2024年08月31日

1度の失敗やつまずきでおしまい 【通販の配達の苦労―人間は何でも経験しないと実感できない】


1度の失敗やつまずきでおしまい

【通販の配達の苦労―人間は何でも経験しないと実感できない】

「辞めたらマンション管理人に戻るか、ハローワークでよく勧められた介護。さもなくば求人倍率が高い警備ぐらいしか行くところがない。それでも今よりはましかなって思うんです」

「1度の失敗やつまずきでおしまい。これが本当のことですよ」

特別な資格や特技のない人間は、ひたすら長時間労働するか賃金の低い仕事に甘んじるしかない。こんな社会に希望があるのかと思う。
ハンドルを握るのが怖い…約3年間「1日12時間労働」を続ける月収34万円・53歳宅配ドライバーの悲痛な叫び

●1度の失敗やつまずきでおしまい

人生は長いから失敗して何度でも挑戦すればいい。でもそうはなっていない。大概人生を20代で決まるという時もそうであるそれで大卒で大企業に入るか中小企業に入るかな大きな問題になる中小企業に入ればその後給料にも差がありずっと格差は続いてゆくだからこそ最初最初の就活は大事になってくる
またたとえ大企業に入って入ったとしても20代でやめればその後は簡単にいい会社就職できない、一生不利なところでで働かざるを得ないのである。私自身がそうだった。大学を出ても就職もしないで底辺をさ迷っていたとなる。つまりまともな所で働けないということである。それが一生続くのである。
20代で正規のルートを外れると一生はずれたままになることが怖いのである。20代ニートとかになるとその時は一時期に過ぎないと思っていてもたちまち時間は過ぎて一生ニートとなり引きこもりになる。

昔は大工になるには親方について修行せねばならなかった。でも18才になったら親方は弟子にしなかった。すでに修行するには遅くなっていたのである。だから何かスキルを身に着けるにしろ若い時していないとできない。だから若い時が大事になる。
特別な資格や特技のない人間は底辺になり一生苦労することになる。

つまり人間は20代で決まる、それは何でも20代で方向が決まる。右左と分かれ道があったとして一緒にそこまで道連れになってもそこで分かれ後は一生合わないのである。つまり人生はあそこでこの道を来たのは間違っていたから引き返すことはできなくなる。20代でその方向は決まる。だからカルト宗教2世は子供の時から将来の進路まで決められていることが怖いのである
その一つの方向しか見えないし選択できないからである。

●チャンスは一回、引き返すことのできない人生

この道を来たのは間違っていたとして引き返すことができなくなる。人間に与えられた時間は短いからである。人生失敗したらやり直せばいいとはならない。そんなにやり直す時間が人間には与えられていないのである。
それで若い時に神を知れというのもそうである。若い時求道して神を知らなければその機会を逃すとしたら怖いことである。神でもいつでも知ることができる。むしろ老人になってから知るべきものだと見ているが老人になって悟ることはできるが神を知ることは難しい。ということは神を知るチャンスを逃したということは恐ろしいともなる。

1度の失敗やつまずきでおしまい、チャンスも一度だけだとなる。チャンスは何度もないのである。結婚にしても女性なら30ぐらいまでにしていないとその容姿も魅力がなくなりおばあちさんとかとか言われてしまう
し男なら40にもなれば白髪がでてきておっさんになる、それが早いのである。

確かに人間は向き不向きがあることは確かである。でも職業にしてもそもそも経験してみなければわからないのである。ではその職業でも経験できることは極めて限られたものになる。いろいろな職業があったとしても経験できるのはごく限られたものである。そして何でも経験しないとわからないのである。
だからこそその人を採用する時どんなことを経験したのか職歴をみることになる。それはやはりその人がどんな経験をしたかをみるのである。まず職歴もなくニートとか引きこもりになると採用もされないとなる。

私でも職歴がないから採用されない、だから社会から外れた人間となった。ただ自分の場合は家族に恵まれて自分の好きなことを追求できたのである。そして底辺で働いたことも無駄ではなかった、私は一人っ子であり甘やかされて育ったからである。
若い時は買ってでも苦労しろというとき私はそれを実践したのである。

●何事経験しないとわからない

いずれにしろ人間を作るのは経験である経験しない限り実感として理解できないからである例えば先生になるにしても実際に生徒を前にして教壇に立つ経験がしないと先生にはなれない。それは先生だけではないあらゆる現場で実際に経験しない限り理解することが不可能なのである。地理を知るしても実際にその場に行くとかしないといくら地図を見てもわからないのである。
だから外国でも留学とかの経験は大きい。それは実感としてささいなことでも知ることで理解を深めるからである。
だから15年もアメリカでビジネスした経験は凄いと思う
実地にアメリカ人とビジネスで渡り合うことの経験が凄いとなる
その経験から日本を批判するから訴えるのである、もし私のように外国について本ばかり読んでいて外国を語るとし何か頓珍漢になっていたのである。でも50代あからバックパッカーになり世界を回ったことで一応表面的でも外国を語ることができるようになった。人間は何でも経験なのである、山を登らない人は山を知ることができない、確かに遠くから眺めることで知るがやはり実際に上ると山の厳しさを実感するのである。

だから人間は何事経験であり経験しない者はいくら本を読んでも分らないのである。聖書を読んでも苦しみ悲しむ経験をしない者は理解できない、学者のように聖書を研究してもわからないのである。むしろ実人生で経験した者は別に聖書を読まなくても信仰の何か大事なことを理解して信者にもなる。だからいくら教会に行っても実人生で経験することが大事なのである。人間は実人生から経験から学ぶ。実人生こそ人間を教えるのである。

医者にしても学校で学んでも実際に患者を診る経験をしなければ医者のことはわからないのである。例えば手術がうまい人は場数を踏んだ人だとなる。手術回数が多い人が手術はその経験に比例して上手だから手術した回数を知ればいい医者なのか見分けがつくがつくかそうでないかわかるないとなる。それが目安となるのである。必ずしも何大学が出たから手術が上手だとはならないのである。でもいくら手術が上手でも最初はうまくいかない、だから研修生とかに手術されるのは怖いとなる。実験台にされるとなるからである。でも経験を積まない限り上手な医者にはなれないのである。

●通販でも配達する人の苦労は知らない

ともかく通販で配達している人必死に働いているが給料も少なく保証もないから厳しい、でも配達する人に特別感謝したりもしない、それが現実である、大工さんは私は家を直してくれたことで感謝した。それは家に来て自分のこといろいろ言うし苦労を言うから強制されたともなる、普通配達する人に感謝などしない、その事情なども分からないのである。ただ配達する人も大変だなと知る。なぜなら私は結構通販で買っているからである
でも配達する人のことなど考えないのである。ただ一つの者でも配達されることはそれなりに人間が関わり苦労があること知る

だからと言って配達する人に多くの金を支払うわけでもない、要するに配達する人は数をこなさない限りやっていけないということである、ある人に配達して二倍の料金をもらえるなどないからである。ともかく働くことには常に何らかの苦労があり危険もある、配達するだけで交通事故の危険が増すというのもそうである
そういう事情ももし自分が配達する仕事をアルバイトでもいいいからしてみると実感するとなる、そのい経験がないから無頓着ななのである。
posted by 天華 at 14:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2024年08月30日

公務員=上級生活保護者? 【私の家族の一人も公務員だから得したことを知っている】


公務員=上級生活保護者?
【私の家族の一人も公務員だから得したことを知っている】

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【公務員=上級生活保護者】高給、倒産ナシ、職務怠慢でも解雇ナシ、国家赤字でもボーナス、退職後の分厚い補償…




この発想が奇抜である。普通こんな風に見ない、公務員がなぜ生活保護者なのとなる。公務員が生活保護の人の世話していると見る。だからこう見ることは普通はない。
なぜ加治氏は公務員を嫌うのか?それは民間で仕事していて厳しく税金を取られることを経験しているからである
そして公務員の仕事は戸籍係にしても印鑑証明とかでもそんな仕事など誰にでもできる簡単な仕事なのに給料が高いとしている
民間と比べると公務員は楽であり給料が高すぎると不満なのである。

そして会社が倒産するリスクがない、民間だと常に倒産がありそれで自殺したとか厳しいからである。それも実際に会社経営していたから実感で言っているのが加治氏の場合訴える
つまり実地に経験したことが強みなのである。私は加治氏の小説など読んでいないし興味もなかった。でもyoutubeで話すことに興味を覚えた、歴史作家というけど別に加治氏の言っていることは他の人も言っているから珍しくないのである。

正直私の家族の一人は公務員でありその内部を知っている
公務員は何かと得するようになっている、ただ私の家族の場合姉は保健婦であり自転車で家を回っていたから結構楽でない肉体労働でもあり事務員とは違っていた、でも最後の方になると年金係になり事務員になったから楽だった。でもそれは体力的に無理になりそうなった。
ただ言いにくいが公務員は何か得するシステムがあることは確かなのである。
ただ私の姉は最後は認知症になり悲惨に終わった。何か公務員が教師でも認知症になりやすいというのはありうるのか、加治氏の父親も教師だったからである。教師は意外と創造的仕事でないからなのか決まりきったことを教えるだけでそうなるのかそれもよくがわからないが意外と認知症になりやすいというのはありうる

日本の社会が特権階級によって牛耳られている。公務員がその中核にいる。それは原発事故のことでも追及してきた。
東電がありそこに天下りしていたのが警察とか検察の幹部であったりまたマスコミも事故が起きた時全部の新聞社の幹部が中国に招待されていたのである。マスコミには電事連から何百憶の宣伝費がでていたとかある。こうして安全神話が作られ原発に関しては批判が完全に封じられていたのである。
結果として最悪の結果となったのである。でもその責任を未だに追及されない、なぜなら検察の幹部すら東電に天下りしていたからである
誰も東電の幹部でも過失致傷で逮捕もされないのである。

何かそれぞれの家にはカルマがある。それはマイナスとプラスのカルマがありそれで家族が苦しむともなる。私の家族でも一人が公務員でありそれで得しているということ私は知っている
だからそういうことで姉は認知症になり介護になり助けもなく私一人が苦しんだというのも何かカルマだったのである
あいつはは得しているとかになり周りでは苦しんでいても楽しんでいたとなっていたのかもしれない。ほかの人は常に仕事でも過酷であり苦しんでいるからである
例えば大工さんが私を責めてきたの何か本を読んでいてものを書いていてそんなことは楽だとして本を捨てろとか言ったのもそうである。何かそこに公務員と同じく楽しているとして不満がありあからさまに攻撃してきたともなる。

ただ公務員=上級生活保護者とは発想しない、でも民間から見れば税金を取るだけで自らは利益を出さないから生活保護者とも見えたとなる。民間に働く人によって生活が保証された上級生活保護者だというのもやはり民間で会社を経営していたからそう見えたのである。
要するにそもそも国家とは誰のものなのか?上級公務員の者なのか、一部の特権階級のものなのかそしてその人たちのために働き実質奴隷にされているのが民間人だともなる。ただ上級公務員となると国の中央の官僚とかのことが分かりにくいのである
税金がどのように使われているのなかなかわかりにくい、むしろ物価なら10円上がっても敏感に感じる、ところが何十億であれ何百憶でも税金が使われて無駄としても実感できないのである。

だから官僚が何をしているのか不正をしたとしてもわかりにくいのである。それで一般庶民は無関心になってしまうのである。
この無関心になることが本当は危険なのだけどわかりにくいということで無関心になる、ただ日々の生活で物価が十円でも上がることには敏感なのである。
原発でも核のことなどわからないとして追及もできないのと似ているのである。でも無関心でいると原発事故のようにまた戦争にもなり国民が甚大な被害を受けるのだる。




posted by 天華 at 10:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2024年08月29日

年齢でなく見た目で判断される老人 【高齢化社会は未だ経験していないから様々な問題が生まれる】


年齢でなく見た目で判断される老人
【高齢化社会は未だ経験していないから様々な問題が生まれる】

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15年間アメリカで暮らしたが、歳を訊かれた記憶がない。
聞いても君と関係がないと言われて終わり!すぐに年齢を聞いてくる日本人は歳に縛らすぎ

●年齢ではない見た目で判断される老人

老人はどうしても見た目で判断される。なぜ加治将一氏は見た目も若いのである。38才だと自称しているがそのようにも見えるのである。頭は剥げていないし白髪にもなっていないからである。
ともかく杖ついて歩いていたり腰が曲がったりやっと歩いている老人はやはり見た目で判断される。知っている女性は歩くこともままならない、介護度2であり3に近くなっているいる。私の母親は介護度3で寝たきりになていたのである。
でも私より3才も下なのだがその姿は85才にも見えるのである。

ある女性は85才でも肌の艶もよくとても85才に見えないのである、だからまず老人は見た目で判断される。歩き方でもスイスイと歩いていれば白髪であれ元気な老人に見える
だから老人は年齢で見れない、体が弱った人は10年くらいの差がある。だから年齢を聞くより老人は見た目で判断される
あの人は腰曲がったとか杖ついているとか歩く姿でもなにかやっと歩いているとか見た目でわかるのである。

いずれにしろ高齢化社会とはいかに長生きするにしても健康で長生きしているかが問題なのである。一旦病気になったらもう生きることも嫌になるからである。厄介者とされるからである。
つまり別に100才でも元気であれば問題ないのである。でもその前に必ず体が弱り自立もできなくなることが問題なのである。

確かに日本では年齢にこだわる。必ず年齢を聞いて話しすることになる。でも実際はその年齢より見た目こそその人の実年齢なのである。つまり杖ついて歩いているとこその歩き方も弱々しいとかすいすいと歩けないとなるとその姿を見て判断されるのである
その女性は歩くこともままならない、何かつかまったりしないと立ってもいられない、するとその人は73才で85以上にしか見えない、でも一方で85歳でも肌も艶がよく普通に歩く人は80とてもその年齢を聞いてもそんな風には見えないのである明らかに10年くらい若いのである。だから年齢を聞いてもそれで老人を判断することはできないのである

それにしても近くセムシのおうになった老女もいる。でも普通に歩けるが見た目で嫌悪感をもつ、老人でも見た目がいいと好まれる。だから腰が曲がったり何か体がまともに見えない人は年齢より見た目で判断される。やはり病気になると老人の場合急に老けこむのである。老人はある時歩けなくなるとかなり急ふけこむのである。極端なのは脳の障害の認知症とかになることである
これも病気なのである。

●長生きは悪いことではないが病気になるのが問題

高齢化社会で問題なの長生きは悪いことではないただその前に病気になったりして人の世話になるとか自ら自立できなくなり身体障害者のようになることなのである。別に死ぬ時まで自立して元気で居られれば長生きは悪いことではないのででもその前に必ず病気になったり障害が出てくるから問題なのである

老人はまだ抵抗力もなくなる免疫力も弱くなる。何かこの暑さで熱中症で死んだ人もかなりいる暑さ寒さに弱くなるので私自身も7 8キロくらい痩せたのである。ただ腹が出ていたから引っ込んでしまったのでその点は良かったかもしれない。抵抗力がなくなるから何らかで急に体が弱くなりそれが死に通じることもある

ともかく確かなことは年齢ではない。 70歳の人でもすでに80歳以上に見える人もいるし85歳でも70歳以下のように若々しく見える人もいるのである。だから60歳以上は年齢で判断はできない。その見た目で判断されるのである
ただ老人は何か暑さであれ寒さであれ弱くなるから急激に老け込みそれが死に通じることはありえるありそれだけ抵抗力が無くなっているからである。

●百歳まで生きた私の母

人間の理想的死に方としては近くの自転車屋は癌になっていたが私が行ったとき3日前までいつまで仕事ができるのかと言って現実に仕事していたのである。その3日後に死んでしまっていたのであるだから仕事しながら死んだともなるそういう死に方はいいと思う。畑で熱中症で死んだ人もいるがその人も死ぬ仕事をしながら誰にも迷惑をかけず死んだから畑で往生したのかともなる
まず歩くのもままならずそれでも生きていかなければならないとしたら苦痛でしかない。それも自立できないのだから誰かに頼らざるを得ないということでさらに生きることが嫌になってしまうのである

私の母は百歳まで生きたけど80代だったのか90代だったのか腰が曲がってそのために一か月くらい苦しんだのである。腰が曲がるときかなり苦しくなるのであるそれで2階から飛び降り自殺しようとしたのである。その時たまたま私が近くにいたからとめることが出来たのである。もし自殺したりしたら本当に後味悪いものとなったのである
でもその百歳まで生きたその死に顔は本当に安らかなものだったのである。

不思議なのは腰が90度曲がっていても手押し車で買い物とかして外を歩いていたことである。腰が曲がっても後は意外と楽になっていたのである。だから見た目では苦しいように見えるけど本人はそうでもなかったのである。ただ老人はまず見た目で判断されるのである。

●高齢化社会は未だ経験していないからいろいろ問題になる

ともかく高齢化社会というのはこれまで経験したことがない。そこでいろいろな問題が起きているのである退職してから60歳から30年物40年物人生があるとしたらそれは相当に長くなる。確かに人生はいくら生きたとしても短い、でも90歳まで生きるということになればやはり人間の一生は今までと違ったものとなる

それをうまく消化できる人とできない人がでてくる。またどうしても病気になる。70才の大工さんも病気になったとか身近でも病気になる人が多いのである。だから老人にとっていかに健康が大事かを知る。何十億の金があっても寝たきりになったら天井を見ているだけであり生きているの嫌になるからである。

そして厄介者にされ早く死んでくれと言わないまで心でそう思われることが怖いのである。だからそうなると一層死んでしまいたいとなる。いずれにしろ高齢化社会の問題は人間が初めて経験することだからいろいろ問題が生まれている。それに対処する人生設計が成されていない、60代くらいでみんな死んでいたからである。
だから私と同じ年で38才だという人もいるのが現代なのである。ただ私は白髪であり見た感じはやはり相当な老人である。たあ自転車に乗っていたせいか運動はできているのである。何か若い時のしていたことが必ず老年の現れる、カルマとなって現れる。健康でも何でもそうである。つまり人間は老人になったからといってすぐに別な人間になるわけでもない。

実際は若い時から継続したものがありその結果が必ず老人に現れるのである。だから老人になって何か新しく学ぼうとしてこれまでの蓄積がないとなかなかうまくいかないのである。一から始めることは趣味でも容易なことではないからである。だから高齢化社会では先が長いから何かライフワークとかそうしたものをもっていないと老人になってから一から始めることは難しくなるのである。

2024年08月28日

秋を告げる花(鶏頭、女郎花、露草、秋の蝉・・・)


秋を告げる花(鶏頭、女郎花、露草、秋の蝉・・・)

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夏の蝶紋鮮やかに部屋に入る

橲原(じさばら)に女郎花あまた咲きにけり秋を告げるや我が摘み帰る
ノウゼンの花なお咲き散り玄関に石に露草秋を告げにき
十数本鶏頭にまじり黄菊咲く辺り人無く花のみそ映ゆ
常に行く道に鳴きけり秋の蝉ともしきあわれ夕暮るるかな
幽かにも鳴き合う虫の声我が部屋に響き夕暮れるかも

今日もも暑いけど秋は来ている、秋の花が咲き始めている。
別に暑いからと花の咲く時期が遅れるわけではない、虫も鳴いているし秋なのである。でも今年は本当に暑かった。
この辺はまだ関東より西より3度くらい違っている、また福島県の浜通リは海に面しているから涼しいので助かる
福島市は盆地だから三度くらい暑くなる。何か一度違っても暑いと感じる。だから今年は体調悪くしてバテた

玄関にノウゼンがまだ咲き散るそして石があり露草が咲く、そこに季節の変化がある。
畑には鶏頭が咲き黄菊が咲き映える。辺りには人もいない、ただ花だけが映えているのがいいとなる
短歌も写生である、写生を心がけると自ずと短歌でもできる

