2024年04月30日

自動化したスーパーのレジの問題ーIT化AI化ロボット化の問題 【故意の犯罪と無意識の犯罪−宗教と法律の問題】


自動化したスーパーのレジの問題ーIT化AI化ロボット化の問題

【故意の犯罪と無意識の犯罪−宗教と法律の問題】


●故意と故意でない犯罪の区別

菊池スーパーの自動化したことでそこで支払いをした2回も金を支払わずに出てしまった。自分ではその意識はなかった。だから一回目は咎められたし2回目はただそれを指摘されて払っただけである。それは最初からミスとして店の人は見ていた。でも最初は故意に盗んだともみられた。ただただその後は同じ私と同じような間違いをしていることがあり注意の貼り紙も出た。

ここで問題になったのは犯罪とは何なのか?

例えば,猟師が猟をしているときに,動物が動いたと思って発砲したら人間であったという場合,人を殺すという故意があり,殺人罪に問う事はできません。
 故意がないというと,犯罪に当たる事は認識していたのに許されると思ったというようにイメージされるかもしれませんが,それは故意があるとされます。

故意がないとは,犯罪に当たる事実を認識していない状態なのです。
東京デフェンダー事務所

「故意」とは、結果が発生することを認識していながら、あえてその行為をすることをいいます。
「過失」とは、結果の発生を予見し、かつその発生を防止する注意義務を負っていたにもかかわらず、注意義務を怠って結果を発生させてしまうことをいいます。

故意は意図的・意識的であるのに対して、過失は不注意によるものである点が異なります

法律ではこのことは故意でないかが問題になる。故意とはその人が悪いと認識して行うことである。何か盗むにしてもそれは悪いと認識されるでもあえて盗むことになる。それは故意だとなる。ただその見分け方が難しい。
それで私は自動化したレジで2回も金を払わずにスーパーを出てしまったのである。それで品物を支払った領収書の代わりにもなるレシートを自動化したレジから出てくるのだがそれを見守っている店員がいる。それでミスするのでその定員が立っているゴミ箱にそのレシートを入れていたのである
今回は定員が立っている人に直接そのレシートを渡した。そうすれば間違いはないのである。つまりそこにどうしても機械だけではない人間も必要だったのである。機械だけだとごまかされてしまう。だから人間社会というのはあらゆるものを機械化はコンピューターかでもできないのである。

●犯罪とは罪とは何なのか?

そもそも犯罪とは何なのか?

故意ではなく自ら意志をもってするのではなく無意識的に犯罪を犯すことがある。それを自分も経験している。コンビニでパンを二つを金も払わずに無意識的にポケットに入れていたのである
それを見ていた人がいてあなたは盗んだとひどく責められたのである。なぜそうなったかといえばその時私は様々なことで介護であれ自分の病気であれ苦しんでいて盗む意志も何もなくもう無意識的にポケットに入れていたのである。
でもそれも外から見れば確かに盗んだことなのである。でも故意ではなかった。だからそれは犯罪にはならないとなってしまう。
だから故意と犯罪と無意識的な犯罪があるそれ故意でないものは犯罪でないとしているのである。ただ結果から見ればその人が盗んだと明確に分かるのだからどうしても犯罪者と見られるのである。

また過失というのもありそれもまた犯罪ともならない。ただ不注意であるからそれなりの責任は問われる。でも不思議なのは故意の犯罪というのは普通にあるのではないか。例えば今銀行が株であれ投資信託であれそれは必ずしも顧客にとって儲かるものでもない銀行員はノルマを果たすべく故意に売り付ける。手数料を得るためにそうしている。それは実は分かっていて故意に売りつけるという面がある。
でもその罪はとわれないし犯罪とも見られないのである。だから犯罪とはなになのかとなってしまう。そうしたことは別に会社ぐるみでも行われているし利益を上げるために行われている。だがその会社を罰するということはできない。それを取り縛ることは簡単にできないのである

ただ政府が罰則を与えることはある。でもゆうちょ銀行でも普通の銀行でもそうした詐欺的な金融商品を売っても罰せられることはない。個人の小さな犯罪は盗むとかは100円を盗んでも厳しく罰せられるのである。おそらくわかりやすいから罰しやすいいからである。そこに常に社会の大きな問題があり社会自体が罰せられるべきともなってしまう。政府自体が犯罪を犯してもそれはあまりにも大きなものであり何が犯罪なのかわかりにくくなるからである。
だから犯罪というのは大きな犯罪は目に見えなくなり罰せられることもなくな特にグローバル化した経済では実際はそこで不正が行われていても極めて少数の人が暴利を貪っていてもそれは犯罪になることはない。だから大盗は見逃され小悪党は常に厳しく罰せられているのはこの世の中である。だから大悪人でも大善人にもされているのがこの世である。

どうしても権力者になればその権力によって悪を隠すことも出来るからである。だからこそ権力を持つということは一面怖いことにもなる。それでダビデは一人の女性に部下の妻にみとれてその部下を一番厳しい戦いの場に送って殺させてしまったともなる。それができたのは王となって権力を持ったからである。そうなればやりたい放題にもなるから権力を持つということは怖いことなのである。でも人々は権力を持ちたいとなっている。そうなれば自分の欲望なんでも叶えられてもしまうと思うからである。だから大きな犯罪でも王の権力が絶大であれば誰も止めることはできなくなるのである

●宗教から法律が生まれた―罪の問題

ともかく犯罪とか罪とは何なのかということである。宗教ではこのことを一番問題にする。法律はもととも関係していたのであるもともと法律が起きたのはモーゼの十戒とか宗教から起きたものだからである。だから宗教と法律は深い関係にある。それで最初の大学は神学部と法学部と医学部だったのである。ほかの学部はなかったのである。
そして神学部と法学部は通じるものがある。なぜなら宗教から法律でも生まれているからである。ただ宗教だと実際に司法によって警察によって犯罪者を捕まえるという拘束力はない。ただ内部から良心とかで規制するものなのである。
だから故意なのか故意でないのかというのも実は法律的問題でもあるが宗教的問題でもある。

『姦淫してはならない』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。
しかし、わたしはあなたがたに言います。情欲を抱いて女を見る者はだれでも、心の中ですでに姦淫を犯したのです。

つまり心の中でそう思っただけで罪を犯していると指摘したのであるキリストは指摘したのである。そうしたらこの世で罪を犯さない人は一人もいないとなるのである。人間はすべて罪人だとなってしまう。そして人間というのは別にそんなこと思っても罪だとか悪いことだと微塵も思わないのである。だから人間というのは何を思っても別に構わじゃないかまわないとなる。でも宗教的には心を重んじる時それは罪になってしまうのである

あいつが憎いから殺したいとか心で思っただけで故意になりそれは宗教的に犯罪になってしまう。でもただ思ったからそれで害になるのかと普通は思う。でもインドの思想家が誰かが殺したいと思ったときその思いが他者に伝わり結果的にその他者が殺人に至るということも言っている。
つまり思うということそれは人間の特徴でありそこからすでに犯罪という行為に通じる。それで思想を重んじるべきだと哲学で宗教でも哲学でも重視したのである。
とにかく法律の中に故意なのか故意でないのかそれが重要なテーマとしてある。それは宗教的に見ればまた哲学的に見ても人間の思想としての問題がある。常に人間のなかには思いがありそれが結果的に行動となり人間は人間社会は常に争いであり殺し合いの社会となっている。だからそもそもなぜ禅宗では座禅などして修行しているのだろうか?それは人間の思い想念を清めるために沈黙行しているともある。

つまり人間の心が一番大事なものとして見てその心を清めるために修行の為に坐禅するようになったのである。なぜならどうしても社会生活していると銀行という堅い職業でも何か嘘つきただ利益を追求するようになるからである
今のカルト宗教などもただひたすら御利益を求めるだけでありもともとあった心を清めると言うなどは全く無いのである。
むしろ俗的社会より俗的なのがカルト集団なのであり御利益のために異常なほどに熱狂的になりだからこそあれだけの人が集まったのである

●IT社会で問題なのは安全性をどうして確保するかである

いずれにしろコンピューターであれ機械の自動化であれでもそこに問題が起きてくる。現実にスーパー菊池のカードをなくしたが1万ほど損してしまった。その一万は返ってこないのである。そうしたらいくらこまめに毎日カードでポイントを稼いで金を貰うにしてもその1万を補うほどにはならない簡単にならない。

つまり安全性というのはそこでいかに大事なものかということがわかる。現実にカードで何百臆円なのか犯罪があり私自身もその犯罪に遭っているしそうしているのである。だからIT社会になっても一番の問題はこの安全性をいかに確保するかなのであるまずインターネットの中の犯罪というのはしている人もそれほど犯罪の意識もないかもしれない。ちょっとコンピューターを操作しているだけだという感覚にもなる。だから盗むとか何か犯罪の意識も希薄になっているのである。だから確かにインターネットは便利で安全性のに関しては大きな問題がある。

たとえばIT社会になってもコンピューターにAIでもモラルの意識善悪の意識とか良心とかは持たせられないのである。だからすべてAIの言うままに人間がなったら恐ろしいとなる。またロボットでも簡単に別に良心の呵責も感じなく人でも殺せる
もし戦国時代のように現実の生身の人間の血を出して苦しんで死ぬのを見たときやはり人間は良心の呵責を感じでもロボットには感じないのだから平気でいくらでも殺せるとなってしまうのである。そこに歯止めがなくなってくるのである。
つまりすべて機械化したりコンピューター化したりIT化したりAI化したりはできないということである。そこに感情的なものとか良心的なものとかは作れないからである。そこにこそまさに神の領域があるとなる。だからAIとかはでも万能になることはありえないのである




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2024年04月29日

庭に新しい花を植える―それも投資である 【牡丹は咲かない―でも薔薇は咲く】


庭に新しい花を植える―それも投資である

【牡丹は咲かない―でも薔薇は咲く】

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牡丹は葉は伸びたが蕾が出ない



タンポポの道の分かれて咲き続く
海近く夕風涼し浜通リ
人住まぬ隣の空地風涼し
新しき花を庭に植え燕飛ぶ

浜通リ東風(こち)吹きそよぎ涼しかな白波寄せて夏は来にけり
タンポポの土手にあまたや八重桜街に住む人行き交いしかも

すでに夏になっている。だから風が涼しく感じる。福島県の浜通りは海に面しているから海から吹いてくる風が涼しいのである。でも中通とか会津になると海がないから暑くなる。涼しい風が吹かないただ猪苗代湖とかは水によって涼しく涼しい風も吹いてくるまた川風も涼しいとなるただ海から吹いてくる風はやはり一番涼しくなるのである

何か奇妙なだけど私の家の周りが空き地化して夕べでも涼しい風が吹いてきた。また何か人が住むといい面と悪い面がある嫌な人が住むといなければいいと思う。それでそこが空き地になった時ただ涼しい風が吹いてくるだけだとなる。その時気持ちいのである。
海に出れば白波が寄せていかにも夏らしくなった。とにかく温暖化で4月でも熱くなっていることは確かである。

狭い庭にいろいろな花を植えた。でもここに2000円もした牡丹を三つほど植えたが結局花にはならなかった。
その損失も大きいものだった。ただ30年前からも咲き続けている牡丹は本当に不思議である。要するに種を植えるということは一つの投資でありそれが実るかどうかは花となるかどうかは実験してみない限りわからないのである

でも種を植えて花の咲くの待つということそれは投資としてはわかりやすい。ただ種を植えても咲かないのはやはりそれなりに多い。それは土に合ってっていないということである
バラだけは本当に今年も蕾を多くでている。だから分かったことはこの土地は薔薇には合っているということである。もともとこの土地は納屋があって良い土地でわなかったのであるでもそれなりに根付いたものがあり花を咲かせているのである。

要するに投資というとき株であれ投資信託であれなんであれただ金を増やすということしかないどんな会社に投資するかなどわからないからである。花のように種を覚えてそれがそれならわかりやすいそれでも半分くらい花ともならないのである。ただ実験をしてこの土地は薔薇にはあってるということでバラの花を植えればいいとわかったのである

何かクラウドファンディングなどは自転車でもこういう自転車を作るから投資してくださいということで書いてわかりやすいかもしれない。
とてもグローバル経済の中で投資するということはその市場は天文学的なものであり理解できないのでだから株というのはさまざまな条件で上下するから普通の人にはギャンブルになっているのである。
つまり何か投資するということはその投資することによって何かの実りを期待する。本を買って読むのも知識をりたいとか何か目的があるからである。

でも株式投資となるとグローバル化になれば何に投資してそれが何を生み出すのかもわからない。ただ金を増やしたいだけなのである。だから投資というのは何か詐欺的にも思えるし投資している本人にしてもその成果もわからないのである。それで株式投資などは何かつまらないともなる。ただ金を増やすことが目的であり種を植えて花を咲くのを見たいということにもならないからである。

土手の道は桜ははや散り八重桜が咲いている、季節の変化も早い。

2024年04月28日

なぜニーチェとか上野霄里氏のことが理解しにくいのか? 【文明のカオス化で詩語が理解できない暗号のようになった】


なぜニーチェとか上野霄里を理解しにくいのか?

【文明のカオス化で詩語が理解できない暗号のようになった】

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神聖不可侵の場

【魂久しうして石となる】境地である。物わかりの良い、砕けたやわらかで温和な魂ではない、石に化してしまうほどに頑とした魂である。何事にもやわらげることのない悠久の岩石である。−離脱の思想―【石になれぬもの】上野霄里


頑なに内に向き口を閉ざす
巌は峻厳にそそり立つ
岩と岩は堅固に重なり
不壊なる神殿は構築される
そこに一者なるものの
真言がロゴスが炎のように吐かれて
岩盤にモーゼの十戒のように
その言葉は激しく刻まれる
そこは神聖不可侵の修行の場
沈黙の行が神聖な山で続けられる
岩の陰にひそかに可憐な花が咲き
神はその花を見ている
岩は頑なに黙して千歳の日もあれ
そこに堅固な神の座があり
偽り無き真言の形成される聖なる場
言葉は雷のように響き反響する
沈思黙考に真のロゴスは形成される
千年の重みのある巌
仁王のように立ち貫くものよ
その言は重く選ばれしものに伝授される

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●文明の雑音のなかで詩は消失した

それは文明の雑音の中で言葉が本来持っていたものが伝わらなくなった。宗教で語られる言葉経文でもそういうものま理解出来なくなった。そして大衆化してカルト化して俗化してその本来持っていた言葉の重みが伝授されなくなった。言葉はただ文明化のなかでその本来持っている意味深なものが失われただ商業語とか実用的なものになり本来言葉が詩語であったときそれが失われた。

だからそうした言葉を理解できなくなって詩も失われた。宗教の言葉は詩と密接に関係していて経文はやはり詩の一つだったのだろう。今の宗教には詩はほとんど感じられないそもそも詩というのは失われたのかもしれない。余りにも雑多なものがはいりこみそれがスモッグのようになり言葉もまたそのためにその本来持っていたものが見えなくなり感じられなくなりその意味すら分からなくなった。

現在あるのは経済であり科学の時代である。宗教もその中に取り込まれ本来持っていたものとは全く別なものとなった。全てが御利益宗教でありそれはまさに経済しか見ない現代に適合したものである。毎日拝むとしたら御利益しかないからでそれは利益を上げることであり金になることがすべてになってしまったのである。それは日々一般の人たちが行っていることでありそれをもっと過激にしたのがカルト宗教なのである。あらゆる欲は肯定され心の問題は無視されるからである。
だから本来持っていた宗教のというのは消失した宗教も全てカルト化して大衆化して俗化したものでありそこに本来持っていた宗教の神聖なるものは全く失われた。

●言葉にならない東京の異常な光景

それでなぜアウトサイダーと言われるニーチェとか上野霄里氏とかの言葉が理解しにくいのか、その人間も理解しにくいのか、そのことは現代文明人がすべて経済科学人間になってしまってその言葉が通じなくなったのである。
第一東京のような大都会を見たとき人は言葉を失うもはや言葉で語られない世界なのである。そのことをピカードが沈黙の世界とかで指摘した。
そしてナチスが生まれたというときただ一つの怒号がハイルヒットラーとなり世界に響き渡ったのである。それは本来自然であれ言葉として固く結ばれていたものが消失した結果起きたものと分析した
言葉によって事物が捕らえられなくなりそこに核分裂のような状態のカオスの世界になったいしまった。相互の連関が失われていたからこそヒットラーの出現に魅了された。それは日本でもカルト教団の会員が増えたのは創価でもオウムでも幸福の科学でも東京から生まれたものであり共通しているのである。何かばらばらになった世界を一つにしようとすることで魅了されたのである。

私の書いた詩にしろ理解できない、それは経済用語商業用語ではないあからである。つまり詩の言葉は理解できなくなっているからである。何かそれは経文と似ている。経文もただ唱えるだけで理解できなくなっているからである。
宗教というものが日本では比叡山の天台宗から始まっている。
それは山を神聖なものとしてそこで修行していたからである。
だから日蓮でも親鸞でもそこで修行していたのである。

そこで培われたものは俗化して大衆化して受け継がれていないのである。現代とは大衆が力をもった社会であり大衆に席巻された時代である。聖なるものなど追求していない、すべてが御利益であり経済活動のなかに巻き込まれて本来追求した宗教など微塵もないのである。また職業でもその活動でも嘘が偽りがある。銀行にしても堅い職業とみていたらそれも今や証券会社のようになり騙す投資信託など売りつけるようになった。ただもともと職業は業だから何か悪いものがありそれでいいものと見ず山にこもり言葉を慎み沈黙の行をしていた。どうしても言葉から人間の心が汚れるからである。

●原生環境のなかで詩語を回復する

とにかく詩の言葉が通じなくなっている。何かそれは異様なものであり異言のようにもなっている。それでなぜ上野霄里氏が詩語を重視したのかとなるとやはり文明化で失われた詩語をロゴスを回復しようとした。本来の言葉を回復しようとした
それは言葉だけではなく人間の本来あるべき姿を原生人間として回復させようとした。だからそこニーチェとの共通性がある
ニーチェの超人とか上野霄里氏の原生人間とかに共通なものがある。つまり本来の詩語としての言葉は原生環境のなかで活かされるが文明的環境では活かされない言葉はそこで死んだとなるからである。

なぜニーチェとか上野霄里が理解しにくいのか?それは文明環境の中で本来の人間も失われてそれと同時に言葉も特に詩語も失われたからである。
現代で語られるものは経済であり商業でありそれは数字化される。また科学でありそれも記号化される。そこで詩語とかは何か異質なものとなり理解できなくなったのである。
何か詩語とかなるとそれがエジプトのヒエログリフ(神聖文字)のようにもなる。それほど文明の発達で異質なもなのになっていしまった。

いずれにしろなぜニーチェであれ上野霄里氏である理解しにくいのはやはり天才だからだろう。天才とは天与の才を受けたものであり普通の人とは異質な個性の持ち主だからである。そして天才を理解するのは天才になる。
なぜミラーを上野霄里が理解したのかとなると天才だから天才同士が通じ合ったとなる。でも天才はその才能でも恵まれているからクリスチャンにはなれない。なぜなら自らが神となってしまうからである。

だから偶像崇拝になる危険がある。ただカルト宗教も教祖が偶像化された。その危険が天才にもある。凡人とは違った異質なものとしてありそれが超人となり神ともなってしまうのである。
だから普通の人間がまねると危険にもなる。天才でもない人間がまねると異常化する。ただ学ぶべきものは学ぶ。でも普通の人は天才に成れないからそこに危険がある。

2024年04月27日

円安で海外旅行が高嶺のの花にその影響 【50代でもやりたいことをやる海外旅行でもする-私の経験から】


円安で海外旅行が高嶺のの花にその影響

【50代でもやりたいことをやる海外旅行でもする-私の経験から】

「自分のことはガマンしても、会社のため、家族のために働こう」
「老後の生活のことを考えると、今は仕事優先で、お金を貯めておかないと」
「好きなこと、やりたいことは、仕事人生が一段落してからゆっくり楽しもう」

同じヨーロッパを旅するにしても、50代ならばレンタカーを借りてドイツ・バイエルンのアウトバーンを疾走し、フランス・パリで思う存分ワインとフランス料理を楽しみ、坂の多いスペイン・バルセロナの町並みを上り下りしながら街歩きしたりできるでしょう。

50代になったら「仕事の責任」は脇に置け…和田秀樹が「老後に楽しみをとっておく人はバカ」と説く理由

●50代はきついことでもやれる最後のチャンス

退職したら自分のやりたいことをやろうできる。だから今はやりたいことがあっても我慢する。でも退職して60過ぎたらやりたいことができるのか?その時今度は親の介護とかになったりしてできなくなる。何か不測のことが必ず起きる。将来やれるから今はやりたいことを我慢する。それは結局将来もやりたいことがやれなくなるということにもなる.なぜなら人間のi一生というのは思った以上短く老化するスピードも早いのである

将来のために老後のために金を貯めてもそこで自由にやりたいことをやろうとしても今度は体力がついて行かないからやれなくなる。これだけ自由に生きた私自身でも大したことやれなかったとなっているからである。
まず登山になると相当に体力が無いと出来ない。だからそうした厳しいことはできるうちにしないともはやできなくなる。

私は50歳から海外旅行をした。それもバックパッカーでありお金はかからなかった。なぜならそのとき円高でありそれでさらに金がかからなかった。私は海外のことを本などでは読んでいたが実地していないのだから知らなかったのである。でもその時円高であり多くの人がえ海外旅行に行っていた。それもフリーターとか貧乏人でも別に海外旅行に行っていたのである。ハワイにも行っていたしヨーロッパにも行ってい

だからその時貧乏人でも日本の円が高いときは海外旅行できたし恵まれていた。今や円安になり1ドル160円にもなれば2倍にもなっていて海外旅行が高嶺の花の時代になってしまった。だから体力面でも50代ならなんとかバックパッカーでも旅行できることができた。でも私の場合すぐに60代になり親の介護になりその十年くらい何もできなかった。

つまり50代に海外旅行しなかったらもはやできなかった!

