2023年10月02日

空き家1000万軒にもなる (個々人では解決しない社会全体の問題になっている)


空き家1000万軒にもなる

(個々人では解決しない社会全体の問題になっている)




●家は思い出があり愛着があり簡単に壊せない個々の事情がある

空き家のことをNHKで放送していた。10年後20年後に1000万戸が空き家になる。それも都会でも空き家が増えている。その空き家の処理をどうするか問題になる。空き家の問題は簡単に壊せないとかある。そこでその家で育った人がいて愛着が生まれている。家というのはただの建物ではない。箱ではない。そこで人が暮らした歳月があり営みがありそれが思い出として家がある。
だから問題なのは家というのは単なる建物というのではない。その家で暮らした人間の思い出がその家と共に宿っている。物がありその物に心が憑くとなる。物は単なるものとしてあるのではない。物心がつくという時も物と心は一体なのである。仏教で言えば色心不二となる。、物と心は一体なのである。それは東洋的思想だとなる。

そこで家という建物はハードでありその建物どういうふうに利用するかがソフトだという。その利用方法があるのだがそれはソフトだから何かアイディアが必要でありそれが問題になっている。
でもリフォームするとそれは使えるし今中古物件が売れているというのも分かる。そのリフォーム代を不動産屋が金を払ってしている。若い人たちが安い家を買えるのだから人気になるのもわかる。ただ都会の空き家と地方の空き家問題とは違ってくる。
東京でも一部では五軒に一軒が空き家となるという。だから東京というのも全体的に縮小してゆくのかとなる。そしてやはり今までは地方から集まってきた若い人たちがすでに老人になっている。そしてやはり高齢化して老人が増えてくるのである。

●空家問題は市町村で社会全体の問題

この空き家問題は個々人の家の問題でもあるがこれだけ空き家が増えるということはそこに住んでいる周りの人にも相当に影響する。だから自治体でも放っておくのではなく関わらざるを得なくなっている。火事とか誰かが勝手に住むとか犯罪の温床にもなる。アメリカではやはり自動車産業が衰退して街自体がすたれてゆく街を紹介していた。そこでは市が積極的に関わり都市計画として空き家を壊してそこを農地にするとか公園にするとかして都市全体の問題として関わる。
つまりこれだけ空き家が増えるということは個々人の問題でもあるが公共的な問題にもなっている。

また東京都心から埼玉県の方にニュータウンができた。そこから東京都心の都心へ通う住宅地であったがそれも空き家化している。そしてなんとかゴーストタウンになるのを防がなければならないとして対策を考えている。
この辺では原発事故で避難区域になったところは実際に空き家だらけであり街自体がゴーストタウンになったのである。今でも空き家だらけでありそれも壊されている。
最近私の家私の住んでいる近くでも四五軒が壊されてそこが空き地化したのである。町の中でもやはり家が壊されて空き地化しているところがある。

ただこの辺では原発事故で避難区域になったところから移住してくる人も多い。そこで新しい住宅地が四つくらい生まれた感じになる。そして不動産会社でわ土地を整備してその土地を売り住宅さらに建てようとしている。それは原町にも原発避難区域から移住してくる人が多いのである。
だから空き家が増える日本の地図を見るとき南相馬市は空き家が多い場所になっているのは当然である。でもなぜいわき市の方がもっと空き家が多いのだろうか。いわき市には原発避難区域から移住した人が新しい家を建てて近隣ともめたことがあったからである

●いわき市はなぜ空家が多いのか

グラフで見るいわき市の居住世帯あり住宅数は多い?少い?(推移グラフと比較)

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いわき市は原発避難区域からの移住が多いからこういうグラフになった。いわき市は面積が広いから農村地帯もありそれで空家も多いが原発避難者が二万人とか移住して補償金で新しい家を建てたので地元の人もめたのである。

ともかくこの辺は原発事故と津波の被害で海岸地帯の村が消滅したりその変化が激しかった。もし津波と原発事故がなかったらこんな大きな変化にはならなかった。それでもやはり少子高齢化になり空き家はどこでも増えた。それで原発避難区域とかは帰った人もいるがその人たちは老人が多いからまた周りは空き家だらけでありそういう町が維持できるのだろうかとなる。
そこで暮らすのも不便になる。だからいわき市であれ南相馬市でも相馬市にでも移住した人が多いのである。それだけの補償金をもらったからである。

