2022年06月08日

長くなった人生の弊害 (老人の様々な問題が露骨になるー認知症の対処もある)


長くなった人生の弊害

(老人の様々な問題が露骨になるー認知症の対処もある)


人間がこれだけ長生きする時代はなかった、それとともに様々な問題も生れた
退職してからまた30年くらい生きるしたら長い、そうなると金銭的にもまかなうのが大変になる、不安にもなる、国民年金でも6万くらいしかもらえない、それでどうやって生活できるのかとなる,生活保護なればいいとういが今や最低の生活も保証されていないのである、平均7万だとかでどうして生活できるのか?
医療費無料だとなるが実際は二三割りとられている、それを払ってくださいとなり払えない人もいる、すると医者にもかかれないとなるのである

この経済的問題もあるが老後が長いことはまた様々な問題が生まれている
意外と深刻なのが生きがいの消失なのである
下位者を退職すると会社人間だった人は現代では居場所がなくなる
地域社会などなくなっているし無用人間と化する
何かボランティアをやれとかなるとこれもめんどうで簡単にはできない
地域社会が村のような場所だと生涯現役であり老人になれば長老とかなり尊ばれた
今はそういう共同体もないから会社から退職すると居場所がなくなる
それで膨大な老人が用もなくなり無用化されるのである

それで市営住宅の老女はきらきらした金属をぶら下げて何か一人わめいている
その近くにいる人はいつも見ているから眼が悪くなると言っても話しもしない
何か人を嫌がらせて存在感を得ているともなる
警察でも役所でも連絡しても何もできない、かえって周りの人を訴えて警察を呼んでいたのである
相当に質が悪いにしても何もできないのである

ただこの老女は金に困っているようには見えない、毎月ガス、水道、電気が払えなくて困窮している老人とは違うみたいだ、つまり必ずしも生活困窮していることが問題となっていない、つまり何か社会の役割りが家族での役割もなく何するつこともなく人を困らせているのが生きがいともなってしまう、そうしてしか存在を示せないとなっている
こういう変な老人が増えてくるのも高齢化社会である
長生きがこうしてただ回りに迷惑をかけるだけの存在になる
これは認知症でもそうである、自らの人間としての尊厳も失い回りに迷惑だけをかけるようになる、でも家族によってその対処方法は違う、ただ他人からすれば迷惑になるだけだとなる

また何もすることなくトラック運転手だった人が自転車にのり温泉回りのようなことをしているようだ、別にこの人は他人に迷惑をかけていないから責められることはない
そういう人か旅していて出合った、土地の人に温泉のことをしきりに聞いていたからである
でもやはり何か生きがいがそれで得られるているかどうかはわからない
何もすることなくてそうしているとなる、そういう老人が膨大なのである
ゲートボールはみんなしている、でもそれが生きがいになるのかどうかはわからない
とにかく高齢化社会とはこうして家族でも社会でも無用化した老人が膨大に増えるということである、それがみんな害になるわけではない、依然として働いている人もいるしいろいろだが総じて生きがいが喪失しやすいのである

退職すると自由時間が膨大になる、すると暇を持て余すとなる、その時間が人によるが意外と長いなのである、それで毎日が日曜日になり何をして過ごすのかとなる
それが退職してから30年とがつづくとどうなるのか?
第二の人生を生きることになり金も問題が生きがいをどうして作るのかも問題になる
でも社会的役割と家族の役割でもなくなる人が多い、すると趣味に生きるとかなるが趣味にしてもこれも簡単にできない、相当な訓練の期間が必要なのである
ただ学問とか芸術とかでもたいして才能がなくても積み重ねでそれなりのものになることはできる、でも退職して何も積み重ねがなく一から始めるとしたら苦労だとなる
第一パソコン自体使いこなせないとなるからだ
でも74歳のばあちゃんがスマホを使いこなして孫とゲームしているということもある
それも現代の老人だと見た、でもそれはうまく適応できる女性でありみんなできるとは思えない、でも長い老後をどう過ごすかが意外と問題になる
それを家族であれ社会で見つけることはむずかしい社会だからである
ボランティアなどでも簡単にできない、組織に入り許可がないとできない
勝手にできないし迷惑だとなるだけである

それで膨大な無用の老人がうろうろしている、それで別に社会の活気は生まれないだろうただ奇妙なのは老人でも現代社会では消費ると歓迎される
あまりはやらない地方の店でもお客さんになるのである、だから本当に消費者は王様だともなっていたのである
この辺では原発事故で避難して仮設に入った人が地元に消費して助けていると言っていたけど何か助けられるという感覚はなかったのである
むしろ助けている方だとしているのもこれも現代社会を象徴していたのである
消費者は王様だとなったのが現代だからである
でも消費するにしてもできない人はなんの益にもならないとなってしまうのである
何か有効に社会に働きかけようとしてもできない、そういう村社会があって長老のようにはなれない、むしろスマホであれ何であれ技術的な面でわからずに教えられる方にもなるからである

この家族であれ社会であれ役割喪失の怖いのは認知症になることである
私には二人の女性の親がいたとして一人は95くらいまで家事をしていたのである
する人がいないのでしていた、一人は役所をやめてから何もしなかった
趣味のようなものをしていたがそれは合ったものではない、もともと保健婦などで仕事していた、でも家族の中でも家事をする人がいて何もしなかったのである
料理もしない、何もせずテレビなどを見ていた
そしたらひどい認知症になったのである、その原因はいろいろあるにしてこうして何か家族でも無用化して役割が喪失してそうなったともみる
そうなると頭も働かなくなるからだ、何か生きがいをもってすることがないと頭は鈍化してゆくのである
一人は全く花にも興味もなにもない大正生れで働くことしかなかった
それでも別に家事をしていたので家族で役割があり95才までボケなかったのである
でもそれからさすがに認知症になったのである

だから危険なのは認知症になりやすいのばあちゃんは何もしなくていいですよ
テレビでも見ていてくださいと嫁に言われる人だと言うのもわかる
一見いいようでこれが実際は怖いことなのである、人間は生涯が現役なのがいいとなる
90才くらいで依然としてアナウンサーとかしていた人が批判されていた
世代交代するべきだというのはわかる、社会が停滞するとなるからだ
でも変なのはそうして引退して役割がなくなると認知症になりやすいとなる
例え政治家で悪役でも現役でいることは認知症になりにくいとなる
やはり現実の社会の場で活躍しているからだとなる、老害であれ社会の悪役であれそれで社会で役割がありボケないとなるのだ、だからおかしいことはおかしいのだが認知症いう観点からみればそうなるのである

この認知症になる人が800万人とかなることが現代の大きな問題でもあるからだ
それにどう対処するのか、防御するのかとなると薬とか医療の問題としてもあるがこれがそれだけでは解決しないものがある、それは肉体の病気ではないからだろう
脳の病気でも心の病気のようになっているからだともなる
脳と心は密接に関係しているからである、認知症は病気であってもやはり脳と関係して
心の病だともなるからたぬ、この対処方法も高齢化社会の大問題なのである