2022年11月30日

冬の菊が似合うもの(葉牡丹、冬桜、冬薔薇) (磐長姫のことなど)


冬の菊が似合うもの(葉牡丹、冬桜、冬薔薇)

(磐長姫のことなど)

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冬桜農家の古りて石の蔵

世も変わる家新しく冬桜

この家に仕事場あれや冬の菊

細工する仕事やここに冬の菊

同じ道今日も行きにき冬の菊

冬の菊夫に仕え歳古りぬ

墓守る我が一人かな冬の菊

葉牡丹や磐長姫を想うかな


石ここに置いて幾年なじむかな葉牡丹植えて冬の日暮れぬ

冬の日に誰と逢うべし静かなる昔のことを語るもよしかな

冬の薔薇五六輪の蕾見ゆ咲きしを待ちぬ我が庭にあれ


俳句は写生だというとき一見何でもないようなものでもそこに俳句になるもの詩になるものがある
そこは農家なのか畑仕事をしている人がいる、だから納屋みたいなものがあり道具類が置いてある、そこに冬の菊が目立たないように咲いている
冬の菊というとき何か質素な夫に仕える妻のようにも見える
木工の仕事をするものも合っている

葉牡丹は岩長姫に似ている、見映えは良くないが体が丈夫で農作業などができる女性だとなる
庭の石は何かここになじむにも時間がかかる、何でも人でもそうだし時間をかけないと信頼関係は作れないのである、そして老人になるともうそうした時間がないのである
だからかえって死者が親しくなる、死者でも家族だったら長い時間を一緒に暮らしたからである
だからわからないのはら熟年離婚なのである、これも増えている、でも68歳とかで熟年離婚して親しい信頼関係が作れるのか、おそらくその人は元気だから不倫だったのかもしれない、その年でもそういう人は現代ではいる、ともかく元気な人は元気であり老化して弱る病気になる人もいるが今は元気な老人が結構多いのである
何か老人が若返り性欲も復活してそれで夫婦の仲が悪くなったという映画を見たことがある、その人はそういう人かもしれない、だから元気すぎることも困る面がある

人間は近くでも良く見ていないのである、灯台下暗しなのである
いづれにしろやはりそこに何らか暮らしが仕事が生業がないと自然でも活きてこないのである
だから空家が多くなるとき淋しいものとなる、その家は医者としてこの辺では常に話題になる人だった、でもその人のことを語る人もいないのが不思議なのである
それはその人とかかわった人も死んだことにもよるがこれも不思議だとなる
ただその人の残した家がありそこは空家化して庭には紅葉が映えている
でも地震で壊れた部分を屋根瓦など直していないから荒れてくる、一部は屋根瓦から草が伸びている、そしてその家の一人息子も死んだのである、その子供は東京にいるがこの家はただ放置されるだけなのかとなる
これももったいないと思う、ただそうして空家化しているのは原発避難区域だったら空家だらけであり空家の街にもなっている

とにかく誰か住んでくれとなる、でも人が移り住まないのである
小高だったら原町に住んでいる人が多い、浪江の人も住んでいる
この空家問題は大きな問題である、街の中でも空家が目立つのである
それが活かされていないのである、ただ持ち主がいて勝手にはできない
でもそうして放置されている家でも土地でも何かただ迷惑になるだけである
ただすぐ近くの街中の空家が数日かかって壊された、そこは空いた土地になる
そういう時隣の人が利用しやすいのである
土地を買う手に入れる時簡単にできないのはいろいろ事情があるのでできない
でも隣の人だと利用しやすいとなる、私の隣でも空家であり広い庭がある
だから庭を利用したいとなるか持ち主がいて事情があってできないとなる

原町へゆく高平の農家の庭が広く椿と冬桜が咲いていた、石の蔵もある
そこの家は古い、冬桜はいいものだと見た
やはり家でも庭でも人が住まないと活きてこないのである
空家一千万とかなるのも恐ろしいし温泉街が廃墟化したり日本が縮小してゆく時
空家や耕作放棄地が増大している、そのことが大きな問題なのである
全体に縮小寂れていく、その極端なものとして原発事故で町や村自体が廃墟のようになっていることなのである、これは回復できないように思う
一旦あれだけ荒廃するともう回復できないように見える
ただ老人だけが残ってどうしても復興できるように見えない、墓場のようになってゆくのかともみる、外国人でも住んでくれともなるかもしれない、なにかいい方法がないのである

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木花之佐久夜毘売とともに天孫邇邇芸命(ににぎ)の元に嫁ぐが、石長比売は醜かったことから父の元に送り返された。大山津見神はそれを怒り、「石長比売を差し上げたのは天孫が岩のように永遠のものとなるように、木花之佐久夜毘売を差し上げたのは天孫が花のように繁栄するようにと誓約を立てたからである」ことを教え、石長比売を送り返したことで天孫の寿命が短くなるだろうと告げた。

『日本書紀』には、妊娠した木花開耶姫を磐長姫が呪ったとも記され、それが人の短命の起源であるとしている。

また『古事記』において大山津見神の娘で、須佐之男命の子の八島士奴美神と結婚する、木花知流比売(このはなちるひめ)は石長比売の別名であるとする説もある。


この神話でも事実に基づいている、今でもそういうことがありうるからである
農家だと磐長姫のような女性を嫁にした方が仕事ができるからいいとなる
でも男性は美人の方を好むからこういう問題が起きたし今でも起きている
ここに大山津見神というのが出て来るがこれは郷土史の方で考察したようになぜか相馬地域に多いし他でも思った以上多いのである


2022年11月29日

なぜカルト教団の被害者が多いのか (大衆化による地の塩たる真のエリートの消失した現代社会のため)


なぜカルト教団の被害者が多いのか

(大衆化による地の塩たる真のエリートの消失した現代社会のため)


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●カルマはカルト教団に入っても解消しない

人間はなぜカルト教団に入り被害を受けるのはなぜなのか、これは人間特有の問題である人間は何かそもそもその家族でも何でも不可解なのである
科学でも合理的にでも解決してきたのが人間である
でもなぜ依然として人間の謎があり不可解なことがあり解明されないのである
先祖の因縁というとき本当にこれはあると思う
ある人は妻は夫の病気で苦しめられた、20代で手術して肺結核になり半身不随のようになった、ほとんど仕事ができなくなり一生妻の世話になるような状態だったのである

そして不思議なのはその娘もなぜか夫に苦しめられることになった
夫はもともと技術者であり優秀で会社に勤めていた
でもやめて事業を起こして借金して苦しむことになった
つまり母親と同じように夫で苦しむようになったのである
だからこれも因縁なのかどうかわからないがカルマというのはあると思う
ただカルマがあったとしてもそれを言って金をとることは金をとる方が悪いのである
ただ確かにカルマがありそれがめぐりめぐってくるのである
ではカルマを解消するために因縁をたちきるためにカルト教団に入ってできるかとなるとできない

金をくれたらカルマを因縁を解消してやりましょう

こんなことを言うのはただ金が欲しいだけだからである
そもそもカルマは本人が苦しまない限り解消しないのである
また苦しまない限りカルマを認識することもできないのである
なぜ私は夫のことで苦しむのだろうというときそういえば私の母親も夫に苦しんだなとふりかえる、そこでカルマを意識するのである
そうでなければ母親が苦しんだことを理解できないのである
つまり例えば親が子を捨てるとその子も親を捨てるとかなる、逆に親を捨てると親になったとき子に捨てられとかなる、そういう因果がめぐってくる
国の関係でも日本か高度成長時代の時はアジアで女性を買って遊んでいた
今や逆に日本人の女性が貧乏になり買われる時代になったのである
これもカルマである、かつて日本人はアジアで同じことをしていたからである

国と国の関係でもアメリカが原爆を落としたということがアメリカのカルマとなる
つまりアメリカに原爆が落とされて始めてその苦しみを理解するのである
こんなひどいことなのかと理解する、実際にそれはそうされてみない限り理解できないのである、よその国の人が苦しんでも自分の国で苦しまない限りわからないのである
アメリカはアメリカ国内が戦場になったことはないのである
だからアメリカが国内でも爆撃されて大量に死んでみない限り戦争の悲惨さは理解できないのである
だからカルマは必ずめぐってくる、人を苦しめたものはやはり苦しめられるのである
上に立っていたものがやがて下になる、繁栄でも栄えていた国でも衰退する
イギリスなどがそうであり日本でも30年くらいで衰退したからである
次に衰退するのはアメリカなのである、恵みはいつまでもつづかない、必ずめぐりめぐってくるのである

だからアフリカで貧乏でもいつか栄える時が豊になる時が来る、そのために時間が必要なのでる、例え日本国内であれそれぞれの国であれ栄える者と栄えない者が必ずいる
でも時間が過ぎると一代だけではない二代三代と家がつづくうちに貧乏でも栄える家が生まれる、ただ時間がかかるのである、つまりある言えか栄えるには一代とか二代がかかり犠牲になるということもある、親が苦労してその次の代を栄えさせるということがある
だから共産主義のように急速に一様に平等にすることは無理なのである
そのためには革命となっても多大の犠牲があり死者がでるからである
その平和的解決は時間をかけることである、性急には変わりにくいのである
時間の中で貧乏な人でも豊かになってゆく、それを一気に暴力革命で平等にすると失敗する、それが共産主義でありそこで何百万にも粛清され殺されたとなるからである
そこには無理があり性急だから失敗したとなる

●平等は不平等になるー時間が解決する不平等の問題

とにかくカルマはめぐり恵み(めぐみ)もめぐるのである
いつまでも不幸な家系もないし個人もない、かえって必ず一生をみれば幸福と思えたことは不幸に因になったりしている、逆に不幸の因が幸福の因だったということにもなる
それは長い一生をふりかえればみんなそういうことを経験することになる
一生楽で終わる人などいないのである
だから若い時は進んで苦しんでおけ苦労しておけとなる
それは必ず人生は楽に終わらないからである、だから早いうちに苦労していた方が後の耐性を作るとなる
だから若い時享楽に費やしていたりすると何か良きことを成すこともできなくなるのであるそれだけ人生は短いからである、時間を無駄にしたことこそ取返しのつかないことになる
本当に今になれば一瞬一瞬でも真剣に生きて時間を無駄にしなければよかったとなる

それでカルト教団に時間を費やすことほど無駄なことはなかったとなる
まずそのために人生をそのものを失うことが怖いのである
一生精神的にも金銭的にも奴隷にされてしまうからである
つまり霊が支配される、奴隷の霊が与えられることが怖いのである
宗教に呪縛される、悪い方に呪縛される、そして奴隷にされ金銭でも貢がされる
そして偶像を拝まされるのである、そういう団体の教祖は偶像であり偶像はサタンであり使役されるとなる
そうして呪縛されるとなかなかぬけられないのである

人間は不可解なものだから人生でも不可解でありそんなことは迷信だとか言っても意外と有効なのである、カルト教団でもそこでは悲惨な不可解なことで死んだりしている
自殺したり倒産したり一家離散したりとかいろいろある
カルト教団に入っても解決しない、カルマだとすると自ら苦しまない限り解決しないのである、団体でそのカルマを背負ってはくれない、なぜなら個々人で家族でもそのカルマが違っているからである、集団的にカルマは解消しないからである
それで共産主義の過ちはそのカルマでも全部集団的に一挙に解決するように思わせる
それが革命になるのだがそのためにカンボジアで二百万人死んだとかスターリンで何百万人殺したとかなったのである、それは本来そうして人間の問題を解決するこが無理だったからそうなったのである、人間の問題を解決するのには時間がかかる
とても一代ではできないとなり何代かでやっと解決するとかなるからである

カルマとか苦しみはある所で終わる、どこまでもつづくということはない、ただ何代にもわたり継続するというがやはり三代くらいで自然と切れる、人間の一生でも一生苦しい人生はないように見える、ある所でやはり神はもしかしたらその苦しみを終えさせる
でも楽した人はやはりどこかで最後に老人とかなって苦しむともなる
一生でも苦しみがつづくとすれば耐えられないとなるからである
この人は苦しんだ人生だから最後くらいは楽にしようとかなるかもしれない、この人は楽な人生だったから最後に苦しませるとかなる
一見平等のようでもどこかで人間は平等にもなっているのかもしれない、そこに神の配剤があるかもしれない、ただそれも明確なものとしてわからない場合が多い

とにかく人間が運が大方決めるというのも真実である、でも運もめぐりめぐってくる
いつまでも不運な人はいないかもしれない、どこかで苦しい人生が好転してくるかもしれない、ただそうした神の配剤は気づきにくい、それは国の運命でもそうである
いつまでも貧乏な国でありえない、中国だってそうなった、数が多いからみんなとはいかないまでもかなりの数が裕福になったからである
いつまでも不運な人も家もないしいつまでも幸運な家も人もいないとなる
それは一気にではなく時間をかけて平等になってゆくと見る
金を天下の回りものでありやはり貧乏な人にもいつか回ってくるともなる
そういう運命も神が関与しているかもしれないのである

ただ不運に死ぬ人もいる、事故で死ぬ人もいる、その理由はわからない、カルト教団ではそれを言うがその教団内でどれだけ不幸な人達がいるかそうしたことは解消されないのである、むしろ近くで創価に入ったら息子が若くして病気して死んでその後に母親も死んだのである、他では親が自殺したとかなんとかいくらでも不幸なことは起きているからカルト教団に入っても解決しないのである、それは結局不可解だとなってしまうのである
むしろカルト教団はその信じる宗教によって呪われたものなのである
なぜならそもそもがその信仰が全くこの世のものと化してこの世の利欲を達成するためのものとして利用されるからである、そこで矛盾になりかえって仏でも神にも呪われるとなる、そこに神の祝福はないのである、神を仏を語り金でも何でも貢がせる、そして魂を呪縛する、それはサタンであり悪魔の所業にもなる
そもそも他者を罰当たるとか罰せるとか地獄に落ちるとか言えるのか、その人はどんな人なのか、その人を良くみたらわかる、その人自体が地獄人間なのである
確実にそう言う人間こそ地獄に落ちるのである

●大衆化によって真の指導者を失った社会はナチスになる

要するにカルト教団は自滅する運命にある、そんなもの一時的利益利権を求めるものだから消える、宗教とは世俗を超越したものを求めているからである
何百万人も集まる人間がどういう人間なのか、押して知るべしである
本当の信仰は極わずかの小数者のものであり絶対に多数のものにはなりえないのである
むしろ地の塩たる少数者でもいれば祝福があり全体にも祝福が及ぶのである
だから数が多いということは宗教的観点からすればすでに俗化したものであり地の塩ではない世俗的なものに染まった堕落したものなのである
でも数が多いということは民主主義社会では権力となるから数を集めるのである
それは誰とか問わない、その罪も問わない、ただ一票として数えられるだけである
あとは一切問わないのである、そして権力を手中にして世俗の利益を利権を得ることなのである

要するにカルト教団が生まれたのは大衆化に原因がある、もともと宗教は少数者のものでありその人達が地の塩となって民衆を導いたのである、これも堕落したにしろそうして極一部のものが修行して民衆を導いたのである
それが何でも大衆化したときもう指導する者もなくただ大衆の成されるままになり結局全員が堕落したものとなってそれが普通になった、結局そこで誇るものは数しかない
毎日会員を増やすことであり一票を得ることでありその外なんの興味もないとなる
数を増やすことが即権力と金でも地位でも何でも結びつくからである

貴族社会というと反発されるがそれがすべて悪いものでもなかった
必ず社会にはいい面と悪い面が生まれる、だから貴族社会にもいい面があり悪い面がある
「ノブレス・オブリージュ」の核心は、貴族に自発的な無私の行動を促す明文化されない不文律の社会心理である。

貴族には戦争でも国を守るために率先して先陣に立った、イギリスの貴族とかそうであるもちろん貴族社会とか階級社会であり全部肯定はできない、でもその中にもいいものはあったということである
戦争だけでなく貴族とは指導的地位にあり国民に対しても責任をもたされていたのである

そして日本でも侍がいたというときその人達はやはり貴族であり重い責任を課せられていた、だから切腹して責任をとったというから厳しいのである、それで庶民は侍に成りたくなかったのである、ただ金持ちになるとかいい身分とかになるだけではなかったのであるその侍がいて明治維新は成功したのである、なぜなら明治に指導者になったのは侍がほとんどだったからである、ヨ−ロッパと違うのは侍自体貧しかったことである
でも侍としての教育を家庭とか藩で受けていたのでその自覚があり指導者となりえたとなる
なぜ明治にあれだけ創始者となり創業者となった人達が多い、やはり侍として教育されて教養があったからだともなる、それは知識だけではない文武両道とかあり人間としてモラル的にも何か芯があり指導者になりえた
だから明治が終わり大正となり昭和となると何か暗い時代になる、世界的情勢の変化があるにしても日本は暗黒時代に突入したのである、そして太平洋戦争で三百万人も死んだのである、その時侍などいなくなった、ただ侍のまねをしていただけなのである
ただそれは日本だけではないヨ−ロッパとかでも同じでありヒットラーのようなナチスが生れたのもやはり貴族というのがヨ−ロッパでもいなくなり大衆化したからだとなる
なぜならヒットラーは民主主義で生まれたのであり大衆から選ばれたものだからである
大衆の代表として生まれた者であり貴族とかではないしその自負もないし責任も持たなかったからである、これは日本だけではない世界全体でも起きたことである

●大衆は責任を持たないー日本に福祉がないのはパブリックなものが育ったなかったから

ともかく大衆化とは誰も責任など持たない社会である、要するに利益利権を得ることしかない、カルト教団でもそうである、そこに真の指導者はいない、教祖となるとヒットラーとたいして変わりないのである、そもそも大衆を指導する者は大衆に媚びるというか大衆のレベルに合わせなければならないから低俗化するのは当然だとなる
そうしなければ会員でも票も得られないからである
人間には何か必ずいい面と悪い面が生まれる、例えば長子を重んじて家を継がせることは不平等だとなり廃止された、でもそうなると誰も家に責任を持つ人がいなくなる
そんな家など古いとなってもやはり家を継続する者が責任者がいないことは大事なものが継承されないともなる、だから延々とつづいてきた伝統というのは何かそこに継承すべきものがあり知恵がある、それを全部否定して平等にしたのが問題なのである
結局誰も責任者もいない、大衆は利益利権を要求しても責任は持たないからである

徳川時代に武士が若死にしてもその未亡人や遺児を職場の雇い主である大名がめんどうをましみた例かない、みんな親類縁者に頼った
まして商家の丁稚、手代や地主の作男になると必ず親兄弟が身元引受人になり連れ帰ることになった

ヨ−ロッパの慣習では国王に仕えた騎士が死ぬと未亡人を保護した
男爵家で働いていた馬丁が死ぬと未亡人は国王が保護した
遺児は男爵家で育てなければならなかった
(現代を見る歴史―堺屋太一)

これもノブレス・オブリージュであり雇う方で責任が持たされていたのである
それだけの経済力がないとできないこともあった、日本でそれがなかったのは経済力がなかったからだともなる、でもヨ−ロッパでは確かにパブリックなものが発展した
日本の福祉はみんな家族で背負う、パブリックなものがないからそうなる
だから貴族社会でも侍社会でもそれをすべて不平等として否定することには問題がある
結局現代は大衆化してもう指導する者もいなくなった、ただ数だけですべてが決まるからである、そして大衆は責任を自覚もできないし持たないからである
そもそも侍なら責任を自覚させられて教育されるるが庶民はそんな教育などされないからである

要するに現代は大衆化して無責任社会になったのである、その指導者はただ数が決めるのでありその資質など問わないのである、だからそのレベルは大衆に合わせるのだから当然劣化するのである、そして大衆が力をもつとそれがナチスとか現代だとカルト教団とかになる、そこで一切高等なむずかしいことは言わない、大衆のレベルに合わせて御利益権力を得ることしか教えないのである、大衆に席巻されて価値ある尊いものは認められない
水平化されて何でも同じだとなる、大衆と同じレベルに劣化して価値ある尊ぶべきものは必ず卑しめられて水平化される、結局そうしてみんな劣化して俗化して同じだとなる
大衆は何か価値ある尊いものを重んじることはないからである

でもそれが逆に大衆にはねかえりカルト教団とかが跋扈して増殖して大衆化した宗教に苦しめられるともなる、つまり地の塩を失ったことが致命的なのである
第一地の塩といってもそれを大衆など認めないからである、みんな同じだというのが大衆だからである、それが逆に大衆にとってもいいものではないのである
誰も導くものはいない、ただ導く者は数を集めた人でありそれが大衆の代表者だからである、そもそもそんなに数を集めることが重要なことなのかとなる
でも選挙ではすべて数だからそうなるのである、そうしてもはや誰も導く者がなくヒットラーに導かれて大量に死ぬということにもなったのである

ただ誤解されやすいのが地の塩というとき特権階級でもない、金持ちでもないことがあるむしろ貧乏な人もいる、でも導く人にもなる、今のエリートはただ金持ちのことである
それでアメリカの富裕層に莫大な富が集中している、その人達は地の塩でもなんでもないただ世界から富を収奪する特権階級なのである、だから金持ちが地の塩でもないのであるでもすでに金持ちは責任がありその金を有効に使わないと金持の資格もないとなる
なぜなら金持つことが現代では一番の責任となっているからである
貴族もいない侍もいない真のエリートもいないとなれば金を多く持っている人が責任があるとなる、その責任を果たせない者は大衆からでも排斥されるとなる

2022年11月28日

銀行がすすめる投資信託や金融商品の危険 (退職金二千万でも高度成長時代から比べれば安い)


銀行がすすめる投資信託や金融商品の危険

(退職金二千万でも高度成長時代から比べれば安い)

例えば、手数料が3%かかる投資信託を年に3回乗り換えた場合、3%×3回=9%の手数料がかかることになる。

1年間で10%近い利益を出すのは極めて難しくなるので、回転売買がいかに顧客のことを無視した手法であるかがお分かりいただけるのではないだろうか。

【元銀行員が語る】銀行で損をする日本人?!


これは自分でも経験した、リーマンショックで半分に減った株が元に戻った時、これを説明もせずに銀行員が売ったのである、そして別なものに回した
とにかく銀行員は顧客のもうけなど考えていない、だから転売するのである
株ではわかったのは長期的視野で見れば儲かるようになっている
短期的にはもうからないのである、株は常に変動しているからそうなる
だから安全なのはインデックス投資でありこれを長期的に保有することである
そこで一時的には上がり下がりがあっても長期的にみればもうかる
だから投資は若い人向きだとなる、30年後とか見れるからである
ただ自分の場合そんなに損したとういうことではないから銀行員を責めるわけでもない

でも銀行員は昔と違ってこうした詐欺まがいのものもを売りつけるようになったのである銀行は今まではこんなことをする必要がなかった、借りる人がいくらでもいるから金を集め預けられた金に利子をつければよかった、だから銀行に貯金するだけで利子が7パーセントとかの時代があった
そして不思議なのは退職金が二千万としても少ないと見ている
なぜなら利子が7パーセントになっていたら一千万積んでいたら70万の利子が入る
十年で700万になる、約二倍になっていたからである
だから今は二千万でも利子はつかないから投資してもむずかしいから増やせないのであるまた物価でも上がっているから実質は2000万の価値がないのである
だから意外と少ないとみるのである
今は物価高だから5千万以上ないと余裕がもていなだろう
それより貯金そのものが日本の円そのものが価値がなくなっている
円安になり価値がなくなっている
だから日本の金をもっていても価値がないとなる

だから高度成長時代とは違った時代であり金の価値はなくなったのである
それは日本経済全体が落ち込んでそうなったのである
日本の円が価値がないということは日本全体の価値がないということである
2000万というと大きな金に見えるが実際は違っている
物価が上がっているから相当に目減りしているし高度成長時代から比べると2000万は高いものではない、それだけ金の価値は変動するのである
遂には紙切れにもなるのである

確かに今老人は高度成長時代に貯えた金を持っている人がいる、でもその貯えた金の価値が下がったのである、金自体の価値は変動しやすい、実物ではないからである
本当の価値は実物である、石油とかガスとか食料でも工業製品に価値がある
紙幣そのものに価値はないのである
だから金というのは使った時価値がわかる、家を買うとか車を買うとかカメラを買うとかいろいろ買った時金の価値がわかる
でも金自体には紙幣は紙切れにすぎないのである
だからもともと紙幣の価値を黄金があって価値づけていたことでもわかる
紙幣の価値は黄金が裏付けしていた、それが金本位制だったのである
金でも小判だったら金なのだからその金その物に価値がある
だから小判を貯めていたら安心だともなる、黄金としての価値はあるからだ
ただ持ち運びするものとして貴金属が価値があり貨幣代わりにはなっていた
ベトナムで金属の塊りの重いものが貨幣になっていた、そんなものを持ち歩くことができないからどうしても貨幣が紙幣が発達したとなる

ともかく今銀行は何の用があるのだろうかとなる、貸金庫なのか?金を預けても利子がつかないとしたらまた投資信託や他の金融商品を売りつけるとしたら証券会社なのかとなる実際何回も証券会社の人と一緒に投資信託とかを売りつけに来たからである
金を借りて事業を起こす人も今なくなるといくら銀行に金をあづけても利子をつけることができない、金を借りて事業を起こした人がもうけて利子をつけることができる
だから本当に銀行の役割がいろいろと支払いでもデジタル化しているからなくなったとなるから苦しいとなる

要するに何か価値があるというとき個々人の個々の価値ではなく、全体が影響している
日本に売れるものがなくなったとき価値あるものが作りだせなかった時全体が貧乏化するのである
それは原発の避難区域でもそうである、立派な家と庭があっても空家化して住む人がいなくなったからである、普通だったら立派な家と庭があれば住みたい、金を出しても住みたいとなる、でも回りに商店でもなんでもないとすると住みたくないとなる
私の住んでいる場所でもそうである、弁当屋がないとか百円ショップがないとかないものがあり一人暮らしだとそれで困るのである
人間は余りに普通は全体のことを考えないのである、自分が良ければいいとかなっているでも原発避難区域のようになったところではもう全体が駄目になったから立派な家と庭があっても住みたくないとなったのである

金とか紙幣の価値はもともと変動しやすい、実物でも変動するが金はもともとそれ自体に価値がないのだから本当に紙切れにもなる
だから退職金二千万でも実際は高度成長時代の価値と比べると安いのである
つまり高度成長時代だったら二千万は四千万の価値があったからである
その差が大きいのである、私の家を新築したときは400万だったのである
今なら3000万以上になっていた、こうして時代によって物価でも相当な差がある
だから今の二千万は少ないともみてしまうのである、それは時代が違うからでありもし
日本の経済が成長続けていたら退職金でも倍とかに普通になっていた
現実にアメリカとかでも給料が二倍以上になっているからである
日本では全然給料があがっていないからである

いづれにしろ日本はなぜ貧困化しているのか

やはり価値あるものを作り出せない、外国に売れるものを作りだせない、そして資源もない、するといくら日本の円を刷ったとしても紙切れにすぎないともなる
現実にカンボジアとかベトナムの紙幣は本当に紙切れにすぎなかったからである
交換もできないからである、ドルだったら今なら円と倍でも交換できる
それで失敗したとなる、ただあるゆる価値は変動している、何が価値あるかも時代によって変わる、でも長い目で見れば株はもうかる、確かにリーマンショックのような暴落もあるが経済活動は止まることがないのだから回復してもうかるとなっていたのである
ただ私の場合は株とかでもわからない、投資信託もわからない、売り買いするものわからないから銀行に頼んだのである、でも銀行でも証券会社でも手数料商売であり回転販売されることが危険なのである、株だったらインデックスだったら長期的になればもうかるとなる、でもそういうものは銀行でも証券会社でも手数料がとれないからやりたくないのである、ただ自分でも知識があり取引できる人は株でも投資信託でも金融商品でもしてもいいのである、それで全部損することはない、円安になれば余計にそうなる
でもその知識がないと簡単にできないから銀行とかに頼んだのだがそれがまずかったということである

仲介するものに頼むと何か問題が起きる、メデアも仲介するものだから真実の報道をしない、そして銀行もメデアであり仲介するものだと指摘する人がいたが確かに媒介するものでありその媒介するものによって歪められるのである
宗教でも真実の教えがあり神が存在するとしても仲介するものとして介入する人がいて
カルト教団にでも騙されるのである、牧師がいたとしても仲介するものでありその人に頼ると歪められる、直接媒介するものがなく神への信仰になっればそういうことはないのである、つまり仲介するものメデアに頼ると常に危険なものになる
でも人間そんなにいろんな知識がないのだからメデアに頼ることになって失敗する
つまりこれだけ高度な知識社会になるともう専門家に頼る、でもその専門家によって歪められることにもなるのである


posted by 天華 at 11:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2022年11月27日

発達障害の謎―計算できない、漢字が文章が読めない (抽象化が理解できないー人間を数字化抽象化する危険)


発達障害の謎―計算できない、漢字が文章が読めない

(抽象化が理解できないー人間を数字化抽象化する危険)

その人は精神障害とは違うようだ、知的障害であり何らかで文章が理解できない、また漢字が書けない、計算ができないとなった
でも不思議なのはしゃべることはできるのである
それは普通にしゃべることができる、だから会話ができる、またスマホもできるしラインで会話している、その時漢字を読めない書けないのに変換して理解している
その人は聾の人としゃべれない人とラインで会話している
これもどうなっているのか理解しにくい
漢字が書けない、読めない、計算ができない、数字がわからなくなるのは認知症でもそうなる、これはどういうことなのか?

