2022年05月14日

子育てはどうあるべきか? (体罰を容認する古い世代―厳しくしつけろはいいのか‐親ガチャの問題)


子育てはどうあるべきか?

(体罰を容認する古い世代―厳しくしつけろはいいのか‐親ガチャの問題)

その女性は団塊の世代だから同世代である、それでも古い年代の考え方がある
しきりに厳しく育てろ、体罰もしろとか言う、それが納得いかないのである
85歳くらいの人が近くの先生を恨んでいた、体罰を受けたとかひどく恨みに思っていたのである、ただその当時団塊の世代でも体罰はあった
男性は廊下に立たされたりして笑いものにされていた、でも女性はそういうことはなかったのである、ここに男性と女性の差があった
同世代の人でやはり団塊の世代でも8人兄弟の人が父親から何も口答えするなとか父親の命令に従っていればいいとして育てられた、逆らうようなことを言うと殴られたと言っていた、だから親を良く思っていないのである
私は学校でそういう経験しているから学校は嫌な場所だった、ただ私の場合はそもそも集団生活になじめないし一人っ子でわがままだったから特殊だから違っていた
自分の場あいは逆に厳しいことも必要だった
厳しく鍛えられることが必要だったのである、それで親元を離れてからそれなりに苦労したことが良かったのである、だから厳しいことがすべて悪いとはならない
でもどうしてしも厳しく育てられると人間は委縮してしまうと思う

だから奇妙なのは父親と母親がいたとしてそれが普通に子育てすることになる
でもそれがいいのかとなるとわからない、父親の役割があり母親の役割があって子育てする、でもそれだけでたりるのかとなると人間は複雑なのでそうともならない
本当に母親だけでもその母親に反発する人も多いし恨んでいる人もいる
それは母親一人だと母親の道具のように子供を見る、子供を自慢するためにあるとなる
自分の都合良いものとして子供を見る、そこで常に親の意向に子供はふりまわされることになる
だから不思議なのは人間の場合は両親がいたとしても子育てが必ずしもうまくいくとは限らない、もちろん片親とかいろいろ境遇が違っているからその人の事情があって複雑であり他人のことはわからないのである
それは人間関係でも人間は複雑だからそうなる、一人っ子だと兄弟がいないと人間関係をうまく築けない、一人っ子はそれで問題になる

とにかく人間は両親であれ家族であれその影響が余りにも大きいのである
それが人生を決めるとまでなる、別に両親がいてもカルト教団に入っていれば完全に洗脳されて遂に死ぬまでその色に染まって一生を終わった人も普通にいる
全くそれ意外何も考えられない、人生もその方向に行くことが決められていてそれしかないとなっている人がいる、そこに何ら疑問も感じないのである
全く自主性のないロボットとして一生を終わったのである、これも恐ろしいことだと思った、だから親の影響は余りにも大きいのである
いくら恵まれていても金持ちでも親ガチャはあるのだ、医者の子に生まれたら医者にならねばならないと不本意でも強制されるのも親ガチャなのである

ともかくその知っている女性は子育ては失敗したのだろう
ただその人は貧乏だったからそうなったこともあり同情する、何か金がなくて上の学校にもあげられなかったみたいだ、それで子供は結婚して今いい暮らししていても親とは絶交している、親か金が無くて苦しんでいても何もしない、というよりはもう他人なのである近くにいてもあいさつもしないとなっているのだ
だからみんな一応子供を産んでも親に感謝するかというとならない、親を恨んでいる人も相当数いるのだ、そういう人は墓参りもしないのである
だから親でもいろいろであり千差万別なのかもしれない、だから一概には言えない
三人の母親が代わり育てられた娘は信じられない人になっていた
非情になっていた、5歳まで育て母親は認知症になったが金を持っているので金だけが欲しいとなっていたのだ、これも悲惨であった、でも育ての親にも反発して病気になっても助けることもしなかったのである
何か親の言う通りにさせられて反発したらしい、ただこの人は普通ではない信じられない非情な女性となったことに驚くのである
この女性もまた複雑な家庭環境であり理解ができないということはあった

とにかく人間はそれぞれの家庭環境の影響が大きいのである
私自身も複雑でも二人の母親がいたとしてもそれが私にとってはいいものだったのである実際は私が実母だけから育てられたら私という人間形成はできなかった
私の母親はもともと貧乏で育って性格は几帳面でありささいなことにうるさいのである
貧乏だったら花に興味もない、ただ働きづめだった、それは同情する
でももう一人の母親ともいうべき姉は大らかな性格であり小さいことをなにかやと言わないのである、常に自分を肯定するものとしてあった、だから別に就職もしないで引きこもりになっても何も言わないのである、やりたいことをやりなさいとなっていたのである
何か自分に何かを望むのではなくただ肯定するだけだったのである
それは甘やかされたともなるがそれで自分は自由に自分のしたいことを追求して来たのである、だからこういうことはまれだと思った、そこにも大きなマイナスがあったとしてもプラスの面も大きかったのである

