1度の失敗やつまずきでおしまい
【通販の配達の苦労―人間は何でも経験しないと実感できない】
「辞めたらマンション管理人に戻るか、ハローワークでよく勧められた介護。さもなくば求人倍率が高い警備ぐらいしか行くところがない。それでも今よりはましかなって思うんです」
「1度の失敗やつまずきでおしまい。これが本当のことですよ」
特別な資格や特技のない人間は、ひたすら長時間労働するか賃金の低い仕事に甘んじるしかない。こんな社会に希望があるのかと思う。
ハンドルを握るのが怖い…約3年間「1日12時間労働」を続ける月収34万円・53歳宅配ドライバーの悲痛な叫び
●1度の失敗やつまずきでおしまい
人生は長いから失敗して何度でも挑戦すればいい。でもそうはなっていない。大概人生を20代で決まるという時もそうであるそれで大卒で大企業に入るか中小企業に入るかな大きな問題になる中小企業に入ればその後給料にも差がありずっと格差は続いてゆくだからこそ最初最初の就活は大事になってくる
またたとえ大企業に入って入ったとしても20代でやめればその後は簡単にいい会社就職できない、一生不利なところでで働かざるを得ないのである。私自身がそうだった。大学を出ても就職もしないで底辺をさ迷っていたとなる。つまりまともな所で働けないということである。それが一生続くのである。
20代で正規のルートを外れると一生はずれたままになることが怖いのである。20代ニートとかになるとその時は一時期に過ぎないと思っていてもたちまち時間は過ぎて一生ニートとなり引きこもりになる。
昔は大工になるには親方について修行せねばならなかった。でも18才になったら親方は弟子にしなかった。すでに修行するには遅くなっていたのである。だから何かスキルを身に着けるにしろ若い時していないとできない。だから若い時が大事になる。
特別な資格や特技のない人間は底辺になり一生苦労することになる。
つまり人間は20代で決まる、それは何でも20代で方向が決まる。右左と分かれ道があったとして一緒にそこまで道連れになってもそこで分かれ後は一生合わないのである。つまり人生はあそこでこの道を来たのは間違っていたから引き返すことはできなくなる。20代でその方向は決まる。だからカルト宗教2世は子供の時から将来の進路まで決められていることが怖いのである
その一つの方向しか見えないし選択できないからである。
●チャンスは一回、引き返すことのできない人生
この道を来たのは間違っていたとして引き返すことができなくなる。人間に与えられた時間は短いからである。人生失敗したらやり直せばいいとはならない。そんなにやり直す時間が人間には与えられていないのである。
それで若い時に神を知れというのもそうである。若い時求道して神を知らなければその機会を逃すとしたら怖いことである。神でもいつでも知ることができる。むしろ老人になってから知るべきものだと見ているが老人になって悟ることはできるが神を知ることは難しい。ということは神を知るチャンスを逃したということは恐ろしいともなる。
1度の失敗やつまずきでおしまい、チャンスも一度だけだとなる。チャンスは何度もないのである。結婚にしても女性なら30ぐらいまでにしていないとその容姿も魅力がなくなりおばあちさんとかとか言われてしまう
し男なら40にもなれば白髪がでてきておっさんになる、それが早いのである。
確かに人間は向き不向きがあることは確かである。でも職業にしてもそもそも経験してみなければわからないのである。ではその職業でも経験できることは極めて限られたものになる。いろいろな職業があったとしても経験できるのはごく限られたものである。そして何でも経験しないとわからないのである。
だからこそその人を採用する時どんなことを経験したのか職歴をみることになる。それはやはりその人がどんな経験をしたかをみるのである。まず職歴もなくニートとか引きこもりになると採用もされないとなる。
私でも職歴がないから採用されない、だから社会から外れた人間となった。ただ自分の場合は家族に恵まれて自分の好きなことを追求できたのである。そして底辺で働いたことも無駄ではなかった、私は一人っ子であり甘やかされて育ったからである。
若い時は買ってでも苦労しろというとき私はそれを実践したのである。
●何事経験しないとわからない
いずれにしろ人間を作るのは経験である経験しない限り実感として理解できないからである例えば先生になるにしても実際に生徒を前にして教壇に立つ経験がしないと先生にはなれない。それは先生だけではないあらゆる現場で実際に経験しない限り理解することが不可能なのである。地理を知るしても実際にその場に行くとかしないといくら地図を見てもわからないのである。
だから外国でも留学とかの経験は大きい。それは実感としてささいなことでも知ることで理解を深めるからである。
だから15年もアメリカでビジネスした経験は凄いと思う
実地にアメリカ人とビジネスで渡り合うことの経験が凄いとなる
その経験から日本を批判するから訴えるのである、もし私のように外国について本ばかり読んでいて外国を語るとし何か頓珍漢になっていたのである。でも50代あからバックパッカーになり世界を回ったことで一応表面的でも外国を語ることができるようになった。人間は何でも経験なのである、山を登らない人は山を知ることができない、確かに遠くから眺めることで知るがやはり実際に上ると山の厳しさを実感するのである。
だから人間は何事経験であり経験しない者はいくら本を読んでも分らないのである。聖書を読んでも苦しみ悲しむ経験をしない者は理解できない、学者のように聖書を研究してもわからないのである。むしろ実人生で経験した者は別に聖書を読まなくても信仰の何か大事なことを理解して信者にもなる。だからいくら教会に行っても実人生で経験することが大事なのである。人間は実人生から経験から学ぶ。実人生こそ人間を教えるのである。
医者にしても学校で学んでも実際に患者を診る経験をしなければ医者のことはわからないのである。例えば手術がうまい人は場数を踏んだ人だとなる。手術回数が多い人が手術はその経験に比例して上手だから手術した回数を知ればいい医者なのか見分けがつくがつくかそうでないかわかるないとなる。それが目安となるのである。必ずしも何大学が出たから手術が上手だとはならないのである。でもいくら手術が上手でも最初はうまくいかない、だから研修生とかに手術されるのは怖いとなる。実験台にされるとなるからである。でも経験を積まない限り上手な医者にはなれないのである。
●通販でも配達する人の苦労は知らない
ともかく通販で配達している人必死に働いているが給料も少なく保証もないから厳しい、でも配達する人に特別感謝したりもしない、それが現実である、大工さんは私は家を直してくれたことで感謝した。それは家に来て自分のこといろいろ言うし苦労を言うから強制されたともなる、普通配達する人に感謝などしない、その事情なども分からないのである。ただ配達する人も大変だなと知る。なぜなら私は結構通販で買っているからである
でも配達する人のことなど考えないのである。ただ一つの者でも配達されることはそれなりに人間が関わり苦労があること知る
だからと言って配達する人に多くの金を支払うわけでもない、要するに配達する人は数をこなさない限りやっていけないということである、ある人に配達して二倍の料金をもらえるなどないからである。ともかく働くことには常に何らかの苦労があり危険もある、配達するだけで交通事故の危険が増すというのもそうである
そういう事情ももし自分が配達する仕事をアルバイトでもいいいからしてみると実感するとなる、そのい経験がないから無頓着ななのである。