おそらくこれは抽象的思考ができなくなっている、数字でも漢字でも抽象的思考ができないとわからない、漢字でも太陽を日とするのは抽象的思考である、でも漢字は実物と似せたものにしているから何か実物を連想することがある、でもやはり抽象思考になる
でも英語とかなるとsunなのだから完全に音だけであり抽象になる
だから音だけから実物をイメージするのはかなり高度にもなる、でもしゃべることはどの言葉でもみんなできている、でも英語でも英語を読んだりできない人が英語をしゃべる人でもいる、そういう人がまだ多く日本人はみんな新聞を読めるから優秀だとしている

ともかくなぜその人が漢字が読めないとか書けないとか数字がわからず計算できないとなったのか?
それは先天的なものでそうなったのか、それとも適切な教育をされないのでそうなったのか、というのはその人は父親にしょっちゅう殴られていたというからである
頭をけられたということも言っていたからである
こうして適切な教育を子供の時されないので理解できなくなったのか?
その辺がわからないのだが発達障害というのは意外と多くあるかもしれない
そもそも学校で何か理解できない人は相当数いる
それはこのように抽象的思考ができないためではないか?

そのことで自分自身が発達障害者だったことに気づいた、どうしても小学生のただ算数のように計算することはできた、だからソロバンができた、でもこれは知能とは関係していなかった、一切考える必要がないものであり頭を使わない、人間の脳を計算機にするものでありこれでは数字の意味とか何も考えないからわからないのである
私は文章は理解していた、でも理系的なものが理解できない、だから文系と理系とは何なのかとなる
でも漢字も抽象化したものであり数字も抽象化したものである
数字でも実際は数字ではなく具体的な物から理解する、一個のリンゴがあり一個のみかんがあるめれを一個とするとき二つをたすと二個になる、でも実質はリンゴとみかんは違ったものでありでも一個として一として認識する、抽象化するとそうなる
だから数字化することはそれですでに物が持っている様々な属性を省くことになる
リンゴがもっている味とか大きさとか色とかを省きただ一個として認識するのである
それは人間でも同じである、人間の属性は万物の霊長というように不可解なほどいろいろな要素で構成されているのである、でもただ一個として数字として認識するとその属性は奪われる、顔も体格も恰好も見ないで全部ただ一個としか見ないとなる

抽象化から何が起きたのか?

このように人間を数としてみるとき現代文明だと数だけでしか人間社会を見ない、民主主義が投票数で決まるというときでもそうである、そこには人間の様々な属性がはぶかれてただ一人一票でありそれしか見ない、若い人でも老人でも男でも女でも一票なのである
すでにこうして数しか見ないというときそれがナチスとかの全体主義になり人間を物のように数字として処理してガス室に送ったのではないか?
そこで役所の事務員は人間をただ数字として番号のようにしか見なかったからそうなったのかとなる、そこに全然罪悪感も感じなかったのである
でも人間を殺すことは怖いことである、一対一で果し合いして相手を殺すことは殺す方でもその殺される人を見たらやはり何か感じる、相手は物ではないからである
心苦しくなり罪の意識を感じるとなる、でもこさゃも数が多い戦いだと感じにくくなる
集団戦であり一人一人を見れないからである

ともかく現代の科目で人気なのは統計とかになるのは常に人間を数で見ているからである政治でも経済でも数で見ている、だからGDPとか国民総生産額とかが指標になる
すると数学がができない人は現代文明には適合できないともなる
だから文系はいらない理系だけで大学はいいとなるのもわかる
現実文系は大学で遊んでいるだけだとなるし本を読めばわかることだからである
でも理系でも何か物を相手にしていると相手が人間ではないから機械ばかり扱っている人は頭が冷たくなると理系の大学の教授が言っている
もし生きた人間とか動物でも相手にしていると情が通うから違ったものになる
現代とは情が喪失した時代だともなる
コンピュターとかAIがどれだけ発達しても人間のように情をもたけることはできない
機械が人を愛することなどありえないのである

だから宗教とはそもそも情を基本として愛とか慈悲を説いたのである
それは母親の母性愛がありその母性愛は動物でもある、だから情として愛は動物にもある程度通じるのである、でも知的なものはそうではない、全然愛がない人でも知的に優れた人はいるのである、その人はまたサイコパスとかフランケンシュタインのようにもなる
人間は今や情より知的な面からしか見ないともなっている
それでけ知的な社会になっているのである
そして人間は数字化されるというとき抽象化されて生身の血も涙もでる人間として生き物として認識できなくなる、だからこそ現代文明は原爆のように大量虐殺でもできる
そういうことは昔の戦争だったらしにくい、生身の人間が殺すことを目の当たりにするとなかなかできないことがある、でも現代の戦争は一人一人の生身の人間など見ていない
だから数のように見ているから大量虐殺でも機械でもできるのである
そこに現代文明の恐ろしさがありここに恐怖すべきなのだがそんなことしていない
宗教とはもともと愛とか慈悲を説いたのだから知的なものとも違っていた
そういうことは難しい数学とか科学の理論とは違っていたからである

だから人間とは何かというとき漢字が読めない書けない数字がわからない、計算できなくても認知症なっても愛はわかるのである、だからこの人は冷たいとかわかるのである
家族でもわかる、親だったら余計にそうである、それで愛情をもって接しないと親でも子供を恨んで死んでゆくから後味悪いものとなる
宗教などでも理論からしたらいくらでもむずかしいものとなる、特に仏教はそうである
でもキリストの教えはそれはほとんど学問がなくても理解できるものである
数の計算でもできない人ですら理解できる、中学生レベルでも理解できる
何もむずかいしいことは言っていないのである

神を知るということは聖書があってもそういうものを読まなくてもまた教会で牧師に教えられなくても聖霊が下れば一発で理解できる
これは別に頭がいい優秀な人しか理解できないものではない、普通の学問でもない人でも理解できるのである、でもかえって頭のいい人でも学問があってももし愛がないならその人は理解できないとなる、「心が清いものは神を見るだろう」それはむずかい理論でも何でもないのである、だから宗教だとその関係の本を千冊でも万冊でも読んでもわからないのである
むしろ苦しむ経験とか何か大きな経験をすると理解する、第一どうしても悲しむ者は幸いであるということは理解できない、そもそも人間は苦しみ悲しんで人間となるからであるむしろ涙を流す時何か尊いものを感じる、カルタシスとなる、涙には何か浄化するものがある、人間は泣く時もしかしたら最も人間的になっているのかもしれない

何かこの世で泣くようなことがあるときあなたは何が大切なのか知るともなる
私は悲しんだことがない苦しんだこともない、そういう人がいたらその人もしかしたら獣のような人かもしれない、なぜなら情がないとういことである
でも現代社会は確かに情が希薄化した時代である、知的なものが肥大化して情が失われた時代なのである、そこから起きて来る問題が山ほどあるとなる
いくら文明が機械化して豊かになっても情が失われるときそこは地獄にもなる
現実に孤独死が増えたりしているのはそうである、誰も知らずに見捨てられて死んでいるそういう社会が果たしていい社会なのかとなるからである

ともかく精神障害者知的障害者が人間ではないのか?

認知症の人は人間でなくなったのかと考える時、やはり愛とか情的なものはわかっているすると愛は通じる、情的なものは通じるから人間として分かり合えるともなる
ただ正直現代社会は知優先であり課題に知の教育しかなくなったのである
学校でもただ知の競争なのである、そこで愛とか情など関係なのである
知を競わせるだけである、そして知に劣れば脱落者になるのである
だから頭がいい人ほど頭が冷たくなっているともなる、非情ともなりフランケンシュタインのような科学者となり怪物となるともなる
それが現実に起きたのがナチスの大量虐殺でありカルト教団の狂気的ファシズム団体なのである、そこで数しか見ていない、一人など個人は相手にしないからである
そこから人間は非情となり危険なものとなり人間を人間とも見れない、数字であり物のようにしか見ない社会となっていることの怖さなのである
posted by 天華 at 09:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育心理学など

2022年11月26日

南相馬市の海老の宝蔵寺の紅葉(紅葉、冬桜、銀杏、椿、冬あたたか) (冬の日に海老ー八沢浦−磯部ー原釜ー相馬市へ)


南相馬市の海老の宝蔵寺の紅葉(紅葉、冬桜、銀杏、椿、冬あたたか)

(冬の日に海老ー八沢浦−磯部ー原釜ー相馬市へ)



御刀神社(右田)
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海老村の宝蔵寺の紅葉
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冬桜がめずらしい

原釜

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クリック拡大で鴎が大きく見える
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全部クリック拡大すると鮮明に見えます!


古寺に大石重し冬桜

古寺に大石数個紅葉映ゆ

冬桜紅葉の映えて古き寺

黒橋に紅葉の映えて城下町

人も見ず家々静か冬の蝶


黄金色に銀杏かがやく朝の日や椿も赤く映えにけるかな

重なりて色合い深く紅葉かな池に映して石の黙しぬ

八沢浦津浪に消えし家の跡我がたずねて冬の日あわれ

高台に海の見えつつ船の行く磯部の村の冬の朝かな

原釜に鴎の群れのあまたかな冬あたたかに船も帰り来る


右田の御刀神社の銀杏を見た、この銀杏はそれほどのものではなかった
この御刀神社は物騒なものなのである、なぜなら蝦夷征服と関係していたからである
刀というのはここで刀を突きさしたとかあるからだ
これは物部氏だったらしい、海老とエヒであり蝦夷のことなのである
海老には最近海に面する崖のところで古墳が発見されたのである
他に古墳が発見されている古い場所なのである
烏崎村より古いのである、古墳があれば古いとなる、ただ古墳でも埋もれている所がありわからないものがある、海老辺りはわからないのである
確かなことは古墳時代から人が住んでいたのだから古いのである
もともと港であり漁港でもあった、だから魚をとったり貝をとったりとか海に面して生活していたのである

八沢浦では二軒ほど津波で流された家の跡をたずねた、ここには石垣があり結構高いように見えるがあの津浪では軽く越えて流された
何でも恐ろしいのは津波が八沢浦とか海老村とかで渦巻きのようになっていたという
その光景を見たら恐怖である、海老村では海岸に接した高台が避難所に指定されてそこに逃げて30人くらい死んだのである
そこは確かに高いのだが海に面していてその高台まで津浪が来たのである
それで右田の松原のある家の人がここまで逃げてきたのだが九氏いっうを得て助かったのである、何かにつかまって助かったらしい、その経験も恐怖だった
海老は高台だから津波が来ないと思っていた、でも津浪は海とも関係して陸地から見てわからないものだったのである
震災から11年過ぎてもその傷痕はまだ痛々しいのである

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津浪は前にさえぎるものがないと被害が大きくなる

次に磯部の方に行った、磯部でも高台の方は津波の被害がなかった、もともと古磯部というのがあり地名にあり高台に住んでいたらしい、被害が一番大きかった磯部はもともと砂州のような地形だったのである、だからひとたまりもなかった、家が津波で揚げられたとういう、その光景も恐ろしいものだった
まずこんなことは予想もできない、イメージもできないことだった

原釜でも変わり果てた、海に面した低地の家はみんななくなった
でも入江の砂浜には鴎がたくさん群れていた、昨日は晴れてあたたかった
それで平和を感じた、ただ11年過ぎても何か完全に癒されることはない
それだけの大被害だったのである、ただだんだん忘れられてゆくにしろ20年過ぎてもまだ忘れられないともなるのかもしれない、それだけの大被害だったのである

相馬市では黒橋に紅葉が映えていた、相馬市の中村喫茶店は城下町に合っていたが閉店したのは意外だった、これはここだけではない喫茶店は激減しているのだ
喫茶店だけでは営業できないのである、レストランとか食堂だと日常的に通うが喫茶店ではそれがないしただコーヒーとか飲み休むだけでは成り立たない
でもレストランとか食堂と喫茶店は役割が違うのである
どうしてもレストランとかはうるさいし落ち着かない、それで何か本を読んだり書き物したりするのにはいいとなる

だから私は喫茶店が好きなのである、でも喫茶店はもうなくなるとまでなる
成立っているのは車でももっていけるハンバーグ店とかである
相馬市には二軒ほどあり若者とかでにぎわっている、あれが気軽るで値段も安いからいいとなる、これも時代なのである
喫茶店でも高級店にして金持ちでも何かサロン的なものとして利用があるかもしれないがどうしても田舎ではそんな人がまれなのだから成り立たないとなる
そしてイオンがなくなったことの影響も大きい、あそこでは休んでいたからである
食事も気軽にできたからである、中に喫茶店もあったからである

ともかく昨日は天気もいいし気持いい日だった、今日は朝から曇っている






2022年11月25日

私に起きたデジタルIT社会の危険と問題―安全が計れない (ビザカードとか無くして(盗まれて)起きた問題)


私に起きたデジタルIT社会の危険と問題―安全が計れない

(ビザカードとか無くして(盗まれて)起きた問題)


どうしても家でジャンパーが盗まれたとしか思えない、そこに財布が入っていたがビザ
カードを入れていて失敗したのである、これでいろいろ契約していたからである
それで今度はauからの支払いが書類で来た、コンビニで支払ってくださいとなった
カードで支払いができなくなったからである
でもそのことで金額のことを聞いたらスマホの暗証番号を教えてくださいとなった
それが忘れていたのである

この暗証番号とかパスワードも多いから忘れ安い

こうして聞くこともできなくなった、期限は25日だと覚えていたから今度は原町のau
の支店にたずねた、ところがUQモバイルは支店では案内したり教えたりしないことがあるそれは別な会社がしていたからである、これもめんどうだったのである
こうして昨日やっとUQモバイルに電話して係の人が詳しい人で手続きができた
コンビニで支払う番号を教えてくれてそれで支払うことができた
もし25日まで支払わないと通信できなくなっていたかもしれない
これも怖いことである、ただ私はスマホはほとんど使っていない
私が毎日使っているのはインタ−ネットでありさくらのレンタルサーバーなのである
だから私にとって一番大事なのはさくらのレンタルサーバーになる
ここではまだ問題は起きていない、でも一回だけ記録が消えたとういうことがあった
これも怖かった、でも修復できたのである

こうして何か通信というのは危険がある、クラウドというのも安全なのか、そうでなくても何かパスワードが忘れてアクセスできないということがある
私は二三回そういうことがあったからだ、そしてパスワードは安全のためにむずかいしものにしろとなり忘れるのである

ただ一番怖かったのはさくらのレンタルサーバーで私が突然入院していたとき契約の料金の更新ができずにその日に料金を払わないと消される寸前だった
日曜日に電話が通じないと消されるところだった、その時さくらのレンタルサーバーは電話で受け付けしていて教えていた、だから助かったのである
そうでないとみんな一瞬にして消されたのである
これが通信世界の恐怖である
対面的なこともなく相手の事情もわからないで簡単に消されるからである
だから本当は一社ではなく二社くらいで安全を確保する必要がある、でもめんどうなのでできない、ただ安全を計るためにはそうしないと危険である
一つのサーバーに頼っていると危険になるからだ

こうして何かとIT化がデジタル化がすすむけどこの安全対策は民間だけではできないとも見る,インフラ整備でもそうである、これはある程度公共的なものとして備えなければならないものである、これだけインタ−ネットでも普及するとそうなる
ただなぜ電話にしろ何かレンタルサーバーとかでもいちいち電話で応対していたらコストがかかるとかになりむしろ利用する人が手間でもしてくれとなる世界である
通信販売でもそうである、そうした利用する人が手間でもしてくれるから安くなるとはなる

ただ安全対策をどうするかが問題になる、メールで連絡しようにもスパムが多くて見れないとまでなっている、何か怖いからできない、だから郵便で来るのは安全だとなる
安全対策がとれないのである、またワードプレスをしようとしてもこれもハードルが高かった、時間がある時ならできた、今は時間がない、意外とプログのようなものでも毎日
新聞のようにして出すとなると手間なのである
こうしてプログでも今は一方的に書いているだけでコメントされても読んでもいない
プログに書くだけで時間がとられているからである
そしてからかいとかなんかコメントでも真面目に相手にしてやれない人もいるし通信の場合は相手を対面的でないからなかなか対話も成立ちにくいのである
この年になると時間がとられることでなんかわからない人のために時間を費やすことができないのである
老人になると残り少ない時間となるから時間がさらに貴重になるからである
無駄なことをしていられないのである

いづれにしろデジタル社会にもいろいろ問題がある、その第一が安全を計れないとうことである、記録したものが消える不安が常にあるしアクセスできなくなるという不安もある安心感が得られないのである
そうはいってももう通信社会になればIT社会になればもう車とかと同じでありなくては生活できなくなっているのである
だから安全を計ることは国とかでもすべきなのである、民間だけでぱ無理だからである
ともかくウィルスとかでもそうでありこれに個々人では対処できないのである
メールで拒否機能を使っても依然としてスパムの山でありこれも困るのである

マイナンバーカードに政府がするということでもこれもなくしたりするから危険なのである、安全が計れないのである、だから抵抗がある
通信というのは安心できないのである、ただ別に普通の社会でも安心できないから通信世界だけが安心できないとういことではない、でもインタ−ネットとかだと機械の操作とかの問題がありそれに詳しくないと安全を計れないとか使いないということが問題なのである、そして結構何するにも手間がかかり時間がかかるのである
これだけは省くことはできない、プログの一記事を書くにも半日かかるとかなる
だから操作がめんどうだと時間がかかりすぎてできないとなる、ワードプレスを覚えるだけでもそうである、前は時間があったからパソコン通信などできた
あれも今よりずっとめんどうだった、それもワープロでしていたからめんどうで暇人しかできないようなものだった、私は引きこもりでも暇人だからそんなことできていたのである、今はそういう時間の余裕がないのである、家族がみんな死んで家事を全部しているから時間がとられてできないのである

2022年11月24日

冬の蝶(ルリタテハ)が庭に来る―茶室のこと (葉牡丹、冬あざみ、冬薔薇)


冬の蝶(ルリタテハ)が庭に来る―日本文化と茶室のこと

(葉牡丹、冬あざみ、冬薔薇)

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風うなり籠り隠る家冬の蝶

北風や茶室に一人籠もるかな

この道の碑の古りあわれ冬あざみ

この道を今日も行くかな冬あざみ

冬薔薇一輪あわれ茶室かな


茶室への径や待ち屋に落葉かな石に対すや主と逢わむ

北風の唸りて茶室に一人あれ茶碗の古りてその重さかな

土壁の茶室に映る日影かな木の葉の散りて径そ暮れゆく


3月〜12月
成虫は初春頃から秋の終わりか初冬までのかなり長い時期を数回に分けて活動しています

木の根っこ
葉牡丹
庭の石
冬薔薇一輪
唸る北風
一人籠もる家

今日朝窓の外を見たら黒い蝶がいた、めずらしいと見た、結構長くとまっていた
それはルリタテハである、羽寝かきざぎざしているしこれは春に山で見かけるものだったではなぜ冬になって街の中で見たのか不思議だった
でも季節的には初冬まで飛んでいる蝶とある
これは普通は山で春を告げる蝶と見ていたから意外だった

狭い庭でもそこは自然があるから蝶でも鳥でもくる、この前はジョウビタキの冬鳥のメスを見かけた、雄はきれいだがメスはきれいではない、紋様もないのである
なぜルリタテハが飛んできたりするのか、それはこの辺はまだ自然が回りにあるからそうなる、この前はジャコウアゲハも飛んできたからである
とにかく庭があるとやはりそこが自然であり自然のものを呼び込むのである

この庭が日本独特の文化となったことがわかる、茶室があり庭があり茶道が生まれた
それは極めて日本的なものとして自ずと生まれたのである
外国のような荘厳な豪華なものではないが小さな茶室という空間が俳句のようなものでも日本的文化を育んだのである、だからエジプトであれ巨大建築があるのとは大分違った文化なのである

わび、さび、ほそみ、とかなる、何かそれは冬の枯野などにふさわしいのである
茶室だと待ち屋とかあり出合いを演出する、ただそういう文化が生まれたのはやはり時間間隔が違うからである、時間の流れが遅かったからそういう文化が生まれた
いちいちそんなふうにして逢う時間を作ること自体は忙しい現代に作れない、似合わないのである、時間の感覚は時代によって相当違っていたのである
現代はまた情報洪水になり何んでも追われている、無の空間が作りにくいのである
茶室とは老子の言う無用の用の空間になるからである

別に私は茶道のことなどわからないが日本人であれば日本の自然に接していれば自ずとわかるものなのである、それは外国でも同じなのである、なぜ万里の長城があるのかとなる大陸は陸続きなのだから侵入する敵を止めることができない、だからこそ万里長城ができた、ウクライナでもロシアが所有しているクリミア半島を壁で囲むようにするとかいうのもそうである、陸続きになれば戦争になればそうして壁を築いた侵入を防ぐほかないからである、だからヨ−ロッパでも都市は壁で囲まれているのである
日本の都市に壁がないのはもともと陸つづきでないから異民族が侵入していこないからそうなったのである

小さな庭でもそこに自然は調和する、木の根っこがあり石があり葉牡丹を植え冬薔薇が一輪咲いているのはいかにも冬らしい
そして一つ一つの事物が何か語っている、互いに調和して語っているのである
だから庭は一つの自然の空間なのである
いづれにしろ冬は老人にあっている、冬ごもりとなり籠もるのである
私は陰の性格だから人と逢うのはまれにしてこうして一人茶室でも籠っているのが気持いいとなる、でも庭は欠かせない、狭い庭でも蝶でも鳥でも来るからである
ただ今日のルリタテハは意外だったとなる
思わぬ訪問者であり幸運だったとはなる、これはおそらくもっと自然のある場所だと家で自然に接することができる、でもそうなると不便になる
だから適当に便利で自然がある場所がいいのである
ただすべてがいい場所などないのである、回りに嫌な人間もいるし何かと不便であったりいろいろ不満がありそういうものはどこにいてもなくならない
自然はいいが人間は嫌だとしてまた都会に帰る人もいるということである



flowing abstract painting


flowing abstract painting


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strong tidal current in Seto Inland Sea

瀬戸内海の潮流

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beautiful flows

2022年11月23日

精神知的発達障害者やニートとは何なのか (適切な治療教育がされないー認知症と似ているがまた違っている)


 精神知的発達障害者やニートとは何なのか

(適切な治療教育がされないー認知症と似ているがまた違っている)

●計算できない、漢字が書けない、文章が理解できない

言葉の遅れが気になる
勉強についていけない
集中力・落ち着きがない
他者との関わりが苦手
発達障害の種類とグレーゾーン
発達障害の3つの種類


読み書きや計算など、特定の学習が苦手
目から入ってくる情報をうまく処理できず、図形や似たような文字を理解しづらい
文章のどこを読んでいるのか分からなくなる
読み書きに他の人よりも努力が必要なため、疲れやすい
計算や読み書きが必要な場面で困る
その場で書類に字を書くのが難しい など

その人は50歳になるけど数の計算ができないという、どうして数の計算ができないのか学習できなかったのか、その辺がわかりにくい、その人が言うには常に親に殴られたとか頭でけられたとか言う、何か親が虐待していたとなる
兄弟も二人いしても嫌っている、この家族も理解するのがむずかしいと思った
そもそも他者の家族は簡単に理解しにくいのである、そしてまともな家族がまれだともなる、何らか問題をかかえているのである、私自身の家族もそうだったからである
ただこの人がかかえたものが精神知的障害だからさらに理解しにくくなる
でも見た目は普通の人だし話しもできる、だからどこが障害なのかよくわからないのである

認知症になるとこのような症状がみられる、数が計算できない、だから自分の持っている金を把握できない、銀行から金がおろせないとなる、知的障害がある
だからこのことに驚いたのである、でも私が認知症を介護してきたことでわかったことはこれまで経験してきたことで正常に生活してきたのだから何かそうした知的な計算ができないということはあってもわかることがある
だから全く心が通じなくなることはないと後でわかってきた
何か感情的な面では普通なのである、喜んだり悲しんだりすることがありそれは普通の人と同じなのである、だから認知症になると相手の態度が問題になり敏感になる
何か馬鹿になったからと馬鹿にしているとか冷たくしているとかわかる
すると怒ったりするのである、特に優秀だった人はそうなりやすい、馬鹿にされることを敏感に感じて怒るのである、でも子どものときから発達障害とか精神障害者はそうしたことはない、常に馬鹿にされてきたしうとまれてきたし虐待もされてきたからである
それで怒ったり相手に暴力をふるったりしないまたそれだけの力もないのである

●算数とかでも教え方が影響するー暗記教育しかなかった時代

ともかく発達障害でも精神知的障害でもいろいろあるから判断するのはむずかしい
でもなぜ親がそんなに実の子供をいくら障害者でも虐待したのか理解できない
その家は夫婦仲が悪くなにか常に母親に夫が暴力をふるっていたらしい
でも息子までそんな虐待をするものなのかということが理解できない
相手は障害者だからである、その人が言うには私が計算などできないのは適切に教えられなかったからだと言っている、それはあるのかもしれない、確かに知的障害があっても
教え方があり理解できることはある
それは自分自身でも算数と数学が嫌いになったのは生まれつきというより教え方が悪いとなそうなる、おそらく小学生とかの段階ではそうである
私が受けた教育は算数だったら暗記しかなかった、そして後はソロバンだったのである
これは全く機械と同じ暗記教育だったのである

算数でも後の数学でもこれは思考訓練として教えるられるべきものだったのである
私は自ら興味をもって勉強したことは高校までなかった、だから勉強嫌いであり劣等生で終わった、ただ三流大学に入れたのはたまたま家族に恵まれて金がありは入れたのであるなぜなら団塊の世代は第一中卒で集団就職していた時代だからである
中学だと4,5人しか大学に入っていないからである
なぜ自分自身が教育に興味をもつのかというと教え方がありそれは先生でも思考すること創造することでもあるからだ

数の計算にしてもそうなのである、計算でも暗算ではなく考えるものとして学んでいたら違っていた
27+35となるとめんどうだが20+7+30+5と分解するとわかりやすくなるのである
別に20+30+7+5でもいいわけである、また7がめんどうなら5+2にする
そうするとわかりやすくなる、また数字を図形化して教えると具体的わかりやすくなる
つまりなんらか学ぶ方法があり教え方がある、それが学校だと一様になり暗記教育になり勉強に興味を持てくなる
例えば数字とは何かという根本的なことすら理解できない、●でも■でも色でも違っている、大きさも違っている、でも同じ一っ個にする、一となる、だからこうした単純なことでも数字化することの意味が何なのか教えていないし自ら学んでいないのである
今なってそんなことを考えたのも遅かったとなる
ただ思考するにもこうして訓練が必要だとなる、普通の人だったらそうなる
まれにいる天才だったらそんなことを教える必要もなくすぐ理解するからむしろ教育自体必要ないともなる

●先天的なものなのか後天的環境の作用もある

その人がなぜ発達障害になったのか?

