2023年06月22日

縮小化する日本の象徴が原発避難区域に具体化された (森が再生されて再び森の国になる日本の未来)


縮小化する日本の象徴が原発避難区域に具体化された

(森が再生されて再び森の国になる日本の未来)


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経済的に成り立つであろう地域人口を確保できる中核都市を作り、人が住まないところには行政・民間いずれもサービスをしなくて済むように、不要な橋は維持せず、電力も携帯電波も供給せず、病院もない地域を作って人口減少に備えなければだめでしょう。

 人のいない地域に不合理にお金をかけて、おらが故郷を守れと言われても、その原資は国民の税金であることを忘れてはならないし、これが人口減少時代の「撤退戦」であることは間違いありません。

綺麗事は抜きにして、人が不自由なく住める地域に限定して行政サービスを行えるよう自治体の再々編も必要だろうし、地域金融もテレビ局も電波も再編して、残りは政府直轄地として国立公園にするなり森林環境税とか活用するなりして保全していくほかないんじゃないでしょうかね。

ついに銀行も支店撤退…「人口が減り過ぎて競争が成立しない」地方経済の問題について

●小高は車がわずかしか通らないことで寂れたことがわかる

このことが原発事故の避難区域で起きている。大熊町浪江町南相馬市の小高区そして飯館村である。
若い世代が帰還しない、残されたのは老人なのである。小高区は三割くらいが戻ったからいい方である。高校も再開している。でもその高校生にしても他から通う人たちである。
街の中には確かに人は戻り住んでいる人たちが増えた、でもそこで気づくことは車が通るのが少ない、車が何台か通るにしても少ない、だから静かだなとなり不思議な感覚になる

車がこれだけ少ないことは現代では人が歩く時代ではないから寂れた街になる。というのは車が少ないとしてもその代わりに街の中を歩く人が増えれば寂れた街にはならない、もともと街の通りを歩く人は少なかったからである。通りを歩く人たまにいるが老人であり子供などはまた夫婦とか子でも連れで歩く人は見かけない、それで小高区の人たちは原町に移住している人たちが多いのである。どうしても原町は5万くらいの都市だから便利であり住みやすいからである。
鹿島区では私の家の脇の道路は車がめったに通っていなかった

今ひっきりなしに通る、それは小学校へ通じる道にもなって移住してきた人たちが子供を乗せて通わせていることもある。また他にもこの道を利用する人が増えたのである。
車の行き来が増えることでその場所の経済が活発かどうか判定できるのが現代だからである。
私もどうしても原町には買い物でも鹿島区には足りないものがあるから定期的に行くことになる、最近は一軒の自転車屋も主人が死んでなくなったのも困った。他に弁当屋もないとかないものがあり不便なのである。相馬市までは自転車では15キロあるから遠いので簡単に行けないのである。
ただこんなふうになったのは原発事故とか津波に被害のためでもある。でもこの状況は日本全国になる未来の年表でも話題になっている。

●中核都市の原町に移住する人が多い―他でもそうなる

おらが故郷を維持したいのはわかる。長年住み慣れた町や村を捨てることは簡単にできない、維持されるべきだと思う、そこにも歴史があり歴史が絶たれることは大問題だからである
この辺では原発事故とか津波の被害で小規模の町や村が回復せず強いられて人口が原町から鹿島でも相馬市でも移動したのである
だから人口はそこでは減っていないのである。原町は一番人が原発雛区域から移動している。鹿島区でも新しい住宅地が三つくらいできた感覚になる、でもその人たちがどこで働いているのかわからない、やはり車で働く場所に移動している。それはもともと広域的に仕事する時代だから特別なことではないからである
ここでは原発事故とか津波の被害で人口が原町とか鹿島でも集中したとなる。だから未だに不動産やとかハウス会社が住宅地を造成している。やはり移動して住む人を見込んでいるからだとなる

経済的に成り立つであろう地域人口を確保できる中核都市を作り、人が住まないところには行政・民間いずれもサービスをしなくて済むように、不要な橋は維持せず、電力も携帯電波も供給せず、病院もない地域を作って人口減少に備えなければだめでしょう

ここでは中核都市として原町に人が集中している。そこでは現代の便利な生活が可能だからである。でも南相馬市の小高区とか維持するとなると容易ではない。負担ばかりが市の財政でもかかる。南相馬市では未だに二割の予算が復興のために入ってくる
でもそれもいずれはなくなる。

●飯館村は国立公園にして癒しの場として管理する

飯館村ではもう残ったのは老人であり立派な学校の校舎を作っても地元から通わず村外からか通っている。それも10人も満たないとかなる
つまり将来的に村を維持することが不可能に思えるのである

人が不自由なく住める地域に限定して行政サービスを行えるよう自治体の再々編も必要だろうし、地域金融もテレビ局も電波も再編して、残りは政府直轄地として国立公園にするなり森林環境税とか活用するなりして保全していくほかないんじゃないでしょうかね。


これに一番合っているのが飯館村である。もともと森林面積が70パーセントとか森に囲まれていたかである。それで癒しの村にもなっていた。それがもう維持するのがむずかしくなった
実際飯館村は外部から移住してきた人たちが一割から二割いて公共てきなもの維持している

郵便でも配達しているのは外部から入って来た人たちであり
キコリの宿泊所でもフロントの女性は外部から来た人であった
それも年配の人が多いからいづれ福祉の世話になるとしたらその負担で苦しむ、だから南相馬市と合併するようになるかもしれない、とても維持できなくなる。今住んでいる人たちは老人が多く
それも補償金を多くもらったのでそれで生活が成り立っている

それが切れた時生活自体が成り立たなくなる。農業でも再開しても一部であり収入がなくなるからである。
いくらまでいな村としてあっても成立していたが今後は無理に思える
三陸の津波でもジジババだけが住んでいる場所に税金をつぎ込んでも無駄だと官僚が本音を言った、つまり復興ができないからあきらめろともなる。ただ昔のような自給自足の電気もないガスもない水道もない車もない・・・そういう生活するなら別である
できないとすれば」いくら税金をつぎ込んでも無駄だとなる

だから森林公園として政府直轄地域として管理する、国で管理すれば金は国で出すから維持できる。そして森が維持できればそこは癒しの場として都市せ活でも疲れた人が生気を回復する場として最適だとなる
私はその森をテーマにして詩を作って来たからわかる。飯館村と丸森は本当に森が深いのである。
もともと日本は森の国であった。未だに国土の70パーセントが森なのである。外国になると山でも木がないところが多い、シナイ山とか草木も生えていない荒涼とした場であった

●日本は森の国に戻る

木のある森で覆われた山は世界で少ないのである。でも日本では木に森に覆われている、そこが日本の特徴なのである。
少子化とか人口が減るとか経済が縮小するとか騒ぐけれどももう東京のような一千万都市は人間の住むところではない、すでにそこでは人間の精神を正常に保つことは不可能である
そこから異常なカルト宗教団体が産まれてくる。それは文明的病理現象なのである。

人口が縮小することはその分森が増える自然が復興することにもなる、人が住まないと田んぼでも森になる、森が復活するのである。
もう現代は世界的にも経済成長の時代は限界であり人口縮小になる。そのいい点としては森ととか自然が再生されることである。
これも問題があるにしろ無限の経済成長は無理でありかえって縮小することに備えなければならない。拡大拡散成長の時代は終ったのである。地球にしてももう人口でも収容するのは限界になったからである。だから資本主義も終わりになるのである。






posted by 天華 at 20:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層