若気(わかげ)の至りの怖さー三菱重工業爆破事件の犯人桐島聡の一生
【20代で人生の方向が決まる怖さー人生は元に戻せない】
三菱重工業ビルで74年8月30日、8人が死亡、380人がけがを負う爆破事件が発生。東アジア反日武装戦線が犯行声明を出し、75年にかけて大手商社やゼネコンなどを標的に爆破事件を起こしていった。
その後、一連の事件は東アジア反日武装戦線のグループ「狼(おおかみ)」、「大地の牙」「さそり」が起こしたものであると解明され、主要メンバーが次々と逮捕されていった。
桐島容疑者は一連の事件のうち、75年に発生した銀座の「韓国産業経済研究所」爆破事件に関わったとして指名手配されていた。
それから約50年の間、桐島容疑者は逃亡していたが、2024年1月に急展開を迎えた。
「若気」とは、若い人にありがちな血気にはやったり、無分別であったりする気質を表しており、ものごとの行き着く結果のことを指す「至り」がついて「若気の至り」となっています。
●若きの至りの過ちは一生尾を引く
若気(わかげ)の至りとは誰にでも起こることである。それも起こらないそのこともまた問題かもしれない。若い時から石橋をたたいて渡るように慎重な人間はそれまた問題である。ただ必ず若いときは先を見ず無謀になってしまうのが普通である。この人も左翼であり学生運動をして爆発犯人なったのである。それは飛行機をハイジャックして北朝鮮に逃れてそこに住みついた過激派が居た。
その人たちも北朝鮮に住んで結婚までして子供まで生んでいたのである。そして最後は日本に帰りたいとなった何か北朝鮮でスパイのようなことを政府から命令されてしていた。だから北朝鮮に渡ってもただそうしてスパイにされて利用されるだけだとなった。
でもその若気の至りの怖さはいったんそういう行動をしたらそのまま人生がその行動によって決められてしまったということである。それは熟慮した結果行動したわけでもないまさに若気の至りでありそれが今そのその人が反省していてもすでに50年とかも過ぎていた。その人の人生はすでにその事件を起こした時決まってしまった。一生ただ身を隠して名前もわからないようにして潜んでいたということである。
最後は自分の名を明かして死にたいとなった。やはり何か誰でもない偽名を使った自分に対して自分の名を名乗りたかった。ただそのまま死ねば誰だか分からない闇の中に消えてしまったということである。それにしても40年から50年そんなふうにして自分の名を偽り生きていたということはどういうことなのか最後に自分の名を名乗りたかったというのは偽名を使って生きていてもそのことに自分自身が生きたということもなくなりそれに嫌気が差して自分の名を名乗った。
ともかく若気の至りというのはその時の暴発で終わらない。それが尾をを引くのである。何か性犯罪などでも若い時にありそれも後はどうそのままでは終わらず尾を引くことがある。だから推理ドラマでわはそうした若気の至りで起こしたことを後々まで尾を引いて問題になることをドラマにしているのである。つまり若気の至りでしたことはそのままでは終わらないという恐怖がある。それが一生禍根となってその人を苦しめるということもある。
だから北朝鮮に飛行機をハイジャックして逃れた人たちはもう日本に帰りたいと訴えたのである。それだって40年なのか50年なのかそういう先のことでありでもそのことはハイジャックしたことがいくら若気の至りでもそれをそれが一生を決めてしまったのである。だから若気の至りというのも怖いのである
そもそも人間の一生はその方向は20代で決まる。 20代でその方向が決まってしまうのであるほそして方向が決まってしまうと引き返せなくなるのである。飛行機をハイジャックして北朝鮮に逃れた赤軍派なのかその人たちももはや日本に帰れなくなったのである。つまりいくら反省しても元に戻ることができなくなる。それは若い時に20代で方向が決まってしまうからである。
●親の言いなりになる人生は自分の人生を失う
私は創価などのカルト教団学生時代に運動していたがやめた。でもそれをそこに所属している人は一生カルト教団で終わったのである。その人は子供の時からカルト教団に100%染まっていたからそれ以外の道はなくなっていた。それは親に決められた人生であり親や家族にとっては親孝行な息子として誉められるものだったのである。その人は何の疑いもなく100%カルト教団に染まってそこがすべて人生の全てとなってしまったのである。でも依然としてそのことで悩んだり反省もしていないかもしれない。