人生とはつくづくそういうものであり将来やれると思ってもやれなくなる場合がある。円高の時海外旅行していた人は本当に良い体験をして思い出を作ったのである。それも金も大してかからなかったから若い貧乏な人でも海外旅行はできたのである。だから恵まれた時代だったのである。そういう風に時代も変化して何かチャンスがあってもそれを逃してしまう。

●人生は思った以上短くやりたいこともやれず終わる

人生というのは思った以上短いしこんなに簡単に終わってしまうというのかというの最後になると唖然としてしまう。まるであっという間に終わったとなってしまうのである。だから将来というのはあてにならない。お金が貯まったら海外旅行しよう退職したら時間が充分にあるから海外旅行しようとかやりたいことをやろうとして不測のことが起こりできなくなる場合がある。

そもそも何度も言っているが若きうち神を知れと言うことの意味はあまりにも大きいものだった。なぜそうなるかとなると30すぎるともはや老い向かっている。 40ですでに白髪がでてきたり老人に向かっているのである。そして若い時神を知らなければ神を知る時期を逃したのであり永遠に神を知らずに一生が終わってしまうとまでなる。だから若い時求道心を持って神を求めない限りそのチャンスを逃してしまう。それも怖いことだと思った。

つまり将来に何かやろうとしてもそんなことを計画してもその通りにはいかない。ここでも今やりたいことをやらなければ将来もやれないとなってしまう。それはさまざまな条件で時代も変わってしまうからである。こんなに円安になるということ予想もつかなかった。そしてフリーターとか貧乏人でも海外旅行など普通に出来ていた。もはや若い人でもそういう体験を積めないということは相当な損失である。

●円安で海外旅行が高値の花に

特に海外旅行っていうのはハードルが高い。ただ若い時期から海外旅行している人はそうでもないのである。 50代になると相当に自分の場合きつかった。そして海外と日本との物価の差も分からなかったが実感としてわかったのである。こういうことすら私は海外旅行してないからわからなかったのである。
そして今になると日本はその逆の立場になり東南アジアであれ中国であれ日本は安いとして押しかけて来ている。それがオーバーツーリズムになって困ると言ってもともと日本人も外国でそうしてきたのだからカルマだったのである。グローバルとはそういうことなのである。
一旦競争に負けたらでは何を売るのかとなると観光になってしまう。そのことで日本人は円高の時同じ経験をしているからである。

人間は実際何かを体験することにしてわずかのことである。たちまち時間は無情に過ぎて行くのである。。だからチャンスに聡いことは必要なのである。円高の時そうして若い人でも海外旅行できるということでそのときしていた人はチャンスを生かしていたのである。でもこれだけ円安になればもはや海外旅行は高嶺の花となり貴重な経験を積めないということになる。それは若い人にとっても相当な痛手である。

いくらグローバル化といっても海外にも行くのも海外にも行けないとなったら国際性なども身につかない。国内に閉じこもって国際的識見きを得ることもできないのである。それはまた日本にとっての損失になる。なぜなら留学にしても海外で技術的なものを学ぶにしてもできなくなるからである。するとますます日本は海外との競争に負けて観光で召使いとなり外貨を稼げ他なくなってしまうのである。

私の場合全く海外旅行したことないから海外のことがわからなかった。それで大失敗でもあったが海外旅行したことで実地に海外を経験したことが大きな経験ともなった。海外を知るということは実地にその国に行ってその国の土を踏んでこそわかる。それは文化でも例えばベートーベンであれ何かドイツの音楽を理解するにはドイツの大地を踏んで見ないと実感できないということを言う人がいたがそういうことにもなる
それを感じたのは何かヨーロッパで見たバラの花というのは日本で見るバラの花と同じでも何か違ったものに見えたのである。そた。れは歴史とか風土とかで同じ薔薇でも違って見えたのである。だからその感覚はその外国の土地を踏んでこそ実感できるものである。

それは日本国内でも同じであり北海道の大地に立たない限り知ることはできない。それで何かヤホーニュースとかでも評論している人は海外で生活した人が多いということである海外留学もしているのである。それは些細なことでも海外と日本を比較して実感としてわかってるわかるからそうなるのである

だからこそ人間にとって実感するということは大事なのである。だから今円安になって若い人でも海外留学とか海外旅行ができなくなるということは相当な損失になる。日本人が内向きになりますます停滞してしまうようにもなる。これだけグローバル化しているのに海外旅行もできないとなればそうなってしまう。グローバル化のいい面と悪い面があり私は悪い面を強調してきたが別に海外旅行などはいいことであり否定できない。ただ過度のグローバル化経済はその国自体を歪めるということで批判してきたのである。

でも海外について知る海外旅行であり海外留学は若い人はするべきだとなる。」そうしなければ海外について誤解したり誤った見方をしてしまうからである。そもそもなぜアメリカと戦争をしたのかとなればその当時アメリカで生活した人などごくわずかでありアメリカのことなど分からない人が多かったからアメリカなど大したことないという傲慢になってしまったのである。だから海外に実際に行って海外を知るということは貿易とは違って必要なのである
だから円高の時代は本当に海外旅行するには恵まれていたのでる。それも一転してこれだけ円安になればもはや海外旅行すらできないから若い人も損だし国全体でも何か大きなもののが欠けてしまうことは確かである。

●無理はできるのは50代まで

同じヨーロッパを旅するにしても、50代ならばレンタカーを借りてドイツ・バイエルンのアウトバーンを疾走し、フランス・パリで思う存分ワインとフランス料理を楽しみ、坂の多いスペイン・バルセロナの町並みを上り下りしながら街歩きしたりできるでしょう。

こういうことができるのは50台が限界である。何か60代になると持病が出る人も多くまた親の介護になる人も多く例えば金があっても体力がなくなったとか海外旅行をするとなるとハードルが高いからこうした無謀なことというか無理なことはできなくなるのである。
そして実際は60以上とか70以上とかになると必ず人生を振り返り記録したことは思い出が人生となりやすい。だからその時時できることをしなければできなくなるのである。
ただ老後にしてもできることはある。例えば写真とかはできる。神社の池で錦鯉が泳いでいてそれが跳ねるのを狙って半日なのかなのか30万のレンズで構えて撮る人がいたからである。それは別に体力も必要でないからその人も老人であり暇だからそうしているという。

そういうことは老人でもできるただ海外旅行となると相当にハードルが高くなるもちろん慣れた人もいるからそういう人はまた別である。でも一般的には何をしようとして計画していても実際できなくなっているということが多いかもしれないのであ。何らか人間には必ず不測のことが起こり計画してもできなくなるのである。

ともかく人生を振り返ればチャンスを逃せばそのチャンスは帰ってこない二度と帰ってこないあの時こうすれば良かったああすればよかったといってももはやそのチャンスも時間も戻ることもできないし帰っても来ないのである。そして老人になるとさらに記憶に生きる回想に生きるからそうした体験を積まないとまた何も語ることもなくなってしまうのである

結局人生とは何かを体験することでありそして老人になったらその体験を思い出して記憶に生きるようにもなる。だから体験していなかったら老人になって何か心は豊かにならないのである。でもあの時こうすればよかったこうしておけばよかったとか大概は人生で後悔しない人はいないのである。それはあらゆる人がそうである人生を後悔しない人は一人もいない。それはなぜかとなれば結局人生が思った以上に短いものだったからである。そのことに最後に唖然としてしまうのである。
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2024年04月26日

江戸時代の年号についてー石碑の年号から知る歴史 【空間軸と時間軸で知るが時間軸で知ることがむずかしい】


江戸時代の年号についてー石碑の年号から知る歴史

【空間軸と時間軸で知るが時間軸で知ることがむずかしい】

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元禄時代に米の石高が一番高くなっている、でもその後は下降しているのはなぜなのか?

新地の碑

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相馬市の元禄の碑

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葛尾村の元禄の碑

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明暦ともある、だから相当古い



●江戸時代の年号は前後がわからなくなる

世界を見るとき必ず空間軸と時間軸で見る。でも空間軸だとその場所は消えることなく残っている。でもその場所の時間軸となるとそれを理解することが難しくなる。その時間軸を記録したのは年代であり日本では元号になる。
その年号にしても時代区分にしてもわかりにくくなる。それはなぜかといえば奇妙なのだがこれだけ年号あればその時何が起きたかそれもその時間軸のことが理解できない。だから何が起きたかということ何があったかということを普通なら時代的に間違うことはない。
例えば明治以降はその時代に何が起きた方起きたかをま違ったりしない。例えば日露戦争太平洋戦争の後に起きたなどと間違わない。それだけその事件は国民的なものであり世界的なものであり前後逆にするなどということはありえない
でも江戸時代になるとそういうことは普通に起きる。結局その時代時代に起きたものは明確でなくなりわからなくなる。だから明治時代に起きたことが大正時代に起きたとも見るし昭和に起きたとも見る。普通ならそんなことあり得ないのだが江戸時代になるとそうなりやすい。

●地質学の年代特定

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時代を見るときさらに1万年と1億年前になる時地質学の分野になる。そこでどうして時代を特定するのだろうかとなる。
だからそこで時代を間違えることがある。ただ地質の地層を見て時代を判定する。もしかしたらその方が科学的に正確になる。でも江戸時代の年号を見てその時何が起きたかなわからなくなる。例えば二年前にこの辺で大地震があり山の方で石が落ちてきた。その石は2 3個あり私はそれを知っている。それで時代を特定すれば令和4年【2022】になる。

すると令和4年石となずけると記録すると後世の人がわかりやすくなる。なぜなら何が起きたかを時間がたつにつれて忘れられるからである。もしその石でも後世の人が何十年であれ百年でも過ぎてしまえばその石は実はもともと千年前からもあったのかと見てしまうかもしれない。なぜなら石を見れば何千年なのか何万年なのかそこに変わらずあるのは普通だからである。
つまりどうしてその時代をわかるのか推定できるのか時間がたつにつれてわからなくなるのである。

●元禄の碑を新地でも発見−元禄時代の繁栄

だから私はいつも古い石碑を見て墓などを見て必ず年号を見ているのである。
今回また新地に行ってあんこ地蔵とあるところで元禄の碑ががあるのを見た.また珍しく宝暦というのもみた。するとあそこの場所は古い場所だということになる。そもそも新地は伊達藩に属していて相馬藩より古いから古い石碑があって当然なのである.だからこそ文禄の碑もあった。それは検地のために記念として建てられたのである。

そして不思議なのは一葛尾村の野沢とか山の方に辺鄙なところに明暦と元禄の碑があったことである。なぜあんな山の中に辺鄙なところにそんな古い碑があったのかとなる。元禄よりも古い明暦の碑もあった。明暦には検地が行われていたからおそらくその記念だったのだろう。また元禄という時代は元禄文化が華やかに生まれた時代であり商人が豊かになり文化が生まれた。それで商人が俳諧をするようになり芭蕉が生まれた。芭蕉はそういう人たちを弟子にして援助されて暮らすことができたともなる
奥の細道でみちのくを旅できたのもそうした裕福な商人の家に泊まったりしたからである。

涼しさをわが宿にしてねまるなり

 清風宅での手厚いもてなしへの感謝の句。「ねまる」は山形方言で、自分の家にいるような気のおけない寛ぎ方をいう。羽前赤倉の山中を越えてほっとした気分もこめた句。

清風:鈴木道祐。尾花沢(この時代には「おばねざわ」と呼称していた)の豪商。紅花の流通業や貸し金業で財を成した。島田屋八右衛門とも称する。芭蕉とは旧知の間柄。しばしば江戸と出羽とを往復していて世間の事情に精通していた。芭蕉の評価の高かった門人の一人。 

ただこうしてもてなされたのは例外的であった。ただ元禄時代はいたるところが開墾されて米の収穫高が江戸時代で一番高くなっていたということもある。その後収穫だがが返って下がっているというのも不思議である。
それだけ元禄時代は日本全体で米の収穫高が上がり人口も増えて豊かになった時代だった。そして商業も盛んになりこうした裕福な商人が山形にもいたということである。その人は余裕はあり俳句を習っていたということである。たいがい俳句をするとかの人は農民ではなく商人だったということである。近くの鬼風という人も日本全国を旅して俳句を作ったがその人も商人の家である。つまり商人というとき農民より何か肉体を酷使しないからまた読み書きもできたから俳句も作れたとなる

農民となるとその生活も厳しく肉体労働も過酷でありまた読み書きできる人は少なかった。だからもちろん俳句なども作ることができなかった。元禄時代を作ったのは確かに俳句は全国的に広がりそこで米の収穫高が上がったこともある。やはりそこで商業が盛んになったことでさまざまな文化が生まれた。だからその文化というのは江戸から起きたことでもわかる

●相馬藩で元禄時代に米の収穫高が一番多くなっていた

ともかく私はこの歴史に興味を持ったというとき郷土史に興味を持ったというとき古いこの年号の記されているのを見たとき何か歴史を実感したのである。歴史に興味を持つという時いろいろあるが何か教科書だけでは歴史というのは実感しにくいのである。石碑というのは何か確かにここにその時代に生きた生きていた人がいたということを感じる。墓でも同じである。歴史に興味を持つというときいろいろあるが神社など手がかりとなる。
まだ寺というのも相当に古い。だから山上の矢の原という地域に墓地が残っていたとしてそこは寺の領域であった。でもその寺は亡くなった。他にも松川浦はに近い新田でも元禄の碑があった。そこもやはり寺の跡だったのである。そこでは津波がきていてそこにあった石碑も津波をかぶったのである。ただ相馬藩内で元禄の碑を発見するのはなかなか難しい。

幕末になるとその年号を記されたものは多くても元禄となるとなかなか見つからない。でもなぜ山上とかさらに葛尾村か辺鄙な場所に元禄の碑があるのかとなる。それは元禄時代にそうした山の中でも開墾が行われた為だとなる。だからこそ相馬藩では元禄時代に一番米の収穫高が高くなっていたのである。その後米の収穫高が下がっているというのも不思議である。
慶長時代には津波があってその後に米の収穫が1/3くらいに減ったという研究もある。だからそれは津波が来てそれだけの影響はあったということが証明される。でもなぜその収穫高が減ってきたのかその理由は明確ではない。もちろん天明時代には飢饉があり収穫高は最低になっていたのである。

いずれにしろ歴史は空間軸と時間軸で構成されている。。でも時間軸で知ることが本当に難しい。明治以降は年号でも逆に見ることはないだろう。明治大正昭和となり明治と昭和になればそれを取り違えることはない。とても江戸時代だとそういうことは普通にある。それが歴史を知ることの難しさであり時間軸で理解することの難しさがある。とても空間軸で見る時その場所はたとえ千年過ぎても同じ場所なのである。例えば奈良に平城宮があったとしてそれはやはり今もその場所は残っているしそこに自ら立つこともできるのである。

でもそこに起きたことがなんであったかを理解することは難しくなる相当にイマジネーションを働かせないとそこで何が起きたかを時代的に知ることは非常に難しくなるのである。ただその場所に例えば場所は変わらないのだからそこから歴史は理解できる。例えば大きな古墳も残っているしそこからその時代をイメージできるのである。だから地理から空間軸からまず理解することが大事でありそれで旅したことは役に立ったとなる

●インターネットのプログなどで庶民の記録が残せる時代?

例えば日記とかであれプログでも時間軸で記録しているから後で自分自身が読んでもあの時そういうことがあったのかとか記憶がよみがえるのである。というのは人間程忘れやすいものがないからである。自分自身書いたものすら忘れていて後で読んで自分で感心しているのも不思議なのである。それだけ人間というのは忘れやすい存在なのである。だからこのブログというのは誰でも書けるし私的なものでもなく公的なものとしても発表もされているから今までにないものであった。

確かに読まれることは難しいがこうして時間軸で記録しておくだけでも自分自身も後で役に立つし他の人でもこの記録が残ればその時何があったのか知ることができる。なぜなら相馬藩内で慶長時代に津波で700人溺死したという記録が二行だけ相馬藩政記紀にあった。それは学者ですら知らなかったし津波後に調べた結果発見されたのである。つまり400年前にもなればこうして重大なことでも記録されなければわからなくなったということである。それが後世のためにならなかったのである。

というのは相馬藩政記に記録されたのはいかにしてこの相馬氏が戦い支配したかという記録が主なものだからである。庶民が700人が死んだしたと言うのも問題にもしていなかったのである。それは庶民が記録できない時代であり何かを言い残す事も出来ない時代だったからだともなる。何か言いたいにしても文書にも残せないから400年も過ぎたらそんなことはなかったとまでなってしまったのである。そこに歴史の問題があった。それが後々やはり災いを生んだとなる。なぜならこの辺でわ400年間津波が来ないのだから津波が来ないという確信になっていたのである。

それはやはり歴史というものはいかに重大なものはあるかと言うことを教えていただいたのである。ただ現代になると膨大な私的な記録でも個人でも残せる。またマスコミというのも巨大な時代の権力の圧力下にあり肝心なことでも報道されないことがある。それがなぜ小池百合子の学歴詐称問題を報道もしないのかということで現れた。何かそこに権力の圧力があったとなる。マスコミはNHKでも肝心なことを報道しないことがある。それが国民にとって危険になり国民の大損失になる危険にもなる。

そしてインターネット時代になると誰でもプログなど書くことはできる。ただ読む人がいないということがある。でも明らかにそれは記録として残り参考にされることもある。反面インターネットの怖さは一瞬にして記録は消えてしまうということである。これが最大の恐怖なのででも誰かが読んでいればそこに記録として残されるかもしれない。

そして一つの歴史的資料ともなるただ問題はインターネットの空間は消失しやすいということでもある。だから現実にインターネットだけで発言して発表して70歳くらいで死んだ人がいたのである。その人の言っていることはかなり高度なことでありでもその人自身が自分の記録をプログ消してしまったのである。なぜそうしたのか理由がわからない。なぜならその記録が残っていれば私のように検討する人が出てくるからである。ただブログ等でも死んだ時点でどうなってしまうのかわからない。それも問題なのである。


相馬藩の慶長津波の証拠 
(津波の前と後で石高が大きく変化したーその詳細の検討)

posted by 天華 at 17:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 江戸時代

2024年04月25日

風光る六号線を新地まで行くー帰りは涼が丘八幡神社の池で鯉を見る

風光る六号線を新地まで行くー帰りは涼が丘八幡神社の池で鯉を見る

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金華山と牡鹿半島が見える

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風光る六号線

風光り六号線をひた走る
樹々は芽吹き風にゆれる
新地の浜に白波寄せて
沖に金華山見え
タンポポ眩しく
鴎数羽の飛び交いぬ
八重桜はほのぼのと
我が自転車に風を受け走る
八幡神社の池に鯉跳ねると
カメラを構えて座る人
錦鯉はその色鮮やかに
交じり優雅に泳ぎけるかな
時に亀も浮かびのどかなり
若葉風しきり吹きそよぎ
我が体に受けて喜々と走りぬ
道の駅目光の天ぷらを買う
松川浦にとれしものなり
そは良きものなり
六号線は海を望み走るに良しも



六号線新地まで走自転車で走ってきた。日差しもそれほど強くなく気持ちよかった。ただ風はかなり吹いていた。季語になると若葉風というのがあった。青葉風は夏である。確かに樹々が芽吹き風にしきりにゆれた。

新地の海浜公園はいい場所になった。見晴らしがいいからだ。新地の場合は地下道まであり立派になったのである。それは都会並みの駅であり小さな町にしては贅沢だとなるとなる

その公園からは金華山と男鹿半島が見えたんぽぽが咲いて白波が寄せてかもめも飛んできてなんともいい気持ちをいいものだった。海でも見る場所によって違った風景にもなる。
新地から海を見るとき違って見えるのは海の近いのだけど海に接して高台がありそれで海の見え方が違うのである。

大昔、鹿と狼を連れた手長明神が山に住んでおり、長い手を伸ばして太平洋から貝を捕って食べ、その貝殻を麓に捨てたため、新地貝塚が生まれたという言い伝えがある

これは空想ではなく事実から生まれたものである。なぜなら新地の地形を見ると海に接していてもそこは高台になっていて巨人が手を伸ばすと確かに海に達するからである。その距離感覚が事実を基にして作られたものだということを証明しているのである
だから地理を知り地形を知ることが歴史でも基本にある。それで地歴になったのである。

それから相馬の城跡により涼ケ岡八幡神社によった
その池は錦鯉が泳いでいるので有名であるそこに大きなカメラを据えて何を撮るのかと聞いたら鯉を跳ねる場面を撮るためにここに座り待っているという。その鯉というのは3時以降に跳ねるというのである。そのカメラは相当にいいものであるなぜなら望遠レンズが大きく30万もしというからである。とにかくカメラというのはレンズが高価なものはある。

野馬追を撮り来た人は80万の望遠レンズを持っていたのである。それだけレンズというのは高価なものがある。私はそこまで金を出す気はないただカメラをしている人は必ずそうした高価なレンズを使っているから金持ちが多いと見るのである。どんな人が金持ちかとなると車を見たり家を見たりするがカメラだったら高価なレンズを使っていたりするからやはりその人も金持ちなのである

それから相馬の相馬市の道の駅によりメヒカリの天ぷらを買ったそれは松川浦で捕れたものなのであるやはり地元でとれたというとき他にない価値がある。
いくらあらゆるものが外から入るとしても地元でとれないものとれなかったら生産できなかったら豊かにはなれない
地元でいいものはとれるならやっぱり一番食べる豊かさを感じるのである。なぜなら外国からでも何でも入って食べ物でも入ってくるけども円安とかなると高くなるからである。何かあると食糧でも入ってこなくなるからである。

ともかく今日は気持ちが良い一日だった風はかなり吹いたが陽射しそれほど強くなく熱射病になることはなかった
でもこれから陽射しが強くなる場合があるから自転車の場合は危険にもなるのである。ただすでに春は終わり夏に入ってきた感じだった。この4月から5月は一番気候的にはよく自転車に乗って走るのが向いている。ただ最近はかなり暑くなることがあり日射病になったことがあったから恐れているのである

まずこれまで5月で暑く日射病になるほど熱いということは経験してないのでここ何年か異常気候になってしまったのである。だから4月5月は外に出るのはいいのだがでも6月になるとすでに梅雨が始まるから意外とこうして外に出れるのは短い期間なのである。まず真夏になったらまたもはや外に出ることすらできなくなるからである

2024年04月24日

東電の追加賠償金の死んだ人の相続 【権利がある人も連絡先もわからず払えないことに・・・・】


東電の追加賠償金の死んだ人の相続

【権利がある人も連絡先もわからず払えないことに・・・・】

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東電の追加賠償金で面倒になったのは死んだ人の賠償金である。それは遺産相続となり例えば私の場合母が死んで補償金をもらえるのだがそのは母の前の夫の子供がいてそれは母の孫にあたる。その孫に相続の権利があり二分の一はもらえる。
でも連絡が途絶えて連絡することができなくなった。母が死んだときは実際に来たこともあったしそこで遺産がやはり分けたのである。ただその娘は父親が死んで墓を建てたから墓参りしてくれと言っても来なかった。 10万円交通費とかで送ったのだがそれ以来音信不通になったのである。

もともと一回ぐらいしか会ってないから疎遠でありそれで静岡で兄は交通事故で死んだ時遠いところなので何が起きたか理解できずその運送会社にでもめた話を書いた。運送会社の人が乞食のようにしてきたから雇ってやった。墓を作ってやりから骨を骨をやらないとか何がなんだか分からず私は3日で帰ってきたのである。

その理由は静岡県は遠くて何が起きたのかわからなかったのである。ただ私の家では兄に良くよくしなかったのだけど母とは文通してたし連絡しあっていたしやはり金をもらいにきたこともあった。事故の前でも運転手も仲間と私の家に来ていたのである。
だから全然交流がなかったということではなかった
胃が悪くして手術をするとかで母が1週間以上とか兄の元に泊まって看病したりしたのである。だから全く交流がないということではなかったのである。だから母は孫娘のことを知ってるし遺産も分けてやると最後に私に遺言を残したのである。ただその後音信不通となって何しているかも分からなくなった。

でも東京に居る事は解っている。連絡つかないから結局8万くらいでも送ることもできないしただ住所がわかれば連絡すればもらう権利があることは確かである。
でも結果的には私の取り分は一人16万が追加賠償金であり8万は減らされたのである。私の分の16万はもらえることは確かである。。もともと南相馬市でも30キロから外れているから補償金は少ないのである。隣の原町区は3倍はもらっている。
つまり一人50万はもらってるそれ以上にもらっている人もいる何か近くで鹿島区でも避難した人があり200万もらったと聞いたからである。避難した人はそれほどもらったのかとなる。鹿島区でも半分くらい避難したからだよだからその条件が違っていて200万はずいぶん多いなと思った。原町区でも避難しているから避難した分は相当もらったと思う
なぜ私がこんなことを詳しく書くのかというと原町区と比較すると相当に少ないからである。だからこそ私は東電でも批判しているし原町区のように3倍もらっていたら批判も出来ないだろう。あなたは充分に補償金を貰っているのだから文句を言うべきではないとなってしまう。
現実に原町区まではそんなに東電に文句を言う人は居ないのでそれほど補償金の額が多かったということである。
ただ補償金というのは30キロ外れても南相馬市の鹿島区ではもらったとしてもそれから相馬市とかでもいくらもらったのか今回は多少多くなっても8万くらいもらったのか少ないのでだからまたそこに不満がある。

ともかく疎遠であっても連絡先が必要な場合がある。それはその人が得することであり面倒なことでもない遺産相続ということもあるからである。
だから年賀状でもよこしてその住所を知らせていれば連絡できたのである。ただその娘は静岡県で兄が結婚した女性がいたがその人も離婚して中学三年時なのか住むとこもなくなり一児童相談所に預けられたのである。それも遠いところなどで事情も分からなくなった。そのためにその娘は中学三年くらいでそうして苦しむことになったからである。ただ言えることは遠くになると事情も分からなくなりその人にその人がいくら子供であっても責任を持てなくなる近くだったら常に連絡取り合っているからわかるからである。だから遠くの親戚より近くの他人にとなってしまうのである。

いずれにしろ大した補償金ではないからあきらめがつく。損したのは連絡もよこさない兄の娘だったとなる。ただ死んでからもこの相続とは血縁関係は継続されて有効だということを知った。それで東電が補償金を払いたくなくてそんなことを言ってるのかとも見た。
でも追加賠償金の相談するところに電話したらその人はただ取り次ぐ人だけと思ったら法律のことを知っていたので弁護士ではないにしろ知っていたのである。それでその兄の孫娘が生きていていや1/2は相続する権利があると言ったから別に東電でごまかしてるわけでもないし法律にのっとってそういうことを言ったのである。

ただ連絡がつかなければ東電で得するだけなのかともなるとにかく相続になるとさまざまな人が関係してくるから面倒なのでそれは前にも経験しているから分かっていた。
でも連絡つかないのだからどうにもならないということである。その額も少ないから面倒だからもう関わりたくないということもある額が大きく大きかったらやはり放置はできない。 30キロ外れたら一人16万であり少ないのである。だからこそ東電に私は批判しているのである。原町区になればまた避難したところになればその補償金の額が大きいから意外と批判もしないのである。

結果的にそのことはいいのか悪いのかもし補償金の少なかったら東電に対してもっと政府に対しても批判していたはずである。そのことは補償金の額が多いことでそうならなかったのである。そこにも問題があった原発事故になっても補償金の額が多い。
だからそれでまた原発を再開すればいいとかなってしまうからである。でも補償金が少なかったら地元の人でも反対運動を起こして先頭にたつこともあり得たのである。それが無かったのは補償金が手厚かったからだと思う。

何かこうしてプログに書くことは欠けることは私的なものではなく公にもなる。今まではネットがなければこんな私的なことは書けないだろう、でも別に私的なことでも公にもなる。ただネットがなければ発表されなかった。一個人の私的なことが公表されることばどできなかったのである。


posted by 天華 at 15:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2024年04月23日

隠蔽国家日本-小池百合子の学歴詐称から判明した闇 【警視総監もかかわり原発事故の構図とも似ていた】


隠蔽国家日本-小池百合子の学歴詐称から判明した闇

【警視総監もかかわり原発事故の構図とも似ていた】


小池百合子の学歴詐称隠蔽を手伝った元警視総監の息子

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国民矯正!従属化へのダークパターン】教育、テレビ、新聞、刑務所…
加治将一チャンネル

●小池百合子が警視総監とかかわっていた?

