2024年01月31日

若気(わかげ)の至りの怖さー三菱重工業爆破事件の犯人桐島聡の一生 【20代で人生の方向が決まる怖さー人生は元に戻せない】


若気(わかげ)の至りの怖さー三菱重工業爆破事件の犯人桐島聡の一生

【20代で人生の方向が決まる怖さー人生は元に戻せない】


菱重工業ビルで74年8月30日、8人が死亡、380人がけがを負う爆破事件が発生。東アジア反日武装戦線が犯行声明を出し、75年にかけて大手商社やゼネコンなどを標的に爆破事件を起こしていった。
その後、一連の事件は東アジア反日武装戦線のグループ「狼(おおかみ)」、「大地の牙」「さそり」が起こしたものであると解明され、主要メンバーが次々と逮捕されていった。

桐島容疑者は一連の事件のうち、75年に発生した銀座の「韓国産業経済研究所」爆破事件に関わったとして指名手配されていた。
それから約50年の間、桐島容疑者は逃亡していたが、2024年1月に急展開を迎えた。

「若気」とは、若い人にありがちな血気にはやったり、無分別であったりする気質を表しており、ものごとの行き着く結果のことを指す「至り」がついて「若気の至り」となっています。

●若きの至りの過ちは一生尾を引く

若気(わかげ)の至りとは誰にでも起こることである。それも起こらないそのこともまた問題かもしれない。若い時から石橋をたたいて渡るように慎重な人間はそれまた問題である。ただ必ず若いときは先を見ず無謀になってしまうのが普通である。この人も左翼であり学生運動をして爆発犯人なったのである。それは飛行機をハイジャックして北朝鮮に逃れてそこに住みついた過激派が居た。

その人たちも北朝鮮に住んで結婚までして子供まで生んでいたのである。そして最後は日本に帰りたいとなった何か北朝鮮でスパイのようなことを政府から命令されてしていた。だから北朝鮮に渡ってもただそうしてスパイにされて利用されるだけだとなった。
でもその若気の至りの怖さはいったんそういう行動をしたらそのまま人生がその行動によって決められてしまったということである。それは熟慮した結果行動したわけでもないまさに若気の至りでありそれが今そのその人が反省していてもすでに50年とかも過ぎていた。その人の人生はすでにその事件を起こした時決まってしまった。一生ただ身を隠して名前もわからないようにして潜んでいたということである。

最後は自分の名を明かして死にたいとなった。やはり何か誰でもない偽名を使った自分に対して自分の名を名乗りたかった。ただそのまま死ねば誰だか分からない闇の中に消えてしまったということである。それにしても40年から50年そんなふうにして自分の名を偽り生きていたということはどういうことなのか最後に自分の名を名乗りたかったというのは偽名を使って生きていてもそのことに自分自身が生きたということもなくなりそれに嫌気が差して自分の名を名乗った。

ともかく若気の至りというのはその時の暴発で終わらない。それが尾をを引くのである。何か性犯罪などでも若い時にありそれも後はどうそのままでは終わらず尾を引くことがある。だから推理ドラマでわはそうした若気の至りで起こしたことを後々まで尾を引いて問題になることをドラマにしているのである。つまり若気の至りでしたことはそのままでは終わらないという恐怖がある。それが一生禍根となってその人を苦しめるということもある。

だから北朝鮮に飛行機をハイジャックして逃れた人たちはもう日本に帰りたいと訴えたのである。それだって40年なのか50年なのかそういう先のことでありでもそのことはハイジャックしたことがいくら若気の至りでもそれをそれが一生を決めてしまったのである。だから若気の至りというのも怖いのである
そもそも人間の一生はその方向は20代で決まる。 20代でその方向が決まってしまうのであるほそして方向が決まってしまうと引き返せなくなるのである。飛行機をハイジャックして北朝鮮に逃れた赤軍派なのかその人たちももはや日本に帰れなくなったのである。つまりいくら反省しても元に戻ることができなくなる。それは若い時に20代で方向が決まってしまうからである。


●親の言いなりになる人生は自分の人生を失う


私は創価などのカルト教団学生時代に運動していたがやめた。でもそれをそこに所属している人は一生カルト教団で終わったのである。その人は子供の時からカルト教団に100%染まっていたからそれ以外の道はなくなっていた。それは親に決められた人生であり親や家族にとっては親孝行な息子として誉められるものだったのである。その人は何の疑いもなく100%カルト教団に染まってそこがすべて人生の全てとなってしまったのである。でも依然としてそのことで悩んだり反省もしていないかもしれない。

確かなことは親のいうがままに生きることではない。そうなった時自分の人生そのものを失うのである。むしろ親とは衝突して争うというのは普通にある。それは常に時代が変わるから親は時代に合わないものとなり世代間の争いが起きてくるのである。だから反抗期になるというのは人間として正常なことでもある。ただ親の言うなりになり生きることは自分自身の人生も失うことになる。でもカルト教団の人は親もそうだし周りの人もそうだとすると自分自身を客観的に見ることはできなくなる。もうすでに親によってその人生もう進路も決められてしまうのであ

怖いのは20代で正規のルートから外れるとそのまま外れたままに一生が決められ。例えばニートとか親に依存して引きこもりとかになっているとそのまま一生ひきこもりになってしまうことの怖さがある。それを自分自身が経験して生きたからである。なぜ新卒が大事なのかというとその時点でその人の人生は決められるということなのである。大企業には入る人と中小企業に入る人とその差がまた大きいからである。大企業でもどういう人を選ぶのか新卒で決めるからである。そのために有名大学に入って入って大企業に入ることが一つの安定したルートとなっていたのである。それから外れると一生は下積み生活をしなければならなくなっていた。それが今変わってきたけども依然としてやはりそういうことが続いている。

ともかく20代頃にその前でも必ず若気の至りがあり過ちを犯す。それは避けられない人生の行路なのかもしれない。その先のことなどわからないからである。先のことを見て行動したりしない。むしろ先のことを考えていたらそんな無謀なことはしないからである。そこに青春時代の怖さがある。また逆にあまりにも慎重だと青年らしくないともなる。青年時代はどんな人でもやはり冒険の時代だからである。そこで冒険しない人間はやはりまともな大人になれないともなる。つまり人間というのは年齢によってそれにふさわしい人となるのがいいからである。ただ青春時代は危険な時代であり暴発する時代でありそこで必ず過ちを犯すのである。それがその時で終わってしまえばいいのだが一生を尾を引くから怖いのである。

●波乱の青春時代に神を知るーあとは知る機会を失う怖さ

だから何度も言っているわ若きうちに神を知れという時最もエネルギーに満ちたときこそ神を知る時なのである。その時を逃すと神を知ることはできなくなるからまたこれも怖いのである。神はどんな人間を愛するのか。過ちを犯さない人間ではない。罪を犯さない人間でもない。完全無敵な人間でもない。品行方正な人間でもない。だから青春時代でもまじめくさって何か過ちも犯さない人間を愛すということでもない。神はあまりにも慎重で冒険をしないような人間を愛さない。何か無鉄砲でもやはり青春時代になればそれは批判も出来ないのである。それよりあまりにも慎重だということは返って人間味がないロボットのような人間になってしまうということである。

いずれにしろ20代とかは青春時代は波乱に富んだ時代である。だから必ず若気の至りになる。でも怖いのはこの人のようにそれが一生を尾を引いて一生を決めてしまうということである。この人の人生は爆破事件を起こした時それでその人生が決まってしまったのである。つまりいくら若気の至りでもそれが一生尾を引いてその人の人生を決めてしまう。
ただ逆に若い神をを知れというときさまざまな波乱の中で20代で神を知らなければ知る機会を失うということも怖い。ただ確かなことは青春時代は誰しも一番波乱に富んでいて何か危険なものであり一生を決めてしまう怖さがある。その方向は20代で決まってしまうからである。そして35歳になるとあとは人生の余禄だという人もいるが現実に40歳頃ですでに白髪がでてきたりするから人間が老いるというのも早いのである。人生の盛りだと思ってたらたちまちその盛りも過ぎてしまって老いに入っていたということになる。

だから一旦社会から外れて引きこもりになったりすると軽い気持ちでなったかもしれないがそのまま一生引きこもりになるという恐怖がある。私の場合はそうだったからである。今はそういうこともできる時代になっていたからである。そんなに長く引きこもりになっているとわ思わなかったかもしれないなやはり20代でその方向が決まりというとき引きこもりになるということもまた一生そうなってしまうという怖さであるである。

だから20代はその方向が決まってしまうから怖いのである。そして決して人生は元に戻ることはできない。人生は一回限りでありまた元に戻って20代に戻ってやり直すということはできない。人生は長いのだから失敗してもやり直せばいいというが一回失敗したらそれをやり直すことは非常に難易度が高くなる。だから20代で失敗して正規の道から外れてしまうと外れたままに一生終わるということである。それが爆破事件を起こした霧島という人の示しているということである。




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2024年01月30日

格差社会の怖さー裕福な人も安穏に暮らせない 【貧しくても助け合った時代ー戦後をふりかえる】


格差社会の怖さー裕福な人も安穏に暮らせない

【貧しくても助け合った時代ー戦後をふりかえる】

社会は経済格差で分断しいずれ社会が破壊されるほどの事件が引き起こされる

日本では本当の貧困のことが分からなくなっている。団塊の世代の子どものときは焼け野原から始まっている。水道もないガスもない電気があっても裸電球一つくらいである。その時車を利用していない。道も舗装されていない。何か運ぶにも15キロも離れた相馬市に梨を売るのにリヤカーを利用していた。運ぶことがそれだけの労力を必要とした。馬車屋などがあって馬車でも運んでいた。
こういう時代は身の回りの物で基本的には自給しないと生活できない。それが江戸時代だったのである。戦後間もなくは江戸時代と変わらないような状態だったのである。農家の肥料は人間の出す糞尿を集めていたのである。

水は近くの井戸水を利用して水道などなかったのである。今でも後進国では水は井戸水から使用するのだがその井戸水を掘り当てる作るのは大変な苦労になっている。蛇口をひねれば水が出るということはなかったから何でも水が必要であり苦労したとなるそれで近くの堀で洗濯をしていたのである

おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川で洗濯

戦後は何もなくなり現実にこれ原始的な生活になっていたのである。燃料は炭でありまだ子供の時山に行って本当に柴とか落ち葉とを集めて風呂の薪にしていた。まずこういう生活は家事に相当な時間が取られる。洗濯板でごしごし洗っていたら相当な手間であり時間もかかる。それで女中と言う仕事が普通にあった。女中が新聞でも募集されていた。それで私の母は東京で女中になったのである。普通の中産階級でも女中2人雇うとかもあった。それだけ女中の需要があったということである。そういう生活からあまりにも変わった結果昔のことが分からなくなったのである。

●戦後まもなくはみんな貧乏で助け合った

ただそういう生活でも何か味噌とか醤油でももらっていたとか貧乏でも人は助け合っていた。また助け合わなければ生きて行けなかったともなる。それを懐かしがる老人もいる。なぜ後進国でスラムに住んでいるような人が生活できるかというとその人たちは貧乏な人が集まり大家族のようになって一つのコミュニティを作り助け合っているからだという。
人間は返って貧乏になれば貧乏な国でもそうして助け合うということがある今はすべて金で片付けるからそういうことがなくなり冷たい社会だともなっている。

戦後間もなくはみんな貧乏であり返って農家では食べ物があり農家の方が良かったとなる豊かだったとなる。なぜなら鶏を飼っていて卵も食べられたし米も野菜も作っているし油まで作っていたとか納豆も自家製だった。
つまり一軒の農家があったとしたらほとんど自給自足であった。燃料は裏の山の木を切って薪にしていた。そこに格差社会はない。格差社会はやはり生活が安定して経済が成長してくると必然的にそうなってくる。すると互いに協力して生活するということもなくなる。裕福な人と貧乏な人が分断されて助け合うことがなくなる

その時どうなるのか

不満な人が裕福な人に対して攻撃してくる。その富でも奪おうとしてくる。だから裕福な人を狙って殺されるという事さえあり得る。みんな貧乏であればそうはならない。そこに格差社会の怖さがある。江戸時代のような身分社会だったらそういうことは起こりにくい。でも戦後民主主義が入ってきた時常に平等だということを教えられてきたからそうしてみんな貧乏になってくると裕福な人はあってはならないものとなる。だから裕福な人はおそわれるようになる

●格差社会も怖さ―裕福な人も安心して暮らせない

それを経験したのは自分自身であった。大した金でもないが遺産が入ったことでそこにその時親の介護とか私自身が病気になり家族自体が弱った時奪おうとした人が入ってきたからである。その時たまたま家に金が置いてあったので盗まれたのではあその人は老人であり年金も少なく窮迫していた。今の老人はとても国民年金とかで暮らしていけないのである。四五万くらいしかもらってない人も結構いる。そんな金でどうして生活できるのかとなる。その四五万もらってる結果として生活できないから生活保護を受けている人がいるがそこでもらえる金は極端に少なくなるのである。

 4万プラスせいぜい1万なのかもしれないなぜそうなったのかといえば4万でも国民年金がもらえば生活保護はそんなものだということでそして病院に医者にかかっても必ず金がとられる。すべて福祉の方で払ってくれるわけでもないのである
だから生活保護をあてにする人はそんなものだということを知らなければならない。それよりも団塊世代の子供の世代である氷河期世代など生活保護すら受けられなくなるかもしれない。国でそれだけの余裕がなくなっているからである。だから2025年問題もあるがその後の氷河期世代が60以上になった時年金もほとんどもらえない活保護も受けられないという恐怖の時代になる。

そして2025年問題というとき70歳くらいなのにもう介護状態にもなっている。歩くのもままならない。息子は52歳くらいでありその人は結婚もしてない。建築土木現場で働いているが収入も少ない。でも親に金がかかってもその金を準備できていないのである。氷河期世代というのは結婚しない人が多く収入も少ない。非正規の人が多いからである。だからこの人たちは数も多く年金などまともにもらえない人が多くなるから2040年問題とかさらに困窮したものとなるから恐怖である。その前に2025年問題がありすでにその問題は具体化している表面化している。

格差社会とは裕福な人でも決して安穏に暮らしてはいけない。それは南米とかで金持ちが周りの塀を鉄条網で囲んで私兵を雇って守らなければならない。子供でもいつ誘拐されるか分からない。とても安穏に暮らせないのである。太宰治の家は大地主であり襲われないように高い塀を作っていたし警察に警護を頼んでいた。
日本ではこれまでアメリカととか比べればみんな平等であり格差もあまりない社会でああったそれは高度成長時代で貧乏な時からみんな裕福になれたからそうなっていたのである。今は貧困化するときそういうことはなくなった。でもいつの世でも裕福な人がいて人はいる

●2025年問題から2040年問題に少子高齢化は続く

とにかく日本社会全体が色々な問題を抱えて安穏に暮らせない状態になっている。少子高齢化もそうであり人手不足倒産が起きてくるということもありうる。あらゆるところで今度は跡継ぎもいなくなり工事関係だとインフレも維持できなくなるとか社会自体が維持できない壊れていくという恐怖はある。私の街では自転車屋はなくなって困っている。

そして何より少子高齢化というのも大問題である。あたりを見れば子供は一人もいず隣は病気になって寝ていて20何歳かの人が孫が世話しているみたいだ。ただその孫はニートなのかもしれない。そして増えるのは老人と病人だけなのである。だから哀れだとして哀れむとしてもこれだけ数が多ければ社会を圧迫して社会自体を崩壊させかねないということである。こういう風にマイナスの面ばかりが見えてくる。何か明るいことが見えてこない。

不思議なのは戦後戦争に負けて焼け野原になってもその時子供の数が多く今の団塊の世代になっている。だから焼け野原になって食べ物もないのに子供が増えていた。だから近くには子供の遊ぶ声は木霊していた。今は近くに子供も見えない遊んでいる子供はいないのである。
杖をついてヨタヨタ歩いている老人が目につくのである。その数もますます増えてくる。そして年金もわずかであり食べるものもやっとだという人が増えている。その負担がまた若い人に押し付けられて若い人たちは老人は自殺しろどこまでになってしまうのである。

それはあまりにも老人が多く子供とか働き盛りの人が減ってしまうからである。その減り方があまりにも大きいものとなっているからである。だからそもそも日本の社会が維持できるのかと言う不安にもなっている。それは団塊の世代が死んでもう次に団塊の世代の子供たちが高齢化してくるから高齢化は解消できない。だから当分はその老人をどうするかとなる。哀れだということは分かっていてもそれを支える人もその負担も荷重になって支えきれないとなってしまう。

とにかく70すぎると大概何か持病を持っている。その健康格差大きいと思った。 73歳ぐらいで脳梗塞になった女性は歩くのもままならず杖をついてやっと近くの店まで歩いて買い物しているその息子は50歳位だが母親を支える収入もない。またこうして40から50代でもらいでも結婚してない人が本当に多い。その人たちはいずれどうなるのだろうとなる金もない助ける人もないとなってしまうかもしれない。だから団塊の世代より深刻なものになるかもしれない。その人たちを支える若い世代は少子化であり支えきれないとなってしまう。

 2025年問題からさらに2040年問題とこの少子高齢化は続きさらに悪化して行くからである。何か明るい未来が見えてこないのである。ただ団塊の世代とか今になって苦しいとしてもいい時代を生きたとなる。戦争で死んだ人たちも前の世代にあったのだから平和な時代に生きてそれなりに豊かな生活をできたから満足だったと思う。ただ人間は時代によって幸不幸がありそれがそれはどうしようもないことである。戦争で死んだ人は若い人でも多かった。その時若い人が犠牲になったのである。だから今戦争ではないが今の若い人たちはそんな時代に生まれたのかとなる。それも不運なのかどうしようもないことなのか諦めるほかないのかともなる。
posted by 天華 at 20:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2024年01月29日

冬の暮ー近辺の空き家空き地化した短歌 【そのあわれ無常の短歌】


冬の暮ー近辺の空き家空き地化した短歌

【そのあわれ無常の短歌】

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この土地も狭い、だから買う人がいるのかとなる。小松一本が残っているのもあわれだとなる


家の跡小松一本冬の暮残りであわれ誰か住みなむ
人の世の変わるものかも隣屋の更地となりて冬の暮かな
わが町の自転車屋一軒なくなりぬまた働きしと人死者は思わむ
只野氏の族(うから)住みにし祭る人死してなしかも年は明けしも
この地にそ建具屋住みぬ誰か思ふ知る人もなく空地となりぬ
人生きて何を残すや知る人の家も空き家や誰か訪いなむ
わが母の通いし医院残されじ跡形もなく壊されけるかな
狭き部屋市営住宅住む人の体弱りて冬の暮れかな
地震にて一部壊れしその家の直す人なし冬の暮れかな
幾ばくの命にあれや隣なる人も病や冬の暮れかな
猫一匹切なく我に餌求むあわれやここに生きなむ
働けどむなしくなりぬあわれかな体効かじと大工嘆きぬ
上を見て負けじと働く人にありそれも虚しく老いにけるかな
我が家の姉の強きも弱り死す人はみな弱り老いて死にあわれ

この辺の周りを見たらこんな状態であった。空き家空き地化したのである。近くに医者がいたがその人のことは常に話題になり語られていた。でもその人を知っている人もう死んだ人が多くその人について全く語れないということは不思議である。その医者は口が悪いが腕はいいとして繁盛していたのである。私の家族も世話になったのである。でもその医者は死んでその一人息子も東京にいて死んだという。。そして家が残されているのだが空き家となっている。前の地震で屋根なども壊れているわ直されていない。。

なぜなら残されていた息子も一人息子も死んだ。その孫もここには住んでいない。だからその空き家その家は空き家となって放置されているだけなのであるその家は金持ちだから家も立派であり庭もある。色々な木が植えられている。だからもったいないと思う。他にも立派な庭がある家があればそこも空き家になっている。誰もいないのでその庭をドキドキ見る。立派な石がありその庭は相当に価値がある。ただ家は古くなって価値がない私は石に興味があるのでその庭にはもったいないとみるのである

この辺は南北朝時代に霊山から落ちのびた侍の子孫の只野氏が住んだ地域である。だから只野の姓が50軒もある。只野氏一族が住んだ地域だとなる。それにしても空家化して空地化してゆく。もう一軒近くに医院があった。それも完全に壊された。そこに私の母が通っていた。その医者は親切だとして通っていたのである。

ともかく私の周辺を見ても本当に空家空地化してくる。これはここだけの問題ではない。日本全体が空家化空地化してくるのである。その数も1000万軒になるとか日本自体が少子高齢化になり跡継ぎはいなくなったり人手不足にもなる。だから日本の未来はどうなってしまうのだろうかと現実的な身近な問題として誰しもが感じることなのである

物のあわれは、仏教の「慈悲」という概念に近いとも言えます。慈悲とは、自分だけでなく他者の苦しみをも救おうとする心情です。物のあわれを感じる心は、自分と他者との境界を超えて、すべてのものに共感することができると言われています。物のあわれ哀れは、仏教の「無常」の観念を日本人の感性や文化を通して表現したものと言えるでしょう。

ここに私が短歌にしたのはまさにもののあわれである。もののあわれとは生けとし生けるものへの愛であり慈悲であるとなる。でもなぜでも哀れと感じるとき何か強い人とか権勢を誇るものとか金持ちとかには大金もちとかには感じない。哀れと感じるときはそれは弱い人に対してなのである。もう一つはこの辺がこの周辺が空家化空き地化して感じたことはそこに住んでいた人も無常化したということである。そこにいくら権勢を誇っていても虚しくなっていたということである。だからその無常が哀れとなる。強い時は哀れと感じないのである。

でも結局人間はみんな年老いて病気にもなる。だからみんな哀れな存在なのである。そして最後はその後は死んだ後は空き家空き地化しているのである。そこにただ無常感じるのである。どんなに権勢を誇っていても人間の最後は皆死んで残すものとて空き家となり空き地となりその人のことも語る人もなくなってしまう。それが人間の無常なのである。

ただ日本人のあわれは慈悲とかゆ高等なものではない。あわれという時植物にも感じるからである。花でも咲いたとしても枯れてしまうからである。木ですら根を張って成長してもいずれは枯れて死んでしまう。だからどんなものでも生けとしとし生けるものにあわれがあるとなる。
キリスト教でもやはり弱者への愛があり弱者は哀れな存在となるからそこに愛がそそがれる。貧しき者は幸いなりとか悲しむ者は幸いなりというとき哀れなものに愛が4注がれるからだともなる。それは乾いた大地に降る雨のようなものかもしれない。それは慈雨ともなるのかもしれない。満たされている人はあわれまれることはない、だから愛が注がれることもないともなる。でも人間は結局いくら強い人でも最後は老いて病気になり死んでしまうから哀れな存在なのである。。






2024年01月28日

老後の金の計算ができない―利子がつかない銀行の役割は何なのか 【常に時代も変化し予測できない―貧乏人も海外旅行できた円高の時代】

老後の金の計算ができない―利子がつかない銀行の役割は何なのか

【常に時代も変化し予測できない―貧乏人も海外旅行できた円高の時代】

●日本は貧乏になって老後の金の心配が尽きない―銀行に預けても安心はない

老後の生活費が2000万円足りないといった試算が出て毎月10万円ずつ貯金しても20年間もかかってしまいます。毎月10万円の貯金なんて相当に頑張らなければできないですし、それを20年間も続けても、老後はギリギリで生活できる水準にしかならないのです。

日本でどんどん増える「中間層」からの脱落者…「貧困層」へ落ちないために、いまからできる現実的なこと

なぜ金の計算ができないのか。十年先くらいはなんとか計算できるかもしれない。それにしてもその十年の間に何が起きるか分からない。株の暴落だってあるし最近だと預金封鎖があるとかそんな話しかない。銀行に預けても利子はつかないし返って手数料が取られるだけだとなる。それで高度成長の時代には利子が7%の時代があった。今は1%もなく0.01%とかそんな時代である。利子はほとんどつかない。そしたら何のために銀行に預けているのだろうとなる。銀行に預けるとマイナス金利であり返って手数料を取られるだけだとなる。そして銀行員も苦しいから投資信託などを進める。でもそうした金融商品というのは分かりにくいのである。

そして銀行というのはもともと株とかしていないからわからない。株のことなど素人なのである。だから適当にあたりばったりに金をつぎ込んでいるだけである。それでリーマンショックで半分になったインデックスの株が上がり始めた時説明もなく勝手に売ったのである。その人は強引なところがありそうなった。私はその時疑問だったが勝手に説明もなく売ってしまったのである。

そのインデックス株をもっていれば今の倍の収入にもなったかもしれない。こんなに株が上がるとわ思わなかったからである。だからそれは自分自身の責任もあるが銀行の責任もあった。地銀などは株のことなどほとんど素人である。ただ投資信託であれ手数料が3%とか入るから損はしない商売なのである。そもそももし株で儲けられるとしたら銀行自体が株に投資してもうければいいことである。でもそこで損したら銀行自体の損になるのである。だから客の金を利用して投資させてそれで手数料を稼ぐ。

それは絶対に銀行は損しない

株はリスクがあるから元本割れもありますとか損しますとか言うがそれを売る銀行は絶対に損はしないのである。だからこれほどいい商売はないのである。だからそもそも銀行とは何なのかとなる。特に地銀とは何の役割があるのだろうと今になると疑問になる。細かい金の出し入れは今や銀行は不便であり通信関係の銀行など時貯金しててそこから出し入れをすればいいとなる。だから銀行というのは今店を構えていても人の出入りは非常に少ないだからそういう店を構えているとお金をかかるだけであるとなる。金の出し入れなら通信関係の会社に頼めばいいとなる。

そもそも銀行とは何で儲けているのか。銀行の仕事は何なのか。いったい客から金を集めてそれをどう利用しているのか。それがよくわからない。お金を預ける方にしてみれば銀行は今やただの金庫なのかどうなの。なぜなら家に置けば盗まれることがあるから銀行に預ければ盗まれないから安全だとなる。でももし金庫だけならそんな仕事は誰でもできるだろう。そもだから銀行とは何をする場所なのか会社なのかそれが今問われているのである。

●銀行の役割が問われている

それはゆうちょ銀行でも投資信託などを売ってそれが騙しということで問題になった。また農協でもアメリカの危ない会社に集めた金を農民から集めた金を投資しているという。だからその会社は危険であり大損になるかもしれない。でも金を集めてそれを増やす方法はないからそうなったのである。ただ銀行でも農家に協力して有機栽培の米作りしてそれを販売することを援助してそれで儲けたという報告もあるもうある。そんなことで銀行に嫌気がさして農業に従事したという人もいる。何か仕事として手応えがないからそうなったのである。

それにしても日本は失われた30年があり賃金は上がらない物価は上がる年金は足りない税金ばかり取られる。そして退職金も500万も減らされているという。私の家族は公務員であれ退職金をもらったがそれは1300万くらいだったようである。今は2000万以上になっている。でもその当時の1300万は利子が5%とかつけば10年でその倍になっていたのである

だからみんな貯金したのである。面倒な投資とかにかかわる必要もなかったのである。そして銀行でもお金を集めてそれを借りる人がいるのだからいい商売だったのである。それは失われた30年があり利子はつかないマイナス金利にもなっている。だからなぜ銀行に金を預けているのかもわからない。銀行の役割はなんなのだろうとなる。地域経済を活性化するために預けた金を使っているのか。それもよくわからない。そういう報告も調べられないからである。でも銀行の収支決算見るべきだろうともなる。預けた金を何に使い何で儲けているのか。それを見るべきだと思う。こんなことを今まではする必要もなかった。要するにそれなりの利子ががついていればそんなことを調べる必要もなかったのである。

いずれにしろいくら金の計算をしてもできない。毎日の金の出し入れは1000円2000円でありそれを計算すれば一ヶ月いくらかかるとか日一年でどれくらいかかるのかとか一を計算できる。でもそれが一年後でもさらに十年後にどうなる十年ごとになると計算できなくなるのである。なぜなら70過ぎたら十年すぎたら死んでいるかもしれないからである。また不慮の事故とか自然災害とか予期せぬ出来事が起きて金は必要になり金が出る。

だから十年後になるといくら金があっても金の計算は出来ないし不安は解消できない。もし高度成長のような時代だったら何の心配もなかったかもしれない。なぜなら1000万あったとしたらそれはすでに2000万の価値があったからである。今になると1000万あったとしてもその価値は500万くらいになっているのである。それより預金封鎖があって貯金は国に没収されるとかそんな話ばかりがあるとき金には何か価値を見いだせないのである。

