2024年02月29日

Japanese gerden and lakesaide with no man


Japanese gerden and lakesaide  with  no man


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lakesaide  with  no man in winter




一日潟湖の奥に
人は踏み入らず
枯葦の岸に
足跡はない
蟹が這いのぼり
水に沈んで消えしのみ
冬の太陽のみが
美しく輝き昇り沈む

In the depths of the lagoon for a day
No one steps in winter
on the dry reed banks
There are no footprints
Only crabs crawled up
Only to sink into the water and disappear
Only the winter sun
Rises and sets in beauty and splendour



2024年02月28日

明治天皇の短歌の鑑賞―隅田川に浜離宮は東京ではいい場所 【天皇は家の柱国の柱中心として必要だった】

明治天皇の短歌の鑑賞―隅田川に浜離宮は東京ではいい場所

【天皇は家の柱国の柱中心として必要だった】

●天皇は日本の心を受け継ぐ

神路山みねのまさかきこの秋は手づから折りてささげまつらむ

自ら榊を手折るというとき店で買ってささげるのとは違う、その山を想い自然にじかに触れることである。だから何でも金を出して買うという時人間はその物の貴重さがわからなくなる。スーパーに行って金さえ出せばなんでも買えるとなる。でもその物のはどうして作られたのかそれがわからない。それを分かっているのはそれを作った人なのである。

一つの果物でも梨であれりんごであれそれを育てて作っている人はまさに自然と直に触れている。その人こそその果実のありがたみを知るのである。また一つの果物でもそれを作るには一から始めするとうまいものは作れない。なぜならその土地に通じて十年くらい試しにでもやっていないと実験していないと作れないからである。だから農業の場合親の後を継いでするのが向いているのである。一から始めることは難しいものとなる。

目に見えぬ神のこころにかよふこそ人のこころもまことなりけれ

神は目に見えない。それはキリスト教でも同じである。そして神は人の心を見ていると言う時人の心が神には見えるのである。だからこの短歌は深いものがある。

●馬が活きていた時代の短歌

うちのりて雪の中道はしらせし手なれの駒も老いにけるかな
春風にいななく駒の声すなり花のした道たれかゆくらむ

この歌は馬が現実に生きて活用された時その馬が人間のようにもなる。長年この駒に乗ったがこ老いたな感じるとき人間のように見ていたのである。この時代はまだ馬が活きていた。馬が活用されていたのである。今は馬は見かけない。競馬場で見るくらいになってしまった。
でもこの辺では相馬野馬追はある馬を飼う人がかなりいて馬が身近にいる。ただそれも野馬追に出るためだけに飼っているから馬が活かされているとはならない、費用もかかるから馬を飼うのも大変なのである。

でもそういう土地柄だから馬に関心あるとなる。でも全体的には馬というものは何かわからなくなったのである。春風が吹いて馬の鳴く声が響いてくるとき馬も社会全体の中に自然の中に生きていたのである。
だからこそ時代時代に人はその感じることも違ってくるのである。今はもう馬のことを身近に感じない。ただ車だけが行き交う機械社会になっているからである。そのために馬と情を交わすということもなくそのために人間は情が育まれなくなったともなる。機械とかコンピューターには情が持てないことが問題なのである。相手が動物だと情は通じるからである。
ただいくら餌やっても外で勝っている猫はなれない、やはり相当に外でひどいめにあったからかもしれない。


●真木柱の歌ー家が老人には大事になる

まきばしらたちさかゆるも動きなき家の主【あるじ】のあればなりけり


まきばしらと言う時

かみかぜの伊勢の内外のみやばしら動かぬ國のしづめにぞたつ
神風のいせの宮居のみや柱たてあらためむ年はきにけり

天皇の御製歌(おほみうた)一首

あをによし奈良の山なる黒木もち造れる室(やど)は座(ま)せども飽かぬかも

この歌に通じるものがある。私の家を作ったのは姉と母であり特に姉は地元の木材で同級生の人がいて柱を立てたと何度も自慢していた。そしてここに私が住んで居られるのもそのおかげなのである.家の中心なる者がいて家も治まる。その家を拡大したのが国家になる。天皇は象徴でも神祇を司どるものとしての役割があった。ただ戦争がありその神が戦勝を祈るものともなった。神道が国家神道になった。それで昭和天皇は戦後戦いの神ではないとして平和の神として全国を回ったのである。

桑折代官所は天和三年(1631)に設けられ桑折藩時代の後に明治維新後に廃止されるまで宅200年間この地を治められた
桑折から北畠家顕家のの居城なりしと霊山を観て

【古へを忍ぶの山の時鳥、木かくれて啼く声を聞ゆや】

の歌を残した。桑折という姓は霊山の滅びた時この南相馬市に落ち伸びた一族である。桑折とは郡役所の郡のことであり郡山も古代の役所が置かれた場所である。南相馬市だと鹿島区では霊山が滅びて落ち伸びた武士の一群が多い、有名なのは多田野村を由来とする只野氏である。そもそも明治になって天皇は南朝を正統として受け継ぐものだったからである。ただ霊山には直接来ていない。遠くから見たということである。この歌はいい歌である。
何か天皇となると皇統を継ぐということで代々の思いがあるから違っている。ただそういう思いも平成天皇であれ令和天皇であれ受け継ぐのが難しくなっている。時代が変わりすぎたのである。

從二位伊達宗城の邸に立寄らせたまひてあくる年二月十三日に下し賜へる

花ぐはしさくらもあれどこのやどの代々のこゝろをわれはとひけり

これは家という建物ではなくその家の成り立ちとか家訓とかありその心を見たのである。代々の心とはまさに天皇にはあったとなる。明治になってからも伊達家はあったのか、侍はなくなっても上級侍は氏族になり俸禄が国から支給されていた。だから生活にこまることなく屋敷を持ちいい暮らしをしていた。
士族と平民に分かれたのだが下級武士には支給されず自力で生活するほかなかったのである。

ともかく年取ってくるとつくづく住む家が大事になる。家に居る時間が長くなるからである。そこが住みやすくないと老後は安住の地にはならない。それが自分にわ与えられていたのである。だから私は特別親に感謝しているのである。

しづかなる所えたりとうぐひすもみやまがくれの花になくらむ

こうした場所があるといいのである。

●家の中心となる者が必要―国家の中心が天皇

とにかく家というのは何か中心になるものがないと維持できない。それは私の家のことでいやというほど経験している。 2人の親がいたようになっていたが争っていた。それは嫁と舅の争いでもそうである。そこで中心となるものはいないと治められない。天皇というものも実はそれに似ている。日本という大家族の中心に天皇がいて国民は赤子となっていたからである。つまり天皇が親であり国民はその子供となっていたからである

江戸時代の徳川幕府でもなぜ長男を跡継ぎとして大事にしたのかそれは徳川家を維持するためにまとめるために中心となるものが必要でありそうしたのである。その跡継ぎとなるものは必ずしも優れた人は言えなくても跡継ぎにしたのである。そうでないと権力争いがあり家がまとまらないからである。そのために南北朝の争いは2人の天皇が生まれて争うことになったからだ。その争いは全国民に波及して隅々まで二つに分かれて日本は争い続けてきたのである。

だから天皇は一人でないと収まらないということである。その天皇は必ずしも優秀でなくてもいい。飾りであってもいいと思う。それは国民をまとめるために家をまとめるためにただの象徴でも必要だとなっていた。それはもしかしたら子供でも良いし極端になれば人形でもいいともなってしまう。それだけ家でも国でも一つにまとめることが容易でないからそうなったのである。だから戦後まさに象徴天皇となったのは飾りでもいいから国をまとめるものとして必要だからそうなったのである

明治天皇は偽者だという説もあるなそれも別に血統とかではなくまさに象徴として必要なのである
それにこだわることもないとなる。国をまとめるのに必要だから作られたのであり血統とかそういうものでもないのである。天皇の血統が果たして続いたかどうかなどわからないからであるだから象徴となれば人形ですらいいのかもしれないともなる。
日本の天皇は権力をもたない。だから外国の王様とは違う、天皇も中国から取り入れたとしてもそもそも中国の王の権力は絶大であり民衆を奴隷のようにもみていたからである。それで民にも権力争いでも熾烈になり恨まれたのである。日本の天皇はそうした絶大な権力を持つ王様とは違っている。江戸時代などは短歌の短冊を売って貧乏な暮らしをしていたのである。でも一応徳川幕府が天皇認めていて待遇はしていたのである。

ただ明治天皇というのは何か顔を見ても威厳がある。それは江戸時代から明治になった人たちは育った人たちは何か威厳があった侍であった人たちは違った人たちであった。
やはり人間も時代によって作られるのである。10年20年違っていても何か人間が変わってしまったといわれるからである。だから明治は偉大な時代であったのである。
でもその後は明治の後半でも何か侍というものはいなくなった。だから人間そのものが変わったというのは時代の影響でそうなっていたのである。今でも世代によって人間が違っているからである。それで時代によって顔つきまで違っているのかとなる。江戸時代の人と明治時代の人は相当に違ってしまった。顔つきまで違ったことは言える。でも明治時代はまだ侍は存在してその顔つきでもやはりその後の人とは違っていたのである。

●思わぬことが人生には起きる

思わざる事のおこりてよのなかは心やすむ時なかりけり

このことは自分自身でも痛感した。 2人の親がいるときはこういうことはなかった。 2人が死んでからは自然災害があり津波があり介護に追われ自分自身も病気になり家に来る人には責められ自分自身が病院に入院しては虐待されたり散々な目にあったのである。心休むときはなかった。ただそれも楽をした自分のカルマであったのである。人間は例えいくら恵まれていても必ずこうして苦しむようになっていたのである。つまりこの世に生きる限り思わざることが必ず起こるのである。

わがためにこころつくして老人が教へし事は今もわすれず

老人の言うことなどうざいとか聞きたくないとかなるかやはり老人が語ることは経験したことであり重みがある。必ず老人はその生きたことをそれぞれに生きたことを語る。その苦しかった頃などを必ず語るそれが教訓となるのである。そこに必ずこれから生きる人にも参考になることがある。老人というのは必ずそうして苦しかったことなどを語りそれがのちの人のためにもなるのである。ただ老人にもいろいろあるから全ての人が語ることにはならないのである

●浜殿ー浜離宮の歌

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江戸城から皇居からそんなに遠くないのか、あまり遠いと行きにくい、江戸城でも意外と海に近かったのである。

はまどのの庭の池水あさしおのみちたるうへに散る桜かな


浜離宮春の潮の充ちて入る松の静かにここに会すも【自作】

東京湾から海水を取り入れ、潮の干満で景色の変化を楽しむ、潮入りの回遊式築山泉水庭
園内には鴨場、潮入の池、茶屋、花畑やボタン園などがある

家宣のお成りを祝い観覧式が行われた、飾り立てた船を浜御殿に繋留し、家宣の命令で舟は一斉に漕ぎ出した[。公家たちは中島の茶屋に集まり、大泉水を眺めながら和歌を詠み、大泉水に船を浮かべて船上で演奏をした[7]。
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東京では自然を感じる場所がまれである。浜離宮は海からの潮を取り入れる離宮である。だから珍しいとなる。それで浜離宮で春の潮の入ってくる。東京で自然を感じるというとき隅田川があるそこから海へと注ぐから自然を感じる。他は自然を感じないのである。

でも江戸時代になると水路がめぐらされていて舟で船で行き来していた。それがなんともいい風景なのである。ベネチアのようにも見えるのである。でもそういう光景はは全く東京から消えた。それでただ殺伐としているだけなのである。だから私はずっと東京には行きたくないとなったのである。浜離宮とか明治神宮は自然がありいい場所である。百羽の鴎が隅田川を飛んでいたときは隅田川らしいと思った。

隅田川百羽の鴎や春の日に飛びきて近く海に出でるも(自作)

隅田川かかれる橋のいくつかなその名の良しも春の日渡る





2024年02月27日

空間軸と時間軸と理解する世界 【時間軸が地質時代から始まるから理解しにくい】


空間軸と時間軸と理解する世界

【時間軸が地質時代から始まるから理解しにくい】


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●福島県の地理―ハマナカアイズで一体感がない

人間は空間軸と時間軸の中に生きている。必ず人はどこかの場所に生まれそこで育ち育つ。そこに長く住んでいればその住んでいる地点から世界を見る。それは狭い範囲でもそうである。福島県の浜通りでも海に面しているが山々も山川がありその住む場所によって見方が違ってくるのである。

それがさらに空間を広げると福島県の地理を知ろうとしたら東京から仙台まで通じる中通りではなく浜通りから会津の方まで行くとその地理が地勢がわかる。でも大概は遠くからになるとそういう旅をしないで東京からだったら中通りを通り仙台方面へ行くとなる。そうしたら福島県の地理はわからないのである。つまり福島県の地理はハマナカアイズなるが浜通りから中通りを横断して会津に行かなければわからないのである。

そしてなぜ福島県が地理的一体感を感じないのは阿武隈山脈に遮られて中通りの吾妻連峰とか磐梯山は全く見えないからである。不思議なのは蔵王は明らかに南相馬市から鹿島区からはっきりと見えるのである。するとむしろ山形県が近く感じて地理的一体感も感じるとまでなる。それから山に登ると牡鹿半島は意外と大きく近く見えるのである。だから浜通りになると宮城県の方が身近になる。

●ライン川がヨーロッパを二分した地殻変動で生まれた

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それは外国でも同じである。ライン川ができたのは大陸は押し上げられてスイスの高山地帯ができて地溝帯ができてそこがライン川になったのである。つまりライン川とはすでにそうした地殻変動でヨーロッパ大陸二つに割るようなものとして生まれたのである。
だから空間軸で見ればヨーロッパ大陸はライン川を挟んで二つに分かれた。その境界を作ったのは自然の作用でありそれが歴史でも作ったとなる。なぜならライン川を挟んで民族も違って発展した。東側にドイツ民族ゲルマン民族が住んでそこはローマ帝国でも侵略的なかったからである。

逆にゲルマン民族がローマ帝国内に侵入して一時的にゲルマン民族にローマの中心部がに入り占拠したことがあったからである。そして文化的にもゴシックという様式がローマ帝国内にはいゴシック建築は交流したのである。それはフランスでも同じでありフランスにもゴシック建築がありゲルマン風のゴシック建築や芸術が普及したのでだからヨーロッパの歴史を見る場合ライン川というのは実は重要な役割を担ったのである。

そしてヨーロッパの地理と歴史を見るとピレネー山脈がありそれに遮られてスペインはまた異質な国として形成されたのである。そしてドイツのケルンの大聖堂から塔に登った時それがオランダからイギリスまで見張らせる感覚であった。
ライン川オランダに流れ海に出るからである。だから実際はゲルマン民族のドイツが中心になっていた。イギリスは辺境だったのである。英語の基はドイツ語でありアングロサクソンが基になったのである。それでカトリックという時それはラテン系であり地中海沿岸とフランスとかがそのラテン系になり言葉もそうである。
でもカトリックからカトリックに反抗してルターの宗教改革でプロテスタントが生まれた。つまりこれも地理的にライン川を挟んでその地理が影響したのである。

地球の歴史とか壮大なドラマはまず神がその地理を作りそれが舞台となりそこに人間の時間軸の歴史が形成されたのである。だから空間軸と時間軸で世界を見る。ただそこで問題なのは空間軸だと太古からの変わらないものがある。時間軸で形成されたものは地質時代からありそれだけ遡るとなるとなかなか理解できないので。
でもその地質形成の時間軸の歴史を見ればライン川を作ったのはまさにその地殻変動で地溝ができてヨーロッパ大陸がまさに二つに分かれたようになりそれが人間の歴史を形成したとなる。だから空間軸があり時間軸がありそれが一体となり地歴が見る必要がある。

●時間軸で形成されたものはわかりにくい

でも時間軸空間軸だとそれが何億年とか前になり理解しにくくなる。第一その地層から地質から時間軸で見るのは容易ではないからである。まずこの世界を理解するには空間軸で見る。それで何か事件が起きるとtake placeでありその場所は最初に問題になるのである。それは場所は一応理解するからである。でも時間軸になるその場所の歴史を理解することは地質時代までさかのぼり簡単にはできないのである。
それは日本に住んでいても東京の江戸時代のことを理解することは日本人ですらもはや理解不可能になっているからである。まして外国になったらさらに理解することは難しくなる。

とにかくなぜ世界の歴史でも今起きていることで分かりにくいのかというときそもそも空間軸の地理でも分かりにくいしまたさらに時間軸になるとわかりにくくなる。でも地理から見るのは人間の歴史が始まってからそれほど変わらないからわかりやすいのである。
例えばロシアとウクライナの戦争でもドニエプル川を挟んで攻防があった。やはり依然として陸上戦になると川が障害となり争いとなっていたのである。それは古代からそうであり川が障害となりそこは境界となったのである。だかriverはライバルになったのである。

最近テレビで見たのだが地中海を巡って攻防があり地中海がイスラム世界に支配された時ヨーロッパはイスラム世界に対して閉ざされた世界となりそれが中世となって閉鎖された歴史が長く続いたとされた長く続いたという。地中海がやはり大きな役割を担った。ヨーロッパの歴史はイスラム圏との攻防でありそれを見ないとわからない。イスラム圏の方は文明的にヨーロッパより優れていたからである。だからイスラムが遅れたように見えるがヨーロッパの方が遅れていたのであ。そのイスラムのことは何か文明的ではない野蛮なものとしても見るようになったのである。

特にイスラムの過激派のテロなどがありそう見るようになった。でも実際は歴史的にはイスラム圏の方が先進国であった。それが誤解しやすいのである。それは十字軍がイスラム世界と対立して戦ったが何か十字軍とはかえって野蛮なものでもあった。その時はその時代はイスラム世界の方は先進国でもあった。また地理的にはイスラム圏が仲介となりアジアと結ばれたともなる。

●相馬地域でも時間軸の歴史が津波のことが忘れられていた

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いずれにしろ地理を理解するとき地質時代から始めればならない。それは時間軸の歴史でありそこにさらに人間の営みの歴史が形成されたからである。そうなるとこの世界を理解することがいかに難しいかである。特に空間軸としての地理を知ることは今も現実に変わらずあるのだからなんとか理解できる。

でも時間軸となると今はそこで営まれた人間の歴史でもわからなくなるのである。それで相馬地域でも400年前の慶長時代に確かに津波が来ていた。それは相馬藩政記に生波【いくなみー津波】で700人溺死したと二行だけ記されているていたのである。それがどれほど貴重なものだったか記録だったか実際に今回の津波で知るしめられたのである。それは学者さえ知らなかったのである。今回の津波が来て調べた結果判明したのである。

だから災害が忘れた頃にやって来るというときまさに400年過ぎたらそのことが全く地元でも忘れられていたのである。そのように時間軸ので起きた起きる歴史は忘れられやすい。人間の存在自体死んでしまえばすでに死んだ時点で普通の人は全く忘れられる。そんな人のいたなかとまでなる。ただ何か記録していればその記録をたどるたどり過去のことが分かる。たった二行だけ記されたことで過去にここに大津波が来ていたのでだがそれを見逃していたのである。そしてかつて海だったところは海になったことにも驚いた。

この辺では八沢浦は江戸時代は浦であり田畑はなかった。それから烏崎から塩崎の方までは元々そこは海である船が通っていた。それで塩崎には実際に船着という地名は残っている。その近くまで津波で海になったということは本当に驚いた。そこで判明したのそこは低い土地だったということである。だから時間軸で見る時地質時代からの歴史を見ることが見なければならないのである。つまり歴史とは地質時代から始まるのでありその上に人間の営みが始まったのである。

その船着でもそうだが大内村でもそこに曽我船と言う地名が残っていてそれは船が遡ってきてそれを見ていてその名がついた。つまり大内村は船の通り場所だったのである。そこはまた古代の800年頃の坂上田村麻呂を祭った御堂があり古い場所だったのである。ただ船といっても今の火力発電所のある一帯が鉄の生産をしていてそれを運んだのが船が通っていてた。塩崎まで海となっていたところだったのである

例えば阿武隈山脈ができたのは日本列島が海の中に形成されはじめたときすでに作られていた。だから阿武隈山脈高原というのは地層的に相当に古いのである。それで地盤が安定しているから核廃棄物を貯蔵するには向いているともされたのである。
つまり核廃棄物は一番が安定してあまり地震の起きないところが良いからである。地盤が安定しているのがいいからである。
でも日本では地震が多いからなかなかそういう場所が見つからないのである。だからこの地理を見る場合時間軸で見て見ることが不可欠なのである。能登半島でも海が隆起して陸になったという驚きがあった。それも自然の営みである地球は変化するのである。特に日本は火山列島でもあり依然として地下のマグマが活動していて噴火もするし新しい島も海にに作られたりするから変動しやすいのである。









2024年02月26日

近くの医者で認知症の脳形態画像検査(CT、MRI)で脳が委縮していた? 【脳画像検査で認知症はわからない―何のためにするのか?】


近くの医者で認知症の脳形態画像検査(CT、MRI)で脳が委縮していた?

【脳画像検査で認知症はわからない―何のためにするのか?】

脳画像で認知症を診断できると誤解していませんか?

「このMRIで見られる脳萎縮は年齢相応ですね」とつい口から出てしまうことがあります。その時にいつも自問するのは、「年齢相応の脳萎縮とはどのような状態だろうか」ということです。そもそも、脳画像検査において年齢相応の脳萎縮の定義はないのです。また、脳画像検査でこの所見があるから認知症と判断する明確な基準もありません

70才くらいの人が近くの医者で認知症の脳写真を撮ったという。そしたら脳が萎縮していると言われた。その人は全く認知症などの気配もない人である。ただ職人であるが最近熟年離婚して一人で暮らしていることで何か暇になったり生きがいを失ったりして問題だったことを知っている。
ただその人は認知症になる気配もない。認知症はどうしても80歳以上になると危険度が増してくる。 90歳以上になると半分は認知症になるのである。だからその人がなぜ認知症になると自分で判断して近くの医者に来たのかわからない。何か不安になって見てもらったのかもしれない。

脳の写真をMRIとかで取ったとしても実際はその写真を見てもわからないはずである。だからここで脳が萎縮しているといってもそれは認知症とは繋がらない。そもそもそのMRIでも脳の写真を撮るにしても精密に撮れるのは福島県には二台しかないとされる。私の家族でも認知症になった人がいて隣の大きな病院で見てもらったのである。そしてMRIで脳の写真を撮った。私の家族はすでにかなり重症になって認知症だった。

でも何も写真を撮ってもわからない
なぜ写真を撮るのか
医者自体も写真をとってもわからないことを知っている

それはMRIで機械で写真を撮ると金になるからだともみる。私の家族の場合3万払ったとしたら実際は80歳以上になっていたから一割負担で三万だとすると保険料で30万ともなる
だから医者にとっては稼ぐものとなるそもそも近くの一万くらいの街の医院でそんなMRIの写真を撮るような機械があるのだろうかという疑問もある。何故ならその機械は高価なものだからである。そしてそもそもは認知症などわからないのになぜ写真を撮ったのか?それはやはり保険料を稼ぐためにしたのかとなる。

医者というのはその機械にしても設備費に金がかかるから金を稼ぐために実際はわからないことでもあえてMRIの写真を撮る。も脳が萎縮してる写真を見せられてもそれは認知症とは限らないのである。それを認知症については医者すらよくわからないのである。
むしろ私自身は重症の認知症の家族を介護していたから認知症はどういうものかわかったので認知症に関しては直接介護した人が一番知っているのである。介護した人はどういう認知症がういう症状でありどういうものなのか分かっているのである。だから介護できるとなる。

認知症の初期症状はわからない。介護して買い物して同じものを買ってくるのだが必要ないものも買ってくるのだが自分自身が買い物してやはり冷蔵庫に同じものがあっても同じものを買ってきていたのである。
だから正常な人でもそうなるのだからそれが認知症になるとも限らない。だから認知症を最初のうち見分けるのは難しいのである。それはMRIの写真を撮ってもわからないましてや脳の精密な写真を撮れるのは福島県にも二台しかないというからである。この判断はおかしいと思った。

医者というのは必ずしもすべてがわかっているわけではない。でもなぜそうして無駄な写真を撮るのか?それは写真を撮るということは相当に金になるからである。また機械とか設備費にかかるからそのために必要のないMRIを取って使っているともなる
だから確かに医療費は増大する。特に高齢化でこうしていろいろと病気でも心配になりまるで病院医者に通うことがその不安を解消するものとしてまた安心するためだけに行っている。そのための金が膨大になり国が破産するまでにもなるという恐怖である。そのために老人はみんな自殺しろというのもその金がかかりすぎるということである。

それは問題にしろ老人は老人でそんなことを必ずしも心配しない。それで一時軽い脳卒中になった人は女性は体中が痛いとか歩けないとかリハビリとかして医者通いになっている。そもそも脳卒中の兆候があったのにその診断もできなかったのである。だから医者というのも無駄に金をかけすぎる。金がかかりすぎるということがある。

ただこうして医者を信用しないとか医者にかからないことも危険なのである。それは自分自身が経験している。家族もいなくなり体の調子が悪かったのだが医者に行かないで死ぬところだったからである。腎不全になって死ぬところだったのである。それで胃カメラを飲んで調べた結果腎臓は悪く腎不全になり死ぬところだったのである。

そしてすぐに近くの病院に入院したのでそれは私自身が相談する家族もいないのでまた家族がいなくなりいろいろ自分で家のこと全部しなければならないので医者に行くのが遅くなったのである。だから医者のことをいろいろ言っても医者に行かないと言うことは非常に危険なことにもなるのであ。
だからすべて医者が悪いとか金がかかりすぎるとかと言えないのである。

