2022年11月06日

冬に入る相馬市までの俳句(柿、晩菊、黄菊、冬の日、落葉、冬の鴨)


冬に入る相馬市までの俳句(柿、晩菊、黄菊、冬の日、落葉、冬の鴨)

降居神社

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大国主は出雲系の神である

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湯殿碑は本当に多い
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この根っこが凄い、太い根っこが張っていて力強いのである
大地からどんなしても離れないというもの感じる
これは相当に大きな木だったことは確かである



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ここの前は広い畑なのである、前畑になっている、こういう所に住んで仕事することは
何か充実感があることは確かである、前の畑で野菜でもとれれば食べ物があるから安心だとなる

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中村喫茶店が閉店したのは驚いた
庭もあったし藤の花がきれいだった
これをどう利用するのだろうか
誰かがまた何か利用してはじめるのか
喫茶店はやはり贅沢できない時代になり成りたたなかったのか?

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イオンも閉店して喫茶店がないので近くのハンバーガー店に入って
休んだ、喫茶店は休むのにいいがやはり料理がでないと成り立たない
でも休む場所が必要なのである




(降居神社)鹿島区岡和田

誰が守る社ひとつや冬菜かな

晩菊や神社の由来尋ぬかな

冬日さす白壁の蔵に古木の影

門古りて蔵に農家や柿なりぬ

農家なる前畑広く黄菊映ゆ

冬の鴨三羽寄り合う城の堀

閉店や中村喫茶店冬に入る


木の根っここの地に根付き離れざる冬の日たずぬ降居神社を

石段の古りて上るや社かな落葉を踏みて謂れをたずぬ


隣の庭の紅葉がきれいである、空家になりその庭は広いし木が五六本ありそれは映える
庭が自然になっているというとき日本では家庭というように庭が自然であり一体となる
庭の石でも木でも花でも人間化するのである
何か広い庭がありもったいない、誰か住むようになるのかわからない
でも他人の家と庭だから勝手にはできない、その家とはいざこざもあったからだ
でも都会でもそこに大きな庭があり木などがあればそこには自然があるとなるから貴重である、都会は自然が少ないから貴重なのである

路地を歩いたら冬たんぽぽが咲いていた、何か冬でもまだあたたい、浜通りは冬でもあたたかい方である、会津だったら雪に埋もれる一日中どんよりとして雪になる
この天候の相違も大きいのである
晩菊に陽射しがあたたかい、三色の晩菊が心地よく咲いているとなる
この晩菊は老人なのである、それは墓地の近くに咲いていた

今回は降居神社をたずねた、ここはなぜか訪ねたことがなかった、神社の数も多いからである、ここの神社の由来はわからないという

856年の平安時代に、現在の茨城県である常陸国大洗磯前にオオナムチ(オオクニヌシノミコトの別名)とスクナヒコナノミコト(少彦名命)が降臨され、この地の民を救うために降臨したとして、この地に神社が創建されました。

また、スクナヒコナノミコト(少彦名命)がオオクニヌシノミコトの前に現れた伝承の地である出雲(現在の島根県)には、オオクニヌシノミコトと共に、スクナヒコナノミコト(少彦名命)を祀る神社は多数あります。
https://onl.la/HJjD66P

事代主神(ことしろぬしのかみ)は、日本神話に登場する神。

記紀の記述
別名は八重言代主神、八重事代主神とも表記し、『古事記』において大国主神と神屋楯比売命との間に生まれたとされる。

葦原中国平定において、建御雷神らが大国主神に対し国譲りを迫ると、大国主は美保ヶ崎で漁をしている息子の事代主神が答えると言った
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8B%E4%BB%A3%E4%B8%BB#%E4%BC%9D%E8%AA%AC

この降居神社の由来は出雲系なのである、国譲り神話があり東北に逃れて来たのが出雲系である、諏訪神社などもそうである、それで東北のズーズー弁と島根鳥取とかの方言が似ているというのももともと蝦夷がいる東北に逃れた人達である同族だったとなる
八重言代主神とあり山元町に八重垣神社がある

