2022年05月08日

ヤングケアラーの悲惨 (貴重な時間が奪われることが最大の損失)


ヤングケアラーの悲惨

(貴重な時間が奪われることが最大の損失)

NHKでヤングケアラーのことを放送していた、それも小学生とか30年も介護していたとか驚く、そんな人がいるのかと見てこれは悲劇だと思った
これこそ親ガチャだと思った、親のために一省台無しにされたとも見た
そうは言わなくても自分の人生なんだったのだと必ず後悔する
親のために尽くして親のために生きたとなる

ただそういうことは戦前とかだと親のために子供が働かせられていた、貧乏な国では子供が働き手として産んでいた、そういう社会だったのである
子供が親のために働く犠牲になるともなる、貧乏だとそうなりやすい
別に私の子供時代でも何か変なのだけど店の配達とか店の手伝いとか卵買いとかさせられていた、親が酒屋の丁稚だったので私も丁稚のようにされたともなる

そういうことは農家でもあり子供が親の仕事を手伝うのが普通だったのである
そういう社会だと親でも子供を産んだ方がいいともなる
今の社会は子供のために親が犠牲になるとなるから子供を産み育てるのも嫌だとなる
だから今度はそういう時代になると子供は親のために働き孝行するのが普通だったのに
子供のために働かせられ尽くすだけだとなり不満になり子供いらないとなり少子化にもなったのかとみる

でもそもそも生物としては親は子をうむために犠牲になる、鮭でも子を産むために必死で川を上り子を産むと死んでゆく、それは生物を維持するための本能である
子供のために犠牲になるのが生物の本能なのである
そうしなければ子孫を残せないからである

だから親のためにまた老人のために若者が犠牲になる社会は生物としては異常だとなる
これだけの高齢化社会と人類史でも経験していないのである
それでどう見るかは初めてのことなので何とも言えないのである
これまでの人間の歴史ではみんな平均寿命が長いのであんまり介護とかもなかったもしれない、ただあったとしても介護期間でもあまり手厚い治療をしないから早く死んでいたと思う、ただ若くても病気になり介護していた人はいた
老人をこんなに介護する時代はなかったと思う

小学生から40年間親の介護していたとかなると信じられないとなる、もう人生が親の介護だったというのも悲劇である、その人は自らも病気になったことがわかる
私も認知症の家族を介護士てうつ病になったからである、なんらか精神的にもおかしくなるだろう、それで普通に暮らしている人達をみてこういう暮らしがあるんだというのもわかる、何か介護というのは狭い所で人間関係もなく介護する人とされる人が閉ざされた空間で過ごすことになるからだ
それは牢獄のように感じたのである、私のように旅ばかりして自由に過ごした人には特にそうである、ただそんなに若い時から介護していた人はそういうのが人生だとなるほかなかったのかもしれない、とにかくこうして親ガチャとか親のために人生を失うということが結構多いのである、なぜなら素直であればあるほど親に尽くすことが当然のように思えるからである、また他にする人がいないからそうなってしまった

とにかく人間にとって一番大事なのは時間である、それも若い時貴重な時間を奪われることは悲劇である、そうしたら老人になって親を恨むことがある、親のために自分の人生が犠牲にされたとふりかえるからである、ただ他でも親のために自分の人生を奪われることがある、親がカルト宗教団体に入っている人は素直だと全く洗脳されて染まり一生をそのために終わる人がいた、その人はそれ以外の人生など考えることもできなかった
だから親の影響は本当に大きいのである
親によって人生をだいなしにされることは悲劇である

私が特別親に感謝しているのやりたいことをやらせてくれたからである
大学出ても就職もしないで自由に生かしてくれた、やりたいことをやらせてくれた
その後も30年間引きこもりでも自由にやりたいことをふらせてくれたのである
だから介護になっても必死で介護したのである
でもヤングケアラーは自分のやりたいこもやれない、介護の牢獄のようにな状態で40年間も過ごしたとなるのは異常である、そして自分自身も病気に成っているというのも悲劇である、なぜそうなのか、それは時間は取り戻せない、青春時代も取りもどせいないからだ