ただ確かに認知症については私自身の介護したので経験から言っているのである。やはりなんでも経験した人から聞くことが大事である。私は認知症については介護したから詳しいのである。 認知症は直接介護してみないと何か分からない。私は直接家族を介護したので認知症についてわかったのである。そのことを延々とプログで書いてきたのである。それを読めば分かる。

それはまたそういうことはインターネット時代で書きやすくなったからである。だから認知症についての情報を共有することができる。私の経験からすればほかの医者も言っているようにMRIの写真を撮ってもそれで認知症はわからない。脳が萎縮したといってもそれもわからないと専門家も言っているからである。

その人には何ら認知症の症状など無い。それなのになぜ医者に行ったのかもわからない。60過ぎて熟年離婚して何か状況は変わり不安になって一緒に行ったのかもしれない。認知症はやはり70代でなる人は少ないと思う。ただその人は何か職人としての仕事から離れて熟年離婚して一人で住むようになって不安になり医者に行ったのかもしれない。その人の衝撃は60以上になって離婚したことなのである。その結果として何か会話もなく不安な状態になったのだと思う。

とにかく夫婦でも一方は死んだりするとまた離婚したりすると精神的に不安状態になるのである。私自身も家族が全部死んでそうだった。でもそれも時間がたつにつれて慣れて来たことは確かである。もともと自分は人づきあいもなく一人でいたからである
ただそのときはまだ家族がいたから良かったのである。

ともかく高齢化社会とは色々な問題がある。金がないとか生き甲斐が無くなったとか孤立化したとか熟年離婚もあり病気になる人もオ多くで社会全体の圧迫されて社会自体が停滞してその負担も大きくなるから問題なのである。
でも老人にしてみれば子供に少子化だからといって子供に予算を使うのを批判しているのである。政府にしても老人が多いのだから票になるのだから老人に冷たくもできないのである

正直医療費にあまりにもお金を使うということは日本が貧困化したとき耐えられなくなり日本全体に大きな影響をもたらすことは確かである。でもその対策となると簡単にはできない。それで老人は自殺しろとかいう若い世代が出てきたのだと思う。それだけ老人が増えてそれで病人も増えてくるから問題なのである。

とにかく医療費が増え介護とかばかり増えてくる。近くの人は糖尿病でありしょっちゅう入院しては退院して一人で暮らしている。それは社会を圧迫して社会自体が維持できなくもさせる。2025年問題でもそうである。現実に73歳の人は脳卒中になり介護状態に介護になった。介護度2なった。そして息子は52歳であるその人も今度は腰が悪いとか建築土木関係の仕事にいけない。すると経済的にももともと苦しいのにさらに苦しくなる。すでに2025年問題は現実化しているのである。その時日本社会はどうなるのか医療費と介護とかで社会でも維持できなくなるともなる。それはすでに現実化しているのである

2024年02月25日

原発事故と民主主義 【無責任国民大衆社会でも必ず責任はとらされる】


原発事故と民主主義

【無責任国民大衆社会でも必ず責任はとらされる】

●原発の安全神話の傲慢さが問われた

原発事故で問われたことはいろいろあった。そのことを追求してきた。そもそもどうして原発が作られたのか?そのことから追求する必要がある。その原発を作ることに色々な人が関わった。政治家であり官僚であれ科学者であれ地元の住民であれさまざまな人が関わって作られた。
地元の住民でも原発が作られば豊かになれるとして積極的に誘致した。そしてその危険性は無視された。金になればいいとして無視された。おそらく原発というものはどういうものかよくわからなかったこともある。それより知ろうとしても知りえないし教えて送れない。それは核のことがわかるのかといえばわからないからである。それは専門家しかわからないとなっていたからである。

だから素人は関われないものにもなっていた。そしてその専門家政治家と官僚でも科学者でもまた東電も一体となって安全神話を作った。日本は技術が優秀だから事故にはならないとそう吹き込まれたのである。
その安全神話が強固だったから危険だとは言えなかった。その安全神話は実際はそれを隠れ蓑としてさまざまな安全のことを安全対策をしないでもすんだとなる。もし懸命に安全対策をしていればそれを言えたかもしれない。
でも事故は起こらないと安全神話に頼りさまざまな安全対策もしなかったのである。現実に東電に対して科学者集団が十数メートルの津波が来ると指摘していても東電では無視した。なぜなのかといえばコストがかかるからである。

それで東電の社長はコストカッターとしてのし上がったという。安全対策もしないでただ安全神話を作り日本の技術は優秀だからほかの国とは違って安全だと言っていたのである。それは宗教で言えば題目を唱えていれば安全だと言うのと似ている。それで現在の医学の医療の手当もしないでただ題目を唱えていれば安全だとしていたのである。科学者集団なのにただ安全神話を作り実際は安全を怠り金をかけたくないとしてごまかして安全神話だけを信じさせた

そして安全神話を作り原発は核のことは素人はわからないからアンタッチャブルな不可侵な閉鎖された世界になり地元の人も分からない。その中で安全対策は怠ってそれもわからなかった。
でも現実に内部で働いていた人は配管が老朽化して危険だと指摘していたのである。でも東電では無視した。そこはブラックボックスとなりただ安全神話だけが作られたのである。そしてその内部で働く人にしても東電に逆らえば仕事がもらえないとして何も言えなかったのである。

●原発の安全神話と太平洋戦争も類似

何かそれは太平洋戦争で天皇を神として日本は神国だから負けることはないとしたのとも似ている。それは創価などでも仏法が勝利するのだから選挙に勝つという政教一致とも似ていた。それで戦争では300万人が死ぬ責任を取らされた。では原発でも安全神話を作り日本の技術は優秀だから事故は起きないとされていたのである。
つまり安全神話でも天皇による神がかり戦争も仏教による信仰も実際は崩壊するのである。原発もやはり安全神話を作り現実を隠していたのである。でもその安全神話も崩壊したのである。その結果として住民は故郷にも住めなくなったのである。
なぜ原発事故が起きたのかその経過をたどると最初からその歴史をたどる必要がある。そもそもなぜ原発は作ることができたのかそのこと自体が明確にされていない。というのは民主主義社会だったらまず原発が本当に安全なのかどうか検査してそれを住民にも公表してみんなで検討するのが民主主義になる。

でも一方的に政府とか東電とかで安全神話を作りそういう危険はないとして何も調べることさえできなかった。そこにマスコミでも電事連から800億円とかの宣伝費をもらっているので何もその危険性を指摘することはなかった。住民にしても金になればいいとしかなかった。
ただ確かなことは民主主義の機能していなかった。特に原発は常にその情報が隠される。それは内部の人でも科学者でも実際は危険なことを知っていた。でもその危険を言えば原発は作れない。だからその危険を言うことに異常なほど過敏になっていたのである。その結果として安全神話が作られた。それはまるで神がかりになり日本の技術は優秀なのだから事故は起きないとまされたのである。
そしてそもそもどうして原発は作られたのかそこになぜ住民でもど働きをしたのかよくわからない。住民自体が運動した人の話もほとんど聴かない。

●原発は情報が隠蔽され強力な権力で不可侵になった

でも原発というのは別に住民が反対すれば作れなかったのである。それは新潟県の巻町でもそうだし今回のと地震があり珠洲市では原発を作らなかったのである。だから住民が反対すれば原発を作る作ることはできなかったのである。するといくら権力があってもそれで押し通すことはできなかったとなる。そのために今回の地震で志賀原発でも相当な被害があった。
でも福島原発のようには辛うじて大事故にならなかった。それは福島原発事故があって原発を停止していたからである。それで助かったのである。だから本当は原発を作動していればやはり危険な状態になったかもしれないのである

原発はそもそもそも原発はどうして作られたのか、その経過が明確ではない。そこにどういう民主主義の手続きがあったのかもわからない。不思議なのはほとんど反対する人がこの辺ではなかった。その原因は政府や東電などによって安全神話が作りそれを信じさせられたとなる。
そして何ら原発の危険性について検討されることもなかった。その危険を言えば反対する人もいたそれもなかった。また地元の人も経済的理由で経済が優先されて反対しなかった。むしろ積極的に誘致したのである。そこはまともな仕事がなく出稼ぎに出る人も多く地元で住みたい働きたいということでそうなったのである。。

ただ結果的には一番責任を取らされたのは地元の住民だったのである。地元に住めなくなったからである。今でも水道の水でも井戸の水でも何か放射線に放射性物質に汚染されているのではないかと飲みにくいのである。確かなことはその責任は距離に比例して賠償があり大小があった。原発から近いければ近いほど被害が大きかったからである。ただその距離に比例して補償金も配分されたのである。でも南相馬市だと原町区は別にそれほど被害がなくても多くもらったと思える。それは鹿島区の3倍ももらっているからである。

もちろん避難区域になった小高は一人240万でありそれは桁外れであるただ小高には住めなくなり町自体が維持できなくなるようにもなった。だから補償金をもらうのは当然だとなる。
でも逆にその補償金が多いということで地元に住む責任というの感じなくなった人もいるのである。この辺では津波の被害も大きく小高で津波の被害に遭った人は原発の補償金で助かったと言う人もいるからである。なぜなら津波の被害者は原発の被害者と違って自腹で損害を払う他なかったからである。

そこで問題なのは原発を作った責任者の主な人があまり責められなかったことである。するとどうなるか?原発事故は大したことはない返って補償金で助かったとなり原発事故に対して非難することがなくなったともなる。
もし補償金もさほど払われず故郷に住み続けろとなったら原発事故の責任者に怒って責めていたとなる。激しい攻撃にもなった。そのことで原発はそれほど悪いものではないと国民に示すことにもなったとな。それもまた危険なことになる。
放射線被害が津波など被害と違って万人が死ぬとか目に見えるものとなってていないのも批判が抑えたのである。

要するにこの原発事故の重大な責任が誰にあったが曖昧にされまた福島これだけの事故があったにしろ国民も原発を作るべきだとなっている。それは電気社会であり石油だけはまかなうことは危険だとして原発を作れとなっているからである。それは原発の被害を受けた地元の住民でもその被害を国民にそれほど訴えるものとなっていないからだとももしそこで死者とか何千人とかでも出て入れば国民もそんなことは言わない。でも実際は故郷に住めなくなったのだからその被害は大きかったのである。

いずれにしろ日本では民主主義社会になっても実際は機能していない。それは原発事故でもそうだったのである。原発の情報は公開されないし隠蔽されていた。ただ原発神話が作られて事故は絶対に起きないとされていたのである。それは神がかりとなりそれに反対するものは神に逆らうのかとまでなっていたのである。その罪もまた大きかったのである。

●責任は必ずとらされる

それは太平洋戦争で天皇を神としてまさに絶対に神の国だから勝つとして300万人が死んだということとも似ているのである。いったいその責任は誰が取るのかというとそれもあまりにも重大であり実際は誰が責任者だったのかもそれもわからないのである。広島で天皇が戦争の責任を問われてたじたじとなっていた。
その責任があまりに巨大でおそろしいものだった。原爆を落とされて苦しみ死んだのはあなたのせいだと問われたらショックである。ただその責任でもアメリカにもあった。
つまり国民国家になった時その責任は国民にありとなってしまう。江戸時代だったら国民はない。侍が支配して全ての責任は侍がとっていたのである。だから侍は常に責任を自覚させられたからもし失敗したりしたら切腹して責任を果たしたのである。それだけの責任を常に自覚していたとなる。
でも国民国家になり民主主義になればその責任は誰が取るのか?あいまいになそれで無責任体制になり300万人死んだ。それがなぜそうなったのかも明確にされていないのである。要するに誰も責任を取っていないということである

ただ責任は必ず取らされる
それが300万人も国民が死んだということである
また原発事故で故郷に住めなくなったということである

無責任体制でも責任から逃れられないのは人間である。民主主義だからすべて数で決めてその責任は誰が取るのか?誰も取らないとしても今度は全員がとらされる。赤信号みんなで渡れば怖くない。それは最も怖い事だったのである。なぜならその赤信号を無視してみんな渡ったものが戦争なら全員死んだしまた原発事故でも故郷に住めなくなったからである。
つまりいくらみんなで渡って赤信号を無視してもそのみんなが責任を取らされるとなるのでは。だから貴族社会であれサムライ社会であれ日頃から責任を自覚させて国でも運営していた方がましなのかもしれない。

それがノーブレスオブリージである。そういう人が貴族であれ侍であれ責任を持って社会を運営して行った方が責任が明確なのだからその方がましだともなる。
そしていくら責任がないとしても必ず責任はとらされるからである。その自覚がないままにみんなで赤信号みんなで渡れば怖くないとなっていることが一番怖いことなのである。
でも民主主義とはただ数は正義であり無責任社会であり誰も責任を自覚しないしないし責任も取らないのだ。でも赤信号を無視してみんな渡った人たち全員が過酷な責任を取らされることにもなる。その責任の自覚がないことが危険なのである。民主主義でそういうことを自覚しろと言っても自覚できないシステムだともなる。

一切誓いを立ててはならないとキリストが言った時誰でも全能の神でない限り誓うこと果たすことはできない、人間は全能ではないから誓うなと言った。安全神話を作り事故は絶対に起こらないとし誓ったが破られたからである。だから安全神話自体が人間の傲慢から作られたものであり破られたのである。人間が神かけて誓ういっても信じられないということである。何故なら人間は神のように全能ではないからである。

●原発の距離に比例して責任が課せられていた

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責任者は誰なのか?

政府なのか、東電なのか、その幹部なのか

専門家の科学者なのか、国民なのか、地元の住民なのか

不思議なのは原発の距離に比例して地元の人の場合責任があった。なぜなら原発に近ければ近いほど被害がありそこは人が住めなくなったからである
そしてまたその補償金も原発の中心地から距離に比例して額が決められ払われたのである。それで地元ではその補償金の額で分断されたのである。小高の人は小高の人で浪江の人の方が補償金の額がずっと高いとか羨ましがっていたのである。
それより南相馬市だと小高は特別高い。それは避難区域になったためにそうなった。現実に小高は一時ゴーストタウンのようになってしまったからである。そして隣の原町区は一番人口が多いが追加賠償は一人50万であり多かったのである。前の賠償でも原町区の隣の鹿島区は一人70万であった。とても原町区なるなるとその3倍でもあった。一人200万にもなっていたということである。その差も大きい物だったのである。

でも放射線量からすれば別に小高であろうが原町であろうが鹿島であろうがほとんど変われないものだったのである。現実に私が相馬市で市街を測ったら鹿島区より高かったからだ。でも相馬市では一人6万とかあとは8万とかもらって終わりだったのである。それは放射線の被害は30キロまであるとして30キロで区切られたからそうなった。
でもそれは必ずしも根拠のあるものでもなかったのである。原町区は確かに一時避難区域になって避難した。でも隣の鹿島区でも半分は避難したのである。だから原町区と鹿島区はそれほど差をつけたということは納得いかないということで抗議したが受け入れられなかった。

ただ原発事故の責任というのは原発のあるところから距離にして比例してあったというのも不思議である。 30キロ離れていた鹿島区は確かに補償金は少ないものであったがまた責任それだけ少ないものとなっていた。現実に私は30キロ離れているから原発とは関係ないものとみていたからである。だから危機感も感じていなかったのである。それは結局原発に対しての無知から起きていたのである。事故が起きたらどうなるかなど誰もわからなかったからである。

なぜ私が原発について地元の人でも批判できるのかとなると30キロ離れていたからだとなる。原発の影響などないと見ていたからである。それで補償金の額もすくないから批判できたとなる。もし原町区のように鹿島区の三倍の補償金をもあっていたら批判できなかったからである。なぜそれだけの補償金をもらっているにに批判するのかとなるからである。それはマスコミでも原発の危険を追求しなかったのは電事連とかから多額の宣伝費をもらっていたからである。大企業からでも宣伝費をもらったらその会社のことは批判できないからである。

そして福島市まで放射線被害があったしそれは意外と大きなものだった。それは風の流れで飯館から福島市の方に東風が吹いたために放射性物質が流れたからである。福島市といえば県庁のある場所であり原発を実質的に決めたのは福島県の知事だったされるからそこを直撃したとなる。

責任が福島県の知事にある、責任をとれと直撃した!

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だから不思議なのはこうして原発の責任が距離に比例してあったともななり福島市まで被害が大きかったのはそれもやはり責任を知らしめるためだったのかとまでなる。だから何であれ人間は必ず責任を取らされるようになっている。それから逃れることができないのである。
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2024年02月24日

亡き姉と母を偲ぶ短歌十首−癒されない別離の悲しみ―報いのない死者への愛 【死者が真夜中に残っている雪のように見えた】


亡き姉と母を偲ぶ短歌十首−癒されない別離の悲しみ―報いのない死者への愛

【死者が真夜中に残っている雪のように見えた】

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この世にそ何故逢うや人死ねば永遠に逢わざるそを知るべしかな
別れてそ永遠に逢わざる寒きかな姉と母とを想いて悲しも
姉と母今はなしかも我が一人大き家継ぎ寒き夜かな
姉と母死して慕いぬその想い尽きぬものかも我が一人かな
世間とは冷たきものと身に沁みぬ姉母なしに寒き夜かな
遺影にそお茶を献ぐも答えなし大き家に一人寒き夜かな
姉と母今はなしかも夜の更けて冷たく雪の残りけるかな
夜の更けて冷たく残る雪白し死者を想いぬ我はいねにき
我が家に姉と母との争いぬそれも昔や今は淋しき
悲しかな姉の暴るは病なり母苦しめど許すべきかな
家々に悲しみのあり寒きかな貧に病に争い尽きじ
人と人傷つけあうや何故にカルマは消えじ世の終わりまで

●人は死ねば二度と会えないのが深刻―癒されない悲しみ

姉にしても死んですでに13年くらいすぎた。母は母は八年過ぎていた。これも早いと思った。でも私の場合悲しみが尽きることはなかった。なぜなら人間は一旦死ぬと永遠に逢いなくなる。それが深刻なのである。どんなことしても人が一旦死んだら会えなくなる。それは不思議なことでもある。
もし自分が死んだら別に自分自身は悲しいとか苦しいとこあってもそのこと自体自分自身の消えてしまえば終わりである。でも愛する人が死ねばその人とは永遠に会えないのだから生きている限り悲しみは続くとなる。要するに悲しみが癒えるということはないのである。恋とは死者への愛だという、折口信夫は恋は乞うであり乞い願うだとなる。確かに現実生きている人ではなく死んだ人ならいくら乞うても会えないから深刻になる。

ただ時間がたてば忘れていくということである。でもなぜかこれだけの月日が過ぎても忘れられない。それは私の場合特殊な事情で60年間も一緒にいたからかもしれない。親から離れて暮らしていればこうはならなかったかもしれない。
とにかく死んだ人は二度と会えない。それは本当に厳粛なことだった。どんなに会いたくても会えない。それを考えれば合っている時共にいる時そのことはどれほど貴重なものだったかと振り返る。
でも人間は一緒に暮らしているにしろ会うにしろ会うにしろあうそれがそんなに貴重なものだと思わない。それより争っている不満な人が多いのである。私の家でも別に愛しあってるとかではなかった。常に争っていたのである。でもなぜか一緒に暮らしていた時間が争っていても憎みあっていても一つの家族となって暮らした時間が長いことで家族となっていたのである。

最後は実際に姉はは認知症になり母に暴力を振るった。それはあまりに悲しいことだった。それからの自分の家は本当に悲惨だった。そのことこれまで書いてきた。同情する人もなくただ一人自分自身が面倒みるほかなくなっていたのである。確かに介護というのは苦しい。でもなぜ死んでからもっと良くすればよかったとというのはやはり人は死んだら二度と会えなくなることである。それで死んだ後に後悔するのである

いずれにしろこの永遠の別離の悲しみはいやされないのである。それはは絶対に会えないからである。会えないからこそまた余計に思いが募るのである。ただ別に二人が優れた人に同情する人とも言えない。でも家族というときは別なのである。特に私は良くされたからそれも60年間も一緒にいたことがほかの人とは違って強い思いが残り続けたということである。

ただなぜか涙も出なかった。前は泣いていたのである。やはりそれが時間がそうさせたのである。どうしても人間には時間の作用がありそれで心も変わってくる。とても愛が消えることがないというとき時間の作用にも変わらず愛があるとなる。それは愛する人が死んだとき永遠に会えなくなるから余計にそう愛は変わらず作用し続けるのである。ただ愛したからといって何の答えもないのである。

●死者への愛とは何なのかー返答も報いもない

でも愛は消えることなくあり続けるので死者に何ら返答がなくても愛されなくても一方的に愛は継続される。何か人は会いと言っても愛するというという時必ず相手に対してその何かしてくれる何か与えてくれるということを望むのである。でも死者は何か与えてくれる何かしてくれることはもうないのである。だからお茶を捧げても何の返答もないのである

それで何か虚しく徒労に思えてくる。キケルゴールがが死者を愛しなさいというとき本当の愛は相手が何かしてくれる何か与えてくれるそういうものではなく何も与えてくれなくても愛し続けることが愛だとしている。それが死者への愛に現れるとしている。
確かにそれこそ相手に何も期待しないから報いを望まないから本当の愛だとなる。子供を愛するにしても何か必ず親のためにしてくれるということがある。何かを期待するのである。死者に対してはもや何ら報酬も得られないのである。ありがとうとも何の返答もないのである。猫すら餌を与えれば喜んでいる。それも全くないのである。
だからそれは相当に難しい。なぜなら何か与えたら何かもらえる何かしてもらえるとなっているからである。恩とか義理人情とかでもそうである。何かを与えればしてやればそれが恩になり返さねばならない。でも返さないとしたらその人は責められるのである。

ともかく愛といってもニ三人の愛は可能である。そのくらいだと家族の愛になる。でも十人とかなればそこに愛があるあり得るだろうか?それが百人千人万年増えていけばそういう人たちを愛するということはどういう風になるのか?
そこにはすでに愛はなくカルト教団のように会員を増やして操作してこの世で力を持つというだけになってしまうだろう。たとえ愛といっても会員を増やすということを目的にすれにこの世で力を持つことだからである

現実は何か与えればそれで与える方で必ずしも何も与えられないとしたらどうなるのか、現実に自分が経験しているその人はいくら与えても必ずしも自分が困ることはあっても何もしないとなったらどう思うだろうか?でもそういうこともありうる。いくら与えても何の報いもないとしたらそれはなんなのだろうともなってしまう。理想的にはそう言えるのだが現実となるとまた難しいのである

だから死者を愛し続けることはいくら愛している人のことでも難しいと思う。また別の人を愛するようになればおのずと死者のことは忘れられるのである。ただなぜか私は死者を思って悲しくなったのである。でも涙が出ないということはやはり時間が経てそうなったのかもしれない。なぜまた姉と母をまた思ったのかとなると死んでから自分が相当ね世間の冷たさを知り苦しんだからだと思う。

●家族がいないことの悲惨ー悲しむ者である人間

そして家族がいないということはどれだけ苦しいことか悲しい事か知ったのである。それでが親に捨てられた子供のことどれほど苦しいことも思うようになった。そのことはなかなかわからないだろう。ただ私の兄は父親が死んで私の家に来ても愛されなかったから辛いことだった。だから私はそのことで心の痛みをいつも覚えていたのである。ただその後もさらに不幸でありその娘からも捨てられた。交通事故で死んでも墓参りにも来ないからである。それはやはり同じように娘を捨てるようなことをしてしまったからである。それもカルマだったのである。なんだかこうして常に人間はカルマを背負い苦しむようになっているのである。

何か冷たい雪が夜更けに残っていたがその雪がまるで死者のように見えたのである。冷たくなって死んだ死者のように見えたのである。やはり死者になればどんな人であれこの世からこの世の欲が消えて妄念も消えて雪のように白くなって見えるかもしれない。
つまりカルマから解放されたのかもしれない。母の場合は眠るように死んだがただ姉の場合は認知症になり悲惨な死に方であった。それもやはりカルマだったのかと思う。人間はいずれにしろカルマから解放されない限り平和はありえない。人と人が争うのも国と国を争うのもカルマなのである。そのカルマは消滅しないのである。

それぞれの家にもカルマがあり苦しんでいるのである。その苦しみはただ貧困だけではないさまざまな家の事情があり解消できないのである。何か社会的にも解消できない。例えば障害者を持った家庭は大き苦しみを背負いその苦しみから解放されない。ただ死んだとき解放されるとなる。ただ一生迷惑を迷惑かけて人生きたということはどういうことなのかそれもよくわからない。

なぜ悲しむ者は幸いであるとキリストが言ったのか?その涙は拭われると言ったのか?愛する人が死んだときまた会うことができるのかそれもわからない。ただ天の国で愛する人はもはや別れることはない。それは確かである。愛する人は必ずしも家族ではない。神に選ばれた人たちでありその人たちは永遠に結ばれて別れることはない。家族といっても結局は死ねば別れることになる。
でも天国でわ死ぬこともないし別れることもないのである。そういう悲しみはもう無いのである。ただそこでは家族とは違って肉で結ばれたものとも違っている。だから現世の家族とは違ったものでありそれを永遠の家族だとなってしまう。それは神の家族であり永遠に別れることはないのである。

ともかく寒戻るであった。この寒さは影響してこういう想いになったのかもしれない。季節ごとに天候ごとに何か人間は感じることが違ってくる。特に日本人は四季の変化の中でその傾向が強いのである。だから寒々として夜更けて残っている雪が死者のように見えたのである




2024年02月23日

2024年02月22日

コロナウイルス騒動とはなんだったのだろう? 【グローバル化して世界が情報化して過剰反応した?】


コロナウイルス騒動とはなんだったのだろう?