●生まれつきなのか

●後天的なもの環境の影響なのか

確かに生まれつきがあったのがもしれない、でも後天的な環境にもあったかもしれない
親の理解がなく虐待されたことで余計に学ぶこともできなくなっていたのかもしれない
何か人間に対して恐怖を抱いているからである
ただ何もわからないというのではなくわかっている、だからどこが悪いのと見られることは確かである
数の計算ができないのとなると確かに社会では働けないとはなる
でも別に他に数の計算が出来なくてもできることはある
その人はいい体しているから力はある、だから重い物を持つということはできる
指導する人次第では仕事をさせることができる
その他でも話しは通じるのである、でも計算ができないということが大きな障害にはなるそれは小学生並みの計算とか文章が読めないとかある
何かこれも認知症と似ていると思った、計算ができない、漢字が読めない、漢字が書けない、文章が読めない・・・でも認知症よりわかっている
認知症だとももっとわからなくなっているからである

先天的後天的なものが人間に影響する、でも後天的環境の影響も人間は大きい
いくら才能が先天的にあってもそれを伸ばす環境がなかったら才能は発揮できない
子供の時、一冊も本が家になかった、するととても自主的に勉強などできないのである
だから教育では家庭環境とか親とかの影響の方が学校より大きいかもしれない
学校はどうしても個々人に対応できないからである

そして現代文明はあまりにも複雑であり精神障害になりやすい、それは先天的なものではなく後天的にである、だからニートが110万人もいるというときもそうである
この問題は特殊な例外ではないからである、これだけの数がいて確かに責めることは容易である、でもなにかしら現代文明の問題として生まれたのである
現代社会に適応できない、それは甘いだということもわかる
社会はもともと厳しいのだ、そんな甘ったれことは許されるのかということもある
それは贅沢なことだと言われる、ただでは例えば自分が経験した流れ作業のようなことを機械かロボットのような仕事が嫌になるのは人間として普通である
他にも自分に適合しない仕事につくこは苦痛でしかなくなる
すると鬱とかになり精神でも病むのである、逆に奇妙だがニートでも家に引きこもるたごけではなく自分のように旅ばかりしてそこに生きがいを見出す人もいたとなる
例外的でもそうなのである、どうしても流れ作業などしたくないとなりそうなったともなるからである、ただそれがいいとはならなかった
何か必ず社会から離脱しても変な方向に行くから危険でもあった
ニートは特別優れた人ではないから小人閑居して不善を成すと必ずなるからである
それが自分自身も経験しているからである、何かおかしな方向に行ってしまう危険があるからである

●文明の病弊としてのカルト、ファシズムも精神障害となる

ただ正直現代文明は病んでいる、だから病的な現象が社会全体でも起きやすいのである
それを証明したのがナチスであった、そのことはいろいろと考察されている
今ならカルト教団である、人間がアトム化してつながりがなく共同体の絆もなく一体感を得るためにそういうものが生まれた、それも集団的狂気の状態なのである
つまり文明の病的なものとした現象なのである、そこにもともとあった宗教など全くないからである、集団的狂気でありそういう中でした人間の一体化がもなくなったのである
だからニーチェも言った、個人も狂っているが集団も狂っているとただ個人の狂気は確かに問題でも集団が狂うとナチスのようになり何百万人が死ぬとなるから恐怖なのである
今でも創価とかカルト教団がそういうものだから怖い、社会を席巻してしまい巻き込まれて集団狂気になる、ファシズムになるからである
ただ集団の狂気は放置される、個人の狂気は病人とされるが集団になれば正常となりかえって批判する者は巨大集団で攻めてくるのである

いづれにしろ現代文明社会とは狂気になりやすい、ファシブムになりやすい体質をもっている、ニートも問題だか正常だとしてそうした人達を排斥することは危険なのかもしれない、もちろんお前たち怠け者ののために働くのは嫌だ、お前らは働け、社畜となっても働けというのもわかる、なぜなら社会で働くことが厳しいから苦しいからそうなる
なぜニートとか何もしないでのうのうとしているのかと反発するのわかる
だからニートを強制的に働かせろというのもわかる、日本が貧困化しているから余計にそうなる、ただこれも個々人の事情がありその対処方法はむずかしいなとる
ただ言えることはニートとか親が死んだら地獄になる
もう食べることもできなくなる、親が財産でも残さない限りそうなる
つまりその時カルマが容赦なく過酷に現れるのである、それが自分自身だった、もう死ぬ思いで親を介護したからである、ただ経済的には困っていないから救われたとはなる

いづれにしろ精神知的障害者でもそうだがそういう人達が増えてくるのが現代文明となるただもともと精神知的障害者はいた、でも現代では複雑になり社会に適合できない人が増えたことは確かである、そして親に頼り住む場所もあり食べることができるからそうなったともなる、まず昔だったらそんなことできなかったからである
だからこれは時代が作りだした現象だとなる、50年前頃にアウトサイダーという本が話題になったがそれは天才的な人のことでありニートとは別物である
でも何かしら似ているのである、天才と狂気は紙一重というけどそうである
天才と超人にもなりまた狂人にもなってしまうからである、ただその差は大きいから比較することはできない、ニートとは普通の当たり前の人であり何か劣っている人がなっているからである,アウトサイダーとなるとかえって並外れて天才であり現代文明に社会に適合できな人だったからである、その例としてニーチェとか上野霄里氏がいたとなるのである

posted by 天華 at 14:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育心理学など

2022年11月22日

相馬藩の姓から探る歴史 (佐藤氏から岩松氏、岩本氏、只野氏、・・・・・)


相馬藩の姓から探る歴史

(佐藤氏から岩松氏、岩本氏、只野氏、・・・・・)


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姓から歴史をたどるとき必ず日本の姓の基は村がありその村の名が地名にたどりつく
その一番いい例が只野氏なのである、それは郡山の多田野村から出ているからである
その只野氏が南北朝の戦いで南朝側であり霊山が炎上落城したとき逃れた武士の一団でありそれで鹿島町に只野姓が50軒くらいまである
只野一族の村だともなる、近くにその姓の人達がいるからである
ただ由来がわかりにくいのは余りにも姓が増えたことなのである、もともと農民は苗字を持っていなかった、でも名字帯刀とかあり名字(苗字)を持つことはみんなできなかったからである、侍しかできなかったからである
でも明治以降はだれでも苗字を持つことができるようになって苗字が姓が増えすぎたのである、するとなかなか姓から歴史をたどることがむずかしくなったのである

この姓をたどるということは意外と世界史でも重要なのである、必ず父系になっている
誰々の父親の息子とかが姓なのである、日本だと姓はかばねという屍から来ている
それは父親の屍(しかばね)から来ているとなる
つまり母親ではないのである、それは結婚すると女性が嫁ぎ先の姓を名乗ることになる
そはれその家の父系の姓に属することになる
でも不思議に江戸時代までは嫁いだ先の家に自分の家の姓を記している墓があった
つまり嫁いでも依然として育った家の姓を変えずに墓に記していたのである
だから男女別姓とかでいろいろ問題になるけど女性は江戸時代でも弱い立場ではないこともわかる、ただそれは武家だったからそうなったともみる、なぜならそもそも姓がある家から嫁いだとしたらそこは武家だったとなるからである、普通の庶民とか農民は姓を持っていなかったからである


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相馬市成田の竹内氏の墓

竹内は武内であり岸家から嫁いだので両方の姓が墓に記されているのである



今回は佐藤氏に注目した、これもあまりにありふれた多い姓だから注目しない
でも相馬藩内で佐藤氏の由来は古いのである、佐藤氏自体が平安時代とか藤原の藤に由来するらか古いのである、ただ余りにも多くなったからその由来がわかりにくいのである
ただ塩手山の麓の二軒が佐藤氏だと聞いた、隣り合って佐藤氏だというときその佐藤氏はどこから来たのかとなるそれは義経に従った佐藤一族になる

佐藤基治。

 奥州藤原秀衡のもと、信夫、伊達、白河あたりまでを統治していた豪族佐藤基治は、信仰心が厚く、居城とする大鳥城から眼下に望む薬師堂を改築し、伽藍を多数建立し境内を整えたとされています。
 藤原秀衡は、私有地の管理を基治に任せて、荘園管理の職名を荘司と称したので「佐藤荘司」と呼ばれておりました。また、丸山(館山)の大鳥城に居を構え湯野・飯坂を本拠としたため「湯庄司」とも呼ばれていたそうです。
 https://www.iou-ji.or.jp/map-sato.html
 
この佐藤氏に由来している、佐藤庄司というとき原町に庄司建設があり庄司の姓を名乗る人がいる、そして霊山の近くに庄司渕という地名がある、庄司が地名までなっている
庄司は荘園のことだからそれと関係して名付けられた、荘園があったとなる
明らかなことは福島市の佐藤氏が相馬市の方へ移住してきたのである
それは鎌倉時代の義経の時代だから古いとなる、南相馬市の鹿島区に移住した岩松氏は船で烏浜に達して相馬藩の領主となった、だから相馬氏より古いのである
佐藤氏は確かに福島市の方から移住してきた佐藤氏である、それがわかるのは磯部館がありその佐藤氏が相馬の道の駅のすぐ近くにある鬼越館に移ったからである
それは高潮が原因だとしている、それは慶長津波の前だったのである
その磯部は今回の津浪で壊滅したのである、ただ慶長津波のことは記録に残っていない
ただ生波(津波)で700人溺死としか記されない、後のことは一切わからないのであるでも時期的にその後まもなく慶長津波が襲ったのだからその予感がして逃れたのかとも見る、現実に八沢浦の湊も津浪で壊滅したがやはり高潮で被害があった場所なのである
つまり高潮の被害は海側だと常にあった、その時ここは危険だとして逃れれば助かったとなる、でも海側の村はいくつも壊滅したのである

中世の磯部館の海側から移転は慶長津波が関係していたのか?
(伊達氏もかかわり中村城移転は相馬氏の支配を確立するため)
http://musubu2.sblo.jp/article/99907265.html

この辺の姓で一番印象的な姓は岩松氏である、鎌倉から一緒にきた家来が謀反を起こして幼児まで殺したので末代まで語られるようになった
現実にその家来とされた四天王の姓はつづいているのである、

「岩松氏は清和源氏足利流であり上野國新田荘岩松郷の地頭にして、『姓氏大系お』よび『荘園志料岩松文書』に詳しいこと、また越後岩松家戒名は修験道最高位であり、また東光寺佛は僻地に珍しい優品である」などの指摘を受け新田氏族の研究を勧められた。
http://fung.html.xdomain.jp/shishi/shishi00.html

今この地に岩松という姓(かばね)はなく断たれてありしも日里、中里、島、蒔田、後に日里改め郡という姓の人、その裔なる一族は確かにここに住みつづけてありしはその事件の真実なるを伝えぬ

日里家に種々奇怪なことの起これば日里氏は姓を改め郡とし殿の霊を慰めんと祠を祀りしと伝えられぬ

南相馬市鹿島区岩松氏の伝説
http://www.musubu.jp/kashimamanonado.htm

これは生々しい姓の歴史なのである、現実にこの辺ではこの岩松の重臣の姓の子孫は生き続けている、でも岩松の姓はないのである、姓は断たれたことが歴史の事実を示しているからである

もう一つ今回発見した相馬藩内の姓の物語で岩本由輝氏の本のあとがきに書いてあることで発見した

岩本本貫の地は相模国ではなしにもう少し南の駿河国富士郡岩本郷ではないかと考えられる、ここの実相寺で日蓮が「立正安国論」を現したされ日蓮宗の強い所でありそれで私の家も日蓮宗になっているのだと思う
(歴史としての相馬ー岩本由輝)

岩本氏の出身は相馬ではないにしても相馬藩とのつながりがあり疎開してきたという
やはりここにも疎開してきたのか、その話を近くの煉瓦職人に聞いたからである
疎開してきた人は地元の人にから子供でもいじめられたとかどこでも伝わっている

地元の人だから地元の話もした、戦争中疎開人の子供のことも話した
この辺にもそういう人がいたのかとなる
何でも食べ物がなくて盗んだとか言っていた、また弁当でも盗まれたとか腰にくっつけて運動もしていた
野菜でも盗まれたとかいうのは今でも同じである、畑とかのものが盗みやすいのである
梨とかでも一つくらいとって食べてもいいのかなともなるからだ

おそらく疎開の子供が食べ物を盗んだというのは食べ物が満足に与えられなかったからだろう、疎開のことではいろいろ語られている、相当に辛いことだった
http://musubu.sblo.jp/article/189910385.html

疎開の話は全国にある、それだけ東京から疎開した人達が多かったとういことである
それも一つの歴史となったのである

いづれにしろ姓とか地名から探る歴史は身近なのである、姓とか地名は常に今でも利用しているかし生活に欠かせないものとしてある
だから過去のものではない、現実今のものとしてある、だからその土地を見る場合でも人を見る場合でもその姓を見るのである
そして不思議なのは女性でもそうだが離婚して元の実家の姓にもどった人達も結構いる
だから離婚した人が姓が変わると戸惑うのである
それで夫婦別姓を法律化すべきだという人がいるのである
それだけ姓とは深く生活と結びついているから今でもそのなっているのである

2022年11月21日

カルト宗教団体を解散させられないのか? (信教の自由は解散しても守られる)


カルト宗教団体を解散させられないのか?

(信教の自由は解散しても守られる)



統一教会問題でしきりに解散させろとか税金をとれとか言う人が増えてきた
でも信教の自由とか結社の自由とかはある、だからそうした法律を盾にしてできないようにする
でも別に解散させても信教の自由は守られる、ただ集団的に組織された団体が解散されるだけで小規模の団体や個々人の信教の自由は守られるのである
第一信仰を簡単に捨てることはできないし別に捨てる必要はないのである
それはどんなことしても強制できない、だから信仰を迫害しても残ったことでもわかる
その時こそ本当の信仰者が残ったとなる
それは政治的にも権力でもなくすことができないものだからである

国家権力で解散させてもそれはあくまでも団体組織の解散であり個々人の信仰を奪うことはできないのである、何かとういと信教の自由を言うが別にそこまで国で否定しないし
否定できないのである、問題にしているのは集団組織化して政治にかかわり権力にかかわり操作する、そして目的がその権力奪取として公然と運動しているのである
それは創価だとあからさまであり現実化しているが統一教会でも他のカルト教団でも同じなのである
統一教会が特に危険だったのは外国勢力に日本の政治が操作されその富まで奪われることだったのである
ただわからないのは10万くらいの会員でそんな力を持てるのかということがわからないのである

いづれにしろカルト教団をを解散しても信教の自由の法律があっても問題がない
なぜなら信教の自由はそもそも奪われないものだからである、ただそうなると法人格とか失われて税金を払うとかにはなる、でも宗教団体はいかなる国からいかなる特権を受けてはならないということが法律で明記されているのだからそれが正常だとなる
ただ寄付金とかなると問題が出るかもしれない、なぜなら宗教だと献金は制限できない自主的なものとしてあるからだ
だから金持ちなら多額の金を献金することがありうる、それは強制ではなく自主的なものだからである
それは個々人の問題であるカルト教団の問題は団体化組織化してしていることである
ここに個人の信仰者がいてある人が金持ちでも寄付しますので使ってくださいとなれば
それを否定はできないし取り締まることもできないし税金を払いというのもなかなか強制できないだろう

問題は団体化組織化した宗教法人として認定されたものに解散命令とか強制できる
でもオウムのように小規模でも危険なカルトはあった、だからどこで線引きするかむずかしいとなる
確かなことは国から特権を受けることは宗教団体ではできないと政教分離で明示しているだから創価公明党は明らかに法律違反である、なぜ国土交通大臣とういう大きな国の権力の場を与えられているのか、これが全くわからないのである
それで大成建設では正本堂を建てた時、つながりができて必ず選挙の時は応援することを強いられたのである
つまり巨大な利権団体でもありそれでそういうことができたのである
何であれ選挙に勝つことが最大の目的としているのが創価だからである
その他のことはどうでもいいとなっている、おかしなのは選挙の時に必勝祈願する
座談会に集まりみんなで御本尊に祈る、また池田大作先生のために選挙に勝つとして最大に盛り上がるのである、これも完全に政教一致なのである
だからこういう団体には解散命令を出すべきなのである

だからといって信教の自由には違反しないのである、そもそもカルト教団など信仰のことなどうでもいいのである、目的は権力であり権力を得て支配階級になり御利益を特権を得ていい生活をすることしか眼中にないのである
そもそも宗教でないときなぜ信教の自由をとやかく言うのか?
それはあくまでも方便であり権力を得るためにそうしているだけなのである
だからもし権力を御利益を得られないとしたら離れてゆくのである
今は徐々に会員が減ってそうなりつつある、なんだ何も御利益が得られないではないかとなり離れつつある、ただその後の内部事情は自分にはわからなくなっている

解散命令を出しても問題はないし宗教迫害とか信教の自由の違反にもならないのである
別に信仰は個々人でも続けられるし少人数でも続けられる、ただ法人格を失うとういことである、だから国からの特権もえられないというだけである
オウムでも別に解散しても小規模にも信仰はつづけられている、でも何も国では言わないのである、小規模になればもう政治家でも相手にしないからである
わずかの票を得ても何の力にもならないからである
そういう小規模な団体で金持ちでも多額の献金をすることは拒否できないだろう
宗教法人でもないしその人は信仰から自主的にしていれば拒否はできない
宗教法人として認められれば様々な特権が与えられるから問題なのである
ただ小規模な寺とかでも法人であるし神社でもそうだから問題がある
だから一様に適応はできないかもしれない、どこで線引きするかが問題になる
会員の数で決めることなのかとかその財政で決めるのかとなる
だからなかなかめんどうなことだとはなる
でも明らかなことは創価公明党が国土交通大臣になっていることは国から最大の特権を受けていることなのだから政教分離の法律に違反していることは確かなのである

不思議なのは一体宗教団体と政治団体の区別ができるのか、それも問題なのである
政治団体でも共産党ならマルキシズムを宗教のようにしている、それで共産主義国家ができてそのく思想が絶対的なものとなり反抗するものは何百万人と粛清されて殺されたからである、それは宗教だから宗教は絶対的なものだからそうなったのである
そこでは思想の自由と結社の自由までなくなったのである
現実に創価でも他のカルト宗教団体でも逆らうやつは罰が当たる地獄に落ちるとか集団で脅迫しているからである
それが政治と一体化すると脅すだけではない現実に権力で罰を与えることもできるから問題なのである、カトリックは完全にそうして政治権力と一体化して腐敗したから政教分離の法律ができたのである

権力は宗教にかかわるな

宗教は権力にかかわるな!

こうなるのではないか、権力が宗教がかかわるのは拒否しても宗教そのものが権力と深くかかわり権力奪取を目指していることが許可されるていることが問題なのである
宗教は個々人の問題であり心の清いものが神を見るだろうという時個々人をさしているのであり集団組織ではないからである、集団組織でも欲にまみれた汚い人はいくらでもいるむしろ俗化すればそうなる、だからあらゆる欲望を是認するし達成するために会員となる政治家になれぞとか金持ちになれるとかいい女とつきあえるとか福運がつくとかあらゆる御利益を得られるということであれだけ人が集まるのである
それが大衆化して大勢の人が集まり権力化したのがカルト教団である

ただどうしても不満な人は底辺の人達がいてその人たちは頼る所がないので人を集める
では相談に来た人が本当に慈悲があるのか愛で接することができるのかというとそういうことは全然ないのである、あくまでも団体の勢力拡大して国家権力とかかわりそこで利権を得て御利益を配分するだけである、幹部でも自腹を切って金を払ったりしないのであるその御利益は国から権力奪取して配分するというだけである
そんなところに愛も慈悲もない、幹部自体がない、ただ民衆から収奪することしかないのである、それは共産主義でも中国でも同じである、共産党幹部が兆の金をたくわえ妾を十人もったとかなる、それが現実なのである、共産主義の理想などは実現していないのである、つまり幹部とその下々の差は天文学的てもある

幹部は栄誉栄華であり下々は農民は依然として最低の生活だとなっていることでもわかるむしろその富を分配するのが共産主義の思想なのにそうなっていないのである
結局人間の欲というのがどれほど強いかそれを拒否できないからそうなる
だから私は欲を抑えられない悪人ですと正直に言った親鸞とか真の宗教家だったとなる
俺は大悪人だと言っていたからである、でもカルト教団の長とかは大善人だとして社会に認めさせようとしているのである、その人こそ大悪人でありサタンなのである
この世で大善人は大悪人である、官僚とかでもそうである、特権階級はそうなる
この世では大悪人が大善人になる場所だからいくら理想を言っても常に失敗している
それは結局人間が欲から逃れられないからである
だから政治でもみどり子に治めさせよとか治めずして治まるとか老子の無為自然の思想が生まれたのである

ともかく宗教そのものが何なのかわからなくなっている、宗教を利用した税金逃れであり宗教で集めた金を今度は権力を得るためにいろいろ金を使い工作している
宗教団体で法人になればそれができる、そもそもそれが宗教と認定できるのかとなる
信教の自由があるにしてもそれが宗教なのかとなる、ただ宗教は脱税するための方便だともなる、だから何が宗教であると規定するのかである
それもめんどうになるが何でも宗教になれば無税になりやりたい放題というのもおかしいのである、現実は権力を得るためにそうしているとなるからである
それぞれの個々人の心の問題ではなく現実社会で御利益利権を得るための団体がどうして宗教法人として認められて税金をはらわずに宗教ビジネスのようになことをしている
最終目的は国家権力を得ることにある、それは他の宗教団体でも同じなのである
だから何が宗教と規定するのか、そのこと自体が問題になる
何かというと地獄に落ちるとか罰当たるとかそういうことを持ちだして脅迫したりもするそしてただ票をとるためであり利権を得るためなのである
だから宗教詐欺罪にもなるが罰せられないのである、ただ確実なことはそういう団体の人達は来世ではどんな罪で罰せられるのか相当に過酷なものとなると思う

来世では今世のように偽ることができないからである、悪があからさまに現れる場所だからである、だからこの世では大悪人が大善人となり大悪人が実は大善人だったとなるのである、何か逆転しているのである
成仏を問題にするがろくでもないみんなから嫌われていた人でもたいして苦しまないで死んでいる、だからそんなことで判断できないのである
要するに宗教を語った詐欺罪でありこれは相当に悪質であり来世での審判は厳しくなる
今世と来世は逆転しているのである、だからなんで地獄に落ちているのかと来世ではなる罪の自覚すらない人達なのである、罪の自覚を地獄に落ちるとか思う人は地獄に落ちない地獄に落ちるとか罰当たるという人が実は最も過酷な地獄に落ちているのである
でも今世ではそんなこと関係ない、堂々と悪人でも善人になっているのである
偽善でもわからないのである、本人すら自覚していないともなる
善人だから俺は罪深い悪人などと思わないのである、それは殺人者として刑に服している人もそうだった、たまたま運が悪い言っていた、全然反省もしないし罪の意識もないのである、それが人間として普通である、だから罪の意識を持っている人の方が救われるとなったのである,カルト教団員で罪の意識とか持っている人はいないだろう
そもそも他者に信仰をすすめている資格もない人達がすすめている、ただ一票を得るために毎日運動しているだけなのである
それよりその奨める人が罪を自覚して懺悔するべきだとなる



やっぱ宗教特権の非課税を廃止すべきだよな。

地方の貧乏寺や神社は減免、一方カネをもって積壺、犬作教、幸福からはお布施も含めた総収入の50%課税すればいい
宗教法人課税することで、国税庁も教団内のカネの流れを追跡できる。
いつでも任意に教団に税務調査に入れる。

もしオウムのときに「宗教法人課税」になってれば、二重帳簿を見破って、サリン原材料や自動小銃購入を掴み松本サリン事件も地下鉄サリン事件も未然に防げてた。

壺の場合は霊感商法の違法マネーと、お布施や寄付の合法マネーを教団内で混ぜ、マネロンしてエベンキランドで宗教施設建設費、その先は北チョン国へ流れてた。
もし宗教法人「課税」制度だったら、壺のカネの流れが国税庁に丸見えだった。
こうして宗教法人課税を導入するだけで、反社ビジネス宗教カルトは自主廃業するだろう。
残るのは既存の人畜無害な宗教だけとなる。


カルト教団の資金は何に使われているのか、そんなに金を集めて何するためなのか?
オウムだったら武器を作るためだったかなるから確かに金の流れをみればわかる
創価だったら選挙資金のためにとか会館を作るためとかなる
でも政治資金が創価と一体だから宗教関係にも回っている、それも政教分離違反なのである
宗教といっても何が宗教なのか規定できないからそうなる
統一教会は日本人信者から献金させて韓国に流れていた、だから外国の宗教団体が入ってくることは危険なのである
ただもし団体ではなく個人への寄付とするとその人を信用して財産をあづけたともなるからそれを違法としたりできるのかとなる
だから団体と個人的なものは区別すべきなのかとなる
ただ資金の流れは知るべきだということはある



2022年11月20日

引きこもりが全国で110万人もいる問題 (内向型の生き方戦略ー中村あやえもんを読む)


引きこもりが全国で110万人もいる問題

(内向型の生き方戦略ー中村あやえもんを読む)

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内向的な人は傷つきやすい、ささいなことでも傷つきやすい
敏感でありセンセティプなのである
だから人間を相手より自然を山でも石でも木でも花でも相手にするのが向いている
私がそうだったからである、そうして詩を書いてきたからである

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境地開拓派というのは造語であり面白い
芸術であればその人なりのものを作ることである
評論家でもその人なりの見方で批評する
境地開拓があり一様ではない
でも社会維持派はみんな一様のものとして扱い見てしまうのである




人付き合い よりも 好奇心 を 重視 する こと で 成果 を 出せ て、 人脈 よりも 工夫 で 新しい もの を 作り、 大勢 で いる よりも 一人 で いる こと で 思考 する エネルギー を 得 られ て、 より 完璧 を 目指す こと で 良質 な もの を 作れる の です。

境地 とは、 言葉 通り「 社会 から 少し 離れ た、 同種 が い ない 場所」 になり ます。

中村あやえもん. 内向型の生き方戦略―「社会から出て、境地を開拓する」という生き方

そもそも 人間 社会 において の「 普通」 とは、 社会 維持 型 の 性質 を 指し ます。 人間 は 社会 維持 型 が 八 割、 境地 開拓 型 が 二 割 という 比率 なので、 社会 維持 型 の 度合い が 強い ほど、 普通 の 人 だ と 判定 さ れ ます。

中村あやえもん. 内向型の生き方戦略―「社会から出て、境地を開拓する」という生き方
すなわち、 いきなり 全員 に ベーシックインカム を 与える よりも、 境地 開拓 型 に のみ ベーシックインカム を 与える 方 が 有効 だ と 分かり ます。 もちろん それでは 社会 維持 型 に対して 不公平 感 を 持た せる こと

私 は ゲーム の 制作 監督 を し て い た こと も あり、 作家 や シナリオライター、 絵描き や 漫画家、 音楽家、 声優 さん など、 いろいろ な クリエイター さん と 接する 機会 が あり まし た。 彼ら の 悩み はと いう と、 たいてい が「 普通 の 人 の よう には 生き られ ない」 という こと でし た。 だから 彼ら は みな、「 自分 にとって 好き な こと で 収益 を 上げ て、 生き られる よう に」 と、 自分 独自 の 生き方 を 模索 し て い まし た。 そして 世の中 を 見 て みる と、 クリエイター だけで なく、 内向 的 な 人 ほど この よう な 悩み を 持っ て いる こと に 気がつき まし た。




●社会維持派協調派が多数だと若い時は従う他ない

引きこもりは社会にとって深刻な問題かもしれない、それは数が多いということが社会に影響するからである、もともと内向型でアウトサイダー的な人間はいた
その人達は極めて数が少ないのである、10万人なのか百万人に一人なのかそういうレベルでありその人達は今の引きこもりとも違う、でも似ているのである
何か天才と狂気は紙一重というけどこの引きこもりもそうである、引きこもりは天才でなくても狂気にもなりやすいのである
社会からはずれることは実際は常人にはできないことだからそうなっている
ただ社会から外れて成功者になった例をあげてもそれと今の引きこもりは違っているように見える

ただ社会維持する性格の人が八割で内向型の境地開拓の人が二割というのはそうなのかもしれない、ということは社会維持派の人達が社会では圧倒的に多いとなるのか?

