2022年06月12日

還暦までニートの人ー人生を語れない 〈二三ページしか自分の人生を書けないーこの世の価値は常に変化する)


還暦までニートの人ー人生を語れない

〈二三ページしか自分の人生を書けないーこの世の価値は常に変化する)

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職歴なし還暦ニートの俺、失ったものの大きさに涙が止まらないwww
https://www.youtube.com/watch?v=ydepfkmpVWA&ab_channel=%E3%82%86%E3%81%A3%E3%81%8F%E3
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●経験しないと同情もできないし相手のことを理解できない

このyoutubeはこういう人が現実にいると見た、架空ではない、何か架空なものもある
それを漫画にしている、でも人間にはなんらかの真実があるときわかる
その真実とは自分の経験からその真実を察するのである
遠洋漁業で冷凍庫で働くことはその中が零下20度となるから辛いというとき自分もそういう経験したから理解できる、それはもう病気になる過酷な場所なのである
でも経験しなければわからないのである、そもそも零下20度でもそれがどういうことか
経験しないかぎりわからないのである
だから人間は経験しない限りあらゆることが理解できないのである
そういうことを伝えられても実感できないのである

その74才の女性は夫を脳梗塞で10年以上介護しましたとか言う時その苦労をどうして理解できるのか、その症状もかなり重かったみたいだからである
それを自分がある程度理解したのは自分自身が親を介護した経験があるからである
例えば認知症でもそうである、この認知症を理解することは至難である
身近に直接に接して介護してみないとわからないのである
それで自分自身がその体験を書いたのである、認知症のことがどういう病気が自ら苦しんで介護したから理解できるとなる
学校とか本ばかり読んでいても本当にわかるということは体験しないとわからないことが多すぎるのである、一回も外国に行かない人が本読んで外国を語っても変なことになる
それで50歳以後バックパッカーで世界を回ったからそれで外国に多少通じるようになったのである、つまり外国についていくら本を読んでも他人から聞いても一回外国の土地を踏んだ者の方が外国を知っているとなるのである

そして奇妙だけどニートとを生きて何も残らなかった、60までニートで語るものがないとこのyoutubeで言っている、このことはどこまで本当のものかわからない、でも自分自身がニートだったから変なのだけど理解して同感するのである
つまりニートを経験しないものはニートとは何なのとかわからないのである
社会で会社でばりばり仕事しているような人はわからないのである
この人は2チャンネルをしていた、パソコン通信でしていた、それがわくわくした経験だと言っていた、私もパソコンではなく通信機つきのワープロでしていた、だからあれは新しい経験としてあったことをふりかえる、文章だけで対話することは今までありえなかったからである、それは新しい経験だったのである

●時代が変わると価値観もがらりと変わる

だからその創設者のひろゆきとかに私は団塊の世代だけで親近感を覚えているのである
何か40代くらいの働かなくていいとかベーシックインカムだとかそういうことに同調するのである、自分自身が働くことがなかったから同調するのである
だからなぜ今になってそういうことを平気で言うのか不思議になる
団塊の世代はみんな企業戦士となって高度成長時代を猛烈に働いたからである
私はだから例外的存在であった、でもその後ニートとかひきこもりと非正規労働者とか
団塊の世代とは違った働き方が人達が社会で大きな割合をしめるようになった
それで働かなくていいとか堂々と主張するようになったのである

でも40年間くらいニートであってその人生で語ることが二三ページとかはありえないと思う、いくら社会とかかわらなくても相当な自由時間があるのだから何かをしていたとなるからだ、ただこの人はテレビくらいしか見ていなかったみたいだ
ただ人生を語る時別にニートだけではない、カルト教団に入ったような人でも人生を語るとしたらただ組織の一員としてロボットのようなっているから自ら何も語るものはないだろう、ナチス党員と同じだからである、そういう一生がみんな同じ制服を着て同じ色になっているだけだからである

庭に赤い薔薇白い薔薇が咲いた、そして黄色の薔薇が咲きだそうとしている、その時何かぼのぼのとしたものを感じた、それは違った色だからである、会社員でも何か他の人とは違った経験をして語るものがある、自ら社畜だというとき何か語ることがあるのかとなるに〜とひきこもりより語るものはあるとはなる
自分自身は自由時間を旅に費やした、だから旅のことを旅で見聞したことを語れる、それを膨大な詩にする作業をまとめとしている
また本を読んだりして蓄積したことをプログで書いている
奇妙なのは郷土史としてプログを書き始めたがそれが自転車で相馬藩内とか回っていた
それが意外と役に立っている、なぜなら自分の住んでいる場所する故郷すら地理がわからないからである、未だに知らない場所があり地理の発見があった
神社などでもそうである、何のいわれがあるのかわからなかったがわかるようになった
それで地名でも新しく発見して古代史でも理解が深まった
ただそれはただ自転車にのって遊んでいるだけでもあった
だから他者から見ていればあの人は何しているのだろうとなっていた
ただのごくつぶしに過ぎない社会にとって無用なものだと見られるだけだとなる
でも今になるとプログで故郷のことなどいろいろ書いているから役に立っているのである

