2023年08月29日

ヨーロッパにはなぜ天才が多く生まれたのか? (小都市国家が文化を育んだー文明から文化の時代に)


ヨーロッパにはなぜ天才が多く生まれたのか?

(小都市国家が文化を育んだー文明から文化の時代に)


「飯・風呂・寝る」の生活から「人・本・旅」へ


2000時間も労働していたら(200日働くとしたら一日10時間です! )、しかも仕事後、職場で飲みにいくという悪習もあるわけですから、正社員が勉強する時間などありません。「飯・風呂・寝る」を繰り返すだけの生活になります。

ダイバーシティがあり、かつ高学歴な人たちの組み合わせです。学歴の内容もダブルドクターやダブルマスターが多く、しかも数学と音楽や、物理学と歴史学というように、文理の別を超えて好きなことを極めている人が目立ちます。こういう人たちを僕は「変態もしくはオタク」と呼んでいます。


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●日本人は変わり身が早い

人間は価値観が変わると戸惑ってしまう。これは何なのだと理解できないのである。それが明治時代とアメリカとの戦争に負けて焼け野原になった日本で起きている。これまでの価値観が通じない。でも日本人は変わり身が早く適応性に優れているとなりそれが外国人には驚きだったという。
いち早く髷を切ってザンギリ頭にした。こうした変化こそやはりヨーロッパの文明を優れたものとして積極的に庶民ですら取り入れたということである。その取り入れるスピードも早かったのである。それを見ていた外国人が驚くのも当然だとなる。
なぜなら江戸時代に籠で人を運んでいたような人たちが一挙に鉄道で人を運ぶようになったからである。その変化は本当に大きかった。だからなぜそんなに変化できたということが驚きだったのである。何か籠で人を運ぶというのは原始時代のように見えていたからである。もっと工夫すればそんなことをしなくてもいいと見るからである。だから江戸時代というのは技術的にはあまり進歩しなかったようにも見えるのである。

ただ政治的には天皇が復古して天皇中心の国家になった。それはヨーロッパから取り入れた議会制とか民主主義とかとは何か相いれないものだったのであ。そのことがの太平洋戦争へと向かうことになった原因でもあった。日本は神国だということでそれが政教一致となり祭政一致となり300万人も死んだという原因になっていたのかもしれない。ただ戦争についてはいまだにその原因も明確でないし日本人自体があの戦争は何だったのか総括していないのである。

でも原爆が落とされて日本が焼け野原になってアメリカに従属するようになった。その代わり身もまた早かったのである。そこから高度成長時代と向かっていたのである。アメリカ軍は日本支配するにあたって相当な抵抗があるのではないかと思ったが日本人は意外とアメリカに従順に支配されたのである。だから日本人というのは変わり身が早いのである。

でもなぜまた高度成長の後失われた30年があったのかそれが不可解なのである。確かにインターネットというのは製造業と違って日本に適合できないものだったのかもしれない。それにしても変わり身の早い日本人にしてはそうした通信世界でもいち早く適用できることはあり得たのである。

●物つくりからソフトの世界に変わった

なぜなら最初に携帯電話とこ普及したのは日本だったからである。その後の通信がインターネットになったということでそれに適応できなかった。その原因が何だったのか追求してもなかなかわからない。おそらくものづくりとは違った分野でありそれが日本人に適応できなかったのかも知れない。その証拠がいまだに日本ではソフトは世界的に通用するソフトは作れていないのである。そのことでも遅れていたことが日本は世界の通信産業から遅れてしまったことがわかる

そして本当に不思議なのは戦後の高度成長時代が終わり失われた30年があり最近なぜオタクがいいとかみんなアーティストになれとかそんなことを知識人でも大ぴらに言ってることが不思議になる。
なぜなら団塊の世代などはそんな人がいたらそれはアウトサイダーでありそんな人が居てもいないとされていた。つまり社会の外の人でありそんな人は社会に存在すらさせられなかった。ただ変なのは今アウトサイダーなのかニートとか引きこもりとか働かないで家に居る人は百万近くもいるとか信じられない時代になっているので。でもその人たちはやはり社会から糾弾されている。でもそれだけの人間が現実に存在しているということが高度成長時代を経験した私にとってはありえないことなのである。

そしてここでも述べているように何かオタクだとか変わったやつが集めてそこで起業して成功したとかそんなことが今までありえなかったのである。ただ昔から飛び抜けた人がいて天才がいてそういう人が新しいものを作り出していたことは確かである。でもそれは一般的には適応されない。でもなぜ今そういう人が必要だとかそういう人たちを集めて新しいものを作り出すのがいいとか堂々と言っているのは何なのだろうかとなる。
というのはものづくり一辺倒から社会が世界が変化したためだろう。インターネットの世界はものづくりではない。ソフトの世界であり日本人のようにものづくりに精通するということではない。ソフトとは何か人間の頭脳と深く関係しているのである。だから本当に最近出て来ているチャットgptとかイメージクリエイターとかが本当に不思議なのである。