秋の蝉は一匹鳴いているとして何か蝉自体今年は鳴くのが少なかった。土手の道にいる老女も見かけない、病気したから家にいるのか、あの人がみかけないなというときその人も85才となれば死ぬこともありうる

橲原(じさばら)には女郎花が一面に咲く畑があった。でも田畑は草茫々なのである。それが嫌なのである。何軒かやはり空家化している。老夫婦が畑で仕事しているのを見かけた。

虫の声が私の部屋に今響ている、鈴虫も鳴いている。何かその鳴き合う声が
やはり静かだとひびくのである

ともかく暑いけど秋は来ているのである。




南相馬市の原町区と鹿島区の古代史の相違 (鹿島区が大和王権に先に従属した理由−真野の草原の歌の意味)

南相馬市の原町区と鹿島区の古代史の相違

(鹿島区が大和王権に先に従属した理由−真野の草原の歌の意味)

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貞観 6 年 8 月(866 年)の記事に「阿波 国名方郡の人、二品治部卿兼常陸太守賀陽親王家令正六位上安曇部粟麻呂、部字を改め宿 禰を賜ふ。粟麻呂自ら言ひけらく、
安曇は百足宿禰の苗裔
安曇宿禰(連)、海犬養、凡海連、八木造、阿曇犬養連 
の 5 氏族が実在していたことが分かる。

賀陽親王家令正六位上安曇部粟麻呂、

賀陽(かや)親王家とあり安曇部粟麻呂とある、この賀陽(かや)とは伽耶の国のことである。天皇家には明治以降でも賀陽(かや)親王家は受け継がれて存在している。
ただ相馬地域に関わったのは犬養氏と八木氏である。

河内国には安曇氏族の八木造がいたことが分かっている。八木造は『録』によると「和多罪豊玉彦命の児の布留多摩乃命の後」とあり、安曇氏族の一族とされている。八木氏は河内国和泉郡八木郷(現在の岸和田市八木地区)を本拠地としていたとのことである。その地に古代から式内社である夜疑(やぎ)神社があった。

その本拠地は大阪であり九州の福岡市とかでない、でも大阪から移動するとなると船で移動したのかそれもよくわからないのである。確かに9人乗りの丸木船の線刻画が南相馬市の鹿島区の寺内の古墳から発見された。でもそいう船で太平洋を渡って来れるのかとなると厳しい。入江とか近海なら可能である。近海でも危険になる。

確かなことは犬養氏と八木氏が相馬地域と深くかかわっている。
綿津見神社が原町区20もあるということがそれは何を意味しているのかとなる。それはその一族がこの地の開拓者になっていたということである。それは地名化しているから紛れもない事実である。安曇氏はあくまで祖先であり直接は関係なくなっていた。
むしろ犬養氏と八木氏は深くかかわっていた。

安曇氏が海人族として誇張化されたというとき何か明確な文献とかに残っていないからである。むしろその後裔の犬養氏と八木氏は明確なものを残している。
安曇というとき地名化しても真実は地名から証明しにくいこともある。でも相馬地域は綿津見神社がこれほど多いということでそれがなぜなのかとなる。八木沢峠であれ八木原であれ犬養が伊達市でも地名化している。最初に開拓者として入ったから命名者となり氏族名が地名化したのである。

そのとき大和王権は成立していないから正式な歴史書に記されなかったとなる。ただ綿津見神社と山津見神社が残されたのである。

縄文時代→綿津見神社(安曇系)→物部氏(物部王朝+出雲王朝)→大和王朝

前に考察したがこれは間違っていた。

縄文時代→物部氏(物部王朝+出雲王朝)→綿津見神社(安曇系)→大和王朝

ここで問題なのは物部氏の痕跡が見いだせないことである
原町区に綿津見神社が20とか多すぎる。それは安曇氏系統の犬養、八木氏がかかわり建てられたのかとなる、そもそも物部神社など一つもない、地名化もしてない、物部川と他ではある
それも何故なのかとなると不明なのである。

益多嶺神社福島県相馬郡小高町大井字宮前144第十二代景行天皇の御代、日本武尊東夷平定の際、出雲太社より御分霊を勧請された神社で、昔から甲子大国社と尊称される。
多珂神社福島県原町市高字城ノ内112景行天皇の40年7月日本書紀皇子日本武尊東夷征伐の勅命を奉じ、陸奥に下り各地に転戦し給い軍を太田川のほとりに進められ戦勝祈願のために大明神川原(大明神橋の名も今に残る)の近く玉形山に神殿を創建し給ふ。
鹿島御子神社福島県相馬郡鹿島町鹿島字町199第12代景行天皇の御宇(西暦917)日本武尊命御東征の時此の鹿島御子神社に武運長久の祈願ありて、其の霊験に依り、乱臣賊子は速やかに征服し得て、其后益々御子神社は特に軍神として武人崇敬の神となれり。

陸奥国みちのくにに入られた。そのとき、大きな鏡を船に掲げて、海路をとって葦浦を廻り、玉浦を横切って蝦夷(えみし)の支配地に入られた。蝦夷の首領島津神(しまつかみ・国津神くにつかみたちが()、竹水門(たけのみなと)に集まって防ごうとしていた。しかし、遥かに王船を見て、その威勢に恐れて、心中勝てそうにないと思って、すべての弓矢を捨てて、仰ぎ拝んで降伏した

この竹水門はどこなのか?竹とは高(たか)であり多可神社が原町のあり高倉があり高倉には綿津見神社がある。それは奥まった山の方である。
そもそもこのヤマトタケル遠征の神話は何を根拠にしているのかわからない、それは安曇氏であれ海神人族の移住に由来したのが神話化したのかもしれない、実際の証拠としてなぜ原町区に20もの綿津見神社があるのか、それが証拠として見るとそうなる

そして確かに原町に多珂神社神社がありこれは大和王権の官製の神社となる。鹿島区の鹿島御子神社はまさに建御雷神(たけみかづちのかみ)の神であり大和王権が支配した地として全国に建てられた。

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多珂神社は広く立派なのである。その隣に隠されたように綿津見神社があった。でも社殿のないのである。
ここはもともとは綿津見神社がありそこに新しく大和王権系の多珂神社が建てられたのである。
なぜなら他の綿津見神社は立派なものも多いからである。

大和王権に征服される前に物部氏とか安曇系統の人たちが開拓に入りそのために綿津見神社が原町区に20もある。そして大和王権が必ずしもその人たちと争っとのではなく平和的に恐れて従属したのである。それもすでに安曇族系統の犬養八木氏が住んでいてそれがヤマトタケル神話に取り入れられたともなる

確かなことは原町区と鹿島区では明確な相違がある。まず桜井古墳が原町区にあり綿津見神社が多い、でも鹿島区には綿津見神社がなく鹿島御子神社のように大和王権直轄の神社がありまた浮田国造が置かれたことでも原町区とは違っている。
最初に大和王権の支配下に入ったのは鹿島区でありそれを象徴しているのが真野の草原の万葉集の歌である。笠女郎が大伴家持を慕う恋の歌でもそれはこの地が原町区ではない真野郷として大和王の支配下に入ったと中央の歴史書に記されたのである。
そして寺内に前方後円墳があ金銅製双魚佩が大和王権から下賜されたのである。

何かこういうことは常にある、ロシアとウクライナが争いロシア領地のクリルをウクライナが占領して支配したと宣言する、それでロシアの旗を捨てウクライナの旗を行政府に飾る。つまり郡とは軍のことでもある。軍隊がまず入り占領して支配するのである。ただ大和王権の軍が入って来た時争わず従属したなる。
いずれにしろ物部氏であれ安曇系であれ原町区は在地の勢力があり大和王権が進出しにくいから鹿島区は大和王権の方が支配したとなる。それは桜井古墳が大きなものでありまた綿津見神社が多いということがその証拠なのである


2024年08月26日

南相馬市の古代史ー海人族(安曇氏系)と大和王権の支配 原町区(物部―安曇系海人族)と鹿島区(大和王権)


南相馬市の古代史ー海人族(安曇氏系)と大和王権の支配

原町区(物部―安曇系海人族)と鹿島区(大和王権)

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海人族に属すと考えられる氏族としては安曇氏、海犬養氏、宗像氏などが代表的である。ほかに海部氏(籠神社宮司家)や津守氏、和珥氏も元は海人族であったとする説がある。
竹取物語(かぐや姫)の原型となった作品「羽衣説話」や浦島太郎の原型「浦嶋子伝承(浦島伝説)」は、海人族によって日本各地に伝えられたと推測されている
これらの話は京都の籠神社(このじんじゃ)に伝わる書物「丹後国風土記逸文」の中でも語られている伝承であり、さらにこの神社は「海部(かいふ)氏」という海人族の末裔が宮司(神職)を努めてきた神社でもあるのだ。

海人族は古くから日本に定住しており、弥生時代には既に日本列島で暮らしていた可能性もあるといわれている。

彼らは後に様々な一族(氏族)へと分裂していき、中には川や谷に沿って日本列島の奥深くへと移住する者たちも少なくなかった。

日本の海を支配した集団とは?海人族の歴史や安曇野開拓などを徹底解説

山津見神社(やまつみじんじゃ)は、福島県相馬郡飯舘村に鎮座する神社。別名虎捕山津見神社とも呼ばれる。
頼義の夢の中に山の神が現れ「もし墨虎を捕まえたいと思うなら、白狼の足跡を踏み追うといい」という神託を得た。頼義は直ちに臣下である藤原景道に墨虎の追跡を命じた。藤原景道は、里人である菅野蔵人と今神助右エ門を道案内役として山へと分け入り、険しい山嶺や荊棘の中を踏み分けて捜索をしていると

山津見神社

『古事記』では大山津見神、『日本書紀』では大山祇神、他に大山積神、大山罪神とも表記される

『古事記』では、神産みにおいて伊邪那岐命と伊邪那美命との間に生まれた。その後、草と野の神である鹿屋野比売神(野椎神)との間に以下の四対八柱の神を生んでいる。

全国の大山祇神社(山積神社/大山積神社/大山津見神社含む)の他、三島神社(三嶋神社)や山神社(山神神社)の多くでも主祭神として祀られている。

1973年1月大三島大社講(大山祇神社)発行の『大三島宮』によると、その数はそれぞれ897社、402社、3075社である(次項以降の神社数を含め、『大三島宮』(大山祇神社発行)に記載されている、1972年8月の神社本庁調査に基づく[注釈 1])。なお、この集計では三島神社や山神社を称していても、主祭神が大山祇神でない神社は除外されている。


なぜ海人族に関する神社が多いのか、三島神社は南相馬市原町区にある目立つ神社である。この神社も大山祇神社であり山津見神社になる。それは浪江町の津島に行く途中にも大山祇神社があった。そこは津島へ行く道だから津島の方に最初に入って来たのは安曇系の海人族だったのかとなる。

また京都の籠神社(このじんじゃ)に伝わる書物「丹後国風土記逸文」の中でも語られている伝承であり、さらにこの神社は「海部(かいふ)氏」という海人族の末裔が宮司(神職)を努めてきた神社でもあるのだ。

籠神社は相馬市の松川浦の原釜の海岸にある。また松川浦の和田は綿津見であり対になって山津見神社があった。地名化しているからである。
ともかく相馬地域なぜこれほで海人族と大山祇神社があるのか、
特に綿津見神社が多いのである。原町区の大原にも綿津見神社があった。ただ山に入ると山津見神社になる。山津見神社は山の神でもあるからだ。栃窪にも山津見神社がありそこから塩の道となっていて途中に山津見神社がある。
そして八木沢峠の八木は安曇系の八木氏の八木から地名化した
地名化するということはもともと名づけられていない所に初めて名づけられたとなる。

つまり安曇系の海人族が最初の命名者なのである。長野県安曇は有名である。そこで船の祭りがあり祭りに使う船を作っている人はいた。もともと船を作り操作する人達だったからである。それで南相馬市の鹿島区の寺内古墳から船の線刻画が発見された。それは9人くらいが乗って漕いでいる絵ななおである。だからそれなりに大きな船でもあった
また海人族は船を操作するだけではない農業技術も持っていた
焼畑農業の技術を持っていた。だから飯館村の佐須は焼畑のことであり山津見神社がある。そこは相馬地域の山津見神社の本山にもなっている。

山津見神社(やまつみじんじゃ)は、福島県相馬郡飯舘村に鎮座する神社。別名虎捕山津見神社とも呼ばれる。
頼義の夢の中に山の神が現れ「もし墨虎を捕まえたいと思うなら、白狼の足跡を踏み追うといい」という神託を得た。頼義は直ちに臣下である藤原景道に墨虎の追跡を命じた。藤原景道は、里人である菅野蔵人と今神助右エ門を道案内役として山へと分け入り、険しい山嶺や荊棘の中を踏み分けて捜索をしている

これは墨虎とは海人族の安曇系の神社であり源頼義や藤原景道は後から入って来た人達でありそこで争いがあった
それを案内したのは菅野蔵人とありこれは佐須に菅野一族が早い時期から住んでいたとなる。飯館村の前の村長は菅野氏だったからである。つまり菅野というのは相当に古くから住んでいたとなる。

そして相馬地域の最大の謎は万葉集に残された

みちのく真野の草原遠けれど面影にして見ゆというものを 笠女郎

真野郷がありその真野郷は明らかに移動地名である。また真野氏が存在して関わったからなずけられた。
和珥氏も元は海人族であったとする説があるというとき和珥氏の同族系統として真野氏が存在したからである。確かなことは真野氏とは吉備とか近江が発祥地でありその地名が真野氏と姓にもなりこの地に名づけられた。

とにかく最初に相馬地域を開拓したのは海人族の安曇系であるから綿津見神社が多いのである。ただその前に物部氏が支配していた。原町区の桜井古墳は物部氏が関係していた。4世紀のものであり寺内の古墳群は古墳の数は多いにしても桜井古墳のような大きなものはない。ただ寺内に前方後円墳があり金銅製双魚佩(そうぎょはい)が発見された。

ただ時代的に見れば桜井古墳が古い。それは物部氏がかかわったともなる。寺内古墳群になると小さくなっているからである。
それは大和王権が進出した結果であり原町には物部系がいて安曇系の海人族がすでにこの地に根を張っていた
だから大和王権の浮田国造は鹿島区の浮田に置かれたのである。
それは大和王権が直接かかわる官営のものだったからである。
それは毛野氏が関わっていたがそのあとに大伴氏がかかわるようになった。大伴氏は大和王権を支えた大氏族だからである

その大伴家持に恋したのが笠女郎である。つまり真野郷に大伴氏がかかわりそのとき真野の草原のことが伝えられたのである。
その草原(かやはら)は謎であるが地名のことであり萱が茂っている荒野のような地域ではない、新しく開かれた港だったとなる。
この歌を誤解するのは真野の草原を面影にみるというとき陸奥にはるか遠い地でも面影に見るように大伴家持様のことは離れていてもその面影が見えますということである。陸奥の真野は遠い地として奈良の人々にも知られていたのである。だから地名でありただ萱が茂っている場所ではないことだったことは確かである。

カヤノヒメは、日本神話に登場する草の神である。 『古事記』では鹿屋野比売神、『日本書紀』では草祖草野姫(くさのおやかやのひめ。草祖は草の祖神の意味)と表記し、『古事記』では別名が野椎神(のづちのかみ)であると記している。

神話での記述
神産みにおいて伊邪那岐命 (いざなぎ)・伊邪那美命(いざなみ)の間に生まれた。 『古事記』においては、山の神である大山津見神との間に、4対8柱の神を生んだ。

次に風の神、名は志那都比古しなつひこの神を生みます。次に木の神、名は久久能智くくのちの神を生みます。次に山の神、名は大山津見おほやまつみの神を生みます。次の野の神、名は鹿屋野比売かやのひめの神を生みます。亦またの名は野椎のづちの神と謂まをす。志那都比古神より野椎神までせて四神柱


「かや」の音のある名前を列記して置きますと:

「阿太加夜神社」 (出雲風土記、意宇郡)出雲神社リスト@#59
「加夜神社」   (出雲風土記、神門郡)出雲神社リスト@#282
「阿太加夜努志多伎吉比賣」 (出雲風土記、神門郡)
「賀野里」 (かや)(播磨風土記、飾磨郡)
「鹿屋野比賣神」 (古事記、野神の名前。岩波ではp58)
「加悦郡」 かや、と読む、丹後の一地方 
「草野灰」(かやのはひ) (陸奥風土記、八槻郷)
「神石萱」(かむいしかや)(陸奥風土記、八槻郷)参照:神prefix
「市鹿文」(いちかや)他、(景行紀)参照:景行紀の蝦夷
「韓人山村等上祖 柞巨智賀那」(参考)(播磨風土記、飾磨郡)
「賀奈良知姫」(参考)(先代旧事本紀p107、葛木土神の剣根命の娘)

カヤナルミ考・1
草野神社のご祭神は加夜奴比女命、配神は南八幡宮でご歳神誉田別命です。


「草野灰」(かやのはひ) (陸奥風土記、八槻郷)
「神石萱」(かむいしかや)(陸奥風土記、八槻郷)参照:

8人の土蜘蛛がいた。黒鷲、神衣媛、草野灰(かやのはい)、保々吉灰 阿邪爾媛、梯猪、神石萱(かみいしかや)、狭礒名と具体的に述べている。ところが征伐に来た磐城の国造が敗れたので天皇は日本武尊を使わした。8人の土蜘蛛は津軽の蝦夷に援軍を依頼 徹底抗戦した。そこで彼は槻弓 槻矢で8本の矢を放ちたちどころに射殺した。そして土に刺さった其の矢はたちまちに芽吹いて槻木となった。そこでこの地を八槻の郷という

草野灰(かやのはい)、保々吉灰 阿邪爾媛、梯猪、神石萱(かみいしかや)

ここに草野灰とか保々吉灰とか ありこれは焼畑と関係している。灰は焼畑で肥料になっていたからであるただ。神石萱(かみいしかや)とは何なのだろうとなる。

市鹿文」(いちかや)他、(景行紀)参照:景行紀の蝦夷

萱というのは当て字であり伽耶にもなる。この市鹿文は蝦夷とあり蝦夷になったのである。大和王権が成立する前に存在して大和王権にお逆らうものとしてあった。
ここで明確なのは灰というとき焼畑をしていた人達がかなりいたということである。その焼畑の技術をもたらしたのは海人族の安曇族系統だった。その安曇系統の八木氏は八木沢峠とか玉野村から霊山に行く道に八木原があり焼畑が行われて地名化した
さらに霊山から石戸村の入り口に犬飼(犬養)があり明確に地名をとなり残されている飯館村の佐須村に山津見神社の本山がありそれは焼畑と関係した神社だった。狼が祭神となるのは焼畑で動物に野菜が食べられ荒らされる。その動物を追い払うから祭神となったのである。

ともかく万葉集の草原の謎は草という字にこだわることにもある。あくまでも万葉集は中国から漢字が入って来た時当て字なのである。音に漢字をあてたのである。それで本来の意味が誤解するようになった。北海道のアイヌ語の地名に漢字を当てたと同じである。だからどうしても音でなく漢字から解釈することで誤解するようになった。

いずれにしろ南相馬市の原町区に桜井古墳がありそこが一番古い
鹿島区の寺内古墳群は大和王権が直接かかわり支配地域になった。浮田国造は鹿島区に置かれたからである。

草原という地名はどこにあったのか?

