2023年10月13日

イスラエルの問題の複雑さーエゼキル書の予言 【人間の業として土地争いが戦争の原因】


イスラエルの問題の複雑さーエゼキル書の予言

【人間の業として土地争いが戦争の原因】

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●なぜ戦争になるのか―土地争いでなる

なぜ人間は殺し合う戦争が止むことなくあるのか。その一つの答えが土地争いにある。そもそも戦争はどうして起こるのか。それには確かにいろいろな原因はある。でも基本的に戦争はなぜ起きるのかというと土地を巡る争いから戦争になってきたのは人間の歴史だと思う。なぜならその土地を巡る争いというのは現代でも終わることなく続いているからである。それは国と国の争いだけではない。個々人の間でも家の間でも土地を巡る争いというのはありそれが揉め事の第一にあり土地を基本にして人間の生活があるからそうなる。

私の家でもわずかな土地でも奪われたことがありそれが私の代でも恨みとなっているのである。その恨みは一代で終わらず次の第代まで続くのである。国にしてもそれは土地を基本にして領土があって国がある。だから領土を持たない国はない。
そして戦争とはなぜ起きるのかそれは基本的には土地を巡る争いである。ここは私たちの国の土地だという時ほかの国の人たちが奪いに来れば当然戦争になるのである。
なぜロシアが北方領土を自国の領土としているのか。そこはもともと日本の領土なのである。でも日本は戦争に負けたからロシアの領土になったのである。それは理不尽なことなのである。それでロシアとは友好関係が保てないのである。
つまり日本の土地を奪ったのものはロシアだからである。またウクライナ戦争はなぜ起きているのかそれも土地を奪ったということで戦争が起きる。ただそこはもともとロシアだったという理屈で戦争にもなっている。
つまり人間の争いの起こりは土地を巡る争いになる。

日本の国にして日本にしてもやはり戦国時代がありそれは土地を巡る争いから始まっている。入会権の争いがありそれをめぐって山を所有する争いになりそれに大名は応援して戦争になったとかある。
また丸森の木材資源をめぐって米沢藩と伊達藩と相馬藩が争った。これはめぐる争いだったのである。土地もこうして常に争いの元としてあった。だから返って農業社会になったとき争いが熾烈なものとなったのである。なぜなら農業というのは土地なくしてあり得ないからである。

●太平洋戦争も満州に農業するため土地を求めたことが原因

それで例えばなぜ日本は太平洋戦争まで突入したのか。その原因もまた土地にあったのである。何故ならその時農業が主なる産業でありその農業のためには土地を必要としたので。それでその頃日本は島国であり土地が足りなそれで新田を作るために狭い領土をだんだん畑やら海側を干拓してた田にしたのである。それも限界がありその土地を求めて満州まで進出したのである。そこには広大な土地があり農業するにはその土地を手に入れればいいとなったのである。

だから農民は満州のような寒いところでも米を作るために努力したのである。それはそのとき農業が主な産業でありその農業をするためには土地を必要としたからそうなったのである。
結果的に日本はその土地を手に入れるために満州を領有したのだがそれがかえって災いとなり戦争で300万人も死んだという犠牲を払ったのである。太
太平洋戦争の原因は主なものはやはり満州に進出したことにあった。それが仇あだとなってついにはアメリカまで巻き込んで大敗北となり300万人も死んだのである。
そして今回のイスラエルの問題もやはり土地争いが原因になっているのである。イスラエルはすでにパレスチナ人がそこに住んでいたのだからそこにユダヤ民族が入ってきてそこが自分たちの国だだからパレスチナ人は邪魔だとなってしまったのである。
その理由は2000年前にイスラエルの国がローマ帝国に滅ぼされユダヤ人が離散したことである。そしてイスラエルはアブラハムは約束の神から約束の地として与えられたものである。そのアブラハムを祖とする宗教がイスラムキリスト教ユダヤ教でありキリスト教でありイスラム教なのである。その三つの宗教の聖地がイスラムなのである。

●なぜ遊牧民にエホバが現れたのかー土地をもたなかったから

神が現れたのは遊牧民だったのである。羊を飼って一定の国をもっていない遊牧民だったのである。遊牧民から生まれたのが一神教の信仰である。それでイスラエルに対しイスラエルに関して誤解しやすいのはイスラエルとは砂漠でありその生活の基本は羊を飼うことである。
またラクダなどが泊まる隊商宿代わり砂漠の中で生活できる人たちだったのである。
ではなぜ砂漠で生活する遊牧民に神が現れたのか
それは人間というのは土地を基本にして生活している。だからこそ土地が最も大事であり命ともなる。でもなぜ農業している農民には神が現れなかったのかとなる。