特に私が感心したのはイメージクリエーターである。言葉を入れるだけでそれが絵に転換される。それがどうしてそうなるのか理解できないのである。私は元々絵の才能はゼロであ。それで他人の写真や絵などを加工して抽象画を作っていた。それも不思議なものだった。でも本格的な映像が言葉を入れるだけで作れるということは本当に不思議である。
何かパソコンというのはもともとこうして人間の頭脳と深く関わり創造的な作業もできるものとしてあった。それはやはり人間の技術の進歩がやはり人間の頭脳と深く関係しているとのようになるなるものは必然だったと
そのことが日本人にはよく飲み込めのみこ見ていなかった。そこでものづくりの世界からこうした頭脳的な物としてコンピューターを捉えることができなかった。それで日本の日本は世界から遅れてしまったのである

今世界を導くGFFAなどは今までの車を作るとかテレビを作るとかはいかそうした製造業とは違っているのである。だからこそ日本は大量生産して世界に電気製品などを輸出できた時代とは違っているのである。それは人間の頭脳と深くかかわったソフトの世界だからである。それはまたコンピューターのプログラミングの世界でもある。何か物を作り出しているというのとも違うのでものづくりが得意だった日本が遅れたのはそのためだったともなる。

●ヨーロッパの天才は小都市国家から生まれた

いずれにしろなぜここで人本旅とかに費やせというのも不思議になる。もちろん本を読むということはその人の教養とか創造性を作る基にはなる。旅でもやはり外国に直に行ってる人と行かない人の差は相当に大きい。それより留学する外国で生活する外国で仕事する人と日本を出てでない人はその差が大きいのである。外国を直に知っている人は日本を相対化して見れるからである
ともかくなぜ西洋文明というのはヨーロッパ中心の世界が作り上げられてきたのか。その大きな原因がヨーロッパには本当に天才が多いのである。つまり発明する人発見する人創造する人が多かったということである

そのことはやはりヨーロッパ中心の世界が作られてきた原因だと見る。ただ軍事力で世界を支配したというのでもない。スペインはただインカ帝国であれ略奪国家であり泥棒国家であり何かイギリスとかとは違っていたイギリスは産業革命を起こしたことで鉄道などを作り出したのでありそれが世界に普及したのである。
だから軍事力だけで世界を支配することはできない。ローマ帝国でも建築に優れていて道づくりにも優れていて軍事力だけで支配できたからでわなかった。それはほかの帝国でもインドでも中国でも中東でもそういうことがあった。
ただ軍事力で世界を治めることはできない。アメリカは軍事力は強大だがただそれだけで覇権国ともなれなかった。やはり技術力がありIT先進国になったようにアメリカはヨーロッパの後継者でありやはり天才を生む国であり発明発見創造する国だったからである。

ヨーロッパがあれほどの天才を生んだということはそれはただ偶然とかではない。一人の天才が生まれるにしてもその一人だけでわとても天才にもなれない。天才を産み育てる環境背景がないければ不可能である。それがヨーロッパの貴族社会にあったということである。
またそうした文化を生んだのは大帝国の大都市でもない。中世の5万くらいの小都市であれ小国家なのである。ルネッサンスの中心になったフィレンツェなどは5万くらいの年である。

となるとこの辺で原町とか相馬市の規模でもあったとなそんな小さな年からどうしてあにょうな華麗なルネッサンスが生まれたのか、それはやはりかえって今のような1000万の東京のようなところからは文化は生まれない、ただ経済力だけであり文化は生まれない生まれないのである。
そもそも文化というときは何なのか。それはやはりcultureはcultivateからきているからである。その土地に密着してその土地を耕すことによって生まれたものだからである。もしそうした土地もなければ文化も生まれない。文化というとき建築とか絵画とかいろいろあるな身近なものとしてその食にあるヨーロッパはワインの国でありその元になる葡萄にしても多様なのである。
その葡萄にもその土地の名が付いたものはある。それは日本でも同じである。米でもその土地の名前が記されているしその土地の土地で獲れた独特の味がするもの果物でも野菜でもあるからであるそれがもともと文化なのである。

そういう文化は文明と違って小都市国家から生まれやすいものだった。小都市国家だとそこでアイデンティティ化しやすいのである。だからそもそもシチズンと言う時シティーが元であり市民なのである。パスポートにどこの市民なのかシティズンなのかを書くのはまさに小都市国家から生じたヨーロッパの歴史がそこにあるからである。シティズンシップというときは四面の共同体のことだからである。
でも日本だったらそういう市民などないからその言葉自体が理解できないのである。言葉というのはそれだけ言葉だけでは理解できないものはその背景に土地代わり歴史があるからそうなる。
とても数式のように世界を分析することは不可能なのでそれはおそらく理系でもそういうことがあり意外と英語ができないとグローバル人材にはなれないというのもそうなのかなともうもうなぜならあるか学者は機械マニアが良いのでありそういう人は英語など学ぶ必要がないと言っているからである。