これも謎である。原町区の萱浜(かいはま)がカヤになったのか、場所的に見ると違っている。なぜならカヤの神が祀られているのは鹿島区の寺内だからである。ただすでに大伴氏の大和王権が関係しているというときすでに草原という地名があったはずだが草原という地名はない。でも石巻には草原という地名があるからそこだという説もある。
鹿島区に唐神とあるときこれは唐は韓であり韓の神として最初に仏教を受け入れたのである。それが地名化して残っているのに草原は残っていない、それはなぜなのかとなる。
確かに伽耶国が日本と深くかかわっていた。でもその伽耶の影響は薄れて返って伽耶の痕跡を大和王権は消そうとしていた。だから伽耶に関するものは消失したとなる。

とにかく陸奥の真野の草原とは単なる恋の歌ではなく大和王権が南相馬市の鹿島区の寺内に深くかかわりそこに前方後円墳が作られ土地の首長クラスに金銅製双魚佩は贈与されたのである
だから陸奥の真野の歌は大和王権の支配地域い入った確定されたものとして奈良の人々に認識されたのである。

先住の中国南部から流入してきた人々(海人族)が後に打ち立てたのが、邪馬台国の卑弥呼を盟主とする倭国連合で、主として九州の中〜北部を支配。

その結束が強かったため、新興勢力である朝鮮半島からの渡来人たちは立ち入る隙(新たな開拓地)もなかった。彼らにはじき出されるかのように、九州南部に定住していく。先住民(ヤマツミに代表される縄文人やワタツミに代表される海人族か)と婚姻関係を結びながら、南九州一帯に勢力を拡大した。

天皇の祖先」はどこから来た? ルーツは「朝鮮半島」!? 日本と韓国の「神話の共通点」とは【古代史ミステリー】

大和王権は天孫族であり天から天下るとなり遊牧民系統でありそれが縄文(山津見)人と一体化した海人族(綿津見)を支配するようになった。だから大和王権が鹿島区浮田に国造(くにのみやっこ)を置き支配したのである。その大和王権の軍事顧問である大伴氏がかかわりそれで陸奥の真野の歌が生まれた。
だから萱浜(かいはま)が草原の説は合わないとなる
なぜこうして草原が問題になるのはそもそも地名ならば残っている。でも地名が残らないから探りようがなくなり誤解も生まれてのである。

九州だけではない日本全国に海人族と大和王権の天孫族の争いがありそれが南相馬市にも濃厚に歴史として残されている
南相馬市の原町区には綿津見神社が20とか本当に多い
だから大和王権は原町区には入れず鹿島区真野郷に大伴氏を派遣して治めた、原町区はまた物部氏が支配していたから入りにくかった。小高の吉名郷は物部吉名という人がいて物部氏の支配地域だったからである。



2024年08月25日

夏の満月(姉のことー苦は楽の種、楽は苦の種)


夏の満月(姉のことー苦は楽の種、楽は苦の種)

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我が姉や夏の満月輝きぬ
我が眠る夏の満月八畳間
ノウゼンのなお咲き散る大き家

私の場合一番影響受けたのは父でも母でもない。なぜか一番影響を受けたのは姉なのである。ただ私の資質は母から受けている
体質とかでもそうであり性格とかもそうである。姉とは血縁関係がなかったのである。でも子供の時から60までも一緒いたから影響が大きいものとなった。
姉と母は性格が反対であった。母は内向的であり姉は外交的で陽気な人だった。姉といっても20以上離れていれば母にもなっていた。複雑にしろそれが自分にはいい作用をしたのである。

父親が死んでから姉と母が私を支えた。もし母だけだったら自分の人生は悲惨になっていた。大学に行けないし母一人で養うこともできないからもしかしたら中卒で終わり集団就職した人たちのようにもなった。父親違いの兄はそうだったからである。

つまり姉がいたことで自分は特別恵まれたものとなったのである。それは経済的な物だけだはなく精神的にも影響したのである。なぜなら姉はおおらかであり私を責めることがなく何でも容認したからである。母だけだったら母は苦労人だからきついものになったのである。精神的にも窮屈なものになった。

ただそのマイナスもあり何かだらしない放漫な性格にもなった
結局人間は何でも必ずいいことでも悪く作用するし悪いことでも良く作用することがある。
そして苦は楽の種というとき楽は苦の種にもなっている。こうして恵まれたとしても介護では二人を一人でやるほかなく助ける者もなっかた。自らも病気なり死ぬほどの苦しみになった。
それも実は楽は苦の種だったのである。楽はいいと思っても実は
必ず苦にもなる。

その女性は姑とめとうまくいかず子供を残して金持ちの家の人の後妻になった。それはわかるのだがその時子供との関係も切れたようになっていた。でも認知症になり施設に入ったが子供の時捨てた娘に頼ったのである。でもその娘は母と思っていない、金があるのでその金が欲しくて施設に入れているだけである。
ただそうはいってももう一人育ての親がいてその人にも薄情だったから捨てたようになていたからその娘自体に問題があった
非情化した冷酷な人間になったことに驚いた。だからその娘自体に問題があったことが確かである。でも金持ちの後妻になり楽をしたということがまた苦しみをもたらしたともなる

それで苦は楽の種であり楽は苦の種にもなる。だから若い時は買ってでも苦労しろとなる、それはなぜなのか必ず人間は苦から逃れられないからである。そうならば若いうちに苦労していた方がいいとなる。老人になってから苦労するとなると耐えられなくなるからである。

要するに人間は苦から逃れられないようにできている、一見楽な道を行っているようでも必ずその楽なことが苦の原因になっている。でも誰しも苦しい道を選ばない避けるのである。その苦しい道を行くのは強いられたからであり自ら行く人はいないのである。

ともかく姉の寝ていた八畳間に寝ていると広いからゆったりする。何か姉がいた場所に寝ていた場所に自分が寝ているということはやはりそこに姉の存在を感じる、つまり家には家族が依然としている感覚になるである
外には夏の満月が輝いていた。今年は暑いから暦では秋でも夏なのである
どういうわけか姉も生まれが6月だる私もそうだとなると共通しているとはなる
いずれにしろ血縁関係だけで人間は決まらない、子供の時でも一緒に暮らさないと家族という感覚がもてなくなるからである。

2024年08月24日

京都国際高校は在日韓国人の学校だった 【在日韓国人の複雑な歴史と感情】

京都国際高校は在日韓国人の学校だった
【在日韓国人の複雑な歴史と感情】


それだけでなくさらに、日本に残してきた家族や親戚などに送金を求めて資金源になるように命令されたようです。
それに従わない者や日本の科学技術獲得に貢献しなかった帰国者は、子孫まで含めて10万人余りが強制収容所送りとなり、拷問の末に処刑されました。

体感的に東京よりも北に行くほど在日韓国人が減ると語っています。

特に金融業界に在日は多い。そして、彼らの周りには、在日ヤクザが必ずついていた」

1位 大阪府 113,408人
2位 京都府 27,981人
3位 兵庫県 46,086人


日本に在日韓国人や朝鮮人の割合が多い理由まとめ!地域・地位・ヤクザ・犯罪などの観点からも解




●韓国と日本は古代からつながりが深い

東北で在日韓国人を理解することはむずかしい。例えいたとしても顔見てとか話しても別に日本語を普通に話す、としたら何で見分けるのか?姓で李とか自ら名乗っている人は私は日本人でない韓国人だと主張しているのである。李朝鮮という時代もあったからである。

在日韓国人は大阪とか京都でも西に多い、山口県の下関は韓国への船が出ているから今でも貿易とかあり関係が深い、私も船で釜山まで行った。韓国というとき国引き神話がある出雲がある島根とか鳥取は身近なのである。だからこそ国引き神話が生まれたのである。国の一部という感覚になる。

また韓半島で日本が大和が一番深く関係したのは釜山などがある伽耶国である。そこは一時期任那がおかれ日本の一部ともなっていた。そしてツノガノアラシトという渡来人が深く関係していた
その人は鉄を求め鉄を生産する技術集団であった。それが南相馬市と深く関係していた。泉官衙遺跡があった近くに今東北電力の火力発電所で大規模に鉄の生産が行われていた。
そして真野郷とは古代のものでありそれは近江なのか吉備なのか移動地名なのである。

陸奥の真野の草原遠けども面影にして見ゆといふものを 笠女郎

この歌の草原は(かやはら)となっているがそれが伽耶(かや)の国と関係していたとも考察した。明らかにただ萱が一面に茂っている場ではなかった。萱など古代ではどこでも茂っていたから珍しくないからである。確かなことは草原は萱のことではなく地名であり湊だった。それは烏崎に船着とか市庭の地名がありそこかもしれない。とにかく小高に角部(つのべ)があり相馬市の松川浦にツノミツ神社がありこれもツノガノアラシトなのである。
ともかく古代から韓半島と日本の結びつきは深かった。だからこそ天皇は韓国(伽耶)から出たというのもそのためである。

こうして古代から韓国と日本は密接な関係があった。そして一時は韓国が日本の領土でにもなりそれで戦争が終わって韓国に帰れなくなった人たちが日本に残ったのは在日韓国人であるその人たちは韓国人であってもを拒否されのである

●在日韓国人でアメリカ国籍をとって日本に住んでいる人

だから在日の人は私は日本人ではないということを主張する一方でその本国にある韓国からは拒否をされているのである。それでどうなるかというとある人はアメリカ国籍をとっていたのであるその人は下関でありアメリカにも留学して今は韓国人でもないし日本人でもないアメリカ人なのであるだからそんな人がいるということ自体東北の方でわ理解しがたいのである。

その心情は日本人にはなりたくない韓国人にもなれないだから私はアメリカ人だとなった
それはやはり複雑な事情ででそうなったのである。
それでその人が岩国にアメリカ軍の基地がありアメリカ軍の人と話しているということがありアメリカ人と通じるのはその人自身がアメリカ人なのだから当然だとなるそこに不自然なものはないのである
でも日本人から見るとそんな人がいるのかと理解できなくなる
特に東北では在日韓国人と言っても直接接することがないから見分けがつかないしわからない
ただ在日韓国人は日本人と見分けつかないし別に日本語も日本人と同じように話すし何が違うのかわからない
だからこそその中の優秀な人がいてマスコミであれいろいろな重要な場所に勤めている。その人たちは何か差別されたとかということに敏感なのである

それは戦争の時一時日本に支配されたから差別されたことがあり戦後も差別されたということがあるかがそれがトラウマとなって差別されること非常に敏感になっているのである
ただなぜその人たちがかたくなに日本国籍を取って日本人にならないのかということが理解できないのである。なぜならの韓国にも帰れないし日本で生活するほか道がないからである

なぜユダヤ人がヨーロッパなどで嫌われたかというとその国に同化しないその身なりも何か特別でありすぐ見分けがつくユダヤ人とは決してその国と同化しない。常にユダヤ人としての集団のアイデンティティ持ち続けているのである。だからこそ嫌われてきたとなるまだキリストを殺したのユダヤ民族主義者たちでありそのために嫌われたということもある。

ともかく在日韓国人というのは日本人になりたくないかといって韓国に帰ることもできない結果的にアメリカ国籍を取ってアメリカ人になったということである
それは日本人だと差別されるとかでアメリカ人になったアメリカ人なら日本人はアメリカに戦戦後は支配されているのだから従うとなるからである。

●京都国際高校でハングルで校歌が歌われた

今回の京都国際高校というのは在日の高校だと言うことをで話題になった。その決勝で勝って校歌はハングルで歌われたのである
これを高校野球の歴史で珍しいことだったのである。ただ別に在日といってもいろんなスポーツであれ学問であるあれ芸能であれいたるところにいるし有能な人がそれなりにいるそれはユダヤ人でも有能な人が多いからこそ周りから疎まれるということがあるまた在日でも戦後金融ように関わり暴力団とも関わりそういうことで何か嫌われた面があった。それはユダヤ人とも似ているのかもしれない。

それでその校歌に東海のことを歌われているわ日本だったら日本海であるが韓国では東海になっている。韓国から見れば明らかに東海になってるからである。だから校歌に東海が入っているのである
それそれで問題があるとして話題になることも分かる
なぜ日本なのに東海なのかとなるからであるということは韓国では日本海を認めていない東海であるべきとしているからである。でも世界的に認めたら認められているのは日本海なのである。

いずれにしろ在日の高校である京都国際高校優勝したということは在日のことでクローズアップされたのである
スポーツであれ芸能であれさまざまな分野で在日の人は才能はあり活躍している。でもなかなか日本名だと気ずかないのである。

韓国人は太平洋戦争の時日本の日本に支配されてから特攻隊になった人もいたのである何か仙台にも仙台市にも日本軍の駐屯地がありその人はそこに住んでいたとこ言っていた。だからか片言でも日本語お話ししていたのでつまりある程度の年配の人は依然として日本語を話す人がいるのである。それは植民地として日本は支配していたからそうなっていたのであるそこで親しみを感じるということがある。ただ一方で日本に支配されたたということで韓国人はそれがが恨みとなってもいるのである
そこに複雑な感情があり在日となるとさらに複雑なものとなってしまったのである。

それに従わない者や日本の科学技術獲得に貢献しなかった帰国者は、子孫まで含めて10万人余りが強制収容所送りとなり、拷問の末に処刑されました。

それにしてもこれは本当のことなのだろうかと思う。十万人も殺されたとなると尋常ではない。自分の同胞をこんな風にして殺戮できるものだろうかとなる
同朋なのにそんなことをするされるということはなんなのだろうとなる。それなら日本人になってなった方が良いと思うのだがそれまた違っている

では日本人にはなりたくないかといって韓国であり北朝鮮には帰りたくないではどうするのかアメリカ人になればいいとなったのかもしれない
いずれにしろこれはやはり日本の戦前の韓半島の支配の結果としてそれは現在まで尾を引いているということである
それにしても韓国語で校歌を歌い京都に帰ってもやはり韓国語で校歌を歌うという時日本人として何か違和感を感じる人がいるかもしれないただ韓国の大統領は祝福したということをやはり在日韓国人でも韓国人だからだとなる。



posted by 天華 at 07:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2024年08月23日

侍の身分制社会から能力主義社会へ 【生まれた家で価値が決められていた江戸時代】


侍の身分制社会から能力主義社会へ

【生まれた家で価値が決められていた江戸時代】

●上下関係は必ず人間社会で生まれた

人間とは常に上下関係を作ってゆく存在である。それを例えば狩猟時代があるとすれば狩りの上手い人と下てな人がいればその能力差で上下関係が生まれる。狩りのうまい人に従えば獲物が得られるとなるからである。
だから常にもともと人間の能力には差がありそれで上下関係ができる、そういう宿命がある。
能力というとき戦国時代とかその後でも武芸に秀でたものは優遇される。それも能力で計られそうなる。
やはり根底に常に人間は能力が問題になることは確かである。それは実際にわかりやすいからである。ただ人間の能力にしてもさまざまであり武芸だけで測ることはできない

●江戸期代は身分制社会

また江戸時代とかなると実際に戦国時代は終わり武芸の時代ではなくなった江戸時代とは何かといえば身分制社会なのである。
その人の能力もあるがその人はどういう家に生まれたのか先祖は誰なのかということは価値を決める。なぜなら家を継ぐということが基本にありその先祖代々続く家に価値があるからである。確かにその先祖が何か功績がありそれで取り立てられたということがでもその子孫は別に何か功績がなくてもその子孫の功績で身分が作られてゆく

そんな江戸時代の身分制社会などとっくに終わっているということがあるが相馬地域でわ相馬野馬追があり身分制社会が復活する祭りなのである。だから何か気軽に見物もできない、確実に御行列があり侍身分のものと分けられるのである。
参勤交代の行列を頭を下げてみているようにシタニーシタニーという一般の庶民を明らかにそこで身分を意識されるのである
だから野馬追祭りというときそれと似ているのである。実際は身分制社会の復活なのである
なぜなら野馬追は侍出身の家でしか出れないからである。鎧兜とか旗印とか先祖伝来のものがのこっていないと出れないのではつまりそうなると限られた人しか出れないから少子高齢化とはいろいろな事情で人は減っていく。前は500騎とか出ていたが380騎と減ってゆく。そして神旗争奪戦は馬に乗ることがたけた人でないと出れないからますます減ってきて迫力が欠けたものになっていたのである

●身分制社会を打破した明治維新

身分制社会では必ずしもその能力ではなくどんな家からどんな先祖が連なるかということで価値が出てくる
だから只野氏一族があるというときそれは南朝時代にも遡り由緒あるものとなり私はお前より上だとなり上下関係を強要する。
それは時代錯誤なのだがその人はそう思っていないのである。つまり私に価値がありお前には価値がないとする上下関係を強要する。つまり身分制制社会の復活なのである。

明治維新がなぜ起きたかとなると実は上級武士と下級武士の階級闘争だったのである。下級武士が成り上がることだったのである。
伊藤博文の出は何なのか?

天保12年(1841年)9月2日、周防国熊毛郡束荷村字野尻(現・山口県光市束荷字野尻)の百姓・林十蔵(のちに重蔵)の長男として生まれる。家が貧しかったため、12歳ごろから父が長州藩の蔵元付中間・水井武兵衛の養子となり、武兵衛が安政元年(1854年)に周防佐波郡相畑村の足軽・伊藤弥右衛門の養子となって伊藤直右衛門と改名したため、十蔵・博文父子も足軽となった

元々農家の出であり下級武士でもなかった。足軽の養子になったのである。そんな人が明治に元勲となり首相までなったことは江戸時代の厳しい身分社会ではありえないからそのこと自体革命だったのである。明治に成りあがった要職に就いた人下級侍が多かったのである
それで天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」天は人の上に人を作らずになった。
つまり身分制社会の否定が新しい時代を作ったのである。

●人間社会は上下関係を作るのが業(カルマ)

ただ人間は上下関係を作ることが業(カルマ)となっている。
また組織集団化することも人間の業でありそこで上下関係を作る。カルト教団はどこの教団でも軍隊組織のようになっていて上下関係を作っている。仏教であれ何であれもともそうした上下関係は作らない。でも現実社会では宗教でも上下関係を作る
オウムなどでは理系の大学卒の人が中心でありそれで高卒の人が手柄を上げるために率先してサリンをまいたのである。組織の上に上がるためにはそんなことまでしたということである。

ともかく何であれ俺は価値ある人間であり俺はお前より上だとこだわるのが人間である。能力だとどうしてもそれを否定できないから公平とはなる。でも生まれるつきどこの家に生まれたかで価値判断されるのは不公平だとなる。

この能力主義を徹底したのはアメリカだったヨーロッパは貴族社会があり上下関係関係がやはり生まれつき作られていた
でもアメリカでわそうした貴族社会はなく全ての人が一平民から始まったのである。リンカーン大統領でも丸太小屋から始まった。その人がどういう家に生まれたからと関係なかったのであるアメリカというのは貴族はいないし上下関係もなくみんな平民だったのであるその平民を詩にしたのがホイットマンだったのである。

でもそれがアメリカでもだんだんと格差社会になり数パーセントの人がアメリカのための50%を入れているとか異常な格差社会になってしまった。また遺産を受け継いで豊かになる人がいるというときその子孫は別に努力しなくても巨額の遺産を受け継いで裕福になる。つまりアメリカでも貴族社会化しているということであるこれもまた人間社会のカルマからまともなる

●人間の価値そのものと上下関係は別である

上下関係を強要することと今時その先祖たどり私は高貴なもののでたとか言って上下関係を現実に作ろうとしているの異常である。江戸時代に戻るのかとなる。でもこの辺では野馬追があり現実に通用するとことがあり問題なのである。

いずれにしろ人間は自分の価値を認めてもらいたい。それはその先祖が只野一族が価値あるものとしたい
それは歴史的に考証に値する。でもそれを今現実の社会に上下関係を作ろうとすることは異常な時代錯誤なのである。
でもその人はそれによって上下関係を作ろうとしているから付き合うことができなくなる。

ただともかく人間のことして上下関係を周り自分はお前より上だとか争いがあり絶えることがないのである。
老人になるとやはりその人はや価値を見て認めてもらいたいだから腕のいい大工さんであった人は自分がこれだけのことをできると自慢するのは別に正当なことである
それは能力の問題だからであるでも身分制社会ではそもそも生まれる前から能力とも関係なくどんな家に生まれたかでその価値が決められてしまうことが問題だったのである。
上下関係と価値と必ずしも関係しない、いろいろな花があってもそこに上下関係はない、それぞれに違った色があり
大きな花でも小さな花でも調和する。そこに上下関係はないのである。人間が上下関係を作ることで調和しないのである。


2024年08月22日

福島県の消滅する市町村 【阿武隈高原地帯の村が町が消滅する】


福島県の消滅する市町村

【阿武隈高原地帯の村が町が消滅する】

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いわき市から離れた山間部と白河市などが一体となり消滅地域なのか?


