2023年04月19日

桜も散り季節が変わり装いを新たにする (タンポポ、椿、八重桜、牡丹、雲雀など)


桜も散り季節が変わり装いを新たにする

(タンポポ、椿、八重桜、牡丹、雲雀など)


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忘れな草




タンポポを踏みて犬散歩

ますぐなる道にタンポポ絶えず咲き朝の海に出て沖に船見ゆ
タンポポの空地に広く咲き充ちぬ朝に雲雀の鳴く声ひびく
八重桜タンポポ眩し土手の道芽吹きし木々の風にそよぎぬ
様々の花を植えたり我が庭に余生ここに楽しむべしかな
我が庭に咲き続けたる牡丹かななお栄えむと咲き続けなむ
咲きつづく牡丹や朝日に眩ゆしや心置きなく咲きて散るらむ
あらたにそ牡丹植えてそ咲くを待つ咲くとかぎらじも我が待ちにけり
地味なれや忘れな草の庭に植えとなり明るくさくら草咲く
庭の奥白椿咲きひそか散る我のみ見つつ部屋にこもりぬ

桜がみんな散った、次に咲くのが八重桜である、これは落ち着いて咲く花である。ほのぼのとして咲く花である。桜は咲いても常に散ること予感させる、だから静心なく咲く花なのである。
その花が咲く道を今日も行く、土手にタンポポが眩しい、犬がそのタンポポを踏んで散歩する、それは平和な光景である

牡丹も庭に咲き続ける、20年なのか30年なのかわからない、そんなに長く咲き続けるものなのか、その不思議がある、場所がマッチしたのだろう。牡丹はやはり栄の象徴の花である。
花の王者である。

そしてこの花のように心置きなく咲いて散る、その生を全うする、そうなるにはやはり長生きしなければならない、早世する天才もいるが普通の人でも長寿の」時代は才能が開花するともなる
心置きなく咲き散っていく、西行の辞世の歌が

願わくは花の下にて春死なんその如月の望月の頃

「望月の頃」なので「陰暦2月15日」。今の暦では3月の後半にあたります。まさに桜が満開の時期ですね。

満願かなってこの日に死んだ、心おきなく死んだのである
こんな風に死ねたことは桜を歌い続けて実生活でもそのとうりななったというなはやはり人間の詩も実はその一生の反映としてあるかそうなる。生きざまが死にざまにもなるからそうなる。
ここに死にたいする恐れもなくただ和やかなかな春の満月が照らしているだけである、安らかな死があるのみである。
死は実際は断末魔の形相ともなりそんな安らかに死ねないからである。だからこれは例外的となる死である。

ともかく家と庭でも新しくしたことは良かった、ただまだリホームする場所がありそれでまた仕事が終わらないのである。
家のことを整理するのが大変なのである。捨てるべきもの捨て身軽にする必要がある。ただ本などでも簡単にすてられないから困るのである。良書は不思議に何回読んでもあきない、何か新しい発見がある、結局読書はその人の読む方で相当に理解力がないと
ただ一方的になるだけである。
つまり自分の文脈のなかで引用するようになるとただ一方的読む読まされるとはならないのである。
とにかき知的作業には自分の書斎なり城を持つことが不可欠である。そして庭があるとそこから自然にじかにふれられるからいいのである。
もし大きな庭があり散策できるなら最高である、それは相当な金持ちでないとできない、田舎だと散策は外ですればいいとなる。
今の季節は最高だからである。