代社会になると使う機械に左右される、あらゆる場所で機械を使っているからだ農業だってそうである、昔なら機械を使うより人力でしていたからである
田植えで稲刈りでも人力であり機械でしていないのである
そうなるといかにいい機械で使いこなせるかが問題になる
その機械の良し悪しで仕事もはかどるしそうでないと苦労する
昔なら雇った人間が問題になる、その人が仕事をうまくこなしてもらえばいいとなる
また人数を増やして人力で仕事をするとなる
でも今は人を雇うと金がかかるから極力人を雇わない
だから女中という仕事はなくなったのである、ただ極一部の金持が雇っているとなる
またども働きでも家事が機械化しているから妻でも外で働くことができる

ともかく昔の家事は手間がかかっていた、洗濯するにもそうだし風呂を沸かすのにもご飯を作る、料理をするにも手間がかかる、特に今でも天ぷらなどを作るとそうなる
それでお惣菜でも買うようになったのである
つまり家事はそれだけ手間だったのである

でも機械を使う時代になると今度は機械の操作に追われる、特にコンピュター系はそうである、テレビでふすらコンピュター化しているからだ
スマホを買ったのはいいとしてこの操作を覚えるのが大変だと思った
いくらパソコン歴が長いとしてもまたスマホは別なものだったからである
そうして遂にただ操作に追われる、それが現代社会の生活なのである
ただインタ−ネット化されたことにより通信は格段の進歩をした
雑誌でも新聞でも何でも出版となると印刷から配布するのに金もかかり個人ではできな
それでテレビ局と新聞社が独占して第三の権力となっていたのである
新聞社でもテレビ局でも会社の宣伝になるからマスコミは金になり力をもったのである
マスコミに出るだけでそれで有名になり力をもつこともできたのである

これも今ではメデアが変わった、個人でもyoutubeのようにテレビ局にもなれるしプログでも新聞のような機能があり金をかけずにだせる
いちいち印刷して一軒一軒配る必要はないのである
でも意外とプログでも操作がめんどうであり手間はかかるのである
なんとかワードプレスにしようとしているが未だにできない、つくづく技術は進歩しているから追いつけないのである
私は通信付きのワープロを使っていた、その時文章だけでもアップするのもめんどうだった、でも技術はこうして早い時期からなじんでいればできる
今になるとワードプレスでもできないようにめんどうでできないのである

人間と技術の関係は歴史が始まって以来あった、石器を作って以来あった
石器でも技術的に進歩しているからだ、それから鉄器の時代があり飛躍的に道具は便利なものになった、でもその速度は相当に遅い、今の技術の進歩は早いのである
すると人間の方が追いつけなくなっているのだ
老人になったらもう新しい技術になじむことがむずかしくなる、携帯までは私の母親が90才でもできた、でもスマホとなるとその難易度は格段に違うのである
だから今の老人の不利なのは新しい技術になじめないことである
テレビらただリモコンのボタンを押すだけではないからである

でも技術の進歩の恩恵も大きい、何度も言っているけどヤマハのYPJ-XCは優れものであり楽に走れるから遠出もできる、ドライブユニットが優れているからそうなっていた
それは実はヨ−ロッパで老人にも乗れるように開発された、マウンテンバイクだから
若者向きだと見ていたが違っていた、老人向きだったのである、乗っていて楽に走れるからだ
いづれにしろ技術機械道具の進歩は人間社会に大きな影響をもたらす、車社会になったことの影響は余りにも大きすぎた、社会そのものが変わった、街の通りがシャッター通りになったのもそうである、それは人間の人格までも変えた、車によって人間の人格まで変わったのである、車に人と人の出合いはなくなった、ただ車体が突っ走ってゆく
歩行者とか自転車は目障りであり邪魔なものになる、それだ馬鹿野郎とか叫んで走り去ってゆくだけである、もし江戸時代のように歩く旅だったら世は情けは旅は道連れとなっていたのである

ともかく現代社会は機械が不可欠である、戦争でもウクライナ戦争でもやはり技術の戦争でもある、より高度な技術を使った武器で戦うものが勝つとなる
ロシアが意外と旧式の戦車とか使っていてそれが狙い撃ちされたからである
またロシア軍は通信面でも遅れていて傍受されて位置が特定されて爆撃され被害が大きかったとなる
ただ技術が進歩するのがすべていい方面には働かない、それを象徴していたのが核である原発事故でありロシアが核兵器を使うと世界を脅したことで現実的恐怖となったからである

家事でも何でも現代社会は機械の操作に追われると思った
絶えず機械を操作しているのである、文章を書くにしてもパソコンでありそれも機械を通して書いているのである、だから私は富士通が開発した親指シフトをワープロで使っているから文章をスムーズに書くことができる、それは早い時期になれていたからである
でもスマホはしていないので慣れることが大変なのである
ただ一応パソコン歴は長いからなんとかやれたとなったのである

2022年04月12日

桜と山鳩のの写真(Cherry blossom photos)


桜と山鳩のの写真(Cherry blossom photos)

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母と子がいる

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背景の樹は桜ではないけど桜に見える

真野川の堤防の道の桜はいい、写真を撮ったが必ずしもうまくとれていない、写真はやはり大きくして見ないと見映えがしない
ブラウザではどういうわけか自分の場あい、firefoxでしか写真とか拡大して見えないのである



母と子や堤防の道夕桜

山鳩の番いの写真はうまくとれた、背景は桜ではないが桜に見える
このように山鳩の番だといいのだが人間だととにかく離婚が多いのである
私が接した人は本当に離婚した人が多い、人間はそれだけ男女でもうまくいかないのである
三分の一は離婚している、熟年離婚も多いのである
人間社会には常に争いがあり平和がないのである




2022年04月11日

桜はすでに満開になった (桜についてのエッセイ・・・)


桜はすでに満開になった

(桜についてのエッセイ・・・)

colourwind11.jpg
桜と風ー平泉―高館の桜

抽象画は何をイメージしていいのかわからないがここでは義経堂の桜をイメージした
というのは私自身が訪ねたとき、夕べ風が荒れてふきつけ桜がゆれて咲いていたのである
波乱の一生だった義経にふさわしいと思ったのである



日永きや道真っすぐに遠くへと

街中の通りを飛ぶや燕来る

前畑を耕す女や春の暮


ひとしきり梅はにおいて散りにけりその余韻の深く我が住む里かな

一分咲きたちまち桜満開や時の移りのかくも早しも

そちこちに夕べ桜や里めぐり誰か住みなむ灯のともるかな

春の日や我が家のこと知る人あり語りて偲ぶ母と姉とを



夕方相馬市の方へ行って途中でラーメンを食べた、自分はラーメンはあまり食べない
相馬市の道の駅の前の方でラーメンを食べて帰ってきた
相馬市の方はまだ二分咲きくらいの桜があった
原町は一昨日でも満開だった、鹿島は今日は満開である
桜は年により咲き方が違う、今日は急に暑くなったから満開にもなった
桜は桜前線がありやはり徐々に日本列島を北上してゆく
それも原町と鹿島と相馬市でも咲く時期が微妙に違うと思った

桜前線というとき私は北海道まで旅して6月に稚内で桜を咲くのを見たである
桜前線はそれだけ日本列島を北上して咲くのである
ある時は青春十八切符で瀬戸内海の方まで行き下関から韓国に渡り韓国の古都の慶州まで行った、その時慶州にも桜並木があり咲いていたのである
ただどういうわけか盛岡とかの桜はまだ見ていない、弘前の桜は見たのである
桜はいくら暇でも見ようとしても見れない、なぜなら桜は無数にあり咲く時期が二週間とか短いから散ってしまうから見れないのである

それで白石の千本桜を自転車で見に行った時、すべて散っていたのである
その散っていたことになんともいえぬものを感じた
はるばる苦労してきたのに桜はすべて散っていたからである
それは芭蕉が奥の細道で「五月雨の降り残してや光堂」という感懐と通じるものがあったはるばるみちのくの平泉まで来て雨がふりしとる中に光堂のみが残っていたことであるここに空間軸と時間軸で感じるものがあったとなる
その時すでに鎌倉時代から400年以上過ぎていたからである
みちのくという未知の遠く離れた所とそして400年という時間が過ぎたことで感じて作られた句なのである
これが新幹線で三時間くらいで来たとしたらとてもこんなふうには感じないのである
だから時代が作ったものであり今では作れないから価値が衰えないのである
古典はそうしてもうその時代でしか作れないものがあるから価値が衰えることがないのである