そのことは何を意味しているのか?

もしかしたらその人達は型にはまった集団行動することを好む、それで現代になってナチスとかカルト教団が生まれたのかもしれない、ナチスがその典型である
社会維持派の人達はこうした集団示威行動を好み社会維持するためにそうなるのだとしている
確かにカルト教団はそういう場である、創価でも統一教会でも似ている
集団で気勢を上げていたからである、同一行動になりその目的は権力奪取だった
統一教会でも映像でやはり同じようにみんなでエッエッオーと気勢を上げていたから似ていると思った

でも不思議なのはそもそも宗教というと内面を追及するものであり本来はそうして集団で示威行動するようなことない世界だった
ただ一向宗とかの念仏とか日蓮宗の題目とかは集団で示威行動するから宗教でも違っている、宗教でもイスラム教であり何であれ集団示威行動をする
つまり哲学とかなるとそれぞれに違ったものとして考えるものとしてある
でも宗教はかえってハイルヒットラーのようになりやすいのである
その奥深い内面を追及するものではなくみんな同じ行動をして一体感を持つのである
それが神道でもあり天皇崇拝で日本人を一体化して戦争になり3百万人も死んだのであるナチスでもそうである、それはこの本で言う社会維持派がこの世では外国でも八割いるということから起きてきたことなのか?
その辺の理由はわからないにしても社会は総じて社会維持派が作る、それに適応できないのが内向的性格だという
境地開拓の性格の人だという指摘は興味深い

ただ人間をいろいろに分類する、血液型とかでも人種でも内向型でも外向型でも理系と文系とかでも分類する、それは確かにありどうしても文系となると理系を理解しにくいように社会維持から見ると内向型の人を理解しにくいのである
それは犬と猫の相違でもある、犬は外向型であり何か隠すものがない、全面的に主人に従うのである、でも猫は何を考えているのかわからない、愛想もない、主人に従うより従わせるとまでなる、何か神秘的であり何を考えているのかわからないとなる
だから社会維持派にすると不可解ものとなる
猫はマイペースであり何か愛想良くしたりしないのである
だから犬好きがいて猫好きがいるとき猫を好きな人は内向的性格なのかとなる

●110万人も引きこもりがいるというときみんな境地開拓派として成功はしない

ともかくなぜ引きこもりが110万人もいるのか、それは東京でも地方でも田舎でも同じなのである、必ずそういう人を見かける、仕事をしていないのである
田舎でも昼間で仕事をしていないとそういう人に逢うのである
だからこの数に納得する、私の場合は時代的にみんな社会維持派として団塊の世代から企業戦士となった、私のように引きこもりになった人は本当にまれである
だからそんな人がいたのかとなり無関心である
でも今これだけ数が多いという時社会問題になったのである
だから私の場合は別に天才でもないが大学出てから好きなことをしてきた、好きなものを追及してきたのである

ただそうして境地開拓派というときそれは天才的な人であり業績も残している
でも110万人も引きこもりがいるというときその人達と同一には扱いないだろう
では110万人がそういうまれな天才になるのかとなるとそうは見えない
ただ社会の脱落者にしか見えないのである、アウトサイダーは社会の脱落者でもないのである、社会に反発した天才であり英雄ともなっていたからである
とてもそういう人に普通の人ではいくら境地開拓派でもなれないのである
ただそういう人達から天才が生れのかとかはわからないにしてももしその人達の極わずかでも自分の才能を発揮する人がでてくるかもしれない、なぜなら110万人もいたらその極わずかでも百人でも才能を発揮する人がいたら社会にとって有益だとなるからだ
でも大多数は社会の脱落者、落後者として終わるともなる

そして人間は20代で30歳までにその将来は決まる

これが怖いのである、引きこもりなどたいしたことがないとしている、時間など無限にある、暇で暇でしょうがいなとなっていた
ところが時間はあっというまに過ぎる、30過ぎると女性でも婚期を失うというとき美貌も失うからである、そして35歳以降は余生だとう言う人もいる
それだけ時間が過ぎるのが早いのである、そして40才になると白髪映えてくる
つまり40才で初老ともなり老人の入り口になっていたのである
だからみんな後になって人生はこんなに短いものかと驚いているし意外だったのである
そして怖いのは20代で引きこもりになっていると一生引きこもりになるということにもなる

なぜなら20代で人生の方向が決まるからである、これが怖いことだったのである
20代でカルト教団に入って抜けられなかったら一生カルトで終わるとなる
北朝鮮に飛行機をハイジャックして逃れた赤軍の若者はそのまま北朝鮮で一生終わるとまでなっていた、でも日本に帰りたいとなって帰って来た人たちもいる
でもその一生は北朝鮮でスパイのようなものにされて終わったのである
方向がそこで決定したのである、だから20代で人生の方向が決定することが怖いのである、そして人生はやり直すことができないのである
人生は長いのだから失敗してもいいとか方向はいつでも変えられるとかならないのであるそんな時間が人生にないのである、ただ人生百年時代になると時間のゆとりができているからその成果は60でも70以降でも出せる時代である、だからあせることはない
でも方向は20代で決まってしまうことが怖いのである
だから若き時神を知れと言うのは重要なことなのである

なぜなら20代を過ぎたら神を知ることができない!

20代はいろいろなことが起きやすい、波乱の時でありまた様々な欲望があふれだす時代でもありそこに翻弄されてあっというまに過ぎるからである
私の場合は父親が中学の時死んだので死ぬことをその時からなぜなのかということが一番の問題だったのである、そのために宗教団体に入ったのである
でも創価などは宗教などと何の関係もない団体である、だからそんなところに宗教を求めるのは正反対の場所だったのである、宗教の看板にしても暴力団だったということと変わりないのである
集団化して組織化している場は境地開拓派の内向的人とは無縁の場所だったのである
ただ社会維持派には向いているからあれだけ人が集まっているとなる
ただそれは宗教とは全く関係ない場所である

●自分自身を知れー内向的境地開拓派の生き方

いづれにしろ人間は生まれつき性格があり向き不向きがある、すると不向きなことをさせられたりすることは不幸である、いくら収入があったとしても不幸になる
だから医者の子は医者を継ぐとか強制されると不幸になる、例え医者になっても不幸である、そもそも自分に合わないことをしても幸福にはなれない、だから自分がどういうことに向いて知りそれにあったことをして究めることが大事になる
ただ人間に与えられた時間が短すぎるのである、老人になって必ず後悔しているのはそのためである、そして最後はいくら後悔しても何かする時間を消失している
時間を戻すことができないことがどうにもならないことなのである
だから本当にもう一回人生をやり直せればみんな失敗しなし後悔しないのである
老人になるとそのことが痛いほどわかるようになる、でも後悔先にたたずになり人生は
終わる、

ともかく内向的性格の人は社会維持派は8割と多いなかで二割となってることは生きることは苦しくむずかしくなる、だから学校にもなじめない、学校からして社会を維持するために基本的には作られているからである
それでこの本で教育でも自由教育を取り入れたが失敗したのは多数が社会維持派だからでありそういう人は自由に勉強して個性を出せといってもできないから失敗したとしているただ確かなことは内向的な人は社会維持派が多数の中で生きることがむずかしい
それを自覚して向いていることに精進することが大事である
社会維持派だとはみんなで調子を合わせて盛り上がる、大勢で集まり盛り上がる、そこで集団的に一体感を感じる、それでなぜカルト教団がいろいろ言われても増えるのかわかるこの世の中社会維持派が多数だからである
そのためにカルト教団とかナチスが社会を席巻してしまったのかとも見る
内面的なものを追及する境地開拓派だったらそうはならなかったとも見る
ただそう簡単に人間を分類はできないからわからない、ただ社会維持派は集団で盛り上がる、何か内向的な人はうじうじしてなぜ集団に溶け込まないのかとなる

でも不思議なのはそもそも宗教とは内面の追求だとするとき、一人座禅を組んで瞑想とかしているのは社会維持派には不似合いである、でも世界でなぜこれほど宗教が普及しているのか、これも不思議である、内向的な人の割合が二割くらいだとしたら集団的に盛り上がる宗教も社会維持派の宗教になったのかとなる
ただハイルヒットラーとみんな叫んでいれば仲間だとなり社会維持派の人達がそういうふうになり安かったのかとなる
そもそも外向的とか内向的であれ人間はそもそも集団で自然の中に生きてきたのだから防衛してきたのだから社会維持派が多数になっていることはわかる
我(われ)とは割れるから来ているからである、我という言葉はなかった
集団から割れて個人となったからである、人間に個はなく部族とか集団が一体化して生活していた、だから部族では顔まで似ているとなる

とにかくなぜこんなに引きこもりが現代でいるのか?

その原因が人間の性格がありその性格に合った仕事とか与えられない、内向的な人は内面的な追求に芸術とか学問とか何か新しい境地を開拓することに向いている、そして新しいことを発明した人達がその見本だとなる、でもそうした天才と言われる人の数は極めて少ないのである
その人達を目指せとかなるとそのハードルは相当に高くなる
結局は社会からはずれたもの、落伍者になる
そもそも110万人も引きこもりがいることはやはり異常である
それができているのはやはり経済的にも恵まれて働かなくても食べていけるからそういう人達がこんなにいるよちうになったのである
これも現代の社会状況から生まれたものだとなる
ただ内向的な人は良く自分のことを知っておく必要がある
なぜなら社会維持派が多数の社会でありそこで自分の居場所とか適合することがむずかしいからである
小学校であれ幼稚園からでも人間は集団行動を強いられるからである
内向的な人はそういう場からしてなじめないとなる
でもやはり社会人になるための訓練として社会維持派の中で生きるためにそうしているのである、それはやむをえないとはなる

●境地開拓派はそれれにふさわしい環境が与えられれば伸びる

でも境地開拓派は子供の時から好きなことを見つけて開発していけばやはりそれなりのもの専門家になる度合いが強い、ただ社会維持派と同調して歩調を合わせるのが苦手だからである、でも好きなことを見つけると夢中になりまさに境地開拓になる
独特のその人なりの世界を作り上げることができる、だからその人がどういう性格なのかを見極めて生きることが必要になる、でも社会維持派が多数なのだからそれがむずかしいのである
私自身は内向的であり境地開拓派の性格なのだけど実際は集団に社会維持派に適合しようとしていたのである、それはみんな自ずとそうなる
先生であれ学校で境地開拓派になり独自の世界を作れ発見しろなど教えないしそういう教育などないからである
学校ではなかなか個性的な教育はない、社会維持派に合わせる教育になるのである
だからなぜカルト教団がこれほど批判されていても多いのかとなる、それは社会維持派が多数だから多いのである、本当は内面志向が境地開拓派が宗教のなだけど社会維持派が多数だから宗教でもそうなったのである

私は別に人と接することが嫌でも少人数とか一対一の対話は好むのである
だから初めて逢った人で会話はしている、その人がどんな人生を送ったとかどんな人間なのか何に興味があるのかととか個人的に見るのである
大勢の人を相手にするのは苦手なのである、でも社会維持派となるとぐずぐず言わないで俺についてこいとかなる、何か理屈をこねるのを嫌うのである
だから警察と自衛隊とか建築土木現場とかの仕事は社会維持派が多いとなる
やはり集団的組織的に仕事をして一つの建物でも完成させることだからである
そのために協力一致しなければやれないからそうなる
だから体育系がいいとなる、命令に従う人がいいとなる、やはり社会では社会維持派が多数たからそうなる、軍隊なども上意下達であるからだ
そういう場所が内向的な人が苦手だというときなかなか合った仕事は与えられないのである、引きこもりの人がクリエターになりたいという時そうである
芸術だと独自の世界を作ることになるからそうなる、ただクリエターというとき恰好いいけど金にならないこともあり非常に社会ではそれで生活が成り立つこともむずかしい
だから何か家族とかの応援とか理解者がいるといいがそれはまれだとなる
ただそれでも引きこもりがそもそもこれだけの数がいることは親が容認していることは今までとは違っている、まず昔なら食べなければならないのだからそんなことできないからである、強制的に嫌でも働かざるをえないのである

内向的な人が陰の性格な人が全く引きこもりがいいわけではない、誰か理解ある人と少人数なら話すのである、私は人の話を個人的に聞く、そして相手を知る、老人だとその人が生きた人生を知り理解する、対話するのは好きなのである
ただ大勢を相手にして演説するとかは苦手なのである
何か一対一でその人のことを深く理解する、ソクラテスも対話から相手のことを知った
対話することがやはり人間は相手を理解する、大勢だと理解できないのである
でも社会維持派はそうして大勢で同一化して一体化することで興奮するのである
それが極端になるとナチスのようになるのである
そこに大きな危険がひそんでいたのである、だから戦争でも社会維持派は大イベントともなり興奮して戦うともなる、そういう時こそ最大に人間は団結して一体化するからである内向的な人は境地開拓派はそういうものに向かなくてもそういう時代があり適合せざるをえなかったとなる

●内面を追及する宗教とか哲学とか芸術の時代になり境地開拓派が主役にもなる

でも現代は戦争は確かにウクライナとかであるけど全般的には戦争は拒否される時代である、グロ−バル化というのもコロナウィルスとかで縮小してゆく
外延的に拡大化したのが現代である、でもそれも区切りが来たのかと見る
何か内面化する内省化する時代になっている、だから中世時代に戻るという人もいた
閉鎖的なある意味で引きこもりの時代になってゆくように見える
だから人間は必ず時代の影響を受ける、高度成長時代は社会維持派社会強調派が全面に出た時代である、経済も成長して企業戦士となりがむしゃらに働きぐいぐいと引っ張る人が指導者となったのである
そんな時代はとても引きこもりは向いていないし、そもそもいなかったのである
みんながむしゃらに働き高度成長時代を築いたからである
だからその時引きこもりになっていた人は本当にまれである
私は偶然家族に恵まれて引きこもりになっていたのである
そこで自分の好きなことを探求して来たのである、その時代そんな人は誰も知らない
引きこもりという言葉すらない、ただの変人になっていたのである

だから引きこもりが問題になっているが意外とこれからはそうした人達が主役になるかもしれない、高度成長時代とか戦争とかなるとどうしても社会維持派とか社会協調派が主役になる、でも社会が成熟してくると平和がつづくと内向的な人が境地開拓派が小数でも主役になるかもしれない、ただそれでもその中で目立つのはわずかだとはなる
百万人も引きこもりがいて何かそれで社会に貢献する人はわずかだとなる
だから引きもりがこれほどいるということが問題になる
社会維持派は協調派が多数の中でそういう人を寛容に見ていられるかとなるからだ
だから親と対立して殺人まで起きている、親が何しているのかわからないので不安になる実際親が死んだ時引きこもりは地獄になるからだ

この本は見方としては面白いと思った、ただ全部があてはまることはない、ただ内向的な人が境地開拓派として新語を作りだしたのは興味深い、天才は新しい言葉を作るからである、いづれにしろ高度成長時代から低成長時代とか失われた30年とかあったが結局日本はもう経済的には成長しないのだろう、でも成熟社会となり内面的なものの追求になる宗教とか哲学とか芸術分野で新しい発見がありまさに新しい境地が開拓されるとなる、たたカルト宗教団体は全く内面の追求とか境地開拓派とは反対なのである
集団的熱狂であり高揚でありナチスと似ているのである、もちろんそこでは境地開拓とかいう言葉とか理解できないし無縁の世界である、ただ政治化して経済化して欲望を達成する権力集団なのである
高度成長時代は陽の時代だが低成長時代になりコロナウィルスで在宅で仕事するようになったりテレワークになったりしたり時代が変わってきたとなる
つまり内向的な人でも境地開拓して主役になる時代なのかもしれない
時代風潮がありその時代にマッチした人が現れる、むしろ引きこもりでもその才能でも発揮できる時代なのかもしれない、ただ一概に外向的だとか社会維持派だとか内向的だとか教区開拓派だとかに分けることはできない、でも性格があり性格にあったように生きないと不幸になる、生きるのが苦しくなるのである

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この隠された石が自分なのである
じっとして人にめったに逢わず沈黙しているとなる
その時心は安らかになっているのである

one twinkling star

the big fixed stone

stay here

in winter

in stillness

2022年11月19日

塩手山の登山口に咲いていた冬桜(晩菊、冬の灯、冬の星、残る柿)


塩手山の登山口に咲いていた冬桜(晩菊、冬の灯、冬の星、残る柿)

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ここは家の前の畑である、田から仕事しやすいのである

塩手屋山の麓

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冬桜が二本

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今田の古い道

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安永だから古い

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滝平の滝は紅葉が赤ければ良かった
紅葉は季節が終わっていた

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一つの根に三本の木が生えている

玉野村へゆく宇多川の上流



飯館村の佐須

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ここは何を祀っているのか
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享和と見える

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飯館村の前田

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真野川の隠れた大石



牛のいてこちらを見るや残る柿

晩菊や前畑に仕事老婆かな

冬の日や安永の碑古き道

冬の日や古き碑残り松一本

二本の山里に根付く冬桜

冬桜佐藤氏の末二軒かな

塩手山佐藤家二軒冬の暮

根の一つ三本の木や冬の暮

冬の灯や木戸木(ことぎ)にあわれ三軒ほど

石一つ隠され知りぬ冬の星


古き碑の昔の道に並びつつ松一本や冬の日暮れぬ

土壁の蔵に冬日さし映えにけり残る柿あまたこの家の古りぬ

幽かにも冬の林に鳥の声ひびきてあわれ一軒の家あり

山そそり巌にひびく滝の音秋の朝日の頂にさしぬ

境なれ玉野そあわれ冬の日や若木神社をたずねけるかな

霊山をたずねれば紅葉終わりしと南朝亡ぶ我が帰るかな

辛うじて享和と読める佐須村の碑の古りあわれ冬の日暮れぬ


相馬市の塩手山の方をまわり霊山に行きそれから飯館村の佐須村により草野の方に行った距離的には10時半頃を家を出て回ったがそれほどではなかった
ただ日が早く暮れるので急いだ、でも帰りは真っ暗になっていた
そして残念だったことは紅葉は終わっていた、霊山でも終わっていた
紅葉の期間も短い、たいがいもう散っている
紅葉は山より庭とかに真っ赤になっている、やはり真っ赤だと紅葉らしいとなる

ここで一番の見物は塩手山の登山口に咲いていた冬桜である
これは意外だった、こんな所に咲いているのかと不思議だった
確かに農家の庭に冬桜が咲いていたのを見たことがある、でもあそこは山の方であり
冬桜が咲いているので心にしみるともなる、ただあそこが村という感覚はない
家が少ないからである、今は山里でもそこから街に勤めのために通っている人が多いからだ、現代では本当の山村というのはなくなっているかもしれない
自給自足の山村は消滅しつつあるのかもしれない、限界集落となっているからだ
塩手山には二軒佐藤家がある、その佐藤家は佐藤庄司などがいて義経に使えた武士でありその墓がが医王寺にありそこから移住してきた人の子孫だとなる
佐藤家にもいろいろあるがここの由来はそうなる、磯部に住んでいた佐藤氏はその系統であり鬼越館に移った佐藤氏である

義経が挙兵した頼朝のもとへ駆けつける際に従い、目覚ましい活躍を遂げた佐藤継信・忠信兄弟。しかし、継信は屋島の戦いで、忠信は京都で、それぞれ義経の身代わりになって壮絶な最期を遂げています。この佐藤継信・忠信兄弟の墓をはじめ、佐藤一族の墓が並ぶ医王寺。武蔵坊弁慶の笈(おい)が納められ、松尾芭蕉の句碑も立っています。(福島市飯坂)

こうして福島市でも浜通りでも歴史としてつながっている、身近だと歴史をたどることができる、でも高速道路は確かに早くていいのだが用事があるときはいいのだが旅するには向いていないのである、途中に必ず古跡とかがあるからだ
南相馬市の鹿島区には50人くらいなのか只野の姓がある、これは郡山の多田野村から出た姓なのである、霊山が炎上して逃れた落武者の末裔だったのである

宇多川の形がいい大きな石は工事があり土に埋まっていた、それも残念だった
あの石は博物館とかに置けばいいようにも思えた
それから玉野村近くにまた山ごとソーラーパネルにする工事をしていた
どうしても山は仕事がないからそうなる
特に福島まで中央道が直通したとき前の道は旧道となり車が通らない
だから霊山の紅彩館まで影響したという、途中に寄らなくても行けるとなるからだろう
でもソフト屋は繁盛しているように見えた、あれはうまいから寄る人がいると見えた
旧道はサイクリング道路としては最適である、でもそれでは地域に何かうまみがない
だから店でも食堂でもやめたのである
とにかく車社会というとき車の影響が大きいのである
シャッター通りになったのも車の影響があるからだ

2022年11月18日

冬の空家の庭ー(紅葉、残る菊、山茶花、冬薔薇 、残る菊)


冬の空家の庭ー(紅葉、残る菊、山茶花、冬薔薇 、残る菊)

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右田浜の津浪で家が流されても庭だけは残った
石は重いから流されず残ったとなる
でも石すら流されてなくなったのである
それで庭の石が利用されず積まれたままになっている所がある


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石黙し紅葉の赤さまして映ゆ

滝ひびき紅葉の赤く朝の山

冬の日や田舎に寡黙石の庭

田舎なれ墓地の目立ちて枯野かな

冬の日や平板な石に亀二つ


白鳥の五六羽朝に鳴きにけ連なりにつつ雁も飛びゆく

冬の雁朝群れ飛ぶや海の面の光り反射しまぶしかりけり

我が庭に冬の薔薇咲くいとしみつ晩年過ごしぬ

我が庭に葉牡丹植えぬ紫と白や冬日さす石のかたへに

落ち着きて寄り合う石に残る菊冬の日さして晩年過ごす

街中の空家の庭に残る通りなれども活かされじかも

山茶花の咲きて石重く残りにしも人住まぬ庭我が見ゆるかも

残る柿なお我が家に生きなむや近く住む人の余命を思ふ


空家が増えるのも問題である、空家が活かされない、空家より価値あるのは庭だったようにも見える、私の場合に石に興味があるからそうなる
空家は壊されても津波で家が流されても庭の石が残っている、ただその石もただ積まれていて利用されないのももったいないとも見る
ただ庭は広い土地が必要だからなかなか利用しにくいのである

今年は白鳥はここでは四五羽しか来ていないのも淋しい、白鳥は一度来た所にもどってくるというがなぜ今年はこんなに少ないのか去年は数が多かった、それで飛んでいるのが気持ち良かった、今年は飛んでいるのも見ないから淋しいとなる

なんか急に寒くなった、冬になった、石は沈黙している、そうして田舎でじっとして寡黙に過ごしているのがいいとなる、それが自分の性分にあっているのである
近くの知っている人は糖尿病であり寿命も短いだろう、でも糖尿病も簡単には死なない
家に来ていた人も脳梗塞になったがこれも簡単には死なない
知っている人で脳梗塞になった人を5人くらい知っている
そういう人は夫を十年介護したとかいうのが普通なのである
この介護の期間が長いことが苦しくなるのである、最低でも5年はかかるからである

とにかく冬らしくなった、紅葉も盛り終えつつある、霊山の方に行こうとしたが疲れて行けない、やはり疲れやすくなったのである、自転車だと遠すぎるとなる
近くでもっと紅葉を見たいと思う、何か老人になると意外と近くが大事になる
介護するにしても近くでないと不便になる、それが隣の市でも8キロでも10数キロでも車だと近いようだが遠いのである、手間なのである
たから老人は近くで動かない石のように共にいることが合っているとなる
ただ問題はいろいろと合わないことがありもめることである
昔の村のように長く一緒に共同して暮らしていた人はうまくゆくが今だとそういうことがないからうまく付き合えないのである

ただ正直老人になるとどうしても出不精になり家にこもるとなる、だから庭とかがあり花とか石を見ているのが合うようになる
脳梗塞でも家にじっとしているにしても庭があるとその庭の花とか石を見たりまた多少庭の手入れなどしていれば気がまぎれるとなる、そのくらいは動けるとなるからいいのである


2022年11月16日

南相馬市市議会選挙―民主主義が機能しなくなっている (前回も投票率が60パーセントくらい―無駄な議員は減らすべき)


南相馬市市議会選挙―民主主義が機能しなくなっている

(前回も投票率が60パーセントくらい―無駄な議員は減らすべき)


●議員の不満が多いのはなぜかー議員自体も成り手がいない

「町政与党に所属しているだけで、意見も言わず一般質問もせず、ただ集票のみの存在だけの議員がいることが地元住民から『議員なんていらない』という考えがなくならない原因なのではと思うことが多々ある」

