2023年09月02日

老人の健康格差が大きい (73才でも90才にも見え九三才でも70才に見える)


老人の健康格差が大きい

(73才でも90才にも見え九三才でも70才に見える)

老人の一番大きな格差は健康である。病院に行ったら隣にいた人が93歳の女性だったということに驚いた。とてもそんな風には見えない。まず70代にしか見えないホテル病院に来たのはただ血圧が上がっているからそれで来ただけである。他は健康なのである。顔を見てもつやがよくとても93歳には見えないのである。

私の知っている73歳の女性は病気になりボロボロになっているのである。脳梗塞になりそこから糖尿病も併発している。見た感じでもその人は93歳でもうおかしくない。となると20歳の差があっても実年齢は違っている。つまり同じ老人でも20歳の年の差があっても20歳の上の人が73歳の人より健康に見えるし歳でもそうです。これだけ老人にとって病気の影響が大きく健康でなくなるとそれだけの差が出てくるのである。

だから60以上70以上になると健康が一番大事になるので健康を失うといくら金を持っていてももうそれでいいことはなくなる。その人は自転車に乗っていたが自転車にも乗れない。また車を持っていた人でも車に戻れなくなっている。歩くことすらままならないのである。こうなるといくら金を持っていてもどうにもならないのである。だから健康格差がありその差も老人になると大きいのである。今の老人はどうしても長生きはする。でも健康でないと長生きしても幸福にはなれない。歩くこともままならないもちろん車にも乗れないそうなると生きがいもなくなってしまう。

いくら90歳まで生きるとしてもその間に病気になってただ病気と戦うことが生きることになったらつまらないとなる。一番いい死に方は近くの自転車屋のことを語ったが3日前まで普通に仕事していたのである。その後にすぐ死んでしまったのである。ただ十年位ガンであり病気を持っていても普通に仕事していたのだからその人は死ぬまで生きがいを持って働いていたのである。

こういう死に方が理想的だと思う。 90歳まで医者をしていてその人も1週間くらいなのかパタパタと死んでしまった人もいる。つまり90歳までも一緒に医者の仕事をして仕事しながら死んだという感覚になる。だから老人にとって意外と仕事するということが生きがいになり大事なのである。ただ肉体労働になると老人にとってはきついとなる。自転車屋の仕事も肉体労働にもなるわ比較的軽いから病気でも継続できたのである。

ともかく長生きの時代である。でもそこで健康格差がある。その差があまりにも大きすぎるのである。もちろん金をってるか持ってないかの差もある。それも大きいとしても一番の老人の格差は健康格差なのである。 93歳でも70くらいにしか見えない人もいる。でも70歳くらいでもすでに見た感じから90歳のようにもなっている人までいる。だから60過ぎたりするともう年齢ではない。年齢で判断できないのではい。どうみても70代の人でもその人はすでに80代以上でありもう90にもみえる。。それだけの差があり健康が大事になるかわかる。

だからどうして60以上になったら健康であるかどうかが大きな問題になるのである。健康は人によって違うし生来の素質もあるがやはり健康でも積み重ねた生活がその人に影響しているかもしれない。どんなに体力があっても若い時から不摂生しているとそれが老人になってから影響する。私は早い時期に酒とかタバコとかはやめた。その70歳でも90歳にもなったように見える人はタバコを続けていたのである。それはタバコは血管に良いものではなかったのである。だから脳梗塞になったのである。ただ糖尿病とかはやはり遺伝的なものはありそれはどうにもならないものかもしれない。でも積み重ねた生活が必ずやはり老人になると体にあらわれるのかもしれない。

老人になるとやはり人生の結果が否応なく現れるのである。それぞれに何か積み重ねたものがありそれはいい面と悪い面にもあり悪い面になると必ず老人になるとその結果が表れる。若いときはその怖さがわからないのである。からないからこそ無鉄砲になり不摂生にもなりやりたい放題にもなる。それは青春の特権だともなるから余計にそうなる。でもあまりにもやりたい放題になり欲の赴くままに節制しないとそこで失うものがある。たいがい若い時の不摂生がのちのち後悔の種となるのもそうである

とにかく人間は一朝一夕にはならない普通の人であれば積み重ねが大事なのである。それは知的な面でもそうだしも体の面にもある。何か自分は自転車に乗って運動していたのは良かったのかもしれない。やはり運動も大事だったのである。運動も習慣的にしていれば血流も良くなり頭も働くからである。
だから車というのは便利でも体にはあまり良くないかもしれない。とにかく人間は何か良いことでも悪いことでもそれまでの積み重ねの結果が出てくる。若い時でもただ放埓に過ごしていればその青春時代でもあっという間に過ぎてしまう。ただ過ぎてしまうならいいな必ず後で後悔するのである。

