2024年10月31日

秋の陸前浜街道の詩−失われた旅の回復 【歩く旅で原発事故からの町を見直す】


秋の陸前浜街道の詩−失われた旅の回復
【歩く旅で原発事故からの町を見直す】

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相馬六万石の城跡たずね
街道の松並木を通り
日立木の町場橋
木の葉散り薬師堂の古りぬ

鹿島御子神社の古く名の起こり
一石坂の上るも難儀
昔の人の苦労かな
力持ちの女の伝説残る

日吉神社の謂れ知れや
南朝の裔の只野氏の由来
社に古木や砦にもあらむ
落武者の末そ住むかな

塩崎に船着市庭の地名
古代はここは湊なり
入江の深く船の来ぬ
故に残れる地名かな

一里塚あり五本松今はなし
原町宿や繁華なれ
街道の松に寄り秋の日や
朝顔咲きて宿場町なれ

桜井古墳の海近く大なり
安曇族の末裔の開拓に入る
綿津見神社の多さかな
古墳に残る船の絵発見せり

小高は相馬氏に最初の城や
海も見えて浮舟城ともなれ
石段上り紅葉の映えて
その歴史をふりかえる

浪江町請戸の港栄えけり
宮古よりそ鉄の素材を運びける
葛尾村に製鉄に栄ゆ葛尾大臣の跡
鉄に結ばる道にあれ

双葉町夜の森とは余の森
相馬藩主の名づけて境成す
小良ヶ浜もまたおらの浜と
境にあれば謂れは残る

双葉町は新山と長塚村が起こりなり
交互に宿場となるは負担を分け合う
江戸への参勤交代は苦労なり
江戸の道のり遠しかな

新山に酒屋のありぬ
我が父の丁稚と働きし所
幽か虫鳴きその道歩み
通い帳の残りしあわれ

この世ははや移りけるかな
そも昔となりて語られぬ
しかし人の思いのここに残りぬ
故の悲しも廃れし町かな

原発事故に失いしもの
人は深くも思うべしかな
人は散りじりとなり人住まず
ここに住む人の思いを知るべし

浪江町請戸の港栄えけり
宮古よりそ鉄の素材を運びける
葛尾村に製鉄に栄ゆ葛尾大臣の跡
鉄に結ばる道にあれ

末続は渡来人の陶作りに由来や
新妻一族の村なりしを
ここよりトンネルぬけて
久ノ浜に出でて磐城は近ずきぬ

波立や岩の突き出て波打ちぬ
沖に船見え鴎飛び来る
太平洋の広々と旅路は続きぬ
陸前浜街道の秋の日暮れむ

街道の松によるかな旅人の歩き着きなむ秋深む宿

仙台の方から鹿島駅に降りて昔の陸前浜街道歩く人たちがいた。何か今歩くということはなくなった。歩く人を見かけないのである。行き交うのはクルマでありそこで人と人は出会うということは無いのである。車にとって歩く人とか自転車などは邪魔なものになる。
旅をするとき今なら目的地なるべく早く着くことが目的となり車で途中を省いて通り過ぎるだけだとなる。だから旅というのは現代から消失したのである。
例えば街道に松があり歩いてきたならその松の見方も違ってくるのである。歩いてようやく宿にに着いたなという時そこに松が立って待っているとなる。そいう感覚がどうしても車だとなくなる。そもそも相馬市かラ前の中村から原町まででも遠いから原町宿があったとなる。どうしても休まないと進めないからである。
だからその時旅する労力は今の十倍にもなり江戸ははるかかなたでありめったに行ける所ではなかった。

街道の宿場の松や秋深む

とかなる。松の見方が違ってくるのである。

ともかく歩いた時自然であれ人間は一体化する。一本の何でもない松でも見え方が違ってくる。現代はいろいろ便利になりすぎて失われたものがある。その一つが旅なのである、旅人というとき歩いて旅していたのが旅人であり車で行く人は旅人にならないのである。

何か原発事故で浜通りは荒廃してしっまたけど復興のためには陸前浜街道を見直して旅の道とする
それを感じたのは相馬市から福島へ行く東北中央道ができて前の道を車が通らなくなったときそれが不思議なのはサイクリングロードにもなりかえってその方面で活かせるのではないかと見た
だから途中に茶屋とか休憩所を作るのもいいと思った。

何かそいうことも今は便利になりすぎて見直される。ただホテルまでできるだけ早く着いてうまい物だけを食べることあ目的となる旅は旅ではないからである。
あえて不便さを演出する歩いて活かす道とする。ただそうなると相当に労力も時間もかかるから簡単にみんなはできない。でも高度成長時代のようなホテルで会社の人が集まり飲み食いする時代は終わったのである。そういう温泉街は廃墟化していて個人の旅行者でも歓迎すると変わったからである