【グローバル化して世界が情報化して過剰反応した?】

閉鎖性が強い地域はこのまま「衰退」するか…コロナが進めた「社会の老化」の深刻な影響

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【武田邦彦】ここへ来てコロナ騒動の「真の黒幕」が判明!すべてはこの男から始まった・・・


●コロナウイルスとグローバル化

コロナウイルスについては世界的に過剰に反応したのではないだろうか?。それは確かに恐怖するものであった。現実にかなりの死者も出た。アメリカなどはそれで相当の死者が出た。ほかの国でも死者は出た。だから警戒するのは当然だった。
でも日本でわ死者といっても老人が多く実際は外国から比べるとかなり少なかった。でもワクチンを打つとか警戒した。そのの影響が大きく今でも尾を引いている。

でも日本の場合は過剰反応したのではなかろうか。外国でも中国でもロックダウンとか厳しい処置をした。その結果として中国人のアメリカへ脱出するという原因になっている。中国政府の厳しい処置がそうさせたのである。中国では特に厳しかった。中国のは感染元になっていたということで中国自身も恐怖したし世界でも中国語問題視した。

でも今になるとコロナウイルスが収まるとそれもなんだったのだろうと省みる。何かやはり世界中でも過剰反応したのかとなる。その原因は何かとなると必ずしもコロナウイルス自体に問題があったのではなく世界が狭くなりグローバル化と情報化したということが原因でもあった。なぜならイタリアで意外とコロナウイルスの被害が早く拡散した。それはグローバル化して中国人の関わっていた。中国人はどこにでも今はいるし入り込んでくる。グローバル化とはやはりコロナウイルスでも拡散しやすい世界になっていた。

つまりコロナウイルスとグローバル化と情報化社会により過剰に反応してその結果として閉鎖的世界の生まれたと思う。日本の場合はもともと世界的に閉鎖的な国だから過剰に反応した。同調圧力も強い国だからである。確かに死者も出たし被害があったがその多くは老人だったのである。だからコロナウイルスとは陰謀論出て薬剤関係の会社が引き起こしたものだとか言う人があった。

マイクロソフトのビルゲイツなどはもともとウイルスのことを言っていて薬剤会社に投資もしていたからである。するとコロナウイルスで儲けようとしていたのではないかとも疑われた。そういうことを日本の科学者でいう人が結構いたのである。コロナウイルスのワクチンに疑問を持つ人がので実際にコロナウイルスのワクチンを買うためには政府は相当の金を出したからである。
そもそもマイクロソフトは情報を操作しやすい通信を世界化しているからそうなる。それでアメリカでも中国が通信で世界を操作すると恐れたのである。情報戦争ともなっているからである。ウィルスはまた情報であり情報によって攪乱される。またコンピューターにも感染するから情報化社会と関係していたのである。情報はフィクニュースを拡散してそのために現実に被害者が出ている

私も何かこのコロナウイルスの騒ぎは過剰だと見ていた。だから地方でもみんなワクチンを打ったが私は打たなかった。ある人はワクチンを打ったが眩暈をしたとか体の調子を悪くした。そういうことを見ていたしこの騒ぎは何か過剰だと見ていた。もちろん過去にはウイルスで被害が大きかった

●怖れられた天然痘―疱瘡―若木神社の由来

天然痘(てんねんとう、variola, smallpox)は、天然痘ウイルスを病原体とする感染症の一つである。疱瘡(ほうそう)、痘瘡(とうそう)ともいう。医学界では一般に痘瘡の語が用いられた。

この疱瘡(ほうそう)の被害大きなものだった。それでそれは古代から伝えられていて若木が疱瘡を防ぐものとして信仰の対象になった。若木神社は相馬市の玉野村にも祀られている。最近私海に近い高平で若木と江戸時代の碑を発見した。だからこの疱瘡を防ぐ若木神社というのも結構多いのである。

独眼竜」こと伊達政宗は幼い頃、疱瘡(ほうそう)と呼ばれた天然痘に冒され、右目を失った。 紀元前から世界中で恐れられた天然痘は、1796年に英国の医師ジェンナーが考案した種痘によって、ようやく根絶へと動き始める。

國學院大學ー若木祭

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南相馬市下高平

それより一番身近なのは結核である。これは未だに生々しいものであり戦前は国民病とも言われそれが若い人が死ぬので深刻だったのである。正岡子規とか石川啄木とか文学者でもかなり死んでいる。戦後でも結核になり半分肺を切った人を知っている。
でもそれも伝染病だとわかり治療する防げるようになった。私の母の実家でも25歳とかで兄が死んだとかどうしてその墓に記されている。何らかで戦前はこの結核で死んだ人がかなりいる。ただその時これが伝染病だとわからなかったのである。伝染病は感染症は細菌によって移るものであり伝染するから恐怖なのである。

このように感染症は怖いものであることは確かである。一番怖かったのはヨーロッパで1/3が死んだというペストである黒死病である。でも医療が発達してこの感染症は過去にわ恐るべき死者を出したが現在では医療や衛生観念が発達してまたワクチンも作られるので確かに撲滅はされていないがかなり被害を抑えることができるようになった。これはやはり人間の科学の発達の勝利だったともな。未知のウイルスがまた出てきて大きな被害になるとも警告する人はいる。

●過剰反応したことは否めない

でも何か今回のコロナウイルスは過剰反応したのではないか。それは世界が情報化社会になって余計に過剰に反応した。もちろんグローバル化して人は人と人は世界的に交わるということでもコロナウイルスに対して影響があった。つまりグローバル化による人の交流の増大とそれともう一つ大事なことは世界が情報化されたということにもある。

世界が村になるとマクルーハンが言った。世界で事件が起こると隣で村に起きたように感じるのである。だからイラク戦争の時一羽の海鳥が油まみれになった写真が世界に放送されたときイラクは世界中の人から責められたのである。それはたった一枚の写真がそれをそれほどの効果があったということである。だから一枚の写真でも世界へ影響することがありそれが情報化社会だったということである。

とにかくさまざまな事件があるがそれが報道されれば例えば子供への性被害とかもありすると子供に声をかけることもできなくなっている。実際は学校の先生が性被害を犯人だったりするのである。だから情報化社会は過剰反応をする。事件があれば全国放送されればそれが隣の村で起きたように感じるのである。それが情報化社会の弊害なのである。

だから今回のコロナウイルスは過剰に反応してそれがかえって社会に経済活動にも影響したのである。社会活動を極端に留めるようなことはするべきではないという議論があった。もそれは少数者でありコロナウイルスにワクチンは必要であり極力人と交わらないようにすべきだということになったのである。

ただワクチンを打たないものは暗黙のうちに攻められていた。伝染するからみんなワクチンをすべきだと打つべきだとなっていたのである。確かに強制はされないが暗黙のうちに強制されていたのである。私はワクチンを打たなかったがそれは何か過剰反応しているように見たからである。もちろんそれにはあったしそれでワクチンを打たない人は少数派でなっていた。

でも現代でわやはり衛生観念が発達しているし医療も発達しているしそれで感染症でもそんなに拡散しないと見ていたのである。それはやはり世界がグローバル化して情報化して過剰反応したとも見ていたのである。
過去に被害が大きかったのはやはり衛生観念も違うし医療も発達していないワクチンも打てないそういうことがあり被害が大きくなったのである。ただワクチンに関してはどれだけ効果があったのかまだわかっていない。でもそれも過剰反応があったことは確かである。だから少数派でもワクチンに疑問を持つ人がいたし科学者でもいたし医療関係者でもいたのであるただそれは少数派となり異端となってしまったのである。ただコロナウィルスが何であったのか科学的にもまだ解明されていない。ただ科学だけの問題ではない医学だけの問題だけでなく社会的問題があった。つまりここでも原発事故のように社会全体として問題の解決を迫られたのっである。科学だけの問題ではない必ずそれは社会全体の問題になる。理系だけでなく問題ではなくそこに文系でもかかわる問題になる。








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2024年02月20日

カルト宗教の偽善の悪質−カトリックが免罪符を売ったのと似ている (創価と共産党の類似)


カルト宗教の偽善の悪質−カトリックが免罪符を売ったのと似ている

(創価と共産党の類似)

人々は法王の代理人から直接強奪されているという感じに加えて教会に関係するものは何でも貨幣の音がする

法王のの鉢に金を入れれば法王はその罪を赦す天と地の力を持っておられる。もし法王は許してくれるなら神様も許してくれなくちゃならない道理
金がチャリンとなれば払ってもらった魂はまっすぐ天へ昇ってゆく(愚行の世界史ーバーバラタックマン)   

●免罪符を売ったカトリックの堕落
  
カトリックの堕落は頂点に達していた。何かヨーロッパの歴史はわかりにくい。あれだけの教会があるのだからキリストの信仰を基にして社会があると見る。でも日本だってどこにでも寺がありそれで仏教は盛んなのかと見る。でも仏教などでも既に死んでいる形骸化している。この辺でもミャンマーの人が来ていて寺があるのでそこに集まっていた。それはミャンマーで熱い仏教信仰があるから日本でもそういう場所だと思って集まったのかもしれない。
でも実際日本の寺などはただ死者を祀る場所であり何か仏教を教える場所でもない。だからヨーロッパであれほど教会があるとしてもそれがそれでキリスト教は盛んであるということにもならない。むしろ現代でわ教会に行く人が相当に減っている。カトリックはその堕落があまりにもひどいものだったのである。だからそれに反抗してルターが激しくローマ教皇に対して抗議したのである。そしてプロテスタントが生まれキリスト教会は二分されたのである。

ヨーロッパのキリスト教の場合社会の中枢に入って土地を持ったり財産を持ったり政治化した。。そこはこの世の権力をもつ場所となった。そしてなぜ宗教が権力を持つようになったのか。それは免罪符を売るという極端なものとして堕落したのである。それは宗教関係者またはカルト教団でも同じである。カトリックが堕落したように同じことはカルト教団に言える。

ただ違うのはカトリックといえば千年以上の歴史があり日本の仏教とかは違っている。その千年以上の間にカトリックは協会は社会の中心となって存在しつづけたのである。カルト教団には戦後竹の子のようにでてきたがそうした長い歴史はない。だから一時的なものとして泡沫的なものとして消えるのである。

●カルト教団は宗教を現世の欲望を実現するために利用する

そもそもはカルト教団となればその最初から宗教となっていても宗教的要素ががない。宗教はあくまでも隠れ蓑であり宗教を追求しているわけではない。ただ看板が宗教にしているからそれで騙されるのである。共通しているのは御利益宗教だということである。
とにかく御利益があればあとは何も無くて何も言わない鯉俊だとか悔い改めるとかそんなことは一切言わない。そこで言われることは御利益でありすべてが御利益に始まり御利益に終わる。創価などは極端であり権力奪取を目的としている。御利益を具体的に得る為に御利益を配分するためにそうなる。このことは大衆にとってわかりやすいからあれだけの会員が増えたのである。それは誰でも理解するからである。

教会(カルト教団)に関係するものは何でも貨幣の音がする

まさにこれである。御利益とかねのことだからである。

例えばその人はあらゆることにあからさまに主張して求めている。その欲でも金のことでも女のことでもなんでも何でも得ることであからさまなのである。職人でもあるの一方でそうしてあからさまに金になればいいとしてそれを恥じることもない。でも一面から見ればその人は偽ることもないし正直だと思う。いいとは言わないけどその欲望でも否定しないしあからさまに言うのである。

でも実際はカルト教団などでもその欲望を達成するために宗教を利用しているのである。カトリックは堕落したのはまさに宗教を求めていたのだがそれはこの世の物に魅せられて自分たちの欲望を叶えるために信者から金を取るようになったのである。
それが悪質なのは地獄に落ちるとか罰当たるとかいいそれからそれから逃れたいなら免罪符を売る商売にしたことである。そういうことはカルト教団でも普通に行われている。何かというと地獄に落ちるとか罰当たりひどい目にあうとかそういうことはカトリックの堕落と似ていたともなる。

●食い詰めてにわか僧になったホームレス

それはテレビドラマだが表面上は形は僧になっているが実際は稼ぐ力もなく食い詰めていって僧にになり施しをしてもらう。その僧はただ普通の人であり女性に対しても欲をむきだしにしている。その人は別に本当は乞食なのだが経文を唱えることによってありがたいと思わせて施ししてもらう。カルト教団でも四国の遍路でホームレスになった人はにわか僧になったのと似ている。
わいそうなので金をやると言ったらお経を唱え始めたのである。私は恵んでもらう乞食ではない。お経を唱えてやるからありがたく思い私を尊敬しなさいとなっていた。

その人はそんな仏教と何の関係もない人だったのである。ただ四国遍路をしていて経文を覚えた。そいう場所だからまねてそうなった。恵んでもらえるとことを知ってそうなったのである。だからカルト教団というのもこれと似ている。
なぜならそこで金になるし寄付金が入ってくるからそれで生活しようとする人がいるからである。そもそもその人たちは御利益しかも求めていない。自分自身のまたは家族の御利益を求めて信仰しているとなる。小言う人は人はまさにこの世から現世利益として具体的に権力を得て金も得ることになるからである   

そこに宗教など一切関係ないのである。そもそも宗教など求めていないからである。ただ御利益だけを求めているのであり権力を求めているのである。だからこそ会員に対しては何か心を清めるとか修行しろとかそんなことは一切言わない。
また人がどんな人でも選ばない。数は集まればそれは民主主義社会では権力化して行くからである。結局ハイルヒトラーとなりナチス化して行くのである。そもそもなぜそうして一介のあくどい人間が人に対し他人に対して地獄におちるとか罰当たるとかいうのは言うことができるのか?その事が一番罰当たりになっている。

その人は死後裁かれて地獄に行くのである。それは確実である。その罪の方こそが恐れるべきであるがその人自身恐れもしないし他者に対して地獄に落ちるとか罰当たるとかいうのが信じられないとなる。その人を見ればわかる。一体その人がそんなことを言う資格があるのかとなる。その人自身が真っ先に地獄に行くような人が他者に対してそんなことが言えるのかとなる。ただそういうのは会員として一票を入れさせるるために止めるためにそうしているだけなのである  
  
自ら親鸞のように私は地獄に行く人間であり地獄が一場の住処であり私は罪深い人間であるという人が本当の宗教家なのである。それを他者に対して地獄に落ちるとか罰当たるとか常に言っている人はどういう人なのか?
あなた自身は地獄に堕ちる人間なのである。その宗教を利用して現世利益を得て権力を得てこの世の王となる支配者になるということを目的としている。それが信じられないとなる。カトリックの堕落はあまりにもあからさまだった。それと同じことがカルト教団にある。だからなぜそれが宗教として認められ税金も免除されているのか分からないとなる。

●不遇なのは恵まれないのはすべて社会のせいなのか?

ただ底辺層は頼るものがなくカルト教団である共産党であれなんでも頼るのである。だから市営住宅とかに住んでいる場所で必ずそうかと共産党は二つに別れて支持者になっているのである。何か似ているのは自分たちが不遇なのは貧乏なのは社会のせいだとしていることで共通している。
だから社会を変えねばならないそうすればご利益を得られるとするのである。ただ貧乏であるとか病気であれば同情することはある。でもすべてが社会のせいなのかとなると問題である。障害者を抱えることは不遇である。
でもその障害者を持つということは社会のせいでもないのである。またその容姿が悪いとかでもそれは社会のせいでもないのである。でもすべてが社会のせいにしているということで創価と共産党は似ているのかもしれない。一見相入れないもののようで社会の最底辺層は頼るということでは似ているのである。

それよりそうなっているのは親の因果が子に報いという方が多いかもしれない。どうしても親からの遺伝がありそれが不幸をもたらしている。それは社会のせいではないのである。私は美人に生まれなかったから社会のせいだとはならない。何かしら以前によってその人の幸福もある。
何か自分の場合は蓄膿症で2回も手術したから頭が冴えない。今でも何かそれは治っていない。鼻腔が狭いからそもそもそうなっているのである。何かこの遺伝というのは宿命であり一生つきまとう。それは治ることもないのである。私はやっと三流でも文系の大学に入ったのである。 60以上になるとそうした遺伝的なものがあり必ずまた病気になってくるのである。
それは社会のせいではないのである。でもこれがこれは親のせいであり社会のせいではないのである。それで社会のせいにして社会に恨みを持つということはできない。でも創価と共産党の共通点は何かそういうふうなことでも社会のせいにするということがある。もちろん社会の不平等ということはあるしそれを是正することは必要である。でもすべてを社会のせいにはできないのである

いずれにしろ親の因果が子に報いまたは遺伝的なもの病気などでもそういうとがある。それは社会を変えてもその遺伝的なものを変えることはできないだろう。いくら仏教で宿命転換だからといって変えることはできない。私が蓄膿症の手術を高校の時2回している。やはり老人になっても直らない、そもそもは鼻腔が狭いのだからそれが治しようがなかったということである。
そして何ら必ずそうして遺伝として病気になるのは人間の宿命なのである。頭の良し悪しとかも遺伝と関係している。ただ人間は環境も大事であり環境の作用によって良くも悪くもなるのである。

●カルト教団と共産党は熾烈な内部の序列争いがあり似ている

人間は不完全でありどこか足りないしどこか不具合がありそうした遺伝的なものは一生背負っていくほかない。そのカルマが消滅するのは死ぬほかないともなってしまう。生きている限りそのカルマに苦しみ苦しめられるということにもなる。それは変えられないからどうしようもない。ただそういう弱みにつけ込んでカルト教団などは会員にして免罪符を売ったように商売にする。また共産党などにしてもやはりそうした底辺層支持者にして自分たちの勢力を拡大して権力を持とうとしているのである。

あくまでもその個人に同情するということでもなくやはり勢力を拡大して権力を得たいということがある。ただ純粋に自分の利益を求めずに同情して何か与えるならそれは責められることはないと思う。
でも実際はそんな人は居ない。そういう底辺層を集めて一票でもなればそれは勢力を拡大することになる。仏教でも御利益があるとしてそうしているのである。要するに自分たちの御利益になるからそうしているのである。そういう人たちに同情するというわけでもない。むしろ幹部とかはそういう人たちを利用して勢力を拡大して権力を得ようとしているだけなのである。

御利益が得られる権力が得られる欲望が達成できるそのために異常な熱気となっている。では創価などは本当に革命になりその信者が社会の高い地位につくと本気で信じて運動していたのである。それは中国の共産主義でもロシアの共産主義でも同じだったのである。その結果として独裁者が生まれそれに反対するものは粛清されてその殺された数も膨大なのである。そして宗教団体になると反対するものやめるもの地獄に落ちるとかバチ当たるとか言って会員にして奴隷として引き留めようとしているのである
だから意外と創価と共産党にているのである。団体化して組織化して序列化しているのも似ている。

オウムではサリンをまいた大学を出ていない人は組織で上にあがるためにあえてサリンをまいたとしていると言っていた。組織内で序列がありそのためにそこまでしたのである。組織内でも必ずその権力をめぐって争いがある
これは創価であれ幸福の科学であれ人間の組織となるとそこで熾烈な序列争いが起きている。共産党でも同じである。それが人間の業(カルマ)だとなる。俺の方がお前より上だとなり争う、下僕になりなさいと弟子の足を洗ったキリストとは大違いである。足を洗わせたい方なのである。
つまり人間は自分が優れている自分が上だとして争っている。花ならそれぞれ違った色であり調和する。争うことないのである。

何か人間社会にはそうして時代が違っても同じこと繰り返す、それは人間が持っている業(カルマ)がありそうなる。それはいくら科学技術が発達しても社会制度を変えてもなくならないのである。社会の問題ではなく人間自身に内在している業(カルマ)がありなくならないとなる。だから共産主義であれ社会を変えても人間そのものの持っている業(カルマ)が消えないのだから変えようがないとなる。社会をいくら変えようとしても人間そのものが変えられないから変えようがないのである。







                                                                   

2024年02月19日

戦後民主主義の問題 【権利ばかり主張して責任とか義務がないがしろにされた】


戦後民主主義の問題

【権利ばかり主張して責任とか義務がないがしろにされた】

●原発事故の責任問題

戦後民主主義の問題として一番欠落したのは確かに権利を主張することは肯定された。でも問題はその権利にを主張するのはいいとしてもそれには必ず責任と義務があった。それがないがしろにされたのである。なぜか人間というのは責任から逃れられない。何であれ責任がつきまといその責任が問われ現実に責任をとらされるのである。
この辺で起きた原発事故はまさにその具体的な例である。そのことを私は追求してきた。その責任は故郷に人が住めなくなるほどの大きな災禍をもたらしたからである。その責任が誰にあったのかということを追求して追求した。
そうなるとその責任の範囲は広く国民全体であり政治家でも官僚でも科学者でももちろん東電でも地元の人でも責任があった。その濃淡はあるにしても責任はあった。ただ責任にしても現実に責任を取らされたのは地元の人たちである。故郷に自分の住んでいる場所に進めなくなったことが最大の責任を取らされたのである。

でも原発を推進した人たち政府や官僚の科学者でも東電の幹部でもその責任はとっていない。天下りした官僚でも金をもらっても何ら責任を取っていない。普通100円であれ1000円であれ盗んだらそれは見つかったら厳しく罰せられる。でもその警察関係の官僚が天下りした東電でわ多額の金をもらっても事故を起こしても罰せられることもないのである。
要するにそういう役得があり地位がある人は責任も重くなるはずなのであるがそうならない。おそらくその責任の重さに比例して金もその分大きなものとなっているのかもしれない。東電の幹部はその責任が重いのだけどそれも対して問われることなく見逃されたとなる。一時は財産没収しろなどと言われたがそんなこともなかった。

●ノブレス・オブリージュの背景

責任というときなぜ王族とか貴族に責任が持たされたのか

ノブレス・オブリージュ
『貴族が義務を負う(noblesse oblige)』のならば、王族は(それに比して)より多くの義務を負わねばならない。」と書いたのが最初である

王族とか貴族は特権を得る人たちだったからこうなった。そもそもヨーロッパの貴族というときその基となったのは都市国家があったとしたらそこに騎士がいたら騎士はその都市国家の住民守らねばならない。そういう義務がありそれで特権を得ていたのである。農民は城壁の外の農地で暮らしていて敵が攻めてきたら城壁の中に入ったりして命を守らねばならなかった。そこで騎士は都市国家の住民を守るために戦う人でもあった。だからこそノーブレスオブリージュという義務が課せられていたのである

ところが日本では侍が特権階級として支配階級として存在してもそこに住んでいる住民とは別である。確かに戦争になれば敵が攻めてくる。でもその戦争は侍と侍の戦いでありそのそこに住んでいる住民は関知しないのである。日本とヨーロッパの違いは城壁に囲まれているとしてもそれは侍が住んでいるところだけであり最後は城に籠る。戦争に負ければ切腹して死んで終わりである。住民は別にそのために敵が来ても殺されるということもないのである。

それで会津であれだけの悲劇があったとしても住民は関知していなかったのである。会津ではその時やーやー一揆が起きた。その理由は侍は税金を取るものだからこの際敵が攻めてきた時一緒になって一揆を起こしたのである。
だからそもそも日本では街を取り囲む城壁はない。ヨーロッパではそこに都市国家があれば城壁で囲まれているし街自体が囲まれてその城壁の外の農民でも敵が攻めてくれば城壁内に入って市壁の中に避難して命を守らなければならない,そういうことがありシティズンシップが仲間意識が生まれたとなる

だから不思議なのは会津の悲劇のことを語られるがそれは住民とは関係してない。ただ日本では戦争があるとしてそこの住民が領民が奴隷のようにされることは無いのである。外国では常に戦争に負ければ奴隷にされるという歴史がある。だから敵が攻めてきたときは住民も一体として戦わねばならない。それはシティズンシップなの生まれたゆえんである。
日本でわ村がアイデンティティの場でありそこには村意識があり共同意識があった。でも城が作られてもそれは侍が支配する場所であり住民とはそれほど関係なかったのである。だからこそ会津で城が燃えたとしても白虎隊はそのために自刀したとしても住民は何の関知していなかったのである。だからこの歴史を見ればヨーロッパでの人は理解しがたいともなる。日本では城が燃えているのを見てただ見ているだけだったのかとなる。それで恐怖もしなかったのかとなる。

●赤信号みんなで渡れば怖くないー無責任民主主義

確かなことは特権を得ればそれに対して責任と義務も生まれていたのである。民主主義はそうした貴族などはいない侍もいない
戦後民主主義が入ってきた時何を一番重点におき理解したかとなると権利を主張することだったのである。権利だけはみんな平等であり主張するべきだとなったのである。それに付随していた責任と義務とかはないがしろにされた。

赤信号みんなで渡れば怖くない責任はない

つまり法律違反であれなんであれみんなで渡れば怖くないその責任を持つことはないということである。それが戦後の民主主義だったのである。誰も赤信号を無視しても法律などを無視してもそれが多数になれば正しいことになったのである。法律があったとしてもそれも投票で決められるとなる。数が多ければ正しいのでその結果として別に日本だけではない数で決まればどうなるのか?ただみんなで赤信号を渡ってみんなが責任を取る必要がない永遠ならない。やはりみんなが責任を取らされるである。その責任のことを感じたらそんなこと普通は出来ないのである。つまり民主主義とはで責任を感じないシステムなのであるでありそこから過ちが起きてくるのである

ドイツでわ民主主義から投票からナチスが生まれたのである。別に数が多ければそれが力となり社会を席巻してしまったのである。戦後のカルト教団が興隆したの政教分離という法律が機能しない。結果的に何か言うと信教の自由だとかなんとか言ってあらゆる自由があるとしてその自由を主張する。でもそこに権利を主張しても責任とか義務は無視されるのである。そのことは民主主義の大きな欠陥であり最大の問題だったのである。

つまり民主主義とは全体主義ファシズムになりやすい制度だったということにもなる。それは数が集まればそれが正しいとなり権力となり社会を支配してしまうからである。それで戦後宗教でも信教の自由がありそれが過剰のなりカルト教団でも許される。それは政教分離という法律があるのにそれも数が集まれば無視されるからである。だからこの問題は日本だけの問題ではない民主主義の欠陥最近は顕著になってきたのであるその本場のアメリカでも内戦になるとこまでなっている。

