2023年10月31日

学歴コンプレックスの異常さ 【大学を出ない人は大学を異常に誇大化している】


学歴コンプレックスの異常さ

【大学を出ない人は大学を異常に誇大化している】


バブル期に有名国立大学を卒業、一流と呼ばれる企業に就職した「かつては自慢だった息子(56歳)」と暮らす及川清子さん(仮名・84歳)の場合。息子さんが人生につまづいたきっかけは「学歴コンプレックスの上司によるパワハラ」だった。

 「入社当時から目をつけられていたようで、二言目には『●●大卒のくせに』とか『●●大卒だもんな』などと因縁をつけられていたようです

私が死んだら息子はどうなるの…解決しない「8050問題」のあまりに辛いリアル

そもそも大学を出ていない人は大学がどういう場所だか大学は何なのかわからないのである。何か大学というだけで偉いというふうに見ているのかもしれない。そして何度も理系と文系のことをわかりやすく説明しても同じ大学なのかと見ているのかもしれない。つまり大学というところはどういうところなのか理解できないのである。

そして高校出の人はとにかく大学出た人に対してコンプレックスを持っている。大学でもいろいろあるのピンからキリまである。私自身は三流の文系大学を出ていて何の勉強もしていない。だから文系大学のことはある程度理解する。文系にはそれほど差がないようにも見えるのである。ただ私は理系となれば評価している。私自身が化学式とかそういうものが苦手でありそういうことを知り得る人は特別な人がこと見ているからである。

でも文系となると何かそこに大きな差はない。だから文系の一流大学でも優れた人と思えないのである。そして文系は独学できるのである。本を読めばいいのである実験などしなくてもいいからである。私自身こうして色々書いているとしても殆ど独学であり大学を卒業してから興味を持ったものはあり勉強したことを書いているのである。

なぜ学歴コンプレックスが起きてくるのか。それは大学が出てない人が大学のことがわからないからである。文系だとそこが遊びの場だということも理解できない。だからなぜここでその上司が学歴コンプレックスになっていたのかよくわからない。その部下が一流大卒だったから余計にそうなった。でもそういう会社で上司が学歴コンプレックスになっていることが理解できない。
とにかく人間は何かしら劣等感を持っている。その劣等感も大学学歴コンプレックスというとき大学という名前だけなのにその名前に幻惑されてコンプレックスを持っているのである。三流文系大学の場合私など大学で何も学んでいない。むしろ職人として体力であれ植木職人であれその技を身につけた人の方が自分自身でわ優れていると思っているのである。
第一大学は出たからといってその人は何ができるのかもし私は大学の建築学部学部などが出て設計などができれば別である。それで大工さんでも一目置くということがありうる。でもそうでなければ何コンプレックスを持つのか理解できないのである。ただ大学という名前に幻惑されているだけなのである。

とにかく人間は何かしらコンプレックスを持つ。絵が上手い人を見れば羨ましい歌がうまい人がいればそれも羨ましいとなりまた体力でもある人は羨ましいとなる。人間はみんな何か不足しているのである。才能にしても極一部のことであり職人であれその才能もれっきとした才能でありそういうことができることは羨ましいとなるのである。そんなこと比べていたらこの世の中キリがない。

でもこの劣等感の怖さはこの上司が学歴コンプレックスを持っていたように相手を別に学歴が高いからといってイジメていたことなのである。ここに大きな問題がある。例えばヒットラーは画家になりたかった。その才能もあったが実らず政治家になってしまったのである。そして抽象画などは絵ではではないとして禁止したりしたのである。
このように劣等感というのは誰にでもありでもそれが極端になると恐ろしいものとなる。例えば創価の池田大作は大学が出ていないとかコンプレックスを持っていた。なぜならその部下が東大とか出ていた人が結構いたからである。それでコンプレックスを持ったのでそのために世界中の大学に金をばらまいて名誉博士をの称号を手に入れた。それが何十もであり異常な執念をもってそれを手に入れた。一応富士短期大学卒はなっていた。なぜそれほど学歴にこだわったのか?それはおそらく戦前とかなると大学は特別な所であり社会のエリートだったからである。
戦後は大学も大衆化したのである。

そもそもそんな劣等感を持つ必要もなかったのである。それなり文才もあり詩を書いたりまた政治的才能もありだからこそ会長にまでもなったのである。でもなぜか学歴コンプレックスに陥っていた。それはやはり大学というものはどういうところかわからないから過大に評価していたのだと思う。ほかの人でも大学を出ない人は大学はどういうところかわからないからかえって何か幻想を抱いているのだと思う。

確かに東大とか出ていれば劣等感を持つのもあり得る。でもそのほかそんなに劣等感を持って持つって相手ではない。社会に出ればわかるわ多様な才能の人はいくらでもいる。学歴とは所詮学校で学んだこと受験技術に優れたことでいい大学に入ったというだけかもしれない。要領は良いということもことがあるかもしれない。何か私が反省すれば学び方というのは問題だったのである。自分なりに興味を持ち探求する心があればおのずと勉強する受験のために強制されて勉強するのは勉強ではない。だから学問とは学び学ぶまるなのだがとうということがまた重要なのである。この世には様々な疑問がありその謎を解いていくことが学問なのである。だから学問は受験のためなのではないさまざまな自然現象とか社会のことを知るためでありそれは数限りなくどんなところにもある

大学で評価できるのは医者とか理系なら専門職業として就職できる。とても文系はそうゆう明確な知識を大学で身に着けていないのである。だからどうしても文系はたとえ一流でも大して差がないとみるのである。それで文系大学はいらないというのも理解できるのである。文系は独学できるからである。第一大学に行っても授業に出なくてもいいということが不思議だった。大学教授でも授業に出ないのである。休講というのは結構多いのである。大学の先生の仕事は研究であり学生に教えることでわなかったのである。だからゼミの教授と1 2回あったのあとは何も教えられてもいないだから奇妙だけでも私は大学の教授になりたかった。授業もするわけでもないただ自由な時間は与えられている身分なのかと見たからである。

結局人間はどんな人でも劣等感をもたない人はいない、なぜなら何かしら必ず欠けているからである。確かに頭がいいとしても体力がないとかがあり劣等感を持つ、あらゆることに優れた人などいないのである。要するに何か優れているというよりいろいろな色があり色が違うということである。花ならばみんな個性があり色も違っている。でもフラワーアレンジメントするときどんな花も必ず争うことなく調和するのである。人間にはそいうことがないのである。俺はお前より優れているとなり優劣を競っている
それが度を越していて危険なものにもなる。そして遂にヒットラーのように度を越したものになり一番偉いのは俺であれ従いとなる。そういう人が組織団体のトップななり人々を従い奴隷のようにされ崇めさせるようになるから怖いのである。
いずれにしろ人間は調和しない、常に争い競い熾烈な地位争いもあり平和そもそも戦争状態ではなくても人間界にはないのである。そこに絶望がある。この世から人間から劣等感をなくすことができないこと絶望なのである。






posted by 天華 at 09:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育心理学など

2023年10月30日

こころはここにある(詩)ー浪江町津島のNHKの放送の感想【2】 ●こころの詩−場所の価値−自然のない大都会に価値がない

こころはここにある(詩)ー浪江町津島のNHKの放送の感想

●こころの詩−場所の価値−自然のない大都会に価値がない

ここに糧ともしきも
田を作り土を耕し牛を飼い
苦しくも生きにし者よ
ここに生き心はここにある
残されし重々しい岩の墓
ここの大地に根ずきしように
そは離れざるかも
こころはここにある
ここを離れて心はない
汝の価値はここに生きしことにあり
その岩の墓がその重みを語る
かたや林の小径にあわれ
草深く隠され月見草咲きぬ
柏原村へ通じる道なりしも
我が祖父の育ちし所なれや
津島を後に葛尾村に我は行く

人間の価値は多様である。価値という時その住む場所が価値を持つ。自然は多様で自然も多様でありそこに住む人間の価値も多様になるのである。山に住む人と海側に住む人の感覚もまた違ってくる。山にしても一様でないからその地形の変化の中で価値が違ったものになる。そもそも価値を作り出しているのは自然である。その場所さえ自然が作ったものだからである。

だから自然が無い所に本当の価値は生まれない。それで東京とかの大都会には自然がないので価値が感じられないのである。でも経済的価値とか工業的価値とか商業的価値とかは比べにならないほどある。でも自然的価値がないので魅力が今は感じる感じられないのである。
ただ人とビルの谷間で混雑して疲れるだけだとなる。そういう場所に豪邸を建てても価値あると思えないのである。ビルの谷間に埋もれてただ家ばかり見ていたらそこ美もない。でもいつも富士山が見えるような場所に豪邸が立てばそれは価値あると見る。

ということはあばら屋であっても自然の中にあれば美しいものとさえなり得る。日々そこに自然の変化があり自然の美に映えるからである。だからこそ時代がさかのぼれば遡るほど実は自然は美しいものとなっていたのである。一番美しかったのは原始時代だったということになる。そこには人間の手が加わらないから自然そのものがあったからである。
その美しさは息をのむような美しさであった。何一つ人間の手は加えられないから自然そのものが手付かずでこの世のものとは思えないように美しいものだったのである。そういう時代を歌ったものが万葉集である。

豊国の企救の浜辺の真砂地真直にしあらば何か嘆かむ

このような感覚になるのはやはりそれほど美しい浜辺の浜が広がっていた。砂の浜が手つかずの白砂の浜が広がっていた。そこでその美に触れてその心も真直であれば何も嘆くことはないとなったのである。これは逆説的である。
現在ではそういうそうした自然の美よりさまざまな贅沢を物質的な贅沢を望むからである。自然の純粋な美に打たれてただそこで真直に生きられればあとは何もなくてもいいとはならない。それが現在との大きな相違である。それが現代人が失った大木きなものかもしれない。それは現代人というだけではない文明人が失ったものかもしれない。

●文明大都会に美がない

ただ逆に文明というものは大都会を見ればわかるようにそこには美はないのである。それだけ経済的に繁栄しても美は無い。その大都会から生まれるのもまた宗教でもカルト宗教のように醜悪なものになる。中国でもそうだが宗教は天台宗から始まっている。
天台宗とは山岳宗教であり天の台で山を聖としてそこで修行したからである。日本だと比叡山がその始まりであり日蓮もそこで学んだのである。山伏とかなると胡散臭いとも見るがやはり山を聖なるものとして修行の場としたから大都会から生まれた今のカルトとは違っている。今のカルト宗教は何か異様なほど御利益にとり付かれたものであり清浄な雰囲気はゼロである。だからなぜそれが宗教なのか全く理解できないのである。ぎらぎらとどぎつい欲望を持った人たちに占拠された場所である。

とにかく一体東京とか大都会に何か価値があるのかとなってしまう。ただ経済的物質的価値はとてつもなく大きいのである
美的観点から見ればその価値はゼロにもなってしまうのである。だからかちとはさまざまであり人によっても価値観は違ってくる。でもどうしても美的観点からすると大都会には自然がないので価値が生まれないのである。
逆説的に田舎でも山村でも何もないとしても自然の中に暮らしているからそれで価値が生まれている。大都会だと自然は消失して人工物に覆われてそこに美は無いのである。だからなぜ人間の作り出した文明のそんなものでしかないというとき何なのだろうとなる。それでもその文明都市をつくり出すは膨大なエネルギーを費やしているからである。

このように大都市化とともに逆に限界集落が多くなりなり消滅してゆく。この辺は原発事故でそうなったのだが全国的にも辺鄙な山村などは消滅してゆく。でもそれはそこにも価値があった。その場所に生きる価値があった。大都会のビルの谷間にうずもれているよりそこに生きている人は一人一人は自然の中で生きているという感覚になっていた。だからそこで生きることは価値あることなのである。それは都会にはない価値がある。
何か村の人が死の時私はこの村の先祖になるというときそれはその場所に生き続けることを望んだからである。その場所に価値あるものとして存在しし続けることはを望んだのである。
その一つが浪江のの津島の岩の墓なのである。それはその村の中に残り先祖として重みを持って存在し続けるということである。都会だったらそんなことはあり得ない。納骨堂の一室を買いそこでお参りする。それは死者の団地のようにも見える。遠く離れて墓地の一区画を買ったものもありもともとその土地とは何の関係もないのである。

でもそうした山村の墓地はそういうものとは違う。村の先祖として生き続ける者として墓地もある。その墓地がなくなったにしろ今度は先祖の霊は山に帰るとして山が先祖の山になるのである。つまり先祖はその村に何でやれ消失してしまうのでなくいち続けるのである。
いずれにしろ一つの村が失われ村が失われることは何を意味しているのか。それはやはり継続された村の価値が失われることになる。それとともに先祖も死んでゆくのである。墓地があっても墓参りする人もなく先祖の霊は容器と化して行くのである。それで確かに都会に移り住んだ人が多い。補償金も多額だからそれもできた。でもそこで失われたものがやはりある。それが今自分が語っていることである。それは精神的なものでもありなかなか自覚できないかもしれない。でも都会に出ていい暮らしをしても何か物足りないものを感じる。それが失われたものなのである。

●人間は失ってみて本当の価値がわかる‐故郷も同じ

ただ私自身がそうは言っても外部から理想化して見ているだけであり現実そこに暮らすことはあまりにも厳しいとなっていた。つまり直接そこに住んで苦しまないのだからただ理想的に見てしまうのである。要するにそこで働き苦しむ人がいるけ絵を描いている人にもなるがにもなる。だからそこにそこに住むことの本当の苦しさを表現できないのである。
ただエゴマを作っているというときやはりそのエゴマが放射性物質に汚染されないで売れるようになればその村の復興の手がかりとなる。農業の場合種を蒔きその種子が実となりなり花となることが希望だからである。でもそこにはすでに老人しかいないということが若い人もいない子供もいないということはもう村を維持できないとなっている。それは全国的に起きていることである。

エゴマの種を植える
エゴマが育ち実り
そこに希望がある
村は継続され先祖もここに安らふ

いずれにしろ心がここにあるというとき確かに補償金で都会で楽な暮らしはできている。でも心はない。その心のある場所はやはり苦しくても貧しくても育ったその村にあったからである。だからその村にともに働き仲間と死ぬのは幸いでありそしてその村の先祖になることが幸いだとなる。都会に出てももはやそういうことはありえないからである。すでに1万くらいの町でも人々のつながりは希薄化して存在感がなくなっている。千人くらいの村だったら人一人の存在感があり一軒一軒ので家でもそうであり自然の中で四季折々に映える。
だから人間は失って見ないとその本当の価値は分からないということでもある。そこが人間の盲点なのである。当たり前にあるものは実は希少なものだったということが失ってみて初めて分かるのである。それは家族も全部死んだ結果私自身も痛切に感じたことだったのである。
啄木がなぜあれほど望郷の詩人となったのかそれをふるさと離れて若くして故郷に帰れず死んだからである。別にそこに住んでいればそんなに感じることはなかったのである。故郷にしてもそれは当たり前にあるものでありその価値はわからない。ただ失った時痛切ににその価値を感じるたのである。

やはらかに柳あをめる北上の岸辺目に見ゆ泣けとごとくに 啄木

つまりそれだけふ故郷の景色が東京の都会の人混みのなかで心に浮かび帰れないふるさとお忍び泣けとごとくにだったのである。
こころは東京にはなかったのである。それまで故郷は忌避するものでもあり脱出する場でもあった。でもそれが痛切な望郷の人なったのはやはり故郷は遠きにありて思うものともなっていたからである毎日住んでいる故郷は平凡なものしか見えないのである。視点を変えれば自然の景観も違うようにその価値もまた変わってくるのである。

●三野混沌の詩の語るもの

ふしぎなコトリらがなく
花が咲いている
どういうものか ひとのうちにゆくものではない
ひろいはたけにいけ
きんぞくのねがいするヤマはたけにいけ
まっしろいはたけへいけ
そこでしぬまでととまれ
あせってはならない
きたひとにははなししろ
それでいい
クサをとりながらつちこにぬれろ
いきもはなもつかなくなれ
これはむずかしいことだが
たれにもできることだ
いちばんむずかしいことをのこしておけ
いちばんむずかしいなかでしね
(三野混沌)

ひろいはたけにいけ
きんぞくのねがいするヤマはたけにいけ
まっしろいはたけへいけ
そこでしぬまでととまれ
あせってはならない
きたひとにははなししろ

そこでしぬまでととまれ

とは畑で仕事しながら死ぬということか、それほどその場所に生きることにこだわっていたのである。というのは農業は土地と不可分に結びついているから一体となるからである
そして最後はその土地の土ともなるのである。そして御先祖様になるのである。農民は土から離れたありえない、土に生き土に死にその場に生きその場に死ぬとなる


三野混沌の土着的生活が現代に問うもの 
(原発事故で故郷まで失ったものへの教訓)


posted by 天華 at 17:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2023年10月29日

NHKの放送-絹江さんと春江さん 浪江町津島をあきらめない 【地理がわからないと何でも実感できないー津島の岩の墓】


NHKの放送-絹江さんと春江さん 浪江町津島をあきらめない

【地理がわからないと何でも実感できないー津島の岩の墓】

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津島にあった岩の墓

●隔絶した孤島のような地域

人間は地理が実感としてわからないからそもそもがその土地について理解し得ないのである。一応地図を見る。でも浪江津島となると街から本当に相当に離れている辺鄙な場所である。私がそこでそこに自転車で浪江からも飯館村からも行っている。どっちにしろその距離が相当にあった。むしろそこは三春に近い場所だったのである。だから私は自転車で行けばその感覚で距離を見る。その津島から三春へさらに葛尾村へと通じている。
津島が1400人いたという、村の人口としては一応維持できる人口だったのか、そこは隔絶した村である。

不思議なのは津島から通じて隣の葛尾村の柏原村がありそこがどうも私の祖父が出た地域のようである。なぜなら戸籍に江戸時代のものが残っていて祖父の名はあったからである。私の父親は双葉の新山の酒屋に勤めていた。そして暖簾分けこの地域に移ってきたのである。
だから意外と何か津島に因縁を感じたのである。それにしてもそこはなぜ浪江町に属しているのかわかりにくい。むしろ三春藩へ
近い、津島は確かに古い場所であっても開拓に戦後開拓に入ってきた人があった。だから苦労したので村の人の連帯感が強いということを語られていた。相当に辺鄙な所だから人々はどうしても助け合わなければ生きていけないような場所だったからだろう。
だから地元に帰りエゴマを育てることを始めた女性がいた
ところが土地を除染した後に砂を入れたので育たなかった
その土地はもともと地味豊かな土地だったのである。だからそこで農業を復活するのは至難である。愛着ある家も壊されてゆく

●フィリピン人や中国人の嫁が農村地帯に入って来ていた時代

もう一つ印象に残っているのが中国人の嫁がこんなとこにいたくないと鉈で襲ってきた事件であった。確かにあのような辺鄙な所だとは思わなかったのだろう。今にしてみると補償金も額が大きいから街で暮らすに充分になっていた。とても津島となると復興自体が無理に思えるからである。確かに中国人の嫁も驚く山中でありそれでその嫁は都会で暮らしたいとして夫を襲ったのである。
この外国人の嫁というのはフィリピン人も多い。相馬市の玉野村で牛を飼っていた人が原発事故で自殺して死んだ。その嫁もまたフィリピン人だったのである。飯館村の大倉村を越えたところの木戸木【ことぎ】もやはりフィリピン人なのか外国人の嫁がいたのである。一時農村の嫁不足でそういう外国人の嫁が結構入ってきた時代があった。だからこんなところにもフィリピン人の妻がいたのかとなる。でもすでに40過ぎている。

とにかく人間社会というのは先が見通せない。福島の原発事故被害は大きかったがもし中国人の嫁がその時そこに住んでいたら大歓迎だとなっていたのである。その嫁のことをどうなったかはあとはは報告はない。もしかしたら補償金をもらって街に住んでいるのかもしれない。
現実問題としてそうした辺鄙な山の村は限界集落化している。だから維持すること自体もすでに難しくなっていたのである。それが原発事故となり消滅してゆくようにも思える。ただ補償金は特別多いからそれで困ることはないかもしれない。

●老人は住み慣れた地域を離れたくない

ただ老人は長く住み慣れた場所離れたくない愛着があるということはわかる。でもそのような場所でも生活は成り立たないだろう。飯館村の木戸木などもそうである。町の方に移り住んだ人も多いだろう。この辺では小高すら原町に移り住んだ人が多い。小高なら買い物でも車で原町にいける。でも津島となるとあまりにも遠すぎるのである。だから村を維持すること自体が難しくなっていたのである。

何か奇妙なのは津島で印象に残ったのは墓地を見てそこに岩の墓があったのである。それが何か重々しく貫禄あるものに見えた。それはその辺鄙な村でも土着した先祖の墓でありそれがその墓を残して岩の墓を残して語っているとなる昔を語っているとなる。つまりそうした小さな村では墓でも村を支えた人たちの者でありその村にとって重みがあるとなる。それはその土地と密着して土着していたためなのである。つまり村が消滅することは先祖も死ぬということである。それも意外と深刻なことになる。
墓は荒れ果て先祖も捨てられるとなる。そしたらその岩の墓も存在感を失うのである。
posted by 天華 at 09:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2023年10月28日

カルマは自覚できないことが最大の問題 【でも必ず苦しみとなって現れ自覚させられる】

カルマは自覚できないことが最大の問題

【でも必ず苦しみとなって現れ自覚させられる】

●何も起こらなければカルマは自覚できない

カルマの問題は自覚できないことである。それが盲点になっているのである。何も起きないからさらに自覚できなくなる。でも苦しみとなって表れた時否応なく自覚させられるのである。
今回のガザのイスラエルのテロにしてもそうである。確かに大掛かりな衝突はなくなっていた。これまでにない平和が続いたということを言っていた。中東戦争から50年年大きな衝突はなくなっていたからである。
でも常に小競り合いがあり問題は解決せず先延ばしされただけであった。カルマは消滅したわけではなかった。
カルマの問題は何も起きなければ苦しみもなければ自覚しないのである。でもそうであってもそれは嵐の前の静けさのようなものでもあった。根本的な問題カルマは消滅していないからである。