 カインは農耕を行い、アベルは羊を 放牧 するようになった。 ある日2人は各々の収穫物を ヤハウェ に捧げる。 カインは収穫物を、アベルは肥えた羊の初子を捧げたが、ヤハウェはアベルの供物に目を留めた
バウルは乾燥している地域では農業に携わる人々から豊穣神として崇められた

農業が一神教のエホバから嫌われたのか、そしてその神を偶像を神の敵対者にしたのか?
そこに共通しているものは何なのか。つまり農業は土地を元にして土地から離れることはできない。だからこそ土地にこだわらない羊を飼う遊牧民に一神教のエホバが現れたのである。

そしてキリスト教でもこの世にいることは異邦人であり一時仮の宿なのである。それは遊牧民なら生活上肌で理解する。この世は永住する場所ではない。本当に永住する永遠の都はこの世にはないのである。そのためにその教えを伝えるのは遊牧民が適していたのである。
だからなぜイスラエルに今また深刻な争いが生まれたのか。それはまさに2000年間も世界を流浪したユダヤ人が国を持たない為に起きた事件でもある。ユダヤ人にとっては国を持つことが悲願でありその国とは2000年前にあったイスラエルなのである。そのことに執着した結果としてそこにはすでにアラブ人が住んでいて土地をめぐって熾烈な争いにもなったのである。
ただユダヤ人というのはなぜ2000年も国も持たず流浪してそれなのに強い勢力を持っているのかということである。
そしてなぜユダヤ人は優秀なのかということである。ノーベル賞の2割がユダヤ人でありグーグルとかフェイスブックとかの創始者はユダヤ人でありまたメディアはユダヤ人が経営しているのである。

つまりユダヤ人は滅びていない。土地を領土がないのに国もないのに滅びていないのである。それはユダヤ人は神に選ばれた民族であり選民であるから神は保存して残したともいわれる。聖書での記録ではヘブル人は神に選ばれた人たちであり神に守られているとされる。聖書では必ず神に選ばれた預言者がいてそれは神の聖意お実行するものとして尊ばれたのである。キリストもうその預言者の一人なのである。
ただキリストが出現することによってエホバの信仰はユダヤ民族だけではない世界中の民族に平等にもたらされるようになったのである。だからユダヤ民族だけを特別な選民として神が助けるということは必ずしもなくなったのである。
そもそもは神はこの世に神の国を作らない。もし土地に根ざして神を作れば神の国を作ったとしてもその土地をめぐって国々は必ず争うようになるからである。イスラエルもカナンの地とはあくまでもそれは天の神の国を目指すものとして象徴として与えられたものであり本物の神の国はこの地球には作れないのである。だからこそこの世では必ず土地を巡った争いが終わることなく続いている。その土地から離脱しない限りおそらくこのように永遠の平和など来ないのである。

ただいずれにしろユダヤ人が2000年前にあった自らの土地に帰還するなどということは考えられないのでる。だからこそこれを契機に世界動乱にもなりハルマゲドンにもなるという恐怖にもなるのである。すなわち土地をめぐって争いがありそれがカルマとなり人類最終戦争ともなり人間が滅びてしまうという恐怖にもなるのである。
現代はそうした宗教より人権というのは宗教を超えて重要視されるようになった。宗教が違っても一番大事なのは人権だとなったのである。パレスチナ人が傷つきイスラエル人が傷つきそれを見た時どっちにしろ同情するとなる。それは宗教と関係ないのでそこに苦しみ傷ついた人があれば宗教と関係なく哀れと思い助けるということにことが人権なのである