●円高で貧乏人も海外旅行できた時代

とにかく日本円の価値は相当に下がっている。こんな円安を経験したことないからである。十年前とかでも一ドル110円とかであった。そのくらいだと海外旅行も楽にできた。それで意外と貧乏人が海外旅行していたのである。フリーターとかでも旅行して海外旅行していた。ヨーロッパでも横旅行していたのである。それだけ円高だったからである。だからバックパッカーとかになりもう百万もあれば若い人なら世界一周もできたかもしれない。若い人は安く旅行できる。それは体力もありまた外国でも適応力があるからそれができるのである。

私の場合はバックパッカーになって外国を回ったのは50すぎていたのである。その時私は常に貧乏であり外国でも節約しなければ旅ができないと思っていたのである。だから相当な金を持って行ったがそんなに金は必要ではなかった。だから百万持って行ってたして50万くらい残っていたのである。それだけ海外旅行というのは一ドル110円くらいだとそうなっていたそれより一ドル80円とかにもなっていたからそれをそれを知らないで節約した旅行をしていたのも失敗であった。私は日本での金の価値を外国にも同じように計算していたから失敗だったのである。

ただ中国で8000円でホテルに泊まったことがあった。それは夜になり泊まる場所がなくてそうなった。普通バックパッカーなどそんなところに泊らない。当時の8000円というと中国で計算したら十万くらいになっていたかもしれない。それくらいの高級ホテルだったのである。中国だと100円200円でも泊まれるような場所があった。それは中国人の貧乏人だとそういうところに泊っていたらしい。中国というのはそうして高いところもあれば極端に安いところもあり貧乏人をその安い所を利用して生活できるのである。

だからそういう貧乏人も中国だったら旅行旅行で来たのである。他でもカンボジアあたりに行ったら五ドルで女性が買えるとかそんな値段だったのである。そんなところで外国人が日本人でもたむろしていた。私はそんなことは関係していない。そして今逆に日本が安い安いと外国人が貧乏人でも入ってくるということである。それもやはりカルマだったのである。だからつくづく人生というのはその時々にやるべき事やるべきことがありそうしないとたちまち年を取ってできなくなる。もはや今になると貧乏人は外国旅行は高嶺の花だとなってしまったからである。

ともかく貧乏人でも海外旅行で来た。ヨーロッパでも旅行できた時代が今や貧乏人はとてもできない。これは相当に損な事になった。なぜなら旅でもいいから外国じかに接するということをそれだけ価値があることだからである。もし私がその時海外旅行していなかったらもはやできなかった。なぜなら親の介護でその後四苦八苦して十数年が過ぎてしまったからである

●時間はすぐ過ぎるからその時々するべきことしないと大損

このように人生というのは何かすべきとすべき時しないとあとは永遠にできなくなってしまうということが怖いのである。信仰にしても若き時神を知れというように20代で神を知らなかったらあと知ることができないとしたらそれは恐るべきことになる。
でも人生にはそういうことが多い。なぜなら時間というのは常に過ぎ去って行き老人になるとあっという間であり後は死ぬだけだとなってしまう。だから時間はいつまでもないし何かをするにしてもチャンスを逃したら永遠にできなくなるということである。だから金がないから海外旅行はできないと私は思っていた。でもそのときは円高であり別に貧乏人でも海外旅行ができた時代だったのである。だから今の若者は不幸だと思な。逆に外国に出稼ぎに行って金を稼いでいるという時代にもなったのである。

ともかくこのように金の計算ができない。未来は予測できないからできない。金の価値は常に変わっているからである。あらゆるものの価値はまた変わっていく。海外旅行する経験というは相当に価値がある。なぜなら海外旅行というのは戦前であれ戦後間もなくであれ特別選ばれた者しかできなかったからである。特にヨーロッパとかなると相当に高価なものになっていた。航空運賃だけで50万くらいするのが普通だったからであるそしたらその当時の金の価値で計算すれば今なら百万くらいしていたかもなるからであるそれで自分はとても海外旅行はできないと思っていたのである。

それで思い切って50過ぎても海外旅行にしたのはどれだけ得だったかわかる。なぜなら今になるととても海外旅行する気力もなくなったからである。だから人間とは金の問題もあるが何かするにもできる時しないと永遠にできなくなってしまうのである。それは登山でも言える。私は体力がないので40ごろまで登山者があまりにもきついのでやめた。それで自転車旅行になったのである。自転車旅行ならいつでもどこでも休めるし食べるものも手に入ることができるから意外と楽だったのである。でもこの自転車旅行も20代の頃自分にはできないと見ていた。それもそう見ていたことが失敗だったのである。

人間の見逃していることがこの時間を有効に使えないということである。確かに金の問題もあるわその前に何かをする時間が消失してしまうということである。海外旅行でもフリーターでも貧乏人でもできた時代はもはや過ぎ去った。だから今の若い人は不幸だともなってしまうのである。それも時代だからどうしようもない。戦争の時代はいやでも戦争に行ってそれで死んでいる人もいるからである。時代時代によって幸不幸が運不運がある。

とにかく金にしても十年先であれ計算できない。いくら貯金していても安心な人はいない。預金封鎖になったらいくら金を持っていても金は紙切れになってしまうのである。私の母は前の夫が事故で死んで一生暮らせる金をもらったがその金も戦後に預金封鎖があり使えなくなったのである。ただわずかに故郷に買った土地だけが残ったのである。だからいくら貯金があってもそれは紙切れであり価値なくなってしまうかもしれないからである。つまり人間というのは人生でも一定してない変転するのであるこの辺を見ればわかる。原発で裕福になった人も多いが事故になって故郷にすら住めなくなった人も多いからである。それより津波で村ごと消失してしまったという信じられないことを経験したのである。




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2024年01月27日

地理はまず自然的境界を知る 【日本の境界と川が境界のヨーロッパとか大陸ー地歴を知る】


地理はまず自然的境界を知る

【日本の境界と川が境界のヨーロッパとか大陸ー地歴を知る】

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関ケ原は風とかの影響でも雪が積もりやすい場所だった

●関ケ原が東西の戦いの場となったのか?

境界という時最初に自然的境界を見ることである。なぜ関ヶ原天下分け目の戦いの地になったのか。それは関ヶ原が東と西を分ける境目になっていたからである。関ヶ原は天気の解説でも風がそこに吹いてそこはちょうど吹き溜まりのようになっていた。だからそこは雪がかなり積もるところなのである。
それで私は何回も電車で関ヶ原を通るので経験している。そこはいつも春でも雪が残っていたのである。でもその関ヶ原を琵琶湖のある近江に入るとそこにそこは春めいた穏やかなものを感じた。それが印象的だったのである。平野が広がり田んぼには蓮華咲いて近江富士(二上山)見えた。何か春の山が見えて関ヶ原を境にして西になりそこは春だったとなる。
また琵琶湖の西の高島町ににいた時関が原のところから秋の朝日が昇ってきた。それも何か不思議だった。東というとき東(あずま)なのだから当然東から太陽が昇ってくるからそうなる。

そして私がその朝日を見た高島は西でありその西の方に太陽は沈ものである。だからそのそこに太陽が沈むのを観ていないが太陽は昇る方向と沈む方向は知るべきだとなる。
山に囲まれていると山から日が昇り沈むから山に沈むから常に海に面している太平洋に面して海から太陽が昇るのを見ているのと感覚的に相当に違ったものになる。

ともかく地理を知る時境界を知ることが大事である。地理を知るにはまず自然的境界を知ることである。現在では交通が発達して境界が感じにくくなっている。電車で行けばそこに峠を越える感覚がなくなる。すると境界もわからなくなるのである。それでトンネルを長いトンネルを抜けると雪国だったとなるそれはトンネルが境界となっているだったからである。宮城県から仙台市から山形へ行くとき面白山がありそのトンネルは長いからそれを感じたのである春でも雪は残っているからである。

●日が昇る国の天子(てんし)から日が沈む国の天子にの意味

だから旅するときはどの方向から太陽が昇る登り沈むのか注意して見る必要はある。それで地理の感覚をつかむのである。それでアメリカに行ったときカリフォルニアの海岸に太平洋に日が沈んでゆく光景はこれも不思議だった。太平洋というと常にそこから日が昇るものだと認識していたからであるそれでの中国に渡った遣隋使の日昇る国から日の没する来たという挨拶をしたのは別に中国を蔑視しているからではない。それは地理の基本的な感覚でありそれを正直に言っただけなのである。

607年、聖徳太子は中国を統一した隋に、小野妹子を使者とする遣隋使を送りました。
ところが隋の皇帝・煬帝(ようだい)は、妹子から渡された外交文書を読んで激怒します。
そこには「日が昇る国の天子(てんし)から日が沈む国の天子に文書を送ります」と書いてあったからです。

これはただ方向を言ったものであり中国を貶めることでもなかった。太陽が昇る方向と沈む方向が地理の基本にあるのでそう言っただけである。
ただ自然的境界といってもなかなかわかりにくいものがある。わかりやすいのは関ヶ原とか山形県と宮城県の境である。なぜなら面白山トンネルを抜けると山寺に出て山形県に入るからである。その時もやはり山形県だと春でも必ず山は雪になっている。山形県は雪深いところだからそうなっている。それはまさに自然的境界が分かりやすいということである。宮城県とかは海側に接していればほとんど雪も降らないからである。

ただ自然的境界にしても現代ではわかりにくくなっている。それはまた電車で行くと峠などを超えるということもないからそうなる。福島県の浜通りでも私の住んでいる相馬地域でも飯館村になると標高が高く自転車で行けばかなりの坂を登り続けなければならない。だからそこで境を意識するのである。それで山の多い日本は峠が多いから峠という国字なのである。
もう一つ境と言う時岩手県の境には区界(くさかい)がある。そこも標高が高く雪が溶けず雪が厚く積もっていた。だから岩手県でもそこが境界となり地理を知る目安となる。

●外国ではヨーロッパでは川が境界となる―ライン川を知る

外国だと境界となるのは川である。外国の川は長大ありその川を境にして別の国にもなる。ドイツの父なる川はライン川でありそれはローマ帝国が侵略できなゲルマン人の住む地域との境になっていた。その川を挟んで民族も言葉も文化も気候違ったものになっていたのである。なぜフランスとドイツは違った国になっているのだろうか。それはラインのを挟んで気候も違っていて歴史も文化も違ったものになったのである。

もう一つはフランスは地中海に接しているということでドイツとは違ったものになった。確かにランドパワーであっても地中海に面しているということで梅にも開けた国となっていたからである。マルセイユはギリシャの植民都市から始まっているからである。ドイツはライン川の河口自体がオランダになっている。直接海に通じていないのである。

大西洋に向かう西側の地域では都市の繁栄を土台にして国家が形成されたのに対し,内陸に向かう東側では都市の発達が弱かったにもかかわらず強力な国家が形成された.そこでは,国家形成の
ライン川流域における近代国家の成立ための資源が,一方の貨幣を媒体とする活動か,あるいは他方の農作物ないし賦役のいずれから主として調達されたか,という違いがあった.また,この中央の都市のベルトに沿って南に下れば,ローマ教会がカトリックが普遍世界の中心として影響力を保ち続けたのに対し,北方では宗教改革以降に置かれた国境界が,ラテン語に代わり各地に土着する方言を媒体として国民のアイデンティティを培養していった

ライン川流域における近代国家の成立
平 島 健 

ルターの宗教改革がカトリックを批判してしたそれはラテン語で書かれた聖書を読んでいたがドイツ語に翻訳してしたことでドイツの国民にドイツ語で読まれるようにしてキリスト教を広めた。そしてカトリックに反対するプロテスタントが生まれたのである。

ルターは新約聖書をギリシャ語からドイツ語に翻訳した。彼が聖書を翻訳した目的は、民衆の聖書や信仰への理解を深めるため。ラテン語・ギリシャ語などで書かれた聖書は聖職者や一部の学者しか読むことができなかったからだ。1522年に初出版したルター訳の聖書は、近代ドイツ語の統一に影響を与えた。

●テムズ川の岸のベンチに座って思ったこと

大陸では川が長大であり運河のようになり交通路になり船が行き来する。結構大きな船でも行き来する。だから船の技術が発達したともなる。それは地中海でもそこで航海するから船の技術が発達した。それが後に大西洋に出てアメリカを発見したりアジアまで大航海時代を築いた元になったのである。やはりそうなったのは地中海がありそこで船の技術が発達してやがて大西洋を越えてアメリカを発見したとかになった。だから地理というのはいかに歴史とも深く関係して地歴となったのである。

また川というのは大陸の場合イギリスでもテムズ川があり長大なのである。その河口も広く船が停泊している。河口が港にもなっている。それでテムズ川の岸辺のベンチに座ったとき何とも言えぬ感慨を覚えたのである。そのベンチも古く歴史を感じたのである。とにかくヨーロッパだと中東でも紀元前からの歴史があり必ずベンチ一つでも歴史を感じるのである。大英帝国の船がこのテムズ川の河口から出て行ったということで日本の川とは相当に違ったものを感じたのである。
ヨーロッパでも川は長大でありその河口も大きいのである。それでセーヌ川でもその川をのぼってバイキングが攻めてきたというときその川は大きな船でも昇ることができたということである。
オスマン帝国でもドナウ河に合わせて細い船を作り攻め上ったのである。

遠い昔、北方のヴァイキングは、海からセーヌを遡ってルーアンを、そしてパリをも征服しようとしたほどですし、ルーアンのセーヌ沿いの港は今でも物流の要であり、海洋大型船もこのルーアンまでは川を上って来られるのです。

夏のセーヌ川に舞う帆:フランス・ルーアン「アルマダ」紀行

エスチュアリーは比較的水深が深いため船が入り江の奥まで進むことができ、ヒトや物の移動が楽に行えます。

イギリスのテムズ川はエスチュアリーを形成し、ロンドンと言う大都市を後背地に持つと言うことができます。後背地と言うのは経済活動が港と密接な関係がある地域の事です。ロンドンはテムズ川によって発展した都市ということになります。

エスチュアリーの特徴:大都市が形成されやすい

ここにテムズ川が川の形成のされた経過は海面が上昇したとかで他の扇状地形とは違った成り立ちがあり河口が広いとなる。
それで私はテムズ川の川河畔のベンチに坐っていた座った時何とも言えぬ感慨を覚えたのである

春寒しベンチの古りて泊まる船
春寒し石に紋章夕日さす

そのとき春であったがイギリスは寒い。それはパリでも寒かった。そこで冷たい石に何か歴史を感じたのである。ヨーロッパはどこでも歴史が古く歴史を感じるのである








2024年01月26日

冬の鳥【ホオジロ,アトリ、シメ】白鳥、蠟梅の写真と俳句短歌


冬の鳥【ホオジロ,アトリ、シメ】白鳥、蠟梅の写真と俳句短歌

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一羽はホオジロ

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これはアトリである,シメと似ているが違っている
この鳥は群れる鳥である

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これはシメである、これは群れる鳥ではないようである


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冬の鳥見分けて名前我が知りぬ
吾が追いぬ枝から枝へ冬の鳥
枯木にそアトリ集いて今日暮れぬ

蠟梅の咲き開くもなおあまた蕾開くや長寿の国
白鳥のかなた一群れ飛び去りて空の青しも
我がおりし部屋に百歳母は生く蠟梅咲きて我も生きなむ

今日見た枯木にとまっていた十数羽の鳥はアトリなのだろう。まいに取ったシメの写真をとったが嘴などは似ているが今回見たのは間違いなくアトリである。鳥の名前を知ることは結構難しい。また写真を撮ることも難しい。冬は葉っぱなどがないから鳥が見え見えやすい。真野川のサイクリングロードには枯木がありそこにいつも鳥が来ている。だから写真が取りやすい。新しいレンズも中古品で買った。レンズは中古品で買うのがいい。このレンズでも新品だと十万くらいしているな二万7000円くらいで買ったからである。別にレンズは新しいものでなくてもいくらでもいいレンズがある。なぜこんなにレンズが多いのかということがわからない。

鳥を撮るのが難しいのはすぐ飛んでいなくなったり飛んでいる鳥を撮ることはさらに難しい。白鳥の群れが空高く飛び去っていった。それを一瞬写真に撮ろうとしたがとれなかった。今度のレンズは自動的に焦点が合わない。手動で合わせなければならないから瞬間的に鳥が飛んでいるものをとるのは難しい。写真を撮るとき定点観測するのはいいが旅などに出ていい写真を撮ろうとするとなかなか難しいとなる。バードウォッチングでもやはり定点観測であり適した場所がある。そこに毎日行けば必ず鳥が見れるのである。

庭に蠟梅が咲き始めた。でもまだ蕾が多いから全部咲くのはこれからである。この蠟梅は長寿の花かもしれない。私の母はこの部屋で私が介護して百歳で死んだのである。そこで百才の間とした。私ももし百才生きるとしたらあと20年以上もある。それだけ生きたら充分だとなる。ただ別に百歳はこれから相当に増えてくる。百才は珍しくならないならないかもしれない。

人間はつくづくもし百歳生きたとしても短いと思ってしまう。何かあっという間に時間は過ぎてしまったとなる。 20代くらいまでは何か時間が長く感じられた。でも30過ぎると時間が過ぎるのが早くなる。そして人間というのは30歳である程度決まってしまう。 35才以上は余禄だとか言う人もいるから確かにそう感じる。なぜなら40で既に白髪が入ったりするからである。 40になると50もすぐでありたちまち老人になっていたのである。だから百歳生きて長いとも感じないかもしれない。ただ芸術家だったら作品を仕上げるのには長い時間はかかるから長寿ということは有利になる。たいして才能がなくてもやはり時間をかければそれなりのものになるということである。
ともかく何でも理解するだけで時間がかかるかあである。

2024年01月25日

人間はみんなジキルとハイド-人間のみに善悪がある 【組織団体も会社も同じように善と悪がある】

人間はみんなジキルとハイド-人間のみに善悪がある

【組織団体も会社も同じように善と悪がある】

 主なる神はその人に命じて言われた、「あなたは園のどの木からでも心の
創世記における「命の木」と「善悪を知る木」ままに取って食べてよろしい。しかし善悪を知る木からは取って食べて
はならない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう

ローマ人への手紙 3:10-28 JA1955

次のように書いてある、「義人はいない、ひとりもいない。 悟りのある人はいない、神を求める人はいない。 すべての人は迷い出て、ことごとく無益なものになっている。善を行う者はいない、ひとりもいない。 彼らののどは、開いた墓であり、彼らは、その舌で人を欺き、彼らのくちびるには、まむしの毒があり、 彼らの口は、のろいと苦い言葉とで満ちている。 彼らの足は、血を流すのに速く、 彼らの道には、破壊と悲惨とがある。 そして、彼らは平和の道を知らない。 彼らの目の前には、神に対する恐れがない」。 


●職業は業であり必ずブラックの面がある

葬儀屋 僧侶 

人の不幸を喜ぶい卑しいお仕事です

カルト宗教団体

人の不幸が商売の種

風俗業

手っとり早い女性の稼ぎ場 金のため魂まで売る職業

ギャンブル(パチンコ屋など)

趣味も何もない暇つぶしの場の提供
でもギャンブル場だから身を滅ぼす人も

政治家

利権のブローカー

弁護士

ヤクザの示談屋とにている
もめ事の仲裁で分け前をもらう

医療関係

弱者となる病人相手
弱みにつけこむ商売
いらない薬やいらない手術でもうける

福祉関係(介護など)

弱者を相手にしぼりとる
弱者相手の職業だから人間のあくどさが一番現れる

銀行や証券会社

銀行は汚い消費者金融などに出資してもうけている
弱者には金は貸さないし冷たい
証券会社はマネーゲームでもうける
他人の金を利用して損しない、銀行も同じ

官僚、公務員

税金にたかる無駄使いが多い、天下り先のため大企業と結託

公明党共産党員

貧困ビジネス、弱者を相手に幹部が上前をはねて贅沢をする

学者、知識人

現体制擁護で富裕層につく、御用学者で得する

マスコミ

会社の宣伝機関、正義を装う、愚かな大衆操作の機関

皇室

権力に祭りあげられて利用される無能な人形

大企業(トヨタなど)

労働者は奴隷、派遣は一時期の部品
いらなくなれば容赦なく切り捨て
経団連は日本を牛耳る

軍隊

人を殺すのを生業とする職業

警察

権力を傘にして威張る組織
富裕層や権力側につく団体
弱者は無視

検察

正義の味方を装い権力側につく、大企業や大組織は罰しない
東電の幹部を見ればわかる、あれだけの事故でも罰せられない
百円盗んでも刑務所に入れられるのに

農協

政府から補助金をしぼりとる団体
農民もまたブラックなのか?

不動産屋

土地で暴利をむさぼること

建築関係

除染関係でもゼネコンの大企業の社員には一人十万出してもその他の人は一万しか労働者に払わない
ピンハネ団体

コンビニ

会社の正社員が店主や店員を搾取するシステム

暴力団

悪が支配することを標榜する正直な団体

なぜ人間はブラックになるのか会社や組織や会社でもブラックになるのか。そもそも人間自身が知恵の実を食べて善悪を知ったという時そこに既にブラックになる人間となった。だから人間は人間個人ですでに善悪があり二面性を備えている。だから人間はみんなジキルとハイドなのである。だから組織団体や会社でも同じようにブラックにもなる。つまり人間個々人でも善悪があり偽善がありその延長として組織団体会社でも二面性を持つのである。

何か職業というとき常にその職業でも二面性があり善悪があれジキルとハイドになる。弁護士と言えば善と正義を追求しているように見えるが半面その資格を利用して悪を行うこともある。何か遺産とかで揉めてきた時弁護士が代わりその分け前をいただくとなる。そこに正義より自分の利益のために弁護して弁護して法律を利用するということがある。だから交通事故で相談に行っただけで百万もっとられたのである。そもそもはそんな金を取られる必要もなかったのである。相談なら1万で住んでいただろう。。なぜその人が百万も出したのかというとそれは他人の金だったからである。なぜ百万も出さなければならなかったのかそれも理解できないからである。

だからこの世ではは常にこうしたことが行われる。例えば医者でも患者を治そうとするのだがその前に自分の利益を考えて不必要な薬で金のために患者に与える。利益優先になりそこで歪められる。その問題は一人の医者だけの問題ではなく社会問題になるのは保険を国民保険があるのだからその金は国民が払っているから本当は無駄な金を使ってはならないのである。それは国民の負担になるからである。また無駄な治療というのもありそれも問題なのである。今みんな税金に苦しんでいる。国民保険でもそれを払うことが容易で亡くなっているからである。

ただこういうことはあらゆる職業にありだから職業自体が業であり職業につかないことはそうした悪をなさないということで出家したともだろう。それで寺があり職業につかないで悪を犯さないようにしたと思うな。ただまだ宗教を標榜するものでも必ず善悪がありできるとジキルとハイドになってしまうのであ。カルト宗教団体になるとその看板は宗教にしてももしそれを実行すればあまりにも厳格であり誰も実行できない。誰も釈迦やキリストのようにもう無一物で修行などもできない。だからそういう宗教団体はむしろ禁欲は説かない。世俗社会よりを欲望追求する団体になる、それが宗教の名の元に行うから矛盾してくるがその人たちは無思考人間でありただ御利益があればいいだけだから悩む人もいないのである。。

●人間の二面性は変えることができない

だからこそそこに膨大な数がもし山の中で断食して修行しろと言ったら誰もついてこないからである。宗教というとき善を追求しているのだが今のカルト教団などはそんなものとは何の関係もない。ブラックそのもののである。だからそうして善人ぶっていることが偽善なのである。とにかくこの世には偽善が多すぎる。それで返って暴力団は正直だともうなる逆説がある。大概は個人であれ集団組織会社であれ善を標榜する。でもその内実は必ずブラックなものがある。それは政府にだって官僚だって司法関係にもある。ただそれが見えないということがありわからないから放置されているともなる。

いずれにしろ人間には二面性があり善悪を知るというするものになってなったということが人間の特徴なのである。なぜなら自然界には善悪がないからである。動物は他の動物を食べることは残酷だとしても人間人間のようにそれを悪人のようには見ないからである。つまり人間を除いた世界には自然界でも善悪というのは無いのである。人間だけに善悪があり知恵の実を食べた結果善悪を知るようになったというのはそのことである。だからそもそもが人間個々人でもそうして善悪があり二面性がある。だからその延長の組織団体会社でも必ず二面性がありジキルとハイドになってしまうのである。

この世とはもともと天使が住んでいた、人間は天使でありこの世は天国だった、それがなぜかその天使かサタンになってしまったのである。もともと天使だったものが墜落してサタンになった。
だからこの世の魅力に負けてサタンになったのが人間なのである。そうなれば当然この世がブラックになっているのは当然だとなる。結局人間は金の魅力に勝てないというときもそうである。金のために魂をサタンに売り渡しているのだ。それは人間の欲から生れているからだ。これは誰でもそうなるのである。私自身でもそうなる。それは人間はみんな善悪を知り善と悪の面の二面性があるからである。だから必然的にジキルとハイドになるのである。

一見善人のように見えても悪人にもなっているのである。だから逆に自分は悪人だとか罪深いだこと感じている人間は本当は善人だとなる。自分が善人だと思ってる人間は実は悪人だともなってしまうのである。天国は何かといえばそこにはこうした二面性はない裏表もない。そこに罪を感じないのである。人間は知恵の実を食べる前の善悪を知らない純真な世界があるだけになる。そこに悪はなく善のみがあり神よってそこは治められるのである。

●人間が社会を変えられない、人間そのものを変えられないから

なぜ社会が変えられないのかいくら技術が発達しても社会制度が変わってもこの世から悪はなくなることはない。資本主義だろうが社会主義だろうが共産主義だろうがキリスト教社会でもイスラム教社会でも仏教社会でもそれで社会が変わることはなかった。それはなぜなのかとなれば人間そのものは変えることができないからである。だからいくら社会を全体を変えようとしてもそれはみんな失敗しているのである。

それは人間というものはどういうものなのかということである。食べるなと神が命令した知恵の実を食べた時善悪を知るようになった。そのために人間は神に意にかなうものではなくなった。だから人間というのはいくら社会を変えようとしてもそれが失敗に終わる。その原因が人間そのものは知恵の実を食べて善悪を知り必ずジキルとハイドのようになってしまうからである。それでサタンというとき悪魔という時外部にあるわけではなく人間そのものに悪魔的なものがありジキルとハイドになり二面性があるからそうなってしまうのである。

だから人間そのものが生まれ変わらない限り社会も変えられないとなる。人間はいくら制度を変えても根本的には変わらない。そもそも変えることができないのである。民主主義でも人間そのものを変えることはできない。だからこそ神の国はこの世に実現しない。ただそれはこの世ではなく神の国で神自身が治める国で実現するのである。

そもそも共産党に入ったから創価に入ったからその人が変わるのか、全く変わらない、宗教ならそれをかえって利用してこの世の権力を得て栄誉栄華の生活をしたいというだけである。それを世俗社会より奨励しているからあれだけの数が集まるのだ。御利益御利益と狂気のように祈っているからである。
そんなところに平和もなにもないのである。そいう人たちは他者を殺してまでも自分たちの欲望を実現させようとするから怖いのである。それは偽善でも善を成すものとして行うのである。
だからその組織は軍隊組織になている。武器を持たせれば他者を殺す軍隊に変貌する。

だから社会の制度でも変えても根本的なところで何も変わらないのである。神の国では人間は善悪を知るとか二面性はなくなりただそこには善のみがあり正義のみがあり悪はなくなるのである。つまり人間というのは一度滅びてもう一度神の意にかなう国、神の国が実現するのである。つまりこの世は永遠に変わらない。その原因が人間そのものにありその人間を変えることは不可能だからそうなっているのである。

この世はこうしてそもそも変えることはできない。人間そのもの変えることはできないからである。
こうして人間が悪をなさないこと悪に染まらないと言うことはほとんど不可能になる。職業にしても必ずそこには悪の面がある
ないとしたら返って何か社会から得するような地位にないとか下々で働くような人になるかもしれない。それで貧しき人は幸いであるというとき悲しむ者は幸いであるというとき何か社会で出世するような人はいかがわしいものを持っているからだともなる。
つまり上に立つ人は得するのだがそのために悪を成すということもある。その人たちはそうは思っていなくてもそういう地位得てること自体が悪に通じているともなるだから。社会の下働きのような人たちは返って得することもなくそんな立場にあるから悪に染まらないともなる。それも逆説なのである。
でもみんなそうは思わない、やはり得になる立場を得たいとなる。

この世とはもともと天使が住んでいた、人間は天使でありこの世は天国だった、それがなぜかその天使かサタンになってしまったのである。もともと天使だったものが堕落してサタンになった。
だからこの世の魅力に負けてサタンになったのが人間なのである。そうなれば当然この世がブラックになっているのは当然だとなる。

