2022年07月02日

蝶が減っているのは何故なのか (生態系の異変が起きる、気候変動や人間の技術のために生態系が破壊される)


蝶が減っているのは何故なのか

(生態系の異変が起きる、気候変動や人間の技術のために生態系が破壊される)

●蝶は人間の住む里に増えた

多くの異常現象は極めて否定的に蝶に影響していることが明らかになった。例えば、芋虫が蛹に変わる時の降雨は英国に住む蝶25%にとって極めて危険であり、蝶にとって最も危険な天候現象である異常に高い冬季の気温は、半分以上の種に関係する。おそらく、冬季の暑さは蝶を冬眠から目覚めさせ、その後、寒さが戻ってきたときに死なせる。」

英国の学者たちは憂慮すべき信号を出し、それによると、2050年までにジャノメチョウ亜科、モリジャノメ属、セセリチョウ科、オオモンシロチョウ、モンシロチョウ、エゾスジグロシロチョウといった6種の蝶が英国と全世界において完全に消滅する可能性がある
https://jp.sputniknews.com/20161101/2961832.html

34種が「絶滅危惧種」レベルで減少

 1年にどのくらい減ったかという割合(減少率)を見ると、1番はミヤマカラスアゲハ(31.4%)で、1千匹が10年後には30匹ほどになるような減り方だ。オオムラサキ(16.1%)なども加えた計6種が15%以上の減少率だった。
 また、ゴマダラチョウ(11.0%)、ギフチョウ(8.8%)、ウラギンスジヒョウモン(8.1%)、アカタテハ(7.4%)、イチモンジセセリ(6.6%)、キタテハ(6.5%)など28種が4%以上だった。
 https://www.asagaku.com/chugaku/newswatcher/17276.html

 里山を利用するしくみ作りが大切
 これだけチョウが減ってしまった原因は何にあるのだろうか。
 田畑や原っぱ、明るい雑木林などからなる里地や里山は、以前のように人々が日々の暮らしで使わなくなってしまった。開発されたり、放置されて暗い森に変わったりすると、前にいたチョウはすめなくなってしまう

  アゲハチョウの研究室

 アゲハチョウは羽化してから二週間しか生きられません

 里山を利用するしくみ作りが大切
 これだけチョウが減ってしまった原因は何にあるのだろうか。
 田畑や原っぱ、明るい雑木林などからなる里地や里山は、以前のように人々が日々の暮らしで使わなくなってしまった。開発されたり、放置されて暗い森に変わったりすると、前にいたチョウはすめなくなってしまう
 http://butterfly-beautiful.com/archives/209



2022年の6月から7月になった、そして梅雨もなく炎暑になった
そして蝶が少ないように思える、インタ−ネットで調べると過去に五六年前でも蝶が少なくなっていると書いている、ま0た外国でも蝶が少なくなっていると記録がある
私は蝶の生態に詳しくない、ただ田舎だから自然に敏感ではある、でも科学的生物学的知識は希薄である、私の場合は文系だから美的なものとして自然を見ているからだ
でも田舎では自ずと自然に敏感になる、なぜなら私は注意して蝶を見ているからだ
蝶は五月頃になれば増えていたようにも見る
ただ梅雨になると蝶はあまり見かけないだろう

だから季節がずれて少なくなったのか?

今年は梅雨がなく真夏の酷暑に六月でなったからだ、何か梅雨というものでも前のように季節通りになっていない、空梅雨というのはこれまでがあったにしろこんなに酷暑になるようなことはなかったように思える
温暖化の真意はわからなにしろ気候が変わったことは認めざる得ない
ただ人間の時間感覚は短い、縄文時代とかさらに古生代とかなるとこの辺は熱帯であり山の方にサンゴの化石とか発見されている、福島県の浜通りはもともと温暖な地域であり
それで南相馬市の鹿島区の海老はマルハシャリンバイとか奄美大島産の植物の南限の地となっている
またスダシイ神社がありそれは沖縄の山原の密林に自生しているものである
照葉樹林帯の南限の地として福島県の浜通りはあったとなる
そういう長大な時間感覚でみれば機構の変動は地球規模で在り異変が起きてきた
氷河期とかもありそこで大きな地球規模で生態系が代わっているのだからある時期に蝶が増えたり減ったりもしているのかもしれない