議員の私個人の考えではあるが首長がしっかりしておられるかたであれば議会不要と考える…都道府県議会も同様と考える。特に県議会議員は金儲けである。多くの歳費以外に月額30万もの政調費を支給されているのはおかしいと思う県会議員は月に50万預金できるらしい話はたくさんある。
最近の地方自治法は首長に権限が集中するべく方向に改正されていく傾向にあり、議会の権能が低下しており議会不要への方向となっていることも事実である。首長が決定した事項を議会が変えることはほぼ不可能であることも事実としてある」

自分の地域の利害で活動するのなら議員は不要、自治会長会で充分」

県議会議員の報酬活動費が高すぎる。普通市の市議会議員はその半分以下、生活ができない。働きざかりの人はなれない、ならない。質の低下がひどい。

「市民から見れば『議会で、何の話がされ、何が決まっているのかわからない』状態がある。実際まちを歩き、声を聞くと、『議会がなにをしているかわからない』という声は多い。


議員なんて、もうやめたい
〜地方議員2万人アンケート

「地方議員が中央政党の使いっ走り、出先機関になり下がっている。選挙のときには『市民の声を市政に反映させます』と約束しながら当選すれば『政党の都合』を『市民』よりも優先させる議員が多すぎて、そのために、地方議会の改革は大きく滞ってい

地方議員になるためには、地縁・血縁・カバンが最重要で、資質・行動力・実現力が軽視されている」

日本の政治家の数、主に地方議員の数は大幅に減らすべきです。

そしてその方法とは、都道府県の廃止と市町村の合併推進だと私は考えます。
この件についての詳しい話はいずれ書こうと思いますが、都道府県を廃止すれば都道府県知事と都道府県議員がいなくなり、市町村が合併されれば市町村長と市町村議員の数を減らすことができます。

2018年)の同市議選は、定数22に対し24人が立候補し、現職17人、新人5人が当選しました。党派別では共産2、公明1、無所属19で、女性は1人(党派は選挙時)。投票率は55.91%でした

南相馬市長選 門馬氏当選投票率63.75%




●地方議員が中央政党の使いっ走り、出先機関になり下がっている

地方議員の問題はいろいろあり常に言われてきた、そもそもが議員が何をしているのかさっぱりわからない、関心もないからでもあるが関心を持たされないこともあるし何か要望があっても議員を通して実現されることもあまりないだろう
ただ身近な問題が常にある、この辺ではゴミを投げる場所がなくて困っている
その場所さえ確保されれば市ではゴミ箱を設置できるとしている
でもこれもなかなか私人ではむずかしいのである
回りと交渉しなければならないし合意しないとできないし誰かの所有の土地だからできない、つまり強制力がないのである
また回りでも烏につつかれたりしてゴミが散らばったりした、それを私はかたづけたりした、でも回りでもそもそせ関心がないのである
この関心がないことが結局民主主義を発展させないのである
何か個々人でも損害を受けるとかならないと関心がないのである
ただ介護とか病気になると切実な関心を持つようになる
でも議員に相談する人は少ないだろう、何かしてくれるわけでもないだろう
でも共産党とか公明党だと生活保護を優先的に市の方に働きかけてとれるとかはある

地方議員が中央政党の使いっ走り、出先機関になり下がっている。選挙のときには『市民の声を市政に反映させます』と約束しながら当選すれば『政党の都合』を『市民』よりも優先させる議員が多すぎる

共産党とか公明党は強固に国政にかかわり地方議員でも党勢を拡大して国政に国家権力にかかわることで運動している、公明党はそれより地方議員でも仏法の戦いとして位置付けていて政教一致の戦いとして地方議員を確保する
だからこういう党は地域としてはふさわしくないのである
地方地域になるとそれより日々の生活の中での要望を斡旋する仲介することが主な仕事になるからである
でも底辺層になると頼る人がいないので頼るのである

何かわからなかったが創価とかなると市会議員に家族がなって今度は中央の本部に就職した人がいる、その人は家族ぐるみで一体化して国政にかかわる、、政教一致にもなる
地方議員もその駒として働くとなる、確実に公明党と共産党は地方議員でも国政が主体であり地方議員はそのためにある、党勢拡大とか公明党になると宗教とも一体化した政教一致であり会員を増やす手段としてある
公明党とか共産党の最終目的は権力奪取だからである
創価だと仏教による革命であり、共産党になると共産主義の革命であり権力を得るために運動しているのである
でも地方議員となるとそうした国政にかかわることではなく、地域地域の問題に要望を聞いてそれを解決することにある、その一つはゴミの処理問題だったりするのである

驚いたのは全国の衆議院参議院選挙でも投票率が50パーセントくらいであり市会議員となればもっと身近だから高いと思った
でもは60パーセントくらいしかないのである、こんなに低かったのかと驚きである
何か地域でも関心がなくなっているのは何か要望があっても聞いてももらえないし何にもしてくれない解決してくれないとかあきらめているからである
私自身も投票する候補者がいないとなる
つまり議員とは頼りにならない存在なのである、ただ金だけを税金でとられるとなっている、でも逆に町村になると報酬が少なくてやっていけないと議員になる人が減っている
そもそも議員に仕事として魅力を感じなくなっている

●議員の成り手がいない、議員に魅力が感じられない

仕事というとき何でも達成感があると生きがいになるやる気がでてくる
それは別に報酬がなくてもそうなのである、だから議員でももともとは金持ちがボランティアとして名誉職としてしていたのである、金の報酬はなかったのである
かえって選挙運動すると金がかかっていたのである
だから実はそういう人こそかえって向いていたともなる
なぜなら金をもらえるとなると必ず金に注目する、すると本来の目的とは違ったものとして仕事することにもなる
それは芸術家でも金のために絵を描いたり何か詩でも書いたり物を作るとなると金が欲しいとういことが優先されるとかえっていいものはできないのである
金によって惑わされ本来の目的からはずれてしまうのである
私は金が欲しいために議員になりかいとかなったらおかしいのである

宗教となると金をもらうためにお布施をもらうために僧になりたいとか牧師になりたいとなったりしたらおかしいのである
でも現実はそうなっている場合がある、だから常に金によって人間は歪められるのである
そうは言っても現実に議員になりたくない人が多いというとき何か議員の仕事に生きがいを感じないからそうなる、何か達成感がない、芸術家だったら別に金にならなくてもいいものを作ろうと懸命になる、職人でもそうである、それが生きがいとなる
ただ民主主義の基礎として地方議会とか地方議員がいるとしてそこは草の根民主主義になるから重要だともなる
でも現実にはそうなっていないから投票する人も議員自体もやる気がなくなっている
実際に権限があり決めているのは市町長村長だというときそうである
議員自体で何か権限があって決められることがないからそうなる
でも原発とかなると市民であれ重大なことだった、でもそのことでどんな議論をしていたのか議員がどんな発言をしていたのかその時はやはり関心がなかった
それよりもう市民でも町民でも原発に反対する人などいないのだからそんなことをすることもなっかともなる

だから新潟県の巻町で町民が議論して反対して原発を拒否したことは稀有なことだったのである、その時新潟日報とかも反対して協力していたのである
何か重大なことが地域である、命にかかわることがある、だからその時議会とかが必要でありそこで議論する、それが民主主義だとなる
でも議員は権限がないから国ー県ー市町村となりただ国の命令に従うだけだったとなる
まともに議論すらしていないのである、そして福島県では福島民報でも県で株を50%を持っているとかなり県の広報機関だったのである
そうして原発は素人だとわかりにくい、専門家の言うことに反論できないから安全神話が作られて誰も事故など起きないと思うようになったのである
でも巻町のように町民で議論して新聞社でも応援して止めることができたのである
そこでは民主主義が機能していたとなる
民主主義とは過程にあり完成することはない、国民でも市民でも民主主義を促進していかなければ民主主義自体が崩壊する、それはアメリカでも民主主義の危機になっているから日本でもそうなる

●広域化する社会に対応ー飯館村は南相馬市と合併するべき

日本の政治家の数、主に地方議員の数は大幅に減らすべきです。

そしてその方法とは、都道府県の廃止と市町村の合併推進だと私は考えます。
この件についての詳しい話はいずれ書こうと思いますが、都道府県を廃止すれば都道府県知事と都道府県議員がいなくなり、市町村が合併されれば市町村長と市町村議員の数を減らすことができます。

これは飯館村の選挙で議員に立候補した人に聞いたりしたら応援している人がよそ者はかかわるなとか言われた、つまり議員というのはおらが村とかおらが町とかだけになる
でも今回の原発事故で飯館村から放射性物質のフレコンバッグが破れて放射性物質が流れ出した、それは南相馬市と川で結びついているし土地が結びついているのだから村意外のよそ者がかかわるなとはならないのである
でも別に一票がないのだから相手にされないとなっていたのである
ここでいかに地元であれば一票持つことか重要なことがわかったのである
もし一票をもっていればこんな扱いにはならなかったからである
それは浪江町とか双葉町から避難した人々に言える、南相馬市に移住しても選挙権がないのだから何か要求する権利もないとなる
でも小高の人が避難してきたとき鹿島区に住んでいる議員が応援していたのである
南相馬市と合併したからそうなったのである、一票の権利を持っているからである

議員がいらないというとき多いというときやはり現代は広域社会になっているからそうなる、もう昔の村のような狭い範囲で生活していないからである
広域化グロ−バル化もしているから議会でもそうならざるをえないのである
おらが村の町の感覚では成り立っていない社会だからである

飯館村ももう南相馬市と合併するべきだ!

今やもうそうならざるをえないのではないか、とても飯館村だけはもう成り立たないのである、財政的にもそうでありもう飯館村自体が消滅する危機にもなっいるからである
もう飯館村の議員はなくして南相馬市の議員とする、そして議員を減らすのである
もともと飯館村は鹿島の屋形で鎌倉から移り住んだ岩松氏が支配していた
だから相馬藩内でもあり歴史的地理的一体感があるから違和感がないからである
そしてもう議員に払う金も自治体にはなくなる、それで消滅する自治体のことが常に語られているのである、それでどうしても広域的に合併せざるをえないのである
つまりもう税金の無駄はできない、コンパクトに縮小化する社会になるからである
今までのような無駄な金は使えないのである
だから少数精鋭で自治体も議員でも運営する他ないのである


posted by 天華 at 17:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年11月15日

北海道に新幹線は不必要 (新幹線より時速30kmのSLを北海道全域に導入すべきだった)


北海道に新幹線は不必要

(新幹線より時速30kmのSLを北海道全域に導入すべきだった)

●北海道の旅の記憶

列車好きって鈍行好きだよな
鉄道わからんでもそれくらいは知ってる

予約取れないほど人気だった寝台列車を廃線にして
1両1人しか乗ってない新幹線ができたんだぜ?

寝台列車いいかも
ここでしか乗れないみたいなのを北海道でやるなら寝台列車復でいいんじゃね?
SLとか豪華列車は走りまくってるし

広いすぎるから電車は不利なんだよね。
どこに行くにしても電車だと駅まで遠すぎるという。

北海道には十回くらい行っている、必ず仙台から船で苫小牧まで行ってまわった
苫小牧につくと空気まで違っていた、苫小牧は市になっていても工場などがあっても
広いのである、回りは原野なのである、苫小牧からすでに北海道の景色なのである
ルピナスとかの花が咲いていることは日本ではないからである
旅だと北海道なら船で行くと旅情がある、船で行き電車で旅するとなると鉄道ばかりの旅とは違ったものとなる、だから函館までの連絡船があったときは旅でも違ったものとなった、連絡船は日常的に使用するものであり観光だけではないから何かそこに人間の物語があったとなる

今海底を走る電車だとそうしたものを感じなくなる
要するに何か新しい技術ができて便利になっても必ず失うものがある
それはデジタル社会の落とし穴でも書いた
便利さ効率を追求してゆくとそこに人間的なものが失われてゆく
旅情も失われてゆく、鈍行から普通列車になり急行になり新幹線になる
その過程で失われたものがある、夜行列車は消失した、だから夜行列車は体験できないから体験したいという人も出て来る、寝台列車はやはり旅情があるからだ

北海道に新幹線がいらないというときビジネスとか日常の足としては使わないからである何か一両の電車が広大な荒野を走っているのは実用的ではないからである
そこでぽっぽ屋とかの高倉健の映画があった、ただノスタルジックなものとしてあった
ただそうして駅舎には人間的なもの情がにじんでいる場だったのである
北海道は観光列車がいいというときそれはまた違ったものになる
観光だけとなると何か生活感がないのでやはり鉄道も活きないとなるかもしれない
ただ観光列車とかしか活かせる道がなくなっているのである

●時代による時間感覚の相違

現代は時間の感覚が違っているしこれまでも時間の感覚が違っている、江戸時代と明治時代でも時間の感覚が違っているしそれから大正、昭和となり戦後の昭和となり時間の感覚が違うのである
それと距離感も違ってくる、第一江戸時代に参勤交代とかで江戸まで行くにどれだけの時間がかかっていたか、相馬からでも8日間かかるとしたら往復二週間もかかるのである
すると江戸とははるかに遠い世界でありそこに行けるのは一生のうち何度かとなる
また仕事で行くことも簡単にできない、そして手紙ですら飛脚が運んでくるのだからめったに便りもないのである
その時間感覚と距離感覚の相違が常に時代によってあった
その時代とは科学技術が人工的に作ったのである
時間か早くかんじたり遅く感じたりするがもともと時間はない、時間は人間によって環境によって作られてきたのである、それは明治以降時計が普及すれば時計で時間が計られるすると一分でも計られるから時間に追われるようになる
つまり人間は時計によって時間に追われるようになる、そのこと自体人間の感覚が変わってしまったのである

寺の鐘が時間をつげていたときは何かゴーンゴーンと野に鐘の音がひびきわたる
その感覚は時計で感じる感覚とはまるで違ったものでありそれは自然のリズムと合っていたのである、一分刻みの時間ではないからである

春の野にひびく鐘の音野良仕事

その鐘の音を聞いて時間を感じる、その感覚は今とはまるで違ったものになる
鐘の音は大地に山にゴーンとひびきわたる、それは自然と融合した音ともなる
江戸時代の時間の感覚は自然のリズムとともにあり悠長だった
そこに江戸時代の価値があった、そして暗くなれば電気もないのだから夜は早めに寝るほかないしそして朝は早く目覚めて仕事するとなる
自然のリズムに合わせて生活するほかなかったのである、だから朝廷というときでも朝に官吏が出勤するからそうなった、暗くなると仕事ができなくなるからである
だから仕事はたいがい大工とかでも午后の二時くらいでやめていたとかなる
それは自然のリズムにあわせて仕事する他ないからそうなった

おじいさんの古時計は歌で有名になったがやはり柱時計が昔は家にありそれが大きいし
時間の進み方が遅かったのである、振り子が動いていたのも何か機械が悠長に動いている感覚にもなっていたのである、電子時計になると人間的でなくなる
機械でも人間的なものがありそれが電子化するとなくなる
だから時間の感覚はそうした機械とか道具にも影響されるのである
デジタル表示の時計とアナログ表示の時計の時間の感覚は違う、時間の見方が違うのである、時間を距離的にも見ている、一時間後とか一時間前とかを見る、今の時間ではない
先の時間と過去の時間も見ているのである
だから時間の感覚は同じ一時間でもいろいろな条件で違ってくるのである
だからそもそも時間がないと書いたがそういうことなのである

停車場の柱時計を仰ぎつつ現(うつつ)なや朝のストーブの椅子に 牧水

これも駅に大きな時計があり仰ぐとまでなる、ストーブがあるとういこともなつかしいとなる、エアコンではないからストーブだとぽかぽかとあたたまる、その相違も大きいのである、それでわざわざ薪を燃料に使ったりするのは今になると贅沢である
でもストーブの方がエアコンり何か冬らしい感覚を味わうのである

●失われた旅情

旅というとき早いのがいいとはならない、目的地にできるだけ早く着くとしたら旅にはならない、だからこれだけ交通が便利になっても旅を経験している人は少ないのである
旅をしているのではない移動しているだけなのである
どれだけ早く目的地について後はうまい料理を食べたい休息したいとなる
途中を楽しむことがないのである、車社会ではそうなった、旅は道連れ世は情けもなくなった、車では人と人の出合いなどないからである
旅情もないのである、分去(わかれさり)という地名が残っているのはそこで旅人は分れ永遠に逢わないとなっていたからである
そこで別れを惜しむからである

分去旅人別る秋の暮

こんなふうになる、これが車だと感じないのである、つまり歩いて旅しない限り感じられないのである、この道は分かれてどこへ行くのだろうとかなり道は未知だったのである
それは自転車ではある程度感じる、私は阿武隈高地をそうして自転車で旅していて感じたからである,道は未知として延々とつづいているからである
でも現代ではその未知なる道の旅が失われた、それは車社会になると道はレールの上を走っている感じになる、決められたレールの上を走る道路なのである
そこに未知の感覚は失われる、鉄道にしても決められたレールの上を走るのであり歩いて道を旅するのとは違うのである
現代は何か未知の感覚が失われたのである、あらゆることで交通も発達して情報が氾濫して道の感覚が消失してしまったのである、あらゆるものが既知に なってしまったのである
いづれにしろ北海道は魅力がある、広いから鉄道で旅行するのも魅力がある
ただ現実問題として日常的に利用するのは不便なのである
駅まで遠いというのもわかる、北海道は広いからそうなる、そうでなくても駅まで遠いとか駅からの足がなくなったことも影響している

私でも原町、相馬市まで行くのに自転車だからである、何故ならイオンとか行くのに遠いからである、買い物も駅から遠いし用をたすのにも遠いからである
そこが鉄道の問題である、車だとどこにでも行けるとなるからだ、この利便性の差が大きすぎるのである、、ただ正直私は車は好きではない、そのことは延々と書いてきた
またバスでもあまり好きではない、鉄道には何か人間的なものがあり旅情がある
だから近くに確かに高速道路のSAはにぎわっていても何か人間的なものか感じない
駅で待つような人間的なものを感じないのである、駅だと人の出合い別れを演出した場所であり何か人間的なものがある、だからいろいろと語られるのである
人間の情がそこにのりうつっているからかとなる、ただ機能的な場所ではない、人間の悲しみ喜びが演出された場所だとなる、停車場という言葉でもそうである

ふるさとの なまりなつかし 停車場の ひとごみのなかに そをききにゆく 啄木

これもそうである、駅でボランティアのまねごとをしていたとき原発事故などで外部から来る人が多かった、そこでなまりを聞いてどこの人かと聞いたからである
なまりで国がわかるというのもそうである、なまりは本当にいろいろある、そのなまりが何かあたたかみがある、標準語とは違うのである、だから奇妙なのは故郷に帰って来た人が埼玉とか回ってその土地の訛りが自ずと身について複合した言葉をしゃべっていたのである、これも変なものだったのである

ともかくまず鉄道が活きていた時代は失われた、鉄道の駅と高速のSAを比べるとその相違は大きい、人の出入りが千倍も違うかもしれない、今は鉄道の駅は無人化したりして一人二人くらいしか待っていないとかある
高校生の通学では利用している、だから高校生の見守り役を市では雇ったのである
前は駅前通りとかあり駅が中心だったのである、だから駅前はにぎわっていたのである
でも高速のSAとなると街から離れていて街に来る人はまれである
ただ街から離れた場所で一時的に休む場所だとなり街の活性化にそれほどならないのである、まず街まで来る人はまれだからである
そして鉄道とは違って待つ時間もないからそこで何か見知らぬ人でも話すこともないのである、それは結局車というものが技術が人間社会を変えたということなのである
そこで必ず人間は確かに便利になっても失うものがある、得るものがあれば失うものがあったとなる

2022年11月14日

デジタル社会の落とし穴 (キャッシュレスの危険を経験した)


デジタル社会の落とし穴

(キャッシュレスの危険を経験した)

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日本政府はキャッシュレス化を推進!でも国民にはリスク高い!】なぜカードにするのか、考えたことある?-masakazu kaji-
https://www.youtube.com/watch?v=KgwNBDywyxw&ab_channel=%E3%81%8B%E3%81%982%E
3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB

デジタル社会も確かに便利だし悪いとはならない、でもやはり何でも人間社会はメリットとデメリットがある
キクチスーパーのカードでなくしてチャージした一万が損した、それはカードをなくすと損する仕組みになっているからだ
他のカードだと使いなくするから損することはない
でもやはり銀行のカードでもおそらく盗まれたとなったが即座に連絡して金を落とせないようにした、でもこれも危険があると思った
またカードはなくしやすいしスマホだって一回忘れたのである

大阪、京都で4店舗を運営していたスーパーチェーンが10月、予告なく閉店し、店が独自に導入していた電子マネーの残高が使えない事態となっている。会社は破産手続きを進めており、残高が返還されるめどは立っていない。「買い物難民」も発生し、地域に混乱が広がっている。

これもひどいと思う、詐欺にもなる
確かに金額としては少ないが一年でカードで買い物して見返りにもらえる金はとても一万にもならない、たまに300円もらえるだけである
だから計算すると本当に損だった、カードがなくしやすいのはいちいち財布から出して使うし小さいから忘れるとかなくしやすいのである
そうして一回忘れるとチャージする金額が一万でも損になる
そんなことしているのならもうカードで買い物しない方が安全で得になる

結局デジタル社会化IT化でも危険がある、だから安全をどうして保つかが問題になる
そういう安全策はスーパーでもとっていない、あなたが無くしたからあなたの責任ですで終わりなのである、一万返してくれといってもあなたの責任ですとなって終わりなのである
こうなると現金の方が安全である
なぜなら見返りの金は一年でも一万には全体にならないからである

デジタル社会は安全安心が計られていない!

これが問題なのである、なぜならその損が大きくなる場合があるからだ
そうなると多少不便でも現金の方がいいとなる
確かに現金だと金が可視化されて計算して節約したりする、また店員とお釣りをもらうとか話ししたりする、それも手間なのだけどなんらか会話があるのがいいというのもそうかもしれない、何もかも人間は便利を追及するとまた失われるものがある
それは何度も車社会が失われたことを書いてきた、電車でも駅で待つ時間が人間的になるとか歩く旅なら旅は道連れ世は情けになると書いてきた
便利を極限まで追求しゆくとかえって人間的なものが失われてゆく、会話もないから情も失われてゆく、そのことは書いてきた

マイナンバーカードでもなくしたらどうするのかが問題になる、どうしてもカードは小さいからなくしやすいのである、その安全策がとられていないのである
そして紙幣のように数字だけになり金をというものが実感できなくなる
カードだといくら使ったとか感覚がなくなるのである
確かにそれは問題である、それに反対する人は若い人には多い、だから日本は遅れているのだとなる
でも加治兄とかの同年代の人はカードにデジタル社会に反対しているのは意外だった
老人ならみんなそうなりやすい、デジタル社会についていけないとなる
私はたまたまワープロをしてパソコンを出始めた時からしていたから慣れてはいる
でもデジタル社会にもメリットとデメリットがある

世界がそうなったとき日本だけが遅れているというのもわかる
問題は安全をどう図るかである、安全を計る時そこに金がかかる、だから安全はないがしろになる、原発事故が起きたのも安全をないがしろにしたからである
その安全というのはどこでも問題になるがそれ自体は金にならないのでコストから金をかけないのである
それで東電の社長がコストカッターとして社長になったと言われる
その時安全に対して金を払わなかったとなる

何か本当にデジタル社会になると売買することでも便利でもそこに物でもやりとりする実感がなくなるのである
それよりそもそも貨幣が生まれた時すでに物々交換でないから弊害が生まれたのである
貨幣の発明は必然的に起きたとしてもそのために社会を歪めるものにもなったのである
つまり科学技術でも何でも便利なものは必ずメリットとデメリットがある
だから科学技術がなんでもいいとして取り入れて失敗することがある
実際の価値は金を媒介するとその価値は歪められる、本当は物々交換がいいのである
リンゴが欲しい人とミカンを欲しい人が持ち寄って交換するのが実感があっていいのである、でもそれができないから貨幣が生まれたのである
貨幣とはやはりメデアであり媒介するものであり真実の価値を歪めるのである
だから覇権国が金融を支配して莫大な富を得ているのである
ドルが世界基軸通貨ということはそうなる、ドルでしか石油も買えないからである
そのために陰謀論が生まれるのである

ただ加治将一(加治兄}氏にしてもハンコはいらない、日本だけがハンコを使っていると批判する時、ITもデジタル社会を推進する方だと思っていたのである
そのハンコだけど中国で買った高いハンコの一部分がはがれてしまった

だからこれも困ったとなる、ハンコなどいらない効率的でないというときそう思う
ハンコはもう前時代的なものであり現代の社会に合わないのである
めう言っている人がカード社会に反対しているのは解せないということはある
ただ彼の言っていることは共感することがある
同世代ということもあり共感する、要するにハンコにしてもそれは本人を証明する安全のために使われたのである、もし安全が別なもので計られるならば別な物でもいいのであるでもこの安全を計ることがむずかしいのである
必ずどんなことしうても悪い人がいて安全は壊されるのである、それは別にデジタル社会だからではない、悪い人がいるからどんなシステムを使っても悪いことはなくならない
ただデジタル社会になるとIT化社会になるとその被害が大きすぎるのである
全社会が世界的にでも機能しなくなるとういこともあるからだ
それはウィルスなのである、

ただどんなことをしても完全な安全安心社会は作れない!