確かなことは親のいうがままに生きることではない。そうなった時自分の人生そのものを失うのである。むしろ親とは衝突して争うというのは普通にある。それは常に時代が変わるから親は時代に合わないものとなり世代間の争いが起きてくるのである。だから反抗期になるというのは人間として正常なことでもある。ただ親の言うなりになり生きることは自分自身の人生も失うことになる。でもカルト教団の人は親もそうだし周りの人もそうだとすると自分自身を客観的に見ることはできなくなる。もうすでに親によってその人生もう進路も決められてしまうのであ
怖いのは20代で正規のルートから外れるとそのまま外れたままに一生が決められ。例えばニートとか親に依存して引きこもりとかになっているとそのまま一生ひきこもりになってしまうことの怖さがある。それを自分自身が経験して生きたからである。なぜ新卒が大事なのかというとその時点でその人の人生は決められるということなのである。大企業には入る人と中小企業に入る人とその差がまた大きいからである。大企業でもどういう人を選ぶのか新卒で決めるからである。そのために有名大学に入って入って大企業に入ることが一つの安定したルートとなっていたのである。それから外れると一生は下積み生活をしなければならなくなっていた。それが今変わってきたけども依然としてやはりそういうことが続いている。
ともかく20代頃にその前でも必ず若気の至りがあり過ちを犯す。それは避けられない人生の行路なのかもしれない。その先のことなどわからないからである。先のことを見て行動したりしない。むしろ先のことを考えていたらそんな無謀なことはしないからである。そこに青春時代の怖さがある。また逆にあまりにも慎重だと青年らしくないともなる。青年時代はどんな人でもやはり冒険の時代だからである。そこで冒険しない人間はやはりまともな大人になれないともなる。つまり人間というのは年齢によってそれにふさわしい人となるのがいいからである。ただ青春時代は危険な時代であり暴発する時代でありそこで必ず過ちを犯すのである。それがその時で終わってしまえばいいのだが一生を尾を引くから怖いのである。
●波乱の青春時代に神を知るーあとは知る機会を失う怖さ
だから何度も言っているわ若きうちに神を知れという時最もエネルギーに満ちたときこそ神を知る時なのである。その時を逃すと神を知ることはできなくなるからまたこれも怖いのである。神はどんな人間を愛するのか。過ちを犯さない人間ではない。罪を犯さない人間でもない。完全無敵な人間でもない。品行方正な人間でもない。だから青春時代でもまじめくさって何か過ちも犯さない人間を愛すということでもない。神はあまりにも慎重で冒険をしないような人間を愛さない。何か無鉄砲でもやはり青春時代になればそれは批判も出来ないのである。それよりあまりにも慎重だということは返って人間味がないロボットのような人間になってしまうということである。
いずれにしろ20代とかは青春時代は波乱に富んだ時代である。だから必ず若気の至りになる。でも怖いのはこの人のようにそれが一生を尾を引いて一生を決めてしまうということである。この人の人生は爆破事件を起こした時それでその人生が決まってしまったのである。つまりいくら若気の至りでもそれが一生尾を引いてその人の人生を決めてしまう。
ただ逆に若い神をを知れというときさまざまな波乱の中で20代で神を知らなければ知る機会を失うということも怖い。ただ確かなことは青春時代は誰しも一番波乱に富んでいて何か危険なものであり一生を決めてしまう怖さがある。その方向は20代で決まってしまうからである。そして35歳になるとあとは人生の余禄だという人もいるが現実に40歳頃ですでに白髪がでてきたりするから人間が老いるというのも早いのである。人生の盛りだと思ってたらたちまちその盛りも過ぎてしまって老いに入っていたということになる。
だから一旦社会から外れて引きこもりになったりすると軽い気持ちでなったかもしれないがそのまま一生引きこもりになるという恐怖がある。私の場合はそうだったからである。今はそういうこともできる時代になっていたからである。そんなに長く引きこもりになっているとわ思わなかったかもしれないなやはり20代でその方向が決まりというとき引きこもりになるということもまた一生そうなってしまうという怖さであるである。
だから20代はその方向が決まってしまうから怖いのである。そして決して人生は元に戻ることはできない。人生は一回限りでありまた元に戻って20代に戻ってやり直すということはできない。人生は長いのだから失敗してもやり直せばいいというが一回失敗したらそれをやり直すことは非常に難易度が高くなる。だから20代で失敗して正規の道から外れてしまうと外れたままに一生終わるということである。それが爆破事件を起こした霧島という人の示しているということである。