歩くことは人間の五感を回復することである。歩くことは新鮮な経験ともなる。自転車でもそうである。だから浜道通リでも原発事故で荒廃した町を復興するものとして浜街道を活かす道を考える。すると道はつながっているのだから血液が流れるように街でも村でも活きてくるとなる

双葉町は私の父がっ酒屋の丁稚として働いた場所でありそこには思いが残る
何かその土地土地に生きた人の思いは残る、先祖の思いは残る、だから街自体が失われることはそうしたそこに生きた人達の思いも思いも失われることになりそこに幽霊が住むともなる、死んだ人も浮かばれないとなる

南相馬市鹿島区江垂の一石坂 (いちごくさか)の由来

仙台の長町から街道を徒歩でゆく老人の一団が来る





2024年10月30日

貯めた金の顛末 【一人は認知症になり金が下ろせない、一人は貯めた金が盗まれた】


貯めた金の顛末
【一人は認知症になり金が下ろせない、一人は貯めた金が盗まれた】

計画通りに人間はいかない。老後のことを心配してその時何かやるべきことをしない、ではそうして貯めた金はどうなるのか?
私の家族の一人は姉はかなりの金を貯めていた。それが判明したのは認知症になって銀行から金を下ろせなくなった。それも驚きだった、銀行に行って自分の金を下ろせないのである。
何か銀行の人に笑われたとかなる。
こうなるといくら金を貯めていても自分で自由に使えなくなる
これも何なのだろうと思った、こんなことがあるのかと驚くばかりだった。ただ認知症になるとそうなる。だから他人事ではない
90以上になったら半分は認知症になる
つまりいくら金を有り余るほど持っていても自分では使えなくなる。法律的にも禁治産者のようになり資格を失うからである。

またいくら金を貯めていても病気になって寝たきりとなったらその金を自分で使うこともできない。歩くこともままならずもちろん旅行にも行けなくなる、つまり金ですべては解決しない
だから金がなくてもいいとか言うのではない、いくら金があっても病気になったら金も使えないとなる
だから病気になると自分でもそうだがもりもり旺盛な食欲があり食べている人でもまた歩いている人でもうらやましくなる
なぜなら金があっても病気になればいくらうまいものを食べられうにしても食べたくないとなり最後は死ぬだけだとなる
だから何がなくても健康である人とそうでない人の差は大きいのである。でも金で健康は買いないのである。老人になると何らか病気になり金があっても自分のしたいこともできなくなる
どうしても金が貯めたから老後は自由にやりたいことをやると計画していてもみんながそうはならないのである。

私の母親は何か楽しむということをしない女性だった。それは家庭環境が悪く働かされていたからである。働くことしかなかったのである、だから金があるようになっても一切無駄はしない、それも索漠としたものとなる。
でも60才以降その頃年金を積んでいなくても一か月三万もらっていた。65才からだと5万もらっていたのである。真だ景気がいい時代でありそういうことができた時代である
でも一か月3万でも一年で36万となり十年で360万になり
百歳まで生きたから360×40年となり一千万以上になっていたのである
その金がどうなったかというと半分以上は盗まれたのである。
だから何のために貯めていたのかわからない、盗む人に貯めていたのかとなる。
このように金にしてもそれがどうなるのかわからないのである

ただ自分にしたら家族には良くされたから不満はない、でもそうして金を貯めて一人は銀行から認知症になり下ろせなくなっとか
悲惨な結果になったのである。
だから金をもっと使えば良かった。でも貯めるばかりで何か他人が困っていても助けないとかあった。
私には良くしても他人には冷たかったとかある

こうしてみんな金金金と一瞬たりとも金のことから離れられない、でもその金がどうなったかとなるとため込んだ金が自分で自由に使いないともなったのである。
だからこれは何なのかとなる。老後が不安んで金を貯めろと言われるがそれで老後がうまくいくとは限らないとなる
必ず不測のことが起こり自分の金すら自由に使えなくなったとかなる。金の顛末も意外な結果になるともなる
また今になると円安になり日本の金の価値が下落して金の価値がなくなり物価高になりインフレで金の価値がなくなる
だから金の価値も一定ではなく安心がないのである。預金封鎖で日本円は紙切れになるとかも言われる。
要するにこの世に安心するものはない。常に金でも価値でも変動しているからである。

fortuneが財産が運だというときもそうである。金は天下のまわりものだというのもそうである。この世に一定なものはない常に変動する無常の世界である。だからいくら金を貯めて安心を得ようとしてもできないのである。
計画して貯めても不測のことが起こり無駄になったとか思わぬことで金が入って来たとか運も左右しているからである。
この世にいくら宝を積んでもこのようにはかないものになる