●蝶も蛙も人間の住む里に増えたものーそれが減ることは何かを警告している

蝶と言う時春になった時山に行くルリタテハが宝石のようにちらちらと舞い飛ぶ、その蝶は春を知らせる蝶なのである、今年もそういう蝶は見ている、でも普通に見る蝶が少ないのである、アゲハチョウでももう飛びはじめて増えてもいい感じがする
ただそれは今は梅雨時期だから飛ばないということもあり季節感がなくなりそうなったのか?
ただインタ−ネットで見ても確かに蝶の数は減っているのだろう、その原因はいろいろある、ここで指摘していたのは人間側の作用で蝶の数が減ったという指摘である
蝶というのも里山とか人間が生活でかかわった場所に生息しやすいと指摘している
全くの原生林とは違ってむしろ人間が住んでいる場所に生息して増えていたとしている
それが農薬だとか使い蝶でもその影響を受けて減ったとしている

そういうことは田んぼで明確である、ほとんが人工の堀りになりそこにドジョウとかメダカとか最近ではザリガニなども見ない、ドヂョコだのフナっコだとかいなくなった
でも溜池では釣りをしているからフナはいるのである
何か生物は原生環境だけではない人間と共生していた、原生の自然の中に人間の手が入ってかえってそこが住みやすい場となって増えた種がある
その一つが蛙だった、蛙は水田があってそこを住処としている、その蛙を餌として鷺がいる、他にも虫を食べて鳥がいる、雀でも烏でも畑をほじくりかえして虫を食べている
鳥の主な餌は虫だからである、蝶もまた虫であり雀が蝶をつかまえて食べるのを見た
そういう食物連鎖がありその連鎖に狂いが生じたのかもしれない
それでも雉などは良く見かける、これは大きいから目立つからなのかもしれない
蝶とか虫類はもともと数が多くなければならない種である
また蛇も減ったようにも見える、あまり合わないからだ,雉は蛇でも食べるから食物連鎖として関係している、ノスリは見かける、これはネズミを食べる、ネズミでもカヤネズミとかなると小さい、それに悩まされている家もある
荒地になったときネズミは増えたからノスリも餌となるものが増えると増えたのであ
つまり自然を見るととき、生物は何かを餌にしている、その餌がなければその場所で生きていけないのである、ただ鳥となると餌がその土地になくなれば簡単に飛んで移動できるからいいのである

●原発事故で荒地となり蛙も鷺もいなくなった

そのために原発事故で田畑が荒地になったとき蛙がいなくなたった

そして鷺もいなくなった

鷺と蛙がいなくなれば餌がなくなるのだから消える、それで蛙がなき蛙か田んぼに増えると鷺ももどってきた
それは感動的だった

ただなぜか津浪の跡にに一時モンシロチョウなどが異常に増えたのである
この原因は塩気がありその塩を吸うためだったのか?
なぜならアゲハチョウなどでも小便した所に集まったりするからである
塩気があるところに集まるからかもしれない
津浪でもそうだが原発事故でもこの辺では大きな生態系の変化が起きた
津浪の変化は余りにも驚嘆すべきものであり自然の計りしれぬ大きさを感じた
田んぼだったところが入江になり海にもなったことは驚嘆した
ただそれは別にそこはもともと海だったのである、そこを人間が干拓して田んぼにした場所だったから元の海に戻っても不思議はなかったとも見た
それは自然の大きな作用でありそれで自然を破壊することはない
でも原発事故は生態系そのものを破壊したので修復できなくなった
放射性物質は残りつづける、プルトニウムの毒は二万年消えないとしているからである確かに死者はないとしても自然への打撃は汚染は致命的になったのである
木まで汚染したらか木さえ使いなくなったのである

人間は科学技術の時代になり意外と自然への関心が衰えている、自然に対する直観力が衰えている,五感が本能的直観力が衰えている
それで自然から何か危険でも直感的に感じなくなっている、頼っているのは科学技術であり機械である、それも必要だが何か東京であれ都会だとそもそも自然がないのだから自然への感性が失われる、田んぼも畑もなければ自然を肌で知ることはできないからだ
だから原発事故で田畑が荒地になりそこに蛙がいなくなたっのは驚きだった
そして鷺もいなくなったのである、それは淋しいものだった
でも田んぼも再生して畑も再生したとき蛙の合唱が聞こえたときこの辺は復興したと思った、その声は夜空の星々にもひびきわたっのである
つまり蛙でも蝶でも他の生物でも人間の営みと融合して棲息して増えたものがいるのだ
水田にはいろいな虫が棲息していて餌にもなるのである