民主主義自体が行き詰まっているのである。それはそこに権利を主張してもそこに責任と義務があるのに権利だけが主張されるからそうなる。だから貴族の方が責任と義務が課せられていたからその方が良かったと思う。それも問題にしても民主主義も欠陥があったことが顕著になったのである。
つまり現在の権力は誰が握っているかというと貴族ではない一部のものではない大衆だとなるその大衆は権利は主張してもそこに責任とか義務は感じていないのである。また法律的に責任を課せられていないし責任を感じないのである。ただ権利だけは主張するのである。

●責任とは神が与えた良心にそむくのが責任

そもそも責任というときこの世に生まれたときから責任を課せられている。それで生まれてくるとき泣いて生まれてくるのはその責任が課せられているからだとなる。何か人間というのはそもそもはその生まれたこと自体人間として生まれただけで人間としての責任が課せられている。
そのために人間には神が良心を与えて悪いことをしたら良心の痛みを感じさせる。動物にはそうした良心はない、だから別に他の動物を食べても良心の呵責など感じない、善悪もないのである。例えこの世で罰せられなくても裁きとあるというときこの世に生まれて悪いことをすればそれはこの世で罰せられなくても死後裁かれて罰せられるとなる。そういう責任が人間に課せられていて逃れられないのである。

別に勝手にすればいいそんなことでいちいち責任等とる必要もないと思っているが必ず責任を取らされるようになっている。その責任の重大さはこの辺の原発事故でもそうだったし振り返れば戦争でも莫大な人間が死んだのやはり責任を取らされてそうなったとも見る。確かに自然災害による被害も大きいがそれより戦争の被害は何千万という人間は死んでいるのだから比べようがないくらい大きい物なのである。その罪は問われ罰せられるとなれば人間にはそうした責任から逃れることができないということである。

私は何も悪いことはしていませんと言っても神の目から見ればやはり人間は罪を犯しているから罰せられるとなる。それを民主主義だから数を集めれば何でも許されるとか何でも主張できる権利を権力を得られるとかは許されないのである。
でもこの世では数を集めればそれが権力となり正しいとなりそれがナチスになってゆくのであるその結果として莫大な人間が死なねばならなかった。その責任を取らされたのである。責任というとき戦争の責任は誰にあるのか日本の戦争でも300百万人も死んだ。
その責任は誰が取るのかとなるそれで天皇は広島に訪れた時その責任を問われた時たじたじとなった300万人も死んだ原爆落とされて死んだ

その責任は問われたらもし天皇がその戦争を決断で決めたとしたら天皇が責任を取れとなってしまったからである。また原爆にしてそんなものを使って本当に利用して人間を殺戮したということはアメリカにも相当な責任がある。だから東京裁判などという勝者による一方的な裁判などは正当なものでもないしただ勝者の力を見せつけたというだけなのである。そもそも神が裁くなと言った時裁く力があるのは神しかないのである。人間には裁く能力はない。喧嘩両成敗となるのもどちらかにも非があるからそうなったのである。

太平洋戦争でも日本だけに非があるわけでもない。アメリカが攻められないのはただ力があり権力が持ってっているからだけなのである。そもそも悪である日本をアメリカは裁いてやるということ自体どれだけ傲慢なことなのか?
またアメリカでも戦争は力による一方的なものでありそのために多数の人が死んだそれもやはり戦争犯罪でありアメリカでも裁かれるべきものだったのである。ただ戦争となると誰が裁くのかとなると勝者が裁くだけだとなる。だから裁くものは人間でないし神しかありえないのである。
歴史とは人間の罪の記録だというときもそうである。だから最終戦争がハルマゲドンがあり人類が滅びるというのもそうである。
人間のカルマが罪が最終戦争になり人間は滅びるとなる。罪の総決算としてそうなる。それで人間の業(カルマ)が消滅するとなる。





2024年02月18日

蠟梅と家の詩ー老人は家が大事になる 【少年老い易く学成り難し―本は理解しないと読んでも無駄】

蠟梅と家の詩ー老人は家が大事になる

【少年老い易く学成り難し―本は理解しないと読んでも無駄】


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蠟梅長寿の家

蠟梅百歳間
野鳥来花啄
大工熟練技
家修理庭整
石黙災厄避
口慎生養深
虚飾排素心
祖親供養厚
苦労偲感謝
自家栄成継
温和福徳家
貧者家産分
故郷協働友
自然意神意
考究深化昭
隠棲居安定
余生静観務
万巻書貯蔵
学問研鑽進
心不乱成就
長寿尽学事

我が母の百歳生きて
その部屋に我がありぬ
庭に蠟梅咲きて
野鳥の花を啄む
大工が家の修理して
我が家の庭を整える
庭の石は黙して災い無し
口を慎み生を養い
虚飾を排して素心を保つ
死者となる親の苦労を偲び
我が家の栄を開け継ぐ
温和にして福徳あり
近くの貧者に家産を分け与え
故郷に協働すること願う
自然の意を神の意を
究めて明かにする
隠棲の住まい与えれて
余生は閑静に自然を観て
その意を深く究める
千巻の書のあり自宅で学問奨む
心乱れず成就する
学ぶこと尽きず長寿の世の良し



少年易老學難成
一寸光陰不可輕
未覺池塘春草夢
階前梧葉已秋聲

少年老い易く学成り難し
一寸の光陰軽んずべからず
未だ覚めず池塘春草(ちとうしゅんそう)の夢
階前の梧葉(ごよう)已(すで)に秋声

「Art is long, and life is short.」はことわざと同義
「少年老い易く学成り難し」と同じ意味合いを持つ英語の言い回しとしては、「Art is long, and life is short.」をあげることができます。

「芸術の道は長く、人生は短い」という内容で、芸術の完成には長い時間が必要だが、それに比べると人生は短いものであるということから、時間を惜しんで精進せよという教訓として用いられています。

「The day is short, and works is much.」は「日暮れて道遠し」
「The day is short, and works is much.」を直訳すると「1日は短く、仕事は膨大だ」という意味です。


人間は人生は長いと思っている。でも老人になれば誰でも時間は過ぎるのが早かったと思う。それで40歳頃にその時間の短さを感じるのである。あれ40歳になったのか白髪も出てきたのかとなる。時間が長く感じるのは20代までだろう。それから時間が過ぎるのが早くなる。ある意味で加速度的に速くなり老人に向かっているとなる。それは40ぐらいで感じるのだから人間は限られた短い時間を生きているということを自覚させられる。

なぜ少年学成り難しとなるのか。この年になってつくづく思うことは本を読んでもそもそもが理解していなかった理解できなかった。本は膨大にあってもその中身を理解していなかった理解できなかったのである。理解するとは自分なりに解釈して自分の文脈の中でその著者の本を利用したとき理解したとなるのである。だから著者の本を生かすということはその人が理解力をすでに持っていなければ生かすこともできない。それが読書の問題だったのである。

私の母は百歳生きた。今私がいる部屋で私が介護したのである。だから百才の間と名付けた。人生百年時代というときその時間どう理解どう使用するのか問題になる。その時間を持て余す人もまた多い。みんな別に学問をしているわけではないからである。でも学問というのはつくづく理解するのに時間がかかる。特に日本であれ外国であれ古典となっているものを理解することは容易ではない。だから本は買うことはできるでも理解することが簡単にできないのである。
だからすでに70過ぎてから私の場合読んだ本理解してするようになったとなった。だから遅すぎたのである。大器晩成などというかやはり早い時期から理解できれば学問でも大成するとなる。

私は大学時代をほとんど勉強していない。三流の文系私大であり授業にもまともに出ないし何もほとんど学んでいない。ただカルト宗教に団体に入って時間を虚しく費やしたとなる。大学という場所はただ暇だけが時間だけが与えられそれを活用できなければ何も身につかないという場でもあったのだ。
そもそも学問とは自発的な興味とか自発的にしなければ身につかない。だから私が一番勉強したのは大学を出てからである。そしてなぜ私が旅ばかりするようになったのか?それは大学を卒業して職にもつかず流れ作業のような仕事ばかりさせられてそのそのことで嫌になって引きこもりになった。
ただ私の場合は家に居るというだけではなく旅をしていたのである。そこから地名とか地理に興味を持つようになったのである。それが私の学びの始まりだったのである。

とにかく私は家族に恵まれた結果としてそういう生き方もできたのである。だから私は人一倍親に感謝しているのでは。こうして老人になっても別に生活にも困らず家も与えられて独学であれ学びを継続していたのである。
ただ残念だったのは田舎であり自分の探求する本が買えなかったことである。やはり独学となるとどれだけ本を読めるかにかかってくる。ただそれでも本を読むこと理解することはできないから無駄にもなる。

ただ今になると確かに理解できるから前とはは違っている。それにしても遅すぎたということである。なぜならもうすでに死ぬ時期にも入っているからである。ただ百才生きる時代になると別に70歳からでも学問を進めることができる。これまではそんな悠長な時間はなかったのである。

漢詩もどきものを作ったが何か日本人は中国の文化から離れてしまった。とはいえ漢字そのものは中国文明を取り入れてこそ漢字があった。だから漢字というものは重要なものであった。でぼ西欧化してヨーロッパのことばかり学ぶようになった結果中国は遅れたものとなりそれで中国について学ぶことが少なくなってしまったのである。確かなことは日本人は中国文化について文明について深く理解していた。なぜなら日本人でも漢詩を作った人が多いからである。その漢詩でも明治時代に一番興隆したのである。

その理由は江戸時代に日本人の学問の基礎にあったのは儒教を元にしていたからである。その儒教のことはよくわからなくなったのである。でも武士道でも儒教を基にしたもであり日本独特のものでもなかった。戦後も儒教のこと基本に勉強していたのである。江戸時代の基本の学問とか倫理教育とかでわ儒教がありそれが武士道に発展した。でも儒教でも授業でも武士道でもそれが何か忘れられたということもある

人間は勉強する時家が大事になる。子供の頃は一冊の本も置いてなかった。それで自主的に興味を持って勉強することができなかった。その時読んでいたのは漫画だったのである。その漫画でも借りて読んでいたのであり家に備わっているわけでわなかった。勉強と言う時やはり家に勉強するものが備わっていると有利である。
なぜヨーロッパで天才が多く出たのかというと貴族でありその家に勉強教える言葉があり家庭教師を雇っていたので学校とは違っていたからだと思う。そこで一律的に同じことを教えるのではないからである。

勉強する環境としては都会の方がいと思えるが自然の意神の意を知るには田舎の方がいい。知的作業でも自分の家があり書斎がありそこで探求できるのはいいのである。今はインターネットが書斎ともなるから図書館ともなるから有利な面はある。でも依然として本は専門的であり本を読まないと学問は進まない。

とにかく長寿で有利なのは70歳からでも学ぶことができこれまで学んだことを深化させるということができる。この世で知らないことはいくらでもあり理解できないことはいくらでもある。グローバル化するとその知識天文学的になり理解できなくなる。でも長寿になればそれだけ長く生きるのだから理解できるようになる。これまで理解しないことが必ず理解できるようになる。理解するということは未だ時間のかかることなのである。だから現在は長寿社会になりマイナス点もあるがそういう点では有利なのである


My mother lived to be a hundred years old
I am in her room
In the garden the wax tree is in bloom
Wild birds pecking at the flowers
The carpenter repairs the house
My garden is in order.
The stones in the garden are silent, no harm comes to them
Be careful what you say and nourish your life
Keep your heart pure and free from falsehood
Remembering the hardships of our dead parents
Open the door to our family's prosperity
Be gentle and virtuous.
Share my family's wealth with the poor nearby
I wish to work together with my hometown
To study the will of nature and the will of God
I will study it and make it clear
I have been given a place to live in seclusion
I shall spend the rest of my life in peace and quiet, watching nature
I shall deeply investigate its meaning.
There are a thousand books to study at home.
I shall never be disturbed and I shall attain fulfilment.
There is no end to learning, and long life is good for the world.

Translated with www.DeepL.com/Translator (free version)

2024年02月16日

インターネットの怖さ―レンタルサーバーに支払いはできない 【新しいカード番号を登録できないーさくらの会社に連絡できない】

  
インターネットの怖さ―レンタルサーバーに支払いはできない

【新しいカード番号を登録できないーさくらの会社に連絡できない】

この事の始まりはカードが不正使用されてカード会社から事前に連絡がありそれで新しいカードに変えた。それは番号を変えただけで同じ会社のものだった。でもその番号を新しく登録しようとしたができなかった。その理由がよくわからない。それをさくらのレンタルサーバーに直接聞こうとしたが電話するにも予約制であり1週間先とかなってしまう。でも予約したのだがその電話が来ると思ったら今日来なかったのである。

この原因が何なのかわからない。銀行の発行しているビザカードの番号を変えた時それがさくらのレンタルサーバーの方に変更されていないのか何なのかわからない。アマゾンでは別に簡単にカードを変えられたからである。さくらのレンタルサーバーでもその方法は簡単である。
でもなんの原因がなのか分からないけど変えられないのである。ただ時間の余裕は一年分払っているからすぐに止められることはない。

一番怖かったのは私が入院して支払いをしていなかったのにその日に消されるところだった。でも日曜日でも電話で連絡が付いて消されることはなかったのである。
でも今回は支払いができないということで困った。その原因がカード会社にあるのか何なのかわからないからである。自分の操作が悪いということもある。それでその操作を聞こうとしても直接電話で聞くにしても予約制であり1週間後とかな今回は時間的に余裕があるとしてもやはり早く番号を書いたカードを登録したい。それができないのである。

何もさくらのレンタルサーバーに電話が通じればそれは簡単にできることなのであるなぜ電話でもう予約制になり面倒になったのか?それは電話で答えているとそこに人が必要になり人件費がかかるから予約制にしたり直接電話では答えないようにしているのである。
でも緊急の時はどうしても電話が必要なのである。ただそれだけの人を雇う金がないということでそうなった。アマゾンで簡単に新しいカードが登録できたのだからさくらのレンタルサーバーでもできるはずである。
だからこの原因は何なのかわからない。でもそれをさくらのレンタルサーバーに相談するのも直接にはできない。確かに予約制で電話で相談できるではなぜ予約したのに連絡もなかったのか?

これも怖いことである。今回は一年分を払っているので充分に時間があるからすぐには消されることはない。でも緊急の時連絡ができないということは怖いことでチャットの窓口もあるが土日とかは休みらしい。
とにかくインターネットというのはこのようにまどろっこしいものでありすべてが機械化してそこに人間はいない。このことは何も会社の人が出てきて電話で相談できれば簡単に解決するものだとも思う。

でも電話予約するにしても土日はできないし予約はいっぱいに埋まっていて一週間後になってしまう。だからもし支払日が迫っていたらこれはどうにもならなくなっていた。
要するに全部消されてしまうので連絡がつくことが連絡できずにそうなってしまうのである。こういうことがインターネットの怖さである。だから記録でも必ず自分用に取っておかないとみんな消えてしまうのである。正直インターネットというのはそこに弱点がある。その操作ができずにお手上げになってせっかく記録したものも消えてしまう

そうなったのは電話で受け付けなくなったのはそこに人件費がかかりすぎるからそうなったのである。でもデルとかは電話で相談を受け付けている。それは大きな会社だからできているのかもしれない。電話が良いのは即座に通じて困ったこと相談できることなのである。電話一本で救急車が呼べるよう便利なのである。
急を要するときはそれが必要なのである。もちろん今ならスマホでも連絡はできる

とにかくインターネットは通信でも便利なのだそこに落とし穴がある。さくらのサービスが悪いということではない。何か手続きが面倒なのである。ただその不具合はが何が原因なのかわからない。新しいカードはアマゾンでは簡単に登録できたからである
そもそもカードが不正に使われたということが問題が起きたことが事の始まりである。それを連絡したのは銀行の人であり事前に連絡されたからよかったのである。銀行の人がこれは不正に使われているのではないかと連絡があってカードの番号を変えたのである。ここに人が介在してできたのっである。だから人間には人間の役割がる。安全を図るのは人間になる。すべて機械化児童かコンピューター化できないのである。chatGPTでもできない。そこに人間が必要なのである。だから人間の役割がなくなることはあいのである。

ともかくさくらのレンタルサーバーでそのカードを新しいカードをに登録することができなくなったのである。ただその原因はわからないし私の操作はまずいのかもしれない。でもそういうことはインターネットでは起こりやすいともなる。そしてその解決方法はなくなってしまうことも困る。支払い方法を変更して銀行とかで通じて支払いするというのもまた面倒になるなぜこれほど面倒になっているのか?

一人の人間が仲介しないからそうなった

人間はなるべく省いて全て自動化して機械化してそれが大きな問題を生むことが。生身の人間が応対しなければ解決しないこともある。なぜならさくらレンタルサーバーの会社の人が出てきて電話で応対すれば解決することだからである。でもパソコンとかインターネットの問題は何かの不具合で手続きまでできなくなる。そういうことが起きるのである。それなら直接さくらレンタルサーバーの人が応対して手続きしてくれれば解決することである。

でもその電話連絡しようとしたが一週間後になってしまうのでそれより予約したのに電話連絡されなかったのである。そうしたらお手上げになり支払いもできずに記録したものは一瞬で消されてしまうのである。何かこんなにややこしくなったのはそこにインターネットとか機械が自動化とかしている問題がある。それは人件費を節約するにしても何か危険な面もある。すべて機械で自動化できるかパソコンかコンピューター化できるのかそれは疑問である。
そこに何か大きな落とし穴があるともなる。なぜなら電話でも予約して通じない。当日は通じない。聞く人もいない。チャットとかあるにしてもそれもどこでするのかちょっとわからなかった。だから電話と言うのは必要だと思った

いずれにしろインターネットとかこの通信の世界はやはり何か危険な面がある。カードが不正に使われやすいとかウィルスが入って破壊されるとかさまざまなリスクがある。だから安全を図るためにはさくらのレンタルサーバだけではだめである。もう一つ安全のためにサーバーを頼みそこで発信する。それしか方法がないと思う。
インターネットの最大の弱点はこうして安全を計れないことなのである。本当に安全を図るとしたらやはりそこに人間が介在しなければならない。もちろんその人間も安全というわけではないでも連絡すらできなくなるということは何かインターネットの通信の弱点だったということがわかった。それは前からもそういう問題があり言われたことである
            

ロシアでは中国産の車が売れているが不満も大きくなっている 【ロシアを中国の関係-ウクライナ戦争の影響】


ロシアでは中国産の車が売れているが不満も大きくなっている

【ロシアを中国の関係-ウクライナ戦争の影響】

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このユーチューブは興味深かった。ロシアについてはわかりにくい。ウクライナとロシアが戦争になってヨーロッパとロシアの貿易がなくなりロシアではヨーロッパから自動車の部品などを輸入できないから自家生産できなくなった。それで中国産の車を輸入している。ロシアのメーカーで車を生産してもそれは中国の車会社に依存している。それで中国の車が今は80%ぐらいにもなっているという。

でもその中国産の車がいろいろと問題を起こしている。それはドイツであれ日本の車が優秀であり中国産はいろいろと作りが悪く不満が出ている。ヨーロッパから日本からもウクライナの人の戦争で輸入できない。だから仕方なく中国産の車を買っている。もともと日本車のトヨタの車などでも人気があった。日本の中古車も実は南相馬市にあるシマ紹介は中古の車の販売会社がありロシアにも売っていたのである。

中でも「輸送用の機械およびその部分品」については、今回新たに排気量1900cc超の自動車(ガソリンエンジン車、ディーゼルエンジン車)、ハイブリッド車、プラグインハイブリッド車、電気自動車(EV)なども輸出禁止品目として追加された。ロシアによるウクライナ侵攻後、ロシア向けの中古自動車輸出は増加傾向にあったことから

日本政府は輸出禁止措置を拡大、中古車も輸出禁止に
(ロシア)

こいうこともありウクライナ戦争はここでも影響したとなる。

今中国車が売れているのは中国特需が起きたのはウクライナ戦争した結果ヨーロッパ側と西側と断絶した結果そうなったのでだからウクライナの戦争というとき中国側から見ればそれは中国にとっては特需となり漁夫の利をえたと思う。性能が悪い中国産でも売れているからである。でもロシア国民にとってはそれが大きな不満となっている。またなぜロシアで車などでも製造業が発展しなかったかというと軍事産業に力を注いで民間に力を注がないからそうだった。

何かロシアでは日用品すらなかなかいいものを生産していないらしい。それで私がロシアから中国の国境の満州里に来た時そこで見たのはロシア人が買い物をしてすごく怒っていたことである。何かその買ったものに対して不満だったのだろう。それが電気製品なのかなんなのかわからない確かなことはロシアにはウクライナ戦争前でも民間でまともなものを作っていなかったのである作れなかったのである。ロシアでは天然資源が石油とかガスが取れるからまた製造業とか民間の産業が発展しなかった。
日本では天然資源がないから技術力を発展させた。ロシアというのはアメリカと並ぶような核を持っていてそういう面では強いのだが民間の産業は発達しなかったのである。

外国を知るというときいろいろな情報があるまた学問でもでも外国を知るというときはやはりその国に行ってみるその土地を実際に踏まなければ実感というのは得られない。だから別に学問がなくても一回でも外国の土地を踏んだ人は知っているとなる。
だから一回でもウラジオストックから満州の方に回ってきただけでもそれは実感としているものがあったから良かったのである。ただロシアとかはは旅するには苦しい。観光旅行するようにできていないし受け入れていないからである。それで鉄道でビデオカメラを撮っていたら警察の人だったのかひどく責められた。それはおそらくスパイかと思ったのであろう。ロシアでそもそも外国人旅行者を受け入れていないからである。

でも旅行できないことはなかったのである。最初ロシアに行った人はウラジオストックからシベリア鉄道に乗って行っていた。パリに一年住んだという人もそうだったヨーロッパに行くにはなぜシベリア鉄道のような不便なものを利用していたかというと飛行機代がバカ高いからだった。だから安上がりなシベリア鉄道利用してヨーロッパに行ったのである。それもは40年50年前の話になっている。とにかくロシアには簡単に入れないからその内部のことが分かりにくいのである

ともかく我ながら50にもなってバックパッカーで世界を旅行したことは貴重な経験だった。それは本など読んでも外国のことなどはわからないからである。百聞は一見にしかずなのである。外国というときその場に立ってこそ実感するものがある。芸術でもドイツの大地に立ったときその音楽でもベートーベンでも理解できるというのはそのためである。その大地から湧き上がるようなものが文化だからである。だからこそcultureとはultivateであり耕すその土地を耕すということから起きているのである。ただ正直ロシアというと広すぎるのでロシアという国を理解することは至難である。ただ一回でもその土地を踏んだということは貴重な経験だった

とにかく世界を知るということは容易ではない。アメリカでもグランドキャニオンを見たときそこがそこが地球なのかと見た別の惑星に来たのではないかとまで見たそれほど異質な風景であり日本では絶対に見られない風景だったからである。それをいくらテレビなどで見てもわからないのであるそのスケールが実感できないからである。
ロシアでもそのスケールが大きいから実感することは難しいのである。中国から満州里に出てそこから鉄道で北京の方に出て外はトウモロコシ畑だけだった。だから中国というのは広大だけど単調になってしまうのである。中国ではトウモロコシが主食になるのも理解できる。むしろ米は揚子江周辺とか南のほうでとれるものだからである。

いずれにしろロシアと中国はウクライナ戦争を通じて結びつきを強くした。それは中国産の車が電気自動車がロシアでドイツの車や日本のトヨタの車ではない中国の車が売れるようになったということでわかる。でもその不満が大きく問題にもなっている。だからウクライナ戦争というのはこういうところでも身近に大きな影響は出ているのである。

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2024年02月15日

原発事故の責任問題−責任から逃れられない人間 【原発からの距離に比例して補償金の額が決められた】


原発事故の責任問題−責任から逃れられない人間

【原発からの距離に比例して補償金の額が決められた】

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原町区は確かに一時強制避難させられた、でも鹿島区と比べると多いと思う


●原発は地元の人たちが反対すれば作れなかった

原発事故でいろいろなことが問題になった。その問題になったことで原発事故の責任は誰にあるのだろうか?それが明確にされなかった。その責任は東電にもあり政府にもあり国民にもあった。
また原発を誘致した地元の人にも福島県にも南相馬市にもまた浪江にも双葉にも大熊にもあった。なぜなら原発というのは地元が認めなければ建てられないからである。
それは結局政府の力で国の力で強制的に作られたというふうにも見えた。でが新潟県の巻町でもまたは今回地震の地震の被害があった能登の石川県の志賀原発でもそこは地元が許可した。それでも珠洲市では反対して作られなかったのである。だから地元の人が反対すれば作れなかったともなる。それで珠洲市では助かったとしているのである。

だから責任というときそこに住む地元の人も深く関係して責任がとらされていたのである。でもそれを地元の住民が自覚していたかとなるとなかなかそうでもなかった。この辺ではむしろ原発を積極的に誘致したのである。それは経済的に発展しない場所であり南相馬市でも相馬市と前の原町市ではそれなりの人口規模があり働く場所もあった。でも浪江とか双葉大熊で働く場所がなく出稼ぎにも行っていた。それで地元で働きたいとなり地元に住んで働きたいとなり原発は積極的に誘致された。

そして確かに原発で働いたことで生活も豊かになった人も相当にいる。原発で働くと3倍の給料が得たとかあるからである。だから飯館村の人も原発で働いていたのである。それだけ原発というのはとてつもなく金の出る金のなる木だったからである。それがわかったのはその補償金の額の大きさであった。除染だけでも6兆円とかの金が湯水のように注ぎ込まれたのである。それで相双リテックとか除染を事業で幹部が何億というお金をもらい山分けしさとかされる。だから原発事故以後その使われた金の大きさにに驚いたのである

●金の多寡で責任が問われた

一番地元で金が入ったのは漁業関係者であり特に船主は巨額の金が入った。それは別に事故前補償金をすでにもらっていたのである。漁業権というのは大きな権利であり漁業者の許可がなければ原発は作れなかったからである。それで原発御殿は建ったとか周りの人が羨ましがっていたのである。
というのは港に住んでいてもみんなが漁業に携わっているわけではない。漁業者はやはりの農業と同じく少数者になっていた。とてもその漁業権というのは大きな権利だったのである。だからこそ政府でも東電でも補償を手厚くしていたわけである。

でも原発事故で問われたのはその責任が誰にあるのか?

