2023年07月03日

記憶する方法は本でも理解すること (人生で最後に残るのは記憶である)

記憶する方法は本でも理解すること

(人生で最後に残るのは記憶である)

●理解しないと記憶されない

脳にしっかりと記憶し、それを活用できるようにするには、「理解」がベースにないといけません。「理解なき暗記」は非常に脳に負担をかけます。

「こういう理由でこうなるのか」と、公式が意味していることを理解し、さらに「なぜそうなるのか」を人に説明できるようになると、その情報が脳の深部にまで届き、習得できます。

「覚えるのが苦手な人」が記憶力を高める方法2選
「頭が悪い」は生まれつきのものではなかった

なぜ記憶が大事なのか?それは老人になると分かるのである。人は色々と経験する。色々な人と出会い知識も集める。でもなぜ人は忘れるのか?それがわかるのは老人になってからである。たしかにその女性は私の兄に当たる人と一つ屋根の下で子供の時五年間一緒に暮らしていたのである。でもその女性はその人のことを何も憶えていない。その人はいなかったと言っているのである。その人は確かに実の兄ではない。でも一緒に子供の時、五年間も居たのだから忘れるということはありえないと思った。実は私も私の家で兄と一緒に五年間いたのである。それは私が一歳から五歳くらいまでであ。だから記憶はあまりない。

でも確かに一緒にいたということは覚えているのである。その時あんにゃと言ってたからである。その兄も40歳で交通事故で死んだのである。記憶にないということはその人が存在しないということでもある。それは認知症になると自分の子供すらわからわからなくなり。記憶から消えるのである。となると自分の子供すら存在しないとなるのである。こういうことは老人になると起きやすい。50年前のことをどれだけ人は覚えているだろうか?確かに大学時代にその人はあっていた。でも今になると、その人が本当に存在したのかとまでなる。 
去る者は日々に疎しであり。その人自体が非現実化してくるのである。だから死ぬとたちまち存在が曖昧のものとなる。それは60年も一緒に過ごした家族ですらそうだった。ましてその他の人はもっと50年も過ぎれば記憶から消えてしまうのである。

でも何か知的作業をするとき必ず記憶されたものは大事になる。なぜなら記憶されたものから過去をたどりいろいろと創作するからである旅をしたとしてもそれも過ぎてしまえばその記録も朧となり。思い出せなくなる? 特に車とかバイクは速すぎて振り返ればその途中を記憶されていないのである。 ただ一番生々しく感じているのはその時、その場のことである。
でもそれも時間が過ぎれば記憶も曖昧となり何を感じたかということも定かでなくなる。それで不思議なのは過去に書いた文章でも俳句でも短歌でもこんなものを作っていたのかと自分で作ったものに感心しているのである。プログだと時間軸でたどれるから過去を思い出すにはいいツールだとなる。

それは読書にも言えた。膨大な本を買って読んで印まで付けていても思い出せないのである。思い出せないというより本を理解していなかったのである。つまり力不足で本を理解できていないから。いくらしるしをつけていても、忘れてしまっていたのである。
千冊本を買って読んだとしても実質はせいぜい十冊ぐらいは深く読んだとしても、あとは読んだともならなかったのである。だから、これまで買った本を整理してもう一回読んでみるとまったく初めて読むように新鮮だったともなる。 ほとんど記憶すらされていなかったのである。その理由は、そもそもが理解されていなかったことにあったのである。 

いくら本を読んでも理解しなければ記憶されないということである。 そうして今なぜこうして買い集めた本を読み直してみると。理解しているのか不思議である。とにかく私は何か理解すること会得することが遅すぎたのである。すでに60過ぎとか70過ぎになって。ようやく理解するようになっていたからである。 