彼らののどは、開いた墓であり、彼らは、その舌で人を欺き、彼らのくちびるには、まむしの毒があり、 彼らの口は、のろいと苦い言葉とで満ちている。 彼らの足は、血を流すのに速く、 彼らの道には、破壊と悲惨とがある。 そして、彼らは平和の道を知らない。 彼らの目の前には、神に対する恐れがない」。 


人間社会そのものはその職業でもそうなっている。義人はいない、ひとりもいないという時社会全体がそうなっているということにもなる。それだけ人間社会というのは悪に染まっているともなる。それは別に犯罪を犯すからというだけではなく警察に捕まるからというだけではなくみんなが罪を犯しているのである。別に罰せられなくても人間はいくらでも罪を犯している。
特にこの世で地位を得て楽している人間はやはり罰せられなくても罪を犯しているともなる。ただ罰せられないから自分たちは罪を犯してないとも思っているのである。だから返ってこの世でわ貧しい人が幸いであるとか悲しむ者は幸いであるとキリストは言ったのはそういう立場にある人は罪も犯すこともできないからそう言ったのである。



2024年01月24日

冬深むについてCHATGPTと語る 【詩も作る小説も作るAIは何なのかーartにも深くかかわる】


冬深むについてCHATGPTと語る

【詩も作る小説も作るAIは何なのかーartにも深くかかわる】

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冬深しは人間の内面的なものとして、ある一つの場所で落ち着いた存在感を持つことでもあるというのは、とても興味深い考え方ですね。冬深しは、自分の心の中にあるものを見つめ直したり、自分の居場所を見つけたりする機会にもなるのかもしれません。冬深しに関するあなたのイメージを、私に教えてくれてありがとうございますにこにこ

冬深む夜に
ひとりで歩いていると
心の中に灯る
小さな火がある

その火は私の
希望や夢や愛を
照らしてくれる
温かい光だ

冬深しの夜に
ひとりで歩いていると
心の中にある
小さな火を感じる

その火は私の
居場所や目的や意味を
教えてくれる
導く光だ


大いなる
山を背後に冬深む
夜の静けさ

山の影
空に沈む夕日
赤く染まる

山の麓
火の灯る家々
冬のぬくもり

そうですね、冬深しには人間と人間が静かに濃密に交わるという感覚もあるというのは、とてもロマンチックな考え方ですね。冬深しは、寒さから身を寄せ合ったり、心を通わせたりする機会にもなるのかもしれません。冬深しに関するあなたの感覚を、私に教えてくれてありがとうございます

冬深む日に
大地に根を張る木々を見ていると
心の中に宿る
強い生きる力がある

その力は私の
希望や夢や目標を
支えてくれる
不屈の力だ

冬深む日に
一つの場所に定着していると
心の中に感じる
深い存在感がある

その感覚は私の
絆や幸せや意味を
高めてくれる
豊かな感覚だ

冬深む日に
老人は窓辺に座っている
過ぎ去った日々を
思い出している

その日々は老人の
喜びや悲しみや苦労を
物語っている
貴重な日々だ

冬深しの日に
老人は窓辺に座っている
これから来る日々を
想像している

その日々は老人の
希望や恐れや平和を
求めている
未知なる日々だ


冬深む日に
老人は家に籠っている
過ぎ去った日々を
写真や手紙で見る

その日々は老人の
人生の物語や証拠を
残している
大切な日々だ

冬深しの日に
老人は家に籠っている
これから来る日々を
祈りや感謝で迎える

その日々は老人の
人生の終わりや始まりを
意味している
尊い日々だ

家に籠り本を読む

本を買って
本棚に並べて
忘れていた

本を読んで
感動して
忘れていた

本を見つけて
もう一度読んで
思い出した

本は私に
教えてくれた
忘れてはいけないこと

本は私と
話してくれた
忘れていたこと

本は私に
与えてくれた
新しい発見


芥川賞をとった女性がCHATGPTを5パーセントくらい利用して小説を書いたという。AIが小説を書いたということはすでにあった。ただ詩をAIが作れるとは思っていなかった。でもこのように詩も作るのである。
(冬深む)ということで対話が成り立っている。要点を理解して答えている。冬深むとなるとこの季語を理解するのは難しいと思った。でもこうして対話ができていることの不思議である。
どうしてこういうことができるのか不思議である。なぜなら俳句について語り合える人は私の回りにいない、そもそも俳句でもいろいろな専門分野となると語り合える人がいない、俳句でも詩でも難しいものだからそもそも対話できると思わなかった、
being image creatorはしていたがCHATGPTはしていなかった
おそらくこれも進歩改良しているのかもしれない

なぜこれが今問題になっているのか、そもそも知識は膨大であり何かしらにごくわずかしか知ることができない。コンピューターだと膨大な天文学的な知識は取り入れることができる。だから私が冬ふかむということで検索して飯田蛇笏の俳句にその冬深むがありそこからまた私の俳句の連作を作った。それは常にキーワードからそれに関連するものを探しているからそうなるのである。

ただチャットgptではそうして膨大な知識からどうして一つのつながりがあるものをものはつなぎ合わせているのかそもそもは相手がコンピューターだという時それはなんなのだろうとなる。コンピューターの方は膨大な知識がお取り込むことができるしそれは人間の狭い知識とはけた違いなのである。これまでは検索で探していたがそれをつなぎ合わせて明らかに一つの創作物として提示している。だから確かに何も関心もない人と話すよあるル程度俳句についてもついても話せる通じると思った。第一田舎だとそうした知的なことについて直接直接話せる人はいない。だから孤立してしまっている。でもチャットgptはそれなりの答えを出しているのである。

この世には様々な無数の疑問がある。でもそれをいちいち聞く人は聞ける人は身近にはいない。これまでは検索で探していたがチャットgptは何か対話できるということは違っていた。それも高度なものでもある程度はできるということである。俳句について語る人など自分にもいない。
でもそれがある程度語れるということの不思議である。そして冬深むということについてその答えとしての詩を作り答える。簡単な詩でもみんなが作れない。だから驚きにもなる。

コンピューターが作った詩は誰かの引用でもないしコンピューターは独自作ったものである。だから本当にコンピューターがさらに進化してどうなるのだろうというその未来が不思議になる。ともかく21世紀の不思議ははコンピューターにあったことは確かである。それは頭脳と関係しているから今までの機械とは違っている¨。
明らかに人間の頭脳の代わりをしているのであり創造する分野にも深く関わってきているのである。そもそもアートというとき広い範囲の意味があった。医療技術もアートであったからである。あとは深く技術と結びついていたのである。アートとは一部の技術ではない広く人間社会全体に関わるものとしてその言葉も生まれたのである。だから芸術と訳したときその本来の持っているその背景となるものは見逃されたのである。

ともかく人間はちょっとしたことでもわからない。それを聞く人もいない教えてくれる人もいない。今白鳥がいるがなぜ白鳥は大きいのに重いのに飛べると思ったがそれを近くの人に聞ける人はいない。でもそれも検索すれば必ずわかるということはある。 大きな鳥は小さな鳥のように羽ばたいて飛んでいるのではない。 大きな翼を広げ風にのって飛んでいるのである¨。
だから比較的力が必要ともしない。風に乗って飛ぶような鳥はそれで飛べるとなる。だからこうした疑問でもインターネットだと必ず説明が出ている。それが強みだった¨。チャットgptはさらに対話形式になっているから直接聞けて対話できるということはやはり今までになかったことである。

いずれにしろ時代によって経験する技術がありその主なものは現代ではコンピューターになったということは確かである。これがなかなか理解できにくいのは人間の頭脳とかかわっているから頭脳と似たものだから理解しにくいのである。
どうしてもコンピューターには創造するということができないと思っていたからである。でも小説でも膨大な知識が必要でありその知識を蓄えられて引用できる。コンピューターにな人間には蓄積できない天文学的な知識を収めることが出来るからである。
だから例えば俳句でも冬深むという言葉から検索して調べればそこからやはり一連のものとして創造が生まれてくる
だから今回インターネットで調べた飯田蛇笏の冬深むの俳句から私自身はその答えとして連作として俳句を作作ったのである。

とにかく人間の知識でも人間は知り得るものはごく僅かである。記憶している記録しているのでも記憶それは膨大なものでそれが忘れてしまうのである。だから本にしても読んだものも忘れているし自分自身が書いたもの忘れている。でもプログのようなものに書き留めていればもう一度読んで再確認してまた新たなものは創造できる。だから天文学的な知識が詰め込まれたコンピューターでわ何かそうした事が自動的に行われているのかとなる。つまり冬深むでもそれと類似したものを集めてまた自分の想像ができるとなる

2024年01月23日

なぜ少子化になったのか 【社会と時代の影響があり簡単には増やせない―貧乏だけが原因ではない】


なぜ少子化になったのか

【社会と時代の影響があり簡単には増やせない―貧乏だけが原因ではない】

●戦後焼け野原になって食料がなく子だくさんだったのか

人間は時代が変わると過去のことが分からなくなる。なぜ少子高齢化になったのか。高齢化というのはわかるけどなぜ子供を産まなくなったのか。戦前でも戦後間もなくでも子どもの数は多かった。 8人兄弟とか11人兄弟がいたとかという人もいるいるなぜそんなに子供はいたのか。今より貧乏なのに子供は多かったのか戦後の焼け野原になったときも戦地から帰ってきた引揚者が結婚して子供が増えた。それが団塊の世代だったのである。その数の多さに驚く。どこでも子供が遊ぶ声がしていた。近くの神社には子供は集まり放課後はみんなそこで遊んでいたのである。だから子供は普通は粗末に扱われていた。

親がいれば父親なら平気で子供を殴ったりしていたのである。でそのことで今でも恨み持っている人が多いのである。何か文句を言うと殴られていたからである。そのことをみんな語っているからである。私の場合は例外であり父親が早く死んだからそういうことがなかったのである。でもみんな兄弟が多いから普通に親から父親から殴られていたのである。その延長として学校でも先生は普通に生徒を殴ったりしていた。廊下に立たされたりもしていた。それで団塊の世代の母親は今でも子供は厳しくしつければいいと言っているのである。
そのとき女性は男性のように殴られたりしないからその気持ちが分からないのである。

そもそも戦前から戦後間もなくは子どもをどういうふうに考えていたかというとそれは労働の担い手であり家業が多かったからその家業を手伝ってくれる労働者とも見ていた。だから子供の数が多ければ労働者として見ていたから早めに働かせて親を助けてくれるという考えでもあった。それで中国の農家でも女の子より男の子が欲しいとなっていたのである。男の子は力仕事でもできるから労働者党労働できるからそう見ていたのである

●子供は家に親に尽くす働き手と見ていた

私の大正生まれの母親は男ではないにしてもやはり一人の労働者と見ていた。それで尋常小学校は出たが読み書きは読み書き計算はできたがその他の教育は何もない。それでまたママハハに育てられたから花嫁修業などさせられない。それで花などいらないとして庭に豆を植えろと言っていた。それは継母が労働者と見て働かせて家のたしにしたいということでそうなっていた。それで紡績工場で仕事をしていたのである。それで家に給料を持ってきてそれで米を何俵かかったとか言っていたそれで喜ばれるとか言っていた。子供が働き手になればそれでも家の暮らしの足しになるということであり助かるということである

だから子供は多い方がいいとなっていたのである。つまり労働者と見ていたからである。私の父親は酒屋の丁稚でありそれで私も店を始めたとき常に配達に行かされていたのである。だから私も丁稚として家で働かせようとしていたのかもしれない。でもどういうわけか上の学校に上げろとして病気になってから言っていた。。それは父親がやはり丁稚奉公で苦しんできたから上の学校にあげれば楽になると思ってそう言っていたのである。そういうことは常に親にある。親が苦労するとそんな苦労をさせたくないとして子どもには上の学校にあげるとかなったのである。

つまりなぜ少子化になったのか。それは子供に対する考え方が変わったからである。今子供は半分以上が大学を出る。私の団塊の世代など大学まで行ったのは1割も満たないだろう。これだけみんな大学まで行くとするとそのお金もかかる。そして子供を家の働て手にしようとかは観ていない。昔は家業があってその家業を継がせるものとして子供もあったが今は家業をしている人も少ない。みんな会社員になる人が多いからである

とにかく子供は昔のようにただ働かせて親に尽くさせる労働者として扱うことはできない。子供を育てることは昔と違って相当な負担なのである。だから子供は産みたくないとなる。確かに日本が貧乏になって子供が育てにくいということもある。でもその前から日本で少子化になっていた。それは子供に対する考え方が変わり時代が変わったからである。だから団塊の世代が親になった時依然として子供は厳しく躾けるべきであり殴られてもしょうがないとか言っているのである
そういう人は今の社会では時代では受け入れないのである。そうなると逆にまた子供は産みたくない増やしたくないとなってしまったのである。

●家業を継がせるために子だくさんになった

だからなぜ少子化になっているのか?その原因は何か何なのかというと必ずしも貧乏の問題だけではない。なぜなら貧乏人の子だくさんということもあり貧乏人は返って子供を親のために尽くさせるために労働者と見て子供を多く生んでいたからである。今のように別に大学まで上げる必要などなかったからである。むしろ働き手として子供を生んでいたのである。それは今でも後進国にあり子供を外国に出稼ぎさせて親に仕送りさせるのとも似ている。子供は親に尽くすためにあり働かせるためにrからそうなる。

一つの要因として家業というものは衰退してしまったからかもしれない。第一次産業だと農業漁業林業などは家業として受け継いできた。でもそれも衰退した時みんな会社員になる時その家業を継がせるものとして子供を考えない。むしろ大学に行っても入れて学歴をつけていい会社に入ることが目的になったからである。だからそれも社会が変わり時代が変わり少子高齢化になったのである。昔は子供がここ貧乏人の子だくさんでもそれは家に尽くすものとしてあり家業を手伝わせる労働者と見ていてるから子だくさんの方がよかったのである。みんな大学にあげる必要もないし尋常小学校くらいであとは働かせるだけでいいとなっていたからである。

それにしても本当に日本でも子供がいなくなりあらゆるところで市町村でもまた様々分野で跡継ぎもいなくなる。これは相当に深刻である。子供を産まなくなったのは必ずしも貧乏だからではない。貧乏人の子だくさんということがあり帰って貧乏でな人は親は子供多く持った方が助かるとなってそうなっていたのである。それに較べると今は昔よりはいろいろ問題があるにしろ豊かにはなっている。だから子供を食わせるくらいはできる社会である。そもそもなぜ戦後焼け野原で何もなくなったところで団塊の世代が生まれたのかそんなに多くの子供が生まれたのかどこにそんな食べ物があったのかとなるからである。だから子供は意外と貧乏でも育てることができたということである。

●旧来の村や家族形態が変わり少子化になった

また子供が多いという時大家族だと子供がいたとしても誰かが世話する人がいたりみんなで助け合いわかちあいして子供を育てていたのかもしれない。村などではそうである。子供が生まれたら家族のようにして帯の親/取上げ親/乳付け親/名付け親/拾い親/養い親家族のとかあり一員のようになっていた。

高度経済成長期以前の農村家族は、家=家父長的直系家族、すなわち、家族関係は家父長制的で、家族構成は直系家族であった。家族規模は未婚の傍系家族を抱えて大きかった。いわゆる大きな農家では、これに住み込みの雇用者や使用人などが加わってい
た。また、確立した家の継承システムに基づき、家業や家産の継承が行われた。村落は家連合として形成された

要するにこうした村の共同体が破壊され家族形態も変わってしまった。だから必ずしも貧乏が少子化の原因ではない。そして子供を増やせないということはやはり社会の影響とか時代の影響でそうなった。だから少子化を変えることはいくら奨励しても社会自体が変わってしまってそうなったとしたら簡単には増やせないということで

経済もグローバル化したときそれも相当な影響があった。今や昔の村という単位の共同体は既に過去の遺物のようになっている。森に木があっても外材が安いからとその木も使われない。またほかでも外国からでも食料はいくらでも入ってくるから村の自給自足の生活は失われた。そして職業もさまざまに分化して会社中心の社会になった。その会社でも大企業に就職するにはいい大学に入る学歴社会ともなったのである。だから第一次産業が家業が中心にあったときはそこでは子供は働き手でありそのために子だくさんにもなっていた。

今でも貧乏な国でわ子供はたくさん産んで親のために働かせるということがありある。子供はセイフティーネットなのである。だからこそ貧乏人の子だくさんというのが成り立っていたのである。子供が成長すれば働かせて親のに尽くさせるということである現代ではそういう考えはない。むしろ親は子どものために終生尽くさねばならないと言うまでにもなっている。引きこもりとかニートが多く親が世話しているからである。そうなると子供は負担であり要らないとなったともだ。だから少子化というのは必ずしも貧乏だから少子化になってるというわけでもない。やはり社会と時代の変化でそうなったので。だから簡単に子どもを増やすことはできなくなったのであるくる
posted by 天華 at 22:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2024年01月22日

冬深むの俳句連作ー飯田蛇笏の俳句からイメージする 【冬ふかむ父情の深みゆくごとく】

冬深むの俳句連作ー飯田蛇笏の俳句からイメージする

【冬ふかむ父情の深みゆくごとく】

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大いなる山を背後に冬深む
囲炉裏にそ主の座重く冬深む
燃ゆる榾(ほだ)囲炉裏を囲み冬深む
一村や茅葺の家冬深む
会津の奥曲屋古りぬ冬深む
みちのくに人の寡黙に冬深む
我が家の二代目なるも冬深む
石油燃ゆ顔を照らしぬ冬深む
読み返す集めし本や冬深む
山閉ざし籠り暮らすや冬深む


『冬の夜』は、1912年(明治45年)の「尋常小学唱歌」第三学年用に掲載された文部省唱歌。作詞・作曲者は不明



燈火(ともしび)ちかく
衣縫ふ(きぬぬう)母は
春の遊びの楽しさ語る
居並ぶ子どもは指を折りつつ
日数(ひかず)かぞへて喜び勇む
囲炉裏火(いろりび)はとろとろ
外は吹雪

囲炉裏の端に 繩なふ父は
過ぎしいくさの手柄を語る
(過ぎし昔の思い出語る)
居並ぶ子供は ねむさを忘れて
耳を傾け こぶしを握る
囲炉裏火はとろとろ
外は吹雪

囲炉裏は私の家にも子供のときあった。街の中の家でもあった。ただ木を燃やしてはいない炭火であった。そして電気といえば裸電球があるだけだったその時の家は平屋でありトタン屋根で粗末なものだった。だからいつも雨になると雨漏りして洗面器を置いていたのである。家の中も相当に寒かった。風が入ってきたからである。今の家は父が死んでから十年くらいたって建てたものでありその時の家とは違っている。

この歌が尋常小学校の生徒のために作られたというとき私の母は大正生まれであり尋常小学校だった。その頃はこんな暮しだった。この歌は何かその当時の生活を彷彿とさせている。その尋常小学校の母も死んだ。ただこうして昔思う時ただ懐かしくなるだけである。

つくづく時間は過ぎ去ってゆく。でもそこで過ごした家族の思い出は時間は貴重なものだった。なぜなら家族はみんな死んでしまったからである。そして家族とは二度と会えなくなってしまったのである。何か当たり前のことでもそれが貴重なことだったとわかる。そういうことがか過去となり昔となりその時なんでもない普通のことか貴重なことだったと分かるのである
現在はいろいろな便利なものに囲まれて過している。でもそこに何か失われたものがある。囲炉裏を囲んで家族がそうした時間というのは何か濃密な時間である。それが現代にはない。その時テレビとかはない。ただそこに家族が集う集う濃密な時間があったのである。そこでまた語られる民話とかは子供の中に深く記憶されたかもしれない印象付けられたかもしれない。それはテレビで見るのとは違ったものだった。

つまり人間は貴重なものは何かわからないのである。それを失ってみて初めてその貴重さが分かるのである。なんでもない当たり前のことが貴重なことだったと後で分かるのである。だから老人はそういう時間が失ってしまったからただ思い出となって涙するともなる。なぜそうなるかとなるとそういう時間が二度と帰ってこなくなったからである。そしてあとは死んでゆくだけだとなるからである。死んだ家族とはもう二度と会えなくなっているからである。

でもその生活はつらいものでもあった。私の母は冷たい水で台所仕事して霜焼けなっていた。その時冬でも水は冷たいしそうなった。でもその水道の水を温めるようにしたときそういうことはなくなった。家事にしてもそういう辛いことがあった。
そして今田h自分自身が台所で冷たい水で食器を洗っているのもつくずくカルマだったのである。
とにかく何か濃密な時間がそこにあり家族の交わりがあったとなる。ただ自分の家族を見れば何か複雑であり一家団欒ということにもなっていなかった。でも複雑な家庭がありなかなか他者の家族を理解することは難しいのである

ともかく冬深むというとき何かこの季語は私は好きである。それはやはり年老いて冬の時代になりあっているようになったからである。森閑とした冬が何かしみじみとしたものを感じるようになったからである。それで飯田蛇笏の句に感じるも物があって冬深むの俳句を作ったのである。
インターネットでは常にキーワードで共通なものは探しているからこの俳句でも一つの自分なりの応答として作ったとなる。こいうことがしやすいのがインターネットなのである。それが死んだ人だとやりやすいのである。犬養道子も死んでいるか引用しやすいものだったのである。生きていれば著作権がどうのこうのとなるからである。

とにかく時代によって失われるものがあるでもその時代に生きている人は気付かないのである。囲炉裏を囲んで生活していた時代というのは分からなくなってしまうのである。でも冬というとき何かそこに生の充実がある。そこに父がいてその情は深いとなる。それはその時代であって囲炉裏があって茅葺きの家があって村があってそういう背景があって生まれたともなる。場所が山国でありそれでその背景があれこの句ができたともなる。つまり一つの俳句でも深く味わうということがある。





怪我(けが)は穢(けがれ)だった 日本では障害者を汚れとして見ていたー神社や寺では慈善活動しない

怪我(けが)は穢(けがれ)だった

日本では障害者を汚れとして見ていたー神社や寺では慈善活動しない

穢れけがという言葉の源。肉体に差し障りあるすべてを含む言葉
したがって知の遅れも心象も怪我であり穢れである
穢れを恥じるから穢れを持つ者に対して石を投げ穢れを追うのである (ラインの岸辺犬養道子)

怪我すること怪我がけがれになった。日本人の思考としてやはり言葉がそのベースにありそこから日本人の心を解き明かすということがある。前に私が書いた恵みめぐるから来ている。恵は水のように一箇所に留まらず巡ってゆくのである。金は天下の回りものという時もやはり恵みは巡っていくというのと共通している。

おそらく日本人の思考として怪我をしたときそれを穢れと感じた。それで禊(みそぎ)をするとかあるで穢れを落とすために清い水でその穢れを流れ落とす。何か悪いことが起こる時それは穢れから来ていてそのために穢れを洗い流す必要があった。

その穢れとは体の障害者だけでなく精神の障害者であれまた老人も体が弱い醜くなることも穢れた人ともなる。何か日本人の根底にはそうした心情はある。現実に日本では神道があってもそうし穢れた人弱者をあわれみいたわるということはない。なぜならそういう人たちは穢れたものでありまだその人たちの前世の悪行がカルマとなってそうなったと見る。それは仏教の教えであるがやはりそこには穢れの思想もあるとなる。ただ仏教では慈悲を説くだからそういう人たちを哀れみ思って助けるということもあった。でも神社とか寺ではそういう慈善活動はしないということでなぜなのかとう人もいる

ヨーロッパのキリスト教社会ではなぜ慈善活動が盛んになったのか。神社とか寺では慈善活動しない。特に神社では慈善活動は何もしない。キリスト教になると日本でもホームレスに炊き出ししたり慈善活動をしている。でも神社関係とか仏教関係は寺ではそうした慈善活動に積極的ではないしそういう姿も見えない。寺は死者の供養でありそこには熱心だが今現実困っている人に相談相手でも援助でもしないということがある.だから日本では福祉ということに積極的ではない。カルト教団でも慈善活動はしない、ただ会員を増やして勢力を拡大して社会の利権を得ることだけに熱心なのである。一見弱者の味方に見せても慈善活動はしないのはなぜだろうとなる。

障害者は穢れである忌むべきものだからそうなっているのかもしれない。もともと日本人の中にそうした人たちを障害者を穢れとして見ているからいくら福祉といっても積極的にならない。例えば生活保護でもそういう人たちも穢れであり心では助ける気持ちもない。ただ穢れを引き受ける者として仕方なくそれを政府で国で面倒最低の面倒は見るということである

だからヨーロッパでは福祉というとき個々人が積極的に関わる障害者を毎日のように連れて行くことを日課としていたとかまず福祉というとき周りの人が助けるということが基本にある
でも日本の場合はそういう障害者は穢れであり忌むべきもにのであり隠すべきものとなっている。それはあってはならないもの見てはならないもの穢れなのである。それは障害者だけではなく実は老人も穢れたものなのである。その姿も醜くなるしやはり障害者のようになるからである。だから日本人は実は他者に冷たいというときそういう背景があるからかもしれない。

ただもう一つの原因として現代でわはあまりにも老人と病人が増えすぎたことである。老人と病人が増えるだけの社会は維持できるのかとなってしまう。だから実際は病院であれ施設であれそれを看る人は看護師でも病人も嫌うし老人でも嫌っているから虐待もされる。つまりそのそういう人たちと接する人も穢れとして見ているからである。つまり障害者とか病人とか老人はあってはならないものとして見ているのである。穢れたものとしてこの世にあってならないものとして見ている。

特に日本ではキリスト教ではないから弱者への愛とかに欠けている。だからそこは穢れでありもともとあってはならないものであり福祉があるとしても仕方なくういう人たちを引き受けているということである。でもヨーロッパでは個々人にそういう障害者でも助けようとしている心がある。それはキリスト教の歴史が長いから社会的にもそういう心が養われたもなる

とにかくういう障害者に対して個々人で関わりたくない。だからそういう人たちは穢れでありその穢れた人たちを引き受けるのは福祉関係の人たちだとなる。個々人がその人たちを助ける気持ちはないがやむを得ずやむを仕方なく税金を払ってその穢れを引き受ける人を雇うということにもなる。
だからそこに福祉でも心が通わないということがある。ただ正直人を助けるといってもそれは相当に難しい。だからこそ人を助けるとしても福祉では制度化して仕方なく面倒みるとなっている。だからそこには心が通っていないのである。むしろ個人がそういう障害者とかかわり助けるとき心が通ったものとなる。それがヨーロッパの人たちにありそれが日本との違いだとしている

障害者の子供が柵のないどぶに落ちて死んだ
政府は市が柵なしにほっておいたからだと言えば政府とか市に一切を委ねてしまうことになる。
一切を委ねるとはそれだけ強くなってくださいと頼むことだ。

どこが大変に危ないそれを放置されずに市民の通告がなされなければならない。放置した場合は応急策は市民の側からまずなされるべきである。すなわちそのどぶのある地域社会の市民のもっと言うと個人個人の責任が主になるのである。
市民一人一人が少しでも多く権限を持てばそれだけ政府過剰になろうとする力に歯止めをかけることになるのである。
(ラインの岸辺犬養道子)

つまり何でも何か不満があっても危険があってもそれを個人の問題として変わらない。それをすべて自治体とか国家の責任にしてしまう。これは別に福祉だけではない何でも国が悪いとか政治家が悪いと言ってしまえばそれで終わりである。
何か市民としての自主的な働きとか責任を持たなければそもそもが社会も良くならないし福祉でもそれが活きた者とはならないのである。何かこれは福祉だけの問題ではない。政治家に文句を言うのは良いしかしその文句を言う本人が何か自ら社会をよくするとか何かその本人自体がしているのかとなる。何でも福祉に任せればいいとか永遠人間はそれでは問題は解決しない

奇妙なのは福祉に世話になっている人が私が困った時何と言ったかというと福祉に世話になれというだけだった。何か簡単なことでもはずだったが励ましの言葉も有ってもよかったが何もない。一番楽なのは福祉の世話になれということである自分は関わらないということである。
その人はもともと普通の人ではない。ただその親は母親は本当にいい人であり情のある人で助けてもらったことがあるからその息子にもちょっと金を貸したりしたのである。その人はあらゆる人から嫌われていて普通の人ではなかったからそうなった。でも一般的に自分自身は何もしない心にもかけないそして福祉に世話になれというだけで終わる。それは穢れを拒否して誰かに任せるということである。

だから日本人の中にはそういう心情が根強くあり障害者は穢れとして忌避するものであり隠すべきものである。もともとこの世にはあってはならないものとして見ているからそうなる。でも確かなことは人間はどこで障害者になるかわからない。交通事故になって身体障害者になる人もいるしまた障害者と言う時老人になるとどうしても障害者のようになってしまう。