何か地震のように何も起きていない時間が長くても必ず大きな地震が起きてくる。それは根本的に地殻変動というのは終わることがないからである。それが地球のカルマなのである。
カルマというときだから恵まれた人にもカルマはある。ただ恵まれているから自覚できないのである。でもいつか必ずカルマを自覚させられるのである。それは自分自身の事でもあった。あまりにも恵まれていたことがそれがカルマとなっていたのである

そして2人の親を介護するとき地獄を経験したのである。そういう不安はあったがそれほどの苦しみが与えられるとわ思わなかった。その時自分のカルマを明確に自覚したのである。
カルマは必ず苦しみとなって現れる。でもその最大の問題は自分のカルマが何なのか自覚できないことなのであろ。恵まれていれば別にこれでいいとなってしまうからである。おそらくガザの問題でもイスラエルでもその問題は何も解決していないのに目をつぶってしまっていた。それが突然を爆発したように見えるがそれは必然的だったのである。

要するに不遇な人でも恵まれた人でもそれぞれにカルマを背負っているのである。それが苦しみとなって現れないとカルマを自覚できないのである。でも地震でも津波でも定期的に規則的に襲ってくる。だから備えなければならなかったのである。でもこのカルマとなると分かりにくいし自覚できないのである。

●対人関係でもカルマを負っているが自覚できない

その女性は夫が若い時から病気になりそのために一生苦しんだのである。でも娘は優秀な技術者と結婚して何の問題も起きなかった。でも事業を始めて失敗して同じように夫で苦しむことになったのである。これなどもどうしてそうなったのかとなればやはりその家のカルマとして苦しみが現れたのかもしれない。それは私の家とかなり深く関わっていたから私自身も苦しめられたのである。そもそもその娘にしても自分のカルマが何なのかなど自覚しないのである自覚できないのである。相手が優秀な人ならいいとなるのは当然だからでる
そこにカルマの盲点がありカルマで苦しむことが終わらないのである。

ともかく自分のカルマが自覚できないという時それが最大の問題なのである。恵まれていれば何も起きなければ全くカルマは意識できない。でもいうことがあってもカルマが表面に現れていないというだけであり潜伏しているのである。それが表に必ず苦しみとなって現れてくるのである。

例えば体にしても必ず60過ぎ頃からどこかしら不調になり病気になってくる。それはそれまでは何が起きなくても体というのは老化もするしどうしても病気になりやすくなる。それは体自体が老化して弱ってくるからそうなるのである。ただ若いときはそれが自覚できないのとで似ているのである。人間は潜在的に病気になるようにできているのである。ただ若いうちはそれが表面化しないのである。

人間関係にしてもカルマを負うことがある。人に世話になるということもあある。でも必ずしもそれを自覚しない。良くされて得したということしかないかもしれない。でもその良くしてくれた人が病気になったりして助けてもらいたいとき助けないということもある。それは自分自身はカルマを背負ってるということ自覚しないからである。その親戚というわけでもないが私の家では世話したのである。でもその娘とかはほとんど自覚していない。だから私が家で困った時助けないというのではないが何かよそ事になっていたのである。それは自分自身のカルマのことを自覚できていないからそうなるのである。とはいうもののそうされるのもまた私自身のカルマだったのである

●人類はカルマで罪で最後は滅亡する

カルマの一番の問題はこうして自らのカルマを自覚しないことなのである。だからカルマを解消しようにもできないとなるのである。ただ苦しみのために藁をもつかむ思いでカルト教団などに頼る。そして餌食にされるだけである。そういうカルマは別にカルト教団に入ったからといって解消できない。それを個々人に違っているし政治的にも解決できないことがあるからである。また金銭的にでも解決できないことがある。

でもカルマを解消しようとしてそういう団体に頼る。そしてその団体の勢力拡張に利用されるだけだとなる。そもそもそういう団体は個々人のカルマの解消など関心もないからである。会員一人増やして勢力拡大を目指すだけでありそういう面倒なことにかかわらないのである。それよりそのカルト教団などは巨大なカルマを背負った場所なのである。だからいずれそのカルマが苦しみとなって現れる。分裂したり争いになったり積もり積もった団体のカルマがいずれカルマとなって噴出してくるのである

そもそも人類そのものはこれまでどれだけのカルマを積んできたか。歴史を振り返れば眩暈がしてくるだろう。だから最終的に人類がハルマゲドン戦争で滅亡するとかカルマが積もり積もってそうなるのである。カルマの解消は人類滅亡の最終戦争になってしまう。それほど人間はカルマを積む罪を積んでゆくものだと思う

人間はそもそも罪を犯すにしてもその罪を自覚しないのである。殺人犯でも何か悪いことがしたと反省しているのかとみたらしていない。たまたま運が悪かっただけだと思ってるだけである。カルマが自覚できないように罪も自覚できないのが普通なのである私が何か悪いことをしましたかとなっているのは普通である。みんな善人なのである。てもどこかで苦しみが生じてなんで自分はこんなに苦しむのだとなり初めてカルマであれ罪であれ自覚するのである。


2023年10月27日

夕陽が輝き秋の雷がひびき鳴る


夕陽が輝き秋の雷がひびき鳴る

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秋の雷夕陽輝き響き鳴る

夕方になり急に雷が鳴った、一回で終わるのかと思ったらそれから5,6回鳴った。そして多少雨が降った
この光景も不思議だった。おそらくまだ夏がつづいているのかおもしれない、第一もう秋もおわりだけど冬になるがそういう感覚がないからである。
だから秋がなくなり夏と冬になるというのもわかる。
カメラは常に持ち歩く必要がある、どんなシャッターチャンスがあるかもしれない、それを逃すと後は撮れないからである。
千変万化するからである。
プログは本来こうして毎日の気候変化とかを報告するのに向いている、リアルタイムの報告に向いているのである。
ともかく俳句は写生であり写真と相性がいいのである。

そして今日は田んぼに白鳥が来ていた!

これは季節通りなのか? 早いのか?
冬になることは確かである。

2023年10月26日

【田舎の秋の風景】ーダリア、秋薔薇、柿、秋柳など


【田舎の秋の風景】ーダリア、秋薔薇、柿、秋柳など

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相馬市城下町

玄関に大岩一つ秋薔薇
二輪咲く秋薔薇かなこもりけり
川岸にコスモスゆれてブナ跳ねる
秋の暮近くの畑で仕事かな

石の倉多しも農家に柿なりぬ
秋の雷一雷鳴りし余韻かな
秋の蚊の一匹唸り襲いけり
秋の蠅大きく部屋を飛び回る
相馬市の市街の鉄路秋柳

大輪の赤きダリヤを我が活けて黄色も白も共に映えにき
華やかにダリヤその色つくしダリヤ咲く我が部屋に飾り充ちたりぬ
秋の薔薇二輪挿しにき我が家に落ちつきあれや心休まる

秋バラの特徴は濃い色と豊かな香りです。気温が下がっていく時期に咲くため、ゆっくり開花し、花本来の模様や色味が出やすいようです。香りも深くなります。春バラと違い、シックな色合いの花を咲かせます。
秋バラは咲く花の数が少ないため、景色としては寂しく感じてしまうかもしれません。しかし、一輪一輪が美しいので見ごたえは十分です。

私の家の庭に四季バラが咲く。春のバラと秋のバラは違っている。そこまでは見ていなかった。でも秋バラだと春のバラとは違って何かもの寂しくその色合いを心にしみる。だから秋のバラは好きである。つまり秋のバラとは人間から見れば年配の人老人にもふさわしい花だとなる。やはり花でもそこに人間は人生と重ね合わせてみたりするのである。

何か変わり映えしない田舎の風景であるがそれなりに季節感はある。ただ正直今年は季節感が狂った。昨日にしても雲を見たら夏の雲のようであった。だから夏はまだ続いているということにもなる。秋がなくなりなり夏と冬になるというのも分かる。そうなると季語を中心に俳句があるとするときその文芸も成り立ちにくくなる

地震以後気づいたことは石の蔵が多いということであった。この石の蔵は明治以降に作られたものである。まず江戸時代に作られたものはまれである。それは木で作られ土壁で作られていたからである。これだけ石の壁が石の蔵が作られたということは農家がそれだけ裕福になったからかもしれない、蔵に柿が似合うのである

川に魚が跳ねているとみたら鮎と見ていたがそれはボラであった。鮭が昇るの捕らえる網を川に張っている人に漁業関係者に聞いたからである。ボラは大量に群れをなして上ってくることがある。鮭はは去年は200匹捕まえたという。今年はどうなるのか年によってまた違ってくる。

秋の蚊とか秋の蠅とかに苦しめられる。その秋にしてもやはり今年は晩秋という感覚はないまた秋深むという感覚もない。 11月を過ぎれば立冬になるのにそんな感覚はない。ただ一時寒くなるそのために私は体を壊した。

ダリアは飯館村の道の駅で買った。ダリアは今飯館村の名産品かもしれない。安く買えるからいい。原発事故以後ダリヤ畑にしたという花を売るようになったからである。ただ飯館村は自転車でゆくのには遠い。暑くて本当に行けなかった。
何かその土地にあったものが必ずあり産物がありそれがその土地の味わい深くする。相馬市は城下町であれ何か特徴はないにしろしんみりとして秋柳などは似合うのである。市街地を走る鉄路がありそこに秋柳が枝垂れているのである。

やはりなんの変哲もないようでその土地であっても歴史にあったものがある。それそれはなかなか分かりにくいのである。ただ確かなことは相馬市と南相馬の原町市はやはり相当に違っている。そのことは前に書いた。
いずれにしろ秋は深まってゆくのだがそういう感覚がもう一つ無い。やはり秋がなくなり夏と冬になってしまうのかとなそしたら日本の文化でも俳句でも失われてしまうということもある今年は一時的に寒くなったな担当になるらしい暖冬になるらしい。それはやはり暑すぎた夏の延長のためなのである







2023年10月25日

今回のイスラエル問題は聖書の理解が不可欠 【神は活ける神であり人間にかかわり続けている】


今回のイスラエル問題は聖書の理解が不可欠

【神は活ける神であり人間にかかわり続けている】


●同じアブラハムの子でもアラブ人の祖のイシュマエルは祝福されなかった

聖書が何なのかということを知らないと今回のイスラエルとパレスチナの争いも理解できない。その歴史はアダムから始まりその後にアブラハムが信仰の祖となったのである

すでに75歳だったサラは自分には子は授からないと思って、若い女奴隷ハガルを連れてきて、夫に床入りを勧め、高齢のアブラハムが奇跡的に身ごもらせた。しかし妊娠するとハガルはサラと不和になり、夫アブラハムは慣習に従い女主人に従うように命じたため、サラの辛い仕打ちに耐え切れなくなったハガルは身重の体で逃亡。神の使いの説得と加護を約束されて、ようやくハガルは帰還して出産することになるが、神の使いからは、息子はイシュマエル(「主は聞きいれる」の意)と名づけるように指示され(創世記. 16:11)、「彼は野生のろばのような人になる。彼があらゆる人にこぶしを振りかざすので人々は皆、彼にこぶしを振るう。彼は兄弟すべてに敵対して暮らす」との預言を受けていた(創世記. 16:12)。

こんな大昔のことが今と何の関係があるのかとなる。でも現実に関係している。アラブ人とは何かとなればアブラハムの息子であっても不如意なものとして生まれた子である。だから祝福されて生まれたとは言えない。ということはそれが現在までも通じているともなる。でも中東ではアラブ人が増えて繁栄したのである。

彼があらゆる人にこぶしを振りかざすので人々は皆、彼にこぶしを振るう。彼は兄弟すべてに敵対して暮らす

こういう傾向がアラブ人にあるかもしれない。好戦的であり常に争う人たちである。何かアラブ人には依然としてその始まりからして不如意なものとして生まれたものの宿命を背負ってそうなったのかもしれない。それにしてもそんなに長い間民族の歴史として宿命としてカルマを背負っていたのかとなる。つまりアラブ人はアブラハムの子であっても不如意なものとして生まれたのであり必ずしも神から祝福されたものではなかったのである。

つまり聖書は人間と神が直接関わる物語である。神は人間を作ったとしてもあとは何のかかわりもないということではない。神は人間にかかわりその行跡を記したのが聖書だと思う
だから常にあり得ないことは奇跡が起きているのである。アブラハムの正妻のサラが90歳でイサクを生んだということもそうである。そんなことがあり得るのかとなるからである。だから聖書とは神が関わって奇跡を起こした物語だとなる。その後もやはりこならず神が関わり奇跡を起こす物語は続いたので。
そういう物語は他ではない。そこで一番大事なことはアラブ人の祖となったイシュマイルは祝福されて生まれた子でわはなかった。だから神にも祝福されていないからその子孫もまた祝福され民族とはならなかった。

●神は活きる神であり人間にかかわりつづける

そうは言ってもではなぜ正当な神から祝福されたイスラエルのユダヤ民族はそのローマ帝国に滅ぼされて離散して常に迫害されてきたのだろうかとなる。それは神の子のキリストを十字架につけた呪いであったのかとなる。今でもユダヤ人はかたくなにキリスト神の子として認めていないのである。ただキリストもユダヤ人であり旧約につながるものとして存在しているのである。
ただ確かなことは神は人間を作ったがそのまま何の関係もないとして関わらないという存在ではない。神は人間にかかわり続けてきたのである。
それがどういう風に関わってきたかそれはいろいろありその関わり方も違っている。それを記したのは聖書である。

確かなことは神と人間は没交渉であり互いに関係ないということではない。神は人間に直接関与して働く。神は死んだ神ではなく現在でも生きている神なのである。だから生きている神が現在でも人間に関わってくるのである。だからこそ神というのは存在し続けこの世の終わりまで存在しつづけそして一番大事なことは神から祝福されることである。確かに人間でも智慧が働きいろいろなものを発明して文明を作る。でもそこに限界がありこの世に理想の国は作れない。何かしら問題が起きて原発事故のように破綻するのである。

それより大事なことは神に祝福されこの世から離脱して神が備える天の都に救出されることなのである。なぜこうして争いがやまず戦争も止むことなくあるのか。それも人間の力では止めることもできない。国連でもいろいろ議論しても止めることもできないのである。そこに人間の限界がある。そもそも議論してもまとまらないのである。
聖書のテーマはこの世からの救出であり脱出であノアの箱舟がそうであり出エジプトもそうでありソドムゴムラからの脱出がもまたそうである。
この世はこうして業火となりハルマゲドンとなり滅びるとなる。でも神はその後救出して天の国にに導くのである
ともかく神は人間にかかわり続けている。もし関わらなくなったら人間は終わりだと思う。人間はいろいろな問題を解決しようとしても解決できない。人間の力には限界があるからである。ではなぜ悲惨な戦争は終わることなくならないのか。それも人間のカルマが消滅しないからかもしれない。

●人類はもともと兄弟でありそれがなぜ争うようになったのか

アブラハムの子であってもアラブ人の祖となった不如意の子として生まれたイシュマエルのことがカルマとなりそれが今日まで続いているのはなぜなのか。その元をたどっていけば兄弟なのである。でもアベルとカインの物語のように兄弟が殺人の始まりだから人間は兄弟でも殺し合うということでそれが人間のカルマとして継続しているのかとな。確かなことは神から人が祝福されない時それはこの世の終わりかもしれない。神が関わらない世界はいくら人間が努力しても理想の世界など社会など作れないしバベルの塔のように崩壊するだけだともなる。

なぜ今回の問題がほかの問題と違って聖書と深くかかわっている。だから聖書のことをわからないとなかなか理解しにくい。アラブ人とユダヤ人は共に一神教でありどうして争うのかというのも分かりにくい。もともとはアブラハムを祖として兄弟の民族だったからである。そもそも元をたどれば人類は兄弟でありそれがなぜ争うようになったのかとなる。その争いの元の大きな問題が土地を巡る争いだったということである。だからこそ土地に執着しない遊牧民に神は現れたのである。この世は一時的に滞在する場であり異邦人であり本当の生きる場所は神の備えた新しい天と地にある。だからこの世はいくら人間が努力しても最終的に破綻してしまう。でも神は人間にかかわり救出するということである




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2023年10月24日

イスラエル民族主義が問題の根源にある 【石を投げて戦うガザの人たちはゴリアテと戦っているのか】

イスラエル民族主義が問題の根源にある

【石を投げて戦うガザの人たちはゴリアテと戦っているのか】

●新約と旧約聖書の相違

旧約と旧約の相違はなになのか、それが今回のイスラエルの問題でも関係している。神の民としてのイスラエル民族主義がありそれを実行すれば異民族は滅ぼされるべきだとなる。現実に旧約聖書では神に逆らう者は滅ぼされてきたからである。それはその民族を根絶やしにする絶滅させるという徹底したものだったのである。

それが旧約聖書の記録なのである。 ヘブル人が神に選ばれた民である。だからこそ神の味方する。政教一致になるとそうなる。日本だって神国となって特別天皇を神として神の国だと戦争に負けないとかなって3百万にも死んだのである。それは75年前であり遠い昔ではないのである。何故そうなったかのかとなればそれは政教一致だからである。宗教というのは創価でも何でも政治と一体化するのである。神の民となり仏の民となり政教一致となり時の政権を奪取することに向かう。そして反対すると罰当たるとか地獄におちるとか言って批判は許されないのである。

政治とは妥協の産物である。でも宗教は妥協するということはない神は絶対であり仏も絶対でありそれに逆らうことはできない
逆らう者は徹底して攻撃して排除するとな。だから何か妥協するということはないのである。
要するに今回の問題の根源に民族主義があり選ばれた民としてのユダヤ人がありパレスチナ人は民族も違うしまたアラーの上神に祈っているとしてもそれをまた一神教としては同一だがエホバの神ともまた違っている。

つまり民族宗教となるときある民族が優秀でありその民族に支配されなければならない。それがナチスにもなった。アメリカでも白人が一番優れているから白人至上主義になり必ずある。でもどうして白人は皆優れているのか。確かにその中には優れている人もいるわみんなが優れているわけでもないのである。
ある民族が特別すぐれていて神に選ばれた民でありそれを尊ばねばならぬ。それがヘブル人の信仰であり思想である。キリストが現れて新約の時代になるとまた様相がかなり変わってしまった。実際は黒から白になったくらい変わってしまったのである。キリストの信仰は民族主義信仰ではない。ヘブル人が優秀だとして神に選ばれたということではな、なぜキリストが十字架についたのか。それは当時民族派がいてヘブル人の党派に属さないから殺されたとしている。

●キリスト教は人道を重んじる宗教

キリストを通じてヘブル人の宗教でも万人に普及したのである。

【心の清い者は神を見るだろう】

その前にどの民族とか誰かとか選ばない。白人か黒人かとも選ばない、それは人類個々人に当てはまるのであり民族とは関係ないのである
それはヘブル人に限定するものでないから普及したのである。例えば宗教の違った人がイスラム教でも苦しんでいる人を見ればかわいそうだと見て助ける。でも宗教が違っているからといって助けないということはどうなるのかとなる。
つまりキリスト教徒は人道的宗教なのである。人道を一番重んじているのである。その最たる言葉が教えが汝の敵を愛せよということであ。敵でも愛しなさいということを教えたのでだからある。ガザであれだけ苦しんでいる人たちがいるのに宗教的理由から肯定されるということはキリスト教徒だったらありえないと思う。
もちろんユダヤ人の被害も大きかったのだから恨むのはいやむを得ないと思う。それが旧約の時代ならば相手の民族殲滅するとなる。だからイスライルで起きていることは旧約時代の再現なのである

そして旧約聖書でも神は必ず弱い者の味方のなのであ。それが象徴されているのはダビデがゴリアテを石を投げて勝利したことである。相手は強力な敵だったのだが簡単に一つの石が当たって死んでしまったのである。それで思うにはガザではこれまでイスラエル軍にそうして抵抗してきた。それが若い人でも石を投げて抵抗していたのである。武器がないからそうしていたのである。ガザの人たちは弱い人たちなのである。

でもイスラエルは強力な武器があり軍隊を持っていたのである。ただ前の中東戦争でそうではなかった。周りがみんなアラブ人が敵と化してイスラエルに襲ってきたのである。でもイスラエルは勝利したのである。イスライルは四方をアラブ諸国に囲まれて弱い存在だったのであるでも勝つことが出来たのである。そこに神が加勢したともなる。

●日本民族主義と結びついた日蓮の信仰団体の危険

でもその後は強力な軍事国家となりアイアンドームとか鉄壁の守りを作り備えた。でもそれも破られたのである。その原因はあまりにもハイテクに頼った結果だと評している。ここに現代の盲点があったのである。とにかく今やイスラエルはゴリアテであり石を投げるガザの人たちがダビデなのかと見てしまう。だからイスラエルに神は味方するのかと疑うことにもなる。
いづれにしろ民族宗教というのは危険なのである。ナチスとかもゲルマン人が一番優秀だからとあれだけ悲惨な結果になった。日本民族主義でも日本は神国でありだから必ず勝つとなりそして300万人も死んだのである。民族宗教というとき日蓮主義は危険である

日本民族主義であり戦争の時もやはり日蓮主義があったからである。今でも日蓮系統は創価であり顕正会であり国粋主義であり民族主義であり政教一致だから危険なのである。それらどうしても過激になる。
だから政教一致というのは災いの元になる。それを見過ごしていると大惨事になるということである。宗教とならば妥協というのはない。絶対だから従うか従わないかになる。そこで政治的に妥協するということはなくなるから苛烈になり犠牲者も多くでる出るのである
いずれにしろ汝の敵を愛せよといったキリストと旧約の民族的宗教とは違ったものである。そこが混同しているのである。

とまかく世界のことでも力だけでは解決しない、一見解決したようでも怨恨が残りまた争いが再発するのである。
アメリカがしてきこたは力の解決でありそれで失敗したとして反省している。つまり力では平和は来ない、それはキリストがいていたことでありそれがキリスト教徒でも実行していないのである。
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2023年10月23日

老人は病気の話 70才でも働く時代 老人は病気の話 70才でも働く時代


老人は病気の話 70才でも働く時代

大工さんで庭師である人が70で若い人に混じって仕事した。でも若い人は動きが速いのでついてゆくのが大変だという。でも70歳でも働いている人がいるという。でも肉体労働となると70過ぎて働くのは相当に厳しいと思う。
その人は丈夫な人でもやはり病気になっている。それも何か複雑な病気でありそれを見てもらうのは福島市の方によくほかない。
福島医大に通う人がいた。それで福島中央道路できていないときは通うのが大変だったと言っていた。何か難しい病気になるとこの辺でわ診れないのである。それは目の病気でも仙台市に行かないと手術などできないという。それで面倒なのである。何しろ人間の病気の種類が多すぎるのである。そして老人が話題にするのは病気のことなのである。

