2023年04月30日

人間の矛盾−宗教が偽善になるのはなぜか? (利に合うことを求めるが理に合わなくなる)


人間の矛盾−宗教が偽善になるのはなぜか?

(利に合うことを求めるが理に合わなくなる)

人間の一番の矛盾は利益を求め日々暮らしている。
人間が求めるのは利でありそれがり合わなくてもまずは利益を上げることを第一にする。
人間の日々の暮らしを利益を上げることであり利益が上がらなければ生活もできないのだからそれが第一になる。
人間が理解するのはまず利益である。

その矛盾が一番表れているのはカルト宗教なのである。
なぜなら日本の宗教は神道であれ仏教であれキリスト教であれご利益宗教になっているからである。
神であれ仏であれ何であれ後利益を与えてくれと祈るのである。
賽銭を投げるのはもっと御利益を与えてくれるとして賽銭箱に入れるのである。
1000円賽銭箱に入れたら2000円になってほしとして入れるのである。でもその賽銭箱の金は誰が使うのか?
それは神主とかであり神様がそれを喜び使うわけでもないのである。

ほとんどの宗教はこうして御利益宗教になっている。
千円を与えたから2000円を与えてくれと神に祈る
これも都合のいい、勝手なものだが宗教のほとんどがそうなっている。
なぜそうなるのか?そもそも人間が理解するのはまず利益でありその理論ではない、神でも仏でも拝んだら利益が得られとして祈るのである。人間はどんな人でも利益になることは金になることはすぐに理解する。それは発達障害の人でも理解している。
利益になる金になることに敏感でありさといのである。

カルト宗教の信者が増えたというときその人たちが宗教を理解したからではない利益になるからすぐに理解したのである。
そもそも仏教とかなるともともと理解することが難解である。
でも真宗とか日蓮宗になると題目をあげれば利益になる、御利益になると教える。それはすぐに学のない人でも即座に理解する
だから何か困ることがあれば一心に題目を唱えろとなる
めんどうな教理などはどうでもいいのである。
そこで得するのはカルト宗教なら幹部である。創価だったらすべてが御利益のためでありあらゆる欲は是認されむしろ強い欲を持てと指導しているのである。だからこそ会員が一時的にでも増大したのである。

でも仏教の創始者のシャカはなぜ王宮から一回の乞食となり岩窟で修業したのだろうか?
生老病死があり人間の苦から解放されたい解脱したいとなり王宮の王子の身分を捨てて一介の乞食となって修行したのである。
師を見習えばただあらゆるこの世の欲を是認して欲を満たしたいと祈ることなどありえないのである。
そこからして矛盾している。カルト宗教は理論的には崩壊している。でも利には合っている、御利益があるとなれば祈ることは現実に現世利益が得られるのだから肯定されるのである。
それは共産主義でもそうである。マルクスの理論は平等を目指してもソビエト連邦とか中国でも平等は実現されず幹部だけが巨万の富を築いたのである。

なにか隣の人の土地を共産党の幹部が奪ってそれが殺人事件にもなったのである。平等どころではない、貧しい弱い人からその財でも土地でも奪ったのである。それは明らかに犯罪でも共産党幹部だから罪を問われることもないのである。
理想をかかげても現実は人間の欲は消えない、そのために御利益があるのは幹部であり弱い者は犠牲にされるのである。
つまり仏教であれキリスト教でもカルトになると実際は幹部が御利益を得るのであり理論は教義は無視されるのである。

まず人間は利を求めるし利は即座に理解できる、それが理論と教義と矛盾していてもいいのである。むずかしい理論などより利を得られとなればいいのである。そのために会員も増えるのである。ただ利益を求めて入るのだからこれが利益にならないとなればすぐにやめるのである。ただ宗教だから罰当たるとか不幸になるとか脅されてやめにくいとなる
つまり宗教はどうしても王宮を捨てて出世した、もろもろの欲から離脱しようとしたよりこの世で出世すること王宮に住むことこそ求めて祈っている、ここに最大の矛盾があった

出世という意味が全く逆転して使われるようになったことでもわかる、だからカルト宗教とかに詐欺でありそれを説く人間が真っ黒な偽善者なのに崇められるのは大衆が望むものがこの世の欲をかなえて出世すること説くからである
だからこそ騙される、魚心あれば水心になる。だから別に自分の心に忠実で欲を否定せずにいれることは返って正直だともなる
偽善家になるよりはましだともなる。

善人されるものが実は悪人であり悪人とされるものが善人だったともなる逆説が成り立つのがこの世だとなる
悪人が善人を装っているのが宗教では多いとなる、つまりそれだけ宗教をまともに実行することができないからそうなるのである
ジキルとハイドのようになってしまうのである。
そこに親鸞が自分は大悪人だと言ったことがかえって正直だったなるのである。
そもそも地獄に落ちると言っている人間が罪深い強欲なありふれた人間でありその人こそ地獄に落ちることが確定しているのである。だからかえって地獄に落ちるのではないかという人こそまともであり救われるとしている。それは娼婦がかえってキリストによって罪が許されて救われたのと同じである。

利にあっているが理に合わない

なぜそうなるのか?人間の欲がそうさせる。人間にはそういう二面性があるためにそうなるのである。


2023年04月29日

鹿島駅前の八重桜ー人間的な鉄道の駅 (仙台市の青葉茂る通りの詩)


鹿島駅前の八重桜ー人間的な鉄道の駅

(仙台市の青葉茂る通りの詩)

zaommmriver2.jpg


車窓から見た蔵王



stationyaesakura1.jpg



これは小さいが前は大きな八重桜だたのである。

駅の前の八重桜

八重桜一本なおも駅の前
ほのぼのと咲き心温まる
人の出会いと別れや
見送る人に見送られる人
人の暮しの駅に続きぬ
駅前に勤めし自転車屋の人
今は亡きしも我お待ちてあれ
我が姉と母も今は亡きしも
待つことあれ心にその面影の浮かびぬ
ああ 忠犬ハチ公のように
主を待ちて駅にあることのあわれ
かく待つことの駅にはあれ
いずれは人は皆死にて消えゆく
そしてここに働きし日々を思い出すなれ
我はなお生きて駅に一人帰り来て淋しかな



青葉茂れる仙台の通り

青葉にまぶしく夏の光
木陰なし通りを歩む
ここに若き人等行き交う
メインストリートにチューリップ咲き
青葉茂れる夏の夕暮れ
ここに若き等の熱気を帯びる
田舎を歩むは杖ついた老人
ここを歩むは颯爽と胸を張る若者
彼は彼女等は何を語っているのか
未来に胸をふくらませているのか
我が青春の日は遠く老いぬ
青葉は茂り夏の光がまぶしくさした
そして若者の熱気が息遣いを感じた
かくて夏の日は暮れぬ


dovestatio3.jpg



whitetulip4.jpg

eveningaobastreet5.jpg


クリック拡大



何か鉄道の駅は不思議である。高速道路の道の駅のとはあまりにも違っている。
それはなぜなのか?鉄道の歴史が長いということもある。明治時代から始まっているからである。
その中で人間は鉄道利用してきたからである。そこに人間のドラマがあり人間的なものは鉄道に付与されたのである。
そして駅も人間的な場所として長い間百年とかあいつづけたのである。なぜ鉄道は人間的なのかとなると車と比べるとわかる。道の駅だと何かそこに人間的なものは生まれない。
人が出会い人が別れそこに人間的なものの情が駅でも鉄道でも付与されたのである
道の駅と違うのはとにかく駅というのは短い時間であれ必ず電車がくるの駅でまず待つ。その待つことが人間的なものを生み出していたのである。それで忠犬ハチ公の物語が生まれたことでもわかる
それは鉄道の駅だからこそ生まれたのである。

なぜなら高速道路の道の駅なら待つということはないからである。そこで人の出会いとか別れもないのである。
ただ機能的なものとしてあれ一時トイレを利用したり食事をしたり買い物したりしてすぐに去ってゆくだけである。そこに待つ時間も別れを惜しむ時間もないのである。
この待つ時間は効率的に見れば無駄だとなる。でもその待つ時間が人間的なものを演出してきたのである。
人間は一見無駄に思えるものが実は無駄ではない。それが人間の特徴なのである。だから老子でも無用の用を説いたのである。

大都会でも空間でもビルに埋め尽くされたら窮屈になり圧迫されるのはそこに無用の空間がないからである。
全ての用あるものとして埋め尽くされたら人間は窮屈になり圧迫される苦しくなってしまう。
時間にしても効率を追求すれば人間は機械かロボットのようにされる。それは流れ作業の仕事などがそうである効率を追求を追求して行けば1分でも休ませてはいけないとなってしまうからである。
そうして人間は機械のようになりロボットのようにさせられることになったのである。
ともかく八重桜は前は三本くらい咲いていた。でもJRで切ってしまったのである。また近くの人が虫が来るということで切ってほしいということもあった。でも一本だけは残ったのである。

この八重桜は桜と違って何かほのぼのとして母の愛のような感じになる。だからこれまで私は家族がいるときは家族が待っていたから良かったのである。
今になると家族もみんな死んで誰も待ってる人もいない。駅前の自転車屋の人も死んだ。それもごく最近のことである。
自転車屋の人は駅前にあるから駅のことを何かと気にしていたのである。駅前の店とかは駅と一体になっていたのである
駅前の通りあり駅の中心になっていたからである。それが車社会になった時その役割を失ったのである。だから鉄道の使いかた乗り方すら知らない人がいたのである。それだけ鉄道は利用されなくなったということでもある。

ただ遠くに行くとき仙台となるとやはり鉄道を利用する。
仙台だと仙台の駅から青葉が茂るメインストリートがありその真ん中にチューリップが咲いていた。
そして若い人たちが盛んに歩いている。そこは若い人たちの熱気に溢れていた。今田舎になると原町などでわ5万とかの人口があっても通りを歩いている人を見かけない。
時々杖をついて歩いている老人を見かけるくらいなのである

町の通りを歩く人が稀である。みんな郊外のイオンとかのスーパーに車で来るからである。ただそのために相馬市でわイオンが閉鎖されて町全体が寂れたようになってしまったのである。
それも問題だと思った。イオンは大資本であり大きなビルを建てスーパーを作っても採算が取れないければ撤退してしまうからである。そのあとは空洞化して町全体が寂れたようになってしまうのである。
でも小さな商店はとてもスーパーにはかなわないし成り立たなくなったのである。
やはり仙台市とかには人が集まりさらに拡大してゆく。震災後原発事故でも帰って仙台市に人が集まるようになったのである。
そしてその周辺地帯は人口が減少してゆくという変化があったのである。

春から夏へ(雲雀、鶯、タンポポ、菖蒲)

春から夏へ(雲雀、鶯、タンポポ、菖蒲)

poorhouse1.jpg

今日も見ゆ鉢に菖蒲や貧の家



白波の寄せてひびくや朝雲雀
六号線喫茶店あり八重桜
朝歩む人に鶯鳴きにけり
今日も見ゆ鉢に菖蒲や貧の家

たちまちにタンポポの綿毛飛び散りて雲雀鳴く声朝に響きぬ

朝に海の方に言ったら白波が寄せて響いていた。
4月も終わりになりすでに夏になったようである。
たんぽぽの綿毛が満ちて散ってゆく。一斉にたんぽぽが咲いたがそれもちった。季節が移ってゆく。今度は連休であり夏になる。
すでに藤の花は咲き始めている。
川の土手を歩く人がいる。そこにウグイスがなくそれは何も変わった風景ではないが歩いているということで鶯のが歩く人で響くのである。

何か現在は歩くということが珍しいのである。みんな車であり車社会だから歩くということが珍しくなったのである。
でも歩くということは自然と一体化するのである。それが車となった時自然と一体化しないものとなったのである。
だから江戸時代の浮世絵などで歩いて旅している人を見るとそれは風景の中に溶け込んでいるのである。人間が歩いているとそれは絵になり不死にもなるのである

それだけ人間は今機械に左右されて本来の人間の姿を失ってしまったのである。ただ人間はどうしても便利なことを追求してきた。車なら風だろうが雨だろうは自然に左右されない。
それだけ便利なものだから手放せないようになるのである。
私は毎日朝に川の土手の道を自転車で走っている。でも私自身が歩いていないのである。それで山形市に行って歩いて足を悪く悪くした。

このように人間は今歩くことをしていないし歩く姿も見ない。街でも歩く人も見かけない。それで通りはシャッターとうりになったのである。何かそれが街を寂れさせたのである。
車だと駐車場もないし不便でありどうしても郊外のイオンとか行くようになるからである。それも車社会がそうさせたのである。

毎日市営住宅に入っている人の部屋を見ている。その人のことを知っているからである。そこにわずかな庭があり鉢に菖蒲がさいている。
それを毎日見ている。そこに住む女性は老人は私の家に常に来ているからである。
もしそうでなければその市営住宅に住んでいる人の女性のことなど関心がなかったろう。でも親しくしているからその住んでいる住宅でも見る目が違ったものになる。
でも知らなければ誰が住んでいるかも知らないし関心もないのであう。田舎でもそうなってしまうのである。
ともかく桜も散って夏になる、その季節の変化も早い。昨日は仙台市に行ってきた。そのことは次に書くことになる。


2023年04月28日

2023年04月27日

原発事故の多額の補償金が復興を阻害した (復興より補償金をもらうことことが第一になった)


原発事故の多額の補償金が復興を阻害した

(復興より補償金をもらうことことが第一になった)

●突然苦労しないで入った金は消失しやすい

突然入ってきた大金は身につかない。悪銭身につかずになる。
そういう例はいくらでもある。親の遺産を相続した場合などでもそうである。それも使いかたがわからず浪費してなくなってしまう場合が多い。その金は何か天から降ってきたような金でありあぶく銭でもある。苦労して得た金とは違うのである。
だからどうしてもなくなりやすいのである。有効に生かせないのである。それは自分自身でも親の遺産で経験しているのである。

この辺の原発事故でも多額の補償金を得た結果金銭感覚が狂った人がいたようである。もちろん補償金をもらう権利はあるしそれをとやかくは言わない。でもその補償金が返ってこの辺の復興をできなくなってしまったということもある。
その補償金も高額になるとそうなりやすかった。今まで手にしたことのないような大金が入ったことで金銭感覚が狂ってしまった。
その金を高価な車とか女遊びとかに費やされたようでもある。それでもしかしたらそのも大金もたちまちあぶく銭のように消えたのかもしれない。
補償金は必要でもそれがあまりにも大きなものとなって金銭感覚が狂ったともなる。それで故郷の復興とかより補償金をもらいそれで楽に暮らすという考えになったともなる。
というのはやはり避難区域の人で多額の補償金をもらってスポーツカーだとか女遊びだとか何かそういう復興のためというより浪費したというふうにも見えるからである。

●補償金も有効に使いなかった

だから今になってその補償金でも使い果たして苦しくなってしまったのかもしれない。何か大工さんでも仕事が欲しい。その人はいろいろなことができる才能ある人だから掃除とか家事手伝いとかそういうことで仕事をさせて欲しい。金も欲しいとなる。
そんなことで懸命に仕事をして金を得ようとしている。
でもその人のことは原発事故から十年くらいは音沙汰無しであった。その間に何をしていたかわからなかった。でもどうも補償金をもらったとしても使ってしまったのかもしれない。
それでなんとか働いて金を得ようとしているのかもしれない。
そのことは悪いことではない。自分の身ににつけた大工の技とかを活かして金を得ようとしているからである。