本を一冊読んで理解することは相当に難しい。これはやはりそれだけの内容があるということである。 だから若い時は理解できないし、中年になっても理解できていなかった。つまり記憶するには理解することが大事なのである。勉強でも暗記だけは身につかない理解力がないと身につかないのである。その理解力をつけることは難しいのである。例えば本を引用するにしても本人にただ習うまねるだけでなくその人自身のものが思想が80%ぐらいがあってあと20%をほかの人の引用などを利用する。理解力はない人はただ他人の物を引用しているだけだともなる。だから意外と引用すること自体が難しいのである。その人自身の独創的なものが80%ぐらいあって、あとの20%ぐらいを他の物を利用する。 その80%が本体を形成していて引用はそれに付け足すものとしてある。でも若い時はその本体がないからただ引用しているだけであり理解されていないから読書しても身に付いていなかったのである。

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●記憶される場が大事

記憶が失いやすいのは外国旅行どうして見れば分かる?そこはあまりにも変わっているから 戸惑ってしまう。それで記憶から消えてしまいやすいのである、だから記憶に定着させるにわ本当は一回だけでなく、2回、3回と行くことが必要なのである。でも外国旅行になれば、そんなことはできない。一回限りで終わるのが多いのである。だから記憶から消えやすいのである。それでせっかく外国旅行してももったいないとなる。金と時間をかけても。記憶されないされるものが。やっぱり消えてしまうのがもったいないのである。

また人間が記憶するというときどういう場所が記憶されやすいかとなると都会のような混雑した入り組んだところは記憶に残らない。路地裏の道を歩いたとしてもその場所は記憶されにくい。都会のことは記憶されにくいのである。もう混雑していてそこに居るの人は記憶されない。ただ、群衆として消えてゆくのである。今はこうして人でも記憶されにくいのである。もし一対一で合っていれば、そういうことはないかもしれない。でも旅とかであっても忘れてしまうのである。それは瞬間的な出合いでもあり忘れるのではある。

記憶するというときその場がとか全体が関係している場合がある。なぜか?最近死んだ自転車屋のことを思い出す。その自転車は屋は駅前でずっと仕事をしてきたのである。だから駅とも一体化していたし街とも一体化していたのである。だから死んでも。その人が街の中にいて駅前にいる感じになったのである。その人の記憶は街の中にあり駅の前にあったのである。 だから駅から降りるとその自転車屋の人がいる感じになるのである。でも今はそうして全体から切り離されて一体化していない。自転車屋は街の中で役割があり一体化していた。 でも会社員とかなると今は街と関係していない。またスーパーであれ、コンビニであれそこで働く人を人は記憶するだろうか?それがわかるのはそこに働いてしたい働いていた人がいなくなってもその人が誰からも記憶されない。ただ一つの部品が消えたという感覚になる。現代ではそういう事が多いのである。

とにかく人間を忘れやすいそれで墓があるがそれは忘れないようにするために記念として作ったのかもしれない。なぜなら死んだら本当に何か形あるものもなくなり故人を忍ぶものもなくなるからである。それで故人を個人を死者を忘れないために墓として物体として残しそれで義務的にでも墓参りして死者を記憶し続ける。人は死んだら形もなくなり忘れられるからである。

老人が記憶が大事だという時それは記憶自体が生きることになっているからである。何を人生で経験して記憶したのがそれが人生になってしまう。でもその記憶自体が曖昧となり。自分の記憶したものも伝えられないということもある。記憶したものを文章にしたり、写真にしたりにしたりするしてそれが残り記憶がよみがえるのである。今はスマホとかで簡単に写真に残せるから便利である。そしてその写真を見て思い出すのである。でも写真にしても。それはどの場所だったのか?またいつだったのか?それが不明になることがある。だから場所と日付が。時間が大事なのである。 

かりそめに通りすぎて
十分に愛さなかった かずかずの場所への郷愁よ
それらの場所へ 遠方から 何と私は与えたいことか
しわすれていた身振りを つぐないの行いをもう一度ー今度は独りでーあの旅を
静かにやり直したい
あの泉のところにもっと永くとどまっていたい
あの樹にさわりたい あのベンチを愛撫したい
(リルケ) 

