2022年05月17日

老人は金あっても消費できない (でも金を他にまわせばいくらでもできる―老人の心境とは)


老人は金あっても消費できない

(でも金を他にまわせばいくらでもできる―老人の心境とは)

老人になると70以上になると消費するのが病気とかのために薬とか医療費になる
老人になると貧困化してそれすら苦しくなる人が多くなる
栄養をとれと医者に言われてもできないと言う、その人は4,5分働いても後はなにもできない、常にどこが痛いと苦しいというからである、そんな人は誰も雇わないだろう
もう働けない状態である、老人になるとそういう人が多くなる
もちろん元気な人は元気である
最近自分自身もそうなのである、自転車で運動した後、腰とか筋肉が痛くなるようになった、私はそれなり体は動く、ただ結構自転車で遠出すると体に負担になるようになった

そうなるとどうなるのか?

消費するものがあっても買いたいものがあっても買えない、それは金がないからではない消費する力がなくなったということである
今持っているヤマハの電動自転車は楽だから30キロくらいは楽に行ける、だからこれは意外と老人向きだった、もともと電動自転車は老人向きにヨ−ロッパで作られた
足腰と体力がなくなった老人向きに作られた、ユニットドライブという心臓部分の性能がいいと楽に走れるのである、だからこれがあるので一応遠出はできている
ただやはり筋肉が痛くなったり疲れるようになった
それで遠出するツーリング用の電動自転車がヤマハから出たので買おうと思った
でもそもそもツーリングとなればキャンプ道具も必要になる

それは相当に体にこたかえるしめんどうになった、それだけの気力もなくなったとなる
つまり何か老人がしたいと思っても金があってもできなくなるのである
それも30万くらいだがもしまだ体力があり若かったらできたからすぐに買っていたのである、それは今持っているユニットドライブと同じものだからである
その性能は経験済みでいいことはわかっているからだ
でもこれがツーリングとかなったらもうできないとなる
こうして70以上になるとできていたことができなくる、ただ車などは80くらいまで乗れるだろう、体力がいらないからだ、バイクとかなるとこれも厳しくなる

またスマホとかも買ったがこれも使いこなすのがむずかしくなる、ただ私はパソコン歴が長いからできる、でも使いこなすとなるとなかなかできなくなる、スマホは応用範囲が広いと思った、前だったらいろいろ応用できていたのである
何か最近の電気製品は使いこなすのがめんどうになっている、テレビですらいろいろな機能がついていてわからなくなる、パソコン化しているからだ
こうして技術的に老人はついていけなくなる、そして老人が買いたいもの、老人に適した商品が開発されて売っていないというのもわかる
すると老人が持っている金が回らないともなる

では老人が金が使えないのか持っていても使いないのかとなると違う
金はいくらでも使えるのである、なぜなら老人でも日々の食すら事欠いている貧困社会になっているからだ、そういう人が来た毎日嘆いている、だから援助しているとなる
そんな老人は今はいくらでもいる、食べることすら事欠いている人がいくらでもいるのだその格差も大きいのである、だから別にいくら金持っていてもそうした窮乏老人に金を回せばいいとなる、他にもいくらでも使い方はある
ただ何か使うおとしても使いこなせないということが障害となっているのである
温泉回りしている老人は多い、だから何か老人に向いた消費の仕方はある
でも一般に貧困化しているから第一日々の食べることと後は電気、水道ガスを月ごとに払えない人もいる、そしてこれらが上がっているからまた物価でも上がるとこうした貧困化した人達や年金生活者にはひびいている
だから貯金のある老人はない人に金を回せというのもわかる、金の使い道がないということなばありえないのである

意外と有効に消費することは生産することにも通じている、そもそもパソコンでもスマホで使いこなすことが難儀だからである、老人になればあらゆることが使いこなすことが難儀になるのである、認知症になったらテレビをつけるリモコンのボタンすら押せなくなっていた、機械はもう操作できなくなっていた、今や機械時代になると機械の操作に追われる、パソコンとかスマホでも操作に追われているのである
本だったらそういうことは全くないのである、それで老人は操作できない使いこなせなくなっている、こういうことは今の時代では特にそうなっている
すると老人は金があっても消費ができないので買わないとなるのである
すると経済は回らないとなる、せいぜい医療費に使うということで他のことに使わないからいろいろなもの開発して生産して売るということもなくなる
何しろ新しいものは若者は飛びつく、そして技術開発がある
パソコンでも最初パソコンマニア同士で通信もしていたのである
それが技術開発に役立ったいたのである、だからその時代はマニアしか活用できなものだった、不具合があると必ず一からセットしなおすほかなかったのである
まだおもちゃのような段階だったのである

