2022年09月19日

昭和33年の新聞記事(2) (貯金が奨励されていた、−映画館のこと)


昭和33年の新聞記事(2)

(貯金が奨励されていた、−映画館のこと)

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福島市の相互銀行で十月二十日から一か月間を貯蓄増強運動期間として映画会などを行っているが農村での効果がない、全国規模の銀行の福島支店でも農協の進出には手がでない東邦銀行でも貯蓄宣伝映画会に一千人近い観客がおしかけた

高度成長前は農民が主役であり農民から銀行に貯金させるために銀行が映画会をもよおして宣伝していた
この映画会というのは何かというと映画自体がめずらいしものだったのである
映画というのは簡単に見れないものだったのである


中学、高校時代、映画が好きで、映画評論家になりたかった。
だから、中2〜高2の4年間は年間200本以上の映画(洋画)を観た。
いい映画もつまらないものを知って初めて、良さが解るという理屈で、手当たり次第
お金が出来れば、映画館に行った。
そのころ、1年で公開された洋画は250本くらいだったから、成人向き以外は
殆ど観た年もあった。

小遣いがたくさんもらえる訳も無いので、親から昼食代(パン代)を貰い
お昼を抜いて、お金を作った。
親の財布から千円札を拝借したこともあった。(金沢市の映画館)

満員で扉を開けたまま伸びをしながら見た覚えがある。あれだけ大きな劇場がいっぱいになった映画は「ポセイドン・アドベンチャー」でした。(東京の映画館)

映写スタッフの主な業務は、映画の上映作業でした。
人の身長ほどある映写機に、丁寧にフィルムをかけていき、定刻に上映を開始します。
映画のフィルムはとても一人では持てないくらい大きく、軽トラの荷台にやっと置けるくらいの大きさで、映画一本分となっています。

金沢市では映画館が多かった、でも原町区の朝日座とか鹿島にも駅前に映画館があった、そしてニュースは必ず普通のドラマが始まる前に放送された
そのフィルムは鉄道で運ばれたのである、その時蒸気機関車だったのである
鉄道で運ばれるということはリアルタイムではない、何日遅れて放送されていたとなる
無線の時代ではない情報でも何か物として運ばれていたのである

要するに映画とか映像でも動画となるとなかなか見れないものだったのである
貸本屋から漫画を借りて読んでいた、人間はやはり映像を求める、だからデジタルカメラ時代になった、まず動画となると見ること自体が簡単にできない時代だった
動く絵を見ることは驚きだったのである
だからこそ金がない時代なんとか工面して映画を見たいとなっていたのである

そのフィルムを運ぶのに蒸気機関車だとどれくらい時間がかかったのか?
上野からでも相当に時間がかかった、一日かかりだったかもしれない、その頃情報は新聞が担っていたのである、だから古い新聞は今になると価値があると見た
つまり歴史の記録として価値があるものと見た、その頃一体どうなっているのかわからなくなっているからだ、ただ今だとインタ−ネットからでも昔を語る人がいるから当時のことがわかる場合がある

ともかく貯金が奨励されていたということは日本の経済が高度成長時代に向かう時代でありいくら資金があっても足りない時代だったのである
資本主義は資金が必要である、それで私の家で戦後店を始めた時その開業資金がなくて困った、それも数万だったのである
それでその数万でも銀行は貸してくれず知人に頼んだ話を何回も聞かされた
銀行は借りたい人が多い時必要であり価値あるものであった、今価値がなくなったのは借りたい人が減ったからである
その店といっても簡単なものでありただ商品を並べたようなものだったのである
でも物がない時代だから物を置けば売れたのである
昭和33年代はまだ農業中心の経済だった、だから農民から貯金を集めようとしていたのである

何か個々人でも記憶は時間がたつにつれてあいまいな希薄なものになってゆく
だから個々人の記憶だけではないみんな記憶を集約することが必要になる
ある人はその当時こういう経験していたとか私はこういう経験したとかを語る
すると当時の時代的な全体像が浮かんでくる、イメージできるようになるのである
映画館一つにししてもいろいろだからである
ただ映画館に対する熱気は今と違っていた、立ち見して見ていた、それもかなり疲れる
でも映画を見たいとういことでそうなっていたのである

人間は情報を得たい何かを知りたいということは変わらない、それでテレビ時代となったのは何かテレビに動画が写るだけで驚きだったのである、映画でもそうだが次はこうしてテレビ時代になった、このテレビに対する熱気も異常だった
みんなテレビに釘づけになったのである、それは昭和33年頃テレビが出てきたのである
でもどうしても高校までオリッピックの時蒸気機関車がこの辺を走っていたことが不思議なのである、そんなころまで蒸気機関車だったのかということが不思議なのである
蒸気機関車だったら上野までどれだけ時間がかかったのかとなる
東京とか上野は遠い所だったのである、そして考えられないのは原町紡績の中に引き込み線があり鉄道で生糸を運んでいた、それを横浜まで運びアメリカに輸出したとなる

それは戦前だが蒸気機関車だったということが何か自分の場あい思い出せないのである
というのは高校までは蒸気機関車に乗ったけど蒸気機関車で遠くに旅したことがないからだったともなる、その後鉄道マニアのようになったのは鉄道で自由に旅した結果だとなる
人間は本当に一時代が過ぎると時代のことがわからなくなる、その雰囲気もわからなくなる、今なら貯金など奨励しない、貯金しても利子もつかないとかもう貯金してくれるなとまで銀行ではなっている、貯金しただけでもう今度は逆に財産税として税金をとられるとまでなる、それが時代の変化なのである
だから農協でも銀行でも昔とは感覚的に相当に違っている、農協、銀行、公務員は安定した就職先だったからである、地方だとエリートとなっていたからである
今は銀行員は投資信託とか株とか売る証券会社にもなったのかとなる
銀行に金はあっても投資先がないとなり金余りとなっている
そういう時代の雰囲気はなかなかわかりにくい、でも高度成長時代は日本では相当に恵まれた時代だったのである