高館の義経堂や風荒れて夕べしきりに桜ゆれさく

この時風が荒く吹いていたのである、それで印象に残ったのである

今日自分の姉と母のことを知っている人とあった、意外と死んでから知っている人とは逢わない、その女性は店をしているとき豆腐を下ろしていたのである
だから意外とずっと前のことまで知っていた、私の子供の時から知っていたというのは意外である、なんか人間は昔のことになると人でもわからなくなる
でも私の姉と母のことを知っていた人がいたのでなつかしかったとなる
死んだ人は忘れやすい、語られることもなくなる、あれだけ近くの医者のことは常にみんな話題にしたけどその人が死んでもう誰も語らないということが不思議なのである
人間は本当に死ぬとたちまち忘れられる、そんな人いたのかとまでなる
これも無常なのである

桜咲く道に出合いて我が家の姉と母とを知る女〈ヒト)と語る

とにかくこの町でともに生きたということで連帯感を感じる、ただ今はもうそういう連帯感もない、それは自分自身の問題があってそうなってもいる
何かこの土地でともに生きたということが感じない、でも昔の村だったら本当に村人は一家族のようになって生活していたとなる
すると年老いてどうなるのか?ともにこの村で生きて来たなという連帯を感じる
それで墓地でも墓がなくてもホトケッポという共同墓地に埋められた、そこには個人の墓も家族の墓もないのである
ただ今はその土地に深い思いがない時代でもある、村人というより会社人間になったとき会社で共に働いたなということでふりかえる、でも会社は村とは違っている
村とは自然とも一体となった深いつながりがある共同体である
会社は自然とは結びつかない、社会の一部としてある
村は自然とも一体化して存在した、だから祖先は山にいるとかなる、その祖先が春には里に下ってくる、そういう感覚は農耕社会の村に自ずと生まれたものである

ともかく祖先でもそこで生きた土地から離れずにあるというのが農耕社会なのである
遊牧民社会だったらそういうことはない、常に移動するからないのである
そしてこの世では異邦人だというときいろいろな民族が混交しているからそうなる
正に民族が違って異邦人になりやすいのである,ユダヤ人は国を持たないからどこに行っても異邦人になっていたのある
ただ日本だってこの世にいるのは一時だということをつくづく感じる
旅して一時泊まる仮の住いとかなる、いづれもう死ぬともなるとそうである
人間の出合いでも一時逢うだけでありもう永遠に逢わないのである

あなたと会いましたね、後は永遠に逢うことはありませんとなる、これが老人になれば現実なのである
何か人間の出合い出も瞬間的にもなる、この世にいつまでもいる普通思っているがこの世とは去る場所であり留まる場所ではなかったのである
結局人間はこの世から消えてゆくものにすぎないのである、最後はこの世にいるは一時だったとなる、そんなに短いのかとなるとそれを老人になれば誰でも実感するのである

日はかなり長くなった、ラーメンを食べて道は薄暗くなったが明るい
こうなると遠くへ行きたいとなる、でも今日のように暑いと自分は熱中症になるから怖いそれで去年だったか春に暑く遠くへ自転車で行ったら熱中症になり痙攣起こして危険だったのである、それでこりたから暑い時は警戒するようになった
こたれもやはり歳とったということである
ただこんなに春にまた暑くなることはなかったように思える
4、5月とはこんなに暑くならずあたたかくでもこんな陽気にはならなかった
それで自転車で遠出できたのである





鉄道の駅では時刻表も廃止ー時計もゴミ箱も置かない (多くのローカル線は廃止されてゆくー個人でボランティアできない)


鉄道の駅では時刻表も廃止ー時計もゴミ箱も置かない

(多くのローカル線は廃止されてゆくー個人でボランティアできない)


公共交通機関で無料配布していた紙の時刻表を廃止する動きが相次いでいる。インターネットの普及が主な理由だが、新型コロナウイルス感染拡大による公共交通機関の利用者減少で廃棄が増えたことも要因だ。高齢者を中心に存続を求める声もあり、行政が代わりに発行する動きもある。

 「紙時刻表の配布終了について」。JR新潟駅前にある新潟交通(新潟市中央区)のバス案内所窓口にはこうしたお知らせが貼られている。

 同社は年2回のダイヤ改正ごとにA3判の時刻表1万部を発行していたが、昨年11月のダイヤ改正からやめた。代わりにネットの時刻表などを利用するよう呼びかけている。

 新潟市中央区の無職女性(73)はバスターミナルに貼られた時刻表をスマートフォンで撮影しながら、「不慣れで時刻表のサイトを開くことができない。紙の方が見やすかったんだけど……」とため息をついた。

 同社が紙の時刻表を廃止したのは、経営改善の観点からだ。新型コロナの影響で業績が悪化し、市から2億5000万円の財政支援を受けるなど厳しい経営状況が続く。
https://news.yahoo.co.jp/articles/a81196c6625b498310cbb0947e8e1c64fa0eb301



今日も駅にたちよった、そしたらスマホを見て何か探している人がいた
それで聞いてみた、名古屋にあるセントレア空港に行くのだが電車の時間が一時間半くらいあとになる、それでた早く行きたいので困ったと言っていた
それでタクシーで行くとかいったが金がかかりすぎると言った

この前も女性二人が下りて次の電車が来ないので待っていられなくなり原町まで歩いて行くところだったが雨がぽつぽつとふってきて引き返してきた
その人もタクシー利用するとか言っていた
今確かに地震の影響があり時間通りに来ないとか本数が少ない
前は一時間置きには来ていたのである、それも影響しているがそもそも一時間置きでも外から来るとなると本数が少ないのである

結構仙台空港を利用する人がいる、今ならその方が早いからである
新幹線にしても四時間とかかるとなると一時間くらいなると早いのである
つまり電車でもこうして飛行機時代になると飛行場と鉄道が結びつくと利用者が増える
そのために仙台市から直通の仙台空港行きの路線ができたので便利である

とにかく鉄道はローカル線は維持できるのか、廃止になる路線が多くなる
終に時計までもゴミ箱までも撤去された
そして時刻表も置かないとなった、前は小さなものだが小冊子のようなボケっとに入るような時刻表を出していた、それもやめた

私はボランティアで時刻表を作って駅に置いた!

でも駅長から断れられた、もう駅に出入り禁止になるくらいになって現実そうなった
なぜなら怪しいとして今度は回りの人が警察に連絡して人が大勢いたときにイベントがあったときに職務質問されたからである
またお前は何しているのだと客から案内したりしたらそんなことをするなと怒った人もいた、それから自分がホームのゴミ箱にゴミを捨てていたが監視カメラで見ていて駅長からホームに入るな言われた
こういうことで駅にはかかわらないことにしたのだがただ慎重に軽く駅の外で何か困っているから聞いたのである
今は別に高校生の見守り役がいるから聞けるが昼間は一時誰もいない

ともかくなぜ鉄道の駅が無人化してあらゆるサービスがゴミ箱もなくなり時計もなくなり時刻表もなくなる、それは結局鉄道に乗る人が減り続けているからである
だから廃止路線が増えてきる、経営できなくなっている
車時代になると鉄道を利用しないから乗り方すらわからない人が多いのである
それだけ鉄道は利用しなくなったということである
でも老人になって今度は車に乗れない人が免許を返納した80歳くらいの人が鉄道を利用するとなる、でも時刻表を今度はスマホで見ろとかそれもできないとなると不便になる
時刻表すら配れない時代になったのである
また勝手にこうしたもの駅に置いて配ることはできない、それがJRで置いたものとなり時間が間違ったりすると客から苦情がくるからである
それで駅長に無料で置いても断られたのである

ボランティアは勝手に個人ではできない!

