2023年08月11日

天皇とは何なのか? (神権政治が生まれた背景ー人間は人間によって治められない)

天皇とは何なのか?


(神権政治が生まれた背景ー人間は人間によって治められない)


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加治将一

歴史的考察で浮かび上がる真実の姿。天皇ファンタジーと日本の現実


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●天皇は日本独得のもの―外国の王とは違う


天皇とは何かそれは日本独特のものであり。なぜ天皇は生まれたのかその経緯はどういうものだったのか?それは神話的にもなり明確ではない。天皇が初代天皇の神武天皇は実在の天皇かどうかは不明である。でもなぜ日本では21世紀までも継続されたのか?これはやはりなんらかの存在理由がある。


それはおそらく日本という国が海に囲まれていて一つの世界になっていたからかもしれない。大陸だと必ず民族の興亡があり国でも継続しないということがある。日本は明治維新まで外国から侵略されたということはない。征服されたこともない。それはアメリカに負けるまでそうだったのである。だから日本という国は他国に異民族に支配されたということはない。だからこそ天皇は継続されたのである。でもアメリカに敗れた時天皇もアメリカに裁判されて死刑になったかもしれないのである。でもそれは日本は統治できないとして天皇温存したのである。


何か天皇というとき外国から見ると国王なのかとなる。でも国王でもない国民の象徴とかという抽象的なものになっているのである。また天皇は強大な権力を持っている存在とも違う。確かに皇居とかは広大な土地であり。東京の中でその土地の価値だけで莫大なものになる。また別荘もあり、その土地も広いから。財産は巨大なものになる。

でも中国と比べると中国の皇帝とかは欲望でも歯止めがなく宮廷に千人の女性を姓の奴隷のようにしてはべらせ使いさせまさに酒池肉林とかその中国人の欲望とは限りないのである。 

中国だけでなく大陸の帝国はその王は巨大な権力を持ち中国では地下にまで皇帝が死んでも支配しようとし大宮殿を作っていたのである。


そういう皇帝とか王と比べると日本の天皇はそんな巨大な権力を有していない。 確かに仁徳天皇の古墳などは巨大だから権力も巨大だったともみる。でも古墳というのは必ずしも墓というものでもなく天皇のために作られたというものでもない一つの共同体の象徴としてあり中国の皇帝のように一人の王のために贅沢を尽くすというそういう種類のものでもない。中国のような巨大な国家は人民は奴隷のようにされてしまう。一人の王のために絶対君主というか王がいて力で治めるしかない。それで民という字が人の目を潰すということからきている。これも中国の恐ろしさである。


日本でも江戸時代だと見ざる聞かざる言わざるとして民衆は何も言えなかった。でも中国となるとその巨大な国を治めるだけでものすごいエネルギーが必要になってくる。


だからどうしても圧政になるのである。それはロシアとか見てもわかる。広大な土地を。人民を治めるということはどうしても強力な圧政になってしまうのである。 

中国で民主化するということが難しいのはその土地が広大であり人口も十億以上いてそんな人民をどうしてまとめるかとなる。圧政しかなくなる。もう民主制度になったら収集がつかなくなるかもしれない。みんな言いたいこと言っていたらとても広大な土地と10億人以上の民をどうして治めるのかとなってしまうからである。

だから中国というのは自分の国内をまとめるだけでものすごいエネルギーが必要になってくるのである。 


●人間を治めるために神を利用した神権政治になった


それに比べると日本は小さな国である島国である。だからこそまとまりやすいのである。強大な権力を持つこともできない。それだけの土地と人民がいないからである。 

一つの国をどうして治めるのか?それが人間の政治の課題でありそれは21世紀になっても解決しないのである。

一見民主主義が良いようでもそれもうまくいっていない。一体どうしたらうまく治められるのかは永遠の課題であり。そしてそれは解決しないのである。民主主義は理想のように言うがそれもただ暴力で持って治めることを権力を得ることをしないというだけであり何か理想的なものでもないのである。権力を得る為にはどうしても殺し合いがありそれを止めるために民主主義が生まれた。

ただ、それが全て上手くいくとなっていない。ただ大陸の圧政のようなよりはましだというだけである。政権交代するために殺し合いはしないからである。


おそらく人間は永遠に治めることは出来ない。それは人間のカルマである。 なぜまた21世紀になってロシアで戦争を起こしているのか?やはりそのカルマが終わることはないからである。 ロシアも今広大な土地を持っていて人民は1億人くらいでもその広大な土地に散らばる。人々を治めるのは圧制しかないのである。大陸の巨大な国家は圧政になり王が巨大な権力を持つのである。