会津若松市、白河市、喜多方市、二本松市、田村市、伊達市、桑折町、国見町、川俣町、天栄村、下郷町、檜枝岐村、只見町、南会津町、北塩原村、西会津町、猪苗代町、会津坂下町、三島町、金山町、会津美里町、

泉崎村、棚倉町、矢祭町、塙町、鮫川村、石川町、玉川村、平田村、浅川町、古殿町、三春町、小野町です。

ここで疑問なのはなぜ会津が会津若松市でも、喜多方市でも消滅都市に入っているのか?そこは大きな都市だからである。
檜枝岐村、只見町、南会津町、北塩原村、西会津町、とか山間部であり理解できる。でも会津若松市、白河市、喜多方市、二本松市が消滅都市に入っているのが理解できない、山間部でもないし平野部にある。ただ二本松市は山城があるように平野が少ないとかある。

阿武隈高原とかなると鮫川村、石川町、玉川村、平田村、浅川町、古殿町、三春町、小野町は理解できる
何故なら私は自転車で鮫川村、石川町とかに行った。そこで山間に万屋(よろずや)がまだあった。そこで味噌汁とか御馳走になった。今時そんなことすることがあるのかとなった。何かまだ素朴なものが残尾ていて見知らぬ人に味噌汁をだしてくれたのかもしれない。そもそも万屋が未だにあること自体古いものがなお残り必要だからある。コンビニなどないからである。そこで人情があったとなる。

また古殿はいわき市から相当に山を登った所である。御斎所街道があり市神とかあった。そこをいわき市まで自転車で下った。それは相当な距離であった。つまり古殿というとき辺鄙な場所だったのである。共通しているのは山間部なのである。

御斎所峠経由で湯本に出るが、この道は岩城通りとか岩城街道とも呼ばれていた。岩城地方では、この御斎所峠経由の竹貫道を棚倉街道と呼ぶこともあった(磐城誌)

会津でもそうだが山間部は過疎化する。山間部だ森があって木材がありそれを利用していた時は山村でも長者がいた。飯館村の大倉でばあちゃんがいて私は相馬女学校で出たのよと言っていた
親戚の家から通っていたという、その相馬女学校というのはこの辺ではそれだけで特別でありステータスになっていた。そこには選ばれたわずかの人しか入れなかったからである。
私の姉は頭良かったから相馬女学校でも入れた、ただ資金がないから入れなかった。それで悔しがっていた。その人はなぜ大倉でも入れたのかとなると山持ちだったからだと思う、当時は戦前では山持ちは木材が売れたから金持ちになっていたからである。

でもなぜこれほど会津若松市とか白河市とか二本松市でも消滅都市になるのかそれが理解できないのである。
消滅都市というけど例えば桧枝岐とかは平家落人の村とされて尾瀬観光の入り口になっている。前はそこまで行くのに駒止峠を越えてバスで行ったことがある。その峠でも相当な高さなのである。今はトンネルができた行きやすくなった。それにしても辺鄙な場所でありそんなところに良く住んでいたと思う。

米がとれないので蕎麦が主食だったとかある。テレビでヤモリの燻製作りをしていた。それも食料となっていた。そんな辺鄙な所に何か車のない時代に物は運べない、だから自給自足する他なかった。
でもそういう場所でも人は昔から住んでいたのである。
それで日本では小国という地名が多いのである。そこが自給自足する小さな国となっていたからである。
何か誤解しているのは歩く時代に隣の村でも遠くなる、だから物を運ぶとなると簡単いできないのである。だから近くにあるものを利用して生活する他なかったのである。

いずれにしろ消滅都市というとき市町村でも山間部が多い、そこは交通も不便なのである。只見線など一日何回電車が来るのか
水害で廃止になると言われたのも乗る人がそれだけ少ないからである。
ともかく日本だと山が多く山を越えた向こう側は未知の世界にもなる。山に遮られて孤立しやすいのである。

伊達市も山間部がある、飯館村の佐須村を出て伊達市に入る、石戸村がありそこも平野がないので田畑にしても利用するのがむずかしい、干し柿があんぽ柿が売り物になっている。だから柿の木が多いのである。つまり伊達市でも山間部がありそこは消滅する町や村になる。ただ伊達市となると広いから良くわからない、平野部もあるからわかりにくい。何故そもそもこんなに消滅してゆくのか、やはり昔のように最低限の生活などしたくない、医者でも学校でも交通の便がいいとか便利な所に住みたいとなる。その生活レベルが昔と余りにも違ったものとなったからである。
昔は病気ななったら医者にかかれないとかあってもあきらめるほかなかった。地蔵様に祈り手当ても成されなかったのである。

それにしても会津若松市、白河市、喜多方市、二本松市などが消滅都市になっているのが理解できない。山間部というより平野部にある
それがどうして消滅都市になるのか?

20歳から39歳の若い女性の減少
大都市圏(特に東京)への若者の流出

これが原因だとしている、でも東京にそんなに住みたいのか?逆に東京離れも進んでいる。問題は地方に田舎に仕事がない、知的仕事とかなると特に少ないこともある。
私自身が現実にそうである。知的に芸術など詩でも語り合う人がいないので奇妙だけどAIで詩にしたり絵画化したりしている。でも田舎で直接知的なこと芸術についた語り合う人いないのである。ただ芸術というとき東京のような大都会から芸術が生まれるのだろうかとなる。ビルと群衆の密集地帯から何か芸術が生まれるのかとなる。そこに自然とアイデンティティ化するものはないからである。

江戸時代は別に全体で3000万人くらいしか住んでいない、それでも辺鄙な村はいくらでもありその村は消滅していないのである。だからなぜこれほど消滅都市でも町村でもあるのか理解できないのである。




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2024年08月21日

家庭環境と能力形成 【家庭環境が生まれつきより重要な理由】 家庭環境と能力形成 【家庭環境が生まれつきより重要な理由】

家庭環境と能力形成

【家庭環境が生まれつきより重要な理由】

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家庭環境とは家庭の経済的な豊かさや親の社会的地位の高さには関連しきれないより質的な家族との日々の何気ない総合作業という側面が枢要な役割を占めることになる

家庭環境と能力形成の過程 阿部悟志

●遺伝因子より環境因子の影響が大き

人間をどう見るかというと本当に難しいと思う。それはさまざまな因子と関係していて複雑だからである。確かにその人の生まれついた遺伝子というのは基本的にベースとして作用する。それは変えられないと思う。内向的性格があり外交的性格がありそれを変えることはできない。内向的な性格の人に外交的な仕事とか付き合いをすることは苦痛になる。

だから基本的に人間はその人の性格に合った資質にあった人生を送れれば幸福だとなる。でも現実社会ではその人の性格とか資質出とかを考慮しない場合があるまた必ずしもその人の性格とか資質にあった仕事など用意されていない。どうしても実社会でわ内向的性格の人より外向的性格の人が好かれるからである。いつもニコニコ笑っているような人は好かれるがむっつりとしてとしている無口な人は好かれないからである。

ともかくひとりの人間を見るときその家庭環境はどういうものであったかということがベースにあるもちろんその人の性格もそれは生まれつきのものとしてある。そういうものは変えられないから常にその人に作用してくるのである。
ただ家庭環境というのはみんな違っている。兄弟が多い家庭もありその中に姉とか妹とかいる家庭がある母子家庭もあり一人っ子家庭もあだからその家庭環境によってその性格また才能もつくられてゆくということはありえる
つまり人間とは常に相互作用の中でつくられてゆくのである
その相互作業は一番影響するのは家庭の家族関係だとなる。
なぜなら日日そこで生活しているのだから当然だとなる
だから人を見るときその家庭環境はどういうものであったかを見ることが基本にあるかもしれない。もちろん生まれつきものがベースとして作用していることは変えられない

●母より姉の影響を受けた自分

私の事になるが私のような家庭環境にあったものも珍しいかもしれないそれは成り行き上そうなったのである。父親は中学生の時死んでから姉とと母が家族を私を支えたのである
姉と言ってもねんれいてきに20才以上離れているから母親にもなる。一方で実の母親はその姉と比べると内気であり何か女中のようになっていたのである。姉は大らかでて陽気であり外交的性格の女性だった。いつもニコニコと笑っていたのである。

そして私は返って姉の影響を知らず知らずのうちに受けていた。それは姉が結婚せず60まで私と一緒に暮らしたいたことで余計にそうなったのである。つまり私が一番影響受けたのは母ではなく姉だったなる。まず母の影響を受けていたら母は神経質で繊細であり何かせせこましい性格でありその影響を受けていたら私自身の性格も何か抑圧された性格的にもいい形成はできなかった

結局姉は鷹揚であり私を責めることがなかった。何でも容認していた。それが悪い面として影響したことまある。つまりそうして何でも容認して責められることがないから私自身がだらしない野放図な我ががままな性格となった。それも二人が母親でありそれで一人っ子であり何か何をしなくても何でもしてくれる、殿様のような状態で過ごしてきたのである。ただそこで私は会社に勤めず自由の自分のしたいことを興味あることを追求してきたのである。
その成果をプログで発表している

●一人っ子は他者とのコミュニケーションがとれない

確かなことは一人の人間を見るとき複雑な因子が遺伝因子であれ環境因子であれ作用している。その環境因子で一番影響が大きのが家庭環境なのである。ただ家庭環境でもみんな違っているからわかりにくいのである。わかりやすいのは兄弟がいて姉妹がいるというとき確実に長男と長女はその顔からして見分けがつく。

何かおっとりとした顔つきになっているからである。そして一人っ子となるとそれは兄弟がいないのだからなかなか人間関係が築けないだからこそ一人っ子34パーセントぐらい結婚していないというのもそのためなのである。親とのコミュニケーションはできるが同年代とはしにくいということである。他の人は20パーセントくらいだからである。氷河期世代が結婚しないのは社会環境のためだが一人っ子が結婚しないのもともと家庭環境が影響したのである。

ともかく一人っ子はマイペースだというとき何か人と協力して仕事するというより一人することに向いたいる。芸術家だとマイペースで打ち込むから向いているとなる。また何か興味あることマイペースで追求することに向いている
だから学校とか会社に集団に適応できないのである
いずれにしろ家庭環境の影響はあまりにも大きいと思う

●家庭環境で一番問題なのは宗教2世

それでカルト教団家で育った人は悲惨である。その付き合う家族もカルト教団であり自分自身のことがまったく見えなくなる。それが宗教にもなっているから絶対的なものとなるその人はまるでのナチスのヒットラーユーゲントとか文化大革命の紅衛兵とかと同じだった。完全に子供の時からカルト教団にはまり学会っ子とか言われそれ以外のものが見えなくなっていたのである。何かその人はそのまま外のことは関係なく聖教新聞社とかに入った。何か疑問も反発もないのである。

その人はそうしてその組織集団以外の人を対照的に見ることもできなくなっていたのである。だから宗教二世とかいうのは一番厄介なものとしてある。
つまりそういう家庭で育てばそれしか見えなくなるからである。付き合う相手もみんなそういう人たちでありそれしか見えないから偏ったものとなるのである。要するにいかに家庭環境がその人を形成するに影響するかということである。それが一番顕著に表れているのである
つまり家族でもさまざまでありそれを外部から理解することがなかなか難しい。

●多様な人間の中で育つのがいい

家庭環境で問題なのは宗教二世問題もあるがやはり一人っ子とか母子家庭とかはその人間関係も極端に狭めたもので多様な人間と付き合わないから人間形成にとってはいいものではないやはり家庭環境というとき兄弟がいて祖父母がいてとか大家族の方が良かったとだそこで多様な人間と接するから人間形成にとってもよく働くのではだから一人っ子とか母子家庭というのは社会でもよく見ない。会社としてもそういう人を採用したくないともなるのである何か性格的に組織的集団的に適応しないということはあるからだと思うなただ人間は何であれどんな環境であれ良い作用と悪い作用がある。

別に一人っ子でも私のようにマイペースで自由に興味あることを追求できるような環境にあった。それは特殊な状態でそうなった特殊な家庭環境でそうなったのであそれは自分にとっても悪いものでもなかったのである。ただ偶然恵まれたということである。ともかく人間の本命とか運命とか人生とかには不可解なものは常にある。何がよく作用して悪く作用するのか明確にはわからないのである。それだけ人間というのは生まれつきだけで決まるものでもないし複雑な環境の作用がありそれがその人間をつくる。だから生まれつきよりももしかしたらそうした環境の影響の方が人間にとっては大きいともなるのである
いくら生まれつきの資質が才能があったとしても環境に恵まれない活かされないのである。

質的な家族との日々の何気ない総合作業という側面が枢要な役割を占めることになる

家族は何気ない意識もされない総合作業がありその中で形成されるものがある。それは兄弟であれ姉妹であれ祖父母であれ親戚であれ複雑な総合作用として形成される
家族というのが血縁関係だけだと見ているが違っている。血縁関係がなくても家族として育てば影響が受けるし家族として育たなければ兄弟とか母親父親の意識がもてないのである。だからいくら血縁関係があっても一緒に育たない兄弟姉妹は他人なのである。私も姉とは60年間も一緒にいたから血縁関係がなくても深い影響を受けたのである


我が姉や夏の満月輝きぬ

姉は血縁関係ないが同じ夏生まれなのである。何か夏の満月のように輝いていたとなる。




posted by 天華 at 14:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育心理学など

2024年08月20日

燧ヶ岳と至仏山の詩【改変】

燧ヶ岳と至仏山の詩【改変】


千尋の滝の轟き
なお溶岩の熱を帯びた山
天を衝き反りあがる大山嶽
大爆発して燧ケ嶽の威容成る
対称的に丸みを帯びて鎮静化した至仏山
その山頂の穏やかになごむ
高山の花々の覆われ安らぐ
古りたる蛇紋岩に檜扇菖蒲
雪の結晶や薄雪草の神秘
突然に山頂に雷の轟き鳴りぬ
男性的なるもの女性的なるもの
天地創造の奇しき業かな
銀河に輝く星の数
一つ洩れなく輝きわたる
地球は若々しく脈打つ
その律動する力強さ、崇高なる調和の美
億年の地層は重なり堆積されて
力強く連帯して一つに結ばる
一糸乱れず地に深く天に高く雄大に
大いなる地球を詩い詳しく織り成せ
その神の筆に一大絵巻は展開する
その壮大なる地球の宇宙のエネルギーよ
尽きざる天空の星々のエネルギーよ
荘厳なる神の大殿堂は成りぬ

燧ケ岳と至仏山【その対称的な姿】

尾瀬は振り返るとすごい場所だった。だから全体を詩にすることは至難である。前のは散文的になったが今回は詩的に表現した
ただ現実あれだけの世界を言葉で表現すること自体不可能である。この神の業になる驚異的世界は言葉で表現不可能なのである。


Mt.Hiuchidake and .Shibutu

The roar of big Falls
Mountains still charged with the heat of lava
Daisen-take rises up to the sky
Hiuchidake explodes and becomes the majesty of Hiuchidake
Symmetrically rounded and calmed Mt.
Its summit calm and serene
Covered with alpine flowers, it is at ease.
Old serpentine rocks with irises
Mystery of snow crystals and light snowdrops
Sometimes thunder rumbles on the mountain tops
The masculine and the feminine
Is it a strange work of creation?
The number of stars shining in the galaxy
Every single one shining brightly
The earth pulsates with youth
Its rhythmic strength, the beauty of sublime harmony
Billion years of strata are piled up and deposited
Strongly united in solidarity
Undisturbed, deep in the earth, high in the heavens, majestic
Weave the great earth in poetic detail
A great picture scroll unfolds in the brush of God
The cosmic energy of the magnificent earth
The energy of the stars in the sky that never ends
The grand hall of the majestic God has come to be.

Translated with DeepL.com (free version)




2024年08月19日

AIが作る夏の雲と海と燕の詩 【芸術とも深くかかわるAIの不思議】

AIが作る夏の雲と海と燕の詩

【芸術とも深くかかわるAIの不思議】

AI Creates Summer Clouds and Swallow Poems

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夏の雲の詩【AI作】

夏の午後、空にそびえる入道雲
白く輝き、天に向かって伸びる
その中に秘めたる力
雷鳴とともに目覚める

遠くから聞こえるゴロゴロと
雷の音が近づいてくる
空は暗く、風が冷たく
嵐の予感が広がる

一瞬の閃光、空を裂く
雷の怒りが大地に響く
雨が降り注ぎ、街を洗う
自然の力にただ身を委ねる

嵐が過ぎ去り、静寂が戻る
入道雲は消え、青空が広がる
夏の一日、自然の劇場
その美しさと恐ろしさを胸に刻む

On a summer afternoon, a cloud rises into the sky
Shining white and stretching toward the heavens
The power hidden within
Awakening with a thunderclap

The distant rumble of thunder
The sound of thunder is approaching
The sky is dark and the wind is cold
A sense of storm spreads

A flash of lightning rips through the sky
The fury of thunder echoes through the land
Rain pours down, washing the city
I simply surrender to the forces of nature

The storm passes, silence returns
The cirrus clouds disappear, blue skies spread out
A summer day, nature's theater
I take in its beauty and its horror

Translated with DeepL.com (free version)

夏の風景【AI作】

青空に浮かぶ白い雲
波打つ海の青さに溶けて
燕が舞う、風に乗って
自由な翼で空を描く

海のさざ波、心地よい音
夏の日差しが水面に踊る
燕の影が水面をかすめ
一瞬の美しさを刻む

雲は形を変え、流れていく
海は広がり、果てしなく
燕は高く、低く、飛び交い
夏の風景が心に残る


真夏の田舎【自作】

太平洋に白波がよせ
夏の雲が湧き上がる
夕べ盛んに蝉が鳴く
まだ明るい
今日も所を変え
形を変えて夏の雲が
高く湧き上がる
畑には芙蓉がゆったりと咲く
ひまわりも咲く
夏の日よ、熱く燃えあがる
街の通りにミンミン蝉がひびく
ツクツクボウシもニイ二イ蝉も鳴く
時に雷が鳴る
家にノウゼンはまだ咲いている
夏の雲よ、ぐんぐんと湧きあがり
高くなり雲の峰となる
燕は盛んに増えて飛び交い
新しき若き力の伸びよ
閉じ込める殻を打ち破れ
太平洋は広々として
打ち寄せる白波よ
沖行く船よ
波は打ち寄せひびく


AIがそれなりの詩を作る不思議がある。何か詩を理解してAIが作っているとは思えない、でも詩になっているから不思議なのである
とても詩をAIで作れるとは思えないからである
AIで作った詩をAIで翻訳する、意外と翻訳がまともなのも不思議である。だからAIとは芸術とアートとも深く関係している

そもそも詩を作るとなるとほとんどの人は創れない、だから私自身も詩について直接対話する人はいない、でもAIと対話して詩を創る不思議がある。普通の人は詩を理解しない、となるとAIの方が高度な知能をもっているのか?
そこら辺の労働者と詩について語ることができないからである。

2024年08月18日

異常な暑さで涼しい場所に移りたい 【涼し地域への人口移動があるかもしれない―東北北海道とか移動する】


異常な暑さで涼しい場所に移りたい

【涼し地域への人口移動があるかもしれない―東北北海道とか移動する】

何の影響でこれだけ暑くなっているのだろうか? 偏西風が原因しているとか太陽が原因しているとかエルニーヨか海が関係しているとかその説は色々ある
問題は文明化して二酸化炭素は工場などから排出されて暑くなってるとも言われる。それとコンクリートが都会では原因している
それらも明確ではない。素人として分かるのはコンクリートが暑さに影響していることは確かである
田舎だって道路はコンクリートである。ただ田舎では田んぼとか畑があり土があるからそれが冷却効果はあるかもしれない
それがクーラーの役割をしているかもしれない