●宗教の争いの背後に必ず利権争いがある

宗教は関わると例えば日本民族は優れていて天皇陛下は現人神だとかして他民族でも殺していいとかなる。つまりそこでも宗教がかかわるとナショナリズムとなり多民族を殺していいとなってしまう。
でももし人権主義だったらヒューマニズムなら宗教と関係なく他者が苦しみ傷つきそのときは助ける哀れと思い助けるべきだとなる。
だから宗教というのはカルト宗教でもそうだがとにかく自分たちは神仏に守られているとか助けられるとかなってそれがエキセントリックになり争いともなる。
そして土地を持つということはまた権力を持つということにもなる。何か宗教の争いのようにみえてて実際は権力を持つと宗教は必ず争いになる。例えばイギリスのアイルランドでカトリックとプロテスタントは争っていた。でもその原因が宗教の相違というよりカトリック系の人たちが有力な地位に就いているとか経済的に有利だとかってそれが争いの原因にもなっていたのである。そういうことも宗教には多い。

日本でも創価学会の公明党はなぜ国土交通大臣になっているのか?それは枢要な権力なのである。当然それに不満な人たちが出てくる。それは宗教に反対しているというのではなくなぜ得しているのかということだけである。人間はなんでも損得で考えるしそれが一番わかりやすいからである。それでもし宗教で得するとなればご利益があるとなればその宗教に属することにもなる。

だからこそ創価などはその目的は政権奪取であり日本を権力をもち支配することである。そこにまた宗教が関わってくるとややこしいことになるのである。つまり土地から離れて人間がありえないように人間は権力から離れてありえないともなる。もし宗教でも自分たちのにとって利益があり有利だとなればそっち側につくことになる。
つまり宗教にとって何らか権力を持つということは問題なのである。だからこそキリストでも釈迦でも無権力であり食べるものすらなく乞食して与えられたとかなる。それで布教していたとかなる。そこには何の権力もない家すらない食べるものもないそんな状態だからこそ一切権力とは関わらず争いとならないとなる。

だから本当は人間は宗教だったら権力を持つことは危険である。なぜなら人間は宗教というよりその権力に目を付けるからである。その権力を得たいと言うために宗教もあるとなってしまう。そうなっているのは今のカルト宗教である。そこで立派な神殿であれ聖堂であれそういうもので庶民を支配するともなる。だから宗教というのは一つの人民を支配する道具ともなるのである。カルト宗教は宗教を道具にして人民を支配するためにあるからである。

●なぜフランス革命で政教分離になり人権主義になったのか

いずれにしろなぜ宗教フランス革命で宗教は否定されて人権主義になったのかヒューマニズムになった。それはあまりにもカトリックとか宗教の弊害が大きくなったからである。そこで政教分離の法律も生まれた。そういう経過があり宗教は権力と一体化するほど危険なものがないのである。別に何の権力も持たなかった。キリストである釈迦ならそんなことはない。一旦権力を持つときそこに宗教は大きな弊害をもたらすのである。

現実に日本の太平洋戦争でも天皇は神でありその神のために死ぬなら本望だとして日本民族は滅びる瀬戸際でもあったのである。でも私は天皇ではないとして神ではないとして天皇はが宣言したことにより日本民族は生き残ることができたとまでなる。
でも今は人権主義になり国連とかで共同管理するような場所にすべきだと思うのは。ただユダヤ人にしてもシオニズムとかの民族主義が勢力を持つと問題が起きる。もう旧約聖書のように神に逆らう民族は抹殺しろとかなってしまう。それはあくまで旧約聖書時代のものであり今はやはり人権が重んじられることで共通認識を持ち時代である。

エホバは個々人にあらわれるものおであり一国に特別味方したりはしなくなったのである。だから依然として選民思想の宗教であるがある特定の民族とか国とかを関係なくエホバは現れ導くのである。内村鑑三はそのこと言っていた
宗教でも宗派があり対立してそれが利権で争うことになる。その弊害が余りにも大きすぎたからである。だからまたイスラエルでイスラム教徒と戦う十字軍の再現となる。ハマスはそれを狙って攻撃した。それに乗れば世界大戦になるから怖いのである。

●エゼキエル書予言の恐怖

だからイスラエルでも確かにその土地が2000年前に自分たちの土地だったということはわかる。でもそうして土地を持ち国となるときその土地をめぐって熾烈な争いになっているのである。それは個人でも土地を巡る争いというのは熾烈なものになるのである。だからこそイスラエルの国がまた建国したことは意味があるにしても問題だったのである。そこは確かにユダヤ人の聖地でもあるまたキリスト教でもイスラム教の聖地でもある。
宗教でも宗派があり対立してそれが利権で争うことになる。その弊害が余りにも大きすぎたからである。だからまたイスラエルでイスラム教徒と戦う十字軍の再現となる。ハマスはそれを狙って攻撃した。それに乗れば世界大戦になるから怖いのである。