そのことが厳しく問われたのである。ただその責任にしても明確ではない。それは政府にもあり東電にもあり地元の人にもありまた国民自体にもありマスコミにもあり県のの行政にもありとその責任の範囲は広いからである。でも漁業権持ってっていたところが事故前でも補償金をもらっていたからその責任も重く問われることになった。
つまり責任と権利とは一体だったのである。権利を持つことはそれと責任が一体であり大きな権利を持つとなるとその責任も大きなものになっていたのである。また権利とか権力でもそれを持つものはもともと責任は大きなものであった。

それで江戸時代でも侍が偉いとして上に立つ者として指導するものとしてあったからその責任は侍にあった。下々の者は責任を問われるということはない社会でもあった。
でもそういう社会は階級社会であり差別社会だともなる。一般庶民は何ら権利も権力ももっていないからである。でも逆に責任はもたされず責任があるのは侍だとなっていた。それで侍はその責任を果たすために切腹をさせられたのである。それで庶民は切腹などさしたくないそんな責任を負いたくないとして侍になりたくなかったのである。さすがに切腹のことを考えたらそんな責任を持ちたくないというのは理解できる。

●民主主義時代の責任はだれがとるのか?

民主主義時代になると責任はどうなったのか?いったい誰が責任を持つのか?その指導者を選ぶのは誰なのかとなると投票で決めるとなれば国民一人一人にあるとなる。でも戦前は女性は投票権がないから責任もないとなる。
民主主義では全員が一票という投票権を持っているのだから一人一人が責任があるとなる。でも実際は投票するにしても国政選挙では100万分の1とか10万分の一の責任しかない。すると投票するにしてもほとんど責任を感じない。どうせ一票など何の力もないと思っているからである。だから票にしてもまとまったものが得られられなければ何の力もない。

だからこそ実際選挙は様々な団体の票によって大方は決まっていて国民全体の半分くらいしか投票には行かないとなる。
でも宗教団体とかはまとまった票がありそれで創価などは力を持つのである。創価とは利権団体であり票でもって団結して権力を得ようとするからである。でも金にしてみればまとまった票得られるから頼りにするのである。一票などはほとんど何の力もないのである。だから責任も感じないのである。

いずれにしろ原発事故ではいろいろと考えさせられた。その大きな問題として誰が一体責任があったのかということである。その結果として地元の人は責任を取らされた。南相馬市だったら小高区は一時避難区域になりその後も人が流出して衰退して回復していない。浪江とか双葉とか大熊でも回復していない。だから誰に責任があるという前に人間というのは必ず責任を取らされるようにできているのである。

●責任から逃れられない人間

つまり人間は責任を逃れることができないということである。権利があり権力がありそれを言えたとしてもそこには必ず責任のつきまとっているのである。そして人間は責任から逃れることができないのである。いくら逃れようとしても逃れられない。だからもし江戸時代のような侍が指導者になっていた時代なら原発事故のような事故を起こしたらその幹部は切腹させられた。これだけの事故を起こして東電の幹部は刑務所に入るわけでもない罰せられないのである。

もちろん政府にも責任があったがその人たちも罰せられることはない。そこには実は検察庁とか警察とか自衛隊から海上保安庁の人も東電に天下りしていたのである。でもそういう人たちは何の責任を取ることはなかったのである。その人たちは飾りだとしてもやはり大きな責任があった。だから侍のように切腹をとれともなる。

たとえば太平洋戦争でも300万人も死んだのにその責任が誰なのか責任を取る人がいない。その責任は政府の政府にもありまたマスコミにもあった。なぜなら朝日新聞は一番戦争を煽ったとされているからである。もちろん政府自身にも責任があり国民にもあったとなる。国民も実は戦争を望んで熱狂していたとまで言われるからである。
でもその結果は重大な責任もたらしていてその結果が300万人も死んだということになる。つまり300万死んでその戦争の責任をとらされてそうなったのである。だからその責任も空恐ろしいものだったとなる。

それで天皇陛下が広島を訪れてその責任を問われた時たじたじになっていた。そんな重大な責任を天皇が負えるのかとなったからである。でも天皇が最高指導者になればその責任も問われるのである。そしたらそんな重大な責任を持つ天皇に就きたいとなるだろうか?
だから侍は責任を問われて切腹させられたから庶民は侍にはなりたくないとなっていたことも分かるのである。

●原発の距離に比例して責任が問われた

ともかく原発事故以後も今度は補償金問題がありそれでもめた。一回目の賠償金がありその次に追加賠償があった。その賠償金で原発事故周辺はもめた。不思議なのは原発の距離に比例してその補償金の額が決められた。南相馬市なら小高区が一番高いのは避難区域になったからである。
だからその額が大きいのは当然だとなる。でもなぜその賠償金で不満になったのか。それは南相馬市でも鹿島区は原町区に比べれば三分の一だったのである。原町区などは別に放射線の被害が放射線量が高いというわけでもなかった。ただ30キロくらいで賠償金が決められたから決められたに過ぎない。鹿島区は30キロから外れたから原町区の1/3になったのである。そこで奇妙なことは距離に比例して補償金の額も決められ高かったのである

だから追加賠償では小高では一人240万とか非難したり介護したりした人がいればさらに高くなり一人300万にもなったとされている。原町区は一人50万とかであ鹿島区は16万だったのである。だからそこに不満が生まれた。でもそれを抗議しても変わることはなかった。確かなことは原発のある所からの距離によって補償金が決められたからである。また避難区域になったところは特別であり小高区はそのために特別高くなったのである。その理由は理解できる。

でも責任問題を考えれば原発事故の責任は不思議なのは距離に比例して責任があったとなる。双葉とか大熊とかはすぐ近くなのだから一番危険でありそれで廃墟化して双葉などは十年間くらい誰も住まなかったのである。
でも責任問題を追求して行くとそれは双葉町などは原発と共に栄えるとかいう横断幕を町に貼っていた。だから積極的に原発を受け入れて豊かになろうとしていたのである。浪江でもそうだし小高でも近いからそうである。今度は小高に東北電力の原発が建つ予定だった。それも工事が開始されるようになっていたのである。とても事故が起きて中止されたのである。

だからそれを考えると空恐ろしいものだったとも思う。小高に原発が建つということ私自身を知らなかったのである。意外とそれで騒ぐ人がいなかったのも不思議である。報道関係でも地元の新聞でもテレビでもその危険性を伝えたということもなかった。そもそも原発の危険性を指摘する報道関係はあまりなかったのそれで事故が起きたとき朝日新聞をはじめすべての新聞社がの幹部は中国に招待されていたのである。

だからマスコミにも責任はあったとなる。なぜならまたこれも報道というのは誰もできない。テレビだったら六局しか報道する権利を与えていないからまた責任も重く問われるのである。でも今のようにインターネットで誰でも放送できるようになれば今度はやはりインターネットでも報道すれば責任が問われるようになる。
ただyotubeでもプログでもその視聴者が極端に少ないからその責任もその視聴者に比例しているのかともなる。ただ前とは違って誰でも報道できるとなるとやはり報道する人に責任が生まれてくるのである。

●権利と権力と責任は一体

ともかく民主主義とはみんな平等になり責任も平等になる。でももし一つの箱に真っ赤な色を入れれば真っ赤になっている。それでもその一つの箱大きな箱に入れてしまえば水で薄めてしまえばその責任もまた同じように薄められてしまうとなる。
投票しても百万分の一か十万分の一くらいしか責任はないのである。でももし十票分投票できるとなると責任は増大するのである。
民主主義の問題は誰もが責任を取らないということになりやすい投票しても一票など何100万の一ともなればそんなものに何の責任もないとなるからである。また赤信号みんなで渡れば怖くないというのも現代である。結局それがナチスになったのでありカルト教団でもただひたすら数を集めてそれで社会に働き掛けて権力を得ようとする。それが理屈に合ってるとか正義とかでなくても票を集めればそれが力となり正義にもなる。

その結果としてナチスが社会を設計して莫大な死者が生まれたのであ。だから民主主義でも大衆社会になりそれがただ数は正義となるとき空恐ろしいものとなるのである。誰もそこでは責任等自覚できないからである。烏合の衆となり大衆がは社会を支配してしまうとなるその人たちは何か責任等自覚しをしないからである。でも必ず人間も人間社会でも責任を取らされるようにできているのである。責任から逃れることができないのである。

だからむしろ責任を負わないなら権利も権力も与えるべきではないとなる。でも現実はただ権利と権力を要求してそこにつきまとっている。権利と責任は一体としてある。必ず責任を取らされる。 300万人死んだ戦争でもそうだった。戦争はどうして起きたのかよく分からないにしてもその結果として300万人が死んだという責任を取らされたのである。

また原発事故の結果として故郷に住めなくなったり街がゴーストタウンになったり廃墟化した。そうなったのは誰の責任なのか。その責任は地元の人にもあり東電にもあり政府にもあり国民にもあった。また天下りした高級官僚にもあった。でもその結果として一番責任を取らされたのはそこ原発の近くに住んだ人達だったのである。でもそれも積極的に誘致したのだからやはり責任があった。それでもなぜまた責任がそれほど自覚されないのか。

●補償金が少なかったらどうなっていたのか?

例えば逆に原発事故で手厚い補償金もらった人はそれでそれで良かったと言う人もいるのである。 1億円くらいもらった人もかなりいるからである。その金を持って外部に流出したともなる。そういうことを考えると逆に責任を自覚させるにはそんな補償金を払うこともなく復興しろいえばどうなるか。
そこで原発事故の被害者はなんでこんなに酷い目に遭うのだとしてその理由を追求するようになる。それは自分達にあったにしても政府や東電や厳しく追求することになったのである。でも補償金が手厚い結果としてそういうこともなかった。ただこの南相馬市でわ鹿島区であれ相馬市であれもっと補償金をもらいたいとなった。それで不満なのである。。

だから補償金等さほどもらえずに苦しんだらどうなるか?

政府であれ東電であれ天下りした官僚であれその人たちをなぜ起こりが向かっていたかもしれない。それが無かったのは補償金が手厚かったからだとなる。だから補償金っていうのは全て良いようには作用しなかったのである。よそからは原発乞食だとか言われるようにもなった。いくらでも補償金がもらえるとか見てそれは国民の税金だから国民はそう見たのである。ところがこのその国民で原発を作らせたので原発は反対ならやはり反対運動をするべきだからである。それは国民の責任にもなっていたのである。

だから責任というのは何でも問われて誰かがその責任を負わされるのである。地元の人が金が入ればいいとして原発を誘致しても事故になったら故郷に住めなくなったという責任を取らされたのである。ただまた補償金をもらったからそれでその責任をあまり自覚しないともなった。だから逆に補償金というのを少なくして苦しめば原発事故に対して根強く恨みを持ち反対して原発を作らせないようにしたとなる。それがこの辺では補償金が手厚くされてそれで原発に対して極端に恨みを持ちで反対するような人もあまり出なかったということである。

結局現在の責任とは金になる。それは今だけではなく江戸時代でも五両盗んだら打ち首になったとか金の額でその罰も重くなったりする。でも五両くらいで打ち首になるということは厳しいとなる。またドラマでも五両もらったから人を殺す事を頼まれて殺したとかあ金というのはこうして具体的な責任となっているから分かりやすいのである句句点
特に現代になれば責任は何かとなれば金になるの多寡でその責任が問われる。金を多く持てば持つほどやはりその人は金に比例して責任もあるとなる。

●なぜ遺産問題でもめたのか?

だから私が遺産が入った時なぜその遺産盗まれたりそのために攻められたりしたのか。額としても大きな額だったがそれを警察に言っても取り合わなかった。周りの人も自分を責めるだけだったのである。なぜそうなったのかというと金というのは必ずしも自分だけのものではない。だから遺産というときそれは必ずしもその人が働いて得た金でもない。だからその金は別に他人でも得る権利があるとまでなってしまう。

現実に盗んだ人は何の咎めもない咎められたのは自分だけだったのである。おそらく金というのはその人のの役割とか仕事があってそれ相当のものを得ていればそういうことはなかったろう。それはこの辺の原発事故の補償金問題でも金でもめたというときやはり正当に分配されなかったからそうなった。小高区は確かに避難区域になり荒廃したからそれなりのお金をもらっても当然だとなる。
ただ距離に比例して責任があったというとき原発から近いのだからやはり責任はあった。ただその責任はとらされて町は荒廃してしまったのである。そして小高に東北電力の原発たち工事を始める時だったということも大きな問題だったのである

ともかく現代社会の責任問題は金になる。金を多く持つ人はその金に比例して責任が課せられているとなる。だから東電に天下りした官僚などはやはりその金も返還するべきだとなる。でも全然そういうことは話題にもならないのである。そして現実に東電の幹部でも何か罰せられることがないしそれは検察でも天下りしているからできないのかとも見る。
何であれ人間は責任から逃れることができない。恋愛だから別れても別に責任はないが結婚して別れるとなると大変な労力が必要になる。そこで財産があればそれが責任として支払わなければならない。だから結婚というのもやはり責任を持たせるためにそういう制度ができたのかもしれない。何であれ責任は問われるのは人間社会だということである。



posted by 天華 at 17:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

白鳥去るー雪野の白鳥の詩


白鳥去るー雪野の白鳥の詩

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白鳥の隊列組みて朝清しシベリアにそ一路帰りぬ

ハクチョウの渡り シベリアへ渡る2つのルート【写真】

今朝いつものように真野川の土手の道を自転車で行くと川に白鳥がいなかった。でも突然後ろから白鳥が隊列を組んでとん遠くに去った。あのように空高く隊列を組んで飛ぶのは観ていない。だから近距離を飛ぶのと遠くへ飛ぶのは違っている。一瞬写真を撮ろうとしたがその時は飛び去っていった。

最近昨日昨日でも春のように暖かくなったからシベリアへ帰るのが早くなったのかもしれない。シベリアに行くにはまず北海道に渡る。北海道からシベリアへ向かうのである。いずれにしろ白鳥が飛来する時と去っていくと飛び去っていくときは感動的である。白鳥が飛ぶのは本当に感動的である。結構重いように見えるから何故あんなに飛べるのかとも見るからである。だから白鳥が飛ぶということはそれを見ることは感動的なのである

白鳥には見せられる。その純白の穢れ無い姿、それがなんとも魅力的なのである。そこにまさに神の造形の妙を見るのである。だから毎日のように白鳥を見ていたのである。だから白鳥が去るのは寂しいとなる。今年は暖冬でありそれも影響して早く去ったのかとなる


雪野の白鳥の詩

白鳥は群れて白に白映え
冷たい北風の吹き白さを増しぬ
しんしんと雪が降り雪の白さのつつむ
雪野に白く覆われその足跡は消える
神の造化の妙、至純なるもの
白鳥はこの地を汚すことなしのも
神の奇跡の技のこの地になりぬ
白鳥のまとうは人の手になる衣にあらじ
神が着せし汚点なき純白の衣
それは大空に野に映えにけるかな
かなた大いなる山も雪に閉ざし
人を寄せつけず北の冬は長しも
白鳥の純白の白さは映えつつ
遂に今朝白鳥は隊列を組み
空高く飛び去りゆきぬ
そが故郷はシベリアなりしも

Poetry of the swans in the snowfield

Swans flock together, white on white
The cold north wind blows and the whiteness increases
The snow falls and the whiteness of the snow embraces them
The snowy fields are covered with white and their footprints disappear.
God's marvellous creation, the purest of all
The swans do not pollute this land.
God's miraculous skill has become this land.
The swan is not clothed in man's handiwork.
God has clothed it in pure white, without spot.
Is it reflected in the sky and the fields?
The great mountains beyond are covered with snow
The northern winter is long and inaccessible
The pure white of the swan is reflected in the sky and the fields.
At last this morning the swans formed a line
High in the sky they flew away.
Even though your homeland is Siberia

Translated with www.DeepL.com/Translator (free version)

2024年02月14日

豆腐屋だった老女と土手の道で語る 【老人の語ることが郷土史になる】


豆腐屋だった老女と土手の道で語る

【老人の語ることが郷土史になる】

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共に老い枯木に鳥二羽陽の没りぬ

とまっていたの烏らしい


いつも川の土手の道にいる女性と会う、その人は私の家で店をしていた時豆腐をおろしに来た女性である。私は店で仕事をしているということではなかった。でも店にいたことがあるからその女性のことを知っていたのである。また私の母と姉のことも直接接していたからそのことを語る。 母と姉が死んでから何か母と姉について語る人はいない。だからその人があ母と姉のことについて語るので親しみを覚えた。何か死者でも語られるとき生きるものとなる。でも人間は一旦死ぬとたちまち忘れられるのである。だから死んでから語られる人はやはりそれだけ何か意味があるということである。

なぜか近くの医者のことを常に語られていたがその人について語る人もいないのである。そして家は残されているのだがその息子は東京で住んで医者をしていたから地元はあまり関わらなかった。そしてその息子も死んだのである。そしてそれで家が残されている。それも自身で屋根が壊れたままになり家が傷んでいても直していないのである。何か地震で壊れた家がこの辺にはかなりあり家を直さないで放置して空き家になっているのもある。ということは跡継ぐ者がなくなりそうなったのだと思う。

その医者は口が悪いとかいろいろ語られたが今は一切語る人もいないのも不思議である。ただ私の母はその口が悪い医者に行かなかった。それで別な親切な優しい医者のところに行っていた。でもまたその医院が空き家となっていたがそれも壊されたのである。私の隣は四軒あったがっ更地になった。

とにかく人間は死ぬとたちまち忘れ去られる。でも死んでからも何か語られる人は生き続けていると思う。何か死者というのは十年とか過ぎても簡単に忘れられない。その理由が分かった。死んだ人はもう二度と会えない。だから会いたいなと思ってあいないから余計に会いたいとなり悲しくなるのである。それが切実なものになる。そして悲しくなりその悲しさも会えないのだから消えることもないのである。だからいかに深刻かわかる。恋というとき実は恋願うあり死んだ人ともう一度会いたいということから恋という言葉が乞うという言葉から出ていたのであることがわかる

ともかく豆腐屋だった女性は85くらいになり体も弱っている。 80すぎると体が弱ると言っていたから自分自身も恐怖である。その人は息子が医者になり恵まれている。ただ何かすることもなく土手の道を散歩している。そこをいつも私が通るので声をかけてくるのである。それでつくづく老人は必ず昔のことを語るようになる。それで心が通じるようになる。そこでこの街で共に生きたということを振り返り懐かしむのであえる。

その人は豆腐屋だったのでその苦労を語る。人間は老人になれば必ずその一生を語ることになる。別に語ってくれと言わなくても語りたいのは普通である。その豆腐屋だった女性豆腐を販売して水を売って儲けているのかと言われたそうである。
なぜそんなことを言ったのかよくわからないそう言われればがっかりすることは確かである。仕事でも商売でも何か嫌なこと私必ずある。だからかなにかを必ず老人になると振り返り語るのであるそのことを語るのである。何も語らない人がいる。そこには何か訳があり語りたくないのである。何か不正をしたり悪いことをしているからしたから語らないのかもしれない。ともかく老人はその一生を必ず語る。

別にどんな仕事であれ豆腐屋であれそのことを語る。語れない人が何か訳があるということである。そこに問題がある。豆腐屋という仕事は別に悪い仕事でもないしそれはほかの仕事と比べて劣っているということでもない。むしろ何か公務員とか金融関係とかそういう仕事はいいよで返ってモラル的には何かいいものではない。政治家でも官僚などもそうである。宗教関係でも何かいかがわしいのである。だから別に豆腐屋でも正直に生きればそれは立派なことだったのである。

ホイットマンが讃えたのはそうゆう普通の仕事を持っている手に職がある人などのことでを讃えた。それは常に普通に身近に見ているからわかりやすいものだったのである。それが現代になると職業が複雑に分解して人は何をしているか何が意味あるのかがわからなくなったのである。
とにかく老人になれば必ず何かを何かを語る。その一生を語る。そのそこで同じ町に生きて共有する感覚が生まれる。その人が私の家で店をしていた時豆腐を販売して私の店で豆腐を売っていた。

それだけのことでもやはりともに生きたということだったのである。老人だから老人というのは長く生きた場所に離れ土地から離れにくいのである。もし離れてしまえばその人が過去に何したかわからなくなるいくら過去のことを語っても共感する人がいなくなってしまう。
そしてそういう共同性が強いのは農家だったと思う。それは同じ土地でともに共同して働いてきた年月が長いからそうなったのである。それで農家でわ三代続かないと仲間になれないということもそれだけ農家というのはその土地と一体となっているからそうなった。でも今になると農家は全体の1割ぐらいになってしまったので存在感がなくなったのである。

人間は最後に必ず問われる。何をしてきたのかを問われる。何も特別なことをしないでも別に豆腐屋でもそれは立派なことであり別に仕事として悪いものでもない。意外と悪いことに関わるのは政治家とか官僚とか偉いと言われる地位のある人が悪いことに関わりやすいのである。そういうとこところでは金が集まりやすい。だから公務員とかでも何か得する仕組みがある。るでも下々の者そういうとこがなく地道に真面目に働くほかないのである。結局人間というのはいろいろ仕事でもあっても何か悪いことはしない正直に生きるということが基本にあるとなる。それが意外と難しいのである。

みんな豆腐屋にしてもそれは得な仕事ではない報われない仕事ともその仕事に携わっている人自体が思うからである。でも実際はそれも立派な仕事であり正直に生きるということは立派なことなのである。でも面何か得をしたい楽をしたい贅沢をしたいとかになるのでは。そんなこと仕事をしないお前が言われるのかとなるがとにかく人間は自分の言ったことを必ず語る。私が旅のことばっかり語るのはやはりたびに一生が費やされたからそうなったのである。そんなもの無駄だと言えば無駄ではあるがそれもやはり人生だったのである

郷土史とは一人一人が郷土史になっている。 だから老人が語ることが郷土史になるのである。人の話を聞くことから民俗学を起こした柳田国男とか宮本常一などがそうである。それが学問になったのは聞き方がうまかったからである。
インターネットの効用は庶民でも気軽に語ることができることである。これを本にしようとしたらできない、出版とかになると出来合ない、売れるかとか問題になるからである。その点インターネットなどは売れるかどうかなど関係ない私的な日記にもなっているからである。何でも気軽に書けることが強みなのである。だから私の書いたことはすでに全集にもなっている
そいうことは有名な人しかできなかった。でも今では誰でもできるのである。学者でなくてもできるのである。だから聖書がグーテンベルグによって出版技術が生まれて普及したように膨大な庶民の記録も残されれう時代になったのである。ただインターネットの問題は怖さは一瞬にして消えることがある。それが大問題なのである。また通信で問題が起きたからである
posted by 天華 at 10:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 明治維新-明治以降

2024年02月13日

グローバル経済の矛盾-経済競争に負ければ奴隷化される 【観光でも外国人優先で日本人は無視される―失われた旅】


グローバル経済の矛盾-経済競争に負ければ奴隷化される

【観光でも外国人優先で日本人は無視される―失われた旅】

●カンボジアでは5ドルで若い女性が買える

グローバル経済とは何か?それは競争に負ければ奴隷化されるということである。それは確かにあからさまではないが戦争の時のように奴隷にされるのとは違っている。でも実質的にはやはり経済というグローバル経済というのは世界的な競争でありそれは戦争とは違っていてもやはり勝者と敗者がいて奴隷化されるということである。

信じられないことはイスラム社会とヨーロッパのキリスト教社会があったがイスラム社会が進んでいて強かったのでヨーロッパの女性が白人が奴隷として売られていたのである。今から考えると信じられないことだが現実にそういうことがあった。そこで極端な話になるとヨーロッパの白人女性が五ドルぐらいで売られていたとかありそれはグローバル社会でも起きている。

カンボジアでは本当に五ドルで若い女性を買える。カンボジア共産主義のポルポト政権で200万人が死んだとかなり経済的にどん底に陥っていたからである。そこでカンボジアでは若い女性が五ドルくらいで買われるということにもなっている。だからグローバル経済でも経済競争に負ければそうなってくるのである。日本でもそういうことで外国に女性を買いに行っていた人がいる。それは日本が経済競争に勝っている時だったのである。逆にグローバル経済で競争に負ければ今度は日本人が安く買われるのである。つまりそれもカルマだったのである。日本人もグローバル経済の勝者になっていた時はそうなっていたからである。

●インパウンド観光でもてなしする奴隷となる日本人

日本は経済的に負けてくるとグローバル経済ではその逆の現象が起きてくる。それが今インバウンドの外国人観光客が円安で押し寄せてくる。日本は安い安いと押し寄せてくる。日本のおもてなしがいいとか評判になっているが実際はそうしたおもてなしすることを女性でも嫌がっていた。でも金が欲しいのだから仕方なくおもてなしをしているのである

そして東京の築地市場でで倍の値段で観光客用に売っているという。そうなると日本人は貧乏になりそこで食べることもできなくなる。グローバル経済と金がものをいう世界であり金を持っている人がとにかく優遇される。それは別に外国人でもいいわけである。だから一泊10万のホテルでも泊まるのだから優遇されそして全般的にホテル料金が上がりビジネスマンなどが安く泊まれないので困るとなる。