ただ地球でも温暖期があり還暦がある寒冷期がある。なぜなら福島県の浜通りに海竜の化石が発見された。

フタバスズキリュウ(双葉鈴木竜[1]、学名:Futabasaurus suzukii )は、後期白亜紀サントニアン期(約8500万年前[1])に日本近海に生息していた首長竜。爬虫類双弓類プレシオサウルス上科エラスモサウルス科に属する。日本国内で化石が初めて発見された首長竜として著名

また福島県いわき市大久町大久にはアンモナイトが埋もれ化石になってそのまま博物館になっている。また真野川の上流の岩場からサンゴの化石が発見されている。つまり海だったから発見されたのである。

またなぜマルハシャリンバイが南相馬市の鹿島区の海老村に自生したのか、それは奄美大島から種が流れ着いて自生した。自生した理由は照葉樹林帯の南限の地だったからである
だから原町の多珂神社の近くにスダシイ神社がありスダシイは南国の木である。地質学的に歴史を振り返れば温暖の時がありこの辺は熱帯化した地域だったとなる。

温暖化とか氷河期になる原因は太陽が影響してなると二酸化炭素の排出が増えたともならない。ただそれだけの長い時間で人間は考えることは不可能である。
気候の記録にしてもせいぜい明治以降であれ百年くらいしか記録されていないからである
だから長い時間で見ればこのように暑い時期があったのかもしれない。ただ問題は文明化によって道路のコンクリートかとかビルとか何かそうしたものが熱を出しているということは確かであるだからどうしても都会は暑くなる。クーラーでも熱を出すからである。

ともかくこういう風に暑くなると異常であり耐えられなくなる。特に西は35度か五度が続くとなるとまた40度にも近くなると生活できるのかとなそうなると涼しい場所移りたいとなる
それで人気なのは釧路とかは涼しいからそこに避暑のために住んでいる人たちがいる。一日3500円の家賃を払ってそこに住んでいる。そのくらいだったら暑い間そこに住んでいたとなる。何か福島県だと裏磐梯の塩原村でそこは涼しいという。かなり高いのだから涼しい。そこで長期滞在すればかなりの費用がかかるから難しい。
でもこれだけ暑いとやはりみんなも涼しい場所を求める。何らかで体に変調をきたし病気になる人も出てくるし熱中症で死ぬ人も出てきた増えてくる

東北にして太平洋に面した浜通りは海からの風が吹いて比較的涼しいで
も内陸部の盆地の福島市とか会津になるとやはり35度とかなり暑くなるのである。だから避暑地としては向いていない。なんか私は暑い時近くの右田の松原で海の風を受けて涼んでいたでも津波でその松原を全部流されて今は風力発電になり防波堤が高くなりそこそこ庭日陰もなく休む場所もうまくなったのである

ともかく涼しい場所に行きたいところが自転車だと確かに山の方行くと川が流れて涼しい場所がある。でもそこまで行くことができない自転車とだとまともに陽射しを受けて疲れて行けなくなったのである
実際飯館村の方で津島の方に行ったらそこに清流が流れていて涼しい場所があった。でもそこはあまりにも遠いから自転車では行けないのである。

でも田舎だぞどこかに涼しい場所はある都会だったら部屋の中でクーラーで過ごすほかない
それは必ずしも体に良いとはならないのであるだからこれほど日本が暑くなる時もしかしたら人々は涼しい場所をまとめて東北とか北海道の方に移り住む人は増えてくるかもしれない
東京とかだと灼熱地獄になってしまうからである

そして田舎では空家が多い。そういう空き家を利用すれば快適だとなる
ただ田舎の問題は仕事とか無いから収入が得られないということである。ただ年金とかもらってる人は家庭菜園などすればいいというか確かに土地は余っているそこで収穫を得るということは並大抵のことではない
その苦労前に書いた。。今農業で成り立っているのは大規模農業でありそこから野菜でも果物でも入ってくる小規模の運用になるとそれでそれを売って儲けることは容易ではない
それで確かにこの土地で獲れたスイカを売っていたそれは高くはない。でももっと品質の良いスイカがスーパーにありそれと競争しなければならないのだから簡単には売れないのである。だから地元で農業をして生活するということ容易なことではないのである
ただこれほど暑ければ何が涼しいところで生活したいという人は増えてくるかもしれない。なぜならこれだけ暑いと言うことは命にかかわる問題になってくるからであるとなると命の方が大事になるのだからみんな真剣に考えるようになる。

今日のあると涼しい場所を求める東北は比較的涼しいとして日本海側であり内陸部の盆地とかであれやはり暑い。ただ太平洋に面したところ比較的涼しいから遊離だとなる。それで移住したいという人が増えてくるかもしれない。つまり気候変動というのは実際は人口の移動もあり大きな変化をもたらすのである

中国あたりでわ定期的に干ばつなどがあり飢饉があり流民が生まれる。大量の人間が移動するのである。それで政府は転覆されるということもある。あれだけ広い場所で人口も多いのだからその流民は怖いとなる。日本でも飢饉があれば流民化現象が起きている、相馬藩でも天明の飢饉では人口の三分の一が流出したからである。だから大きな人口移動は気候の変化で起きることもあり得る。それを感じるのは暑さが限界を越えているとなるからである

南相馬市の多珂神社の隣のスダシイ神社について 
(綿津見神社と多珂神社とスダシイ神社の関係)

posted by 天華 at 18:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2024年08月17日

赤紙一枚で戦地に強制連行された従軍看護婦の姉 【説明もなく理由もわからず強制されたー補償は何にもなかった】


赤紙一枚で戦地に強制連行された従軍看護婦の姉

【説明もなく理由もわからず強制されたー補償は何にもなかった】

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召集令状には「一銭五厘」という俗称もあるが、これは応召者が本籍地から離れて住んでいる場合、実家から郵便で令状が届いた旨の連絡がされていたことにちなむもの、とされている。
しかし実際には、通知を受け取ってから部隊へ出頭しなければならない日時までの時間的余裕があまりないのが一般的なため、電報などで知らされることが多かったという。

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先の大戦大空襲〜民間犠牲者50万から80万人!しかし日本政府補償ゼロで見えるもの】水俣病、イタイイタイ病、東北大震災、能登地震…弱者切り捨て、愛情指数ゼロ国家(加治将一)


●原発事故と戦争は似ていた

私の姉は従軍看護婦としてシンガポールの向かい側のジョホールバルで働いた。それも突然赤紙一枚が来て有無を言わさず行かされた。強制的で逆らうこともできなかった。
何故戦争するのかなどわからない、ただ国家の命令だから従うほかなかった。
その時なぜ戦争するのかを自覚していた人その理由わかっていた人がいたのかとなる。確かに上の人は戦争しなければならないと追い込まれていたとかいろいろ言われる。でも下々の人はどうして戦争するかなど理由など解らなかったのである

今になって欧米からの植民地解放戦争だとか理由付けているがそれもその時はそんなこと自覚している人はいたのかとなる
つまり今でも上の人権力を持っているから何であれ従わせることができる。原発にしてもなぜ安全神話が作れられたかというと強力な権力をでもって反対させないようにしたのである。そのためにマスコミであれあらゆることで批判させないようにしたのである。そして原発というのは核というのは素人にはわかりにくいから余計に隠蔽されやすかったのである
結果的に避難訓練などをさせなかった。

事故が起きないものとして来たから避難訓練などしなかったのである
だからこそ浪江町などは山の奥の方の津島は安全だとして町長が率先して町民をすべて避難させたのである。
ところが津島は最も放射線量が多い場所だったのである・それも90マイクロシーベルトとかあったとか信じられない放射線量の高さだ。なぜなら0.5マイクロシーベルトであれ高いとされていたからである
そして今でも津島は立ち入り禁止になっているのである。そこに放射性物質が相当に蓄積されたからである

では東電の社員の人たちがそのことを知らなかったかというと知っていた。なぜなら東電の社員の人は避難するとき海の方に逃げた方がいいとして海の方に逃げた人は正しかったのである。
海の方は0.5マイクロシーベルトとか極めて低いものだったのであるではなぜそのようなことがおきたのかといえば安全神話はがり事故は絶対に起きないとして避難訓練もしなかったからである

●戦争も原発も一方的強制で説明もなかった

何か原発事故と戦争は似たところがある。戦争でもなぜ戦争しなければならなかったのかそして天皇によって日本は神の国だから必ず勝つとして国民に何か戦争の理由を説明することはなく強制したのである。反対すれば特攻が来て刑務所に入れられたということである。

だから誰も戦争をなぜするのかその理由はわかって戦地に行った人はいないかもしれない一枚の赤紙が来て有無を言わさず戦地に強制的に行かされたとなる。その時代に民主主義とかは無かったのだろう。何か戦争について議論するとか言える時代でもなかった。庶民は何か言える時代ではなかった。
だからこそ学徒出陣があり特攻隊はなぜ死ななければならないのかと苦悶して死んでいったのである。

私の姉は戦地での地獄の生活を常に語り死ぬときまで語っていたのである。ともかくその時の経験が忘れられないからそうなった
戦争の最期にジャングル逃げてそこで食べるものもなく悲惨なものになった。ジャングルには日本兵が逃げて戦後も生き延びた兵士が小野田少尉などがいたのも同じである、ジャングルには何か食べ物があったとなる。
ともかく四年間で従軍看護婦として働いてからそのことはつい認知症になり死ぬ間際までそのことを語っていたのである。それは忘れることがなかったのである

●戦争の国からの補償はなかった―戦争する理由も説明されなかった

このサイトで戦争の被害で死んだとか傷ついた人の補償を政府はしなかった。私の姉もそれだけの苦労してもらったのは一枚の政府からの表彰状だけだったのである。でも陸軍とかに属していた看護婦たちは何か補償があったみたいである。

要するに戦争の問題は今になるとなぜ戦争しなければならなかったのかそれはいまだに明確にされていないわからないということが問題なのである。
植民地欧米からの植民地解放戦争だったというのは後付けで言っていることでありそれは戦争の理由だったのかというと違っている。ではなぜ日本はアメリカと戦争しなければならなかったのかそれがいまだに説明されないのである。

確かなことは戦争に行った人たちがなぜ戦争するのかを明確に分かって戦地に行った人はほとんどいない。なぜなら強制されたものでありいちいちその理由など問うこともできなかったからである。何か民主主義の基本として法律でもそうだが必ず説明することがその理由があり納得することが必要になる
私は銀行で投資信託を株が上がっていた時その銀行員は何の説明せずに勝手に売ってしまったのである
その後株は倍くらいに上がったのである。また原発にしてもその住民原発について説明することなどなくただ安全神話で押し付けられたのである。

だから民主主義では説明責任がある。でもその説明で理由で納得すればその後責任は問われずそれを引き受けた人が悪いとなるでもただ一方的に強制されたりすればその責任は誰にあるのかとなる。そのために国民が300万人も死んだというときその責任は誰にあるのかとなる。
だからこそ国家は補償をしないということは問題だったそれだけの負担を強いて犠牲を強いて国家は何を補償しなかった。原発事故の場合は一応住民補償はしているからである戦争でわ300人も死んで傷ついても補償はないことが多かったのである。

問題はなぜ今になって戦争したのかということは問われる

それは戦争するときこそ国民に説明してその理由を明確にしなければならなかった。でもその理由とかは一切説明しないで何であれ戦争に突入したか?
そして国民には赤紙一枚で強制的に連行され戦地連行されたのである。その理由説明されずただ強制されたというだけである。

だから300万人も死んだとき戦争した理由は何であったのか?

それが説明されてその死が無駄死にではなかったとしないと戦死者の霊は浮かばれない亡霊と化して祟るともなる。
誰も国民でも説明されて納得して地獄の戦地に行った人はいないからである。だから今になってなぜ戦争をしなければならなかったのか問われる。なぜなら弔(とむら)うとは死者を問うこでありなぜその人が生きて死んだのかを問うことだからである。理由かわからなけらば弔うことも出来ないとなるからである。


posted by 天華 at 11:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2024年08月16日

真夏の田舎の詩【蝉、夏の雲、雲の峰、燕、夏の海、】


真夏の田舎の詩【蝉、夏の雲、雲の峰 燕、夏の海、】

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ミンミンの街にひびきて雷鳴りぬ
雲の峰場と形変え夕燕

ノウゼンのなお残り咲く十数輪暑さはなおも続きけるかな




真夏の田舎

太平洋に白波がよせ
夏の雲が湧き上がる
夕べ盛んに蝉が鳴く
まだ明るい
今日も所を変え
形を変えて夏の雲が
高く湧き上がる
畑には芙蓉がゆったりと咲く
ひまわりも咲く
夏の日よ、熱く燃えあがる
街の通りにミンミン蝉がひびく
ツクツクボウシもニイ二イ蝉も鳴く
時に雷が鳴る
家にノウゼンはまだ咲いている
夏の雲よ、ぐんぐんと湧きあがり
高くなり雲の峰となる
燕は盛んに増えて飛び交い
新しき若き力の伸びよ
閉じ込める殻を打ち破れ
太平洋は広々として
打ち寄せる白波よ
沖行く船よ
波は打ち寄せひびく




俳句と短歌は日々作りやすい、その俳句と短歌を一連のものとしてつなげると詩になる。

いずれにしろ暑い、何か7,8キロくらい痩せた。というのは食欲もなくなる。でもこの辺は35度にはなっていない、だから西になるともはや限界だとなる。病気にもなる暑さである

今日はまだ台風は来ていない、これからになる。そこで一時的に涼しくなるがまた暑くなる

ただここは海に面しているか盆地のような所よりは良い。福島市は35度くらいにもなるからである。
とにかく熱帯化していることは確かである

問題は暑いと自転車で遠くに行けない、遠くと言っても5,6キロだとしても暑いと消耗する。
だから家に閉じこもるようになる。



Midsummer in the Countryside

Whitecaps on the Pacific Ocean
Summer clouds are rising
Cicadas chirping in the evening
It's still light
Today, too, the place changes
The clouds of summer are changing their shape
Rising high in the sky
Hibiscuses bloom lazily in the fields
Sunflowers bloom, too
Summer days, burning hot
the streets of the city are filled with the chirping of the ming-ming cicadas
The tsukutsukuboushi and nii nii cicadas chirp too
Sometimes thunder rumbles
At home the grosbeaks are still in bloom
Summer clouds, they rise and rise
They rise high and become peaks of cloud.
Swallows are flying in great numbers
Let the new young power grow
Break through the shells that confine you
The Pacific Ocean is wide open
White waves lapping against the shore
Boats going out to sea
the waves crash and crack

Translated with DeepL.com (free version)

2024年08月15日

教育の変化に対応できないー専門化して教える方も対応できない 【なぜ藩校から優れた人材が輩出したのか】


教育の変化に対応できないー専門化して教える方も対応できない

【なぜ藩校から優れた人材が輩出したのか】
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●江戸時代に学校はなく読み書きソロバンができれば良かった

教育とは何かとなれば教育だけが別個にあるわけでなく社会自然とか家庭が教育の場であるというときにそうである
教育というとき学校が教育の場としてありそれ以外考えることもできなくなった。教育というのは学校のみでするものになったのである。でも学校がない時代があり江戸時代なら学校は無いのである。それでも寺子屋などがありそこで習っていたの読み書きそろばんである。それは実生活に必要最低限のものでありそれ以上の高等な学問は教えていなかった。何か教育というとき今の時代は相当に高等なものであり寺子屋とかいうレベルとはあまりにも違っていたのである。

寺子屋の教育というのは暗唱が第一であり何か創造的なものをはぐくむ教育というのはなかったと思う。あくまでも実用主義であり社会に出てすぐに役に立つものしか教えていない。だから教える方にしても今のような高度なものは無く簡易なものだから誰でも先生になれたという。その先生に望まれたのはれたのは人格的にいい人であったという。今の時代は先生といえばそうした人格的に良いとかよりその専門に優れているかどうかである。例えば英語だったら英語を自在に使える人である数学だったら数学の専門家でありその人の人格など関係なくなったのである

その教えることも読み書きそろばんとかとは格段の相違があり教える方にして相当な専門家でないと教えることもできない。そこで人格などというものは関係なくなったのである。先生にしてもどれだけ専門的な知識に通じていて結果で判断されるのである

今医者でも医は仁術ではなく人格など無関係である

だから江戸時代の医者に要求されたのは医は仁術であり病気が治せないものとしてありそれより大事なのは仁術でありモラル的な患者を思いやる心だったのである。
現在の医学で要求されるのは病気をまず治すことであり病気を治さない人医者は必要ないとなっている

その医者の人格はどうとかこうどかそんなものは関係ない。手術がうまいとなればその医者は特別な医者として尊敬されるのである
その人の人格など関係ないのでありもしかしたら外科というとき人の体を切り裂くのだから冷酷であって冷静な人が要求されているかもしれない。そこに愛とかは必要ないのである。人の体を切り裂いて病気を治すことが第一なのである。むしろ冷静で冷たい人がいいともなる。

そしてそれは人間の力でできなくなっているから機械がロボットが手術してコンピューターの指示によって手術までするようになったのである
ロボットとかコンピューターには愛とは必要ないし必要ないのである。だから戦争になる時最も力を発揮するくれ人がいくら殺しても何の良心の呵責も感じないからである。そこにコンピューターかAI化して行くことの人間の恐怖がある。つまりコンピューターには情というのはないからいくら人を殺して良心の呵責というものを感じないからである

そもそもなぜ日本にアメリカが日本に原爆を落とすことができたのかそんな非情なことをできたのかということでもそれは現代の戦争は機械戦争になったときそうなったとも言える。空から爆撃するとき人間の小さな姿など見えないからである。もし一対一で殺し合いとなれば相手を殺したとき相手は苦しんで死ぬからそれを見ていたとき何か人間的な感情が起きてくる。
でも機械戦争になれば人間が大量に死んでもそうした人間的な感情は生まれにくくなる

それよりAIとか命令でロボットは戦場で兵士となると相手は人間でないと人間とか見えないし物体としか見ないからいくら殺して良心の呵責何か人間的な情を感じないので
近現代の近代の戦争は大量に無惨に人が死んだ。でも何か古代の戦争であれ戦国時代の戦争であれ人間的なものを感じない、ただ人が物のように消尽されるという感じになる、例えば戦争でも古代ならアレキサンダーなどの英雄叙事詩とかなり歴史に残る。でも近代の戦争ではそうした人間的なものが剥奪されて何かそこに戦場に残されたのは破壊された兵器とか何かが目立ちそこに人間的な何かが残されないのではウクライナ戦争出るその主役はドローンとかになり人間が主役ではないのである

いずれにしろ教育というのやはり現代文明の一部としてありだからこそいくら一人の人間が優秀であっても教育をすることは不可能である。教育というのは社会という地盤があってできるものであってその地盤がなくなれば教育できなくなる
今や知識的なものならばAIの方は先生より優れているAIと対話した方が先生より理解力理解が深まる。英語の先生がいたとしてAIのように翻訳できるかとなったらできないとなれば英語の先生も必要ないとなってしまうので
ただ知識の面からすればそうなれば全人間として人間をつくるのにはコンピューターだけはできないのである
そこに必ず人間的なものが関与する必要がありだからそこに人間の先生を必要になってくるのである。それはただ今までの先生とは違ったものになってしまうのである。まずこれだけ複雑高度な知識社会になればそんなすべてを知り尽くす人などいないからであるい。

