2023年06月20日

真野川に残された一羽の白鳥 (毎日餌をやる老人)

真野川に残された一羽の白鳥

(毎日餌をやる老人)

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首輪をしている


真野川の下流に一羽の白鳥が残された。その白鳥に毎日パンクズなどの餌をやっている老人がいる。に1日三回来て餌をやっているという。その人は車で来てその車に犬が何匹かいる
実際は全部で十匹飼っていると言う。その餌やりだけで手間である 十匹となれば餌代もかかる。デモそれが仕事になっているのだろう。他に苔のようなもの食べている

基本的には水草や草の実などの植物を食しているが、時に昆虫・貝類・甲殻類も食し、穀類も食す。
餌付けする場合はパンの耳や穀類を与える場合が多い。
本来の食性ではないパンの耳や穀類を与える行為は、ハクチョウにとってあまり良い行為ではないので、一般人は自粛するべきである
ハクチョウは田んぼなどで落穂や草の根などを掘り返して食べており、積雪の少ない栃木県内の平野部では自力で餌を探すことが可能です。

当会では、餌付けやそれに伴う渡来の集中化によって、高病原性鳥インフルエンザの感染拡大、残った餌や大量のフンによる水質汚染、渡来地周辺での農作物への食害発生などが懸念されることから、カモやハクチョウへの餌付けは好ましくないと考えています。

私が餌をやろうとしても近づいても来なかった
餌をやるのも問題になる。餌になるものがやはり人間が与えなくてもある探すことができる
昆虫とか貝類を食べている、真野川ではシジミを取る人が増えたから食べているのかなにかしら餌はある
餌をやっている老人には相当に慣れている なぜなら触ることもできるし首輪をかけていたが確かに首輪がかかっているのである
これほど慣れているというのもどういうことなのかそんなに白鳥とは人になれるものなのか分からない

私も一匹の猫に餌をやっているがこの猫は絶対に慣れない何か人間にひどくいじめられたためかなれない空白前の猫は慣れていたが尻尾を焼かれただから猫でも人間を恐れるようにもなるしかし白鳥は大事にされるからそうして人間にいじめられるということはないのかもしれない

それにしても冬まで仲間を待っているのは長いと思ったでも餌をやる人がいるのだからここで生きていける仲間が来るまで待つほかはない。他ほかでもやはりシベリアに帰れない白鳥が必ずいるここの白鳥は羽も直って飛べるようになっている
だから冬まで仲間を待っていればシベリアに帰れるとなるただ一羽では帰れないのだろう
posted by 天華 at 18:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

近くの井戸の水をもらい飲むことにした (接続可能な生活にもどる自給生活を見直す時代)


近くの井戸の水をもらい飲むことにした

(接続可能な生活にもどる自給生活を見直す時代)

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あしび(馬酔木)なす 栄えし君が 掘りし井の 石井の水は 飲めど飽かねかも
                      
咲き誇る馬酔木の花のように栄えたあのお方が掘られた井戸、その石で
組み上げた井戸の水は、いくら飲んでも飽きないことだ.

ある高貴な人にゆかりの井戸を誉め称えた歌.石を積んで頑丈に囲んだ
井戸は、その所有者の富裕と威勢を示したことでしょう

井戸の使い方とは?井戸はどのように生活を支えていたのか

 軍勢は井のあるところに集まる。ふだんより重い衣(甲冑)を着ているので喉が渇く。喉が渇いたら人は井のあるところへ行く。一度戦って敗走した兵を再編成するには、将軍は井のところで待って居ればいい。つまり、戦において、井は、軍を「いはむ(屯・聚・満)」むための根拠なのである。そんな意味の井でお偉い天皇軍がイハムむのだったら、呼び名として、イハミヰ(屯井、ミは甲類)でなければならないと想定される。それなら、イハ(磐)+ミヰ(御井、ミは甲類)と聞こえて納得できる地名である。


水は生活の基本である.それで水争いがありそれが戦争の原因にもなった。特に砂漠地帯では水の一滴が血の一滴というように貴重だったまるだからこそ水を得るために命をかけて戦ったのである。それは日本でも水を争う戦いがあった。
水にめぐまれた日本でもやはり水をめぐって戦争にもなっていたのである。

今子供の時をふりかえると水道がない時代があった
それで近くの井戸があり家から水をもらっていたのである。
風呂で使う水はバケツで運んでいた。量が多いから何回も運んでいたから苦労だった。風呂にしても父親の手つくりの風呂だったのである。
洗濯ものは裏の堀でしていたのである。洗濯も洗濯機がないから苦労だった。ゴシゴシと手で洗い石鹸で盥でしていた
それでパリのセーヌ河で大勢の女性が洗濯している絵があったからそれはどこの国でも小川とか川を利用して洗濯していたのである。世界中同じ光景が見られたのである。
洗濯でもそもそも水がないとできないものだった。だから井戸であれ川であれ利用していたのである。

子供の時こうしてもらっていた井戸はまだ残っていた
それはポンプでくみ上げるものではない、でもポンプでくみ上げる井戸が隣にあったことは不思議である。街の中にも結構井戸はあったのである。
そしてその井戸を使ってもいいと持ち主に言われたので器に入れて飲んだ。この辺では放射背物質に汚染されたということがあり水道水でも未だに飲まない人もいる。でも井戸の水は計ってもらったから安全だという、川の汚染の問題は泥に放射性物質が付着して減らないからである。地下水の井戸水は安全だとなる。

とにかくペットボトルの水を買って飲めば金がかかる。水道でも金がかかる。この井戸水を使いば節約できると思った
それからこの井戸水はなかなか枯れない、だからいくら汲んでも
尽きないともなる。無料で使いるとなると貴重である。
水道代もあがるとかなり金をここで少しでも節約できれば助かるとなる、こうした資源は持続する、森林でも成長するに時間がかかってもやはり持続可能なものとして利用できる
そこに安心がある。他のものは外国から入ってくるから昨今の急激な円高とかで日本では苦しくなる。だから自給できるものがあれば安心なのである。

いずれにしろ生活を見直すことが迫られている。電気でも高くなり節約が迫られる。原発を再開しろとか言うがもし福島のようになったら取り返しがつかなくなる。電気でも今までのように使えない時代になる。そしたらどうしても過去の生活に戻れなくても
自給できる生活を取り戻すことも必要になるのである。
飯館村では井戸でも清水でも天然の水をまだ利用している家が結構あった。山があり清水を利用していた
また作見の井戸がありそれを見て豊作を占ったというときも井戸はそれだけ貴重であり生活に欠かせないものだからそうなったのである。

posted by 天華 at 09:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題