私自身も急に寒くなり体が震えて全身が不調をきたし苦しんだ。
これも老化してなったのかもしれない。また気候の変化が激しいからそうなったのかもしれない。とにかく何らかの病気になる人が老人になれば増える。脳梗塞になった女性は買い物に行くにも自転車に乗れず歩いてゆくほかない。タクシーを利用するときもある。それだけ歩くだけでも大変だからである。ところがタクシーも一軒しかなくうまく利用できないという。全国的にタクシーの運転手不足になっている。一軒しかなかった自転車屋も死んでここには自転車屋もなくなった。

また田んぼのなかにある農家二軒も廃屋かしたみたいだ。地震の被害がこの辺では未だに続いていて壊れた家を直さないのをみかける。それで直さないで壊しているのかしれない。おそらく農家でも後継者がいないのでそうなっているのかもしれない。70くらいの人が農業しているが多く後継ぎもいなくなり食料が供給できなくなると問題にしといる。

とにかく老人の問題は病気になることである。病気になるとまた金もかかるし負担は増える。今金の余裕がある人は少ない。だから息子でも娘でも頼りにくいのであ。そして年金があまりにも少なすぎるのである。女性の場合4万くらいしかもらってない人が7割くらいいるとかそんなんでどうして生活できるのかとなる。厚生年金で15万くらい貰っている人がいるとしてもその15万でも足りないと思う。物価が上がっているからなんでも高くなっている。近くの大判焼きが150円だったのが50円上がって200円にもなっていた。他でもコンビニでも20円30円とか上がっている。何かそういうものが物価高をじかに感じるものになる。それは日々生活して買っているからそう感じるのである

人間は一番病気に弱い。病気になると気力もなくなる。だから一人暮らしは病気になると最悪になる。体のこと気にかけてくれる人がいなくなるからである。それで私の場合医者に行かないでいたら病気が悪化していて死ぬ寸前だったのである。
それで街の医院から直接市立病院に入院して一命を取り留めたのである。それも家の中で介護とかなり誰も自分を心配する人もいなくなったからである。だから一人暮らしは危険なことはある。それで孤独死になったりする。そして今は隣近所とか無関心であり日頃から付き合いとかない。だから不思議だったのは市営住宅の隣の人が死んでいて二ヶ月間もわからなかったという。それは1万くらいの町で起きたことである。そういう場所では互いに気遣うことがあると思ったがそういうこともなかったのである。

ただその人も自体にも問題があったのか近くに兄弟は住んでいたのである。ただその兄弟にしても付き合いのなくなっていたのかもしれない。でも二ヶ月間も死んでいたのはわからなかったというのも謎である。あまり話する人ではなかったらしい。でもそれにしても二ヶ月間も死んでいたのはわからなかったというのは何なのだろうとなる。電気がついていたので生きているとみていたともいう。また冬だったから匂いもしなかったからきずかなかった。でも二か月間だったら誰か人の出入りがあってもいいとなる。それも一番の田舎の町で起きたことなのである。だから田舎とはいえ都会化しているのである。人間の付き合いが希薄化して無関心になっているのである。
でも今の時代その人は金をもっていればその金目当てに寄ってくる人はいる。なぜその人は親しく近くの人に話し相手なっていたのに行かなくなったのか。金をもらえないからだともなる。また自分自身も病気になって相手を見る余裕もなくなったからだともなる。今は人の付き合いも金なくしてありえないともなっている。

ともかく老人は病気の話でありまた体調も崩しやすいとなる。それで自分自身も結構苦しんだのである。体全体が変調をきたすということはやはり今まであんまりない。だからやはり気候の変化とか影響してそうなったのだと思う。老人はいろんなことで体の変調をきたしやすいのかもしれない。ともかく急激に寒くなったことが体に応えたのである。それが体全体に影響して思った以上悪化したのである。

2023年10月21日

なぜ欧米はイスラエルよりになるのか。 キリスト教徒は聖書を基本にしているためイスラム教のコーランは読んでいない


なぜ欧米はイスラエルよりになるのか。

キリスト教徒は聖書を基本にしているためイスラム教のコーランは読んでいない


何か世界でイスラエルを人道的に見て批判するのが多い。でも欧米だとイスラエル寄りになる。それはなぜなのか。それはキリスト教はユダヤ人の旧約聖書がから不可分に結びついているからたとえ新約聖書でも必ず旧約聖書参考にしている。だからキリスト教徒は旧約聖書でも全く新約聖書と別物とは考えていない。ではイスラム教のコーラン読んでいる人は理解している人がどれくらいあるのか。ただ偶像崇拝の禁止ということで厳しく共通している。そもそも旧約聖書でも偶像崇拝との戦いの中からエホバの神を信じる宗教は生まれたのである。

だからその根源はオリジンは共通している。むしろ仏教などは仏像があり礼拝するから偶像崇拝となり過激派が破壊したりする。
でもこうして共通性があるのになぜ欧米でもキリスト教徒コーラン読まないし理解しないのである。私自身もコーランについてほとんど読んだこともないし理解していないのである。そうなるとどうしても旧約聖書を読んでいるからイスラエル側に寄るとなる。

なぜならキリスト教徒でも旧約聖書に通じていて常に引用しているからである。コーランの一節を変容する人などいないのである。そしてキリストを神の子とかだと認めない。イスラム教からすればキリストは神でも神の子でも何でも無いのである。むしろ偶像崇拝ともなる。普通の人間であり人間の像を礼拝することは偶像崇拝になるからである。でもキリスト教徒でもやはり偶像崇拝に関してはに関してはさまざまな禁止がされているのである。。それを調べればわかることである。

カトリック信徒としてキリスト教の神聖なる信仰を広めかつまたひろめマホメットの教義及び全ての偶像崇拝は敵とみなす。フェルナンドおよびイザベル両陛下の命により私は上記のインド諸国に派遣される運びとなった
上記の国の王族や民衆や土地を見聞し彼らの成功を見定めて我々の聖なる信仰に改宗させるべく適切な方策を探るのが目的であるクリストファーコロンブス。

ここにも偶像崇拝お敵とみなすという厳しい言葉がある。ただマホメットの競技に関しても敵とみなすとあれここにキリスト教のみを絶対として布教する目的がコロンブスにはあった。
フェルナンドという姓は日本に来た普通の労働者のスリランカの人にもいたしまたフィルナンドのを姓を持つ人は大航海時代に植民地化されて多いのである。
でもなぜ十字軍の時イスラム教徒とキリスト教徒が激しく戦った。その時イスラム教徒一緒に生活していたユダヤ人はキリスト教徒と一緒に戦ったのである。その時ユダヤ教徒であれ差別することはなかった。キリスト教徒でも啓典の民の民として必ずしも対立するということでもなかった。フォーンはあ

ともかくコーランのことはキリスト教国でわそれを読んだり理解することがない。日本人でも仏教のことはある程度歴史があるから読む人もあり理解することもある。たとえ仏像であれそれに価値を認める人はいる。でもコーランを読んだりそれを理解する人は極めて稀なのである。聖書だったら新約であれ旧約であれ何かしら知っているし身近なものとしてある。でもコーランのこと知る人は非常に少ない。でも宗教であれば本当はそれだけ多くの人が信仰しているのだから理解するべきだともなる。
むしろユダヤ教は旧約聖書から成り立つから理解するのである。そもそもイスラム教のコーランを理解する人がごくわずかだからそこに偏見が生まれ対立が生まれている。

旧約聖書となると新約とは違いヘブル人の民族宗教であり神がヘブル人を選び神の国をつくるものとした。だからユダヤ人以外はへブル人以外は信仰できないものともなっていた。
でもキリストが生まれて万人の宗教となったのである。それはヘブル人だけを選ばれた者としない。全人類に通じる愛を説いたのでありまた聖霊は万人に下る。ヘブル人だけを選ばれることはなくなったのである。だからユダヤ人のユダヤ教はキリストを信仰しないしユダヤ人は宗教的にもキリスト教徒から迫害され続けてきたのである。でもキリスト教徒も必ず旧約聖書を参考にするからユダヤ人を本当は尊ぶべきものとなる。でもキリストを殺したということで差別されてきたのである。
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2023年10月20日

イスラエルへのハマスのテロ 【宗教がからんで奇々怪々にインターネットで多角的に見る】


イスラエルへのハマスのテロ

【宗教がからんで奇々怪々にインターネットで多角的に見る】


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総資産6000億円 ハマスのトップ「5つ星豪華生活」 優雅な“安全圏”から攻撃見守る?

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イスラエル解体を目指すユダヤ教超正統派団体 ナトレイ・カルタ


●ハマスの幹部が巨額の金を貯えてカタールのホテルで贅沢

これほど複雑なものは無い。インターネットで多角的に見ても一色ではない。意外だったのはアメリカのユダヤ人の中でもシオニズムにイスラエルの建国に反対する人たちがいたことである。そのラビがユーチューブに映っていた
またイスラエルから脱出する人も増えている。そもそも最右翼のネタ二ヤ首相で政権に反対する人たちもかなりにいたのである。イスラエルでもユダヤ教でも一枚岩ではない。それも意外だった。
またハマスにしてもその最高幹部たちがカタールとかでホテル住まいをして贅沢をして暮らしている。その人たちは大金持ちだったのである。これも何なのかと見た。その手下たちは命がけで戦っているというのにその幹部は安全な場所で贅沢三昧としているまた巨額の金を貯えている。それもなんなのだろうと見る。まるで人間の善悪でもわけわからなくなる。

イスラム教のアラブ人側にしても金持ちなのだからガザが貧窮化しているのだから金を出して助けるとか移民として受け入れるとかすればいい。でもそういう面でも欠けているように見える
そもそも援助するにしてもその金が上の人に奪われたりまたテロ組織に流れているとか一番苦しんでいる下層の人たちに回らないとかなる。だからイスラエルではガザに援助してもハマスに回り武器を買う金に回され庶民には金が回らないともなる。

ハマスでも幹部には莫大な金が入っても一般人に入らないという矛盾がある。そういう幹部を見ていたら戦う気になるのかとなる。生きる死ぬかの戦いをしている時ホテルでテレビを見て観戦しているのかとなる。アラブ側にも相当な問題がある
そういうことは時代劇でも常に放送している。何か若者でも急進派がいてもその人たちの純粋な気持ちを利用して実際はその上の幹部達上級職の人たちが得するものとなっている。だからここでも同じようなことが起きているのかとなる。

●宗教戦争なのか

カルト宗教団体でもやはり善を正義を主張しても扇動しても実際はその幹部たちは得することになるそうした善とか正義とかには関係なく利益を得るのはその人たちだけだとなる。
ここでも宗教がからんで複雑怪奇になっているのである。だから人間というのは常に仮面を被っていて何が真実だかもわからなくなる。そして宗教が絡んでくるとわけわからなくなってしまう。イスラム教でも聖戦となりまたユダヤ教でもやはり聖戦となりそれで互いに譲り合うことはなくなる。でもアラーの神とエホバの神が戦うのかとなればそんなことはないのである。
ただ一神教なら偶像との戦いだったからそれはありえる。でもアラーの神でもエホバの神でも偶像を否定している神だからその神が争うということはありえないのである。

だからこの問題は宗教の相違から来て宗教戦争と言うのにも思えない。根本的な原因はやはり宗教というのではなくパレスチナ人をガザとかに隔離して閉じ込めて苦しめた事にある。もしそうそれがなければこんな争いにはならなかった。

イスラエルが聖地となっていることは分かる。でももその土地にはにはすでにパレスチナ人が住んでいてその土地を奪うということはいくら宗教であってもそれを主張できるのかとなる。ただイスラエルには三つの宗教の聖地としてありそれは三つの宗教は共同して管理できるものとするべきだった

ユダヤ人でもイスラエル建国に反対していた人たちがいたのである。またイスラエルから脱出する人たちも相当数いる。それはロシアでもウクライナ戦争に巻き込まれるのは嫌だとして脱出したのと似ている。つまり戦争というとき誰が起こしているのかとなる。国民全員が一致ということはないのである。賛成する人もいれば反対する人もいる。それはユダヤ人のラビでも反対する人がいたのである。だから強硬派がいて穏健派がいる。それが政治でもある。

同じユダヤ教だから最右翼の強硬派となっているかとみればそうでもなかったのである。ただどうしても少数派だから目立たないし取り上げない。でもインターネットだとそうした少数派も意見として一応目立たないにしろ報道もされるのである。それが今までのマスコミ中心の報道とは変わったのである。

●インターネット時代は多角的に見る

だから多角的に見ると言うことで一方的にはなりにくい。それを理解するのも難しいがとにかく一方的な報道にならないからそれで全員が黒一色のようにはならない。ファシズムにはならない利点がある。ただそうなるとさまざまな見方がありそれを個人で判断するということは難しい。だからこそ一方的な見方は席巻するのである。
難しいことを言わないで大衆を洗脳するのはそうした一方的な見方でありその内実がどうなっているかなど検討しないでナチスのようになってしまうのである
特に宗教が関わると複雑になり宗教は絶対だとなり創価などでもほかの宗教団体でもとにかく批判すれば仏敵となり罰あたる地獄に落ちるとかなんとかなり議論すらできないのである。

ここでも宗教が関わって本当に複雑である。ハマスはテロ集団だといってもその背後にはイランがいてロシアがいて中国がいるとなるとこれまた複雑なものになる。そのテロの根を断つとしたらその背後の国を断たない限り解決できない。そうなると国同士の戦争となりこれらの国は核を持っているとしたら人類滅亡の最終戦争になってしまうのである。だからこそ今度のイスラエルのハマスのテロは第三次世界大戦の導火線になるということで恐怖したのである。

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2023年10月19日

コスモスと川と魚 Cosmos and river and fish by image creator


コスモスと川と魚

Cosmos and river and fish by image creator



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コスモスは街に似合う花である
だから家もない所の原野とか山の奥とか似合わない
花でもやはりそれぞれに似合う場所がある
ともかくbing image creatorは言葉から絵を作り出すから不思議だとなる

Cosmos is a flower that suits the city
That's why they don't belong in the wilderness or deep in the mountains, where there are no houses.
Each flower has its own place
Anyway, bing image creators create pictures from words, so it is a wonder

国家は国土は土地をめぐって争いが終わらない 【アダムの意味は土ーー地から離れて天の国に行く】

家は国土は土地をめぐって争いが終わらない

【アダムの意味は土ーー地から離れて天の国に行く】

●姓から見た世界ー大陸国家と日本の姓の相違

エロヒムによって創られた最初の人間である。ヘブライ語「אדם(アダム)」の名の由来は「אדמה(土)」だが、右から読むヘブライ語としての末尾には語根の「דם(血)[1][2]」が位置する。
Adamという語は、ヘブライ語で「地面」を意味するadamah(アダーマー)という語の男性形である。この言葉は同時に「人間」(アーダーム)という意味も持つ

第2章7節ではこの言葉の起源が、「神は地面の土を使って人間を作った」と説明されている

アダムの意味が土だということは土から作られたということはそこに意味深長なものがある。前に人間の争いが土地をめぐって起きて戦争になったということを考察した。

右から読むヘブライ語としての末尾には語根の「דם(血)[1][2]」が位置する。

日本語でも地【ちー血】になっている。

そして国とは必ず領土があり土地があって国がある。国土のない国はない。そして国家とは領土がなければ国家にはならない。
土地から離れて国家は成立しない。でも民族というのは国家がなくても国土がなくてもありうる。その代表となるものはユダヤ人である。他にもクルド人など国土はない国家がないでも一民族として存在している。
それで人間の姓をみるとき大陸国家では父系である。

イングランドでは、父系の名前の後に「息子」を意味するson(ソン)をつけて苗字として用いられています。
たとえば、Peterson(ピーターソン)は「ピーターの息子」という意味になります。

英語の苗字(姓、ファミリーネーム)の意味や由来をタイプ別に解説

大陸で共通しているのは父系でありその名前でも父親のが誰であるか大事になる。親というとき誰が父親のでありその子供はその父親の息子として認識される。
でも日本はかなり大陸国家とは姓でも苗字でも違っている。
日本の姓は必ず村の地名か地名が姓になっている。だから必ずその元をたどると村の地名に行きあたるのである。大陸国家は村が姓になることはない。むしろ姓が村の名になったりまたは国家にすらなる。 李朝鮮という時そうである。李一族の国が朝鮮だともなる。そういうことは日本ではありえない。でも大陸国家では姓を共有することはその土地を共有することより大事であった。日本ではむしろ土地を共有することで村がありその村の地名が生となったのである。

だから遊牧民だとどこどこの土地に住んでいるとかでその人を判断するのではない。誰が父親でまたその父親の父系たどり判別する。それは遊牧民は土地を持たないで移動するからそうなる。だから遊牧民のことを知らないと大陸の歴史を理解できないとなる
日本が大陸を理解するのが難しいのは日本自体が世界から見ると特殊になっているからである。姓からして世界から見れば特殊なのである。日本の特徴は中国であれ中東であれ大陸国家から切り離されて島国になっていたことである。

●日本人は砂漠と遊牧民のことが理解できない

大陸には砂漠があり中東はイスラエルまで砂漠のである。その砂漠から一神教が生まれた。それはユダヤ教であれイスラム教であれキリスト教でも同じなのである。イスラエルは砂漠であり遊牧民は羊を飼う遊牧民の国家なのである。ただユダヤ人が入植して灌漑して豊かにしたのである。

ではなぜ遊牧民にエホバの神が現れたのか?。砂漠に現れたのか。
その砂漠というのがどういう場所なのか日本人にはそもそも砂漠がないので理解できないのである。砂漠にはさまざまな生物でも植物でもいないしモーゼは登ったシナイ山など岩石の山であり一本の木もなかった。それだけ厳しい荒涼とした場所だったのである。そういう場所に神が現れたと言うことである。
それはやはり偶像崇拝を禁止する宗教でありそれはイスラム教徒も共通している。一神教でありあらゆるものが神となった世界とは違ったものなので。

つまりこうして日本人のユダヤ教であれイスラム教であれキリスト教でも理解しにくいのは砂漠という風土を理解できないからである。そこにはまさに砂漠と岩石くらいしかなく非常に厳格な場所なのである。だから十戒とかでもモーゼが登ったシナイ山で神から授かった。そこは厳しい場所でありその戒律も厳格なものとなったのである

そしてなぜ砂漠に一神教の神が現れ遊牧民に現れたのか。そこに宗教を解くヒントがある。それは最初の人間アダムは土から生まれたということである。そのことで人間の争いが戦争は土地を巡るものだということを書いたがまさに人間は地の者であり天のものではない。
アダムとはまさに地のものであり天のものではない。人間がアダムが知恵の実を食べて神から離れたというときまさに地のものとなったのである。そしてなぜ人間が争うのか。その原因もまだ地のものであるから土地をめぐって戦争がやまないのである。

だからこそイスラエルがアブラハムに与えられたとしてもその地は争いの地となった。ユダヤ人が2000年をへてイスラエルを再び建国した。その時そこに住んでいたパレスチナ人とアラブ人と熾烈な争いとなってしまったのである。カナンの地をアブラハムに神が与えたとしてもそれはあくまでも天の国の神の国の象徴として与えたものであり本当の神の国は地から離れたものにしかないのである。つまり人間は土地をめぐって争いがやむことなくある。人間は地のものであり天のものにならないかぎり争いはやむことがない、それをイスラエルの争乱は示している。

●イスラエルでなぜまた争乱が起きているのか

アダムが土を意味しているようにその土から離れない限り争いはありそのために人類は滅亡する。そのカルマは消滅しないのである。だからこそ2000年も経てイスラエルを建国したということがそれが世界の災いともなる。大争乱となり第三次世界大戦にもなる。それはまさにアダムの土から生まれたの宿命だったともなる。この地から離脱しない限り永遠の平和はありえないともなる。

ユダヤ人はローマ帝国に滅ぼされてから離散して迫害され続けてきた。またキリストを殺したということでキリスト教はヨーロッパに普及したとき迫害されたのである。十字軍の時も相当に迫害されたのである。だからイスラエルで十字軍が攻めて来た時アラブ人と共に戦ったのである。それで国を持たないから国家を持たないから迫害されるとしてイスラエルに2000年後にその土地を得たのである。
でもそれが世界騒乱を生みみ出したというのは何なのかとなる。それはやはりアダムは土から生まれたように土地をめぐって人間は争う。そこから脱することができないからこの世に平和がないともなる。

そして逆にユダヤ人が迫害されてゲットーとかに隔離されたように今度はレスチナ人迫害してガザというゲットーに押し込めたというのも何なのかとなる。いじめられたものはまた他者をいじめる。迫害されたものはまた迫害する。そういうカルマが人間にはある。カルマの繰り返しが終わることなく続くともなる。そして最終的に人類は滅亡するのである。


●情報社会で実況中継されるから人道に反することしにくい

マクルハーンが予言していたように情報社会になった時

グローバル化して世界が一つの村のようになる。

だからいくらイスラエルが遠いとしても爆撃でガザで500人死んだということが衝撃になる。それも今は通信が発達してリアルタイムで映像でなまなましく放送されるから余計に遠いから関係ないとはならないのである。それだけ世界の事件が隣で起きたように感じる。それでマクルーハンは世界が村になると言ったのは慧眼だったのである。

つまり人道に反することをすると世界から責められるて不利になる。それでハマスのしたこともイスラエルでもガザを攻めて多くの犠牲者がでると世界の世論がアラブ人側につくとなる
それは時代がそうしている。世界にとって迷惑でありウクライナでも麦が輸入できないとか困っている。だから戦争をやめてくれとなる。それで情報社会とは世界中にリアルタイムで映像でも実況放送すらしているから世界中が注目しているから勝手にできないともなる。みんなで監視しているともなるからである。
だから人道に反することは世界を敵に回すとなる。