小池百合子と警視総監が関わっていたということは何なのか?第一普通警視総監とは何かわからない。何か推理ドラマで警視総監の弟という人が探偵となり事件を解決するどう見ていた。
警視総監の弟となると警視庁では最高権力者などだから粗末に扱ったとき必ずそれを平身低頭して詫びるのである。そもそもそんなことはあり得ない。
また江戸時代なら将軍の弟君とかは不正をただすとか水戸黄門は葵の紋を示して悪人を征伐する。実際はそんなことはありえない。その不正を正す人もまた権力側についているからである。

ただ権力とは何なのか普通は分かりにくい。だから常に闇となり陰謀論となってゆくのである。今回はその闇の中に警視総監が関係して明るめに出されたということである。なぜ警視総監がかかわったのか?それはその息子が東京都の議員になりそれで小池百合子と関わっていたとなる。だからこそ小池百合子の応援で警視総監の息子は当選できたとしている。この警視総監は大阪のカジノにも関わっていたとか何か闇の将軍だったのかとまでなる。

そしてまた不思議なのなぜマスコミでは小池百合子のことを報道しないのか?

これだけ話題になっているのでマスコミでは報道しない。それは警視総監の息子が電通から出ていて電通は関わっているから報道しないともされている。でも電通がそんな権力をもっているのだろうかとなる。警視総監が関わっているから検察権力とかのかかわっているから報道しないという人もいる。だからこの闇は深いのである。検察まで関わっていたとなるからである。

だからマスコミでわ小池百合子のことを報道しないこれだけユーチューブとか他でも報道しているのにマスコミでは報道しない。このことは大きな問題である。そのどうしてそうなのかそれが問題なのである。つまりマスコミとか何かその上に大きな権力がありそれでその権力にはしたがって報道できないのかとなる

●原発事故でも権力により危険は常に隠蔽された

それは原発事故でも同じようなことが起きた。安全神話を作ったのはこうした権力はかかわり常に隠蔽が行われていたからである。安全対策を取るのではなく安全神話を作り危険は常に隠蔽されてマスコミと一体化して報道されることはなかったのである。
一見津波が原因のように見えても実際はその前に危険は常に隠蔽されて報道もされないし事故も起きないとされていたからである。だから避難訓練もせずに浪江町では町長が一番放射性放射性物質は汚染される場所の山の方の津島に避難したのである。
それはなぜかというと事故は起きないとしていたから避難訓練もしていないから町民は知らないからそうなったのである
でも東電の社員の人が避難して海の方に逃げた方がいいとして町民も従った。それは正しかったのである。つまり東電では放射線のことが分かっていたのである。でも安全だとして避難訓練はしなかったのである。

さらに歴史をたどればそういうことはあった。この辺では津波は起きないとされていた。でも実際は400年前に慶長津波で700人溺死と相馬藩政期に2行だけ記録が残ていたのである。
でもそれは誰も注目してない。学者する分からなかったのであるではなぜそのその重大なことが二行しか記されていなかったのか
その時相馬藩内では相馬氏がこの地に進出してきて支配するために戦争をしていた。だから記録されていたのはその戦争の話でありそこでいかに功績があったかとかは事細かに記されていたのである。でも津波で700人溺死したことは二行しか記されなかった。つまり庶民が 700人死ぬことより戦争で勝つことの方は優先する問題だったからである。

政治は権力闘争であり今でもそういうことがある。その時庶民が700人死んだとしてもそれ今そのときは大きな問題にもならなかったのである。あるところでは返って敵側が津波で被害を受けてそれで弱体化して攻めたということも記録には政治の世界ではあり敵が弱体化すればそれで利するとなるからそうなったのである

ともかく加治将一氏が日本は隠蔽国家というとき確かにそうなのだろう。だからなぜ小池百合子の学歴詐称が表に出ず隠蔽されてきたのかということである。そこには警視総監まで関わっていたのかとなる。
その構図は原発事故でもあったからである。検察関係でも東電に天下りしていたからである。原発というのは国家権力が関わるものでありだから検察までは一体化して原発を推進され常に隠蔽され安全神話が作られ肝心の安全対策は津波の防壁を作らなかった。科学者が警告10m以上の津波が来ると警告していたのにも作らなかった。それはコストがかかるということでつくらなかった。その時東電の社長はコストカッターで功績があり社長になったとしている。でもマスコミには電事連から800億円とかいう金が宣伝しとして流れていた。だからマスコミでも追求することもなかったのである

つまり危険に権力によって隠蔽された

結果として大被害になって住民が苦しむことになったのである。

●隠蔽によって損失被害をを受けるのは国民

小池百合子にしても学歴詐称など大した事が無いと見ていたがカイロ大学に300億円寄付してやはりその嘘を隠蔽させたのである。その300億円は都民のために使うものだったのである。こうして学歴詐称は嘘は国家的損失までになっていたのである。だからなぜその隠蔽することが問題だったのか明らかになったのである
隠蔽するということは何かやましいことがあるからそうするでも権力がなければ隠蔽することはできない。権力があれば例えば警視総監が関わり政治権力が関われば隠蔽することができる。何かやましいことでも隠蔽することができるのである。
そして国民が大損失をこうむることになる。だから権力を持つ者は常に監視しなければならない警視総監まで関わりマスコミも金をもらえば原発でも危険を指摘しないしその危険は隠蔽される。そしてその損失は国民がこうもることになる。でもその権力を監視するものが検察自体でもマスコミでもできないとなればもはや権力を持つ者がやり放題だとなってしまうのである。

でも現実的にそうした警察とかの権力を権力制御できるものがあるのかとなる。ただ検察の権力は相当に大きいものである。だから裁判でも日本では有罪になる割合が90%とか裁判する前から決められているという。それだけ検察の権力が大きいものでありそれに逆らうことはできないのである。だからこそこうした権力機構が問題なのであり本質的に日本には民主主義はないとされている。

ただそのことによって原発事故であれ小池百合子の問題でありその損失をこうむるのは責任を持たされて苦しむのは国民だとなってしまうのである。そもそもは自民党一党独裁であり政権交代が日本ではないことが権力の腐敗を生むのである。なぜなら政治権力とも司法の権力とも一体化して既得権者に有利なようにするからである。だから権力を持っている警視総監の息子とかが小池百合子と一体化していたということである。

ただ普通は警視総監とは何なのだろうとなり見えないのである
だから闇となり闇将軍となっなる。それは常に人間社会にありその闇を暴くことはなかなか出来ない
特に現代のように複雑な社会になるともはやその闇が暴かれることもないのである。つまり悪が隠蔽されやすい社会だとなっているのである。

posted by 天華 at 10:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2024年04月22日

庭の牡丹−栄える家と栄えない家 【積善の家に必ず余慶ありー金は天下の回りものー恵みはめぐる】

庭の牡丹−栄える家と栄えない家

【積善の家に必ず余慶ありー金は天下の回りものー恵みはめぐる】

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この猫は慣れない、いくら餌をやっても慣れない

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by being image creator

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牡丹咲く家

沈丁花がここに馥郁と匂い
石はニ三個ここに安らぐ
ここに動かず離れずありぬ
牡丹が今年も咲いた
五輪も咲いた
30年くらい咲き続けている
この場に土に適合して咲く
その牡丹を猫が見ている
野良猫で慣れないが餌やる
その猫はこの家に居つく
幸運がこの猫に回って来た
この猫はひどくいじめられてきたから
小さな庭に様々な花を植えた
金柑を植え花桃がさきエゾムラサキが咲いた
我が家は栄いその富は分けられる
一つの家が周りに影響する
悪しき家もありそれも影響する
また原発では栄えることはできなかった
一つの家が何で栄えるのかのれが問題だ
外に出れば通りを盛んに燕が飛ぶ
外からも栄いはもたらされる
また害悪ももたらされる
この世はそういう場所である
私は親が残してくれた家と庭を楽しむ
石と石は互いに争わず沈丁花は匂った
他の人も我が庭を見て楽しむがいい
私はこの家を受け継ぎ安らぐ・・・・

【猫一匹牡丹を見るや富貴の家】

私の庭に咲いた牡丹は不思議である。もうおそらく20年以上30年くらいもう咲いてるかもしれない。なぜこんなに長く咲いているのか不思議になる。その場所と土に合っていたのである。なかなか花を植えても必ずしも咲くとはならないしいつしか咲かなくなることもある。
もう一つ牡丹を植えたがそれも花が咲くかどうかはわからない。前にも植えたが咲かなかった。
牡丹となると大きい。だからかなり土の栄養を取らないと咲かないも見る。だからよほどこの土地と環境があって咲いているとなる。

ともかく私の家はそれなりに栄えたとなる。それはやはり親はその土台を作ってくれたからである。だから人間というのはその生まれた家とか場所とか親とかにの影響が大きいのである。
ただ私の父親違いの兄は40歳くらいで交通事故で死んだ。その前に実の父親事故で死んでいるのである。だからなぜそんなに不幸になったのかということになる。それは私の家にも原因があったのである。兄には良くしていなかったからである。
ただ人の運命は不可解だと思う。何か運不運の作用がありそれが不可解なのである。

家が栄えるというときその原因が何なのか?
それもよくわからない。この辺では原発があるときそれで町全体であれ栄えていたのである
でもそれが事故になり住めなくなったのである。だから別に事故が起きなければ栄えていたのである。だから一体何が富をもたらすものか栄をもたらすものかそれも分からないということである。今や日本自体が栄から栄えることがなく繁栄から見放されたのかともなる
高度成長時代は日本のいいことばかり語られていたのであるそれで日本はすごいとして世界に対して誇りを持っていた。今は日本の悪い言葉からしか語られないのである。日本人そのものは変わってないと思うがグローバル経済の競争に敗れると全てが悪いものとして見られるようになったのである

ともかく栄というのはどうしてもたらされるのだろうか?

積善の家には必ず余慶あり

積善の家には必ず余慶有り、積悪の家には必ず余殃有り(善行を重ねた家には必ずいいことがあり、悪行を重ねた家には必ず悪いことが起こる)」のあと、世の中の大事件も一気に起こるのではなく、少しずつ原因が積み重なって生じるものだ、と述べています

ここで悪い家は栄えないとしている。するとこの辺が一時は栄えても原発事故とかで栄いなくなったのはなぜだろうとなる
何か悪いことしたためだろうか?それもよくわからないのである。それでも補償金が多額でありそれで贅沢したりしたがそれも一時的でありやはり没落したのが多いとなる。

津浪と原発事故のダブルパンチを受けた家もありでも原発事故の補償金で助かったという人いる。でもやはりこの辺では栄が失われた人たちが多い、没落したのである
家が栄えるというとき大きく見ればなぜ徳川家は栄えたのかともなる。一つ家というのは中心がないと乱れる。それで徳川家では長男を大事にして継がせてまとめていたのだる

だから跡目相続の争いがなく300年栄いが継続したのかとなる
確かなことは家に中心になるものがいないと家は乱れ国でも中心がないと乱れる。そのために天皇は2人になったとき南北朝の争いがありそれは60年も続き大混乱になったことでもわかる。
それは天皇は2人になったことでありそれが争いの原因となったのであるだから家でも長男であれ中心になる人が必要であり国家でも天皇は一人中心になって治めるということが必要になる

いずれにしろ栄は富は一か所に留まらない、必ず移って行くことは確かである。金は天下の回りものとか恵みはめぐるであり回って行く。世界史でもある国が栄えても必ず衰退する、古くはバビロンなどが栄えていたが廃墟と化してしまった。つまり一か所に富は繁栄は留まらないのである。だから何か今寂れているような所でも繁栄するし逆に栄えていたところも寂れるのである。




2024年04月21日

今俱知安町ニセコで起きていることー円安グローバル経済の弊害 【地域を破壊し外国人の召使いになる】

今俱知安町ニセコで起きていることー円安グローバル経済の弊害

【地域を破壊し外国人の召使いになる】

【速報】ニセコバブルで訪問介護が突然閉鎖!日本の介護が完全崩壊

●ニセコで起きていること

円安で倶知安町はニセコの外国人に労働者を奪われ介護する人が確保できない。それで街の外に出る人が増えたという。賃金はニセコで働けば倍以上になる。そうすれば労働者はニセコに流れて安い賃金の介護士などはしな何かここにグローバル経済の矛盾が極端なものとして現れた。
働くということは何であれその理由など関係なく賃金の高低で決められる。それも2倍も差があれば誰でも高い本に人は流れていく。そして円安になったとき日本人は安いとなり外国人が流入して日本人は外国人の召使いとなそれがグローバル競争の非情な結果なのである。
ただ日本でも高度成長から円高の時代は外国で同じことをしていたのだからそれもカルマだったとなる。

でも一旦グローバル経済の競争に敗れれば逆に日本人は外国人の召使いとなり奴隷となる。そして肝心の日本人を助けたりもしない介護のために困ってる人がいても金にならないから働く人もいないとなそれより倍のの賃金をもらったほういいとなるからである。
その外国人とは日本に遊びに来た人たちなのである。一方で介護で苦しんでいる人たちがいても金にならないとなれば誰もそんな仕事はしない。だから人間が働くということはどういうことなのだろうと思う。

●働くことは端を楽にすること

現実は資本主義社会では働くということはすべて金のためであり何かそれ以外の理由を見つけるのが難しい。実際は働くということは何か動機があり意味がある。働くとは日本で端を楽にするということから生まれた言葉である。家族であれその働くのを見ていて楽にしてやりたいということで働くという言葉が生まれた。
つまり働くということは身近に働く人を見ていてそれが苦しいから少しでも楽にしてやりたいと言うことで働くという言葉が生まれたのである。だからもともと働くということは家族とかより身近な人しか観ていない。それがグローバル化すると世界と関係してきてそんな身近な人たちのことなどは関心もなくなってしまう。それが極端化したのはニセコのようなところである

つまり現在に起きている経済はグローバル経済はそんな働くとか身近な人たちを見働いているのを見て苦しいから助けるという感覚など全くない。
でもそういう感覚は確かに人間の基本的なものとしてあった。近くに一緒に暮らしていれば苦しい人でも身近になるから楽にしてやりたいと言うことにもなる。
でもグローバル化すればそこで働くのは金だけだとな金が欲しいから働くというだけになってしまった。だから介護で苦しんでいる人はいてもそのために近くでも働かないとなる。それよりも賃金が2倍もらえるニセコで働いた方が良いとなるので。そのことは別にここだけの問題ではない。

現実に外国人で日本に介護するために働く人がいたからである。それも日本は賃金が高いから稼ぐために来たのである。外国人でも別にお金が稼ぐ稼げるなら日本人のために働くということである。でもそれは日本の稼げる場所だったらそうなのである。今のような円安になったらもう日本では稼げないとして外国人労働者はもう来なくなるのである。それより逆に今度は日本人がお金を稼ぐために賃金が倍にもなる外国に出稼ぎに行くようになるのである。それがグローバル経済なのである。

●働く動機が金しかなくなった

グローバル経済の働く動機というのは金しかない。だから為替の変化は円安になれば外国人労働者も来ないのである。別に日本人を助ける理由もないからである。ただすべてが金によって決められるのはグローバル経済でもあれ資本主義経済でもある。人は皆金のために働くのであり賃金が高いところに人は移動して行く。それもグローバル化になり世界に移動してゆくとなる。

でも一旦このようにグローバル経済で競争に負ければ倶知安町のニセコのように外国人の召使いとなりその人たちの遊ぶための働くとなる肝心の地元の介護で困ってる人のために働くということもないのである。
そうして何かもともとあった街の協同性が失われる。すべてが金によって決められる。何かその動機が働くとか端を楽にするのは全くない。ただ人は今金しか観ていないのである。

私が介護で困っているとき来た人たちもただ金が欲しいだけだった。ある人は本当に金が欲しいだけであり私が入院した時家が空になりそれで大金を盗まれた。またある人事業に失敗して1000万とかの金を要求してきたのである。使うこともできない機械を買い行ってきたのである。こちらが弱っているからその弱点を突いて攻めてきたのである。それより極端なのは自分の寝ていた母親に向かって

おばあちゃんは金があるんだから金に面倒見てもらい

こう言ってその親戚の人は去っていったのである。ただもともと親密な関係でもないしそれも仕方ないことだった。
現実にその人は何か頼んだわけでもないのである。その人はまた実の母なのに長い間世話になった育ての親にまで病気になったとき何も面倒見なかったのである。そして私のところにひどい娘だわと言って電話で言ってその後すぐに死んだのである。ただ私はその人と関係してないし私の家でも上手くいっていなかったからそういうことにはなった。でも本当にひどい娘だったのである。

つまり金に面倒を見てもらうというときまさに倶知安町で介護で困っていても金にならないからその仕事をする人はいなくなる。金になる方にニセコの方に働くとなったらなった。それがグローバル経済の現実なのである。何か極端だからわかりやすいということである。つまり現在は金しか観ていない社会である。もともと地獄の沙汰も金次第とあるがそれが世界的にさらに拍車をかけて極端化したのはグローバル経済資本主義などである。

●日本は円安で外国人の召使い奴隷になる

そんな社会がいいものなのか競争に勝っている場合はいいが円安とかなり極端になれば外国人の奴隷となる召使いとなり肝心の地元の人のために働く人も奪われてその街自体が破壊されてしまうのである。
グローバル経済の競争に勝っていればいいものなのである
でも今のように円安になりその差が大きくなると日本人より外国人のために働いた方がいいとか賃金の高い方にのみ人が流れていく。
そんな経済がそんな社会がいいものなのだろうかという疑問がある。でも現実はすべてが金で測られる社会なのである。別にただで働けというのではない。でもすべてが金で測られるときそこに人間社会の矛盾を生まれてくる。
そしてグローバル経済で儲けているのは世界の富を収奪しているのは極わずかの人たちでありその人たちは巨万の富を築いているのである。それは世界から収奪したものでもある。だからこうしたグローバル経済というのは別に公平でもないし世界の人々幸福にするものでもないのである。

それはグローバル競争に勝っている場合はいいのだが一旦負けると日本のように貧困化して肝心の地元の人たちに尽くし働くということもな遊びに来ている外国人のための召使いとなり奴隷となりただ使われるというだけなになるのである。だからそうなると俱知安町も出て行く人が増えるということである。福祉のサービスも受けられないからである。
posted by 天華 at 08:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2024年04月20日

焼畑から県(あがた)となり米を税として取り大和王権が生まれた 【塩手山から小平、長平の地名考察】


焼畑から県(あがた)となり米を税として取り大和王権が生まれた

【塩手山から小平、長平の地名考察】

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平の地形

●塩手山周辺の地形ー塩はしおれる、しぼむ地形

塩手山とあるがなぜ塩手とついたのか?それが不思議になる
これは塩とは関係がなく地形と推測した。なぜなら塩はしぼむからきているまたしおれるというのも共通している。地形をみると広い平な土地がなくまさにしぼむ地形なのである。そのなかに小平とか長平とかある。そこはそれなりに平なのである。こういう山間の地形は平の所が少ない、ただ山が多い日本にこういう地形が多い、だから日本で野というとき山の斜面のことである。原はそれなりに広い平地となる。

我が恋は まさかも悲し 草枕 多胡の入野の おくもかなしも (万葉集)

この入野は山間の斜面の野を奥に入る地域である。そういう地形が日本には多い。

日本の地形はそもそも山が多く平らなところが少ない。となると山の斜面でも平らにしてそこ畑なり田んぼにする必要があった。
それで飯館村の大倉から木戸木(ことぎ)ではそこも狭い土地しかない、そこで土地を平らにするのに苦労したとそこに住んでる老人が畑を耕して言っていた。
つまり日本ではこうして平な土地が少ない。すると平らにしなければ畑も田んぼも作れないのである。そのために平という地名は各地にあるがそれは人間が生活するために平にした人為的に人間の力で作られたものだとなる。だから平氏というときまさに平にしてそこで畑を作り人たちが得て大氏族ななったとなる。

●焼畑から水田が生まれ県【あがた】となる

そして火+田となっているのはそもそも畑は焼畑であり火が関係していたからである。
そして注意しなければならないのはその焼畑を教えたのは安曇族の系統でありこの辺ではその後裔の八木氏である。この八木氏は地名化している。八木原とか八木沢峠は八木氏のことである。
つまり人名が地名化したのである。また石戸村に犬飼があり他にも犬養という地名がありその跡を残している。安曇族とは航海術もももっていたしまた焼畑の技術も持っていて最初にこの地に入植したのである。山津見神社と綿津見神社は安曇族の祭る神なのである。これは対になって各地に残っているからである。
佐須村の佐須とは焼畑のことである。他にも飯館村には焼畑関係の地名が残っている。とにかくあれだけ森が多いのだから焼畑には適していたのである。

3〜4年作物をつくると耕作を放棄して休閑するのが普通で、1戸当たり全体で15〜20ha程度、入会地などに占有している土地の中を、常に1.5ha内外の畑が転々と移動していくのである。
 そこで栽培される作物は、アワ・ヒエ・ソバ・ダイズ・アズキをはじめ、イモ類・麦類・カブ類・トウモロコシ・ナタネ・エゴマなどときわめて多種におよぶ。

平安後期には水田はほとんど例外なく小さな谷ごとに拓けた谷地田で、湧水や雨水などを利用しており、下流のやや開けた沖積低地では開発は進んでいなかったことが、現在の地名などに当時の文書に記された名(権利が確立した土地の占有者の名前)が残っているところから明らかになっている。