本当にこれだけ旅した自分でもつくづくそう思う、もう二度と行けなくなたともなるからである


●忘れられた医者のこととその空家

記憶という時不思議なのは近くの医者のことである。その医者のことは常に語られていたのである。口が悪い医者だが腕はよかったのである。私の家にも父が病気になった時、往診にきたし母の時も往診に来た。だから近くでは身近な存在だったのである。でも母は口が悪いので。嫌っていて別な親切な医者のところに行っていたのである。
でもなぜ?その医者は死んでその息子も医者だったのだが最近死んだ。その人は、一人息子だから今は誰も住んでいない。もともと息子は東京に住んでいたのでその妻も子供もこの土地に親しみがない。そしてその家を見ると去年の大地震で屋根が一部壊れている。それから戸なども戸などもいたんでいる。

でもその家を直すこともない。ただ放置されているのである。そしてその医者について何かこの辺で語る人もいないのである。それはその医者と関わった人は多く死んでしまったからである。でもあれだけその医者のことを騒いでいたのにぱったりと何も語られないということは不思議なので、それもなんなのだろうと思う。その家はいずれは朽ちてゆく。なぜならその家に住む人が家族がいないからである。だからそこももったいないと見ているのである。
ただ、空き家が残っていると依然として、その空き家は住んでいた人のことを思うのである。空き家もなくなれば次に語るものがなくなる。原町の大原にある空き家は幽霊屋敷のようになって壊されないで残っている。その家の中に入ったら本当に幽霊が出てくると思った。この家に住んだ人の。霊が取り憑いているような感覚になったのである。 だから物には霊はつくとなる。住んだの人の霊が例が取り憑いているともなるのである。一度この世に生を受けた者は簡単に消えたくないのである。

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2023年07月02日

夏の夕暮れから夜へ(夏雲雀、合歓の花、夏の月、涼しさ)


夏の夕暮れから夜へ(夏雲雀、合歓の花、夏の月、涼しさ)

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円盤雲

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夏雲雀空地の広くなお暮れじ
しなり揺れ夕風そよぎ合歓の花
バス停に相馬清水と夏の夕
湯上りに風の涼しく夜一人
湯上りや葉叢にのぞく夏の月

何鳥や澄みにし声に鳴きにけり夏の日一人我が部屋にいぬ
夕日さし我が力にそ坂をり風そよぎ涼しなお生きゆかむ

今日も暑かった、でもクーラーすると夏の気分がなくなる。ここは海風が吹き35度とかならない、でも今日は30度くらいで暑かった、それで夕暮れに外に出た、それで気持ち良かった、相馬市の道の駅の方に行った。
日中に陽射しを受けると熱中症になるのが怖いから出ない
人間は自然を感じるのにはやはり車だと坂を上るのにも楽だから登った感じがしない、今日は電動自転車の電池が切れた、でも優れものだから電池が切れても自力で結構走れる。それで坂を上った。夕日がさし風が涼しくそよぐ、夕暮れは涼しくなったから気持ちいい。

バス停に相馬清水とある、バスは通るにしても一日二回なのか三回なのか人はほとんど乗っていないのである
それよりバスが来ないのにバス停だけがまるでその地点を示すよあうに残っているものがある。地名を知るのにはいいとなる
相馬清水とあるからには清水があった、暑い時その清水を飲んだら涼しくなったとなる。近くの井戸水も冷たかったからである

風流は寒きものなりと言った人がいるが風流は暑きものなりともなる。でも昨今の篤さは異常であり風流ともならない、ただクーラーに頼ると不自然なものになりそれで電気の使い過ぎで金がかかる、ただこの頃は暑すぎるのである。

夜になると八つ手の葉叢の夏の満月が輝ているのが部屋から見える、八つ手も南国系である、芭蕉もそうである。沖縄では街中に芭蕉があり飲み屋がありいかにも南国的だった
暑さでも季節の変化がありその変化を楽しむのが日本なのである。でもあまりにも暑すぎると風流もなくなる