だから原発避難区域になった街は維持できなくなりいわき市とか南相馬市とか相馬市でも移住するようになった。だからそこで減少している人口が歯止めがかかったともなる。
そのことは何を意味しているのかというと人口減少の時代には小さな町とか村が維持できなくなる。それで山の中の村の人を介護とか医者とかでも回るとすると2時間もかかるとかその手間が大きいのである。それが昔のように医者にも見てもらえないとか手厚い介護などしないという時代ならばそこに住むのも良い。

でも今のように手厚い介護とか医者にもかかりたいというとき山間部のような村は一軒一軒回るだけで2時間もかかるとか手間になるのである。そのような村では昔は救急車も来ない。そして子供を医者に診せるために背負って峠を越えていこうとしたら死んでいたとかいう話もある。
でもそうなってもその時代なら諦める他なかったのである。今になるとそんなことはできないとなりそういう僻地の村には住みたくないともなる。でもやはり今の平均的なサービスを受けるとしたらやはりそれだけの手間と金もかかってしまうのである。

●老人は仮設住宅でいつも話し相手がいて良かったという

何か原発事故でこの辺では仮設住宅がいくつも作られた。その時住居も狭いから隣の生活の音が聞こえたり嫌だという人もいた。
でも山間部の辺鄙なところに住んでいた人がいつも近くで話し相手がいていいという女の人もいたのである。確かに山間部だと街から離れていると一軒一軒も離れているから気軽に会えないとはなる。でも仮設住宅だったらいつでも会えるという便利さはあり女の人はいつも話し相手があるとか良い面もあったのである。
どちらかというと老人はそうして離れ離れになっていると孤立しやすい。でも長屋のようなところで集団的に暮らせば返って常に身近に話す人もいて親しい人もいるというとき安心するかもしれない。何か介護となるとき近くが良いのである。それは相馬市に娘がいても隣の市に娘がいても車で15キロくらいあるとやはりなかなか簡単にはこれなくなる。

だから車がない人は一日一回でもいいからバスがでるといいと言っていた。その人は脳梗塞になり自転車に乗れなくなって歩いてスーパーに行くほかなくなったからである。飯館村では大倉の隣の木戸木(ことぎ)に住む老人がそういうバスを利用している。
いくら車で近いとしてもすぐ隣だったら行けるし様子を見にに行くこともできるしまた別々の家でも近くだったら何かおかずを作ったら持って行くとかそういうこともできる。
でも田舎だと離ればなれになって暮らしているし買い物でも街から離れるとどうしても車が必要になるのである。だから車がない人は相当に不便になるのである

●空家で庭の方が価値あると見た

ともかく空き家がこれから1000万軒にもなるという。この数は半端ではない。それをどう利用するのかということは社会全体の問題になる。そしてそれをほっておくのももったいないとなる。だから不動産会社でリフォームして若い人向けに住めるようにしたのはよかった良かった。でもそういうことができるのは東京とか大都市になる。地方になるとなかなか仕事もないから若い人も住みにくいとなる。
私が空き家で注目したのは庭である。近くにも本当にいい庭があった。その家はあまり良いと思わなかった。何か古くなってそこには住みたいとも思わなかった。でも庭が立派でありその庭を活かす方法があってもいいと思った。
でも所有者がいるのだから勝手にはできない。そこを近くの人が集まるような場所にしてもいいとかなる。それも個々にに対応しなければならないから面倒になる。そこには必ず所有者が居るからである。
その所有者がと交渉しなければならないから面倒になるのであるそれで自治体で積極的に関わり空き家を生かす対策をするようになった。でもその家でも空き家でも物置にしたいとか思い出があるとか個々にに違っていて対応が難しいのある。


死者が帰ってきても寄り憑く場がない(詩)

死者が寄り憑く場所としてやはり家がある、その家がなくなると死者はどうなるのか、墓になるのか、墓は家がなくなっても残っているからである。
本当に空家でも幽霊が住んでいると感じる。やはり家とはそれだけ単なる物ではなくなている。だから家を壊してしまうと何も残らなくなる、死者が寄りつく場所がなくなるということである。

posted by 天華 at 17:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2023年10月01日

青春時代は出発点であり人生の方向を決めるから大事 (人間は失敗するのは最初に方向を誤ることーそして引き返すことができない)

青春時代は出発点であり人生の方向を決めるから大事

(人間は失敗するのは最初に方向を誤ることーそして引き返すことができない)

