2022年06月01日

プログは時系列で記録することだけで意味がある (インタ−ネットで権力をもった庶民)


プログは時系列で記録することだけで意味がある

(インタ−ネットで権力をもった庶民)

●私の十年前のプログの記録も忘れていた

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退院して山帽子赤く実れるや我が家にそ心安らぐ

10年前震災前に入院した自分の記事を読んだ、それが忘れていた、こんなことあったのか書いていたのかも忘れていた、それでその時の写真を見てこんなことがあったのだなとふりかえる、病院から家に退院したとき山帽子の実が赤くなっていたのだ
病院から自分の家に帰ってきてその実を見たときいかにもここには実りがあったとみる
病院は無機質な空間である、別に南相馬市立病院は悪い場所ではない、看護師は親切だった、ただ相馬総合病院に入院したときいじめられたとかありいい印象をもてなかった

ともかく病院はいい場所ではない、それでいい看護師でも家族の代わりにはなれないと
本まで出して言っていた、また知っている人が半年なのか長く入院してかえって栄養不足で悪化した、糖尿病であっても病院の食事はまずいとして悪化したのである
そして家に帰ったら回復したと聞いた、こういうことはみんな経験しているだろう
別に看護師とかでも医者でも悪いとはならないがどうしても家族が見うにはならないからである、つまり医療とは情とか愛とかを必ず必要としているがそれが病院ではできない
別に冷たいのではないがそこに限界がある

この山帽子を見ていたのを忘れていた、あの時病院から帰ってこの赤い実を見ていたのだとふりかえる、それがなんともいいのであく、つまり家にこそ実りがあった
その赤い実は本当に命であった、病院にはそういう実りはない、索漠とした空間なのである
この山帽子の実には何か温かみがある、家に実っていたのだなとつくづく思った
でもこの山帽子は嵐があって半分そがれたのである、それはかなりひどい台風なのか嵐でそうなった、だからもう花も実もならないとかとも見た
でも今では十年過ぎて回復している、こうして10年も過ぎれはまた必ず変化がある

とにかく自分の場合震災から十年の変化は激しすぎたのである
その前に姉が認知症になって介護に追われていた、でも十年もすぎると忘れていたとなる
プログはこうしてただ記録することに意味がある、例え読まれなくても意味がある
日記として残されることに意味がある、人間は時系列で見る時間軸で見ることが苦手なのである、何か事件があるとして空間的にはどこで起きたかすぐにわかる、
だからtake placeになる、どこで事件が起きたというとき場所としてまず認識するのである、ところが時系列で認識することは本当に難しいのである
ウクライナのことでも時系列で認識することがむずかしいから理解しにくいのである
テレビでプーチンはスターリンを模範にしているとかロシア国民はスターリンを再評価しているというときもそうである、それは若い人がスターリンがどれだけ酷いことをしたか教えないからそうなっているという、情報は一方的にロシアではなっているから一方的な見方しかできないからだという
つまりこうして時間が過ぎると過去は歴史となりそれもその歴史を教えないと誤解が生まれる、一千万人も粛清されたとかあり

●ウクライナで起きた時系列の歴史がわからないから理解できなかった

ソ連では1939年末までに約900万人が投獄されたと主張する。

この第2次チェチェン戦争での民間人の死者数は、統計した団体ごとにさまざまな推定値がある。4万〜5万人という推定が多いが、もっとも少ない推定値は中立的立場の国際人権団体「アムネスティ・インターナショナル」の調査で、民間人の死者が約2万5000人、さらにおそらく死亡したであろう行方不明者が5000人いるとされている。つまり、少なくとも3万人以上の民間人が殺害されたとみていいだろう。

今回のウクライナ侵攻よりずっと以前から、プーチンは数々の殺戮に手を染めている。ざっと計算すると、すでに8万人前後の殺戮に直接の責任がある。事実上プーチンの配下になっているシリアのアサド大統領による殺戮の責任も加えれば、プーチンはなんと30万人近い人々を殺してきた21世紀最悪の大虐殺者といえる。