人間というのはその時その場でやるべきことをしないとあとはできない、時間は取り戻せないのである、もう一回やり直すこともできないのである
これが人生にとってショックだとなる、親がどうのこうのと言っても結局お前の人生はお前の責任であったとしかならないのである
でもそうならざるをえなかったというのは悲劇である、もちろんその経験が無駄とはならない、なぜなら人間は何でも経験が大事だから経験しかから本当のことは学べないからである、そしてそれぞれの経験することもごくわずかなのである
あらゆる経験など人間にはできないのである
だからどんな経験貴重なのである、介護であれ引きこもりでもそうなのである
それも一つの経験だからである

ただ人間の時間は極限られている、たちまち時間は消失する、また体力でもなくなる
そうすると体力あるうちに山登りでも自転車旅行でもなんでもきついことはしていた方がいいとなる、後はできなくなるからだ
それびヒマラヤに一回だけ行ってみたが曇って見えなかったのでもう一回見たいとなるが見ることができないのである、体力的にできなくなったからである
だからそうした貴重な時間が消失してゆく、ヒマラヤを見ることは本当に感動だからである、他のことでもそうである、それで私は50歳からバックパッカーになって世界旅行したことが良かったとつくづく思う
もう海外旅行もできないと思ったからである、それだけの気力もなくなったとなる
特に介護は体力だけではない、精神力も消耗するなと思った
牢獄に閉ざされた中で極めて狭い世界で生きることになる、常に介護は介護する人から離れられないからである、だから牢獄に閉ざれた感覚になったのである

ヤングケアラーが相談する人がいない相談しないというとき誰も親身になってかかわる人はいないからである、そういう人とはかかわりたくないのである
かかわるとしたらやはりその人も犠牲になるからだ、そして金だけは欲しいとなるのであるお前を助けるけどその前に金をくれとかなっていたのである
つまり介護では親身になる人はいない、それは自分の場合はカルマだった
だから自業自得だと思ってしていた、それはもう60歳にもなっていたのだから不満も言えなかったのである
私にとって介護は最後は親に感謝されたから報われたとなる
それでもともと特別良くされたから今でも手厚く供養しているのである
でも他の人はヤングケアラ―などは全く違っている、あまりにも過酷であり親を恨んでもしょうがいなとなる

ただこういうことも高齢化社会とか介護社会で産まれたのかともみる、ただ放送では
若い母親が病気になったのであり老人の親の介護とはまた違っていた
でも介護する人は今は家族でも核家族とか少人数だからできる人がなくそうなった
とにかく現代はなんらかで介護の問題をかかえる、それは親が長生きでありまた簡単には病気になっても死なないからである、そこで孝行したい時は親はなしとはならない
必ず親に孝行を強いられる、最後に介護させられるのが運命だとなる
それから逃れることはできないのである、でもまた今は戦前のように親のために子供が犠牲になる訳てはない、親が犠牲になるような時代である
でも最後に親に孝行が強いられる時代だとなる

私は叔父にあたる人が病気になり輸血してくれと30頃言われた、でも断った、なぜなら私はその時登山して死ぬほど疲れていたからである
それで断った、でもそうして登山して良かったと思う、体力がないのですぐに登山はできなくなったからである、ただそのことでその娘にも恨まれてもいいものとなり叔父も私を恨んで死んだとなる介護の時冷たくされても当然だとも思った、でもその娘は異常であり育ての親を捨てた
突然病気になった死んだ育ての親が私に「ひどい娘だわ」と私に言い残して死んだのである、だから自分だったらしょうがないがなぜそうなったのか異常であり非情だとなる

高齢化社会と介護は切り離せない、でもその負担が大きすぎる、それを若い人がするのはあまりにも過酷だとなる、どうしてもそういう人は親を恨むようになからこれも悲惨である、親にとっても子供にとってもいいことはない、時間が貴重であり若い時は束の間であり二度と戻ってこないからである
でも祖を強いられるから悲劇だとなる、それを償うものがあるのか?
確かに早い時期に何か介護して他の人より大人びるかもしれない、でも若い時期は短いしあの時こういうことができていたのになと痛恨の悔悟になるかもしれない
なぜなら人生は二度とないからである、あの時こうしていれば良かったといっても
二度とその時は帰ってこないからである、それは報われないとなるから悲劇である