イスラエルの問題の複雑さーエゼキル書の予言 
【人間の業として土地争いが戦争の原因】





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2023年10月18日

イスラエルのカナンの地の重要性 【ロシアはカスピ海を通じてイランに接していた―空間軸と時間軸で見る世界情勢】


イスラエルのカナンの地の重要性

【ロシアはカスピ海を通じてイランに接していた―空間軸と時間軸で見る世界情勢】

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第27回 終末の中東大戦争 〜エゼキエル戦争への道〜


●イスラエルは砂漠であり遊牧民が住んでいた

世界情勢を見るときまず空間軸で地理を見る。それから時間軸で歴史を見る。ところが空間軸でも地球となると広いから必ず何か誤解している。それでグローバルとなると地理がわかったようで実際は分かっていないのである。
イスラエルは砂漠であり羊を飼う遊牧民の国でもあった。でもユダヤ人が入ってきてそこで農業を始めた。でもそこにはアラブ人が住んでいて暮らしていた。ただユダヤ人が入ってきて果実の栽培とか農業を始めた。そこで争いになったのである。

ただユダヤ人が入植した結果そこは豊かな土地にもなったのである。それまではそこは砂漠であり果樹園などはあまりなかったのかもしれない。それで灌漑などをして水が不足してその水を供給して豊かな土地にした。
それができたのはユダヤ人が入植して豊かな土地にしたのである。ただそのために前から住んでいたパレスチナのアラブ人と対立したのである。ユダヤ人は離散してか各地に住んでも土地を持てなかった。だから土地を持ち国を国土を持ちたいというのが悲願になった。
それでキリスト教では利子をとることを禁止していたがユダヤ人は利子をとる高利貸になった。それで嫌われる民族となった。金融業がユダヤ人の得意となりやはり今でもそうなのである。ロスチャイルドはユダヤ人であり巨万の富を築いたから常にそれで陰謀論に登場する

●神から与えられたカナンの地とは

地理的にイスラエルのイメージとしては地中海に面していて砂漠とは思えないのである。そもそもイスラエルでもなぜそこが目指してアブラハムそのカナンの地を目指した。
そこはカナンという名称は、フェニキア人が自分たちを”ケナアニ (カナン) “と呼んでいたことに由来すると言われています。

フェニキア人はアルファベットを発明した航海術にたけた民族でありレバノン辺りに住んでいて地中海を航海して貿易をしていた
レバノンとかイスラエルでも今のガザでも貿易で栄えた地域である。ガザにユダヤ人も住んでいて栄えていたのはそのためである。

カナン人は実際にはイスラエル人と混住し通婚した。ヘブライ語はカナン人から学んだものである
ヘブライ語がカナン人のものとなるとカナンという民族は何なのかとなる。フェニキア人だからアルファベットを発明した民族だからそれに由来する。カナンにはすでに先住民族がいてその言葉を受け継いだとなる。
水の流れる乳と蜜の流れる神の与えた理想の地とされていたのである。
だからこそそこがユダヤ教とキリスト教とイスラム教の聖地となったのである。

●空間軸と時間軸で見る世界情勢

そして地理の盲点となっていたのはロシアとイランは隣同士だったということである。カスピ海を通じてロシアとイランは隣同士だったのである。カスピ海を通て行けばばロシアなのである。だから地理的にロシアとイランは一体化もする。何かロシアとイランは地理的に遠いと見ていたからである。
このように必ず地理を見るときは錯覚しているのである。それだけ地球は広いし外国になると余計に錯覚しやすいのである。そしてどうしても地理で誤解して正確に世界を見れないのである。

もう一つは時間軸でも見るのも難しい。すでにイスラエルでもアラブ諸国との中東で戦争はありアラブ諸国に囲まれて孤立無援のようになっていたが勝利したのである。
その時はイスラエルを応援する人がかなりいたことは確かである。でもそれから50年とかすぎるとまたそのことも忘れられて何なのか分からなくなってしまう。何でも時間が過ぎるとそこその時代時代に起きたことはリアルに意識できなくなるのである。
それがわかるのは日本でも70年前以上に300万人が死んだという戦争のことでもそれを明確にリアルに意識できないなくなっている。

●情報化社会では全世界が戦争でも映像で見て注目する

今ガザで病院が爆撃されて500人死んだというときその方はリアルに意識する。特に情報化されてテレビの映像で見る時生々しいものとなる。なんてひどいことをするのだということになる。。イスラエルには言い分があるにしろテレビの映像からはなんてひどいことをイスラエルはするんだと今度はなってしまうのである。
だから現代では映像の影響が同時間でリアルタイムにで報道されるから影響が大きいのである。それは別に悪いことでもない。そこでどうしても人権とか人道的なものが常に言われるからである。それは映像でなまなましく伝えられるからである。

ただ一方でイスラエル側からすればそうした人道的なことにあまりに配慮すると実ははますがそれを利用してテロのためにその援助を利用していたとされる。それもまた問題なのだけど何かテレビ映像で伝えられる時生々しいものとなりどうしてもイスラエルには不利になるのである。
もちろんイスラエルはも被害が大きかったからその言い分も分かる。でもどうしてもイスラエルは圧倒的に軍備でも力を持っているから世界から批判されやすいのである。そもそもガザのことなど何なのか世界で注目もあまりしなくなっていた。でもそこでは継続的に紛争があり人も殺されていたのである。でも世界的には注目しなかったのである。
それにしても地下要塞には驚く。そんなものを作っていたということ自体問題だった。それだけイスラエルと戦うために用意していたのである。

●聖なる場としてイスラエルがあること

とにかく世界でも空間軸と時間軸で見る。それが基本になる。でもどちらでも必ず見間違う錯覚するのである。時間軸になると前後もわからなくなる。江戸時代などでもいろいろ年号があっても順序が逆になったりもしている。
だから時間軸で見ることも難しい。空間軸でも実際は地球は相当に広い。その広さを実感することは簡単にできない。それは地図をみたくらいでわからないのであ現実にその地図すらよく見てないのである。カスピ海を通じてロシアとイランが隣同士だったということが見逃していた。
でもそれを地図をよく見ていれば普通にわかったことなのである。だから地図を見ても世界のことが錯覚しているのである。すると何か具体的に世界情勢というのは理解できなくなる。だから何かが起こるというときまずtake placeになる。でもその場所も世界が広すぎてリアルに把握できないのである。

ただ地理的にイスラエルはなぜ重要かというと神がイスラエルを世界の中心として定めたからである。またイスラム教ではメッカが中心となりそこにイスラム教徒が参拝する。イスラム教は何かか具体的な像などを礼拝しない。偶像崇拝を頑なに拒否しているからである。でもその方角がメッカが重要でありその方角に向かって礼拝するのである。つまり場所が重要であり場所は聖なるものとなっているのである。
だからこそイスラエルはなぜ重要かというと世界の中心として神が定めたからである。そのためにイスラエルを中心にして世界でも動乱が起きてくる。それで今回のハマスのテロとかが恐怖するものになったのである。
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2023年10月17日

なぜ今回のガザのハマスのテロは恐怖なのか 【第三次世界大戦を予兆されるからーロシアが背後で関わっていた】

なぜ今回のガザのハマスのテロは恐怖なのか

【第三次世界大戦を予兆されるからーロシアが背後で関わっていた】

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●キプロスの歴史

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ユーロになるまえのキプロスの貨幣―イギリスが支配していた

十字軍は、中世ヨーロッパのキリスト教徒による聖地エルサレム奪還遠征軍の総称です。第1回十字軍から第8回十字軍まで、多くの国々が参加しました。参加国には、フランス、イタリア、ドイツ、イングランド、スペインなどがあります1. ただし、十字軍に参加した国々は、各回の遠征によって異なります。
12世紀、キプロス島は十字軍の標的となり、1191年6月には最初の十字軍征服者・イングランド王にして獅子心王の異名を持つリチャード1世がキプロスの地に上陸し、軍はキプロスを占領した

古代から近代にかけローマ帝国・ヴェネツィア共和国・オスマン帝国・イギリスなどの支配を受け、長らく政治的独立を得られませんでしたが、1960年にようやくイギリス連邦内の自治国として独立し、キプロス共和国を成立させることができました
1914年、第一次世界大戦が始まって間もなく、イギリスはキプロスを併合し、1925年、オスマン帝国の解散とともに、キプロスはイギリスの植民地となった。 独立 1959年2月には、イギリス、ギリシャ、トルコがチューリッヒ・ロンドン協定に調印し、ギリシャ、トルコ、キプロスも連合条約に調印した。 1960年8月16日、独立が宣言され、キプロス共和国が成立した

●複雑な歴史の背景−十字軍に対してアラブ人と共同で戦っていた

11世紀〜20世紀 - ガザのユダヤ教徒社会が繁栄
1099年 - ユダヤ教徒、エルサレムの防衛に、アラブ人と共に参加
1100年 - ユダヤ教徒、十字軍の進攻に対しハイファの防衛に参加
1191年 - ユダヤ教徒、十字軍によって追放される

この歴史はユダヤ教徒が十字軍のキリスト教徒に対してアラブ人と一緒になり戦っていた。つまりキリスト教徒とユダヤ人は対立していた。なぜならユダヤ人はキリストを殺したものとして迫害されてきたからである。
ガザでユダヤ教徒が繁栄していたというのもむしろイスラム教徒のアラブ人と一体化していたとなる。だからこそキリスト教徒の十字軍と共通の敵として戦ったのである。もともと古くからそこで生活していたから侵略者と共同して戦ったとなる。
つまりガザにユダヤ人が住んでいて栄えていたのである。だからアラブ人と一体化したのである。

イスラエルから船でキプロスに寄った。 7時間くらいであったがそこでイギリスのが通貨が利用されている。キプロスポンドでありイギリスが七つの海を支配したことでそうなった。
そのイギリスが十字軍時代からキプロスに関わっていたのだからその歴史も古い。エジプトポンドでもそうである。ポンドはそのときドルと同じ役割を果たしていたのである。世界基軸通貨となっていたのである。でもトルコリラも使われる。オスマン帝国とかにもかかわりその使用される通貨も変わってくる。

イスラエルにしてもユダヤ人がローマ帝国に支配されて離散した。それからイスラム系のアラブ人が住んだしまたそこで十字軍のとイスラムの戦いがあった。その歴史の変遷を見るといかに複雑なものになっているかわかる。日本のような島国で他国から侵略されない国は珍しいのである。大陸の歴史は常に他国の侵略にあっている。陸続きなのだから当然侵略されやすいのである。それで国が縮小したり拡張したりしているのである。

だからそれを理解することは日本のような島国に生きていれば分かりにくいとなる。そこに宗教が関わりさらに複雑化してわかりにくくなる。そもそもなぜイスラム教徒とキリスト教徒が対立して戦うのかその原因がなのか理解しにくい。なぜならアブラハム祖として偶像崇拝を拒否する一神教でありその源は同じだからである。
そしてなぜアラーの神とキリスト教徒がユダヤ教徒でもキリスト教徒でも対立するのか。それらは同じアブラハムから出て偶像崇拝を拒否することで同一のものだからである。むしろ仏教徒となると仏像を作るから仏像はイスラム教徒によって破壊されたように対立することは理解できる。

だからこうして対立して争う時アラーの神であれエホバの神であれまたキリスト教であれそもそもその神が争うということがあるのか。そのこと自体不可解だとなる。アブラハムから出た同一の神なのだから宗教的に争うとも思えないのである。すると必ずしも宗教的対立が争いの原因とも思えないのである。

今回のパレスなどイスラエルの争いは宗教的争いなのか。それよりもやはり土地をめぐっての争いだとなる。もともとパレスティナに住んでいた人たちがいてそこにイギリスなどの政治的思惑でユダヤ人にその土地を与えたからである。そこがこの争いの元にもなっていた。ユダヤ人にイギリスがその土地を与えたから当然争いが起きたのである。でも十字軍だったらイスラム教とキリスト教の対立となるがユダヤ人なればユダヤ教なのである。

●ハマスをロシアが支援していた?

ただこの争いが局地的なものに留まらず世界的に波及する。第三次世界大戦になるという不安が生まれている。現実にパレスチナのハマスに対してロシアが支援していたという。またイランが関わりその背後に中国もいる。中国はやはり最近外交的に中東に力を入れて和平交渉イランとかサウジアラビアとかでも和平交渉をの仲介役をしていた。
だからエゼキエル書に記されたゴグのロシアでありまたペルシャもかかわりそれは今のイランなのである。つまりキリスト教側の欧米とイスラム側が争うとなる構図となる。でも旧約聖書の時代にイスラム教はなかった。またロシアはロシア正教でありやはりキリスト教などだから必ずしも宗教の対立でもないのである。

ただゴグといっても紀元前のことだからその時はそんな国はない、ただ位置が一致しているだけである。
第二次世界大戦でもなぜドイツとフランスでもイギリスでも争うのか?同じキリスト教徒の国だからである。
ただエゼキエル書の予言が現在2000年後以上の前の予言が現実化するということになるとそれはやはり聖書というのは予言の書だということは証明されるのである。
ただでも現代は宗教を重んじるというより人道人権主義になりそれで世界の人がテレビを見て注目している。なぜそんな残酷なことをするのか。イスラエルにしてもなぜそんな残酷な事を圧倒的な軍事力でするのかとなる。

●聖書は弱者が神の味方となり勝つ物語

そもそも聖書というのは弱者は強者に味方して勝つという歴史である。でも今のイスラエルは圧倒的な軍事力で攻めてくるイスラエルの後ろには巨大なアメリカは存在している。だから聖書の時代とは違っている。これまではイスラエルに同情的なことはあった。それはユダヤ人が2000年も迫害されてきたことである。だからおそらくそのことでナチスにも大量殺戮されたとかでヨーロッパ人が贖罪のためにイスラエル支援していたのかとなる。そして今こうして迫害されたユダヤ人がアラブ人をイスラム教徒を迫害するということはどいうことなのかとなる。

でも今は人道的な見地から世界を人間を見る。イスラム教だからどうのこうのでなくキリスト教だからイスラム教徒とキリスト教徒とか宗教で分けるのではなく人道的見地からどっちにしろ殺し合いになり子供まで犠牲になるということに対して共通してやめるべきだどんなそこでなんとか仲裁して戦争をやめさせるべきだとなる。ただハマスとはテロ集団でありテロは世界的に許されないとなる。

いずれにしろ世界第三次大戦の不安が高まっている。それはロシアの背後にゴグの背後に巨大化した中国が存在して米中対立がありそれが台湾侵略とかになり日本まで影響するとまさに第三次世界大戦になる。そこで日本の立ち位置がどこになるのか今は欧米側にある。旧約聖書の時代はへブル人はエジプトでも強大な国と戦ったとしてモーゼが杖一本で神に導かれ戦ったのである。
強大な軍備などなかったのである。だからイスラエルの背後に強大なアメリカの軍隊があるのとは違っていたのである。
そしてテレビの討論でイスラエルはアメリカの内政問題だと言っていた。アメリカにユダヤ人が多くいて重要な地位についている人も多いからである。イスラエルはイスラエルで独立国家ではなくアメリカの州とも言える、だから内政問題だとなる。

でももしかしたら日本がイスラム系でありキリスト教系の欧米側であれその中立的な立場にありそこで仲裁役になりうるかもしれない。でも今は日本の国力は減退しているからそれもなかなか難しいだろう。でも何か確かに二つの陣営に分かれて世界第三次大戦の予兆は感じられるから恐怖なのである。イランの後ろにはロシアがいてロシアの後ろには中国がいる。中国はアラブよりであり中国が介入してくれば台湾問題があり世界第三次戦争になる。中国が台湾に攻め入れば日本は欧米側につくことなになるからである。


機会主義者のプーチンはイスラエル・ハマス戦争が拡大し、米国の支援が分散するのを望んでいる。習氏は米長期国債の売却と台湾海峡という2つのカードでバイデン氏を揺さぶることができる。私たちは第三次世界大戦に向かうのか、それとも米中両大国が協力して安定化を図るのか。世界はまさに運命の分かれ道に立たされている。

われわれはいま世界大戦「一歩手前」に、そして米国と同盟国は著しく分が悪い



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2023年10月15日

茶道がなぜ日本から生まれたのか 【日本の日常生活から生まれたわびさびの世界―大陸ではgrandなものが好まれた】


茶道がなぜ日本から生まれたのか

【日本の日常生活から生まれたわびさびの世界―大陸ではgrandなものが好まれた】

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●薄茶と濃茶の違いって?

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密室に濃茶を飲みつ交わりぬ紅葉の色の赤さを増しぬ

お濃茶のお茶碗は、楽焼の楽茶碗のように柄が入っていない格式の高いお茶碗が使用されています。

一般的によく設けられているお茶席は大体がお薄なので、茶道を習っていない方は馴染みのある方がお薄だと思います

茶事では、招かれた客は座敷の寄付き(控えの間)で
身支度を整えて他の客が集まるのを待ちます。
客が揃うと、茶室の庭(露地)にある待合で待機します。

茶事では、招かれた客は座敷の寄付き(控えの間)で身支度を整えて他の客が集まるのを待ちます。

茶道というとき客をもてなすことから始まった。茶というとき別にお茶は食事の後に飲んでいた。何かご飯を食べた後に茶碗でお茶を飲む。だからその茶碗を特別のものとして作って飲んだのはお茶の始まりともなる。なぜ茶の湯のの茶碗が大きいかとなればやはりご飯を食べる茶碗が大きいからである。

だから風流にしても文化にしてもそれは日常の生活から生まれたのである。そもそも俳句でも基本は日本の四季という自然があり農業はあって俳句も生まれたのである。
だからカルチャーとはcultivate【耕す】ことにから始まっていたのである。アグリカルチャーのアグリとは土でありカルチャーは文化であるから農業そのものが文化だったのである。

●外国ではGRANDが好まれた

雄大な、壮大な、盛大な、豪奢な、華やかな、威厳のある、堂々とした、偉い、遠大な、崇高な

この言葉が好まれるのは外国の建築でもなんでも豪勢なものが多い。それはやはり大陸では王様がいてそこに富が集中する。だから中国のように始皇帝とか地下まで大宮殿を造りそこでなお生きようとしたのである。またヴェルサイユ宮殿など見ればわかるように贅を尽くしたものとなる。ただその対象として宮殿内に農家を作り豪華なものと対象的に質素なものを作った。それが日本のわびさびの世界となる
なにかベルサイユ宮殿を見ていると疲れるからである。
つまりそうした豪華なベルサイユ宮殿とは日本の文化は正反対である。その原因はまた日本自体がそうしたい大陸とは違って贅沢のできない王様でも富が集まらないためにそうにもなった。

日本はそもそもそうして質素な生活をしていた。またそれはそうならざるを得なかった事情がある。今でも庶民の家は狭いからである。つまりそもそもは日本人は茶室のような狭いところで住んでいたともなる。江戸時代の長屋などがそうである。また現在でも外国から見ると日本の家はうさぎ小屋だと言われるのもそうである。土地も狭いし豊かになれないからそうなったのである。でもそのために逆に質素な茶室を作るそれが一つの日本的文化となったのである。

野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。  栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった

これにも通じているのが茶道でもある。そして人の出会いを演出する場を作ったのは茶室である。待合というのがありそこで茶室に入り出会う人出会う人とを待つ待っている。直接会うのではなこで待つということで何か出会いを演出する
●待合があり待つ時間が人間的時間を作る

奇妙ではあるがなぜ鉄道の駅というのに惹かれるのか。それはそこで待つ時間があるためなのである。そこで電車がくるのを待っている。親しい人が来るの期待をして待っている
その待つ時間が人間的時間になっていたのである。また別れる時もそうである。駅では別れを惜しむ時間になって時間を持つことになったのであるなっていたのである
意外と現代ではそうした待つ時間とかは無駄なとして価値無いものとして見られる。でも待つ時間が人間的な時間になっていたのである
だから待合というのがあるのはそこに人間的時間を作り出したとなる。
とにかく現代は効率的とか無駄をしないことが第一になる。そこで待つ時間というのは無駄な時間になってしまうのである。
茶の湯とはそもそも忙しい日々の生活から離れて人が出会い親交を深める。それは日々の日常の生活から遊離した場所だとなる。

面白いのは薄茶と濃茶があり薄茶は普通に飲むものだけどこちらは濃厚なものでありそれはまた密室の中で濃厚に人が交わるともなる。そこで使う茶碗も特別なものとなっていたのである。
いずれにしろやはり茶道は日本の文化であり知る必要がある。ただ現代でわは何か茶道というと日常生活から離れて特別なものとなった。第一本格的な茶道の世界となれば面倒になる。
そういう暇を持ってる人は少なくなった。私自身もそんな茶の湯をを楽しむという暇はない。今や家事に追われているからそんな面倒臭いことをできないのであ。何かまどろっこしくなっているのである。そんな手間暇をかけてそこに時間を費やすということがそういう時間の余裕が現代にはなくなったのである。

そのことはまさに現代の余裕のない生活となってしまっていることは確かである。日々時間に追われて待つ時間がない。
それは鉄道の駅でもそういうことが言える。もうそこで十分でも待つことは長く感じられるからである。それで高速道路のSAでは待つ時間がないのである。食事でもしてトイレでも用を足せば去るだけだとなってしまうのである。だから鉄道の駅で待つということはそこに人間的なものは生まれていたのである。

だからこそ車社会になったとき社会そのものが人間そのものはどれだけ変わってしまったかそれをこれまでも書いてきた。車には何かまず待つ時間とかない。ただ目的地にまっしぐらに行くだけである。途中は省かれるのである。旅は道連れ世は情けはなくなったのである。だから人間そのものが殺伐となってしまったのである。それは世界的に共通していることであり大都市ではどこでもビルが建ちと高層ビルが建ち似たような風景になっているのである。だから大都市には文化は無いのである。文化とはその土地土地を耕すということからきているのだからその土地土地の風土とか土から離れたら文化もないのである。

●現代社会では茶の湯を楽しむ時間の余裕がない―車社会の影響

だから現代では1000万の大都会とかあっても文化は生まれないのである。それは世界的に共通した現象なのである。それがもし車が走らないとこがあったらまるで江戸時代に戻ったのような不思議な感覚になる。それをこの辺でわ原発避難区域になった小高などで感じたのである。車がほとんど通らないからである。
でもそれが逆に街自体が寂れた間ものとなってしまったのである。でも今の車社会が日常的になったとき車が通らないということは逆にその社会までがまるで違ったものになる。
だからどっちにしろ車というのはどれだけ人間社会を変えたか分かるのである。そこにはプラス面もありでも必ずマイナス面もある。でもこれだけの車社会になったときそのマイナス面を感じるようになった人もあり見直すべきだとなるのである。