合歓の花も咲き始めた、夕風にそよぎゆれる、それがなにかたおやかな女性を感じる、しなやかだからである
これから本格的な夏になる。自分の問題は汗があまりかかず熱中症になることが怖いのである。でも夏は夏らしいのがいいとなる

静かに部屋に籠っていると何か澄んだ声で鳴く鳥がいる。それは毎日聞こえる、何の鳥かわからない、ヒヨドリらしい
でもこの鳥があんな声で鳴くのを聞いたことがない、ただ静かにしていると田舎だと鳥の声が家にいても聞こえるのである。
しかが都会とは違うのである。




少子高齢化は全て悪いものなのか? 地球にはもうこれ以上人口を増やす余裕がないー減らすことが自然である

少子高齢化は全て悪いものなのか?

地球にはもうこれ以上人口を増やす余裕がないー減らすことが自然である

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●東京に偏った人口―大都市の人口集中が問題

人間は何でもいい面と悪い面が出てくる。それはあらゆる問題でそうなのである。科学技術は、人間にの生活を便利にしたがは反面様々な災いももたらしたのである。車は便利でも交通事故で苦しんだのもそうである。それは技術を。人間の技術は?常に生活を便利にするとともに必ず何か不都合なことが出てくる。それで技はわざわいにもなったのである。人間にはそういうカルマがつきまとっている。全面的に良いものはないのである。

だから少子高齢化を考えるときもそうである。それはいい面と悪い面に必ず働くのである。 常に悪いことばかり言われるが、そうでもないのである。 この少子高齢化問題でも歴史的に考察する必要がある
なぜなら元々人口は明治時代で3000万くらいだったのである。今はその4倍もあるからである。これほど人口が増えた時代はなかったのである。だから長い歴史からみれば異常なことだったのである。 

なぜこんなに人口が増えたのか?やはり農業社会から工業社会へ変わる過程で人口が増えた。 江戸時代は農業社会であり、人口はほとんど変らなかったからである。人口を増やすとしたら新田開発であり、元禄時代にすでにそんな状態になっていた。全国の地名に新田とあるのは大概元禄時代までに開拓されたものである。相馬藩内では葛尾村に山の方に元禄という碑がありそれは検地が行われて行われて記念として残された。でも元禄時代で既にかなりの土地が田んぼになった、そのために元禄時代は繁栄した時代となっていたのである。江戸時代に豊になるということは、米を増産する他なかったからである。 だからこそ米を作るためにあらゆる場所が開墾されたのである。

そしてなぜ新潟県が明治時代になっても一番人口が日本で多かったのか?東京よりも多かったのである。そこはやはり米の一大生産地であり水に恵まれていて、うまい米ができたからである。今でもそれは継続されている。それから北前船が日本海を航路として。交通の要所となり栄えたとなる。太平洋より日本海が交通路としてあり日本海側が 栄えるたとなる。それでコロナウイルスで苦しんだは江戸時代にはやはりコレラがあり新潟県の阿賀野川を通じて会津の方に伝染したのである。

つまり。日本海側航路となって川が交通路となっていたから人の移動が多い時ウイルスもやはりは伝染してくるのである。
交通の要所になるところはやはり栄える人口も増える。だから瀬戸内海沿岸地帯の広島とか山口が人口が多く栄えたのは分かる? 
少子高齢化は悪いことばかりしか言われない。でも本当にそうなのだろうか?それは歴史的に考察すれば自然の理でありそれに逆らうことができないのかもしれない。日本の人口であれ地球の人口であれもう限界にきていたからである。
まず1000万も住んでいる東京などはもう人間の住むところではない。だから少子高齢化を語るときこの大都市への人口集中の問題なのである。なぜなら東京の人口は地方に分散すれば日本は返って住みやすい国になる。つまり東京とか大都市に人口が異常に集中するのは、自然の理に反しているのである。
江戸時代であれ明治になっても、日本は人口的にはバランスが取れていたのである。 新潟県の人口と東京の人口は変わりなかったからである。

