2022年05月18日

原町の市街から郊外へーそして旧街道を小高へ (夏の日にサイクリングで回る―俳句十句)


原町の市街から郊外へーそして旧街道を小高へ

(夏の日にサイクリングで回る―俳句十句)

fujiisss1.jpg

ayameoldroad2.jpg

旧街道には菖蒲が似合うー雲雀が原の脇の道

hibarigahara3.jpg

hibarigaharajin4.jpg

雲雀が原神社とは特攻隊を記念した神社らしい

harashirofuj5.jpg
抱月荘の道ー下に川が流れている


pondayame10.jpg

pondayame9.jpg
片倉村ー矢川原の沼

小高への旧街道

shadowroad33.jpg

shadowroad12.jpg

ishikurakareki7.jpg

kuratwo8.jpg

石の倉は新しい、隣の木の倉は古い
ここは地震で壊れていないが相馬市と鹿島区では石の倉は一部だが
ほとんど壊れた




この道や日影の長く藤の花

原町の旧道行くや菖蒲かな

原町の郊外広し夏の菊

原町の郊外広く夏つばめ

白藤や清流の奥にひびくかな


黄菖蒲に紅睡蓮や真昼かな

一村や沼に映せし夏の山

何蔵す枯木を映す石の倉

旧街道影なす道の涼しかな

二本の樹影涼しく旧街道

街道や旅は道連れ蛙鳴く

街道を行くも遠きも夏の山


旅人の木影に休みまた行くやその一本の樹の標なり


今日はそれほど暑くないと思い出かけた、22度くらいだから暑くなかった
陽射しもそれほどでないから行けた、やはり25度6度となると今は厳しい
どうしても熱中症を恐れているからだ
でも今日は爽快という感じで走った

原町の旧街道から宿場があった街道を行き抱月館がある所をぬけて片倉、矢川原を通り
小高に行ってまた旧街道を帰ってきた
原町の郊外は広い、原町は原っぱだったというとき名前があっている
雲雀が原がありそこは原っぱだったのである
鉄道ができて駅前通りになった、もともと雲雀が原で相馬藩は馬を飼いならすことをしていた、だから野馬追のする雲雀が原は今より何倍も広かったのである
文字通り原っぱだったのである、それで原町村がありそこから一騎野馬追にでていた
たいだい三騎くらい一村からでているがここは一騎ということは小さい村だったなる
つまり原っぱが広がる所だったのである

ただ宿場町としては大きいようだった、なぜなら絵図に残っていて宿場がつづいている
だから宿場町として原町は発展したともなる
宿場というとき原町とあとは双葉浪江とかにあった、相馬藩の城のあった相馬市から
原町までだと20キロ以上になる、原町から浪江とかなるとまだ遠い
ともかくここが一応江戸時代は街道だったのである、相馬藩と伊達藩が江戸へ向かった道である、それで面白いのは伊達藩の人達が通る時はその殿様に許可を得て通らせてもらっていたのである、そこは他でも同じなのである
藩が違うと別な国になっていたからである、そこで通行証が必要になり関所で見せて通らせてもらう、藩の外は別な国になっていたからである
今のパスポートと同じだったのである

何か旅がなくなったと何度も言っているが旅するとは車でぶっ飛ばして通り過ぎることではない、本当は歩いたら本当に旅とはどういうものか実感できる
なぜなら六号線だと写真にとったように木の影が道をおおうようなことがない
六号線では自然が映えないのである、だから六号線を旅しているがそれでは本当の旅は実感できないのである、でも今は便利だから結構歩いて旅していた人がいたのである
でも本来旧街道を歩くとき、そこで本当に旅がどういうものか実感する

そもそも江戸時代の道はもっと細かった、「奥の細道」というように本当に人が二三人くらいしか歩く幅がない道だったのである、だから今の旧街道より車が通る道よりさらに狭い道だったのである
旅とはそもそも道をたどるのが旅である、道は未知なのである、この先行けば何があるのだろうとなる未知の旅なのである、それは徐々に歩いて行くと新しい風景が開ける
そういう期待もある、道のものに出合うのが旅なのである
車では通りすぎるてしまい旅は実感できない、ただ早く目的に着くということだけであるそして宿でうまいものを食べたいとなる、旅自体をなくなったのである

だから道路が広くなり車の道となったとき旅は喪失したのである
六号線だとどうしても木の影が道をおおうようにはならない、広いし車がひっきりなしに流れてくるからである、でも実際は国道が便利だから歩く旅の人も六号線を歩いていたのである

原町の特徴は郊外が広い、街が広がっているにしろ郊外も広いのである
これは相馬市では感じられない、すぐ山になって狭いと感じる
ただ海の方に行くと広いとは感じる、でも原町と比べると地相が違ってるのだ
この地相が違うと感覚的にかなり違ったものに感じる
確かに海に面した浜通りは地相は似ている、でも城下町の相馬市と原町は相当に違った雰囲気なのである、これはただ外から来た人にはわかりにくい、それは全国を旅しても同じである、みんな同じように見えてしまう感じてしまうのである
だから長年住んでいる場所になじんでいないとその相違は感じられないのである
原町は市街も広いし郊外も広いのである



