2022年09月23日

秋の松島ー俳句短歌−写真 (半年ぶりに行った松島)


秋の松島ー俳句短歌−写真

(松島は浄土、修行の場)


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松島は海と牡丹が似合うのか、海とともに栄えた場所となる

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(観瀾亭)

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五大堂

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瑞巌寺

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走り行く電車に映える秋桜

山鳩飛ぶ実り広がる仙台へ

(瑞巌寺)

禅寺の門や松島初秋か

金地にそ紅白の牡丹大広間

殿の座に金地に梅や匂うかな

中庭に石の配置や秋に入る

(観瀾亭)

秋涼し観瀾亭に茶一服

太き根の露に見ゆや秋に入る

(五大堂)

波静か五大堂古る秋鴎

秋涼し松に囲まれ五大堂

波静か洞の仏や秋に入る

瞑目す石仏いくつ秋に入る

地に根付き太き根っ子や里の秋


(瑞巌寺)

青苔に秋の日さして石仏の瑞巌寺にそ古りにけるかな

一匹の虫の音聴くや石仏の瑞巌寺にそ古りにけるかな

門の外海の碧くも島見えて秋の日あわれ歩む人かな

(五大堂)

銀色に水面きらめき五大堂松古り囲み秋の日暮れぬ

常盤木の松の緑に五大堂秋の日さして島々暮れぬ

(観瀾亭)

秋の日や石に根を張る木の太し茶一服飲む観瀾亭かな

・・・・・・・

石仏の重なりここに祈りかな秋の日さして跡そあわれ

松の影濁らぬ海に映しつつ石の仏に秋の日さしぬ

雲晴れて島々見えるうれしかな秋の鴎も一羽飛びくる

松島の緑うるわし島の間の波に浮きゆる鴨の群れかな

名も知れぬ小島一つ松島の奥にそあれや秋の日

老夫婦たずねてあわれ松島に秋の日さしてはや暮れにけり

松島に芭蕉泊まると千金の値にあれや秋の日暮れぬ

久々に仙台に来て花を買う五色の花や我が家に映えぬ

みちのくに住みて長しも点々と秋の灯ともり電車に帰りぬ



久々に晴れたので松島に行ってきた、ちょうど松島に来て晴れた、天気予報は午後から晴れるとあったが曇っていたのでどうなるか心配だった
天気予報はあたっていた、午後から3時ころから晴れてきたからだ
松島だったらいつでも行ける日帰りコースである
これも他から見たら贅沢だとなる、ところが名所でもあまりに近くにあるとその感覚がなくなる、いつも見れるし当たり前だとかなる
松島は遠くでは常に憧れの地だった、だから芭蕉も期待して来た、でも俳句が作れなかった、その理由はわからない、場所の泊まったという宿がレストランになっていた
その三階からのながめが良かった

松島はもともと修行の場だった、修行者が僧がここに集まったのである
瑞巌寺とか寺がありその領域は広かった、他にはひなびた漁村であり漁師くらいしか住んでいなかった、でもそういう場所でも相当数の修行者が僧が集まった
それで不思議なのはどうしてそういう人達は洞にこもり修行できたのか?
必ず食べなければならない、誰かがその食事を用意しなければならない、
9年坐禅を続けたとされている達磨大師でも食事を運び人がいたのである
その食事を一人のために運ぶことも容易ではない、ここが何か見逃されている
近くの霊山でも山で修行した人達が相当数いた、でもそんなに多い僧が山の上でどうして食を得たのか?やはりあの山は岩山でありそこで食べるものがない、とすると山に誰かが食料をもっていかねばならない、それも大変な労力になる

ただ山を修行の場としてきたのが天台宗でありそれが寺の起りである
比叡山でも山に寺があり修行する場としてあったからだ、それを民間では山伏とかなり受け継いだのである、山形県の山寺でもそうである、山を聖なる場として修行したのであるだから今の都会化した完全に俗より俗化したカルト宗教団体などはまずそういうふうに
心を山で浄めるとかの志向が全くないのである
完全に政治化経済化した俗なる世界にひたり俗世界よりぎらぎらした欲望を追求しているだからこそ数もあれだけ集まる、欲をおさえよとか心を浄めるなどない
ただ煩悩即菩提であり煩悩があればあるほど救われるとまでなっている
だからそこにもう宗教が求めたものはなにもないのである