ホテル料金もどうしても円安になると外国人旅行客が多くなると上がってくる。そうなれば貧乏になっている日本人は旅行しにくくなるのでは。円高の時は貧乏人でも若い人でもみんな海外旅行していたのである。一ドル80円とかの時代がありそのときは若い貧乏人でも別にヨーロッパでも海外旅行でしていた。それが今一ドル150円にもなったらとても海外旅行することは簡単にできなくなったのである。

それも時代的に損だとみた。私は海外のことがわからないから海外旅行を馬鹿高い物だと思っていた。でもヨーロッパでも円高であれば意外と安く旅行できたのである。ヨーロッパではユースホステルなど多くスイスは高いがそういう場だと本当に安いものだった。そういう安い宿は結構多いのである。今になると海外旅行はヨーロッパであれアメリカであれ高嶺の花となってしまうかもしれない。

確かなことはグローバル経済とは経済戦争に負ければ戦争に負けたような奴隷とは違っていてもやはり奴隷化されるのである
これまで日本は電器製品とかが売れていたのでグローバル経済でわ勝者になり他国の人間を奴隷のようにすることもできた。でも一旦経済競争に負ければ今度は逆の現象が起きてくる。日本は他国の奴隷にもなってしまうのである。いやでも外国人をもてなすほかないのである。日本人はお金がないということでないがしろにされる。それがグローバル経済の厳しい現実なのである。

●ホテルの起源は何だったのか

そもそもホテルというのはその語源がホスピタリティから来ている。巡礼者などをもてなすものとしてホテルが生まれた。でも今はそのホスピタリティも金がある人と金がない人は区別され金がない人は泊まることさえできなくなる。私は人生を旅に費やしてきたからそのことを考える。
現代というのは旅というものは喪失したのである。旅というものは近くでもありえる。それは歩いて移動しているときは近くでも旅になる。だからその旅人をもてなす茶屋が必要になる。江戸時代なら宿とは旅人をもてなす場所であり旅の疲れを癒す場所としてあった。それは歩いてくるから疲れるからもてなすということはあった。

でも車とかで来るなら確かに神経的には疲れるが歩いてくる人は違う。それより現代の旅はそもそも旅というものは喪失した。だから温泉旅館の推理ドラマがあるようにそこでもてなすというとき必ず料理が問題になるのである。ホテルや旅館でうまい物を食べることが目的化しているのである。それは旅ではない。移動が簡単にできるようになれば旅は喪失したのである。そして温泉街とかは高度成長時代に会社が団体旅行する場所であり旅人をもてなすというのは全然まるで違ったものになっていた。そこはまた歓楽街にもなり高度成長時代が終わった時寂れて廃墟になってしまった。

ホテルとはその起源はホスピタリティであり旅人を癒す場所として生まれた。それが今はただホテルでうまいものを食べるとか何か別なものになったのである。要するにそもそも旅というのは喪失したからそうなったのは車がない時代はやはりどうしても歩くとなると必ずそれは旅になっていた。それが鉄道ができて車時代になると歩くたびはなくなったそのために旅人向けの旅人をもてなす宿も変わってしまったのである。

このhostelの語源は中世ラテン語の「hospitale ホスピターレ」であり(あるいはhospitaliaであり)、(カトリックの巡礼の旅の途中の人々をもてなし、眠るためのベッドを提供するための)「(無償の)もてなし施設、宿」という意味

現在では歩いて旅することがないから旅人をもてなす宿もなくなる。ただどれだけ早く目的地に着くかが問題になる。それで途中が省かれるので旅というのは喪失した。だからホテルとか旅館は旅人を客をもてなすというときうまい料理出すことになってしまった。江戸時代あたりの旅人だったら宿は疲れを癒す場所でありうまい料理を食べる場所とはなっていない。ただそこでも郷土料理などは出されたかもしれない。それは高いものではない土地の人が食べているものでありそれを食べたということである

いずれにしろグローバル経済というのは矛盾をもたらした。グローバル経済の競争に負けたものは奴隷化されるということである。外国人をもてなすのは嫌だとしても金のためにはもてなさざるを得ない。そして円安になれば経済戦争に負けたことにもなり奴隷となり他国に仕えるものとなり使われるものとなるのである。ホスピタリティにしても金のある外国人は優遇されて日本人は泊まることさえできなくもなる。グローバル経済とはそうした差別が歴然として現れるのでは。経済競争に勝っていれば上客になり外国でももてなされる。でも一旦経済戦争に負ければ海外旅行もできずに一方的にもてなす方にされて奴隷化されるのである。

●湯治場も癒しの場だった

ホテルがホスピスホスピタリティから由来しているというときそれは日本でも例えば湯治宿などは農民が農作業の疲れを癒す場としてあった。それはまさにホスピタリティであった。それは農民がそんなに金を持っていないから高いものではなかった。長く滞在するから自炊もしていたのである。でも温泉に浸かり日頃の農作業の疲れをいやしていたのである。

「語られぬ湯殿にぬらす袂かな」芭蕉

修験道の霊場でもあり修行する者が向かいますが、その詳細については「語るなかれ、聞くなかれ」とされており、謎が多い状態です。

そういうものではなく語られるとは何か苦しいことがあるが耐え忍んでそのことを言わない。そういう人が大正生まれとかには多かった。 苦労しているのだがその女性はその苦しさを語らない。ただ忍耐しているのであるそれは東北的なのかもしれない東北人は寡黙だからである。
確かなことはその湯治場は癒しの場でありホスピタリティの場所だったのである。現代のホテルとか旅館はそういう側面はあっても全ては金持ち優遇であり湯治場ようなところではない。金持ちにはうまい料理を出すが金がなければそういうホテルや旅館には泊まることさえできないとなる。ただでは旅はそうした金をかけるうまい料理を食べる場でないとしても粗末な宿でも別に旅はできたのである。

●失われた本当の旅

旅はただ早く目的地に着くことではないからである。周りの景色を見て移動しながらその土地の風景や風物を見るということだからである。そして記憶に残る旅人は車とか鉄道とかただ早く早くと移動するだけのものが旅ではない。確かに鉄道なら私は日本の鉄道の8割くらい乗っているから鉄道マニアではあるけども本当の旅は歩くことにこそあったのである。

要するに人間というのは何かを得れば何かを失う。グローバル化経済も得るものもあるがまた失うものもあった。移動するには便利になってもそれで失われたものもまたあった。その失われたものは何であったかをやはり見なければならない。それは旅だけではない社会自体が時代が変わり失われたものがある。グローバル化経済でも得たものもある失われたものはその失われたものが意外と貴重なものだったと思う。それに気づかないこともありれはそれは観光旅行にもありもはやそこにはホスピタリティとかは喪失していたとなる。

第一自転車旅行などは嫌われるし泊まることもできないからテントが必要であり野宿になっていた。でもそれも旅の醍醐味だったのである。だから貧乏でも旅ができないということはなかった。むしろ自転車旅行は思い出になっているのである。だから旅に関してはむしろ不便な方が歩いて旅した人の方が記憶に残っている。もちろんそれぞれの旅があり車でも鉄道でもあるからそれを否定はできない。

ただ本当の旅というのは失われたということはある。またホテルの起源であるホスピタリティも喪失した。グローバル化すれば今度は外国人優先であり日本人はただもてなす方でありホテル代が高くて泊まることさえできなくなったならそれがグローバル化の矛盾であり経済競争に負ければ奴隷化されるということである
posted by 天華 at 11:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2024年02月12日

本の整理ができないー活用されない本 【自分の文脈で引用されると本も活きてくる】


本の整理ができないー活用されない本

【自分の文脈で引用されると本も活きてくる】

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●本は集めても活用しないと無用の長物になる

本をどう利用するのか?本は活用しないとただ本棚に並べてあるだけでそれがただ飾りとなり無用の長物になる。だから本を集めることは必要ではある。それは自分自身が関心があったものを集めているからである。だから読まないにしてもいつか読むということで無駄になるとは限らない。
でも全く読まない利用されないこともある。一度読んであとは読まないという本もある。でもそれはいつか読まれるものと思って読んだものでもまた読むものとしてあり本が溜まってくるのである。
そして本は重いしかさばるから集めた本によって二階だと大工さんが家は傾いたとまで言われた。それでなんとか本を整理しようとしているができない。何か本というのは捨てられないのである。本で大事なのは本は物体ではないその中に書かれているものが大事なのである。

だから本というのは書斎にきれいに並べて収めているだけは見栄えはいいのだがそれはただ飾りとしてあるともなる。それで書斎から出して整理しようとして箱に入れたそれをバラバラに取り出して読んでいたらそこに私が追求している文が内容があった。それらをうまくつなぎ合わせるとそれは編集するとそれ自体で新しいものとなりその文は生きてきてその本も生きてくるとなる

また本全部を読むのではなく部分を読むだけでもそれは役に立つ。自分が追求している関心がある
それは自分が追求しているテーマがその全体の本の中に一行にでもあった。そこから自分なりの考えや思想をを発展させることができる。そもそも本というのは全体を読み切ることは難しい。でも自分自身が追求している一部分がその文章にあるときそれを引用して自分なりに発展させることができる。それはただ引用しているというのではない。自分自身の文脈の中でその引用したものが活きる。何かつなぎ合わせ組み合わせることでやはりそれも創作となる。

●すべてが流動して固定しない―無常でもある

固形でない氷が存在しないように流動的でない詩も存在しない。流動的というのは詩の生命である。
【星の歌】上野霄里(しょうり)

この本も厚いし全体を読んで理解することは難しい。でも読み返してみたらこの一行は私のこの文章の中で引用して活きたものともなった。だから不思議なのは一行であれ二行でありそんな短い文でもそこに注目したのは私は今書いている文脈の中でそれがちょうど当てはまって活きてたのである。
流動的ということは何一つの本であれ知識であれ文であれそれで固定化して変わらないものではない。それは一冊の本があったとしても人が感動するのは全部ではなくその一部分ということもある。
第一本というのは厚いしそれ全体を読み取ることも難しい。人間というのはそれぞれの見方が違ってくるというときその時代もありその人の個性もありその人の住んでいる場所もありそういう総合的なものとして人間は存在している。個性というときその人自身から作られるというものもあるがその人の生い立ちとか環境とかは影響してその個人を作っていく。

みちのくという場に住んでいればやはりその感覚はみちのく的なものになる。ただ不思議なのはなぜ芭蕉は一回だけみちのくに来て奥の細道であれだけ深い句を作れたのか不思議である。それは江戸時代という時代が影響して作られたものでありその時代の感覚はその時代に影響されていたのである。何かその時代でしか作れないものはあった。そもそも平泉まで新幹線で2時間ちょっと来て感じのものと何か世界の果てに行くようにみちのく来たのとはその違いは相当に大きい。

●時代により人に寄り感じ方も変わる

だから「5月雨の降り残してや光堂」とい句はるかに旅をしてきてからからこそ感じたものなのである。それは私自身も自転車で旅して感じたのである。それは船岡の一目千本桜を自転車で見に行った。そのとき残念なことにその千本桜はみんな散っていたのである

はるばると千本桜を見にくるもはやみな散りぬ我が帰るかな

これははるばる自転車で行けば遠いところだった。せっかく遠いところを苦労してきたのに千本桜をすでにに皆散っていた。それから二本松の城までも桜を見に来たことがあった。それも自転車だと相当に遠かった。でもなおわずかに残る花を見たので桜を見たのである

はるか来て二本松城の余花あわれ我がまた遠く帰りけるかな

つまりここに来るのも遠いし帰るのも自転車だと遠いのである。すると感覚的に感じ方が違ってくるのである。

●本を読むとはそれぞれの人の文脈で活かされる

ともかく本を読むということはただ読んだだけでは活きてこない。自分自身の文脈の中で引用して活かされる時その文も活きてくるのである。だから確かにこの世に固定されたものはない。常に流動してゆく。無常の世界でもある。知識もまた作品でも固定されたものではなく様々に解釈されて生きてくるのである。だから本を読む時全体を読んでそれそれを理解するとすることはなかなか難しい。

でも二三行でも自分の文脈の中で活用するとき生きてくるのである。つまり自分自身が主体でありその本はいかに著者が有名であり古典となっていてその人自身が主役であり利用するものは引用するときは脇役になるのである。
でもこうなるには相当にその人なりの独創性があり見方があり鑑賞できないと引用もできない。だから本というのは相当にその全体を理解すること自体が難しい。でも何行かでも自分の文脈で活用したとき理解したともなるのである。ともかく芸術という観賞すること自体が難しいだから批評することも難しい。批評することはやはりその芸術を深く鑑賞していなければ鑑賞できなければできないからである。

いずれにしろ本を整理することは難しい。何か必ず何回も読んでみるとそこに新しいものを発見したりするからである。その発見するということはその人自身が理解力がついたからである。老人になれば皆人生というものはこんなもんだとか否が応でも思い知らされるのである。それは別に特別な人でもない。ブルーカラーの人も自分は何をしてきたのかわからないとかいう人もいるからである。それは人生をそれぞれの人生で誰でも感じることだからである。





2024年02月11日

南相馬市原町区下高平の馬頭観世音と若木神社石碑の謎

南相馬市原町区下高平の馬頭観世音と若木神社石碑の謎

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若木と読める




侍女の命を賭した行為で追っ手を撒くも、遂に菖蒲御前の一騎だけとなってしまい、あとは後方から追いすがる敵の兵馬の声が聞こえるのみ。もはやこのままでは逃げ切れないと悟った菖蒲御前は馬から下りた。そして馬に向かい、お前の腹を割いてその中に隠れさせてはくれまいか、その代わり菩提を馬頭観音として供養しようと懇願したのである。
それを聞いた馬はさめざめと涙を流し、その言葉に納得したように地面に横たわった。菖蒲御前も涙ながらに馬の命を絶ち、腹を割いてその身を隠したのである。その直後、敵の兵は菖蒲御前の乗った馬が血を流して死んでいるのを見つけた。人の姿は見当たらないが、もはや生きてはいまいと判断してその場を離れた。こうして菖蒲御前は九死に一生を得たのである。

その後、菖蒲御前は約束通り馬頭観音をつくって、馬の菩提を弔った。これが八本松にある疱瘡神社の起こりとされる。かつては“死止観音”とも言われ、子供の病気に霊験があるとされ、特にこの神社で祈願すると疱瘡(天然痘)が早く治ると言い伝えられたため“疱瘡神社”という名で呼ばれるようになったようである。馬頭観音は神社の境内の一角にある祠の中に安置されているらしいが、未確認。神社に奉納された額に描かれた白馬が、この神社の縁起を示している唯一のもののように感じた。

日本伝承大鑑

若木山は山形県東根市に位置しており、標高は182メートルです。山頂には祭神である大日貴尊を祀っています。この山は旧村社としても知られています。寛政二年(1790年)の若木山略縁起草稿(武田文書)によれば、景行天皇の代に日本武尊が若木の松を岩上に植えて天照大神を祀ったとされています

その後弘法大師が当地を遍歴したときこの山の松と岩こそ霊木宝石であるとして若木山大権現痘瘡守護の神として麓に一宇を建立したという。文化七年(一八一〇)の若木山縁起(同文書)には、最澄が当地で奇瑞を見、一社を興して疱瘡守護神日本一社若木大権現と称したという。
近世以降は国内の流通が活発化し、馬が移動や荷運びの手段として使われることが多くなった。これに伴い馬が急死した路傍や芝先(馬捨場)などに馬頭観音が多く祀られ、動物への供養塔としての意味合いが強くなっていった。特に、このような例は中馬街道などで見られる。なお、「馬頭観世音」の文字だけ彫られた石碑は、多くが愛馬への供養として祀られたものである

ヒンドゥー教の最高位であるビシュヌ神が馬の頭に変化して敵を倒したとされる神話を起源としています。もともと馬はインドでは四聖獣(獅子、象、牛、馬)の一つとして神聖視されていたのです。仏教以前のバラモン的要素を多分に持つのがこの馬頭観音です。

物が残っても物語(hi-story)がないと物も活きてこ (原町の馬頭観音の碑の物語でわかったこと)



ここでは馬が飼っていたが火事で馬も死んで供養したと言うことを聞いた。常に馬と暮らしていたから馬が家族の一員のようにもなっていた。それで死んだとき供養したのである。とにかく人間と馬と関わる話はおーい。それだけ馬とともに生活した歴史も長いからである。

このした高平の社のあとに残された石碑を見ると若木神社と馬頭観音が並んであった。これも不思議だと思った。なぜなら若木神社の石碑はここで初めて見たからである。相馬藩と伊達藩の境となっている玉野村には若木神社がある、それも他の神と一緒に祀られている。ここだと伝染病を恐れて若木神社を奉納したことがわかる。外部から伝染病がもたらされるからである。
でもここの下高平になぜあるのだろうかとなる。ただ疱瘡とかは相当に恐れられていた。だから疱瘡を防ぎ祈る碑がを建てても不思議ではない。

とにかく馬頭観音は多い、それと並んで若木神社の碑があるのはめずらしい。
確かなことは人間には災難が多いということである。ここに実際に津波も来てるし最近はコロナウイルスで苦しめられた。だから自然災害でも伝染病でも必ずこれからでも起きてくる。それはカルマなのである。この世に生きる限り生まれてきたら必ず災いを受ける。それは社会全体でもそうであり個々人でも必ず災いを受ける。その災いから逃れることもできないのである。それは70年も生きれば必ず経験することなのである。だから人間の歴史とは災害と災難の歴史だともなる。

それより必ずどこの国でも戦争がありその被害の方は莫大なのである。太平洋戦争は70数年前でありそこでも300万人以上死んでいるのである。だから人間にとって最大の災害は自然災害より戦争だとなる。だから自然災害で人間が滅びるというより聖書でわハルマゲドンで人類最終戦争で滅びるとしている。この世は火宅の世であり禍の世である。それをつくづく津波であり伝染病であれ一身上では家族は認知症になったとか自分自身が病気になったとか災難続きだったのである。そこに盗難もありさまざまなあらゆる災難を受けたのである。

何か最後に残っている災難は何かとなれば食料食糧不足の飢饉になるということである。そもそもこの社の後の近くの家は越中からの移民移民の子孫だった。相馬藩が天明の飢饉があり人口が1/3に減った。その穴埋めをするために今の富山県の石川県などから越中などから移民が欠落した土地に開拓して住むようになったのである。

それはやはり越中の方でも何か食料が得られず農業社会では土地を持つことが大事だから土地を求めてこの地に命がけで移民したとなる。それはアフリカから命がけでヨーロッパに移住する人があり南米からアメリカに移住するのもそうである。
つまりこれから起きる災難は日本経済が衰退して食料が得られなくなる飢饉かもしれないのである。過去にあったことは歴史上にあったことは必ずからカルマとなって繰り返されるからである。飢饉などもはやないと言うがそれもわからないのである。

posted by 天華 at 16:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 江戸時代

2024年02月10日

冬の里【冬籠る、寒烏、冬の暮、大根】

冬の里【冬籠る、寒烏、冬の暮、大根】

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寒烏里に餌あれ共に棲む
大根やここに養う冬籠る
前畑に大根太く頼もしき
根を張る木大根太く前畑に
松に倉この家の古く冬深む
木の二本古碑何語る冬の暮
何語る古碑を集めて冬の暮
道の駅車あまたや冬椿

津波より12年すぎてなお枯れず一葉松や冬の暮かな


鳥を見て不思議なのは何を毎日餌として食べているのか?おそらく虫が餌のだろう。虫は土の中にも居たり人間の目では見えないからである。その他何か食べるものがある。でもやはり不思議になる。
家の前に大根の畑がある。すると何かそこに食べるものはあると目に見えて頼もしい感じになる。ただスーパーで買っていれば何か本当に食べ物はいられるのかどうか不安になる時がある。でも自分の家の前に食べ物があればそういうことはないのである。それはいくら金を持っていても金は単なる紙であり数字でもあるから安心がないのである。

倉があるというときはやはり倉は食料が蓄えられていた。だからそれも安心をもたらしていた。今は倉は食料を置くということはあまりない。でも蔵があると頼もしいという感じにはなる。
松に倉があるというとき松倉という地名とか姓がある。そういう生活そうそういう景色がよく見かけるだとなる。豪倉とか原町の深野にあった。豪倉は郷倉である。

それは意外とと新しく戦前のものだったのである。それも昭和時代のものだったのである。それは昭和天皇によって奨励されて各地に米などを蓄えておく蔵が作られて地名化した。地名というと普通は古代kらと古いのだが新しいからめずらしいとなる

下高平には越中からなどの移民の子孫も多い。相馬地域で見逃してならないのは天明の飢饉があり相馬藩で三分の一も人口が減った。それを埋めたのが越中からなどの移民だったのである。
それは能登半島で地震があったがあの辺の人もいたのか石川県とか富山県福井県の人もきていたかもしれない。
相馬藩内の墓地には南無阿弥陀仏の墓が真宗の墓がか必ずあるからすぐわかるのである。

今日はそれほど寒くはなかった。やはり暖冬意味である。それで石油をそれほど買わないから助かるとなる。福島県の浜通りは気候的にはいい場所である。料金をほとんど降らないし比較的暖かいからである。だからあいづとかとはまるで違った結構なので
帰って白河あたりの邦画寒いみたいなので海側はやはり暖かくなるのだろう。それで東風も増えたみたいだ。 3月11日が東日本大震災と原発事故があった時である。その前に東風は海から吹いてくる。その風にのって放射性物質が飯館村とかに運ばれたのが不運だったのである。

一葉松は津波でここまで塩水をかぶったので枯れると見たが依然としてしぶとく残っている。津波から12年も過ぎて13年目にもなる。この松は貫禄がある。だから枯れてほしくないとなる

2024年02月09日

本は買っても読んでいなかった 【読むということは相手の心も読むことー記録することも大事 ードイツのボーデン湖の写真】


本は買っても読んでいなかった
【読むということは相手の心も読むことー記録することも大事
ードイツのボーデン湖の写真】

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なぜ膨大な本を買っても読んでもそれを読み返しても読んでいなかった。読んでいないということはただ確かに読んでいたのだが理解して読んでいなかったということである。読むということは何なのかリードとはやはり相手の心を読むとかその人なりに何か読んで理解するということがある。

例えば絵を見る音楽を聴く。でも何を見たのか何を聞いたのかその感想を聞くと分からないということがある。つまり芸術だと鑑賞すること自体が難しいのである.。それは本でも同じであり本を買うことはできるでもその内容を読むことは理解することは難しいのである。
そして本を読んで重要なところにびっしりと線を引いていたのだがなぜそこにそれほど線を引いていたのかもわからない。それも無駄な作業だったのかとも思う。本を読むということはただ読んだだけでは読んだことにならない。その人なりに理解してその人の文脈の中で引用したりするとき本当に読んだとなるのである。

だから意外と何冊かの本があるとき自分の関心を持ったところを引用して編集してゆく。するとその本でも全体を知らなくてもその知識は生きたものとなるのである。だからランダムにい何冊かの本を読んで自分自身にとって関心があり興味があるものを結びつけるとそれで創作することにもなる
だから知的作業をする人は必ずその興味のあるものを集める書斎が必要になる。私設図書館のようなものは必要になる。知識とは人類は積み重ねた膨大なものはありとても一人では知り得ようがないのである。それでインターネットとかで一つの図書館のようになっているからキーワードで検索できるから何かの知識探求しても引用しやすいからそれは私設図書館にもなっているのである。またチャットgptというのも自分だけの知識は限られたものだから芥川賞を取った小説家がチャットgptを利用したというのも分かる。

膨大な知識がありとても小説にしても一人で調べて書けるものではないからである。そして何かを知るにしても直接人に尋ねて知るということは難しい。だから気軽にインターネットとかチャットgptでも質問して答えてくれるということは便利なのである。今や知識であれ情報であれ天文学的になっておりとても一人の知識では役に立たなくなっているからである
ただ知識というのは歴史的に本に蓄えられてきたのだからいくらインターネットがあってもチャットgptでもその知識の範囲は限られている。本には選ばれた専門的な知識が集積されているから依然として本は必要なのである。ただ本にしてもその集められる範囲は限られている。でもその人なりの関心のある本を集めることは重要である。別に本を読まなくても本を買って集めることが大事だということもわかる。

今になると私が関心を持って買った本が理解していなかったが理解できるようになったからである。理解するということは自分なりに自分の文脈で本の内容を引用して構成するとき本当に理解したとなるのである。
ともかくこれまで買った本をどうするのかそれを整理するの大変な作業になる。それでその本を読み返している。するとなぜかまるで全然読んでいなかったように思った。というのはその本を読んだとしても理解していなかったから初めて読んだような気分になったのでは。そしてまた人間というのは本当に忘れやすいのである。

前に書いたホームページの分でもプログでもまたその他に書き溜めたものでももう一度自分が書いたものなのにそれすら忘れていたのである。こんなことが自分が書いていたのかと自分のものですら他人の物のようにすら思えたのである。だからプログでもなんでも文章にしろ写真にしろ記録するということは大事になる。何故ならこのように人間は自分の描いたものすら忘れてしまうからである

だから後世に伝えるとき残す時文章としてまた写真でもいいから動画でも残すことが大事である。そういう記録を残していればその記録から蘇るものがあるからである。その点デジタル化時代になると写真でも気軽に膨大に残せるから有利になった。外国など写真を撮ってそこがどこかも分からなくなる場合がある。でも写真を撮って見て思い出すのである。だから外国で撮った写真というのは相当に貴重である。私が外国旅行したときはデジタルカメラがなかったから写真でもあまり撮れなかった。今になると外国旅行もできないから相当に損になったのである。デジタル化というときは時代はとにかく記録するということでは便利である。いくらでもカメラで記録できるからである。