でもその補償金を浪費した人も多いだろう。補償金をもらうことは当然にしても額が多すぎたのかもしれない。もちろん少ないということででことでさらに要求してはいた。
結果として裁判で勝ったから避難区域の人は4人家族だったら1000万とかまた入ってきたのである。その額も大きいと思った。
私の地域では一人16万でありもともと少ない。 30キロ内たと原町だと3倍になっていたからである。今回の裁判でも買っても補償金は一人16万であり原町区は3倍の50万なのである。
その他相馬市とかでは8万くらいにしかならないのである。

おそらく補償金はもらうことは悪いことではないしその権利もあった。でも多すぎたのかとなったがそのために返って補償金を水増ししてもらうことが復興の目的にもなってしまたのである
とにかくなんとか金を得るための算段をしたかもしれない。もちろん放射能汚染とかいろいろな悪条件があり外に出ようとすることも分かる。

でも補償金が少なかったら外に出て家を建てたり簡単にできない。すると故郷に残ってなんとか苦しいがそこで生きる道を探すことになったかもしれない。もともと故郷に代々住んでいて愛着がある人が多いからである。農家だと先祖代々住んでいるからである。それでも多額の補償金をもらったとき故郷に住んでいるより他に移った方が良いとなり補償金を元にして仙台に移ったりして事業お起こして成功した人もいるのである。それは補償金の額学が大きかったからである。
でももし補償金がそんなに多いものでなかったらどうなったであろう

●補償金がかえって復興をさせないものにもなった

とにかく必ずしも原発事故の補償金がプラスに働いたともとは言えない。なぜなら補償金頼りになり自ら苦しくともなんとか故郷で生きようとすることがなくなった。
もちろん放射線被害などがあり住めなくなったということもある。でもいくら被害があってももし補償金がそんなに多いものでなかったら簡単に他に移り住むことは難しかった。
するとどうなるか?どうしても苦しくてもなんとかその場で生きる道を探していたかもしれない。それが多額の補償金でそんな苦労するしたくないとなり避難区域では移住した人が多いのである
でも何か今その補償金でも使い果たしてなくなった時なんとか金が欲しいから働かせてくれ何でもするから働かせてくれと来た人もいたのもやはり人間はそういうものなのだろう。人間はやはり金があれば働きたくない。金がなくなれば生きるためになんとかは働こうとするのである。だから人間は返って恵まれると堕落するのである。

それで双葉の人が鹿島区あたりでコンビニ強盗したと言うことをきいた。それは本当なのかと思ったが本当らしい。
双葉なら相当な補償金をもらったはずである。でおなぜ強盗までするようになったのか理解できなかった。でも補償金をギャンブルや女遊びなどに使ったことを聞いている。だからもしかしたらそうして金を使いすぎてなくなったのかもしれない。
だから補償金が必ずしも復興には繋がらなかったのである。
でも補償金は必要だったがそれが身の丈を越えて大きものになりすぎたのかもしれない。そして復興とはどれだけ補償金をもらうのか水増しさせるのかなになったのであるのである。

人間とはやはりいくら金をつぎ込んでも必ずしもいい方向に向かうとは限らない。かえって悪い方向に向かったということもある。その例が水俣病被害者にあった
そこでも補償金をもらうことが第1の闘争結果的にその地域は荒廃してしまったのである。
結局人間は楽を求める、苦労するにしても強いられてする。
でもその楽をすることが必ずしもいい方に働かないのである。
そこに人間の普遍的な問題があったのである。
ただこの辺では南相馬市でも30キロ内は原町区などはもらった。鹿島区だと30キロから外れたから少なかった、それでもやはり避難区域は多額だった。でもそれだけの被害があったのだからそれをとやかく言えない、結果的に補償金がみんなよく働いっとはならなかったろう。その額が問題だったのである。
それで金銭感覚が狂ってしまったことは言える

●少子高齢化社会も復興できない要因になった

もう一つの大きな要因は少子高齢化社会にあった。家に来た大工さんにしても70にもなるとしたらきつい仕事はできない、でも軽い仕事なら一日三時間くらいならできる。家事手伝いととか軽い仕事ならできる。
もしその人が若かったら運搬の車が欲しいとなっても利益を上げられるから投資することもありうる。
でも老人の場合は未来がないからできないのである。花の木を植えるにしても十年後に花が咲くとなると庭に飢えたくないのである。花がすでに咲いたにを見たいのである。それだけに待つ時間がないのである。
復興にしても津波の被害で喪失した松を植えても成長するのに50年とかかかるのである。
そこに復興のむずかしさがあったのである。
日本が停滞して衰退したのも失われた30年があったためである。何ら有効な手を打てないままに30年が過ぎてしまったのである。この30年は長かったのである。その時間の損失は簡単い取り戻せないのである。

コンビニ強盗で逮捕されたのは、南相馬市鹿島区の会社員・小松 悟容疑者(35)。

水俣病は政治によって、行政によって、企業によって、さまざまなかたちでの分断を生みだされてきた。現在も水俣でこそ、水俣病を語ることはときに難しく、口をつぐむ人もいる。水俣病によって起きた、地域の分断に対して、水俣では「もやい直し」という取り組みもおこなわれている。水俣病によってばらばらになってしまった地域のつながりを結びなおそうという取り組みだ

水俣の現状――生活支援と訴訟からみえる水俣の課題

「震災バブルの怪物たち」を読んで

補償金で原発避難区域はモラルが崩壊した

posted by 天華 at 17:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2023年04月25日

家との格闘がつづく―断捨離は不可欠 (家は物理、化学、地質学ー文系的には歴史、心とも関係)


家との格闘がつづく―断捨離は不可欠

(家は物理、化学、地質学ー文系的には歴史、心とも関係)

●家は総合的学問の対象

親が介護になってその後死んでそれから一人で家のことをなんでもやるようになって家との格闘は続いた。
家というのは家自体が建築物でありそれを客観的に見れば理系から見れば物理学であり化学であり地質学でもある。
なぜなら大地震で2回も家が損傷した。家の構造が物理学であり耐震設計も物理が関係している。
それから地質学も関係している。それぞれの家が建っている場所がもともとどういう場所だったのか知る必要がある。
そこがもともと沼だったり湿地帯だったりするとその地盤は軟弱になる。私の家は街の中で一番低い場所にある。そのために2回も床上浸水になり苦しんだ。

今でも二年前なのか下水から水が溢れて家の中に入り被害があった。それは低い場所だから水が流れ込んでくるのである。水というのは低い場所に流れ集まる。それも科学の法則である。
津波でも低い場所に海の水は流れこんだ。日頃はそうした土地の高低をにしないが一旦水害とかになるとその土地の高低明確に現れるのである。
化学というのも関係ないようで関係ある
家というのは湿気がこもったりするから乾燥するとか壁でも今は化学薬品を使っていてそれを簡単に捨てられないという
それは遠い島に捨てるほかないと言う。これは化学の問題なのである。
こうして物理学。化学。地質学など理系的なものも基礎的に関係している。基本的には家を物質的なものとしてみれば理系的なものが関係している。

●文系的にみる家(家族の歴史など)

でも文系的なものも実は家に関係している。そのことを親が家族がみんな死んで語ってきた。家には長い間家族が共に暮らしたから死んでも簡単に消えるということはない。
家には死者が死者の霊が取り憑いているという感覚にもなる。
ものが憑くということはものというのは理系的なものとして物質としてだけあるのではない。仏教的考えでは色心不二があり色はものであり物と心は一体だということを示している。
家はただ物体としてあるのではない。そこに人間が長く暮らしたことでものに憑く心がそこに入り人間化しているものにもなる。
だから廃墟化した家には幽霊が住み着いているという感覚になる。

ともかく家にはただものとしてだけでなくその土地であれ家族であれ営みがあり歴史が作られたのである。
必ずそれぞれの家には物語があり歴史がある。そのことを私は二代目であっても父のこととか母のことで語ってきたのである。
なぜこの土地に私の家がたったのか建てられたのかそのことを語ってきた。それは私の父親は葛尾村から今の双葉町の新山の酒屋がありそこに丁稚奉公していた。
それから暖簾分けしてこの地に店を構えて酒屋をしていたのである。そこでこの土地を買いここに定着したのである。
こういうことはどこでもある。農家のように代々定着しているとは限らないからである。
ただ歴史的に古い家がある。この辺では只野氏がそうである。。それは南北朝に由来して霊山から落ち延びた子孫なのである。その一族がこの辺りに住んで子孫を増やしたからである。
こうして一つの土地でもそれだけ古くから代々住んでいる人がいるのである。でも他から移住した人もまた多い。特に相馬藩でわ越中からなどの移民が1/3くらい天明の飢饉などのために移住してきたのである。それが相馬藩の大きな特徴でもある。

●整理整頓して断捨離して快適になる―本は整理しにくい

ともかく家というものにはさまざまな要素があり学ぶものがある。それは総合的な学問の対象でもある。そのことは小さな郷土でも地域でもあれそこは複雑に歴史もあり地質学的にも違った場所であり学問の対象となる。学校では教科書だけが問題になり現実に生きている家とか郷土とか故郷とか学問の基本としてあることを知るべきだとなる。
そういうことは返って農家の出身だとおのずと身をもって知ることになる。それは土地と一体化しているのが農家だからである。

でも今は田舎に住んでも農家は少ない。確かに田畑が囲んでいても現実農業を仕事にしている人は1割にも満たないのである。あとは会社員であり農業以外の仕事をしている人なのである。そのために田舎に住んでいてもその田舎のことを自然でも基本的に知らないということがある。
昔は家業というものはあり家と仕事は一体であった。・・・屋というのは会社名と同じだったのである。人は皆その何々屋に属して勤めていたとなる。
それが会社となると大きくなりなかなか理解しにくいものになったのである

ともかく家の整理整頓する。終活することにも通じていた。
いらないものを捨てる。なるべくものを減らして身軽になると快適になる。人間は無駄なものをあまりに多く持っている。
ものを減らすことによって何か身辺がさっぱりして気持ち良くなった。私はだらしないのでそれを第三者が入ってきて整理して掃除してくれたことで整理整頓はできた。断捨離できたとなる。
ただ本は散らかったままであり整理できない。捨てることも出来ない。それで一番困っている。本というのはなかなか読んでも理解できない。でも年をとると理解力が深まり難しい本でもわかることがある。つまり本を理解するということはそれだけの時間がかかるということにもなる。

だから人間が残すものは何かとなると確かに本というものお残せばその人のことを記憶する。不思議なのはこの年になると30年前頃に買った本を読むと実際はその著者は死んでいるのである。
ということは著者とは一度も会っていない。ただ本を通じてその人と逢っているということになる。
それは千年前の人であっても本が残っていればその本を通じてその人を知りその人と合っているとなる。なぜならそうして死んでしてしまった人とは会うこともないしたとえ現代に生きている人でも直接会えるということはなかなかないからである。そして人間は何を残すのかとなれば必殺の一冊の本なのかもしれないとなる。その本すら残せないのは大多数なのである。

●家の広さなど家の影響は大きい

とにかく家というのはさまざまな要素があり家から学ぶものは相当にある。人間と家であれその土地であれ一体化してアイデンティティ化する。でも市営住宅のような狭い場所だとそこは一軒の家でもないから何か存在感がないのである。
ただ家にしても最後は人は死ぬのだからどんなところに住んでも仮の宿ということには変わりはないかもしれない。
ただ八畳間の広い部屋に寝ると何か眠りやすいのである。今までは六畳間に住んでいたから圧迫されるような感覚になっていた。天井も低かったからである。
やはりこうして部屋の広さとかは精神に影響するのである。

日本人の家は狭すぎるのであるそのために茶室のようなものができた。そんな狭いところでお茶を飲み親密になる。それもまた日本の文化なのだがやはり広い家を持てないということでそうなったとも言える。
ともかく人間は環境が影響する環境の影響が大きいのである。
どんな場所に生きるのかどんな家族と生きるのかどんな家に住むのかどんな時代に生きるのかそういうことでその人の感覚まで影響してくる。広い家に広い部屋に住んでいれば心も広くなるともなる。狭い家に住んでいれば心も狭くなるともなる。
だから家の影響や家族の影響やその土地の影響は計り知れないほど大きいともなる。その環境が人間を作るとまでなるのである

2023年04月23日

花爛漫霞城の詩―山形市の歴史をたどる


花爛漫霞城の詩―山形市の歴史をたどる

fushimijyoumap.jpg


yamagatajyousakura.jpg

伏見城に伊達政宗の屋敷と最上氏の屋敷があり並んである、最上通りとあるのも存在感があったからだろう

秀陸伏伊市月残優一桜堀城桜 桜
吉奥見達中山雪艶本不巡門花 花
承大城併往秀峰姫枝尽城石爛 爛
認藩下存時麗々一垂万内垣漫 漫
日英威最栄神屏服桜来広高霞 霞
本雄振上地妙風茶長客大花城 城
春有也大名美映献哉満也影入  



花爛漫霞城

彼方山形へ電車は一路走る
残雪の峰々を望み海走る
面白山の長いトンネルを抜けて
山寺へ山形へ入り霞む残雪の連峰
若草は映え桜の盛りに
花爛漫や山形城(霞城)入る
その堀長く囲み平城の大なり
その内城の広々として往時の栄を偲ぶ
天下を制す秀吉の時代伏見城下に
伊達60万石と最上57万石の屋敷
相並び陸奥の威勢を示すかな
三日町六日町七日町八日町十日町旅籠町・・。
城下に商人集い市は立つ
最上川の水運ありて紅花の京都に運び売る
その栄いし時や今桜は盛りに錦かな
月山のなお雪厚しや美秀神霊の宿る山
春の霞に浮かび花に覆われ花に良い夢心地かな
一木城内に枝垂桜の古木や優艶に
ここに陸奥の広くも一国あり栄えぬ
伊達と並びて栄しものちに跡目争いに小藩となる
これもまた世の習いや悲しも往時の堺栄いを偲び
城主は度々変わり商人の街として栄えぬ
また湯殿山などの信仰の宿場として人を集めぬ
我は仙台をまわり相馬に帰りけるかな

山形県の歴史は何か明確な特徴がない、それは確かに最上義光の時に57万石に統一したがあとは跡目争いがあり分裂して小藩になった、また他藩の領主が治め幕府領ぬなり一貫した歴史が築けなかった、そこが伊達氏とか会津とかと違って何か歴史が一貫したものとして形成されなかった。
相馬氏は一貫して相馬藩を維持して代々相馬氏が治めた、それで相馬藩政記は外部のものでも参考にしている
最上義光の騎馬像があっても伊達政宗のような存在感はなかったとなる。

ただ城跡は長い堀に囲まれている。その城内広いからやはり57万石の大藩だったと感じる。
でも実際は城下町というよりは商業都市であり武家の城下町という感じではなかった。だからこそ市が立ちそれが城の周りに地名化したのである。
その主な商品が紅花であり最上川を通じて京都に運ばれたのである。
それから月山とか湯殿山参りの宿場町にもなっていあた
なぜなら本当に東北のいたるところに湯殿山の碑wあるからである。なぜこんなに多いのかとなる。湯殿山は湯治にも農民が村の仲間と行った、そこで日ごろの労働と苦労を癒す場になっていたのである。それは東北全体にありそれだけ湯殿山は信仰の場にもなっていた。