●大都市からは天才は生まれていない

それもそうなのかと思ってたが一方でどうしても理系でも英語に通じていないと共同して研究したり仲間となれないというのもまた一面そうなのかもしれない。それは言葉にはこれまで培ったさまざまの概念とかがありそれがやはり理解できないとグローバルに通じた人材とはなり得ないともなるだから理系は機械間に合ったら機械に通じていればいいと思ったはそうでもないのかとなる
とにかくヨーロッパから天才が多く出たのはやはりその基となったのは小都市であり小国家だったということである。そのくらいの規模だと人間を返って全体的なものとして育むものアイデンティティ化しやすいのである。
だから大都会には天才が出ていないのである。普通なら1000万人もいればその中から天才が出てもいいはずなのであるでも大都会からは天才が出ないのである
ただ理系とかもあるから一概には言えないとしてもやはり天才は大都会からでないとしている。現在はもはや大きな文明国家とか大都市とかそうした物量的にただ巨大だというだけの物には価値がなくなっている。

むしろ小規模でもヨーロッパの中世の小都市の都市国家のようにそこで世界を世界を見て一体化するアイディアしアイデンティティ化してミクロコスモスの中で世界を見て想像する。だからこれからはグローバル化といってもただ大量生産大量消費する時代は終わった。テレビでも冷蔵庫でも洗濯機でも車でも便利な機械は持っている
何か今求めているのはそうした機械ではなくものでもなく各地に独特に育まれた文化が求められている。海外旅行とはそうした文化を求めているからである。

中国人の爆買いがあったけどもそれももうない。でもやはり日本の文化を知りたくて味わいたくてしてくる人はいるわけである。文化は空間軸と時間軸で作られるがやはり相当に奥深いものがあり簡単には理解できないからである。
すると日本通になるとしたら何度でも日本に旅行に来なくてはならなくなる。中国だと近いからそれができるのである。そもそも奈良時代に遣唐使は中国に派遣されたがそれは中国文明を取り入れるということもあった。文化を取り入れるということでもあった。特に漢字を取り入れたことが日本文明を作ったということにもなる。漢詩なども学んだのもそうであるそれは文化を学んだのであり文化の交流がそこにあったということである。

中国にしても唐の帝国は世界帝国になったかそれはただ軍事力だけではない絹織物の生産とか紙の発明とかあった。それがシルクロードを通じて世界に伝播したのである。
でも中国でわ20世紀でもヨーロッパに支配された時まだ太平洋戦争が終わって今度はアメリカに技術を取り入れても発展したわ中国自体が何かを創造発明発見したということはないのである
何か中国由来の独自のものは世界に普及しているか。漢字はやはり中国人最大の発明でありそれが日本人は奈良時代に取り入れたのである。
でも最近中国があれほど発展しても中国自体が生み出したというものは見えないのである。ただヨーロッパやアメリカから生まれたものを作っているだけである。それは日本とも似ていたのである。
ただ日本は最初電気製品なので独自なものを作っていた。でも基本的にはやはり欧米の真似だったのだろう。つまり発明発見想像力それがなければやはりその国は世界を導く者とはならない。人間の数が多いとか国土が広いとかそれだけで覇権国にはなれないのだろう。ロシアとか中国はバカでかい領土があっても農業国だけでは世界を導くということにはなり得ないかった。
アメリカの有利な点はその国土も資源もある大きく豊富でありそれを基として発明発見創造の国であるということがやはり世界を導くものとなったのかもしれない。ただそれも今限界がきていることは確かである。

発明と発明発見創造とかなるとやはり何か社会から逸脱してもオタクのような人でも何か一つのものに異常な関心を持って追求するということも想像発見創造につながる。ありきたりのことをして考えていては何か新しい発見想像はないのだろう。旅というのは私が追求してきたの常に今までにないものと接するからあなたの視点を得られるのである。まず本当は地理を知らなければ世界を知ることはできない。それでやはりバックパッカーとして私は50才で遅かったが世界旅行したことが見聞を広めたのである

ここで人本旅ということを進めているが私の場合本は本も相当読んだ。旅は仕事の様にもなっていた。だからこの二つは自分にとって創造の源はなっている。ただ欠けていたのは人である。私自身は孤立していて知的刺激を受けるような人と直接接している事はないからである。ただ本を通じて通じてとかインターネットわ通じてこうして対話はしている。
でも直接人と接するということは無いからそこが大きく欠けているのである。やはり創造的な人が集まればそこに刺激を受けて新しいものが生まれたということが分かるのである。ただそれは理系のことであり文系となるとその人もあまり関係ないかもしれない文系というのはそもそも独学できるものだからである。

posted by 天華 at 18:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育心理学など