大地の刻印

古代、大和(やまと)国家の地方制度。国造(くにのみやつこ)の支配する国よりも、普通は狭い領域をさし、国の下の単位となる地方もあり、県主(あがたぬし)の支配下にあった。県がいつごろ成立したかについては、大和王権が成立した4世紀から5世紀とみる説、および大和王権が、強大な吉備(きび)(岡山県)、大和(奈良県)、筑紫(つくし)などの豪族を打倒した5世紀から6世紀とみる説がある

水田根菜稲作のほうが、焼畑に比べて豊凶が極めて小さく、安定した収穫が得られた
という点から、稲作につながったのではないかと思う。
何年も続けて栽培できる水田のほうが場所を変えなくてすむので、メリットが大きい
と思う。肥料が必要ないという点から、水田根菜栽培のほうだと思う。なぜなら、最初においては肥料という発想はあまり出てこないと思うからである

稲作の起源について、焼畑雑穀栽培と水田根菜栽培のどちらが、関係深いと思いましたか

●焼畑は定着せず移動するからその跡に八木氏が地名化する

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焼畑は森の木を燃やしてその灰を肥料とする。だから移動してゆく。なぜなら木を燃やさなければ肥料にできないからである
それで安曇族の後継の八木氏の跡をたどるとやはり焼き畑をして移動していたのかもしれない。点々と八木氏の地名が残っているからである。犬飼というのもそうである。飯館村の佐須村はまさに焼畑地名である。その一団が石戸村の方に移動してきたのである。つまり転々と安曇族の後裔の八木氏とか犬飼(犬養)氏が焼畑の地を求めて移動したのである。
県犬養東人(あがたいぬかいのあずまびと)こういう人がいた。犬養とは安曇族の後裔であり八木氏もそうである。東人というとき蝦夷の領域であり東北地方に派遣されたのでその名がついた

何年も続けて栽培できる水田のほうが場所を変えなくてすむので、メリットが大きい

これは水田が定着をうながしたということはそこで一つの村を形成して県(あがた)となり国へのまとまりになる前提条件を作ったということである。つまり日本は山が多く最初は山を根拠として発展した。また平地や原があっても湿地帯が多いから山の方が最初の生活の場となった。
相馬藩でも南相馬市の最初の国造は浮田国造でありそれは毛野系統なのである。それは栃木県とか群馬県とか毛野国の領域の勢力だったのである。また飯館村に縄文中期の遺跡が発見されたとき山側に先に人が住んでいたとなり古いとなるからだ

曽布(添)縣・・・奈良市・生駒市・・・添御縣坐神社(論社2社)
山辺縣・・・天理市あたり・・・山邊御縣坐神社(論社2社)
磯城縣・・・桜井市あたり・・・磯城御縣坐神社
高市縣・・・橿原市今井町あたり・・・高市御縣坐神社
十市縣・・・橿原市北部・・・十市御縣坐神社
葛城縣・・・葛城市から御所市・・・葛木御縣神社

大和朝廷の直轄地などの名。この「あがた」という言葉から、(中央への献納物、後世における税、を「あが」と表現することがあったと思われます(「あがた」は「あが(税・租)」の「た(田)」ということ)。

「諸(もろもろ)の国(くにぐに)に令(のりこと)して……県(あがた)邑(さと)に稲置(いなき)を置(た)つ」(『日本書紀』成務天皇五年)

県となると大和朝廷がすでに税を納めるものとして管理された地域だとなる。

ともかく焼畑は税として納めることはなじまなかった。でも稲作になると税をとして取り安かったのは焼畑は一か所にとどまらず移動するか税が撮りにくい、定着すると税として取り安いとなる
それで国に管理されることになった。東北地域は県が置かれる前に国の直轄領になった。西では県があっても国造(くにのみやっこ)が置かれたからだる。南相馬市の浮田国造がそうである。なぜなら焼畑というときそこから税をとることがむずかしい。

結局今作水田の稲作になったときそれは定着して定期的に税金を取れるようになったとなる。結果的にそうして稲作によってそれが拡大したとき大和朝廷であれ国の大きな国が作られてきたとなる。つまり焼畑とか狩猟採集経済だとなかなか大きな統一国家は造りにくかった。蝦夷という地域は狩猟採集していた人たちでありそれが化外の民とされたその原因が稲作をするものと狩猟採集したいた人たちの相違から対立もしたのである。その人達が蝦夷であり大和朝廷からすればまつろわぬ人たちとなり抵抗したとなる。それは遊牧民と農耕民の対立と似ていたのである。

秋田縣の北部より青森縣に亘るマタギ聚落に嶢畑が多いのはマタギを主生業とし焼畑を副とした時代の名残とも見られる。
北上山地の名子と焼畑とは密接な關係がある。この關係は山形縣や幅島縣の一 部に於てもみられた。貧窮者が山小作にて一 部を
焼畑とし,凶作に供へ、生活を支へるのである。

東北地方の焼畑

そして安曇族の後裔の八木氏とか犬飼(犬養)が地名化しているのはそこで焼畑が行われて跡として残されたのである。

みちのくの山形あがたより東京へ帰り来きたりて虹をいまだ見ず
斎藤茂吉『つきかげ』

なぜここにあがたがでてきたのか、茂吉には古代的志向があったのか原始的心情もあったという不思議がある。


焼畑に由来する地名と姓の多さ

カノ・カンノ
 官ノ屋式(魚ノ川)
5.その他
 「コバ」は九州地方の焼畑呼称である。
▽コバ・キバ・木場
 大木場(東川角)、大木場(西川角)、大コバ(米奥)、コバサコ(平野

:地名文化財(その3月) 「焼畑」

佐須村に飯館村の町長の菅野氏の姓がああるし小林のコバは焼畑由来だったのである、ともかくこれだけ焼畑に関する地名に姓が多いのである。それだけ焼畑がどこでも行われていたからである。




2024年04月19日

2024桜短歌霊山の続き―石戸村のこと【花散る、松母姫。。。、】

2024桜短歌霊山の続き―石戸村のこと【花散る、松母姫。。。、】

【大倉から佐須へ―一軒の空家】

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寺の跡の墓地【山上―金谷原】



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元禄であり古い

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これも相当古い、法印は山伏である



風唸り残れる花も吹き散りぬ時の移りの早かりしかな
今日一日風は吹きあれ花も散るその花想い我も老いにき
桜花夕陽に映えて今しばし栄え咲きなむ明日は散るとも
この街に共に生きにし女なれや花は盛りにはやも散りなむ
人住まぬ空家を飾る桜花山の奥なり訪ぬ人なし
松母姫ここに果てしとあわれかなその名を留め花の散りしも
横川の水の清しも桜咲き風に吹き散り我が去りにけり
この世にそ留めむ命はかなきや無常の風に花は吹き散る
寺の跡墓のみ残りあわれかな春の日尋ね我が探るかな
石戸村訪ねて望む霊山は曇りけるかな花は咲きけり


北足立きたあだち郡石戸村大字石戸宿字堀之内は石戸氏の城址、入間いるま郡勝呂すぐろ村大字石井の堀ノ内は勝呂氏館址、同毛呂もろ村大字毛呂本郷の堀ノ内は毛呂氏の館址、同村大字平山の堀之内には江戸時代にも領主村田家の屋敷があった

地名の研究 柳田國男

石戸藩(いしとはん)は、江戸時代前期に武蔵国足立郡の石戸領(現在の埼玉県北本市石戸宿を中心とする地域)に置かれた藩。陣屋は川田谷村(現在の桶川市川田谷)に置かれた。


今日は朝から風が強い。桜は大方散った。ただまだ残る花がある。でも風が強かったから残る花も散ってゆく。桜というのは咲いた時から必ず散る予感がする。それだけ咲く時期が短いということである。それは人間の命でもそうであり確かに若いときは輝いている。でもそれも一時の輝きでありすぐに消えてしまうのである。そのことは老人になれば誰でもわかることなのである。あの若者は女性は若い女性は輝いていると見ていてもそれを束の間のことなのである。

大倉から佐須村を経て石戸村にでる。途中高台に一軒家がありそこは桜が咲いて飾る、しかし人は住んでいないもう住むことまない、でも桜でも同じように季節がめぐると咲くのである。
炭焼きした小屋が残っていた。あんなところに住んでいた人がいた。それから佐須村に行き行合道を下り石戸村に行った

春の日に佐須村出でて行合道石戸の村に我が下りゆく

行合道というところは地名のように人が行き合うから名がついた
でもそこでどこの人と会うのか?石戸村は坂を下り上りしたら結構遠いからである。歩いていけば簡単いは行けないところである。ただだからこそ行合ことが貴重であり地名化したのか?
石戸村の由来は埼玉県に石戸藩があったからそこから移り住んだ人達なのだろうか?何か平地がないので米を作るにも難儀したろう。ただ私は石に興味があり名前から魅かれるのである。石となると何か堅実だとなる、つまり堅実な村と勝手にイメージする、実際はその姓の人が移動したのであり別に名とは関係ないかもしれない。

山上の金谷原とかの寺の跡の墓地は気になる。なぜならそこは寺の跡であり奇妙なのは寺がなくなっり墓地だけが残った。なぜなら寺がなくなってもその墓を継続して守る子孫が存続したからである。つまり寺が維持されなくても墓地は墓は残ることはあり得る。墓じまいとかもあるからわからないにしても後継ぎのない墓も残っている。でも供養されることはないのである。
そこに元禄と記された碑がありここも実際は古い場所なのである。そこは佐藤一族が福島市の方から入って来た義経の家来の佐藤氏であり佐藤庄司とかである。庄司淵という地名も途中にあったからである。

ともかく桜はすでに散った、今日は風が吹いたので昨日出かけてよかった自転車は風の影響も受けやすいまた日差しも受けるから日射病になるなったことがあり色々不自由なのであるでも自然を感じるというときやはり自転車はいいのである。車だと風も感じないから季節も感じなくなってしまうのである。つまり人間の五感が車によって奪われてしまうのである。
ただ車でも別な利用の仕方がありそれでまた別な見方が生まれてくるということはある。写真を撮るときなどは車が向いているのである。なぜなら一か所で自然は変化するからその自然の変化を捕らえるためにわそこに長くいる必要があるある。
だから富士山を写真を撮る人は半年なのかそこにテントを張って写真を撮るために滞在していたのである




2024年04月18日

桜咲くー大倉からー佐須村―石戸村から相馬市へ 南朝の霊山が落城して死んだ松母姫のことを語る若い女性と出会う


桜咲くー大倉からー佐須村―石戸村から相馬市へ

南朝の霊山が落城して死んだ松母姫のことを語る若い女性と出会う

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松母姫

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巌反り山桜映え朝の風
春霞隠す二村や山路行く
春霞二村離れた隠されぬ
鶯や警戒に鳴く境かな
岩を打ち清流ひびき芽吹きかな
山桜映えて轟く滝平

山桜高きに映えてさえずりの奥よりひびき流れ清しも
打ち曇る霊山望み花は散り落武者逃る道をたどりぬ
石戸村小径を歩み春の草しばし親しみ我が帰り来ぬ
桜咲くたもとに語る南朝の姫のあわれもここに眠ると
咲きしより散るを惜しみぬ桜かな花の命の短かかりしも


今日は曇り霞が掛かっていた。だから吾妻連峰は見ることができなかった。でも晴れると日差しが強くなると日射病になるのは怖かった。20度以上になると危険になる。その点今日は曇っていたから日差しを受けないのでその心配はなかった。
大倉村から佐須村に行った。途中一軒高い所に家があり桜が咲いていたが誰も住んでいない、そこでは炭焼きした小屋が残っていた。こうして空家にしておくがそこにはもう陽とは住まない、でも家を残しているけどどうするのだろうとなる。

佐須から峠を越えて行く、鶯が警戒して鳴く、そこは相馬と伊達の境である。
それから霊山に登り霊山の紅彩館に行ったがそのレストランは休みであった。それで石戸村の一軒の食堂に向かった。ただここは結構坂下るので距離があった。帰りも登るのに苦労する。
何か確かに玉野村に伊達と相馬の境とあるがやはり相馬藩内だとまだ異郷という感じがない。でも石戸村に出ると異郷という感覚になるのも不思議である。何か見慣れない風景に感じるからだ

今日は曇っていて山でもはっきり見えなかった。黄沙もあったらしい。それで霊山から相馬の方へ行くと途中橋の上で桜の写真を撮る女性がいたので聞いた。そしたら松母姫が南朝の霊山が落城したとき逃れてきたがここで病気になり死んだので土地の人がかいそうだと葬ったという。ただ他にも松母姫松代姫伝説がある。

また、南北朝の頃には塩手山の北側に横川城があり、霊山城落城の折、落ち武者達が横川城に集結したとされます。
北畠顕家の側室である松代姫(まつよひめ)も横川に逃げ延び、天童丸(てんどうまる)を出産したという伝説が残ります。

更に、この北畠天童丸については、山形県の天童市、青森県の浪岡町と伝承が繋がっていきます。

塩手山〜破軍の星、史跡巡り、

桜咲くたもとに語る南朝の姫のあわれもここに眠ると
霊山ゆ逃れし姫のここに果つ偲びてあわれ花の散るかな

伝説が青森の方まで拡散したのかとなる。南朝の城は霊山にあったからこここが基になって拡散したとなる。
ただ私は落武者とかなると男ばかり侍をイメージしていた。霊山にも女性がすんでいたとイメージしていなかった。なぜならもともと霊山は僧がいて修行していた山だったからである。となれば女人禁制になる。でも侍の城だったら女性でも普通にそこにいたし何か台所の仕事などをしていた。ただそのことはイメージできなかった。原町区の牛越城でもそこに姫がいたという伝説が語られているがあそこにも女性がいるとわ思わなかった

戦になるとどうしても男ばかりの世界をイメージする。でも女性も必ず裏方であれなんであれ関わっているのである。そこを見逃していたのである
もう20代ぐらいの女性はとにかくこうした歴史に詳しいのに驚いた。何か仙台の方に行ってそうした歴史倶楽部にも入っているらしい。。だから若くても本格的に歴史を勉強して知っているのである。歴女とか言われていたりしたがまさにそういう女性である

ただ歴史というの戦争であれ男性の視点ばかり見ている。だから女性の視点からも見る必要がある。確かに戦争は男がしているのだが必ず女性も何らか関わっているのである。直接戦わないにしても裏方で関わっている。それが映画ととかでわドラマとかではどうしても省かれて戦争場面のみが印象に残ってしまうのである
それでは歴史を本当に知るということにもならない。だから女性でも歴史にどういう役割を果たしたのかそれも知るべきだとなる

今日は曇っていて春としては景色もはっきりしなかった。ただ直射日光を受けないから日射病にははならないから良かったとなる。

春霞隠す二村や山路行く
春霞二村離れて隠されぬ

この句は大倉村と佐須村が明治以降民情が違うからと合併しなかった。5,6キロくらいしかはなれていないのに何が違っていたのだろうかと今ならなる。なぜそうなるかというと歩くとなるとやはり遠くなるし村はそれぞれ自給自足で何かよそ者でも受け入れない、非常に閉鎖的だったからである。だから麦付きに来た若者が蛇だったとかの伝説が残っているのである。それだけ隣の村さえ交わらない閉鎖的世界に生きていたのである。
ただ別にそう言う村でも通り過ぎてゆくだけなら詩的に見る
現実そこに住めば必ず嫌のものを見るからである。つまり霞に隠されて没交渉ならいいとなるのである。
ただ今回霞んだの黄沙の影響かもしれない、広範囲に東北でも黄沙が予告されて現実になったからである。

風は山を下って石戸村へ向かうと春北風【ハルキタ】でありまた引き返して相馬市の方に行くと東風が吹いた
そういう季節でもある、自転車は風を感じる。車は感じない、でも雨が降りそうになり急いで帰ることにした

2024年04月17日

円安にどう対処するのか? 【日本は昔の自給自足生活にもどる?】


円安にどう対処するのか?

【日本は昔の自給自足生活にもどる?】

●円安で輸入する材料費の高騰で倒産する会社も

これだけ円安になれば日本はどうすればいいのかとなる。
外国から入るものはなんでも高くなる。材料費が高くなる。それでパン屋では材料費が高騰して倒産したパン屋が多いという。それはほかの職業でも起きていて建築資材あが高くなれば家を建てるにも費用が高くなる。それはあらゆるところに影響するのである。グローバル化で輸入しているものはどれだけ多いかそのために円安になるとその影響はあまりにも大きくなる。

ただ円安になれば輸出するものは安くなるから外国人が買いやすくなる。それで儲けている企業もある。でもそれは今になると日本では電気製品などを売るにしても台湾や韓国や中国で同じようなものを作っていて日本製品が売れるとはならない。
トヨタの車とかは依然として売れているが他はあんまり売れていなかった。だから円安になったからといって日本が輸出が増えてそれで補うということもできなくなっていたのである。

ただ全てが悪い方に働くともならない。全体的に見れば悪いほうに働くのだがもしかしたら何かいい方にも働くことがある。
それは日本は例えば外材をとか高くなれば今利用されていない日本の森林を利用するかもしれない。というのは日本の森林の木材が利用されなくなったのは外材が安いからでありそれが高くなったら日本ではかいなくなる。するとどうしても日本にある資源を利用する他なくなるのである。

●円安で日本にある資源を利用するほかなくなる

もともと日本は戦前まで戦後の十年くらいまでは本当に日本にあるもので生活していた。自給自足で生活していたのである。それは当たり前のことだったのである。その時外国から入ってくるものはほとんどなくないものなかった。。例えばその時戦前でも森林鉄道が網の目のように発達したのは木材とか石材とかその他日本の資源を利用するためにそうなったのでだからその時山の村でも人々は多くなり例えば飯館村でさえ一万近くの人が住んでいたのである。

それは全国的にそうであり戦後十年くらいは燃料は炭だったのである。私の高校時代まで蒸気機関車でありそれで通っていたのである。だからその生活を考えるとそんなことがあり得たのかとまでなる。なぜならバナナにしても輸入されていない。それで私の姉は父親が病気になったとき仙台市まで行ってバナナを買ってきたのである。その時輸入されるものはごくわずかだったのである。

私の母親の好物は干し柿だった。大正生まれであり他に果物などそんなに食べることはできなかった。そもそも外国から入るものは食糧でもほとんどなかったからである。私の母親は紡績工場で働き糸取りをしてそこで食べていたものはおかずにして味噌汁とか沢庵くらいしかなかったのである。だからよく細身の体でそんな労働ができたということが不思議である。

つまり戦前であり戦後十年くらいは日本の国内だけでまかない自給自足の生活だったのである。その時石油も使わずストーブとかには石炭を使っていたのである。だから常にこの石炭が必要になり常磐炭田がから石炭が東京へ運ばれていたのである。そのとき石油というのは工場で使っていても普通の生活でわ使っていないのである。何故ならその時円の価値は一ドル360円とかにもなっていたからである。今は一ドル150円ぐらいになっているけどそれから比べるとまだまだ高いとなる

●だから日本というのはこれからどうなるのだろうか?

経済的な面から見ればもはや高度成長などは夢のまた夢である。いろいろな見方があるにしても全体的に見れば円高になる要素はないのである。となるとどうすればいいのだろうとなる。
その参考となるのは歴史を振り返ることである。日本はもともと貧乏であり戦前などはまともに食べることさえできないこともあった。その栄養にしてもかなり不足していた。だから長生きはできなかったのである。戦後は十年くらいはまともに食べるものがなかったということがある。でも高度成長時代になり外国からいろいろなものが入ってきて食も豊かになったのである

要するに日本はこれからどうすればいいのか?そのヒントは歴史を振り返ることである。日本が外国から輸入するものに頼るのではなく自給自足体制に戻すことかもしれない。それは全部というのではなくやはり食糧でも自給自足体制にしなければそもそも日本では物価が高騰して生活できなくなるからである

となるともしかしたらいい点は貧しくても自給自足であり外国に頼らず生きて行く生活するとなる。パンが食べられなかったら日本では米はとれる。コメを中心にまた食を見直さなければならないなぜなら輸入するものはみんな高くなるからである。自給するものは高くならないから必然的にそうなっていく。そうする他なくなってくるかもしれない。

そして人口は減少して行くということは何を意味しているのか

それは日本のある資源を効率的に利用すれば昔のようにそれなりに人口を養うことができる。石油であれ木材であれ何でも輸入するものでありそれができなくなれば日本にもともとある資源を有効に活用する他なくなるのである。

つまりグローバルから逆に自給自足の昔の村のような生活に戻るのかとなる。ただ歴史は繰り返すとしても同じようにはならない。でもグローバル化というのはもともと問題があった。国の経済が順調で強い時はいいが一旦競争に負けると今の日本のようにインバウンド観光で召使いになり奴隷にされるのはグローバル化なのである。

だからこれもカルマだったのである。日本は景気がいいときは安い国に行って観光してやはり日本に来る観光客と同じようなことをしていたからである。そのときは貧乏人でもヨーロッパ旅行でもどこでも旅行で来たのである。外国は意外とユースホステルと多く安く旅行で来たので。今になるともはや一ドル360円の時代のように海外旅行は高嶺の花となってしまったのである。このように時代は常に変わっていくものだと思った

●グローバル経済は持続できないシステムーSDGsに反するもの

グローバル化とは盛んに言われるSDGs(エス・ディー・ジーズ)持続可能な社会とは違っている。例えば日本だったらほかの国でも江戸時代から戦後14年は自給自足の生活であった。そしてグローバル化とはこの持続可能な社会とは違ったものである。なぜならその国にある資源を利用して自給するのではなく外国から輸入することで生活するからである

でもそれに偏ってしまいはこのように円安になったとき外国のものは高くなり輸入もできなくなる。でも日本国内で生産されるものは高くならないのである。そうするとどうなるかとなるとなるとなるべく日本国内の資源を利用して生活する他なくなる。それは戦後の生活とそれから戦前とか江戸時代まで遡る生活にも戻るとまでなる

そんなことはもはやできないというのも分かるし全部がそうなるとことはできない。電気をいらないともならない。ただ歴史を振り返れば人間はそもそもその身近で取れるもので生活してきたのである。だからグローバル化経済で地球の裏側からでも食料が入ってくるというのはそれは異常なことだったかもしれない。それが悪いというのではなくただ一旦円安になるとそういう外国の物高くて買えなくなるということである。

だからグローバル化経済は一旦売るものがなくなり円安とかなれば世界に買うものがあったとしたって買うこともできないのである。だからこそ逆に食糧でも地球して日本で取れるもので賄うということが要求されるかもしれない。世界からもはや円安で食糧でも買うことができなくなるからである。

そんなことはもはやできないというのも分かる。でも現実にこんなに円安になってきたらどうすればいいのかとなる。何か良い解決策があるのかとなる。ただ奇妙なのはもし昔のように自給自足となると山の木材であり石材であれまた利用しなければ日本は成り立たなくなる。すると過疎化した加速した山村が活性化するのかともなる。
つまり外国に売る物がなくなるとき日本でもインバウンドになり観光客を呼び寄せるほかのほかなくなる。それで日本人は外国人の召使いになるというのが現実化している。日本旅行する物価が高くなってホテルも高くなって日本人が自由に旅行できないともなるのである。それがグローバル化経済の競争に負けるとどこでもそうなってしまっているからである。

●大正生まれの母の好物は干し柿

ともかく失敗したのはドルを買っておけばよかった。それが一番わかりやすいのである。他の物ほかのものは株でも投資信託でも分かりにくいからやりにくいのである。ただドルを買っていればこれだけ円安になれば相当な利益を得た。ただ近くにそれを売買できるところがないので何もしないでいた結果儲けることもできなかった。そこが田舎の不利な点である。そしてドルが余っていて蓄えていたがそれも使ってしまったのでなくなってしまったただこんなに円安になるとは思っていなかった。

そしてこの円安はいつまで続くのか前だったらゆり戻しがありこんなに安くなるとわ思わなかった。つまり今の社会はグローバル化でありグローバル化に対応しないと観ていないとき金も儲けられないということである
ただ田舎だとどうしてもそういう時勢に遅れをとってしまうのである。人間はいろんなことはできない。私自身このプログに文章を書くだけで半日はかかる。その他ここに集中すると他のものに集中できなくなるのである

ともかく大正生まれの母親は干し柿が好物であった。果物といえば干し柿でありほかのものはあまりなかったからである。それでつくづくそののことを思うのである
つまり人間の生活というのは歴史をたどれば江戸時代からでも戦前でも戦後十年でも貧しかったのである。だからこれほどある程度全ての人が豊かな食生活でありそのために長生きしている時代はなかったのである。

戦前は本当に肺結核で若い人が死んだ。それは悲惨なことだった。国民病と言われ肺結核で死ぬ人が本当に多かった。 20代くらいで死ぬから悲惨だったのである。それも戦後伝染病とわかり治すことが治すことができた。
だからそれで現在は恵まれた時代だったとなだから歴史を振り返るということは現在の恵まれたことを見直すことなのである。もしその過去を知らなければ豊かなことが当たり前となりそのありがたさを感じなくなるのである。

だから日本は貧乏になる時やはりこうして歴史を振り返りどうすればいいかということを考えねばならないのである。もちろん歴史は元に戻すことはできない。ただ昔は歴史を振り返りそれを参考にするということである。現実にそうした自給自足の生活が江戸時代から戦前から戦後十年まで続いていたからであるこれその方は長いのであれ常態でありそれがまた自給自足の生活に戻るのかとまでなる
posted by 天華 at 19:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

小池百合子はなぜ衆議院議員から都知事までなれたのか? 【エジプト政府や有力者の後押しがあった】


小池百合子はなぜ衆議院議員から都知事までなれたのか?