時系列でみればこういう事実があった、でもそういうことを深くふりかえり考察できないそれはロシアの若い人たちでもそうなのだから外部になるとさらにそれを深く見ないのである、かえって内部の人達は閉鎖された環境で一方的な情報しか与えられず方に何があったかわからないからスターリンを賞讃するようになっている
これも怖いことである、日本でもそういうことが起りえると警告している
もう70年以上すぎるといくら日本が三百万人が戦争で死んだとしてもリアルな感覚がもてくなくなる、ただ私は姉が従軍看護婦だったからその話を最後に認知症になり千回を聞かされたからそこで戦争が何であったか知る、でも今や若い世代になると全く直接戦争の話でも聞けない、だから戦争を理解することはむずかしくなる
こうして過去が忘れることが人間にとって危険になる、戦争とかスターリンの粛清も隠されて忘れられるとしたらまたロシアは同じことを繰り返す、そして大量の死者がでて犠牲になる、それで若い人は今のプーチンでも生ぬるいとしているのが多いというのがそのためである、日本でも戦争のことを忘れて右翼的な人達がこうなるかもしれない
それは戦争の悲惨さをわからなくなるからである

●記録されない重大なのこと-津波の記録

人間とは時系列でみることが苦手なのである、次々に事件でも起こり過去にあったことは忘れてゆく、そして過ちを繰り返す、だから重要な歴史でも忘れられるのである

それで相馬藩では400年前に慶長津波があり生波で700人溺死と相馬藩政記に記録されていたが誰も知らなかったのである、その記録も膨大だからである、学者すら知らなかったのである、もしこの記録をみんな知っていたら逃げて助かった人が相当数いたかもしれないこの辺では400年も津波が来ないのだからここは津波が来ないという確信になっていた
でも戦国時代だったから相馬藩の戦争のことは事細かに記録していたのである
そして生波(いくなみ)後で津波となった、これは二行だけしか記録されなかったのである

なぜ記録されなかったのか?

それは文字を書ける人も少なかった、文字を書けるのは役人でありその時の関心事は戦争のことだったからである、その時の権力者の一番の関心事は戦争のことだったからである別に民衆が700人津波で死んでもたいしたことではなかったのである
でもその時生きていた民衆が記録することができていたら貴重なものとなりそのことで津波から逃げて助かった人がいたともなる

ともかく記録することは意外と大事である、その手段をインタ−ネットで民衆が得たとなることは実は大きな進歩である、なぜなら記録することは簡単にできないかったからである、文字が生れ記録することはエジプトの神聖文字のようにそのことから三千年前のことまでわかる、石に記録されたから消えないのである、紙に記録したものはやはり消える
でも石に記録したものは消えなかったからである

インタ−ネットとかは庶民でもこうして膨大に日記でも簡単に記録できる
するとその当時の庶民のことが記録されているから歴史の資料ともなる
電子化するとことの強みはこのうよにいくらでも書けることである、一人一人の全集のようなものが残せる、全集とかなると特別の人しか残せなかった、それで印刷技術ができたとき聖書が誰でも読めるようになりルターがドイツ語で聖書を本として出版してカトリックに対抗してプロテスタントが生まれたのである
このプロテスタントとはカトリックに対してプロテストすることであり抗議することである、それは印刷の技術が生まれてできたことなのである
これで大きく社会が変わったのである

だからインタ−ネットにもそういう力がある、その力を民衆でも得たとなる
今まではマスコミから選ばれた人しか発言できなかった、また記録としても残したとしてもそれがこんなふうに膨大に書いて残せなかった、出版できるのは極一部である
民衆の大多数は日記に記録したとしても本として出せることはない、ということはやはり何かしら権力をもっていないとできない、その権力だとカルト宗教団体とか様々な組織団体が背景にあって出されるとなる、だからインタ−ネットによりこうして膨大な記録ができて発言できて少数でも読む人がいるということは大きな変化だったのである
そして電子空間だと紙に書くわけでないから無制限に書ける、本でも新聞でも紙の媒体だと書けない、それは費用がかかるからだ
それは江戸時代とかなる紙自体が紙漉きとかで作り高価なものだったからである