とにかく戦前でもさらに江戸時代でも時間の感覚が違ってくる。江戸時代のように寺の金が時報になっていればそれは自然のリズムに近いから時間の進むのが遅いのである。今のように1分刻みで時間は計られない。だから今感じている時間と当時の時間の感覚は相当に違っている。そして今のようにめまぐるしく車が行き来したり何か追われる感じはしない。時間はゆっくりと過ぎていたのである。時間を感じる時環境によって相当に違ってくる。だから車が通るのと通らないのでは時間が時間の感覚が違ってくるのである。
もし車が通らなければ時間はゆっくりとすぎて時間の感覚が違ってくる。だから時間の感覚というのは時計では測れない。その環境とか時代の影響を受けて時間の感覚というのは違ってくるのである

2023年10月13日

イスラエルの問題の複雑さーエゼキル書の予言 【人間の業として土地争いが戦争の原因】


イスラエルの問題の複雑さーエゼキル書の予言

【人間の業として土地争いが戦争の原因】

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●なぜ戦争になるのか―土地争いでなる

なぜ人間は殺し合う戦争が止むことなくあるのか。その一つの答えが土地争いにある。そもそも戦争はどうして起こるのか。それには確かにいろいろな原因はある。でも基本的に戦争はなぜ起きるのかというと土地を巡る争いから戦争になってきたのは人間の歴史だと思う。なぜならその土地を巡る争いというのは現代でも終わることなく続いているからである。それは国と国の争いだけではない。個々人の間でも家の間でも土地を巡る争いというのはありそれが揉め事の第一にあり土地を基本にして人間の生活があるからそうなる。

私の家でもわずかな土地でも奪われたことがありそれが私の代でも恨みとなっているのである。その恨みは一代で終わらず次の第代まで続くのである。国にしてもそれは土地を基本にして領土があって国がある。だから領土を持たない国はない。
そして戦争とはなぜ起きるのかそれは基本的には土地を巡る争いである。ここは私たちの国の土地だという時ほかの国の人たちが奪いに来れば当然戦争になるのである。
なぜロシアが北方領土を自国の領土としているのか。そこはもともと日本の領土なのである。でも日本は戦争に負けたからロシアの領土になったのである。それは理不尽なことなのである。それでロシアとは友好関係が保てないのである。
つまり日本の土地を奪ったのものはロシアだからである。またウクライナ戦争はなぜ起きているのかそれも土地を奪ったということで戦争が起きる。ただそこはもともとロシアだったという理屈で戦争にもなっている。
つまり人間の争いの起こりは土地を巡る争いになる。

日本の国にして日本にしてもやはり戦国時代がありそれは土地を巡る争いから始まっている。入会権の争いがありそれをめぐって山を所有する争いになりそれに大名は応援して戦争になったとかある。
また丸森の木材資源をめぐって米沢藩と伊達藩と相馬藩が争った。これはめぐる争いだったのである。土地もこうして常に争いの元としてあった。だから返って農業社会になったとき争いが熾烈なものとなったのである。なぜなら農業というのは土地なくしてあり得ないからである。

●太平洋戦争も満州に農業するため土地を求めたことが原因

それで例えばなぜ日本は太平洋戦争まで突入したのか。その原因もまた土地にあったのである。何故ならその時農業が主なる産業でありその農業のためには土地を必要としたので。それでその頃日本は島国であり土地が足りなそれで新田を作るために狭い領土をだんだん畑やら海側を干拓してた田にしたのである。それも限界がありその土地を求めて満州まで進出したのである。そこには広大な土地があり農業するにはその土地を手に入れればいいとなったのである。

だから農民は満州のような寒いところでも米を作るために努力したのである。それはそのとき農業が主な産業でありその農業をするためには土地を必要としたからそうなったのである。
結果的に日本はその土地を手に入れるために満州を領有したのだがそれがかえって災いとなり戦争で300万人も死んだという犠牲を払ったのである。太
太平洋戦争の原因は主なものはやはり満州に進出したことにあった。それが仇あだとなってついにはアメリカまで巻き込んで大敗北となり300万人も死んだのである。
そして今回のイスラエルの問題もやはり土地争いが原因になっているのである。イスラエルはすでにパレスチナ人がそこに住んでいたのだからそこにユダヤ民族が入ってきてそこが自分たちの国だだからパレスチナ人は邪魔だとなってしまったのである。
その理由は2000年前にイスラエルの国がローマ帝国に滅ぼされユダヤ人が離散したことである。そしてイスラエルはアブラハムは約束の神から約束の地として与えられたものである。そのアブラハムを祖とする宗教がイスラムキリスト教ユダヤ教でありキリスト教でありイスラム教なのである。その三つの宗教の聖地がイスラムなのである。

●なぜ遊牧民にエホバが現れたのかー土地をもたなかったから

神が現れたのは遊牧民だったのである。羊を飼って一定の国をもっていない遊牧民だったのである。遊牧民から生まれたのが一神教の信仰である。それでイスラエルに対しイスラエルに関して誤解しやすいのはイスラエルとは砂漠でありその生活の基本は羊を飼うことである。
またラクダなどが泊まる隊商宿代わり砂漠の中で生活できる人たちだったのである。
ではなぜ砂漠で生活する遊牧民に神が現れたのか
それは人間というのは土地を基本にして生活している。だからこそ土地が最も大事であり命ともなる。でもなぜ農業している農民には神が現れなかったのかとなる。

 カインは農耕を行い、アベルは羊を 放牧 するようになった。 ある日2人は各々の収穫物を ヤハウェ に捧げる。 カインは収穫物を、アベルは肥えた羊の初子を捧げたが、ヤハウェはアベルの供物に目を留めた
バウルは乾燥している地域では農業に携わる人々から豊穣神として崇められた

農業が一神教のエホバから嫌われたのか、そしてその神を偶像を神の敵対者にしたのか?
そこに共通しているものは何なのか。つまり農業は土地を元にして土地から離れることはできない。だからこそ土地にこだわらない羊を飼う遊牧民に一神教のエホバが現れたのである。

そしてキリスト教でもこの世にいることは異邦人であり一時仮の宿なのである。それは遊牧民なら生活上肌で理解する。この世は永住する場所ではない。本当に永住する永遠の都はこの世にはないのである。そのためにその教えを伝えるのは遊牧民が適していたのである。
だからなぜイスラエルに今また深刻な争いが生まれたのか。それはまさに2000年間も世界を流浪したユダヤ人が国を持たない為に起きた事件でもある。ユダヤ人にとっては国を持つことが悲願でありその国とは2000年前にあったイスラエルなのである。そのことに執着した結果としてそこにはすでにアラブ人が住んでいて土地をめぐって熾烈な争いにもなったのである。
ただユダヤ人というのはなぜ2000年も国も持たず流浪してそれなのに強い勢力を持っているのかということである。
そしてなぜユダヤ人は優秀なのかということである。ノーベル賞の2割がユダヤ人でありグーグルとかフェイスブックとかの創始者はユダヤ人でありまたメディアはユダヤ人が経営しているのである。

つまりユダヤ人は滅びていない。土地を領土がないのに国もないのに滅びていないのである。それはユダヤ人は神に選ばれた民族であり選民であるから神は保存して残したともいわれる。聖書での記録ではヘブル人は神に選ばれた人たちであり神に守られているとされる。聖書では必ず神に選ばれた預言者がいてそれは神の聖意お実行するものとして尊ばれたのである。キリストもうその預言者の一人なのである。
ただキリストが出現することによってエホバの信仰はユダヤ民族だけではない世界中の民族に平等にもたらされるようになったのである。だからユダヤ民族だけを特別な選民として神が助けるということは必ずしもなくなったのである。
そもそもは神はこの世に神の国を作らない。もし土地に根ざして神を作れば神の国を作ったとしてもその土地をめぐって国々は必ず争うようになるからである。イスラエルもカナンの地とはあくまでもそれは天の神の国を目指すものとして象徴として与えられたものであり本物の神の国はこの地球には作れないのである。だからこそこの世では必ず土地を巡った争いが終わることなく続いている。その土地から離脱しない限りおそらくこのように永遠の平和など来ないのである。

ただいずれにしろユダヤ人が2000年前にあった自らの土地に帰還するなどということは考えられないのでる。だからこそこれを契機に世界動乱にもなりハルマゲドンにもなるという恐怖にもなるのである。すなわち土地をめぐって争いがありそれがカルマとなり人類最終戦争ともなり人間が滅びてしまうという恐怖にもなるのである。
現代はそうした宗教より人権というのは宗教を超えて重要視されるようになった。宗教が違っても一番大事なのは人権だとなったのである。パレスチナ人が傷つきイスラエル人が傷つきそれを見た時どっちにしろ同情するとなる。それは宗教と関係ないのでそこに苦しみ傷ついた人があれば宗教と関係なく哀れと思い助けるということにことが人権なのである

●宗教の争いの背後に必ず利権争いがある

宗教は関わると例えば日本民族は優れていて天皇陛下は現人神だとかして他民族でも殺していいとかなる。つまりそこでも宗教がかかわるとナショナリズムとなり多民族を殺していいとなってしまう。
でももし人権主義だったらヒューマニズムなら宗教と関係なく他者が苦しみ傷つきそのときは助ける哀れと思い助けるべきだとなる。
だから宗教というのはカルト宗教でもそうだがとにかく自分たちは神仏に守られているとか助けられるとかなってそれがエキセントリックになり争いともなる。
そして土地を持つということはまた権力を持つということにもなる。何か宗教の争いのようにみえてて実際は権力を持つと宗教は必ず争いになる。例えばイギリスのアイルランドでカトリックとプロテスタントは争っていた。でもその原因が宗教の相違というよりカトリック系の人たちが有力な地位に就いているとか経済的に有利だとかってそれが争いの原因にもなっていたのである。そういうことも宗教には多い。

日本でも創価学会の公明党はなぜ国土交通大臣になっているのか?それは枢要な権力なのである。当然それに不満な人たちが出てくる。それは宗教に反対しているというのではなくなぜ得しているのかということだけである。人間はなんでも損得で考えるしそれが一番わかりやすいからである。それでもし宗教で得するとなればご利益があるとなればその宗教に属することにもなる。

だからこそ創価などはその目的は政権奪取であり日本を権力をもち支配することである。そこにまた宗教が関わってくるとややこしいことになるのである。つまり土地から離れて人間がありえないように人間は権力から離れてありえないともなる。もし宗教でも自分たちのにとって利益があり有利だとなればそっち側につくことになる。
つまり宗教にとって何らか権力を持つということは問題なのである。だからこそキリストでも釈迦でも無権力であり食べるものすらなく乞食して与えられたとかなる。それで布教していたとかなる。そこには何の権力もない家すらない食べるものもないそんな状態だからこそ一切権力とは関わらず争いとならないとなる。

だから本当は人間は宗教だったら権力を持つことは危険である。なぜなら人間は宗教というよりその権力に目を付けるからである。その権力を得たいと言うために宗教もあるとなってしまう。そうなっているのは今のカルト宗教である。そこで立派な神殿であれ聖堂であれそういうもので庶民を支配するともなる。だから宗教というのは一つの人民を支配する道具ともなるのである。カルト宗教は宗教を道具にして人民を支配するためにあるからである。

●なぜフランス革命で政教分離になり人権主義になったのか

いずれにしろなぜ宗教フランス革命で宗教は否定されて人権主義になったのかヒューマニズムになった。それはあまりにもカトリックとか宗教の弊害が大きくなったからである。そこで政教分離の法律も生まれた。そういう経過があり宗教は権力と一体化するほど危険なものがないのである。別に何の権力も持たなかった。キリストである釈迦ならそんなことはない。一旦権力を持つときそこに宗教は大きな弊害をもたらすのである。

現実に日本の太平洋戦争でも天皇は神でありその神のために死ぬなら本望だとして日本民族は滅びる瀬戸際でもあったのである。でも私は天皇ではないとして神ではないとして天皇はが宣言したことにより日本民族は生き残ることができたとまでなる。
でも今は人権主義になり国連とかで共同管理するような場所にすべきだと思うのは。ただユダヤ人にしてもシオニズムとかの民族主義が勢力を持つと問題が起きる。もう旧約聖書のように神に逆らう民族は抹殺しろとかなってしまう。それはあくまで旧約聖書時代のものであり今はやはり人権が重んじられることで共通認識を持ち時代である。

エホバは個々人にあらわれるものおであり一国に特別味方したりはしなくなったのである。だから依然として選民思想の宗教であるがある特定の民族とか国とかを関係なくエホバは現れ導くのである。内村鑑三はそのこと言っていた
宗教でも宗派があり対立してそれが利権で争うことになる。その弊害が余りにも大きすぎたからである。だからまたイスラエルでイスラム教徒と戦う十字軍の再現となる。ハマスはそれを狙って攻撃した。それに乗れば世界大戦になるから怖いのである。

●エゼキエル書予言の恐怖

だからイスラエルでも確かにその土地が2000年前に自分たちの土地だったということはわかる。でもそうして土地を持ち国となるときその土地をめぐって熾烈な争いになっているのである。それは個人でも土地を巡る争いというのは熾烈なものになるのである。だからこそイスラエルの国がまた建国したことは意味があるにしても問題だったのである。そこは確かにユダヤ人の聖地でもあるまたキリスト教でもイスラム教の聖地でもある。
宗教でも宗派があり対立してそれが利権で争うことになる。その弊害が余りにも大きすぎたからである。だからまたイスラエルでイスラム教徒と戦う十字軍の再現となる。ハマスはそれを狙って攻撃した。それに乗れば世界大戦になるから怖いのである。

メシェクとトバルの大首長であるゴグよ。今、わたしは、あなたに立ち向かう。わたしはあなたを引き回し、あなたのあごに鉤をかけ、あなたと、あなたの全軍勢を出陣させる。それはみな武装した馬や騎兵、大盾と盾を持ち、みな剣を取る大集団だ。
ペルシヤとクシュとプテも彼らとともにおり、みな盾とかぶとを着けている。
(エゼキエル38章1〜5節)

これを今の世界情勢から見るとはゴグとはロシアのことであり今そこでウクライナと戦争している。またペルシャとはイランのことであり今回のハマスを支援していたとされる。するとこの聖書の予言は今実現されるのかとなる。それも怖い話である。だから2000年後にイスラエルがわユダヤ人国家となることが世界に大きな影響をもたらす。人類滅亡ともなるともなる。だからこそこのイスラエルの問題はいくら日本は離れていても恐怖になるのである。

posted by 天華 at 17:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

秋になり飯館村に行く【秋の風、秋の蝶、実り、秋晴れ、草の花、山津見神社】


秋になり飯館村に行く【秋の風、秋の蝶、実り、秋晴れ、草の花、山津見神社】

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月舘の方へ行く道と迷う

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六本木

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佐須村ーここは実りがないが他ではわずかだが実りがあった

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吾妻嶺の連峰

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山津見神社に行く道にある松^−この松はいい松である


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これは城の原型となっていたのか、城にみえるからである

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家の前畑に老婆や秋の朝
六本木我がまた来たり秋の風
山の上のレストランや秋の蝶
不動なる山を前ににし実りかな

久々に吾妻嶺望む秋晴れや佐須の峠を我が越えてゆく
飯館に一本の松か変わらじや山津見神社へ秋の日行きぬ
この道の家もまれにし遠きかな石一つうもれ秋の暮れゆく
石一つ埋もれてあわれ遠き道我がまた来たらむ草の花咲く
秋の蝶あまた舞うかなこの道の行く人もまれにここはにぎわふ。
飯館の森の深き何鳥や鳴く声聞きて秋になりしも

家の前の畑なら老婆でも庭の延長のようになり仕事ができるとなる。
佐須の峠を久々に超えて吾妻嶺を望む。途中六本の木がある。だから六本木となずける。でも六本木となると東京の六本木をイメージする。ここは全く人もまれにしか通らない道である。
人間はこうしてイメージするとき何か頻繁に情報として入ってくるものをイメージしてしまうのである。

霊山の虹彩館で芋煮を食べ飯館村に向かう。とにかく飯館村は広い。今年は暑くて来れなかった。だからさすの峠を越えて吾妻嶺を見たとき気持ちよかった。
何か飯館村の道の辺に埋もれた石がありそこに草の花が咲いていた。森の中から何鳥なのか鳴く声が聞こえた。
人も石のようにうもれてゆくのかとなる。
それから黄金色に稲穂が実っていた。ただまだ全部ではない。もその実りがあって村も生きるとな。不動の山があり実りがあり人もそこに定着できるのである。ただ飯館村の状態が今どうなっているのかそれが分かりにくいのは飯館村は広すぎるのである。森の中に点々と家がありそこに人が住んでいるのかどうかもよくわからないのである。
立派な家があると見るとそこは電気関係の会社であった。つまりどうしも今の時代農業だけではゆたかになれないのである。ただ賑わっているのは道の駅となっているまあ時間である。そこでは必ずよって休むからである

それにしても栃窪村に熊が出没したのかその注意を呼びかける案内があった。栃窪村で熊が出没したということを今まで聞いたことがない。ただ今日テレビを見たら日本全国で熊が人間の住む場所に出てきている。その数が多いのである。今年の暑さも関係して餌不足で人里に出てきているのである。だからキノコ採りに行って被害にあった人がかなりいる。
だから今年は簡単に森の中とか山の中にはいれないともなるかもしれない。ただこの辺ではめったに熊が出るということはない。でも餌不足でやはり熊が出てきているのだと思う熊
とにかく久しぶりに運動して自転車で運動して気持ちよかった

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栃窪村に熊がでたというのは初めてである。もともとこの辺は熊が出ない場所である

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大倉から佐須村へ行くは橋ができたが車は依然として通れない




2023年10月11日

相馬市と元の南相馬市の原町の相違 【人間の営みと共に自然が映えるのが文化ー原発事故で営みが失われた町に村】


相馬市と元の南相馬市の原町の相違

【人間の営みと共に自然が映えるのが文化ー原発事故で営みが失われた町に村】

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相馬市は城下町 by bing image creator

水墨画が似合っている

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街中にとりどりの花や原町に賑わいのあり秋となり

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●南相馬市原町区は明治に鉄道の機関区となり発展した

地域でも福島県という大きい県の単位の広さの地域もある。でも狭い範囲でも例えば相馬藩内でも城下町だった相馬市と前の原町市とは雰囲気も違っていた。それはなぜなのか。それは外から来た人には分からない。相馬市に行くと何かしんみりとした感じになる。市庁舎とか入母屋風にして何か古風な感じになる街町全体の雰囲気が元の原町とは違っている。
原町がなぜ相馬市と違ったものになったのか。それは明治維新を原町は駅前通りから発展したからである。原町機関区と同じようにそこから森林鉄道が発展して木材とか石材とか資源を東京に貨物列車で送るようになったからである。
いわき市は元は平市であり常磐鍛錬で有名なように石炭を東京にやはり貨物列車で運ぶようになった。
だから相当に鉄道が街づくりに影響していたのである。

鉄道はそもそも北海道でもそうだが各地に石炭を運ぶものとして作られた。人を運ぶより物を運ぶことを鉄道はから始まったのである。鉄道は乗客として乗る時相当に贅沢なものだったらしい。運賃が高かったからである。だからそんなに乗客としては利用されていなかった。何か母に聞いた話では原町から昔の中村市今の相馬市まで行くに運賃が高くて簡単に行けなかったと聞いた。つまりその頃鉄道で旅はできたとしても金持ちしか利用していなかったかもしれない。
子供の時長い貨物列車を近くで見ていた。その頃はまだ鉄道で荷物を運ぶことが多かったのである。六号線にしてもまだできていらなかったからである。
そしてなぜ原町と相馬の相馬市の街の作りが違っているのか。相馬市は元は中村であり駅前通りというのは作られなかった。
城下町であり碁盤の目のように細い路地が作られていたのである。だから原町とは街の作りも違っていたのである。

●原町は原っぱだった

原町という名のようにもともとは街になっているところは原っぱだったのである。雲雀が原の原があるようにそこは野馬追の訓練所だったのである。それで原町村があり騎馬武者一騎が野馬追に出ている。村としても小さな村だったのである。原町が発展したのは明治以降鉄道は通るようになってからである。
だから城下町であった相馬市と元の南相馬の原町市は雰囲気が違っているのである。ただこれは外から来た人にわかりにくい。確かに相馬市は城下町でも城もないし外から来た人にわかりにくい。
でも長年住んでいれば相馬市と元の原町市は雰囲気は相当に違っている。それでその街の特徴を考えた時原町市という名を合併で消したことは失敗だったかもしれない。相馬市というのはここはもともと相馬氏が支配した場所だから合っているとなる。
でも原町市は何か南相馬市としたことが一見良いように見えてやはり街の特徴を考えた時その名前と合っていないのである。なぜなら明治以降を考えた時原町市は相馬市より原町機関区となり街が作られたからである。

それは今でもその影響は明らかにある。原町市に元の原町市に行くと何か相馬市と違って近代的というか街のにぎわいがある。それで不思議なのは例えば六号線沿いの写真を撮ったがそこにとりどりの花が咲いていた。それが原町に似合っていたのである。また原町の道の駅も賑わっていた。相馬市の道の駅は田んぼの中にあり人もあまり人が入らないのである。
だから原町市は街として活気があり生きているという感覚になる。確かに駅前通りは廃れて賑わいは消えたとなる。どちらかというと六号線沿いが活気がある。それは車社会が影響してそうなったのである。またイオンは町より外れたところにあるがそこで自転車を修理してもらった。鹿島区は自転車屋が一軒もなくなったからである。
だからイオンも街に欠かせないものとなっている。ただ相馬市ではイオンが撤退してそれがかなり影響している。いつもあそこで休んでいたからそれができないので困る。イオンはなくなったことで町全体がさびれた感じになったのである。

また中村喫茶店もまくなった。それはレンガ造りで古風な感じがして城下町に似合っていたのである。何か相馬市に合っているのは例えば茶室などを作ってそこで安らぐというのが似合っている。
やはりその街の特徴を活かす時歴史的なものは欠かせないのである。相馬焼の茶碗で茶室でもてなすという時城下町の雰囲気を味わうことができるのである。でも相馬藩は6万石でありそうした伝統的なものが必ずしも残ってはいない。
ただなぜ相馬野馬追があるのかというとそれは今の街とはそれほど関係しない。相馬藩内の村から郷士がいて農業しながら侍だった家から出るのがほとんどである。
会津あたりだとやはり大きな国だから城下町となりそこでは茶の湯も伝わりそういうもてなしができるのである。