【エジプト政府や有力者の後押しがあった】

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小池百合子都知事の学歴詐称疑惑再び!カイロ時代の同居女性が実名告発!
超難関のカイロ大学を本当に卒業できたのか?元朝日新聞・記者佐藤章さんと一月万冊

●軍事政権のエジプト政府の後押しがあった

バックに引き上げる有力者権力者の存在
容姿が良くマスコミで売り出す
政界を渡り歩く処世術にたけていた

このユーチューブではわかりやすそのの背景を説明している。なぜアラビア語でも二歳くらいのアラビア語がしかできないという人はカイロ大学首席で卒業できたのかとなる。
その背景に一部とのエジプトの政治の問題があった。エジプトは軍事政権でありカイロ大学でもその任命権を持っているのは軍事政権のトップとなっている大統領である。小池百合子が親しくした副首相のハーテムという人はその軍事政権の情報関係のトップにいたから当然大学でもカイロ大学でも力を発揮することができた。それにはエジプト政府の思惑はあった。将来的に小池百合子お利用するために便宜を図ったとなる。カイロ大学のお墨付きを与えてそれで日本の政界に力を持つようになった。
何か売り物がなければただ容姿がいいというだけでわ政治家になるのもむずかしいからである。

このYouTubeの説明ではもともと小池百合子の父親は石油の商売をしていてエジプト政府の有力者と関係していた。その一番の有力者が副首相のハーテムであった。そのハーテム家の中に同居もしていた。何かその時からエジプト政府では小池百合子を日本との日本とエジプトをつなぐ物としてエージェントのように利用しようとしていたらしい。そのためにカイロ大学の卒業したというお墨付きを与えた。それが後々に小池百合子は衆議院議員にもなり特に東京都知事になった時実質的な権力を持ったことが問題になった。

なぜなら小池百合子の弱みを握っていたからである。そのために東京都の財政から300億円くらいカイロ大学に寄付したという。その額も大きいのに驚く。またそんな金が自由にできるのは東京都知事なのかとなる。それだけ権力を持てばお金も自由に使えるのかとなる。でもそこで議会があり議会の承認を得なければそんな大きな金は使えないともなる。ただ東京都議会は公明党が力を持っていてその後押しがあってできたのかともなる
創価公明というのは常にこうして利権に代わり権力を操作する側に達したいからである。だから東京都にかかわり知事になった小池百合子に何か利益で関係していたのかもしれない。
なぜ異常なほど東京都を重視するかとなると宗教団体を許可するのが権限があるからそうなる。

ただ小池百合子が持ち上げられたのはそのバックに有力者が権力者がいたからである。それは日本だけではないエジプト政府が直接に関わっていたことである。その魂胆は日本政府から金を得ようとしていたことである。だからこそ小池百合子が東京都知事になった時300億円もの金がカイロ大学に寄付されたという。それはエジプト政府の思惑どうり実現したのである。それにしてもその若い時に小池百合子は東京都知事までになるということを予想できたのかどうかわからない。小池百合子のスタートはテレビのキャスターとなりその容姿が良いので注目を浴びて売り出されたのである。政治的手腕などはなかったのである

●小池百合子を持ち上げたマスコミの責任

ただそのバックにいるものは小池百合子を利用し利用されたとなる。そして容姿がいいということでマスコミに向けてマスコミで名を売ってそれが選挙に勝つ事になったのである。そして今でもマスコミは小池百合子批判しないのである。ここにマスコミの問題がある。ユーチューブでは小池百合子を批判するオンパレードになっているのにマスコミでは取り上げないということも変なのである。それは小池百合子が東京都知事になって権力者となった時マスコミは忖度するようになったのかもしれない。現実に小池百合子は何か政治的に実現したものがあったかとなるとそれもわからない。

ただこのユーチューブで明確にされたのはエジプト政府が直接関わりまたその他政界の有力者とかが中曽根首相でも関わっていたということである。そのために権力者にのしあがったとなるその権力者にのし上がったのはマスコミの力も大きいものだった。青島という俳優の東京都知事になったのマスコミの力でありその本人は政治的な手腕などなかったのである
とにかくマスコミの力は大きいものでありテレビに出るだけで有名人になり力を持った時代があった。だからこそなぜ今小池百合子をマスコミでは批判しないのか?それはやはり権力者になったとき忖度するようになったのだろう。

マスコミと権力者は一体であり原発事故のときも新聞社の幹部が全部中国に招待されていたのである。そこには朝日新聞社も入っていたのである。だからこそ原発の危険性はマスコミでは指摘しなかったのである。宣伝費でもその額が大きい。電事連では800億円なのかマスコミは金をだしていたとも言われる。その額が巨大なのである。そもそもテレビとか放送するだけで莫大な金がかかりその金をどこから得るのかとなれば電事連とか大きな団体でありまたは大企業でありそういう巨大企業がスポンサーにならないと放送もできないのである。

そのためにどうしてもマスコミと一体化して結託して真実は報道されなくなるのである。カイロ大学に300億円も出すならそれでその金を福祉であれなんであれ利用するものはいくらでもあった。でも軍事政権の一部とに政府に弱みを握られていたから出さなくてもいい金までだしていたのであるこれによって東京都民も被害を受けたとなるのである。だから東京都民がバカだという時ただ容姿がいいというだけで選んだりマスコミに乗せられていらんだりしたことが問題だったのである

●女性にも欲があり本来の仕事ができなくなる

いずれにしろ人間の問題はそれぞれに欲があり女性にも欲がありその欲に振り回されて本来のものが追及できなくなる。つまり政治家だったらただ地位を得たい権力を得たいと欲がありそのために嘘までつくようになる。そもそも政治家は嘘をつくのは常態となっている。選挙の時は選挙民に頭を下げていいことばかり言うが実際はそうではない。それは選挙の時だけであり票を取るためにいいことばかり言うし嘘も言うのである。
それが政治家の普通の実態だともなる。だから小池百合子だけが嘘をつくというわけではない。政治家は嘘をつく商売だともなっているからである。ただ今回のことで見えてきたことはそうした政治家を選ぶと都民がそのために苦しむ損することになるのである

つまり選挙でも容姿がいいとかなんかマスコミにで知られるとかで選ぶとそれが責任となり自分たちが苦しみ損することになる。その具体的な例が300億円カイロ大学に寄付されて肝心の都民のためには使われなくなったのである。
また原発事故ではマスコミでも金をもらったということでその危険性も追求されなかったのである。そもそもは安全神話とか作り事故が起きないとして安全対策すらしなかったのである
そして事故のとき浪江町民が避難したがそれが山の方の津島でありそこは一番放射線量が高かったのである。それはそもそもが原発というのは事故が起きないという前提にしてあったので避難計画さえしないし訓練もしなかったのである。ところが浪江町で東電の社員がいて爆発した時多くの人が山の奥の方の津島に避難した

でも海の方が放射線量は少ないとしてその東電社員に導かれて海の方に避難したのである。それは正しい行動だったのである判断だったのである。放射性物質が海に流されたからである。
つまり東電の社員なら放射性物質とかそういうものに詳しいのだから知っていたということである。だからこそなぜ事故を想定して訓練をしていなかったということであるそれは安全神話を作り絶対に事故が起きないとしていたからそうなったのである。
それをまたマスコミでも追求することはなかったのである。それはなぜなのかとなると電事連とかから800億円とかも宣伝費が流れていたためだとなる。

だから今回の小池百合子の問題でも同じようなことが起きたのである。カイロ大学の卒業したということをエジプト政府によって容認された。そのことでエジプト政府に弱みを持たされてカイロ大学に300億円もの寄付をしたとなそれは東京都民の損失であり国民の損失とまでなる。そういう一個人のことで国が関わり公的なものになるとその責任は重大になるということである。それは一個人の問題ではなく東京都民であり国民であれ大損害となってしまうからである。

だから小池百合子のそうした不正に加担した人たちも同罪になってしまう。それは国の財産であれ奪われてしまうということである。ただ人間は現代社会は何かそうした大きな犯罪不正に対して分かりにくいのである。だから国家的詐欺ともなるとだまされてしまうのである。戦前の戦争とかでも何か日本は強いとかアメリカに勝つとか宣伝してアメリカを知らないで300万人も死んでしまったのである。それも大掛かりな国家的詐欺だったのかもしれない。ただその責任者幹部もやはり戦死しているからその責任を取らされたとなる

●公職にある者の責任の自覚

人間社会は何であれ必ず責任を取らされる。それは公的な大きな役職にあればその責任重大なものになってくるので。だからただ有名になって役得を得ていい暮らしをしたいとかの動機ではそうした地位に着くべきではないとなる。一体何のために政治家になるのかただ利益を得るだけ地位を得て楽をしたいとかだけで政治家になる。その動機が問題なのである。

だからむしろそうしたい欲がない人が政治家になればいいのだが実際はそいう人いない。小池百合子やはり自分が有名になりたいとか注目を浴びたいとか権力者になりたいとかそれだけの理由で東京都知事までにもなった。そのために嘘もついたしそれが別に女性は嘘をつくが国家的な問題になり日本の国の損失になったことが問題だったのである。だからそれは一私人の嘘にはとどまらないものとなったのである。

ただ人間は大きな嘘には騙されやすい。戦争にしても日本の場合も戦争を起こした人たちが大きな嘘をついたともなる。でも大きな嘘は簡単には見破られない。カルト教団でも大がかりな嘘でもそれが大衆にをだますことができるのである。
また騙された人たちも騙されたと思わないのである。いずれにしろ小池百合子の問題は一私人の問題ではない一私人の嘘が国家まで巻き込むようにもなったのである。
だからこそ一体この問題の背景には何があったか国民も知るべきだとなる。もちろん東京都民知るべきであり小池百合子を選んだ東京都民にも責任があったのである。そして必ず人間社会は責任を取らされるようになったのである。その嘘は必ず明らかにされ真実が問われるということになる。その真実から逃れることができないのがまた人間社会なのである

命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕末に困るものなり。この仕末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり。西郷隆盛

つまりこういう人でないと国家を担うような地位にはつくべきでもないとなる。侍には何かそういう自負があり人間的に偉大な人がいたということである。それはやはり江戸時代に創り出されたバックボーンがあったためだとなる。つまり武士道があったためでありそうでなければ大事はまかせられないとなる。
ただ私欲の追求だけだったらそれは国家の大損失になってしまうからである。それを小池百合子の問題が何か具体的示されたのである




posted by 天華 at 09:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2024年04月16日

大衆社会とは何なのか?過去には存在しないもの 【マスメイア、マスコミなど現代に現れたもの―ナチスが生まれた背景】


大衆社会とは何なのか?過去には存在しないもの

【マスメイア、マスコミなど現代に現れたもの―ナチスが生まれた背景】


「気晴らし」が有閑階級の特権であったというのは、その階級のみが「つぶすべき時間」をもっていたということを指している。生きることで精一杯であった一般民衆には、「つぶすべき時間」はなかったのである。そしてそれが「難儀な負担でもあった」というのは、その気晴らしの手段を自ら作り出さねばならなかったからである。
「クソくだらない毎日に飽き飽きした」…多くの日本人が抱えている「退屈」はどこからやってきたのか


●大衆という言葉は戦後生まれたもの

時代時代に特有の現象がある。そして新しい言葉が生まれる。戦後特になぜ大衆というのは問題化したかである。大衆という概念はそもそも新しく生まれた言葉であり大衆というもの自体が存在しなかった。日本の場合戦前でも国民というのは存在し国民意識というのは存在した。その意識は極度に高まった時戦争になったのである。国のために一丸となり国民をそのために命をかけて死んだのである。それは国民大衆とは違う国民というときやはり国民意識がありそこにアイデンティティーを持っていたとなる。

党にあたる語にも衆という語が用いられるようになった。たとえば戦国時代では,美濃三人衆,山家三方(やまがさんぼう)衆,九一色(くいしき)衆,武川(むかわ)衆,那須衆,三好三人衆等の衆組織が有名である。

衆とは女房衆とか男衆とかもあり同一の集団である。党派でもある。それは明確に特徴のある色分けされる集団である。ただその規模は小さいのである。では大衆とは何なのか?その数の多さにある。それも不特定の多数であり明確に色分けされていない。
例えば原始時代なら一つのトーテムに鷲族とか犬族とか猿族とか集団化する。だから人間というのはこうして同族が集団化して生活するしてきた。ただそれは明確に色分けされた集団である。大衆というのは不特定多数であり明確に色分けされていない。またその後に部落民とかが生まれた。まだヨーロッパでは市民が生まれた。それは明確に色分けされた一つの共同体であり大衆今の大衆とは違う。

だからそれぞれの集団では強固な紐帯がありアイデンティティーがあり欠落していたのである。また市民というときそれは5万くらいの人口で城壁に囲まれた中に住んでいた人たちである。それがシティズンシップを形成したのである。日本にはそうした市民はなく村民があっただけなのである。だからその言葉を訳してもその実体がないのだから理解できないとなる。つまり言葉が入ってきてもその背景となるものはなければ理解できないのである

注意すべきは国民という言葉は明治維新以後生まれたものでありそれまではない言葉だったのである。村民という言葉はあっても国民という言葉はなかったのである。国民意識が生まれたのは明治以降でありそれまでは人々は封建制度の中に藩に属していて国民という意識はなかったのである。だから戦後は戦前は国民意識はあってもそれは大衆とも違ったものだったである。ただその規模が大きくなったから大衆と近付いたことは確かである。でも今の言う大衆とは違ったものである。そこが誤解しやすいのであ
大衆とは何がのかというとき戦前は選挙権を持っていたのは女性はもっていないし選ばれた人しか選挙権を持ってない。ということは民主主義があってもそこにやはり差別があり平等の権利はなかった。そして民主主義とともにまた逆に並行して大衆が生まれてきたのだと思う。

●なぜナチスが生まれたのか?−失われた土地のアイデンティティ

なぜナチスが生まれたのか?それは民主主義から生まれたのである。ヒットラーは選挙で民主主義から生まれたものであった。だから大衆というのは民主主義から生まれたともなる。民主主義のオリジンはギリシャのポリスになるわそれは1万くらいの都市でありそこで確かに投票が行われたとしても今の何百万人規模の民主主義とはまるで違ったものだったのである。
そういう世界はフェイスツーゥフェイスの世界であり人々が日常的に顔を合わす世界で暮らしていたのである。

では大衆とは何なのかそれが現代の大きな問題である
大衆とはマスでありそれが特定の色分けされた集団とも違う。不特定多数のものでありその人たちは何か特定のアイディンティティ持った集団ではない。その大衆というのはマスメディアとかマスコミニケーションとか現在の新聞とかテレビとかがから作り出されたものともなる。なぜならテレビであれ新聞であれそれは不特定多数の大衆を相手にしているからである。何かそこに原始時代の部落民とか封建時代の村民とかヨーロッパで言う市民というものではない。そもそもはその規模があまりにも大きすぎるからである。だから烏合の衆となりその人たちは何かそれぞれに色分けされたアイデンティティー化された人達ではない

そして大衆を相手にするときどうなるか、大衆にまた娯楽を提供する気晴らしを提供するのがマスコミの役割でもある。つまり日日起きることは事件がニュースは実は戦争であれ大事故であれ自分の身に及ばなければただ娯楽とまでなってしまうのである。だから常に刺激的なニュースが必要でありそれが自分の身に及ばない限り楽しむとまでだまた大衆を相手にすれば必ず低俗だものとなりそこには何か文化というものは生まれない。民衆と言う時農民であれ民謡とかとか何か文化を生みだすものであった。大衆というのは文化を生み出さない。何か消費されるだけの存在だとなる。そしてマスコミはその大衆を相手にしているのであり文化を作り出さないのである。

マスコミはテレビでも気晴らしを提供する日々のニュースは自分に害が及ばない限り気晴らしにもなるからである。それはローマ時代のパンとサーカスでもある。そもそも暇と人間は古代からでも人間の問題としてあった。だからスクールというときスコーレ(暇)から生まれたように本来は暇から学校は生まれた。

でも学校という漢字は縛るというものであり何か自由に暇をスコーレを活用するものともでもなかった。ただそうした暇というのは実際は下々の者とかではなくヨーロッパでは一部の貴族階級にしかなかった。その他は奴隷とかされて働いていたのである。でも人間が進歩して豊かになれば必ず暇が生まれる。それは悪いことではない。貴族しか得られなかった暇が一般の人にも見られるようになったからである。なぜ今150万人とかもニートとか引きこもりとかまたさらに高齢者が高齢化社会で老人が働かない人が膨大な数になっている。それは豊かさの結果なのである。つまり貴族階級しかいられなかった暇が万人に一般に得られるようになったのである

その暇があってこそ芸術とか哲学とか文化的なものは生まれたのである。暇を得るということは人間にとって文化を創るものであり必要なものであった。それが万人が手に入れるとなるときその暇を有効に活用できないという問題が起きている。
だからすでにローマ時代にパンとサーカスであり気晴らしが必要だったのである。パンを得たとしてもそれで暇がありサーカスは必要だったとなる。今そのサーカスを提供しているのはテレビとかのマスコミだったのである。

つまりテレビとかでも何百万人も見るということになるからその見る人たちが不特定多数でありその人たちは地域的にもバラバラであり地域的特性も無いアイデンティティもない。それがさらにグローバル化すれば地域的特性は失われるのである。だから世界のことも常に放送されるはその地域というのが場所が理解しにくいから誤解されやすいのである。take placeとは所が関係しているのだけども世界となるとその場所のことが理解できないから誤解しやすいのである。
イラクとイランというとき世界史的にも今イスラエルとも争っているがそれは古代ならばイランがペルシャ帝国ギリシャを攻めてきたように地理的にな空間軸であれ時間軸であれ継続したものはそこにある。でもいろんな地理がありイランの地理であり意外と世界地図を見ても分かるようでわからないのである。だから必ずいくらこれだけ情報化されてもグローバル化されても理解できないから誤解が生まれるのである。

●カルト宗教団体も現代の大衆宗教でナチス化の危険

ともかく大衆とは何なのかそれが問題なのである
それは巨大な不特定多数の大集団でありそういうものは今まで存在しなかった。ただ似たものとして国民がありその国民も規模が大きいから大衆と似ていたしそれでナチスが生まれたのである
でもナチスは国民意識から選民意識が生まれ何かそれなりにアイデンティティーがあったのかとなる。ただナチスがラジオから生まれたというときそれがやはり不特定多数とも化した大集団だからこそラジオはその大集団に向かって放送することにより一体感が生まれた。つまり現在のテレビとかで似ている面はあった。でもラジオでそれだけ影響力があるとするとテレビがどれだけ影響したかということである。テレビというのは絶大なる洗脳のメディアと化していたのである。

現代の宗教でも大衆宗教化してそれは本来の宗教とはまるで違ったものとなる。ただ皮肉なことは衆という時僧侶の集団を言っていたのでありその集団は大衆の集団とかは違う選ばれた人が修行していたわけである。
今の大衆宗教というのは創価ならば団地から生まれたように大都会から生まれたものでありそこで仲間づくりをして仲間意識を持ったということである。それは地方から東京に人が集まるそこで村のような狭いアイデンティティから切り離されて不安定になりそういう仲間づくりをしたのが始まりである。

でもそれが大衆化して拡大すると拡散するとナチス化してくるのである。現代文明は無数の職業に分化して人間も分化してアトム化したというときその時一人のの人間が現れてヒトラーのようになりそこにファシズムが生まれやすいものとなったのである。
だからその宗教というのはかつての宗教とまるで違ったものであり大衆化した宗教でありそれはファシズムとなりナチズムになる。それは社会を席巻してしまうことが恐ろしい事だったのである。そのときマスコミは批判も出来ない。その異体の知れない大衆に席巻されるのである。つまりカルト宗教団体は何がアイデンティティ化するものがその基盤になく大衆に向い大衆を洗脳して一体化を図りそれが権力化してゆくものだからである。

●マスコミは大衆を相手にしたメデア

そしてこのメディアからマスコミから有名人が作り出されてそれが主役ともなってしまったのである。それは中身がなくてもいいのである。名前が売れればいいだけでありだから見栄えが問題になるのである。それでラジオのアナウンサーは顔が見えないのだから声が大事なりしゃべる喋り方などが問題になるでもラジオのアナウンサーはテレビが出た時見栄えが悪いと採用されなくなったのである。
それで東京都知事の小池百合子は世の中に出るために見栄えを一番気にしてたいうのを分かる。まだテレビキャスターから議員になり都知事までになったの何か中身があるとか政治的手腕があるとかではないその人自体が言っているように女性だから慣れたというときその見栄えが良いから慣れたともなるだけである。

またカイロ大学を卒業したとか嘘をついてもそれが暴かれることもなくマスコミに受けてそれでただ有名になり都知事までになったのである。だから不思議なのはなぜそのような人物は衆議院議員にもなり都知事までなったのかということである
それは大衆受けするマスコミに受けると言うことだったかもしれない。前の東京都知事の青島とかいう俳優もマスコミ受けて大衆に向けて選挙運動もしなくても当選するとか自慢していたのである。何か青島だとか大衆受けする人物でありそしてそれが都知事までにもなったその政治的手腕とかそういうものがなくても別に良かったのである。テレビで大事なのを見栄えなのである。その他のことはあまり問題にしないからである。

でも最近YouTubeになるとまたインターネットでも情報環境が違ってきたのでテレビ等の世界を終わりつつある。情報は多様化したのである。それができるようになったのはインターネットであり個々人がテレビ局になってるなることもできる時代だからである。今度はユーチューブで視聴者が百万ともなっているチャンネルはある。それはテレビとも同等なのである。ひろゆきなどは100万の視聴者があるから驚くとなる。ただテレビと違っているのひろゆきは個々人の質問に対して答えてお金までもらっているのである。

そんなことはテレビではしない一方的にテレビ局の方針に沿って大衆に報道するだけである。ただYouTubeにしても次々に出てくるすでに誰も見ないということもありうる。それはインターネットのホームページであれ本当に十人くらいとかしか見ないとか普通にある。これだけ放送する方が莫大な数になればどうしてもそんなにいろいろ見ていられないのである。
だから本当にインターネットでで見られるのはごく限られた人になってしまうのである。いくら民主主義でこれは誰もがテレビ局になれるとか新聞社になれるとしても見られるということが至難である。それで辞める人も多くなるわけである