●若きときに神を覚えよ

ドラマで金持ちの家同士が意に沿わなくても政略結婚のようなことした。それは戦国時代でもその後もあった。でも現代ではそれは強制できない、別に親に反対もできる時代である。
それであとでいろいろ問題が起きて事件が起きた。人間は出発点が悪いと必ずその後に問題が起きてくる。その出発点になるのは青春時代でありそれでそこで方向を誤ると人生をの後悔するともなる。 青春時代は出発点でありそこで間違うと一生が間違った方向に行ってしまうともなる。

ただ若いときは先が見えない。何か時間が無限にあるように思えるので。だから若い時したいことをして欲の赴くままに生きるというのも普通にある。ただその青春の時代を実際はあっという間に過ぎる。それも一瞬の輝きだったとなる。それは女性にも言える。その若さは美は儚く30過ぎるとおばさんとかになってしまう。だから親はその美貌もすぐに色あせてくるから婚期を逃すから早く結婚しろとなるのである。

若きうち神を覚えよ知れという時それがなぜ大事なのか。神を覚える神を知るということが若い時しかできないからだとなる。別に年とってからの方がいろいろ経験を積んで聖書でも深く読めるしいろいろ理解するのだから別に若い時でなくても神のことを知るということはできると思う。でもそれができないとなればいかに若い時の時間が重要だったかあとで知る。でもその時遅しとなっていたらどうなるのか、もう時間を元に戻すことはできない

●カルト二世は親にすべて決められる

それは神を知るというだけではない就職するにしても何をするにしても青春時代が出発点になる。そこでその出発点が誤ると一生誤ってしまうともなる。それは怖いことである。だからカルト宗教の二世問題とかが深刻なのである。その人たちの一生がすでにもう生まれた時から決められていたとはである。その方向は親によって決められそれ以外考えられないとなっている。そういう家族では親に反抗するということは相当に難しいからである。

その人の一生は全く親に決められたもの以外ないないのである。そういう人は別の道があることも全く分からない。そしてそのカルト宗教団体について疑問も何もない。ただおかしいと気づいても目をつぶるのである。
なぜなら親の言うとうりになっていれば親からもほめられるしそれは家族のためになっているのだから家族に反抗するようなことはできない。そこにカルト宗教二世の深刻な問題がある。そういう人は親の言いなりになりその集団組織の完全な一員となり何ら個性を発揮することなくロボットとして奴隷として終わる。

その集団組織に従属して何一つその人が生きる個性も示すものことなくただハイルヒトラーで教祖を偶像化して一生を終わってしまう。これも恐ろしいことである。それもなぜそうなるのかといえば出発点が悪いからそうなったのである。だから青春時代は出発点でありその行く先が方向が決まってしまうから大事な時なのである。方向が間違ってしまえば北に行くのではなく東に行けばよかったとか言っても人生の場合は簡単に方向転換できないのである。

●なぜ大学選びが大事になるのか

なぜ大学選びが大事になるのか。それは大企業などでは選別するのにやはり大学を見ている。マーチから上でないと履歴書を見てすでにそこで選別されて入社できない。そこからしてやはりすでに差が出てきて生涯に影響する。もちろんそれが人間を全て決めるものではない。でも大企業に入るものと入れないものの差がすでに若い時にできてしまうということである。

ただそれから一流の大学を出ても会社に入って仕事ができないとかなりニートになる人も居る。だから学歴ですべては決まらない。社会で仕事ができるかできないかは必ずしも学歴では決められない。
でもそもそもが出発点で大企業に入れないとしたらその差が将来的に大きくなってしまうのである。ただ大企業でもそれがすべて価値を決めるというわけではない。人間の価値はあまりにも多様だからである。だから別に大企業に入らなくても自分自身の価値を作ることはできる。私自身は底辺でて社会から外れてしまったから出発点がそうなると一生社会から外れた人生になる。

でも逆にそのために自分自身の興味あること関心のあることを故郷で追求してきてきたのである。その成果をブログで出しているのである。ただそれは例外的なものであり特殊であり普通はやはり大企業に入るものと中小企業や底辺層になるのは相当な差になる。だ
から氷河期というのはその出発点でまともな会社に就職できず非正規になってしまったから45とか50過ぎて非正規であり結婚もできないしもう60になったら働くことさえできなくなり年金もわずかでありそれが今度は国の負担にもなる。
それは出発点から悪いからそうなってしまったのである。だから出発点が悪いと誤ると氷河期世代のように結局その人たちでも国家でも問題を抱えることになるのである。