これは肝に命じるべきである、社会にはそれぞれ組織でしていてそういう中に勝手に入ることはできない、つまりボランティアはそれなりに組織化して自治体でも公共的に許可されないとできない、それで退職した人がボランティアで何か問題がありかかわったが
裁判沙汰にもなってのである
20人くらいで組織化して社会から承認されないとできないのである
だからかなり何か教えるにしても慎重にしないと回りからあいつは何しているのかとなり警察が来たりするから注意すべきである
むしろボランティアは個人ではできないのだからするべきではないとなる
ただちょっとかかわるくらいならいいだろう
でもまた駅では監視カメラで見ているから注意である、何か善意でしていていてもJRとか市とかの許可ないとできないと見るべきである

その人は困っていたがちょうと車の人が名取まで行くとなり乗せてもらったのである
これは本当にラッキーだった、こういう親切は助かるしいいものなのである
また高校生の見守り役も中国人が困っていて隣の原町駅に車で乗せてくれて行けた
でも駅で個人的にかかわることは危険である
結局鉄道の時間は一時間置きでも不便だからそうなっているのである

とにかく何か私はこうしてもともと鉄道の旅が長いし鉄道マニアにもなった
それで実際に無人駅にかかわり案内したりしたことはいい経験だったのである
まず人間は仕事がいろいろあっても簡単に仕事はできない
ボランティアでもできない、ただボランティアでもどうしたらできるのか?
それはこの辺で起きた大地震の被害のためにDRTが駆けつけた、これはボランティアでも財団が運営してプロ集団だった、重機も持ってきたし屋根の上にのぼって仕事をしていた
それができたのは仕事のプロがしていて危険な仕事もできるからである
こういうボランティアとなると全然違ったものである
地震の被害でも個人で行って何か手伝いましょうとか言っても受け入れないだろう
ただ自治体で窓口を用意して認められればできる

いづれにしろいくら善意があってもボランティアは簡単にできないことを知るべきである
それが本当に警官が来て怪しいとかなり裁判沙汰にもなるからである
だからボランティアをしたかったら20人くらいでも組織化しないとできない
個々人ではできないようになっている、特に災害のボランティアは危険にもなるから本当はプロ集団でないとできないと知るべきである

ただなぜ無人駅が問題になるのか?

それは駅だと何かわからないことがあり困ることがある、すると何らか教えてもらう人が必要になる、でも高速道路のSAでは困る人がいないのである
掃除する人がいても金を払っている、それだけ人が来るから金が払うことができる
鉄道ではそれができなくなっているのである
だから外のトイレは南相馬市で作り掃除は毎日しているがそれは障害者団体の人に金をはらってさせているのである
JRだけではもうそうした費用を払う余裕がなくなっているからである
だからいづれは採算がとれない路線は廃止されてゆく
もし維持しようとしたら自治体でその費用を払わざるをいなくなるだろう
ただ飛行機の場合、飛行場までアクセスするのには必要だとなる

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DRTが作ったプレハブ小屋

ここはプレハブでも二つくらい作り仕事がプロでありボランティアというらり政府から派遣された人たちにも見える
一種の自衛隊のようにも見えた、ボランティアに見えなかった

2022年04月10日

人間に起きることはカルマが関係している (個々人でも国民でもカルマをもち苦しみとなる―解消できないカルマ)


人間に起きることはカルマが関係している

(個々人でも国民でもカルマをもち苦しみとなる―解消できないカルマ)

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シーシュポスの岩


カルマというとき個々人でもあるし家族単位でもある狭い地域でもある
大きくは国家レベルでもある
なぜ今自分自身がカルマと自覚したのは家族でも母でも全部死んでから家事でも全部自分一人ですることになったことである
私は60歳まで家事でも全部家族がしてくれたのである、だからいつも料理は出されていたし家事はする必要なかったのである
でも私自身はそれが当たり前だと思っていたのである
それは特別恵まれた結果としてそうなっていたのである

今自分が必ず自分自身一人で料理を作り食べている、その時どうしてもたりないものがあり台所まで食事の途中でも立ってゆくするとゆっくり食事ができないのである
それで今まで母でも食事を作りだしてくれていたことは特別恵まれた結果だと思うようになった
そして母は店をしていたときお客さんが食事中に来て必ず立っていた
ゆっくり食事できないし自分自身もそのことが嫌だったのである
食事のときくらいゆっくり家族で食事したいとなるからだ

ただそのことが母のことが自分自身のカルマとなっていたのである
それは食事中に必ず立ってたりないものを運ぶことになったからである
つまりゆっくり食事ができないともなっているからだ
母は私の家では女中のように働くだけだったのである
若い時は現実に東京の方に行って女中をしていたからである
それで花でも何か興味もなく働く詰めの一生だったとなる

人間はつくづくこうして誰でもカルマを背負っているしそれが現実となり苦しみとなってそのカルマを自覚するのである
これは本当に自分自身のカルマだった、また母が後妻に来て自分の家で連れ子の兄は良くされなかった、ただでは自分自身が全部それでよかったかとなると最後に家族の介護で死ぬほど苦しんだのである
それもカルマだったのである、その時誰も頼ることもできなくなっていたからである
それで親の介護のとき一倍お前はかわいがられたのだから介護しろと兄弟に言われるというのもわかる、カルマとはそういうことなのである、
兄弟でも親から平等に愛されると限らないからである

カルマの不思議はその家族は両親があっても父親が若い時から病気であり障害者のようになっていた、それで母は大変な苦労をしていた
でもその娘が結婚した相手は技術者で頭が良くて給料も良かったのである
でもそれが最後に実際は事業に失敗していたのである
すると娘も夫の事業の失敗で借金とかで苦しむ、つまりここでもカルマが苦しみとなって現れたのである
そういうことが身近でこれは何なのだろうとなるとカルマだと実感する

ただ全部があてはまることはない、その家の両親は本当にいい人だったのである
正直実直だったのである、でも息子は全く出鱈目であり誰からも嫌がられていた
最近死んだ、そして誰も惜しんでくれる人はいない
なぜなら息子がいても自殺していたからである、でもなぜそうなったのか?
その両親がそんなにいい人でもそうなるからその理由がわからないとなる
他にも創価でも他の宗教団体でもそういう人をまじかで見ているとわかるだろう
近くで若いの息子が病気で早死にして母親もすぐに死んだとかある
そういう不幸な人は別に宗教団体でもいくらでもいるし実際に見ているのである
呪われてたたられているのかと思う人がいくらでもいるのである

カルマは集団で解決しない、なぜなら個々人でも家族でも負っているカルマは違っている全部同じカルマではないし、それはそれぞれが負い苦しむことで解消するからだ
みんなであなたのカルマを解消してあげますよとか言ってもできないのである
カルマは個々人苦しみ自覚して解消するからである
つまり個々人が負っているのでありそれは他の人が代わってそのカルマを負い解消できないからできないからである
むしろ集団に入ると集団がもったカルマで負わされることにもなるのだ
何かいいことばかり期待して入るとそうなるのである
つまりそうした宗教団体でもカルマを団体的に背負っているから集積されるからそうなる

カルマは苦しまない限り解消しない、また苦しまないと自覚できないのである
だから自分のようになぜ食事もゆっくりできないのだろうと考えた
そしたら母がまさにそうして働き尽くしていたことをふりかえりこれはカルマだと自覚したのである
おそらくどんな家でも家族でもカルマを背負っている、今いいように見えてもカルマは必ず苦しみとなって現れる、そして長男長女がその苦しみを負うことになる
家族のカルマを一身に背負うのは長男長女になるからだ

結局人間は誰しもカルマから逃れられない、逃れようとして宗教団体に入ってもカルマから逃れられない、カルマを解消するには自ら苦しみまた他者に善行をほどこすとかするほかないのである
カルマは個々人でも家族でもそうだが国家でもカルマを背負っている
なぜロシアが日本でも良く思わないかというと戦争の時、どさくさまぎれに北方四島とかを奪ったりシベリアは抑留とかありロシアは日本と戦争しなくても漁夫の利を得た
そういうことでロシアは言い分があっても日本は今回の戦争でもロシアの悪辣さを非情さを批判する、それは確かに一方的な見方でも結局過去にしてきたロシアの悪行があり
カルマがありそれで良く見ないのである