語られぬ 湯殿にぬらす 袂かな 芭蕉

この句でも不思議なのはみちのくを旅してそこに住む人たちの心に通じていたことである。奥の細道の魅力は東北という地域に深く一体化したことである。それが一度の旅で成しえたことの謎がある。旅をしても今でもこれだけ交通が発達してもその土地と一体化できないからである。車の旅だとただ通りすぎるだけにもなるからである。
おそらくかえって交通が不便だからこそその土地と一体化したともなる。そこに逆説がある。現代の旅はあまりにも交通が便利になったかえってその土地土地のことが深く感じれなくなったのである。

2023年04月20日

大人になっても知的興味を持ち遊べる人に (退職者またはブルカラーの老後の生きがい喪失)


大人になっても知的興味を持ち遊べる人に

(退職者またはブルカラーの老後の生きがい喪失)

●退職すると生きがいを失う問題

精神科では、今まで仕事が生きがいだった人が、定年退職を迎え、何もすることがなくなり、アルコール依存症になったり、認知症になったりするケースは非常に多いです。仕事をリタイアしても、別のことを見つけて体や脳を使うことが大事です」

高齢化社会の問題はいろいろある。経済的に苦しいというのが一番の問題である。でもその他にどうして老後を過ごすのか
退職すると何かすることもなく生きがいを喪失する。
会社のように仲間もいなくなる。でも地域社会で何か認められるかというと認められない。昔のような村社会ではない。農民社会ではない。だから会社が一番のアイデンティティの場所だった
それから切り離されることは自分のアイデンティティーの場所を仲間でも失うことになる。そして60くらいで退職してもその先が長いのである。昔なら60代くらいで死んでいたから何をするかなど考える必要もなかった。その前に死んでいたからである。

つまり高齢化社会とは人生が会社人生であり仕事人生があるがもう一つ第3の人生がある。それは長い老後は生まれたと言う事である。その用意もされていないのである。
特に肉体系のブルーカラー系統は仕事を辞めるともののけの殻のようになってしまう。頭を使う活動をしてきていないからである。
だからといってその人が知的に劣っているとは思えない。なぜなら大工であり庭師である人はその方面で知識的に詳しいからである。ただ問題はその知識が確実に実用的なものであり金を稼ぐということと結びついている。
それで金にならないものはしない無駄だとなる。
その人は肉体労働者でもいろいろな知識を持っている。ただ違うのはそれは実用的なものであり金を稼げるものとしての知識なのである。だから金にならないものはやらないし無駄だとなる。

●スコーレ(学校ー暇)の意味を問う

でも高齢化社会で金の問題と同時にどうして余暇を充実して過ごすかということが結構大きな問題となっている。
ただその人は熟年離婚して意気消沈してしまった。何か常に妻と共にあり仕事もしていたしそれでこのような問題はお来ていなかった。話し相手もいたし共同する人もいたからである。
でも妻が死んだり離婚したりした人は近くでも一人でいられない。寂しいから話し相手になってくれと近くの親しい女性に毎日のように電話をしてくる。でもその女性は病気になったり金もくれないケチだとしてその男性の家にも行かなくなった。ただ不思議なのは電話のやり取りだけは依然としているのである。でもその男性の家に行くことはないのである。
金もないことも大問題だがこの老後の長い時間どう過ごすか充実して過ごせるのかとなる。
人間の問題としてもともと暇がありその時間をどういうふうに過ごすかは歴史的にもあった。ローマ帝国はパンとサーカスになった。大衆は暇を持て余してそうなったのである。
残酷な剣闘士の戦いも見世物になったのである。それは気晴らしであれ暇つぶしでもあった。スポーツの語源はそもそも気晴らしでもあったからである。

そしてなぜ学問が生まれたのか。学校という言葉がスクールはスコーレ(暇)の語源になっていることでもわかる
人間が労働ばかりするのではなく暇が生まれた時そこに学問も芸術でも生まれたとなる。学校とはスクールで暇な人がいかに暇を有効に利用することは学ぶ場だったとにもなったということにもなる。
でも今の学校はそういうものではない。実業の学校であり試験勉強のための学校であり暇を生かす学校になっていない。
そこでは常に競争に追われむしろ自由な暇な時間など持てないのである。ただ不思議なのは大学に入ると文系は特に遊びになっていたということがある。それで暇を持て余して何もすることがなく学生運動とか麻雀とかギャンブルに興じて大学を終わった人もいる。それも実は暇を有効に生かせないためにそうなったのである。大学四年間は自由時間でありまさにスコーレの時間だったのである。
遊ぶという時ギャンブルのようなものではなく自由な旅をしたりその人なりの知的探索をしたりとすることはあった。

●高齢化社会は若い時からの教育でも見直すべき

老後でもやはり再びスコーレの時間にが与えられたともなる。
遊びの時間が与えられたともなる。でもそれを有効に活かせない。しきりに私にどうしていいかなどと問われても答えられない。その人は仕事一筋に生きてきた人だからである。それは肉体労働系でわ知的探求というものをしていないから暇になってどうしていいか分からなくなっているとなる
でもその人が知的に劣っているとは言えない。これまでしてきた仕事には知識には詳しいしそれは実用的であり金を稼ぐ者として身につけてきたのである。
でもそこに足りないものはスコーレどうしてまだ遊びとして生きることができないことである。子供ならその全体が利益を得るためでなく遊びとしてあるあった。でも大人になれば常に利益が優先され金から一瞬たりとも離れられないとまでなっている。金にならないことは無用なことであり無駄なことであり価値のないことでありそんなことをしても何になるのかとなる

しかし老後に必要なのは逆にこのスコーレをいかに生かすかまたは遊びをすることが大事になる。遊びには趣味もある。趣味でもカメラなどまいからやってる人は老後でも継続するから充実した時間を過ごせるとなる
とにかく高齢化社会の問題に対処することはうまく出来ていない。その理由は人間というものをただ働くこと金を稼ぐことそのことばかりに価値を置きすぎたためでもある
もっとスコーレを活かす遊びを生かす人生を価値あるものとすべきともなる。ただこれを受け入れることは簡単にはできない。遊んで暮らせるのかとかなり反発されるからである
そんな余裕もないという老人も多い。でもまたやはりスコーレを持て余す老人も多いのである。遊びとは遊ばせれとるとか神聖なものとしてもともとあった。遊びに金が絡んだり利益が絡むと本来の遊ぶこと聖なるもの遊びが汚されるて失われるのである。
チンパンジーが数遊びに熱中していたが褒美としてバナナをやったらそのバナナを得ることに関心が向けられ数遊びに熱中しなかったということもそうである。褒美のために遊びをするということは本来の目的が弱められるのである。

●生きがい喪失が認知症になる怖さ

私の家族で2人の女性を親とも言える人を見ていた。一人は公務員を退職してから何もする気がなくなった。怠け者になりテレビを見ているくらいだった。趣味のようなことをちょっとやっていたがそもそもそれは会っていないものだった。才能もなかったのである。ただ付き合いでしていたみたいである。
もう一人のの親はクソ真面目であり花などいらないといい豆を庭に植えるといっていた。これも異常でありその理由がやはり若い時から働き詰めであり何か金を稼ぐ以外のことを無駄なものとして育てられたためである。それには同情するがやはり人間として異常だったとも見る。
でも不思議なのはこうしては何も金を稼ぐとか働くこと以外関心もない女性が94歳頃まで台所で家事をしてきたそして百歳で死んだのである。95歳ころから認知症になった

もうひとりの親は83歳頃ひどい認知症になり死んだ。それは悲惨なことだった。その理由の一つが明らかに公務員を退職してから何もする気がなくなった。
それが大きな影響があったことは確かである。
家での生きがいもないただ漠然と呆然と生を伸ばしていただけだったのかもしれない。この2人の親の対照的に見るときいかに認知症というのはその原因がやはり家の中であれ役割を失い生きがいを失う時に起きてくるのかもしれない。
嫁が姑に何もしないでいいですからテレビでも見てくださいと言われるとボケてしまうというのも本当だと思う
一見優しいようでもそれは人間をボケさせる認知症にさせるものでもあった。人間には男性にしろ女性にしろやはり役割を持ち生きがいを持ち生きることが必要だからである

●大人になっても遊べる人になるべき

子供の時は遊ぶ仲間をさがしていた
そこに利益を求めない
ただ純粋に遊びたいだけ
大人になると人間関係にすべて金が介在する
金なしではなにも動かない
遊ぶことでも金が介在する
死ぬまで金から解放されない
それで純粋に子供のように遊びたい
でもそんな人はもういない
遊びとは無心だからできる
功利的なものはそこにない
子供は無邪気に満面笑い遊ぶ
その時幸せだった
その日はもうかえってこない、、、、

大人になっても遊ぶことはできる。遊行聖とか雲水とか自由な旅をした、風のように雲のように自由にいずことなく旅をする、そういうことに憧れる、一方で宗教でもひたすら真面目に働くことが奨励された。その方が一般的である。
キリスト教でも勤勉の宗教だからである。禅宗でも一日成さずば食わずとかありやはり人間はそもそも働かねば食料も得られないのだからそれが普通だとなる
遊ぶ人は反社会的存在になる。高度成長時代から働かなかった自分は反社会的存在だったとなる。
でも今なぜ遊ぶことが奨励され糞真面目に働く人がかえって拒否されるのも不思議である。アリとキリギリスがいて今キリギリスが良しとされるのも価値観が変わったからだとなる

高齢化社会は働くだけのアリより歌うキリギリスになれとしているのである。そこに価値観の逆転が生まれたのである。
自分のしてきたことは遊びだたともなる。理系だと実用に結び付くが文系は実用に結びつきにくいからそうなる。
でも文系的なものも人間には必要だということである。老後に特に文系的なものが必要になる、ただ文系的なものは実用とならず金になりにくいそれで価値が低くなっていたのである。
それも見直すべきでありスコーレの意味を知るべきだとなる。

2023年04月19日

桜も散り季節が変わり装いを新たにする (タンポポ、椿、八重桜、牡丹、雲雀など)


桜も散り季節が変わり装いを新たにする

(タンポポ、椿、八重桜、牡丹、雲雀など)


yaezakurariversideway.jpg


クリック拡大で鮮明に

botanntubaki11.jpg


wasurenakusa1.jpg


忘れな草




タンポポを踏みて犬散歩

ますぐなる道にタンポポ絶えず咲き朝の海に出て沖に船見ゆ
タンポポの空地に広く咲き充ちぬ朝に雲雀の鳴く声ひびく
八重桜タンポポ眩し土手の道芽吹きし木々の風にそよぎぬ
様々の花を植えたり我が庭に余生ここに楽しむべしかな
我が庭に咲き続けたる牡丹かななお栄えむと咲き続けなむ
咲きつづく牡丹や朝日に眩ゆしや心置きなく咲きて散るらむ
あらたにそ牡丹植えてそ咲くを待つ咲くとかぎらじも我が待ちにけり
地味なれや忘れな草の庭に植えとなり明るくさくら草咲く
庭の奥白椿咲きひそか散る我のみ見つつ部屋にこもりぬ

桜がみんな散った、次に咲くのが八重桜である、これは落ち着いて咲く花である。ほのぼのとして咲く花である。桜は咲いても常に散ること予感させる、だから静心なく咲く花なのである。
その花が咲く道を今日も行く、土手にタンポポが眩しい、犬がそのタンポポを踏んで散歩する、それは平和な光景である

牡丹も庭に咲き続ける、20年なのか30年なのかわからない、そんなに長く咲き続けるものなのか、その不思議がある、場所がマッチしたのだろう。牡丹はやはり栄の象徴の花である。
花の王者である。

そしてこの花のように心置きなく咲いて散る、その生を全うする、そうなるにはやはり長生きしなければならない、早世する天才もいるが普通の人でも長寿の」時代は才能が開花するともなる
心置きなく咲き散っていく、西行の辞世の歌が

願わくは花の下にて春死なんその如月の望月の頃

「望月の頃」なので「陰暦2月15日」。今の暦では3月の後半にあたります。まさに桜が満開の時期ですね。

満願かなってこの日に死んだ、心おきなく死んだのである
こんな風に死ねたことは桜を歌い続けて実生活でもそのとうりななったというなはやはり人間の詩も実はその一生の反映としてあるかそうなる。生きざまが死にざまにもなるからそうなる。
ここに死にたいする恐れもなくただ和やかなかな春の満月が照らしているだけである、安らかな死があるのみである。
死は実際は断末魔の形相ともなりそんな安らかに死ねないからである。だからこれは例外的となる死である。

ともかく家と庭でも新しくしたことは良かった、ただまだリホームする場所がありそれでまた仕事が終わらないのである。
家のことを整理するのが大変なのである。捨てるべきもの捨て身軽にする必要がある。ただ本などでも簡単にすてられないから困るのである。良書は不思議に何回読んでもあきない、何か新しい発見がある、結局読書はその人の読む方で相当に理解力がないと
ただ一方的になるだけである。
つまり自分の文脈のなかで引用するようになるとただ一方的読む読まされるとはならないのである。
とにかき知的作業には自分の書斎なり城を持つことが不可欠である。そして庭があるとそこから自然にじかにふれられるからいいのである。
もし大きな庭があり散策できるなら最高である、それは相当な金持ちでないとできない、田舎だと散策は外ですればいいとなる。
今の季節は最高だからである。





2023年04月18日

なぜ栄える家があり栄えない家があるのか (家族に争いがあり離婚したり協力しないと栄えない)


なぜ栄える家があり栄えない家があるのか

(家族に争いがあり離婚したり協力しないと栄えない)

養子は家に外からエネルギーを持ってくるという役目を持っています。優れた商人は、養子の続いた家系から出ている例が多いといわれています

先祖の因縁が子に報う

なぜ栄える家があり栄えない家があるのか、それも謎である。
その家に必ずしも優秀な人がいて栄えるのか、養子の方が優秀だから跡継がせて栄えることはある。家が血縁から結ばれて栄えるとはならない、その家はなぜ栄えなかったのか?
その家の両親はまれにみるいい人であり正直でありとてもその子がふしだらな息子を生むなどまた育つことなど考えられない人だった。だから親のせいでも先祖のせいでもないとなる。

たた先祖がどういう人だったかはわからない、親をみればもともと栄えていい家だったのである。これも不可解でありわからない、間違いなく家が家族で争っていると栄えない、例え有能な人がいたとしても栄えない、これだけは確かである。
母の実家は後妻を迎えたりそれも妻が生きている時そうなった
それも病気だったからやむをえないという事情もあった。でも家族のまとまりはなくなった。原因は一つでないにしろ不和分裂の家でありそのことが子孫にも影響した、それでやはり子孫も不和分裂して付き合いも絶えた。墓はあったが長男が墓を守ってくれと数百万を残してめい子とかに残したが墓でも守れないでその跡は絶えるとなる。
家族でもどうしても離婚だとか争いがある家は栄えにくい、協力できないから栄えにくいとなる。

山形県の最上家は優秀な最上義光がいて興隆して57万石の大藩になった。でもその跡目争いで混乱して石高も数万とかになり衰退した。これも一族が不和分裂になったためである
こうして大きな藩でも争いがあると栄いないのである
徳川家が3百年も続いたのはやはり跡目争いがなく継続できたためだともなる。国でも不和分裂になれば栄えないことたしかである。明治維新でも国内が激しい内戦になったら外国人が入ってきてもとまらなくなりのっとられるとなった
比較的内戦でもそれほど大きくならずに治めたので国がまとまり日本は植民地にならずにすんだともなる。
確かなことは家であれ国であれ一致協力しないかぎり栄えることはない、ただ栄える条件にしても一つではない複合的理由がある
それは国でも家族でもそうである。犯罪でも一つの理由で起こることはない。