それはエジプトのように神権剣政治にもなり共通しているのである。王が神のようになってしまうのである。それはカルト教団にも共通している。21世紀でもやはり。政治というのは?継続してやはりを繰り返しているのである。カルト教団もやはり教祖が神の様になり崇拝させて人々を支配しようとする。それが現実に起きたのは創価の池田大作がそうでありオウムの麻原でもそうであった。幸福の科学の大川隆法でもそうであった。だから政治というのは何か依然として進歩していないのである。
ということは人間を収めるということがいかに難しいかということである。3人寄れば文殊の知恵というが反面人間関係でも3人寄れば必ず争いがありまとめられなくなる。


身近な家族でも同じなので。その中でも夫婦でも常に争いがあるのである。だからこそ結婚しても1/3は離婚しているのである。

どうしてまとめるのか?それで子は鎹となったのである。家族をまとめるのは実はその中心となるものは必要なのである。

それは前は長男はなっていた。でも戦後は兄弟長男の特権は失われ、兄弟は皆平等となってしまったのである。では家の中心は誰がなるのか?すると中心になるものが失い家族はまとまらなくなったのである。


その中心になるものは別に能力が優れたものでもない。ただ中心になるものがいないと家族でも少人数でもバラバラになってしまうのである。何か私の家族のことを延々と書いてきた。二人のの母親がいたとして争っていたが振り返れば私と言う中心になる人がいなければ家族は分裂していたのである。確かに分裂状態になってもう死んで家族は居なくなった。でも依然としてやはり家族は私を中心として存在しずしつづけたのである。

だからそこに中心となるものはどれだけ重要なものかを認識するべきなのである。


南北朝の悲劇は天皇は2人になったことなのである。壬申の乱でもやはり天皇の兄弟が二つに分かれて争うことになった。南北朝では日本全体を二分してしまったので。それは村のような小さなところでも日本全国隅々まで二分して争うようになったのである。つまり天皇が2人になるということは国が一つにならないとうことなのである。そこに中心になるべきものがなくなって二分して。争うようになったので。その傷痕はあまりにも深いものだったのである。


●家族でも治めるのには中心になるものが必要


だから天皇とは何かというと。それが渡来人であれ別に血統がは継続されているからということでもなく天皇が特別神でもなく優秀でもなくてもそれが国をまとめる中心としてある。そこに意味があったのである。その天皇は特別外国の王のように権力を持っていなかった。

確かに皇居の土地は広大である。でももしそこが天皇の住む地でないとするとどうなるか?

その貴重な森は明治神宮の森のように失われていくかもしれない。天皇が住んでいるということで手を付けることができないのである。もちろんそこで大きな問題はある。不便になるしでも東京のようなところにそういう広大な土地があり森があるということはやはりそれをそれが全部悪いものともならないのである。


そもそも、なぜ政治というものは進歩しないのか?それは人間を治めることはそれだけ難しいからである。それは家族でも治めること自体難しいことでもわかる。家族でもそうしてまとまらないから、とにかく長男を立てたのである。その長男が優秀というのでなくてもあえて長男を立ててまとめさせたのである。

徳川幕府でもとにかく長男を立てて治めさせた。その長男が必ずしも優秀でなくてもただ、天皇のように象徴としてあるだけでまとめ役として有効なのである。もしそういうものがなければ、結局昔のようで。血で血を争って権力争奪の争いになる


日本の天皇とは何か?それは日本人が歴史の中で生み出した一つの知恵の産物なのである。何か神話とかそれも作り物でも真実でなくても別にいいのである。問題は国をどうしてまとめるかということにあるからである。そのまとめ役となるものは何なのか?昔だったら長男がそれをしていた。そこにもやはり歴史的に継続した。人間の知恵がありまたそれは長子は特別神によみされるものとして尊ばれたのである。


だから必ずしも人間の世界というのはなんでも平等というものはいいというわけではない。かえって平等なことでまとまらなくなり分裂することにもなるからである。

つまり長子が特別神によみされたものとしてありそれが家を継ぐということはまた、国は国を継ぐということにもなるのである。それがおそらく天皇になるのかもしれない。 

アメリカはなぜまとまらないのか?移民の国でありさまざまな人種はが混交して広大な大陸に散らばる。それをまとめるのは一体になるのか

民主主義といってもそれでとてもまとめられない。だから、もはや限界にきている。そして再び暴力も起きてくる。ということは、民主主義というのは万能ではない。 すべて数が多いからと、それが正しいわけでもないし。それで決めることが良いわけでもない。ただ、暴力によって決めないと言うだけなのである。 


そしてどうしても政治はうまくいかないまとめられない。国を治められない。それで誰が治めるかというと聖書では緑子に治めさせようとか

老子だと治めずして治めるとか無政府的な考えにもなってしまう。

もう民主主義の選挙などやっても無駄となりかえってじ引きで決めたほうがいいと言うまでなっている。その方が公正だともなるのである。それだけ政治は人間をまとめることは難しいから、そうなったのである。 