ただ確かな事はインターネットはたとえ一人しか見なくてもテレビ局でさえユーチューブでさえ可能だということである。なぜなら金がかからないからである。別に宣伝費ももらわなくても金がかからないからできるのである。ただどうしても手間を省くことはできないやはりテレビであれユーチューブであれプログであれ一記事を出すのにやはり相当手間であり一日の半分の時間以上割かないとできないのである。だからテレビ局のようにスタッフが何人もいて報道するのとは違っている。

でも私の相馬新報のように一地域からそこを基盤として土着的に報道できるのである。その住んでいる土地をアイデンティティ化してその上に全国へも放送できる。そこがテレビとかと違っている。だから放送は多様化したのである。でもあまりにも数が多いから読まれたり見られたりすることが大変なのである。ほとんど目に止まらないというのが多い。それで辞める人が多いのも分かる。ユーチューブでも今は有名人がみんな放送しているから普通の人が出てきても見られるということが至難になる。
でも万民に放送する権利は与えられたとなるから今までのただ受容するだけの情報環境はと違う誰でも情報を発信できるようになったから民主主義の発展には寄与することは確かである

命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕末に困るものなり。この仕末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり。西郷隆盛

つまりこういう人でないとっ国家を担うような地位にはつくべきでもないとなる。侍には何かそういう自負があり人間的に偉大な人がいtsということである。それはやはり江戸時代に創り出されたバックボーンがあったためだとなる。つまり武士道があったためでありそうでなければ大事はまかせられないとなる。
ただ私欲の追求だけだったらそれは国家の大損失になってしまうからである。それを小池百合子の問題が何か具体的示されたのである



2024年04月14日

2024桜短歌連作ー【六号線、霊山、丸森、相馬の城下、仙台市へ】


2024桜短歌連作ー【六号線、霊山、丸森、松川浦、相馬の城下、仙台市へ】

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霞む蔵王

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相馬市堀の桜

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丸森の親王桜

BY BEING IMAGE CREATOR


朝桜太平洋に船出かな
おぼろげに蔵王を見ゆや春霞
朝桜お堀に映し城下町
朝静か薬師堂にそ花の影

故郷の桜満開耀いぬ夕陽輝きここに生きしも
故郷になお知らざりし桜咲く幽けき道や我はたずねぬ
家々に桜の咲きてそれぞれの栄ありなむ我はめぐりぬ
近くなる社の桜幾日か咲きしと見ればはや散りにけり
ふるさとに桜並木や人去りて帰らざりしは悲しかりけり
山の上に桜の咲きて朝の海開けて遠く沖に船見ゆ
街道の松に桜や武士の殿にまみえて心強しも
海老の村津波に消えて桜咲く家の残りて海を望みぬ
高台に磯部の村の残りけり海を望みて桜咲くかな

金山に残る城跡桜咲く相馬と伊達の城にそありぬ
丸森の夕べあわれや灯のともり桜見てそ坂越え去りぬ

霊山に咲きし桜や夕暮れぬ巌黒々と南朝滅ぶ
顕家の像立ち散りぬ朝桜若き命を散らしけるかな
訪ねきぬ石戸の村の家の古り枝垂れ桜のや霊山望む
夕暮れや滝そひびきて山桜南朝滅ぶ落人の道
朝日射し高みに咲きぬ山桜巌に打ちつけ流れ響きぬ

六号線桜並木や山元へ帰りに望む月そゆかしも
仙台の城下にぎわふ夕桜その色濃くも古偲ぶ
広瀬川流れの早み桜咲く反りし石垣正宗の城
桜咲き燕飛びかう広瀬川青葉城なれ石垣反りぬ

春の夕日が輝き満開の桜である。近くの社の赤味帯びた桜見ていたが散っていた。桜が散るのが早いのでなかなかゆっくり見れないのである。だからこそ大河原の一目千本桜を自転車で見に行った時すでに散っていたのである。桜は散りやすいのである。だから南朝で活躍した北畠顕家は20代で戦死したのである。
桜は一面死を連想させる、だから同期の桜とか若くして散ること国のために死ぬことがすすめられた。そこには命を粗末にするものがあった。だからそうみるのも危険だとなる。

丸森と相馬は密接な関係にあり金山の城は一時は相馬藩と伊達藩交互に城主となっていたのである。また親王桜とか霊山の南朝にまつわるものとしてある。霊山城がありその周辺の歴史がある。
落人の道というとき南朝の霊山城が炎上して滅び逃れた落武者の一団が相馬であれ南相馬市の鹿島区であれ先祖になっているのが多いのである。なぜなら50軒くらい鹿島区だと只野の姓の人がいるからである。その由来は郡山の多田野村から出ていたのである。

とにかく桜にまつわる話はいくらでもある。日本はっ桜の国だからである。ただこの桜はこれだけどこでも咲くにしろ散るのが早いから極一部の桜しか見れないのである。時期的に短すぎるのである。ただ私は6月の自転車旅行で稚内まで行き桜を見た。つまり6月まで北海道なら桜が咲いているのである。

この辺で忘れられないものとなったのは津波の被害である。海老村も今日9割くらい消失したし磯部村も高台に家は結構残っていたが海に面したところは家が密集していてもそこはすべて流されてしまったのである。それも甚大な被害であった。ただ海老村では高くなったところには家が何軒か残ったのである。だから今でもここに家が残ったなあ見るのである

それで三陸のほうで残り谷【家】があったとは地名化して残っている。それは私が今感じたように津波にも流されずにここに家が残ったなということでそういう地名として残ったのである。津波の被害というのはそれだけたとえ十数年経っても忘れられるものではない。そこで地名化すればそれは相当に長く記録は残るそれは一つの大地に記された記録でもあった

今日は朝3時頃目覚めて右田浜から海老浜から八沢浦を松川浦まで行ってきたのである。今日は快晴であり自転車でゆくのにいい。ただあまり遠くなると疲れるので行きたくないとなる。花の盛りはたちまちすぎて桜は散ってしまうから困るのである。いくら時間があっても桜を見る場所は様々でありそれはそれを見ることは限られている。

私はとにかく恵まれていて自由に旅していたのである。なぜなら京都大阪方面でも何回も旅してみちのくに帰ってくると桜は満開になっている。その時京都大阪方面の桜は散っていたのである。桜前線はその変化は面白いのである。。時間軸と空間軸で桜を感じるのである。
でも空間軸で感じることは時間としては短いから本当に一部しか桜を見ることはできない。今桜の時期に京都とかに行ったら外人でいっぱいで外人を見に行くようになってしまうかもしれない。だからインバウンドというのは日本人にとってはいいものでもないのである。

六号線を行けば山元町に着くそして仙台に向かうことができる。仙台の桜は広瀬川の早瀬がありそこに咲いているのは良い。そして青葉城の石垣が反っているそこにツバメが飛び交うのである。

今朝気持ち良かったのは松川浦の港から太平洋に船が出るのを見たことである。朝桜が咲いて気持ち良いものだった。ただ蔵王霞がかかってぼんやりとしか見えなかったのである。





2024年04月13日

若き時に神を知れー20代で人間は決まる 【老人になり後悔しないために】

若き時に神を知れー20代で人間は決まる

【老人になり後悔しないために】


空の空なり

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加治氏将一チャンネル


これだけ風俗にかかわる若いものが関わっているのも驚きである
滅びの門は広いのである。この人たちも後で後悔するのである
貴重な若い時の資源を浪費したことになるからである。ただ会社でも利益のみを追求しているから同じようなことがある。カルト教団で教団でも御利益追求だから同じだとはなる。人間はどうしても利益に使われるのである。.それがなんためかなど考えない今利益になればいいじゃないかとなるからである。

●人間は老人になるとできなくなることが多くなる

人間は死を前にして何を思うのか?その一生を振り返り何を思うのか何を語るのか?結局いろいろあるにしても空の空なりになる。大きなことを成すように思えるがその前に何かを成そうとしたがすでに人生は終わっていた。こんなに人生が短いものなのかと最後に驚くし呆れてしまう。
人生は30過ぎると実際は急速に老人に向かっているのである。なぜなら40になると白髪が入ってきたりするからである。もうすでに体力的にも最盛期は過ぎている。 50になるともう老人のは入り口になっている。ソロモンなどは王様のなのだからいろいろな事業でも出来たし女性でも自由にいくらでも侍らすことができた。何不自由のない生活だったのである。そんな王様でも結局最後は空の空になってしまったのである

私自身も自転車に乗るにしても今度は腰が痛くなったとか体全体にがたついて何か遠くに行くのも難儀なった。するとあれもう遠くにも自転車で行けないのかとなりがっかりもする。
私にとっては自転車に乗ることが生きがいだったからである。それは車でも同じである。もう危険だから車に乗るなと言って免許を取り上げられたときその老人は生きる気力も奪われるのである。。それより足腰が悪くなりまともに歩けなくなったりする人もすでに出ている。また高齢化で杖をついて歩いている人も多いのである。

要するにそうなった時これはもう自分のやりたいこともできないそれで愕然とすることがある。人間は70になっても80になってもおそらく同じように継続して生きられると思っているのである。
でももはやそういう体力もなくなるということがある。それはすでにあなたの人生は終わりですとまでなってしまうのである。なぜなら人生と何かを成すことであり何かを試すことであり経験することなのだからそれができなくなることは死に向かっているのである。

そして誰でも感じるのは人生とはこんなに短くあっけないものだったのかということである。すでにあっけなく死んだ人が周りに相当いる。人間の死を見るときつくづくあっけないとの思ってしまうのである。そして死んでしまえばその人はたちまち忘れ忘れられてしまうのである。後々まで語られるのはほんのわずかの優れた人でしかない。あとはすべて死んだ時点で急速に忘れられてしまうのである。そしてそんな人がいたのかとまでなる。何か人間の存在は重々しいものと思ってるは実際はそんなものではない呆気なく死んで一巻の終わりだとなるだけである。


●若い時の浪費の怖さ


若い時に風俗関係などに費やしている数の多さに驚く。まさに飲めや歌いの青春時代である。それもたちまちに夢のように終わってしまう。そしてその青春時代に何が残ったかといえば何か後ろめたい時間を貴重な時間浪費したという悔恨だけなのである。
それはカルト教団などに入ってもそうである。そこでは宗教を追求しているようで看板にしているのに宗教などとは何の関係もない。世俗より世俗的なところでありただひたすら欲望を求めて欲望を実現するために祈っているのである。だから若い時そんなところに入ると一生後悔することになる。何か騙されたと思ってももはや若い時の純真な心は戻ってこないのである。
それでオウムであれ何か理系の優秀な人が人生をそこで浪費して終わってしまったのである。それより死刑にもなったから何のためにしたのかもわからなくなったのである。

そもそもその最初は間違っていると方向が間違うと元に戻れなくなる。 20代でその方向が決まることが怖いことなのでその方向が間違っているときそのまま一生は間違った方向に行ってしまう。そしてもはや戻ることはできないのである。
そして人生とは何回もやり直せる時間などないのである。だから一時的に青春時代でも飲めや歌いで享楽にのめり込んで騒いでいてもそれもあっという間に時間が過ぎてその後には空しさしか残らないのである。そんな人生を語ることもできないし自慢することもできない。人間はやはり子どもであれ孫であれ自分の人生について語り自慢したいとなるからである。何も語れない人生はそれは間違った人生だったのである。

ともかく青春時代などその華やかな時代などあっという間に過ぎてしまう。だからこそ若きうちに神を知れというのは格言になった。もっとも勢いは盛んな時神を知らなければその後は知ることができない。老人になれば確かに悟りとかおのずと思われる。
でも神を知るということはできないのである。要するに明日に道を聞けば夕べに死すとも可なりとなるのはやはり20代なのである。その時期を逃すともはや神を知ることはできない。でもそのときは勢いが盛んな時でありそんなこと思わないのである。
とても力が衰えるように思えないのである。でもたちまちに力は衰えてしまうのであるそのことで愕然としたときはすでにどうにもならないのである。
要するにあとはただ死があるだけであり結局あっけないくみんな死んでゆくのである

いずれにしろ若い時そんなことをして貴重な時間を費やして確かに金が入ったとしてもそれは後になって後悔するだけである。ただ利益だけお金だけを求めるということが後で後悔することになる。ただそれは社会全体でそういうことがあり会社でもそうだし銀行とかでもそうだった。そこではただ利益になればいいというだけである。だからそういうことは常に社会全体にありそれが極端化したのはそういう風俗の世界である。でも人間社会は常に利益を求めて奔走しているのだから利益から逃れられないのだからそうなりやすいとなる。

カルト宗教団体などそうした社会と全く同じでありそれ以上に御利益を追求しているのだから何なのだとなる
でもそれがあれだけ創価かのようであれだけ大勢になればこの社会は容認するのである。というのは必ず大多数の人間はみんな御利益を求めているからそれを説けば人が集まるということである。だからもしそこに人が集まるというとき1万人以上も集まればすでにそこは世俗化した御利益を求める団体に過ぎないのである。でも数が多ければ利権化して権力化して社会を支配するようになるのである。

だからその出発点がその動機が間違っているとそ一生も間違った人生になる。でもそこで御利益とかあると利権化して権力になるというときそのために励むとなる。それは宗教はなく御利益をこの世の権力を権勢を求めるとなってしまうのである。だから確かに御利益を得ても最後は何を得るのかとな宗教の追求したもの得られることはできないのである。

また真善美もその組織集団から現れることはない。そもそもそんなもの最初から追求していないからだ。ただ金持ちになり権力を得たい御利益を得たいそれしかないからである
そういうところに真善美になるものは現れるようがないのである。だからその最初は大事であり若き時神を知れということが大事になる。それはこの世の権勢を求めることでなく神を知るということはこの世のものを得ることではない。

神の国に行く約束を得ることであるその他はどうでもいいとなってしまう。その約束を得ない限り人間に安息は無いのである。この世でいくら栄養栄華を極めてそれもむなしくされてしまう。カルト教団とかは普通の人よりそうした栄誉栄華を求めているだけなのである。その動機から不純だからその最後もまだまともにならないのである。その原因はやはり若い時純真な時に神を求めて神を知るということがしないからである。
すべてこの世のもの求めていただけだからである。結局金の切れ目が縁の切れ目でありその人たちの組織も集団も雲霧消散してしまうのである。ただまともであればその矛盾を感じるはずなのだがもともとはそんな気持などある人たちでないから別に御利益になればいいというだけの団体なのである

●人間は死を前にして最後に悟っても遅いとなる

ともかく人間の最後になると馬鹿でも見えてくるものはある。なぜならこの世からただ去っていくだけだからである。そのときこの世とはなんなのだろうといやでも示されるからである。依然としてバカ騒ぎであり人間のカルマが繰り返され終わることなく続いているだけである。このように理想の国など作れないし人間の欲望は終るわけでないから依然としてこの世は穢れたものであり常に政治でも社会でもそうであり是正されることもないのであるそこに人間社会の絶望がある。

それが誰でも死を前にする時分かるのである。死を前にしてそもそもこの世のことをいろいろ考えても無駄だとなってしまうのである。何か癌になって経済学者が経済のことを語っているがそんなことを語っても死を前にしては無力である。それはほかの学問でもあらゆる学問でも科学でもなんでも同じである。そもそも学問で死を解決することは不可能だからである。科学でも不可能だからである。それを解決できるのは全能の神であり永遠の命を与える神しかありえないのである

とにかく人間死を目前にして何を考えるだろうか?

そのことを既に若い時から知るべきである。さまざまなことを思い巡らしても結局人間の最後は死なのである。この世は空の空なりとなってしまうのである。それを若い時から知らないかればならないのである。でも若い時は飲めや歌やいろいろなこの世のものに惑わされてそうならないのである。
そして若い時に神を知らなければ一生知ることができないということが恐怖なのである。老人になってから神を知ればいいと言っても知ることはもはやできないのである
ただ仏教で言う悟りのようなもの自ずとある
でも神を知ることはできなくなってしまうことが恐ろしい事だったのである。なぜならこの世とは永住する場所でないしliveはlieveであり一時いるだけのことだったのである。

あなたがたは地上に富を積んではならない。そこでは、虫が食ったり、さび付いたりするし、また、盗人が忍び込んで盗み出したりする。富は、天に積みなさい。そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。」

この世に宝を蓄えるために日日心を煩わしている。でもその宝盗まれたり錆び付いたりして永遠のものではない。そもそもは文明であれエジプト文明であるそれは砂に埋もれマヤ文明はジャングルに埋もれたとか文明自体が富を蓄えたとしてもすさび付いて盗掘にあったりしているから同じである。この世にあるものはそうして保つことはできないのである。天に貯えたものは永遠に寂びることも消失することもないのである。そこに永遠の命があり永遠の都があるのであるそこの宝は朽ちることもないし錆つくこともないのである。この世にあるものは一切錆び付いて朽ちてゆくだけである。だからある意味で徒労だどんなってしまい空の空なりとなってしまうのである。

それは死を前にして否が応でも示されるのである。でもその時は既に時遅しである。だからこそ若き時神を求めよとソロモンは言ったのである。その若い時は飲めや歌やとか何か訳のわからないことによって迷わされておかしな方向に行ったり必ず道に迷うのである
でももし本当に求道心があり神を求めているならばその動機が正しいならばそのカルト宗教団体でもその実態を見破ることができる。何かやはり動機が問題でありそれが人間を過ちに導いているとなる。

狭い門から入れ。滅びに至る門は大きく、その道は広い。そして、そこから入っていく者が多い。命に至る門は狭く、その道は細い。そして、それを見出す者が少ない

若い時すでに風俗で身を費やして将来を失う、なぜならそういうことしていると真善美とかを追求できなくなる。飲めや歌いやあっという間に若い日は失われ返ってこないんである。その貴重な時間を取りもどせなくなる。若い時はやはり純真な心を持たないとこの世の良きものが見えなくなるのである。だからその出発点を誤ると方向を誤ることが怖いことなのである。


2024年04月12日

相馬市まで夕べ桜を見て帰る【朝桜、菜の花、蓮華、桜、夕燕】


相馬市まで夕べ桜を見て帰る【朝桜、菜の花、蓮華、桜、夕燕】

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私の庭は桃色の椿だった。

東風(こち)吹いてはや吹き散るや朝桜
菜の花に蓮華の映えて農家かな
街道の松に桜や城へ行く
夕桜六万石の城の跡
相馬まで一気に走り夕燕

庭の奥朝の光に包まれて白椿ひそかに咲くや家にこもりぬ

昨日ははかなり風が吹いた。それで満開の桜が散るというのではないが花びらが飛んだ。その風は東風(こち)でありこれは春に海から吹く風なのである。
この辺でわ原発事故でその風が吹いて放射性物質が運ばれるということが必ず思い出されるようになったのである。この東風は福島市の方まで吹いたのである。だから不運だったとなる。
なぜなら海の方に吹けば放射性物質海の方に流されたからである。冬であれば北風であれ西風であり海の方に流れたということがある。東風だったために福島市の方まで放射性物質が運ばれたのである。だから不運だったのである。

相馬市の城のあるところにあった所に向かってゆくのと相馬市から鹿島の方へ帰ってゆくのは感覚的に違ったものになる。それはどこでも同じ場所で方向が違って行くと何か感覚的にも違ったものを感じるのである。だから相馬市にはもともと城があったからそこに向かっていく感覚と逆に相馬市から離れて街道をゆくということは違った感覚になるのである、同じ道でも行きと帰りでは違って感じるのである。

白椿というとき

花の色には紅・白・ピンクがある。
 白花には清楚な感じや愛らしさがある。

白椿は白だけではない、私はピンク色がそうだと思っていた
そのピンクも濃くはなく淡い感じである。清楚な感じである
細長い庭の奥に白椿が先朝の光に包まれている。そのように奥まったところに中心に純真な花は咲いている。それは光に包まれているのである。

そして私は家にこもっている。ただやはり春になればどうしても外に出るようになるのであただ最近腰が痛くなったりとなかなか遠くへ行くのは苦しくはなっているのである。


2024年04月11日

 桜と日本の橋と燕飛ぶ風景 Cherry blossoms, Japanese bridges and flying swallows

 桜と日本の橋と燕飛ぶ風景

【Cherry blossoms, Japanese bridges and flying swallows』




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Where are we?

Is this Europe or Russia?

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草田男の俳句「町空のつばくらめのみ新しやという俳句がこれにあっている。
なぜなら中世風の古い街であり燕のみが新しいとなるから
でもこれは陶器の街と入れたらこんなミニチュアの街が出て生きたから不思議である。

The haiku by Kusadao, "Only the Tsubame of the town sky is new", is a good example of this.
Because it is an old town in the Chuse style and only Tsubame is new.
But it is strange that this miniature town appeared when I entered the word 'pottery town'.