ボーデン湖は相当に広いのだろう、これはその河畔で撮った写真である。外国だと良く見れないのである。だから写真が貴重になる。なぜなら忘れていtが写真を見て思い出したのである。私の記憶から消えていたが写真をみて記憶がよみがえる。それも写真だからリアルに蘇ることがある。外国は変わっているから記憶しにくいからである。
何か自分には東北に住んでいるから比較的寒いからドイツに共感するのかもしれない。ドイツ的風土と似ているからかもしれない。ただ東北と北海道は違っている。北海道はなにかからっとしてじめじめしたものがない、梅雨もないからそうなる。ドイツは霧が多いというときやはりからっとはしてないとなる。また歴史も東北にはありドイツにもあるから違っているのである。

積み重ぬ本の重しも冬深む

本は物ともなっているから重い、それで電子本と違って重みを感じるともなる。紙幣でも金貨銀貨だと価値を感じるが紙幣だと紙切れにすぎないとなる。重みが感じられないのである。まして数字化したらそれこそ架空のものかともなってしまうのである。
だからこそ今中国人が金を買い貴金属類宝石などを買っているのもわかる。中国経済が衰退してきたのでそうなったのである。

落葉踏みボーデン河畔赤き薔薇
落葉踏み古木に古城ドイツかな

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ボーデン湖は相当に広い、でも一部分しか見なかったのが失敗であった。
なぜなら外国の場合一回しか見れないことがあるから


この三枚の写真から読み取れるものが相当にある。それは本でもそうである。何冊か共通なものが発見されるからである。同じことでも人によって違った見方にもなり本でも受け取るものがそれぞれに違ったものとなるからである。


 本は二階に置くのは向いていない、大工さんが言うにはその重みで家に影響しているといわれたかである。下の階に置くのがいい、地震の時にも影響する。また本が上から落ちてぶつかり死んだ人昔あったとかそれも本は重いからそうなる



2024年02月07日

雪の俳句連作ー北海道から東北の鉄道の旅 【一茶の青森の俳句の鑑賞】

雪の俳句連作ー北海道から東北の鉄道の旅

【一茶の青森の俳句の鑑賞】

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温川【ぬるかわ】山荘

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飯山線の駅

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羽前前波の駅【奥羽西線】

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喜多方の蔵の喫茶店



【知床】
雪埋もる知床に鳴く鹿の声
クマゲラの叩く音ひびき流氷の海

【小樽】
倉庫にそ太き氷柱や小樽かな
小樽へと車窓に寄り冬の浪
凍てる雪踏みて小樽や倉庫かな

【尾岱沼】

暁に白鳥はばたく凍る沼
白鳥の目覚めて鳴くや凍る沼
白鳥の朝鳴きあうや凍てる沼

尾岱沼(おだいとう)の白鳥

【函館】

函館や行に市電や暮らしかな
乗り合す市電や暮らし積る雪
函館の市電の駅や雪の夜
函館にロシア人の墓冬深む
札幌に煉瓦の官舎や凍てる雪

【青森】

(津軽焼)
土の色黒の素朴や雪深し
黒石の雁木通りや冬の暮
トンネルぬけ小国や遠し雪埋もる
城門古り雪深く踏み弘前城
貨物船野辺地の沖や冬の海
うず高く雪の積もりぬ野辺地駅
冬の海常夜塔古り野辺地かな

【山形県】

トンネルを抜けて残雪の山仰ぐ
山寺や御堂の高く吹雪く雪
家数軒雪に埋もるや羽後前波
最上川蛇行し流れ雪景色

中町こみせ通りの特徴は、日差しや吹雪から人を守るアーケードがあることです。昔の商店通りだったこの道は買い物に来た人の為に自分たちの敷地内にアーケードを作った人情溢れる通りなのです。

冬なれや立待岬に波ひびき啄木の墓雪埋もれあり
冬の海野辺地の沖に貨物船一艘見ゆや栄し時あり
雪埋もる羽前前波駅止まる家何軒や誰か住みなむ
なかなかに雪は溶けじも飯山線駅の遠しも我が見て過ぎぬ
区界に雪の厚くもなお残る止まる一時心に残る
只見駅雪埋もれ泊る一夜かなここに暮らしや会津の奥なり
只見より一両の電車来てあわれ小出に泊まる一夜かな

雪深し(俳句十句) 
(会津と東北などの雪に関するエッセイ)

北海道は冬にも行った。印象的だったの知床が雪に埋もれてそこに蝦夷鹿がいたことである。あんなところにいたことが意外だった。そこで餌をどうするのかとなる。熊は冬眠するが鹿はしないからである。斜里町に泊まったはそこでクマゲラが木を叩く音が響ていた。これも北海道らしい、それから函館にも行った
市電が走っていて街に溶け込んである。市電は風情ある。函館は何度行っている、何かその土地のことは本当は北海道なら春から夏そして冬を経験するとその土地のことを実感するのである。

夕陽に染まる斜里岳

日本という風土は太平洋側と日本海側はまるで反対の風土である。日本海側は相当に雪が積もる。その雪国の感覚が太平洋側に住んでいると理解できないのである。雪に埋もれて長く暮らす生活というものがどういうものか実感できないのである。そもそも福島県でも浜通りは雪が降らない。ただ必ず東京で雪が降るとここも雪が降るのである。でもせいぜい2 3回くらい降ってあとは降らない。だから冬の間雪に埋もれて暮らす生活というものはどういうものかわからないのである。

青森から黒石しに行きそこに雁木のとうりがあり昔の店があった。そこからさらに温川【ぬるかわ】山荘というところに行ったがそこも一軒家の温泉宿であり黒石市からは遠く離れていた。トンネルを抜けるとさ小国という地名がありやはりそんなところまで人は住んでいて自給自足していたのかとなる。昔は車もないのだから人の行き来も雪に埋もれたら余計にできない。つまり何か外から物資でも入ってこないのである。

すると自給自足するほかないのである。雪の中でも雪菜がとれる。それがうまいとなる。それにしても雪に埋もれて生活するということがどういうことなのか理解できない。だから日本というのは太平洋側と日本海側では相当に違った感覚になる。ただ日本海側は太平洋側より海は冬でなければ穏やかだから北前船が行き来した。それで青森県の野辺地では北前線が来て栄えていたのである。でも今になればその船も来ないのだから何か寂れた感じになる。常夜燈は港に残っていて沖にに貨物船が一艘電車から見えたのである。



【一茶の青森の俳句の鑑賞】

今日からは日本の雁ぞ楽に寝よ
日本の外が浜まで落穂哉
心から 信濃の雪に 降られけり
外は雪内は煤ふる栖かな 
これがまあこれがまあついの栖(すみか)か雪五尺

また一茶が外が浜まで行ったのか?

今日からは日本の雁ぞ楽に寝よ
日本の外が浜まで落穂哉

この句は面白い。日本の雁と言う時私は外国に行って飛行機で帰ってくる時何かホッとしたからである。ただ江戸時代にそこまでイメージしたのかというとそれが不思議である。ただ外ヶ浜からの項になると津軽海峡がありアイヌの国になる。そこは外国にもなっていた。そしてまた外が浜まで落ち穂かなというのも何をそれに注目したというのも一茶らしいかもしれない。

落ち穂というときミレーの絵に落穂ひろいの絵がある。落穂でも貴重なものとして見ていたのである。それはやはり外国でも日本でも食料は貴重であり無駄にできないものでそういう見方になった。だからその時代を反映したものが必ずあり芸術でも鑑賞するのにその時代にイメージしないと鑑賞できないのである。

こんな国の果てに来て落穂がありここでも米を作っているのだと一茶は思ったのである。一生貧乏だった一茶だからこそその落穂に注目したのである。今なら米は余っているとかいくらでも取れるとか減反政策があったとか日本中からいろいろな米が買えるとかそういう時代とは相当に違っていたからこそこの句が出来たのだと思う。

それから面白いのは

外は雪内は煤ふる栖かな 

これも何か一茶らしいものだった。外は真っ白な雪に覆われ何か清められた感じになる。でもその中の暮らしは囲炉裏とかあり薪を燃やしてゆくからから煙で煤けるのであ。そこに一茶の場合は常に生活の実感がにじみ出てくるのである

心から 信濃の雪に 降られけり

こういうく句は雪国に住んでみなければ作れない。そして雪にも地域によって違っているのである。会津の雪でも弘前で降った雪も違っている。雪質も違っている。弘前の雪は明るい感じがしたの不思議である。朝の雪だからそう感じたのかもしれない、確かに地域によって雪の感じは違っている。

我が老いて旅路をたどり冬ごもり

今はこうして回想の旅をしている。冬にふさわしいのである。部屋の中でストーブにあたたまり旅路を回想する。
それで前に書いたものが貴重になる。写真も貴重になる。なぜなら人間は忘れるからである。自分の書いたものでも忘れるのである。
いずれにしろこうして前に書いたものまた編集して延々と描き続けている。これは終ることのない作業である。








白鳥の写真と俳句【撮影場所を知り写真を撮る】


白鳥の写真と俳句【撮影場所を知り写真を撮る】

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これはメスのモズだろう

朝空に白鳥白し高く飛ぶ
白鳥の白に白映え朝清し
枝の先モズの一羽や雪野かな

真野川のサイクリングロードから見る景色がいい、白鳥がかなりの数群れていた。ただ飛んでいるの写真に撮るのはむずかしい
写真は定点観測しないといい写真が撮れない。撮影スポットがありそこで待っていていい写真を撮る。ただその撮影スポットがどこにあるのか地元の人でないと分かりにくい。

だから写真を撮るときそういう場所が分からないから旅行してもうまく取れないということがある。いい写真を撮ろうとしたら相当そのその場所にか構えていないと取れない。だから富士山の写真を撮る人は半年とか寝泊りしていい写真を撮るという。刻々変化するからそうなるのである。

とにかく雪が降ったから白鳥もさらに映える。ただこの辺ではなかなか雪は降らない。雪の景色を取ろうとしたらやはり雪国に行かないと取れない。でもそうなるとそのその負担も大きくなる。写真を撮るにはやはり車を持ってるといい。撮影スポットに構えてとるには車がいいのである。自転車だとカメラ自体が重くなったりしてなかなか取りにくい。現実に自転車が倒れて一つのカメラが壊れてしまったからである。



2024年02月06日

雪の朝(蠟梅、寒椿、白鳥、雪景色)


雪の朝(蠟梅、寒椿、白鳥、雪景色)

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ヒヨドリの蠟梅ついばむ雪の朝
蠟梅に雪の積もるや籠る家
塀囲み巌に向き合う寒椿
山鳩の一羽梢に雪景色
大石の庭に黙して冬深む
葉牡丹の紫沁むや石に寄る
頼もしや葉牡丹二輪我が庭に

白鳥の群れて白しも足跡をつけしも消えぬ雪またふりぬ
塀囲み椿に雪や空家なり庭に残さる大き石かな

朝ちらちらち雪が降っていた、ここも雪が積もった。福島県の浜通りは東京で雪が降ると必ずここも降る。二月に雪が降りやすい
庭にヒヨドリが二羽飛んで来た。そして蠟梅の花ついばんでいた。花を食べるのは他に餌になるものがないからか珍しいと見た。花も栄養になるのか?蠟梅はこの庭にあっていた。

午後から写真撮りに外に出た。白昼の群れがたむろしていた。白さに白が映える、川岸の冬木立に山鳩が一羽とまっていた。
また今夜雪がふるかもしれない、例の空家の庭に寄る。塀に椿が咲き雪が積もり赤く映える。池がある石組の庭は見物である。家は古民家でもないから価値がない、あの庭はなにか活かす方法があってもいい、空家が活かされないのである。

庭に葉牡丹が二輪咲いている。何か地味だが頼もしい、二人の母親がいたときは家にいて頼もしかった。ただ一人病気でもなければ冬も楽しい。何かエアコンよりストーブで石油であたたまると気持ちがいい、だから囲炉裏で薪を燃やして温まっていた時はいかにも冬籠りという感じになっていた。

ともかくこの辺でわ雪はあんまり降らないし積もらない。同じ福島県でも会津とかは大違いである。だから雪国の生活というのはわからないのである



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the reddest camellia over snow
the fenced garden
built in  many stones
facing to one big rock 
the centered one
in midwinter

写真では実感できないことがある。ただ写真を撮った本人が実感と違うと感じるものがある。
そおれはまりの状況とかも関係してくるし直感的に感じるものがある
私がここの空家の庭を見た時目立ったのが大きな石だった。それが大きく迫て来たが写真にとってみると
そのようには見えなかった、だから写真は錯覚することがある
でもまた写真は見えないものを見させることもある
だからカメラの目で見るのと人間の目で見る両方が必要なのである。
それはAIがchatgptとかimage creatorでも同じである。
すべて機械まかせにコンピューターまかせにはできない
人間がいらなくなることはありえないのである。






2024年02月05日

木の力(詩)の英訳の試み 【言葉の背景に外国の風土や文化があるー英語は論理的数学的になる】

木の力(詩)の英訳の試み

【言葉の背景に外国の風土や文化があるー英語は論理的数学的になる】

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松のことは松に習え、竹のことは竹に習え 芭蕉

これは松と竹でもアイデンティティ化することである



木の力(詩)


木は大地に根を張り
木は徐々に成長する
木はあせることなく年輪を重ねる
そしてやがて大木に成長する
せかして成長させることはできない
時間を早めることはできない
木と木はその土地に根付き
木と木とは騒ぐことなく
静かに深い信頼で結びついている
木と木とは並び隣の木を傷つけない!
言葉でもって傷つけない!
口を堅く閉ざして厳守する
木は決して乱れることがない
木々は争うことはない
木はそれぞれの内に充実する
内なる力が木に満ちている
木の力は外に向かわず内に向かう
その内なる力に習い!
木はそうしてその地を離れずに
長い年月そこにありて動かず
一本一本の木は内なる静かな力に満ちて
ここに自立して立ちゆるぎない
そしてその地に一つの荘厳な神殿を形成する
神の良しとする平和の殿堂がそこに成る 

(変わらざる契りにあれや冬深む)


poem about a tree

the trees are standing side by side
certain position each other
deeply rooted trees in order
still growing power in the land
sinking down in its tranquility
the silent lined ones
no disturbance and no noise
a firm step on my homeland
on the stationary place
the simplecity and strength
keep stately and a strict procession
the peaceful united one !


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poem about a tree

the trees are standing side by side
certain position each other
deeply rooted trees in order
still growing power in the land
sinking down in its tranquility
the silent lined ones
no disturbance and no noise
a firm step on my homeland
on the stationary place
the simplecity and strength
keep stately and a strict procession
the peaceful united one !


Trees put down roots in the earth
The tree grows gradually
The tree grows rings of years without fading
And eventually grows into a big tree.
You can't make it grow faster
You can't speed up time.
Tree and tree take root in the land
Tree to tree without noise
In quiet and deep trust.
Tree to tree they stand side by side 
and do not hurt the neighbouring tree!
We do not hurt them with our words!
We keep our mouths tightly shut 
and adhere strictly to the rules.
Trees are never disturbed.


そもそも言葉とは何なのかということである。言葉の前に表現されるものがある。ここで木があるとしたらその木は何かと表現しようとする。木は物質的に見ればそれは家の材料であり燃料であるとかなる。普通はそういうものとして見ている。でも木というのを人間の内面化するとそれは精神的的存在となる。

still growing power となる時stillという言葉がまるで鎮静剤のように感じる。木の特徴は静かに音もなく時間をかけて成長してゆくからである。木とアイデンティティ化することは木と一体化することは木を精神化することである。
確かなことは自然はstill growing power なのである。悠長に成長してゆく。急いだりあせったりしないのである。大地に深く根づいて音もなく悠長に成長してゆく。そこに木の真髄がある
stationary growing  power なのである。

言葉の謎は言葉が違うと同じものを表現しても違ったものに感じる。その背景に自然風土の相違があり文化の相違があり言葉も生まれた。そして言葉はロゴスでもあり世界を数学のように整然と調和あるものとして見る。世界が数であるという思想が生まれた。秩序あるものとして世界を見た。それはヨーロッパでは木でも雑然として並ぶのではなくまるで神殿の柱のように整然と並んで立っているというとき世界を秩序あるものとして見た
アルファべットとだと英語でも詩にすると整然となり韻を踏みやすいことである。

日本語の問題は詩からみると漢字でもひらがなでも混じり韻を踏めないし整然としないのである。英語だと数学的であり音楽的にもなる。漢詩でも韻を踏むことするから日本ではひらがなでありそれができないので冗漫になる。
いずれにしろ言葉を理解する前に木というものはどういうものか理解することが必要である。木はどこにでもあり木がどういうものかを知る。その木が神殿の柱と見に見える。整然と並んでる木を見て神殿のイメージが作られたともなるからである。

またゴシック聖堂はドイツのモミの木の森をイメージされて作られたという時もそうである。自然の風土が影響されて作られたからである。ただそれが石で作られたということで木で作られるものとは違っていた。木と石ではその性質は違っているからそうなった。石の建築はローマ時代のものであり2000年経っても残っているからである。するとその2000年前からでも歴史を現実のものとして見るということが出来るからである。

〈言葉〉〈議論〉〈尺度〉〈理法〉〈理性〉など多義をもつギリシア語。対立物を結合し,万物を統べるものとしてロゴス概念を用いたのはヘラクレイトスやストア学派で,以来西洋哲学における理性観を規定した

普通言葉は話すとなるとそこに感情的なものが入ってくる。怒ったり悲しんだりすることが表情として現れ言葉となる。でも文章となるとまた違ったものであり感情的なものは抑えられ理性的なものになる。文章にはやはり秩序があり整然として構成されるからである。それは理性であり整合性があることでありそれはロゴスだとなる。
日本語には感情的なものとなりやすく理性的になりにくい。特にひらがなになるとそうなりやすい。それは美的でもあるが理性的なに整合性にかけている。特に漢字とひらがなが混じってカタカナもあり複雑化して整合性が理性がそこに働きにくいのである。ただ外国を理解するというとき言葉の問題が大きな障害となる。

それは言葉自体がその背景に文化や文明があり自然風土がありそれを理解できないからである。ただどこにでも木がありそれが何を意味しているのか、それを詩にすればやはり言葉が違っても理解されるとなる。だから問題は言葉の前に木というものはどういうものかその性質を知ることなのでその性質を知って言葉にすれば外国語でもやはり互いに理解できるということである。

またいくら言葉に通じても木というものはどういうものかを理解できなければ鑑賞できなければいくら言葉がしゃべれても言葉に通じていても木に通じなければその言葉も理解できないのである。それはあらゆるものに言える。
言葉に通じる前に科学の分野でもその一分野に通じていない人ならいくら外国語を覚えても理解することはできないとなる。だからいくら言葉に通じていても語学の先生でも理解したり詩を書けるのかとなるとそうはならないのである。
その普遍的共通なものユニバーサルものはやはり理解できる。それは言葉に通じたから理解できたのではなく科学なら科学者で通じ合うものがあり同じ共通の理解になる。共通のものは原理として数式化されるのである。だから数学というのは共通の言葉ともなっている。だから外国でわ常にプリンシパルというのは重んじられるのではある。

それにしてもステーションという言葉がステイショナリーとなりそれが文房具になってるということはなかなかイメージできない。なぜ駅と文房具が一つのステーションで表現されているか表現されるのか日本人だったら理解できないとなる。
何か外国ではステーションとあればstateという言葉があり駅が堂々としたアーチをもった建物になっている。だからstate-stationになったともなる。ヨーロッパでは建築物が威厳がありstatelyでありま人間に威厳を与えるのである。

「形または構造の物理的な状態」、「特定の状態や段階」、「基準に対する状態」という意味は、約1300年頃から見られます
「高位の役職にふさわしい厳粛な儀式や状況、高位の人物にふさわしい威厳と華やかさ」という意味は14世紀初頭からあります。これにより、lie in state「葬儀前にお通夜のように堂々と展示される」(1705年)やkeep state「堂々とした威厳を持って行動する」(1590年代)という表現があります

stateとは安定して建っているものをイメージする、それは大きな立派な建築物でありそれはstatelyとなり堂々としたとなる。
stationもそこから波及したともなる。ヨーロッパではそうした威厳のある大きな建築物がありそれがstationともなり街の中心にある。stateが州や国家を意味するようになったのは威厳があるべきものとしてそうなった。

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2024年02月04日

地名は方角地名が基本ー相馬市の日下石(ニッケシの由来) 【東は明るく西は暗い感じになる―日本海は暗い】


地名は方角地名が基本ー相馬市の日下石(ニッケシの由来)

【東は明るく西は暗い感じになる―日本海は暗い】

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相馬藩の北斗七星の旗−黒い●は星でである

●日が昇る方向は明るく沈む方向は暗い

方角を知る一番わかりやすい方法は日の昇る方向と日の沈む方向を知ることである。

遣隋使の小野妹子が、持って行ったとされる書簡が「日出處天子致書日沒處天子無恙云云」(日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無しや、云々)で始まります

これはただ方角を正直に言っただけである。とにかく外国に行ったりすればあなたはどこから来たのか?それをまず尋ねられる。
Where are you from?と尋ねられる。それで外国に行ったら日本だと伝えるのだがそうした国がわからない時代には何か目印になるものが必要になる。だからイスラエルのへブル人という意味は川の向こうから来た人という意味である。川が目印となってその方角を知るということにもなる。外国の川は必ず境界にもなっていたからである。だから川を越えて来たというときその川がどういう川か知っているからそう伝えたのである

旅をしていると一番分かりにくいのはこの方向が分からなくなり道に迷ってしまうのである。それは近くでもそうだった。飯館村は山に囲まれているから海が見えないから東がどっちなのだかわからなくなる。それで東の方に行こうとしたら西に向かっていたのである。なぜそうなったかというと太陽は沈む方向に行ったから沈む方向は西だと気づいたのである。山に囲まれていればこうして方向の目安となるものは分からなくなるから近くでも迷ってしまうのである。

西となれば日が沈む方向になる。東となれば日が昇る方向になる。でもそれが分かりにくいのである。ただ東と言う時日が昇るのだから何か明るいイメージを持つ。会津の東山温泉があるところは東にあるとしても山の陰にあり明るい感じにも思えなかった。でも京都だと東山というのはそこから日が昇る山であり明るい感じなのである。西山となればそこは何か寂しい感じになるのである。

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城を中心にして方角地名が名づけられた

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城を中心にして方角地名となった。喜多方は会津の北に発展したから北方が喜多方になった。

●日本海は寂しいと見ても古代は栄えていた

東の野に炎の立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ  柿本人麻呂

東はやはり太陽が昇るから明るい感じになる。でも西となると陽が沈むとなり淋しい感じになる;だから日本海は日が沈む場所であり月がにあっている。

寺泊出雲崎行くや月あわれ
日本海秋の夕陽や漁村古る

日本海は海に夕陽が沈む。そして漁村も古いとなる。

名月や膳にすゑたる東山 支考

京都では東山となるとこのように身近なのである。でも京都を旅して東山がわからなかった。だから陽の昇る方向に旅したら注意すべきだとなる。

ただ地理的にはそうであっても歴史的に見れば日の沈む方向はさびれていたという感じにではない。日本海側に日は沈むからそこは今では裏日本隣寂しい感じになる。
でも古代からむしろ日本海の方が開けた栄えた場所にもなっていた。なぜなら韓半島とか中国大陸と向き合う近い場所でありそれで出雲の国引き神話が生まれた。その国とは韓半島の国のことである。地理的に見て太平洋側より近いのだから当然ひらけた場所になり韓半島からの渡来人もきて返って先進的な国でもあった。

なぜ今から見ると島根とか鳥取は人口も少なくさびれた感じになっている。
ではなぜ出雲の国がありそれが大和の国と互角に並ぶ強国となっていたのか?そして出雲弁が東北弁は似ているというとき東北が蝦夷と言われた国でありそれは出雲とも一体化していた国だったからだとなる。なぜ蝦夷というのは強敵になったかというと韓半島からかやとかから渡来人が入ってきてその人たちが蝦夷に加勢したということがある。だから大和王権の強敵になったのである。

●相馬市の日下石(ニッケシ)は日が沈む場所?