ただアメリカに原爆落とされて日本は悲惨なものとなった、ではなぜアメリカを恨まないのかとなる、それはおそらくアメリカ人は戦争の後でも日本を経済的援助したり良くしたりしたからかもしれない、そしてその時はアメリカ人も相当に死んで血を流している
ロシア人は争わずして死ぬこともなくただいいとこどりになっただけだからである
でもそういうことがカルマになって過去の行為(カルマ)があり日本人はロシアを良く見ないのである
だから歴史でも国家レベルでもカルマが関係しているのである
昔はあいつはあいうことをした、あいつは悪い奴だとなり過去のことが尾を引いている
それは個々人レベルでも国家レベルでもそうである
でも国花レベルになると人道とか関係なくなり力で他国の土地を奪っても英雄になったりする、プーチンでも英雄になる、人殺しでも正当化されるのである
それで権力者とは大盗だというのもわかる、中国では現実にそうだったからである
盗賊が皇帝に実際になっていたからである

いづれにしろ人間のカルマは苦しまないとそもそも自覚できない、でも苦しむことで自覚して苦しむことによってカルマが解消するとなる
でもシジフォスの神話のように転がり落ちてくる岩を延々と持ち上げてもまた落ちてきて延々と持ち上げては転がり落ちて持ち上げる、それもカルマなのである
それは怠けていた結果として何か有益なこともしなかったのでそれでそうしたカルマを負わされたともなる、そしてそれが尽きることなくつづけさせられる
カルマが簡単に解消しないのである
人間はこうして何らかみんな罪業をカルマを負っていてそのことで苦しむ
この辺の原発事故もカルマであり放射性物質のプルトニウムが毒となり二万年消えないというときそうである、故郷にも住めなくなったのである
これこそがまさにカルマでありカルマは簡単に解消しないのである

カルマというとき戦争というのも人間からなくならない、それはウクライナ戦争でわかった、現代にあれだけの殺戮が破壊が行われるのをまざまざと見たからだ
実際にベトナム戦争からイラク戦争からアフガニスタン戦争からと戦争は継続されていたのである、だから人類から戦争がなくなることがない、それが証明されたのである
戦争も人間のカルマなのである、人類がつづくかぎり戦争は終わらない、終わるとしたら核戦争がありハルマゲドンがあり人類滅亡してカルマが解消するのである
それが人間の現実なのである





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2022年04月09日

ベネゼエラの原住民がYIFIをめぐって4人が死亡した (私もAUの店に行き接続できないとかプロバイダーとか変えるのに苦労した)


ベネゼエラの原住民がYIFIをめぐって4人が死亡した

(私もAUの店に行き接続できないとかプロバイダーとか変えるのに苦労した)

米ワシントン・ポスト紙などの報道によると、3月20日、ブラジルとの国境付近にあるベネズエラ南部パリマで、ヤノマミ族の集団がベネズエラ軍の基地を訪問した。ヤノマミ族と軍はこの一帯でWiFiを共同使用する約束を結んでいたが、ルーターを持つ軍が無断でWiFiのパスワードを変更したことで、抗議しに行ったという。その後言い争いになり、軍が発砲。ヤノマミ族の4人が死亡した。
https://www.asahi.com/articles/ASQ496SQNQ49UHBI02G.html?iref=sptop_7_04

ヤマノミ族とかでYiFi使っているのか?
今日auに行ってスマホとアマゾンのfireHDをYiFiで接続できなくなった
それと今SONETで接続してたのをビッグローブに変えることにした
auでは自転車保険にも入った、どこかで故障しても運んでくれるサービスがあるからだ
他にも電気料金もauにまかせた、すると多少は安くなる
料金もいつでもauのスマホで見れる、結局いろいろなものが分散していると管理するのがめんどうになる、何かauの銀行もあるから一か所で帳簿があるようになると便利である

ただ自分の場合はネットをしていても機械類に詳しくないのである
何か今度はルーターを変えるとかなるとその設定がむずかしいのである
そして設定できないと使えないという恐怖になる
現実スマホとfireHDをYiFiで接続できなくなってそれを直してもらうのにめんどうだったからである
ただ近くに店があるので店員に操作してもらったから直すことができたのである

とにかく現代の問題は機械類の操作が複雑になりすぎた、テレビ自体がリモコンを押してチャンネルを選ぶだけのものとは違う、パソコン化している
そうするとこれは老人はこの操作に追いつけないのである
つまり金があってもそれを使いこなすことの労力が大きいのである
自転車ならそんな複雑な操作などない、携帯くらいなら私の母親は90歳でも使えたのである、でもスマホになるとパソコンにもなるからめんどうなのである
そして画面が小さいから自分はもともと嫌だった、小さい文字を見ていると疲れるのである、操作するにはやはり画面が大きくて字も大きい方がいいとなる
この画面の小ささが相当に脳に影響しているのである
視覚的に画面が小さいことは脳に影響する、それでアマゾンのfireHDは画面が大きいから使えると思ったのである、これはタブレットなのだがそれをしていなかったから失敗だった、こういうものは常に操作して慣れてゆくほかないからである

このジャングルの原住民なのか?、その人たちまでYiFiのパスワードでもめていたのは驚きである
なぜならパスワード自体が十個くらい使っていてそれが管理できなくなっている
そして一番苦労しているのがYIFIのパスワードである、これがうまくいかず通信できないことがあるからだ
ルーターのパスワードがそうである、それで未だにYIFIの設定ができずにいたのである
何かこういうのは簡単なようでできない人もいるのである
そしてこういう通信機器の使い方を教えてくれる人がいない、電器店も教えないのであるだから設定することとかで必ずつまづくのである
ただワープロの通信付きのを私は20年前以上から使っていた
そのワープロからパソコンを使うようになったのである、そうして早い時期からスマホでも使っていて慣れていれば良かったとなる

とにかくジャングルの原住民でもYIFI使っているのが現代である
意外とロシア軍が通信で遅れていて不利になっていた
通信というのは連絡するために不可欠でありそれも高度なものになっているから
ロシアはそういう面でも遅れていたのである

何かauで通信会社をプロバイダーとか変更するのはめんどうである
本当はしたくなかった、料金にしてもたいした差がないからである
でも変える時期があり自分でするほかないとも思った
つまり現代は通信環境を整えて置くことが必須であるからだ
何しろ原住民でもYIFIを使っていて勝手にパスワード変えたとして殺人までなったいうのも何か現代を象徴した事件である
パスワードがインタ−ネットの通信だと鍵になりこれを忘れたりするとめんどうになる
そのパスワードが鍵となると十個くらいパスワードの鍵をもっているとなってめんどうになるのだ

今日は半日AUの店にいて疲れた、明日はまた手続きに行かねばならない
桜はほとんど一気に満開になった、今日は暑いくらいだったからだ
今は地震で家の中が散らかっているのでも直していない、仕事が増えたのである
私はずっといろいろ整理に追われているのである
この事件で私もYIFIで苦労したので共感したのである

でも今日はアマゾンのプライムビデオで村田諒太とゴロフキン(カザフスタン)とのミドル級のボクシングの対決を見た、これをテレビで放映しなかったのである
ここにも通信がインタ−ネットに移っているからテレビ局でこの大一番を放送しないというのは相当に変わったのである
私は子供の時一番興奮してみたのはボクシングだった、その時は家にテレビはない、理髪店ととか電器屋とか特別な所にしか置いていなかったのである
それがテレビではなくアマゾンで放映しているのだ
その興業の金は20億とかでもアマゾンとか世界で出しているのである
その資金の出どころも変わったのである、この放送は世界で同時放送されたのである
生放送されたのである、生放送というのはネットで見ていなかった
これももうインタ−ネットなしでは人気番組でも見れなくなる
だからどうしてもネットになれておく必要がある、ただ今にるなと遅すぎたとはなる
私の場合はパソコンでも長くしているからなんとか追いつけるとなるが他の人は携帯まではやれるがスマホとか
通信関係になるとめんどうにはなる

2022年04月08日

若草、燕来るー南相馬市道の駅の公園 (桜はまだ一分咲きー燕は来た)


