2022年06月13日

雉、夏雲雀、ホトトギス、夏菊(庭の薔薇)


雉、夏雲雀、ホトトギス、夏菊(庭の薔薇)

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ソニーのα6000は古いとしてもきれいに映る
これは買い得だった、やはり映りが小さなデジカメとは違っているのである
あとはレンズの影響もある、私の場合自転車だと大きいカメラをもちにくいのが問題なのである



雉鳴くや日始まる夏野かな

ホトトギス朝鳴き一日始まりぬ

夏雲雀波音ひびき朝走る

大海に朝日まぶしく夏雲雀

夏菊の真昼明るし黄色かな

夏菊や流れひびきて走るかな

草深く老鶯鳴くや雨しとと


華やかに赤に緋色のバラの咲き黄色の蕾や我が庭に見る

一輪の薄紫の薔薇は散る我が庭にあわれしのびけるかな

毎日朝は海の方に自転車で走る、すると必ず雲雀が盛んに声の限りにさえづっている
ねこに浪がよせてひびき朝の太陽がぶしい
これが浜通りの日常的風景である、海と切り離せずあるからだ
田舎だと雲雀がさえづり雉がなきホトトギスが鳴き一日が始まる、
サイレンも鳴るがそれよりこうした自然の生き物とともに朝を始めるのがいい
都会だったらこういうことはない、時計と車の騒音とか様々な人工的音からはじまる

要するにだから最初からそういう場所で人間は疲れるのである
最初から何かエネルギーが消耗するのである
題目とか念仏を唱えて始まる人もいるがそれもまた異常なのである
人間の感覚がおかしくなっているのが現代なのである
ただ山伏のように山に向かったほら貝でも吹くのはやはり自然と一体化することである
だから山岳宗教である天台宗などに惹かれるのである
都会から生まれた宗教はカルトであり自然とは切り離された異様なものとなっている

庭の薔薇は白と赤と薄紫の薔薇が一輪咲いた、華やかに赤とだいだいの薔薇が映える
そして薄紫の薔薇は一輪のみでありはかなく散った
そして今黄色の薔薇の蕾を見ている、薔薇は私の庭の土にあっているのか結構咲く
薔薇がいいのは色が多彩であり種類が多いことなのである
四季薔薇もあり四季を通じて楽しめるのもいい、狭い庭だから限度はある
ただ自分の庭に咲いている花でも薔薇でもそれはまたペットを飼っていて人間の情が移るようにもなる、植物にでもそうである、庭に咲く花は外の花とは違うのである

庭でも手入れしないと荒れる、剪定も必ず必要なのである、だから広い庭でいろいろ植えていたら植木屋に手入れを頼むことになるのでめんどうである
それで江戸では武家屋敷があり必ず植木屋があった、庭を手いれる松などを選定する職人がいたのである、松は必ず剪定が必要だからである

今頃の花としては桐の花があったがすでに散った、この花を神秘的である
何か紫色であり一輪だけ咲いた薔薇ともにていた、これもはかなく散ったからだ
源氏物語の夕顔とも似ていた、桐の花も薄紫でありこの花も神秘的である
何か自分の性格にあった花でもある、花にはいろいろある、それも余りにも多様なのである



庭の薔薇の花

赤色のだいだいの薔薇
狭い庭を飾る夏の日
先に一輪薄紫の薔薇は散る
白い薔薇も咲き散る
そして今黄色の薔薇一輪の芽が
ふくらんできている
それが何とも言えぬ
それぞれの色に咲き
個性的だからこそ映える
同じ色の薔薇はない
それぞれの色を尽くして咲く
狭い庭を彩りそこに幸福がある
狭き庭は美しい薔薇に充たされる
色とりどりの薔薇に充たされる
それぞれの色に咲き充たされる



人間でもこうなればいいのである、みんな同じ色であってはならない、そこで充たされることはない、それぞれの個性がありそれが集まるとき美しい神の園ともなるのである
だから組織集団には美はない、ただ同じ色でありスーツを着て制服を着て一色の色しかないのである、そこで心は充たされることはないのである