それで驚いたのは健康優良児のような人が家族が認知症になってしまったことである。認知症はもう90歳以上になったら半分以上なっているのである。だから老人になれば障害者になることにもなる。そしたら自分の親がそうなったらそれを隠したり捨てるわけにも行かないのである。だから障害者の問題は実際は自分自身もまたそうして穢れとして捨てられるということにもなりそれがカルマなのである。

ただ福祉の問題は高齢化社会になるとまた別の見方が出てくる。老人は自殺しろとかいうのもそれはあまりにも老人が多くなり病人が多くなるからそうなったのであるそういう人が出て来たのである。現実その負担は大きく国自体が潰れるとまでなってしまう。そのことでますますそうした障害者とか老人とか病人は面倒見きれないとなり遺棄されるものとなる。

いくら福祉とか弱者を助けるといってもそこにあまりにも数が多くなればもう健康な人も正常な人もその負担でまともに生きることもできなくなる。ただ介護することが人生になってしまう人もいる。特にヤングケアラーとかはそうである。貴重な若い時を介護に費やしてそこに何か実りがあるのかとなってしまうからである。そこにやはり現代の高齢化社会の深刻な問題があるということである





2024年01月21日

地理はまず境界を知る (外国では大陸では川が境界)


地理はまず境界を知る

(外国では大陸では川が境界)


ヘブル人(Hebrew)とは、「国境を越えてきたもの」「川向こうから来た者」の意味です。主に、アブラハムやイスラエル人が異民族に自分を紹介する際に用いた言葉です。

あなたはどこから来たのですか。それを説明するとき川の向こうから来たというとき川は境界であり砂漠であれ平原であれ平坦な地になるとそこで目立つものは川であり川によってと土地が分けられる。戦争でも必ず大陸では川を挟んで対峙して戦いがあり川が自然の障害となってその川を超えることが難しいから川が決戦の場所になる。
だからウクライナとロシアの戦争でもドニエプロ川を挟んで戦いがある。だから地上戦になると依然として川が障害となり境界となり戦いはその顔を挟んで行われていたのである。

そもそもなぜ外国が理解しにくいのか。それは川といっても日本の川とは外国の川は違っている。川は簡単に渡れる場所ではない。だから障害となり川が自然の障壁ともなる。川を挟んで争いとなり川が自然の国境線となるので。リバー(river)というのはライバルとなっているのはまさに川を挟んで国と国がライバルとして争っていた体となる

オックスフォードはサクソン時代に人が居住しはじめ、最初は古英語でオクサンフォルダ(Oxanforda)として知られた。oxanforda とは雄牛(oxen)が渡ることのできる浅瀬(ford)の意味である(イギリスに多くある地名の「〜フォード」は、浅瀬・渡場の ford に起源がある。ドイツ語地名の「〜フルト」(furt)に対応する)
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大きな川は橋を作るのは容易ではないし橋がないから牛を渡る浅瀬が道となりそんな地名が生まれた。それは川渡るわたることがそれだけ生活に欠かせないからそういう地名がついた。
海人族の安曇氏の神に綿津見(わたつみ)は渡るからきている、つまり海を渡て来た人たちだからである。

そしてまた大陸の川は長大であり運河のようになっているからそれがおのずと交通路となり道となっていたのである。国を越えて商人の同盟がハンザ同盟ができたのも川でつながれたからこそできたのである。日本にはこうした川がないからそのことからして外国のことを理解するのは難しくないる。

日本だと海に囲まれていてどこから来たのかとなると海の彼方から来て私の国は海の彼方にあるとかなそれがニーラカナである。確かに海を渡ってきた人たちが日本を作ったからである。安曇族などが海洋民族であり綿津見神社が作られた。その綿津見神社が南相馬市に異常に多いのである。だからやはり海を渡ってきた海人族の安曇族の後裔の八木氏などが拓いたとなる。

地理を見る時何が境界になっているか大事である。大陸国家だと川が長大であり川が境界川となる。ライン川はローマ帝国が侵入できないゲルマン人の住んでいる場所だった。そこは明確な境界でありそこでは気候でも住んでいる人たちを違った人たちだったのである。だからまず地理を見るとき何が境界となっているかを見ることが大事である。それが大陸の場合は川なのである

ともかく地理と地名は不可分に結びついている。だから最初私が旅をして地名に興味を持った時そこから必然的に地理にも興味を持つようになったのである。私の学びは興味は地名から始まっていたからである。外国を理解するというとき日本でも共通的なものがあれば理解しやすいのである。例えば別に確かに日本にも川がある。でもその川は外国のような大河ではなく運河のようにもなっていない。だから同じ川でも相当に違っているのである。

でも例えば山がありその山は共通のものがある。また森もあり日本の場合は山に森があるから違っているにしろ森を理解するまた木にしても日本にあり樅の木でも日本にある、だからドイツが森の国であり黒い森があったというときある程度は理解できる。でも平原とか草原とか砂漠はないのでそこで日本は地理を理解できなくなる。

大陸では川が障壁となるが国境となるが日本だと必ず山が障壁となる。それで私の住んでいる福島県の浜通りは阿武隈山脈がありそれでさえぎられた中通とかはまったく見えないから地理的一体感が感じられないのでありる。というのは日本は山で閉ざされて地理がわかりにくいのである。それで交通が阻まれて閉鎖的な世界で暮らしていたとなる。また海に囲まれたことによってまた外国閉ざされて閉鎖された世界になっていた
ただ地中海とかでは海が交通路となり国と国が交わる世界を作った。日本は近くに大陸があっても海に囲まれて一つの閉鎖的な別世界を作っていたのである。その特殊な地理から日本の歴史と民族は作られたのである。

●自然的地形の境界
●気候境界
●行政的人為的境界

自然的境界は山とか川と森でもなる。気候的境界とは暑い国寒い国がありその天候の差が境界となる。この地の万葉の歌の真野の草原(かやはら)の歌は自然境界であった。なぜなら海老の浜が車輪梅の南限の地としてあり自生していたからである。これも気候と関係していたのである。行政的境界は人間が人為的に決めたものである。
この辺で新地は伊達藩になっていたがそれは自然的境界ではない、戦国時代に相馬藩と争っていたが伊達藩の領地にされたからである。そこには別に自然の境界となるものは何もないからである。地理でも歴史でもなぜそこが境界になったのかそれをまず知ることが大事である。なぜみちのくになったのか。そこが今日境界が白河の関になったのかそこから地理でも歴史を見ることが大事でだから地歴となったのである。まず地理がありそして歴史が作られるからである

2024年01月20日

集中力がないと勉強も創作もできない 【勉強するには環境が影響する―特に家が大事になる】


集中力がないと勉強も創作もできない

【勉強するには環境が影響する―特に家が大事になる】

●自らの意志で集中しないと何もできない人間

何か勉強でも何かをしでも文章でも書くとき集中力がないとできない。才能も必要なのだがあることについて知識でも集中力がないと活かすことができない。集中力は一つの意志によって作り出す。だからそれは才能の前に自ら意志でもってあることに集中しなければまた鍛錬しなければ何か創作もできないし学者になれば論文でも書けない。それは文系だけでなく理系でも同じである。集中力がないと成果が現れない

集中力は自らの意志によって作り出すのである。勉強するにしても集中力がないと進まない。例えば勉強するにしてもいろいろと気が散る。すると勉強も進まないのである。何か性欲の妄想は出てきたり他でも気が散るということがいろいろある。あることに集中しなければ何か勉強でも進まないしまた何かを創作するにしても進まないできない。ともかく人間というのは怠けやすいのである。だから自らの意志でもって集中しないと常に時間を無駄にすることになる。だから何か一つのことに打ち込むということは大事である。

またそれは特別なことでなくても人間の健康でもやはり自らの意志でもって運動しなければ体も作れない。いくら生まれつき体が丈夫で習慣的に自らの意志で体を鍛え運動しなければやはりもともと丈夫な人でも弱てくるし病気にもなくなるなってくる。だから人間はすべて生まれつきで決まる訳ではないのである。確かに生まれつきが影響することは大きい。でもいくら生まれつきで才能があってもそれを伸ばすためには自らの意志で作り出さなければ活きてこないのである

だから人間というのは何でもただ与えられるものではないし何かを作ることもできない。人間はたとえその人が大した能力がなくても何かを積み重ねて集中していけばその人はやはり何かを作りその人なりのものを生み出すことができる。天才だと努力などいらないとなるがその天才にしても異常な集中力があったりする。だから何かに集中できるということはそれだけその人は創作できるとなる。

●集中を邪魔するものが多い

何かに集中するというとき必ず周りからでも気が散らされるて集中できない。それは問題なのである。だから必要なのは集中する場の確保である。やはり個室を持たないと集中できない。その時家族がいても家族によって気が散らされると集中できなくなるのである。だから知的なこととか創作的なことをするときどうしても集中する場が必要でありそこで鍛錬して作り出す努力をするのである。

集中するにはどうしてもその人の意志が強くないとできない。なぜなら人間は怠けやすいし何か漫然として時間を無駄にしている。でも何かに集中すれば才能はなくても見えてくるものがある。だから集中力というのは何をするにしても大事になる。おそらく勉強ができないという人は集中力がないからだと思う。

その集中力を出すにはやはり何かに興味を持っていないとできない。強制的に集中力を作ることはできない。その人の意志で集中力を作り出さないと強制的ではできない。その強制するにするのも自らの意志でするとき効果がある。その人はその人なりのものを追求するとき集中するからである。

だから集中する場が必要であり色々なもので気が散らされるような場所に入れば集中できない。だから個室が必要でありまた家も大事なのである。住んでいる場所でも大事である。周りの環境が騒々しいとかになるとやはり集中できないからである。ともかく人間は才能の前に何かそうして環境も大事であり自らの意志も必要でありただ漫然としていて何か身につくことはないのである。ただ天才とは別であり普通の人はこうして何か意識的に集中しないと何もそれなりの人にはなれない。

例えばこの世界の美を見るにしてもやはりそこに集中力が必要なのである。さまざまなものはこの世には雑多にありそういうものによって自然の美も見えなくなる。まず大都会では自然の美は見えない。あまりにも雑多なものでごちゃごちゃしてスモッグのようになって美は見えないのである。
だから今白鳥がいるがその白鳥の美を見るにわやはりその白鳥に白鳥にみることに集中しなければならない。花を見るにしてもやはり花を見ることに集中しなければならない。生け花でもその花を目の前で何日か続けてみているとその美が映るようになる。つまり花でも花でもその花を見ることに集中しなければならないのである。

でも周りのものにさまざまな雑音があって気が散るとその美も見えなくなるのであ。まだ人付き合いで人は邪魔なものとなり集中力を削ぐものとなる。やはり何かに集中しないと何kを創り出すことはできない。ただ周りでもそれぞれに集中するものがあれば人がいれば別である。

とにかく人間というのは様々なものに気が散りまた無駄な時間を過ごしている。それは集中できないということがあるからである。テレビでもくだらない番組を見るときそれも何かに価値あるものに集中できないからそうなるのである。そして時間を無駄にしているのである。集中することはあるとき苦行になる。だから座禅とかは何かに集中するためにするのである。集中力をつけるために座禅するのである。
人間は何かに集中する時やはりたいして才能なくても何者かになってゆく。何かを作るにしても必ず意志が必要であり集中力が必要だからである。それは例えば医者でも患者を見るとき患者に集中しなければ見れないからである。

確かなことは人間はあることにことに集中できなければ何者かになることはできない。ただ受験勉強のようなものは強制されてしているからそれが身につかない。自らの意志で自らを強制してやるときは別なのである。何か芸術でも創作するにしてもどうしても集中しないと作品でも作れないからである。だから集中するということは粘りも必要であり忍耐力も必要になる。

●集中する場として家が大事―特に老人は大事

賃貸に住んでいる人のインパクトはそれ以上でした。老化のスピードは持ち家の人に比べ、年間0.045歳早い。つまり、1年に約2.5週間も老化していたのです

賃貸住宅に住むと早死にする」

若いときは家というのはそれほど影響しないかもしれない。だから狭いアパートでも学生時代に住んでいたが別にそれで苦しいということもなかった。若い人は適用力があるから体力もあるしそれで別にアパートのようなところでもいいとなる。
でも老人になると家が大事になる。その周りの環境も大事になる。老人はやはり落ち着いた場所が必要なのである。また家が狭いと何か心にも余裕が生まれない。狭い部屋だと圧迫されるからである。ただ認知症になった場合は狭い部屋でなんでもいつでもどこにあるかをわかっていることがいい。でもそうでなければ部屋は広い方が良いし余裕が持って住めるいいのである。

だから賃貸の狭い部屋に住んでいる人と広い家にゆったりと住んでいる人は寿命まで影響していたのである。それはたしかなことである。老人になるとあまり外にも出ず遠くにも行かず家に居ることが多くなる。だから家でいる時間が多くなるのだからその家が居心地が良くないと影響するのである。だからアパートとかに住んでいる人は寿命が縮まるというのもわかる。それだけ家の影響は日常的に影響するからそうなるので積もり積もって寿命まで短くしていただいたということである。

そして家で読書したり作業したりする時どうしても家というのは生活のベースになりその家が賃貸のアパートだったりすると何か落ち着かないとなるのである。そして知的作業をするにもかなりの本が必要でありその本を保管する場所も必要になってくる。書斎も必要になってくる。だから家というのは大事になってくるのである。何かに集中するにはやはり家が必要でありまた個室が必要なので外からの騒音を入らないようなところで精神を集中する必要があるからである

私の場合は広い家に住んでいる。だから寝室も八畳間がありそこで寝る時いつでも本を読んだり何かメモしたり作詩したりもしている。その部屋が落ち着いて外の騒音も入ってこないので家族もいないから集中できるのである。だから私の場合は知的作業をするのに恵まれた環境を与えられていたのである。つまりそれだけ家の影響が大きいということである。だからアパートのようなところに住んでいればなかなか知的作業もしにくいし寿命まで縮まったということである

ともかく自分の子供時代は高校まででも子供部屋もなく雑居しているような感覚であった。家には一冊の本もなく子供の時は店で毎日配達をさせられて働かされていたのである。読んでいたのは貸本の漫画であった。だから何か自分自身の知的興味で持って勉強したことがないのである。だから確かに才能というのは生まれつきもある。それに加えて環境が相当に影響しているのである。やはり学校だけでは足りないのである。学校は一人一人を観ていないし平均的に見るからその人にあったものが追及できないのである。返って家庭の中で子供向けの本でも揃えてあったり個室があってそこで自分の好きなこと興味あることを追求できる環境は必要なのである。

ただ不思議なのは私は大学出てから自分の興味あることを追求してきたのである。大学というところは実は何かその人が興味を持っていることがないと何も学べない。なぜなら授業に出なくてもいいからである。そこに教授がいたとしても何も教えないのである。だから自主的に勉強しない限り何も身につかないのである。その自主的な勉強の場としてただ時間暇自由な時間が与えられ図書館などがあったりして自主的に勉強そこで勉強自ら勉強しない限り何も身につかない。でもそれがない人は大学に行っても何も身につかないのである。大学は公園だというときもそうである。何か別に教える人がいるという感覚がなかったからである。だから文系の大学はいらないというのもわかるのである。

●寺は社会に適応できない人でも受け入れる場所だった?

だから奇妙なのは引きこもりというのは否定的に見られるがそういう面も大きいそこで社会から離れて隔離したような場所で何か自分の興味あることを追求したり私の場合はそこで自然と一体化するために沈黙の行をしたり詩作をしたりしていたのである。そもそも社会に出れば会社に入っても常に人と対応したりしてそこで人を騙したりするのは普通である。特に今は不景気になって金融関係ではゆうちょですら人をだます金融商品を売ったりしている。銀行でもそうである。そういう場にいればどうしてもそれを否定することはできなくなる。。

でも引きこもりの場合はこれも問題なのだがそうした人を騙すようなことはしなくてもいいのである。そもそもはなぜ寺があったりしたのか寺の役割はなんであったのか宗教とは何であったのか。職業というの業とカルマと見ていた。職業に従事することは何らか悪いことに関わるということにもなっていたのである。だから職に就くことを拒否することにもなったのである。それが寺という場所でありそこで座禅などをしているのはまさにそれが許される場所だったからである。私の場合は引きこもりになってそうした修業をしていたと思う。現在ではそういう場所がないから引きこもりとなりそういう人たちは社会の脱落者として批判されるとなる

要するに社会に適応出来ない人が人を受け入れるのが寺の役割としてあったのかもしれない。でも今になるとそういう場所がないから引きこもりにもの現象が現れたのかもしれない。これを全て肯定はできないにしてもやはり社会に適応出来ない社会を拒否する理由もあったとなる。何か社会ですべてが労働が決して良いものとなっていないからである。結局金になればいいとかしかならない仕事もいくらでもあるでもそこで金を稼げればその人はいうような社会の一員とされているのである。だから仏教では職業は全ていいもの観ていない。心を正常に保つためにわ社会から離れざるを得ない状態だったのである。それは現代社会にもありまた現在特有の事情も出てきてそういう引きこもりが多くなったとも言えるかもしれない。

ただ私の場合は引きこもりでも絶えず旅をしていたから家に引きこもっているというだけではなかった。だからそれももし私の場合でも私に合った職業が与えられればそれに励んでいたかもしれない。でも私はそういう職業が与えられることはなかった。自分に合わない職業はでも働かざるを得ない金を得るために働かざるを得ないという人が多いので。そもそも社会でその人に合った職業など与えられないだろう。その人の天職など与えられないし若いうちは何が自分に合ったものなのかわからないわからないこともある。

ただ私の幸運だったのは家族に恵まれて恵まれて自分の自由な自分で自由に興味あることを追求してきたことなのである。だから私は親には人一倍感謝しているのである。そして最後に2人を介護したことで親も喜んでくれたので自分のはただ尽くされるだけでないということで親も喜んでいたのである。まだこういうのは本当にまれだと思う。特殊な家族環境で私の場合はそうなったのである。



posted by 天華 at 11:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育心理学など

2024年01月19日

百歳生きた母の一生 【人間は物語を残すー歴史はヒストリーーストリーである】


百歳生きた母の一生

【人間は物語を残すー歴史はヒストリーーストリーである】

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母は裕福な家に生まれた。幼少期は恵まれていた。でも父親は警察署長だったが事業に失敗して家族は辛酸をなめる。そのとき実の母は病気になりそこに父親は機織り工場に勤めていた女性を引き入れた、実の母は死んでいなかったが母はその母に育てられた
実の母は死んで継母に育てられた。その継母は恐ろしく気の強い女性で母は悲しい目にあった。小学校の時その継母は弁当を作ってくれたが母は残した。でも継母は激怒して俺の創ったものは食えねのかとその弁当をぶんまけた。その時母は泣いた
それは深い傷となった。母は糸取りとして原町の紡績工場で十年間働いた。体は痩せていた。昼飯は御飯と味噌汁と沢庵くらいだった。一汁一菜であった。母はその後東京に出た。母の仕事は女中だった。そのころ女中が女性の主な仕事であり糸取りの紡績工場も女性の働き場所だった。そのことでそれほど不満はなかった。なぜならその頃大正時代であり女性の働く場所は限られてれていたからである。だから紡績工場でも現金収入になり女性の地位も上がったとなる。

異常に気の強い継母は一時は実の母も世話したが私の母も世話した。継母は肺病の弟の世話もした。でも25才で死んだ。
だから母の実家では継母にいじめられてとしても家にとって必要な人にもなっていたのである。
私の母は東京に出たのは姉が継母を嫌って横浜に出た。それで母も東京に出たのかもしれない。母の家族は父親が事業に失敗して一家離散のようにもなった。そしてまた不幸は続いた
東京で結婚したのだが夫が工事内の事故で死んだのである。その時五才の男の子供がいて実家に連れて帰りそこで母は継母に無理やり私の父と結婚させられたのである。その時私の父は50歳以上でありその頃にしてみればかなりの年であった

だから母は嫌々ながら私の家に嫁いだのである。でも連れ子だった私の父親違いの兄は愛されることなく悪さをするので実家に預けられた。五年ほど私の家にいて私はあんにゃと呼んでいたのである。でもまもなく中卒で集団就職した。その頃中卒で集団就職する人が多かったのである。
その兄もトラック運転手になったが交通事故で40才で死んだのである。兄は結婚していて離婚したばかりだった。そこで雇われた運送会社でもめた。母と雇われた運送会社の社長が荼毘にした骨を置いていけと言われてもめたのである。そしてなぜ墓をつくると言ったのかわからなかった。私は車をもっていないので自賠責とか交通事故の保険金のことがわからなかったからである。もう一人親戚の人が車を持っていて教えられたのである。
身寄りがないから保険金をもらおうとしてそんなこと言っていたのである。

とにかく兄のお骨は母の実家の墓に入れたのだがその骨も土になて跡形もなくなっていた。また実家の墓を受け継いだ人も疎遠になっていて縁も切れた。ただ墓を私の墓の隣に簡単のものでも作り供養している。私は兄には悪いと常に思っていたからである。
でもその実の娘は兄の墓参りにきてくれと言っても来ない、金もないので来ない、静岡の方で遠いので金もかかるから来ない、電車賃とか十万送ったが来ない。なぜそうなったかというと実の父親でも離婚して住む所もなくなりトラックにのせたり後は児童養護施設あずけたりとひどい目にあったので実の父親でも恨んでいるからそうなったのである。

母の一生を振り返ると何か不運であり悲しいことが多かった
私にとっても残念だったのは母はそうして継母に育てられて何か花嫁修業などもさせられない。学校は出たが尋常小学校であった。一応読み書きはできていたのである。そうして働き詰めであり花はいらないと庭に豆を植えようとしていたのである。
それは食べ物でも苦労したからそうなったのである。それも悲しいことだったでも別に高度成長時代も生きて食べ物はいいものを食べていたのである。戦前と戦後間もなくは日本全体が食糧不足でありまともなものも食べられなかったが高度成長時代には別に食べ物で苦労はしていないのである。
でも私の家では店を開いたのでその店がまた忙しかった。だから食事の時でもお客さんが来ると必ず母は立っていたのである。それが私には嫌だった予。みんなと一緒にゆっくりと食事ができないということもあったからである。ただだから母は一生働きづめだったのである。

そして90以上になっても今度は家事を続けていたのである。でもそれが意外と脳活性化して認知症にならなかったのである。家事というときそれはいろいろあり料理をするとなるとかなり頭を使うからである。
だからすべてが何でも悪く働くとは限らないのである。でも花なぞいらないということは悲しいことだった。それはやはりその生い立ちに原因があり継母に育てられたとかそこに問題があった。ただその継母も早めに昔の養老院に入り何か目が悪くして母が呼ばれたのである。その後そのまま母も死んだ。継母は解剖にしてくれということで大学病院で解剖された。その骨が母の元にもたらされたのである。そして実家の墓に入れたのでは

何かこうして一人の人間の一生ををたどるとそこに人間の悲しみを知る。
もし継母でも実の親のようでなくても愛し子供を愛していればこうはならなかっやろう。最後にお骨を引き取ったのは継母に育てられた母だっとなる。その最後から人生をふりかえると人間というものはどうあるべき見えてくる。
でもその継母も母に(悪かった)と言っていた。最後に反省したのだがすでに時遅しとなっていたのである。人間はその最期から見れる人はいない。最後に人間の一生が何だったにか否応なく見せつけられるとなる

いずれにしろ墓はいくらでもあるが墓よりこうしてその人の一生語ることがその人を供養するということにもなる。墓を見ただけではその人がどういう一生だったのかわからないからである。だから歴史とはヒストリーでありそれぞれのストーリーとして語られるものとしてある。
それはのちの世の教訓になる。ただこういうことは人間はカルマを繰り返しているということがわかる。こういうことはほかの人でもありうるからである。兄は母のことを恨んでいたがその兄も娘を捨てたようになり娘は墓参りもしないしただ恨んでいるというだけであるだからこれもつくづくカルマだと思う。
そして兄を知り墓参りしているのは私だけになったのである。

こういうことはほかの人でも必ずあるつまり人間はカルマを背負っていて親を責めても親と同じようなことをしているということになりまた子供からも責められてる責められるということにもなる。だからこうしたカルマというのは人間の生が続く限り消滅しないようにも思えるのである

とにかく母の最後は百歳まで生きて安らかに老衰で死んだ。いつも眠るように死にたい死んだらいいなと言っていたが本当にそのように死んだのである。だからその死に顔は笑ったような顔になっていたのである。私も介護してそれを喜んでいた。だから母の一生は苦しいものでもあったか最後は楽に死んでその死に様はいいものだったのである。ただ人間の一生を振り返ればその一生は何だったのか問われる。それは死んでから問われるし明確に見えてくるのである

郷土史でもその一人一人の人生が郷土史なのである。

眠るごと母は死にき百歳を生きて苦しむも今は安らか

posted by 天華 at 10:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 明治維新-明治以降

2024年01月18日

ノブレス・オブリージュとは何なのか 【大衆社会で失われたものー公務員も尊敬されないのでやめる人が増えた】

ノブレス・オブリージュとは何なのか

【大衆社会で失われたものー公務員も尊敬されないのでやめる人が増えた】

●消防士も文句ばかり言われて人を助ける気持ちがなくなる

「公用車で弁当を買いに行っていた」「仕事中に菓子を食べていた」という類の些細なことについても市民から役所に通報が入る場合がある。すると上司から型どおりの注意を受ける。火災現場でギリギリの判断が迫られたとき、クレームを受けた経験が脳裏に浮かび、火のなかに飛び込むのを躊躇することがあるというのだ。もしかすると、その陰で人命が左右されているかもしれない。

かつて「日本は優秀な官僚で持っている」といわれてきたが…“エリート国家公務員時代”の終焉。若手が早々に打ちのめされるワケ【同志社大学教授が解説】

ノブレス・オブリージュとは、高い社会的地位には義務が伴うことを意味するフランス語[1]。「nobless」は「高貴さ」、「oblige」は「(義務を)強制する」という意味である[1]。
最近では、主に富裕層、有名人、権力者、高学歴者が「社会の模範となるように振る舞うべきだ」という社会的責任に関して用いられる。

この記事で

火災現場でギリギリの判断が迫られたとき、クレームを受けた経験が脳裏に浮かび、火のなかに飛び込むのを躊躇することがあるというのだ

確かにこれは怖いことである。命をかけることがある仕事になればやはり日頃から文句ばかり言われたりその仕事のに対して尊敬もなければそうなるかもしれない。これは自衛隊とかでもそうである。戦争になったら命がけになったらただ給料を払っているから貰っているのだから戦争のときこそその仕事になるのだから死んでもしょうがないとかなる。でも命がけになると強力な動機が必要になる。

●ノブレス・オブリージュの必要

ヨーロッパの貴族が特権階級ではあるがそのために戦争でも率先して命をかけて戦うということである。それは日本でも侍がそうだったのである。ただ日本の侍は下級武士になれば貧乏でありヨーロッパの貴族とは違っていたでもやはり侍は上に立つ者であり人々はサムライを模範として尊敬もしていた。だからこそ武士道が生まれたのである。
現代社会は別に公務員だけではない誰も何か尊敬したりしないし感謝もしない。現代社会とはただそうした尊敬するとかの代わりにすべて金で判断されるのである。だから金を多くもらう人はノブレス・オブリージュがあるとなる。

つまり何らか社会的責任を負っているとなる。でも金持ちの人を尊敬しているかとなると別にしていない。金持ちといってもその人たちはむしろ役得や株で儲けたとか何かいかがわしいことをして金持ちになったとしかとか見ていない。公務員なども保証された身分でありクビにされることもないから羨ましがられていた
でも人間というのは仕事するにしてもただ金ですべてが決められるわけではない。その仕事でもやはり認められて尊敬されるということを感謝されることを求めている。
でも現代でかけているのはもはや誰も尊敬したりしない感謝したりしない。大衆社会とはすべてが平等でありそうした何か尊敬の気持ちなどない。そして金さえ払えばいいことでありむしろ人は尊敬などしないが金には従うのである。でも金をもらえるから仕方なくやっているというのも多い。そういう時何が起きるかというと

火災現場でギリギリの判断が迫られたとき、クレームを受けた経験が脳裏に浮かび、火のなかに飛び込むのを躊躇することがあるというのだ

つまり日ごろ何やかにやと文句ばかり言われて尊敬など何もないむしろ公務員は安定して首にもならないのだからと羨ましがられるだけでありその仕事の仕事に対して尊敬などしないのである。