●記録することも簡単にてきなかった

ヨ−ロッパだと修道院に

「写本」というのは、本の内容はもちろん、豪華な装丁の高級感が、政治的権力を表していました。今、本と政治というのはあまり権力とは関係がないですが、当時はこういう貴重なものを持っているということが権勢の象徴になっていたと言えます。また、戦利品としても写本が非常に重宝されていました

羊皮紙をつくる職人、絵を描く職人、イニシャルを描く職人、テキストを筆写する職人、写本を本に綴じる職人、装丁を作る職人らの分業から成り立っているものです。

これだけの手間がかかっていた、それは紙漉きと同じである、だから高価なものだから
特別であり誰も記録を残せるものでもなかった、羊の皮ともなれば貴重だからである

でも電子空間だとそういうことはない、いくら書いてもかまわない、紙が増える訳でもないからである、費用はかからないのである、だから庶民でも誰でも記録して残すことができる
ただ電子空間だと一瞬にして消える恐怖である、それで都築詠一氏のプログは自ら消して死んだのである、なぜ記録を残さなかったのかわからないのである
電子空間は記録するにしても一瞬で消えることがありそういう経験を数回自分もしているすると一瞬で苦労して書いたものでもゼロになる恐怖なのである

とにかく私はプログで書き続けて来た、そこでコメントとか対話もせずにただ一方的に
書いてきた、でも読む人はいる、津波震災の時は毎日二千ページビューとかあった
それはあれだけの震災の犠牲がありその現場にいて生々しく伝えたからそうなった
つまりインタ−ネットでアクセスが増えるとしたらマスコミに報道されるだけではない、その現場にいた人からの報道することが可能になった、写真でも動画でも出せる
今ならスマホで動画を即座に出せる、それでウクライナ戦争のリアルな映像が世界中に流れた、それが生々しいものとなったのである
報道はマスコミがするものでありそれ以外はできなかったからマスコミがとれだけ力をもったかしれない、第三の権力になったこともわかる

●インタ−ネットで庶民が新聞社にもテレビ局にも出版社もなれる

全国区の選挙があったときも芸能人が名前が売れてるから一位当選とかあったのである
そきお中味などどうでも良かったのである、なぜなら庶民は名前を知っている人に投票するからである、その人がどんな人なのかなとわからないからである
それで東京都知事の青島だよとかテレビに常に出ていた人が知事になったのである
その人は選挙運動もしないでいつも当選していたのである、それはテレビの宣伝力のためだったのである、それだけ中味など関係なくテレビに出ただけで有名人になっていたからそうなったのである
そこでNHKが大衆を洗脳する機関となりNHKの言うことがすべて正しいとまでなったのである、もうNHKには逆らえないとなったのである
そのNHKを批判することだけで選挙に出る人がでてきたというのも時代である
それだけNHKが報道でも世論でも作り出す独占するものだからそうなっていた

私はインタ−ネットでもすでに二十年している、それはホームページから始まった
でもそれも5年間くらいで終わりプログに移った、介護とかで忙しくなりプログが中心になった、プログでも書き続けるとなると手間だけは省けない、そこに時間がかかる
でもこれだけ一私人が膨大なものを書けるそれも資金はかからない、紙代もかからない
出版するとなると紙代から本作りから店に置くだけで百万以上かかるだろう
それより勝手に出版などできない、本屋でも置けないし売ってくれない、無名の人など相手にしないからである
だからプログでもこれは庶民が大きな権力を得たものだと自覚した
出版社にもyoutubeだとテレビ局にもなるからそうなる、youtubeだとテレビ局にもなり
芸能人でもyoutubeに出ているしyoutubeで有名になり広告で一億円稼いだとか出て来た
今やマスコミとかテレビでも見ない人が増えたのである
マスコミはテレビは凋落するメデアである、それより多様なコンテンツが見れるインタ−ネットに視聴者は移っている