これだけは確かである、それが人間社会なのである、悪人自体が絶対にこの世からなくならない、だから技術をどんなに改良しても完全な安全などないのである
新しい技術が生まれれば生まれるで新種の犯罪が生まれのである
これはいちごっこなのである、核が発明されれば核戦争が起る危険になる
現実にヒロシマがそうであり日本がその被害者になったからである
ただデジタル社会の危険もありこれも怖い、一番怖いのは一瞬にしてデーターが消えることである、となるともう千年前とかの記録として残らない
するとどうなるのか?歴史がわからなくなるとまでなる

それより記録を残したかったら石にでも刻んでおけとまでなる、アナログ的なものが消されず残るとなる、紙でも本でも50年過ぎるとぼろぼろになったりするからである
でもデジタル社会は止めることはできない、だからITの会社でも実は公共的役割があり
突然やめたりされると困るとなる、でもいくら公共的役割インフラとなっても利益がなければ会社は倒産したりする、だからこれも安全は計れない、スーパーのカードが倒産して使えなくなったというのがそうである
そこで会社自体が信用できないし一つの民間会社を信用できないとなる
だから記録の安全策は個々人でするほかないとなるがこれもめんどうなのである

ただ通信でも故障するとかはなくなっている、機能一瞬通信できなくなったから故障したのかとショックだった、でも簡単に回復したから安心した
何かこうして突然通信できなくなることもあるから怖いのである
インタ−ネットとかパソコンに詳しい人が今はしているとはなっていない
みんながするものだから何かしら安全を計ることが必要なのである
それは民間だけではできない、利益を上げなければできないからである
ただ人間は安全に投資したくないのである、それは原発でもそうだったし知床の観光船の事故でもそうだった、だからこの安全を計ることは国ですることが必要にもなる
でも原発では国の保安院が不安員と言われ飾りにすぎなっかたのである
何もしないで金をもらっていたのである
とにかくどうして安全を維持するのかこれが社会の大きな問題なのである
ただ完全な安全はありえないとなる、必ず人間にはミスがあり事故になったりする
そもそも地球自体に安全がない、絶えず自然災害があり安全安心は得られないのである
完全な安全は神の国でしかありえないのである、そこに人間の限界がある


深刻な8050問題ー貧困化福祉の崩壊の恐怖 (家族崩壊を経験したのでわかる)


深刻な8050問題ー貧困化福祉の崩壊の恐怖

(家族崩壊を経験したのでわかる)

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医療崩壊のしわ寄せ】「財政面で壊れるのか、人材面で壊れるのか」 多額の損失で追い込まれる障害者事業所【大阪】
https://www.youtube.com/watch?v=vl93SJ4hW6Y&ab_channel=ABC%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%93%
E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9

コロナウィルスが影響してこうなった、中村喫茶店などもコロナウィルスの影響があり閉店にもなった、それだけではないにしろ原因としてはあった




72歳で脳梗塞になった女性はまだ年齢的には若いと見た
ただ脳出血とか脳梗塞は若い時でもなる、そして脳梗塞でも症状がいろいろである
つまりその脳のどの場所かで後遺症が出る
でも脳梗塞や脳出血ですぐに死ぬことない、身近で聞いた話でも十年くらい夫を介護していたという人が普通にいるし介護というとき十年くらいかかる場合がある
だから長いと思った、この長さでまいってしまうのである
私自身も介護していていつ終わるのかと恐怖だったからたいがい早く死んでくれないかなと思うようになるのである、それは冷たいことでもないのである
それだけ介護の負担が大きいからそうなる、でも死んでしまうともっと良くしてやれば良かったとまた後悔する人も多いのである

これは人間としてやむをえないということである
なぜかというとこの介護のむずかしさは死んだ後まで影響していることである
介護が苦しくても冷たく扱われたとかなるとか恨んで死なれると困るのである
実際親戚にそういう人がいたのである、全く病気になっても放置して何もしない非情な娘がいた
その親は相当に悔しかったのか恨んだのかもともと自分の家とはうまくいっていなかったし自分とは余り関係がないのに「ひどい娘だわ」と言って死んだのである
それで救われたのは介護もされずにすぐに白血病で死んだことである
そもそも介護する人もいないのだからそういう死に方は良かったのである
そしてその娘は葬式では世話したとか言っていたそうである
そんなこと全くなかったのである

これは極端な例にしても恨まれて死ぬことは怖いと思った、介護は苦しいとしても恨まれて死ぬのは後味が悪いし成仏しないとかなる
私は認知症の姉とあとで母を介護したがわかってくれて死んだから良かった
私はその後でも毎日遺影に向かい供養している、それは私は特別良くされたからできたことである、他の人はこんなに良くされないから介護したくないとなる
それはそれぞれの家族が違っているからなかなかわかりにくいのである

確かなことは8050問題は始まっている、50歳の人が80歳の人を介護することである、団塊の世代が80歳になるときその数が多いからその子供が50歳になっているからである、これは非常に深刻である
72歳であれ早めにしてもその子供は50歳である、でも障害者なのである
ただ軽いから会話できるし意思疎通はできる、だから誰かが側にいて援助すれば介護ができる、でも一人だと負担になる、でも介護度からするとどれくらいになるのか?
それを見て判断するのは福祉関係である
寝た切りとかではないしリハビリすると回復もするからその先が長いのである
そして金もない、でも福祉では金は本当に出さないのである

福祉関係のyoutubeで介護士などがボーナスを出してくれとか要求している、コロナウィルスで経営が苦しくなったからである、重度の障害者を世話することは見ているだけで苦しくなる、そこで思うのは障害者が生きる価値があるのかとまでなる
世話する方からするとそうなってしまう、愛がどうのうこうのという前にその介護が過酷だからである、障害者でもいろいろある、でも私が接した障害者は会話もできるしどこが障害者が見分けがつとにくいのである、その人はただうまく会話ができないようである
でも別に話してみると会話ができる、ただ口籠るとかスムーズに会話できないようである何か子供のころに父親に殴られたとか言っていた
だから重度の障害者とは別物である、重度の障害者となったら過酷である
そうしたら介護する方でもボーナスを出してくれというのは当然だとなる
ただ引きこもりが多いからそれは障害者問題とも共通している

ともかく8050問題はすでに始まっている、そこで家族崩壊と福祉崩壊が起きて来る
自分自身でも家族崩壊が起きた、認知症になったとき起きた、家族が別々に住むようになり起きた、助ける人はなく一人孤軍奮闘しなければならなかった
その時自分自身も病気だったのである、手術もしたのである、それを一人で切り抜けるほかなかったのである、ただこれも特別親に良くされたから私自身のカルマとして起きたのである、何か必ず悪いことが起きるのはカルマが関係しているのである

おそらくこれから8050問題では悲惨なことが起きて来る、今でも起きて来るが日常的になる、すでに貧困化して困窮化もするし介護の人出もないとなる
そこでは二人正常な息子がいるとして働くことをやめるわけにはいかない、収入がなくなるからである、だから会社をやめて介護した人は後で苦しみやめなければ良かったとかなる、それだけ介護の負担は大きいのである

そして介護となると意外と遠くの親戚とか遠くがあてにならないのである、例えばこの辺だと相馬市とか原町市だと近いとしても車で10分くらいにしてもいちいち来るのが手間なのである、だから相馬市から娘が一週間に一回くるがそれも手間なのである
介護なるとき日常的に接する必要があり近くがいいのである
その人は歩いて5分もかからない距離にあり介護するというのではなく話し相手として毎日のようにもともと親しい人の家に行っていた、その人は糖尿病なのである
ただ自分のことができる、でも一人だから淋しいので話し相手として毎日呼ばれて行っていたのである、でもその人が脳梗塞で倒れたからもう行けないのである
とにかく何か人間は突然人間関係でも変化する
その人は私の家に五年間くらい来ていたけどもう来ることもできないと言っている
これも驚くともなる、先日まで来た人が逢いに来ることもできないともなったのである

金がない、人手がない、・・・・・

それで追い詰められてゆき家族崩壊福祉崩壊医療崩壊とかになってゆく
福祉だってそんなに金を出せない、日本自体が貧困化しているからである
予算を削られるからである、だから南相馬市長選挙などあるが議員など減らせば良いとなる、もうそれだけの予算が金がないのである
すると優先して金を使うのは何になるのかとなる、どうしてもまず命が大事だとなるとなかなか医療福祉は削りにくい、だから議員はせいぜい5人くらいでいいとなる
無駄な金はもう使いない時代になっている


いづれにしろ何か市町村でもこうして苦しむ人がいると誰かに負担がカルマが回ってくるのである、それが自分にも回ってきたとなる、ただ人間は障害者は無駄だとなるが老人になるとどうしても病気になるし体が弱ってくるから障害者になるのである
だから驚いたことは看護婦としてばりばりに活躍していた姉が認知症になり馬鹿になったということには驚いた、つまり知的障害者になってしまったのである
つまり障害者の問題は老人になると身近なものとなる、認知症も知的障害者だからであるただ生まれつきではなから社会でも親としてもありそれで対処の仕方が違ってくる
親であり功績ある人だから馬鹿にはできないのである
そして馬鹿にすると怒るのである、だから依然として生前のように扱うようにしないといけない、でも人間は結局弱者化するのだとつくづく思った

どんな強い優秀な人でも最後は弱者化する、だから障害者というのが全く関係ない存在だとはならないのである、ただ正直重度となるとその負担は重すぎるのである
そして障害者とは何のために生きているのか?ただ一生世話されるために生きているのかとなる、だから親にもう50歳まで尽くされた人は親に恩返ししろとなるがそれもできないとなると悲劇だとなる、ただその人は軽度だから別に親の世話はある程度はできるのであるそれは救いであるがやはりもう介護問題はこれからますます深刻化する
日本でも貧困化しているしその余裕がない人が多いからである
そして介護というのは何か不毛なのである、生産的なことがないのである
ただ私のように特別親に良くされたとなるとそれは不毛でなはない、親孝行できて良かったとなるからである、それで親もある程度は報われたとなるからである
ただヤングケアラーとか自分の人生を犠牲にされたら親を恨むとまでなる
私の場合は60歳から介護だったから良かったとはなる、それまで何でもしたいことをさせてくれたから特別だったから介護でもできたとなる
他の人はそうはいかないからそこで悲劇が生まれる、家族崩壊が生まれるし社会全体でも福祉崩壊医療崩壊とかになるから地獄だともなる


2022年11月13日

日々勤めよ、報いを得らずとも・・・死後に報いがある? 日々勤めよ、報いを得らずとも・・・死後に報いがある?


日々勤めよ、報いを得らずとも・・・死後に報いがある?


日々勤めるべし

日々勤め尽くしたること
それは無益とはならじ
日々体験して蓄積されたもの
妻は夫に尽くし母は子に尽くし
それは無益と徒労とならじ
死す者もその成したることが実りとなりぬ
人の働き無益とならじ
故に日々労苦のあれど勤むべし
そしてそれぞれに身につくもののあるべし
ただ即興にインスタントに身につくものはあらじ
日々の修行と鍛錬のあるべし
たゆまず勤めればそれぞれの実りあるべし
今親は死すとも我は深く感謝しぬ
我が心に死者はなお生き続ける
死者はなお我を生前と同じく励ましつづける
日々勤めよ、さすればいつか死後にも実りあるべし
日々尽くせよ、いつか報いあるべし
その生は働きは徒労にあらじ
神はそれぞれの分の報いを与える
その生は無益にあらざるべし
確かな実りとして与え残さるべし
その報酬は金のみにあらじ
その誇るべきは身につきし技なり知識なり知恵なり
老人は価値なしやその身につきしものに価値あり
そしてその技を知恵を伝えることに価値あり
それがなければ価値無き者となる
故に日々勤めよ、日々尽くせ、例え認められじも
いつかそは報いられるべし
この世に報いられざれば神の国にて報いられるべし
真の実りは神の国にて実現されるべし

人間はいろいろ不満がある、その一番の不満が一般的には働いても報酬が余りないということである、具体的には給料とか少ないとなる、金の問題になる
こんなに働いているのに金がもらえないということで不満になる
何か働いても意味がないとかではない、具体的には金の多寡ですべては計られる
金を多くもらえればその働くことがこいして意味ないものでも不満はないとなる
こんなに自分は働いているのになぜ報いが収入が少ないのか、金に生らないのか、このことで不満なのである

でも人間は何のために働いているのか?

その目的は金だけなのか、金も必要だしそれを否定するのではない、でも母親が子に尽くす時別に金がもらえなくてもする、それは子供がかわいいとか母性愛とかあり無償で尽くす愛である、もし金のために育てるとしたらそれは他人になる、他人に金を払って育ててもらえばいいとなるからである

でも夫婦がいるとして妻はなぜ夫のために尽くすのかとか問題になる
そもそもふしだらな夫に尽くすことはできないだろう、嫌になるだろう
子供の場合は誰であれ未来がありそれで育てる、それは無償の愛があり育てられる
でも大人になればただ無償で尽くすということがむずかしくなる
何か尽くすにしても見返りが報酬が得られることを望む

ただその報いの問題は必ずしも生きている時与えられるとは限らないのである
もちろん子供に介護されて親孝行されて報いを得たということはある
それで親は子供を育てて良かった助かった報いを得たと思う
でもそれだけではない、なぜ子供を育てるのか、それは本能的に動物的にでも母親は子に愛情をそそぐ、それは本能である

ただ人間と動物の相違は何かというと人間は常に何かしらの意味とか価値を求める
生きる意義を求める、働く尽くす意義を求める、確かに親は無償の愛で育てる
それは本能的でもあるがやがてやはり成長すれば親は何かしらの報いを求める
その子供が立派に成長する、社会的にも有用な人となる、例えば医者になるとかしたら
社会的地位もあり収入もあるから報われたとなる
その母親の子供は普通の店屋をしていて子供が医者になったのである
だからそんな金がどこにあったのかと不思議である、だから今はお医者様の母親になっているから報われたとなる

でもまた一方で全然報われない母親もいる、その母親は本当に情ある正直な女性だった
それで私も介護の時多少助けられたのである、でもその子供はふしだらな息子であり
報われることはなかった、そしてその家は絶えた、その父親も正直な人に働いた人だったのである、だからなぜそんなふしだらな息子が生まれたのか育ったのか謎である
だからいくら親が良くても子どもがまともに育つということもないし報われことも必ずしもないのである

また障害者をもった親はその子供ばかりを心にかけて愛している、50歳になってもその子供のことばかり愛して目をかけていた、他の兄弟二人いてもその人達にはあまり目をかけてなかったのかもしれない、だからその母親は病気になって介護されるようになっても連絡するなとまで言っている、でも障害者の息子はまともに世話できないのである
だから障害者の子供をいくら世話した愛したところで報いはないのである
そもそも人間は必ずしもこの世で報いを得ることなどないとなる
どんなに努力しても認められないとか必ずある
この世とはそもそも不公で理不尽なのである、何か不可解なのである
数学の公式のようにはならないのである

ただ人間の報いはこの世では得られなくても来世では得られるともなる
死んでから何か報いがあるのかとなるが死んでからその人がいたまれ賞讃されることがある、死んでからこそその人の価値が認められることもある
私は特に姉と母とには尽くされたから死んでからかえって思うようになり感謝しているからである
だから子供であれ親が尽くすことは必ずしも生きている時に報いがあるとは限らない
死後に特別感謝されたりすることがある
そして死者は長く忘られないとなれば死者は生者の中に生き続けるのである

とにかく人間は最後になるとその人生の意味とか価値が自ずと明らかにされる
ただ人間は集団的に生きる価値があり個々人に生きる価値がある
だから集団的に生きる価値となるとカルト教団などがあるがそれらの価値は教団が団体が組織があるとき価値があるがなくなれば価値はなくなる、会社で働く人が多数というときそもそも会社は何のためにあるのか、そこで働く意義は何なのかとなる
ただ利益をあげればいいのかとなる、でも実際は会社して利益をあげることが常に優先される
何のためとか会社自体が考えないだろう、だからこそ社畜となっているのである、何のためというより金がもらえるから働く奴隷なのである、何か意味あることに使役されるのならいいがそうではない、まずは利益を上げることしかないのである

そして人間の求める価値とか意味は

権力を栄誉栄華を金を求める価値

意味を求める価値

人間はともかくまず金になることを求める、それが何のためだとか何の意味あるのかなど見ない、欲望を実現するために働くとなる、だから金が一番の問題となりすべては金で計られる、何か意味があるとかめんどうなことではない、金をできるだけ稼ぎ後は贅沢するということである、まず一般的にはそんな意味とかを求めない、金を稼いで立派な家を建建てるとかいい車を買うとか何か贅沢することである
そのために働いているとなる、だから働く意義はすべて金で決まるとなる
金を多く稼いだ者が価値あるとなる、それがわかりやすいからである

でも一方で人間は何か意味あるもの本当に価値あるものを求める
だから別に女性でも必ず私は何々をしたとか何を成したとか最後に語りつづける
つまり人生で何かを成した価値あることを成したと語るのである
人生の意味を語るのである、私は本当に姉と母とには60歳まで尽くされてきたのである私に特別何かを求める訳でもない、ただ尽くすことだけだったのである
それは何のためというわげでもなかったのである
ただ私はたいして才能なくても大学出てから就職もせずニートのようになっていた
でも興味があることに時間を費やしていたのである、それは主に旅だったとなる
その成果を今私はプログで出しているのである

私はむしろ姉と母が死んだ後に感謝している、死んでしまったから死者はそのことはわからないにしろ生きている時は感謝していなかった
ただ60年かも私のために食事を用意したり二人は尽くしてくれたのである
それを死んでから特に思うようになった
でも実際母でもこの息子が何か社会にとって有用なものとして自慢できるものとしてあったわけではない、だからそういう息子に尽くすことを生前はどう思っていたか
報いがないと思っていたとなる、でも最後は介護したから喜んではいたのである
私は親に本当に無条件で良くされたから介護でも必死でしたし死んでからも感謝しつづけるようになった
死者とはこうして死んですぐに何もかも消えるわけではない、やはり生き続けているのだと思った、でもそれは人によって違う、家族でも違っている
家族でも複雑であり理解できないことがあるからだ

ただ生きている人でも親でも実は心がけなけれはならないのはもし死後まで感謝されるようになるにはどうするかとなる
子供を親の道具のようにする親もいる、何か自慢するために子供がいるとか普通にある
8人兄弟とか11人兄弟とかで父親に文句を言うと殴られるだけだったとか普通にある時代があった、とてもそういう親に感謝するとは思えない、ましてや死後まで感謝することはありえないだろう
だから問題があるにしろ一人っ子は親を想う度合いが強いのである
兄弟は何か必ず兄弟間で親の愛でも奪い合うとか争っているからである
一身に親の愛を受けることがないからである
意外と死者をどう思っているかとなると死後まで思っているかとが判断基準になる
本当に死者を想っている人は簡単に死者を忘れないからである
つまりますます生者の中で存在感を増して生き続けることがあるからだ
だから人間は死んですべてが終わるとはならない、愛は依然として生き続けているし
思いというのは残り続けるとういことである

ともかく何であれ日々勤めることである、そうすればいつか実りとなる、今世では認められずとも来世で神の国で認められ
神の国では無益な労働などありえないからである、無益に終わることはないのである
この世には膨大な無益な労働があるが神の国にはないのである、無駄なものは一つもないのである
石ころまでが黄金のように輝いているとなる
人間の最大のショックは人生そのものが無益化することである、それは戦争とかナチスとかカルト教団とかてもそうである
虚しく膨大な労力が無益に費やされることである、それは個々人の人生でもそうである
だからありふれた普通の人間でも女性でも老人になり最後に必ず自分のしてききたことを価値ある有意義なものとして認めさせるために語るのである、つまり誰しも無意味なものとしてはありたくないし死にたくもないのである
でも結局この世では膨大なことが無益に費やされているのである

2022年11月12日

弁護士は見た!うっかりでも現行犯逮捕の可能性も…… セルフレジ通し忘れの意図せぬ万引きで気を付けたいこと


弁護士は見た!うっかりでも現行犯逮捕の可能性も……

セルフレジ通し忘れの意図せぬ万引きで気を付けたいこと

(MSNニュース)
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●セルフレジで盗みを疑われた

セルフレジの設置率が増えるに伴って万引きは増えていると言われています。自分でバーコードを読み込んで会計をするわけですから、中にはバーコードを読み取らずに会計をしたかのようにしてレジを通ってしまう人もいるわけです。

では、うっかりレジを通さずに商品を持って帰ってしまったらどうなるのでしょうか、現役弁護士の幸谷泰造さんが解説します。

セルフレジを通さないまま意図して商品を持ち帰ってしまった場合は窃盗罪になります。いったん窃盗罪になると、後で商品を返した場合でも窃盗罪になってしまいます。

万引きと疑われないためには、セルフレジの通し忘れがないか、その場で確認するようにしましょう。

私はキクチスーパーで最初の内わからないでこうなった
それで後で店長がきて問い正された、これは警察に通報されると犯罪になる
でもキクチスーパーではセルフレジは最近導入したのもであり使い方がわからない人が多いのである、だからこうしたミスもある
でもスーパー側からみると犯罪に見えるのである
だから今は必ず見守る人のところで領収書をだして脇の箱があり捨てている
何か結局必ず便利なものでも犯罪は防げない、つまり新しい便利なものが出るとその便利なものによる新種の犯罪が増える、パソコンが生れインタ−ネットが生まれた新たな犯罪が生まれたように生まれる
これが人間社会なのである、でも機械化するのは経営側からすれば人件費を減らすためにしている

そもそも犯罪とは何なの?

私の場合は犯罪ではなかった、ただミスしただけであり盗むとかを意図していなかったからである
これは前にもコンビニで経験している、私は親の介護とか自分の病気で苦しんでいた
それでコンビニで週刊誌なのか立ち読みしていて自分が気づかないのにパン二個をボケっとに入れていたのである
それは無意識にそうしていた、でも監視カメラがありそれで犯罪人扱いにされた
店長がしきりに言うのには私たちは十円二十円のもうけの商売なんだとか犯罪人扱いして責めてきたのである
それは他のコンビニでもそうである、盗みが多いとかで手を無理やりこじあけて調べたのである
これもやはり十円二十円でも万引きされて経営に困るからそうなる事情がある
つまり盗みが多いからそうなる、コンビニとかは通りすがりの人達が利用するから犯罪が多いかもしれない、車で遠くに行ってしまうからわかりにくいのである
第一店長自体が地元の人ではない、雇われ店長なのである

●犯罪とは何なのか (故意とそうでない見分けがつかない)

ともかく犯罪とは何なのか?

奇妙なのだけど盗む意志がないのに盗んでいたこともある、無意識にそうなっている場合だってある、私の場合は自分で気づかずにパン二個をボケットに入れていたのである
そして現代では地元の人が経営したり地元の人が買い物するのではない
コンビニとかなればみんな外部の人を相手にしている、でも私はそのコンビニに十年間くらい行っていたのである、だからいつも来ている人と店の人も認識はしていたけど
今はそんなことは関係ない、お得意様とかもない、みんな誰かわからない人達であり
だからみんな疑うとなる

「故意」とは「わざとすること、またはその気持ち」、故意の対義語である「過失」は、「不注意などによって生じたしくじり、過ち」を意味します。日常生活の中で使われる場合、故意は「わざと」「意図的に」、過失は「うっかり」といった意味をもつ

刑事事件における故意と過失の違いとは? 判断基準について解説
https://keiji.vbest.jp/columns/g_other/4919/

法律ではこの故意かどうかを問題にする、とういのは私の場合のように盗む意図もなにもないのに盗むとういこがある、無意識に盗むことがある
私はいろいろ悩み苦しみ知らないうちにボケっとにパン二個を入れて支払うのを忘れていた、それでコンビニにそのまま出たのである
でもそれを見ていたらあの人は盗んだとしか見えないのである

だから人間とは複雑でありそのパン二個のために犯罪人にされてひどく責められたのである
一方で大金を盗まれてもその人は何も責められない、回りの人でも自分を責めてきたのである、一方はパン二個でこっぴどく責められ何百万とか盗まれても警察では証拠がないからと相手にもしないのである、盗まれた方が悪いとされたのである
こうしてこの世と理不尽なのである、別にそれは自分だけのことではない、何もしないのに天下りとか地位ある者は金が入ってくる、下々ではいくら働いても金にならないこととか普通にある、でも決して上のものは責められないましてや犯罪人などにされないのである、百円千円盗んで刑務所に入れる人がいるが何億もたいして働かなくても地位があり
金が入る上級国民もいるのである、東電に天下りした検察関係者がいた、その人こそ厳しい罰を与えられるべきだができない、検察だとなる裁く方になるからである
裁く方が犯罪人になっているのである
だから神は裁くなというとき裁く能力が人間にないからである、こうして人間は複雑であり裁くことができないからである

●人間で一番難しいのは信用すること

つくづく人間で一番むずかしいのは信用だった!

どうして相手を信用するのか!

これが人間の最大の問題だったのである、だから契約というときそれは相手を信用するからするのではない、損しないようにするために細かく法律を作っておく
また責任をとらないためにあらかじめ法律決めておくのである
それはそもそも相手を信用しないから契約が生まれたのである、見知らぬ人と商売したら必ずそこでだまされることが普通にあるからである
日本で契約とか発達しなかったのはもともと村社会が基本であり顔見知りであり信用しあっていたからである
でも今や広域グロ−バル化社会になればそういうことはなくなった
でも人間は信用が基本にある、そうしないと社会自体が成り立たないのである

その信用が一番問題になるのは家に入って働く人である、家の中がわかってしまうから本当は信用がないと家の中には入れるべきではない
それで私は大金を失い大損した、私自身も犯罪にあっている
まず信用を得るにはこれは簡単にできない、私自身が人を雇ったりすることをしていないでもほんのささいなことでも家で働いてもらうことで一番重要なのは信用だったのであるなぜなら何か物がなくなると盗まれたと思うからである
家の中のことがわかるとそうなゃやすい、それでアメリカでは金持ちの家で雇われる人を手伝いさんを裸にして働かせたという、必ず盗まれるからそうなったのである
家の中には入り働く人は特に信用が大事になる、だから手伝いさんを雇う場合、他で十年働いて信用されたとかなれば安心だとして雇うとなっていた
そのことが私にもわかった、やはり五年間くらい一緒に暮せばその中で何かいざこざあり疑うこともあるがやがて互いに信用関係が築かれる
人間はとにかく何でも時間がかかるのである
そして人間の生きる時間が短い、だから熟年離婚は相当に損だと思う
60以降離婚してまた結婚したとしても信用関係が築かれるのか、ただ金目当てで結婚するとかあり信用できないとなる

いづれにしろ現代は広域グロ−バル化社会であり信用することがむずかしい社会である
田舎だって隣の人が何の仕事をしている人かわからなくなっている
子供の時から大人になるまですぐ近くに家をもって住んでいた人がいなくなった
その家の人とは何も話すこともなかった、第一夫をその家で見かけたことがないのである遠くで働いていたためである、おそらくだから仕事関係で遠くにまた移住したのだと思うただ家をもっていたのだから移り住むとういのもわからない、その家のことはだから不思議であり都会と同じである
また市営住宅の隣に住んでいた人が死んでいて二カ月間も隣の人が知らなかった
これも不可解であった、別に近くに兄弟が住んでいたのである
でも付き合いがなかったのだろう、電気がついていたので死んだのを二か月間も知らなかったのである、だから今は田舎でも都会化しているのである
仕事を地元でしているとは限らない、建築土木関係だと遠くで仕事をする
その人は九州の佐世保に足場組みの仕事に行ったというのも驚きである
青森に行った人もいる、これだけ全国で仕事しているのである

●広域化グロ−バル化社会の信用問題

とにかく現代の問題は様々ある、やはりこの広域化社会というのもグロ−バル化も大きな問題である、もちろんそのいい面がある、でもまたマイナス面もある
その大きなものが信用できない社会になっていることである
コンビニでもなぜそんなにしてまで人を疑い犯罪人とみているかとなるといつも盗まれているからそうなる、そうなるとどうなるのか疑心暗鬼になる
どうしても損するから人は常に見知らぬ通りがかりの人だから疑うとなる
だから必ずしも店の人とかばかりを責められないのである
要するに互いに信用しえない社会になっているからである
なぜなら村社会のようにいつも同じ場で共同で仕事している人とは違うからである
だから村社会では容易に商売人は入れなかったのである
取引でも神社で無縁な人達が商売できたのである、神社は縁結びにもなるがそういう自由な市場にもなっていたのである、無縁な人を受け入れる場所としてあった
それはそもそも外から来る人を信用できないからである
関所があるのも外から来る人を信用しないからである、これが人間としては当然だったとなる、

でももはやいかなる関所もない、見知らぬ人が入ってくるが常態化したのが現代社会である、車であればどこにでも行ける、かえって遠くが近くなり近くが遠くなった社会である、でも信用となるとそうして外から来る人は簡単に信用できないとなる
ただ近くでも今は信用できない、それで私は犯罪にあっているからだ
そして近くにそういう犯罪する人がいると困るのは内部の人に裏切る者がいるということは安心できない社会になる
外からの犯罪者は一時的であり通りがかりでありいつもいるわけではない、でも近くだとまた狙われるのか盗まれるのかと警戒して疑心暗鬼になり安心して住めなくなるのであるだから近くで犯罪が起きるのは怖いのである
でも今や近くでも村社会とは違ってつながりが希薄になり金だの社会となると犯罪も起きやすい、互いに信用していないからである、またつながりがないからである
それで皮肉なのは東日本震災の時、しきりに「絆」を言われた
でもその絆とは内部のものではなく外部との絆だったのである、なぜなら外部から来た人達が復興のために働いていた、ボランティアでもそうだった
でも被災者は何もしない、パチンコだとかで遊んでいたとして怒っていたのである
つまりこれも広域化グロ−バル化社会で起きたことなのである