2024年04月10日

春の日に栃窪村から大倉村に行く(短歌連作) 【山村に刻まれた歴史をふりかえるーそれは世界の歴史でもあった】


春の日に栃窪村から大倉村に行く(短歌連作)

【山村に刻まれた歴史をふりかえるーそれは世界の歴史でもあった】

【栃窪村】

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【大倉村】

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この碑は何の記念碑なのか不明



倉ありて前畑耕す老人や道にチューリップ映えにけるかな
チューリップ植えて飾れる栃窪の村や華やぐ人のともしも
二本の桜そ庭に咲きにけりと栃窪村の古りし家かな
ここにしも空家二軒春なるも淋しき村を保つ人ともし

大倉の墓地に刻まるその名かなここに生きしを何をか語れ
大倉の社の古りぬその謂れ村の歴史を語るものなれ
岩の台石碑の立つも字も見えず何を語るや春の日暮れぬ
その昔相馬女学校に通いしと自慢せし女(ひと)老いにけらしも
大倉に桜は咲きぬ鳥は鳴きその声しみぬ家のともしも
大倉に学び育つ人あれ杉一本の真すぐに立ちぬ

栃窪村は今田んぼ広くする工事中である。その工事は南相馬市全体で続いていた。道の脇にチューリップ増えてそれが咲いたから気持ち良いものとなった。倉がありその前で老人が畑で仕事する。老人でもすぐ前に畑があれば仕事しやすいとなる。
それから大倉村に着いたがそこで目立つものは何かといえば墓地であった。その墓地も立派なものが多いのである。何かまたらし真新しい御影石でで作られている。墓の数もまた多いのである。今大倉村も見れば家にしても十軒もあるのかとなる。そんなところに郵便局がある。郵便局はどんな辺鄙な所にでもある。
あそこは前は店があったなくなった。辺鄙な場所でも昔は万屋が必ずあった。福島県の鮫川村なのか石川村なのかそこに万屋がありなぜか味噌汁を御馳走になった。今時そんなことする人いないがそこは山の村で万屋でありそういう昔ながらの情が残っていたのである。

とにかく大倉村の歴史というときそこにも歴史がありなぜ立派な墓が多いかというとやはりやまでも昔は材木がありそれを売って金持ちになっていた人がいたのである
山持ちはは金持ちになっていた。だからこそ相馬女学校に親戚の家から通っていたという女性がいたのである。この辺では相馬女学校というとき一つのステータスになっていてその学校を出ていればお嬢様になっていたのである。私の会った老人はそんなことはなくただの老女になっていただけである。

ともかくこの辺では原発事故で放射線被害がありそれで飯館村にしろ今帰っているのは十軒程度でありそもそもは村が維持できるのかとなる。ただそれは日本の人口が少子高齢化で減少してそもそもそうした山村などが維持できるのだろうかという問題がある。まず空家はどこでも増えているからである。いつも空家を私は見ている。栃窪村にも空家を二三軒見た。飯館村は空家が多い。補償金が多額だったので村を出る人が多かったのである。

ただそれなりにこうした村でも歴史を刻んできたのである。そうした村々の歴史というのは失われることはどういうことになるのか?多様な場所に人は住んできた。その住む場所によって多様性が生まれたのである。だからたとえ貧しいとしても日本でもやはりそこで暮らしが成り立っていたのである。ただそうなったのは
グローバル化で木材でも外材になり炭焼きで山村は豊な時があったがそれもなくなった。燃料は石油になりもともと日本にあった資源も利用されなくなった。そして真野ダムができたのも村を縮小させた。そして原発による放射線被害は致命的だったのである。結局このような小さな山村でも大きな世界であれ時代の影響受けたのである。戦争でもこんな山の中の社に山津見神社に記されている

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国威宣揚とある

地方(大倉村)の小さな碑が語る歴史の重い事実 
(神社は国家神道となり戦勝を祈る場となった)

戦争でもこうした山の中の村でも生々しく影響したのである。つまり山村でも戦争であれダム建設であれグローバル化であれその時代の影響を受けることを逃れることはできなかった。そして最悪なのは原発事故の放射線被害だったのである。この世に桃源郷は存在しえないのである。


こういう山村でも歴史が失われるということはどうなってしまうのか?それが日本の最大の問題になっている。あそこには確かに学校もあった。今残っているのはその学校の体育館だろう。それから真野ダムができたときそこにも部落があったがその村を捨てて移住したのである。だから鹿島区でも他でも大倉の人は住んでいる。その時やはり補償金が大きいから立派な家を建てたりしたのである。

そしてまた原発事故で避難区域になり村の存続すら危ぶまれる状態になってしまったのである。何か跡継ぐ子供いるのかとなる。ただ何か墓地は立派であり立派な墓があった。不思議なの津波で漁村でも家は流されても墓地が残っている不思議があった。墓地は先祖が眠っているからここを離れたくないとして残っているのかもしれない。なぜなら墓というのは家がなくなってもしばらくは残っていることがあるからである。墓に眠っている先祖もこっこを離れたくないとして墓地があるのかとなる。
ともかく山村の盛衰も世界のグローバル化の影響でも時代の影響を生々しく受けてそれが刻まれていたのである。

2024年04月09日

2024春の俳句短歌−燕来る 【菜の花、花に雨、エゾムラサキキ、白椿・・・】


2024春の俳句短歌−燕来る

【菜の花、花に雨、エゾムラサキキ、白椿・・・】


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六号線我が走りつつ朝桜
街中に菜の花匂い漬物屋
つばめ来る小さき街の家並かな
家の前タンポポ咲いてシジミチョウ
花に雨みちのく暮るや灯のともる

つばめ来る古巣を見つけ飛び交いぬ老人二人の語り合うかな
今年も咲くエゾムラサキやキンカンを新たに庭に植えにけり
我が手にそ植えしとりどりの小さき花や春の日さしぬ
街中の神社の古木に山鳩の春の昼間に啼く声ひびく
雨しとと白椿ぬれ窓の外にそを見つ静か我が家に籠る

燕がスーパーにきて古巣を探し点検していた。またあそこに巣をつくるのかわからない、ただ盛んにすでにつばめ飛び交う
スーパーのベンチに座り老人と語る、老人だと必ず昔を語るようになる。古巣を燕が探すというのも燕でも古いものと関係ある。燕だと
草田男の俳句「町空のつばくらめのみ新しや]が有名である。
燕にはそういうものを感じる。何か新しい便りをもたらすとなる。

旅路来て赤絵の街や初燕

九州まで旅して作った。それは感動的だった。

街中の漬物屋に空地があり漬け物屋がある、それが何かふさわしうかった。やはり菜の花は匂う花だからである。
庭には今年もエゾムラサキが咲き花桃も去年植えたのが咲いた。

キンカンは最近植えた。何か老人にあっているのは園芸とか庭作りである。身近で楽しめるからである。でも庭でも広くなると手入れが大変になる。

今日は雨であり花に雨になり何か今年は早く花も散るかもしれない、花は満開になったと見ていると散ってしまうからである。
それで桜はいたるところに咲いているのだが咲く期間が短いので意外と見れないのである。
窓の外から雨に濡れた白椿見える。何か静かで心落ち着く、老人になると安らぐ家が大事になる。ただ家族はいなくなったから淋しいとはなる。


日本和菓子は多様である。そして芸術性もある。それぞれの花にあった菓子を作れば思い出となる。
だから左沢()あてらざわ)で蕗の薹を模した菓子は思い出となったのである。



無用の用の思想−自転車と車の問題 【グローバル経済資本主義西洋思想から転換する時代】


無用の用の思想−自転車と車の問題

【グローバル経済資本主義西洋思想から転換する時代】

自分より上層の人たちに「有用」と思われたら酷使されて人生を棒に振ることになる。
天寿を全うしたいのなら馬鹿のまねに徹して人々の目に止まらないようにすることだ。

櫟社というやしろの神木になっている櫟(くぬぎ)の大木に、匠石は目もくれない。その弟子がたずねると、「舟を造れば沈むし、棺桶をつくれば腐るし、道具をつくればこわれてしまう。・・・全くとりえのない木だ.使いみちがないからあのように長寿が保てたのだよ」と匠石は答えた。

、額が白い牛、鼻がそり反った豚は、痔病のある人間は、厄祓いの犠牲にならない。不吉なものとされるため、神人が大吉とするものに外ならない

荘子に見られる「無用の用」の話

●精神障害者は特権者だった―自転車と車の問題

何かその人についてわからなかった。髪はボサボサであり普通の格好ではない。年は40代くらいかもしれない。なぜその人と会うかというとどういうわけか自転車に乗っていると自転車の人と近しくなるのである。現在社会は車社会であり自転車に車のない人は自転車を足としている人は劣った人たちなのである。
それで自転車に乗っている人は自転車を通じて話したりするの大概ニートとか劣った人たちなのである。何か私の場合そういう人たちと会いやすいのである。普通昼間でもまともな人は会社で働いたり役所で働いたりしていて見えないのである。車に乗っている人は車というのに閉じ込められて何か出会って話すということがほとんどない。それで自転車旅行をしていた時車の中に泊まる人がいたとしてもわからないのである。そこは密閉空間になっていて閉ざされた空間であり人が交わらないということである。

車というのはそうして人と人とが交わらない密閉された空間である。だから旅は道連れということは起きない。歩いて旅していれば必ず同行するのだからそこで親しくなり一時的であれ旅は道連れ世は情けになるのである。そういう旅はもはや江戸時代まででありなくなったのである。だからこれまでも旅は喪失したということを書いてきた。旅人はいないということを書いてきた。。それは大したことがないようでも一つの人間的な文化となっていたものも喪失したのである。どうしても道具とか機械によって便利になっても失われるものがある

一人の老農夫が水甕を持って水場に行っては水を汲み,担いできては畑に流していた。子貢は気の毒に思って,「おまえさんは,はねつるべを知らないのですか」とたずねた。はねつるべを使うと,水汲みも水を畑に流すことも格段に楽になる。すると老農夫は,「わたしもそういうものは知っているが,先生からこういうことを聞いたことがある。機械(からくり)を使うと,どうしてもものごとが機事(からくりごと)になり,からくりをどのように使ったら効率的かということが大事になる。そういうことばかり考えていると,心も機心(からくりごごろ)になり,心の純白さが失われてしまう。そうなると道から外れてしまうから,わたしは,はねつるべは使わないのですよ」と答えた。老子

心も機心(からくりごごろ)になり,心の純白さが失われてしまう。

つまり車社会になったとき心も機心(からくりごごろ)になり車心によって何か人間の本来の心まで失われたともなる。人間の本来の場のある付き合いなどが失われたのである。だから人間と人間は車によって返って親密になるのではなく疎遠になって常に車なしではありえないそして常に事故がありそれでも車は手放さない社会になったのである。
老子の思想は鍬まで使うなと言っているから極端である
道具を使うなという時道具によって人間的なものが奪われるからそう言ったのである。確かに車社会になれば歩くということがなくなりそこで旅もなくなった。道具によっているものも大きいがまた失われるものは必ず必ずあるということである

その異様な風体をした人は何かわからなかった。そして最近わかった。その人は精神障害者であり近くの精神障害者が集まる仕事している場所に出入りしていたからである。
でもその人は何か異常性は感じられない話しても普通なのであるただ異様な格好をしているから何なのだろうと見ていたその人はそういう格好をしてぶらぶらしてもそれで咎められることもできない。なぜなら精神障害者であり国からこれを支給されて保護されているからである
だからその人は仕事というのもしないし自転車で自由に走り回っているだけだと思う。普通だったらその人は批判されるのだがそれもされない。その理由は障害者であり金も支給されている仲間もいて保護されている。つまり異様でありなんであれそれで社会からはずれていても批判もされないのも奇妙なのである。
なぜなら仕事をしないニートは常に批判されて親でもなんとかしようとしてプロの仕事人に頼んで仕事させようとしているからである

●荘子の無用の用と何か―戦争に行かずにすんだ障害者

それで思い出したの老荘思想である。無用の用の思想である
障害者のことを荘子は語っている。障害者だからこそ戦争に行って死ぬこともなかった。補償されて食料も供給されていた。でも兵士として有能な人は戦死したとかかえって障害者の方が生き延びたとして荘子も奨励もしていたのである。それは日本の戦争の時懲兵検査でも障害者は兵士にならないですんだのである。

確かに今振り返るとあの戦争で300万人も死んだ。その時障害者は戦争に行くこともなく延びたとなる。そして有能な人間は体も丈夫な人間は兵役に取られ死んだのであるそうして死んだ人たちが必ずしも今になって褒め称えいれられるかというとそうでもないのである。。その時懲兵拒否するためにわざわざ病気を装ったという人たちもいた。

それは戦争で行けば死ぬから行きたくないとなったのである。その時日本国家のためだとか天皇陛下万歳と言って死んだ人たちは本当に意味あることだろうだったとか今問われている。だからこそ障害者が戦争に行かずに住んで長生きしたことを荘子が言っていることがそんなことは許されないと普通なるがそうでもなかったことを時代が過ぎてわかってきたのである。
現実に私の家族の一人が4年間も従軍看護婦として国に尽くしても年金ももらえずもらったの表彰状一つだけだったのである
その苦労からすればなんなのだろうとなる。それより死んだ人は報われるのだろうかとなる。

ただ無用の用というのはわかりにくい。なぜなら人間社会では常に有用なことを目指しているのである有能な人間でない者はもはや人間でもないとされる。だから無用の用という思想は本当に逆説だったのである。なぜそのような思想が生まれたのかというのも不思議である。それはヨーロッパからは生まれない思想であった。極めて東洋的な思想なのである。ただキリストの教えでも
なぜ、

着物のことで思いわずらうのか。 野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。 働きもせず、紡ぎもしない。 しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。

働きもせず、紡ぎもしない・・・これはいやあれ老荘思想に通じるものがある。とにかくヨーロッパの思想でわキリスト教でも常に有用であることが求められる。だからこそ有用な人間になるために修道院でも神のために働き他者に尽くすということから資本主義が生まれたというのもそのためなのである。何か用途がなければそれはヨーロッパでは許されないことだった。そこに東西の思想の文化の大きな相違があったと思う

ともかく奇妙なことだがあまりにも用に満たされたの世界というのは息苦しくなる。それは東京のような大都会を見ればわかる。家とビルで埋め尽くされてまた車で埋め尽くされてそこはすべて用で埋め尽くされ無用な空間がないから空き地もないからそういうとこで生きることは地獄にもなる。

つまり有用に埋めつけされた世界そこはもはや地獄にもなる。人間にはすべて有用がいいというわけではない。日本だったら間の思想があり間とは無用の空間として必要なのである。例えば話すして話すことにしても次々にしゃべると言うのではなく間をおくとそこで何かそれぞれ話したことを考える間があり有効なのである。間がなければそのしゃべることでもかえって相手に伝わらないということがある。すべてが実用的なもので満たされて間がない時かえってそれが窮屈なものとなり失われるものはあったのである。

●西洋文明の資本主義の用の思想の行きずまり

確かなこと現在の世界の文明というときそれは明らかに資本主義であれ共産主義であるそれは有用な世界を血眼で求めている。有用でないものは必ず責められる。その思想というのは実はキリスト教も極めてヨーロッパ的な思想であり東洋的思想ではない。だからキリスト教は実際は東洋的なものである。ただあらゆるものは東洋はオリエントになっている起源となっているのである。ヨーロッパ的思想は文明が世界を席巻したのそれは必ずしも宗教と別物だったのである。ただ宗教というのも実際は現代社会では資本主義化してそんな無用の用とかとは関係ない有用さを求めて必死になっていたのである。

だから西洋文明というのは一つの転換期に来ている。それは限りなく有用なものを目指すものであり無用の空間などは無用の用などは許されないものであった。
でもそのことが世界をゆがめた。自然破壊にもなり自然をすべて有用なものとして利用すると都会を大都会を見ればそこに無用の空間は消失して殺伐となってしまったのである。つまり無用の空間というとき公園を作るとかなるそれは無駄ではない。でもあまりにもビルとか家とかすべて有用で埋め尽くされて窮屈なものとなり人間自体が歪められる結果になったのである

例えばそうしの無用の木のたとえでもそうである

大工の棟梁が,櫟(クヌギ)の大木を指して「この木を使って舟を造れば沈んでしまうし,家具に使おうとするとすぐに壊れる.こんな大木になれたのも,役に立たないからだ」と言った.そのあと,櫟(クヌギ)の木が夢に出てきて「人の役に立ちそうな木というものは,実ができるとむしり取られ,枝は折られ,人の役に立とうとして却って身を傷つけている.そこで自分は役立たずになることを願い,その結果大木となったのだ」

材というとき人材でも使われる人とも使われる
材というのは森の一部の木を切り取りまた木の枝を切り取り一部を切り取ったものを有用のものとして使うのであるでも一つの木がありそれは全体である。材は人間を一つの人材として見て材として見て切り取ることである。でも人間一個を取ればそれは全体であり材では無いのである。
でも現実社会では人間の一部の才能は切り取られ材として利用されるだけである。人間はもはや様々な専門職業があり一個の人間として全人間として機能することはないのである。だからこそ無用の用を言ったのは全人間としての用であり一部の材として切り取られるものではないといったのである

いずれにしろ車社会というのはもはや限界である。車が要らないというのではなくやはり交通でもや車以外のもの見直すということである。車によって得られるもの大きいものだったが失われたものもあったということを知るべきである。そして現在の世界は西欧的文明から変化を求められている。その一つがあまりにも用を求めて返って人間社会が生きづらくなったということである。高度成長とか経済発展とかそれも限界に来たそれを推し進めてゆけば自然破壊となり人間の生存すら危ぶまれる。

だから今人口減少時代になっているのはそれは自然の理であり神がそうしているのかとまで見る。このまま限りなく人口が世界で増加して行けば自然破壊が極端になり人間は住めなくなってしまうかもしれないからだ。もちろん日本でも少子高齢化になっていてそれがいいというわけではない。でも地球には許容範囲の人口がありそれが超えてしまって問題が起きている。そのために人口減少しているのはすべて悪いとも思えないのである。すべてを経済の観点からだけを見るのは終わったように思えるからである

西洋文明というか思想というかそれが行き詰まってきたのが現代だと思う。だからといって今の宗教カルト宗教団体などは今までの宗教とはまるで違っている。それは資本主義に染まった西洋的物質文明の極端化したものである。なぜなら異常なほどにご利益を求めて狂気のようになって祈っている団体だからである。そこで無用の用などは許されない。みんな用のある実用的な人にならない限りそんな人はいらないとなっているからである。だから本来の宗教性はゼロであり血眼になってご利益を求めそのためにあことなく活動して休む暇もないので結局それも何のためにしているのかも分からない

●グローバル経済も終わりに―人間の欲は消えない

ただ現代は利益になるもの金になるものはよしとされそれを追求しているのがまたカルト宗教団体なのでそれで高度成長時代になり増大したのはまさに時代に合ったものであり本来の宗教とは何の関係もないのである。それで一時代が去ると跡形もなくなってしまうのである。 一種の病的団体でありナチスのような狂気の団体なのである。
でもそれが集団化し数多ければ正常となってしまうのがこの民主主義の問題なのであるだから民主主義自体も行き詰まりアメリカでも内乱状態にあるとかなってしまう。すべて数が正義となり数で決まるということは異常な世界でもあったらあっただからこそナチスは民主主義の選挙で正当に選ばれて世界のような強この世界を作り出したのである

確かなことは戦後70年過ぎて日本であれ世界であれ大転換期を迎える。それは資本主義で共産主義でもそういうものは終わりを告げ。世界を市場化するなどということ自体が間違っていたのである。結局そこで利益を得たのはアメリカであり大企業でありごくわずかの富裕層だけだったのである。そこで必ず陰謀論になるだからグローバル経済というのも貿易というのはなくならないにしても世界を市場化するなどということは終わりなのである。
いかに株とかでもそれが正当に見えるが違っているのである何かヘッジファンドとかいかがわしいものに操作されて金が右から左に流れて労せずして莫大な金を得ている人たちがいる。

そういう資本主義というのはもはや継続できないのである。ではそれに代わるものがあるのかといえばなかなか難しいな明らかなことは西洋的なものが終わり次に何か別なもの東洋的なものは起きてくるかもしれないただそれはわかり明確に見えないのである。
でも資本主義が悪というときそれはやっぱり自然の理に反しているというか何か人びとを幸福にするというよりは不幸にしてきた面もあるから終わるのである。資本主義とはごく一部の人が暴利をむさぼるシステムだからである。かといって共産主義また一部の幹部が暴利を得るものとして終わったのである

そもそも政治にしてもなぜ混乱してうまく機能しない。それは人間の欲というのがなくならないからである。政治家でもそもそも欲がなくならないからただ欲によって動かされてるだけで別に民衆のことなど考えないのである。自分たちが良ければいいとしかないからである。
だから理想の政治などこの世で行われたことはない。人々はただ権力を持ちたいそして上に立ちたい支配したいということしかない。それで日本の問題でも既得権者のことを批判している人がいる。まさにただ既得権を維持するための政治であれ経済になっている。それは人間の欲というのは消えないしただ自分たちの欲を実現するために政治がある。カルト宗教団体なども欲の塊であり欲を実現するために毎日狂気のようになって祈っているのである。

だから決してそういうカルト教団であるそういう人たちが政権を取ったりしたら地獄にまたなるのである。権力を持ったものは人民を酷使し強制するのである
それはカルト教団でも共産主義でもまた同じだったのである。だから治めずして治めるとか老子の思想が生まれ聖書では緑子に治めさせ世というときそこに人間の欲が介在しないからそうなったのである。

つまりすべての根源は人間の欲にあり欲はは消えることがないから人間社会が良くなることもないのである。また機械であれそれはいくら発展しても必ず負の面が出てきてそれが災いとなってくるのである。それが老子が道具を否定した所以である。なぜなら鉄の道具を作ったら必ず武器になるからであるそれがただの石であってそれを投げれば武器になるからである。だから最終的には核という道具が人間を人類を滅亡させると思う。それが人間のカルマだったともなるのである

人間の罪障消滅は最終的にハルマゲドンによって終わると思う。それが人間の宿命でありカルマだともなってしまうのである。だからいくら道具が機械が発展進歩してもAIでもそれは最終的に人間を滅ぼすものになるというのは言われるのはそのためである。だから車社会というのはどれだけ交通事故で人を殺しているかそれは世界的に起きていて今フランスでは自転車通勤をしているというときやはり車社会というのはもはや限界に来ているということである。そこで失われたもののを気づき始めたからである。

また世界がグローバル経済で結ばれることがいいものだったかというと世界史をみればわかる。アフリカではヨーロッパ人に奴隷にされてインディアンが殺戮されたり南米でも実際はポルトガルスペインに略奪されたともなるその後にしてもなぜ世界大戦が2回もありそれで死んだ人は何千万ともなる。それもグローバル化の負の大きな面だったのである。だから老子言う小国寡民というのは世界を平和に保つためのものでもあったという逆説が成り立つのである



2024年04月07日

牛越城の麓の水無川の橋で老人と語る 【牛越城の姫の話を聞き城があったことを実感する】


牛越城の麓の水無川の橋で老人と語る

【牛越城の姫の話を聞き城があったことを実感する】

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牛越城

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蒲田(かまた)は、東京都大田区町名−蒲が生えている湿地帯のこと蒲【がま】はカマであり鎌田になった

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何故この場所に牛越城を築いたのか?それは相馬氏が在地の勢力を支配するためだった
海側には泉氏がいて進出できなかったからである

なぜ深野より大原に相馬氏が最初に入ったのか?
(中世の城館を見ればわかる)




牛越城の麓の水無川の橋の上で老人がいたので話しかけた。
この川は水害になり相当に水が出て荒れ果てていた。その原因がこの川の上に高倉のダムがありそのダムを放水した結果水が大量にながれ被害があった。とくに高倉の川の岸の家は浸水して被害が大きいものだった。高倉ダムは小さいダムでありそのために水を放流した結果水が大量に流れて被害になった。

この川は新田川に合流するのだがその水の勢いで向かい側の土手が破壊されたのである。日本では水無川とあっても水があふれるくらい出ることがある。それは南相馬市の鹿島区の水無川でもそうである。水があふれて土手を越えて家にも浸水したからである。そもそも水無川とあるごとく水が流れていないのである。

鹿島区の水無川は水が流れているのはまれなのである。ただ原町の水無川はいつも水は流れている。でもあれだけ水が出たということは驚いたのである。それで小さなダムを大きくしたという。
だから安心かもしれない、ただ水無川となっていればあんなに水が出ないと思っていたのである。だから水無川となっていても水は出るから危険でもあった

その老人が語るには牛越城の姫のことを語っていた。なんでもここを訪ねた他藩の人がその姫のことを腹がふくれるだけだと馬鹿にして笑ったという、その意味が良く分からなかった。
この辺はもともと原になっていて何もなく原だけでありそれで腹が膨れるだけだと言ったのか何かわからなかった。
ただ牛越城というのは確かに五年間城が相馬市が館を構えていた。ただそれも館であり城というものではない。だから石垣も何も残っていないのである。だから城があったとか思えないのである。実際は館でありそこに姫も住んでいた。ただ確かに姫のことをその人が語ったということはここに確かに姫がいたということである。

他から来た人がここにきてただながめれば原っぱしかないので腹がふくれる子をはらむとかと揶揄したのだろう。
原町の場合市街地が広がりそこが田んぼでも住宅地になったから昔のことがわかりにくくなる。でもこの地に館を築いたのは海側に泉氏などが有力な在地の勢力としてあり実際に争いもあったようである。相馬氏は千葉県あたりから来た人たちであり馬を操ることことにたけていた。それで在地の勢力と戦い支配できたのである。この牛越城の城代が不明なのも不思議である。
だからすべてが歴史の書にしるされわけではないから土地の人に直接聞くことが大事なのである。ただこの人はもともと歴史に興味あった人だったから話しできたのである。

原町市はここももともと原っぱであり原町駅が機関区になり駅前通りができて発展した。雲雀が原がありそこで馬の調教などの訓練をしていたのである。原町はもとは原町村であり野馬追に一騎だけでる。野馬追に出るのは市中からはほとんど出ない、相馬市でも出ないのである。農村地帯から農業をして侍だった郷士が出る。だから原町市に住んでいる人は他から移住した人たちだとなる。やはり鉄道が通り機関区になったことで発展した。そういうこと\歴史があり鉄道が影響したのである。

原町高校に通ったときまだ蒸気機関車だったということが信じられないのである。でもトンネルをくぐると煙ですすけたりしたから蒸気機関車だったのである。
ともかく野馬追の原でありそれは今の市街地はなく原っぱであった。
ともかくその話を語った老人は戦前生まれでありこの辺の昔を知っていた。何か学校で歴史クラブとかにも入っていたというから歴史に興味を持っていたのである。
何か歴史でも興味を持つのは本を読むだけであはないこうしとそこに住んでいる人から直接聞くと身近になる。それにしてもその話にしても300年目400年前となるとそれが話として伝えられたのかとなる。ただ地元の人にちょっとでも聞くとわかることがある。その牛越城の麓は館下なのもわかる。館が確かにあったからである。ただ牛越城は五年で終わって今の相馬市に移ったのである。