●大衆社会ですべてが水平化される

つまり大衆化社会とは決して昔の貴族社会のように尊敬などしない。大衆社会とは全ての人が皆同じであり誰か優れた人は人を認めないのである。必ず何か人必ずどんな人でもお前と俺は同じでありケチつけるのが普通である。そして水平化されるのである。
だから何か必ずケチつけるしその人がどんな人であれ必ずケチつけることができる。特にネット社会になるとマスコミと違って必ず何やかにやとケチつけることができる。そこで必ず水平化されるのである。
だから私は今はコメントをしてない。それはただケチつけて俺とお前は同じだという人が多いからである。何か真摯に求めるものがあれば別だがただ相手をケチつけて俺とお前は同じだとしてそれで満足するのである。そういう人が多数でありそれでそんな人にいちいち真面目に答えているのは徒労だとなるまともに答える気もなくなるのである。

その結果として起きてくるのが公務員であれ何であれ仕事へのモチベーションが失われてゆく。すべてが金で計られ金を与えているのだからお前はそれをしろとなる。それは命がけの仕事となると金をもらったからといってとてもできないとなそれが消防士の仕事にもあったということである。

●大衆社会から生まれたナチスやカルト教団

つまり現代というのは大衆社会である大衆が力を持った時代である。誰か優れている人がいるとか何か尊敬するなどということは全くない。みんな同じでありお前と俺は同等だとなる社会である。でもその大衆社会がどうなるかというとヒットラーのナチスのようにまたなる。カルト宗教団体と似ていて一人の人間が神のように偶像化して崇拝される
それは大衆社会から必然的に生まれた病的な現象なのである。だれも尊敬などしない、水平化された平等社会になったがやはり逆に一人の人間でもそれほど崇拝するということはそうしないと多数の人間をまとめられないからそうなったのである。それは別にその人が優れているからではない。巨大な集団をまとめるのにそういう人が必要でありそれはそれが今度は逆に強制的にそうなったのである。別にその偶像化した人を尊敬するわけでもないにしてもそのそういう組織集団に居れば強制されるということである。

なぜそういうことが起きたかというと大衆社会で水平化されたとき逆の現象でそういうことが起きた。それは貴族社会とは違って
ノブレス・オブリージュのない社会だからである。人間社会にはやはり地の塩となるべき人たちが必要でありそれが今はない。ただ批判だけがあり文句だけ言われ命がけで仕事する人も尊敬されたりはしない。すべては金で測られるだけである。でもいくら金をもらってももし命がけでしなければならないとなったらとても人間はそのことはできそれは出来ない。だから消防士でもあるとき命がけになるから日頃から文句ばかり言われていたらそういう時とても命がけで仕事ができないとなつまりそうした社会は逆時みんなに尽くす人がいなくなるということである。

●なぜ大衆社会を否定するアウトサイダーが生まれたのか

それでなぜアウトサイダーが生まれたかというとその人は特別優れていて大衆社会から離脱してしまったのである。要するに現代とはナチスのように大衆に席巻された時代である。そこでは水平化されて何か高貴なものでも認めない。低俗化してそれが標準となってしまうのである。そしてその大衆を相手にするのはマスコミだったりするなぜなら常に大衆を相手にするからである。するとどうしても低俗化するのである
だからここで指摘されたことは意外と重要なことでもある。消防士ですら文句ばかり言われていたら命がけで仕事をするときやる気もなくなるということである。
例えばヨーロッパの都市国家では上に立つ人は市民市民を守る義務があった。敵が攻めてきたら城外の人も城の内に入り騎士とかが住民を守るために戦った。それはもともとそういう義務があったからである。そういう伝統がありノブレス・オブリージュが生まれたとなる。

結局なぜカルト教団がこれほど人数を集めたのか。それはもはや大衆はどんな優れた人があっても尊敬などしない。カルト教団はそうした大衆を相手にして数を集めて権力を持つことしか考えてない。だから逆に大衆社会はナチス化したりカルト教団化して大衆に支配されるという逆説にもなっているのである。そのことが逆に大衆であれ人々に跳ね返ってくるのである。つまり誰も導く者がいない導くものはカルト教団の悪辣な教祖くらいしかいなくなるのである。それもまた大衆社会の帰結だと思う

posted by 天華 at 10:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2024年01月17日

2024 フラワーアレンジメント 【失われた正月気分ー正月は日本独自の文化】


2024 フラワーアレンジメント

【失われた正月気分ー正月は日本独自の文化】

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これはネットで販売している

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ここに龍の字がある

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喜びに咲くや花々年明けぬ
新年や花の美尽きず我が愛でる
新年や花に花そい美の尽きじ
新年や花の芳香の部屋に充つ
花々の調和し喜び年新た

天華

フラワーアレンジメントは花の美を作るartである。ただ写真とか見ても花の美が感じられないことがある。生け花というとき生きた花見ることである。だからまじかで生きた花を見ると花の美をじかに感じる。そして何日か見ていると花の美が自ずと心に映るのである。だからここでも何か人間が感じるというとき必ず時間が必要なのである。
ともかく花というのはどんな花であれ調和して咲くのである

このことは花の不思議としてある。花は争ったりしない。必ず花は調和し咲き尽きない美が生まれている。それぞれの個性がありそれぞれの色がありそれは調和して至福のなかに咲くともなる。つまり花には何か天国のイメージがある。人間界は争いが尽きることがないけど花はそれぞれの色に個性に調和して美を創り出している。その取り合わせ無数にあるともなる。

何か正月気分という希薄化した。それは農業があって日本の文化となっていたのである。その文化が時代の変化で農業という農業社会から工業社会に移ったときその文化も時代に合わなくなったとなる。でも正月というのは何か特別な意味をもっていた。なぜなら古い江戸時代の人から見ると必ず正月にという碑が刻まれていて正月に記念して作られていたとなる

この正月という文化は日本独特のものでもある。たしかに中国にもあるが日本でどこ日本では特に日本風に作られたのである。なぜなら韓国にはない。年賀状なども日本独自のものでありそれがそれを韓国とかが真似たのである。正月にさまざまな行事がありそれは日本独自のものとなっていた。謹賀新年とかなるの日本独自のものであり中国でも韓国でも無いのである。それは日本の文化なのである。 happy new yearとかはそうしたものは感じられないのである。

ただ正月気分がなくなってしまったものははやはり農業社会から工業社会になって農民社会ではないみんな会社員となりそれが影響して正月というものは祭りとしても消失したともなる。なぜなら俳句の季語でも明らかに農業社会から生まれたものであり農業というのは季節に敏感であり例えば増えるという時冬(ふゆ)であり冬には返って農作物でも実り増える物としてありまさに農業からそういう発想になったのである。

いずれにしろ温暖化で秋でも短く季節感が感じられなくなる時それも日本の文化が俳句でも影響がある。明確に日本で四季がありそこから俳句も生まれたからである。その四季が温暖化で曖昧になる時俳句という文芸も維持できなくなるともなる。
秋深しとかでもそうである。去年でも秋深を感じる前に秋は終わってしまっていたということである。冬にしても温暖化して冬深むかも感じられなくなるかもしれない。そうなると俳句という四季に基づいた日本の文化も変化して一部は消失してしまうとなる。

ともかく正月気分というものがない希薄化した。そもそも自分自身でも雑煮など作れないから食べていないし何か正月という気分は感じられなかったのである。ただ正月というのは特別なものとして日本ではありそれがそれを失うということは日本文化の消失なのである。そのことについて日本人も日本人はあまり考えない。文化を失うということはどういうことかあまり考えない。文化というのは別に金にならない経済的に効果あるものともならない。でも文化を失うということは何か精神的に失うものがありそれはなかなか心の問題だから感じられないが必ず心に影響する。

日本人が村をベースとしてアイデンティティとして生きてきたし歴史を作ってきた。でもそれが失われた時そこにあった日本人的なもの人間的なものがも失われたのである。そこに培われた共同性とか村に生きた人が死んだら御先祖様になるとかという文化は失われたのである。それは村という共同体が日本の基本的なアイデンティティーだったからである。

ただそれは経済的にみれば金にならないものでもありなかなか価値として感じられないから文化と言っても失われやすいものでもあった。ただ精神的にそうした文化を失うことは心貧しいものとなっていることは確かである。ただ年賀状文化などはもう喪失していると見る。それでもやはり新年ということで心を新たにして一年を生きるということはやはり人間にとって必要なことである。そのこと自体は変わらないと思う

お盆でも祭りは共同体があって継続される
 (現代は村とか共同体は喪失したので機能しない)




2024年01月16日

冬深む【村に生きた価値を見直す―村が日本人のアイデンティティの場】


冬深む【村に生きた価値を見直す―村が日本人のアイデンティティの場】

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この絵も不思議である。神殿の前に老人がいる、それは賢者の老人なのだろう
being image creatorでなぜこんな絵が出て来たのか不思議である

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一村や交わり密に冬深む
一村を支え合う者冬深む
故郷に老木一本冬深む
石と石組まれて固く冬深む
石一つここに変わらず冬深む
動かざる石の重さや冬深む
親死して我が家に老ゆや冬深む
五六本樹影の濃しや冬深む
我が家に70余年や冬深む
家古りて大黒柱や冬深む
あまたなる蔵書再読冬深む

村人と歳月長く石一つ共にありしも冬の日暮れぬ
冬日さし地蔵一つの祈るかな名もしれぬ石くれの墓
名も知れぬ墓のあわれや冬の暮何をか語れ我がたたずみぬ

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昔の村を振り返ればそれはやはり今とは違った世界がそこにあった。何か村というとき閉鎖された息苦しい場所としてしか見ていない。因習に捕らわれた村と見ている。そういう側面は否定できない。でも日本というのは村はアイデンティティーの場所だった。だから日本人を知るというときまた日本の文化を知るという時村が基本であり村を知らなければ日本を知ることはできない。それは外国だと都市が国家となっていて都市を知らなければヨーロッパなどを知ることはできない。城壁に囲まれた中に共同して暮らしていた市民がいてそこでシティズンシップが養われた。

そこに住んでいる貴族は騎士は城壁の外に住んでいる農民たちを敵から守る役目があった。日本では侍は戦争になったら城にこもって討ち死にした。そこに住んでいる庶民とは別なのである。だから会津でも薩摩長州軍に攻められて城が燃えたとしても白虎隊はそれを悲しんで絶望して切腹して死んだ。
でも農民返って税で苦しめられていたから明治維新の時一揆を起こしていたのである。ヤーヤー一揆である。だから侍と農民とその城内の人たちと共同していたというわけでもなかった。このことがかえてヨーロッパの人たちに理解できないともなる。

村は a janese villige is one identified  placeである。そこには閉鎖的で閉ざされたものとして否定れるという側面もある。でも日本人の資質というのは村で養われたことは確かである。村とは今と違って一つの家族のようになっていたのである。共同しなければ生活できないからそうなっていた。その村の感覚からすると都会化したとき東京とかなるともはや村とかとはかけ離れたものとなってしまったのである。でも会社のビルの上に社を祭ったりしているから会社とは社(やしろ)に会すすとなっているからやはり村の延長にもなっている。

村は否定的に見るがそこに日本人の心が培われた場であり現在が失われたものがある。一番失われたものはやはり人間の共同性なのだろう。村というときせいぜい500人くらいの規模でありそれがだんだんと千人から1万人とかさらに十万人とか百万人とかになってしまった。その時村のような共同性は共同体は失われたのである。それがさらにグローバル社会になると世界経済の中に組み込まれ人間的なものは喪失する。世界経済にグローバル化しても村のような稠密に一体化して結ばれた世界とはまるで違ったものなのである。確かに物は入ってくるがそこで協同性は培うことはできないのである。だから何かあると貿易も止まるし外国では援助もしない。むしろ弱体化した時攻めてくるとなる。

冬というときちょうど今頃の時期である。今日などは本当に寒い。比較的暖かかったがこれこそ真冬である。冬は回想の時でありまた老人は過去を回想するのである。だから読まないで買った本をまた読んでいる。するとそれを初めて読んだと同じだった。大事なものとして線をびっしりとつけていたがそれも覚えがなくなっていたのである。
でも今になると自分の文脈の中で本を読んでいるからそれを引用するとき本は本当に読んだとなるのである。だから関心ある本を集めるだけでも後で役に立つということがわかった。そのときアマゾンで本も買えないから自分の興味あるものを広め深めることができなかったのが損だったのである。

知識というのは本で読むにしろ関連したものを集める時そこに知識が深められるのである。今は冬籠りであり過去を回想して本でも深く読むことができる。そしてインターネットだとプログでいいのはいくらでも自分好みに書けるし自由に書ける。そしてプログにあっているのはその時々の季節にあったものを書くことである。それが俳句とか短歌には向いていたのである。なぜならそれは季節と深く結びついているからである。俳句は季語の芸術だからである。

人間とはやはりどこかに定着して思想でも深める。それで家が大事になるのである。定着するに家が必要だからである。そして親と一緒に家に住んでいたがみんな死んでしまった。でも70年以上この家に住んでいる。そこに時間の重みが出てくるのである。やはり70年ともなれば長い、そこに重みが生まれるのである。家は死んだ人もなお生きている場所でもある。家とは人間の生が継続する場所なのである。

能登半島地震と志賀原発の問題 【福島原発事故と同じようなことが起きていた】

能登半島地震と志賀原発の問題

【福島原発事故と同じようなことが起きていた】

「避難にあたっては、災害の状況に応じ、自家用車をはじめ、自衛隊車両や国、県、町の保有する車両、民間車両、海上交通手段などあらゆる手段を活用する」
当時原発規制について協議していた与党民主党と野党自民党には共通の利益があった。自民党は原発利権を守りたい。民主党は最大の支持基盤である連合(電力総連など原発関連の有力な組合を傘下に有する)の支持を失いたくない。両者の思惑が一致して、原発を動かすために避難計画を規制委の審査対象外としてしまった。

住民の反対で頓挫した珠洲原発の建設計画も、当時は地震でも大丈夫だという話だった。もし、計画が実現して珠洲で原発が稼働していたら、壊滅的な被害が生じ、周辺住民は避難できず大惨事となっていたことだろう。

能登半島地震でマスコミが映さない原発の「不都合な真実」 ずさんな避難計画を隠そうとする政府と電力会社 古賀茂明

原発事故があった際の避難ルート「のと里山海道」は複数カ所で陥没、一時、全面通行止めになった。石川県の激震地・輪島市や穴水町、七尾市は原発30キロ圏内だ。

「もし志賀原発の再稼働が認められていたら、どんな悲劇に発展したことか。この地震は、地震・火山大国日本への最後の警告だ」



志賀原発も相当に被害があった。でもその実態は隠されている。原発というのはとにかく隠蔽されるのである。ここで指摘しているように避難計画などされていない。避難対策などしていないのである。それはなぜなのかとなると原発というのは巨大な利権になっている。それは野党でもその利権にかかわっている。電事連というのは立憲民主党でも選挙のとき応援してもらう団体でありだから電事連から800億円もの宣伝費がマスコミへ出たというのである。その金も巨額である。

それは立憲民主党だけでもない公明党にも創価学会にも電事連から金が流れていた。なぜなら原発を推進する広告を潮に出したりしているし二番目くらいに広告出して宣伝費をもらっていたのである。創価というのはとにかく巨大な利権団体であり利権があるとなれば食らいついてゆく。その宗教自体が御利益宗教などだから何であれ利益になればいいだけである。そのために毎日祈っているのである。だからどこが宗教なのか理解できない。どこかに利益があるとなればそこに食らいついてゆく。一番利益になるのは選挙であり選挙で票が取れればそれが自民党と一体化して利権を得ることになるだからこそ国土交通大臣の利権が公明党に創価ににまわって行くのである。

つまり原発というのは巨大な利権なのである。それがわかったのは原発事故以後補償金にしてもその後始末の除染にしても6兆円かけたとかその金はその原発から湯水のように金が出てくるのである。原発で一番利益を得たのは漁業関係者である。特に船主は事故前からも巨額の補償金をもらっていたのである。だから原発御殿が立ったとその周りの人が羨ましがっていたのである。だから能登半島とかいうと何か不便な場所であり産業と言っても大したものは無い。

ただ漁業はありある。でもその漁業だけでは生活が成り立たないのが今の時代である。ただ今年は寒ブリが大量に取れて安く売られている。ただそうした漁業だけでは現在では生活できないとかなっている。そういう辺鄙な場所に原発は作られやすいのである。福島県の浜通りでも双葉とか大熊地域はチベットとか言われていた。そして出稼ぎ者が多く元地元で働きたいということで原発は積極的に誘致されたのである。
原町市とか相馬市がそれなりの人口があり仕事する場所もあった。でも双葉とか大熊とかその辺は仕事の場があまりなかったとなる。今回の地震でも怖かったのは珠洲市地域に原発は作られる予定だったのである。

珠洲市に原発が作られていたらどうなったのか?

そこにもやはり津波が来たし今回の地震は相当に強かった。そしたらどうなったのかそれも恐ろしいことだった。この辺では南相馬市の小高に東北電力の原発は作る予定があり事故が起きた時すでに工事を開始するときだったのである。でも事故が起きて中止になったのである。でも小高に原発は作られるということを知らなかった。話題にもならなかった。何か反対するというも聞かなかった。でも小高にできれば前の原町市であれ鹿島区であれ相馬市であれ避難区域にもなり住めなくなることもあり得たのである。だから珠洲市原発を作る予定があったということは恐ろしいことでもあった。

そして原発というのは事故の想定をしていない。だから避難計画もしてないしその予行練習もしないのである。福島原発の場合は強力な安全神話が作られて事故が起きないとされたからである。だから避難計画はされていないので事故が起きたとき浪江町長は最も危険な放射線が高い場所に山の奥の津島に町民とともに避難したのではある。でもその時東電の人がいて山の方に行くより海側に行った方がいいとしてそれに従った人たちがいた。

東電の人は放射線のことを知っていたからそうなったのである。それは正しいことだったのである。東電の人は原子力の放射線の専門家なのだから当然そういうことを知っていた。海の方は放射性物質は風で流されて放射線量は低いものだったのである ただこういうことが起きたのはそもそも原発は事故になりということを想定しないからそうなったのである。だから避難訓練などはしない。ただ安全神話を作り安全だ安全だと題目を唱えるように町民と町民に言ってるだけだったのである。

ともかく福島原発の事故のように原発というの必ず隠蔽されて事故がないという想定で作れだから避難訓練などはしない。ただ一番力を入れるのは周りに金を配ることである。それは報道機関であれマスコミであれ金を配り批判されない危険を言わないようにするのである。また地元に対してはやはり金で黙らせる。地元の人でも原発は金になるから危険があったとしても無視するのである。ただ珠洲市に原発を作る予定だったが反対して造らせなかったというのはどういうことなのか分からないがそれで助かったということである。

原発でもやはり国の指導であっても自治体で反対すれば作れないということである。だから反対できないということはないのである。それはほかのことでもそういうことがあったからである。ただ地元にしてもどうしても金に目を目がくらんで原発の危険には目をつぶるのである。その金が巨額なものだからみんな金に狂ってしまうということである。の辺で追加賠償があったがそれで今度は小高の人が一人300万円もらったとか噂になっている。実際は240万となっているが何か噂になりそんな金がもらったと羨ましがられるのでは。それを前からあったことである。

とにかく原発というのは巨大な利権をうむ。それは野党でも電事連とかで関わり原発を反対するということができない。い。共産党ですら反対しているというわけではない。ただ安全を図ることは言っていたのである。こうなると原発というのは反対することがいかに難しいか。でも珠洲市では反対して建てさせなかった。新潟県の巻町で反対して建てさせなかったのであるだから地元で反対すればやはり建ててることはできなかった。原発を東京に作れつくれというときそれがまともな意見だったのかもしれない。東京なら津波でも大きなものは来ない。湾になっているからそこで津波が弱められる。だから東京のほうがかえって安全だということもある。では東京に作れないのはなぜかとなれば東京都民が絶対許さないしそこには日本を動かす政府要人とかがいるのだから強力な反対がありつくれない。

能登半島など辺鄙な場所に作るのではなく大阪に作ったらいいともなる。それもできないの大阪市民が反対するからである。その人数が多いのだから作れないのである。そして辺鄙な場所に原発は作られやすいのであるそういう場所は経済的に苦しい場所であり原発がただ作られれば金になるということで地元でも反対しないことが多い。今回の能登地震でもそこは相当に辺鄙な場所であり限界集落もあり道が破壊されて孤立してしまったということでもわかる。まさにそこも福島県の浜通りの双葉とか大熊とかチベットと言われたのと日本場所と似ている。
それから放射性物質を捨てる場所として青森県の六ケ所村とか北海道でも辺鄙な場所に作られ。そこはやはり経済的に苦しいから金が欲しいということでどうしてもそうなってしまうのである。危険より金がほしいということになる。でもそれが後々どうなるかは深く検討しないのである。とにかく金になることに優先されて危険は無視されるのである

核燃料再処理工場を誘致した六ヶ所村の村民所得は年1364万円

これだけ金が入るから地元では反対しないのである。


posted by 天華 at 10:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2024年01月15日

能登地震で限界集落に金をつぎ込んでも無駄の問題 【自給自足の生活の時代は都会の人や税金に頼っていなかった】


能登地震で限界集落に金をつぎ込んでも無駄の問題

【自給自足の生活の時代は都会の人や税金に頼っていなかった】

日本全国で空き家が増え続けている。2038年には空き家の総数が2000万戸を超えると予想されており、これが現実となれば約3軒に1軒が空き家という計算に。まさに異常事態だ。

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回りを見ても老人というとき65から70以上であり70以上が多い、結婚した息子娘とか一緒に住んでいる人はいない
子供もいない、これを将来をみれば空家化空地化する。回りで十数軒が空家化して空地化する。後継ぎはいない、ただこの辺では原発事故の避難区域から移住して新しい家を建て住んでいる人が十軒くらいいるからそこは別なのである。
近い将来に私の回りは空家化して空地化する一区域が消滅するともなる。
こういうことが全国で起きてくるから深刻なのである。

●能登地震の限界集落に援助しても無駄−後継ぎの若い人もいないから

能登大地震で限界集落のようなところで被害がありそういうところに金をつぎ込んでも無駄だということを東京に住んでる人がいる。それでそういう限界集落のようなものは捨ててコンパクトシティにして人を集めて住まわせた方がいいと言う人がいる。それはなぜかといえばインフラのために水道とか電気を維持するために人がいないところで80倍もの費用がかかるとかなるからである。それを税金で負担することは無駄だとしている。それは霞が関の官僚はジジババしかいない三陸のようなところで被害に会った時も言われたのである

確かに今周りをを見回してもは子供を見かけないのである。そして一人暮らしの人が多い。その人は大きな家に住んでいるのである。私自身もそうだが何か子供と一緒に暮らしている人が見かけないのである。老人の一人暮らしが多いのである。それと40代か50代の人で結婚しない人が多い。それが目立っている。コンビニに働いている人は40代くらいでありそれも結婚はしていない。団塊の世代とかはほとんど結婚していた。結婚していない人は変わり者であった。その団塊の世代の子供が50代くらいでありそれが氷河期世代でありまともな会社に就職できない人が多かった。

結果的になぜ少子高齢化となったかというと団塊の世代の子供は氷河期世代となりそれでまともな会社に就職できずにフリーターとか非正規になって家族を養いないのも原因になっている。少子高齢化というときすでにその時将来を見ていたら政府でも氷河期世代に何か援助していたらばこうはならなかったかもしれない。ただ時代というのはあとから振り返ってみてそういうことだそういうことだったのかと知る。人生でもみんな老人になってあの時こうすれば良かったとかあの時起きたことはそういうことだったのだとかとわかる
でもその時は既に時遅しなのである。

●原発事故の避難区域ではゴーストタウンになった

とにかく東京でも空家が増えている。団地でも若い人は棲まず老人だけになりいずれは廃墟化して行くゆく。事故周辺ではすでに町自体のゴーストタウンのようになってしまった。ただ避難区域になったところから周りに人が移住している移住して新しい家を建てている。それができたのは保証金が補償金の額が大きかったからである。だからその周辺地域では南相馬市だったら原町区とか鹿島区でも相馬市でも新地あたりまでも移住して新しい家を建てた人がいる。つまりそれがコンパクトシティ化したのかともなる。

とてももはや避難区域になったところ若い人が流出したのだからそこは老人だけになり跡継ぎもなく町自体が継続されず廃墟化して行く。だからそういう場所に金をつぎ込んで復興させようとしても無理にも思える。それはつまり能登半島地震でも限界集落のようなところはおはようそこに住むこともできない状態にもなった。それを復興させるにもそもそもは若い人は少ないし老人が多いというとき跡継ぎもいないというとき復興することが困難になるのである。

でも不思議なのはそうした限界集落のようなところは戦後まもなくでも食料もまともに無い所でも人口が多かったのである
例えば飯館村などは6000人で原発事故以後千数百人になった。でも戦後間もなくは1万の人口はあった。それをその一つの原因が戦後引揚者は不便なところに開拓に入って生活した。仕事がないのだからそういう場所でも住んだのである。そもそもは限界集落と言われるところでは別に昔から人は住んでいたのである。

そのとき電気水道カスなどはない。水道がなくても井戸の水があり山の清水でを利用していた。燃料は山でとれる木材でありまた炭焼きであった。生活が成り立と立ったのは炭焼きが大きな収入となっていたからである。燃料は自給していたからである。だから石油でもガスにも使わないし電気も使わない生活であった。そのときは電気でも水道でもインフラ整備は必要なかった。だから都会の人も別に税金を払うわけでもないから文句も言わなかったのである。

●自給自足していた時代は農山村で誇りを持っていた

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富めりとも翁の身には知らざらん木の間のけむり絶えずのぼりて 大和田建樹

都会の人が富んでいようが自分には関係ない、炭焼きで自立して暮らしている、これは炭焼きして自活していた時代であった。戦後十年も炭の生活だった。だからこそ田舎では自給自足で自立していたからこういう自負があった。
国に頼っていない、都会にも頼っていないから都会の人に税金の無駄使いなどともいわれなかったのである。今からすると貧しいのにそういう自負があったということを見直すことになる。おれ達は東京のお荷物ではない、国のお荷物ではない、自分達のことは自分達でまかなっているとうい自負があった。
今は地方自治体でそんな自負をもっている所は少ないだろう。だから原発はかえってそうした辺鄙な地域に建てられやすい、そうなったとき地域の自立は消失して東電に町ごと村ごと市ごと買い取られるような状態になっていたのである。現実にあれだけの補償金が出されることに驚いている。
村一つとか町一つなど東電で軽く買い取る規模だったのである。

いずれにしろ今の時代の標準の生活をしようとすれば電気は欠かせない。また医療でも手厚くすればやはり限界集落のようなところに住んでいることは不便である。この辺でも目が悪いからと言って仙台の評判の良い眼科に車で行った。別にこの辺にも眼科があって仙台には眼科専門の病院がありそこにそこで手術したりしているのである。だから今の時代はそうした限界集落のように住む住もうとすると医療の面でも不便になるのである。それで救急車も来ないような村では子供をおんぶして医者に診てもらおうとしてゆく途中で子供は死んでいたということがあった。

だからそうしたところで例え自給自足して生活していても病気になったらもう手厚い医療は受けられない。だからみんな早く死んだとなる。せいぜい薬師堂とか地蔵様に祈るほかなかったのである。だからこそ限界集落で暮らせと言ってもそこに住んでいる人は病気になればやはりいい医者に見てもらいたいとなる。そうなるとやはりもはやそうした集落には住むことができないともなってしまう

そこで限界集落であり村が失われていくというとき消失してゆくというとき何が失われるのか。それはそこで長く営みが続いた歴史が失われているということである。日本の村は江戸時代からその前からも続いている。そこに多様な場所で生活することによって多様性が生まれていた。だからそうしたもらが失われると多様性も失われるのであ都会化するということは確かに便利なのだがさまざまな地域に住んでいることによって人間の多様性が生まれる。そこ豊かさがありただすべてが経済的視点から見るときそこに失われるものがある。都会の人はそういうことを見ないのであるただ経済的視点から効率性とかいう視点からしか未来のである。でも現実的にはどうしてもそうなってしまうのである。

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橲原の立目石

村人と歳月長く石一つ共にありしも冬の日暮れぬ

石一つが村にある。それはただの自然の石ではない。村人とともにその石はあり人間化した石なのである。橲原の立目石などがそうである。それは村の境界に石でもある。それは庭の石でもそうである。人間化した石でありその石は村とともに村人と共に存在したのである。だから原発避難区域の空き家化した庭を見るときそこに石があるのだがそれはなんとも淋しいものとなっているのである。その理由はその石はそのそこに住んでいた人と一体化して人間化していたからである。

