2022年12月17日

無人駅で事故で死んだ盲人 (只見線開通ーその思い出など)


無人駅で事故で死んだ盲人

(只見線開通ーその思い出など)



大分県津久見市のJR津久見駅構内の線路上で15日、高齢女性が特急列車にはねられ、死亡する事故があり、女性は片方の目が不自由な視覚障害者だったことが17日、捜査関係者への取材で分かった。当時は駅員不在の時間帯で、県警は状況を調べている。

 県警によると、亡くなったのは市内に住む無職小島得江さん(82)。15日午後5時50分ごろ、線路上で大分発宮崎空港行き特急にちりん13号にはねられた。運転士は「線路からホームにはい上がろうとしていた」と話しており、県警は誤ってホームから転落した可能性もあるとみている。
 
  津久見駅では午後3時以降、駅員を置いていなかった。

続きは↓
https://news.yahoo.co.jp/articles/04be5c1d6166d3e56e94ffd29944ac42b988857a



市となっているけど人口17000くらいみたいだよ
夜の田舎駅のホームは薄暗いんだよ

めくらで田舎に住んだらアカン
都会に住んで助けてもらわな
田舎じゃ人がおらんからサポートしたくてもできん

親族が付き添えよ
駅員のせいにすんな

原発より危険なのにまったく安全性を考慮されない
電車は人殺しし放題なのにおとがめも裁判もなし
駅に入る前、踏切手前で徐行すれば全て解決するのに

健常者以外は付き添い必須でいいよ
全責任は本人と付添が負うべき
駅員さんに余計な手間を掛けさせるな


駅員がいれば助かった、でも夜になるとここでは高校生の見守り役もいない
誰もいないとなると危険である、そもそも夜に盲人が出歩くのは危険である
それは自己責任になるかもしれない、82歳で片目が見えないとかで夜に出かけると自己責任になる、でも確かなことは駅員がいればこうはならなかったのである
でもコストがかかるから無人駅になったのである
どうしても安全はなくなる、駅員が人間が見守らないと安全は確保しにくい
監視カメラがあってもそれで安全をすべては計れないのである





私は無人駅で案内していた時、盲人の人が必ず通っていた、そこで案内した
でもその人は慣れている、だからかえって干渉されるのを嫌がったいた
ただ無人駅では盲人とかは危険である、だからこうした事故が起きた
年も年だったということもある、私が案内した人は中年だったからである
老人が無人駅に乗ることは危険になるかもしれない、片目が見えないというがやはり
敏感に反応できないことはある

でも無人駅はいろいろ問題がある、そのことを書いてきた、駅というのでもこれも自ら
駅員とかなり体験しないとわからないものだと思った
なぜならいつでもただ乗る方からしか見ないからである
それはなんでもそうである、客となるのと接待する方とか物を売る方とかなるのは全然違ったものとなる、だから客にばかりなっていたら社会のことはわからないとなる
客になることは経験できてもサービスする方とか何か提供する方になることはできない
だから無数の職業があっても理解できないのである

私の無人駅の案内の経験でもこんなに駅には仕事がありまた駅にはいろんな人が来る場所だと思わなかった、結局それはそこは少数しかこないのと待っているから声をかけて話を聞くことができたのである
そこでいつも聞かれたのは上りと下りの行き先だったのである、これが意外とわからないものだったのである、それは他の無人駅で同じ経験をしたからである
都会だと行き先案内とかあったが田舎だとない場合がある
それで駅長にそのことを言ったら跨線橋の階段の前に行き先を提示するようになったのである