山には仙人が住んでいたとか老子が始祖の道教がもともとあってそれが仏教と混合して
修験道が生まれた、ただなぜ仏教が興隆したのかとなると山伏でも民間で山からおりて様々な人間の悩み苦しみに対して何らかの効用があり頼むものとなった
だから薬草を山でとり薬を処方したり病気には祈っていたとなる
つまりなぜ仏教が栄えたとなれば病気を直すために祈ったことによる
会津で8世紀にすでに仏教伽藍があったとか僧侶が相当数来たのは病気が治ることで祈ることからそうなったのである

ではなぜ松島が修行の場となったのか?、それもやはり山が聖なる場所であるように松島は風光明媚な浄土に見えたのである、ここで心を浄めるということで修行者が集まったのである、まず今のように大都会に人が集まりそこで生まれる宗教はたいがいカルトになる異様なものとなるのはやはり清浄な自然から遊離してしまったからそうなる
おそらく松島は海に面していて魚介類がとれるから貝とか他に魚でも食べたのかもしれない、海でとれるものがありそれを食べた、魚を食べないといっても魚もとれるのだから食べたかもしれない、どうしても今になると何を食べていたのだろうと疑問になるからだ
そもそも一般人でも食べることができなくなり乞食になったりした、そして乞食では布施されないとしてにわか僧にもなった、それは四国の遍路になったホームレスもそうだった乞食なのだが僧だとして経文を唱えて金をもらうになった、その人は全く宗教とは関係ないが食べるためにそうなったにわか僧でありペテン僧だとなる
それは昔もあったのである、ただ昔は食べることが切実だからそれを必ずしもとがめることはできないともなる、つまり乞食と僧の見分けがつかないのである
今でも僧は働く人からすると修行もしないし楽だとみられる、ただお経を唱えていればいいとなるからだ

鎌倉時代に東北にも天台宗から分かれた禅宗でも広まった、特に瑞巌寺は禅宗であり伊達政宗が禅宗だから重んじられた、武者の間とかもあり僧だけの寺ではなかった
伊達政宗の寺ともなっていたのである、禅宗と武士は相性が良かった、一方で真宗と日蓮宗は民衆化した宗教として普及した
豪華絢爛な安土桃山文化を象徴するのが黄金の襖の障壁画である
観瀾亭の障壁画模造品である、本物は瑞巌寺にある、秀吉が黄金の茶室を作ったように
黄金の時代にもなる、瑞巌寺の障壁画も見事である

東北だとやはり歴史的にも文化的にも仙台が中心になる、そこまで日帰りできることは
恵まれているともなる、福島市とかには歴史とか文化を感じないのである
二本松の城には感じる、景色もいい、東北だと私の住んでいる浜通りでも波が荒く打ちつける、荒寥としたものともなる
でも松島は入江であり島々があり穏やかなのである、こういう光景は東北にはあまりないのである、だからこそ修行する場としてはいいとなる

 松島で古人となる歟(か)年の暮

 松島で死ぬ人もあり冬籠(ふゆごもり)

 「風流行脚の途次、松島で死の本懐をとげる人もある。そんなうらやましい人のことを心に思いながら、自分はぐうたらと火燵行脚の冬ごもりを極め込んでいる」とある
 
 http://yahantei.blogspot.com/2006/06/blog-post_28.html
 
松島で死ぬ人もありというときここで修行して死んだ僧たちのことを思っていた
古人となるかもやはり死ぬことである、松島は風光明媚でありそこは死ぬにふさわしいともなる、浄土でもあり死に場所としてふさわしいとなる
江戸時代だったら松島でも一回としか来れないから余計にそうなる
いつでも行けるとなると何かえりがたみがなくなる
私はここ十年以上旅していない、今になると東京でも京都でも奈良でも大阪でも遠いとなる、別に行けるのだが何か行けないのである
家を留守にすることもあり行けることは行けても行けないのである
これだけ旅行したのだからもう悔いはないとなる
近間だけでもいいともなる、近くだと四季に行けるから別に遠くに行かなくても深化できる、松島でも春から夏でも冬でも行っていた、ただ秋には行っていなかったのである


古代における山林修行の資糧ー乞食ー蘇軾
http://renbutsuken.org/wp/wp-content/uploads/2011/04/Kobayashi3.pdf