2022年06月29日

人間の考えは老人になっても変わらない (世代間対立は常にあり避けられない、高齢化社会のマイナス)


人間の考えは老人になっても変わらない

(世代間対立は常にあり避けられない、高齢化社会のマイナス)

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人間はそもそも時代の影響からまねがれない、その時代の社会の影響で考え方が形成されてそれが老人になっても変わらないのである
団塊の世代は学校でも平気で先生が体罰していた、それは親でも認めていたからである

厳しい方がいい!

その女性は同年代で団塊の世代とかでも子供は厳しく育てた方がいいとしきりに言うのである、その考えは固定観念化して変わらないのである
でも実際このことに反発している人はいた、それはもっと前の年代だが先生になぐられたとかなんとか80過ぎても恨みに思っていたのである
その先生は死んだけどこうした恨みは残る、私自身もそういうことを先生にさせられたから恨みとなる、でもその時代は親でもそういうことは容認されていたからそうなっていたのである

それより戦前になると貧乏人でも子だくさんであり子供は労働力としてあり親に奉仕させるものとしてあった、だから子供を大学まであげないと普通ではないという時代ではない少年の時から10代で丁稚奉公とかに出された
大工でも12,3歳から親方について修行していた、18歳になるとすでに物にならないとして拒否されていたのである
そういう時代感覚で生きて来た人と今の人とは合わなくなる
だから逆に子供を労働力として親に奉仕させるものとしてみていれば別に子だくさんになってもいいわけである、ただ飯を食わせて後は親に奉仕させるとなるからだ

今子供を産まないというとき少子化の原因の一つに子供を育てるのにただ食わせるだけではない、教育に相当に金がかかり負担になるからである
だからそういう時代感覚でないから少子高齢化にもなっている
実際なぜ団塊の世代とか戦後の焼け野原で食べ物もないのに子だくさんになっていたのかそれが不思議なのである、まともに食えない状態で子だくさんになっていたからだ
そうなると必ずしも少子化とは経済的問題だけではない別な要因があるともなる

ともかく親に口答えするなとか口答えすると殴られたとか8人兄弟の人が言う
親は絶対的な存在であり口答えもできない、地震、神鳴り、火事、親父になっていたのだ家父長制でありそれは江戸時代からつづいたものであり戦前まではそうだったし団塊の世代でもそういうことがあった、子供が多いから子供は粗雑に扱われたということがあった兄弟も多いとそうなる
私自身は特殊な家庭環境になりそういうことはなかった、一人っ子であったことでもそうである

でも本当にひろゆきが言うように親が早く死ぬ時代は自ずと世代の新陳代謝ができていたそれができないのは例えば遺産相続でも60代にもなる、親は80代でも生きているからである、するとそこで代代わりができずすでに60になればもう老人なのである
自分自身も60代で親の遺産を受け継いだが遅いとなった
自分で金でも権力でももたないかぎり自分なりのこと新しいことはできないからだ
だから高齢化社会はとてもこれだけ老人が多いということは改革ができないともなる
それは社会全般のことであり個々に違っていても社会全体としては停滞する
なぜならどうしても老人は保守的になるからである

経済的にも年金問題でもこれだけ多い老人に費やされる金が膨大なものでありそれが下の世代を圧迫するのである、もう病院通いが仕事になっている老人も多いからである
そこで医療費も膨大なものとしり下の世代を圧迫するのである
またシルバー民主主義となり老人の一票も若者の一票も変わらないからどうしても老人の意向にそった政権ができるのである
そもそも多数決の民主主義は公平にならないのである、それが政治に歪みをもたらしているのだ、全部同じ一票にしていれば誰も責任などもたない、どうせ一票など投票しても何の変化もないとなるからだ、だから選挙にしてもすでに投票する前に組織利権団体票で決まっているとなる、創価などは確実に固定票がありそれは頼りになるが後は頼りにならないとなる、民主主義はそれで限界にきている

ともかく人間社会は必ず世代間の対立がある、親と子供は対立する、反抗期があるというのもそのためである、親に反抗して一人前になるとかなる
それでこれは問題にしろ親が早く死ぬ時代はそれができていた、新陳代謝が自ずとできていた、私の父親は明治生れて古い人間だったが中学生の時死んだから頑固親父旧人間だったから生きていたら対立した、でもそういうことがなかったのは早く死んでしまったからである、父親は酒屋の丁稚奉公だからおそらく自分自身もそういうことを子供の時訓練させたのかとなる、ただ上の学校に上げろと言ったのは苦労したためである

ただ相当に価値観が違うから深刻な対立となったことは確かである
これは私の家だけではない、どこの家でも起りうることである
それで幸福の科学の教祖の息子が対立していることでもそうである
普通はそうあるべきなのである、カルト教団にそまりまるでヒットラーユーゲントとなり結局親のためにとかなり一生はそのため費やされた人もいる
でもその一生をふりかえったかときどうなるのか?親に反抗して自分の道を進むべきだったと後悔してももう元にはもどれない、そういうことは親と子の間に必ずある
医者になれと言われても自分には向かいなと自分の道を行くことでもそうである
そこに必ず親と子の確執が生まれるのである、それが人間社会で普通のことなのである
それが無い方が異常なのである

何か引きこもりとか否定的に見るが確かにそういう面がありマイナスも大きいのだがもしかしたらこれも時代による生き方なのかもしれないとなる
というのは自分自身が引きこもりだったからそうみる、これは奨められないにしても
余りにも引きこもりとかニートとか多すぎるのである
それは当たり前のようにもなっている、田舎でもなぜか多いのである
だからこれは特殊なアウトサイダーとかではない、一般化した現象なのである
時代が作りだした現象だともなる、それを否定的に見るのは古い世代だともなる
私は引きこもりだったからそれを理解するのである

ともかく世代間対立があるのが人間社会では普通でありそれがないことこそ異常だとなるでも高齢化社会ではどうしても改革ができない、新しいことがしにくいのである
親が90までとか普通に射きる時代はなかったからである
すると親がいつまでも実験を握っていて子供は何もできないとなる
やはり金でも権力でももたないと実質は何もできないなるからである
そして経験も積めないことが致命的になる、なぜなら経験こそが人間を作るのであり
ともかち試してでもいいから経験させないと金でも権力でももって実際にやらせてみないと人間は成長しないからである
その金と権力が依然として90でも老人が持っていることで世代交代新陳代謝できないとなる
ハンコでもなくせないのは老人社会だからである、ハンコになじんでいるからデジタル化できないのである
どうしても老人はデジタル化は苦手だからである
私はパソコンをしていてもスマホとなるとめんどうになる、絶えず操作していないとならなくなりめんどうだったからである

ただ若い人はすべていいとはならない、老人は熟慮してあらゆることを深く理解してみる若い人にはそれができない、ただ経験を積ませることは大事である
なぜなら人間が生きる時間が限られている、たちまち時間は過ぎてしまうからである
それできついことは若い時にしておかないと後でできない
たちまち老いて金と暇があっても今度は体力がなくてできないとなる

結局少子高齢化は歪であり成長を止める、第一みんな優れた人でもない普通に生きている人達である、それでただ毒口をついて回りに迷惑をかけることで存在を示している老女がいたり迷惑老人となるのである、それは余りにも老人が多すぎることなのである
優秀な老人が少数だったらこういうことは起こらないのである
でもこれはどうすることもできない、早く死んでくれと言っても死なすこともできないしどうにもならないとなる、ただ団塊の世代でも死んでゆくことを待つほかないとなる
その後に新しい社会が作れるようになるのを期待するほかないのである
なぜなら老人を邪魔だとして殺すわけにいかないからである