若草、燕来るー南相馬市道の駅の公園

(桜はまだ一分咲きー燕は来た)

sakuraline11.jpg

写真を切り取り絵にできる
これは著作違反にならないだろう、やはり創作なのだ
ただこの老人はいかにもあっている
こういう光景は簡単にとれないのである



燕来る朝の流のひびくかな

五六羽の燕来てちちと鳴き飛びぬ

庭の石重くもすえて芽吹くかな

街道の原町宿や一分咲き

若草や公園に遊ぶ母と子


みちのくに花咲くを待ついまだしも燕は来たるもなば待ちにけり

公園のベンチに老人休むかな春の日さして根っこ残りぬ

空家なる庭に咲きにし水仙を我が見てあわれ残る石かな

梁太く蔵の喫茶店喜多方や外に残れる雪の重しも


原町の道の駅の方には良く行く、その隣が公園なのでそこに休む
そこにベンチがあり母と子が遊んでいた、若草の緑が映えてベンチに休む
あそこには木の切り株がある、何かそれが老人にふさわしいのである

一方昔の街道の方は古くてもほとんど行かない、買い物もしないし用がないからだ
駅前通りもほとんど利用しない、実際の実用としては道の駅中心になる
その街道は一分咲きになっている、雲雀原の街道はやはり旧街道であり宿場があった
そもそも原町という名はそこは雲雀原のように原っぱだったのである
あんなに家は密集していなかった
そこで原町村があり一騎だけ野馬追いに出ていたのである
そして雲雀が原辺りでも開墾されて農業をしていた人達がいたのである

不思議なのは原町で一分咲でも鹿島区では一分先にもなっていない
微妙に桜前線は天候に左右される、今回の地震で原町区は被害が少ないと見た
ブルシートのかかった屋根がほとんど見なかったからである
今回の被害は相馬市と南相馬市の鹿島区がひどかった
何かここは不運ではありたたられているのかとも見る

桜という時桜前線なのである、それで私は桜の咲く時期に京都の方に行きみちのくに帰ってくるとき、桜はまだ咲いていなかった、それがみちのくらしい、
逆に京都大阪の方が桜が満開になり散った後にみちのくは満開になってゆく
京都とか大阪とみちのくを行ったり来たりしていたのが自分だった
それだけ暇だったのである、旅することが仕事になっていたのである
それは家族がいて恵まれた結果だったのである

ある場所の思い出がある、今はこうして旅を回想することである
喜多方では蔵の喫茶店がありそこから外を見ると雪が重く残っていた
それが印象として記憶している、この記憶していることが大事なのである
旅をいくらしても忘れたら何にも思い出せなくなったら行ったことにもならなくなるからだ、そしたら回想することもできないのである

空家が多い、隣も空家になった、そこに水仙が咲いているのを見る
ただこの家の人は近くに家を建てたのだから町内に住んでいる
でももう誰も住んでいない人もいる、それで今回の地震で瓦が壊れたまま放置されているのもある、すると雨漏りなどするから困ると見た
つまり空家というのはこういうふうに日本の大きな問題なのである
とにかく空家が一千万軒に成とか尋常ではないからだ
第一原発事故の避難区域になった所は空家だらけでありなんとか利用してくれとなっているからだ

桜前線の俳句短歌2
http://www.musubu.jp/sakuranewpage2.htm

2022年04月07日

日本人の貧困化の深刻 (日本人がベトナム人から金を奪うために襲い殺す)


日本人の貧困化の深刻

(日本人がベトナム人から金を奪うために襲い殺す)

 大阪市淀川区三津屋中3の住宅でベトナム国籍の女性の遺体が見つかった事件で、大阪府警は6日、首を負傷して入院中だった住人のトラック運転手、山口利家(としや)容疑者(59)を強盗殺人と死体遺棄の疑いで逮捕した。山口容疑者は自宅の階下の弁当店で働いていた女性を誘い出したとされ、「生活が苦しくなり金を奪おうと思った。抵抗されて首を絞めた」と容疑を認めているという。


 こんなことありうるのか?
ベトナム人とか貧乏だろう、そんな貧乏人が貧乏人を襲う時代なのか?
首を負傷して入院中だった住人のトラック運転手とあり切羽詰まっていかたのかもしれない、それにしても日本にはもう追い詰められた人が相当数いる
そういう追い詰められた人に出合うことは不運であり危険である
田舎ても自分もそういう目にあった、もう年金でも普通に節約しても暮らしていけるだけもらえない人がいる、どうも一人暮らしの中高年の女性がそうなっている人が多い
なぜなら女性はまともに年金などもらっている人が少ない
誰でもできる仕事でありそうしたサービス業がコロナウィルスとかで職がなくなった人が多い、もともとぎりぎりの生活をしていた人がこういう時は生活もできなくなる
また物価高になるとそういうぎりぎりの生活の人にさらに負担になるのである
生活保護を受ければいいというがそれも簡単にできない、確かにもらっても年金がわずかでももらうと一万だとか医療費でも必ず負担がある
一万援助するがあと一万は払えとかなっているのである
満額が援助されないのである

とにかく追い詰められた人間が増えてくると安閑として暮らしていけなくなる
回りでそうなるのである、そういう人は危険な存在になるからだ
だからわずかの金でも奪い殺してしまうとまでなるこら怖いのである
日本人が金に困ってベトナム人襲うというのも日本人の困窮者が増えてゆく兆候である、昼職ぬきで働いているとか困窮する人が増えて来る
それで本当に今度は日本人が中国でも金持ちの国に出稼ぎに行く時代になるというのも
ありうる、日本はそもそも賃金が上がらないし物価も高くなってくる
年金は減らされる、増えるのは老人と病人ばかりなのである
その医療費でももう賄えなくなる、そこで親でも子は捨てる時代になる、介護の負担はできないとなる、それは金銭的に労力でもそうである
介護の負担の労力は大きいからである、金があっても労力の負担は大きいのである

生活保護は犯罪を犯させないものとして最低限支給するものだという、でもその最低限も支給されない、するとどうなるのか?犯罪に走るとか危険なものになってゆく
回りにそういう人達が増えて来ると治安が悪くなる、そういう人達と出合う確率も増えてゆくのである、何かこれから食料不足になり食事は戦前のようにもなると言う人もいる
私の母親は味噌汁と沢庵と何かわからないが一汁一菜とかで紡績工場で働いていた
痩せていたのに良く働いていたと思う
何か最近本当の貧困のことがわからなくなっている、それは贅沢になれてしまったからだろう、人間は一旦贅沢になれると生活の質を落とせなくなるのだ
うまい米を食べているとまずい米は食べたくない、それでいい米はいくらでもスーパーに入ってくるからそれを買うことになるのである
地元でとれた米があってもうまくないなら食べないのである
でもいざ食べるものもなくなると震災の時古米でも配られてそれでしのぐことができたのである

この事件は日本でもこの世の末だともなる、ここまで落ちたのかとなる
日本人がベトナム人にわずかの借金を要求して断れて殺してしまうというのは信じられないとなるからだ、それほど切羽詰まっていたとなる、そもそも弁当屋で働いているベトナム人自体が貧乏なのである、そんな人にまで襲って殺すというのが信じられないとなる
こういう事件が起きることは日本がいかに貧困化しているかを示している
この人には病気になったとか事情があるにしろこういうふうに追い詰められた人達が増えて来る、すると治安が悪くなる、つまり餓えた動物でもうろうろしているような感覚になるのである、その餓えた動物がいつ襲ってくるかわからないということになり安閑に暮らせないとなる
自分でも事業に失敗した人が借金を要求するとか一人暮らしの60くらいの女性が金を奪うとかもう毎月電気ガス水道が止められる人がいるとか田舎でもそうなのである
ただそういう人と出合いないと日本の貧困化は実感できなかもしれない、でもさらに貧困化してくれば誰でも身近に出合うともなる

そしてウクライナ戦争で世界でも物価があがり食料不足になり電気がとまるとかペルーでも暴動が起きたしスリランカでも暴動が起きる
肥料不足が農業にとっては致命的になる、それは日本でも同じなのである
米騒動とかが前に起きたがそれこと同じようなことが起きて来る、不穏な世界になってゆく、追い詰められた人間は一番怖いのである、そういう人は善も悪もない、餓えた動物であり相手を殺してまで食べなければ生きていけないとなるからだ
まず麦が高くなることは食料にとっての影響が大きい、うどんでも麦だというときあらゆるものに影響する、麺類は麦だとするとそうなる
ただそうなると米の需要が増える、ということは農業にとってはいいことかもしれない、でも今農業の成り手が少ないからすぐに増産はできないのである