とにかく別に今の駅は鹿島駅は無人駅ではない、高校生の見守り役として常時市から派遣された人がいる、だから無人駅ではないが昼間はいない、何か昼間でも駅に一人二人としか見えないのである
にぎわうのは高校生の通学する人である、あとは閑散としているだけである
将来的には駅は駅でくなる、別な用途として活用されるとか言う人もいる
つまり駅だけの機能としてだけではない、何か別な物としても活用される
確かに今の状態ではもう鉄道自体が一部をのぞいて活用されなくなるからそういうのもわかる
観光列車になっている所もある、水害の被害から回復して10年ぶりとか開通した只見線がそうである、そこは観光路線にはいいが日常的にはあまり活用されない
第一日三回くらいしか時刻表で見て乗れないとなると不便すぎるのである
本当に観光路線として残すほかないともなる
それにしても百億以上もの金が復興にはかかったのである、その後の経営もむずかしいのである、福島県で金を出すということで再開したのである

結局只見線は鉄道マニアが写真をとるためにあるのかとまでなる
鉄道マニアにとってのみ必要なのかとまでなる、

雪深く只見の駅や我が泊まる一夜の宿や思い出すかな

一回雪まつりがあったとき泊まったことがある、また只見線は新潟県の小出が終点であるそこに魚野川がありその岸の食堂で鮎の塩焼きを食べたことを覚えている
魚野川というごとくいい川であり鮎がとれていたのである

魚野川流れの早く鮎を釣る一両の電車橋わたり来ぬ

小出とかは大きな川がありいい場所である、でも一日三回しかの便がないことは淋しいとなる



意外と元気で退院した脳卒中の女性 (人間を左右するのは運、めぐり合わせも運?余裕がないと援助もできない)


意外と元気で退院した脳卒中の女性

(人間を左右するのは運、めぐり合わせも運?余裕がないと援助もできない)


昨日退院して今日自分の家に息子の車に乗って来た
あれ意外と元気だと見た、普通にしゃべれる、今日の朝住宅の前で洗濯物を干していた
立ってあんなことできるのかと見た
というのはもう一人の障害者の息子がひどい顔しているから逢わない方がいいと言っていたからである、でも今日見た限りそう見えなかった
ともかく発達障害者の言うことは何かわかりにくいから困る、そのまま信用できないのである
別にひどい顔もしていない、マスクしているにしてもそう見えなかった
それで結構回復すると見た
かなり軽くてすんだのかもしれない、脳卒中というのは人によってかなり違っている
なぜなら脳のどの部分が損傷したかで不具合が生まれるからである
だから人によって違うのである
ある人は脚がだめになったとかある人はしゃべれなくなったとかある人は・・になったとか違っている
その女性は手がきかなくなった、でも今日の朝みたとき立って洗濯物を干していた
あんなことができるのかと見たのである、退院したばかりでそんなことができるのかと見た

でも二カ月入院していた、それは脳卒中では短い方だったのかもしれない
何か軽いとみたのである、しゃべることは普通である、その人はとにかくしゃべる人であり話がうまい人だったからである、そうなるとしゃべることが普通にできることは自分なり生活ができるかもしれないとなる
ただ親しく毎日通っていたやはり病気の老人の所には行かなくなる
何かやはりうまくいかないことがあった、病気になって入院しても連絡もなかったとかなる
その女性は毎日苦しくても行っていたのである、でも何かその娘でも気遣いがなかった
一週間に一回隣の市から来るだけだった
そして他人が入るのを嫌がっていたのである、でも最近は話もして納得していたのであるでもこれからは行かなくなるのかもしれない、すぐ近くなのだけどあの調子では行けるようになるにしても行かなくなるのかもしれない、ちょっと対応がまずかったともなる
いつも娘のことを悪く言っていたからである、こうして介護とかなる人間関係でもめるのである
自分自身でも前の親戚とはいろいろあって切れた、自分が病気であり介護しているのに
事業で失敗したから借金しているから余裕がないからそうなったのである