●人間は先を見れない

ただ正直人間は個人でも組織集団でも国家でも先を見ることはできない。一時的にカルト集団でも創価などでも会員が爆発的に増えたことがあった。でも今になるともうその熱狂は終わり会員は増えることはないし衰退するだけになってしまった。そういうことは時代的に常にありあれだけ興隆していたのに衰退してしまうことがある。

七つの海を制覇した大英帝国でも今や小国に戻ったともなる。だから時代の変化で人間はその先を見ることができない。それで日本でも高度成長時代がありその後に失われた30年があった。その期間も本当に長かった。給料も上がらないそして今や円安で物価は上がり日本は世界でも実際は先進国ではない貧困国家になってしまったのである。 IT化に遅れ頼む日本は依然としてハンコとか戸籍とか保証人とかが必要であり何か自由に経済活動出来ない国であり改革できない国だったのである。

今や日本は高度成長時代は日本がすごいということばかり言われ日本は今や何でも悪いことしか言われないのである。その代わり方も激しかった。ともかく青春時代2は人生の出発点だから重要なのである。そこで方向を間違うと一生誤ることになる。だから大事なことは何か目先の利益だけではない何か未来にを作るものを志すということでもあ。それで立志式というのはあったということはそのためだったとなる。志すことが悪かったら一生もやはり悪い方向に行ってしまい一生を誤ってしまうのである。

●なぜ14才で立志式があったのか

14歳を祝う行事。
・奈良時代の「元服の儀」が由来。
・将来の目標や夢にして誓いを立てる。

奈良時代から立志式があったということはやはり時代が変わっても人間は変わらないことがある。まあ14歳となるとやはりその年頃でもうすでに将来に対して志を持つことが大事なのである。
私の場合はちょうど14歳に父親が死んだからそれ以来なぜ人は死ぬのかということが頭から離れなくなった。それで求道をしていたのである。その入った先はカルト教団でも私の志は目的は死の解決だったのである。でもカルト教団などはそうかでも他でもそういうことを問題にはしていない。
なぜなら社会で勢力を持ち権力を持ち知恵や名誉や金持ちになりたいというだけだったからだ宗教や信仰など追及はしていない。だから私は学生時代に辞めたのである。
つまりそういう場所で運動している人はこの世の栄華栄誉とか金持ちになりたいというだけである。そうしたギラギラした欲を持つ人たちが集まる場所なので。だからまともな人だったらそんなところに居ることはできない。

ともかく人生の出発点が誤るとその後の人生も誤った方向に行ってしまう。とても人生は短いから引き返すこともできないしやり直すこともできないのである。その深刻さが分かるのは老人であり老人は別に学がなくても何であれその人生の結果を否応なく示されるのでは。
俺の人生が無駄だったとかむなしいとかみんなになってしまっているのである。それは出発点が悪かったからである。ただこの世の栄耀栄華を目指してなんとか他者より優れていることを示したいとかそういう動機が悪かったともなる。

そしてその結果を老人になれば変えることはできなくなってしまうのである。何か方向を変えるのは若いうちなら出来るが30くらいすぎるともうできなくなってしまうのである。それだけ人間には充分な時間を与えられていない。だからチャンスにしても一回だけだとか結婚するにしてもその人が人を選ぶというよりたまたまちょうど若い時に出会いがありそれで結婚したという人も多い。その人がどういう人なのかとなど簡単に分からない。

というより人間には十分に相手を見たり考える時間がないのである。それより先にあるのは性欲でありそれゆえに交わり仕方なく結婚したとかも多い。そして1/3も離婚しているのはやはり十分に相手を見て選ぶ時間が人間にはないのである。
要するに人間はたちまち老いてしまう。そしてみんな後悔しているだけだる。どんな人でも後悔しない人はいない。たとえ恵まれて大企業に入ったとしても結局社畜だったとか言う人も多い
だから若き時神を知れということになる。若き時に神を求めよとなる。でもカルト教団は一切そういうことは教えないし求めていない。この世の栄耀栄華を求めているだけである。世俗社会より異常なほどにこの世の栄誉栄華を達成することをだけを求めているのである。だから仏法であれその教義とは正反対のことを追求しているだけなのである。だからなぜ宗教を看板にしているのか全く分からないとなる。