●天皇は日本の歴史で統一するための知恵として生まれた


ともかく、天皇が何かというとき。その由来が何であれそれは一つの日本の歴史の中で生み出した知恵であったということである。

だから、それは長男が神よりよみされたものであり家を治め継ぐということまた国でも通じている。そうしなければ。まとめられないからである。そんなのは不平等だと民主主義社会では言うけども民主主義のようにただ平等を目指してもかえって不平等にもなっている。それはなぜなのか?そのことも考えねばならないのである。


日本史上では,神を祀ることがすなわち政治の根本であるとし,政治を「まつりごと」と読むのはそれゆえである。原始,古代の社会にあっては万事宗教が優先し,すべて神の意志によって行われた。風雨雷地震などの自然現象はもちろん,狩猟,農耕の収穫にいたるまですべて神意と考えられた。したがって生活が豊かに,社会が平和になるためには神に祈る必要があり,これが政治であった。この思想は古代天皇制国家統一の支柱となり,律令制において神祇官太政官に並べて設置したのもそのためである。これは中世の神道思想から江戸時代の国学へと進んだ。明治維新以後神道国家観によって天皇の「まつりごと」を強調する傾向が生じたが,特に昭和に入って天皇を現人神とし,その親政を主張する右翼運動が高まった。だが太平洋戦争後,天皇の人間宣言とともにこの思想も影をひそめた。


明治維新には西欧文明の挑戦にあって日本は混乱した。でも古代から続く天皇により国家というのが継続されて復古したのである。それは西欧文明の民主主義とか自由主義とかそうしたものとは相反するものだったのである。

ヨーロッパでは神権政治があった。またフランス革命では政教分離が唱えられて宗教と政治を分離したのである。日本では明治になっても宗教と政治が一体化して天皇が依然として活用されていた。

つまり天皇というのはそれだけ日本にとって。皇国史観があるように日本の歴史を象徴するようになっていた。

明治維新の時混乱したが皇国思想の運動があり第二次世界大戦まで継続したのである。ただ神国だから負けないということであったが、アメリカに負けて権威失墜したのである。


それは創価などでも継続されている。選挙は仏法の戦いであり仏が全面に立つのだから負けることがないとなるのである。天皇が現人神だからが戦争にも勝つということに通じている。政教一致なのである。

結局、明治維新といっても。古代の復古があり先祖返りがありヨーロッパ文明の真髄を取り入れるということはなかった。 

政治でも神がかり的なものとなってそれが300人万人も死んだ犠牲を払ったのである。それは国家のために死んだのである。それでその供養は天皇がになっているのである。でも天皇にしてもそんな大きな責任を担えるかとなったらなれないのである。 


ではなぜ300万人も死なねばならなかったのか?


それに答えることは容易ではない。ただ、政治を国家を神聖化すればそれは国家のために神聖なる国家のために死んだとなる。 でも国家自体も過ちを犯すのである。神ならば過ちを犯すことはない。国家でもやはり人間が運営しているから過ちを犯すのである。神権授与された。神から権威が与えられたとかあくまでも。民衆を支配される。支配するための方便だということもある。そうなると神にさからうことができないとなるからである。


ともかく政治が宗教に関わると狂信的になりファシズムになりやすい。特に大衆社会となった時難しい理論を大衆に言っても通じない。ハイルヒトラーということで叫び一体感を感じるのである。

また念仏とか日蓮宗だとは題目を唱えて徒党を組み突撃して行った。それは分かりやすいからそうなっていたのである。

戦って死んでも成仏する極楽に行くんだということでそうにもなった。だから宗教っていうのは、人をの上に立つとき利用すると支配者にとっては便利なものになるのでは?ただ、そこに日本の天皇が神格化されて300万人も死んだ恐ろしい結果にもなるのである。


●大衆民主主義もファシズムになりやすい


ともかく一体、誰が人民を国を治めるのか治めることができるのかとなるとそんな人はいないとなる。 人間の力では収められないとなる。必ずそこには混乱が生じてカオスとなってバベルの塔のように崩れ去る。それが人間の歴史だった。 現代というのは大衆社会である。大衆が力を持った社会である。大衆社会とは数がすべてを決めるのである。

そういう社会がどういう結果になったのか?それがまたナチスの再来であり全体主義になりファシズムになりまた恐ろしい結果を生むのである。大衆を洗脳し、先導するものはカルト教団とか必ず現れてくる。というものは大衆は考えることをしないのでカルト教団が増殖したのである。


宗教というのは一面民衆を支配する洗脳するのにいいのである。そこには別に本来の宗教などは皆無である。ただ題目を唱えればあらゆる欲望が達成されるとかで何でもいいのである。

