2022年07月18日

宗教が政治化、経済化、科学化、大衆化で本来の意義が失われた (グロ−バル化も制限が必要ータブーを破ることは危険)


宗教が政治化、経済化、科学化、大衆化で本来の意義が失われた

(グロ−バル化も制限が必要ータブーを破ることは危険)

●宗教もカルトは制限すべき

比叡山は多くの現代仏教の揺籃になっています。浄土宗(法然)、浄土真宗(親鸞)、臨済宗(栄西)、曹洞宗(道元)、日蓮宗(日蓮)、時宗(一遍)の創始者は比叡山で修業をして、新しい仏教思想を発想しました。

統一教会でも創価でも幸福の科学でもこれらはやはり現代を象徴していたのである
それらは本来の宗教とはまるで違ったものとなった
シャカが岩窟で悟りを菩提樹の下で座禅を組んで悟りを開いたとかが起源としてある
でも現代の宗教はあまりにも政治化、経済化(御利益)、科学化、大衆化してしまった
オウムとかでも科学社会だから科学者が集まり異様なカルト集団になった
幸福の科学というのもそうである
つまり現代社会文明に適応するものとしてそうなったのである
大衆化というとき選挙の宗教となった創価がそうである、完全に政教一致となり選挙で
力を持ち権力を得る、利権を得る、御利益を得る経済第一の宗教である
それは団地から生まれた宗教だから互助会としてあれば問題なかったが日本の権力を得て御利益利権を得る危険な団体になった

そもそも都会から生まれる宗教は異常である、東京のような大都会に神は顕れようがないからだ、神は清浄な世界に住む、だからこそ砂漠に神がエホバが現れたのである
偶像に満ちている場所には現れなかったのである
また仏教でも本来は世俗から離れた場所で修行していたのである
天台宗がその起りであり山岳宗教であった、山を聖なるものとして修行していたのであるそこに政治とか経済とか衆人とかとは離脱した場所としてあった
モーゼがシナイ山で啓示を受けたのもそうである、山は神聖な場としてあったからだ

今の宗教はそういうものは全くない、完全に政治化して経済化して利権化して大衆化して世俗化した宗教とはまるで違ったものになっている
だからこそ統一教会は韓国によって日本を支配する機関として作られていたのである
政治化した一団体なのである、日本は戦後余りにも自由になりすぎたのである
戦前の天皇を神とすることでその反省からあらゆるものを自由にしたのである
民主主義といってもそれはただ自由に個々であれ団体組織であれ権利を要求する自由でありそこに責任とか義務などはない、自由とは無制限にありえないのである
もしそうなったらどうなるのか?あらゆるものが自由でありあらゆることが許されるともなる、信教の自由でもそうである、オウムも信教の自由を盾に抑えることもできなくなったのである、民主主義からナチスが生まれたように日本でもそうなる
本来の宗教とは何かということが問われることも何もない、宗教だといえば誰も何も言えなくなり宗教を逸脱したことでも容認される、それが社会を歪めて恐ろしいことになる
ナチスとなってゆくのである
宗教を逸脱していても創価のように数を集めると通るのが民主主義だからである
そうしてナチスのようになり膨大な人間が死んでゆくともなる

●無制限の自由は危険

人間には制限が必要だ!

人間は個々人でも自らでも制限する、節制するとか必ず必要なのである、そうなれば欲が無制限に追求されて歯止がかからなくなる、だから宗教とはそうした人間の限りない欲に制限する節制することで修行したりしていたのである
現代の宗教は大衆宗教はあらゆる欲が是認されむしろ欲望を強くもつことがエネルギーがあることとして祈っているのである
それはまさに資本主義社会に適合したものとなっている
ただウェバーが修道院から資本主義が生まれたというとき資本蓄積してそれを他者への慈善として行うとなり宗教的行為として生まれた
その見方もある、そもそもキリスト教はローマ帝国が容認したとき変貌したのである
カトリックが政治化したのである、組織集団化して教会が地域でも国でも支配する体制ができたのである、つまり宗教でも常に政治化することがありそれがローマ帝国が容認したことでそうなった、だからこそその権力があらゆるところに根を張り支配した
それに反発してルターの宗教改革があった、プロテスタントが生まれたのである
そのカトリックの圧力が余りにも大きいからこそプロテスタントに抗議するということになった

宗教でもどうしても世俗から離れてありえない、そこで政治化して経済化する、日々の活動は経済の活動とするとそれから逃れられないのである
でもそうなるとその巨大な経済活動に宗教はのみこまれる、もう世俗と何ら変わりない物となる、むしろ世俗よりも世俗的な場所が今の宗教団体とかなのである
そうでなければあんなに人が集まらない、山の中で修行しろなどと言ったら集まらないからた、そこであらゆる欲は是認されるしそれより奨励される、目的は誰でもいいから人を集めて権力化することである、会員一人集まれば貧乏人でも実際は力となる
買物するにしても一人だけより十人買うとなると店でもその十人を相手にして考慮するからである、一人は経済的には相手にされないのである

だからこの世ではそうしてもう数で決まる時、それが権力となるから権力から離脱することは不可能だとなる、10人集まれば権力になる、それでそれが正義でなくても通るのである、赤信号みんなで渡ればこわくないとなる、それが民主主義であり多数決なのであるそこからナチスが生まれたのである、こうして現代は大衆に席巻される時代である
大衆によってあらゆるものか消耗されるのである
カルト宗教などでもそうである、大衆化して本来の宗教は何もない、日々の経済活動であり御利益もうけ活動である、選挙となるとそれが最大の目的となるのは権力と直結しているからにすぎない、その権力を得ることで得するからしているだけである

