2022年08月17日

カルトの特徴とは何なのか (全体主義になるから共産主義もカルトであり権力を奪い変えようとする)


カルトの特徴とは何なのか

(全体主義になるから共産主義もカルトであり権力を奪い変えようとする)


●カルト宗教は全体を変えて理想国を作ろうとする

そもそもカルトとは何なのか、そのこと自体がわからない、明確に認識されない
だから太平洋戦争でもカルトだったとも言える、天皇を神として日本全員がカルトにはまった戦争だったともなる
そこには確かに天皇がかかわり天皇を現人神(あらひとかみ)とした戦争だったからである、そして必ず地方の村の神社には戦争の勝利する祈願するものが刻印されていた
村の神社というときたいがい五穀豊穣とか祈るものになっているが戦争の勝利の祈願のためにもなったのである、なぜなら村の人達が神社に参り兵士をどこでも見送っていたからである
だからそれも一つのカルトの形態だったともみれる
それは戦争を肯定する神であり戦争では人を殺ししてもいいとなるからだ
オウムでも逆らう者は殺してもいいとしポアしたからである
戦争は一種の宗教戦争にもなる、それで天皇が日本の神は戦争の神ではないとして人間宣言した、天皇自体が殺人命令を出した人だともなっていたからである
日本自体が全員が洗脳されてカルトとの会員のようになっていたともなる
そこでは必ず勝利せねばならない、神の祈り勝利せねばならないのである

それは創価でも選挙が聖戦であり仏戦だからみんな家々に座談会で集まり仏に祈願して必勝を願い祈るのである、完全に政教一致なのである
だから常に常勝関西とか常勝しなければならない、仏が応援するのだから負けないとなるからである、カルトとは何かとなる全体主義なのことは共通している
組織集団化して社会全体で事を成す、また全員が一致して社会を変革しようとする
社会全体を変えて理想国を目指すのである
つまりこの世を仏国にするし天国にもするのがカルトなのである
日蓮宗はそもそも国立戒壇を行うことが教義にある、そうなれば他の宗教は邪宗となり
日蓮宗一色になる、それとともに権力と一体化する
でも日蓮宗でも顕正会会とかあり創価と対立していたりする
それはイスラム教でも二大セクトがあり熾烈な争いとなり殺し合いまでしている
だから日蓮宗内でも争うことになる
国立戒壇となれば憲法違反にもなる、アメリカでもヨ−ロッパでも宗教でも自由である
イスラム教でも許可しているからである
ただこの憲法は絶対的なものではない、民主主義だと数を集めて政権をとれば変えられるからである、だからそれを実行するには選挙を仏戦ともしているのである
日蓮宗は一向宗の念仏とか禅宗とか強烈に批判しているから他者の宗教を許容しないのである

カルトは共産主義とも本当に似ている、共産主義もカルトなのである
マルキシズムは宗教の一種ともなっているからだ、そこに社会全体を変えて理想の国を作るということで全体主義なのである
この世を仏国土にして天国にするということで共通している
でも全体主義は共産主義でもソ連でも何千万が粛清されて殺されたとかある
中国でも毛沢東の文化革命でもそういうことが起きた、それに熱狂したのは宗教的熱狂でありまさにカルトだったとなる
社会全体を変えることが目的でありそこで権力と衝突するから権力持っている者たちと戦うことになる、暴力革命になる、そして権力を得れば権力を我がものとして栄誉栄華になる,カルトというときその目的は内心の悟りだとか心を浄化するとかそうした心の問題ではない、社会全体を変えることでありそのためには権力を得なければならないとなる

●この世に天国は理想国は作れない

カルト宗教団体の場合個々の心の問題は無視する、とにかく社会全体の改革を目指す、そのためにはまず権力を手中にしなければならない、そのために統一教会で政治家と深くかかわり権力を我がものにしようとしていた、選挙で議員を応援していたのである
他のカルト団体でも今は政治とかかわる、政治でもって権力を得て社会全体を変えようすとる、そこは共通しているのである
でもそれで社会が変わるかというと変わらないのである
ただカルト団体の幹部は富とか名誉とか地位を得るのである
ソビエト連邦時代でも共産党の幹部の書記は神のようにまるでエジプト時代と同じように葬られたのである、神格化されたのである
唯物論でもやはり人間が死ぬことは不可解だからそうなったのである