要するに老人はどうしても消費意欲が衰退する、なぜなら木を植えようとしてもそれが成長するに十年とかかかるとなるともうしたくないとなる
すぐ結果があるもの成長した木を植えた方がいいとなる、老人は気長に待てないのであるそのうち死んでいるとかなる、それで原発事故で取り残されたのは老人が多いから復興しにくいものとなったのである、若い人は流出したからである
投資にしても長い目で見れば意外ともうかるものである
それでリーマンショックで半分になったのが10年くらいでもとにもどり今になると
倍にもなっていたのである、だから長い目で投資すれば意外ともうかるものなのである
でも老人は先がないし投資はめんどうだからしない人が多い、それで貯金だけ増えているとなる、その貯金すらない人が多い、平均は持っている人に左右されて高くなる
5人が50,50,50,50、100とするとき300÷5=60になる
でも実際は50持っている人が大多数だとなる、さらに30、30,30、50、50、50、50となると30から50の範囲が収入とみるべきだとなる
だから100持っている人が50持っている人に10をまわしてたせば60になる
そこで平均化する、そういうことが必要だともなる

いづれにしろ長い目で老人が見れないということを知るべきである
なぜなら毎日本当に明日死ぬのではないかとリアルに思っているのが老人なのである
ただそうなるとこの世からおさらばするとなるから気が楽なのである

なぜ若い人に自殺が多いのか?

それがこれから長い人生を生きる重荷のためである、その重荷から解放されたいからそうなっている、老人はもう死ぬだけだとなるとそうした重荷を感じなくなるのである
どうせ死ぬんだ、この世の嫌な人とも合わなくていいとかこの世の様々な嫌なことももう経験しなくてもいいとか何かこの世の苦しみから解放されるようもなる
極端な話、どうせ死ぬんだからこの世のことをいろいろ考えても無駄だとなる
それで最後に世間のことなど気にしないで大きなことをしてやろうという心境にもなるかもしれない、どうせ死ぬんだからとなるとそういう気持ちになる
もういちいち世間のことああだこうだと考えなくもなる、気にしなくもなる
それでプーチンがあんな思い切ったことをしたのかともみる
死期が迫って最後に大博打を打ったのかもしれない、 どうせまもなくこの世とおさらばする死ぬんだから世間のことなど気にしない、大きなことをしてやろうという気持ちにもなる、余りにも世間のことに縛られ過ぎて小心になっていたことでその反動がでてくる

核もろとも人類が滅亡しても俺の知ったことではない、どうせ死ぬんだから

核を使って核と心中して最後は果ててもいいと考えたら怖いことだとなる、でも老人はそうしてどうせまもなく死ぬんだからそれでもいいやとさえることも怖いとなる
そしてささいなことで汲汲として悩んでいたのが馬鹿らしくもなるのである

ただ若い人には老人の心境がわかりにくいのである、老人は意外とこうして精神的には気楽になる面があるのだ、もちろんいろいろ苦しい面はある、貧困で苦しんでいる人もいるでも何か老人はそうした世間のしがらみからもう死ぬんだから解放されるということで
精神的に楽になっているようにも見える、それはまた欲がなくなるとそうもなる
人間は様々な欲があるとこの世に執着するからだ、それで死にたくないとなる
そういう様々な欲から解放されないのである、好きな女性と一緒になれないなら死んだ方がいいとかまた一緒になれない殺すとかまで執着する、するとその欲のために苦しむのである

とにかく高齢化社会のマイナスも大きい、どうしてもこうして老人は消費すらできず保守的になる、新しいことに挑戦もしにくいから新しいものが生まれないことにもなる
団塊の世代が高度成長時代を築いたのはそれだけ若いからエネルギーがあったからだともなる、社会全体が若いからそのエネルギーが強烈なものとなってそうなったのかもしれない、それも幸運だったのかもしれないがやはり若いということと老人の差は大きいのである、ただ若いということがすべていいことにはつながらないのも確かである
年取ると何か今までわからなかったことがわかるようになる
本読んでびっしりと赤線をつけていたがそれも理解できていなかった
今になると深く理解できる、自分なりに理解できるのが不思議なのである
それで批評家に向いてくるのである、なぜなら何でも芸術でも深く鑑賞できるからであるこれは若いとできないのである、ごくわずかの天才はできたとしても普通の人はできないが老人になると洞察力でも鑑賞力でもついてくる、何でも深く理解できるということである、だから意外と老人の時間は充実している、黄金の時間になるのである
それもまもなく死ぬということでそうなっている、末期の眼で見るからそなっているのである