●パソコンン通信から発展したインタ−ネット

私はたまたま通信機のついた富士通のワープロでオワシスキーボードで文章がスムーズに書けるのではまった、悪筆でありこれにのめりこんだのである

代表的なパソコン通信サービスには、NIFTY-ServeやPC-VAN、アスキーネット等がある。1987年に提供が開始されたNIFTY-Serveでは「フォーラム(電子会議室)」というサービスを提供していた。フォーラムでは特定分野のテーマに沿ったコミュニティが用意されており活発な議論が交わされていた

これ以上の小規模なものがあり個々人を一つのパソコンに結び通信して対話もしていた
そこでレスが必要だったのは相手に書いた文が届いたいるどうか確かめるためだったのである、それは通信の初歩だからそうなった、その後にインタ−ネット通信がグロ−バル化したのである、今やこれが世界をつなぎインタ−ネットなしでありえない世界になったことは驚きである、この変化がやはり21世紀では一番大きなものであったともなる
通信が飛躍的に発展したのである
だから個人でも出版社にもなり新聞社にもなりテレビ局までなったである
それを一人でしているのは驚異的だとなる、写本の時代とか今でも新聞とかあるがこの手間を見たらそうである、新聞を新聞社で刷るだけで大変な手間である、費用もかかる
それをまた一軒一軒配るだけでも手間で費用がかかる、だからとても新聞社は維持できないともなる

こうして新聞社が金をかかるから東電とかの宣伝媒体として使われた、なぜなら電事連とかから800億円の資金が出ていたからである、また政経東北でもなぜ相双リテックとか除染で大儲けした幹部が何十億と分配された会社を裏表紙一面で宣伝していたのかとなる
また福島民報では創価の聖教新聞を刷っている、それで金が入り会社を維持できている
他でも聖教新聞を毎日新聞とかでも刷っている、そうして大きな権力のプロパガンダにもされるのである、それは新聞を出すことに金がかかりすぎるからである
新聞のようなものでも一個人がインタ−ネットで出せるしテレビ局になれることは大きな変化である、ただ取材とかなるとどうしてもプロが必要になる、そういう人件費は省けない、個々人だと取材が簡単にはてきないからである
第一ブロガーだとか言っても相手にされず取材もできないとなる

●プログは記録しているだけで後で役に立つ

とにかくプログは個々人でもその時々のことを記録していると後で役にたつ、こんなことがありこんな感想を書いていたとふりかえれる、だから十年前にこういうことがあったのか思い出してまた感想を書いたのである
ただパソコン通信とかの時代と違って対話はせずに一方的に書いている
家事でも全部しているし忙しくなったからである、いちいち対話することがめんどうになったのである
でもインタ−ネットでは必ず文章を書くにしても参照るのがインタ−ネット上にあるから引用できるのがいいのである、これを図書館に行っていたりしたらできない
コピーするにも許可必要だったりキーワードで探せない、だから今は市の図書館に十年くらい行っていない、その時間かなくなったからだ
もう図書館が必要ないかもしれない、ただ中味のあるものは本にある、でもその本も膨大でありアマゾンで古本でも安く買える、そして自分用の図書館すらできる

私の家は大きいからできる、それで司馬遼太郎などは自前の図書館をもっていたことでもわかる、文章を書くとき必ず参考にするものが必要でありそれが本になっていたからである
私は膨大な本を買った、それをびっしり線を引いていても忘れていた、覚えていなかったでも読み直してみて今はその一部を引用して自分なりの文を書いているのである
やはり本は専門家が書いているのだから中味があるからだ、だから本自体はなくならないその中味がコンテンツが良ければそれは必要だからである、でも別に電子本でもいいわけである、ただ本の方が頭に記録されやすいことはあるようだ
それにしても本も膨大になるとただ積読(つんどく)になったいのである
本は買っても読んだとしても忘れていたのである