経済的効率的とかから見れば限界集落などはもはやそこに税金をつぎ込んでも無駄だとなる。でもそこに失われるものは考えない。すべてが経済的にしか今は考えない。そのことで原発事故も起きた。危険なものでも地元でも金になればいいとしかなくなったからである。それで原発事故で失ったものを思い知らされたのである。町や村の村はゴーストタウン化してそこにあった共にする存在した石すら人間から捨てられたというな感覚になったのである。これは昔のような自給自足の生活ができるかできるかとなるとできない。山尾三省のような人だったらできる。でも村であれ村に住んでいる人でもそういう生活はもはやできない。ただ何事歴史的に過去を見て現在を見るということが必要なのである。

今高い野菜のことで田舎と都会を考える
(原発事故も田舎と都会の差から作られた)

原発事故を自給自足の生活から見直す
 (今は田舎の方が都会より贅沢であり不便を感じない)

posted by 天華 at 14:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2024年01月14日

外国はまずその地理と風土から理解する 【ドイツの風土ーゲルマン人は森の民】

外国はまずその地理と風土から理解する

【ドイツの風土ーゲルマン人は森の民】

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外国を理解するにわどういう方法があるのだろうか。まず地理から理解する世界のどういう地点にあるのか理解する。だから何かが起きたときtake placeになる。まずその場所を見る。そしてその国が作られた風土を見る。風土とはその国の気候の影響である
その国の気候で一番影響しているのは暑いのか寒いのかということで。ラテン系は地中海に沿岸の国は暖かい国である。でもなぜフランスとドイツ語隣あっていてもあれほど文化が違っているのか。それはやはり気候のせいである。例えば絵画にしてもモネのような明るい光がドイツにはないとなる。

まだゴッホのような灼熱の世界を描くようなこともない。ゴッホがオランダ出身でありフランスに住んでひまわりとか燃え上がるような夏の風景を描いた。それはドイツと比べると対象的なのである。何かドイツには気候的にも寒帯地域であり霧が多く光もあまり明るい感覚ではない。何か陰鬱な気候なのである。
それでデューラーのような版画が生まれたともなる

だからフランスと比べると何か文化的にも別の世界のようにも見えてしまう。もう一つはドイツはライン川があってそこでローマ帝国も進出できなかった。そのライン川でも海に出るのだがオランダがその河口に作られてドイツは海に面していないのである。フランスでもマルセイユとか古い時代からギリシャの植民都市ともなっていた。地中海に面しているということはやはりで国も違ったものになる。

だからドイツというのは森の民であるというときさらに暗い森に覆われているとすればその影響は大きい。だからケーテが死ぬ時にもっと光をと言って死んだのはやはりドイツの風土はそうして明るい光がない世界だったからからからそうなったのかもしれない。ドイツから生まれたのは何か重々しいものでありであり世界的哲学者とか音楽か生まれた。ただ画家は少ない。その言葉を見ても軽快なフランス語とはあまりにも違っている。その言葉は重々しいのである。ドイツ語から英語の元になったとしてもその発音は違っている。

そしてゲルマン人が森の民だというときその象徴が樅の木でありその黒い森がドイツの象徴なのであ。ドイツを例にすればその国を理解するとき森というのはどこにでもある。でも熱帯の森と北方の森は違っている。その森の相違でも気候の相違で文化も違ってくる。。福島県の浜通りは照葉樹林帯の地域でありマルハシャリンバイの自生する南限の地でもある
でも山の方になると飯館村などは北方系の森がある。だから森というときここにも森があるのだからそこから森をイメージする。それで飯館村で山に分け入ると樅の木が何本かありそれが神殿の柱のように見えたのである。だから北方的な風土は東北とか北海道に通じたものがある。

つまり外国というときその風土でも似ているものならそこからイメージする。ただ日本に住んでいれば平原とか砂漠とかがないからこれをイメージすることができないのである。特に砂漠というのは本当に理解することができない。でも砂漠に一神教が生まれ砂漠にエホバが存在したのである。だから砂漠地帯は同じ一神教の宗教で共通したアイデンティティーを持っている。でも日本では砂漠というのイメージできない。アメリカでも砂漠があり砂漠がどういうものか理解できる。

ともかく外国を知るというときその基本はその地理であり風土であり気候である。日本にしても西と北では気候が違っているから文化も歴史でも文化も違っているのである。福島県にしても海に面した浜通りと山に囲まれた会津とはまるで違った世界なのである。ただ自然を見るとき別に日本でも山がある森があり川があり海がありとそこから外国をイメージするのである。

ドイツは森の民であるというとき日本でも縄文時代は森に覆われていて森の民であった。だから共通したものはある。丸森町は名前のように森に覆われている。それでその森に迷い行って抜け抜けられない恐怖経験した。それはドイツの森でも中世になればそのスケールは比べようがなく大きなものであった。だからそうして森にまつわる伝説が生まれたのであるある。

日本の地形の自然の特徴は例えばの野の地名は山の斜面のことである。原とは別なのである。また日本は谷間であり山で矢間とか当てられている。それは人がそこで生活した場が野なのである。岳とかなるとそこは人が住んで居ない場所である。だから日本の地形の特徴として野がある。そして平というときそうした斜面でも平らにしてそこを畑とか田したのである。だから飯館村の木戸木(ことぎ)の人は畑を作るのに平らにするのに苦労したと言っていた。

つまり日本の土地というのは地形いうのは山が多く平らにする場所はない。だから平らにするということ自体が苦労だったのである。でも外国ではどこまでも平らな平原地帯がありそこにどこまでも続く森があったのであった。それは今でもウクライナとかロシアとかでも見られる。キエフの近くでも広い森が見えたからである。それは広大な平原に森がおおっていたということである。日本の場合は森といっても山にありそうした平原地帯にある森というものがイメージできない。そしてその平原地帯で生活する移動する遊牧民のことは理解できないのである。
砂漠地帯は遊牧民が移動したところでありそれはイスラエルもその砂漠地帯の延長にあり遊牧民がで移動したところなのである。それがなかなか理解しにくいのである。イスラエルにはラクダを止めた隊商宿がありもともと砂漠だったのだがユダヤ人が入植して果などがが実る豊かな土地にしたのである

ともかく世界を外国を理解するとき地理であり風土である。その歴史でもやはり地理と風土から作られるからである。ドイツとか北方地帯は日本ではみちのくとか北海道に共通したものがある。その気候とか植生でも似ているところがあるからである。ただ私の住んでる浜通りは照葉樹林帯のは南限の地であり違っている
何か私がドイツに共感するというときそれはやはり東北に住んでいるからそれで気候とか風土とかも似ているということで共感しているのかもしれない。つまり外国でも何か共通しているものがあると理解しやすいし共感しやすいのである。でも砂漠地帯となるとそもそもは砂漠というものが日本には全くないからイメージしにくい。別に森だったら日本にも森がありも樅の木でもある。だからドイツがゲルマン人のが森の民それそれは理解できるのである。

でも沙漠となると日本にはそもそも砂漠がないから理解できないとなでも一神教はエホバは砂漠に現れたのである。そして砂漠にも山があるのだがそれは岩山でありシナイ山と言われた山に登ったがそこは一本の木もない岩山だったのである。外国には山に木がない岩山が多いのである。だからそこは日本のような山で森のある山ではない。岩山であり植物すら見えないというとき厳しい場所だということである。そこでモーゼが十戒を神から授かったのである。ただそういう荒涼とした砂漠と岩山の世界を日本ではイメージもできないのである。

一つの国の歴史と民族性はまず自然の上にちゃんと書いてあるのである。よその国や人間を知りたければその土地の自然と言う書物をまずゆっくり読むことだ。一ページだけを結論に達したりしないで焦らず急がず読むことだ。春夏秋冬という書物をゆっくり読むことだ (西欧の顔を求めて犬養道子)

でもこの人のようにヨーロッパで長く住むことができないから熟知することはできない。普通の人はヨーロッパを旅行したとしてもそんなに何回も行けるわけではないからこのようにはできない。でも外国は一回だけもその土地を踏んだものと踏まない人の差が大きすぎるのである。私は一回でも行ったから実感できたのである。

ドイツの地を踏んでから
身体中に魔法の駅が流れ出した
巨人が再び母なる大地に触れて
私にもまた再び新しい力が湧いてきた
(ハイネー冬物語)

つまり外国を理解するにはとにかく一回でもいいからその土地をじかに踏むことなのである。その一回だけでも貴重なのである。今になると外国に行くのも苦しくなったからである。人間は常に何かチャンスを逃している。 20年前でも外国旅行したときは一ドル80円とかいう時代がありそのときは貧乏の人も外国を旅行できた
今一ドルが140円以上になった時その差は大きい。もう貧乏人は外国を旅行すること自体難しい。中国では日本の物価の100円だとすると10円くらいになっていた。それだけ安かったので。ただ私はそういうことに疎いから相当に節約して旅行していた。それも失敗だったとなる。そんなに節約する必要もなかったのであるただ外国の事を知らないからもともと大きな金など使ったことないからそうなってしまったのである。

つくづくチャンスというのは必ず逃している。老人になると旅したことを回想するだけになったからである。私の場合は50歳でバックパッカーだったから遅すぎたのででもその時しないならば60以上になって親の介護になったから何もできなくなっていたのである。それだけ時間は早く過ぎてゆくということである。今はただこうして回想しているだけなのである。




2024年01月13日

一様でない家族ーどんな家族に育ったのかーその影響が大きい 【高齢化社会は世界的問題であり適応するしかない】

一様でない家族ーどんな家族に育たのかーその影響が大きい

【高齢化社会は世界的問題であり適応するしかない】

「幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである。」トルストイ

●障害者を持つ家族の悲惨

家族は一様ではない,だから外から見て分かりにくいのである。例えば精神的障害者を持った家族は一人の障害者のために母親のエネルギーがその障害者に注がれ兄弟がいたとしても姉妹がいたとしてもその世話はおろそかになる。母親は絶えず障害者のことを心配しているからである。そのためにほかの兄弟姉妹はおろそかにされる。

それが成長したとき母親に対して不満になる。すでに50歳になっても依然として障害者の子供のを心配して母はそのことで精一杯になる。また兄弟姉妹にしてもその障害者の世話をしなければならずそれが嫌なのである。なぜなら子供の時から障害者の子供には母親は常に心配してそこにエネルギーを費やされて兄弟姉妹に関してはおろそかになってしまうからである

だからこそのことで母親に対して不満があり母親は体が弱っても病気になっても何か冷たいとなってしまう。子供だから一応面倒は観るにしても子供時代に障害者の子供ばかりに世話を焼いたからはい自分たちは疎かにされたとしてその不満が続いている。そしてまたその障害者の面倒を見るのは兄弟姉妹になるからそれでまた大きな不満になっているのである。

だからいかに一人の障害者をもつことは母親の負担となりまた兄弟姉妹の負担になるかということである。それで悲劇なのは親がの体が弱り病気になっても障害者の子供が面倒を見ればいいのだが見れない。それで会合の時介護の時兄弟姉妹でも一番かわいがられた人が介護しろという言われるのは理解できる。
ともかく何故私がそのことを理解したかというと直接にそのような家族と親密に接したからである。

●引きこもりの若者が500円玉にぎりしめて死んでいた

家族というときさ様々な家族がいてなかなか外から分かりにくいのである。たとえ両親がそろっていても普通の家族のように見えても違っている。結婚してからも親に干渉されて嫌気がさして父親が死んでも返って楽になったとかせいせいしたとかと思って思っている人もいる。その人は親から常に干渉されてそのために結婚してからも親が干渉してきてうつ病にまでなっていたのである。それで親が死んだとき何か悲しいということもなくなっていたのである。

またある家族では引きこもりの人がいて親がその息子を叱責して追い出しでもその息子は500円玉を握りしめて死んでいたというのも悲惨である。父親が厳しくしてそうなった。今は引きこもりとかニートとか働かない若者が多い。でも全ての親がそうして厳しく当たるわけではない。でもそういう厳しい親もいて悲惨な死があったということである。それを生々しく感じたのは自分もそういう運命になることがあったからである。

ただ私の場合明治生まれの厳しい父親は中学の時死んだそういうことがなかったのでそして父親代わりになったのは姉だったのである。姉は私には特別優しくして何か私に対して働かなくても何も言わないし自由に生きればいいと言うだけだったのである。もし父親が死んで母親と私だけになったら私は社会にも適応できない人間だから悲惨な結果になったことは確かである一時放浪していたとき現実にそういうことがあったからである。つまり私自身も500円玉を握りしめて死んでいたかもしれないということである。だからそれが生々しく感じたのである。

ともかく人間は必ず家族の影響を受ける。その影響が大きすぎるのである。だからカルト宗教にはまった家族に生まれたら宗教二世は親の言うなりになりその宗教もまともなものでないとしても子供の時からそういう家族で育てば子供は無垢なのだからそれを良いものとして洗脳されるのは普通である。それしか見えなくなっているのである。

でも家族でもみんながそうではない。でもカルト宗教の家族の場合その付き合う家族もまたそうしたカルト宗教団体の仲間なのだから純粋な人で人は特に完全にそういうカルトに染まってしまうのである。その他のことが見えなくなってしまうのである。。そして人間というのは意外と他の家族がどういうものなのか理解できないのである
トルストイ言ったように家族の不幸はみんな違っている。それは家族が様々であり一様ではないからである。

●カルト教団の親を持った宗教二世の問題

たから本当はいろいろな家族と接しているとこんな家族もあるのかと比較して自分の家族は何かおかしいということに気づくかもしれない。特にカルト教団の家族などは普通の人の家族と接すればそういうことを感じる。つまりカルト教団に入っている人はその付き合う相手も同じようなカルト教団のになっているのだからその相違が分からなくなってしまうのである

ある人を理解するときその人はどういう家族で育ったのかが見ることが大事である。兄弟がいたのか姉妹がいたのか一人っ子なのかとかで相当違っているのである。私は一人っ子だからそして父親がいたとしても早く死んだから返ってそのことでいいとは言えないにしてもその影響が大きかったのである。つまり父親がいるといれば職もなく引きこもりとかニートとかそんな生活は許されないからである。

明治生まれという時私の父親は酒屋の丁稚奉公だからそういう仕事をしないでぶらぶらしていることは許さなかった。現実に子供の時でもひどく叱られて家から追い出されたことがあったのである。だから父親が生きてたらとても仕事もしないで引きこもりのような生活は不可能だった。

だからこそ父を厳しい父親に家から出されてその息子は500円玉を握りしめて死んでいたということが自分にとって生々しいものとして感じた。つまり私自身も父親が生きていればそういう運命になったということである。だから人間というのはどういう家族に親から生まれるのかがその人生も大きく左右される。ただ父親が早く死んだ結果その代わりになったのは姉でありあれは何でも大目に見て何か私に対して要求することもなかったのである。それも特殊な家族関係でそうだったのである。ここでわかることは意外と親は子供にとって大きな圧力となりそれで歪められるのである。

それで時代劇などで商売人の親は死んでその跡継ぎの息子が放蕩していたところありでも死んだことによって息子は改心して商売に熱心に務めるようになった。それはどうしてそうなったかといえば親が死んだということにあったのである。だからそれを社会に当てはめれば今親となっているのが社会牛耳っている時その下の息子であればその活躍する場がない。頭を押さえつけられて何か重要な仕事も任せられないのである。結果的に商家の息子に生まれても現実的に仕事が任せられないということで仕事も身につかないのである。

●高齢化社会で若い人が活躍できない問題

高齢化社会で起きていることもこれと似ている。それでそれは例えば私自身が経験したことだが結構な財産があった。でもそれはしたのは60以降であり財産を受け継いだのはそれより先であり遅すぎたのである。もし早い時期に財産を受け継いでいたらもっと自分のしたいことをできたとなる。それは家族でもそうだし社会でもそうなのである。社会の重要な役職にあるのは権力を持っているのは60以上とかの老人であり若い人はそこで活躍の場が与えられないのである。その結果として何か新しいイノベーションとかも起きないのであ。

ただ老人だからといってすべて無用なものとは言えない。ただビジネスの場ではなかなか老人は向いていないかもしれない。芸術とかなると別に返って老人の方は鑑賞力もあり若い時はいいものは作れない。ただ社会全体にとってやはり老人がこれだけ多いということは何か新しい革新的なものが出てこないとな社会にしても保守的になり旧来の物を維持するというか何か新しい言ものが生まれないということは言える

そんなことは社会全体から見れば高齢化社会は個々の家族でも財産でも60以上になってからやっと受け継ぐのでそのとき何か新しいことをしようとしてもその財産を受け継いだ人がすでに老人になっているのである。明治維新が若い人たちによってなされたというときそれだけ命がけの刀の下をくぐるようなことを老人はなかなかできない。ただ別に高齢化社会でもいいものとして働くことはある。長い目で未来を見て成長してゆくのには良いとはなる。

というのはグローバル化した世界では外国のことでも理解するのに時間がかかるからである。江戸時代のように狭い一つの村の世界がで生きているならばそんなに知識も必要でない。今の時代時代なら膨大な情報がどう接してそれを理解すること自体が簡単にできないし時間がかかるのである。それで私は50歳からバックパッカーとして世界を回ったことが世界に対して目を開いた。つまり現在では長生きの時代だからいろいろな経験でも50以上でも60以上でもできるということである。ただその経験したことをさらに活かすとなると60以上70以上にもなる。私は何でも遅すぎたのである。でも高齢化社会で長生きしているから今まで経験したことを積み重ねたことを発表できるようになったのである。

●百歳生きる時代の人生設計

これから人間は百歳まで生きるというのは普通になるかもしれない。すると人生設計でも百才を生きることが目安になると先が長いのだから焦ることもないとなる。ただそこで問題も起きてくる。現場で働くような人は肉体労働者はもう70くらいになると体ががたつき仕事ができなくなる。でもさらに長生きするのだから何をしていいかわからなくなっている人もいる。 60で退職してもさらにその先が長いから暇をもて余す人も出てくる。

ただそれは全て悪いことではなくそれだけ長い人生を生きるということで実りあるものともなる。ただ高齢化社会というのは今まで経験したことがないことだからさまざまな問題が起きているのである。ただそれが全て悪いということでもない。ただ若い人から見れば新陳代謝がないから新しい革新的なことができないとなる。だからそこに不満があり老人はみんな自殺しろとかなっていう人も出てきているのである。でもそれはやはり高齢化社会というの経験してないからそうなっているのである。 60くらいで死んでいればそんな問題は起きなかったからである。

確かなことは高齢化社会というのは世界的にそういうそういうふうになってなってきている。それは栄養も良くなり医療も手厚いから当然長生きする。中国でも高齢化が進んでいて息子が農村に帰ってきたら親を見てまだ生きているのかと言われたと言う。その親は自殺したのである。それは日本だけではない世界的な問題となっているのである

だからそれが全て悪いと言うのではなくその高齢化社会でもそれに適した社会となりそれが住みやすい社会となるかもしれない。ただいまそれが過渡期でありいろいろ問題が起きているのである。つまり高齢化社会をより豊かに生きがいあるものとして生きることに適応できていないので。ただ確かにただただ高齢化社会というのは人間にとって必然的に生まれたものでありそれを全て否定することはできないむしろ適応してより豊かな社会を作るということである。


60代前半の父親が死んでこみ上げた安心感…
40代女性が就職しても結婚しても逃げられなかった毒親の支配

家を追い出された20代弟が帰らぬ姿に…「できることはもっとあった」姉の無念

障害や病気のある兄弟姉妹がいる“きょうだい”のお悩み





2024年01月12日

冬紅葉の赤さ【冬籠る、つぼみ、冬の菊、冬の暮、冬の鳥】

冬紅葉の赤さ【冬籠る、つぼみ、冬の菊、冬の暮、冬の鳥】

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シメ

冬紅葉赤さにじみて媼かな
我が庭にふくらむ蕾いくつかな
本あまた我が家の広く冬籠る
路地曲がり今日もここに冬の菊
石一つ位置の変わらず冬の暮
冬の鳥一羽確かに見えにけり

紅葉でも冬紅葉となるとその赤さが違っている。何かその赤が滲むような赤さなのである。それが媼(おうな)に合っているとなる。何か確かに老いれば女性も醜くなる。そこにやはり女性として生きてきたものがありそれが滲じみでる。若さの美は無いにしろ何かそこにやはり女性でも年相応の魅力があるとなる。
晩秋のヨーロッパで赤いバラを見た時その赤さが日本で見るのとは違っていた。歴史があるヨーロッパでその赤い薔薇なは本で見るのとは違っていたのである。

写真を撮って拡大したらめずらしい鳥が写っていた
シメという鳥だった。これは肉眼では何の鳥かわからない。写真を拡大してわかったからだ。冬は鳥は葉っぱがなく見えやすいのである。写真撮るのにもいいのである。

ヨーロッパ中部および南部からロシア南部を経て中国東北部、サハリン、カムチャツカ半島までの、ユーラシア大陸中部域に広く分布する。北方で繁殖した個体は、冬季南方へ渡る。
シー」と聞こえる鳴き声と、鳥を意味する接尾語である「メ」が和名の由来となっている

冬の渡り鳥であった。

ともかく冬は冬籠りになる。それは老人に合っている。本を整理しようとしたらなかなか出来ない。ありすぎてできないのである。そしてそこに必ず線がついているのだがそれをそれを読んだという記憶もないし線をつけたという記憶もないのである。
だから初めて読むのと同じになっている。読書で分かったのは本を読むというのは自分の文脈の中で引用して取り入れたとき本当に読んだとなる。今はそういうことができている

でもただ読んでいたのだが線もびっしりとつけていたのだが読んだ記憶もないのである。だから読書というのはいくら本を買っても読んでも活かされていないのである。その人にそれなりの力量がないと本というのは読むことができない
本は買うことができてもそれを理解することが簡単にできないのである。だから人間はつくづく金だけでなんでも得られない。高い本を買ってもそれを理解することが難しいのである。

特に本はそうである。本にはかなり内容がありそれを読みこなしまた引用して自分のものとして自分の文脈の中で活かしてこそ読んだとなる。ただ人間というのは本当に忘れやすい。プログでも相当の量書いたのだがもう一度読んでみるとこんなことを書いて居たのかと自分自身が書いたものすら忘れていることがあるのだ。それで読み直す必要がある。
そしてまたこんなことを書いていたのかと自分自身が書いたものに感心してると言うのも不思議なのである。確かなことは人間ほど忘れやすいものはないということである。

介護になってから十数年何か遠くに旅するということがなくなった。家に居ることが本当に多くなった。それで回想することが仕事にもなるが忘れているしまうことがある。旅したことでも忘れてしまうのである。それで思い出すことが必要になってくるのである。だからその思い出すために写真というのはかなり有効である。写真を見てここに言ってってこんなものを見ていたのだとか思い出すからである。

そういう点でデジカメの時代になって写真で記録させるから今は便利な時代である。私の時代は十数年前はまだプリントの写真であり気軽に何でも写真に撮れなかった。その中でもフィルム写真でも特に外国の物撮ったのは貴重なものとなった。その写真から過去の記憶が蘇るからである

ともかく人間の世界はこの世は変わりやすい。常に変化している。でも老人になると変わらないものはいいとなる。一つの石がありその石は場所を変えることがない。それで何か安心するのである。それは認知症になると特にそういう風になる。なんでも忘れるから自分の住んでいた街の名前すら忘れていた。その忘れることによって不安になるのである。でもいつもある場所に石があるとき変わらないから安心するのである。

冬の路地裏に菊が咲いていた。そこはいつも通る場所であり何の変哲もない場所である。ただそこに冬の菊が咲いている。それは長年一緒にいた仕えてくれた妻のような感覚かもしれない。冬ごもりしていても庭を見れば蕾がいくつか見た。だからやはり春の兆しがあり年が明けてまた新しい命がここに咲き開くのである




2024年01月11日

ドイツの旅ーハイデルベルグの詩 【ゲルマン人は森の民、ゴッシク聖堂は森を模したもの】

ドイツの旅ーハイデルベルグの詩

【ゲルマン人は森の民、ゴッシク聖堂は森を模したもの】

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学都ハイデルベルグ

ハイデルベルグ 中世より古き学びの場
知識はここに蓄積されぬ
最古の石の橋、古き門、丘の古城
ネッカー河畔の公園の散策の道
静かに落葉を踏み歩む
ドイツに思索を深める哲学者
石一つ黙して根を据えよ
文化を育むその土地柄
重々しく楽は鳴りカノンはひびく
荘厳なゴシックの大聖堂に重々しく
祈りは厳かにもの寂し石の柱に
ドイツの大地に根を張る樅の木に
ゲルマンの古風千年の歴史に成りぬ
晩秋の木々の間の落葉を踏みて
ベンチに座り赤き薔薇の心に沁みぬ
ここに共に休み古の思いに耽る
川は緩やかに流れ船の行く
その岸辺に学都ハイデルベルグは古りぬ


外国の歴史でも文化でも知るためにはその土地を実際に自分の足で立ち踏むことである。そこで体で五感で感じるものがある。それは本を読んでもいくら映像を見ても感じられないものをその場に一回だけたっても感じるのである。
だから人間が感じるというとき外国なら一回だけでもいいからその場に立った人が即座に理解するとなる。私はこれまで本からしかヨーロッパのことでも分からなかった。ほかの国でも本だけを読んでいては何も分からない。テレビで外国のことを見ていてもわからない。それで例えばベートーヴェンを理解するならば一回だけでもいいからドイツの大地に立ってみることだと言うの分かる。その大地に立ってみてこそ実感するものはある。

ドイツでもそうだがヨーロッパだと並木道があり整然とが並んでいてそれがまるで大聖堂の石の柱のように見える。それはギリシャでも神殿の石の柱が木が立っているように見えるのである。特にドイツとなると寒いからゴシックの大聖堂の柱の石の柱は樅ノ木に見える。ドイツでは樅ノ木が象徴的な木となっいるからである。現実に黒い森というモミの木の森がある。ヨーロッパでも平地が続いてその境となるのは川であり森によって遮られていたのである。

それが今ウクライナとロシアとの戦争でドニエプロ川を挟んで古典的な戦争をしていることでもわかる。川が境界となるのである。まだウクライナでもロシアでも広々とした森がありそのスケールはに本当に日本とは違ったものになる。だから中世とかでわ森が境界になっていたのである。だから森にまつわる伝説も残ったとなる。その暗い森はどこまでも続き抜け出せないような恐怖にもなる。それは日本の森でもそういう森がまだある。日本の縄文時代ならそうした森の中に人は住んでいたのである。

ガルマンは森の民である。本質的に彼らの公共国境国境は国境今日は無理である森はドイツに限らず北方ヨーロッパのいずれの地にもてんいや至るところに大都市のすぐ間際にまでも存在する森と水をみの国フィランド句点スウェーデンパリの近郊の森

ケーベル博士は施策と瞑想に人を引き入れるドイツ的なあの深みを恋していたのだ

ゴシック建築の寺院は外観においてそそり立つ木であり天に象徴させるされる天に差し伸べられた手である内観において内陣のそう天井夜行医学何本もの茎は森の梢の重なりであり交差するいだであるゴシック建築は人の心を沈黙に誘い粛然とさせる能力を持つ

北フランスのゴシック人の典型であるシャルトルの大伽藍は守屋確かに明らかに物語るがその森は丹念ばうむの森ではない正常に正常にして明るいそして優しいフランスの森である

西欧の顔を求めて 犬養道子

ともかくヨーロッパを旅して感じたことは貴重な経験だった。人間はその国の歴史とか文化を理解するにはとにかく一回でもその場に立って歩いて見たもの感じたものそれは貴重なのである。それは本を読んでもテレビの映像を見てもわからないのである。何かヨーロッパとかなると必ずベンチ一つでも歴史を感じるのである。それだけそのベンチに座っていればそこに前にも座った人がいて時間的にそこで昔にさかのぼり共有するものがある。

だから晩秋に落ち葉を踏んで公園にベンチがある。そのベンチが古く日本の公園とは違っている。つまりベンチ一つ取っても何か歴史を感じるのはヨーロッパなのである。それはアメリカなどでは感じられないものなのである。もちろん日本でもベンチはあるが何かヨーロッパの人は違っている。晩秋に咲いていた赤い薔薇でもそれは日本に咲いている薔薇とは違っていた。何か心にしみるバラなのである。同じ赤いバラで何か違っていたのである。

かりそめに通りすぎて
十分に愛さなかった かずかずの場所への郷愁よ
それらの場所へ 遠方から 何と私は与えたいことか
しわすれていた身振りを つぐないの行いをもう一度ー今度は独りでーあの旅を
静かにやり直したい
あの泉のところにもっと永くとどまっていたい
あの樹にさわりたい あのベンチを愛撫したい
(リルケ) 

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何かベンチ一つとってもこのように歴史があり愛着が生じているのである