●組織団体の価値は消失してゆく―金で計れない価値

そしてこれ意外と会社人間とカルト教団でもそこで会社員なら自ら社畜というように自ら何か語るものがない、だから退職すると用なしとなる
そして老後が長いから困ることになるのである
とにかくわからなのは人生の成果とは何かということである、また個々人の価値とは何かである、まずカルト教団だったらあくまで組織団体の価値であり個々人の価値はゼロである、それでその価値が認められるのは社会で権力を得て地位を得ることである
要するに共産主義革命が成功して社会で権力を握るとき価値はあるものとなる
それがなければその人たちは報えられないとなる、宗教でも内面とか精神的価値を求めていないからである、その一生は組織団体の奴隷とか家畜となって終わったとまでなる
なぜならそうした組織団体はこの世から消失してゆくからである

ただそもそも人間の価値は多様でありわかりにくいのである、それで生前整理となるとつまらないものでも思い出の品となりその人にとって価値あるものでも他者からみれば何の価値も見いだせない、だから捨てろとなる、それは金にならなくても人生の思い出でありその人にとっては価値あるものなのである、かけがえいのない価値があるともなる
とにかく金にならないものは価値を認めないのが社会である

でも人間の価値は何なのか?

この人は百億円残したから最大の価値があるとなるのか、他者はただその金が欲しいだけでありその人自体の価値等みていないのである

はたして全部金で人間の価値を計れるのだろうか?

それは死んだ時わかる、死んだ時点で人間の価値は明確化されることがある
私にとっては二人の母親がいてそれが大きな価値となっている
それは二人は家を支えて自分を自由に生かしてくれたということで自分にとっては
最大の価値がある、だから供養しているとなる、でも親でも全く絶縁している人もいる
近くにいい暮らししていても親が困窮していても挨拶もしない人がいる
その事情はわからないにしてももはや親子でもなんでもないのである

●金で計れない価値

価値と言う時、生前整理のように金で計れないもの思い出が大きな価値となる
でもそれは他者にとって別に何の価値もないともなる
ただ人間は価値を認めてもらいたいのである、庭作りでも壁ぬりでも大工でも何でもできる人は才能あることは認める、でもしつこく俺はこれを作ったと自慢する、それは俺は特別大工でも庭師としても優秀だと認めてもらいたい、他の者とは違うのだと認めてもらいたい、それで金を高くとっても当然だと主張しているのである
そして異常に自分の価値を高くしている、これも問題だがやはり優秀な人はそれだけ特別な価値をみとめてもらいたいとなる

ともかく人間の価値はあまりにも多様なのである、その人は何の取り柄もないようである梅をつけるのがうまいとかあったし他にも畑で野菜を作りしてあった
人間はなにかかにか取り柄がある、するとそこに価値があるとなる
ただその価値が認められないことがある、金にもならないことがある
するとその価値は無価値とされ無用のものともされるのである
そして時代が変わると価値観ががらりとかわる、戦争の時戦争一色であり軍人が威張っていて軍人が一番価値あるものだった、それはウクライナ戦争でも起きる、そこで命をかけて戦うのだから軍人の価値が一番高くなる、でも平和の時は軍人は価値がない、不気味なものななのである、だから価値が低いのが普通なのである
自衛隊だったら災害の時役に立つとかなっていて価値を認められない、でも戦争になったら戦争中のように価値が大きくなり社会で威張るということになる

それで最近働かなくてもいいとか40代くらいの人が言うのは価値観が変わったからである豊かになったことであえてがむしゃらに働くことがいいものとして認められない、ある程度の生活ができれば趣味に没頭する人生でもいいとかなる
金をとるためにがむしゃらに働くことはかえって嫌われるとまでなる
この世の中金があるだけものが何でも優遇されるというのはおかしいのである
金で計れない価値が確実にありそれが大事だともなる、そうなるのはやはりそれなりにみんなが平均的な暮らしができるときである、それでベーシックインカムが求めるようになったのである

金持だけが優遇される社会には問題がある、ホテルにしてもホスピタルが語源であり病院でもあった、旅で疲れたものを癒す場所だったからである
そこにホテルの価値があったが今や金持ちを優遇する場所にもなった
またインパウンドとかなるとこれも円安で金持ちの外国人だけを優遇して貧乏人の日本人は相手にしないとなるのもおかしいのである
ただそれは日本人が外国で景気のいいときそうしていたのだからカルマだったとなる
カルマは常にめぐってくるのである

●至高の価値が神にしか与えられない

そもそも人間の価値とは何か?

