2022年08月18日

晩夏―お盆は終わる(夏の海、夏燕、夏の鳥、虹 揚羽蝶)


晩夏―お盆は終わる(夏の海、夏燕、夏の鳥、虹 揚羽蝶)

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電線に山鳩がとまっていた
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朝早み釣り人あれや夏の海

夏の海光りまぶしく朝に来る

朝早み波音ひびき夏燕

我も濡れ一雨ふりて夏の鳥

山鳩に虹の断片里暮れぬ

夕燕盛んに飛ぶや夏の暮

雲赤く漁船帰るや夏の海

草深しジャコウアゲハ二羽の飛ぶ

大窓に三度ほど映る夏の月



月見草草叢深く咲きにつつ里は暮れにきつつがなしかも

秋めきて夕風涼し鉢植えの桔梗を買いぬ我が家にそ飾らむ

我が家に帰ればかすか虫の音の聞こえて我は一人かな

石二つ庭の日影に今日もあり黒揚羽来て去りにけるかな

行燈のともしびあわれ幽かにも面影浮かび消えにけるかな

我が墓にお盆に参り花さしぬ家族はみな死に月日は過ぎぬ

我が家に鉢の桔梗やそれぞれの人生を語り郷土に生きぬ


お盆も終わった、今は季節的には晩夏なのだろう、まだ暑いからだ
でも30度くらいだと涼しい、一回外に出たら雨がふったがふぐやんだ
空を見たら虹がかかっていた、でも断片でありすぐ消えた
山鳩が電線に止まり道路の水たまりに雲が映っている

ジャコウアゲハは8時ころ飛びたちまた庭にもどり飛んで消えた
そして真野川の土手の道を行くとジャコウアゲハを二羽みつけた
この辺を飛んでいるらしい、二羽もいたというのはめずらしい
蝶道があるとかいいうからこの辺を飛んでいるみたいだ

晩夏でもあきめいてきている、虫の音も聞こえる、スーパーから鉢の桔梗を買って飾ったやはり今夏から秋に向かっている、でもまだ残暑があり夏である
夏は夏らしいのがいい、でも34度とかなると厳しい、ぐったりして何もできない
頭も働かない、とにかく今年は暑くて遠くに行けない、原町に昨日は行ったが熱中症を恐れているので行けない、だから家に籠っているのである

海の方には夕陽がさして雲が浮かんでいる、そして漁船が帰ってくる
これがこの辺の日常的風景である、朝には海に太陽の光りがまぶしく釣りする人がいた
ここは海からの風が涼しい、会津とか山の方になると暑くなる
でも川があって川風がありそこにもやはり涼しさがある
ともかくまだ夏は終わらない、夏はもう最後に熱く燃える、高校野球のように熱い青春ともなる
ノウゼンカズラは一時散ったが今も盛りに咲いている、この花だけはこんなに咲く、これは夏にふさわしい花である

ジャコウアゲハが私の庭にとまって一夜明かす、今もとまっている (動植物にも人間の心が通じる?)


ジャコウアゲハが私の庭にとまって一夜明かす、今もとまっている

(動植物にも人間の心が通じる?)

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電灯の明かりに見えたジャコウアゲハ

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雨の中で庭に止まっているジャコウアゲハ

8時45分くらいに飛び立った



動植物でも神秘的である、蝶はその中でも謎であり神秘的である
これは科学的に生物的に研究している人がいる
私は文系なのでそれはできない、でも蝶は蜜を吸って生きているのかと見ていた
でも葉も食べるのである
それは日ごろから蜜だけ吸って生きていけるのかと思っていた
花が少ないし簡単に見つからないことがある
葉ならいくらでもあるからなるほど葉をたべていれば生きていけるとなれば理解できる
草食動物があり草や葉だけで生きるからそれありだとなる

ともかくジャコウアゲハを川の土手で見た、その次の日に私の庭に止まって一夜明かしたのだ、このことが不思議なのである
なぜ私の庭に来て木の葉に止まり一夜明かしたのか、そして今も止まっている
だから外で見たとき何か心が通じ合ったのか?
あなたの庭に行きますからよろしくとかなっていたのかもしれない
蝶は曇りとか雨になれば飛ばない、光に反応して飛ぶからである
だから曇って雨になり今日も雨だから動かないのである

