大アマゾン 最後の秘境―NHKスペシャル
(森林破壊と原住民の抵抗ー原発事故との比較)
●原住民が守るアマゾンの森
しかし、農民は作物や家畜を育てるために森林を焼き払っていて、ボルソナロ大統領も先住民の意向を優先していない。
2019年に入って火災が急増している背景には、ブラジルのボルソナロ大統領の方針もある。大統領は、先住民よりも農民を支援しており、先住民の土地をこれ以上、保護が強化される先住民族保護区に新たに指定しない意向を示している。大統領は先住民を動物園に閉じ込められた動物にたとえる発言さえしている。
ブラジルは(中略)かつては穀物の輸入国でした。しかし、1980年代、日本も協力した農業開発により、ブラジルは大きく発展しました。熱帯地域で初めて、近代的穀物農業を実現させたのです。
弓矢とスマホ,アマゾンの先住民のテンペ族の知られざる生活
アマゾンの森が破壊されている、火事になるのは放火らしい、火事にして森を焼き払いそれを耕地にする、広大な土地に大豆とかを作る、それに日本の企業も応援している
輸入するために応援している
それで森を守るために抵抗している原住民がいる
でもその原住民がYIFIで衛星通信ができていて世界中に発信している
これも不思議である、原始時代から21世紀の文明と結びついているとなる
良くパソコンを操作できると思う、それだけの知能があるのが不思議だとなる
また黄金がとりに無法者が集まっている、そして原住民が反対するので銃撃している
これはまるで映画を見ているようである
まずアマゾンの広大さは知り得ようがない、そこに何があるのかもわからない
でもなぜこういう問題が起きたのか?
それは依然として森に原住民が原始時代のままに生活していたからである
これがポイントなのである、森を守るというときそこに動物とか植物しかなかったら
そういう抵抗は起きないのである、誰も反対する者がいないからである
そうなると根こそぎ森が破壊される、木材もあるから取り放題にもなる
そして貧乏な人達はどうしても生活しなければならないから森を残すより金になることを第一とする
環境保護といっても金にならないとそれだけではできないのである
だからこそ農地にもするし黄金でもとりにゆくのである
自然保護というときただそこで観光するというだけでは成り立たない、自然保護というとき自然の中で生活している人達がいて成り立つのである
●原発事故では農業、林業、漁業でも衰退して守る人がいなかった
これを原発事故と比べると興味深いとなる、なぜ原発が福島に作られたとか、原発で住めなくなったのか考察してきた、それもいろいろあり複雑である
ただ原発に反対する人達が福島県の地元にはほとんどいなかったのである
その理由はそもそも農民とかもちろん狩猟採集して生活している原住民となるのか縄文人となるのかそんなものはいない、でも農民はいたし漁師もいたのである
その割合は一割くらいであり少ないのである、何か田舎だと田畑で囲まれているから農業で暮らしているように見えるけど違っている
みんな会社員であり工場とか会社で働いているのである
戦前とか戦後十年くらいは農民が8割とか6割の時代があった
すると農業だと自然と密着している生活だから原発で汚染されるとなれば危険となり反対していたかもしれない、なぜなら放射性物質に空気でも水でも土でも水でも森の木でも汚染されたら生活できなくなるからである、その頃森林でも木材は国産であり外材でなかったからである
ではなぜ原発に地元の人が反対しなかったのか?