小高では帰っているかと聞いたら帰っていないという、市の職員がIT関係の人が外部から来て住んでいるとか言っていた
テレワークするので移り住んだのかもしれない、ただ詳しいことはわからない
やはり空家が多い、小高で違うのは車の数は少ないのである、街中を車が通らないのである
だから騒音と車が嫌いな人は住むのにはいいかもしれない
でも小高は不便だから住みたくないから原町に移った人が多いのである
私も車が嫌いだからそういう場所だと落ち着くということはある、でもやはり小高とかなるといろいろ不便になる
でもそこに住めるのは車を持っているからである、別に原町に車で買い物でも行けばいいからである
ただ小高の立派な家を置いて原町に移った大工さんを知っている
どうしても原町が便利だから移るのである、だから復興は進まないとなる

カメラを忘れたがスマホで撮った、だから鮮明ではない、スマホは今や必ずもって歩く、これは欠かせなくなっている







ボランティアの交通整理員 (警察から表彰されたーボランティアは組織に入らないとできない)


ボランティアの交通整理員

(警察から表彰されたーボランティアは組織に入らないとできない)

vorantia11.jpg

小学校の通り道で女性の交通整理している女性がいる、この人は警察にも表彰されたと言っていた、この人の場合、一人でボランティアをしている
一人でできないと思ったがここではできている
ただもし男性だと子供にかかわるということで怪しまれることになったかもしれない
性犯罪とか全国でもあると情報化社会で異常に反応するからである
みんな性犯罪者に見られる、ただそういう人も現実にはいた、役員もしていたのである
ただみんなが性犯罪者ではないのである
でもマクルハーンが言っていたように情報化社会は世界が村となるというとき世界で起こったことでも隣村で起こったように見るのである
特にグロ−バル化した社会ではそうなった、現実にウクライナで戦争になったらあんなに遠い所でも日本でも具体的に避難民が来たりして関係したからである

女性はボランティアに向いているかもしれない、子供にかかわるのでも怪しまれないからである、私の場合は警察に公衆の面前で職務質問されて犯罪人扱いされた
駅長からにらまれて排除されたしまた周りからあいつは怪しいとして警察に通報された
そしてお前はここで何しているのだと若い女性の乗客に「お前はやる必要がない」と言われただけだった、でも少数の人は認めたことは認めた
私は別にボランティアしようとしたのではない、たまたま無人駅になり案内しただけである、またこの辺が原発事故になり外から来る人がふえたので話を聞ける場所として無人駅を利用していたのである、ただ聞かれたからたまたまそうなったのである

ともかくボランティアは意外とむずかしい、特に一人ですることはむずかしい
今回の地震でもDRTとか他にもボランティア団体が来た、国際学生ボランティアとかも来た、それは組織化されているから仕事のプロの人もいてできている
資金もあってできている、第一無料でぱ働いていない、できない、危険な作業もあり給料でももらえないとできない、それはボランティアなのか国の組織としてしているのかともなる、自衛隊のうよなものなのかとも見る
ただメンバーは全国だから沖縄の人も来ていたから何かあったとき集められる組織だとなる

ともかくボランティアは簡単にはできない、駅だったらぱJRで管理しているから許可が必要だしまた勝手にしていると回りから怪しまれる、NPOでも20人くらい集まらないとできないとしている、政府の許可が必要なのだろうだから個人でぱできない
実際にいかがわしいボランティアいて逮捕されたことがあったからだ
この辺でもNPOを管理する組織の事務所が原町にある、そういう場所を通さないと簡単にはボランティアできない
ただ高齢化社会は暇な人が多くなる、生きがいを求める人もいる
でも簡単にボランティアできない、だから老人はデートボールとかしている人が多いのである、そういうめんどうなことにかかわらないのである
それがいいのかもしれないと思った、意外と退職した人がボランティアをしようとして簡単にはできない、実際に地元の地区のボランティアした人が裁判沙汰になったことでもわかる、仕事はやはり組織でしているから一人とかでやるのは無理なのである
普通は邪魔になってしまうのである、なんかわからない奴が入ってくると邪魔だとなる

ただこの交通整理の女性は何の問題もないのである、警察に表彰されるまでなっているからだ、仕事としては朝の一時間くらいだろう、後はしていない
だからそれほどきつくないからしているとなる,ボランティアはきつい仕事はできない
危険な仕事もできない、責任もとれないからだ、でもDRTとはプロ集団だからとてもボランティアに見えなかったのである、自衛隊のように見えたのである
結局退職して生きがいを求めてボランティアしようにも簡単にはできない
まずは組織に入り認められることである、個人的にはできないと思う
この交通整理の女性は例外的なものだと見る

いづれにしろボランティアなど気軽にできると思ってする人したい人がいるかもしれないが簡単にできない
また周りが受け入れるとも限らない、ボランティアというのは意外といろいろな問題をかかえている
何か善意があったとしても様々な問題が生まれて来る、だからしない方がいいともなる
何かもめごとに巻き込まれることがあるからだ、ただ高齢化社会では老人の生きがいというのが問題になる
退職してもその後が長いからである、すると暇を持て余す人が増えてくるのである
トラック運転手だった人が怪我をして自転車に乗るようになった、それで良く私は逢う、今までそういう人と逢っていないのである、その人はまた温泉巡りもしている、明らかに暇だからそうなったのである
温泉巡りをしている人は多いとみる、秘湯とかを車で探して回るとかなる、ただそれが社会に有用なこととして認められるとは限らない、ただ遊んでいるのではないかとも見られる、でも現代は消費社会でもある、地元でも金を使えば良く見られる
何でも買えば喜ばれる、だからボランティアより消費者になった方がいいとなる
ボランティアは意外とめんどうなものなのである
posted by 老鶯 at 09:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題