メシェクとトバルの大首長であるゴグよ。今、わたしは、あなたに立ち向かう。わたしはあなたを引き回し、あなたのあごに鉤をかけ、あなたと、あなたの全軍勢を出陣させる。それはみな武装した馬や騎兵、大盾と盾を持ち、みな剣を取る大集団だ。
ペルシヤとクシュとプテも彼らとともにおり、みな盾とかぶとを着けている。
(エゼキエル38章1〜5節)

これを今の世界情勢から見るとはゴグとはロシアのことであり今そこでウクライナと戦争している。またペルシャとはイランのことであり今回のハマスを支援していたとされる。するとこの聖書の予言は今実現されるのかとなる。それも怖い話である。だから2000年後にイスラエルがわユダヤ人国家となることが世界に大きな影響をもたらす。人類滅亡ともなるともなる。だからこそこのイスラエルの問題はいくら日本は離れていても恐怖になるのである。

posted by 天華 at 17:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

秋になり飯館村に行く【秋の風、秋の蝶、実り、秋晴れ、草の花、山津見神社】


秋になり飯館村に行く【秋の風、秋の蝶、実り、秋晴れ、草の花、山津見神社】

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月舘の方へ行く道と迷う

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六本木

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佐須村ーここは実りがないが他ではわずかだが実りがあった

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吾妻嶺の連峰

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山津見神社に行く道にある松^−この松はいい松である


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これは城の原型となっていたのか、城にみえるからである

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家の前畑に老婆や秋の朝
六本木我がまた来たり秋の風
山の上のレストランや秋の蝶
不動なる山を前ににし実りかな

久々に吾妻嶺望む秋晴れや佐須の峠を我が越えてゆく
飯館に一本の松か変わらじや山津見神社へ秋の日行きぬ
この道の家もまれにし遠きかな石一つうもれ秋の暮れゆく
石一つ埋もれてあわれ遠き道我がまた来たらむ草の花咲く
秋の蝶あまた舞うかなこの道の行く人もまれにここはにぎわふ。
飯館の森の深き何鳥や鳴く声聞きて秋になりしも

家の前の畑なら老婆でも庭の延長のようになり仕事ができるとなる。
佐須の峠を久々に超えて吾妻嶺を望む。途中六本の木がある。だから六本木となずける。でも六本木となると東京の六本木をイメージする。ここは全く人もまれにしか通らない道である。
人間はこうしてイメージするとき何か頻繁に情報として入ってくるものをイメージしてしまうのである。

霊山の虹彩館で芋煮を食べ飯館村に向かう。とにかく飯館村は広い。今年は暑くて来れなかった。だからさすの峠を越えて吾妻嶺を見たとき気持ちよかった。
何か飯館村の道の辺に埋もれた石がありそこに草の花が咲いていた。森の中から何鳥なのか鳴く声が聞こえた。
人も石のようにうもれてゆくのかとなる。
それから黄金色に稲穂が実っていた。ただまだ全部ではない。もその実りがあって村も生きるとな。不動の山があり実りがあり人もそこに定着できるのである。ただ飯館村の状態が今どうなっているのかそれが分かりにくいのは飯館村は広すぎるのである。森の中に点々と家がありそこに人が住んでいるのかどうかもよくわからないのである。
立派な家があると見るとそこは電気関係の会社であった。つまりどうしも今の時代農業だけではゆたかになれないのである。ただ賑わっているのは道の駅となっているまあ時間である。そこでは必ずよって休むからである

それにしても栃窪村に熊が出没したのかその注意を呼びかける案内があった。栃窪村で熊が出没したということを今まで聞いたことがない。ただ今日テレビを見たら日本全国で熊が人間の住む場所に出てきている。その数が多いのである。今年の暑さも関係して餌不足で人里に出てきているのである。だからキノコ採りに行って被害にあった人がかなりいる。
だから今年は簡単に森の中とか山の中にはいれないともなるかもしれない。ただこの辺ではめったに熊が出るということはない。でも餌不足でやはり熊が出てきているのだと思う熊
とにかく久しぶりに運動して自転車で運動して気持ちよかった

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栃窪村に熊がでたというのは初めてである。もともとこの辺は熊が出ない場所である

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大倉から佐須村へ行くは橋ができたが車は依然として通れない