何かグレートリセットとかあらゆる方面で大きな変化が起きて来る
その大きな切っ掛けはウクライナ戦争でも前からそういうことは言われてきて現実化してきたのである
怖いのは日本が第二のウクライナになるかもしれないことである
今度は中国とアメリカの狭間でウクライナのようになる、そこにロシアもかかわてくる
そしてそういう混乱して来ると悪鬼が侵入して来る
家が乱れたときそうなると書いたようにである
なぜアゾフ隊とか何かテロ組織とか外人部隊が入ってきてそこで荒らされるのである

国が乱れ荒れる時、そういう悪鬼が入り安くなる
だから日蓮のような日本の危機がやってくる、すでに来ている
こういうときまた大きな自然災害も起きて来る、人心が乱れるとそれに呼応して自然も乱れるのである
なぜこれほどの災害が起きて来るのか?
70年生きていてもすでに三回の大地震を経験している、ここ十年の間にである
でもこんな地震をここで経験していないのである、ただ70周期で社会が大きく変わる
そういうとき自然も乱れるのである、だからまた大地震が日本のどこかで起きる
それにしてもなぜ自分の住んでいる所でこれほど地震が起きているのか
それもとなりの街は今回それほどの被害ではなかった、自分の住んでいる所が被害が大きかったのである
それでこに住んでいられなくなるのとまで見てしまうのである

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2022年04月06日

ウクライナ戦争の真実ージェノサイドはあったのか? (ロシアもそうだがアメリカも信用できない)


ウクライナ戦争の真実ージェノサイドはあったのか?

(ロシアもそうだがアメリカも信用できない)


ukuraina111.JPG
ルーベン" ジスベルト現地ルポ マリウポリからライブ速訳

ここは詳しい、スペインに住んでいるからスペインの人がドンバス地域に入った報告は信憑性がある
ウクライナ人が市民を盾にしてロシア人を殺している、ロシア人をロシア人を殺すわけがない
殺しているのはジェノサイドしているのはウクライナ人のネオナチだというのは本当なのだろう
ともかく一方的な情報ばかりに接していると危険である
そして余りにもウクライナでも複雑な事情があったのである
だからロシアだけ責めるのは危険である


日本が国に二大敵国あり、その第一はロシアなり、ロシアは併呑(へいどん)主義をもって外より我らを破壊せんとす、その第二は米国なり、その物質主義によって我は腐食せんとす、、我らの軍人は剣をもって第一の敵を撃退せり、我らの宗教家は信仰をもって第二の敵を排斥せざるべからず(内村鑑三)

そもそもなぜロシアでもアメリカでも中国でも信用できないのか?
その過去の行為(カルマ)があり信用できない、ロシアでも戦争でシベリア抑留とかあり北方四島をどさくさにまぎれて奪った
ロシアとは平和条約を結んでいた日本がロシアを攻めたかげはないのに一方的にどさくさにまぎれて悪行のしたいほうだいだったとなる
弱体化したところで攻めてきたのである
そういうことがあるからどうしても信用できないとなる、併呑(へいどん)主義というときロシアは北方四島まで奪う権利もなかったのに戦争のどさくさに紛れてそうしたのである

そしてアメリカがどうなのかというとこれも過去の行為をみればわかる
アメリカとは戦争国家なのである、何かいいがかりをつけて戦争する、ベトナム戦争でもイラク戦争でもそうだったのである、それは人道に反するものであり何の根拠もないのに生物化学兵器がなかったのにイラクを攻めて大量の人を殺したのである
ベトナム戦争でもイラク戦争でも人道に反することを大規模にアメリカはしてきた
そして日本の戦争でも原爆を落とした、これは人類的罪であり最大の人道違反だった
こうしたことがあっても過去のことを反省もしないのである
あたかも正義の鉄槌を加えてやったとかなっている

何か欧米系は特にアメリカは正義面をする、アメリカの原住民からインディアンから土地を奪ったときもそうである、契約でだましたというときそうである
食料がないからとインディアンが援助してもそれを恩義とも感じなかったという
アメリカが正義とか人道を言う時こういうことが過去にあったから信じられないとなる
それは口先だけのことであり平気で嘘を言うとなる
表と裏の顔が違っているのである、その相違が極端なのである

内村鑑三はアメリカに留学してアメリカは金がすべてだとして嫌った、また外国人の宣教師も嫌った、日本独自の文化と歴史に根付いたものからキリスト教を取り入れた
それが武士道を基にしたのもであった
もちろん日本にも過去の戦争で責められるべきことはあった
でもそれではアメリカが正義のために戦争したのかとなると違う
また東京裁判などで裁かれるかとなれば違う、アメリカは人類的人道的最大のカルマを作った、それが原爆なのである、そういう国が他国を責められるのか、人道を言えるのかとなる
そして日本でもドイツでも戦争の報いは焼野原となってあった、でもアメリカは離れているから国土が焼野原になるようなことを経験していないのである、ただ勝った方が正義だとなっているだけなのである

今回のウクライナ戦争でもロシアの併呑主義であり許されないことである
でも西側の報道をうのみにしていいのだろうか?
ジェノサイドがあったというが本当だろうか、その映像がウクライナ側によって作られたものであるという報告もある
それは確かにそうだったのである、妊婦が運び出されて死んだ映像と思ったらその妊婦は生きていたのもそうである
また真偽が明確ではないにしろブチャの民間人のジェノサイドは嘘だということを報告している記者もいる
これは相当に重大なのことである、殺したのはウクライナ側のアゾフ隊だという
そんなことがあるのかとなるがその明確な証拠はないのである
もしそんなことをししているとしたら大問題だとなる
だから西側とかアメリカからの報道でも信じられないのである
イラクでも油まみれ海鳥の映像で世界中をだましたからである
イラクは悪い奴だフセインは大悪党だとして攻めたからである
アメリカの言う大悪党はアメリカの都合のいいように作られたものなのでてある

結局報道では真実が報道されると限らない、映像は何かすべて真実に見える
するとそれが証拠であり訴える、現実にあれだけ悲惨な映像を映されればそうなる
ただ人がどれだけ殺されたのかどういうふうに殺されたのかはわからないのである
だから調査が必要だとしている
ともかくロシアが悪いことはわか、でも一方的に報道を信じることも相当に危険である
テレビばかり見ているとロシアが悪い、悪いしかないのである
でもネットだとその反対のことも報道している、すると何が事実であり本当なのかと考える

ただ映像の時代になると映像の力が本当に大きいのである、映像は信じやすいのである
そこに嘘がないと見るのである、言葉だったら嘘だとなっても映像は偽れないと見るからだ、都市が爆撃された映像は嘘ではない、ただそこで人間がどういうふうになっていたのか、死んだのかなどは明確ではない、でもあれだけの映像を見せつけられるとそれが嘘だとは思えないのである
ただブチャで民間人を殺したのアゾフ隊だとかウクライナ側だったとなれば大問題であるまずそんなことができるのかとなるからだ
でもそれをスペインの記者が報告している、それが全く嘘とは見えないのである
それでその記者は命を狙われているという

つまり何かを中立的に見る時当時者より第三者でないと中立的には見れない
喧嘩している時でもそうである、どっちかに加担すると中立になれない
それで失敗したのは家族がもめていて娘が親にひどい目にあっていると思っていたら
全然違っていた、娘の方が信じられないひどい娘でありいじめられていたともなる
そして親はひどい娘だと自分に言い残して死んだのである
それがわからなかったのは付き合いもなくなっていて情報不足になっていたからである
こうして喧嘩でもどっちが悪いかなど簡単に分からないのである
それは情報が不足しているからそうなる、そしてどういう経過でそうなったのかも時間軸で見れないからわからないのである