それで天に宝を積めとなる、

この世に宝を貯えてもそれは錆びつき盗まれて何にもならないとなる
あなたがたは地上に富を積んではならない。そこでは、虫が食ったり、さび付いたりするし、また、盗人が忍び込んで盗み出したりする。富は、天に積みなさい。そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。

まさにこれだった。この世の宝はこうして維持できない、この世にいくら宝を貯えても無駄になる。それは盗まれたりさび付いたりと維持できないのである。

2024年10月29日

なぜ四大文明が川の岸に生まれたのか 【世界は地理をまず知る―一回でもその場に立つ―イスラエルの位置】


なぜ四大文明が川の岸に生まれたのか
【世界は地理をまず知る―一回でもその場に立つ―イスラエルの位置】


ライン川の写真

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乾季のガンジス川

歩いて向こう岸に行けるけど広い


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●四大文明がなぜ川の側に生まれたのか

水資源の利用: 大河は飲料水や灌漑用水として利用され、農業の発展を促しました。これにより、定住生活が可能になり、人口が増加しました。
交通と貿易: 河川は重要な交通手段であり、物資の輸送が容易になりました。これにより、異なる地域間での交流が活発になり、文化や技術の発展が促されました。
肥沃な土壌: 河川の氾濫は肥沃な土壌をもたらし、農作物の収穫量が増加しました。これにより、余剰の食料が生産され、それが経済活動の基盤となりました。
防衛: 河川は自然の防壁として機能し、外敵からの攻撃を防ぎやすくしました。

riverの語原は何ですか

「river」という言葉の語源は、ラテン語の「ripa」から来ています。これは「岸」や「河岸」を意味し、古フランス語の「rivere」を経て、英語に取り入れられました。自然の風景を語るときに使う言葉にも、長い歴史が詰まっているのですね。

riverはなぜライバルなのか

これは興味深い質問ですね。実は「ライバル(rival)」という言葉の語源もラテン語に由来しています。

「ライバル」という言葉はラテン語の「rivalis」から来ており、これは「川の反対側に住む者」を意味します。古代の農民たちは、川を挟んだ対岸に住む人々と土地や水資源を巡って争うことが多かったのです。ですから、同じ川(river)を共有する「rivalis(ライバル)」たちが競争者や敵対者という意味合いを持つようになったのです。

●外国の大陸の川が意味するもの

「river」という言葉の語源は、ラテン語の「ripa」から来ています。これは「岸」や「河岸」を意味している

これは日本と同じだった。川とは側【がわーかわ】の意味だからである。川にであるとそこで交通が遮断された向かい側を意識するからである。だから左沢(あてらざわ)というときあちらの岸となる。向かい側の岸を意識したのである。川全体を意識することから生まれた地名ではない、第一大陸の川だと長大であり全体の川を意識できないのである

原町を含む左沢の町は、江戸時代始めころに造られた小漆川城の城下町が基になっています。なかでも原町通り沿いには元造り酒屋などの店蔵が並んでいて、最上川舟運とともに栄えた町の風景を今に伝えます。

原町というと南相馬市にありもともとそこは野馬追が行われた広い野原だった。だから原町とはそこは原っぱだったということである。今は街になっているが原っぱだったのである。
船運で栄えたというとき最上川は交通路になっていた大きな川だったからである。

大きく蛇行する最上川に
春の太陽が映り輝く
左沢という地名は何を意味する
石の古い橋をわたり船運で栄えた
大江町の古い土蔵や
春の日我は一時旅して帰りぬ

左沢までの春の小旅行

日本では最上川は米であれ紅花であれ運ばれた。だから日本では
めずらしいのである。

ともかく大陸では川がいかに重要なものだったか、エジプトはナイルの賜物というとき周期的にナイル川が氾濫して泥が流れて土地を肥沃にして麦がとれるのである。

またライン川が父なる川というときもいかに川と国土が一体化しているかわかる。ガンジス川でもそうである。ブッダガヤとかに行ったら向かい側の岸まで水が引いて渡ることができたけでそれが相当な広さなのである。だからインドではガンジス川とその神話でも密接に結びついている。聖なる川でありその岸に沐浴する場が作られている。その長大な川が意味している大きさを日本人は理解できないのである。

川を通じて統一国家が生まれた。交通と貿易も川があり発展した。なぜなら川を船で行き来することができる、物も運ぶことができる。だから川を通じて人も結ばれるのである。
それで国家を越えて商人がヨーロッパでは一つの国を形成するハンザ同盟となり国家を越えたものともなる。それは川で結ばれるからからそうなる。この川の役割を日本では理解できないのである。大陸の川は流れが穏やかであり運河のようになっている。
だからそれは道になる。川を通じて結ばれて統一国家を作るともなる。エジプトも上エジプトがあり下エジプトがあってもナイル川を通じて結ばれる。ピラミッドはナイル川とも結ばれていた、河岸からピラミッドに通じていたからである。