広域化グロ−バル化社会で通信が発達してインタ−ネット社会になったときでも相手のことを信用することはむずかしい、そこでも新種の犯罪が起きてだまされるとかなる
常に技術が発達してまた新しい犯罪が生まれのが人間社会である
ただ別にインタ−ネットだから信用できないとういことはない、でも信用するとなるとむずかしくなる、信用には互いに協同するとかの体験と時間が必要なのである
そういうことがないと信用は築けないのである、一朝一夕に信用は得られないのである

●信用を得るには時間がかかる

例えばなぜ侍社会で信用が生まれたのか、それは戦国時代なら共に命をかけるから強い絆が生まれた、殿様がいて忠誠を誓う、まるで家族のようになったいた、だから御家に尽くすとなる一つの堅固な共同体が形成された
そこに忠臣も忠義も生れたとなる、それも一代ではない、代々受け継がれて扶持を得て暮らしていたからその絆も強いものだったのである
それもやはり時間があってできたことなのである、一朝一夕に信用関係はできるものではないからである
つまり人間で大事なのは信用なのである、だから信用されれば例え金持ちの家に手伝いとして勤めるにしてもその主人に信用されればその勤める人も信用されてやがて金持ちになることもありうる、重要なことをまかせられるようになるからである
それは会社でもある、ともかく互いに信用して共同して働くことが簡単にできないからである、それで会社でも常に横領とかあったり裏切りがあるのが常だとなるからである

ともかく今は田舎でも実際は都会化している、それは広域化グロ−バル化した社会であり仕事でもそうである、狭い村社会で生活している人はいないからである
常に車が行き来している、働く場所は車で通うからである
でも外から来る人は信用できないということはある、でも全部がそうかとなると違う
ユニットバスを作った優・創建(仙台市)とかは百万で作った、それはいいものであった
でも地元で作る二百万と以上になっていたのである
こういうことはやはり広域的グロ−バル的に競争を強いられている社会だとなる
こういう会社が入ってくれば地元で仕事を奪われるとういことがある

でも金だけから見ると安いからいいとなる、でも後で故障したりしたら修理とかが簡単に頼めないとかあり問題はある、だから何でも外部から来たものが安いといってもいいとは限らない、でもそもそも現代はそういう広域化社会グロ−バル化社会に生きているのだからそういう社会に適合する他ないとなる
ただそこで問題なのが信用なのである、グロ−バル化でも中国でも大きく巨大化して日本が攻められ乗っ取られるとか問題になる、巨大な市場があるから日本で売ればいいしもうければいいとなるが逆に国と国が対立すれば争いとなり貿易もできなくなる、肝心の物すら入ってことなくなるのである、特に食料はそうである、これは自国優先になるからである、人間と人間でもそうだが国と国でも信用があってこそ貿易でも成り立つ、それが外国になると信用できないとなる、つまり人間は個々人でもそうだが信用しえないということである
インタ−ネットでも信用が問題になる、それでわからないにしろブロックチェーンで信用を築くシステムを作るとかなる、インタ−ネット社会でも信用が一番の問題になるからである

posted by 天華 at 11:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年11月11日

晩菊、残る菊、柿、蝗..冬薊 秋薔薇...(近辺の秋から冬の俳句)


晩菊、残る菊、柿、蝗..冬薊 秋薔薇...(近辺の秋から冬の俳句)

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地震で壊れてまだ直してない家がある
私の家もまだかたづけていない、本とか散乱したままなのである

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蔵二つたわわに柿のなりにけり

晩菊や田舎の墓を守る人

柿成りて田舎の墓を守る人

畦道に薊のあまた残る菊

畦道に蝗めずらし里に死なむ

二片(ふたひら)の花びら残る秋薔薇


我が庭に散り残る秋の薔薇二ひらやあわれ日もはや暮れぬ


冬になったとしてもまだ秋であり晩秋である、季節的には冬でも秋なのである
だから季語が合わなくなっている

田舎で目立つの墓地である、村ごとに墓地がある、その墓地を見る、そこで江戸時代の年号を見ると古いとなり価値あると見る
人間は親が死に自分自身でも老いると墓守りにもなる、墓を守ることが勤めともなる
ただ今は墓すら受け継がれない、その子供が東京とかここなら仙台市とかに出る
だから仙台市から墓参りに来る人も結構いる
駅では墓参りに遠くから来た人と合っているからである

めずらしく蝗を見た、弱っているから死ぬのだろう、何か蝗というのも見かけくなった
子供の時は学校でも蝗とりしていて蝗を食料にしていた、それは売れたから学校でも生徒に蝗とりさせていたのである、蝗でも里というときやはり人間とともに生きているという感じになる、ただ蝗は害虫にもなるから食べていたとなる

どうしても今の感覚だと里という感じがしないのである
村というのもそうである、里というときすでに過去のなつかしいものとしての里なのかもしれない、

なつになれば わらしこおよぎ
どじょっこだの ふなっこだの
おにっこきたなと おもうべな

「夕やけ小やけの 赤とんぼ
負われてみたのは いつの日か
山の畑の くわの実を
小篭に摘んだわ まぼろしか

どじょうは実際に味噌汁にして食べていた、鮒釣りもしていて鮒も食べていたのである
そこには子供が遊んでいたからである、ゆうやけこやけの赤とんぼでもそうである
赤とんぼもあまり見かけない、でも浪江の荒地には赤とんぼが一杯飛んでいた
人間がいなくなると赤とんぼとか増えたのかとなる
クワの実とか結構あってこれはうまいものである、養蚕していたとき桑畑がありクワの実を食べていた、これは山にもなっていたのである

要するに時代によって風景も作られている、江戸時代の浮世絵の風景でも今写真のようにみてもその時代の雰囲気がなかなか実感できない
それほど時代が変わり何でも変わってしまったということである
何か奇妙なのは道を歩いて旅していると歩いている人間がいたとういことが不思議にもなる、なぜなら今は車の時代であり歩く人はいないからである
たまたま歩いて旅する人はいる、そういう人はめずらしいとなる
歩く旅を自分も経験していないから歩くこと自体新鮮な経験になってしまったのである

俳句はやはり写生である、「百輪ほど畦の草踏み冬薊」そこにはずいぶん薊が咲いていたこんなに多く咲いていたのを見ていなかった
薊は冬にふさわしいのかもしれない、薊はその土地に根付いている土着している感じだからである
秋薔薇が咲いて花びらが二ひら残っていた、庭になると人間とより一体化して見る
庭に咲いている花は自然に咲いている花とも違う、石でもそうだが花もより人間化するのである、だからこそ人が住まなくなった庭はより淋しく感じるのである
今日は朝は寒かったがその後は確かにあたたかくなった、だからどうしても冬というより晩秋なのだろう、季節感が狂うから俳句を作る時困るのである

小高の大悲山の石仏から浪江町の大堀からー 紅葉の高瀬川渓谷へ(俳句と短歌)


小高の大悲山の石仏から浪江町の大堀からー

紅葉の高瀬川渓谷へ(俳句と短歌)


(小高へ)

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木の蔵はめったにない、だからこの家は古い

ここは小高の城のある手前であり空家なのである
空家でも立派な家がある、庭でもいい庭がある、だから誰も住まないことが
もったいないのである
ただ11年も過ぎてすまないことは住むことがなくなるのか?
結局震災以後でわかったことはいくら一軒一軒の家が立派でも
全体が荒廃してしまえば価値がなくなる
荒地の中に一軒の豪邸があったとしても価値がない
その市町村全体が荒廃するば価値がくなるのである

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小高城

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ここも家があり庭があったのか、または石が集められたのか

大悲山の石仏

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浪江の空家の庭

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高瀬川の紅葉

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猿の腰かけ石

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この三角の山がいい


小高城据えにし石や秋の暮

あわれかな小高浪江に残る虫

大岩の庭に動かじ残る菊


小高なる城跡だずね色濃くも紅葉映えにき石段下る

(大悲山の石仏)

黄金色(きん)の銀杏のの木の葉を散りしきて紅葉映えにき石段上る

千歳古る巨杉の幹や三体の平安仏や紅葉赤しも

平安の磨崖仏かな何を聞くここに黙して冬に入るかな

三体の平安仏の不動なり幽かに残る虫の音を聞く

(人住まぬ家)

誰か住む岩の一つの大きなるその岩により残る菊咲く

松一本見事なるかなここに住む人は誰なれ冬となりしも

(大堀の里)

陶工の家々寄り合う大堀や落葉に埋もれ荒れ果てにけり

大堀に菩提寺あれや人住むは江戸時代より秋深まりぬ

大堀の神社に残る大きなる木の根ふたつや秋深まりぬ

ここにしも山津見神社や高きかな我が上りたずね秋深まりぬ

(高瀬川溪谷)

渓谷に清らかな流れそそる岩紅葉に映えてひびきけるかな

渓谷の流れの奥に秀麗な山の映えにつ秋の陽没りぬ



夕暮高瀬川紅葉の詩

高瀬川流れ清らか
そそる巌に色濃くも紅葉映え
その巌の間にひびく流れや
秀麗な山そ映えにき
秋の陽は輝き没りぬ
岩と岩は厳かに向き合い
ここに千歳の経にけるや
その流れは汚れじも
その麓大堀の相馬焼き
技を磨くも捨てられあわれ
夕べ静かに流れの音聞きつ
落葉を踏みて帰りぬ
その逸品の一つ我が家にあり


動かざる石仏に巨杉

石仏は千年ここに動かない
ここに三体の石仏
もの言わず動かない
この石仏のありしときより
この杉は成長しつづけぬ
かくしていつしか巨杉となりぬ
この木はここに千年生きぬ
その重々しさよ、内なる力よ
充実したる内からみなぎる力よ
この木はもうテコでもここを動かない
ここに黄金の銀杏の葉の散りしき
眩しく日はさして輝く
紅葉も色濃く映えぬ
平安の仏はここに動かぬ
何をその耳は聴くのか
千年黙している石の仏よ
幽かに残る虫の音を聞く
人もここに動かずあれ
この地に根を張り千年動かざれ
この地に根を張り千年生きよ
ここの大地に深く食い入る根よ
ああ 人の生ははかなし
百年生きるも短し
たちまち時間は過ぎてゆく
あわただしく過行く生よ
千年動かざるこの石の仏を
千年ここに根付く巨杉を思へ
かくあれば命の重みは自ずから備わる
人はたやすくその土地を離れ
何も残さず消えゆくものなれ
その生は浮薄にして束の間に消ゆ
木の根はなおもここの地を離れずあり
そはこの地を離れて何を残せしや
そが血脈は絶え根となる土地のなし
代々重ねる生の重みなし
その命は虚しく消えてなし
人よ、根になる土地を持て
そこに根を張り有意義な生を成就すべし


小高城によりそこにやはり紅葉が映えていた、そして何か庭の石だったのか集められていた、そこに家があり立派な庭がありその石だったのか
小高城というとき相馬氏が最初に築いた城だから歴史が古いのである
その後原町の牛越城から相馬市の前の中村に城を築いたのである
その歴史を知る時小高は意味ある場所だとなる
相馬野馬追には中村神社(宇多郷)と太田神社(中郷)と小高神社が行列に出る、それは小高が古いからそうなる

私は石や岩に興味がある、自分自身が内向的であり黙している石が似合っているとなるからである、石にはなんらか岩でも表情がある、だからそこにあった石に感じるものがあった、それで俳句を作った、ただ冬になったのに秋の暮となっているのはまだ秋の感じだからである、昨日はあたたかったからである、何か季節感がはっきりしなくなったのである秋の暮とか秋深むとかになるが冬になっている、でも実際は今は紅葉で晩秋なのである

他にも浪江に入ったらやはりいい家がありそこに大きな岩があった
残る菊がありふさわしかったとなる、庭に石を据えるとことは人間も石のように動かいな定着することなのである、でもそれが原発避難区域では失われたのである
立派な家があり庭があっても誰も住んでいないのである
これは本当にもったいないと思う、そして空家のままにしておくと町全体にしても活きてこないのである、人が住んでこそなんでも活きてくるからである
そうして空家を放置しておくとこはその持ち主でも権利を失うことかもしれない
そもそも住まないとしたら空家としておくことは困るとなる
たまに見に来て掃除などしている人は近くでいる、でも20年とか空家とかなっているのもある、そしていつ誰かが住むのだろうとなる

大悲山の石仏は平安仏であり千年過ぎているという、その時植えられた杉があのように大きく育ったのである
その杉は見事である、その杉と同じく石仏も古いのである
そこで思ったのはこのように人もまたここに根付いてあれということである
それは原発事故で原発避難区域が人が住めなくなり離散してしまったからである
そのために何か拠り所が必要になったのである
この石仏も古いからまた杉ても千年も過ぎているとなるとかくも長くここに根付いていたということで人もそれを拠り所にするのがいいとなる

大堀は荒れ果てていた、でも細い道があり陶工の家々が20軒くらいあったのか、めれは江戸時代からつづいていたのである
それで神社に大きな杉の根っこが二つほど残っていた
その根っこがまさにここに根付いて暮らした人たちを象徴している
神社とはこの土地に根付くものだとなるからだ
ここも山津見神社があるからその起りは古代に遡るのである
海人族の安曇族がここにもにも入ってきていたのである

ともかく石が定着のシンボルである、だから大悲山の石仏にしても平安時代からあり
またその巨杉が千年とかしてあのように貫禄あるものとなった
石仏にしても千年そこに座して動かなかった、それは大地に根付くように動かなかった
また古碑がありそこに大きな木の根っこがある、他の神社にもある
それはやはり木がなくなったわけではない依然としてその根っこ存在して存在を主張しているのである

現代の問題は余りにも変わりすぎるのである、10年一昔と言うけどそういうことはあっても変わらないものがある、千年も変わらないものがある
それが千年の巨杉であり平安時代の石仏だとなる
その変わらないことで動かないことで重みがあり存在力がある
それは余りにも現代は移動する動くということにある、そのアンチテーゼとして動かないものとして木でも石でも石仏でもある
原発避難区域は一挙に捨てれてみんな移動して帰ってこないからである
そうして縄文時代から弥生時代から住み続けてきた場に人がいなくなる
跡を継ぐ者もいない、そのことが今や全国的日本の縮小化で起きているのである

人間はアイディンティティ化する場が必要なのである、それが本来の国である
大都会ではとてもそうしたアイディンティティ化する場とはなりえない
だからそれぞれの国に生きることでアイディンティティ化して生の充実がある
小国とは小さな国であった、でも国でありその小さな範囲で人間の生は自然でも一体化したのである
ただ現代はそうした国が喪失した、広域化とか商業は必要でも余りにもその生活圏でも拡大して人々のつながりは金でしか得られなくなったのである
今や農民すら金であり共同体というのは喪失している
みんな広範囲な所で働いているからである、建築土木関係だと本当に遠くに行く
仕事が地元にないとき遠くに行くのである、だから近くでも何しているのか仕事しているのかわからないのである、それは田舎でもそうなのである
車時代になると近くが遠くなり遠くが近くなっているのである
そういう社会だとやはり何かあると簡単に解体してしまうのかとなる
グロ−バル化とかでも広域化経済でも何か土地に土着するとかがない
それは自由を求めるからそうなるとしても人間の充実した生を大地に根付いたものを作れないとういことである、そこに精神の充実が得られないのである


相馬焼の歴史
http://www.musubu.jp/somayakimono1.html

むかしから そのむかしから 学校の
やねも お空も つんぬいて
大きくのびた かきの木は
みんなの そだつ 目じるしだ

大堀小学校の校歌に柿の木が歌われている、柿がふさわしいとなる
ただ柿の木は高くは伸びないか合わないともなる
ただ柿のなる陶芸の里としてふさわしかったとはなる

大悲山の巨杉
http://www.hitozato-kyoboku.com/daihizan-sugi.htm

2022年11月09日

浪江町の大堀へ行くー10年過ぎても悲惨 (街中の食堂が増えホテルはにぎわっている―外部から若い人も入っている)


浪江町の大堀へ行くー10年過ぎても悲惨

(街中の食堂が増えホテルはにぎわっている―外部から若い人も入っている)



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大堀村の寺や神社

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大堀村の寺−陶家とかあるから大堀らしい


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金毘羅とかめずらしい―愛宕神社

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根っこが残りそこに古い碑があった墓がある

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山津見神社があったーその脇に大塚東照宮があった
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この清水が飲みたいと思ったが汚染されていると飲めなかった
でもこれは湧き水だとしら汚染されていないかもしれない
こういうところにまだ原発事故の影響がある
ただそもそも清水とか山の水は意外と動物とかにも汚染されているのである



震災時、浪江町には約2万1千人が暮らしていた。今年2月末現在、町内居住者は1596人町に住民票がある人は1万6650人。今も多くの人は避難生活を続けている。

(2021)

 東電の賠償金は原発からの距離などに応じ、有無や額が異なり、原発周辺の住民が「賠償金をもらっているだろう」と妬まれるケースも珍しくない。「家を建てても避難民という気持ちが消えない」。津島の美しい星空や家族同然の地域の絆は、賠償金でも取り戻せない。同じ津島の避難者宅を訪ねるのが楽しみだが、10年を経て連絡がとれなくなってきたという
 https://mainichi.jp/articles/20210310/k00/00m/040/190000c


 震災前、浪江町には6つの小学校と3つの中学校に約1,700人の生徒が通っていたが、今は、2018年に完成した「なみえ創成小学校・中学校」に通う約20名だけだ。児童・生徒が戻らないことから、昨年、7校を2021年4月に一斉に廃校し校舎を解体することが決まった。





浪江町に入ったら立派な家がある、庭に大きな石がある
でも人は住んでいない、原発避難区域では結構立派な家がある
でも人は住んでいない、それがもったいないのである
ここの家でも立派な岩があると見て帰った
小高でも紅葉がきれない庭があり家があった
庭に興味があるが人が住んでいないのでもったないと見る

浪江町の大堀から高瀬川に行って来た、大堀は陶工の家が空家化して廃墟化していた
陶工の家が30軒くらいあったのか、細い道を分け入るとこんなに陶工の家があったのかと見た、ある所で相馬焼きの焼き物が散乱していた、あれはなぜかたづけないのか?
結構高いものがあるが放置したままなのである
一時緊急避難しても帰ってきて相馬焼きの焼き物を整理して持って行けばいいとも見た
おそらく帰ってこないし焼き物もしないので放置したのだろう
入り組んだ道に陶工の家がありもう誰も住んでいない
ただ来年はここも避難解除になる、でも入ることができた
ここは震災前のままであり放置されたままである、ただ除染の人達がいた

あんなふうに荒れ果ててしまうのもショックである、陶工はみんな福島県であれ各地に分散した、だから相馬焼きをまとまって窯元で伝統を支えることはできなくなった
窯元が集まり技を伝いまた新しいものを作りだす場が窯元だった
そこが高瀬川の岸辺になり立地に恵まれていたのである
そしてそこは江戸時代からの歴史があった、相馬焼きは青ひびとかの技は各地に伝えられたのである

 むかしから そのむかしから 学校の
やねも お空も つんぬいて
大きくのびた かきの木は
みんなの そだつ 目じるしだ
2. 遠い道 夕やけ雲の お山から
海までつづく たかせ川
あゆも かじかも かにさんも
みんな なかよい おともだち
3. おじいさん おとうさんも かあさんも
べんきょうしたのは この学校
わたしも あなたも あとついで
みんなで ぐんぐん のびるのだ

大堀小学校の校歌であるがここに柿の木がでている、それで私は震災前にたずねて柿の俳句などを作った、柿がふさわしかったのかもしれない、それにしてもその荒廃は悲惨である、震災の時そのままであり捨てられた感じである

わたしも あなたも あとついで
みんなで ぐんぐん のびるのだ

このあとつぐ人が子供が消えたのである堀小学校の跡は荒地になり鳩を手にもった少年像が残っていた、なんともわびしいとなる

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大堀小学校の跡地
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中に陶器がまだある店がある
陶器が散乱して放置されている所もあった
おそらく放置したままで帰らなくなったのかもしれない

●大堀には古い歴史があった―神社をたずねる

大堀は江戸時代からの歴史かあるから神社もある
そして山津見神社が高い所にあった、これは発見だった、こんなところまであるのかと驚いた
とにかく相馬藩の地域には綿津見神社と山津見神社が多いのである
これは一対としてあり飯館村には綿津見神社と山津見神社がある
それは安曇族の海人族が入ってきた証拠なのである
だから小高の海岸にも綿津見神社があり浪江町の大堀にも山津見神社があった
それだけこの辺は安曇族が古代に最初に開拓に入った場所なのである
本当にこれだけ綿津見神社と山津見神社があることは驚きである
後は愛宕神社とか天神社とか他にもあった
江戸時代からのものであるが山津見神社は古代に由来するから注意すべきである

この耳塚に埋められているのは、八面大王の耳であると言われている。八面大王はこの安曇野地方の伝説では鬼とされ、悪逆の限りを尽くした後に坂上田村麻呂によって攻め滅ぼされたとされている。しかし蘇ることを恐れた田村麻呂は、八面大王の遺骸を切り刻んで各地に埋めたのである。耳塚はその耳を埋めた場所であるとされているのである。
https://japanmystery.com/nagano/otuka.html

大塚神社が城県とかにもあり他にもある、全国的にもある、九州にもある、この大塚は何なのか?津浪の被害にあった磯部の近くにも大塚神社があった
これは全国的に多いがその由来がはっきりしないのである
大塚とは塚だから墓であり古墳に由来するのか、謎である
ただここで安曇地方に関係していたことがうかがわせるものがある
安曇はまこ海人族であり何か土着の人々が大和王権に逆らったから伝説として残されている、ただそれが大塚とどういう関係になるのかわからない
つまり塚というから大とは王の意味だともしている、つまり王の塚⇒王塚⇒大塚となったこれは天皇と関係しているのか?なぜ全国にあるのか?地域の王であり天皇とは違ったものなのか、何らか古代は安曇族でも全国的に大和王権に天皇が全国の唯一の王とはなっていない、そういう時代に地域の王を埋めた所が古墳が大塚がありそれが大塚となったのか
ただ安曇族の山津見神社の脇に大塚東照宮とあるのは大塚と王のことであり東照宮とは家康のことである、つまり王なる家康となるがもともと大塚と安曇族が関係していてそうなったのかとなる、家康が王となったので大塚とはもともと王から由来すると王なる家康となるのである
他に愛宕神社とか天神社があった、この由来も何なのか、神社には由来が不明なものが多いのである
ただ地域でも地域の地域でも古い神社がありそこには人がもともと住んでいて継続していたのである、その継続が原発事故で断たれたのである
でもまた全国的に人口が減って過疎化して限界集落となり村自体の歴史が失われてゆくのが日本だとなる

●高瀬川溪谷へ行き帰る

高瀬川の渓谷へは交通止めがあったが入ることができた
紅葉の渓谷で水墨画のような風景になっていた
11年ぶりに来たがやはりここの風景は特別である
車が一台葛尾村の方から来た、車も通れないことがないのかもしれない
でも車は二台くらい通ったがやはり交通止めになっているからだろう
ここにトンネルが二つくらいありそこを目指して走って来た
でもなかなかトンネルが見えないのでここではないのかと疑った
でもまもなくトンネルが見えたので良かった
10年も行かないとわからなくなる

街の中は新しい食堂が増えた、道の駅にもあるが他に食堂が多いと見た
あとはホテルがにぎわっているみたいだ
つまり原発の仕事や浪江でも除染の仕事がつづいている
そうした原発事故関係の仕事をする人達がまだ多いのである
夜道を原町から金沢を経て鹿島に出る道にプレハブがあるがそこが思った以上電気がついていてここにも未だ原発関係で働く人がいるのかと見た
昼ではわからなかった、原町でも双葉で車で労働者が送られることがあるだろう
原町から浪江までは18キロだったから車だったら近いのである

まず小高であれ浪江であれ田畑は荒地化している、でも耕運機が道を行くから農家でも農業をはじめた人もいるのかとなる
ただ見たかぎりでは田畑があり人の手が入ったいるのが見えなかった
農業が回復することはむずかしいだろう、何か街中に横浜から来た若い人が案内していたがなかなか農業を回復させることはむずかしいとなる

ただ外部から若い人が入ってきている、駅前の新しくできた案内所でも横浜から来た若者だった、でも目的は何かとなるとなかった、だからもしかしたらこういう人は定着しないかもしれない、今は外部から来る人が歓迎される、そもそも住む人がいないからだ
でも何か目的がないと定住しないかもしれない、コンビニで働いていた人も若者である
だから地理がわからなかった、その道は川俣に通じる道だった
何かあの道は歩道でも広いから新しくできた通りらしい、新しい食堂もあったからだ
それでコンビニもできていたのである

次は小高の大悲山の石仏から高瀬川溪谷への短歌です
posted by 天華 at 10:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2022年11月08日

常なる道の花ー隣の庭の紅葉(晩菊、紅葉、冬たんぽぽ、冬薊)


常なる道の花ー隣の庭の紅葉(晩菊、紅葉、冬たんぽぽ、冬薊)

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ここに大きな平な石があった、庭としては広い

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(隣の庭)

庭広く紅葉に松や大き石

朝日さし隣の庭に紅葉映ゆ

街中の路地裏の道冬たんぽぽ

三色の晩菊に日さしあたたか

墓地近く晩菊三色映えにけり

常なりき今日もこの道冬薊


隣の庭の紅葉がきれいである、空家になりその庭は広いし木が五六本ありそれは映える
庭が自然になっているというとき日本では家庭というように庭が自然であり一体となる
庭の石でも木でも花でも人間化するのである
何か広い庭がありもったいない、誰か住むようになるのかわからない
でも他人の家と庭だから勝手にはできない、その家とはいざこざもあったからだ
でも都会でもそこに大きな庭があり木などがあればそこには自然があるとなるから貴重である、都会は自然が少ないから貴重なのである

路地を歩いたら冬たんぽぽが咲いていた、何か冬でもまだあたたい、浜通りは冬でもあたたかい方である、会津だったら雪に埋もれる一日中どんよりとして雪になる
この天候の相違も大きいのである
晩菊に陽射しがあたたかい、三色の晩菊が心地よく咲いているとなる
この晩菊は老人なのである、それは墓地の近くに咲いていた

これは別にしてここに移した、今日は陽射しがあたたかだった
今年はやはり暑かった、太陽が関係もしている
だから秋が短く冬にもなったがまだ冬という感じはしないのである