蝶でもキャベツ畑に集まるのは

モンシロチョウは独特の匂いを持つ菜の花に好んで集まる蝶で幼虫はキャベツなどの菜の花と同じアブラナ科に属する植物の葉を好んで食べる為、本来はキャベツを栽培している場所に多く集まりますが専門の農家などのキャベツ畑では農薬を使っている為、モンシロチョウの姿は殆ど見られません。

モンシロチョウは夏型と春型に分かれており、春型は夏型に比べて黒い紋が薄い事が特徴です。また、日光のよくあたる広い場所に集まりやすいようです。
https://onl.la/qVYveMB



こういうことがあってモンシロチョウなどは里に増えたのである、そこに餌があるからだとなる、農業は第二の自然でありそれに適合して蝶や蛙などが増えたのである
いづれにしろこの辺で起きた津波とか原発事故の変化は驚くべきものだった
ただ津波はあくまでも大きな自然の作用でありそれは自然が修復する
でも原発事故の被害はプルトニウムの毒が二万年消えないとなり住めなくなったのであるでもチェルノブエリとかでは逆にヘラジカとか狼が人がいなくなたっ森に棲むようになった、チェルノブエリノブエリは意外とウクライナの首都のキエフ(キーフ)に百キロとか近かったのである、そこの平地には壮大な森が広がっていたのである
放射線被害があってもやはり自然は回復しているとなっているのも不思議である
ただ遺伝子の影響とかいろいろ言われているからそれはわからない
ただ放射線被害で奇形の生物が生まれたとかは見ないのである、ただその影響は科学的にまだ解明されていないのである

●生態系から離れた自然を感じない大都会の危険

ともかく大都会だとか東京などでは自然の生態系を直感的に感じない、危険でも感じないそこにこそまた危険がある、ただ科学技術に頼っている、でもそれだけで自然に対処できるのかとなるとできない、大都会自体が何か人間の直感かするとそんな所に人が密集して住んでいていいのかと見る、そこに大災害が起きるとも見る
津浪の被害で交通が途絶えたとき物資が運ばれなくなたっとき米がありそれを裏山の清水と木を燃料にして二週間くらい生き延びた、つまり人間はむしろそうした原始的生活ができる場所でこそ生き延びられるとなる、なぜなら都会だとそういうことはできないし逃れることもてきなくなるからだ、その時万事休す戸なる、それをイメージしたらとても住んでいられないともなる
また津波でももし人間の直観力が働いたら住めないともなる、波が絶えず打ち付ける海岸線は直感的には怖い場所だったともなるからだ
石巻の日和山の前には家が密集していたのである、それが自転車で通った時、危険に見えたのである、すぐ前に波が打ち寄せる場だったからである、一方で福島県の浜通りの四倉などは前に広い砂浜があり緩衝地帯となり意外と津波の被害が少なかったのである
でもいわき市の海岸でも直接海に接した場所が津波の被害にあったのである

現代は科学技術の社会である、それを否定できない、それで原発事故の前に科学者集団が津浪が来ると警告していたのである、それをまともに東電で聞いて対策していたら被害は防げたのである、でも聞く耳をもたなかった、東電でも科学者集団なのに科学者の言うことを聞かなかったのである、それはコストも関係していた、金をかけたくなかったことがある、でも科学者が科学者を信用しないというのも理解できなものだったのである

何か自然から異変を察知する能力が本能が生物には備わっているとしてそれがすべて科学技術に頼ることになった、それも問題があった、でももはや人間の直感力とかなんとかいうと誰もとりあわない、そんなもの科学的に見たら何の力もないとなったのが現代なのである、それは文系的なものであり理系のものからみれば何の意味もないともなる
でも理系の科学者にしても科学をすべてとしても津波とか原発事故でも防げなかったのである、科学者が津波が来ると警告することでも無視したからである
だからすべて科学万能としてこの世のことに対処できないのである

聖書だとなぜ常に危険を予言していたのか、預言者が尊ばれたのか?