この辺で原発事故で衰退したけどそれまでは原発の恩恵で栄えたということもある。だから小高の呉服屋で大きな庭がありその手入れで一年で40万の仕事になっていたこと庭師の人に聞いたからである。
もしかしたら原発関係で金が入った人がいたからかもしれな、この辺でも漁業関係者が火力発電所で補償金が入り高価な着物が売れたと聞いたからである。それだけではない高度成長時代にはそういうことが全国的にあった時代だからである
でもその庭の手入れの仕事もなくなったという、それは持ち主が病気になって空家になったためである。
小高とかでは浪江とかでは原発で裕福になった人がいただろう。
それも街自体がゴーストタウンのようになったときその富は失われたのである。町全体が空家化して個々の家の価値もなくなってしまったのである。
こうして栄えた町でも一気に衰退してしまったのである。

国が栄えて地域が栄えて個々の家も家族も栄える、栄える原因はとても一個の家とか一個人では栄えることはできないのである。
いろいろな要因が重なって栄える家が生まれるからである。
私の庭に咲き続けている牡丹は不思議である、肥料もやらないのに水もたいしてやらないのに今年も二輪咲いたのである。この牡丹は二十数年なのか咲き続けている不思議がある
理由は乾燥していて水はけがいい土地を好むためなのかとなる。
土地にあったため咲き続けている。それは偶然でもあったとなる。

我が庭に咲き続けたる牡丹かななお栄えむと咲き続けなむ



2023年04月17日

最後に人間は自らに問う (自分の人生は何だったのだろうと、、、庶民でも誰でも)


最後に人間は自らに問う

(自分の人生は何だったのだろうと、、、庶民でも誰でも)

また大工さんが来て庭の手入れとか掃除とかしてくれた。それで手間賃を与えた。それで満足して終わりだと思ったが
意外と俺は何のために生きてきたのかと問いかける。
普通は現場で働く人は肉体系はそんなことを考えないと思った。なぜならなぜ稼ぐことが第一でありそんなことを考えるのは知識人だと思っていた。
私は知識を追求してきた知識人だから哲学というのを一つの追求テーマになる。そういう本も読んできた。
でもその人は現場で働く人であり本などほとんど読んでいないのである。でも人間というのは最後になって老人になって私は何で生きてきたのだろうと問うのである。それは知識人だけのことではないのである。

私の姉は最後まで従軍看護婦としてマレーシアのシンガポールの向かいのジョホールバルで働き辛酸をなめた
それは20代で青春の盛りでありその4年間を戦場でで従軍看護婦として必死で働いたから死ぬまで忘れることは無かった。
死ぬ直前までもその従軍看護婦として働いたことを言い続けうなされて死んだ。それだけその経験はあまりにも強烈でありそれも青春の真っ盛りでそうなったから一生忘れることができなかったのである。
その後も最後にしきりに家を建てたことを自慢していた。
柱のことでもこの柱は同級生のキコリが自らその木材を取って使ったものだと自慢していたのである。
姉は父親が死んでから父親代わりになったのである。男勝りであり気が強くて家を支えたのである。母は繊細な人であり体も細身であり一人ではとても家を守れなかった。ただ母もこの家のために尽くしたのである。だから私も働いた認めてくれと最後はやはり言っていたのである。
私はそのことは言われることもなく体でわかっているから介護に尽くしたのである。だから別に知識人でなくても人間は最後に自らに問う。なんで生きてきたのか。何のために生きてきたのか。自分の人生とは何であったのかと自らに東洋になるとうようになる。

だからこれは別に肉体労働者だからとかなんか職業が違っているからではない。人間は最後に自らにその生きてきたことの意味を問うのである。
それで原発事故で漁師は特に船主などは事故前でも事故後でも充分なをもらっていた。だから生活に対する不安もなく暮らしていたのである。
でもその漁師でもなぜ私は港にいるのだろうと自らに問うていたのである。で生活には困らない。でも何のためにここにいて港にいるのだろうとなるなったのである。
おそらく別に原発事故がなくて漁師をしていたら魚をとり魚を売るそれで地域のためにもみんなのためにも働いているとなっていたから何のために働いているのかなどあまり考えることもなかっただろうと思う。
人間とはやはり人生の最後に自らの人生の意味を問う存在だということである。でも実際はガテン系というか肉体労働者だとそんなにそんなこと考えないだろう。ただ家族を養うためとか何か立派な家を建てるとかいい車を買うとか自分を自慢したいとか働く動機となっているなっていた。

でも確かに金を稼ぐということが第一目標である。でもそれほど最後に金にこだわらないということにもなる。もちろん今の時代老後のお金で苦しんでる人が多いのだから金は必要である
でも必ずその反面人は最後に自らの人生の意義を問うのである。それはいろいろ哲学があり哲学者がいてもそれが一見ガテン系とか肉体労働者とか庶民でも関係ないようでも人間である限りやはり人生の意味を問うのである
でも大概人間の価値は金で測られる。大工さんでも職人でも働いた分の金おいてそれで終わる。それ以上のものを得られることは無い。でも実は金だけではない自らの仕事に対して価値与えてもらいたいのである。だから人間の価値はすべて金ではかり終わるとはならない。
でわ金で測れない価値とは何なのか。それが実際は最後に問われる問題なのである。その仕事の人生の意味は何であったのかを問うのである。でもそれは金で計れないものだから簡単に言えないのである。金のように測れないとなるのである。でも最後にその意味を求めるのである。

しかし人は最初にその働く意味を価値を求めて働くべきなのだがそうしない。まず金を求めて働くのである働かされるのである。
だから最後になりその働く意味をとうことになる。
ただ金に追われて働くだけだともなってしまうのである。
戦争にしても三百万人も死んだのに何で戦争したのかもわからなくなっていることでもそうである。
いずれにしろ最後にどんな人でも別に知識人でなくても一般庶民でもみんなは自分の人生は価値ある意味あるものだったとしたいのである。それは別に特別な人のことではない。
知識人だけのことではない。ここは特殊な事情で原発事情などでふるさと消失したことなどで余計に自分の人生はなんだったのだろうと振り返ることになったのかもしれない。

でもあらゆる人が人生の最後にわ自分の人生は一体なんだったのだろうと自らに問う。それはなかなか一概には言えない。社会の中での価値があり地域の中での価値があり家族の中で価値があり個々人の中で価値がありとあり価値というのは多様だからである。
そして価値は変化するからである。でもその人は家族から一人離れて離婚して暮らすようになってそんなことを考えるようになったのかもしれない。つまり津波や原発事故で家を失い家族も離散して離婚もして一人取り残されてそうなったのかもしれない。
それはこの辺の特殊な事情でそうなった。ふるさとでも働き尽くしてきたのにふるさとがもう元の故郷に戻らないということもある。だから今度はその人の価値は大工とか庭師とかいろいろしてきたことに価値があるとなる。その技を若い時から磨いてきてそれが最後にも役立っているということである。

だから人間は若い時から価値あることをしていないと積み重ねていないと最後に私の人生はなんであったのだろう問う時その意味と価値を見え出せないということもある。
でも現実はただ金を求めて日々の生活のために追われそんな意味などを問わないのである
人間は逆になっているのである。若き日に神を求めよ神を知れなのだが実際は若き日に飲めや歌やであり享楽に走りまた欲望に走り結婚して家族を持てばその家族のためにとにかく稼がねばならないとなり意味とか価値と関係なく働くのが普通なのである
でもそうしても最後に俺の人生は何だったのだろうとどんな人でも別に哲学の本など一冊も読まなくてもそうなのである。
それは私の家族でも本など読んでいないのである。でも私の人生はなんだったのか私は働いた私は価値ある存在だった私の価値を認めて欲しいと切に訴えるのである。だから人間というのは誰でも価値と意味を求める存在なのである。
それは学問があるとか知識人とかとか関係ないのである。

ニーチェなど庶民と関係ないようであった。

もろもろの価値の根源は人間である、人間がおのれを維持するために、それらの価値を諸事物に付与したのである、人間が先でそれが諸事物に、意義、人間的意義を創り与えたのだ、それ故に彼みずからを「人間」すなわち「評価する者」と呼ぶのである

自然でも多様である。自然は物資として資材としても人間に活用される。もうひとつの側面として精神的なものとして人間が価値づける。それは文系の仕事になる。また美としての価値があり芸術になる。エデンの園であらゆるものに名前を付けることが最初の仕事だったというのもそうである。名づけることは意味と価値を与えることだったからである。

2023年04月15日

岸田首相テロ事件の犯人は引きこもりだったのか (引きこもりは社会から孤立化するから危険)

岸田首相テロ事件の犯人は引きこもりだったのか

(引きこもりは社会から孤立化するから危険)

山上の場合は動機がわかりやすかった。カルト宗教に親がはまりそのために自分の未来まで奪われた。
その恨みが統一教会に向い関わった安倍首相は狙われたのである。
そこでカルト宗教の問題が浮き彫りにされたのである。それは社会的効果がかなりあり英雄にされたのである。今回のテロはまだ動機などがよくわからない。だから何かいうことがまだ難しい。
確かなことは24歳でありその年などはかなり危険な年なのである。大学を出て大企業にでも就職して正規のルートに入る人はこういうことを起こさないだろう。
一応大学までは大学で大学生として社会に認められるからいいのである。でも大学を出ると就職しないとなれば社会から外れたものになる。そしてそうなると誰も相手にしない。会社に入っていればそこで仲間がいたり仕事をすることによって社会的常識は目につく。それを逃してしまうのである。

この人も中学頃から学校に馴染めなくなりいじめられたとか報道があった。そこが挫折の始まりになった。
その後は分からないにしても職業にはついてなかったみたいだ。
そうなると孤立感を深める。誰か指導してくれる人もいない。またそういう人は対話を拒否するのである
そして家に引きこもり外の社会と断絶してしまうのである。
そこから突然こうした事件となって現れたのかもしれない。
なぜならひきこもりの人は非常に異常なほど多いのである。
それは田舎でも多い。私はそういう人と会うし何かそういう人が異常なものと感じる。だからそういう人が何かいつか問題を起こすようになると見るのである。
そもそも自分自身がそういう経験をしているからその危険性を感じるのである。

小人閑居して不善を成す

このことである。社会から外れても立派な人はいる。でもそれは実は例外的な優れた人なのである。
それでもアウトサイダーになると狂気になった人が多い。それだけやはり社会から外れるということは狂気的にもなるのである。もちろんカルトなどのように社会自体が集団が狂気になっていることもある。でもそれは社会が認めているから狂気とみなされないのである
現代の問題はいろいろあるにしても引きこもりが100万人もいるとするとそれはもう特殊な人の問題ではない。社会問題なのである。なぜならどうしてもそこから問題が起きて事件にもなるからである。
どうしても正規のルートから外れるとそうなりやすいのである。

それで盛んに引きこもりとかニートとかなどを擁護するひろゆきなどが人気になっている。
私はそういうことに抵抗はない。でも意外と引きこもりで正常保ち有意義に生きることは相当に難易度が高い。
なぜなら人間は社会的動物であり社会の中で仲間の中で生きるからである。でも現代社会はそれに適合できない人。学校に適合できない人。そういう人を必ず相当数出している。
それがしやすいのはやはり親の援助があり一応働かなくても生活できるということである。

それから家業というものもなくなり社会に適応することは会社に入ることである。そこで仲間とうまくやっていけない人も出てくる。家業だと親が無理してできないことをやらせないということもできた。でも会社だとクビになってしまうだろう。
だからこういう事件は現代でわ起こりやすくなっている。
その予備軍が膨大だからである。その中にはこうして過激なテロに走る人も出てくる。ただ集団ではなく個人的になっている。
テロをするにしても孤立化しているのが現代である。そもそも社会から孤立化しているからそうなったとも言える。それが今のテロの特徴だとみる。


何か政治的意図があったのか、まだわからない、でも若い人の不満も大きくなっている。日本が貧困化して全般的に不満が大きくなっている。それが原因なのか、ただ個人的なものだったのか、なにか山上と違い社会的に共感を呼ぶものを感じない
ただまだ動機などはわからないからなんといえないとなる
posted by 天華 at 23:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2023年04月14日

人間は何らかで必ず生活習慣病になる (また生活習慣が人間をつくる老人になるとその結果は現れる)

人間は何らかで必ず生活習慣病になる
(また生活習慣が人間をつくる老人になるとその結果は現れる)

病気には生活習慣病の要素がある。常に使う筋肉は活性化して衰えないということがある。でも使わない筋肉は衰えてゆく。私が歩いて足が腫れたのはおそらく私は自転車には常に乗っていても歩いていないからである。自転車に乗って使う筋肉と歩いて使う筋肉は違っている。だから節々がいたんでいる。
それは歩いた結果として日ごろ使わない筋肉に負荷がかかりそうなった。前にも同じ症状が歩いて行って起きたからである。
自転車だと歩くように体全体の重力がかからない、だから楽に走れる。でも歩くことは重さが重力となり足をケガした人でも立つことが苦しいのである。それは体重が足にかかるためなもである。

とにかく人間は必ず生活習慣がありそのために偏ったものとなる。
一日デスクワークしている人はやはり偏ったものとなりどこかでその症状が現れてくる。
つまり人間はさまざまな仕事がありその仕事によっても偏ったものになる。職業病もそこから生まれてくる。
現在は仕事でも複雑化しているから何らか偏ってそのために病気に成人がえろ。それは避けられないのかもしれない。
ただ自分の場合は老化が関係している。今まで歩いてそんなことにならなかったからである。どこかで老化現象が出てきてそうなる。

それで寿命でも健康寿命があり男の場合75歳くらいでそうなる人が増える。団塊の世代が75歳になるということは老化現象が現れて介護になる人も多くなる。それも避けられないものとなり数が多いから社会を圧迫するのである。
介護社会になってもう国力自体が低下してゆく。高齢化社会ではとても他国が侵入してきても戦えない。何か老人と病人とそれから引きこもりとかニートが100万人もいるとかそういうことで国力自体が相当に低下している。ヤングケアラーでも増えている。孫が祖父母の介護をしている。それも経験ではあるが若いときの時間は貴重である。そこで経験を積まないと取り返しのつかないことになる。

ともかく歩くことをしていないからその歩くための筋肉が弱っていた。それでその筋肉もいたんでいる。だから人間にとって習慣になることは本当に影響が大きいのである。
何でも対して才能はなくても習慣的に勉強していればやはり知識も身についてくる。習慣が人間をつくる。その悪いものとして生活習慣病も生まれるとなる。
その生活習慣習慣病の危険は必ず60以上になると出てくる。
知っている人が脳梗塞になったのはタバコなど常に吸っていたからである。タバコは癌に関係しなくても血管に関係していたのである。

だから酒とかタバコでもそれが習慣になっていると必ず60以上になると何らかの病気が出てくる。
60以上はこれまで指摘してきたことの結果が現れる。それは体でもそうだし精神的にもそうなのである。人間はやはり積み重ねであり日日の生活の積み重ねが人間を作るのではある。
それを心がけないと60以上になって後悔するのである。

でもどうしても老化現象は避けられない。それを今回の旅で歩いて痛切に感じたのである。大した旅でもないのにこんなに体がいたんだということにがっかりしたのである。
老化は避けられないのでああ。そこに老人の悲しみがあり苦しみがありどうにもならないのである。そして若い時のことを思い出し元気な時の姿を思い出しがっかりするのである。でもそれも避けられない人間の運命なのである。どうしてもこうして体が弱い何かができなくなるのである。
だから意外と老人が常にこれまでしてきた経験を語るのは新しい経験をできないからである。体力的にもできなくなるからである。