●人間の営みがあり自然でも映えることが文化である

とにかくそれぞれの市町村でもその独自の雰囲気がある。飯館村となると森の村であり森に囲まれているから村でもある。夏は涼しく冬は寒いとなる。でも標高が高いからそこが別世界となっているのである。このように相馬藩内でも雰囲気は違ったものになる。ただ飯館村などは別の世界だからわかりやすい。相馬市とか南相馬市の元の原町市とかの区別は分かりにくいと思う。
それで一枚の写真を撮った。そこにいろいろな花が咲いていた秋になり菊もも咲いていたがひまわりも咲いていた。だから何か元の原町市にふさわしいと見た。
つまり花でも自然そのものというのではなく人間の営みがあり街が形成されてそれが花でも調和して見る。原町のいい点は新田川がありそれは浅瀬の川であり瀬音ゆかしきとか仙台の青葉上恋歌のようになる。浅瀬だから常に瀬音がせせらいで流れているからである。そしてその川が街のはずれで街中を流れている感じにもなる。だから街の特徴を作るのは街自体だけではなく自然も一体となって作られているのである。

それでこの辺で原発事故で南相馬市でわは小高区とかが避難区域になりそこに行ってみると車さえたまにしか通らない。だから街自体が死んだようにも感じるのである。確かに車が通らないから静かでいいともなるが空き家が多いし何か街が生きていないのである。
するとやはりそこに花も映えないということもある。つまり自然ですら人の営みと関連して生きるということがある。ただ高山植物とかは人は関わらず咲いているから美しいとなる。でもまた人間の営みがありそれで自然でも花でも生きるということがある。自然でもやはり人間がかかわりそこに文化が生まれる。それで京都とかは魅力あるものとなっているのである。
仙台市でも広瀬川がありまだ盛岡市でも二つの川が流れていて岩手山が間近にそびえるから外国人に人気があるというのもわかる。東京には全く自然というのが感じられない。でも江戸時代にはベネチアのように縦横にに水路があって舟が行き来していたのである。。だから江戸の町は魅力あるものであった。

やはり人の営みまた生業があり自然と調和しているときそこに美が生まれる。それで橲原村とかで村総出で田植えしていたとき時そこに赤々とつつじが映えていた。それは人の営みと自然が調和して美しい光景となっていたのである。だから農村の風景でも早乙女が田植えのとき華やかに見えたのである。浪江町の請戸の早乙女の田植え踊りは有名である。
そのとき村でも活きていたのである。それが津波原発事故以後寂れてしまった。その時代時代の雰囲気がある。でもこの辺の変化はあまりにも変化が大きすぎたのである。ただここだけではない昔からあった村でも人口減少で維持できなくなっちる。要するに景観でも人為的景観がありそれは人間の手が加わったものでありそれが文化なのである。そもそも農業とはそうした文化だったのである。だからcultureと土をcultivate【耕す】となっていたのである

ラテン語耕地耕すこと」の (agri‐ 「土地耕地」+cultūra 「耕作」); cf.culture

こうして歴史とかふりかえると南相馬市と合併したけど何か街の特徴でも無視して名付けた。ただ相馬藩が一つであるから歴史を考慮したものだけど明治以降の歴史をふりかえるとやはりそぐわないともなる。つまり相馬市が中心になる。でも今の中心地は原町なのである。南相馬市となると相馬市に付随したものに感じるからである。
posted by 天華 at 18:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 明治維新-明治以降

2023年10月10日

日本の地理は山が多くわかりにくい 【廃藩置県で地形とか無視して県単位では地理はわからない―東海道の旅の詩】

日本の地理は山が多くわかりにくい

【廃藩置県で地形とか無視して県単位では地理はわからない―東海道の旅の詩】


●海に囲まれていても海に面しない県

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海に面していない県

世界を空間と時間軸で見る。空間軸は人間の時間感覚ででは変わらない。でも空間軸にしても例えば日本であっても地理というのは分かりにくい。おそらく日本の地理が分かりにくいのは山が多いからである。

白雲の 龍田の山の 露霜に 色づく時に うち越えて 旅行く君は 五百重山 い行きさくみ 敵守る 筑紫に至り 山のそき 野のそき見よと 伴の部を 班ち遣はし 山彦の 答へむ極み たにぐくの さ渡る極み 国形を 見したまひて

万葉集 第6巻 971番歌/

五百重山【いほいやま】 越えて国形を見るとなる

だから不思議なのは意外と海に面している県はこれだけであり少ないと思った。これだけ山が多いのだからもっと海に面してない県が多いと思った。ただそれは県単位で見ているからである
なぜなら福島県はハマナカアイズと分かれている。でも会津になると山に囲まれていて海は見えない。福島市とか郡山市のある中通りでも山は見えないのである。だから県単位で見ると誤解が生じる。海に面してない海が見えない地域は日本では多いのである。

確かに福島県では私の住んでいる浜道りでもいつも海に面している。海を見ている。だからこうしていつも海を見ている地域と海を見えない山を見ている地域とは相当に心境的にも変わってくる。また海に面していても太平洋側と日本海側はまるで違った感覚になる。それが心に相当に影響している。
海にに面していれば広い海を見ていれば心も開放的になる。でも山に閉ざされていれば何か心も閉ざされた感じになる。でも日本は確かに海に囲まれているがまた山にも囲まれているのである。だから国のまほろばというときそこは奈良盆地であり山に囲まれた平地なのである。そういう地域もまだ多いのである。

大和は 国のまほろばたたなづく 青がき山ごもれる 大和し 美 (うるわ)し       古事記・中巻 倭建命

日本はこういう地形が多いのである。

●地理は錯覚することが多い

何か地理というとき必ず錯覚している。なぜこの辺で老人の施設に入っている人が青森に移されたというとき青森というときこれも地理的に東北の端でありそんな遠くに移されたことはなかなか行けないから面倒だと思った。
でも実際は青森でも八戸であり新幹線では2時間くらいである。でも2時間だと仙台から東京までは行かないとしても30分くらいの差で200キロくらいありそれなりに遠いと思った。
でも八戸というとき何か青森という感覚が持てなかった。青森というとき弘前市に城があった所としてイメージする。青森市でも海に面して函館に近いと見る。
だからそもそも県単位で見ることは間違っている。県単位になったのは明治以降であり馴染みがないからである。そこには無理があったからである。

福島県が明治になったとき会津県、二本松県、磐城県になる案があった。これは今のハマナカアイズである。。そして浜通りになると阿武隈山脈にさいぎられて中通りの福島市の吾妻山は見えないのである。だから福島県でも地理的一体感は無いのである。それはそもそも明治以降の廃藩置県で地理的にも歴史的にも無理があったからである。
ただ福島県と茨城県は地理的に分かれている。茨城県は平地が多いのである。でも福島県に入ると山が多いのである。茨城県はもともと関東平野の中に入っているからみちのくに入る白河の関を越えると山が多いということである。だから地理的にわかりやすい。

でも多くの県境でもそこが地形的に境界となっているわけではないのである。ただ東西を見るとき関ヶ原が地理的にも風土的にも分かれ目になっていることは分かる。関ヶ原には春でもなお雪が残っているからである。そして近江に出ると風景も穏やかで春らしくなっているのである。
明確に風土的にも地理的にも境となるところが認識できないのも多い。宮城県と山形県は面白山トンネルを境に風土も景色も違ってくる。春でも面白山トンネルを抜けると山は雪におおわれて雪が残っているからである。ただこうして県の単位でその境が認識されるのはなかなかない。宮城県と岩手県の境はどこなのか。一ノ関は岩手県でありでも平泉になるとでもその境はよくわからない。ただ平泉は一ノ関から近い。芭蕉は来たのは平泉までのである。その西行でも平泉までは来たのその奥までは行っていないのである。

とにかく日本は山が多くて地理が分かりにくい。群馬県とか栃木県とかは山だらけでありわかりにくい。栃木県だと那須は平野が広がっているからわかりやすい。でも栃木県になると会津から山続きでありどこが境なのかもわかりにくくなるのである。ただ群馬県と栃木県は関東であり関八州であり東京の延長としても見る。でも山が多くて関東平野とも違う。
ただ関東でも江戸から静岡県の方に出るには箱根の山があり箱根は天下の剣となっていた。箱根を超えると東海道になり海沿いに街道は続いている。だから山を越えると日本では別世界が開けるということにもなる。

●東海道の詩

箱根の山は 天下の険
函谷関(かんこくかん)も 物ならず
万丈(ばんじょう)の山 千仞(せんじん)の谷
前に聳え(そびえ) 後に(しりえに)支う(さそう


春の東海道

小田原城前は相模湾
後ろは天下の剣の箱根の山
反りて高く見上げつつ
明日は越えなむ旅路かな

三島の宿の賑わいや草鞋脱ぎ
旅の疲れを共に癒すかな
その先遠しも太平洋に沿い
浪は騒ぎて鴎飛ぶかな

箱根を越えてそ東海道
沖行く船見て春の日や
駿河湾に魚踊り富士の峰仰ぐ
街の家並や道は真直に燕来る

花の盛りや波ひびき
次なる宿を目指すかな
松並木その間に見える富士の峰
春光まぶし海は光りぬ

京に行く人江戸に行く人
飛脚も行き交わる宿や
それぞれの旅や身の上も語り
一時の出会いに別れけるかな

旅は道連れ世は情け
惜しむ分かれや分去
見送り遠く消えゆきぬ
その日は帰らず思い出残る

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この東海道でも静岡県があり愛知県があるとしてもその境がわからないのであ。浜名湖が静岡県であり愛知県ではなかった。そもそも県単位で見ることが難しいからである。
大井川とかはやはり日本でも境として意識しやすい。特に川留めとかあるとそこが境と意識する。

ともかく日本全国を旅したから最初は地名に興味を持ち地理に興味を持った。学校の勉強では何か特別興味を持ったこともなく暗記と試験勉強で勉強きらいになった。でも人間は必ずこの世に生きればその人なりに興味を持つことがある。一番興味を持ちやすいのは地理である。旅に憧れるのはやはりあまりにも見慣れた故郷ではなくさまざまな地球の景観を見たいとなるからである。

それで私は学校の勉強では興味を持つものもなくその後の仕事もまともな会社に就職はせず流れ作業とこばかりさせられたから仕事が嫌になり家族に恵まれてただ旅をするようになりそれが仕事にもなったのである。ただそれは特別恵まれたことでありほかの人は20代でまともな職に就かなければそのまま何も身に着かないとなってしまうのである。
そして時間の過ぎるのが早い。何かぶらぶらしているだけでも時間は過ぎてしまうのである。でも旅したことによりそれが記憶として残されているからこうして回想して書いているのである


東海道春の俳句二十句
(歴史は地歴だから地理の理解が不可欠)






2023年10月09日

秋からすぐ冬になるのか (花でも野菜でも果物でも普通と違うー白百合、木槿、ノウゼンカズラ 水澄む)


秋からすぐ冬になるのか

(花でも野菜でも果物でも普通と違うー白百合、木槿、ノウゼンカズラ 水澄む)

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新田川は浅瀬の川である、真野川は大きから深く流れるところがある。
宇多川は狭い川であり魅力がないが上流の山の方にゆくと何か荒々し川になっている、川の表情もみんな違っている

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原町の道の駅でダンスをしていた、あだたらとかあさかのとかありあさかのは郡山市でありあだたらは二本松である
福島県が合同した踊りだった

鮮明に見るにはクリック拡大!


料理する厨の窓に秋の蝶

農家なれ前畑広く蔵に柿

石の倉芙蓉にオクラ畑に咲く

新田川水澄み流れせせらぎぬ

蔵に柿バス停残り夕暮れぬ


白百合の我に向かいて咲きにしをそのあと添える花のとりどり

遅く咲く白き木槿や雨しとと10月となり寒くなりしも

ノウゼンの夏の名残りと咲きにしをようやく散りぬ10月になり

雨しとと石を濡らしてようやくに秋となれるや家にこもりぬ

今年の暑さは異常だった。その影響は米でも野菜でも花でもあった。陽射しが強くこの辺では米でも普通に実っていたから影響ないと思ったが実際は直射日光が強くて影響があった。
野菜でも水分不足で硬くなっているという。みずみずしさがないということである。それは農家育ちの女性が指摘した。そういうことにやはり敏感なのである。。
庭の白いムクゲがなぜ10月になって満開になっているのだろうか。そして今日しとしとと雨にぬれている。
この木槿は8月のお盆の頃にさく。その前にも咲き始めている今満開になっている。二ヶ月も遅れて咲いたとなる。それもなんなのだろうと思う。あまりに暑くて季節がずれてしまったのだろうか。またいつもの季節より早い時期に咲いた花があるかもしれない。何か花でも咲く時期が狂ってしまったとなる。

蝉の鳴く声を聞く期間も短かった。だから秋の蝉も聞いたとしてもたちまち聞こえなくなった。そして秋バテにもなり体も異常化した人も多い。 2日前は秋時雨を感じたというのもまた季節の異常である。秋時雨は10月末であり11月になると冬になり時雨になる。何かこうして季節感覚が狂ってしまったのである。だから季語というのがあわなくなったのである。
そして今日起きた伊豆諸島へなどの津波警報も地震もないのに津波が来たのである。そういうこともあまり聞かなかった経験もしていない。学者も分からないという。推測で海底火山が爆発してそれで津波が起こったのではないかとしている。ただこのように自然現象というのは多様であり実際はあらゆることはか解明はされていないのである。最近のこの暑さは何なのだろうということも明確には分からない。

でも心配しているのはこの辺で起きた津波地震の前の年の夏はやはりこのように非常に暑かったのである。だから来年になるとその影響が出てくるかもしれない。暑さが影響して地盤が緩んだりするかもしれない。そして地震が起きて津波が起きるかもしれない。地震でもやはり天候とかとも関係しているからである。ただそのメカニズムは解明されていないのである

料理は面倒でできない。その台所の窓から黄色の蝶が飛んで消えたのを見た。狭い庭だが庭があるとないでではやはり違っている。なぜ日本で家庭というのか。家と庭があって家庭となっている。だから庭が一体化しているのである。ただその庭というのは農家の庭広い庭のことでありそこで農作業だどうしたから家と庭が一体化したのだと思う。ただ風流にして庭を利用して庭を見ていたのではないのである。元々は何でも実用的なものから始まっているからである。家の基本は始まりはやはり農業と一体化して作られていたのである。

なぜなら前田とある時その村の中心地になりなるなる。その村の草分けの家が家の前が広い田がありそこが村の中心地になったからである。なぜなら家の前に田畑があれば家と一体化して便利になるからである。遠くに田畑があればそこに行くまで手間になってしまうからである。そのときは昔は車もないのだから歩いて行くほかないし荷物を運ぶにしても手間になるからである。

原町の新田橋を渡った高平にバス停がありそこが自動販売機が置いてあって人が休む。そこに蔵があり柿が実り金木犀が咲いていた。他にも蔵があればそこは農家だったということがわかる。
でもバスは今も通っているにしても一日二三回くらいしか通らない、それもいつもがら空きなのである。だから無駄にも思えるのである。



津波原発事故の前と以後で時代の雰囲気が変わった 【浜街道の小高の古い道標−プログの記録より】


津波原発事故の前と以後で時代の雰囲気が変わった

【浜街道の小高の古い道標−プログの記録より】

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2010年03月21日
浜街道を行くー小高ー浪江の高瀬川-春の俳句十句


人間は時間軸で見るのは本当に難しい。それがわかったのはこの辺では津波原発事故以後法域が雰囲気はまるで変わってしまったからである。これほどまで変わってしまうのかということが人間社会にあるのかと驚くばかりだった。
それは自分のプログを読んでそう思った。浜街道春に旅した。それは2011年が津波と原発事故が起きた一年前の春のことをここに書いていた。そのときは普通の状態でありそこには変わりない風景があり穏やかな春だった。
その小高の風景でありそこには江戸時代から続いたものがあり変わることのない風景だった。だから特別取り立てて何か感想を書くというものでもなかった。でも津波原発事故以後はありふれた風景でも違ったものになってしまったのである。

空間軸では別に空間が変質したということはないのである。でもその雰囲気は違ったものになってしまったのである。小高は原発の避難区域になり町自体がが寂れてしまった。そこは空家だらけであり住んでいるのは老人がほとんどである。
だから原発避難区域になった小高から浪江双葉大熊とかは全く違った雰囲気になってしまったのである。それはもはや元に戻らない前の雰囲気には戻らないとなってしまった。だからその変化はあまりにも大きなものだったのである。他でも津波の被害を直接受けた漁村も消失した。村ごと消失してそこに住んでいる人はいないのである。

南相馬市でも鹿島区となるとからす烏崎村と海老村とか湊村とかは消失してしまった。
だからそこで昔をしのぶということすらできなくなった。その変化辺かもあまりにも大きいものだったのである。
だから津波原発事故以後はその被害を受けた場所はその前と後でわまるで別な世界になってしまったのである。つまり歴史でも時代を見るとき明治以降と戦争に負けた戦後でではまるで違った世界となったと同じである。

要するに人間社会というのは空間軸と時間軸で生きている。でも空間軸というのは地史的なものになれば実際は何億年の単位でみれば空間軸でも変わっている。大陸が移動したとか海が陸地になったとか山になったとかある。なぜヒマラヤにアンモナイトの化石が発見されるのか。それはそもそもヒマラヤですら海だったからそうなのである。だから空間軸でも地史的に見れば何十億とかの間で見れば変わってしまうのである。

ここにヒマラヤのことを解説

●戦後の変化も大きかった

とにかく戦後の時代を見ても時代の雰囲気というのは変わる。戦後の焼け野原から団塊の世代が始まった。その子供の時を経験したの燃料は炭であり街の中で堀で洗濯していたとかまるで原始的な生活だった。街中では私の家には井戸もないから近くの人の井戸の水をくんで利用させてもらっていたのである。
ただその時子供だからその時代全体の雰囲気というのが大人は感じるものとは違っていた。要するに戦後十数年は極端な貧乏でありそれから高度成長時代がありその時代の雰囲気が変わってきたのである。東京オリンピックはあったとき原町の高校まで通うのが蒸気機関車だったということが今でも信じられないのである。その時すでにかなり鉄道でも変化して電気の時代になっていたと思っていたのである。だからその頃の時代の雰囲気というのは年齢でも感じることが違っていた。

高度成長時代の雰囲気というのは東京オリンピックで象徴されているように日本が急速に経済成長してジャパンアズナンバーワンとか世界を席巻する時代であった。その時代の雰囲気も失われた30年でガラッと変わってしまったのである。何かただそれからは日本の悪いことしか言われない。その変化もまた激しかったのである。そしてすでにまた高度成長時代の雰囲気というのも30年も過ぎれば分からなくなってしまうのである。

●時代の雰囲気とかはわからなくなる

だから時間軸で見る時人間社会は時代時代の雰囲気というのはわからなくなる。ましてや江戸時代でも300年続いたとしても例えば元禄時代がありそれは新田開発が各地で行われ経済発展して華やかな時代であった。でもそれをイメージすることはなかなか難しい。元禄時代に文化が花開いたというとき場所はみちのくの旅に出た。それで不朽のの奥の細道を残したのである。

そして芸術というのも必ずその時代を反映したものでありその時代を見ないと芸術も分からないという。でもその時代を見るというのは本当に難しいのであ。それはこの辺で起きた津波原発事故でわかる。この時代に生きたものでそれを経験した人と経験してない人の差はまた大きくなる。その時代の雰囲気というのはわからなくなる。
だからプログを記録するとき後で役に立つことがある。それは時間軸で見れるからである。だから私自身のブログを自分で読み振り返るときそんな感覚で見ていたのかということがわかる。

津波原発事故の前の一年前のことをここに書いていたがやはりそのときは平和な時だった。その感覚も春の日のことでありこの辺は江戸時代からでもその前からでも変わらない風景であった。それが津波原発事故以後避難区域になったところは小高でもまるで違った雰囲気になっている。これほどに変わるものかと驚くばかりである。何か日常的当たり前の風景が消失してしまったのである。だから時代の時代が変わるというときこの辺でわ津波原発事故の前とそれ以後とわでわ全く違ったものとなってしまった。

確かに空間軸で見れば浜街道でも残ってるしそれは変わらないとしても雰囲気というのはまるで変わってしまった。どうしても寂れた淋しいものとなってその雰囲気がまるで違ったものとなったのである。なぜならここで道標のことを書いているがそういうものでもその先に行けば人も住まない空家が残りもともとあった家もなくなっている。だから原発避難区域でわどうしてもそこが雰囲気が変わってしまったのである。

●戻らなくなった津波原発事故前の雰囲気

それはもう取り戻せないものとなっている。町自体が一時は空き家化して廃墟化したからである。ただその隣の原町とかでは別に変わらないのである。その差もまた大きかったのである。別に南相馬の原町とか鹿島とか相馬市か昔の街道を行けば変わらないものがある。でも津波の被害を受けた所はは村自体が消失してしまったからその変化は大きかった。
でも田んぼは元のように回復したでが津波の被害があった所では農家でも村でも消失したのである。その変化の大きかったのは津波だけだったらそれほど出なかった。原発事故があり避難区域となったことが大きく影響したのである。

津波原発事故前の一年前のようにここ書いた昔の街道を浜街を旅してもこんな感覚にはならないからである。
ということでこの時春の日に旅したことの記録が貴重なものとなったのである。今同じ碑がは小高にある。でもその同じ碑を見て旅しても感覚的には全く違ったものになったのである。
何か荒涼とした感じでありその雰囲気はまるで変わってしまったのである。だから時代が変わるということはこういうことである。何かありふれた風景でも全然違った。風景となってしまったのである。そして深刻なのは決して元の風景に戻らないということである。もちろんこれから時代がまた変わりその雰囲気も違ってくるかもしれない。でも今のところそういう感じはないのである。だから時代を分ける時この辺でわ津波原発事故とその前とその以後では変化が激しく別の世界になってしまったのである
posted by 天華 at 11:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2023年10月07日