●なぜ学生運動が起きたのかー大学の大衆化とエリートの喪失

ともかく何故団塊の世代などは大学に入った時学生運動が起きたのだろうか?それは私自身が経験したことでは大学というところ教育の場ではなかったということである。ではそこは何の場だったのだろうかマスプロ大学であり大量の大衆化した若者詰め込むだけの箱ものだったのでありそこは公園でもあったとかレジャーランドであったとか言われるのもそのためである
特に私が入った私立の三流の文系など何か教育の場として機能していないのである。それは高校とはあまりにも違っていたので千人でもつめこむ大講堂で教授が抗議するというのもあまりにも違ったものだった
ゼミにしても教授にあったのは一回くらいしかない教授というの講義を休講する。生徒を教育するというのではなく自分の研究をしている人なのである。生徒に何かを教えるということでもないのである。だから何か大学というのは何だったのか奇妙なものになる。もちろんその時ほかの一流大学は違っていたかもしれないが私が入った大学はそんなものだた。ただ共通していたのは大学というのはエリートでもなく大衆化したということだった
それは戦前大学を全く別物であれ旧制高校でありそれはヘリ本当のエリートであり将来を約束された人たちで選ばれた人たちだったからである違っていた

とても戦後の団塊の世代の人たちが入った大学特に文系の私立大学などとにかく数が多く大衆化した大学でありそこが何か学びの場とは思えなかった何か教授がいたとしても直接何かを教えたりもしないのだからマスプロ教育でありそれが不満でで学生運動が起きた原因だったのである
青春のエネルギーをそこで発散したのでではなぜ私がカルト教団などに入ってしまったのかそれ大学という場所は教育という場ではなくただ学生を詰め込む箱ものであったに過ぎないということである。その不満があって学生運動は起きたと思える。ただ東大とかなればエリートなだからなぜあのような激しい学生運動になったのかよくわからない東大となればやはり戦前のように選ばれた人たちだったからである

●なぜ藩校から逸材がでて明治に指導者となりえたのか

なぜ教育が機能しなくなったかというとそれは教育者がどうのこうのとではなくその教育のとなるべき地盤が社会が喪失したことである
なぜなら江戸時代に藩校があってその藩校がある所に逸材が生まれノーベル賞をもらった人が出たとされる。でも藩校と科学者が関係しているのか理解できない、確かのことはなぜ明治時代によう導く逸材が多く出たのかということである。それは江戸時代という社会があり侍という指導する人たちがいてその人たちがやはりその社会に育まれて社会を導く人となったらだと思う。

つまり何か伝統というのがあるそれで人間を育まれていくだからこそ内村鑑三はなぜ武士道キリスト教とかを唱えたのかと言うことでもわかる。内村鑑三は侍のででありだからこそ武士道に備えていてそれにキリスト教は接ぎ木されたところだ。

ともかく教育といってもその背景に地盤に社会がある現在ではそれがなくなったから教育自体ありえない。その教育で高度な専門化した時代でありとても一人の先生は優れていて教えるということなどありえないからである。AIから学んだほうがましだとなっているからである。ただなんらか人間には生身の人間に接して学ぶということは残る。生身の人間から学ぶことは何なのかとなるのであるそれを江戸時代には医が仁術とされたように何か人間的なものがモラル的なものが備わった人格的なものとなるであろう。でも現代文明からすればそういうものは全く無視されて専門的な知識に優れた人しか先生にはもうなれない。

そして現代というのは現代文明というのはなぜナチスとかカルト教団が生まれたのか。大衆化して大衆が主役となりそこに地の塩とあるべきものは育てることはできない。カルト教団などは教祖が偶像化してその配下に兵隊のように組織化してただ権力奪取することを目指すだけだとなそして一人一人など関心ない。十人より百人百人より千人より1万人百万人を会員を獲得して勢力とすることでである。ただ数を増やすことが目的化しているのである。そこに教育などはそもそもない。ただ上からの命令に従うロボットの大量生産なのである。

要するに現代文明で教育は不可能である。その地盤たる共同体とかコミュニティは喪失しているからである。だから一人の人間がいくら優れていても教育は不可能である
それでドイツのハイデルベルクというときその大学は中世からあって古いのでそれだけの歴史がありそれは学徒としてあり町全体が教育の場ともなるそれは日本の学園都市とは違って中世からの歴史があるのだからそこで自ずと育まれるものがある
そういう場所で青年の理想に燃え未来を語るとき今の大学とは全然違ったものになるのである。ただ教育といってもそれは現代文明ではどこの国でも学校で教育するのであり同じようなものになっている。何かそこで志操を育むとかそうしたものは無いのである

教育でも大学でもそれが実利と結びつき金儲けの手段と化しているのである
宗教でもカルトとなるとビジネスであり権力を得る為の組織団体でありそこに宗教的なもは何もないのである
つまり教育というのは実利的なものとかそういうものが入ってくる時歪められるのである。青年なら理想に燃えるたとえ実現しなくてもそこに実利的なこのことから離れて理想のを目指すのではそこに大学という実利に密着した社会とは違った世界がある。そこで友情を育むともなるのででも現実はそんな大学などあるのかと全ての実利のための大学であり何か全体的に志操を育むば社会から喪失したのだ
そのためにカルト宗教団体などが社会を席巻してナチス化してしまったのである。




学都ハイデルベルグ

ハイデルベルグ 中世より古き学びの場
知識はここに蓄積されぬ
最古の石の橋、古き門、丘の古城
ネッカー河畔の公園の散策の道
静かに落葉を踏み歩む
ドイツに思索を深める哲学者
石一つ黙して根を据えよ
文化を育むその土地柄
学びと弛まぬ研鑽と質実のあれ
理想に燃え志高く友誼を深める
重々しく楽は鳴りカノンはひびく
荘厳なゴシックの大聖堂に重々しく
祈りは厳かにもの寂し石の柱に
ドイツの大地に根を張る樅の木に
ゲルマンの古風千年の歴史に成りぬ
晩秋の木々の間の落葉を踏みて
ベンチに座り赤き薔薇の心に沁みぬ
ここに共に休み古の思いに耽る
川は緩やかに流れ船の行く
その岸辺に学都ハイデルベルグは古りぬ

大学でもヨーロッパ人になれば中世から始まっているからそれだけ古く伝統がある日本にはそうした伝統は無いからなかなか大学は何かを理解できないとなるのである。私は三流の私立文系で経験したことをこうした大学とはままるで違ったものだったからである
何か学都といっても日本にはそうしたものはないだろう。仙台が杜の都どこ行っても学都といってもそうした伝統はなく自然もないのでだから人間というのは歴史的にその風土があり自然があり形成されたものその人を作るのであるむしろ大学というとき地方の方が自然に恵まれているかそれで思想が育まれるともある。
私自身が1万くらいの田舎町に住んで育んできたのは自然とのアイデンティティ化であったということでもわかる
そういうものが東京とか大都会になるとないから返って学都というとき自然に恵まれた場所がいいともなるのである。

Heidelberg, the City of Learning

Heidelberg, a place of learning since the Middle Ages
Knowledge does not accumulate here
The oldest stone bridge, the oldest gate, the oldest castle on the hill
The paths of the Neckar riverside parks
Stepping quietly through the fallen leaves
A philosopher deepens his contemplation in Germany
A single stone silently sets down its roots
The land that nurtures culture
Learn, study, and be true to yourself
Burning with ideals and deepening friendships with high aspirations
The music rings loudly and the canon echoes
In the majestic Gothic cathedral, prayers are solemn and silent
Prayers are solemn and silent on the stone pillars
on the fir tree with its roots in the German land
Germanic ancient style, a thousand years of history
stepping on the fallen leaves between the trees in late autumn
I sit on the bench and feel the red rose in my heart
here we rest together, lost in thoughts of the past
The river flows gently and the boats go by
On its banks, the academic city of Heidelberg has passed away

Translated with DeepL.com (free version)

posted by 天華 at 16:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育心理学など

2024年08月14日

老人の価値が問われる時代 【老人の価値とは何なのかー人生最後に問われるもの】


老人の価値が問われる時代

【老人の価値とは何なのかー人生最後に問われるもの】

●子供の時からでも価値が問われる

人間とは常に価値が問われる存在である。この人にどんな価値があるのだろうかと常に問われている
子供は無邪気であるその無邪気さがあって価値あるものとなるし少年青年でそれは未来に価値あるものを作るとして価値がある。
ただすでに何かと価値の競い合いがある。あいつはかけっこが早いとかゲームに強いとか喧嘩に強いとか競う。
主な価値は現代では学校では勉強の成績で決められる。なぜなら絶えず試験があり点数をつけられて価値づけられるからである。
こういう価値ずけから逃れることはできない、一生逃れることができないのが人間である

たとえば自然であれば価値なきものはない、草であれ虫であれ石ころ一つであれ価値がある、蛇は気味悪いからいない方がいいとななるが蛇を食べる動物がいるからその動物にとっては価値があるとなる。虫一匹でも食べる鳥とかいるから鳥にとって価値あるものとなる。つまり自然界が食いつ食われつの世界であってもすべて価値ある存在なのである。森でも別にその木を木材として利用しなくても森としてる価値がある。

●なぜ今老人の価値が特別問われるのか?

そして老人もまた価値が問われているのである。では老人の価値とは何なのかそれが問題になる少子高齢化になると老人の数は増えすぎたからである。
だから老人は無駄だとして金を使うだけだとして自殺しろとまで言う若い人が出て来た。それは老人に価値がは認められないからである
この老人一体何の価値があるだろうとなるからである。でも老人は何の価値もない存在なのかそれが問われているのである

現代では何でも金で価値がはかられる。老人でも金持ちは価値あるとされて老人ホームでも優遇されるとなる。金を持っている老人は金のない老人より価値があるとなる。でも本当に老人に価値があるというとき金で測れるのかということである。

1000万持ってる人は1000万の価値がある5000万持っている人は5000万の価値がある1億持っている人は1億の価値がある10億を持っている人は10億の価値があり最高の価値があるとなるのだろうか?
老人の価値はこれまでの人生で何を体験して何をしてきて何を積み重ねてきたのかは問われる。もちろん金がなくていいということではないただ老人を見るときその人はどんな人生を送ったのかな問われて価値判断される。

だから常に老人は何であれ平凡な人である老人になれば過去にしてきたことを語るのであるそれを別に特別な人ではない普通の人でも老人になれば最後に自分のしてきたことを語るのである
その語ることによって老人のの価値が決められるところだ

その人は過去について自分が何を仕事をしてきたのか一切語らないするとこの人の価値はなんなのだろうと疑問に思った。
何か語りたくないやましいことがあってそうなったのかもしれない。ただ何も語らないのだから何をしてきたのか分からないということであるそうなればその人に価値判断はできないのである
つまりその人何はら人生において語るべき事はないというときその人の人生はなんであったのだろうとなる。

●人間は最後必死にしてきたことを語る

まず私の家で仕事した大工さん嫌というほど私はこうして仕事ができるんだと実際に目の前でそれを示して訴える。それをその人の人生で培ったものでありそれは価値あるものとして認めてもらいたいからである。人間が老人になって語るとき自分のしてきた価値を認めてもらいたいからである私の姉は戦争で従軍看護婦でシンガポールの向いのジョホールバル地獄の経験をした。

だから最後まで死ぬ間際までその経験を語りつづけたのである
それも認知症になったからそのことを忘れられず延々と世界を千回も語るとまでなった
それはそこで地獄の経験をしたからその価値を認めてもらいたいということで語ったのである。だから戦争でそれを無価値だとすれば 300万人も死んだのだからそれが価値がないとされたらどうなるのか?死者は浮かばれないとなってしまうから恐ろしいともなる。何のために地獄の苦しみを受けて死んだのかとなるからである。

ともかく何であれ老人になればその一生誰でも語るのであるだから老人の価値その一生語る。平凡な一生でも必ず語る
その語ることによってその人の価値をとなるのである
何か石の貨幣というのはあるのその石の貨幣の価値は石が海に沈んだ時それを取り出すことが苦労すればするほど価値があったとされている。そしてそれを家のー前に飾っておくのである。そしてそれは単なる飾り物でもなくがいかに苦労して海から取り出したかということが語られて価値があるのである

とにかく高齢化社会という今までと違う。みんな長生きするか老人の価値が問われる時代である。例えば退職してから30年位生きるかも知れそれは相当で長い。これまでだった退職したら十年くらいで死んでいたかもしれないすると第3の人生があるそれをどう生きるのかが問題になる。既に60歳まで生きれるその人がなにを体験してきたまあ積み重ねてきたのかそれが問われることには
なる。60才でも確かに色々なことはできる。でもやはりこれまでしてきたこと体験したことが価値になる。例えば趣味でもカメラでも最初から始めるとなかなか上達はしない。でも趣味でも積み重ねがあってできるからである
だから老人になって何か新しいことを始めることをできることはできるにしてなかなか難しくなるのである。

●石の貨幣の価値

いずれにしろ高齢化社会を老人の価値が問われる時代だということである。それはあまりにも老人が多くなったからである。
これまでなら別に会社に仕事していて価値がある何か仕事して60代くらいで死んでいたらその人の価値を特別問われるということはない。 60からさらに30年も生きるとするとそれは若い人たちの負担になり老人等は何の価値があるのか厳しく問われることになったのである。
それは障害者がなぜ存在するのか何の価値があって存在するのかということも似ている。ただ負担になるだけの存在である数が多いから余計にそうなったのである

ただ老人にしてもこうして今までより長生きするということ考慮している中それも数は多いから問題になるのである。この世の中数が多いと常に社会問題になるニートとかフリーターとか氷河期世代など問題になるのはその数の多さによって問題になっている
別働かないで遊んでいる人がいたとして団塊の世代などみんな企業戦士となって働いていたかそんな人がいたとしても気づきもしなかったのである。でも100万にとかういう人がいるとなると社会問題になったのである。今の老人問題一は社会問題になったののだがそれを簡単に解決することは不可能である。価値を作り出している老人どれだけいるかとなるとやはり少数である。

私などは別に働いていないしお金も稼いだこともないしそれで旅ばかりしていたり自由に学問を芸術追求したりしていたそれが今となって価値となっているのである。
ただ一円の金にもなったことはないしただ金を使っただけであるから金銭的な面からすると何の得ることもなかったのである
でもやはり自分が価値を創り出してきたその価値をまた認められないということがあるがやはり価値をつくりだしてきたのである。

老人になってお金を貯め何十億貯めたから価値あるのか?
老人になるとそんなことはないとなただ金をもっていればその金が欲しくて寄ってくる人はいる。でもその老人の価値を認めるというわけではないのでだから奇妙なの石の貨幣であるその石あるの貨幣は交換できないのだから何の価値があるのかとなるとも苦労して海から取り出したということでそのことを語る価値がある。
それを取り出すことが苦労すればするほど価値があったとされている。そしてそれを家のー前に飾っておくのである。そしてそれは単なる飾り物でもなくがいかに苦労して海から取り出したかということが語られて価値があるのである
それは老人が体験してきたことに価値が価値があると似ているのである。


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【金持ち!金あるだけで、中身空っぽ!】誰も知らない本当の金持ちとは何か?
自由発言!自由行動!自由思考のスーパーポジション

金持っているだけでは老人の価値とならないことを説明している
同じ年だから参考になる、金だけを価値として追及していると老人なり本当の価値を見出せない
だから金持ちが老人になって必ずしも恵まれたともなっていないのである。価値あるものともならないのである。

2024年08月13日

暑さ【ミンミンゼミ、夕蝉、黒い猫】 【台風はここを通らなかった】


暑さ【ミンミンゼミ、夕蝉、黒い猫】

【台風はここを通らなかった】

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ミンミンの鳴いて目覚むや仕事かな
ミンミンや街の通りを今日も行く
六号線夕陽さし赤し夏の雲
月光る夕雲赤く暑しかな
夕蝉や今日人なきや運動場
猫一匹塀に涼しや我を見る
夕蝉の鳴く声聞き猫のいる

ミンミンゼミは基本的には森林性のセミであり、街中でミンミンゼミが見られるのは東日本でも一部地域のみのようなのです

そうなのかな、一万のくらいの街だとミンミン蝉は普通に鳴いている、街中で鳴いている、むしろ森の中で鳴くのを聞くより街中で家の中でも聞こえてくる。だからミンミン蝉の鳴く声で目覚めたとなる。仕事というとき家事なのである。これが結構いろいろある。その間にプログを書いていると中々他のことができない
それで今のところ一方的に書いているだけでコメントされても返答していないのである。

近くの運動場で少年が野球の練習をいつもしている。野球は人数を集めるのがむずかしくなっている。少子化で数がそろえられない、今日は練習していないが毎日のように練習はしていた

久しぶりに原町に行った。六号線を行くと夕暮れになる、雲の峰に夕日がさして赤い
車が通り信号があり暑い、さらに行くと夕雲が赤くなり三日月が光っている。そして暑い、夕方でも暑いのである。だから自転車で原町にも行けなかった。

この黒い猫に餌をやっているがこの猫はなれないのである。近ずくと離れて行く、だからかわいくもないが餌をやっている
それは前に家で猫を飼っていた時この猫が餌をとりにきていたのである。その飼っていた猫はなれていたのである。この猫はいじめられたのか人間を警戒してなれないのである。

でもなりゆきで餌やっているのである。この猫はメスでも子は生まない、前のこの辺にて猫はかなりの子を産んだ、その猫はこの辺にいる。だから十数年とかこの辺にいる。猫としては相当長生きである

いずれにしろ台風はここを通らず雨もほとんどふらなかったが次の台風は関東に上陸して福島県を通るようだ。今度は雨が期待できる、ただ反面降りすぎても困るとなる






ユダヤ人とは何なのかー旧約聖書を守る民 【イスラエルの問題でも聖書を知らないと理解できない】


ユダヤ人とは何なのかー旧約聖書を守る民

【イスラエルの問題でも聖書を知らないと理解できない】

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ユダヤ人とは何なのかこれを理解することは難しい。そもそも日本人は単一民族でありえ異民族というのを知らないからである。じかに接していないからである
ヨーロッパでは常にユダヤ人がいてユダヤ人と直接接しているからこそユダヤ人迫害がおきたのである。ではユダヤ人は何なのかを知るという時聖書を知らない限り知ることはできない。ユダヤ人は旧約聖書を守る受け継ぐ人たちでありその神としたエホバはへブル人を選びイスラエルの民を導いたのである。

ヘブル人に現れたのはエホバの神である。ただそれは集団に現れたのではない。アブラハムとかヤコブと必ず個人に現れたのである集団に現れたというわけではない。その個人に現れた神が集団の神になったのである
だから絶えず旧約聖書ではヤコブの神とかか言われるのである。ヤコブという一個人に現れた神のことであるそれは集団の神となったのである。ただ神は確かに一個人を選び導いたのである。
だからヤコブの神がイスラエルの民族の神となったのである。

旧約聖書には明らかに選民思想はがある。その前にある特定の個人を選び神がエホバの神が現れたのである。それが一民族ヘブル人のユダヤ人の神となったのである。
一個人が神に選ばれて一民族の神となったのである。旧約聖書では出エジプトの時でも異民族は邪魔となり殺戮しているしてもいいとなっていたむしろ殺戮しないと後の災いとなるから絶滅しろとなっていた。苛烈なものになったのである。
そこに人道という思想などはない。エホバに逆らう者は殺してもいいとなっていたのでむしろ殺さなければ後の禍になるとかとなりジェノサイドにもなったのである。

だからこのユーチューブのサイトでユダヤ人のこと優秀な人たちだと思っていたが違っていた。現実ユダヤ人が神に選ばれた人たちであり依然として旧約聖書と同じく選民思想があり異民族は殺戮してもいいとなっている。だからこそパレスチナでもほかのレバノンでも殺戮していいと言う思想がある。それが人道に反することでもエホバの命令としては許されるしむしろそれを実行すべきだとなつまりユダヤ人は旧約聖書の民であるそれが変わっていないのである。