アマゾンの原住民のように生活していない、農民は確かに自然と密着して暮らしていたとはなる、漁師でもそうである、でも農業でも漁師でも金にならないからやりたくないとなっていた、後継ぎもいないとか言われた、それで農業をやるなと親に殴られた子もいた
その人は原発で働くようになったのである
そして知らなかったが烏崎とかでは漁港があるが火力発電所が建ち次に原発が作られた
漁業組合では補償金が入り原発御殿が建てられたとなっていた
そこで回りの人達がうらやましがっていたのである
烏崎だと火力発電所が建った時にも補償金をもらいそれは40年前頃でありヨ−ロッパに旅行していた人がいたのである、その頃飛行機代が高くて50万していたとかできない時代でもしていたのである、そして次に原発が建ちそこでも事故前でも事故後でも億の補償金をもらっていたとかなる
だから魚をとらなくても十分に豊かな暮らしができていたのである、事故後でも十分な補償金がもらえているから事故後にすぐに立派な家を建てたのである
もし漁業だけではそんな豊かな生活などできない、だからアマゾンの原住民とは比べようがない、ここの住民はすでに電気でもガスでも電気でも車をもって都会と同じ文明の恩恵にあづかった生活をしていたのである
でもアマゾンの原住民は原始時代と変わらない生活をしていたのである
だからこそ森が破壊されると生活できなくなるからこそ激しい抵抗になったのである
ここではそういう抵抗がなく金になるとういことでかえって積極的に原発を誘致したのである
●農業社会から工業社会の変化で自然と密着した生活が少数者になっていた
双葉とか大熊とは浜通りでは僻地とかなり出稼ぎ者が多いので地元で暮したいとなり原発を誘致したのである
ただもし戦前とか戦後まもなくとか農民中心の社会だったら原発で汚染されたら生活ができないと反対したかもしれない、いくら補償金をもらうとしてもやはり生活そのものができなくなるとかなると反対する、だから東電に生業を返せと検察に訴えて裁判して勝訴したとなる
でもその生業自体がこの辺では全国でもその比率は一割とかしかなくちなっていたのである
それで浪江の電気工事関係の人は回りの田んぼが草ぼうぼうになっていても関心がない
かえって補償金もらって良かったとか言っていたのである
別に食料なら外国からも入っているのだから困らないかである
そういう社会の変化の中で原発に反対する人もいない、積極的に地元でも誘致したとなる人間は利益になるとなれば血眼になる、殺人すらする、黄金を求めて無法者が集まるのもそうである、麻薬でもそうである、黄金となれば原住民を殺してまで得ようとするのであるだからこの辺で原発に反対したりしら地元の人に殺されかねない危険なものになっていたかもしれない、なぜなら反対する人がいなかったからである
その理由はやはり社会の変化にあったともなる、農業社会ましてや漁業でも規模が小さい特に浜通りは宮城県の十分の一くらいしか魚でもとれていなかったからである
すると補償金をもらった方がいいとなっていたのである
人間は自然保護とかいってもそこで生活するとなると自然保護は金にならないのだから
積極的にはならない、でも原発は金のなる木だったのである、黄金を産む玉手箱ともなっていたのである、だから他の原発がある所でも同じようにその利権が大きいから金が入り裕福になっていたのである
ともかくこのアマゾンの問題は何か世界の現代の縮図ともなっている
二酸化炭素を制限するとき森が必要だとなる、その象徴がアマゾンにもなるからである
そこに牛を飼い農業をするために森が破壊される、でもそこに住む者にとっては何か金になるものが必要でありそれを無碍に否定することもできないのである
そもそも人間の歴史が自然破壊にあった、農業自体が自然破壊であった
なぜなら焼畑農業は森を焼いて灰を肥料として成り立っていた原始的農業だったからである
つまり職業とは人間の業(カルマ)なのである、何らか自然を破壊しなければ生きていけないのである
アマゾンの原住民は自然を破壊することがない、そこに農業すらない、狩猟採集時代から進んでいなかっんたからである、農業は大きな文明であり進歩である
それがトラクターとか機械で広大なアマゾンでもその森が破壊することができるようになったからである、もし手斧暗いて森を破壊しようとしたらあれだけ広大な森を破壊できないからである
●山尾三省は農民になることで幸せを感じていた(郷(くに)に生きるとは
それで不思議なのは山尾三省なのである、この人は原始人にもどり農業をしようともした人である、文明に逆らってそれを屋久島で実践した人だとなる