このように人間ほど忘れるものはないと思った、認知症になりすべてを忘れるとういうこは病気だからそうなるにしても本当に人間は老人になると忘れるのである
50年前にあったことが何なのか50年前に逢った人は本当に逢っていたのかともなる
本当に存在してたのかとまでなる
それだけ記憶もあいまいになってしまうのである
だから忘れないように日記でも書いていることは後で参考にはなる、ても紙に書くとなるとめんどうになる、こうして電子空間だといくらでも気軽に書ける、記録を残せることが庶民でも権力でも金がなくでもできるから大きな変化であり権力をもったとなるのである

空家一千万軒になるーそこに刻まれた歴史 (一軒一軒が語る郷土の歴史)


空家一千万軒になるーそこに刻まれた歴史

(一軒一軒が語る郷土の歴史)

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空家なる大石二つ冬の暮

この家の庭は最近掃除した、でも屋根瓦は直していない
庭は家族が来て掃除したが屋根瓦は直すとなると金もかかる
そして直す職人でもまだたりない、それで放置されているのだろう
ただこうしてまだ持ち主がいて見ている人はいい
全く放置された空家は問題である

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これは空家ではない、兜屋根であり養蚕していた家である
こういう家が田舎にはまだ多い
この屋根は明確に養蚕した家の造りである
何かこういうのは歴史的遺産ともなる家だとなる
ただここはまだ人が住んでいる、飯館村だと住んでいないこうした家が多い




空家となる庭の石

隣なる家は空家となりぬ
庭に大きなる石あり
礎となる石なれや
冬の日さして静か
洗濯物干す女あり
静粛な妻にあれ
街の一隅に十数年住む
今はなしもなお近くに住む
貸家なれども二十数年ここに住む
子供らここに育ち離れる
我が一人今庭に入り偲ぶ
塀にボケの花咲き
その花を手折り我が部屋にさしぬ
一つの家にそれぞれの歴史あり
隠されし処、空家の庭
堅く大きな石の組まれて庭あり
石のテーブルありて家族の憩う
そこに一人一人の顔も浮かばむ
ここにも人の営みありて歳月を刻む
また一つ空家の庭に大きな岩二つ
どっしりとありて動かず
ここに暮らせし人は誰やいづこに
冬の日に我が訪ねて偲ぶもあわれ

日本の空家が2000万軒に (空家の隠された庭の価値ー詩)
http://musubu.sblo.jp/article/189114900.html

今空家が大きな問題となっている、一千万軒が空家なるとか空家だらけになる
原発避難区域は空家だらけである、もう町が空家の町となっている
それで5000万近く誤って金を支給した若い人は空家バンクで移住した人だったのである
無職だとなっていた、何か空家利用でも良く利用されるとは限らない
こういう人も入ってくる、町では何とか空家を利用して町に住んでくれとなったそうなったのだろう、それもわかる、ともかくそれだけ空家が多いのである
これからますます空家が増えてくるのである
それで古民家を修復して活かそうとする人も出て来る

かんながらの道
https://www.caguya.com/kannagara/

ここではそうである、古い物を活かそうとしている、それは思想的にも共感する
この空家問題は実際は大きな現代の日本のテーマなのである
それは少子高齢化でもそうなった、後継ぎがいずその家を継ぐものもいなくなりそうなる墓仕舞いが言われるのも跡継がいなくなり墓を守る人がいなくなるからそうなる

どうしても原発避難区域になった浪江とか小高とか飯館村などは空家だらけでありそれが元のように回復するとは見えないのである、第一若い人が流出したからである
老人ばかり取り残されてそれで復興することはできない
だから空家問題は深刻なのである