また習慣が人間を作るという時もそうである。やはりなんでも勉強でも習慣的にする。運動でも習慣的にする。するとそれが頭にも身体にも影響するのである。だからなんでも人間は一朝一夕になるということはないのである。
ただ人間には一発勝負というものはありそこで運命を決することもある。でも一般的には人間は積み重ねの結果として何をかになるのである。だから習慣的に怠らず努めるということが大事になってくるのである。

2023年09月01日

私の花紀行(ハクサンチドリ、タカネツリガネニンジン、シャリンバイ、ノボタン)


私の花紀行(ハクサンチドリ、タカネツリガネニンジン、シャリンバイ、ノボタン)

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宗谷岬のハクサンチドリ

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岩手山で見たタカネツリガネニンジン

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カンボジアで見たノボタン




ハクサンシャジン (キキョウ科ツリガネニンジン属)【白山沙参】
(学名:Adenophora triphylla var. hakusanensis)
別名:タカネツリガネニンジン

「ツリガネニンジン」の高山型とされ、ツリガネニンジンよりも丈が低く、花が密につきます。

この仲間は個体ごとの変異が多く、地域変種も多いので、厳密には分類の判りにくい花です。

本州中部地方以北の高山や北海道には高山植物的になったものがあり、ハクサンシャジン、あるいはタカネツリガネニンジン(var. hakusanensis Kitam.)という。花茎の高さ30-60cm、花冠は広鐘状で花序の小枝が短く、密集した総状花序になる。
四国の一部の蛇紋岩地帯には背丈が低く、葉が線形で花冠の長さが1cmたらずと小柄なものがあり、オトメシャジン(var. puellaris Hara)と呼ばれる。


ツリガネニンジンは平地でも咲いている。私の岩手山の高い所で見たのは高嶺釣鐘人参だと思う。それは岩場に咲いていた。その時霧がおおっていた。だから神秘的だった。それは平地のツリガネニンジンより大きなものだった。その時写真を撮っていなかったのは失敗である。なぜなら今になるとそれが貴重なチャンスだったのである。つまり写真というのは写真を撮る技術もあるかもあるがどういう場面に出会うかが大事になる。そのシャッターチャンスというのは一度しかない場合がある。

なぜなら高山植物になるとそこには簡単に行けないからである。だから記録さするだけでも大事になる。旅を振り返るときでもそうである。人間ほど忘れやすいものはない。そして回想する旅を今しているが何か全く忘れてしまっているのである。特に外国旅行はそうだった。写真を見てそれを現実に見たという記憶もなくなっていたのである。だから外国の写真というのは貴重だった。でもその頃デジタルカメラがないからあまり記録できなかったのである。

いずれにしろ花の思い出として尾瀬があったがそこもよく記憶されていない。ただ異常なほどに疲れたという記憶がある。あそこは歩いてゆくだけで相当な距離があり疲れるのである。でも30代の頃3回ぐらい行ったがその後は行ったいないのである
一番行ってっているのは北海道でありそこで花を見た。
北海道には寒いから平地に高山植物が咲いているのである。

白山千鳥(ハクサンチドリ)は、北海道〜中部地方以北の高山帯の湿り気のある場所に自生する高山植物で、赤紫色の小さな花を10輪以上咲かせます。 白山で発見され、鳥の飛ぶ姿に似ていることから白山千鳥(ハクサンチドリ)と名づけられました。

雨しとと宗谷岬や旅路来てハクサンチドリを咲くを知りにき

あれは不思議だった。北海道には高山植物がが咲く、北海道は花を見るにはいい場所なのである。大雪山の残雪の踏みしめてハクサンコザクラを見た時は感動した。
何しろ私は北海道に10回ぐらい言っている。そうなったのは梅雨の時期に必ず北海道に行っていたからである。いかに自分が贅沢な暮らしをしていたかわかる。それができたのも家族に恵まれていたからである。何もすることもなくただ自分のしたいことをしていただけなのである。別に私は旅をするとか花に興味あるなどなかった。ただ若い時底辺で流れ作業などばかりさせられて仕事自体が嫌になる結果的に引きこもりになり家族に恵まれて自分のしたいことをしてきたのである。

別にそれまでは花など興味持たなかったのでそれが旅しているうちに花に興味を持つようになったのである。北海道には原生花園などがあり一面に花が覆われたところがありそれでは何興味を持ったということはただ振り返れば花の世界植物の世界もいかに多様多種でありその世界を極めることは至難である。別に私は植物学者ではない。私はただ花の美に触れるというだけであった。それにしても花の種類も多いということをつくづく感じた。