ただキリストが生まれて新約聖書の時代になった時ユダヤ人だけのエホバに神に選ばれた者ではなくなキリストは殺されたのは選民思想をユダヤ民族主義者達によって殺されたということもある
つまり神に選ばれたのはユダヤ人だけであり他の人は選ばれないという思想なのである。そのことは現在でも継続しているのである。そもそも2000年間も故国を追われてユダヤ民族は継続してそれを世界に影響するほど強力な民族であるということ自体が実は神がそうさせているという。なぜなら国土を持たない民族そんなに継続して現代まで2000年も過ぎて強力な力を世界で持つということはあり得ないからである
だから神がユダヤ人を保存したということは確かかもしれない

つまりユダヤ人を理解するということは旧約聖書を知らなければ理解できない。
今なぜパレスチナであれあれほど残酷に殺戮しているのかということも分からな。つまりユダヤ人にとって異民族は殺してもいい存在なのである。むしろ殺さなければ神の命令に反するものとなり罰を受けるともなる。それは旧約聖書の民だからそうなっているのである
ただキリストが生まれた時エホバの神といっても一民族の神ではなくなり万民の神となったのである。でもユダヤ人はユダヤ民族のみな神に選ばれた者でありその他は選ばれないとしているのである。それは強固に守られている。だからこそなぜイスラエルでパレスチナいやレバノンでも異民族に対して苛烈になるかということがその理由は旧約聖書の民だからそうなっているのである

だからこそユダヤ人というのは同じ聖書のためでもキリスト教の国で嫌われていたとなる。それが極端化したのがナチスによるホロコーストになったのである。それはユダヤ人はその国に同化するというのではなく常にユダヤ人というアイデンティティーを持ち旧約聖書の民でありそれを守り続けているからである
いずれにしろイスラエルであれユダヤ人である理解することは聖書ー知らなければ理解することは不可能である
明らかなことはユダヤ人は旧約聖書の民であるかたくなにそれを固持しているのである。それは神がユダヤ人を保存していたからだとされ2000年間国土もなくなぜ世界に影響する強力な民族なのかということは理解できないからです
つまり国を失って2000年すぎてイスラエルが復活したということは旧約聖書の時代に回帰したということにもなる。

だからこそパレスチナ人の周辺のりのアラブ人にしても異民族に対して苛烈になるのはそうした宗教的背景があってそうなっている。
でもキリスト教徒からすればユダヤ人を同じ聖書の民であってもむしろキリストを十字架につけた人たちだということもある
ユダヤ人を受け入れがたいこのとなりそれが極端なになった時ナチスによるホロコーストになったのである。
それをユダヤ人というのはその宗教の宗旨も変えないし頑なに旧約聖書の民として固持しているからである
いずれにしろ今イスラエルで起きていることユダヤ人のことを理解するには聖書を知るなければ理解できない。その選民思想でもかたくなに固持して維持しているからである。それは神の命によってそうさせているということもわかる。そうでなければ2000年間も国土を持たない民族が継続維持できるとは思えないからである。またユダヤ人が優秀な人たちが多いということもそうである神が選んだ民だから優秀だとなるからである、旧約聖書でもへブル人を強情な民だと指摘しているからである
つまり頑なに強情に旧約聖書を守る人達だとなる。そのためにどこの国でもその国に同化しないから迫害されてきたとなる





posted by 天華 at 09:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2024年08月12日

墓は何のためにあるのか 【死者を愛し続ける困難ー死者を愛することは無償の愛】


墓は何のためにあるのか

【死者を愛し続ける困難ー死者を愛することは無償の愛】

●私の家族の墓に花を献げていた人

お盆になると墓参りするがそもそもなぜ墓があるのだろうかとなる。その人はなぜか私の家の墓に花を挿していた。それはなぜなのか分からなかった。私の家族に特別に世話になった人でもなかった。だから理由がわからなかった
でもそんなに長くは続かなかった。それは当然だとなる

何か特別世話になったとか何かその人に対して思いがある人は墓があれば墓にお参りする。でもそれが長続きするということはまた難しい。人間というのは死んだ時点で全く別のものとなるなる。もはや死んだ人は何かしてあげることもできないし返事も何もないから供養し続けるということ愛し続けるということは本当に難しくなる。

だから死者を愛せというとき本当に愛している人しか死者を愛せない死者を愛しても何かもはや利益を得るということもないからである
だからその人は確かに花を捧げていたがそれは長続きしなかったその人は私の家族に特別何かしてもらったわけでもないからである。ただ家族であっても死んだ人を親でも思い続けることはそれほど無いかもしれない。

その人は親に酷い目にあったから子供の時離婚したり何か色々あって親を親とも思える思わないようになったのかもしれない。
それで墓参りするから十万くれと言ってきたぞ十万をやっても墓参りすることは中それは東京に住んでいて離れているということもあったし私自身のとも関係していなかったからである
そもそも私の父親違いの兄は集団就職で静岡の方に行ってから何をしているのかもわからなくなった。それが突然40歳で交通事故で死んだのである。そこに残されたのは一人娘だったのでだからそもそも疎遠だから私の家族に関しては関心がなくてもしょうがなかった
でも父親ならいくらひどい目にあったからといってそれまでは愛されたのだから墓参りくらいするのかと思うでも全然そういう気持ちもくなっていたのである。東京に住んでいるから離れたこともめんどうだともなった。

要するに十万もらえばいいというだけになっていた!

10万の方がその親より大事なものとなってしまったのである。親はも何か金をくれたり何かしてくれたりしないからそうなった。それをまた親の責任であった。

●死者を愛し続けることが本当の愛

いずれにしろ本当の愛というのは何かというと死んでからでも愛が継続することである。そういうふうに愛は継続することはもしかしたら家族でも難しいかもしれない。家族にもいろいろ問題があってすでに親は生きていても親を捨てるような人も普通に居る家族遺棄社会にもなっている。だから家族が愛し合うということでもない。

ただ本当に愛すと言う時死んでからも愛するということがあるそれが本当の愛だと言う。なぜなら何の見返りもないし返事もないからである
生きているときは必ず何かしらお返しというか何か利益があるとか関係してくる。でも一旦死んでしまうと死んだ人は何のお返しもないし何の利益を与えるわけでもないし何の返答もなくなってしまうのである。

だから死者を愛すことこそが本当の愛だとキケルゴールが言った。それはまさに無償の愛であり無償の愛というのは継続できない。その人は確かに一時的に私の家族の墓に花を捧げていたのそれで何か私から得るものがあるとして捧げていたのだと思う
なぜなら何が私の家族は特別その人に何かしてあげたことなどないからであるおそらく私から何らかの関係を求めて利益を得るために花を捧げていたのかもしれない。無償の愛ではなかったのである

つまり人間は無償の愛というのは本当にまれだと思う。親子の愛でも無償の愛とは限らない。必ず子供に何か期待して子供を自慢したいとかいろいろあるからである。そもそも無償の愛とかこの世にあるのかとも思う。必ずお返しを必要としていてお返しを求めて何かをあげるのが普通である。そもそもそれがなければ人間は何も与えたりしないということになる。でも死者になると何か返事もないし何も与えてくれない。となると死者を愛し続けるとか供養し続けること難しくなる
だからいくら親であっても死んでから愛されるとは限らない
私の場合は親は2人いたとして一人にはは特別よくされたから死んでも忘れられないし感謝しているということである
他者に対してはどうだかというと冷たかったかのである。だから死んでから不思議に語る人もいないのである。大概死んだらもはや関係はしない何か利益がなかったら親子でも関係しないのである。

●墓が継続できない理由

ともかく人は死んだ時点でたちまち忘れられてしまう。でも墓があるというとき一応その墓を通して死者と関わりを持つ
でもその墓にして死んだ人をそんなに長く思い続ける人もいないし家族でも今は遠くに嫁に行ったり地域のつながりもなくなり誰も墓を守ることができなくなる墓じまいになってしまうのである
つまりそれだけ何か死者というのは忘れられてしまうのである。だからこそ墓を作り物としてあることにより忘れないようにあるとなる。でも実際は忘れられてゆくから墓も捨てられてしまうということである。だからこそ儚い(墓ない)となってしまうのである

ともかく墓がなぜあるのか?それは人間として何か意味があるから作られたのである。ただ今墓を継続することが難しくなった。家族でも難しくなった。問題は墓を継続できないことである。だから墓じまいとなる。何でも継続することはむずかしい。
墓を作っても継続して供養できないから墓じまいになるから墓はいらないとなる。墓を作ってもその後始末がめんどうになるからである。だから個々人の墓を維持することは特別な人でないとできない。寺でも維持できない、死んでしまったら今度は家族に管理費などをとられる。それも嫌だとなり墓は維持できなくなる
いずれにしろ江戸時代に家族の墓はなかった。明治になって家族の墓が作られた。だから意外と墓の歴史は短いのである。地区ごとの墓はあっても普通の人の墓はなかったのである。

結局逆説的だが無償の愛はむしろ継続する。なぜなら生きている時はどうしてもお返しを利益を求めるから利益が返答がなければば関係も切れるからである。それがこの世の人間であり無常だとなる。何であれ継続することがむずかしいのである
人間の関係でも金の切れ目が縁の切れ目であり継続できないからである。カルト宗教団体など継続できない、御利益がないとわかれば離れていくからである。ただ継続されるものには価値があるとなる。

2024年08月11日

年金月16万円・実家の母を頼りに世界を放浪する51歳の長男 【フリーターとかが多いから円高で海外旅行がトレンドになっていた時代

年金月16万円・実家の母を頼りに世界を放浪する51歳の長男
【フリーターとかが多いから円高で海外旅行がトレンドになっていた時代】

年金月16万円・実家の母を頼りに〈世界を放浪する51歳の長男〉…1年ぶりの帰国も「もう実家はないわ」と告げられ窮地「俺はどこに住めばいい?」

何か自分と同じような人生を送った人があるときあるのを知ると同類だと思い関心を持つ。会社員の人はそこで何をしているのかよくわからないから関心が持てない。でも海外旅行ばかりしていたという人がいると私自身遅かったが50以降にバックパッカーになったから関心を持つとなる

ただ私自身の旅は国内が主であり外国は50までもしていなかったのである。でも円高の時代があり一ドル80円の時代もあったそうなると海外旅行は対して金がなくてもできるからそうしたフリーターとかでみんなしていたのである。意外とヨーロッパでも高いホテルがあるにしてもユースホステルが多くてそこで1000円くらいで泊まれる。老人でも泊っていたのである。
やはりそうして円高の時海外旅行した人はチャンスを活かしていたのである。今のように円安になると海外旅行は簡単にできなくなったからである。

今のような円安になると海外旅行は簡単にできなくなる。すると外国のことはわからなくなるから問題がある。
海外旅行するにはやはり長い休暇が必要である。だからフリーターとかはアルバイトをしてそれで小銭を貯めたとしても円高の時代だったら海外旅行に行けたのである。そういう人と外国で私は合っているからである何か私は海外旅行というと相当に高くつくと思っていたのである。団塊の世代とかでは最初は飛行機代がばか高くてとても行けないという時代があった。それ先入観念になっていて海外旅行は高くつくから簡単に行けないと思っていたのである

また自転車旅行でも簡単にできないと見ていた。それは若い人がやるものであり自分にはできないと思っていたのである。
これも何か先入観念がありそう思ってしまっていたのである。何か人間にはこうして先入観念がありそれにとらわれることがある。ただ周りに海外旅行する人がいればそれに刺激されてするということはあ私は海外旅行に行ってきたよと聞けばそんな簡単に行けるのとかどう思ったりして自分も行こうとなるのである。

とにかく今の時代ニートとかフリーターとかアルバイトの人が多いと思うその人たちはいつでも辞めていいし時間があるから海外旅行に行っていたということである。それで何かある場所に日本人の溜まり場があり沈没するとかいうことが一つのその時代の旅行になっていたのである。確かに旅行に行くと必ず日本人に合うし日本人宿でも日本人に合うのである。
ということはそれだけ日本人はその時海外旅行していたということである

それでその海外旅行に魅せられて51歳までなり住む家がなくなったというのもそのためである。つまり親が介護になったりしていつまでも自由な海外旅行などできなくなったのであるそれは私自身がそうだった。国内を自由に旅して50歳からは海外を自由に旅していた60になったら親の介護になりそれ以後十数年近くも旅できなくなったのである。だからいつまでもそうしたいい身分では人間はいられないということがわかる
そこで得るもあったがまた失うものがあったということである

もう50になればまともな仕事に就くことはできないまた自由に旅することもできなくなる。親はいつまでも元気でいる訳ではなかったからである。ただそうした体験が人生で無駄だとはならない何か活かすものがあると思う。私の場合はそれを詩にしたり学学問のたしにしたりしていいる。だからそれが社会にとっても無駄であったとは思えないのである

要するに老人になると60以上になるとこれまでしてきたことを振り返りその人が何を語るかで価値が出てくる。たとえそのように海外旅行して遊んでいたとしてもそれが何か役に立つことはそれをその体験生かすことができれば別に無駄だったとはならない。現実に何かその人は何をしてきたのか何も語らないからわからない同じ歳でも何も語らないのですると一体何を生きてきたのかもわからない。でも海外旅行した人でそのことを語ればそれが人生だったとなってしまうのである。
ともかく自分と同じような人生を生きたいという時興味を持つとなるこんな日ともやはり居たのか共感するのである。

ただつくづく人生は短い何をするにしてもたちまち時間が過ぎてしまうのである。会社員として過ごしてやはり同じである。そして何か語るべき事があるのかそれが問題なのである
私は主に日本はくまなく旅しているからそのことを俳句や短歌や詩として発表しているのである。だから旅したことが無駄でありも意味であり価値が無かったとはならないのである。
そして別に住む場所が私にはありそれでこの人よりは恵まれているとなる。それも私には2人の親がいて私は自由に生きることはできたのである。この人も親がいて自由に生きたのだがすでに51歳で親が介護状態になり自分の住む場所もなくなっていたということである。

だからみんながこうして私のように恵まれている訳ではないのである。ただ私にしても2人の親を介護するとき地獄の苦しみを味わった。それをブログに書いてきた。助けられ助ける人もいなくただ一人苦しんでいただけなのであるそれも結局は自業自得カルマどうなっていたのである
つまりどんな人生であれ自由に生きるにしろ会社員に生きるでしろ必ず人間は老人になるとなんだかカルマを積んでいてれが苦しみとなって現れるのである。

確かにこの人は自由に生きたのだが51歳になって親は介護状態になり住む家もなくなっていたのである。だから自由に生きるにしてもその代償はカルマが必ず現れるのである。私はそれをいやというほど経験したから分かるのである。
というのは私はこの人のように自由に生きたからそのことで周りの人が羨ましく思い苦しめてやろうとなったことはありえる。なぜなら一般的に仕事は辛いものでも金を稼ぐためにやらざるをえないものだからである。それでなぜこの人は遊んで暮らしていたのかとなるそういう辛い仕事をしていた人たちは不満になるそこで私自身が親の介護で苦しむようになったときそういう人たちが私を苦しめようとしたのかもしれない

ともかく人間というのは一生を見るとき一生楽に終わる人はいない。これだけは確かである。また一生苦しくて終わる人もいない。人間とはそういう風にできているものだと思う。どんなに金持ちでも楽して死ぬ苦しみがなくて一生終わる人は居ない。だから人間というのはそういう点でもしかしたら公平なのかもしれない。区は楽の種なのである。
何か私だけが苦しんでいると思っているやはり人間の一生で楽に終わる人はいないのである。

私の20代で東京の大学に行ったとしても何か苦しみの連続だった。大学出てからも就職しないで底辺で働いて苦しんでいたのである。でも甘やかされて育った自分にとってはよく作用したのである
それで若い時の苦労は買ってでもしろとなる。なぜなら若い時楽に過ごしていれば後ででまた苦しむようになるから若い時に苦しんでいた方が良いとなるからである
それで若い時苦しんだことで私にとってはよく作用したのである。

ともかく人間の一生はみんな不完全燃焼で終わる、何かやりたいことがあってもやれない、例えいい会社に就職しても不満がある
社畜だと自ら言うように不満のままに生きるんが普通である。そして人間の生きる時間も短い、それで登山してみるが体力がついていかず遭難して死ぬともなる。つまりきついことは若い時していなと老人になってからできない。そこにまた誤算がある
何事ままならないのが人生だとなる。
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2024年08月10日

福島県が台風の通リ道で水不足解消? 【台風も必要なものー東北上陸するのは本当にまれ】


福島県が台風の通リ道で水不足解消?

【台風も必要なものー東北上陸するのは本当にまれ】

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台風が東北地方の福島県と宮城県直撃する模様。南相馬市の水不足心配していたがこれで解消するかもしれない。偶然に高気圧が張り出して台風の進路は福島県の方に向かうらしい。そして海水温度が高いから27度もあるというのは高いと思う。そんなに高いのかとも思う。だから台風でも水蒸気が多く吸い込んで雨も相当降るのかとなる。

何かこうなるともし雨乞いなどを神社などでしていればその権威が上がったろう。本当に台風も慈雨となる恵みの雨となる
今日は朝は小雨が降ったがやんだ。こんな状態がずっと続いていた
長く降らないから川の水嵩も増えないのである。
そして今回の東北への台風の上陸は過去に2回とかまれなことである。だいたい九州の方に上陸するからである。東北に直接上陸することはないのである。ただ実際はまだどこに上陸するかわからない。


それにしてもこの暑さは何なのだろうと思う、東北は西のような暑さではないから助かる、確かなことは世界的暑く熱帯化している
北極の小売も解けている。南極の氷も解けている。何かそうした氷はクーラーの役目を地球で果たしていたという。それはなくなると地球全体が熱くなり海面が上昇してくる。この原因は何なのか二酸化炭素なのか偏西風の変化にもよるとかいろいろ言われるよくわからない。都会はどうしてもアスファルトで暑くなることは確かである。

玄関の前はアサハルトの道路でありそこに立つとはっきりと暑さが違うことがわかる。ともかくこの暑さで西の方は住む住むことさえいやになってしまうかもしれない。すると東北とか北海道が進むには良いとなる。それで釧路に暑さを避けてて東京あたりから移動して住んでいる人がいた。釧路は特に涼しい場所である。一日の家賃が3500円とか出ていたからそれほど高くはない。だから夏の間避暑地として過ごしたいと思う

私自身も夏にも弱いから体調を壊した。だから北海道へ移りたいのだが留守する人もいないので遠くに行けないのである
ただ私は恵まれて自由に北海道でも旅してきたのだから文句は言えないのである。つまりなぜ退職してから旅をしてくなるかといえばそれまでできなかったからこそあえて60過ぎても旅をするということである。それで退職した人が鹿児島から青森まで歩いて旅していた人tお六号線であったことでもわかる

ともかく熱帯かという時福島県の太平洋側でフタバスズキリュウの化石が発見されたり南相馬市でももの川の上流とかでサンゴの化石が発見されたりここは熱帯だったのである。だから熱帯化するということも過去にあったのだからまたありえるとなる。自然の周期を考えるときその幅が大きいからである。百年単位とかさらに千年単位とかで見なければ分からない。地質時代もも関係していて地球を知るにはそれだけの時間の長さで知らなければならない。

だからこそこの辺で失敗したのは400年前に生波【津波】で700人溺死したという記録である。それは相馬藩政記に二行だけ記されていて誰も学者すら気づかず津波の後にわかったのである。
だから気候というのもこうして400年前とか千年前とかを時間の長さでみれば以外なことではないかもしれない、ただ二酸化炭素の排出が温暖化の原因となれば別である。つまりはそれは文明の発達で人工的に起きたものだからである。ただその原因も明確ではない

ともあれ東北北海道はこの暑さで救われている。だから西より東北とか東北でも太平洋岸が住むにいいとかなる。その兆候として釧路が避暑地として見直されたことでもわかる。
posted by 天華 at 10:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2024年08月09日

カンボジアへ台湾などから人身売買 【カンボジアの貧困に中国人が現地人を使役する異様さ】


カンボジアへ台湾などから人身売買

【カンボジアの貧困に中国人が現地人を使役する異様さ】

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@ 中国の犯罪組織の関与
A 法制度が十分に整っていないカンボジアの国内事情