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津波で日下石の近くまで海になった

日本語のニシは、「去方」(イニシ)の約であろうという。イニが去(イ)ヌという動詞の名詞形で、シは方向を示すので「日没の方向」の意で西を捉えた語というわけである

これで気にかかるのはなぜ日下石(ニッケシ)という地名がアイヌ語説もあるがこれは西の意味とも取れる。それが津波でその日下石の前まで海になった。太陽はその日下石記の方に沈んだのである。
ではなぜそういう地名がついたのか?つまりそれは海の方から名付けた地名だったともなる。それは海からやってきた海洋民族が日の沈むところを日下石としたともなる。その海洋民族とは何かといえば相馬地域に多い綿津見神社と山津見神社が一対となった安曇族のことである。その後裔の人たちが名付けたものと推測される。なぜならもし日下石が西という意味があれば海から船で来た人たちがそこを日の沈む場所としたからである。
ただ海から離れた所から見れば海の方は日が昇る所になる。
どこからみるかで反対になるのである。
ただアイヌ語に関連しているとなればまた違ったものとなる。

なぜ方角が大事なのかというと例えば砂漠であれ草原であれ遊牧民が移動するとき方向が最も大事なものになる。方角がわからなくなると方角を誤るとそれは死にも繋がっている。だからこそ砂漠の国では星が星を見て方向を知る。だから北斗七星北極星が信仰の対象にもなった。北辰菩薩とか妙見様とかはその北極星のことだからである。相馬藩の旗印もその妙見信仰から来ていて北斗七星と北極星なのである。それはやはり中国からまた中国韓国を通じて韓半島を通じて日本にもたらされた信仰でもあった。一定の土地に定着して住んでいる人なら方向はそれほど大事にもならないからである

妙見菩薩は、北極星または北斗七星を神格化した仏教の天部の一つ。尊星王(そんしょうおう)、妙見尊星王(みょうけんそんしょうおう)、北辰菩薩(ほくしんぼさつ)などとも呼ばれる

●縁(えにし)ー江西、愛西などの意味と語源

私の魂は子の風景のもとに安んじて返ってくるだろう、それはかつてこの島影にたどりついた民族の心象というものがあったからだろう
「海やまのあいだ」にある狭い土地ーそれを海岸線と言ってもいいだろうーにこそ我が民族の「ふるさと」があったのである
海岸線の歴史ー松本健一

江西(えにし)は江と西が結びついた。当て字である。いには去るという意味でもある。太陽が去り沈む所だとなる。


縁(えにし)とは海洋民族が縁を結んだ海岸のこと? (日本の海岸線が日本のアイディンティティを作った場所)

江(え)とつく地名が多すぎる。ということは蝦夷(え)でも江なのである。南相馬市の鹿島区の海老(えび)はエヒなのである。江垂(えたり)は六号線まで江垂であり海が入りこんでいたのである。江が垂れると垂れるように海が奥に伸びていた。だから桜田山に魚の骨などが発見されたというときその入江で魚など取っていた

新地の手長明神の伝説は有名である。巨人が長い手を伸ばして貝をたべていた。それは縄文人が貝をとりたべていたことが基になっている。現実に高台に貝塚があったからである。新地の地形は山が海に迫っているからその伝説は実際の生活が反映したものだったのである。蝦夷(えぞ)のえは水と関係しているかもしれない、えとつく地名はいたるところにあるからだ。水のあるところに人は住むからである。江戸(えど)でもエがついているから水と関係していたとなる。

古代でも海が陸地に深くはいりこんでいた。原町の江井とか小高の井田川とか江とつく地名が多い。そこも入江になって津波でそこが海になったことで驚いた。八沢浦も入江であり津波で元の入江になったことで驚いた。

とにかく相馬地域には松川浦に山津見神社があり和田という地名は対になってあり綿津見(わたつみ)のことである。海洋民族の安曇族の後裔が入って来て開拓して住むようになったことは確かである。海洋民族にとっても方向を知ることが大事である。海では方向が分からなくなるからである。




2024年02月03日

冬の大地【詩】−人間には共有する連帯する場が必要

冬の大地【詩】−人間には共有する連帯する場が必要

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冬の大地

大地に深く根を張り
木々は信頼を深め合う
死者は地の底に結ばれ
冬の日に静かな眠りにつく
一つの場を共有して
疑念なく安らぐ場
人々は結び合っている
木々は神殿の列柱
厳かに大地に根ずき
不安なく動じることがない
木は大地を信頼し深く根ずく
神はその大地に一つの種をまく
それは必ず実りをもたらす
いたずらに虚しくはならない
神の計画は確実に果たされる
神の力は騒擾にはない
焦ることなく成長する木よ
忍耐強い大地の静寂
そこに確かな実りを与える
妄りに浪費されない
一つの場に木々は深く根ずき
真実に結ばれた力よ
大地より湧き上がる充溢した力
信頼を深めつつ月日は過ぎぬ
その歳月は長く実りはもたらされぬ

one common place in winter
deeply rooted trees
lined ones in order
silent united one
the steady and  certainty
one identified and bounded place
Trees deepen their trust 
the strength of beliving 
mighty fulfilled power
still growing tree in the earth
perfect performance of God's plan 

人間には共有する場が必要である。 one common place ,one identified placeとかなる。それは日本では村にあった。村は共有する場であり人間もまたそこでおのずと結ばれてきたのである。それはその場で生活するというとき生活そのものもその場で利用できるものを利用したからである。外部から入ってくるものはあったとしても非常に少ない。自給自足が基本だった。燃料がすべてだったというとき山の木お利用して炭を作ったりしていたからである。
農家では納豆を作り油まで自家生産だった。買うということはまれなことだったのである。そもそも何かを買うにしても街に出てくるにしても車もないし歩いて来るかリヤカーとか馬車で運ぶ他なかったから遠くへ行って買うこと自体が簡単にできないできない生活だったからである。

基本的にそういう生活が江戸時代から戦前そして戦後十年くらいまで続いたのである。だから農業中心の社会であり自給自足を基本としていた。そういう生活は延々と続いてきたのである。それは世界でも同じでありインドなどでわは大きな都会でも炭を使っていたのである。また牛の糞など燃料として使っていた。
とにかく何でも外国から入ってくるということはこれまではなかったのである。だから日本にこれだけ森があっても利用しなくなったということは異常なことだと思う。

だから日本人のアイデンティティーは村にある。それは自然村でもあり周りにある自然のものを利用して生活していた。そのとき石油とかガスとか天気でも使って元気でも使っていないのである。だから別に石油がないとガスがないとか電気がないとか心配する必要もなかったのである。人間はそういうものはなくても死ぬことはなかったのである。
今石油がない電気がないとしたら生活できないから死ぬほかないとまでなっているのも奇妙なのである。グローバル経済というのは何か本来の人間の生活を弱めたものともなった。また過度の都会化というのも人間の本来の生活からは離れたものでもあった。

そこで起きてきたことは何なのか?人間はもともと一つの場所に共存して共有して生きてきた。それがグローバル化した時失われたとなる。ただ私が追求しているのは私自身は農民でもないし生産活動もしていない。ただ自然の中で培われた自然ととアイデンティティ化することを追求してきたのである。
俳句にしてもそれは自然の中で生活する農民の中からおのずと生まれてきたのである。農業は自然と一体化することだから自ずとそこに自然とアイデンティティ化することになった。大都会になると何とアイデンティティ化するのかビルと高層ビルと一体化するのかとなる。私は山とか大地とか木とかと木とか石とかとアイデンティティ化することを詩を通じてしてきたしてきたのである。

人間は自然から遊離するときどうなったのか?それは人間ならざるものになったとも言える。都会のビルをあげて土もない世界で生きていればその人間はどうなるのか?何とアイデンティティ化するのか?人間も自然の一部であり自然から遊離してしまったらその人間は何になるのか?例えば工場で働く人は何か流れ作業でロボットのようになっていた。そういう場では人間は人間ならざるものになってゆく。人間はそこでは機械の部品のようになってしまうのである。

だから人間自体が異常なものにもなってしまう。そこからは異様なものが生まれてくるのである。カルト宗教団体などもそうである。それは自然から遊離したものであり異常なものなのである。なぜなら日蓮でも親鸞でも比叡山ので修業した天台宗から始まっているからである。それで創価などは団地の宗教として始まったそこは山を聖なるとものとして修業した仏教とはまるで違ったものとなってしまった。

いずれにしろここに詩にしたようにそもそもは大地という感覚が持てない。大都会には土が無いからである。コンクリートが敷き詰められて家が密集してビルを見上げて窮屈な世界に閉じ込められる。そういうところにいて正常な人間の感覚が保たれるのかとなる。だから都会から生まれた宗教はカルト宗教になり異様なものとなったのである。
そもそも東京のような1000万の都会が人間の住むところなのかとなる。そこから生まれるものは何なのかとなるとカルト宗教団体や何か異様なものにとなってしまう。

ともかく人間には共有する場が必要でありアイデンティティする場が必要である。ただ都会といってもヨーロッパの中世都市とかなると5万くらいであり壁に囲まれた外は畑があり森が広がっていたからまた違ったものであった。それが百万以上の都会となるとあまりにも違ったものとなっていたのである。

自然というときやはり四季がありその変化の中で日本人は特に生きてきた。だからこそ俳句も生まれた。でも都会に生活していたらそうした四季を感じるということもあまりなくなる。まずここ詩しにしたように大地という感覚はものは感じない。宗教が砂漠とか荒野から生まれたというとき大都会はあまりにも違った世界なのである。大都会とではなんとアイデンティティ化するのかわからない。そこでは言葉も失われたというとき東京のような大都会を見たとき人間は言葉を失ってしまう。言葉にできないのである。だからこそそこでは人間そのものは失われてしまうとなる。人間的感覚も失ってしまうのである。

だからなぜ人々は日本だったら東京にそんなに集まって生活することが理解できない。いくらそこで仕事があるとか田舎にはないものがあったとしてもそんなに人口が集中する場にいて人間は何か人間ならざるものになってゆく。やはり冬だったら枯野が広がりそこに安らぎも感じる。それでわざわざ江戸の中心街から離れて枯野見が行われていたのである。江戸でも人や家が密集しているから冬の季節を感じたいとなりそうなったのである。

The land in winter

Deeply rooted in the earth
Trees deepen their trust in each other
The dead are bound in the depths of the earth
Silent sleep on a winter's day
Sharing one place
A place to rest without doubt
The people are bound together
The trees are the pillars of the temple
Rooted solemnly in the earth
Unrestless and unmoved
The trees are deeply rooted in the earth, trusting in it
God sows a seed in the earth
And it shall surely bring forth fruit
It will not be vain in vain
God's plan is surely performed
God's power is not in disturbances
O tree that grows without haste
The patient earth's stillness
There it will give sure fruit
Not wasted in delusion
In one place the trees are deeply rooted
A fullness of power rising from the earth.
And the months pass with trust deepened

Translated with DeepL.com (free version)

詩は翻訳できない。だから直す必要があるのだがそれが私にはできない。やはり簡潔にして韻を踏むことによって詩になる。でもそうなると相当な英語力が必要でありとても翻訳ができないのである。ただアイデンティティーという感覚は日本語にはない。だからどうしても言葉でも世界観があって生まれているからその言葉の意味の背景に文化や歴史がありそれを理解することが必要になってくるのである。





2024年02月02日

学生運動の時代【失われたエリート教育―大衆化した大学】ー三菱鉱業爆破事件の桐島聡の一生


学生運動の時代【失われたエリート教育―大衆化した大学】ー三菱鉱業爆破事件の桐島聡の一生

●マンモス大学で大衆化して地の塩たるべきエリートは消失した

今回の桐島聡の50年近くも三菱鉱業爆破事件から氏名指名手配されても見つからなかった。大概50年前になると何があったのかも忘れてしまう。ただそれらは左翼の革命運動として一連のものとしてあった。それは学生運動の延長として赤軍派があった赤軍それが悲惨な結果になった。

1968年(昭和43年)頃から東大闘争、全学共闘会議(全共闘)と呼ばれる運動形態が現れた。
1970年3月31日、JA8315号機(愛称「よど号」)は日本航空351便赤軍派を名乗る9人(以下、犯人グループ)によってハイジャックされた。犯人グループは北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)へ亡命する意思を示し、同国に向かうよう要求した
1972年には連合赤軍による12名のリンチ殺人事件(山岳ベース事件)が発覚した。こうして学生運動は急速にその支持を失っていった。左翼学生運動同様「民族派」学生運動も次第に衰退していった。

これらは学生運動の延長としてあった。だからこの運動にの主役はもともと学生であった。その学生が連合赤軍とかなりハイジャックして北朝鮮に逃れたり亡命したりした。連合赤軍は仲間割れして仲間を惨殺したり悲惨な結果になった。そもそもなぜこうした学生運動は起きたのかそれは大学が大衆化したことも原因していた。文系の大学とかなるとマンモス大学になり講義を聴くにしても千人くらい詰め込む行動でしていたとかだから大学に入った時高校とはあまりにも違うので戸惑ったのである。そして大学の不思議なのは授業に出なくてもいいのである。大学の教授というのはまたゼミで一回くらいあったがあとは会っていない。

だから大学とは何か教育する場だったのか教える場だったのか文系の場合はわからない。大学というのはそもそも自主的に学ぶことがなければ何も学べないところだったのである。そこはただのキャンパスがあってもそれは公園と同じだったと言う人もいるのも分かる。なぜならそこでそこが教育の場というにも持っていなかったのである。授業には出なくてもいい。教授は講義を休むことがある。そして朝から下宿で麻雀をしていた人も結構多いのである。文系の場合そうして大学とは遊びの場であり勉強する場でもなかったのだ

ただこうしてマンモス大学で学生を集めてその学生も戦前のエリートになるものでもなかった。国立大学の東大とか京大とかトップになればやはりエリートの道をゆくことにはなっていた。でもそのほかは私立の文系とかになると慶應とか早稲田とか別にしても他はそれほどエリートでもない大衆化した大学になっていたのである。
だから大学は何をする場なのかということも分からなくなった人もいると思う。その不満が学生運動の原因にもなっていたことが確かである。そうした大衆化した大学に対して不満がありそれが学生運動にもなったのかと思う。何か社会を変えるということでもなかった。第一学生は社会のことなどわからないその極端な例が中学校で金の卵として集団就職した人たちがかなりの数たからである。

大学に行けた人は地方ではクラスで5、6人であり恵まれた人だったのである。だからその時代に大学に入ったということ自体そういう人たちと比べると相当に恵まれた人たちだったのである。その人たちは学校では遊んでいたともなる。でもその時集団就職した人たちは工場下町の工場で下積みとして働いていたのである。その差も大きいものだった。
そのときまだ高校卒でも少ないものであった。それで警官と衝突してゲバ棒で大学生が戦ったがそのとき警官は高卒でありその大学生に対して不満が大きかった。お前たちは大学生になるくらい恵まれていたとなっていたからである。なぜお前たちは恵まれてるに暴れているのかともなったのである。

要するに学生の不満でありそれは社会全体に影響するものでもなかった。なぜなら社会人と学生は別の別の者であり学生だけが運動したから社会全体を巻き込むものはならなかったこれ。だからマルクス主義という理論だけが先行して現実の社会人の生活は観ていない。だから革命になるということはなかったのである。そのとき創価なども会員を増やしていた。創価というのは問題はあるにしろ現実に生活している社会人でありその社会人に根ざして運動していたから違っていた。学生運動の場合はみんな学生でしかなかったのである。だから理論だけが先行する現実社会を見ない運動になっていたから破綻したのである。

例えばそのあとのオウム真理教でもそれもう理系の学生が中心となっていて現実社会とはかけ離れたところで運動するようになっていた。だからそれは社会的に影響して社会的広がりを持つものとはならなかったのである。何か創価などはみんな社会人でありそうして社会で苦しんでいる人たちを相手にしているから学生運動とは違っていたのである。だから困って苦しんでいる人と庶民を相手にしているから何か泥臭いものとして庶民にじかに接していた。そういう人はなかなか相手にする者もいない。

それは共産党と本当に似ていたのである。最底辺の人はやはり同じように相手にするのは共産党くらいだからである。ただ共産党の違いはそういう最底辺の人たちを相手にするから学生運動とは違っていたのである。確かにマルクス主義を基にしているのだが理論にしていた。でも現実社会では最底辺の人を相手にしているからそういう理論だけでも成り立たないものとなっていたのである。底辺層のいる地域では市営住宅地とかでも創価かか共産党に入る。そして票の取り合いになり争っていたことでもわかる。学生運動とはそうした現実社会とかけ離れて理論だけになりそれで破綻したのである。

明治維新の日本は、日本の未来に危機感をもつすぐれた人物が多く登場した時代といえる。ローマの繁栄がそのすぐれた人物が統治したことから生まれたように、日本がアジアの中で西欧に対して少なくとも独立し、アジアの雄として一矢報いることができたのは、こうした先見の明をもつ人々が、当時次から次へと登場したからである。

西欧においても、すぐれた政治家が排出しているとはいいがたい。むしろエリート層の能力の衰退が顕著である。そうしたエリート層では、未來へのかじ取りができるはずもない。

日本はこのまま「国家の衰退」を黙って待つだけか

●明治時代に依然として侍がいて指導者になっていた

私は、藤島高校、福岡高校、松山東高校など藩校の流れを汲む高校から、ノーベル賞の受賞者がでているのは、このような歴史に負うと考えている。それぞれが独自の価値観を熟成し、その独自性が国際的に通用する人材を育成している。

大学受験の最難関「東大理3」からノーベル賞受賞者が出ない理由

ノーベル賞が藩校と関係しているのか理解できないけど江戸時代に培われた武士の教育が明治維新を成し遂げ指導者を輩出させた。それは幕臣だった武士も活躍したからである。
様々な分野で日本を導く者となったからである。西欧文明の挑戦を受けた日本だったがそれに対応するものが鎖国した日本にはあたとなる。他のアジアでもヨーロッパの植民地化したことでもわかる。それだけ西欧文明に対応できるものがなかったからだとなる。なぜ明治に様々な分野で指導者になる人が綺羅星のごとく輩出したのか?例えば武士道キリスト教を先導した内村鑑三などがそうだった。そのとき幕臣だった人たちが指導者になっていたのである。大学であれあらゆる分野で指導者になっていた。

そうなり得たのはやはり江戸時代に培われたもの。藩校で教えられた人たちが指導者になったことである。その人材は江戸時代に培われたものから生まれていたのである。その伝統の上に西欧文明を根付かせたと取り入れたとなる。
だから藩校のあるところから優秀な人材が生まれたという時もそうであり藩校のあるところは大藩であり福島県だと会津になっていたのである。相馬6万石には藩校はなかった。会津には日進館があったからである。だから明治維新でも会津から政府に雇われて活躍した人がいたということでわある。不思議なのは幕臣である人はその子孫は現代でも薩摩長州よく思ってないのである。

内村鑑三でも絶えず藩閥政治を薩摩長州の政治家を批判していたからである。そういうところにやはり歴史があり歴史が伝えられているということでもある。つまり明治にさまざまな分野で人材が輩出したのは江戸時代の伝統があってそれでそこから培われたものは指導者になったのである。そして文化でも明治時代に一番漢詩が興隆したのである。和魂洋才があった。和魂があって洋才があったのである。
だから明治に漢詩でもってその志を述べる人がいたということである。蝦夷共和国を主張した榎本武揚などがそうである。武士は漢詩を作れる教育がなされていたから漢詩を作れたとなる。今の政治家でそいう言う人いない、短歌すら作る人もいないのである。短歌なら武士のたしなみとしてみんな作っていたからである。

そうした人材が大正時代頃になると消失して行った。結果的にその後は昭和になり太平洋戦争へと進むことになる。それは明治の時のように人材が枯渇して侍の伝統を受け継ぐ人たちがいなくなった。だからこそ軍人であって侍の真似をしてもその中身は本来の侍の心を持った人でもなかったのである

●医は仁術でありすべてが算術に金儲けになった

おそらく藩校とかでは江戸時代ではまずモラルを重視し人間はいかにあるべきかということを最初にその教えられた。その後に知識を教えた。それはあらゆる分野でそうだったかもしれない。医者だったら医は仁術であり算術ではない。医者もまたモラルを優先していたのである。職人ですら職人気質となりモラルがそこにあった。 算術だけではないものはそこにあった。それはやはり社会の中で侍がモラル的に模範とされるべきものとしてあったからである。

だから商人と違って算術にはならなかった。何か社会には地の塩となるべきものが必要なのである。それが消失したとき社会は荒廃する。明治時代には地の塩となったのは侍だったのである。その侍がいなくなったとき大正以降は日本の伝統的なモラルが消失して太平洋戦争に向かい300万人も死んだということである。戦後にしてもアメリカ軍に占領されてアメリカ的価値観が押し付けられてそれですべてが算術になってしまったのである。

ただ地の塩が消失したというときそれは日本だけの問題ではない。世界的に大衆化が起きて経済だけが優先される金だけが優先される社会になった。資本主義がキリスト教の修道院から生まれたというが今やそれはただ金を得ればいいというだけの世界になったのである。グローバル経済とは道徳なき経済でありただすべてが算術になったのである。
日本の高度成長時代一時は日本は世界から注目されてジャパンアズナンバーワンとかになりなっていたがそれもたちまち失われた30年となり今や日本は日本の悪い点ばかり言われるのである。高度成長時代は日本の良い点ばかり言われたの大違いである。

なぜ日本はいまや衰退するだけなのか。それは地の塩たるべき人が作れなくなったということがある。ただそれは世界的に起きていることであり大衆化でありただ全て算術でありお金を儲けるということしかない社会になってしまったのである。だから戦後の教育でも大学でも何かモラルというのはない。人間はどうあるべきなのかという根本的なことは教えない。それより膨大な知識を詰め込まれその点数を稼ぐことで受験戦争がありそしてただ得するということだけを目指したのである。

●大衆化社会で真のエリートが養成できなかった

だからこそ東大であれ有名大学に進学してそこでエリートになり得するということしか考えない人になった。それはなぜかといえば大衆に支持されるには利益を優先しなければならないからである。それでカルト宗教も大繁盛したということでそこ宗教となればモラルが中心になるあそんなものは微塵もない。狂気のように御利益を得るために集団化して祈っているだけである。それはただ巨大な利権集団に過ぎないのである。これもやはり大衆化社会から起きたことでありそこでは地の塩などはない。また育てないのである。それが極端になるとナチスのようになってしまうのである。その教祖はヒットラーにもなるのである。

これは日本だけの現象ではない。世界的に起きたことである。なぜドイツのような歴史が古いモラルは高いプロテスタントが生まれたような国でナチスが生まれたということが理解できない。確かなことは大衆化現象というのは世界的なことでありそこで地の塩は失われてまともな指導者は大衆社会からは決して生まれないということである。だからカルト教団のような教祖は悪質であっても大衆は求めているものは御利益であり何か高等なものではない。

また大衆というのはモラルなどを求めていない。だから現代とは大衆社会でありその大衆とは何なのか知らなければ理解できないとなる。大衆が主人公となり大衆によって決められる社会だとなるからである。マスコミでもその大衆を相手にしているからモラル的には腐敗しているのである
学生運動とは何であったのか。それはやはり大学の大衆化であり地の塩たるべき人たちがただモラルもなく利益を求めて真のエリートではなくなったということである。それに反発したとしても大衆社会自体を変えることはできないのである。そういう社会自体の問題として学生運動も起こりそれも挫折したとなる。

●老人になって明らかにされる個々人の価値

いずれにしろ老人になるとその人の人生の人生が何であったのかおのずと問われ明らかにされる。誰でも老人は自分が生きてきたことを語るからである。戦争を経験した人は忘れられないから認知症になってもそのことは忘れず死ぬまで語り続けたとなる。戦争で300万人も死んだというときそのことが何であったのかとうことになる。その命が犠牲にされてもそれが意味もないとされたら死者は浮かばれないとなる。ただ老人になっても何をしてきたのか語らない人もいる。その語らないということは語りたくないということである。どうしてもそこにやましいことをしてきて語りたくないのかもしれない。たしかにその人は戦争で18歳で志願兵になってそれで人を殺したみたいだよある。でもそのことを語ることをしない口をつぐんだのである

それにしても桐島聡の一生はなんであったのだろうか。爆破事件から50年も生きていたということの驚きである。その人の一生は爆破事件で終わっていない。それから50年も生きたということでありそこにその人の人生があったと思う。そこでやはりともも何か音楽に熱中していたらしい。その人と語り合った人もいるしそこで何か生活がありそれは人生となっていた。でもなぜ最後に自分の名を名乗ったのか。何か自分の人生を振り返りそのまま誰だかわからないものとして消えていくのは嫌だったとなるのかもしれない。何か自分自身でありたいとして死んだのかもしれない。

ともかく人間の一生は何であったのか老人になるとおのずと明らかにされる。その人間の価値はその一生はなんであったのか明らかにされる。ただ人間の価値といっても多様だからその人の価値を見ることは難しいとなる。ただカルト宗教団体でもある団体組織団体に所属していたときはその組織団体の価値がその人の価値にもなる。会社に所属していればその会社の価値がその人の価値にもなる。でも会社を退職した時今度は会社の価値がその人の価値にはならない。その人の個人の価値が何なのか問われるのである。ただ会社で働いてそこで何か価値あるものを身につけている人はいる。でも会社を辞めたら退職したらその人の価値が消失してしまうということもある
ともかく人間の一生は何であったのか自らも他者からも価値づけされることは確かである。ただ組織団体に属しているとその組織団体の価値がその人の価値になる。でも組織団体の価値がは焼失したりするし会社を辞めたらその人の価値は何なのかとなってしまう。







posted by 天華 at 15:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育心理学など

2024年02月01日

Swans on the iced lake and flight of the ones


 Swans on the iced lake and flight of the ones


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神のイデアの白鳥の詩

朝真澄の空に白鳥の鳴きつつ連なり飛びぬ
その声の寒空に鋭く響きわたる
やがて白鳥はシベリアの地に去る
白鳥は何を残せしや
何も残すものはなしも
ただその大きなる翼を広げ飛び
神の技なる美しい姿のみ残りぬ
人よ、世の汚れに染まらずにあれ
純なる美を創りし神の技を見よ
神の創りしイデアの具現
そは心に映じ消えざるものかも
枯野の刈田にともしきも養うものあり
人よ、美しきもののみ見よ
神の技なる優美なる白鳥の姿
汚点なき純白の衣を着せられて映えぬ
人はいかに着飾られてもそこに真の美はなし
人よ、美を見る心の目の曇らざれ
神のイデアに成りし白鳥よ
そは真冬の凍てる空に星座となり輝く
その翼は大きく星は眩くきらめきぬ
白鳥は造り主なる神の御許に飛び去りしも


The Swan Poem of Idea

In the morning the swans fly in lines, chirping in the clear sky.
Its voice echoes sharply in the cold sky
Soon the swans will leave Siberia
What did the swans leave behind?
He left nothing behind.
He only spreads his great wings and flies
Only its beautiful form, the work of God, remains.
O man, be untouched by the filth of the world.
Behold the art of God, the creator of pure beauty.
The embodiment of the Idea created by God.
That which is reflected in the heart and will not disappear.
There is something that nourishes both the dead and the living in the harvest fields.
O man, see only what is beautiful.
The graceful form of a swan, the work of God.
Dressed in pure white, without blemish, it shines.
No matter how people are dressed, there is no true beauty in them.
The swan that is God's Idea
You shine as constellations in the frozen midwinter sky
Its wings are large and the stars twinkle dazzlingly.
The swans have flown away to God the Maker.



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