2023年10月29日

NHKの放送-絹江さんと春江さん 浪江町津島をあきらめない 【地理がわからないと何でも実感できないー津島の岩の墓】


NHKの放送-絹江さんと春江さん 浪江町津島をあきらめない

【地理がわからないと何でも実感できないー津島の岩の墓】

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津島にあった岩の墓

●隔絶した孤島のような地域

人間は地理が実感としてわからないからそもそもがその土地について理解し得ないのである。一応地図を見る。でも浪江津島となると街から本当に相当に離れている辺鄙な場所である。私がそこでそこに自転車で浪江からも飯館村からも行っている。どっちにしろその距離が相当にあった。むしろそこは三春に近い場所だったのである。だから私は自転車で行けばその感覚で距離を見る。その津島から三春へさらに葛尾村へと通じている。
津島が1400人いたという、村の人口としては一応維持できる人口だったのか、そこは隔絶した村である。

不思議なのは津島から通じて隣の葛尾村の柏原村がありそこがどうも私の祖父が出た地域のようである。なぜなら戸籍に江戸時代のものが残っていて祖父の名はあったからである。私の父親は双葉の新山の酒屋に勤めていた。そして暖簾分けこの地域に移ってきたのである。
だから意外と何か津島に因縁を感じたのである。それにしてもそこはなぜ浪江町に属しているのかわかりにくい。むしろ三春藩へ
近い、津島は確かに古い場所であっても開拓に戦後開拓に入ってきた人があった。だから苦労したので村の人の連帯感が強いということを語られていた。相当に辺鄙な所だから人々はどうしても助け合わなければ生きていけないような場所だったからだろう。
だから地元に帰りエゴマを育てることを始めた女性がいた
ところが土地を除染した後に砂を入れたので育たなかった
その土地はもともと地味豊かな土地だったのである。だからそこで農業を復活するのは至難である。愛着ある家も壊されてゆく

●フィリピン人や中国人の嫁が農村地帯に入って来ていた時代

もう一つ印象に残っているのが中国人の嫁がこんなとこにいたくないと鉈で襲ってきた事件であった。確かにあのような辺鄙な所だとは思わなかったのだろう。今にしてみると補償金も額が大きいから街で暮らすに充分になっていた。とても津島となると復興自体が無理に思えるからである。確かに中国人の嫁も驚く山中でありそれでその嫁は都会で暮らしたいとして夫を襲ったのである。
この外国人の嫁というのはフィリピン人も多い。相馬市の玉野村で牛を飼っていた人が原発事故で自殺して死んだ。その嫁もまたフィリピン人だったのである。飯館村の大倉村を越えたところの木戸木【ことぎ】もやはりフィリピン人なのか外国人の嫁がいたのである。一時農村の嫁不足でそういう外国人の嫁が結構入ってきた時代があった。だからこんなところにもフィリピン人の妻がいたのかとなる。でもすでに40過ぎている。

とにかく人間社会というのは先が見通せない。福島の原発事故被害は大きかったがもし中国人の嫁がその時そこに住んでいたら大歓迎だとなっていたのである。その嫁のことをどうなったかはあとはは報告はない。もしかしたら補償金をもらって街に住んでいるのかもしれない。
現実問題としてそうした辺鄙な山の村は限界集落化している。だから維持すること自体もすでに難しくなっていたのである。それが原発事故となり消滅してゆくようにも思える。ただ補償金は特別多いからそれで困ることはないかもしれない。

●老人は住み慣れた地域を離れたくない

ただ老人は長く住み慣れた場所離れたくない愛着があるということはわかる。でもそのような場所でも生活は成り立たないだろう。飯館村の木戸木などもそうである。町の方に移り住んだ人も多いだろう。この辺では小高すら原町に移り住んだ人が多い。小高なら買い物でも車で原町にいける。でも津島となるとあまりにも遠すぎるのである。だから村を維持すること自体が難しくなっていたのである。

何か奇妙なのは津島で印象に残ったのは墓地を見てそこに岩の墓があったのである。それが何か重々しく貫禄あるものに見えた。それはその辺鄙な村でも土着した先祖の墓でありそれがその墓を残して岩の墓を残して語っているとなる昔を語っているとなる。つまりそうした小さな村では墓でも村を支えた人たちの者でありその村にとって重みがあるとなる。それはその土地と密着して土着していたためなのである。つまり村が消滅することは先祖も死ぬということである。それも意外と深刻なことになる。
墓は荒れ果て先祖も捨てられるとなる。そしたらその岩の墓も存在感を失うのである。
posted by 天華 at 09:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連