それで自分の場合は旅したことを追想して詩を書いたりしているのである
つまり老人は過去の記憶に生きる。新しい経験をすることができなくなる。でも体が弱ってもこれまで経験してきたことを振り返り追想することはできるのである。
それが老人の生きがいにもなる。過去の記憶を蘇らせてまた別の視点で過去を見る。 経験を消化してそれを思想家するのに向いている。だから意外と老人になりその人なりの成果が現れてくる。
つまり老人になって実りがあるということである

2023年04月13日

津波から12年桜咲く常磐線沿線を行く


津波から12年桜咲く常磐線沿線を行く

津波より十二年すぎ海向い桜咲く朝なごみけるかな
車窓より山桜見つ走りゆく咲きつづけて音の高鳴る
我が町に働きつづけて死ににけりその人なしも駅に帰るも

津波から十二年過ぎたということは12歳の人はもう津波のことは知らないとなる。それは親とかからの話を聞くだけになる。
20年もすぎたら20歳になった人は津波のことは知らないとなってしまう。ただいろいろと記録は映像でも残されているから簡単には忘れることはないだろう。
ただ人間の弱点は忘れることなのである。全国を旅したとしてもその行った場所を思い出せなくなる。だから思い出すには行った場所にもう一回行くといい、記憶が蘇るのである。
江戸時代だったら遠くには一回くらいしかいけない。今なら交通発達しているから何度でも行ける。だから近くになると何回もいけるから記憶が蘇る。そして必ず新しい発見がある。

人間はともかく意外と近くでもよく観ていないのである。今回でも山形には必ず寄っていたがよく見ていなかったのである。
月山は山形県から山形市から見えると思わなかったのである。
こうして人間は何でもよく観ていないのである。

津波のことでも原発事故のことでも経験した人は12年過ぎてもまだ生々しいものとなっている。特に津波で家族が死んだ人や他でも死んだ人がいるとその商魂は傷跡はなかなか消えないとなる
とにかく今回は山形まで行ってその後で体調不良になった。
前も歩いて足が腫れたのであろ。そして体全体の不調に見舞われた。ただの電車の旅でもそうなったのである。だから体力の限界を感じたのである。 75歳になると介護状態になる人が居ることが理解した。何らかで体が前のように働かないのである。これもショックだった。

どうしても体が前のように動かなくなる。そして肉体労働となるとできなくなる。旅でもなかなか遠くになると行けなくなる。そういうことでやはり若いうちにやりたいことはやっておくべきである。いくら金と暇ができても体力がなくなると旅するできなくなるからである。
そういうことで今回はショックを受けたのである。

わが町に帰ってきても駅に帰ってきても自転車屋の星淳氏が死んだので店はしまっている。
それもさみしいとなる。家族にしろみんな死んだので誰も待ってくれる人はいない。何か駅前の自転車屋は駅と結びついていたのである。なぜならいつも駅を見ていたからである。それで駅のことを駅のことをよく言っていたからである。だから駅には何か思い入れがあったとなる。
それで帰ってきてもその人がえるような感覚になるのである。
それだけの存在感を持ったのはやはり小さな町であり一軒しか自転車屋なくなっていたからである。それで貴重なものとなり死んだ後でも思うようになったのである

2023年04月12日

桜満開仙山線で山寺へ (山形城は桜満開−短歌十首)」

桜満開仙山線で山寺へ

(山形城は桜満開−短歌十首)」

((山寺)


P1031820.JPG

トンネルを抜けた所に滝がある

yamaderatrain2.jpg

yanaderatrainnnnsakura.jpg


yamaderasakura.jpg


yamaderasakura1.jpg


yamaderataimenn.jpg



P1031768.JPG

rocktubaki1.jpg


対面石の坂を下ると茶屋がありそこの庭がいいのである、だから穴場だとなる。


(山形城)

yamagatasakurayama.jpg



ya,agatmoonm.jpg


kasumishiro1 (2).jpg


shirowaysakura.jpg

kasumishiro3.jpg


yamagatasakurayama.jpg

桜映え対面石に向き合いぬ
山寺や石に桜や蕎麦の店
岩に寄り椿や隠れ茶屋一軒
山寺や桜の古木二本かな
トンネル出て山形市内春霞
作並や温泉に浸り夕桜

一すじの滝のひびくや山深く桜の映えて人踏み入らじ
残雪の峰々遠く霞むかな桜の映えて山寺に来ぬ
残雪の峰々遠く望むかなトンネルぬけて山形に入る
渓谷の絶壁に咲く山桜山間深く人踏み入れじ

(山寺)
さえずりの駅にひびきて電車来る山寺の駅山桜咲く
磐を打つ流れのひびき桜咲き対面石に我は向き合ふ
山高み桜の映えて山寺や大岩重く清流ひびく
桜の木節くれだちて山寺に根ずき電車の通り過ぎゆく

(桜満開山形城)
トンネルの長きを出でて山形や花の盛りや山は霞みぬ
大手門我が入りにけり数本の花の影の下通りて行きぬ
山形城桜満開その堀に春の光の眩く反射す
山形城城内広く満開の桜の囲み散るも良しかな
霞城満開の桜かなたにそ月山望みなお雪厚しも
紅花に山形栄ゆ市のたち花の盛りやにぎわいにけり
みちのくの伊達と最上や春なれや伏見城見て屋敷構えぬ
金箔の瓦掘り出さる城の跡往時の栄忘れれ久し


仙山線で山寺から山形城を訪ねた、桜が満開だった、愛子(あやしまでは仙台の延長になる。そこにも村があったとしても仙台市の住宅地となったのである。
ユニットバスを作った仙台の創優建とかの人は愛子い住んでいた雪が残っていて寒いとか言っていた
宮城県と山形県の境界は明確である。面白山トンネルを抜けると山寺であり山形県になるからである。このトンネルは結構長いのである。
そして遠くに山形の山々が見える、春でも4月でも雪が覆っている。蔵王でもそうだはその雪はなかなか溶けない雪のように見える、この辺では高い山がないことがものたりないのである。
山形はまさに山が多いともなる。
仙山線は渓谷を行くからめずらしいし魅力がある。深い谷間があり若いころこの山々を上ったことがある。大東岳に登った、結構長い距離を歩いして今までできたことが意外と早くできなくなるのである。

今回月山が丸い形をして目立っていた、月山には上ったことがある。頂上に着くと回りでも下からでも山突き出していた、遠くから見るのよは違っていた。その時は夏であり山が多い地帯である
月山はこの辺ではなじみがない、でも蔵王は南相馬市の鹿島区まできれいに見えるのである。それで山形県と地理的に一体感を感じる。なぜなら福島県でも福島市の吾妻山でも浜通りから見えないし会津の山となると全く見ないからである。そこで同じ福島県でもなにか一体感を感じないのである、地理的には仙台市とか太平洋に一体感を感じる、それは津波で被害を受けたので余計にそうなったのである。
大きな岩が露出して奇岩が処々にあるのがいい、石とか岩に興味があるので見ほれるのである。
山寺から見たら残雪の連峰が見えた、それがどうもはっきり見えないのは霞がかかっていたためらしい、でもそんなに山形で霞がかかるのか?
なかなか土地土地の気候はわかりにくい、それで山形城が霞城としている、霞が城にかかって見えずに攻められなかったからだという、でもそれほど霞がかかるのかとなる。二本松の山城も霞城と別名言っていたのである
ただ今回は霞がかかっていたようである、はっきり山も見えなかったからである。
私は山形城を訪れたのは初めだったのである、それは線路から車窓からいつも見えていたけど訪れたの初めてなのであり、それも失敗したとなる、
その城内は広くこんなに広いのかと驚いた。それも最上藩とは56万石だったのである。そして伏見城に秀吉が住んでいた時
最上藩と伊達藩が並んで屋敷を構えいたことでもわかる。
それだけの大藩だったから秀吉の時代から屋敷がおかれていたのである。たた跡は跡目争いで分裂して小藩になったのである。
やはり国でも家族でもまとまらないと弱体化するのである

日帰りの旅は山形市とか盛岡市までできる。今回歩いて足をいためた。前も痛めた、自転車では足は痛めないのである。
その理由がわからない、やはり年であり無理なことが出来なくなったのである、気分転換としては日帰りで行く旅がいいとなる





















続きを読む

2023年04月10日

少子高齢化で仕事がなくなりサービスが受けられなくなる (後継者もいなくなり国も維持できない)

 少子高齢化で仕事がなくなりサービスが受けられなくなる

(後継者もいなくなり国も維持できない)

manpowerwant1.jpg

daiku11.jpg

pastwork.jpg

近くの人は85歳だけど20代で土地を買い立派な石作りの庭を作った。その石が大きいのである。20代でこんなことできた時代だった。なぜならいくらでも稼げた、運行制限も速度制限もなかったからである。それで人の倍も荷物を運んだ。歩合制であり運べば運ぶほど金になった。ということは月百万もうけることが可能だったいうことは大げさでもないとなる。
高度成長時代とはそういう時代だったのである。

travellhotel22.jpg

週刊現代4−15日号


私は旅をしても泊まるだけであり人の接待など帰って煩わしいと思っていた。だから中居とかそういうものは帰ってなくなっても困らない。うまい料理を楽しみたいということもなかった。
ただ旅をしたいというだけだったからそれで困ることもないし返って気楽でいいと思う
そもそも日本人はもてなしおもてなしといってもサービス過剰にもなっていた。そういうことで人件費もかかっていたし人でも人でもかかっていたのである。
だからホテルや旅館はただ泊まるだけであり食事は外出して簡単に済ます。そういうことが書いて返って旅しやすくなる。
それで少子高齢化でも手厚い人のサービスがなくても金が節約できて旅ができればいいという人はいる。若い人などはそうだろう。そのように社会が変っても別に人のサービスは受けられないにしろ旅はありうる。むしろそれで安く旅できればいいとなる。そういうことでわあらゆることが人手不足だからといって悪くなるとは限らないのである



最近リホームしたがその人は大工で一人親方である。腕はいい、それでリホームもできた、ただ水道では水回りでは苦労した
専門家を頼んで何とかできた、これからこういう大工さんリホームできる人はいなくなるかもしれない、技術の伝承ができなくなる。大工でも大きなハウス会社は本来の大工の技術が身につかない、ただプラモデルのように組み立てるだけだからである。
リホームは難易度が相当に高いと見たからである。

少子高齢化とは若い人が激減するとなるから後継者がいなくなることでもある。近くの自転車屋も死んで街には一軒の自転車屋もなくなった。ここでも後継者がいない、他でもそういうことが起きている。日本全国で人手不足になる。
介護分野でもこの辺で介護士が足りないとかなり青森の施設に一時送られたのである、原発事故などで一時若人が流出したからである。

そして外国人でも円安で入って来なくなるしベトナム人でも自国が成長しているから来なくなる。すると専業農家などで雇っていたから困るとなる。日本人を雇うと高くなり野菜でもさらに高くなる。

土木建築関係でもまともに家でもビルでも道路でも橋でも作れなくなる。少子高齢化で子供も少なくなり若者も少ないからそうなる。そうなると消防でも警察でも維持できなくなる。治安も維持できなくなる
増えるのは空家と老人と病人だけだとなる。あらゆる場所で教育でも先生の成り手がいないとか建物があっても維持できなくなる
飯館村では確かに大金をつぎ込んで立派な建物を学校でも施設でも建てても肝心のそこで学ぶ子供が集まらないのである。

「地域があるから人があるの?」「県があるから地域があるの?」「国があるから県があるの?」違う。逆でしょうって。人がいるから地域が生まれ、地域の仕事がたくさんあるから村になり町になり、そして県や国が成り立っているということなんじゃないの。過疎地だって、結局潰れないのは人がいてふるさとを支えているからでしょう?」27    
飯館村村長の菅野典夫氏が村長をやめる
(立派な箱ものだけでは飯館村も復興はできない)

こういう人がいたようにここは原発事故で人がいなくなったが日本全体でも少子高齢化で人が特に子供でも若い人がいなくなり後継者もあらゆるところでいなくなるのである。そしたら日本人がいなくなる、市町村だけではない国も維持できなくなる。
いろいろ言ってもいくらAI時代でもすべてはできない、人がいなくなれば空洞化して維持できなくなる、人がいなくなると野生の動物でも植物でも繁茂する、空地でもタンポポでたちまち埋めつくされたからである。
田畑でも放置すると元の原生林になる、それは縄文時代に回帰するのかともなる。狩猟時代に回帰するのかとなる







posted by 天華 at 16:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2023年04月09日

残る花(今年は桜が早く咲き早く散った)


残る花(今年は桜が早く咲き早く散った)

花吹雪一人この道我は行く田舎なりしも装われにけり
朝からに風の荒らしも桜花あらかた散りて残る花かな
風荒く夕べなお吹き唸るかな今日もこの道残る花見ゆ
夜の更けて残れる花のあわれかな田舎の闇の深くもあるかな
近くとも心離るれば遠きかな春の荒らしや花は散りにき

私の短歌のテーマは桜でもあった、だからかなり桜については短歌を作った、西行も桜の歌を作り続けて死んだ
桜は日本を象徴する花である。桜に日本人の心にもなっている。
桜に日本人は人生をも投影してきたのである。

今日は朝からも風が強かった、ビュービューと唸って吹き付けていた。夕方も風がやまず吹き付けた。
今年の桜は早く咲き早く散った、遠くの桜を見ないうちに近くの桜は散った。リホームで忙しくして見にいけなかったともなる
大河原の千本桜を自転車で見に行ったとき全部すでに散っていたのである。その時なんともいえぬ感慨があった
あれだけの桜をわざわざ遠くから苦労して見に来たのに無情にも全部散っていたからである。
それだけ桜は散るのが早いということである。
ただこれからでも山形とか岩手の方に行けば見れるかもしれないが今年は散るのが早い、だから意外と桜はどこでも咲いていても見れないのである。

ともかく近くても嫌だとなりその女性は男性のもとに行かなくなった、老人であり別に若い時とは違う、それも金の問題だったともなる、人間は心が離れると近くでも遠くなるのである。それもわびしいとはなる。人間の関係も切れやすいのである。
田舎だと闇が深い、だから田舎では静かな生活とかに適合できな人もいる
にぎやかな所を好む人もいるからである

プログだと毎日報告できる、それで俳句とか短歌を出すには向いている、季節が日本だと変わりやすいし天候でも刻々変わっているからである。
別にプログだとこうして一行ですら書いて出せるのが強みでる
そこに臨場感がでてくるのだが読む人はどうしても何日か遅れて読むとなる。ただプログだと日にちが記録されるからあとでふりかえるのにはいいのである。

とにかく桜の短歌を集めて歌集を出したい、それはアマゾンでできる、一冊でも本を作ることができるようになったからである
それでこれまで書いたものが増えすぎたのでまとめる必要があり
そのために時間がかかるのである。

この世に生きることの無常 (老人になると何もいらないとなるーただ死があるだけになる)


この世に生きることの無常

(老人になると何もいらないとなるーただ死があるだけになる)

人間は老人になると否が応でも人間の真実を示される。
それはもう死んでこの世にいなくなるということが冷酷な事実として突きつけられるからである
そして人間とはこの世に存在するのはわずかなときだということを知る。人間が逢うにしても一時のことである。それは別に優れた人だけではない。ありふれた庶民ですら否応なく自覚されるのである。それはもう死ぬということが目の前に来ているからである。そして人生をみんな振り返り何だったのかということを考える。