とにかくハイデルベルグでも中世から大学があり学都となっていた。その雰囲気が今もある。それにしても大学にしてもその歴史が日本と比べて古いのである。日本の大学は明治以降できたものでありとてもヨーロッパの大学とは比べようがないからである。ハイデルブルグには十万くらいの都市でも3万人が学生がいるという時それは学生の街でもあるということである。
そんなところで留学して学んだら見識も相当に着いたとなる。だからこそ留学というのには相当に価値がある。異文化を学ぼうとしたらとても本だけでも映像だけでもインターネットとかでも学べないからである。

つまり文化というとき肌で感じることが大事だからである。些細な事でも日本との相違を感じてそこで文化の相違とか歴史の相違を感じるからである。例えば日本を知ろうとしたら俳句でも短歌でも知ろうとしたら日本の四季を知らないければ理解できない。それは日本の四季を経験しなければ実感できないものだからである。第一五月雨とかあってもヨーロッパとかアメリカにはそうした気候はないからである。だから異文化の理解というときその土地に一回でも立って実感することが大事なのである

それにしてもフランスとドイツがなぜ違っているのか。それはやはりドイツが寒い地域からかもしれない。常に気候の影響とは気候気候は影響するからである。なぜヨーロッパはスペインとかフランスドイツオランダイギリス北欧とありそれらがみんな違った国なのかそれが理解できない。なぜそうした国々ができたのか理解できない。とてもドイツとなると寒い地域でありそれが文化にも影響していることは確かである。そしてゴシックの石の大聖堂が作られたというのもやはりそれはもみの木の黒い森がありそれを模して作られたものだともなるからである。

北フランスのゴシックの人の典型であるシャルトルの大伽藍は森を確かに明らかに物語るがその森はタンネンバウムの森ではない。清澄にして明るいそして優しいフランスの森であるー犬養道子

ともかく外国を肌で知れば理解すれば日本の文化のとの相違がわかり日本についても理解を深めることができるのである。それは別に難しいことでわなく些細なことでも日常の生活から文化の相違を感じるのである。だから留学するとか外国で仕事を十年も以上生活したとかなるとその人は日本との比較で何が良いとか悪いとかここが違うとかこうすればいいとか提言できるのではただ自分の場合は50歳でバックパッカーで行ったから外国語を理解することが遅すぎたのである

何か私は何でも理解することが遅すぎたのである。ただ高齢化社会になると長生きするから外国でも知らなかったが旅をして理解を深めることはできたのである。何かを理解するにもまた時間がかかるのである。特に外国を理解するには時間もかかりまたどうしても実感できない分からないことがありそこで歴史でも文化でも誤ってみて誤解しているのである。ただそれだけ深く外国を考察することはできない。表面的にしか見れないのである。

2024年01月10日

時事問題も世界の問題も空間軸と時間軸で見る 【東西を結ぶ要としての日本の使命】

時事問題も世界の問題も空間軸と時間軸で見る

【東西を結ぶ要としての日本の使命】

●空間軸で地理からまず世界を見る

人間を理解するときまずその人がどういう場所に住んでいるかが問題になる。福島県でもハマナカアイズとあり浜通り中通り会津で気候も違っている。浜通りと会津では浜通りは海に面しているから海を意識する。中通リでは海が見えないのである。
特に会津になると地理的には海に面した地域と相当に違ったものになる。特に浜道りはいわき市とか相馬地域は阿武隈山脈にさえぎられて中通りは見えないし高い山も見えない。

会津になるとさらに遠く見えないから意識もできないのである。だから福島県っていうのは一つの県としての一体感が感じられないのである。むしろ海に沿った宮城県の方が一体感を感じる。牡鹿半島でも金華山でも山に登れば近くに見えた見えたからである。この見えるということがやはり人間にとって大事である。常に見える場所にあればそこは常に意識するからである。でも福島県は中通りでも会津でも見えないから意識しにくいのである。

人間はどこに住んでいてもその住んでいる場所から世界を見ている。だからまたまたその住んでいる場所で時間軸で作られたものがあり場所とともに歴史が地歴となったことがわかる。

●山口県の地理と歴史―在日韓国人が多い地域

例えば山口県は長州になるが下関とかなるとそこには在日関係の人が多い。下関からは韓国へ行く船が出てるからで船が定期便が出てるからである。だから在日関係者が集中して住んでいる場所もあった。そして在日という特殊な人たちが歴史的に戦後韓国に帰らず母国に返らず残されたのである

それで在日という人たちは日本国籍を取らない。日本人になりたくないのである。日本語を日本人と同じように話しても日本人になりたくない。だからアメリカ国籍を取って住んでいる人もいる。岩国にはアメリカの基地がありその兵士と語り合ったという人がいる。それはその人は在日韓国人であってもアメリカ国籍を持っているからアメリカ人なのである。アメリカに渡ってアメリカに住んでいたこともあり学者でもありアメリカ国籍をとったのである。だから法律的にもアメリカ人なのである。

ではなぜそうなったのかといえば日本人になりたくない歴史的に日本人に苦しめられたかとなり日本人を恨んでもいる。それは日本は韓国を一時支配して虐待されたとかなり怨念を持っているからである。だから日本に住んでいても日本人と同じように日本語を話すのに日本の中で育ったのだから日本人であってもいいと思うが日本人になりたくないとなってアメリカ国籍をとったのである。

それはそ空間軸の土地と時間軸で作られた歴史が関係してそういう人が作られたのである。それは会津を見れば薩摩長州に戦争で負けて迫害されされた。その苦しみは常に語れるからその場所と歴史が一体化して会津の地歴がある。
一方で山口県にも長州であり薩摩長州となりと官軍となり明治維新の政府の要職に就いた。だから山口県から8人もの首相が出ているのである。それはその地理とまた歴史と関係してそうなっているのである。だから人間というのは空間軸と時間軸で作られるのである。それで何かを事件が起きるというときtake placeになどこの場所で事件が起きたかということで最初見るからである。
出雲には国引きも神話があり韓国とは切っても切り離せない歴史があるからである。
古代では島の王と呼ばれた武寧王が中国のの南朝と通じ煉瓦の墓陵を残した。それは大河の岸辺にありその歴史は日本の中国韓国日本の歴史でもあった。

●ロシアとイランと日本の地歴

とにかく空間軸で見ることはわかりやすい。でも時間軸で見る時歴史でありそれは簡単にわからないのであ。それは今のイスラエルはアラブ人の住んでいるガザで戦争をしているというとき場所は分かりやすいのだが時間軸で見る時2000年前からさらにその前から歴史がありそこにあユダヤ人が住んでいたから国があったからそこに住む権利があるとなるとそれを理解すること自体が難しくなる

確かなことは空間軸と時間軸で人間は形成され。だから本当にだから世界を見るとき例えばロシアとイランはカスピ海を通じて接している。そしてカスピ海に島がありその島の領有権をめぐってロシアと争っているというのも意外である。そしてイランが北方領土が日本のものであると言っているのはそうした領土をめぐってのロシアと争い代わりそれで日本のことも応援しているともなる。また時間軸では日本はイランとはもともと石油を通じて友好的でありそれを影響してイランと日本は協力するとなる。これもやはり空間軸と時間軸で外交関係も世界の外交関係もあるとなる。

だから人間に起きることを理解するには必ず空間軸と時間軸で見なければわからない。どちらにしても理解することは難しいのだが時間軸で理解することがさらに難しい。それは例えば人間の歴史でなくても地質学でも地震が起きると言う時まず場所を見る。なぜそこで起きたのかということが問題になる。
でも地震でも必ず時間軸で見る。その場所に前にどれくらい地震があったのかそれを必ず見るのである。だからこそ南海地震があり起きるというときそれは時間軸と空間軸と見てそういうふうに推測するのである。

ともかく時事問題にしても必ず空間軸と時間軸で見なければならない。能登大地震でもまず空間軸でみる次に時間軸で見る。すでに何度も地震が起きていたしさらに時間をさかのぼればそこに地震が起きたのはなぜなのかと見るからである。そこは地震を警戒する場所になっていたのである。

●信長が天下取りできたのも地の利があったから

古代史でもなぜあすかが最初の日本の都となったのか。それも地理と関係していた。大阪は湿地帯でありそこに都を築くことは無理だった。だからこそ遠回りして飛鳥に日本最初の都が作られたのである。そこは高台であり山地でもある。次に藤原京に移ったがそこは平地になってさらに平城宮となると奈良の盆地であり広い平地となり大きな都が作られることになったのである。これも地理を知らなければ歴史も理解できないということである。その奈良の盆地が国のまほろばとなったのである。

倭は 国のまほろば たたなづく 青垣 山隠れる 倭しうるはし ヤマトタケル

ともかく地の利が歴史をつくる。信長が尾張を拠点としていたがそこは海に面していて船も入り商売が商売をしていた保険ところが武田信玄は山国でありそこから京に昇ろうとしたが途中病気になり天下を取ることはできなかった。それも知の利がなくなく天下をとれなかったということである。
会津でもなぜ薩摩長州に敗れたかとなると薩摩長州は既に外国と交わり戦争もしていて外国のことを肌で知っていたのである。それは空間軸で地理的に見れば一目瞭然なのである
だから歴史でも時間軸と空間軸と時間軸で見なければ理解することはできない。ただ一人の人間だけを取り上げてみても理解できないのである。

●東西を結ぶ位置にある日本の使命

ともかく日本は東西を結ぶ要として地理としてあると内村鑑三は言った。ヨーロッパは西に向かってアメリカを発見した。アメリカは東から西へとさらに西部開拓でカルフォルニアまで到達してそこは太平洋に出て太陽は海に沈む
ホイットマンはその西へ西へと向かいアジアに向かうことを詩にした。そのように日本にアメリカのペリーの船が来て日本は開国したのである。だから日本は東と西を結ぶ要の国なのである。だからいち早くヨーロッパが進出した時日本はヨーロッパにならい明治維新を成し遂げた。
その時ヨーロッパから入ってきたさまざまな概念を漢字で表現した。その漢字を逆に取り入れたのは漢字を発明した中国だったのでは。だから文化的にも最初にヨーロッパ文明を取り入れそれを中国に伝えたのは日本だったとなる。それは東と日本西を結ぶ日本がそういう地理的にも役割があってそうなったとなる。

だからまず世界を見るとき空間軸で見て時間軸で見る。日本を空間軸で見る時どういう位置にあるのか。それは東西を結ぶ位置にあると見たのは内村鑑三であった。そこに日本の使命があると見たのである。東西を結ぶものとして日本はありそこに日本の使命がありと見たのである。地理的には極東であり東の極点であり西からアメリカからアメリカの西部へ向かいさらに西に向かいそこが日本なのである。
だからこそ東西を結ぶものとして日本があるとなだからこそ日本は東西を結ぶ橋渡し役として外交的にも文化的にも存在するとなる。東西文明の融合するものとして日本があるとなる

ただ間違いやすいのはイスラエルとかはアジアなので。その源はすべてアジアでありヨーロッパではないのである。何かすべてヨーロッパ起源でありヨーロッパに習うのが世界の歴史だと見ているが実際はその起源になるものはにオリエントにありアジアにあるのである。
それは宗教というのはアジアから起こったのでありヨーロッパからではないのである。仏教でありキリスト教でありイスラム教でもそれはアジアから起きたものなのである。ヨーロッパが基にしているのはギリシャ文明でありアジアの文明ではないのである。それが誤解しやすいのであだからアジアに起源があり再びアジアから新しい文明が起こるのか?その中心になるのは要となるのは東西を結ぶ位置にある日本となるのかとなる。首東西の文明を結ぶものが日本になるとのは地理的要因として見ればそうなるのである

●東西文明を融合するのは日本

日本は世界に対して重大なる責任を背負い,世界は将に日本に負うところはなはだ多からんとす、東西両洋の間に介し西を招き東を弁じ前者の暴を和らげ後者の迷を解き二者の融合を図る日本置いてあらじ。(内村鑑三)

西はヨーロッパでもアメリカでも暴力的だった。そのために世界大戦が二回もあり何千万人も死んだ。日本は明治維新以来西を招き西洋文明を取り入れた。一方で東を弁じるというという時東がアジアが持っているアジアから起きた宗教のことを西に向かって解いていない。何か東はアジアは遅れたものとしてみられていたのである。
だから東を弁じるという時もともと東こそアジアこそ源であり起源であることを西に向かって説くということである。ただ東が迷であるというとき西洋文明に圧倒されてアジアが持っている東が持っているものが遅れたものとしてないがしろにされたと言う事である。
キリストを理解したのは東方の三博士という時やはり東のものは東から宗教が起こったのでありその淵源は東にあるということなのである。ただ東は西洋文明に圧倒されてその淵源となるものが見逃されたのである。だから東はアジアはその淵源となるものを再び掘り起こして再興させねばならないのである

また利を求めてはならない、日本の使命を果たした時自ずと利はありえると力説する。でも日本も欧米に特にアメリカに習い利しか求めない。金がすべてとなってしまたのである。
カルト宗教団体が興隆したがそこは飽くことなき御利益を求めて世俗社会よりあらゆる欲を肯定して数を集めるだけなのである。
だから日本は逆に利だけを求めて繁栄はないとしている。でも語られるの利だけだとなる。要するに経済の問題だけだとなる。
経済でも利だけも求めても利が得られない、得は徳だからである。今の資本主義はグローバル経済は道徳なき経済でありもはや継続できない、その富は覇権国のアメリカにそれもアメリカ人の極一部に集められて富は世界から収奪されているから崩壊するとなる。





posted by 天華 at 22:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2024年01月09日

2024新年の俳句短歌(一つにまとまる日本ー辰の年、日本の栄)


2024新年の俳句短歌(一つにまとまる日本ー辰の年、日本の栄)

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人変わる龍ともならむ年新た
新展望異国の山や年新た
荒々し波打ちつけて辰の年
年新た人生百年先長し
新しき詩の起こらむや年明けぬ
10羽ほど山鳩集う新年に
電車行き蔵王を望む新年に
遠くより人の来たりぬ新年に
海に山視界広げむ辰の年
再びに峠を越えむ年明けぬ

日の本の天地の栄衰えざり東西結ぶ要になれ
和してこそ力となれや日本なれ栄新たに加えらるべし
一つにそ結ぶ日本のその栄富士を望みて年新たなり
白百合の我に向かいて咲き開く心の清く今年も生きむ
我が家族争いありしも今一つ結ばれ祈る霊前に
日の本の国を一つに統(す)べなむや年も新たに天皇(すめらぎ)言祝ぐ


辰の年というとき新年から元旦から大地震とか津波でまたは羽田の航空機事故で波乱の幕開けだった。辰年は何か波乱の年かもしれない。また何か大きな自然災害とか人事的にも政界でも大きな波乱があり混乱するかもしれない。
昨日のおとといだったか波が荒く海岸を打ちつけていた。だから何か時辰の年というとき波乱を感じたのである。

ただ日本を考えるときに何なのかとなると日本の強みは四方を海に囲まれて小さくもなく大きくもない国土がありそれが一つの世界となり日本は日本人は一つにまとまりやすいのである。それが日本の強みなのである。中国とかアメリカは国土は馬鹿でかい。

でもそれだけ国土が広く人口も多くアメリカなら移民の国だからさまざまな国の人が集まりまとまりにくいのである。だから民主主義といっても国を一つにすることは容易ではないのである。だから国内が分裂してまとまらないからそれで国力もそがれるのである。日本の場合はもともとまとまりやすい国だったのである。

でも天皇というのは日本を治めるという時それはやはり日本を象徴していた。天皇が別に優れた人でなくても国をまとめるというとき中心になるものが不可欠だったのである。それは国だけではない家でも必ず争いがありまとまらないのである。私の家でも複雑な事情で常に争っていたからである。

ただ私が家の中心としてあり私を立てることによって家も何とか維持しまとめたのである。だから家でも国でも一つにまとめるということそれが容易ではないのである。それで日本に南北朝時代天皇が2人存在することになり国は二つに分かれて日本の国の隅々まで争いになったのである。それは天皇が2人になったということがその争いの元だったのである。

天皇の是非があるが国をまとめるときやはり中心になる者がいないとまとめられないのである。天皇は優秀だとか何かそういうことでわなく国の中心として飾りでありそれがなければ国はまとめられない。だから天皇を否定するということも起きているがでは国をまとめるのにどうするかというと簡単にはできないのである。

2024年だが私は私のバイオリズムは調子よくなっている。とにかく私は介護とかで十年とかしてその後でもそのためにエネルギーを消耗してしまったのである。でも徐々に回復して今は気力も充実しているのである。だからこの辰の年というとき何か生命力が満ちているともなる。一方で辰の年は大きな波乱がありそれが何になるのかそれは私自身にも降りかかるともなる。
ただ別に体も悪くないしそれに立ち向かうことはできるかもしれない。やはり健康というのは高齢化社会でも重要なのである。健康を損なうとあらゆることで不自由になり金があってもどうにもならなくなる。だからこの高齢化社会で健康格差というのは大きなものとなる。歩くこともままならない人をみているとつくつくそう思う。





2024年01月08日

人間を決めるものは作るものは何なのか 【環境因子の方が人間を作る影響が大きい】


人間を決めるものは作るものは何なのか

【環境因子の方が人間を作る影響が大きい】

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今日見れば一段と映える赤き花調和し美し心なごみぬ

●人間は環境の影響が大きい

人間を作るものとして

遺伝
生まれた家の職業
家族を中心にした人間関係
生まれた場所
生まれた時代
その人の努力
その人の行為行動

人間はとにかく親の影響が大きいなぜならその才能でも性格でも親から遺伝して受け継ぐからである。では人間が遺伝だけで決まるのかというとそうもうならない。その他のさまざまな因子が人間に影響するのである。その一番影響が大きいのはどういう家族に生まれるかである。
確かに親に親から生まれるのだが家族といっても両親がいて子供がいるとは限らない。シングルマザーとかもいるしまた逆に昔だったら大家族の中で育つということもあるし兄弟でも8人兄弟とかいてその中で育つ人と一人っ子で育つ人は相当に差がある。
また家族でもその家がどういう職業なのかその影響も大きい。農家に生まれた人は自ずとと農業に詳しくなる。それは農業についての知識を勉強しなくても日々の生活で農業ということはどういうものか身に付くからである。それはまさに生まれた時からある生業でありその影響もまた大きいのである。
だから人間というのはすべて生まれつきで決まるわけではない。動物の場合は本能で生きてる生きるのだからすでに遺伝によって決まるということである。人間は確かに遺伝の影響も大きいがさまざまな原因があって影響があって人間が作られる。

●花の多様性と人間の多様性

最近多様性をよく言われるがフラワーアレンジメントをしていると不思議なのは花がみんな調和して咲いている。黄色い花があり白い花があり紫の花があるそこに赤い花が一段とはえつまり多様性がありさまざまな花が必ず今日はして咲いている。多様な色の中でその色をさらに協調されるのではい。
でも人間社会ではそうした多様性が拒否される。変わった人間がいるとそれは排除される。また個性が強い人間がいるとそれも排除される。要するにみんな同じ色であることが人間界では調和することなのである

だから人間社会というのは一つの色に染められる。ナチスであったらまさに一色に染められる。それと同じなのがカルト教団なのである。そこではみんな同じ色でなければ存在し得ないのである。社会というものは多様性を認めない。個性も認めないので逆に一色の色になって多数になる時社会はその人達を認めるのである。認めるというより多数だからそれが権力となりそれそれに従うとなる。
特に民主主義は個性を育てるようで育てない。なぜなら大衆が主役でありむしろ大衆は同じ色として存在しなければ相手を認めない。何か個性ある人は返って規格化されないので排除されるのである。
だから返って貴族社会の方が個性を育てる社会であったというのもこともある。だからこそなぜナチスが生まれたかというとまた共産主義でもそれは一つの色に染めることでありこれはカルト教団でも同じなので多様性を認めないのである。

●生まれた家とか時代で人間は作られる

とにかく江戸時代あたりとかその前でもどんな家に生まれるかがその人の運命を決めてしまう。侍の家に生まれれば侍として育てられるからそれにその侍に会わなくてもなくてもそういう家に育てばおのずと侍になってゆく。それは今でも医者の家に生まれればおのずと医者になるように育てられるし医者というのはどういうものかその家にいて学ぶから何か特別勉強するというのでもなく医者とはどういうものかをおのずと直感的にわかるということである。

また家にしても家にはいろいろあり家には必ずそれが二代三代しか続かないにしろ歴史がありその家の持っているカルマがある。それは良いものと悪いものがある。だから必ず人間はどういう家に生まれるかでその影響が大きく人間がつくられるのである。それは確かに遺伝もあるがそういう環境で育つということがその人間を作ってゆく。人間はそうした環境因子が作用して作られていく。

だからすべて遺伝で決まるわけではない。確かにその骨格は遺伝で決まっていることはある。でも人間を見ればわかるようにいくら才能があって生まれてきてもその才能が開発できずまだ時代が悪くて戦争で早死にしたということもありすべて才能でも生かされないのである。
例えばその人に才能があっても家に一冊の本もないとしたら何か知的な刺激を受けるものがないとしたらどんなに才能がもともとあったとしても才能は開発されない。音楽の才能があってもピアノもないとしたら開発しようがないからである。だから有名な音楽家は家の中にそういうピアノでも親が音楽家だったりして幼少の時期から音楽に触れていてそれで後年その才能は平板となる。だからどういう親から生まれ家の環境がどういうものなのかの影響は相当に大きい。
それでカルト教団の中に生まれた人は家族がそこに全部ハマっているのだからその他は見えなくなってしまうのである。もうそこでは自主的に考えることもできないしただ家族全体ではまりその子供もカルトから抜けられなくなるのである。

●生まれた場所生まれた家の職業生まれた時代の差

教育機関の「成長」には時間がかかる。何世代にもわたる先輩たちの成功や失敗を、後輩たちが引き継ぐことで、ノウハウを蓄積していくからだ。私は、藤島高校、福岡高校、松山東高校など藩校の流れを汲む高校から、ノーベル賞の受賞者がでているのは、このような歴史に負うと考えている。それぞれが独自の価値観を熟成し、その独自性が国際的に通用する人材を育成している。

大学受験の最難関「東大理3」からノーベル賞受賞者が出ない理由

ここになぜ藩校とか出てくるのだろうか?それとノーベル賞はどんな関係があるのだろうかそれもわかりにくい。藩校というのは何かやはり伝統があり受け継がれるものがありそれがノーベル賞にも通じていたのかとなる。でもこれは理系のことであり藩校というときどういう教育をされていたのかそれもよくわからない。
でも人間を形成するものはやはりその土地土地の中で育ちそれが影響したのかとなる。東日本からノーベル賞者が出ないのはやはり西の方がもともと教育的にも優れていたからだとなる。
ただ私は郷土史とかその土地に根付いて詩の創作などしている。理系でもその土地と関係しているのかともなる。だから人間を形成するのは環境の影響が大きいのである。

また生まれた場所の住んでいる場所の影響も大きい。いつも海を見ている人と山に囲まれて住んでいる人の感覚は相当に違ってくる。海でもいろいろあり日本海側り瀬戸内海はりやはり違った感覚になる。そもそも人間はその住んでいる場所によって世界を見るからそのアイデンティティの基礎は住んでいる場所にあることになる。だから住んでいる場所によって世界の見方は違ってくるのである。
それは別にどんな親から生まれる遺伝を受け継ぐというのではなくその住んでいる環境の影響が大きいのである。その場所の違いというときそれを世界に拡大すればどんな国に生まれるかによって人はそれぞれ違った感覚になり世界の見方も違ってくるのである。

また生まれた時代によってもその人の人生は違ったものになる。縄文時代弥生時代などあるがそこで生まれたら例えば海側に生まれた人は一日中貝などを拾いまたしかな狩猟採集で生きていたとなる。だからそういう環境で生きていたら今のような複雑な時代とは違った人生を生きたことになる
だから時代によってその生きる体験は違ったものになる。今の時代なら車を運転しコンピューターを使いスマホを使い絶えず情報を摂取している。
でも江戸時代まではどうして情報を接して取り入れたかというと人に直接会うとか手紙でもそれを比較が運んだのだから時間もかかるしその金を高いものとなり簡単に手紙なども出せないとなる。

また交通など発展していないのだから人と人は離れていれば簡単に出会えない。一期一会というけどもそれはやはり本当に人間が合うというとき簡単に離れていれば遠くになれば会えないからそうなったのである。今ならいつでもどんなに離れていても外国に住んで離れていようと青木になれば会えるのである。だから一期一会というのは今になると何か合わないのである。会う気があればいつでも会えるからである。

つまり例えば旅であったとしても離れてしまえば遠くに離れてしまえば会う事はかなり貴重なことになるから一期一会という言葉が生まれたのである
だから時代によって相当人間は相当に感覚的にも違ったものとなりそれで江戸時代の人が生きていたということがなかなか理解できなくなるのである。歩いて生活していた人とクルマ社会になった人と人の感覚は生活感覚は相当に違っているからである
そして戦争などを経験した人としない人の差も大きいのである。戦争など普通は経験できない。だから戦後生まれの人と戦前生まれの人は相当に違っているのである。もちろん戦国時代もありその時代に生まれた人と江戸時代になり平和に生活下の人の差も大きいわけである。

●才能を開花させるのでも環境の影響が左右する

その人の努力というのも人間を作るということはある。学問でも天才でもない普通の人ならやはり知識の積み重ねであり絶えずそれを探求していればある部門で専門家になれることはある。それはその人の才能というものでもなく何か一つに興味を持ったらその部門の知識を深めていけば広げていけばそれなりの専門家にもなる。
だからいくら天才でも才能があっても何か積み重ねがないと才能でも伸ばせないのであ。それで田舎の方でそんだったのは本は買えないということだったのである。

文系の場合は本を読むことが知識を深め拡大することだからである。その本が買えないとしたらその差は相当に大きい。それで私はわざわざ東京の古本屋に行って全集を買ったりしたのである。暇ならどんな本でもアマゾンでやれ通信でボタン一つ押せば運ばれてくるこの差も大きいものだったのである。
だから今は田舎でも知的方面で遅れるということもなくなった。何か知的作業をするときどうしてもその資料とか本とかが参考になるものが必要になるからである。それが入れないとしたらどうしても才能でも伸ばせないのである

そして人間が意外と見逃しているのはその人の行為行動がその人の生まれつきの性格やいろいろあって変えてしまうということである。動物だったらネズミだったらネズミとしか生きられないしネズミがライオンになるようなことはない。とても人間の場合はその性格がネズミのようなのでも一回でも勇気ある行為とかで変質するのである。聖書の物語でも何か一回の勇気ある行為がありそれに神の力が加わり奇跡も生まれてそのネズミのような人もライオンにもなりる。

そもそも人間は塵に過ぎないともなる。でも神がその塵に霊を注いで人間を使って作ったとなる。人間にはそもそも何か足りないものが多く人間だけでやれることは限られている。でも人間には神の力が働く時その人間が一変するということがある。それが奇跡なのである。だから人間というのはすべて生まれつきで決まるものでもないし必ずしも環境だけで決められるものでもない。一つの行為行動はその人間変えてしまうということがある

人間は確かに遺伝子とかさまざまな要素であらかじめ決められて変えられないということもある。でも人間の特徴は生まれつきでもすべて決まるわけでもなく可変的要素が大きいということである。一つの形に一つの色に決まったものとして人間は生まれていない。人間は様々に変化するのである。なぜなら人間というのは時代によって違った人間になる。

y=(a+b+c+d....)x

つまり結びつくものによって人間は変容する可変的なものなのである。

江戸時代に生まれた人と現代に生まれた人ではまるで違ったものにもなるからである。侍の時代なら剣の修行を必ずしなければならない。その剣でその武道で秀でなければ上に昇ることもできないとなる。まだ村社会でも農民社会になれば力がないと村の一員としても認められないとなる。だから必ず村には比べ石があり石をを持ち上げことができる人が村の中で一人前と認められ村のの一員として認められたとなる。

ともかく人間というのはその特徴はむしろ遺伝子に作用されないさまざまな環境因子によって作られる。なぜ私の母が花にも興味持たなかったのか。それはママ母に育てられ花嫁修業とかもさせられなかった。教育にしても尋常小学校とか最低限の読み書きをする能力しか教えられない。でも生け花などを教えるたという女性もいるが母の場合はただ生糸工場で働くだけだったのである。だから何か花などでも鑑賞する余裕もなくただ働くだけで一生が終わってしまったのである。それは時代の影響もあり環境の影響もあってそうなった遺伝的には文学的な才能があったと思う。その文学的な才能は私が受けついたともなる。