つくづく余裕がないということは他人のめんどうなとそもそも見れないのである
何か自分自身がその女性のこと特別に親切にしているとかではない
たまたまそうなったのでありもし自分に余裕がなかったそんなことしていないのである
それはたまたま前の猫が死んで餌をやる時、餌を奪いにきていた黒い猫がいた
それを追い出していたが飼っていた猫が死んだのでその黒い猫に餌をやるようになった
でもこの猫は慣れないしかわいいともならないのである
でもなぜか餌をやっているのである
それとにていて人間の運命とは何かこうして出合いでもたまたま事情が生まれてその時々の状態の変化とかでそうなる
知っている女性が結婚したのはその家の両親が死んだためらしい、そして残された息子がいてその人と結婚したからである
好き嫌いはあるにしても何か人間には事情があって親しくなることがある

このめぐり合わせも縁も不思議なのである、もしかしたら神が出合わせているのかともなる、でも婚活とか演出しても意外とうまくいかないこともある
それはめぐりあわせが人工的に演出しているからかもしれない、そもそも人のめぐり合わせも不可解であり不思議なのである
そういうことはみんな身近に見ているだろう、なぜそういう関係になったのかとんうのも不思議だからである、だから人工的に作為的に人を出合わせようとしてもかえってうまくいかないことがある

ただ確かなことは別に自分はその女性に援助したいからしているのでばない
たまたまめぐりわあせでそうなったのと自分に金の余裕が今はあるからだとなる
こういうことで人間は意外と余裕がないと人を助けることなどできないのである
それでけ経済的に余裕がなくなる社会は危険なのである
みんな食べるものがないとか餓えていればもしそこに食べ物があるとき襲うようになる
米騒動などがそうだった、他にも中国では必ず食料不足になり暴動が起きて政権が倒れたからである、つまり人間が余裕がなくなることは内外でも危険なのである
中国でも食料不足になったら他国に侵入して奪いとなるからである

いづれにしろ意外と軽かったのか、脳卒中になった人は多い、それで夫を十年妻が介護していたという人を何人か知っている、それも長いのである、十年とか普通なのである
そのために脳卒中では簡単には死なないことは知っていたのである
そのためにかえって介護が長くなるから参ってしまうのである
その人を今日見た限り軽かったのかとみる、まずしゃべることは正常だということは脳損傷が軽かったのかとなる
ともかく脳卒中ではすぐには死なない、ただ私の姉は認知症になりすぐに脳卒中になり二年くらいで死んだのである、これは認知症があって脳卒中があったからそうなったのか?その辺が理解しにくい、認知症⇒脳卒中 脳卒中⇒認知症とかにもなる
これがどう関係あるのかわかりにくいのである

とにかくあの調子だとかなり回復する、だから意外だった、もっと悪いと見ていたからである、なぜそうなったのかというと発達障害者が仲介者となって伝えたからである
それで誤解したのかとなる、これも問題だった、やはりちょんとした人がいて伝えないと誤解するようになる、発達障碍者であり障害者と付き合うのはめんどうになる
何を言っているのか理解しにくいことがある、でもその障害者も軽いから普通の人と同じように見てしまうのである、でもその人を信用はできないともなる

いづれにしろ介護はこれから8050 問題で深刻になる、その息子もやはり50代だからである
そして氷河期世代とかなり金銭的余裕もないからである、この問題はこれから数が増えるから深刻である
近くで認知症の母親を介護しておむつとりかえるとき騒いで困り殺したという事件があった
これも悲惨だった、認知症は一番介護しにくい、またオムツをとりかえるとなると男性は苦しくなる
男性はもともと介護はしにくいから殺人になっているのは男性なのである
こういう事件はこれから頻繁に起きるかもしれないねなにしろ団塊の世代が数が多いからそうなる
その中には悲惨な状態になる人が多いとなる
私自身書いてきたようにもう死ぬ思いであり地獄だったからである
その時ただ責められるだけだったのである、多少は援助があっても周りにそうした余裕がある人がいなかったとなる
こういうとき相談できる人がいると助かる、でも金銭的なこととか簡単にはできないし相談にのるとして
負担が大きいから関係したくないとなる
そこで重要なのは援助するにしても余裕がないとできないのである