私はロシアを弁護しているのではない、一体真実がどこにあるのかということである
ロシアが悪いことはわかる、でもアメリカが西側が正義なのかとなるとこれもわからないのである、結局こうして大国の狭間で犠牲になるのは小国だとなる
外国勢力が入ってきてずたずたにされる、一見独立のためだとかいってもそこには外国勢力が入ってきて二分されるのである
日本の明治維新でも外国勢力が入ってきて二分されることはありえた
でも日本はヨ−ロッパの植民地にはならなかった唯一の国だったのである
中国さえヨ−ロッパの植民地になったからである
ただ日本はアメリカに負けたアメリカの従属国になったのである

民主とか自由がその国とってすべて良く働くとは限らない、その国々の歴史的文化的価値観がある、それは否定できないのである、だからロシア的価値観が何かわからないにして国々にはその国なりの価値観がある、日本だっから武士道がったとなる
ただ外国勢力が入ってきてそういう価値観が全部否定される、ただ民主とか自由とかではモラルとか価値観を形成されない、結局国が二分されてばらばらになり外国勢力に分断されるだけだったともなる

ともかく現代は情報社会だから報道合戦にもなる、通信を駆使して有利にする
それで報道で欧米側が優ったとなる、ウクライナでも通信で報道で優っていたとなる
ロシアは悪役にされプーチンが大悪党にされた
でもアメリカでも悪人だったのである、でも正義面するのである
ただアメリカは遠く離れているから領土を盗るということはない
ロシアとか中国の問題は必ず領土拡張して他国に侵略するのである
いづれにしろ大盗になるとそれが善人化され英雄化される
国を盗むのものは英雄であり善人になるのである
報道は事実を報道するわけでもない、まずロシアが悪い、プーチンだ悪いとてけ報道する姿勢かある

例えばこの辺で原発事故があり補償金問題でもめた
原発避難者と津波の被害者が仮設にともに住んだ、そこでもめたのは原発避難者は多額の補償金をもらったが津波の被害者はもらえなかった
でもNHKでは放送の方針として原発避難者につくように決めたのである
だから原発避難者の方がかわいそうだと応援して放送したのである
それを後で訂正したのである
報道とはこうしてテレビ局でも方針を決めてする、テレビ局の意向によって決まるのである、ウクライナの戦争でも常に西側に欧米側につき放送しているのである
やはりそこを見ないと真実が何なのかもわからなくなるのである


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2022年04月05日

空間軸と時間軸でみる世界 (時間軸で見た世界は常なき世界、無常迅速である)


空間軸と時間軸でみる世界

(時間軸で見た世界は常なき世界、無常迅速である)

人間は個々人であれ世界であれ空間軸と時間軸で考えるのが基本にある
空間的に地理的にどういう位置にあるかだ致命的に運命的になる
それはもう何億年でも変わらないからである
地理的宿命があるからだ、それで天の時、地の利、人の和が問題になる
ウクライナ戦争でもそうである、ヨ−ロッパとNATOとロシアの狭間で戦争が繰り返されて来たのは地理的宿命から逃れられないからである
その空間的地理的なことは地図を見ただけである程度直感的にわかる
でも時間軸で形成されたものを見るのが至難になる

だからウクライナのことでもロシアのことでもわかりにくくなる
ソビエト連邦がありそれが崩壊したのは20年前くらいだったが忘れていた
時間軸で起きることは忘れやすいのである、個々人でも数十年前にあったことを忘れる
なぜなら次々に新しい事が起り過去は忘れられてゆくからだ
家族として親密にして60年一緒に暮らしていても死ぬと何かあいまいなものとなり
遠い過去になってしまうのである

だから歴史という時、地歴になるのだが歴を時間軸で起きていることがわかりにくいのである、不思議なのは江戸時代の年号をみると元禄だとか安政だとか天明とかあっても
その時代に何が起きたのか時系列で起きたことを理解するのがむずかしいのである
そもそも年号でもその時代順序でもわからなくなる、安政が先のなのか天明が後なのかもわからなくなる、時代順序で理解できなくなる
でも明治時代があり大正時代があり戦前の昭和があり戦後の唱和がある
でもこれは私の父親が明治生まれだし母親も大正生れだから順序を逆にすることはない
祖父母辺りまでは時代の順序を間違わないのである
それで人間は具体的に時間軸で実感するのは祖父母までだとなる

例えばエジプトの歴史が時間軸で三千年あるとしてその三千年を時間軸で時代順で理解することは不可能に近い、三千年となればもう日本の歴史は2000年だとしてそれより長いからだ、それを時間軸で理解することはもうできないのである
でも空間軸で理解することは今でもできる、現実にエジプトに行ったしそこでピラミッドが残っていてそれを見たり遺跡は見ることができるのである
空間軸は変化していない、時間軸は常に変化してしいる、その時間軸で変化することか
無常だとなる、常になき社会であり人間なのである

70才でもなってみると本当に不思議な感覚になる、人の出合いにしても本当に一瞬なのである、そして永遠にこの世では合わなくなる、それは60年一緒にいた家族ですらもう死んだら永遠に逢わないのである、そうして人の出合いは余りにもはかないとなる
それで最後にはさよならだけが人生だとなる
何か駅で外から来た人と出会った、それは束の間だった、何か話すこともなかった
その人は若い女性である、でももうその人とは永遠に逢わないのである
それはどこでも起きていることなのだ、いろいろな人と合ったとしても束の間であり
あとは永遠に逢わなとなってしまう
あいつと逢ったな別れたな、あとは永遠に逢わないな、あの人は何であったかのとなる

ともかくエジプトであれそこに今でも行くことはできる、そこで起きたことを時間軸で理解することはむずかしい、ただピラミッドが今でもあるからそれはエジプト文明の集約として残っていることでその文明を感じるのである
もし何もなかったらただ砂漠だけだったら何も感じない
ただ何もない砂漠で砂塵の中に埋もれて何もなくただ風が唸っているだけだとなる
その存在すらわからなくなる
空間は地理は変化しない、でも時間軸で見る時人間世界は常に変化であり人の出合いでも一瞬でありいくら栄華を誇った文明でも帝国でも遠い過去になってしまう
つまり時間軸で見た世界は無常なのである、常なき世界である、その無常に抗して何かピラミッドは三千年後でも存在しているとなる

人間世界はこうして時間軸で見れば絶え間なく変化している、今日ある人は明日はいないとまでなる、隣の人と庭でちょっと話していたがあっという間に死んでいた
そこにいたのに消失した、そして永遠に逢わないのである、そういうことは老人になれば当たり前のことである、次々に知っている人が死んでゆくのである
そして永遠に逢わないのである、まさに無常の世界である

桜が咲くにしても華やかなのは一時でありたちまち散ってゆく、それも無常である
この世に永続するものはない、それが無常である


ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。

所も変はらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二、三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。朝に死に、夕べに生まるるならひ、ただ水のあわに(※1)ぞ似たりける。
知らず、生まれ死ぬる人、いづかたより来たりて、(※2)いづかたへか去る。また知らず
(方丈記ー鴨長明)


本当に老人になるとこれは当たり前の実感になる、それは別に優れた人と哲学者とかなくてもその現実がありありと実感するからである

所も変はらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二、三十人が中に、わづかにひとりふたりなり

せいぜい人間が出合ったとしても記憶しているのは一人二人くらいになる
みんなうたかたの泡のように消えてゆくだけである
この世とはそういう場所であり時間軸で見たら人間が生きるのは一瞬であり出合うも一瞬でありあとは二度と逢わないのである、それが無常なのである
だからこそ永遠の命を求める、この世とは違う永遠の世界を求める
そこで老いることはない、みんな若いという、病気になる人もいない、愛別離苦の世界もない、時間は有限ではない、無限であり空間に制約されることもない、空間はどうしても人間を制約する、時間でも制約する、そういう制約から超越することを望むのである

その女(ひと)と一時逢うも去りゆきぬ永遠(とわ)の別れや春になるとも

これは恋の歌とかなるがそんなものは自分にはない、若い人はこの無常がわからない
老人は別にみんな普通に感じている、知っている人でもみんな死んでゆくから必然的にそうなる、若い人はそれを実感しにくい、人生とは永遠につづく、人の出合いでもそれは一瞬だったなと思わないのである
でも最も華やかな青春でもそれもうたかたの泡のように消える
歓楽に費やしてもそれも一瞬のことだともなる、、はかない虚しいものとして消える
ただ人間はそうしてカルマを繰り返しているだけだとなる