●農業社会だと人口のバランスがとれていた

そうなっていたのは、やはり日本は農業者会だったからである。
農業社会は土地が資本だから土地に見合った人しか住めないからである。日本の人口は明治から大正から。昭和と人口は増え続けていたのである。戦前も増えていたし。戦争に負けても日本が焼け野原になっても。人口は増え続けていたのである。戦争に負けて生まれたのは団塊の世代である。 そうして高度成長時代があり日本は成長し続けたのである。でもそれに歯止めがかかったのはやはり自然の理であり。これ以上人口が増えることは自然の理には反すから歯止めがかかったともなる。 

そして農業社会は土地が資本だから土地を拡大しようとする。日本の戦争が太平洋戦争は実は満州から始まったというのもそのためである。農業するために満州に渡った人たちが住んでいてその土地の奪い合いから戦争が始まったからである。満州では日本人は米まで作っていたのである。そこは相当に寒いけどでも日本人は米をつくっていたのである。講師、農業社会ではこうして土地を。持たなければ。生活はできない。その土地を手に入れるために戦争にまでなったのである。それは日本では戦国時代からそういうことがあった。
だから意外と農業社会というのは土地の奪い合いがあり、戦争があったとなる。 

なぜそもそも日本であれ世界でも人口は増加し続けて来たのか?日本だけが少子高齢化というのではない。それは世界的に起きているのである。もう地球で増える人口を養えないのである。だから人口が減るということは自然の理であり。それが悪いともならないのである。このまま人口が増え続けてはいれば地球は汚染されて住めめなくもなる。
普通に自分の住んでいる場所は原発事故で住めなくなくなったところがあるからだ。つまり原発にするにしろ。それは危険なものである、人間が操作できるものでもなかった。その無理をした結果として、自然が汚染されて進めなくなったのである。科学技術は万能のようになった時代だが、それにも限界がありかえって人間を不幸にしてしまうのである。

●森が再生して江戸時代から縄文時代に戻る

そもそも人口を人間の力で操作できるものなのだろうか? なぜこれだけ地球で人口が増え続けている?このまま増え続けたら、地球は人間によってを汚染されて住めなくなる?だからこそ自然の理によって人口増加に歯止めがかかったのかもしれない。人工を調節するということも神の力でなされるのかもしれない。ウィルスのがその働きもすることはあると思った。ウイルスによってウィルスがばらまかれ人間の人口増加を減らすということである。人間の活動には問題がある。今やその活動を止めることが制御することが必要になっている
そのことは2000年前にすでに老子が指摘したように言われていたのである。人口が1億人の時、すでにそれが中国で言われていたのである。その十倍以上もの人口になっているのが中国である。だからもう増やすということは限界に来たのである。

だから今実行すべき事は人口減少を止めるということでもない。何か奇妙になるかもしれないが。時代が逆行して行くのである。江戸時代からさらに縄文時代まで戻る。何か空き家とか空き地が耕作放棄地が増えてくるのもそうである。耕作放棄地とかはそのまま放っておくといずれは森になっていくのでは?それはこの辺で津波があり、田んぼが一時的に森のようになったからである。木は伸びなかったが、そのまま放置していると森になったのである。

もともと田んぼだったところは森だったからである。日本はもともと森に覆われた国だったのである。そして再び森が復活して再生する。荘厳な自然の景観が回復するともなる。
そしてそこで自然と調和した適正規模の国土が作られるかもしれない。だから未来が必ずしも悪いはならないのである。なぜなら大都会に未来があるのかといえば無い。むしろ森が再生し復活して日本にが分散して適正規模の中に住んでいればそれはもしかしたら理想的な世界かもしれない。
でも実際は未来とは科学技術の発展のことである。でも原発事故のように科学技術技術がすべて良いものとして働くとこはならない。何か必ずその技はわざわいとなるのである。そして科学技術には限界がないように見させる。でも実際は限界があり。本当に開発を進めていくと災いが起きてくるのである。それは原発事故で証明されたのである。