それで思うことは子育てすることは子供を否定することを言わない、常に肯定して見守ることがいいとなる、確かに厳しいしつけも必要でも肯定される、愛をもって見守るということがいいとなる、何かと親が子供に要求すべきではない、その人なりの人生を生きることを応援することである、自分は60歳までもそうされてきたのである

子供を否定する言葉を言うな

常に温かく見守り肯定する言葉をかけろ

人間は別に子供でなくても部下であれ相手を否定することが多い、お前はだめなんだとか女性でも否定される言葉が多い、あなたはここが悪いけどいいところもあるとか言わない一方てきに前はだめなんだとかしか言われない人はどうなるのか?
その人は常に自分自身を否定するようになり自信がなくなる、何するにもそうなるのである

ただ親元を離れて苦労したのは20代であり若い時苦労しろというのは本当である
そもそも人間は本を読んでも自ら苦しみ悲しまなければ何でも理解できないのである
経験の方だ大事なのである、仕事でもそうである、どんな仕事でもつくづく経験しないとわからないのである、実感できないのである
だから別に底辺の仕事でも経験することはいいことなのである、それはボランティアでもいい、金にならなくても経験することは貴重なのである
人間は何か経験することでも極わずかのことしかできないからである、また人間は経験から学べない、聖書でもいくら読んでもわからない、でも苦しい体験とかした人はわかる
悲しむ者は幸いである・・・こういうことは経験しない人しかわからないのである
まず悲しい苦しい体験をしない人は人を導けないだろう、また同情もできないからである
そして人間の不思議は家族でも死んだ時、その人の肉体は消えても何か魂のようになものは残る、愛は残る、その愛は消えることがない、太陽のように輝いている
またかえってその輝きが増すということもある
もし忘れられない人になるならこうして子供でも愛すなら、ただ子供に何も望まないで肯定するだけならその人は子供にも忘れられない人となる
子供でも何かと親がおしつけるて子供を自分のエゴのために利用するとかなるのが多いのである、そうなると子供でも親が死んでも心に残らないともなる
だから親を恨んでいる人も多いのである、愛とは無償の愛なのである
神の愛でも無償の愛だからである
ただ理想的な親など言ないだろう、私の姉にしても他人には冷酷であり別にすべてがいいとはならない、ただ自分に対しては良く作用したとなる
だからそもそも家族でも両親だけではうまく子育てができないかもしれない
そこには祖父母とかまた叔父叔母とかでも様々な人がかかわった方がいいとなる
だから核家族は閉鎖された家族だけの世界となりいいものとはならない
子育てにとってはいい環境とは思えないのである

私を育て肯定した女性は
死んで十年も過ぎても
依然として消えなかった
太陽のように輝いている
それは愛だからであった
愛は死んでも消えない
あなたの心の中に
その女性はいつもいる
愛は継続する
肉体は消えても愛は消えない
そういう人を持つことは幸い
その女性は常に離れず見守っている
優しい顔で見守っている

ともかく人生で忘れがたい人というとき極わずかである、結局最後は二三人くらいになるだろう、みんなたちまち忘れられるのである、親子でもそうなのである
でも忘れられないようになるにはどうするのか、それを子育てでも人間関係でも知らねばならないとなる、ただこの世ではそんな人間関係など築けない、ほとんど金の切れ目が縁の切れ目である、これだけの人間がいてそんな関係しか築けないというのは何なのだろと思う、余りにも淋しいとなる、非情だとなる、でも実際はこれがこの世の現実なのである結局この世は無常であり無情なのである、親子ですら無常であり無情になっていたのである
いづれにしろ人間は親子関係とかでもそれだけで閉鎖されているとうまくいかないとみる
親一人子一人などは良くない、そこに別な人でも他人でもかかわり育てることがいいとなる、一人の親ばかり影響を受けることは良くない、それは実母でもそうなのである、意外と性格が似ているから合わないということさえある
私はもともと神経質だから大らかな女性の方があっていたのである、細かいことささいなこと地こだわり注意されるのが嫌なのである、それは結局社会に適応できない人間になっていたということにもなる
でも自分にとってはそれが良かったのである、社会に適応できなくても自分らしい生をおくれたとなるからた

posted by 老鶯 at 14:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育心理学など