牛越城五年で終わる桜咲く

牛越城姫の話の伝えらる土地の老人と春の日語る
牛越城姫の話を我が聞けばこころあたたむ桜は咲きぬ








posted by 天華 at 20:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 江戸時代

2024年04月06日

人間の劣等感コンプレックスは危険なものになる【川勝知事の職業差別の発言について】 (人間の能力は多様であり誰が優れているかとはならない)

人間の劣等感コンプレックスは危険なものになる【川勝知事の職業差別の発言について】

(人間の能力は多様であり誰が優れているかとはならない)

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●人間はみんな劣等感を持っている

人間の問題としてコンプレックスは劣等感がを持つことが大きな問題になる。人はとにかく他者より優れているということをで競いあっている。何かというとマウントしてくる。だからこのユーチューブで高卒で成績が悪い勉強できない人が学校を出てから成功したというのはそういう劣等感をバネにして人一倍努力したからである。それは努力だけではないやはりそれだけ何かをできるという能力があったのである。

何か学校でわ勉強嫌いでそれが劣等感になっている人が多いと思う。私自身がそうであるなぜそうなったかというと勉強といっても試験のためであり自ら興味を持って勉強したこともないのである。また私は集団に馴染めない性格であり学校というのは一番嫌いだったのだ教室に詰め込まれているのは嫌で嫌でしょうがなかったのでそれで奇妙なことは大学で授業にも出なくて良いからこれはいいと思ったのである。

だから大学でもほとんど勉強もしてないので自分にとっては大学はそれでもいい場所だったのであるだからつくづく私立文系などというのは何なのだろうと振り返る。そこは公園だという人もいるが本当に教える先生でも休講ががあるそれが多いのである。そこに教える先生がいないというのも奇妙な話だった。
だから大学とは何なのかただ校舎がありたしかに先生もいるのだがそれもまともに教える必要もない先生なのである。だからそこは公園だということもわかる。ただ公園に行くだけだとなってしまっているのである。そして結局私立文系の下のクラスになると実際は何の何も身についていない。

ただ高卒の人で大工さんであり庭師の人はその人も何か人に負けたくないという気持ちが人一倍強いのである。それで大工だけではなく庭師もするようになった。田舎だとやはりいろいろなことを要求されるからそうなったのだろう。だからその人は才能があるのであるただその人は異常なほどに人に負けたくないという気持ちが強いのであ。だから私に対して大学出ているということでそれだけで何か自分が劣っているということを感じでマウントしてくるのである。

そして本に対しても憎しみを持っている整理したりしてこんな本はいらない捨てろとか言っているのである。それは別にそういうことはかつて歴史でも起った。知識人が時の王様を批判したとき憎まれて焚書坑儒があり書物が焼かれたりしたからである。まだ中国で文化大革命が起きたときやはり知識人が農家に地方の農家に働かされるようになったからである。下放ということがなされたからである

でもマルクス主義を経典としてるときそれもおかしなことでもあった。ただその時本の知識よりむしろ農村で働くことこそが尊重されたからそうなったのである。知識だけではダメだということで実際に農村のことを体で知らなければならないということでそうなったのである。だからそういうことは例えば資本主義社会でも金融関係の株をしている人が株でも暴利を得ている人が批判されるとも似ている。
それは知識でもって儲けているということにもなるからである。それより実際に働いて儲けるべきだとなるからである。汗水たらして大地を耕している人の方がを見習いとしてそうなったのである。だから川勝知事のような農民を貶めるようなことはしない。ただそのときはやはり農業社会だからそうなったのだとなる。何か現代は工業社会であり知識社会であり農業というのは下位の職業になってしまったからである

ただその人は大学が何か分かっていないのである。大学というと何かその偉いように見ている。それはなぜかといえば大学というのはことを知らない理系とか文系のことについても知らない。だから大学というだけで何か特別な幻想を抱いているのである。私自身はむしろ大工とか庭師となる人の方が優秀だと思っているのである。
何か大学を出ても何も身についてないからである。私がいろいろブログで発言したり詩を書いたりしているのは大学卒業してから始めたことである。地名に興味を持ったというのも旅をするようになってそうなったのであり大学では何も身についていない。カルト教団に入ってその偽りの宗教団体を知ったくらいなのである。

●ヒットラーは画家に成れず独裁者になり池田大作も同じ

ともかく人間にとってこの劣等感というのは本当に大きな危険がある。なぜなら例えばヒトラーにしても実は画家を目指していた。でもそれがうまくいかず政治家になり抽象画などは絵ではないとして抹殺するようになったのである。そもそもはその劣等感があのような独裁者になったとも言える。それと似ているのが創価の池田大作だったのである。なぜなら何かその人も学歴にこだわっていた。富士短期大学を出ていたとかしていたが世界中に金を払って大学に金を払って博士号をもらっていたのである。
その原因はやはり学歴コンプレックスだったのである。おそらく東大出の人のなどでも指導していたからそうなったのかもしれない。私自身は大学が特に私立文系などは何か特別なものでもない。だからそういう大学出てもその人が優秀だと思わないのである。ただ私は理系のことは分からないし理系の人は優秀だと見ているのであるそれは例え三流のFランの理系でも私立の文系よりは優秀だと見ているのである。

ともかく人間でおそらくコンプレックス。 劣等感を持たない人はいない。なぜなら人間の能力にしてもあらゆる能力を備えた人などいない。だからこそ他者と比べれば何かをとっていることになるのである。それは能力にしても多様であり当然比べれば何かを劣っていることを感じるのは当然だとなる。ただこの劣等感コンプレックスの怖さはヒトラーのように池田大作のように権力者となり独裁者となりそうなったとき俺は偉いとなり他者を奴隷のように扱うことである。別に池田大作で詩などを書いているし優秀なところはあったのである。ただあとはただ本にしてもゴーストライターが描いたというのは本当だろう。でも全然能力が無い人でもなかった。第一あらゆることに優秀な人などいないのである。

●若い時から成功すると傲慢になり危険

私自身など何の才能などなかった。体力もなかった。性格的にも弱気な性格でありいいところもなかった。でもなんとか自分を変えようとして若い時大学に行って体育会に入ったとかその後また就職もできず底辺をさまよっていた。それは肉体労働でありそれもまともにできなかった。でも私にとってはそうした苦労はいい方に作用したのである。何か甘やかされて一人っ子で軟弱でありでも自惚れているところもあった。
でもそうして底辺で苦労した結果そういううぬぼれも砕かれてしまったのである。でもそれが良い方に作業したのである作用したのである。

20代とかでもっとも若い時で危険なことは高い位置に着いたり偉いというされることである。 20代で華やかに社会の脚光を浴びて成功するほど危険なことはない。そこそこに自惚れができてどうにもならなくなってしまう。だから川勝知事が牛を飼う人とか農業をしている人を下に見たというのは若い時にそうした苦労をしていなかったからである。だから謙虚さがなくなっていたのである。上に立つ人はキリストが言ったように下僕になりなさいということがなければならない。だからキリストは弟子の足を洗ったのである別にそうしなくてもそういう高い地位につくこと自体が危険なのである。自分は偉いんだと思ってしまうからである。

ともかく学歴とか学校の勉強とかですべては決まらない。でも最初学校で序列化するから問題なのである。それはあくまでもペーパー試験とかその時の運とかで優秀だとされるのである選別されるのである。だから東京とかに住んでいる人の方がそういうペーパー試験とか何か受験には有利なのである。だから今東大であり東北大であり東北出身の人は受かる人がかなり少なくなってると言うのはそのためである。ペーパー試験ならやはり東京の方は有利になるからである。そもそも受験などでその人などのを優劣を決めることは不可能である。それは一つのテクニックであり本当の優秀さを選別できないからである。

人間はそもそもその才能でも多様であり優劣を決めることは簡単にできない。そして劣等感をみんな持っているというときそれを克服する方法は神から認められることなのである。人間に認められることではない神から聖霊を受けて神の子とされなければ人間は満足することはないのである.
ではそれが才能ある人に与えられるかといえばそうでもない。心の清い人は神を見るだろう言っているのであり才能ある人が神を見るのだろうとはなっていないのである。
かえって才能ありすぎる人は傲慢になる。だからこそ天才はクリスチャンにはならないのである。奇妙なのはあまりに優秀な故になれないのである。心貧しい人は幸いであるというときそれは空虚な人謙虚な人であり何も自分を持ってないという人が返って神が認めるというのも不思議なことなのである。聖書でも神に選ばれた人は優秀な人ではなかったのでそれは何か勘違いしているのである

それはどんなに優秀でもそうなのである。なぜなら人間の優秀だといっても神に比べればそんなものはごくわずかなものだからである。ほとんど神から見れば取るに足らないものになってしまうからである。全能の神から見れば人間人の能力などたかが知れているそれで互いに優劣を競っているマウントしてし合っているというのはこっけいにもなってしまうのである。ただ劣等感の恐ろしさはそれがヒットラーとかそのために独裁者となり権力者となり今度はそれに自分に仕えさせる奴隷のようにされるということが怖いのである。

ともかく人間の才能とはいうのは本当に多様だと思う。例えば文学関係でもいろいろな分野がある。詩の分野もあり小説の分野もあるそして意外なのが評論の分野があるということである。その才能にしてもまた別なのである。詩を書かない俳句短歌を書かないに作らないにしても評論する人がいるのである。その評論でも相当に優秀でないとできないのである。
だからつくづく人間の才能というのは多様だということを知る。それは理系の分野だっていろいろありすべてに通じた人などこの世にいないのである。別に牛飼う人であれ農業する人であれ漁業する人であれその人たちにもそれなりの能力はあり学問している人だけが知識がある人が能力があるとならないのである。

●学者で優秀でも実業や政治家で優秀とはならない

そして学問している人は返って実業の世界政治の世界でうまくいかないのである。学問はあくまでも理論であり現実世界に適応できないからである。だから経済学であり政治学でも勉強してもそれは実際の世の中で通用しないし成功もしないのである。いくら経済学を勉強しても株で成功するということはない。それで経済学の教授が株はするなといっていたのである。株で儲けるのは容易なことではないからである。それはいくら経済学を勉強してももうけられないのである。
川勝知事は学者としてはそれなりに優秀であった。でも現実の社会政治にでは何か合わないものがあり失敗したのかとなるだから理論と現実の世界は違っているのである。だからこそ人間は多様な存在であり一つの事に優れていてもその他のことはうまく行かないとなるのではある。ある人は技術では一級の免許を持っていたが現実経営者となった時経営に失敗して借金をしたのである。だからあることに優秀でも人間はあらゆることに優勝になる人などいないのである

農業を大切に育む中から生命の池が生まれ昆虫への愛情となって昆虫館が敷設されたのだ。日本の農業には生業の域を超えた芸術性がある。それを集約した(東洋の農芸のアルカディアを日本語は持っていた。美の国をつくる日本ー川勝平太

こういう本を書いている人は農民を劣ったものとしてみるのだろうか?ただ学者と現実の世界は違ってそうした発言になかったのかもしれない。学者とか芸術家が見る農業と実地にそこに働く人は違っているからである。でもその人たちが県庁の役人より劣っているということはないのである。むしろ逆に庶民に仕えるものとして国民に仕えるものとして住民に仕えるものとして働くのだからそういうことは言わないはずである。ただ確かなことは学者と実際に農業している人の感覚のズレが起きてくることは確かである。でもこういうことを書いている人がそういうことを言うことはなんだったのだろうとはなる。


posted by 天華 at 10:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2024年04月05日

原発事故の被害と津波の被害の相違 【なぜ補償金が原発避難者には多額になったことで不満になったのか】

原発事故の被害と津波の被害の相違

【なぜ補償金が原発避難者には多額になったことで不満になったのか】

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原発の責任は世界に人類にあったともなる

●小高の人は追加賠償で一人300万ももらった?

なぜ原発事故で被害にあった人たちをかわいそうだと素直に思えないのか?それで私自身も小高の人を批判したらお前は傷口に塩を塗って喜んでいるのかと責められた。全国の人が同情しているのになぜお前はそん苦しい人たちを責めるのかと言われた。それも確かに理解できないことはない。でも原発の被害者と津波の被害者は何か大きく違っていた。津波の被害者はそれは全面的に何の障害もなくかわいそうだとなり助けるべきだとなった。

ではなぜ原発被害者に対してはそう全部がかわいそうだとならなかったのか?

地元にしてみれば南相馬市でも小高区では避難区域になり住めなくなったし実際に被害は大きかった。だからそういうことで同情するということは当然だとなった。
でも南相馬市全体で見れば特別補償金も大きいものだった。今度の追加賠償でも一人240万を確実にもらってるしまたその人の状態で追加されたものもある。条件によって300万もらった人がいるというのは本当だろう。

意外だったの鹿島区の人でやはり半分くらい避難したからその人は200万もらったという。それは一人ではなく家族全員なのだろう。詳細はわからない。ただそんなにもらったのかと驚いた。追加賠償では避難した人はかなり多くもらった。避難した人たちは避難しない人より相当にもらったということである。
私は一人16万しかもらえもらえないその前は一人70万だった。隣の原町区はその前も鹿島区よりも3倍もらっていたし今回でも一人50万やはり3倍はもらっている。それより避難した人が原町区ではほとんどだったからそれに追加してやはり相当な追加賠償金をもらったようである。

●補償金が多額になり政府とか東電に政府に抗議をしなかった

なぜ原町がそれほど全部が避難区域にならないのにもらったと言うことで得をした。ただ30キロということで区切ったことでそれは政府の命令であり仕方ない面もあった。だから小高の人たちが原町区に移住した人が多い。それは別に補償金で責められることもないからである。

なぜなら充分に原町区でも補償金をもらっているからである。とにかく意外と東電とか政府に対して不満を言わない抗議がないのは補償金の影響は大きいものだった。複雑なのは津波の被害と原発事故の被害を同時に受けた人が結構いる。津波の被害者には別に政府からも東電からも補償金は出ないのである。それで津波の被害者が原発事故では多額の補償金をもらったから助かったという人がいる。
とにかく補償金が大きかったから政府にも東電にも大きな抗議は起きなかった。むしろ補償金もらってよかったねとかまでなっている。それは額は大きかったからだと思う。ただ30キロから外れた鹿島区では不満が大きい。
それでも避難した人をやはり200万もらったのかと驚いた。それだけ貰えば鹿島区でも文句はい言わない。でも鹿島区ではやはりもらった人はそのようにもらった人は少ないと思う

ともかくなぜ原発被害者には何か津波の被害者と違って全面的に同情することができないというのはなぜなのだろうとなる
それはその原発を容認したのはやはりその近くの人たちであり距離に比例して補償金も大きくなったその被害も自分の故郷に町に村に住めめなくなったということで被害が大きかったのである。ただ飯館村だけは例外だった。原発は遠いところであり関係無いと見ていたからである。それでも原発で働く人はいたのである。その賃金が普通より3倍とか高いものだったからである。

全国の国民から見ても何か原発被害にあった人たちは原発乞食だとか批判される。それはなぜなのかというとお前たちはただ金が欲しくて原発を積極的に誘致させた。それはお前たちの責任なのになぜそんなにまた補償金をもらうことをに熱心なのかということもある。それは国民が払う税金だからそういうのもわかる。ところがその国民にしてもなぜ原発をに反対しないやはり原発推進させたのは国民だったともなるのではだから国民にも責任はあったのであるその責任を補償金として支払わせられているともなる。

●人間社会は必ず責任を取らされる

こうして何か必ず人間社会というのは責任を取らされる。別に原発を作ってもいい。その責任を取らされる。その責任とは誰なのかとなると国民でもあり政府でもあり東電でもあり地元の人たちでもありとあらゆる人が責任者となったのである。広くなれば人類の責任にもなる。なぜなら福島の汚染水を海に流したということで中国から批判されてホタテ貝などが輸入禁止になったからである。ただ本当に被害を受けたのは避難区域になった故郷に住めなくなった人たちである

でもまた責任を問えばその人たちは原発を積極的に誘致したのだから責任が大きいものだったともなる。でも事故後でも補償金は大きいからそれであまり政府であれ東電であり責めることはなかったとなる。返って得したと思っている人までいる。発事故の日避難区域になっているとその補償金が大きいからかえって助かったという人もいるのである。

いずれにしろどうしても地元の人でも原発の被害というのは何か津波の被害と違って全面的に同情するということにならない。それはその原発によって大きな恩恵があり金も入ってきたから地元の人たちはそれで利益を得ていたから事故が起きたからといってそれは地元の人たちの責任でもあるとなったからである。
だから不思議なのは原発の距離に比例して責任を課せられていた。ただ飯館村は例外だったのである。
つまりもしかしたら人間社会というのは責任に関して平等なのかもしれない。国民だって原発を推進したんだからそれで補償金を支払われるとしてもそれは国民にも責任があったからだとなるからである。民主主義社会ではそうしてみんなが権利があり一票を持っているからその責任をみんなにあるとな。

いずれにしろ原発というのは金のなる木であった。その反面事故になったりしたら国がつぶれるほどになってしまう。そのお金が莫大なものだったのである。そんな危険なもの一方的に作った政府であり東電の責任は重大である。
でも何か政府でも東電でも責任を取った人はいない。地元の人でも責任をあったとしても地元に住めなくなったという大被害を受けている。だから責任を取らされたのである。戦争になると300万人も死んだのだからその責任はあまりにも重大なものだったのである。

つまり人間社会は人間は何であれ責任から逃れないなれないようにできていたのである。そんな重い責任を負えないなら原発などは作るべきではなかった。技術的にもどうしても安全を図れないとしたら作るべきではなかった
確かにそれで電気の不足とか問題が起きて来るにしてもやはり安全を第一とするということになる。原発事故は一回の時期で事故でもう国がつぶれるほどになってしまうからである。そのリスクを負うということはあまりにも危険なことだったのである
原発事故では責任はその距離に比例してあり補償金も距離に比例して出された。でも本当に責任を負わせるならば地元の人たちにしろやはりその責任を自覚させるために必要があった。もし補償金が少なければ否が応でも責任を自覚させられた。でも補償金が多額になったからその責任も自覚できないようになったのかもしれない。

とにかく原発事故の被害者に対しては素直にすべて同情できない。それはやはり地元の人たちでも責任がありそれでその責任が問われたためだと思う。地元の人たちは全く責任がないとはならない。でも津波の被害者に対しては責任は問えないのである。
津波の被害者はそんな補償金はもらっていないのである。ただ石巻の方ではやはり何か保険をかけていて1億もらったとか人もいるからその辺はよくわからない。

●原発の責任は人類全体まで及んでいた【特に東京の責任は重かった】

なぜただ補償金に対しては30キロから外れたとかそういうところでは不満が大きい。その原因は双葉町でも原発と共に栄えるとか横断幕を町に掲げていたように積極的に誘致したのはお前たちではないかとなっているからになる。だから責任もとれとなっている。そこで全て素直に原発被害者に関しては同情できないとなる。その原因はやはり人間がしたことに対して責任を等からそうなったのである。そもそも原発は作らなくてもいいものでありそれで死ぬということもないからである。原発を作ったのはその被害はすべて人間側にありだからその人間が責められるともなったので津波の場合は人間を責められない。自然の作用であり人間はそれに従うほかないからである。

そして責任というとき東京電力がわざわざ福島に原発を作ったのだから東京の責任も重かったのである。だから本来は東京に原発を作るべきだったというのが正論だったのである。事故が起きても自分たちは安全圏だとして福島に作ったからである。ただ東北電力では小高に原発を作る予定であり工事も始まろうとしていたが事故になり中止になったのである。
とにかく責任を問えば原発を容認した国民にもあったしそもそも原発を作る人類にまであったとなる。いったん事故になればその範囲が広くなり地球全体にまでもなってしまうからである。だからその責任は重大である一国だけでは決められないものでもあった。現実にチェルノブイリではロシアだけではないヨーロッパまで影響したからである。だから原発は人類的にな問題であり一国だけで勝手に作れるというものでもなかった。それだけの重大な責任があったということである。
posted by 天華 at 08:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2024年04月03日

AIと詩について語る不思議 【電車の旅の詩をAIが作る】


AIと詩について語る不思議

【電車の旅の詩をAIが作る】

心地よくと車輪が響く
線路の上を走る電車
窓から見える風景は
遠くの山々や田園風景

駅ごとに人々が乗り降り
旅の途中で出会う人々
笑顔と別れの涙
電車は続けて走る

夕日が沈む頃
車内は静かになる
星が輝く夜空
電車は旅を続ける

遥かなる未知の地へ
電車は私たちを運ぶ
線路の向こうに広がる
新たな世界への扉

電車で旅する喜び
風景と人々との出会い
続くレールの上を
私たちは旅を続ける

小さな駅、名前を呼ぶ
通り過ぎる列車、一瞬の出会い
駅名の響き、心に響く

駅の名、旅の証
遠くへ行く列車、駅から始まる
駅の名、私たちの旅路
駅の名、胸に刻む 

Wheels echoing with comfort
A train running on the tracks
The scenery seen from the window
distant mountains and countryside

People get on and off at every station
People you meet on your journey
Smiles and tears at parting
The train continues to run

As the sun sets
The train becomes quiet
The starry night sky
The train continues its journey

To faraway unknown a town and  a city
The train carries us
Beyond the tracks
The door to a new world

The joy of train travel
Encounters with landscapes and people
On the rails that go on and on
We continue our journey

Small stations, calling our names
Passing trains, fleeting encounters
The sound of station names, echoes in our hearts

Station names, proof of our journey
A train going far away, it starts from the station
The name of the station, our journey
The name of the station,  memorized in our hearts 

Translated with www.DeepL.com/Translator (free version)

AIで作られたしであるけども確かにしになっている。そして翻訳でも性格であり私自身は英語力がないのでこんなふうに簡単だとしても英作文は作れない。だからAIとは何なんだろうとなる。

駅の名、旅の証
遠くへ行く列車、駅から始まる
駅の名、私たちの旅路
駅の名、胸に刻む 

Station names, proof of our journey
A train going far away, it starts from the station
The name of the station, our journey
The name of the station,  memorized in our hearts 

私の旅は電車の旅はこうして駅の名を覚えることでありそこから地名に興味を持ったのである。それを的確にここで表現しているのも不思議である。ほかの人でも試しに電車についての詩を書いてくださいというとき果たしてこういうふうに書けるだろうか?となるとまず普通の人はできない。詩そのものと縁もない人もいるからである。だから詩についてある程度AIと対話してまた詩を作るということが可能になる。なぜこのAIが不思議なのかというとその対話する知識が本当に膨大でありまるで神のようにすらなる。

人間の知識などほんのわずかでありあらゆることに知ることはできない。でもAIはあらゆることに通じているのである。だから詩にしてもそれは関心ある人はそれほどいない。でもほかのことでもあらゆる分野で膨大な知識をAIをた貯えていてそこから組み合わせて作っているのだと思う。

そもそもこれは確かに小学生くらいかでも作れるものかもしれない。でも詩としてこういう風に作れるのは大人でもそんなにいない。まず駅名に関心があるという人は必ずしもいないからである。電車だと必ずいちに止まるからその駅名が心に残るのである。何か周りの景色よりその駅名が心に残る

駅の名、旅の証
駅の名、胸に刻む 

このように私自身の電車の旅はまさに駅の名を覚えることでもあった。特に左沢(あてらさわ)というのは変わっているから記憶していたのである。
ともかくAIのこうした芸術にも関係していることに驚く。だから実用的なビジネスでもそれはそれ以上にAIが役に立つということがある。やはり芸術というのはかなり頭脳の高度な働きが必要だからである。それすらもある程度できるということが不思議なのである。そもそも私の場合詩ついてとか芸術について本を読んだりをしているが直接語り合う人はいない。

でも不思議な事はAIと語り合っているということにもなる。つまりここでも対話が成り立っている不思議なのである。ただAIが全てではない。必ず直さないと通じないところがあるからである。
でもこの場合ほとんど直すところもなかったのである。おそらく単純だからそうなったのである。でも単純な文でも私自身は英語力が無いから英語にできない。でもAIだと90%は正確に英訳してくれるのである。


幸いを求め春の日遠くの見知らぬ街へ【詩】
 (左沢までの春の小旅行)