本来の宗教は個々の心に焦点をあてていた、「心の清い者は神を見るだろう」というときあくまでも個々人の心のことであり社会全体のことではない
社会全体を変えよとはしていない、ただ個々人の心が清くなれば社会全体も良くなるという思想なのである
でも全体主義は共産主義でも民族主義でも社会全体を国全体を変えよとする
社会を変えれば全体が良くなるという思想である
でも全体を変えることは共産主義でも失敗したのである、そこに何らかの無理があった
社会全体を変えても人間個々人が良くなるとは限らない、むしろ個々人を変えることが
心を浄化することが社会を変えるとするのがもともとの宗教だったのである

つまり天国でもこの世は作りえない、天国を作ろうとしたら社会全体を変えねばならない理想国にしようとしたらそうなる、でも共産主義でも失敗しているし全体を良くしても個々人の心はその罪とか欲とかは消えないのである
むしろ社会全体を変えようとするのは権力を奪って権力を得て社会を変えようとする
でもその権力を得よとすることは権力を持つことは堕落することになる
そもそも社会を変えようとするより権力を得たい、権力を持ちこの世のことで成功したいという下心なのだから権力を握った時やり放題になる
中国では幹部が兆の金を蓄えたとかなる
だからもし無欲な人が権力を得るならいいともなる、それで聖書ではみどり子に治めさせよとなっていたのである
ダビデでも王になったとき部下の妻を奪うために戦場に送り死なせた
権力を持つと欲でも他者が抑えることはできない、王は絶対的権力となってそういうこともできたとなるからた
社会全体を変えようととしてもその内実は自分自身も権力者を見て権力を我が物にしたいとなっていたのだから社会を変えるより権力を得たいためカルト宗教団体は理論化するのである

この世に理想の国とか天国とか仏国は実現しない、それは人間の欲がなくならないからである、そのことにこそ最大の問題があるとしたのが宗教だったのである
社会全体を変えても制度でも変えても人間の心が悪いものならば依然として社会は進歩したようでしない、それは日本でも一時豊かになっても日本人の心が良くなったわけではない、かえって他者を省みない非情な人達が増えたのである
いくら科学が機械か発達してもこの世に天国は生まれない、仏国は生まれない
天国は神がじかに主となり新たな天と地を作ることでもたらされる
人間は天国も仏国も理想の国を作れないのである、だからこそ共産主義は失敗したのである、人間の個々の運命はあまりにも複雑でありそのカルマでも平等にはできない
そのカルマは個々人で解決するほかないものである、その個々人のカルマを誰かが背負ってくれるのを期待してもできない、なぜなら個々人の家々のカルマは違っていて個々人が家族でも苦しまない限り解決しないからである
仏国土とか浄土とか言っても菩薩とか言っても依然として人間は罪にまみれ欲にまみれて変わらないからである

●政教分離は経済と宗教を分離することでもある

カルトとは全体主義でありそれはナチスでも大日本帝国でもそうだしソビエト連邦の共産主義でも中国でも同じなのである、全体的な妄想に陥る、国民全員が妄想に陥り悲惨な結果となる、カルトがなぜ怖いのか、それは人間の心を支配する
その妄想に陥れると何千万人が死ぬとかなるから怖いのである
人間はありえぬ妄想のためにも死ぬとなる、ただ中国は共産主義から資本主義にもなっていた黒い猫でも白い猫でもネズミをとる猫はいい猫だとなる
それは主義とかより現実的にネズミを食べ物でも得られるのがいいとなったのである
そういうことはもともと中国人にあった、現実利益的であり空想とかを拒否する国民性があった、怪力乱神を語らずとか儒教の教えだったからである

怪力乱神を語らずとは、君子は、道理にそむいたこと、理性で説明がつかないようなものについては語らないものだということ。また、怪しげなこと、不確かなことは口にしないという意。

これは合理的なことであり経済合理性がありそれでイスラム教のような政教一致の国とは違ってあれだけまたたくまに表は共産主義でも資本主義化して経済的には発展したのかとなる、政教分離が近代にとって重要な法律だった、それがイスラム世界とか日本では実行されていないかった、だから日本は天皇を神とした聖戦になって三百万人死んだともなるそれもやはりカルト宗教の一種としてそうなったともみれる
カルトとは国民全体が妄想に陥り合理性とか理性を失うことである
それはナチスでも同じである、ナチスも民主主義の選挙で選ばれたからである
合法的に選ばれたのである、つまり数が多ければそれが正しいとなり権力を握ったのである、すべてを数が多いからと頼る時それが恐ろしい結果となったのである