一般的には現在は金を求めて金のために追われて働いて来た。それが何の為なのかということは問わない。なぜならみんな日々の食を得る為に必死だからである。
だからあとは飲めや歌えやで騒い死ぬことを考えないのである。
でも最後に老人になると死が目の前にありいろいろあっても結局死ぬだけだと自覚させられる。
そして一体人生とは何であったのかとなる。

私の親はいつももう何もいらないといっていた。それは最後にみんなそういう気持ちになる。いろいろなものが欲しいというものがなくなってしまう。それでも実はかなりの金を貯めこんでいて残していたのである。それを自分は知らなかった。
しかしその金も突然認知症になり銀行からおろせなくなったのである。この時ほど驚いたことはない。自分が働き貯めた金がおろせなくなったのである。人間は実際は死ぬまで金にこだわっている。その金もいらないとなっていたのである。
それよりもそんなふうにして貯めた金を銀行からおろせなくなったのである。そしたらなぜ金にこだわり金を求めて働いてきたのかとなる。自分の金が自分のものでなくなってしまったのである。そんなことがあるのかとただ驚くばかりだった。
何もいらないと言うならその金でも自分にでも誰かにでもくれれば良かったと思うのある。

人間は生きている限り金を一番大事なものとして生きている。それは老後でも同じである。でも金を持っていても銀行からおろせなくなったのである。それもあまりにも衝撃的なことだった。
人間の最後は実際はこの世から消えてゆくのだからこの世のものを財産でも金でもあの世に持ってゆくことはできない。この世に財産をたくわえてもあの世に持ってゆくことはできない。そのことでキリストは天に宝を蓄えなさいと言った
なぜなら最後はこの世のものを何も持っていけないからである
この世に巨万の富を積んでもそれをあの世には持っていけない。
この世に積んだ富はさびて腐敗して朽ちる。
文明でも何か偉大なようでもエジプト文明であれ砂に埋もれピラミッドは何なのか結局墓場になる。マヤ文明でも高度なもであった。でもジャングルに埋もれて謎を語るだけである。そこも墓場だったのである。
つまり巨大都市でもその繁栄もやがて墓場と化すかもしれない、そしてそれは謎になるのである。

でもこの世に生きている限りこの世の富に幻惑され執着している
だから大工さんでもいろいろ家のことは心配する、また一般的に他人になると財産を金を心配する。何かその分け前を得たいとかにもなる。
また医者だとその体を心配する。体を見るがその人間の心はみない。宗教とはこの世のもの財産であれその身体であれそれを見るものではない。神は人の心を見ていると言う時そうである。
神は何を見ているのか人の心を見ている。その財産とか金とかではない。でも人間は財産とか金を見ているのである

でも最後には人間をもう何もいらないとなる。ただお金もためてきたがそれもいらないとなったのである。
この世に生きることはすべて一時的なものである。
そして家のことを心配してもその家すらいずれは消失する。そもそもこの世に生きるのはわずかの時でありだからこそ一時的に泊まる宿に過ぎない寄留者にすぎないとなる
この世にいくら執着しようともみんないずれは死んでゆく。
そしてあの世に何も持ってゆくこともできないのである。

要するに人間はそもそも何も持てないのである。ただ一時的に神に与えられたものを利用しているだけである。借りて利用しているのである。人間はそもそも何も所有できないのである。すべては神のものであり神から与えられたものである。

「わたしは裸で母の胎を出た。また裸でかしこに帰ろう。主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな」ヨブ記

まさにこれである。
そして人はこのように一時的に仮の宿に泊まってやがては旅立ち去ってゆくだけである。それが老人になると否応なく自覚させられるのである。
でも老人になった自覚させられても死のことを突き付けられてもそれを解決できない、それで若きうちに神を知れという教えがいかに重要なことかを知る
なぜなら若い時こそ飲めや歌いやであり死のことなど無視しているからである。カルト教団でも全くこの世のことしか関心がない、この世の欲に返って他の人より執着して追求している
だからそれがどうして宗教なのか全く理解できないのである。

2023年04月08日

故郷の丘の桜の詩ー桜散る (桜平山と万葉会館の丘の桜)


故郷の丘の桜の詩ー桜散る

(桜平山と万葉会館の丘の桜)

二本の朝の小径に花の影
タンポポのたちまち充ちぬ空地かな
六号線タンポポ充ちてどこまでも

花は散り残れる花や雨しとと朝の静かに今日も行く道
ふるさとに散りし桜を惜しむかな遠くへ行かず雨のふるあと
夕べ吹く風の強しも花の散りさらに花散り残す花かな
移り住む人の庭咲く枝垂桜月日の経るや色濃くなりぬ
早く咲き早く散りにし桜かな夕べの風の荒く吹くかな
庭に石枝垂桜や色濃くも月日を経てそ落ち着きにけり
夜の更けて花は見えじも風荒く吹く音ひびき花は散るらむ

故郷の桜

桜平山に太平洋を望み
沖に船行く朝清し
若草のういういしかも
蕗の薹もあまたいでて
植えにし桜も満開
かなた鹿狼山も望み
ここに新たな視界開けぬ
椿も赤く装う道や
畑は耕され実りあるべし
祖の労苦は時を経て叶えられむ
故郷を受け継ぐ者よ
未来は自然と共につちかれるべし
力尽くせ若きも老いも男も女も
災い深く傷ついた故郷
しかし再び蘇るべしかな

今年は桜が咲くのも早かったが散るのも早かった。
今朝桜の咲く土手を歩いていたら桜が夕べの昨夜の雨で濡れた道に散っていた。
そして夕べになる風は強かった。それでまた花が散ってゆく。今年の桜はこのように何か最低さいてもたちまちに散ってしまった感じである。
桜というのはやはり日本を象徴した花である。そこに何か人の命をその儚さを見るのである。
とにかく桜は咲いたらすぐに散ってゆく。そこに返って桜の美がありそれは人間の命も象徴しているのである。
でも枝垂桜となるとそういう感じはない。この辺では他から移ってきた人たちが二つ三つくらい住宅街を作りそこに住んで5年くらいすぎるだろう。その家の庭に枝垂桜は咲いている。そこに石があり月日おいて定着したともなる

桜平山と新しくできた万葉会館に丘からは街がまた海が山脈が鹿狼山が望まれるから気持ちいい、見晴らす場所としていい。
景観でも人間が作りそれで新たな視界を得ることにもなる。
南相馬市でも津波や原発事故で被害があったが改善されたところもあった。ただその傷は未だに残っている。
避難区域になった所がは回復するのが相当に困難である
南相馬市だと小高とかは回復がむずかしい、若人もまれだし子供もいないとなると老人だけで復興することはむずかしい
原町区とか鹿島区などはかえって移り住む人が増えて人口を減ることをまねがれたのである。
だから日本全国でもこうしたことが起きてくるかもしれない、少子高齢化社会で町や村が維持できなくなるからである
相馬地域だと相馬市と原町区を中心にしえ集約化するのである。
現実に小高の人々が原町に移り住んだからである

自然だと少子高齢化はない、今空家や耕作放棄地が膨大になっているが自然だとその空地でもタンポポが咲いてたちまち埋めつくすのである。そこに美があるから空地でも輝いているとはなる。でも空家にはそいうものがない、ただ荒れ果てて荒廃してゆくだけなのである。
だから人間のいなくなった世界がどうなるのか、そこにはやはり美があり美は消えないともなる。
もともと人間がいないとき荘厳な美が自然にはあった。それを破壊したのも人間だったのである。

鹿島区桜田山から海を見る (万葉会館の丘も桜満開)



2023年04月07日

デジタル社会は安全と信用が問題 (不正請求にだまされた損した)

デジタル社会は安全と信用が問題

(不正請求にだまされた損した)

auのスマホが通じなくなった、それを通信障害と思い一週間くらい放置していた。私はスマホほとんど使っていないからである
なぜ通信障害と思ったのか失敗はauに電話で直接聞かなかったことである。何か通信障害とばかり思いこんでいたのである。
そういう発言がネットでもありそれをみて通信障害と思い込んだのである。
でもauの支店で直接聞いたら簡単に回復した

それは設定でon-offがありその設定を変えて一発で回復したのである。
それはwin11に変えたことでも起きた、最初の画面で設定をやはりon-offがありoffにしていなかったのである。
それで文字が打ち込めなくなっていたのである。
つまりパソコンは何でもon-offになっていて成りたっている。
どこかでその設定が間違っていると今回のようなことが起きる
スマホは使わないし慣れていないのでわかりにくいのである。

ともかくパソコンでもスマホでも操作がめんどうであり使いこなすことがむずかしいのである。それで老人はなじめないのである。また電子化できないのも操作がめんどうなためである。
そしてどういうわけかハガキが来ていた、それはauからの請求書だったのである。
私はauで電気料金もはらっているし自転車保険にも入っている。
だからその料金のことかとコンビニで一万支払ったのである
でもauショップではそいうことはしていないと言われたのである
すべてカード支払いにしているからハガキで支払いを要請することはないと言われたのである

このようにデジタル社会はその操作もめんどうだしだまされやすい、いつのまにかネット銀行でも大金が盗まれることありそこが問題である。依然として迷惑メールが大量に来る
そのなかにau関係もあったがメールだと無視する
でも住所知りハガキで要求されると信用したとなる
つまり住所を特定されると危険であるがそれも防ぎようがないのである。

それからコメリでカードを作っていた。それも二種類あった
ただチャージして使うものと一年会員制になっているものである
会員制になるとカード無くしてもそのカードの支払いとめることができて再発行できる。
それでキクチスーパーのカードに一万チャージしたが無くして見つからず損した
それはカードでも支払いでも止めることができないものだったからである。
このようにデジタル社会の問題は安全性にある。そしてこうした手違いで大損失にもなる。一万くらいならいいが額が大きくなると取り返しのつかないことになる。
またパソコンでも記録したものが一瞬にして消えるのも怖い
だからどうして安全性を図るかが問題になる
もうそこには現実の生身の人間がいなくなるともなるからである。日本人がデジタルに弱かったのは契約社会でもなじめないのは村とかの狭い範囲の濃密な人間関係ななかで生活していたからだともなる。日本の文化が影響してデジタル化が進まなかったのかもしれない。

とにかくスマホをはじめたりwin11にしたりして苦労している
OSが変わるとまためんどうなのである。
それにしても設定とか多くてわかりにくい、操作がめんどうなことが改善しないとデジタル化は進まないともなる。
ただこれも慣れだから若い世代はデジタル世代でなじみやすい
でも老人は使いこなせないとなる。
要するに対面的に直接会うことで信用するとなる。デジタル社会は相手のことが見えない世界である
それで不思議なのはauの請求でだまされたことである。それは住所がわかりハガキだったことで信用したのである。
メールだったら信用しない、つまりデジタル空間では信用とか安全が図られていない、そこが大きな問題なのである。

現場の社員の方が案件の中身に精通しており正確な判断が下せる場合でも、上司の意向が優先されるため、「根回し」や「処世術」が必要になります。

結果として一つの判断を下すために多大な労力・時間を必要とするため、日本企業の意思決定スピードは世界最低レベルの状態が続いてます。

オンラインストレージを利用してデータを保存する形へ移行すると、第三者による情報盗取・改ざん・破壊されるリスクが、オンプレミス時よりも高まります。不特定多数の方が利用するサービスを共同で使う形となるからです。

日本のデジタル化はなぜ遅れてる?根本的な原因や今後の課題と対策について



2023年04月06日

北泉の津波の犠牲者の石碑を見る (金沢の地名の由来ー古代の製鉄に関係していたのか)


北泉の津波の犠牲者の石碑を見る

(金沢の地名の由来ー古代の製鉄に関係していたのか)


kitaizumimemorial.jpg


星ヤスという女性の孫が星勝(まさる)である。89歳となるとそうなる
鈴木氏と語ったが親戚がいてここで死んだ言っている

kanazawachimei1.jpg

前田は草分けとなる家でありここでは高台になっているのは下は入江になっていたからである
入江になっていれば海の魚が入ってくるから取りやすかったとなる
izumimap1.jpg


北泉から金沢へ行く。そこで津波の被害にあった人の記念碑を見ている人がいたので花を捧げている人がいたので聞いてみた。
その人はこの地域に住んでいた人である。その親戚の人も津波で死んだという。鈴木という人でありその親戚の人が死んだのである。
ここの悲劇は消防隊の人と区長が死んだことである。その人たちは住民を見守る人でありそのために安否を気遣いそれで逃げ遅れて死んだのかもしれない
その死んだ人の家を家があったところ教えてくれた。
孫が消防隊員でありここに住んでいたので役目柄見守り役となっていたから津波に巻き込まれて死んだとなる。
消防隊員だからそれは殉職になったのである、ただ消防消防署に勤める人ではなかった
地域の消防隊員であり正式の消防隊員を支える人でもあった。

とにかく消防隊員も津波でこうして死んだ人がいた。
それはどうしても自ら逃げるというより人を助けることが優先されたために犠牲になったとなる。
だから殉職になったのである。
それも40歳代だから若かったとなる。津波で死んだ人は老人が多かった。もともと地方は老人が多かったからである。
地方では40歳代は相当に若い。農業でも60代以上であり70歳でもしている。消防は若い人でないとできない。でもその若い人が減少しているからいろいろなもの祭りでも後継者でもいなくなっているのである。

ここで海の魚をとっていたという。でも港はなかった。船を直接海に出していたのかもしれない。火力発電所は無いときは私は金沢によく行っていたのである。その時烏崎から金沢の海岸まで砂浜が続いていたのである。それが火力発電所でなくなったのである。金沢にも松原がありその松は太いものでありキャンプ場にもなっていたのである。
しかしその松原も津波で根こそぎ流され何もなくなったのである
その時金沢の田に海の水が入ってきて大量のボラが泳いでいたのである。それはもともとここは入江のようになっていたからである。その入江になっていれば魚も入ってきて魚もとっていたとなる。
でも金沢は元禄時代頃に入江を田たにしていたのである。だから意外と早く田になっていたとも見る。
その理由は狭いからだったかもしれない、八沢浦のように広いと簡単に埋め立てはできない、そこは明治以降に埋め立てて田にしたのである。

となるとここはなぜそんなに早く田になっていたのかとなる
今ある火力発電所では古代に製鉄が大規模に行われていた。
そのために金沢という地名になったのかもしれない。
金属の滓が流れてくるので金沢となった。
それそれは古代でありたができたのは元禄でも江戸時代なのである。でも地名は古代に名づけられたのが多いからやはり製鉄が行われていてその金屑とかが流れる沢であり金沢となった。

ともかく北泉の低い部分を家がなくなった。二軒残っているがそれは古い家ではない。社のある流された家のあるところが古いのかもしれない。
近くに延命地蔵の社がありそれは江戸時代のものだからここでも古いのである。
そしてここは泉氏が勢力をもっていて相馬氏と対抗したのである。なぜなら古代から泉があり酒になったとかの伝説があり長者伝説があるからである。
なにかしら財を成すものがあり相馬氏に対抗する力を持ったのである。そして西殿の地名がある所は相馬氏が支配した地域であり
そこから牛越城が見えるのである。つまりその位置が重要なのである。なんらかでそこに城を移す理由があったからである。
それは泉氏が強い勢力を持っていたからだともなる。



相馬藩の牛越城移転で泉氏が人夫徴発に不満で火を放つhttp://musubu2.sblo.jp/article/99970929.html


posted by 天華 at 21:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 地震津波水害関係