それはとてつもないノワの洪水であれ危険がありそれでその災いから逃れることを警告したのである、でも人々はそんなことを聞かなかった、そして大被害になり洪水にのまれて死んだのである、また科学者が仙台の若林地区とかでここは津波が危険だと言ったら地価が下がるとして不動産屋が怒ったのである、人間は科学者であれなんであれ危険を感じないのである、人間が見ているのは目の前の利益だけだとなるからだ
そのこともまた危険なのである

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posted by 老鶯 at 19:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年07月01日

それぞれの土地と家の物語 (歴史も家と土地の物語から始まる)


それぞれの土地と家の物語

(歴史も家と土地の物語から始まる)

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歴史と言う時多岐にわたるから理解しにくい、むずかしいとなる
でも家族からみるとわかりやすいとなる、みんな家族が一番関心があるからだ
聖書にしても家族の物語からはじまり国の物語となり歴史となっている
アダムが祖となり綿々とつづいたその系譜の物語だった
何か中心となる家族がいてそれが分派する、一族となり家族が拡大する
今でも中国だと李氏が大きな一族を形成している、李氏朝鮮というときもそうである
李氏によって国が作られたとなるからだ、日本では逆に天皇に姓がないのはどこの氏族にも所属しないということで国を治めることができたとなる
たいがい力のある一族に属しているからどっちかに族していれば公平にならないからである、でも権力争いになると天皇は錦の御旗として持ち上げられて官軍と賊軍に分かれた
古代では天皇が兄弟で二つの勢力に分かれて熾烈な戦いとなる
南北朝でも天皇は二つに分かれて熾烈な争いとなりそれが国のすみずみまで争いとなり戦乱はつづいたのである、今の天皇は南朝の末裔だとしているのもそうである

家というとき土地があって家が建つのだから土地と関係している
その土地に土着するには土地が必要だからである、だから家と土地は切り離されずある
特に農家の場合は土地がなかったら生活もできないのだから土地と密着しているし
土地から離れて家も家族もありえないとなっていた
だから農家では土地を売るなとなっていたのである

先祖代々の土地を売って引っ越すと、先祖の祟りがあるというのだ
https://ameblo.jp/hirosu/entry-12281454084.html

これも土地と言うのが深く人間にかかわるものとしてあるためにそうなった
農民だと土地が命であり土地無くして生活が成り立たないのだから当然そうなる
そもそも農家の土地は代々その地域で先祖から耕して作られてきたものであるからだ
ある人は梨農家でも良い梨を作るには十年かかるとか言っていたからである
農家では跡を継ぐのが有利なのはそうして先祖が土地を苦労して作ってきたからだとなるたわけは「田分け」のことであり田を土地を分けること売る人はたわけになったのである
何が今住んている自分の土地もそうである、私の父親が双葉の新山で酒屋の丁稚であり暖簾分けしてこの地に来た、この土地はこの街で一番低い土地にあったがやはり土地を得たということで土着したとなる、土着とは土に着くことであるからだ
でも戦後二回洪水になり私の家は一番被害があった、今でも下水から水があふれ浸水しているのである、一番低いから水が集まるのである
その土地土地にはこうして悪い土地がありそこに住まざるを得ない理由がある
がけ崩れとか台風とか大雨で日本では常にある、そこはやはりもともとそういう悪い土地であり危険な土地なのである、でもそこに住まざるを得ない事情がある
日本は特に山が多く平地が少ないからそうなる、平という地名が多いというとき山間でも平な場所があるとそこに家も建てられるし農地にもなりやすいからである

日本で野というときは斜面のことだったのである、入野というとき山間の斜面の奥に入ることである、それで入野の歌が万葉の歌が残されたのである
そういう地形が日本の典型的な地形となっていたからである
そもそも平氏というとき山間の平な土地ということにもなる、極めて日本的な土地柄から生まれた姓だとなる