●人口を人間の力で操作できるのか 

いずれにしろ少子高齢化というのは人口問題は人間の手で操作できるのかという問題がある。むしろそれが自然の理に合ってるから。そうなったともなる。 だから空き家が増えているが隣の家が空き家になったらその庭を隣の家が利用する。 すると狭い住居に住んでいる日本人が広いところに住み気持ちも広く豊かになるというのも一つの見方である。
現実に私の家の隣には空き家になったが、その庭が広いのである。それがが利用されないことが何か見ているのである。その庭に無断で入っているからである。他にも立派な庭がある。家でも放置されているのである。 だからそれをどう利用するのかが問題になる。 

ともかく人間の心情として何か成長する、発展するということが常に望まれる。でも減らすとか成長を止めるとかいうことはいいいい感じがしない。それは何か?気が滅入るということにもなる。でもそこにも良い点がありすべてが悪いとはならないのである。
その成長する増やす、拡大するとかいう思想はヨーロッパから来た思想であり。資本主義の思想でもある。絶えず投資して。成長し、発展させる、進歩するという思想である。でもその思想自体が地球に適用できなくなっているのである。すると東洋的。思想がそこで。見直されることになる。 世界は大航海時代から。西洋中心の世界が作り上げられた。その他は東洋でも。南アメリカでも。植民地化にされたのである。 
その思想自体に自然の理に反するものがあり地球自体に適応できないものとなったのである。
それで老子のいう小国寡民が今何か現実になっているのである。確かな事は人口が増えすぎた事である。だから減らすということが悪いとは見えないのである。日本だって東京は1000万以上住んでいるのだから地方に分散すればバランスが取れてくるのである。

posted by 天華 at 16:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2023年07月01日

狭い閉鎖的世界の生活が長かった日本 (なぜ無縁の場として神社を市場にしたのか?物と心が分離したグローバル経済)

狭い閉鎖的世界の生活が長かった日本


(なぜ無縁の場として神社を市場にしたのか?物と心が分離したグローバル経済)


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●無縁の場で商売を許可する


境界を考えるときまず自然が地形が境界になる。山であれ川であれ海であれこれが境界となる。また広大な森があり。そこには道もなく人の往来を阻んでいた。その自然境界があって間は簡単に交わることができなかった。人間は基本的に狭い場所で自給自足の生活をしていた。

各地に小国という地名が残っているのはそのためである。そこが一つの小さな国であり自給自足していたのである。それは?車もないのだから。簡単に遠くには行けないからである。道も整備されていないから歩くにしてもなかなか遠くへゆくことは難しかった。


そうなると小さな狭い世界でなじみの人と交わりそこが一つの世界となって 外界とは交わらず狭い世界で閉ざされた世界で生活していたのである。だから、この辺の伝説で隣村から来た麦つき働いた若い男が蛇だったということが伝えられる。


隣の村の人ですらこうしてめったに交わらない世界だったのである。

だから今、外国人が日本に来て働くということは考えられないことだったろう。ただ、そこで様々な問題が生まれるのは当然である。その麦月の若い男が蛇だったということにすでに。人が交わらないからそんな伝説が生まれたのである。でもそこでも日本語は通じたと思う。あの時方言があったとしてもやはり言葉は通じえた。 だから。コミュニケーションをとることはできた。でも外国人が来たら言葉すらわからないのだから互いに理解しあうことは難しい。


●言葉も通じない外国人と交わる困難


人間は言葉が通じなければ理解しあうことは難しい。外国に行って一番困るのは言葉だからである。でも不思議なのは言葉でも 音は理解しにくいでも文字は理解しやすいのである。それで最初に韓国に行ったときハングルが理解できなくて困った。その意味が全く分からなかった。でもホテルとあったらそこが英語で書かれていたら分かったのである。中国では漢字を通じて話すことができた。筆談ができたからである。 そのために中国では言葉が多様なために漢字で互いに理解し合っていたのである。テレビでも漢字をテロップとして流していた。音になればあれだけ広い国だからで民族もさまざまだから通じないのである。