鹿島駅で運輸省に入った人と話す (国会議員の斎藤邦彦のコネで入れたという)

鹿島駅で運輸省に入った人と話す

(国会議員の斎藤邦彦のコネで入れたという)

鹿島駅で上真野の人がいて話しした。
その人は運輸省に入り仕事していたという。
国鉄のことを盛んに言っていたからその関係の仕事をしていたのだろう。
でもその人は国鉄のことを盛んに言って社会党を支持していた。社会党は国鉄があって政党として成り立っていた時代があった。でも鉄道が衰退して民営化されて国鉄の時代は終わった。国鉄関係で働く人が地方でも多かった。
今の駅の前に国鉄の官舎があり小学校の同級生にそういう人がいたのである。国鉄というのは他にも近くで線路工夫をしていたり勤めている人が多かったのである。国鉄一家ともなっていたのである。
それは鉄道が運輸を担っていたからである。
それも車時代になると輸送でも車に変わってしまって衰退したのである。

その人はなぜ運輸省に入ることができたのかそれはその人が優秀だったからではない。その時斎藤邦吉が国会議員であり大臣にもなったからその人に100万とか裏金を包んで出して入ることができたという。その人を見れば確かにそう思う。
とても運輸省になど入れる人に見えなかったからである。
今77歳にしてもすでに80以上であり85くらいにも見える。もう70歳上くらいになると歳では計れない、見た感じでも十歳くらい違っているからである。
とにかく老人になって故郷に帰る人が結構いる。前にも会ったことがある。それがわかるのはしゃべることが東京弁であり標準語をきれいにしゃべるからである。訛りは確かに国の手形なのである。
前にあった人は埼玉の方にも住んでいて関東地方転々としていたから訛りはいろいろと重なっていたのである。
だから訛りは隠せないのである。訛からその国のことが分かるのである。

駅だと何かこうして前もそうだったが一人二人くらいしかいないので話すことがある。でも高速道路のSAはよそからから来た人と語ることなど無いのである。
だから外の人と話しないからどういう人が来ているのかわからないのである。そしてあまり待つということがないのでしゃべることもないのである。
ただ最近は駅で話すこともなかった。ボランティアで案内していたが警察が来て怪しいとされ職務質問されてからは行かなくなったのである。

今日は久しぶりに人がいたので入ってみたらその人は私に向かって話しかけたので話したのである。
話が通じるのはやはり同世代だからである。でもその人がどうしても運輸省などにはいれる人とは見えなかったのである。
その人自身が運輸省にははいれないと思ったが斎藤邦吉の口ききで入ったと言っていた。そういうことが就職を斡旋することが金としてやる仕事にもなっていたということがわかる。
今でもそういうことがあるかもしれない。政治だとやはり利権の
関わりでそうなりやすいのである。
ともかく国鉄があったとき社会党が力を持ち結果的に国鉄が民営化するときでもかなりのお金を辞めた人にももらえたのである。それはまだ社会党が力を持っていたからである。

今は国鉄はなく農業もう衰退した時農協も力を持っていたが今はない。票田として農家があったが今は農家も少ないから表になり得ない。
それで公明党とか創価の力を借りて自民党は生きながらえているのである。統一教会問題もそこから起きていたのである。
このように政治は利権でありその利権団体でも時代で変わるから支持する組織団体も変わる。いずれは創価も衰退しているから頼りにならなくなる。すると次の頼りになる票になるものを組織団体でも探さねばならなくなる。

いずれにしろ国鉄の時代は社会党が力があり社会党の政治家が国会で常に質問して自民党を攻めていたことを思い出す。
今は野党でも何か能力に欠けている。自民党攻めるにしても何か強力ではないのである。社会党も万年野党だったがそれなりに自民党強く攻撃していたことを思い出すのである。
それは国鉄が鉄道が国の運用にない大きな力を持っていたからなのである

とにかく東京で暮らした人も結構故郷に帰ってきている。でも老人であり働くわけではない、つまり東京から地方に帰るのは老人である。若者は地方に来ないのである。だからこれでは地方の活性化にならない、むしろ病気になり介護になる割合が高くなり地方ではより高齢化社会になる。飯館村にしても一割なのか二割なのか入って来た人たちは年配のひとである。
その人たちは郵便配達とかで働いている。でも50以上とかなりいずれは老いてゆく、するとどうしても介護とかで世話になる方になるから問題なのである。先を長くみれないので困るのである。またその人たちは子供もいないし未来を担うことができないのである。ただそれはここだけの問題ではない、日本全体の問題であるがここでは原発事故で津波の被害でも極端なものとして現実化したのである。

あざみの抽象画(abstract thistles)


abstletter.jpg

あざみの抽象画

azaminocrest.jpg

flowerabccc1.jpg

cellbirth11.jpg

abccccccell.jpg

perpleaimage.jpg

unitedcolour.jpg







抽象画でも必ず具象画をイメージしている。不思議なのは具象画から抽象画はイメージできない。
このあざみの抽象画でも別にイメージするものがあるがアザミだとしてイメージすると鑑賞できる。
抽象画が無数に作られるのはインターネットに無数にその素材となるものがあるためである。。
ただそれをソフトで変化させているだけだからである。
それで常に著作権違反になっているかもしれないのである。
特に抽象画家からさらに抽象画に変化させることがしやすい。
それは無限にも変化しやすいのである。
だからいくらでも抽象画は作られるのである。それはパソコンが生まれてできた芸術なのである。

Even abstract paintings are always inspired by figurative paintings. The strange thing is that you cannot imagine an abstract painting from a figurative painting.
In the abstract painting of this thistle, there is another image, but if you imagine it as a thistle, you can appreciate it.
The reason why countless abstract paintings are created is because there are countless materials for them on the Internet.
The reason for this is that there are countless sources on the Internet that can be used to create abstract paintings, only to have them altered by software.
This may always be a violation of copyright.
It is especially easy to transform an abstract painter into an even more abstract painting.
It is easy to change it infinitely.
Therefore, abstract paintings can be created as much as possible. It is an art form created by the birth of the personal computer.

Translated with www.DeepL.com/Translator (free version)

2023年04月05日

庭作りから自然を農業を知る (農業社会から工業社会の変化)


庭作りから自然を農業を知る

(農業社会から工業社会の変化)

botangardenn.jpg

庭に咲き続けている牡丹が散る

gardenway111.jpg

●庭作りは野菜作りと共通している

庭作りは素人でも結構関われるものかもしれない。
そのの人なりのイメージで庭を設計して花の木や花々植える。でもそこで問題なのは花を植えても必ずしも咲かないことである。それで3500円のボタンを覚えて咲かなかったので損した。
その原因は何か分からない。他でもやはり植えても咲かないとゆうことがある。私の庭は狭い。その一角は比較的広いのでそこに花木を植えた。でもその庭は前は小屋が建っていてその小屋を壊して庭にした。
だから土は良くないのである。そこで肥料を鶏糞をまいたのである。花を育てることは野菜を育てることと似ている。花でもいろいろな条件で花輪が咲く。
日ざしを日の当たりがいい場所とか日陰がいいとか乾燥したところが良いとか水はけが良いところが良いとかいろいろな条件がありそれに適した花が咲く
それは何か野菜の特産物があるがそれはその土地の条件がありそれにマッチして生まれたのである。そこにはいいろいろな条件がありそれはその土地でしか育ちえようがないものがある。

●花を育てるのも風土に影響される農業と同じ

それは果物でもそうである。葡萄ですらいろいろな気候の条件によって独特の葡萄が作られワインが作られていた。
そしてワインの名でもその土地の名がつけられったのである
何か前に川でも湖でもその光の反射が影響しているとかもテレビで見たことがある。風でも光でもその土地の影響を受ける。
その場所場所によって条件が異なりその果実も違ったものとなる。それは例えば工業製品とは違ったものなのである。
米でも水の影響があり私の住んでいる場所では山の方が水がきれいでありその水の影響を受けてその土地の米はうまいとなり買っていたのである。

今はさまざまな種類の米が売られている。その味の違うのはその土地の条件が違ってブランドの米が生まれてその米は価格的にも高く売れるとなったのである。
それは酒の味でも同じなのである。米野種類がいろいろあり米から酒を作るからそうなるのである。
だから農業はその土地土地によって土地の条件によって適したものと適さないものがありそのその条件に見合ったものが実りとなる、味もその土地によって違ったものになるのである

●工業化社会は風土を無視するから危険があった

工業製品だったら部品でも画一的で規格化されて同じものにされる。それで工業化社会というのは同じものを大量生産するということにもなる。そののために工業社会に適応させるために学校が作られたとも言われる。
同じものを規格化して大量に大量生産に適した人として部品化して作られる。そこで個性とかは無視されるのである。
なぜなら規格品を大量生産することが現代工業社会の目的となったからである。
そもそも人間の個性を言う前にその土地土地の個性があり風土がありその風土によって人間も作られる。

でも工業社会になり大量生産になると土地土地の条件がなどは無視される。つまり工業社会とは風土を無視したものなのである
それが極端なものとして原発などもそうである。それはその土地土地の条件などと関係ない技術である。それでその土地土地のこと風土とかを無視したからこそ大事故になったのである。それは津波でもそうである。もともと津波がくる場所だったのである。それは歴史を見れば分かっていたことである。三陸沿岸などは明治時代にも1万人も津波で死ぬ大災害があったのである。
だからこそ女川の原発ではその経験から副社長の人が5m高くして原発を作った。そのことでギリギリで原発のお破壊からまねがれたのである。それもギリギリであり非常に危険だったのである。

自然の歴史は地史となり億年とかのスパンで見ないとわからないのである。
そのために相馬地域では相馬藩政記で記録されていた700人が溺死したという記録が二行だけ残っていたのである。
しかしそれも津波があってから初めて発見されたのである。
それはたった二行でありでもその記録は本当に貴重なものだったのである。そのためにこの辺で津波は来ないという確信にもなっていたのである確信にもなっていたのである。

●20年以上咲きつづける庭の牡丹の不思議

一人の間の生きる時間はきわめて短い。でもこの地球の宇宙の時間はとてつもなく長いのである。だから一人の人間の力ではとても知り得ないものがいくらでもある。謎がいくらでもある。
それが農作物や花にもある。なぜ私の庭の牡丹が20年なのか30年なのか毎年肥料も水もたいしてやらないのに咲き続けているのか不思議である。。もう咲かないと思ったら今年も蕾が二つ出ているのである。
牡丹は水はけが良いところに乾燥したところに咲くのであり確かにそこは日当たりがよく乾燥していたのである。ただそれにしても肥料もやらずに水もたいしてやらずに20年30年と咲き続くものなのか不可解だとなる。
だから身近なところでも常にこうして謎がある。

科学であらゆる謎が解明されたようでもされていないのである。
もし私が理系で科学に詳しかったら多少は分かったかもしれない。でも科学ですべてがわかるということは無い。依然として自然でも宇宙でも解明されないことが無数にある。ただもしこのこの牡丹が咲き続けた土を分析すれば分かるのかもしれない。
とにかく私が興味を持ったものは地理と風土である。
それは私が旅をしたことによりそれは仕事のようになり地理と風土に興味をもったのである。
だから文化とはカルチャーでありそれがcultivateであり耕すから生まれた言葉である。その土地を耕すことが文化に通じていったのである。その土地土地の条件によって違った作物が作られまた芸術でも想像されてきたのである。

●農業社会から工業社会の変化

ただ人間には一方で工業化するということは大量規格品を作るということは必要でもあった。それが現代でわ余りにも大規模化して人間的なものが失われたのである。
それまでは工業化といっても規模が小さい。だから小さな小規模な農村社会でも鍛冶屋がいて農民のためにいろいろな種類の道具を作っていた。それで稲荷神社はあるとしたらそのいなりとは鉄のことであり鉄の道具を崇めていたともなるのである。
今なら電気であり電気社会でありそれが原発は電気をつくるのだから原発が神のようにも崇めていたともなる。。
それは農業社会でも鉄を作り鉄の道具を作りそれを崇められたとも似ている。でもそれはまず農業社会があり農業社会はどうしてもその自然と密接に結びついているから自然を破壊するということは無いのである。

もちろん農業でも自然破壊であった。なぜなら焼畑とは森の木を燃やしてその肥料としたからである。
農業にとって肥料はその基礎となるものであり肥料に苦労してきた歴史でもあったからである。それで花にしてもやはりその土とか自然条件とか肥料でも必要なのである
つまり庭に花を花の木を植えるにしてもそれは農業と似ていたのである。だから庭作りは野菜作りとも似ているのである。
ただ庭作りは何か芸術的要素がある。それで庭作りには興味がある。でも私の庭は狭すぎるから実際は庭作りにしてもかなり限られているものがある
でも自然に興味を持ち花に興味を持ち持つならば庭作りは適している。それでこれは老人にも向いているのである。
なぜならもうやはり75歳くらいになるとどうしても足腰が弱り自転車でも遠くに行くと疲れるようになったからである。
するとどうしても家に居ることが多く家中心の生活になってしまうからである。
それで地震とかで家が歪んだり壊れたりして直すのに金がかかったのである。家も50年過ぎて老いたので必ず家もリフォームが必要になっていたのである

2023年04月04日

熟年離婚で意気消沈する男性 (老人が無用化して迷惑老人となる深刻)


熟年離婚で意気消沈する男性

(老人が無用化して迷惑老人となる深刻)

●熟年離婚で失うもの

最初のうちは清々したと思っていても、今まで妻になんでもしてもらってきた男性というのは急に一人になることに対して心細くなり、もっと違う方法があったのではと後悔するということは珍しくありません。

その逆に裏切られたという気持ちを持つ男性も少なくなく、今まで散々家族を守るために身を削って働いてきたのにこの歳になっての離婚はひどすぎると落胆する人も多くいます。


この問題の前にそもそもなぜ離婚が多いのかということである。
そうして長年連れ添った妻と別れることが男性にとってどれだけ衝撃的なことなのかそういう人を見て理解する。
何か60歳以上で離婚した人を男性を見ていると意気消沈した感じになる。 60歳以上といっても65歳でくらいで離婚したのかもしれない。そんな年で長年連れ添った妻と離婚するということが結婚したことのない私には理解できない
ただなぜそもそも離婚がこんなに多いのだろうか

熟年離婚とは長い結婚生活ですでに協調できない何かがあり子どもが育ったとき我慢することがなく離婚に至る。
そういう人も女性の場合多いことがわかる。しかしなぜ長年一緒に暮らしていたのに離婚になるのか。それはかなりの損失である。なぜなら人間の生きる時間は限られている。だから60歳までも一緒に暮らす時間がありそれが失われてしまうことがどういうことなのか
人間にとって大事なことは時間なのである。何をするにしても時間がないとできない。だから何であれ人であれ何か学ぶことであれ体験することであれ時間が必要なのである。

だからその時間を結婚して60歳までも一緒に生活していた人が離婚するというときそのの長い時間を費やしたことが無駄になると思えるのである。
人間はあらゆることに時間を費やすことはできない。だから親子でも子供の時一緒に暮らさなければ親子の情も生まれないのである。成人しても子供が結婚して離れて暮らしたりしていると親子の情も薄れてゆくのである。
去る者は日日に疎しとなる
でも一体それだけの時間を共に暮らしていたのに60歳以上になり離婚になり別々に暮らすということがどういうことなのか理解しにくい。なぜなら人間はそうして長く生活を共にする人は本当に数人くらいしかいない。あとは束の間の出会いで通りすぎるように別れてゆくだけなのである。