それはアマゾンの原住民と似ているのである、現実にこの辺でそうして「部落」とか言ってそういう原始時代の生活をまねてしていた人達がいたからである
それで不思議と原発のことを批判していたのである
それは批判だけではない、自ら実践していたのである
農業の尊さとか自然に暮らすことの意義とかを詩にしていたのである
そういう人は今ではテレビで話題にする変人となりまたテレビで面白い風変わりな人として紹介される
でもそいいう人は時代が時代なら当たり前の人だったのである、だからめずらしくもないのである
彼が求めたのは理想の国は大きな国ではない、小さな国である、日本全国にある小国の地名がありそこがそういう場だとなる
奄美の郷(くに)
奄美の郷人(くにひと)
沖縄の郷
沖縄の郷人
アイヌの郷
アイヌの郷人
・・・・統治のない 郷(くに)
原子力発電所のない郷
核兵器のない郷
何万年も消えぬ
スリーマイルとチェルノブエリノブエリの灰を足下に踏み
三十三基の日本原子力発電所の炎を足下に踏み
なおも
なおも
人間を希望として
わたくしとして
より深く ただいるここに 在るほかない
山尾三省の不思議は常に原子力発電所を拒否するものとして書いていたが実際に原発がなくても生活はできていた
ただそうなるとまねはできない、パンが贅沢だとも言っていたからである
そんな生活を良しとする人はいない、むしろ田舎の人達の方が今は都会人と変わりない欲望を持っているし金が欲しいとなっている
でもなぜ山尾三省がこれほど田舎の生活に恋い焦がれ実践者になったのかとなる
田舎に住んでいる人でもこんなに憧れということはない、別にそれが日常だからである
この人はアマゾンに暮らす原始人に原住民になりたかった人だとなる
その原住民が現実にアマゾンにまだ生き残っているのである
そしてアマゾンを郷としてその森を聖なるものとして破壊されることに抵抗しているのである、それは部族全体でそうなっているから違っている
文明社会ではそういう人は変わり者でありそういう生活をむしろ否定してきたからこそ
原発が金になるということで積極的に誘致したからである
でも故郷に郷(くに)に住めなくなったとき蝋燭でも家族と一緒に故郷で暮らしたいというようにもなったのである、郷(くに)があってそこに住むことの価値を見出したとなる
人間は確かに科学技術は様々な恩恵をもたらした、でもまた失ったものもある
それが原発事故で自覚させられたのである
空気が土が水が森林が木材が・・・・汚染されたら住めないということである
原発がそういうふうになることを知り得ようがなかったのである
郷(くに)というのは本当はかけがえのないものだった、そこが生き死にの場でありアイディンティティの場になるからである
それは国家とか行政的単位ではなく国(くに)とは精神的な場でも代々継続する先祖とともに生きる場でもある、でもその国を大事に思うより金だとなったのが現代である
だからこそ東電に漁業関係者でもこの土地に住む人でも金になればいいとして積極的に誘致したのである
もっとパンでもなんでもうまいものが食べたい
もっといい車がほしい
立派な家が欲しい
とにかく金が欲しい・・・・
欲望がきりなくなったのが現代である、だから山尾三省の生活とは何だったのだろうとなる、それは現代文明へのアンチテーゼとなった、その生活そのものがそうである
この人は何なのと理解しかねるとなったのである
農民でも漁師でもそんなこと思っていないからである、むしろ農業はしたくない、漁業でもしたくないと後継ぎがいなくなっていたからである
でもこれほど切実に農民になりたい自然の中で暮らしたいと思っている人がいて実践したということが重い意味がもっているともなる
現代社会でそれが奇異なものとなったこそ文明自体が問われているともなる
なぜならそもそもそういう生活が常民をしてきたからである
確かに貧乏ではあったがそれでも人は生きていたしその生活は継続されてきたのである
なぜなら不思議にその時飯館村でも一万の人口があったとか農村山村に人口が多かったのである、引揚者は開拓に入ったにしろそれだけの人口を養っていたのである
今はどこでも半減しているし限界集落にもなっているく
山尾三省がこの辺に飯館村とかに生活していたら記念になるものとなった
他にも部落とか山村の生活をあえてしていた若い人もいたが撤退したのである
いづれにしろ山尾三省の生活とか思想に共感する人は農民でも漁民でもいない
パンも食べれないのかそんな生活嫌だとなるからである