生死事大 光陰可惜 無常迅速 時不待人

本当に無常迅速なのである、それで若きうちに神を知れとなった、瞬く間に時間は過ぎる飲めや歌いやしているうちにあっという間に過ぎる
若い時はいろいろなものに魅せられて過ぎてしまう、恋だなんだかんだと魅せられてあっという間に過ぎてしまうのである
でも若い時はそう感じないのである、だから老人から若い人を見ると全く違った感想を持つ、また若い人から老人を見る時も老人になることがないと見ているのである
でも必ず若い時はたちまち過ぎて老人になっているのである
40才になるとう白髪になり 老人の入り口になっているからだ



2022年04月04日

鉄道の駅と高速道路のSAの相違 (駅にはコミニュケーションが必要になる)


鉄道の駅と高速道路のSAの相違

(駅にはコミニュケーションが必要になる)

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なくなった時計


最近は高速道路のSAの方に行く、そこだとレストランもあり広い休憩所もある
おみやげ店もある、でも随分鉄道の駅とは違うことに気づいた
今日は久しぶりで駅に行ってみたら若い女性の二人がいた、どこに行くのかと思って見ていたら駅を離れて歩いて行った、それからまた引き返した
それで聞いたら原町まで行くと言っていた、電車を待っても時間があるので歩いて行くとして駅を出たのである
前はこういうふうに駅についた人を案内していたことがあった
高校生の見守り役の人が常駐するようになってからは駅に行っていなかった
それでタクシーで行くとか言った、歩いて8キロくらいあると教えた
この距離だと歩く人はいる、後は雨が降ってくるとかかかわりたくないようだから去った何か教えるにも嫌がるとか怪しまれることがある
それで警官まで来たことがあり慎重になっている

でもここで気づいたことは必ず駅はなにかしらコミニュケーションが必要な場だということがわかった、なぜなら電車が遅れたりまた時間表を見たり今回のように原町まで行くとか歩く人もいたのである、つまり駅とは何かしらわからないことがあり聞くようになる
そして必ず駅の中になにもないから店や食堂を探す人がいる
駅前で探すし駅前通りがあるのはそのためだった
高速のSAだとレストランでも土産店でも休憩所もある、無人駅になると座る椅子があっても何もない、最近はホーム内にあったゴミ箱も撤去されたし時計まで撤去された
ただ無人駅でも鹿島駅は高校生の見守り役が常駐しているから無人駅とは違う

でもゴミ箱もないというのも困る、駅舎で食事したりすることがあるからだ
何かこうしてできるだけ無駄をしないようにする、なぜならゴミ箱を設置していたとき
商工会の人にゴミを捨ててもらっていた、そのことでも金を払っていたからゴミ箱を撤去したのである
高校生の見守り役は市の方で金を払っているのである、外のトイレも市で作ったものであり毎日障害者の人が掃除しているのである、その費用も市で払っているのである

とにかく高速のSAに行ってもそこで人と話すことなどない、そして困る人もいないのである、電車が遅れる心配もないし待っていることもない、ただ一時寄ってトイレに行くとか食事するとかで何か困ることがないのである

鉄道の駅では何か必ず困ることがある!

困ることがあるから人に聞く必要がありコミニュケーションが要求されるのである
その若い女性でもそうである、駅に降りた、でも次の電車を待てないのか何か原ノ町駅まで行くのどうしようとなった、雨もぱらぱら降ってきたとかなり駅にもどった
トイレにも入った、タクシーで行くにしても聴かなければならない
その電話番号を書いてあるのが入り口でそれが意外とわからないのである
今はスマホなどがあるから調べられるにしても何か聞くことがコミニュケーションが必要になる、もちろん人とかかわらなくても別にいいとしても鉄道の駅だと何かわからないことがあると思った、まず高速のSAではそんなことが全くないのである
そして街の方には来ない、SAによって後はまた別な所に行く、街とは全くかかわらないのである、鉄道の駅は降りたらそこで通りに出て街と必ずかかわるのである
だから駅前通りができたとなる、駅内には食堂もないからである

何かこうして比べると高速のSAと鉄道の駅は相当に違ったものである
それで街とかかわらないから地元とはかかわらないからサイクリングさせて真野ダムの方に行かせるとか観光ルートを作るのがいいと言う人があった
町自体とは全くかかわらないからである
そうなると市町村でも活性化はできないとなる
あれだけ人が出入りするのに市町村とは関係ないともなる、人の流れがただ高速だけであり街や町でも村でも波及しないのである
鉄道の駅はかえって時間を気にしたりいろいろわからないことがあり聞くことがあり不便だからかえって人間的な場となり見知らぬ人でもコミニュケーションが必要になっていたのである、人とのふれあいが必要になった
そこで実は人間も必要だったとなる、ただ駅長とかでもお前はなにしているのだと拒否されたし回りからも何しているのかそんなことをしなくていいとかあからさまにも言われた

つまりそもそもそうして車と違って駅に関心がないのである
だからこそ市町村でも無人駅でもいいとなるのである
ただ高速のSAだとコミニュケーションは必要ない、困ることがないからである
やはり人間は困ることがあるときどうしてもコミニュケーションが必要になる
困るということは助けてもらいたいということである、それがなければ人間は無人駅でもいいしロボットでもいればいいとかなる
でもロボットにはできないものがある、どうしてもそこに人間が必要なのである
ただ現代社会はそういう人間がいること自体うざいとかなる
困ったことがあっても知りたいことがあってもスマホを見ると人間がうざいから必要ないとかなっている社会である、だから案内するにしても拒否する人がいる
ただ駅員がいれば聞くがいなければ無人駅なら聞きようがないのである
ただ鉄道は利用する人が少ないから駅員は置けないのである

鉄道の駅はどうしても時間通りに電車が来なかったり何かあると遅れたりする
それで必ずコミニュケーションが必要になる、それが特に無人駅で起きる
何か人間は困ることがある、すると相談する相手が必要でありコミニュケーションが必要になる、人間は困らなければ別に他人に頼る必要がないのである
だからコミニュケーションも必要ないのである
自分は家族が何でもしてくれたから困ることがなかった、それで引きこもりもできたとなる、でも家族が介護になったりして困ることになり相談しようとしたその相手もいなかった、でもその時コミニュケーションが必要になる
それで引きこもりはコミニュケーションができないから親が死んで死体と一か月とか一緒にいたとかなる、人間はやはり困ることが必ずある、それに対応できなくなるのだ

高速のSAでは全く困る人などいないのである、だから何かを聞いたりすることもない
ただトイレにより食事したり休憩して去るだけなのである
でももし何か困ることがあったら聞いたりする、するとそこにコミニュケーションが生まれるのである

私は何にも困りませんよ、かかわる必要はないです

こうなっていて土地の人とも何らかかかわることがないのである

私は何にも困りません、かかわらないでください

こうなるのは実際は傲慢だともなる、それは自分のことでもあったから責められない
人間は人の世話になりたくないのである、なぜなら人の世話になることは何か重荷ともなる、負債を感じるからである、それで金を払って困った時助けてもらうとなれば恩義などは感じないのである、むしろ金を払うのだからちゃんとやれよとかかえって要求することが強くなるのである、それが現実の社会である
でも駅では金を払うから案内しろとかできない、無人駅であり誰もいないからである
でも何か知りたいことがあり困ることがある、それもたいしたことがないから別に無人駅でもいいとなっているのである
ただ前のように乗る人が多ければ鉄道会社でも案内でも何でも人を配置できるのてある
鉄道自体の衰退がありどうにもならないともなる
車社会になったとき根本的に社会が変わった、車に適合した社会となる、その変化の中で失われたものも多いのである
それは歩く旅から鉄道の旅となり車の旅と変わった、その変化の中で失ったものがある
便利な生活文明化しても必ず人間は得るものもあるが失うものがある
人間そのものがなんでも得るものがあれば失うものがある、老人になって失うものが多いがまた得るものもある
だからもう何かを得ることは何かを失うことだともなるし何かを失うことはまた何かを得ることだとなるのが人間根なのである