いつも行く道でも季節の変化がある、晩菊というという時老人なのである
それぞさに色が違うということはそれぞれの人生を生きてきたからそうなる
それで老人は語ることに意義がある、浜通りは冬でもあたたかいときがあるから冬たんぽぽが路地裏の道にも咲いていた、いかにもそこに似合っていた
花でもやはり人間とともに活きているからである
ただ路地裏だと飲み屋とかあるから何か花にはふさわしくないともなる
だからだから都会のネオン街などにはふさわしくない
どうしてもそういう場所に花が映えないとなる
花が映える場所というのはネオン街とかにはない、花を飾っても酒の匂いがしてまた女性でもそこでは本当の美はない、虚飾の世界なのである
やはり花は野に映えるとなる、でもフラワーアレンジメントとかわび、さびの世界の茶室には野の花も映える、また別に外国の花でも花は映える
その場が問題なのである
私は親の遺影にいつも花を献げている、花は死者にささげるのにはふさわしいとなる
死者はもう汚されることはないからである、また自らも他者を汚すことがないからである
ともかく庭でいいのは身近に自然を感じることである、日常的に感じることである
だから隣の庭も自然と感じる、都会では大きな庭があればそこに自然を感じるとなる
それはその家だけのものではなく全体に影響するのである
いづれにしろまだこうして空家になっても回りに人が住んでいればその自然は活きている不思議がある、それはまだ回りに人が住んでいるからである
でも原発避難区域になったところでは回りにも人が住んでいないのである
だからその空家の庭でも誰もみないとなる、特に農家などは街から離れて孤立しているから余計に見ないのである、そこは死んだ家にもなってしまうのである
空家をどう活かすかは全国の問題である、もったいないからである

2022年11月07日

相馬市の中村喫茶店が閉店した、他にもイオンが閉店した相馬市の衰退 (純喫茶は全国的にも消えてゆく)


相馬市の中村喫茶店が閉店した、他にもイオンが閉店した相馬市の衰退

(純喫茶は全国的にも消えてゆく)

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ここに五本松があり次に枯れて三本松になり遂には松は全部消えたのである
何かこれも淋しい、喫茶店も消滅してゆく、限界集落とかも消滅してゆく
温泉街も廃墟化したのには驚いたからである



喫茶店数は30年で半減! 「純喫茶」はこのまま絶滅してしまうのか

全日本コーヒー協会によれば、喫茶店数は1981年の15万4630がピークで10年後の91年には12万6260、そして2016年には6万7198まで減少している。つまり、なんとこの30年間でほぼ半分にまで減っているのだ。

 これを受けて近年叫ばれているのが、「純喫茶の絶滅危機」である。

 『絶滅危機?昭和レトロな純喫茶 「文化残す」受け継ぐ若者の思い』(毎日新聞 21年10月4日)というニュースも近年増えてきている。

 明治に西洋から「カフェー」という文化が入った当初、ここは文化人や上流階級の人々のサロン的な役割だった。

 「喫茶バー」や、画廊だったが珈琲を出すようになった「画廊喫茶」もあれば、音楽を延々と流す「ジャズ喫茶」、漫画をたくさん置く「漫画喫茶」もできた。その中でも1960年代に爆発的に増えたのが、若くて美しいウエイトレスがウリの「美人喫茶」である。

 創業60年を超えるある老舗純喫茶は、Wi-Fiや電源を新設して「リモートワークできます」と掲げてコロナ禍でも売り上げを伸ばしている。
 https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/902102?page=6
 
道の駅の近くの六号線にあった喫茶店も閉店した、道の駅は新しく開業したが魚は売っていない、でも食堂はあるし休める、ところがコーヒーを飲んだりしして休む場所がない
食事するところはあるがくつろぐ場所がない、何かコンビニでも休む場所があるのはまれである、これも困るのである、ただそれは商売になると無駄だとなりそうなる
コンビニだと狭いからである

喫茶店は1980年代が最盛期だった、だからずいぶん昔になったのである
その頃まだ若者が多かったからかもしれない、喫茶店に若者が集まっていたからである
私は喫茶店というときどうしても旅行して休む場所としてくつろぐ場所としてあった
そこで詩作したりもしていたからである
ただ喫茶店はその頃青春時代を過ごす場だったのかかもしれない、恋人との出合いの場所とかなっていたのかもしれない、だから若者の熱気であふれていた
とにかく団塊の世代とかは若者が多くそれがムーブメントになっていた
学生喫茶とかあり歌声喫茶とかありそこでみんなで歌って青春を謳歌したとなる

1955年(昭和30年)、東京・新宿に「カチューシャ」、「灯」がオープン。これをきっかけとして東京に歌声喫茶が続々と誕生する。労働運動、学生運動の高まりとともに人々の連帯感を生む歌声喫茶の人気は上昇し
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%8C%E5%A3%B0%E5%96%AB%E8%8C%B6

これは政治とも関係していて左翼の集会の場所となっていた、私は歌が苦手なので東京の大学で学生運動があっても喫茶店というのにはあまり行った記憶がない
ただ50年前となると忘れるのである
確かなことは喫茶店は若者が集まる場所だったのである
でも今高齢化社会になったとき中村喫茶店ではビートルズの曲を流していてバンドもそこでしていた、その人たちは昔をなつかしんで集まっていたのである
ビートルズは団塊の世代とかが熱狂したからである
そうなると老人が昔をなつかしんで集まる「老人喫茶」にもなってしまう
喫茶店は結構金がかかるから今の若者は金がないから入らないし若者の人口も少ないからはやらないとなる、今どこでも喫茶店に集まるのは意外と老人になっているかもしれないこれだけ老人の数が多いとそうなる、老人が集まれば昔の話に花が咲くとなる
だからこそ中村喫茶店もビートルズの曲を流していたのである
ただこういうことは時代に合わないともなる、なぜなら老人も今は金に余裕ある人は少ないからである、特に地方ではそうである、また喫茶店より飲み屋の方が肉体労働者だったら集まり安いからである、でもそこでも金がないと行けないとなる

とにかく何でも時代の影響がある、流行がある、その流行を若者が作っていたのである
若者が新しいものを作っていた、流行を作っていた、今はその若者が減少しているから
若者文化は生まれないともなる、地方ではしきりに嫁になる若い女性が都会へ東京とかへ流出して若い男が結婚できないとしている、今同世代の老人でも娘が結婚して東京に行っている人がかなりいる、地方に田舎に残った人は少ないのである
それはまた若者の働く場所がないことで男でも結婚相手が見つからないのかとなる
地方の仕事はどうしても建築土木とかであり知的な仕事は限られている
だから公務員とか教師とか郵便局とか銀行員とか農協に勤めれば田舎ではエリートだとなっていたのである、今になると郵便局でもゆうちょでも銀行でも農協でも経営が苦しいから変わったのである、それは全国的なことである
地方には活気がなくなっている、ただ地方には田舎には田舎の良さがある
私が一番常に気にしているのは景観なのである

喫茶店でも前に紹介したが

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ここは景観がいいのである、一番景観がいいのは鹿狼山の花木山の喫茶店である、太平洋を一望できるからである、ただ自転車で行くのに遠いから三回くらいしか行っていない
そこは喫茶店というより休息所である

洒落た建物であり前は畑で見晴しがいい、バラの園にもなっているからいい
でもここでも数回しか行っていないのである、だから常連客にはなっていない
でも景観がいい場所にあるのは気持いいのである、だから原町だと喫茶店が景色のいい場所にない、海の見える場所にあればいいと思う、六号線でもそういう場所にあればいい
また花が好きだから花屋兼用の喫茶店などでもあればいいと思う
ただやはり時代に合わせないと商売はうまくいかないのだろう
高齢化社会の客は老人になってしまうからである、若者の数が少なすぎるから客になりえないのである

また老人にしても年金暮らしであり金に余裕がある人は少ないから老人相手の商売は成り立ちにくいのである
ただ商品でも老人向きのものがでていないというのは確かである
なんでも若者向きだというのも矛盾なのである、だから金がある老人でも買うものがないと言う人がいる、スマホでも操作がめんどうなのである
老人に向いているのはスローなものであり何か昔を語り合うとかである
だから車などは向いていないかもしれない、そのスピードが速すぎるからである
老人はとにかく過去を思い出して語り合うことに向いている
過去でも昔でもやはりその経験したことが違っているからである
だから私は老人からそうして昔の話を聞いて郷土史を知る、そこに老人の存在意義があるからである

とにかく相馬市で中村喫茶店は城下町の雰囲気に合っていた、レンガの喫茶店なのもレトロで合っていたし市内にあるからそれなりに人が集まると思っていた
隣が庭になっていて藤の花がきれいだった、それが売りでもあった
それが閉店したのは残念だった、それも一二年くらいで閉店したのはなぜなのか?
老舗の喫茶店ではないのである、つまり現代社会に喫茶店が合わなくなったとういことである、喫茶店は地方で維持するのは相当にむずかしくなっている
ただ原町に確かに通信してテレワークできるような場所ができていた、また新しい店もできていた、だから原町には新しいものができる
でも相馬市は城下町であり城下町の雰囲気を壊す街作りは合わない、だから原町と相馬市の雰囲気は相当違うのである

でもイオンとかなくなるとこれも影響が大きいと思った、何か寂れた感じになる
あそこでいつも休んでいたからである
そしてそこでは相当数の人が働いていたのである、するとその人たちが失業することも影響が大きい、でも別に地元で暮らす人スーパーが他にもあり困ることはないだろう
イオンの危険は地元に根ざすより東京の会社だから撤退することがある
するとそこが空洞化して影響が大きいのである、それを私も感じた
だからイオンとういのは土着的ではない、チェーン店はこういうことがあるから困ることがある、でも現代は小さな店は商売にならないのである
そうはいっても結局商売も時代によって常に変化して変わらざるを得ないのである
それに適応しないか改革しないと取り残されて衰退するのである
それがグロ−バル化した経済でも日本が世界に遅れたのと同じである
IT化に遅れて貧困化したとかあるからだ、ただなんでも新しいものがいいとは限らない
伝統的なものにも価値があるか、昔ながらの良さが必ずありそれも見直されるのである

中村喫茶店の庭とかレンガの建物や花屋とかしていたけどそれをどうするのだろうか
何かもったいないと思った、隣の家は壊されていた、あそこはやはり藤の花がきれいだから何か活用すればいい、庭は五百万円かけて作り直すことができると言っていた
それもできずに終わった、ただ城下町に合ったものをここで継続すればいいと思う
問題は資金である、それはやはり金を集めることが必要になる、市民の協力が必要になるでも喫茶店だけではもう経営できない時代だからどうするのかとなる
相馬市には他にも喫茶店はある、でもかなり少ないし喫茶店は消えつつあるのが現状である、書店も消えてゆくのもそうである、どうしても時代の影響がありそうなる

結局私が寄って休んだのはドライブインの店だった、結局これも車社会だからこういうものができて成り立つ、時代の影響を商売でもまねがれないのである

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 藤の花と相馬の城下町 (中村喫茶店の藤の花)
 http://musubu.sblo.jp/article/188664973.html
 
 喫茶店は場所がいいと価値がある
 http://musubu.sblo.jp/article/189432870.html
 
posted by 天華 at 10:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年11月06日

冬に入る相馬市までの俳句(柿、晩菊、黄菊、冬の日、落葉、冬の鴨)


冬に入る相馬市までの俳句(柿、晩菊、黄菊、冬の日、落葉、冬の鴨)

降居神社

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大国主は出雲系の神である

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湯殿碑は本当に多い
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この根っこが凄い、太い根っこが張っていて力強いのである
大地からどんなしても離れないというもの感じる
これは相当に大きな木だったことは確かである



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ここの前は広い畑なのである、前畑になっている、こういう所に住んで仕事することは
何か充実感があることは確かである、前の畑で野菜でもとれれば食べ物があるから安心だとなる

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中村喫茶店が閉店したのは驚いた
庭もあったし藤の花がきれいだった
これをどう利用するのだろうか
誰かがまた何か利用してはじめるのか
喫茶店はやはり贅沢できない時代になり成りたたなかったのか?

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イオンも閉店して喫茶店がないので近くのハンバーガー店に入って
休んだ、喫茶店は休むのにいいがやはり料理がでないと成り立たない
でも休む場所が必要なのである




(降居神社)鹿島区岡和田

誰が守る社ひとつや冬菜かな

晩菊や神社の由来尋ぬかな

冬日さす白壁の蔵に古木の影

門古りて蔵に農家や柿なりぬ

農家なる前畑広く黄菊映ゆ

冬の鴨三羽寄り合う城の堀

閉店や中村喫茶店冬に入る


木の根っここの地に根付き離れざる冬の日たずぬ降居神社を

石段の古りて上るや社かな落葉を踏みて謂れをたずぬ


隣の庭の紅葉がきれいである、空家になりその庭は広いし木が五六本ありそれは映える
庭が自然になっているというとき日本では家庭というように庭が自然であり一体となる
庭の石でも木でも花でも人間化するのである
何か広い庭がありもったいない、誰か住むようになるのかわからない
でも他人の家と庭だから勝手にはできない、その家とはいざこざもあったからだ
でも都会でもそこに大きな庭があり木などがあればそこには自然があるとなるから貴重である、都会は自然が少ないから貴重なのである

路地を歩いたら冬たんぽぽが咲いていた、何か冬でもまだあたたい、浜通りは冬でもあたたかい方である、会津だったら雪に埋もれる一日中どんよりとして雪になる
この天候の相違も大きいのである
晩菊に陽射しがあたたかい、三色の晩菊が心地よく咲いているとなる
この晩菊は老人なのである、それは墓地の近くに咲いていた

今回は降居神社をたずねた、ここはなぜか訪ねたことがなかった、神社の数も多いからである、ここの神社の由来はわからないという

856年の平安時代に、現在の茨城県である常陸国大洗磯前にオオナムチ(オオクニヌシノミコトの別名)とスクナヒコナノミコト(少彦名命)が降臨され、この地の民を救うために降臨したとして、この地に神社が創建されました。

また、スクナヒコナノミコト(少彦名命)がオオクニヌシノミコトの前に現れた伝承の地である出雲(現在の島根県)には、オオクニヌシノミコトと共に、スクナヒコナノミコト(少彦名命)を祀る神社は多数あります。
https://onl.la/HJjD66P

事代主神(ことしろぬしのかみ)は、日本神話に登場する神。

記紀の記述
別名は八重言代主神、八重事代主神とも表記し、『古事記』において大国主神と神屋楯比売命との間に生まれたとされる。

葦原中国平定において、建御雷神らが大国主神に対し国譲りを迫ると、大国主は美保ヶ崎で漁をしている息子の事代主神が答えると言った
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8B%E4%BB%A3%E4%B8%BB#%E4%BC%9D%E8%AA%AC

この降居神社の由来は出雲系なのである、国譲り神話があり東北に逃れて来たのが出雲系である、諏訪神社などもそうである、それで東北のズーズー弁と島根鳥取とかの方言が似ているというのももともと蝦夷がいる東北に逃れた人達である同族だったとなる
八重言代主神とあり山元町に八重垣神社がある

八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を

この八重垣である

ともかく神社の謂われは古いのである、湯殿の碑など江戸時代に作られた碑があるがその前にこうして伝説があり古代にさかのぼるのである










宮城県山元町の地名ーかすべ田ー犬塚古墳の由来


宮城県山元町の地名ーかすべ田ー犬塚古墳の由来

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かすべ田の由来

磯の西、雷神山の山裾に窪地に五坪くらいの田んぼ数枚あった
ここをかすべ田と呼んでいた
昔荒地を拓いて小さな田んぼにして耕していた
田んぼが小さいので魚のかずべくらいということから、誰言うともなくかすべ田の名がついた
(山元町ーふるさと地名考)

「かすべ」の語源は「安くて不味(まず)い魚の滓(カス)」という意味から名付けられたという説も述べている。「かすべの干物は関西地方では肥料として使われていた」とも。すると、前説は「ジョーク」だろう・・・だが、「酒粕・酒糟」の「かす=粕・糟」ならば「魚の粕(糟)漬け」である・・・

かすべとはカスの魚のことか、カスにするような魚のことか、カスべはこの辺でもとれていて食べていた、93歳のレンガ職人だった人はそのカスべを良く食べていたという
それほどいい魚ではないからカスの魚となったのか?

かすべの干物は関西地方では肥料として使われていた

意外と魚が肥料として使われていた、それは日本が海に囲まれていて魚がとれるからそうなった、ニシンでも大量にとれたが肥料として使われていたのである
それで相馬藩からでも船でその肥料となるニシンを買いに行った、米を積んで米を売ってニシンを買ったのである

土地に海の魚の名前つけたのは魚をとっていた人達、漁師かもしれない、確かなことは
その魚は日常的に獲ったり食べたりしていた人達である
第一そんな名前を普通はつけないからである、日本では土地が少ないから少しでも土地があれば田んぼにした、そこで米をとれば食料になるからである
漁師が魚をとるにしても米はとれないと米が食べれないからである
でも魚を売って米を買うことはできる、だから魚は売って金になったとなる

そのレンガ職人がカスべを子供の時でも食べていたという時、私にはカスべという名前すら知らないのである、知っているのは塩引きの鮭とかサンマとか年越しの魚の石鰈である石鰈は一番ぜいたくな魚だった、だから年に何度かしか食べられない、それで年越しに食ものとしてあった、それは烏浜に漁師がいて売りに来たとなる
その石鰈は震災前でも高いものだったのである
でも子供時代の記憶としてこのカスべという名を知らないのである
それを食べた記憶もその味もわからないのである
でも確かにこの辺ではカスべを食べていたということである
山元町にも漁港があり漁師がいて魚をとっていたからカスべを食べていた
身近な魚だったのである、山元町の津浪の被害は大きかった
根こそぎ海岸近くの家が失われたとなる
山元町は相馬藩と隣り合わせで伊達藩と争ったこともある
でも近いから太平洋岸として繋がりがある


犬塚古墳の由来

主人公サンを乗せた犬神が、たたらばを襲撃するというシーンがありました。ある研究によれば、製鉄の集団は砂鉄を探すのに犬を使っていたと考えられているのですが、もしかしたら、そのような研究を踏まえているのかもしれません。

伊藤:砂鉄と犬ですか?

奈良:はい、意外な組み合わせかもしれませんが、身近なところでいくとお伽噺の「桃太郎」を例に考えると、わかりやすいかもしれません。この研究について読んだとき、「桃太郎」が鬼退治に行くときに犬を連れていたことを思い出しました。


鉄づくりは日本の文化 0たたら製鉄の「たたら」って何?

義犬塚古墳と捕鳥部萬(ととりべのよろず)

捕鳥部萬と忠犬の白い犬の事が、「泊瀬部天皇 崇峻天皇」(『日本書紀』)に書かれている。

犬は製鉄と関係していた、桃太郎が犬を連れて鬼退治した、それも製鉄と関係していた
だから犬塚古墳は山元町だけではないほかにもあるとなる
とにかく福島県から宮城県の浜通りは砂鉄を求めて渡来人が来た跡が明確に残っている
そして地名化もしている、そのことは前も書いた、南相馬市の真野地域は産鉄族が拓いた土地だともなる、それで境界にもなり真野の草原の万葉の歌が残された
産鉄族の真野氏一族は石巻から北上川に入り上り登米までその跡を残した、そこに真野と記された木簡が発見されているからである
また石巻には濃厚に真野氏関係の和邇氏がかかわり和邇(わに)山もある、また萱原という地名もありそこが真野の草原だという説もある
それはやはり濃厚にその跡が想像ではなく証拠品もでているからである


2022年11月05日

万年風呂‐レンガの風呂を作った職人の話 (室蘭とかまで行ってレンガの風呂を作ってもうけた)


万年風呂‐レンガの風呂を作った職人の話

(室蘭とかまで行ってレンガの風呂を作ってもうけた)

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大原の空家にあるレンガに風呂


スーパーの前で座っている人がいたので話かけてみた
その人はいろいろ話す人であり昔のことを話しした
93歳でも真っすぐ立てるし話しもうまい
地元の人だから地元の話もした、戦争中疎開人の子供のことも話した
この辺にもそういう人がいたのかとなる
何でも食べ物がなくて盗んだとか言っていた、また弁当でも盗まれたとか腰にくっつけて運動もしていた
野菜でも盗まれたとかいうのは今でも同じである、畑とかのものが盗みやすいのである
梨とかでも一つくらいとって食べてもいいのかなともなるからだ

おそらく疎開の子供が食べ物を盗んだというのは食べ物が満足に与えられなかったからだろう、疎開のことではいろいろ語られている、相当に辛いことだった
何よりも戦争中疎開したというとき食べるものが問題だったのである
食べ物がないから盗むということがあった、子供でも腹をすかしていればそうなる
だから必ずしも今と違って責められないことがあったかもしれない
時代時代によって事情が違うからである

その人の話で一番印象に残ったのはレンガの風呂を作っていたということである
戦後まもなくはそんなレンガの風呂を作ることは贅沢だったろう
私の家では父親が木の風呂、鉄砲風呂を自前で作った、その風呂たきが自分の仕事だった燃やすのは木材を切り落とした端切れであった、それは無料でもらえたのである
その頃電気も水道もない時代であり燃料は炭だった、その暮らしは原始的だったともなる洗濯は裏の堀でしていたのである

だから風呂でも銭湯に行っていた人もいるし五右衛門風呂とかの家もあった、隣はそうだった、だからレンガの風呂はしゃれたものでありその当時はモダンなものだったとなる
そのレンガの風呂を大原の廃屋で見た、その廃屋は本当に幽霊が住んでいる感じなのである、でも外風呂で小屋の中がレンガの風呂になっていたのである
だから原町の大原でもそこは結構豊かな時があったとなる

そのレンガの風呂を作ることができる人はそんなにいなかった、その人は壁塗りとか仕事にしていたがレンガの風呂の造り方を自力で覚えたという、そのことで北海道の室蘭とかまで行きレンガの風呂作りを請け負いしていた、その時そこでもレンガの風呂を作れる人がいなかかったためだったという
だからそんな遠くまで需要があり行ったとなる、北海道となると遠い、でも飯館村の木戸木でも東京の方に呼ばれて仕事していた大工さんがいたのである
だから職人となると意外と遠くまで働きに行く、飯館村の塩の道に地蔵がありそれも長野県の石工が来て作った悲恋の物語がある
つまり土地の女性と恋に陥った物語である、職人とはこうして遠くに出稼ぎに行くことがあった、それは技術をもっていてそうなったのである
接着剤として海藻が使われていたことも言っていたが意外だった

春の塩の道をたどる(二本松までの絵巻物の詩)

恋の悩みを背負わされて肩をそがれた地蔵尊
http://musubu2.sblo.jp/article/17459236.html

旅の若い石屋が真福寺に頼まれ地蔵を作ることになった。峠の麓の宿に泊まり頂上近くの仕事場で石を彫った。峠の茶屋に美しい娘がいて恋におちいった。彫り終えたら別れねばならぬと石屋は不安になりはんばできあがった地蔵の肩をそぎおとした。これは「きっつぉこね地蔵」と呼ばれた。「きりそこね」という意味である

「海藻のりの役割」
https://shikkui.denden-kyokai.com/2013/12/blog-post_26.html

これも意外だがやはり化学薬品がないときこういうものまで接着剤として利用したとなる

漆喰壁が呼吸をすることで、冬場の「乾燥」や夏場の「湿気」を防ぐ効果が期待できるのも魅力です。調湿機能に優れた漆喰壁は、年間通じてお部屋の湿度を快適に調整してくれます。
https://onl.la/7B8xD4R

これは昔から伝えられた日本の技だった、ヨ−ロッパとか外国では壁塗りとかないという壁塗りの技術は日本だけのものらしい、私の家は土壁でありそれ以後は職人がいなくなったのである、土壁の中は竹で組んでいるし泥土を踏む作業があり楽な仕事ではなかった
こうして何か家というものでも苦労して作られたことを知る時価値あるものとなる
今はハウス会社で組み立てて作る昔の職人は相当に減ったのである
でもハウス会社の建売住宅だと後で増築とか修理することがむずかしくなる
だから近くで地震で壊れた家は新しいが壊したのかもしれない、修理することがむずかしいからである

戦後まもなくとかレンガの風呂はなかなか作れなかったから高度成長になるとき仕事がいくらでもあったという、それで助かったと言っている
そしてレンガの風呂は作れる人が少ないから希少価値があったので遠くまで行って稼げたとなる、ただ今でも建築土木関係は遠くに働きに行くので変わっていない
その人は木戸木(ことぎ)でもレンガの風呂を作ったという、それは大工さんだったという、すると最近あって話を聞いた木戸木の大工さんの家のことかともなる
その人は83歳であったからそんなに年齢も離れていないからである

その人はもともと栃窪生れであり町の方に暮らすようになった
子供も何人か育てた、娘が三人とかいる、それで家族と一緒に暮らしているから国民年金は五万しかもらっていないという、だから小遣いは一万だと言っていた
国民年金だとこのくらいになってしまうのである、ただ妻と合わせると10万だと言っていた、ただ娘の家族と一緒に暮らしているから暮していけるとなっている

その人がしきりに言うのは子供もいないが若い女性がいなくて田舎では男が結婚できないと言っていた、みんな東京とかに出て行って若い女性がいない、若い男性は結婚することができないと言っていた
それも今の問題である、どうしても田舎では仕事がないから都会に東京とかに出る
そして若い女性も都会に東京とかに出て行き田舎には結婚できない男性が取り残される
戦後まもなくから高度成長時代の時は若い女性でも地方にいたから結婚できた
何でも戦後まもなく農家の嫁になれとか言われた人がいた、その人は農家に嫁いだ
その頃農家が女性の結婚先としてあった、でも農家は嫌がる女性がいた、仕事もきついし嫁姑問題があったりと嫌われて嫁ぎ先として拒否されていたのである
でも仕事として農業は六割とかの時代があったからそういうことが起きていた

地方の問題は戦後まもなくからはとにかく仕事がない、大量の引揚者が帰ってきても仕事がないからわずかの土地を求めて農業したのである、ここから近くの小池にもそういう人がいたしそれはどこでもいたのである、ただ木戸木(ことぎ)は戦前から人家があり二三軒住んでいたのである
ただまぎらわしいのは戦後開墾に入った人たちである、その人達も戦前から住んでいる人と勘違いするからである
ともかく地方に田舎に戦争が終わって引揚者が帰ってきても働く場所がなかったのであるだから不便な所に入り開墾して農業したとなる
でも半分くらいは苦しいのでやめたとなる

そのレンガ職人がしきりに仕事があって良かった、仕事がいくらでもあったというとき
仕事がなければ住めないということである、飯館村でも一万人くらい人口があったときがある、それが半分くらいになった、それは他でもそうである
室蘭でも今では人口が半分以下になっている、工場とかがなくなって来たからである
それは全国的にそうである、そして若い女性もいなくなり仕事がないというとき地方は衰退する

ともかく郷土史もテーマにしているがこれは直接人から特に老人から話を聞くと実感するものがある、木戸木の大工さんとはこの人がレンガの風呂を作った人なのかとも思った
木戸木(ことぎ)のような辺鄙な場所でもそんな当時では風呂を作ったことはそれなりに収入があった人がいたことを証明しているからだ
大倉でもおそらく木材が売れて相馬女学校を出たことを自慢していた人がいた
ここでもやはり山の木材を売って金持ちになった人がいたのである
山でも金持ちになった人はいたのである、ただ必ず時代によって金持ちになる人も変わるし様々な変化がある、だから昔を知り今を知ることが大事なのである
老人の勤めは昔を語ることである、それは生きた歴史だからである、大きな歴史でなくてもそうなのである、別にその人でも学問などしていないのである
でもやはり一人の老人が語ることは歴史になっているのである
HISTORY-HI-STORY−物語なのである、だから人間は最後に自分の生きた物語を語る、そこに老人の価値がある。でも価値は金には換算できない。貧乏に生きたとしてもその物語に価値があるとなる


万年風呂とは万年使えるからと名ずけられた



posted by 天華 at 17:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 明治維新-明治以降