動植物は科学的分析しても謎になる、そもそも自然界はまだまだ謎なのである
その謎は解き明かされていないのである
それと私がここで問題にしているのは人間と動植物でも心が通い合うのかということである、何か植物でも愛情をもって育てると育つとか言われる
それは眼に見えない愛というものが通じるかなのかとなる
植物とか花の不思議はその土地に合わないと咲かない、それで私の庭の一部は土地が悪く咲かない花があった、ただ薔薇だけは一杯咲いてのである
だからこれも謎である、こんなに一杯咲くのかとうれしかったからだ

もう一つ今年は7月にノウゼンカズラが一杯咲いた、でもそれから散った
でも今も一杯咲いている、蔦が家に張ったので切ったがすぐに伸びて一杯咲いた
もともとこの花は一杯咲くのである
でもなぜこんなに咲くの不思議である

我が家の栄いけるかもノウゼンの一時は散りてまた咲き満ちるかな

今日もまたニチニチソウに水をやる

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ニチニチソウにはこんなに色が多様である
これは通販で売っている、一万もすると高いと見た


庭に咲く花や家を飾る花はその家と関係しているかもしれない、ただノウゼンカズラは別にどこの家でも咲いている、そして鉢植えのニチニチソウを部屋に飾り水をやる
このニチニチソウという名まえがいいのである、毎日咲いているとなるからだ

いづれにしろ花も神秘でありその種類も多い、だから花も不思議だとなる
ただ花でも美的なものとして見るだけでなく育てるとなると土だと花を科学的に知る必要がある、それが文系では苦手である、花も肥料をやらないと咲かないからだ

ともかく老人の趣味とかで園芸はいい、それは毎日身近で植物と花でもかかわり見れるからである、遠くに行くとなるとめんどうになるからだ
まず多少病気になっても庭があれば慰められる、花や植物や木に慰められる
それで病院に半年とか入院していた人は家に帰ったら回復したということがある
つまり病院には何か癒すものがないのである、無機質な空間なのである
医者でも看護婦でも確かに懸命に仕事している

でも家族の役割はにないないとかある、そもそも医者とか看護師でもどうしても大勢の患者を診るからとてもみんなに親切にはできないのである
だから議員でも番号で呼ばれたとかなる、それはみんな大勢の一人にすぎないからであるその人は妻をなくしているから家には一人である
でもその家は若い時苦労して建てた家であり誇りとなる家である
だから家に帰った時、そこに安心があり家とともに威厳を保てるともなる

病院ではただ病気をもったやっかいものとしかならないのである
そこに病気にどう対処するかとなるとただ身体を看るだけでは人間には対処できない
心の問題がかかわってくる、ただそこは医者でも看護師でも限界がある
だから看護師でも家族の代わりはできないと言っていた
それより私は看護師に虐待されたから看護師は患者をとくに老人をやっかいものであり何ら生産性のない者とも見ている、そもそも病人を嫌がっているのである
老人を嫌悪しているのである、それはこれだけ老人が多ければそうなる
病院でも8割とかもう老人だらけだからである、もし老人でも少なければこうはならない希少価値があるとなる、それが今は全くないから老人にとって生きにくい時代なのである

まず医者とか看護師でも性格の悪い人は普通にいるのである
でも性格は見ない、医者の技量だけをみる、でも直接人の体にふれて看るというときそこに愛が通わないとできない、でも愛といっても大勢になると対処しきれないのである
あなたは特別の人ではない大勢の中の一人にすぎないのである
家族だったらあなたは特別な人であるが病院でも患者は大勢の一人にすぎない
だから番号で呼ばれたりするのである

ただぜいたくを言えば病院には広い庭があり花壇があり散歩できるとかなればいいとなる病院にはただ身体をみるだけではない、癒しの機能があってもいいとはなる