これは余りにも多様なのである、ある人にとって無価値なものも価値があるある人にとって価値があると思っても無価値だともなる、金ですべては価値は計れないからである
本当の価値は神が与えるとまでなる

神は心を見ているとか、心の清い者は神を見るだろう

これはなんのことなのか?これはこの世でどんな人であれ金持ちであれ地位があっても
そういう外見を見ないのである、神が見ているのは心だとなる
でもそんな心を見れるのかともなる、でも神には見えるのである
心が清いということはどういうことなのか?金持ちであれ貧乏人であれ地位があり才能があるとしても神が見ているのはその心だとなる
その心を見て神は永遠の命を与える、それが至高の価値であり人間には与えられない
神しか与えられないのである、様々な人間の価値を否定するわけではない、ただ至高の価値は神が与えるし神しか与えられないのである
要するにこの世の価値も常に変化して無常なのである
戦前なら国が最高の価値だったのである、それで国のために3百万人も死んだのである
でも戦後は全くそうはならない、だから国のために死んだ人は何の価値があったのかとまでなる、つまり価値観がまるで変ってしまったのである

何が価値とするのかこの世では常に変わっている、無常なのである
だからこそ不変の価値とは何かとなり求道することになる
そして意外と注目していないのが神が心をみるというとき動機が大事なのである
一体どういう動機で命をかけた戦争したのかとかどうして会社であれ何であれ仕事しているのかとなる、その動機は一体何なのかとなりその心をみるとなる
ただ金が欲しい金のためだとなるときその価値はないがしにされる、その時決して神はその人を評価しないのである、不純な動機ですることが問題なのである

カルト教団などは動機が不純なのである、何か知らないか金儲けになるとかいい女がいるのかとかそんな動機で宗教を求めている、それだから何百万の票を獲得することになる
その心を見ることなど全くない、ただ数が集まればいいだけなのである
それが権力になるからである、後は心とか動機など一切関係ないのである
本来の宗教など平気で踏みにじる場所なのである

結局引きこもりで60才まで過ごしてふりかえり泣いていたというのはリアルである
でも引きこもりだけではない、みんな老人になるとふりかえり過去がもどらないことに泣いている、ビートルズの曲を聞いて泣いていた人がいたのもわかる
もう青春も帰ってこない、人生も終わりだとして泣いてるのである
結局この世は一時の場所であり、さよならだけが人生として終わる、無常の世界である
liveはlieveであり去る場所であり永遠にいる場所ではない
束の間の夢だったとなる、本当の世界は神が治める神の国でありえるのである
それが希望なのである、この世に理想とかは実現しない、最後はハルマゲドンなのか何かなのかこの世は消滅する、また神によって滅ぼされる世界なのである

●老人になって明らかにされる人生の価値

明らかなことは最後に老人になってそれぞれの人生の価値が明らかにされる、それはささいなことまで明らかにされる
勉強したこと経験したことがまた罪でも明らかにされる、それで勉強しなかった人は後悔しているというのもわかる
老人になるととにかく後悔しない人はいない、こうすれば良かったとかなんなことして失敗したとか馬鹿だったとか後悔する
何が価値あることだったのか見えるからである、でもその時すでに時遅しとなっているのだ
求道することは老人では無理だというときこれは相当に深刻である、そんなこと重大に思っている人はいないからだ
私自身も思っていなかったけど父親が早く死んでなぜ人間は死ぬのかということが頭から離れなかったからだ
ただカルト教団に入ったとしても自分はそこを追求していたのである、でもそこはそんなこと全く関係ない場所だったのである
ともかく若き時神を知れということは重大なことだった、なぜなら青春など若い時などあっという間に過ぎる
そしてそのチャンスは二度と戻ってこないのである、それは女性が婚期を逃すと似ている
三十すぎたらおばさんとか言われるようになるからである
だからこそ婚期をうるさく言うのである、でも求道しろなどと言う人はいないのである

そして放蕩するとか青春が若い時がいつまでもつづくと思っているのである
でもみんな老人になる、それでも老いることがすべて悪いものかというとそうでもない
老いることは本当に賢者になれるさとでもある、もう愚かなことはしないともなる
悟ったような顔をしているのが老人だともなる、その差も大きいが老人になると誰しも人生はこうだったのかとかどんな人でも思い知らされるからである、でもその時はすでに時遅しとなっているのである

人生は一回しかない、チャンスも一回しかないとかなる、一回のチャンスを逃すともうチャンスが与えられないとなる
何度チャンスがあることなどないのである、それだけ人生は短いものだったのである
だから求道は老人になってから遅いとなる、一番盛んな若い時にするもなのである
それが人生の大きな盲点だったことを老人になり思いしらされるのである
なぜなら時間を元に戻すことができないからである、若い時に20代で方向が決まってしまうからである
それで現実に20代で引きこもりになった人は還暦までそうであり後戻りできなくなったとなる
それは自分のことでもあったが自分のしたこと旅でも勉強でも老人になって実っている
だから自分の引きこもり人生は無駄ではなかったと自分で自覚するようになったのである