これは外国だから当然理解し合うことは困難を極める。でも最初は隣の村すら交わることもなく人間は暮らしていたのである。 それで日本の神話でも海彦山彦の交わりが伝説化したのである。海で暮らすものと山で暮らすものとは相当に違ったものになるからである。 でも山で暮らしていれば必ず足りないものがあり。海で暮らしていても足りないものがある。そのために互いに足りないものを補うために交わりが生まれる。それが商業とか貿易とかの始まりである。


でも、そもそもそういう小さな狭い世界で閉ざされた生活をしていれば見知らぬ人と交わるのは容易なことではない。 まず人そのものを警戒するし、信じないからである。でも互いに足りないものがあり。そのために無理をしてでも交わることになった。

その交わる場所が神社だったというのも不思議である。そこを無縁の場所として市場のようにした。 神社とは縁をを結ぶ場所であるがこの場合は無縁の場所として見知らぬ他人を外から来る人を特別に入れたのである。


そういう閉ざされた世界で生きている人は、外部の人を簡単に受け入れないのである。それはなぜかというと。必ず何か摩擦が起きてその閉鎖されたコミュニティ内で問題が起きるからである。外から何か物が入ってくることは悪いことではない。でもそういう狭い世界のコミュニティでは外部からの侵入者によってその和が破壊されることがある。

だからまず狭い世界の村でもその和が破壊されないように図る。そのためにも無縁の場として神社を市場にもしたのである。

物のやり取りをしても、その物をもってくる人と必ずしも交わるということでもなかったのである。 それだけ閉鎖的な世界だったとなる。 

でもそこで考えねばならないのは? ものが入ってくるのはいいとしてもどうしても人間の和が破壊される。 だからそのコミュニティの維持が優先されたのである。 



●グローバル経済の問題から文化へー心と物が一致する世界へ。


グローバル経済の問題は物が入ってきてもそのものと心が分離していることなのである。 それは経済と文化の問題でもある。それぞれの国にはそれぞれの風土とか歴史に見合った物として作られてきた。

それは食糧でもそうだし様々なものはその体さえその風土に見合って歴史的に作られたものなのである。



この問題はまさに今の問題でもある。それに人が交わるのは一見いい様でもそこにいろいろな摩擦が生じてきて平和で和があってくらしていたとしてもコミュニティでも摩擦が生じて和がなくなってしまう。

ただものだけが入ってくればそれは意識できない。もう外国人が労働者として日本に入ってくるときはそうはならない。相手は物ではなく人だからである。 そこで摩擦が生じ、外交問題にまで発展する。 日本はもともと海に囲まれていて閉鎖された世界だった。一つの閉鎖された島国となっていたのである。 


最近日本語がどこの国とも共通国との言葉と共通性がないということ。日本語は実はもっとも古い言葉ではないかと 学者が言うのも分かる。なぜならヨーロッパとかでは必ず外国と共通な言葉がありわかりやすいからである。日本語はどこの国とも共通性ががないのである。そこが一番の日本語の謎なのである。

つまり、それは海に囲まれて閉鎖された島国であったからこそ起きたことである。そこで日本独自の文明が生まれたともなる。


グローバル化とはヨーロッパの大航海時代から始まり。交通の発達で現代はその頂点に達したのである。それももう限界に達したのである。これ以上のグローバル化はただ。問題が大きくさせるだけになる。

現実になぜ第一次世界大戦、第二次世界大戦で何千万の人が死んだのか?これはグローバル化が世界で協力するということではない。貿易にしてもそうである。むしろ世界的には交わるということは、そこに摩擦が起きて争いが激しくなったのである。中世となると遅れた閉ざされた世界で窮屈だとなるが。そこでは世界的に戦争など少なく平和な時代が続いたとなる。江戸時代でも300年、平和が持続されたことは、世界的に見れば奇跡的なことだったのである