例えば詩にしたように一つの家でもそれは地域の歴史を刻んでいる、郷土史にもなる
ただ江戸時代から続いているような家はそれ自体が地域の歴史となる
この辺だと野馬追いにでる家は江戸時代からつづいた家だからである
それは家が継続しているからそうなる
でも隣の家にしても二十数年貸家でもそこに住んでいたのである
ただ別にその家とは関係しない、話したこともわずかである
それでも子供がそこで育ちいつも見ていたのは庭である

大きな石がありそこで妻が洗濯物を干していた、その女性は控えめな女性で顔すらまともに見たこともないのである、だからほとんど交渉がなかった
でも確かにそこに二十数年住んでいたのである
ただ空家になっても近くに新しい家を建てたからである、もう遠くに行って放置している空家とは違っていた、今回の地震でも壊れたりしたが持ち主が修理した
でも放置されてある家もある、それはもうそこに住まない家だともみる
なぜなら東京に息子は住んで両親も死んだからである、するとこことはかかわりもなくなったからである、だからその家は金持ちでそれなりに立派なのだけど住む人がいないとなる、それで地震で壊れた所を直していないのである

ともかく空家化する日本、空洞化する日本ともなる、この辺だと津波で村自体が消失したそこは何も残っていない、空家は一応庭でも家でも残っているからこうして偲ぶことができるでも全部消えたら何も残らない、でもそこに一つの家でも刻んだ歳月がありそれを偲ぶということがある、それは家でも庭だけでも残っていると偲ぶとなる
それは城があったとかでも石垣があって偲ぶのと似ている、相馬藩の城があったとしても石垣しか残っていないから偲ぶとしてもむずかしいとなる
何か昔を偲ぶというとき何か残っていて偲ぶとなるからだ
その点ヨ−ロッパの歴史などは古いし2000年前でも石として残っているから歴史を偲ぶ
ローマの遺跡などがそうである、石は残るからである

ともかく津波であれ原発事故であれ避難して一つ一つの家の歴史でも失われたのがこの辺である、家があれば偲べるが取り壊された家もある
するともう他者から見れば何も偲べないとなる、何か空家でも家があるとここに家があって暮らしがあったのだと見る、でも家もなくなると偲ぶこともないのである
何か記念碑のように家が残っているともみる

家二愛着があるのはやはりそこで暮らした歳月がありただの箱とは違う、そこで暮らした家族の歳月がありそれで家に愛着が生まれるのである、だから老人は原発事故で避難しても故郷の家に帰りたいとなるのである、そこで暮らした歳月がそうさせるのである
やはり人間は歳月の重みというのがある、どこで長く暮らしたのか誰と長く暮らしたのかが重みとなる、なぜなら人間の生きる時間は短いからである
その中で親密になれる時間を持つ人は限られているのである

だから熟年離婚とかなると損だとなる、なぜならもう共に生きる時間が限られているからだ、そこで親密になる時間がもう限られているているからだ
つまり人間で意外と貴重なのは金があるにしても時間だとなっていたのである
誰と人生の時間を長く過ごすかということも大事になる
そしてその人も限られている、家族だったら四五人とかなるだろう、その他の人は親密になれない、それは人間は時間が限られているからである
だから何人もと親しくはなれない、その時間がないのである
そして人はたちまちこの世から消えるのである

いづれにしろ空家となると本当に淋しく感じる、そこでは庭の石でも人間化していたのである、人間の暮らしがあって石も一体化して活きていたことを感じる
それが自然のままだったらそうはならない、一旦人が住んだらそうなる
人の情が石にも樹にものりうつっていたともなる、だから物とは単なる物ではない
物が憑くとなり人間の心がのりうつったものにもなるのである
だから人が消えるとそこに残された物は余計に淋しいものとなるのである
posted by 老鶯 at 09:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層