農民だとどうしても土地が一番大事になる、それで相馬地域では越中とか富山県から相馬藩が飢饉の時命がけで移住してきた、江戸時代は自由に移住できなかったからだ
それまでして移住したのは相馬藩が飢饉になり三分の一の人口が減ったからである
そこで欠け地が増えてその土地を与えるということで移住して来た、そこは余り土地としてはいい場所ではなかったのである
だいたい前田とあるところはその村の草分けでありそこが中心となって発展した
原町区の大原村だと前田という所がありその人がそこに住んでいて古い家だったらしい
その人と南相馬市の市立病院で入院して一緒だったので話を聞いた
そしてそこから遠田という地名があるがそれは前田から離れて山の方の遠い所で森の中に田畑があった、まさに前田からは遠い場所なのである

ともかく家と土地は切り離されずある、農民の場合は一体なのである、ただ商業とか工業が発達すると土地はそれほど重要でなくなったのである
だから浪江の人は回りの田んぼが草ぼうぼうになっていても無関心だった、かえって補償金もらって良かったとか言っていたのである
今は農業でも地方でも一割くらいしか生産量としてない、経済的に第一次産業のウエイトは減退したのである、それで意外と田舎に住んでいても農業のことがわからない人が多くなったのである、現実に農業していなければそうなる
給料もらえるのは会社だからである、それで藤倉ゴムとかではゴルフ用品を作っていた
それもグロ−バルに展開していたのである、そういうこともわからないことがある
農業だと一応見えるからわかるが商業とか工業になるとわかりにくいのである

家の物語もあるがそれと一体化して土地の物語がある、なぜなら土地無くして人間は住めないからである、そもそも争いが土地争いが必ずある、狭い地域でも必ず土地争いがあり領土争いがありそれが大きな戦争となってきたからである
なぜ土地とか家が人間にとって身近であり基本になるのかとなると農家だったら土地があって生活が成り立っていたからである
例えば一軒の農家があるとするとその農家がその土地の草分けとかなるとやがて城にもなる、掘りをめぐらして自衛するからそれが城の基ともなっていたのである

結局土地にしても家にしても先祖が苦労して得て作ってきたことに価値がある
そういう人間の苦労を偲ぶことが歴史にもなる、何の苦労もしないて得たものには価値がないとなる、私はこうして苦労して土地を手に入れ家を建て蔵を建ててきた
だからここを大事にしなさいとなる、田は売る奴は田分け(たわけ)となる
それは戦後の引揚者も仕事がなく不便な場所を開墾して住んだ
街の近くでも開墾して住んでいた、小池とかでもそういう場所があった

また飯館村とかでも木戸木などは本当に山にふさがれて不便な場所であったが開墾して住んだ人がいた、そこに共栄橋とかあるのはそのためである
共に栄えるとなるが今残っているのは二軒くらいである、もともと十軒くらいだったからそうなった
引揚者の数が多く仕事がなく不便な地域に開墾して住んだのである
浪江町の津島などは相当に山奥でありそこでも引揚者が開墾して住んだ
だから結束が強いというのもわかる、共に苦労した仲間だから結束が強い
でも原発事故で住めなくなったのである
そしてその土地は荒地となり放置されることになった

先祖代々の土地を売って引っ越すと、先祖の祟りがあるというのだ
https://ameblo.jp/hirosu/entry-12281454084.html

こんなこと関係ないとなるがそれだけ土地がもっている重みが農民社会では強かったからそうなったのである、日本は国土が狭いから土地の持つ価値が大きい
また山が多くて平な土地が少ないから余計にいい土地を求める、でもそういういい土地に住む人は草分けであり後は悪い土地に住んだのである、そういきう場所は災害にも会い
安いともなる、それが自分の家の土地だったのである
土地にまつわる歴史は家単位でもあるし藩単位でも国単位でもある
それが歴史だったともなる、ただ遊牧民だと土地にこだわらないから移動するから違っている、血族が強力な結束がある、日本の姓がどこかの土地の村に由来しているのとは違っているのである、日本では村かアイディンティティになっているからだ

そして満州に日本が進出したのは土地を得るためだった、広大な土地があり農民社会だったら土地が第一だから満州に移住したのである、そして寒い地域でも米作りしていたのである、農業だったら土地がないと成り立たない
だから農業だと土地の争そい土地の奪い合いになる、戦国時代でもそうである領土の拡大が第一になる
ロシアがなぜウクライナに侵略したのかとなるとロシアは広大な土地があるのにと思うがロシアは依然として農業社会の面があってそうなったのかと見る、ウクライナには広大な土地があり麦がとれる、それも輸出できるからだ
やはり食料とかエネルギーが石油やガスや石炭でも資源を持つ国は強い、金の裏付けとなるのものだったのである