だから現代社会では文明では宗教はもうない、ただ社会から組織集団から離れた場にあるそれは誰も注意もしない、認めない、アウトサイダーになるのである
人間が認めるのはすべて世俗的なことであり世俗から離れた価値は無なのである
それで天台宗というときそれが山岳宗教というとき世俗から離れて修行する場としてあったからそれが本来の宗教の場としてあったとなる
砂漠にエホバが唯一の神が現れたように山は聖なる場でありそこに神が宿るともなるからである、そこで六根清浄とか修行する山伏でもその方が本来の宗教だった
今の宗教団体などではそういう心を浄めるなど関係ないからである
ただ御利益利権を求めるだけだからである
ただ世俗の欲望の力は強力だからそれにとりこまれて本来の宗教は何もなくなったのである

●グロ−バル化も制限するようになる

また制限されるというときグローバル化も無制限思想なのである
ヒト、モノでも自由に往き来し国境をなくすことであり国というものも無くす、そこで世界で力をもつものは支配する者は多国籍企業であり国ではないとなる
現実今世界の経済を支配しているのは極一部のアメリカの特権階級だとされる
それは陰謀論になるにしろグロ−バル化とは世界から富を収奪することであり極一部のものが莫大な利益を得るシステムなのである
それは統計的にも立証されている、何パーセントの人たちが世界の富を収奪しているのである、グロ−バル化とはまた生態系とか風土を無視したものであり文化を破壊する
食文化でも破壊する、今大陸の平原とかで大量の麦が作られている
でもそこでは鉄分が不足するとして国で鉄分の供給をしているという
これは何を意味しているのか?大地で大量生産することで何から鉄分でも養分がとれないだから大量一律生産が必ずしもいいものとならない、それはやはり自然に反するものだからそうなる

コロナ禍やウクライナ危機だと思います。消費者としてできることは、国産を選ぶことです。自宅で調理したり、お米や米粉パンなどを食べたり。コロナ危機で、米国の政府は農家から農産物を買い上げて所得の低い人たちに配給し、農産物価格を下落させませんでした。日本も生産者と消費者を支えるために、何をしたらいいか考える必要があります。農業や畜産は大規模化で、多額の投資をしないとできない、リスクが高いビジネスになりました。小規模な家族経営が結局、環境問題や地域の活性化にとっても最適だということで、国連は持続可能な社会のカギになるとしています。国も方向転換を始めています。

小規模な家族経営が結局、環境問題や地域の活性化にとっても最適だということで、国連は持続可能な社会のカギになるとしています

これも自国内で食料をまかなうという方向転換である、つまり食糧の大量生産や外国に頼ることは危険にもなる、外国からコロナウィルスとかで入ってこなくなったからである
そもそもコロナウィルスでもなぜ世界にたちまち拡散したのか?
それはタブーとなるものが制限されず入ってはならいな領域に人間がずかずか入りこんだからである
人間に犯ししてはならないものがある、自然の聖域がある、それを無視して入り込んだ結果未知のウィルスが一挙に交通の発達したグロ−バル化で拡散したのである
生態系を破壊したのである、この辺の原発事故でもそうである
やはり核を破壊するということは自然界の神の領域に入り人間の手で操作することに危険があった、もし人間は万能ならしてもいいがそこまで知り得ないものがまだまだある
だから科学者でもそんな危険なことをするべきではなかったと反省しているのである
つまり科学が今度は宗教のようになったとき科学が万能となり科学者が神官になったのである、でももろくも津波によって崩壊したともなる

ともかく人間は常にタブーを破ってきた存在である、動植物は人間のようにタブーを破れない、神の作った世界で制限されて生きている、だから自然を破壊しないのである
人間はそのタブーを破る力がありでもそこから災いが生まれて来たのである
技(わざ)はわざわいだからである
いづれにしろ原発事故であれコロナウィルスとか一連のものは関連している
それは人間が何かしら神がタブーとしたものを破ったことから起きているのだ
だから人間社会には制限が必要でありタブーが必要であり越えてはならないものがある
国境も必要でありその中でアイディンティティを作ってゆく、無制限ではないのである
グロ−バル化とかなんでも無制限になったがそれは自然の生態系でも破壊するし国々の文化も破壊する、そこに制限が必要なのである

そもそも人間はアダムが食べるなと禁止された知恵の実のリンゴを食べてすべての災いがもたらされた,原罪をもつようになった
それだけではない神話でも常に人間が何々するなということを犯して災いがもたらされたのである、タブーを破った結果として災いがもたらされたのである
それが人間の宿命となり今日までつづいている、科学でもやはり行き過ぎたものとなりタブーを破るからそこに思わぬ落とし穴があり危険が生まれ災いが生まれる
それが人間の宿命だともなる、アダムが知恵の実を食べた結果として禁制を破った結果として人間の災いが起きて消えることがないとなっているからだ



山上の湖

厳しく山はそそり立ち
不浄をよせつけぬ
山上の湖は透明度を増す
その湖に映すものは何か
星々がダイヤモンドのようにきらめく
堅く結ばれて輝きぬ
山々はさらに厳しくそそり立ち
神は天より見下ろしぬ
神は不浄を拒絶する
人は安易にけがれ汚れてゆく
汝は不浄の下界に降りるなかれ
衆人と語るもの無益なり
衆より離れて清浄圏に住め
そこで巌のように堅くあれ
醜き人の入るべからじ
巌と氷雪の屹立した孤立圏
そこに神の厳格なる座のあり
そこで塵も雪となり凍てりつく
一切の不浄は拒絶されて
そこに至高のものを仰ぎ見る