●貴重な時間を何に誰と費やすのか

つまり人間は与えられた時間を何に費やすか大事になる。
またその時間を誰と共に過ごすのかそれも大きな問題である。なぜなら人間の与えられた時間は限られているからである。
Aと逢いBと逢いCと逢い、、、、となってもそれは会ったと言えるのだろうか、そもそも人間逢うということはどいうことなのか
あなたと逢いましたねまたすぐに別れましたねそして二度と逢わなくなりました、なぜなら死んだからもう逢えなくなったからです。あの人とあっていればよかった。死んで逢えなくなったからである。人間は逢うとうことは必ず別れることなのである。
どんなに長い時間を過ごしてもいずれは別れるのである。

だから人が会うにしてもそこに時間が費やされる。貴重な時間を会う人に対して使うのである。
結婚するというときそれは男女が出会い長く暮らすもである。。でも恋愛は一時的なものでありそれがいかに熱情的なものでもいずれは冷めるのである。
結婚はそうした一時的な熱情ではない。長い時間を貴重な時間を共に過ごすということである。だから誰とその貴重な時間を過ごすのかそれはこんなに大勢の人がいても一人なのである。
一人が選ばれるのである。たとえ離婚してまた結婚してとなってもその数はせいぜい二人くらいだおなる。。
実際は人間は男女でもある一人を選び結婚する。
また早いうちの離婚なら再婚してもせいぜい二人だと思う

●熟年離婚で男性は意気消沈

ともかく近くで知っている人は妻に死なれてから相当にショックを受けた。死んでも妻のことを思い続け供養を絶やさなかった。そして妻無き家に居ることが寂しくてたまらなかった。それは熟年離婚したわけではない。
でも最愛の妻と別れてその寂しさが耐えられないものであったのだ。男性の方が妻を失うことはか衝撃が大きい
やはり妻に支えられていたということがある。それは経済的なことではなく精神的なものでありそれが離婚したとき自覚され意識されるのである。

熟年離婚した人を見ていると男性の場合は意気消沈している。
おそらく男性は亭主関白だったのかもしれない。自分の言うことをつまり妻に従わせる。そういう結婚生活だったのかもしれない。それが離婚した結果従う相手もなく意気消沈してしまったのかもしれない。
その人は一人で居ることができない。常に誰かがそばにいて仲間がいることは日常的な生活だったからである。
離婚した結果どうしても家でも一人でありその一人に耐えられないのである。ただ仕事はできる人間なので仕事をしているときは生き生きしているのである。ただその仕事をするにしても支える妻がいなくなった時仕事が終えても自分で食事でも用意しなければならない。それはかなりの負担になったのである。
ただ熟年離婚は増えている。だからこうして一人男性が取り残される人も取り残される人も増えているのである

これは高齢化の問題でもある。たとえ60代で離婚してもその先がまだ長いからである。その長い時間を一人で生活しなければならないからである。

●ただ迷惑行為して生きる老女

こうして高齢化の問題はここにも現れている。他にも何かすることもなく生きがいもなくただ迷惑行為をするために生きているばあさんがいる。キラキラした金属のものをぶら下げてふ迷惑をわざわざ作って迷惑行為をするのがその女性はそうして迷惑をかけることが生きがいともなる、それも異常だとなる。
それで市営住宅の知っている老女はそのために目が悪くなるとまで言っている。
その迷惑ばあさんは何の為に生きているのか。ただ人を困らせて生きている迷惑ばあさんになっている。それも無視できない笑い事にできないのは現実にそのキラキラした金属片で目が悪くなると老女がいるからである。
こうして高齢化社会はいろいろな問題が生まれている。それは長生きはいいとしてもその長生きした人生を意味あるものと生きがいあるものとして生きられないことである。

だから高齢化の問題は金がなくて生活もまともにできない食べるものも満足に食べられないという問題も深刻である。
それと同時になんで生きているのかもその意味が見い出せなくなっているのである。それは例えば障害者であれどうして生きているのか生きる意味は何なのかそれもわからない。老人の問題はやはりなんで生きているのか何の意味があって生きているのかそれが見い出すさあれずただ迷惑人間となっていることが問題なのである。
もうし60代くらいで死んでいればこんな問題は起きなかったかもしれない。迷惑人間になる前に死んでいたとなるからである

2023年04月03日

鹿島区桜田山から桜と海を見る (万葉会館の丘も桜満開)


鹿島区桜田山から桜と海を見る

(万葉会館の丘も桜満開)

shipsakura1.jpg


mebuki11.jpg

sakuraoka1.jpg

山桜万葉園の芽吹きかな
街中の墓地に参りて落椿

太平洋沖に船行き満開の桜の映える丘に上りぬ
満開の桜に赤し椿かな遠くに望む鹿狼山かな
若草の丘に桜や椿咲き遠く望みぬ鹿狼山かな
我が墓の赤錆落とし春の日や供養と勤む人と語りぬ

桜田山の万葉園は荒れていた、震災以後荒れてしまったのである。もともとここを見に来る人もわずかで寂れていたのである。
何か庭でもそうだがリニューアルしないと魅力がなくなる。
ただ山桜が咲き芽吹きがあり美しかった

今は万葉園の方が整備されて散歩する道がありその斜面に桜が咲き満開だった、でもここの桜の木はまだそれほど成長していないのである
ここは新しいから若草が生い茂り蕗の薹もでていた
遠くに鹿狼山がみえた、この山は400メートルくらいでもこの辺では高い山であり遠くからでも見えるのである
自分の家の墓に御影石に赤錆で汚れたので大工兼庭師兼墓作り掃除する人は重宝する、でも庭でも狭いからそんなに変えることはできない、金もかかる、昔の戦前の金持ちは大工でも庭師でも専属として雇っていたのである。だから技をそこで磨けたのである
そういう家とか庭が今は観光として金をとって見せているのである。




2023年04月02日

相馬六万石の桜 (みちのくの桜の短歌ー城と桜のこと)

相馬六万石の桜

(みちのくの桜の短歌ー城と桜のこと)

sakurashiro11.jpg


街中に数羽鳴きかい燕来る

満開の桜に夕日映えて暮る六万石の城の跡かな
城跡のお堀にあわれ夕暮れや桜を写して女高生行く
桜色女高生行く城下町辻を曲がりて春の日暮れぬ

城跡に枝垂桜の優艶に小高の暮れぬ我が訪ねて去りぬ
牛越城五年ありしと桜咲き風吹き暮れぬ短き日かな

赤々と椿の映えて安達太良や夕風吹きて花も散りなむ
二本松の城に夕暮れ赤々と椿の咲きて風騒ぐかな
山城に井戸の深きも散る椿赤きや守る侍死にぬ


石垣の反りて高く広瀬川ひびき流れて燕飛び来る
みちのくの仙台の街の夕暮れや遅くも咲きし桜匂いぬ


その場所と歴史とが一体となっている。そういうところが魅力がある。城はそういうことで魅力がある。ただ相馬の城跡があるにしてもそこにどういう歴史があったのかイメージしにくい、
でも六万石というときその規模からイメージするものがある。
それで

城下町六万石や冬椿

私が作ったものであるが何かこれが相馬六万石の城下町をイメージされる

春や昔十五万石の城下かな 子規

ここに6万石と十五万石の差がある。六万石となると規模が小さいからである。だから貧しいともなる。それで冬椿がにあっているとなる。
小高の城は相馬氏が支配した一番古い城である。次に原町の牛越城に移り五年あった、短いにしても小規模でも城があったとなる、城というより館のようなものである。
相馬の女学校ではなぎなたを教えていたのはやはり城があり江戸時代から伝えられたものがあったためおなる
何故なら原町高校とかなると商業高校から始まっているからである。

城というとき二本松の城は魅力がある。山城であり背景に安達太良山が映える、桜がその山城を覆う、椿も赤く咲いていた。
深い井戸もあり城は水を自給するから籠城できたとなる。

城内に120カ所以上も掘られたという井戸で、17カ所が現存しています。深いものは約40mもあるとされ、加藤清正の頃から熊本が豊かな地下水に恵まれていたことを今に伝えています。

これだけの井戸があり政府軍が籠り西郷隆盛の軍が攻略できなかったのである。
つまり籠城しても水がないとできないのである。これは今の戦争でもそうである。食料でも自給できなければ国でも守れないのである。それはウクライナの戦争でロシアが食料を自給できるから戦争できる、ベトナム戦争でも芋を食料としてしのいだ。熱帯だから芋の成長が早かったのである。長期戦でもできるとなったことでもわかる。
日本の危険は外国に食料を頼りすぎて国防からみれば危険なことだったのである。

とにかく城には桜が映える、でも城があるときは桜がさいていなかったのである。
城内に桜が咲き誇るようになったのは明治時代以降のことで、江戸時代までの城には今のように桜の木は生えていなかった。城下町や街道を見張るために城内の木々は基本的には伐採されており、植栽されていたのは食糧にもなる梅や、合戦時に利用できる松・竹などに限られていた。

実用的なものとして井戸があり桜はなかったのである。
城は捨てられてかえりみらなかったのである。
時代劇で浪人が城を嫌っていた、城の侍を妬み恨んでいたからである。私の家を建てた時も家が大きいから妬まれたのである
それは50年前となるとまだみんな裕福になっていなかったからである。その後はみんな豊かになっていたのである。
城でもみんな庶民がいいものとして見ていたとは限らない、庶民は米を侍に収めるのだから支配されるのだからいいものとも見ていなかったのである。元の侍が城が荒廃するの見て桜を植えたからである

ともかく桜は日本を象徴する花である。桜前線は北上して稚内まで咲いていた。すでにその時6月になっていたのである。
このように桜が咲く時期が日本全国で違っているのも魅力なのである。みちのくは西の京都大阪からすれば遅く咲く
西の栄がありその桜が散ってもみちのくでは咲き始めるのである
そのことが地理的にも歴史的にも桜が象徴となっているのである






2023年04月01日

需要がないのに宅地でも新築の家が作られる矛盾 (新たに仕事を作り出すー家のリホームと庭のリニューアル)


需要がないのに宅地でも新築の家が作られる矛盾

(新たに仕事を作り出すー家のリホームと庭のリニューアル)

人口を減らしたくないという市町村の事情と、常に新築住宅を作り売らなければならないようなビジネスモデルになっている住宅会社の事情、さらには資金の活用先を増やしたい金融機関の事情から、人口減少が明白であるにもかかわらず新築住宅は増えている。
市町村など自治体にとって人口減少は税収減や地域経済減退につながるのでなんとしても避けたいものだ。総人口が減るなかで、自分のところの人口を減らさないためには近隣の他市町村から住民を引き抜いてくることしかない。すなわち自治体間での住民の取り合いとなる。

それも市街地の中心部や周辺ですでに発生している空き地や空き家を埋めるようにすれば良いのだが、実際は前述のような理由からそれがなかなかできず、それらを放置したまま別の場所に住宅を新築させようとする。

銀行など金融機関も、低金利下で稼ぐ手段として前記の住宅会社と組むケースが出てきた。その中でも土地も資金も持たない個人に対し融資をし、住宅会社が進めるオーナー商法に積極的に協力するところも現れた。
「ローンの返済ができない」などの問題も…人口減少の日本で「新築住宅が減らない」4つの理由

その大工さんは家のリフォームの後庭もリニューアルするとして石の配置を変えたり私がいらないという花の木を切ったりした
花でも同じものをいつも見ていると飽きる。
庭でも何か同じだと飽きる。それで自分自身が新しい花を買ってきて植えた。それで足りないので何種類かの花をコメリからかっ咲かせる育てることは野菜を作るように土とかとも関係してめんどうなのである。
だから人間はあらゆることに通じることは不可能である。
私自身は庭に花を自ら植えたりしたがそれ以上変えるつもりはなかった。でも大工兼庭師が勝手に変えたのである。
それは悪いものではなかった。それなりに前とと違ったものとなりリニューアルされたのである。
それならまた金を払ってもいいと納得した。

このように庭のリニューアルでもリフォームでも前よりよくなればそれに金を払う。その人は今度は墓も作っていたので墓石が汚れているとしてそれを落とすということを言った。
確かに石が汚れて赤くなっている。だからそれも必要なのかと思った。
つまりその人は新たな仕事の需要を見つけたのである。
ただ金のない人はそんなことしなくてもいいともなるだろう。
ここで考えたことは今なかなか仕事がない時代になっている。
何か仕事と言うとき老人が増えれば病気とか介護になりその方面の需要は増えてくる。ただ仕事は需要があってこそある。でもまた新たに新た需要を作り出すことによって仕事も生まれる。
私自身庭を変えるということを少しは考えてもそんなに庭を変えようとは思っていなかった。そこに需要を自ら見出していなかったのである。

何か現在の仕事は新しく家を建てたりすることができなくなっている。少子高齢化でもあり若い人が少なければ家を建てる需要も
減少してくる。
この辺で新築の家が増加したのは原発事故の避難者が故郷に進めなくなった人たちが移住してきたからである。
だから新しい町が三つくらいできた感じになる。新興の住宅地ができたのである。
それも一段落したそれでもなぜ新しい住宅造成地ができるのかとか大東建設のアパートがまたできるのかと疑問だった

そんなに需要があるのか?

もうそんなにないのに依然として開発がなされていることがわからなかった。この記事を読んで明確に理解した
需要がないのに無理して作らねばならない理由がわかったのである。人口減少で自治体間で人の奪い合いになっているという説明である。この辺は原発事故で人が流動した。そして避難区域でわ
家は捨てられ田畑も捨てられ荒廃したのである。
でも周りの市や町に移住してそこは帰って人は増えたのである。このことは特殊なことであるが他でも起きていたことなのである。人口減少で人の奪い合いになっているということである。
需要がないのに土地造成をしてアパートを建てている。でもそうせざるを得ない理由が社会にある。
銀行でも貸付先がないから需要がないのにか金を貸して需要を作り出しているのである

現代は供給過剰社会になっている。だから空き家が増えても利用できるとしてもしない、新しい家を作りつづける。
経済理論では江戸時代でも常に大火がありそのために家が新築されるから需要が生まれて景気よくなったとなる。
戦争になれば奇妙だが家でもインフラでも破壊されるからやはり巨大な需要が生まれて景気よくなる会社も生まれる
経済にとって需要は大きな問題である。それであえて需要を作り出すため公共事業を国で作り出したケインズ理論が生まれたのである。ピラミッドの建設も需要を作り出す公共事業だったという新説もこのようにして生まれたのである。
供給と需要は密接な関係がある。供給が先か需要が先かとなると簡単に決められない、供給しても需要がなければ経済はまわらない、 百万都市の江戸は消費地として発展した
何か生産したわけではない、諸国の大名が集まる大消費地だったのである。別に何かを生産することもなかったのである

ともかく現代は供給過剰社会であり何か需要を見出すことがむずかしいにである。戦後の焼け野原だった何もなくなったから膨大な需要が生まれた。小さな店でも物がないから物を置けば売れたのである。需要に供給が追いつかなかったのである。
でも今は供給過剰社会である、これほど空き家があるのに利用されない、新しい家を建てつづけている。そうしなければならない理由がある。それは需要がなくても消費者側とは関係なく生産者側の要求でそうなっているのである。
でも少子高齢化社会では様々な新しい需要が生まれにくい、病気が増えるとか介護が増えるとかの需要が増大する、でもそれが経済成長には結びつかないのである。



posted by 天華 at 21:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題