認知症の介護の問題 【脳の障害で心と関係しているから難しいーでも人間として通じ合える】

認知症の介護の問題

【脳の障害で心と関係しているから難しいーでも人間として通じ合える】

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現役医師ですがハッキリ言わせて頂きます。認知症の介護は危険です。理由を説明します。
ドクターハッシー/内科医 橋本将吉

説明がうまい、わかりやすいから人気になる


●認知症の人の脳を解剖してわかるのか

認知症の謎は脳が関係していることでそれが心とも関係してくる。心の関係はどうなっているのかとなる。つまり脳はは医学的に物体として見る。でも心はそうして物体として細胞の塊として解明できるのかとなる。でも説明を聞けばやはり脳は細胞からとか神経とか血流とか目に見えるものの中に働き医学としてはそこで解剖する。
でも脳というのはそうして医学的にとか物理的にとか科学的にとか理系として分析する。でも一方で心を問題にすればそれは文系的なものになる。だからこの認知症というのは脳の物質的というか機能的というか細胞というかそういう目に見えるものを解剖して解明しようとしている。

そしてここで説明しているのは感情というのも目に見えるものとして細胞の働きで感情が出てくる。感情が解剖的に説明できるのかとなるとなかなかわかりにくい。でもそれも神経細胞と関係して感情が生まれてくると説明している。
認知症はさまざまな障害が出てくる。一番の障害は記憶障害である。記憶できなくなることで忘れることでそれが単にここにあったものがなくなったとか忘れるというだけで終わらない。
忘れることが感情を司る場所に影響して怒りやすくなる。極端になると怒るだけだけでなく暴力になるのである。それが認知症を介護するときに怖いのである。何か日頃から感情的にでもよく思ってない人は特に攻撃されやすい。それで私の家族でも一緒にいられなくなったのである

●好意を持つ人は介護できる

だから感情的には好意を持っていた私が介護したのである。私には常に良い感情を持っていたから私を攻撃することはなかったからである。
だから他人が介護するときその介護する人に好感を持って居ないと攻撃されやすいのである。それで認知症の介護は難しいものとなる。そもそも好感を持つにしてもやはりそこに長い付き合いがないと簡単にはいい関係は生まれない。
私は60年間とか子供の時から生まれた時から一緒に暮らしていたからそこで親密になっていて攻撃されることはなかったのである。私のことは特別かわいがりそれは60歳までもそうだったからである。そういう関係であればいくら認知症が重いとしても暴力は振るわれない。
だから認知症と介護はこうして好感を持った人がすればその認知症の人は症状が穏やかになるのである。でも普通の人はそうした親密な好感を持ってる人ではないから介護することが難しくなるのである。

●脳と心は関係していて解明することがむずかしい

そもそも認知症の難しいのは脳と心の関係はどうなっているのか。それが解明できないし不可解になるのである。ただ確かに記憶障害ということが脳全体に影響して認知症になることは確かである。記憶する場の海馬は損傷してそれが脳全体に影響して脳の機能が正常に働く働かなくなるのである。
そもそも精神障害者というのは何なのかわかりにくい。発達障害の人とちょっと話してみたが確かに計算とかできない漢字も苦手である。ということは漢字でも数字の計算でも抽象的なことでありそれは高度な脳の働きが必要だからである。それができなくなるということはやはりかなりの知性の障害だとなる。でも認知症というのはこうして人格障害者となり精神障害者となりまったくの別人になってしまったのかというとそうでもない。

これまで60年も一緒に暮らしていて人間として通じるものは。相手を親切にしてよくすればそれは通じるのである。動物ですら犬猫でも親切にして可愛がればそれがわかるのである。ただいま外で飼っている猫はいくら餌をやってもなつかない。ちょっと近くに寄ったりするが警戒したままであり懐くことはない。
だから私は餌をやるのは嫌になってしまっている。かわいいところもないからである。なぜその猫はなつかなくなったのか。それはおそらく人間にいじめられて人間を極度に警戒するようになったからかもしれない。ただその理由はよくわからない。その猫は人になつくということはないだろう。そういう機会をなくしてしまったのかもしれない

●愛情は動物にも通じるから認知症の人にも通じる

とにかく認知症というのは記憶障害から波及してさまざまな障害が出てくる。でも動物と比べるのは変だけども親切にしたり愛情をかけたりしたりする人のことはよく思っている。そして実際に愛情を持って接していることは分かっている。
その愛情というのは動物でも通じるのだから別に認知症になっても通じるのである。ただいくら長く一緒に住んでいてもその人を嫌いだとか不快な感情を持っていると60年一緒にいた人でも一緒にいられなくなったのである。嫁と姑の関係と似ていたからである。夫婦でも離婚する人は1/3とか多い。子供を育て子供を成長させるまでは我慢するとかして一緒に居る。

でも子供が成長すると本音が出てきて一緒にいたくないとなり熟年離婚にもなる。その数も多い。また死後離婚にもなり一緒に同じ墓に入りたくないともなっている。そういう人だととても認知症の介護はできないかもしれない。つまり感情的に好き嫌いがはっきりあらわれるから極端になると感情が抑えていたのが抑えられなくなり暴力となってしまう。私はそれを見てきたから夫婦でもやはりそれまでの関係はどうであったかとかで認知症の介護になると難しいとなる。

認知症の謎は時々正気になることである。特に死ぬときは正気になる。だから冷たく扱うと恨んでで死ぬことになる。そのことが怖いことになる。私の場合は特別よくされたからそうなったら後悔したことになる。最後は自分のことを介護したことを分かっていて感謝して死んでいったので救われたのである。それは死後も影響してくる。供養するにしてももし恨んで死んで行ったら死んだ人はその人をどう思うかとなる。

別にそれは認知症の介護だけではなく介護そのものでもっ死んでからも影響するから介護というのは難しいのである。
ただ正直私の場合は認知症の介護でも二年半で終わったから助かったのである。介護というのは認知症でも十年とかでも続くことがある。そうなるとどんなに愛していても限界がくることは確かである。私は別におしめなどはしていないし二年間は一緒にいても身体的介護は何もしていない。近くで母親のおしめをするとき暴れられて殺した息子がいたからである。

●認知症は感情が抑えられない、本心があからさまに現れる

でもこの病気について不可解なことが多くて何かわからなかった。特に脳の病気でありそれが心とも関係しているから複雑であり不可解になったのである。
でも認知症は生まれつきの精神障害者とは違っている。人間として普通に生きてきたのだからやはりいろいろなことを分かっているのである。ただ記憶障害とかからいろいろな障害は出てくる。でも人間として全くわからなくなったというのでもないのである。それが誤解しやすいのである。だから認知症というのは直接解介護してみないと理解できない。それは医者にしてもわからないからである。

確かに脳の細胞とか神経とかアミロイドが溜まっているとかなんとかいろいろある。でも介護するときはそれを説明されても役に立たないと思う。それは脳と関係して心とも関係してくるからそうな。そもそも人間の心と何なのかなのかとなってしまう。いくら脳の機能を見ても細胞を見てもで人間の心はどうして作られるのかそれも脳をいくら見てもわからないとなる。でも神は人間の心を見ることができる。

なぜなら神は人間の心を見て判断きるとなっているからである。それは脳の細胞とか神経とか血流とかを見るのではない。では一体どうして人間の心を見ることができるのかとなる。人間の心にはさまざまな要素がありあの人は性格的に悪いとかあの人の心は歪んでるとか人を妬んだり人を憎んだりそういう感情的なものはある。だから人間は必ずしも外見だけでもわからない。でも神は人の心を見るというとき心の清い者は神を見るだろうという時確かに神は心が見えるのである。心の清い人は神をみるだろうというときそうである。だから人間は脳というのはどうして心を作っているのか不可解なのである。

認知症の人でも確かに記憶障害がありさまざまな障害があってもやはり人間としての心を持っていてそれが相手にも通じる。優しく愛情を持って接する人は好感を持ちそうでない人は好感を持たないから介護できないともなる。夫婦でも好感を持てなくても愛していなくてもいやでも我慢して一緒に居ることができる。
でも必ず本音が出てきて我慢できなくなって熟年離婚にもなるのである。つまり本心というのは本音というのは隠すことはできない。いつか必ずその本音をあらわれあれる。だから地獄というとき人間の本音が隠せなく露わになった場所である。憎んで我慢したりしていたがそれがあからさまに地獄で現れて暴力となり殺し合いにまでにもなる。つまりそうした感情でも抑えることができなくてそうなってくる。それが地獄だとなる。

例えば社会でも権力を持っている人にわ嫌でも従う。でも地獄では従うことなくその権力者に従わない。そして襲うことにもなる。なぜそうしなかったかというと相手が権力を持っているから従っただけでありいつかはその権力はなくなったりすれば相手を責めてくるのである。だから地獄とは人間の本心が現れている場所であれ憎しみでも露わになり隠すこともなく現れて殺し合いにまでもなってそれが地獄である。
だからこの世で権力を持って支配して従わせていた人復讐されるかもしれない。つまり立場が逆転するのである。

ともかく認知症の介護は至難である。それはただ人間の臓器の病気ではなく脳の病気である心の病気でもあるからだ。でも心は何かとなると人間には解明できない。それは神のみぞ知るとなってしまう。だから医学だけでは科学だけでも解明できないのである。そこに理系と文系の問題があるともなる。
心理学なども関係してくる。それは臓器だけの問題ではないし脳と心が関係しているから難しくなるのである
だから認知症の薬ができたというはそれで認知症が治るのかどうかはわからない。ただ認知症についても研究されてやはり薬はできてくる。でも問題はそれだけで認知症が治るのかどうかはわからないのである。それがそもそも脳というのは心と関係していて解明されていないからである






歴史は失敗の記録 【個々人の人生も失敗の記録カルマは繰り返す】


歴史は失敗の記録

【個々人の人生も失敗の記録カルマは繰り返す】

●聖書も神話も今も通用するのはなぜなのか

人間の歴史を振り返れば失敗の記録である。聖書でもそもそもが神が食べるなと言った知恵の実を食べた結果として人間は神から離れたものとなってしまった。そのことが最大の失敗でありその失敗したアダムの子孫が人間でありそれが変わることないからやはり同じ失敗を繰り返す。人間の失敗というときそれは神話の時代から続いている。

プロメテウスはゼウスから火を盗んだという時もそうである。その罰は過酷だった。その神話は現代にも通じていた。その火とは原子爆弾ともなり原発事故にもなったのである。
人間の失敗の淵源はそこにありそれは消えることなくカルマとなり継続されているのである。だから人間の科学技術でもそれは必ずしも成功するものではなく失敗することもある。
原発原子爆弾でもそうであり原発でもそうである。それはどれだけの災いをもたらしたかだからこそ火を盗んだプロメテウスの罰は過酷だったのである。科学技術でも遺伝子組み換えなども相当に危険なものかもしれない。何か神の領域に人が勝手にはいり操作する。そこで大きな禍が起きてくるかもしれない。
それは人間の知恵は万能ではないからである。核のことでも全部わかっていなかったからである。処理水にしてもそれを海に大量に流してどうなるのかわからないと言う。安全だと言っても結果をみないとわからないとなる。

失敗というときなぜ繰り返すのか。それは人間に欲がありその欲が消えないからそれがカルマとなって同じことが繰り返されるのである。人間から様々な欲が消えることは無い。だから具体的にわかりやすいのは女性に対する欲でありそれでも失敗する。その誘惑に負けて失敗するのである。
聖書では女性に誑かされて怪力のサムスンが力を失ってしまった。ダビデは王となり部下の妻を魅力に負けてその夫を戦場に出して死なせてその妻を自分のものにした。聖書でもやはり失敗の記録なのである。日本でわ久米仙人が女性の脛を見て天から落下したというのもそうである。つまりそこで神通力を失ったのである

まず世界史でも日本史でも人間の失敗の記録は歴史である。その失敗を繰り返すのはなぜかとなれば追求していけばそれが常に教訓となる。つまり歴史とは人生でも失敗の記録でありその失敗から教訓が生まれ庶民でも諺は生まれたのである。
そしてなぜそれが今でも通用しているのかとなれば人間自体の欲は消えないし人間はやはり神が食べるなと言った知恵の実を食べたということで原罪になっている。そのとき人間は神から離れてしまったのである。そして人間の力で神のようになる事を望んだのである。そのことからして必ず人間は失敗するようになる。もし神の御意にかなうように生きれば失敗は無いのである。

●人間の欲は消えずカルマとなり失敗を繰り返す

歴史とは人間の失敗の記録とすれば個々のの人生もまたほとんど例外がなく失敗の記録である。それはなぜなのか。そもそも人間の欲は消えないしいくら科学技術が発達しても人間自体は知恵の実を食べて自らが神のようになったというときそのことからして常に人間は失敗するようにできているのである。

そして人間社会というのはいくら科学技術が進んでもまた社会が変わってもなぜ理想社会ができないのか。それは人間自体が変わることがないからである。共産主義がで理想の社会ができるとか熱狂したがその結果は独裁者が生まれ何千万人なのか粛清されて殺されたとか言われる。カンボジアでは200万人が粛清されて骸骨の山の博物館となっている。つまり人間は社会自体を変えることは永遠にできない。そもそもは人間自体が変わらないからである。その欲は消えることはないし共産主義でも内部で権力争いがありそこで粛清されて殺される人が必ず出てくる。

それは何かカルト宗教団体とも似ている。共通しているのは人間の組織化でありその組織で序列化をする。幹部でもその組織は軍隊組織であり一人の独裁者が教祖でもナチスのようになり命令する。それが殺人でも組織化されて正当化される。それがオウムでもあった。そこには優秀な理系の大学を出た人たちがいて高校しか出てない人が上に上がりたくて積極的にサリンを撒いたと言っていた。その内部でも地位を上げるための権力闘争が行われていたのである。それは宗教団体でも宗教だから関係ないとみているが集団化組織化した宗教は共通しているのである。
一人の教祖が神のように崇められ偶像化してその大多数の人が組織化して序列化して軍隊組織になる。それは創価でも参謀とか隊長とか完全な軍隊組織なのである。だから教祖が神のようになり偶像となり絶対化してナチスのように他者を簡単に殺せと言えばその命令に従うのである。そこにカルト宗教でも共産主義者でも恐ろしいものがある。

また個々人でもなぜ人生が失敗であり後悔に終わるのか。例えば若気の至りとか必ずある。若い時のエネルギーが爆発してそれが過ちとなる。そういうこともカルマとして繰り返されているのである。そして人生を振り返り後悔することになる。
そして私も失敗した。私自身もは天才でもない、だから自由に生きたのはいいとしても社会から外れて生きることは難易度が高いのである。なにかおかしな方向に行ってしまいやすいのである。そして小人閑居して不善を成すと必ずなる。やはり一方で社会性を身に着けないと失敗する。それで親の介護で死ぬほどの苦しみを経験したのである。
とにかく人生で失敗したり後悔しない人は居ない。ダビデのような優れた人でも失敗してその失敗が教訓となっているのは人間の世界である。それは人間が滅亡するまでそのカルマは消えることなく続くのである。戦争でももう戦争など無いと思ったがやはり人間のカルマはおわらない。ウクライナ戦争がありやはり人間の業が戦争を作り出すのである。

●事業に失敗した人ーその動機が優秀であること示すため

なぜその人は事業に失敗したのか。特別誰も取れない資格を持っていた。だから会社でも収入が高く別に事業などしなくてもよかったのである。でもその人は常に優秀だと言われたから事業しても成功すると思っていたのであ。事業を起こした動機が私は優秀だから成功すると信じていたのである。でも会社で技術者として働くのと事業を起こして経営するのとは相当に違っていたのである。

でも動機からして自分の優秀さを示したいからしているというのも問題だった。そんな動機で事業をして失敗したら周りの影響も大きいのである。そして借金して苦しんでいる。そんな人が私が苦しんでいる時来たから最悪であった。頭の中が借金で一杯の人が人を助けることなどできない。だから事業でも簡単に起こすものではない。自分が優秀だとかみんなに見せてやるのだとかで事業を起こしたらそれがどうなるのかそれを考えるべきだった
ただ人間というのは常に他者より比べて優秀だということを争っている。その人は大工さんとして他にも庭仕事とかで優秀なのにそれではそれで満足はしない。だからまた別の事業をしてそれも原発事故などがあり無駄になった。
その人の事業を起こす動機もまたやはり自分が優秀だということ示したいためにそうしたのである。何か学校では優秀だとならず劣等感を持っていた。そのために大工でで優秀なことに満足せずやらなくてもいい事業をしてそれも無駄になったのである。

とにかく人間は自分は他人他者より優秀だということに非常にこだわっているのである。それで私の家族の一人は優秀だったにしても死ぬ間際に俺は優秀だったと言って息を引き取ったのである。それほどまでに優勝だということに拘っていたのである。
それで悲惨だったのはおそらく認知症になってそのことでなんとなく馬鹿になったことを気づいていた。だからこそそういったので俺はバカではないということでそう言って死んだのかもしれない。
ともかくこのように人間は異常に他者と比べて優秀だということを示したいのである。またなぜ組織を作り集団を作り集団になるとき必ず会社でもそうだが上下関係ができて序列化されそれは人間の業でもある。だからこそ人間はカルマ人を繰り返すから同じようなことを歴史の中でも繰り返すことになる。

●出世の意味

だからこそ聖書でもギリシャ神話でもほかの神話であれそれが現代まで通用しているのはまさに人間の原罪でありそれが消すことができないから継続しているのである。このカルマから脱することは不可能にもなっている。宗教の本来の意味は全く無視されて世間から脱して出世なのに栄誉栄華の地位を得る為に出世するということになったことでもわかるある
カルト宗教などはまさにこの世で出世して栄誉栄華の生活を送りたいというだけである。本来の宗教とは何の関係もない。だからそうした正反対になっている場で組織集団化している中でいられる人はすでに何か全く偽善の中にある。普通のまともな人ならとてもそんな中にいることできないはずである。

でもそれが多数となっているのはやはり繰り返される人間の業がカルマだともなる。
ただ理解しているのは御利益であり得するということでありそれはそれだけは常に誰でも理解する。発達障害の人でも理解している。利に敏いのである。それは直感的に日々の生活の中で計算もできないのに理解しているのである。だからそこでは実際考えることは必要ない。ただ御利益になること得することだを説けば誰でも即座に理解する。考えることもないからあれだけ人が集まるのである。





2023年10月06日

自転車でも個人の経営が難しくなっている (商売も人を助けることだがまず利益が優先される問題)


自転車でも個人の経営が難しくなっている

(商売も人を助けることだがまず利益が優先される問題)

●商店街が廃れた原因

地方の商店街何かで出店するとしたら 
飲食店以外でどんな業種があるんだろうなぁ 
理髪店位しか思い付かんな

なぜ商店街とかがだめになったのか。その一つが車社会になり商店街には駐車場などがないとか買い物に不便になった。
そして商品の種類とかあ増えすぎたのである。私の家は店屋だった。その頃商品の量は種類は少なかった。物がない時代であり物を置けば売れたということがあった。また繁盛した原因が角にあったということである。ただそれだけのことで繁盛したのである。
というのはその頃車など持ってる人いないし歩く範囲で生活していた。だから近隣の人が買い物に来てそれで繁盛していたのである。ただ場所が良かったというだけだったのである。何か私の家の人は商才などなかったからである。
だから必ずしも商売上手だからといって繁盛するということでもない。その時代時代に適応して繁盛する。

なぜその頃袋に入ってるものを売っていない。ばら売りであり袋は母親が新聞紙で一つ一つ作っていたのである。そのことをインドに行ったときバラックのような店でやはり新聞紙のようなもので袋に品物を入れていた。また量り売りでもあり飴玉一つでも売っていた。
とにかく物がないから物を置けば売れたのでそこに何か設備としてかかるものもほとんどなかったのである。その頃子供相手にもものを売っていて子供が多いからまた子供は欲しいものが売れたのである。だからそんな商売は何か特別な商才など必要なかったのである。
何か今になると病気になってやっと歩いている人が近くに店がなくて困っているという。店と言う時はもはや1万の街で二軒のスーパーがあるだけである。そこまでゆくのには歩いてゆくのは病気になって辛いのである。何かその頃は近くに魚屋とか豆腐屋とかあってそれで間に合わせていたのである

●個人商店は成り立たなくなっている

今になると車社会になったり商品の量が増えてとても小売店などは個人の小売店などは成り立たない。だから商店街はすたれてしまった。自転車屋でも町に一軒あった自転車の人が最近死んでなくなった。それで修理してもらうためにイオンに行った。何か個人の自転車屋だと原町で常連客ではないので断られる事があったからだ。それは昔は個人商店ではお得意さんいた。それと同じである。

スーパーになればお得意さんなどはいないのである。コンビニでもそうである。そこでただ人は物を買うというだけになってしまったのである。そしてなぜチェーン店などが増えたかというとたとえば自転車でもチェーン店が増えた。ただこの辺にはそういうものはない。自転車屋のチェーン店だとさまざまな種類の自転車を置いてある。私が買いたい折りたたみの電動自転車も置いてある。自転車の場合どうしても後から修理を頼むことがありか通信販売でわ外国製などいろいろあるのだが買えないのである。なぜなら現実にエンジンになる部分が壊れていたとかありそっくり交換したことがあるからである。それが出来ないから怖くて買えないのである

でもなんとか買おうとしても防犯登録をしなければならないとか面倒なのである。それで近くの自転車屋でもその防犯登録はしてくれなかった。というのはそこで買ったものはサービスするな防犯登録だけはしてくれない。金にならないからである。でもその人はその自転車屋は最近死んでしまったのである。

何かこれ商売というのはただ売って儲けるというだけではない。何か人を助ける人のために働くということが必ずある。だから本当は他で買ったものでも防犯登録でもしてくれるべきだったのである。でも経営が苦しければそうなってしまうのである。
だから一概に責めるわけにはいかない。そして思うに今は小さな個人商店というのが商売できなくなっている。それは自転車屋でも同じなのかもしれない。あまりにも自転車の種類が増えすぎたのである。イオンには自転車の数が少なすぎる。電動自転車も置いてない。扱っていない。電動自転車になると後の修理とかが面倒になる。普通の自転車だったら修理はできるのである。