花というのは本当は原生種はありそれがどこに咲いていたのかな大事になる。白い夾竹桃が沖縄の西表島のジャングルに咲いていた。それはもともと南国性であり南国産でありジャングルに咲いていたのである。どちらかというと花は南国産が多いのである。南相馬市区の鹿島区の海老浜に咲いていたマルハシャリンバイは奄美大島の方から種が流れてきてここに根付いて自生した。ここはその南限の地ととなっていることでも有名である。

でも津波で海老村は消失した。結果的に今その説明板もなくなっている。笠女郎の残した万葉集の有名な歌は実はそうした気候と関係していたのである。つまりこの歌は気候の境目でありまた結果的に早めに早い時期から大和朝廷に服属するようになった蝦夷の地域だったのである。そのことは私のプログで追求してきた。

みちのくの真野の草原遠けれど面影にして見ゆというものを

真野の草原(かやはら)は萱のことではない、地名だと考察した。

花どうしても南国系統が多い、花はもともと咲いていた場所で見れば感動する。
例えばカンボジアで見たノボタンがそうである。それはの道に咲いていた。なぜボタンなのかと見たがやはボタンの原種なのだろう。チューリップの原種はトルコである。だからその花がもともとどういう気候と場所に適して咲いたかということを知るべきである。なぜならそれを育てるとなるとそういうそれに適した風土がありそれに合わせないと育てられないからである。

カンボジアの暑さ残れる夕暮れの道に野牡丹見ゆや遠く来りぬ

花と言う時飯館村の森にギンランが咲いているという。それを教えたのはあいの沢の飯館村の案内人である。でもその銀蘭は実際には見ることは出来ない。森にしても相当に深く広いしどこに咲いているか分からないからです。でもそういう花が咲いているということが飯館村がいかに深く広く神秘的な場所か分かるのである。

ともかく花についてはあまりにも種類が多く語り尽くせないものは私は植物学者でもなんでもない。でも花を探求してきたことは確かです。ただそれは花の美を見てきたのであり植物学者とは違う。花に興味を持てばやはり花の名前を覚えることが第一になそれは私が旅をして駅の名など地名に興味を持ったことでもわかる。
そしてエデンの園では人間の仕事がそうした花でも名をつけることであったという。その名前というのは大事なことになるかわかる。だからツリガネニンジンと言う時長すぎるし人参となっているのは何か美的に鑑賞するより薬草とか食料として見ていたからだとなる。。

若苗、若葉、花を食用にできる[4]。春の若い芽は、山菜のトトキとして食用にされ、あくやクセがない淡泊な味わいで素朴な風味で人気がある[トトキとは、ツリガネニンジンのことを指し、「山でうまいはオケラにトトキ…嫁に食わすは惜しうござる」と長野県の俚謡で歌われるほど、庶民のあいだで美味しいものの一つに例えられている[

根は沙参(しゃじん)または南沙参(なんしゃじん)と称し、生薬として利用される。秋(11月ごろ)の地上部が枯れたときに根を掘り出し、細根を取り除いたものを天日乾燥させたものが使われ、
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花でもまず最初は食料としてありまた薬として注目された。美としてだけ見るのはその後なのである。
ともかく意外と人生において盲点になっているのは。人間は忘れやすいということである。だから何度も言っているように旅するにも記憶に残るような旅をしろと書いた。それは人間というのは忘れやすいからである。
それで車の旅は便利なのだがその途中のことは何も記憶されないのである。また電車の旅でもそうなりやすい。ほう新幹線になったら途中は何もないのでだから飛行機の旅というのは何にも見えないからつまらないのでは何か記憶にとどめるにはやはりその場のその場に立ち歩き五感で感じる必要があるからである。
だから現代人というのはかえって五感が衰え自然でもなんでも感じ方が希薄になり自然でも深く見ることができなくなった。旅するにしても車が行き交うだけであり旅人はいなくなったのである。そこにやはり失うものはあったのである。

私は時間はいくらでもあった。金はなくても時間があった
だから最低限のもので間に合わせて旅をしたのである。だから時間というのがいかに貴重なものであったか最後に振り返れば分かるのである。あなたが何を見て何を経験したのかそれが人生の終わりに老人になって問われるのでは。
そしてその時間は戻ってこないし再び体験することもできなくなった。まず山に登るということは相当な体力が必要であり若いうちにしてないとなかなかできなくなる。ただ自転車の旅だったらもしかしたら老人でもできるかもしれないそれでもつらいものとなることは確かである。なぜなら介護になってから既に十数年もは旅していないからである。だから旅する時間というのも限られているし何でも限られている。時間は限られたものでありその中で体験したものが習得してきたものはあなたの人生だったとなるのである。