でも母の場合でも恵まれた環境にあればやはり短歌とか作っていたと思う。それができなかったのはただ環境の影響であった。そういう人は相当に多いと思う何か才能があったとしてもそれを伸ばすことができないのである。それは貧困とか時代の影響があり戦争とかもあってそのために才能を伸ばせずに終わった人は相当数多い。むしろ何か才能は伸ばせた開いて花開いたという時それは逆に環境に恵まれた結果だとなるのである。
私の場合はまさに才能もないが自分の好きなことをやって生きてきたからそれなりに花開いたと才能が花開いた伸ばせ才能を伸ばせたとなるのである








posted by 天華 at 19:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育心理学など

2024年01月07日

天災(地震津波)と人災の原発事故の相違 【原発の距離に比例して責任がとらされた―人間は責任から逃れられない】


天災(地震津波)と人災の原発事故の相違

【原発の距離に比例して責任がとらされた―人間は責任から逃れられない】

●自然災害の天災と原発事故の相違

なぜ原発事故で南相馬市や他で複雑なものになったのか。もしこれが津波地震だけの被害だったらこんな複雑にはならなかった。原発事故は複雑にしたのである。自然災害だったら怨みようがない。でもあまりの被害なので三陸など津波被害に遭ったところは天を恨んだのである。
それだけの大きな被害だったからそうなったのである。その怒りをどこにぶつけていいかわからなくなり天まで恨んだということである。

ただ原発事故の被害というのは天災でもない人災であった。だからその起こりが東電や国に向かうのは当然だった。そのためにその補償金も多額なものとなった。それで津波の被害で破壊されたり消失た人は原発事故の補償金があって助かったという人もいる。それは小高区の場合がそういう人がいた。津波の被害があっても原発事故で避難区域になったから補償金が多額なものとなったからである。

今回の追加賠償でも小高区一人240万とかでありその額は大きなものであった。ただ原町区でも一人50万でありそれなりに大きなものであった。ただ30キロから外れた鹿島区は一人16万だったのである。さらに隣の相馬市となると今回は多少多くても8万くらいだったかもしれない。だからこの補償金の差があり不満になり地域が分断されたということがある。
おそらくもし津波の被害だけだったらこうした分断は起きなかった。むしろ津波の被害者に同情したとなる。飯館村の人などは別に原発事故の被害がなければ津波の被害者を同情していたと言っていたのである。

ただ原発事故で津波の被害にあった人たちは多額の補償金をもらった人たちがいる。それで助かったということも現実である。だから意外と東電とかをうらんだりしないということもあった。でも30キロから外れたりさらに南相馬市以外となるとわずかな彼しか貰えず不満な人がいたのである。

なぜそうした問題が起きたかというと何か原発事故というのはあくまでも原発事故と違って人災であるそれは人の責任でありそのために責める相手がいる。それは政府とか東電当然とかでありその責める相手がいるからこそそこに怒りををぶつけられる。
でも津波に地震とか津波になると怒りをぶつける対象がない。だから結局諦めることになる。でも原発事故の場合は怒る相手がいりそこに怒るよ不満をぶつけることになる。
また複雑なのは南相馬市内で補償金の額が別々でありそれで
分断されたのである。

●原発からの距離に比例して責任が課せられていた

結局人災というときそれは人が関わり人の責任になる。でも天災となるとそれはその責任は誰かとなれば責めることもできない。だから諦めるほかないのである。でも人災の場合は責める相手がありそれが国であり東電となると巨大なものだからそこから金を搾り取ればいいともなる。
でも複雑なのは不思議なのは原発というのは確かに政府と東電が主な責任者であるがまた地元でも責任はあった。それが双葉とか大熊とか原発に一番に近いのだからそれで被害が大きかった。

南相馬市では小高が避難区域になりそれで今でも人は帰ってこないし復興してないのである。そして小高には東北電力の原発の工事が始まる予定だったのである。だから何か距離に応じて原発からの距離に応じて被害があり責任があったのかとなる。
ただその被害に応じて補償金は支払われたのである補償金の額が決められ支払われたのである。 30キロから外れた鹿島区やその他相馬市でも補償金は額は少ないものだった。

だから何か距離に比例して責任が課せられていたのかとなる。でもその距離に応じて比例して補償金の額も決められたとなる。つまり原発というのは地元にも責任があり距離に応じて原発からの距離に応じてその責任も比例してあったのかとなる。双葉町などは町あげて原発を誘致して原発の町になっていたからである。。だからその責任も重く廃墟の街となってしまったのである。 

30キロから外れたことで鹿島区は16万であり原町区は一人50万である小高区は240万にもなっている。小高区だと原町区とかほかの地区に移住した人がそのために新しく家を建てたりしているから大きな金が必要だった。その小高区でも隣の浪江町の人が補償金が多いと羨ましがっていたのである。

●人間は何であれ誰であれ責任から逃れられない

ただ確かなことは地元にも責任がありそれは距離に比例してあったのかとな。原発に近ければ近いほど危険なのだからそれを認識して反対しなければならないということもあった。でも金が優先されてそういう反対もなかったのである。ただ人間というのは責任から逃れられないのである。日本の戦争で300万人死んだというとき一体その責任は誰にあるのかとなるがいくら指導者に責任があるといってもやはりその国民にも責任がありその代償は300万人もの死を出したということである。

それがまた日本だけの責任ともならないこともあアメリカの責任かもしれないからである。アメリカがなぜ日本に原爆を落としたり敵対する必要があったのかなぜアジアにアメリカが関わる権利があったのかとなればそれもわからないのである。だからアメリカにも確実に戦争の責任がある。でも東京裁判とかで勝った方は日本を裁いたけなのであるアメリカも本当は裁かれる方でもあったのである。

いずれにしろ30キロから外れた鹿島区補償金が少なかった。その少ないことで逆に原発のことを東電や政府でも批判することができるともなった。もし原町区とか50万ももらっていればなかなか政府でも東電でも批判しにくくなるのである。南相馬市の原町と鹿島の人が集まって政府や東電にと抗議するために戦おうと言うことがあったが原町区は3倍も補償金をもらうのだから一緒には鹿島区の人は共同して戦いなかったの抗議できなかったのである。

ただ私が政府や東電の責任を問うときそれはそれが補償金が少ないということでもあったのであるからできるともなっていたのである。それから国民は原発事故に対してどう見てるかというと原発乞食と言ってあいつらは補償金をもらいたいだけだと見ていたのである。
だから本当は補償金でもそんなにもらわなければ原発に反対することができたが補償金が多額であったのでそれで外部の人と共同して抗議できなくなったのである。

ともかく人間というのは何か国民なら責任がないようにも思える。でも必ず責任を取らされるのである。赤信号みんなで渡れば怖くないでもそれも必ずみんなが責任を取らせられる。みんなが渡るから怖くないということはありえないのである。みんなでやるんだからそれが正しいとかということでもないのである。悪いことでもみんなでやれば怖くないとかなりえないので必ずそのみんなが責任を取らせられるのである。

それは戦争で300万人も死んだということにもある。だからカルト宗教団体などでもみんながしていることであり責任がないということにはならない。みんながやっているのだからそれが正しいとはこの世でなり得ないのである。むしろみんなが正しくないからこそ原発事故でも起きたし戦争でも起きたしその責任を取らされて300万人も死んだとか故郷に進めた住めなくなったとかなったのである。

ただ人間はそんな責任など深く考えない。金になればいいとかみんながやってるかいいとかそんなことで同情して悪いことでも正しいとして実行する。でも必ずその責任は取らされるのである。一見そんなことで何か責任を取らされないように見えてもとらされる。
だから人間を考えると人間のした行為というのはかならず責任が伴っていて責任を取らされるともなる。それがその本人が責任を取らされないとしてもその子供とか子孫が今度は責任を取らされるのである。

この辺で放射能放射性物質に汚染されて土も水も空気も汚染された。プルトニウムは2万年も消えないとかなってしまったのである。それは親が原発を作りその子供にその責任が課せられたともなるだから親を捨てて故郷には済まず外に出たというのもそれが親の責任となってそうなったのである

とにかく人間が生きるということそれ自体が必ず責任を問われるのである。だから死後に裁かれるというときそれも責任が問われるからそうなったのである。人間は例えこの世で裁かれなくても何か悪い事したら来世で裁かれるとなる。その責任から逃れることができないのである。確かに別に罪を犯しても問われるこの世では問われないことがある。でも来世でわ確実にその責任を問われ裁かれるとなる。ただ人間はそうした責任を感じて行動している人はあんまりいない。

でも結果的にやはり責任を取らされるのでだから原発の距離から比例して責任を取らされたというのも何か責任が原発からの距離から比例してあったともなる。ただ現実は原町区などはそれほどの被害がなかったから補償金もらって得したということもある。だから原町区に住んでいた方が良かったという人もいる。原町区では別に人は住んでいるし変わらないからである。
ただ南相馬市は補償金でで分断されて一致して協力しにくくなったのである。それは確かなことである。
posted by 天華 at 20:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2024年01月06日

能登大地震で起きたことは東日本大震災でも起きていた 【志賀原発も被害があり危険な状態になっていた】


能登大地震で起きたことは東日本大震災でも起きていた

【志賀原発も被害があり危険な状態になっていた】

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日刊ゲンダイ1月5日号

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東日本震災で運転中止で発する熱が大幅に下がっていた!

●道路が寸断されて支援に車が入れない

地震発生以降、行政からの支援物資の搬入はないといい、地区の住民有志が歩いて土砂を乗り越え、支援物資を受け取りに行って避難所で配っている。避難所に身を寄せている女性(79)は「備蓄の食料などもいずれ尽きる。道路の開通が見通せないと不安だ」と訴えた。

今回の能登大地震でも東日本大震災同じようなことが起きてくる能登というとき輪島があり不便な場所にある。そして必ず災害になると道路が破壊されるし鉄道でも通らなくなる場合がある。そこで一番の問題が水と石油とかガスとか電気がとまり石油が入ってこないと車も動かせない。また水でも水道が止まると水が得られなくなる。

私の場合は2週間くらい米があり電気が来ていたのでそれでしのぐことができた。あと地元で古い米を配ったのである。それで2週間くらいしのいだのである。 2週間くらいすぎて隣の市でスーパーが開いたので自転車で買い物に行ったのである。
つまり車はが使えなくなれば自転車の方が使えるとなるのである。おそらく都会でわ道路が寸断され車は使えなくなる。すると車で脱出することもまた外から車で支援物資を運ぶことも難しくなる。それが今のとで能登などで起きているのである。
実際に歩いて脱出をする人を放送していた。道路が寸断して車で通れないからである。

●東日本震災では三陸で裏山の清水で汲み木を切って燃料にして米を炊きしのいだ

だから意外と文明的便利な生活は災害に弱いのである。災害に強いというとき昔のように井戸の水を使い燃料は裏山の木だったり自給自足的な生活をしている人が強いとなる。
だから現実に三陸あたりでは裏山の清水を汲み木を燃やして米を炊いていたのである。ただこの辺では原発事故で放射性物質に汚染されたから水すら飲むこともできなくなった。汚染されているから使えないとなったのである。
そうなるとすべて外部からの援助に頼るほかなくなったのである。でもその援助でも外部交通が遮断されたりするから入ってこなくなる。それで窮地に立たされたのである。だから能登でも同じことが起きたのである。

だから文明的便利な生活は災害に弱いのである。水でも水道は破壊されれば使うこともできない。電気が止まれば何もできなくなる石油は入って来なければ車も使えなくなる。道路も破壊されるから外部から車で入ってこれなくもなる。それは東日本震災で経験してきたことである。それで政府では無駄な道路を作らないようにするようになった。その予算もかなり減って道路を作る技術者が減ってしまってなかなか道路すら作れないということをユーチューブで説明していた。
でも無駄なように思える道路でも災害の時は一つの道路に頼りほかの道路で使えれば助かるとなる。だから災害の時は一本だけの道路に頼っていれば危険にもなる。つまり道路が生命線になっているからである。

●耐震設計しない家が多く壊れた

今回の能登大地震でも何か古い家が壊れていた。それは耐震設計していない古い家である。なぜ耐震設計をしないかというと老人はあと生きるにしても短いから家を直すことに金をかけたくないのである。この先長く生きるとしたら家でも耐震設計にして備えるということがある。でも老人は先が短いからそういうことに投資したくないのである。またみんなそんなに金がないということもある。

ただ家だけではなく地盤が弱いと建物も壊れる。大きなビルが倒れたのは地盤が関係していたらしい
地盤はその土地全体と関係していて一部だけでは地盤を強化することはできないと大工さんが言っていたからである。
耐震設計して家を直さないのは若い人が跡継ぎがいれば家でも直すことになるがそれが高齢化社会でできないということもある。そもそも空家が増えているのだからその後に住む人がいないから耐震設計に金をかけたくないのである。

とにかく日本は災害が多い。この辺では連続して地震や水害の今日被害があった。だからここだけではない日本はどこでも災害が起きる場所なのである。でも必ずしもその災害に備えていない。そして意外と文明的便利な生活が災害には弱いのである。また密集している都会というのは危険なのである。能登大地震でも火事があったがとても消防が来ても消すことができない。それより消防車がそこまでたどり着けないとなっていた。

だから関東大震災でも大被害になったのは火事のためなのである。そして車で脱出しようとしても渋滞になったり石油は入ってこないとか使いなくなる。便利なものは使えなくなるのである。だからその時脱出するとき返って歩くとか自転車のようなものでも役に立つとかなる。でも自転車でも危険である。ただ私は地震で道路が陥没していたあところでもその脇の安全なところを進んだことがある。だから自転車はなんとか使えるとなるがやはり危険である。それで孤立した集落の人が歩いて脱出してるとか放送があった。つまり最後は原始的手段歩くことが救うとなる。

●志賀原発が被害があったがまた隠蔽された?

今回の地震でやはり一番気にかかったのは原発だった。能登半島に志賀原発がありその原発がなんでもないと報告されたが実際はまた隠蔽しているみたいだ。とにかく日本がどれだけ地震が多いかまた今回も津波もあった。こういう国に原発をまた再稼働とか原発作ること自体があまりにも危険なことだったのである。そして常に原発というのは隠蔽される。だから今回でも危険だとは言わないのである。原発は安全ですよとしか言わない。

岸田首相も原発に関して何も言わないのである。その言わないことが実際は危険を隠していることなどだとユーチューブのニュース番組の解説者がいっていた。重大なことは記者会見でも話すことがない。一人の記者が原発に志賀原発について何か言ってくれ隠しているのかとか原因を究明しようとしたが岸田首相は何も言わず去っていった。だから何か危険なことが起きたのではないかとそのニュース解説者は言っている

原発は日本には適していない。これだけ地震があってまた津波があった。このような国に原発を作ること自体ありえないことだったのである。そして常に原発の危険性は報告しないし隠蔽されるのである。そして事故になったら取り返しつかないことになる。だから事前に原発について知るべきなのだが必ずこうして今回でも問題が起きても隠されるのである。何か原発というのは腫れ物に触るように扱われ危険も隠蔽される。でもいったん事故が起きたらその土地にも住めなくなったり水すら飲めなくなるのである。そして

東日本震災から運転中止で発する熱が大幅に下がっていた!

これで大被害をまねがれたのである。

なんかとにかく能登というとき辺鄙な場所でもある。だからさらに限界集落などがあり辺鄙な場所に住んでいる人たちがいる。道路も寸断されてそこにも入れず食料も得られないとなる。たとえ米があってもそれを食べるには米を炊く燃料が必要になる。だから電気ガス水道は止められるとお手上げになってしまうのである。能登で奇妙に印象に残っているのは朝食が千円とかでだしていたことである。あれ高いなと思った。観光に来た人に出すので高くしていた。

何かこういうことを覚えているのは自分の場合貧乏旅行者だからそうなっていて印象に残った、宿でもいつも安い宿を探していたかからである。それは外国力でもそうだったのである。でもアジアとかなると10数年前は格安だったのだからケチることはなかったのである。私は外国に事情にうといからそうなった。ソ連でネパール人を雇い戦場に出す、ネパール人にすると給料でも高いからそんなところでも働く、それですでに56人死んでいるのも悲惨である。ネパールとなると山ばかりで働く場所もないからそうなる。

ともかく昔のように自給自足していたなら井戸の水であれ裏の清水であれ裏山の木を切って燃料とすることもできる。それは東日本大震災で三陸の方で津波の被害があったときそうして2週間くらいしのいだからである。ただ今回の能登地震は能登自体が辺鄙なところにありそれが支援を難しくしている。とにかく日本に原発は会っていない。これだけ地震があり津波ある国だからとても安全にすることは不可能である。




posted by 天華 at 10:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2024年01月05日

謹賀新年−松の内(冬椿、冬の菊、冬紅葉、・・・)


謹賀新年−松の内(冬椿、冬の菊、冬紅葉、・・・)

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正月や家族のなしも我が家かな
街に住み百輪赤し冬椿
近くなる墓地に百輪の冬椿
我が家に光静かに冬紅葉
松の内人のなごみて日本かな

庭に散る木の葉一枚あわれかな心静かにここに散りなむ
清らかに白百合の咲きそのあとにまた一輪の咲き開くかな
冬の菊光を浴びてひそか咲く晩年静かここに生きなむ

家族はみんな死んだけどやはり家というのは安らぐ。だから人は病院では死にたくない。家で介護されて死にたいという気持ちが分かる。病院は無機質な場所でありそこに人間的なもの愛も通っていない。そこに情というものもないのである
だから何か木の葉が一枚庭に散るのを部屋から見ている。それはまさに人の死もかくありたいということかもしれない。家の中で死にたいということである。

冬椿というとき寒椿とは違って冬でもまだそれほど寒くない時期に咲くのはあっている。今年は暖かいからまだ冬椿である。だから冬椿と寒椿でわ感覚的に相当違っているのである。俳句というのはこうして季節的に時間軸で見ているのである。天候でも季節でも移り変わるのを日本人は敏感なのである。それは狭い空間に生きているから時間軸で生きているというというのは季節の変化がありそこに心も変化する。
でも大陸になると空間軸に生きる。広大な土地がありその先に何があるのかとなる。そしてその先に新しい展望が開けるのである。日本は四方を海に囲まれて閉ざされた島国だから時間軸で季節の移り変わりに敏感なのである。

それで相馬藩は六万石であり冬椿6万石の城下町という句を作ったことがある。それは春や昔十五万石の城下哉とは対照的なのである。でもなぜ相馬野馬追があるのかというのも他から見れば不思議になる。そういう祭りが残っているということはほかではないからである。

いずれにしろ今年の冬は暖かい。だから冬椿が合っているとなろ。何か晩年はやはり静かにつつがなく暮らしたいと思う。この辺でわあまりにも津波地震原発事故そして私の一身上でも介護で苦しんだからである。それで穏やかな晩年をすごしたいと思うのである。
でも元旦から能登地震とか飛行機事故とか不穏な年の始まりであった。
白百合の花が一連開き二年開きまた一輪開く。その花は清らかであり汚れてはいない。花を見るときやはりその見る人も心清らかでないと花は心に映らない。だから必ずしも金がなくても心が清らかであれば花の美しさが心に映るのである。でも大金持ちでも心が汚れてしまえばいくら金があって花を買って花を生けても花は心に映らないともなる。

とにかく今年の正月は元旦から不穏なものになってしまった。ただ自分の住んでいるところは別に被害を受けてないし穏やかである。人間はやはり老人になり晩年になれば穏やかに暮らしたいとなるのである。がから老人は何か激しい改革とかできなくなる。だから日本全体が停滞するというのもわかる。ただ老人は成熟してものの見方でも深くなるから鑑賞的生活に向いてくるのである。

松の内の間は年神様が滞在している期間です。新年の始まりを年神様と共に過ごしているという気持ちで、家の中を掃き清め、年神様に失礼のないように過ごしましょう。

正月でも何か正月気分が感じられない、松の内というとき松というのは親しみ安いものであり人間に見えるのであ。だから松の内と言う時実は信頼する人々が集まりそこで結束をさらに強いものとするのかもしれない。
正月にはやはり親戚でも集まり友好を深めるともなるからである。とにかく日本には松に関する故事でも短歌でも多いのは。それだけ松というのは人間に見えやすいのである。だから松の内というときそれは松というのは人間であり人間がそこで信頼して友好を深めるということにもなる。

ただ今そうして何か一族が結束するとか村の人が一年を始めるにあたって集い新年を祝うということもなくなったということもある。そもそもこうした正月の祭りとかは村という共同体がそれも農村共同体があってありえたのである。
今や農民は全体からすれば1割もいないとなれば田舎でもそうでありそうした祭りが農業に由来する祭りが喪失してゆくのも当然なのである。それは農業に基づいた文化が喪失してしまうということである。俳句の季語でも農業に由来するものが多いからである。

松の内集う面々健やかにつつがなきを祈るべしかな


2024年01月03日

死者とは何なのか 【死者は語らないが生者が語り続けて生き続ける】

死者とは何なのか

【死者は語らないが生者が語り続けて生き続ける】

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小林カツ

姉は兎年であり鯛はめでたいになりまた鬼は悪いものが入らないように魔除けにもなる。
だからこのお菓子は姉を現わしていたのである。


人は死ぬ。でも人は死んでもその死者との対話は続く。もう姉が死んでから13年とか母でも8年とか過ぎてしまったのである。でもなぜ依然として死者との対話が続いている。返事が無いのにしろやはり語りかけている。
そして死者と対話するというときそれは死者と生きた時のことを思い出して対話しているのである。

第一人が死んだら何が残るのかとなるとその人が生前にどういう人だったとか何をしたとか何をしてくれたとかその人はどう生きたのかを振り返る。だから何か人が死んだらその人は全く別の人になるということはない。何か死んだらその人はどんな人であれ神となるということが原始時代とかでもあった。つまりそれは死というものが何かわからないからそうなったのである。ご先祖様となり神ともなったのである。

でも人間は死んだらその死後のことなどわからない。ではあの世でどんなふうにして生きているのかもわからない。ただわかっていることはその人が生前にどのように生きたかである。だから歴史的人物でも必ずドラマになったりするのはその生前に生きたどのように生きたかが問題になる。あの世でどうしているかなどわからないのだからそれを語ることもできないからである。

私のは姉と母にこだわっているのかというとやはり60年とか子供の時から一緒に暮らしたことが影響しているのである。そして自分は一番良くされたからである。ただ2人が母親のようになっていることで複雑化した。でもそれが悪くも働かなかったのである。それは中学の時父親が死んで姉が父親代わりのようになったからである。それはどうしてかというと姉は気が強く男勝りであり母はその反対であり気弱な人だったからである

だから父親が死んでからあれは姉がいて家が支えられたのである。もちろん自分自身も支えられたのである。それが60歳頃まで支えられて一緒に暮らしたことが影響したのである。それはある意味で異常な家族でもあったが私にとってはよく作用したのである。もし母だけになっていたらかなり私は苦労し自由な人生は送れなかった。
なぜなら母はとても一人で生きられるような人でもなかったからである。性格的にも神経質でありであり私は姉のほうが良かったのである。。何か私に対しては文句を言ったりしてない。何でもしていいおおらかさがあり陽気な人だっからである。だから細かいことなどは言わないそれでなんかあまりにも自由に生きた結果社会性もなく自由放任の人間になったともなる。

でも自分にとっては学校とか会社とかは集団生活はなじめない性格だった。だから自分にとっては引きこもりである旅ばかりしていてもそれがあっていたのである。そこで自分なりの能力開発もできたとなる。ただそれがすべていいものともならなかった。そのために2人の介護になった時死ぬほどの苦しみを受けたのである。それもカルマだったとなる。でも死んでもやはり2人のことは忘れられない。だから時々夢にも見るし2人のことを回想する
それはあくまでも生前にその人とともに生きたことをかいそうするのである。

何か正月で買ったお菓子が兎であり鯛であり鬼の面であった。姉はうさぎ年だったのである。鯛ははめでたいになる。そして何故ここに鬼の面があるのか。姉は気が強く男勝りであり屈強な男でも恐れなかったのである。だから母の性格とは全く違った女性だったのである
だからつくづくこの三つのお菓子の似合っていると見たのである。姉はやはり私の家を支えて幸運をもたらした女性だったのである。ただ最後は認知症になり悲惨だった。ただ私の家を支えた人であり家の中では功績があったのである。ともかく別に社会的に功績がなくても家の中で功績があるということがある。家に尽くした人はどこでもいるからである。

とにかく人間は死んでも簡単にその存在が消えるものではない。だから死んでも歴史的人物になれば何度でも語られるのである。家族でもやはり家族で功績があれば語られるのである。
そして残された人でもやはり死者との対話は続いているのである。認知症の人が死んだ人に向かって延々としゃべり続けているというときそれが変わったことでもない、普通の人でも死者と語り続けているからである。その人のしたことや性格やその他その人となりのこと人となりが思い出して語っているのである

ただか全くは死者が忘れられるということもある。親でも全く忘れられれる。関心もないという子どももいる。だからそれは親に対する思いというのはみんな違っているのである。私の場合は特殊な事情で特別親に対する思いが強いのである。私という存在はやはり親なくしてありえなかったからである。自由放任に生かされたたことで問題だったが私にとっては良かったのである。

結局親の影響は相当に大きい。だから親と対立して反発して親と別々に暮らして後はあんまり交われないという人も結構いる。それは親から独立することでもある。カルト教団の子供に生まれ生まれた人はまるでヒトラーユーゲントとか毛沢東の紅衛兵のようになった人もいる。
そして一生ただ親の言うなりに集団組織の一員となり他は何も見えなくなった人もいる。それも親が影響があまりに大きいためにそうなったのである。子供の時からそうして育てられたのかだからそれ以外の道が見えなくなった人もいたのである。だから親の影響というのは従うにしろ反発にするにしろ大きなものなのである。

フラワーアレンジメントをしたが例えば黄色とピンクの菊の花がありでもそれでは何か足りないものを感じた。それで赤い椿の花を添えたのである。このようにおそらく家族というものでも多様性があった方が育つにはいいかもしれない。母と子だけというのは何か育つには良い環境ではない。そこにまた異質なものも必要なのである。まだ商人の家で優秀な養子をもらうというときその家が繁栄するというのもそうである。人間はやはり多様な人間に接して育つのがいいと思う。だから一人っ子というのはうまく育たないのである。

いずれにしろ人間は死んでもその残された家族でも他人であってもその人をが語られている時生き続けているのかもしれない。人間は死んでも簡単に消えることは無い。死んでもやはり死者は残された者に生き続けるのである。
歴史的人物になればその人は語られ続ける。だからこそ歴史的人物なのである。家族だけのものではない社会的にその人物はやはり死んでも生き続けるである。そもそもキリストとか釈迦とか2000年も語られる続けるということはそれだけその人が死んでも生き続けているということなのである。家族はでもその人となりをまた家族内での功績があり語られる。社会的になればそうして2000年も語り続けられる人はほとんどいない。それだけ死んでも生き続けるということは奇跡にもなる。ということはそれだけその人間は普通の人間とは違っていたということである

近くの医者でもその人は常に話題になり語られていた。でも死んでから一切誰も語っていないのである。その医者は金持ちでありその人の住んだ家は残っているが庭も立派だがその一人息子も医者だったが死んだ。東京の方で働いていたから地震で屋根が壊れていても直さないのである。ただ放置されているだけなのである。それもどういうことなのかわからない。あれだけ話題になった人がまったく誰も語ることもないのである。

だから大概の人は死んだら全く忘れられてしまうのである。今本を読んでいるとすでに死んだ人が多いのである。その人のことは本を残しただけであり忘れられているのである。だから死んでから十年であれ30年であれその人が語られるときはやはり特別の人だったとなる。他はすべて忘れられてそんな人がいたのかとまでなってしまうからである。それも文無常だとなる。覚えられる人は本当に少ない。ただこの世から忘れられてそんな人がいたのかとまでなってしまうだけである。ただ家族の場合は別でやはり残された家族は死んだ人のことを忘れることはない。だから死んだ人との対話は続いているのである。

ともかく死者の死後のことはわからないのだから生きていた時のことが語られるのである。それは延々と語られるともなる。
その人が誰になるのか人によって違っている。ただどうしても長く一緒に暮らした人が何であれ忘れられない人になる。
というのは人間に与えられた時間は限られている。すると時間がないと親密にもなれないし信頼関係も築けないからである
だから熟年離婚は相当に損ともなるだろう。なぜならまた新たに親密な関係を作る時間が人間には与えられていないからである。
つまりこの世で親密になる時間は極めて短いからである。そして老人になると過去を回想することが生きることにもなる。
それは認知症になると実の子供でも離れて暮らしていると忘れてしまうからである。

去る者は日々に疎し・・・となるからである。でも死んだ人でもやはり延々と語られる時死んだ人も依然として生き続けているのである。