八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を

この八重垣である

ともかく神社の謂われは古いのである、湯殿の碑など江戸時代に作られた碑があるがその前にこうして伝説があり古代にさかのぼるのである










宮城県山元町の地名ーかすべ田ー犬塚古墳の由来


宮城県山元町の地名ーかすべ田ー犬塚古墳の由来

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かすべ田の由来

磯の西、雷神山の山裾に窪地に五坪くらいの田んぼ数枚あった
ここをかすべ田と呼んでいた
昔荒地を拓いて小さな田んぼにして耕していた
田んぼが小さいので魚のかずべくらいということから、誰言うともなくかすべ田の名がついた
(山元町ーふるさと地名考)

「かすべ」の語源は「安くて不味(まず)い魚の滓(カス)」という意味から名付けられたという説も述べている。「かすべの干物は関西地方では肥料として使われていた」とも。すると、前説は「ジョーク」だろう・・・だが、「酒粕・酒糟」の「かす=粕・糟」ならば「魚の粕(糟)漬け」である・・・

かすべとはカスの魚のことか、カスにするような魚のことか、カスべはこの辺でもとれていて食べていた、93歳のレンガ職人だった人はそのカスべを良く食べていたという
それほどいい魚ではないからカスの魚となったのか?

かすべの干物は関西地方では肥料として使われていた

意外と魚が肥料として使われていた、それは日本が海に囲まれていて魚がとれるからそうなった、ニシンでも大量にとれたが肥料として使われていたのである
それで相馬藩からでも船でその肥料となるニシンを買いに行った、米を積んで米を売ってニシンを買ったのである

土地に海の魚の名前つけたのは魚をとっていた人達、漁師かもしれない、確かなことは
その魚は日常的に獲ったり食べたりしていた人達である
第一そんな名前を普通はつけないからである、日本では土地が少ないから少しでも土地があれば田んぼにした、そこで米をとれば食料になるからである
漁師が魚をとるにしても米はとれないと米が食べれないからである
でも魚を売って米を買うことはできる、だから魚は売って金になったとなる

そのレンガ職人がカスべを子供の時でも食べていたという時、私にはカスべという名前すら知らないのである、知っているのは塩引きの鮭とかサンマとか年越しの魚の石鰈である石鰈は一番ぜいたくな魚だった、だから年に何度かしか食べられない、それで年越しに食ものとしてあった、それは烏浜に漁師がいて売りに来たとなる
その石鰈は震災前でも高いものだったのである
でも子供時代の記憶としてこのカスべという名を知らないのである
それを食べた記憶もその味もわからないのである
でも確かにこの辺ではカスべを食べていたということである
山元町にも漁港があり漁師がいて魚をとっていたからカスべを食べていた
身近な魚だったのである、山元町の津浪の被害は大きかった
根こそぎ海岸近くの家が失われたとなる
山元町は相馬藩と隣り合わせで伊達藩と争ったこともある
でも近いから太平洋岸として繋がりがある


犬塚古墳の由来

主人公サンを乗せた犬神が、たたらばを襲撃するというシーンがありました。ある研究によれば、製鉄の集団は砂鉄を探すのに犬を使っていたと考えられているのですが、もしかしたら、そのような研究を踏まえているのかもしれません。

伊藤:砂鉄と犬ですか?

奈良:はい、意外な組み合わせかもしれませんが、身近なところでいくとお伽噺の「桃太郎」を例に考えると、わかりやすいかもしれません。この研究について読んだとき、「桃太郎」が鬼退治に行くときに犬を連れていたことを思い出しました。


鉄づくりは日本の文化 0たたら製鉄の「たたら」って何?

義犬塚古墳と捕鳥部萬(ととりべのよろず)

捕鳥部萬と忠犬の白い犬の事が、「泊瀬部天皇 崇峻天皇」(『日本書紀』)に書かれている。

犬は製鉄と関係していた、桃太郎が犬を連れて鬼退治した、それも製鉄と関係していた
だから犬塚古墳は山元町だけではないほかにもあるとなる
とにかく福島県から宮城県の浜通りは砂鉄を求めて渡来人が来た跡が明確に残っている
そして地名化もしている、そのことは前も書いた、南相馬市の真野地域は産鉄族が拓いた土地だともなる、それで境界にもなり真野の草原の万葉の歌が残された
産鉄族の真野氏一族は石巻から北上川に入り上り登米までその跡を残した、そこに真野と記された木簡が発見されているからである
また石巻には濃厚に真野氏関係の和邇氏がかかわり和邇(わに)山もある、また萱原という地名もありそこが真野の草原だという説もある
それはやはり濃厚にその跡が想像ではなく証拠品もでているからである