ともかくグローバルに協力しあいアイデンティティ作ることは不可能である。だからこそ社会主義でも資本主義でも限界になり崩壊しつつある。それは自然の理に反しているからである。人間は自然から離れて物質的にも精神的にも存在し得ないからである。


●物と心が分離しない文化の時代に


現代の問題は?物と心が分離してしまったことなのである。ものというときものは心でもある。ものが憑くというとき物と心は一体であり、ものを通じて心も関係してくる。その物と心が分離したことが人間疎外を生んだとマルクスか指摘したのである。 それを現代に当てはめれば?これだけ世界中のものが流通している。グローバル経済の中で。生活しているが。それでも人間の心と心は通じ合わない。何かあれば国と国が争いものも入ってこなくなるのである。別に助け合いでものを流通させているわけでは無いからである。非情な競争原理でものは入ってく来たり来なくなったりしているのである。 


戦国時代でも。伊達藩と相馬藩が争ったとき相馬藩内では助け合うことがしたが飢饉の時に物資を飯館村に援助したりしたが伊達藩していない。何か揉め事があればこうして物も入ってこなくなるのである。 

だからこそ、外部からものが入ってきた時その住民たちは警戒したのである。その狭い、小さなコミュニティが破壊されることがある

現代では都会の人が地方の村に入ったりするととても。うるさくて溶け込めないとかなる。それはやはりそのコミュニティ内で平和に暮らしていたものは何か問題が起きてくるからである。


ものでも何でも外部から今なら外国から入れればいいとなるが。それが問題になるのはやはりそれぞれの国には歴史と伝統があり、風土にに見合った生活をしている。

だから何でも外国から無制限に入れることは危険になる。日本にわ宦官制度はない。中国に行っても、それを真似て取り入れることはなかったのである。

なんでもかんでも外国から取り入れることは問題が起きるのである。食にしても最近糖尿病が増えるとか?胃がんなのが?前立腺癌なのか?そういうものが増えてきたのは、外国から入ってきた食糧と関係しているのである。

なぜなら肉食でも日本はあまりしてない。日本人は肉を消化する酵素がないという。

外国人を絶えず肉を食べてきたから消化する酵素が出るというのである。つまり、長年の。食生活の歴史と伝統があり、それをなんでも入れると。問題が起きてくるのである。 


グローバル経済の問題は物が入ってきてもそのものと心が分離していることなのである。 それは経済と文化の問題でもある。それぞれの国にはそれぞれの風土とか歴史に見合った物として作られてきた。

それは食糧でもそうだし様々なものはその体さえその風土に見合って歴史的に作られたものなのである。

文化とはカルチャーとはcultivate から来ている。その土地を耕すことから。文化が生まれたのである。だから文化はその土地土地で多様なものであり同じものとはならないのである。でも工業化となると。機械化するということは画一化することであり。文化を無視するのである。世界中でコカコーラをみんな飲むということはそれはその文化にその土地土地にあったものではない。だから体にみんないいとはならないのである。寿司が人気なのはやはり日本の文化から生まれたものだからである。それは海に囲まれていて、海の幸が豊富だから生まれた食文化なのである。 


別にグローバル化でも、文化の交わりなら問題はない。無制限にものとかでも何でも入れることが問題なのである。それぞれの。土地と歴史と風土に見合ったものがあり。なんでも無制限に外国の物を入れることはその文化を破壊することになるのである。だから今、グローバル化は制限されねばならない。コロナウイルスにしてもやはりグローバル化した結果として、たちまち世界に広がったからである。ウィルスは風土病であり。その土地の中だけで。広まっていた。外国まで広まるということはなかなかなかったのである。それがグローバル化に人が交わることによって、ウイルスも世界中にたちまちに拡散したのである。それでかえって国境とか?境界が見直されたのである。



posted by 天華 at 11:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題