ともかく原発事故で先祖が苦労して得た土地を捨てて他に移った人には祟りがあるのか?これも今はないとしてもやはり原発をこの土地に作らせたことが呪いになったことは確かである、そのためにその先祖代々の土地を捨てなければならなくなったからである
そして他の土地に移っても成功しなかったというのは祟りだったのかとなる
でも別に補償金をもらって仙台市の方に移った人でも成功していた人はいる
これはやはり土地と一体であった農民社会だから伝えられた
むしろ現代では成功者というとき篤農家ではなく工業であれ商業であれ農業以外で成功した人達だとなっているからだ
土地に執着した農民社会とは違っている、ただ放射線被害を受けたのは漁業であれ農業あれ林業であれ第一次産業の土地と一体化して生活する人達だったのである
でもそれらは現代では衰退産業になっていて跡継ぎがいなとか問題になっていた
そこに原発事故が起り壊滅的になってしまったのである

でも人間は親であれ先祖の苦労を偲ぶことが歴史でもあるというときそれを無視することはいいことがないともなる、それで先祖の祟りがあると言われたとなる
私の家でも水害で低い土地だから一番大きな台風被害の時、二階がなく逃げる場所がなかった、近くの二階のある家に逃れたのだがそれも水が押し寄せて危険だったのである
それでどうしても二階を持ちたいとなり二階のある家を早い時期に作ったのである
そこに苦労があったのである、それは地元の木を利用して作った
ハウス会社などまだない時代である、すると家とは土地を得て土着してその上に家を建てる、その家の材料が地元のものだとするときまさに土着したとなる
それがハウス会社になると地元とも関係なくなり一二週間で組み立てて建てる
そういうことで何か重みもなくなる、でも部品は工場で精巧に作られていて昔の家よりはいいものなのである

近くの人の石垣を積んだような庭が重みがある、それは20代ですでにそんな庭と立派な家を作ったのである、トラック運転手もしていて人の二倍の荷物を運んだ
その頃高度成長時代であり給料も高いから働けば働くほど金が入ったためである
つまりそうして自ら苦労して建てた家にいることで充実感がある
病院に半年くらい入院してかえって病気が悪化した、それは精神的な面もある
家にいれば自分で建てた家として重みがあり安住するとなるからだ
ただそこも街に近くても津波の被害があった、あそこまで床上まで津波が来たことには驚いた、それもまた家と土地の歴史となった
でも根こそぎ家も土地も消失した漁村よりは良かったとなる
でもあそこまで津波が来るとは誰も予想できなかった

こうして土地と家の物語があり家族の物語がありそこに苦労があり価値が生まれ
もし苦労がなかったら必ずしも価値は生まれないともなる
親でも子供を苦労して育てないとありがたみがなくなる、それで金持ちの子供が親自体が苦労しないとなり親のありがたみを感じないとなり放蕩息子が生れたりする
商家ではそうした放蕩息子がドラマになる、これは家だけではない、地域でも国単位でも歴史を忘れるということは先祖が苦労して築いた物を忘れるということである
それが先祖の祟りとなる、まず原発事故の悲劇は営々として築いてきた故郷に住めなくなったということである、それで放棄されて先祖代々の農地でも草ぼうぼうになり捨てられて神社でも捨てられてそこを幽鬼となった先祖が彷徨っている感じの荒寥としたものになったのである
それは限界集落とかでもそうである、村自体に人が住まなくなり村自体が山間に埋もれ原野化してしまったとことである、そこに神社にお参りする人もなく墓参りもなく捨てられて先祖は幽鬼となって彷徨うようになる、それがこの辺では原発事故で広範囲に起きた
だから原発事故の罪は余りにも深かったのである
でもそれをあまり深く考えない、誰も死んでないのだからたいしたことがないという人もいる、でも現実を見ればそうではない、原発の避難区域にはもう戻らない人が多く土地も家も捨てられて先祖も捨てられたのである、そこで先祖の祟りがあるということもありえる、だからなぜそうなったのか?これは深く考えるべきものだったのである