イオンで自転車が部門があり人が居るのは別にそこで商売にならなくてもイオン全体で商売になればその一部分でも給料を同じように払うことができる。だからどうしても今の時代はそうして大きな会社でないと成り立たなくなっている。そのことは利用する人にとっても困る。サービスを受けられなくなるからである。だから個人商店が自転車屋でも成り立たなくなっているのかもしれない。ただ自転車屋の問題は必ず後で修理することがありそれが最大の問題なのである。
でもこれだけ商品の種類が増えるとき店に飾ってあるのはほんのわずかであり折りたたみ自転車や電動自転車は置いていない。だから現代では個人商店が成り立ちにくいのである。でもイオンでは修理だけでも受け付けている。それができるのはやはりイオンという大きい会社で給料を払っているからできるとなる。

●商売も人を助けるということが基本にある

いずれにしろ何か商売というのは人のためにすることでありやはりサービスを心がける。でもその前に利益を上げなければならないから無料で奉仕するわけにはいかない。そこにジレンマがある。
でも基本的には人を助けるということが商売の根底にもあるということである。ただそれを無料ではできない。それは医者だとか看護師だとかは常に人を直接に助けるという意識を持たないとできない。

でも医者や看護師でも必ずしもやはり商売にならないと金にならないとできない。だから近くの医者でもあなたはいつも来ていないから緊急の時見てもらえず断られたのである。自転車屋でもあなたはいつも来てていないからと修理を断られた人がいるのである、自分も断られたのである。

人を助けるにしてもどうしてもそこに個人商店だと経営が成り立たなくなるからそうなる。でも基本的には人を助けるということが商売の根底にありまたほかの職業でもそういうことがある。
もうし人を助けるということがなければあらゆる職業でも成り立たなくなるかもしれない。無料でしてくれとは言わない。実際防犯登録してくれたらそれなりのお金は払うと言っていた。
だから無料では頼んでいないのである。いずれにしろほとんどの職業でまず利益を上げなければやっていけない。それでこうした問題が起きるのである。でも基本的に根底に人を助けるということがなければ職業も成り立たないかもしれない。でも医者だったら金を払えなかったら医者にもかかることはできないし医者も相手にはしない。それで貧乏な人は金がかかるから医者に行けないとかなっているのである

●イオンとは商売が成り立たないと撤退する

ともかく確かなことは個人商店が成り立ちにくくなっていることなのである。例えば医者でもなぜ目の病気になったとき仙台まで行ているのか。その仙台の眼科は2人の医者がいて専門病院である。だから設備も整っていてそこで手術も前からわざわざ仙台市まで行くのである。
つまり医者でも今は日進月歩であり技術が進んでいるからそういう場に行かないそういう病院に行かないと損だとなってしまうのである。
だから小規模の個人の医院とか商売としては成り立ちにくくなっている。ただ理髪店や美容店などは個人経営で成り立っているのかもしれない。

とにかく商店街が廃れのはやはり時代に合わなくなった。だからどうしてもスーパーとか大きな会社に従属して商売する他なくなる。でも相馬市でイオンが撤退したように商売にならないなるとそうした大きな会社が撤退して街全体が廃れてしまうことにもなる。そうした大きな会社は街のことなどあまり関心がない。だから商売にならなければ簡単に撤退してしまうということである。でもその地域に生きる人は他に移ることもできない。それでその影響が大きいので。相馬市ではいつもイオンに寄っていたから相当に影響したのである


posted by 天華 at 09:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2023年10月05日

秋時雨(急速に秋になってゆく (自転車の修理と買い物に原町まで)


秋時雨(急速に秋になってゆく

(自転車の修理と買い物に原町まで)


買い物に急ぎ走るや秋時雨

秋時雨時の移りの早きかな

北風の向かい風や季の変わる


午後から自転車の修理にイオンまで行った。ここのには一軒の自転車屋は主が死んでなくなった。原町までは近いので行った。イオンの中に自転車の修理などをする場所はあり意外と簡単に直してもらった。自分で直そうとしたができなかった。道具が必要だったからである。前にも治すことができずヤマハから直接道具を送ってもらって直したことがあった。やはり道具をそろえていないと修理できないのである。

その自転車でゆくと風が吹いていた。それは西風か北風であり自転車だとその風をまともに受ける。そして今日はパラパラと時雨が降った。それは秋時雨だった。夏から急速に秋になり冬になってしまうのかもしれない。もう暑くなることはない。

秋の末から冬の初めにかけてぱらぱらと通り雨のように降る雨

秋:8〜10月(厳密には、11月6日頃までが冬)
冬:11〜1月(厳密には、2月3日頃までが冬)

秋時雨にしてはまだ早い、でも何か季節が順序良く進んでいない、ただもしかしたら秋がなくなるというとき早めに冬が来る
温暖化で日本は夏と冬しかなくなるという人もいる
だから何か季節感がなくなる。秋時雨でも十月の末になるからだ。

今年はともかく遠くに行くことができなかった。暑いと自転車はまともに陽射しを受けるから熱中症にもなる。自転車は天候の影響を受けやすいのである。
だからこそ季節を感じるから俳句などを作ったりする。でも車だったら風でも時雨でも感じない。風流とはまさに風の流れを感じることだからである。

だから車というのは人間の五感を衰退させたともなる。ただ原町まで行くと遠くなる。田舎だと買い物でも車が必要になるのである。この買物というのは結構な仕事なのである。
どうしても原町まで行かないと足りないものがある。イオンではみかんが20個くらいで500円とかあった。鹿島区では十個くらい同じ値段だったので花でも安い物も売っている。そういうことで買い物では不便になるのである。

2023年10月04日

総務省は戦前は警察を動かす権限があった (県の政治のことは無関心なことの問題−内堀知事の問題)


総務省は戦前は警察を動かす権限があった

(県の政治のことは無関心なことの問題−内堀知事の問題)

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福島県庁で南相馬市の水害被害の支援を頼む

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【隠蔽、捏造、逃げ虚飾テク!テレビ各局プロレス化で終了!】見せかけの真実の追求で装い、既得権は絶対に離さないメディアの腐ったテクー加治氏将一


福島民報は創価の聖教新聞を刷り県で株を50パーセント持っているから官報である

総務省設置法第3条第1項に規定する任務を達成するため、行政組織、地方自治、地方公務員制度、選挙、政治資金、情報通信、郵便、統計、消防など、国家の基本的な仕組みに関わる諸制度、国民の政治活動・経済活動・社会活動を支える基本的なシステムを所管する。

かつては強大な権力を誇った旧自治省・総務省
 「内務省」の権限の中でも現代の我々からすれば驚きなのは、戦前は都道府県知事の選挙が存在せず、知事は内務省の官僚が務めていた点です。東京都知事も大阪府知事も内務官僚でした。

 ちなみに、内務官僚のなかでもエリート中のエリートだけが到達できる「内務省三役」といえば「内務次官」「警保局長(警察庁長官に相当)」「警視総監(首都警察トップ、今もありますね)」であり、圧倒的に警保(警察)畑が強かったそうです。警察国家です

●総務省の権限の大きさ

総務省のことなど普通わからない。ただジャニーズ事件でクローズアップされた。桜井翔のパパが総務省の有力な地位についていた。だから原発と同じくアンタッチャブルになり隠蔽された
総務省で怖いと思ったのは戦前は内務省でありそれが警察を動かせる警察に命令して取り締まる権力を持っていたことである。
知事でも選挙なしで知事になっていたのである。知事の権限は相当に大きい、知事と原発を建てる土地所有者の許可があって原発が建てられことできたとなる。原発とは事故の被害にあった周辺地域を問題にしているが実際は福島県の知事とか福島県の県庁の行政が深くかかわるものだったのである。

そもそも県庁の仕事は何をしているのかわかりにくい、日常的には市町村と関係していることは直接的に関わるから分かりやすい。でも県庁となると県議会とかにはまるで関心がない。ただ福島県の道路を作り整備管理するのは県庁である。すると建築土木関係の仕事をしている人は県とかかわっている。なぜなら公共事業になると県で予算を決めて地元の会社に仕事を頼む。そこで必ず賄賂問題で逮捕される人が役所の人がいる。やはりそこに利権が一番生まれるからである。
だから公明党が国土交通大臣の役職を手放さないのである。その権力で票を得ようとするからである。

総務省の力はマスコミを牛耳っているということである。だからこそジャニーズ問題でもそこに桜井パパがいて総務省の実権を持っていたから握っていたから何も言わなかったのだという。
マスコミとは政府の官報と似ている。肝心の政府の悪を追求しない。その象徴はジャニーズ事件だとしている。そして福島県の県庁にTOKIO課があったのはその象徴だったのである

それで福島県知事の内堀は総務省の工作員だったということが加治氏の説明でわかった。そして県知事となって総務省の指示に従うことになる。前は内堀氏はの各県庁に入り財政担当の中にはいりそこで工作していたという。やはり県庁でも財政を担当していればそこが一番力を持つからだともなる。
政治とはどうしても利権が変わるからそこでゆがめられる。
この辺で政府の官庁に入ったという人がいた。それも斎藤邦吉氏が国会議員でありそのコネで入ったという。その時結構な金を払ったという。つまり政治とは常に利権とかかわりそうなりやすいのである。

●総務省は戦前の内務省で警察を動かす権限を持っていた

ともかく役所のことなど県庁でも国政に関わる国の官庁でもどういう働きをしているのかどういう仕組みになっているのかわからないのである。特に総務省と言うと名前からして何をしているのかよくわからない。
でもジャニーズ事件で総務省が関わっていたということで明らかにされたのである。そんなところまで関わっていたのかということを知り総務省というのは注目されたのである。
総務省は意外と大きな権限を持つ省だった。その全身が戦前は警察の管理する警察を動かす力を持った省だった。
ということは警察をも動かすこともできる権力かもしれない。なぜならあらゆる人が警察だけは恐れている。庶民も警察は恐れている。なぜなら脛に傷を持たない人などいないからである。警察はそれで人を恐れさせ従わせることができる。

要するに最も権力が露骨に現れるているのは警察である。それは日常的に庶民とかかわりその権力を行使できる強制できるのである。だからその警察を動かすものが総務省の前進の内務省だったということはそれが戦争に通じていたのかもしれない。
なぜなら戦争に反対する人は特高が来て警察に連行されたからである。なぜ警察は一番の権力かというと暴力でもって強制的に従わせることが出来るからである。それは軍隊でもそうである。軍隊を命令して動かせるものは一番の権力者である。

だから軍隊が政権を握るということはミャンマーとか遅れた国で必ず起きてくる。。そもそも権力とは武力から生まれる。戦国時代のように武力によって支配される人間の歴史でもあった。でもそうなる地で血を争う悲惨な結果になったので犠牲があったので民主主義によって平和的に権力を移行させるとかになったのである。

でもこの民主主義をアメリカで発展したとしても最近対立が激しくなり選挙に不正があるとか議会に暴力でふるった人たちがいて世界を驚かした。だからいくら民主主義でもそこに公平はありえない。不満な人たちが必ずありまた社会が既得権化すると得する人はいつまでも得して損する人はいつまでも損する。それが今の日本である。

その原因として県政でも国政でも関心が持てないのは当事者意識がもてない、一票入れても何の変化もないとなり無力感があり投票率が上がらない、自分もそうだったけどプログで時事問題で発言するようになると相当に調べなければならないとか多少責任が生まれた。だからプログでもyoutubeでも発現することは民主主義の促進になる。

●政権交代がない日本は根本的に変わらない

いくら不満があっても自民党政権というのは一回しか政権交代をしていないのである。だから根本的に日本の政治は変わらないのである。既得権者はいつまでも得する場にあって変わらないのである。
でも韓国だと大統領が変わると必ず前の大統領の不正が暴かれ逮捕までされるのである。それを日本では韓国の政治を批判するが日本ではいつまでたってもどんなに不満があっても自民党が政権を担当する。
だからアメリカでも必ず共和党と民主党があり大統領が変わると権力も移譲されて根本的に変るのである。今のウクライナ戦争でもトランプに変われば戦争はやめるという。そこで大きな政治の変化は起きる。日本では政権交代がないから民主主義が機能してないのである。

いずれにしろこの辺で起きた原発事故がなぜ起きたのかということを追求してきたがそれはやはりこうした国とか県とか大きな権力がかかわり起きた。その権力は何か危険があっても隠蔽することができた。
原発にもいろいろな不備があり実際は危険なものだった。でもやはり国とかの大きな権力が関わりまたその背後にアメリカがいて危険は隠蔽されたのである
つまり権力の問題はこうして隠蔽できるということである。そこから危険が生まれ取り返しのつかないものともなる。戦前の戦争でも300万人も死んだということでもやはり国の権力がかかわりそうなった。そこに総務省の前進の内務省がありそれは警察を指揮する権力をもっていたことは怖いことである。
だからジャニーズ事件でも警察がなぜ一切かかわらなかったのか?
総務省も今も戦前の警察を牛耳る内務省と通じるものがあったからなのかとなる。そうなると総務省とは怖いものだと知る
ただ権力構造は複雑でありわかりにくいことで騙される

悪があっても可視化されにくく見えないからである。だからどうしても闇に隠される。するとそこから原発事故でも庶民は大被害になりジャニーズ事件でもそうであり戦前の戦争の犠牲者が3百人死んだとか空恐ろしものとなる。原発の処理水問題でも今や世界から批判される。なぜ批判されるのにあえて処理水を流したのか実際は流さなくてもいいものだったとしている。
ともかくこれほどに世界的問題となるものを原発自体を作ったことが問題だったのである。



posted by 天華 at 18:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2023年10月03日

遠野の地名由来 (地理は地形を知り境界を知るー関ケ原、区界(くさかい)など)


遠野の地名由来

(地理は地形を知り境界を知るー関ケ原、区界(くさかい)など)


●遠野の地名

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(1) 閉伊の先、閉伊の奥の意味で呼んだ汎称「遠閉伊」の野原という意味
(2) 山間の遠い野
(3) アイヌ語のト(沼)ヌプ(野)
(4) 「東野」の意味で東方の野
(5) 「撓野(タワノ)」の転訛で、たわんだ地形の盆地  

「遠閉伊(とほのへい)」の下略形という。または「タヲ(ゆがんだ地形)」+「ノ(野)」の転か

こちらは閉伊という地域にあって、さらに遠い閉伊・・・閉伊の奥地という意味もありそうですが、遠い閉伊の野・・・から遠野となったという説も語られてはいる。


 遠野の語源に関しては「東方の野」からきた説や、たわんだ地形の盆地である「撓野(たわの)」の変化、など諸説ある。日本地名研究所の谷川健一所長(89)は、村崎説を支持した上で、平安時代に編まれた日本の正史の一つ「日本後紀」に「遠閉伊(とおのへい)」が登場することに注目。閉伊の拠点であった宮古地方から遠いところという意味で、「後年、そこから閉伊が抜け落ちた」とみている。
上遠野郷の由来 上遠野郷の歴史」に「福島県石城郡の『今昔我等の郷土』によればー岩城氏の一族上遠野滝氏の領であったとい

平安時代に編まれた日本の正史の一つ「日本後紀」に「遠閉伊(とおのへい)」が登場することに注目。閉伊の拠点であった宮古地方から遠いところという意味で、「後年、そこから閉伊が抜け落ちた」とみている。

これが有力である。なぜなら正史にも記されているからである。
閉伊郡ありこれは宮古を中心に広い範囲である。宮古が早く開けたが遠野となるとかなり奥地になるからである。
それは地形として理解できる。地形を基にしたものが地名であり地形と一致しているからわかりやすい。日本で野というとき野原とか平地をイメージするが実際は山の斜面であり平なところではない、平の地名は別なのである。日本で平らな所は湿地帯とか沼と湖になっていて住めなかったのである。
だから田でも最初は山の斜面に作っていた。それで県(あがた)が最初の国になったのである。
入野とか遠野とかの地名は平らな場所ではないのである。

吾が恋は まさかも悲し 草枕 多胡(たご)の入野の 奥も悲しも
(万葉集 東歌)

この歌は山に挟まれた奥の地域ということである。日本にはそういう場所が多いからである。

いわき市の遠野町は

上遠野郷の由来 上遠野郷の歴史」に「福島県石城郡の『今昔我等の郷土』によればー岩城氏の一族上遠野滝氏の領であったとい


地名で混同するのは地形と姓が一体化する。もともと地形を基にしていたのが村の名が姓となりその姓が移動して村の名になる
いわき市の遠野がそうである。遠野氏が支配して遠野となったとしいる。それはもともと中村村だったのが相馬氏が支配して相馬市になった。でもそれは最近のことだったのである。
やはり地名と地形が一致する時地理はわかりやすくなる。

私は御斎所を街道下り遠野に出た。その時稲は刈られて刈田になっていた。だから淋しい風景だった、地形から見ればまさに遠野だったのである。それが遠野氏が支配して遠野になったというとき何かがっかりしたともなる。
でも遠野はその地形と合っていたのである。

刈田なれ遠野に来たり農夫に会う

●地理は境を知るとわかりやすい

地理を知るには境を知ることである。どこが境となるのかそれも人為的行政的な境ではなく地形の境を知ることである。人為的なとは例えば戦国時代でも新地は相馬藩ではない伊達藩である。そこは別に地形と関係ないのである。遮る川も山もないからである。
ただ伊達政宗の領地になったからでありそういう地名は地形と関係ないのである。だから参考にならないのである。

そして必ずしも境は地形と一致してあるわけではない。地形と一致している時わかりやすくなる。例えば山形県と宮城県は面白山トンネルがありそのトンネルを抜けると山形県になる。その山が明らかに境界となる。現実に面白山のトンネルを抜けると依然として春なのに雪がなお厚く山に残っている。トンネルを抜けると雪国だったとなる。

陸奥(みちのく)をふたわけざまに聳えたまふ蔵王の山の雲の中に立つ・斎藤茂吉

これは陸奥となれば福島県、宮城県、岩手県と広大である。でも二つに分けるとはならない、蔵王は山脈ではないし蔵王という一つの山だからである。ただ福島県の南相馬市の鹿島区まで蔵王は明確に見える。だから陸奥の象徴的山にはなっている。
でも陸奥を二つに分ける山ではない、それより私の住んでいる阿武隈山脈はいわき市まで続いているから中通りの吾妻山は見えない、だからこの山脈こそ福島県を分けているのである。
この阿武隈山脈があることで浜通りは地理的一体感がないのである。でも近くの山に登ると牡鹿半島から金華山が大きく見えたのである。だから地形的には宮城県の方が一体感があるとなる。
とにかく人間に心の面でも地理と風土は一番影響する。そして地形は人間の力で変えることができない。阿武隈山脈を平らにすることはできないからこれはいくら交通が発達しても地形そのものは変えられないのである。

大陸だとヨーロッパならライン川がありそこがゲルマンの境でありローマ帝国が侵略できない地帯になっていた。大陸だとこうした大河が境になる。それはロシアとウクライナの戦争でもそうだった。ドニエプル川が境となりその川を渡って攻撃することが難しいのである。川を渡り攻め入ることが危険になる。だから川をめぐって攻防があり現代でも同じだったとなる。つまり地理の地形のカルマがありかわらないから依然として河をめぐって攻防がある
そして今年は異常に暑く干ばつにもなりライン川の水が減り船で物資を運べないとして苦しんでいる。大陸では今も川が交通路となり物資を運んでいるのである。

●地歴を知るには境を知る

地歴というとき地は地形のことである。歴史も地形から作られから地歴となったのである。
関ケ原でなぜ天下分け目の戦いがあったのか、地形と地理が関係していた。関ケ原は東西を分ける境目だったのである。
気候的にもそうである。関ケ原を電車で行くと雪が残っている。まだ冬を感じる。でも関ケ原を抜けると近江になりそこは春となっている。景色も何か穏やかに感じる。
不思議だったのは琵琶湖の湖西線が通る高島から関ケ原の方を見るとそこから朝日が昇ってきたことである。それが意外だった
それで東でありそこから東(あずま)となっていたのである。

雪残る関ケ原を出て近江かな
近江に出穏やかなれや春の山
近江なれ蓮華の野を見て三上山

●みちのくの真野の草原も境のことだった

陸奥(みちのく)の真野(まの)の草原(かやはら)遠けども面影(おもかげ)にして見ゆといふものを 笠女郎

この歌も境の歌だった。そのこと追求してきた。この歌は大和王権に属する陸奥の辺境のことだった。それはやはり気候としても南となりマルハシャリンバイの自生の地として南相馬市の鹿島区の海老浜が指定されていたからである。そのことは書いてきた
ただ津波で海老村は消失してしまった

これらの山を詠んだ歌は、生駒山は三例、竜田山は三例、奈良山は真土山といった、大和国を越えていく地点を詠むことが多い。『万葉集』では関より、次のように生駒山・竜田山・奈良山・真土山は六例を数える。

遠き山関も越え来ぬ今更に逢ふべきよしのなきがさぶしさ
(中臣宅守)

(徒に関険を設け、防禦を用ふ
の往来、毎に稽留の苦を致す。『続日本紀』延暦八年七月甲寅条)
遂に中外をして隔絶せしむ。既に通利の便を失い、公私と、わずか四例のみである。以下に二例のみ挙げる。
対して『万葉集』では、次の歌をはじめとして、 

遠き山関も越え来ぬ今更に逢ふべきよしのなきがさぶしさ
夕さればひぐらし来鳴く生駒山越えてそ我が来る妹が目を欲り
白雲の竜田の山の露霜に色付く時にうち越えて旅行く君は

五百重山い行きさくみ賊守る筑紫に至り
これらから、意識の上では、関を越えることよりも山々を越え
りことなのである。


『万葉集』にみる「みやこ」と「ひな」への意識
file:///C:/Users/KOBAYASHI/Downloads/nike_061_137.pdf



奈良時代は関所より障壁となる山とか川が意識された。特に日本では山が多いから山を越えることに難儀したから山はまた国の境ともなり峠をこえることが異郷に行くことだった。それで峠という漢字は日本人が作った国字なのである。

山が境になる時今は車とか電車でも行くとわかりにくくなった。歩いて苦労して旅することがなくなったからである。
でも岩手県の宮古市から電車で区界(くざかい)という地点はかなり標高が高い
だからそこに電車が止まったとき雪が春でも厚く消えずに残っていたのである。

区界駅雪厚く残り一時を電車の止まり越えて行くかな

まさに区界(くざかい)境界だったのである。

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