それはついに天皇ファシズム、仏教ファシズムとなり。仏の命令で反対するもの者を殺してもいいんだとまなってしまう。それを大衆が力を持った時止めることはできない。なぜなら、民主主義とは数によって全てが決まるからである。いくら一人の聡明な人がいたとしてもそんなものは何の力もない。多数の前に何の意味も持たないのである。


だから数を集めた人がトップに立ち支配するのである。でそれはナチス的手法しかないのである。

民主主義からナチスが生まれたのもそのためだったのである。だからこの社会というのは?絶望的なのである。人間は政治に関しては人間は進歩しなかったのである。 

マキャベリも占いであれ宗教であれ政治権力を得るためなら積極的に利用しろと説いている。だからこそ為政者は信仰などなくても宗教を戦争でも政治でも利用してきた。それは人間のカルマとして継続されてきた。カルト教団が現代でも勢力を持つのもそのためなのである。


確かなことを天皇が特別優れた人でもない一つの飾り物でもある。でもその飾り物でも国家の中心としてありまとめるものともなる。

その中心になるものがない時家は分裂して国家も分裂して悲惨なことになるのであ。

その時、外国勢力が入ってきて国家自体が分裂して争い国家すらそのために疲弊して消滅してしまうということにもなる。

だから中心になるものがいかに重要かを知るべきである。中心になるものがなければ家も維持できないし。国家を維持できない。


例えばなぜ一神教が生まれたのか?それはあらゆるものが神となった。さまざまな動物でも石でもでも山でも神となった。八百万の神である。でもそうなると。バラバラにな治められないエジプトでもやはり様々な神がいて地域地域の神がいると統一国家にする一つの神が必要なのである。唯一の神がそれがなければ国も統治できないのである。 

日本では天皇とは唯一の神でありそれで国をまとめようとしたのである。八百万の神がいてもその最上階に天皇がいてそれで国をまとめようとしたのである。


とにかく注意すべきは警戒すべきは民主主義というのは大衆民主主義になりそれがファシズムとななることが危険なのである。それは歴史的にもそのためにカンボジアでも社会主義で200万人も死んだとかなる。共産主義社会ではロシアでも中国でも反対者は抹殺された。それもまた恐怖殺し合いをしない民主主義は優れているとなる。でも民主主義からナチスが生まれたのだから、大衆民主主義となるとそうともならないので。 


政治というのは人間にとって古代から。継続したカルマとなっている。人民を治める方法がないとなる。そこに人間の限界があるのである。必ずあらゆることで、人間には限界がある。政治でもそうだし経済でもそうだし科学技術でも原発事故が起きたように人間の限界が現れてそうなるのである。

人間では統治できないからそうなるのである。治めることができないのである。それで理想はこの世では成就せず天の国で神が治め、成就するのである。そしてその前にこの世はカオスの中に。バブル崩壊し人間の作り出した文明は砂に埋もれ海に沈み森に隠され埋もれる。そして。ただ、謎を語るばかりなのである。それがこの世で人間がなす文明の結果なのである。


この世とは何かといえば理想の国など作れない。むしろ人間の作った文明はただむなしく謎となり残される。エジプト文明でもマヤ文明でも中華文明でもなんでも同じである。それはただ謎を語るだけなのである。そして世界統一した平和な世界など作れない。

戦争は終わることなくあり最後にハルマゲドンが来て人類は滅びる。ではこの世は何のためにあるのか?人間は何のために生まれてきたのか?それはこの世とは?試練の場なのである。様々な試練を受けて苦しみ、悲しみ。そして神の子に神の国にふさわしいものとなるものとして試練を受けるのである。


そして神によって選別されて神の国を召されてそこで唯一の神のもとに働き仕事するのである。そこに荘厳な神の国がなるのである。それは永遠の都であり、滅びの無き都である。そこでこの世で悲しみ苦しんだ涙は拭われる。それを成すのは全能なる唯一の神であり人間の力ではできないのである。ただ人はこのように生まれて生きるのはその神の国にふさわしい人となるべく選別されるためにあるのである。そのためにこの世がある。だからこの世に理想の国などをはできない。それを求めるのはいいとしても実現するのは神の国で神自ら治めたときなる

神はそれを約束して実現するからである。ただこの世に良きものがありそれを追求する。悪しきものに汚れないようにすることが大事なのである。聖なるものというとき人間が聖なるものとならねばならないのである。神の御意にかなうものとなるようにしなければならない。そこにこの世に生きる意義があるとなる



相馬新報(小林勇一): 天皇とは何なのか、その在り方を問う (政教分離がここでも問われている―国民の総意に大衆に踏みにじられる聖なるもの) (musubu2.sblo.jp)