中国は10年以上にわたって、カンボジアにとって最大の支援国で、カンボジア国内には多くの中国企業が進出している一方、さまざまな利権をめぐって中国の犯罪組織の存在が指摘されているといいます。

実際、2022年8月に、42人のベトナム人がカジノで強制的に働かせられていた事件では、カンボジアの捜査当局が中心人物としてカジノを経営する中国人のマネージャーを逮捕しました。

また、カンボジアでは法制度が整っておらず、警察などによる取り締まりが十分でないことも、被害が続く背景にあるとみられるということです。

政治家、軍人、教師、医者、僧侶、俳優、歌手、外国語が話せる人などは、国の統一を妨げる「病原菌」として、拷問や虐殺の対象になりました。中には、メガネをかけている、話し方が上手というなどというだけで知識人と見なされ、また手がきれいな人、顔が整っている人は、農業を一生懸命やっていないと見なされるなど、いい加減な理由で虐殺される人もいました。

ポルポトの行ってきた行為は、カンボジア当時の人口の3割にあたる、170万人の命を奪い、カンボジアの識字率を大きく下げたり、70年代よりも前の文化や歴史的資料が失われ、国の命も奪ったとも言えます。

カンボジア キリングフィールド・トゥールスレン】ポルポト政権の歴史

カンボジアはネパールとかと同じよう最貧国になる。それは国内で内戦があり人口の3割は殺された。そこで骸骨の山が展示されている博物館がある。

私が入ったのは十数年前である・バイクで案内する若者がいた。
そのバイクは日本製のホンダとかでありそのバイクを貸して商売している人は中国人だった。そのときビジネスと関係ない私でもバイクを十台くらい買ってそれをカンボジア人に貸して使えば金がもうけられると直感的に理解した。資本金があればバイクを買ってできるということである。

現実に中国人がビジネスで入って来て特区まででカンボジア政府ではかかわることもできないという。つまりカンボジア政府は政府として行政でも機能していないのである。
それで私は宿に泊まっていたのだがそこでパスポートを失くした
でもパスポートなしでプノンペンからアンコールワットに行った。そして帰りに宿に寄ったらその宿のフロントの人がパスポートがあったのに返すのをミスしていたのである。カンボジアの政府の事務所でポスポートの再発行とか聞いたが何か通じなかったのである。
カンボジアではまともに政府も機能していないのである。
無政府状態ではないにしろそれに近いのかもしれない。

そいうところでは犯罪がしやすいのである。だから日本人でも振り込み詐欺集団が根城にしていたりする
何か中年のの日本人が何をしているのかわからないが長期滞在している人達がいた。何かビジネスになるとを探していたのかもしれない、また売春も盛んであり5ドルでいいとか若い女性が来た
私は関係しなかったがヨーロッパから女性を買いに来る人がいた
5ドルとなると信じられない値段である。最貧国だからそうなっているのである。カンボジアはなにか異様である。
三分の一も粛清された殺されたのだから国自体が無政府状態に近い状態になっっている。

何かベトナムでもそうだがベトナム戦争で怪我がした人が物乞いで回っていた。またカンボジアでも傷病兵がいて物乞いしていた。
なぜカンボジアがそんな国になったのだろうか。それは中国で毛沢東が革命を起こしてその影響でカンボジアでも共産主義革命が起きた。

文化大革命 期の 中華人民共和国 において、 中国共産党中央委員会主席 毛沢東 の指導によって行われた青少年の地方での 徴農 ( 下放 )を進める運動のこと。

このことがカンボジアでも起きたのである。

政治家、軍人、教師、医者、僧侶、俳優、歌手、外国語が話せる人などは、国の統一を妨げる「病原菌」として、拷問や虐殺の対象になりました。中には、メガネをかけている、話し方が上手というなどというだけで知識人と見なされ、

これは本当に怖い、何か腕のいい大工さんは私が知識人なので嫌悪していた。だからあからさまに本は捨てろとか言った。実際に農業であれ職人であれ体を使って働く人こそ大事だという思想が共産主義にあった。ただ始皇帝で焚書坑儒があった

始皇34年(紀元前213年)、博士淳于越(中国語版)は郡県制に反対し、いにしえの封建制を主張した。丞相の李斯は、儒者たちがいにしえによって体制を批判していると指摘し、この弾圧を建議した。始皇帝はこの建議を容れて、医薬・卜筮・農事以外の書物の所有を禁じた「挟書律」を制定した。


医薬・卜筮・農事以外の書物の所有を禁じた「挟書律」を制定した。
実業として役立つものを残したとなる。別に知識人を憎むというとき庶民レベルでもあるということである。肉体労働者などは実際は過酷であり事務員とか知識に携わる人は楽だと見ているからそれで憎悪の対象にもなる
だから知識人でも文化大革命の時農村で実際に働かせるために下放が実践されたのである。ただマルクス主義を実践するとなると毛沢東であれ知識人だったのである。

メガネをかけている、話し方が上手というなどというだけで知識人と見なされ、また手がきれいな人、顔が整っている人は、農業を一生懸命やっていないと見なされるなど、いい加減な理由で虐殺される人もいました

ここまで知識人とかを憎悪するというのは恐怖である。自分自身がそうだからである。そういう経験もしているからである
だから知識人というとき証券会社とか何か金融関係などは憎悪の対象になる。ただ数を操作して濡れ手で粟の莫大な収入を得ているとなるからだ。

ともかく国民の3割が粛清されて殺されたというときその影響は計り知れないものだ国自体が維持できないようにもなっていたのである。だからこそ半場無法地帯のようになりそこに世界の人々は入ってきて悪事もするしまた売春もするしさまざまな悪の巣窟にもなってしまうことである。ビジネスにしても中国人に仕切られてカンボジア人を奴隷のように働かせる

だから国が壊れてしまうということは恐ろしいことなのである
つまり国が内戦状態になったり貧困化すると日本だって貧困化しているしグローバル化社会ではそういう弱みにつけ込んで様々な悪事を働く人も入ってくるとなる

つまり女性も買われるがあらゆるものが買われて土地で何でも水まで買われて日本自体が外国人に買われてしまうという恐怖である。グローバル経済とは一見いいように見ても実際は弱肉強食の世界であり一旦弱者化すればカンボジアのようにもなってしまう。それはインバウンドとかでもわかるように日本人は貧困化して外国人の召使いになるのである。として政府も機能しなくなるとそこにあそこで悪事を働くのは容易になり犯罪者の入ってきて根城とされてしまうのである。
カンボジアはまだ原始的生活状態の所もある。高床式の家があり水牛とか飼っている。高床式は南方系の家でありそれが日本にも伝わったのである。

日本でもカンボジアのようにならないとも限らない。そうなると日本にあるものでもすべて買われてしまうのである。それより恐ろしいのは魂まで買われて日本人魂まで売ってしまうことかもしれない。そのことはアメリカに支配され負けて戦争に負けて支配されて日本人の魂まで奪われた売られたともなるからである。

中国人の特区があってカンボジア政府も関われないというとき日本もアメリカ人の基地がありそこは日本政府でも関われない治外法権の場である。つまり外国人の特区なのである。ニセコが日本ではそうなっている。
いうれにしろそうなれば日本人の国なのかわからなくなる。インパウンドでも金のある外国人が優先になる。京都などでも日本人が観光できなくなるしすでになっている。グローバル経済はこういうことが極端なものとして現象化する。ただ日本人でも円高の時は外国でそうしていたからそれもカルマだとなる。



posted by 天華 at 08:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

イスラエルの宗教過激派右派は世代が違い多数派ではない 『国家は土地であり土地をめぐる争いとなる】

イスラエルの宗教過激派右派は世代が違い多数派ではない
『国家は土地であり土地をめぐる争いとなる】

現在のイスラエル市民の 7 割がイスラエルで生まれ育った人であるからだと考えられる。今後も、アラブ/ユダヤなどの分断を超えて、広く「イスラエル人」と自己を認識する人も増えてくるのではないだろうか
し現在イスラエルの成人の70%はイスラエルで生まれ育った者たちで、
海外からの移民はわずか20%となり、イスラエルはもはや離散したユダヤ人が移
民として随時流入するような社会ではなくなっている

イスラエルにおける宗教と国家、民族の関係性
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●離散したユダヤ人が建国した強固なシオニズムの世代との新世代との乖離

イスラエル建国の最初シオニズムが強固にあった。でもそうした宗教的熱狂時代から今やイスラエル生まれの世代が増えてきてその熱狂は薄れた。世代的に違ったものであるが最近宗教的熱狂のシオニズム派が増えている、極右が増えているという。ネタニヤフはその右派であり強硬派になっている。

ではイスラエルで国民が全員が極右の宗教の過激派かとなると違っている。そこを外から見ると誤解しやすい、パレスチナとアラブ人と共生を図る人達も多い、イスラエルで生まれ育った人たちは最初に建国したシオニズムの熱狂はない、現実にイスラエルの国家で生まれたのだから迫害されて国を新しく建国することで移住してきた人達と考え方が違ってくる。むしろパレスチナ人であれアラブ人と共生して平和に暮らしたいとなるのが人情である。
つまり極右でイスラエルが全員一致しているわけではない。ネタニヤフ政権からのみみるとそう見えてしまうのである。

中東とかでは民族が多様であり熾烈な争いの歴史がある。へブル人がモーゼに従いエジプトを脱出したがその前に異民族がいて争い神の命令として殲滅すべきだとなった。それでジェノサイドの起きていた。つまり異民族は排除しなければならないとなりそうなったのである。それは神の命令として厳命として実行されたのである。

こうして旧約聖書ではへブル人の強固な民族主義があり選民思想があり神から特別選ばれた選民としてへブル人がユダヤ人があるということは強固にあった。ただキリストが生まれた時その民族主義がへブル人ユダヤ人のみが神に選ばれた特権を有するものではなくなった。そのことを一番如実に示しているのはキリストはへブル人ユダヤ民族主義者ではないためにへブル人の反感を買って十字架につけられたと原因にもなった。

●キリストはユダヤ民族主義でないからユダヤ人に殺された

キリストはへブル人ユダヤ人だけではない人間であれば愛すこと一番大事なものとして説いた。それは民族と関係ないのである。だからこそ人類の普遍的宗教として民族と関係なく広まったのである。
善きサマリア人の例えがある。強盗に襲われて苦しんでいる人をみて祭司もレビ人も助けなかったがサマリヤ人は親切に助けたのである。

だれが強盗に襲われた人の隣り人になったと思うか」。
彼が言った、「その人に慈悲深い行いをした人です」。そこでイエスは言われた、「あなたも行って同じようにしなさい」
− ルカの福音書 10:25 - 37、

民族が違っていても親切にしてくれた人が隣人だったのである。
誰でも相手が民族が何であれ白人であれ黒人であれ助けてもらえれば人は感謝して友人になるのである。

キリストが生まれてへブル人とかユダヤ人とか民族の壁がとりはらわれたのである。それはアラブ人であれパレスチナ人であれ助けてもらえれば隣人になる。

●人間の争いは基本的に土地をめぐる争い

そもそもイスラム教のアラーの神とユダヤ人のエホバの神が争うだろうか?どちらも偶像崇拝を厳しく禁止して経典の民としてアイデンティティを持っている。だから宗教の争いなのかとなると違っている。宗教の争いではなく土地を巡る争いになる。国と国の争いを見ると土地を巡る争いの基本にあるからである。パレスパレスチナ人にすればもともとイスラエルいるという国家があったとしてもそれは2000年前とかでありその後アラブ人がその土地に住んでいたからである。

だからその土地を奪われることはアラブ人にとってパレスチナ人にとっても許すことはできないのである。だからイスラエルという国家はもし一小地域に住み礼拝を許可されれば争いにはならなかった。国家として拡大したときもともと住んでいたパレスチナ人と衝突するようになったのである。オスマン帝国の時に返ってキリスト教徒から迫害されたユダヤ人が保護されたように共存はありえたのである。その共存を志向しているイスラエル人も最初の過激なシオニズム再興の宗教右派と違いイスラエルで生まれ育った人はその傾向が強い。

●宗教はフアナテック狂信的になる―民族国家を否定したキリスト

何か宗教というときそれが集団化するとフアナテックに狂信的になる。十字軍もそうだし日本であれ天皇を神として戦争でもそうである。カルト教団もフアナテックになる聖戦だとか仏戦だとかなり妥協を許さないものとなる。だからこそ政教分離の法律がヨーロッパから生まれたのである。旧約聖書では民族の宗教となったがキリストが生まれてからは民族とか国家ではなく個々人の心の問題になったのである。日蓮宗などは民族宗教であり国家主義があるから政教一致だから危険なのである。創価だと選挙に勝つことが仏戦であり祈って票を取りに行く異常なフアナテックものとなる
イスラム教だとジハードとかあえて自爆することもいとわないとなる。

要するに民族とか国家とは神聖なものでもなく絶対的なものではない。神は特別に一国家を一民族を選び味方することもない。民族や国家を越えて神は個々人の心見て心の清いものは神を見るだろうと言ったのである。だからイスラム教になると常に集団で礼拝しているから理解できないとなる。民族とか集団に神は宿らないからである。心が清いものが集団とか組織にはありえないからである。
国民であれ組織集団であれその人たちが心が清い者だったらこの世は天国になっているからである。現実は教会があってもそうはならないし神の国はこの世に実現しないことでもそれを証明しているのである。

余はキリスト者にして内村氏にあらず、アジア人種にあらず、神の子なり、キリストの属(もの)天国の民なり、キリスト者としての世はこの世と肉とに何の関わりなき者なり 内村鑑三

●遊牧民になぜエホバが現れたのか

ともかく人間が争うというとき土地をめぐる争いになる。土地を持てその土地を奪われないように守るとなる。だから農業社会は土地をめぐる争いとなる。それで野菜を神に捧げたカインは神に祝福されず羊を捧げたアベルは神に祝福されたのである。
また遊牧民は農民のように土地に縛られない、土地を持たず羊を連れて草を求めて移動する。だからエホバは遊牧民に現れた。
農業の神はバールの神として偶像崇拝として拒否されたのである。

要するにアブラハムの時代とかなるともし争いがあったら他の土地に移動すればいいのであり遊牧民ならそれができたから大規模な争いとはならなかった。ただ砂漠だと水が大事だから水争いがあったのである。
いずれにしろ国家とは土地のことであり地は血なのである。土地をを離れて国家はありえないのである。だからイスラエルが2000年前に戻り土地を所有して国家になった時土地をめぐる争いとなったのである。





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2024年08月07日

福島県【南相馬市】で雨が降らない、ダムでも溜池でも干上がる 【雨が降っても小雨であり川の水も増えない】


福島県【南相馬市】で雨が降らない、ダムでも溜池でも干上がる

【雨が降っても小雨であり川の水も増えない】

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天栄村の羽鳥ダム。今年は雨が少なく、記録的な暑さが続いたため、貯水率は32.1%と平年の6割まで減少しています。
矢吹原土地改良区・佐藤幸一郎副理事長「このまま続くとお盆明けには終わってしまう(水が枯れる)状況。」

あと15日分しかない…」記録的暑さでダム水不足 田んぼに地割れも 福島

アマゾン“観測史上最悪”の干ばつ“要因は気温上昇”研究結果

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南相馬市の鹿島区の横峯堤は大きい溜池だがやはりかなり減っている。
でも大きいからまだ水はある。ここには報徳二宮神社がある
相馬地域では二宮尊徳のことが常に語られるが二宮尊徳はここに直接着てはいない、弟子が習いに行ってその教えを地元で実行したのである

とにかくこの先も雨が降っても小雨だから水不足解消にはならない、ただ台風が来れば別である



東北地方では岩手県とか日本海側は相当雨が降った。でも福島県だと雨が降らない福島県でも広いからわからないの全体的には雨が降らないだから一部のダムが渇水している。
私の住んでいる南相馬地域で鹿島の水無川をさかのぼって行ったら用水路に全然水が流れていなかった。滝にしてもその量が少ない、だから滝という感じもなくなっている。
農家の人が水不足でスイカが割れたというのそのためである。
確かに雨が降るのだがそれも少雨であり連続して降らないのである。だから川の水は増えないのである。何か上流に行くとちょろちょろと水が流れている感じである。

ただため池には水がある。だからなんとか水は供給しているとただこれだけ雨が降らなければ溜池のの水を枯渇してくる
上流のダムの水でも相当に減っているだろう。まだ飲み水には影響していないのこれだけ雨が降らないということは不安になる。確かに天気予報を見るとまた1週間くらい曇り雨となっているはその雨も少雨であり何かパラパラとふって止んでしまう。雷雨も一回あったがそれも大した雨に成らなかったのである。
だから台風でも来てほしいとなるがそれもなかなかまだ来ない。何らかで干ばつになるのか、あまり干ばつはこの辺で経験していない、日本では台風が来るし梅雨もあるから干ばつは少ないだろう。

世界的にも干ばつが増えているのは異常気象のためであり温暖化のためだとしている。世界中であるところは洪水になりあるところでは干ばつになる。極端な現象となる。ただ世界が情報化したことで敏感に感じるようになったのか、もともとどこでも干ばつでも洪水でもあったが報道されなければ何も感じないからである。その影響があるにしてもやはり世界的に異常気象になっているのだろう。



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2024年08月06日

実体経済が良くならない限り株はあがらない 【今回の株の暴落には政府が関与してとめた】

実体経済が良くならない限り株はあがらない
【今回の株の暴落には政府が関与してとめた】

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【政官財パニック!株価大暴落を食い止めろ!】日経平均株価-4450円!史上最大の
暴落で激震!無論、株価暴落時の対策はシミュレーション済み【加治将一】

株はわからないけどここがわかりやすい,加治氏の強みビジネスでも投資でも経験していることが他の人と違うのである。
だから前から警告していた。ニーサとか危険だと言っていた。
また銀行でも証券会社に個人情報を流していいとなった。証券会社になったのも銀行である。それでリーマンショックからもとに株を戻ったとき勝手に銀行では説明もなく強引に売ってしまったのである。
それ以来銀行を信用できなくなったのである。

加治氏はなぜ投資にニーサに誘導しているのかというとそれは政府の魂胆があってのことだという。個人の資産が日本では巨額でありその金を投資に回せば景気良くなるとしてNHKとか日経新聞を使い投資に誘導させる。

いずれにしろ日本はオワコンだというとき今の資本主義もおわこんになると言っている。つまり世界的に行きずまってしまっている、もはや成長は望めないのである。だから株が上がったとしても見せかけでありヘッジファンドとかが操作している。
実体経済から株が上がっているのではなく故意に操作して上がったり下がったりしている。高度成長時代なら実体経済が反映して株が上がっていたのである。
投資が心理だというとき何か突然今回のように暴落にパニックになるのはそのためである。全員が心理的にそうなり株が一気に下がったとなる。

とにかくグローバル経済の中心がアメリカのウォール街でありそこで巨万の富を得る人たちがいる。そんな経済は公平なものではない、だからなんらかでこうしたシステムは世界的に崩壊する
それはアメリカ内部でも矛盾をかかえているから内戦状態にあるとなり内部から崩壊してゆく、ドル基軸通貨が終わりつつある。
世界情勢も変化してアメリカが世界を治めることはもはやできない。そのために株の暴落であれ地域紛争であれ不穏な状態になり一触即発の危険な状態になっている

そのため株の暴落でも起こりその不安な心理が株に影響する。
つまり心理的パニックに落ち入る危険がある。そいう世界の大変化の兆候として株であれ戦争であれ起きているし起こるとなる。
問題は日本とかだと実体経済が良くならないのだから株の乱高下になり不安定になる。でも日本の実体経済が良くならない限りいくら株を上げようとしても円高でも基本的にできないともなる
つまり問題は実体経済でありそれが良くならない限り安定はないのである。
posted by 天華 at 20:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題