いづれにしろ政治家はあまりにも安易にカルト教団にかかわっていた
今度は阿部前首相が手かざし宗教の崇教真光(すうきょうまひかり)ともかかわっていた

安倍元首相”手かざし宗教”広報誌で「自分も信者」と発言していた

政治家とは選挙のためなら相手を選ばない、宗教団体はまとまった票になるからその団体がどういうものでもいいのである
そこに日本人がそもそも宗教に寛容であり不摂生のためだともなる
日本は統一教会でもそうだが宗教に寛容なためカルトの吹き溜まりのようになっていたのである
宗教だとキリスト教でもイスラム教でも基本的に偶像崇拝を拒否する、これは共通しているのである、これが日本にないから結局カルトがはこびることになる
第一カルトの創価の応援で一体化しているのが自民党なのだからカルト政権だともなる
自民党はもともと農民とかを票田としていたがそれも弱体化してカルト団体にも頼るようになったのである、都市部でカルト宗教団体が創価などのように増えたからである

●なぜ宗教にかかわるとやめられないの、奴隷の霊が与えられるから

あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父」と呼びます。

ともかくなぜ宗教がかかわるとやっかいになるのか、また宗教団体に入ると簡単にやめられなくなるのか、それは霊と心とかにかかわるものだからである
霊とか心を支配するからである、そして偶像を崇拝するようになる
だから偶像崇拝は危険なのである、唯一の神ではなく様々な偶像を崇拝する
その偶像に一番なりやすいのが人間なのである、だから教祖はオウムでも偶像になり
創価でも池田大作が偶像になりとかまた師でも偶像になる、ただ師を讃美するだけのロボットにされるのである
それで禅宗では師を殺せとして師の偶像化を拒否したから私は禅宗に惹かれるのである

そしてなぜカルト教団でもやめられないのかとなると心を霊を支配されるのからである
自由の霊ではなく奴隷の霊が与えられるのが怖いのである
地獄に落ちるとか罰当たるとかにおびえるのもそうである、それが意外と有効なのであるそのことで奴隷にされるのである、だから一旦霊が支配されると奴隷化されてしまうのである、それが肉体的なことでなく心のことだからやっかいなのである
ただわからないのはそういうカルト教団の幹部でも地獄と罰を恐れている
その恐れは世俗生活で失敗することである、事業でも何かするにも何か事故があったり
生活がうまくいかないことがあることを恐れているのである、それはあくまでも世俗的なことであり宗教自体の恐れではない、カルト教団は損かと得でしか考えない
御利益があるかどうかでし考えない、だから損することを異常に恐れているのである
要するに損得が一番わかりやすいからそうなる
日本人の宗教は神道でも御利益宗教であり何か得があるとして賽銭を入れるのである
それをもらって得するのは神主とかであり本人ではない、それはカルト教団でも得するのは幹部達であり信者は身も心も奴隷にされる
ただその幹部でも地獄とか罰を恐れている、実際はお前たちが地獄に落ちる罰当たりなものだということが自覚できないのである、宗教詐欺罪でありそれは最も過酷な地獄に落ちる罰となっているかもしれないからだ

女性はどうしても頼り安いから霊も支配されやすいから何か女性がまずカルト教団に入りやすい、統一教会でも創価でも最初に女性が会員となり数を増やす、創価だと婦人部であり選挙活動をになうし統一教会でも母親がはまってその子供が二世が苦しんだ
つまりいかにそうしてカルト教団を親にもったものは苦しむかである
それもカルマなのである、宗教だと簡単に捨てることもできなくなるからだ
でも実際は御本尊とかでもそれは字が書いてあるだけでありもともとそこに何の力もないのである、なぜなら簡単に紙だから破ることも燃やすこともできるのである
そうした人もいるしそれで頭が七つに割れるなどない、それを実証もできるのである
だからこそ神は目に見えないものなのである、目に見えなかったらそれを壊すことができない、偶像は必ず形になっているから壊すことができるからである
そういう宗教の基本が日本人は基本的に知らないのである、だから容易にカルトに洗脳されるのである

宗教とは何なのかー個々人のカルマは集団組織で解決しない 
(カルマは個々人が苦しまない限り解決しない)