●イギリスもテムズ川が三五〇キロもある

大運河の時代の英国である。 17世紀水にはバンクオブイングランドが設立されて18世紀に入ると産業革命を待たずに英国は大運河時代に突入するそこにはすでに馬で運びきれないほどの生産力があり馬に代わる流通網として運河を築くだけの資金蓄積もなされ運河に沿って活発な商業活動が広げられていたのだ
(資本主義になる条件とはー小室直樹)

イギリスが島国であり大きな川がないとみるがある。
テムズ川は346kmの長さである。346キロなると自分の住んでいる相馬から東京までの距離なのである。だからいかに長大になるかである。そしてその河口は港のようになりそこから七つの海を制覇した大英帝国がうまれたことをイメージする

徳仁親王著『テムズとともにー英国の⼆年間』(学習院総
務部広報課・1993 年)では、テムズ川⽔運の変遷を論じる。
製粉業者の⽔⾞の利⽤から、⽯炭の運送、上流から、ビール
やウィスキーの原料であるモルトがロンドンに運ばれ、植⺠地か
らは砂糖、煙草、⽶、茶などが輸送された。しかし19世紀、⽯
炭などが鉄道運送、トラック貨物輸送に移り⽔運が次第に衰
退していく過程を捉える。

その岸のいかにも古いベンチに座った時なんとも言えぬ感慨に浸ったのである。

春寒しテムズ河口のベンチかな

春寒しというときイギリスは寒い国なのである、だから春でも寒いとなる。何かヨーロッパとなるとベンチ一つでも歴史を感じるのである。

いずれにしろ日本ではこうした長大な川がないから外国を理解しにくいのである。日本の川が滝だと外国人が見た時運河のような大陸の川とは余りにも違っていたからである。
戦争でも川を巡った攻防になり互いにライバルとなる時もそうである。川で向かい合いライバルとなり戦う、それが現代でも陸上戦となるとウクライナとロシアの戦いでもドニエプル川を挟んで戦いが展開される。だから地理の制約があり地理は地勢はかわらないからそうなたのである。川でも山でも自然の障壁となりかわらないからである。

日本では障壁となるのは山でありだからこそ異常にトンネルが多い。それでトンネルを抜けると雪国だったとかなる。トンネルをぬけると異世界に入る。そして日本でトンネルの技術がが発展したというのもそのためである。トンネルがこんなに多い国はないからである。また峠という字が国字であり日本独特になったのも日本は山国であり峠がおおいからそうなった。
その地勢とは変わらないからである。だから地理が歴史を作るのである。

●なぜイスラエルが地球の中心と神が定めたのか

 イスラエルはアジア、アフリカ、ヨーロッパの交差点に位置しており、古代から現代に至るまで重要な交易路として機能してきました

イスラエルが地球の中心と神が定めたのか?それで私がイスラエルのガラリア湖なのかイスラエルにどうして隊商宿があるのか不思議だった。こんな所までラクダで運ぶ人がいた。
ということはイスラエルでも中国からシルクロードで結ばれていたのである。トルコにも隊商宿がある。ただシルクロードにしても長大でありわからない、実感できない、でもいかに人間は体験して理解するかである。地理でも地図をいくら見ても本を読んでもわからないのである。

それより現地を一回でも踏んだ人が理解する。私がイスラエルに立ったということが大きな経験だった
そこが神が定めた地球の中心だというときそれがそうなのかと実感する。イスラエルは中国とも結ばれている。その間に広大な平原砂漠があっても結ばれている。地球は分断されていない、つながっている。ただ国境は人為的なものでありそれで分けることはできない。

イスラエルが世界の中心に神が定めたというときなぜなのか?それは大陸で東西を結び地中海に面してヨーロッパと結ぶ位置にあり砂漠地帯とも結ぶ位置にあった。だからこそキリスト教がヨーロッパに広がったという経緯がある。
またなぜイスラエルが三大宗教の聖地となっているのかそれも神が定めたからである。アブラハムがカナンの地に来たのも神の命令だったからである。

それで私がイスラエルのガラリア湖なのかイスラエルにどうして隊商宿があるのか不思議だった。こんな所までラクダで運ぶ人がいた。つまりイスラエルは遊牧民が移り住んだ場所である
だからシルクロードでも中国までも結ばれているということをその地点に立てば感じる。つまり地理を実感するにはその地点に一回でも立つことが必要なのである、いくら地図を見ても映像を見ても分らないのである。それは直感的に感じるものだからそうな
る。 

 Israel is the holy centered place in the earth

イスラエルは平原砂漠の果て
古くはメソポタミアやバビロンと
エジプトとアフリカとも結ぶ
シルクロードに通じる
ロシアとも結び
はるか東の中国とも結ぶ
そして極東の日本とも結ぶ
ユーラシア大陸を抜けて地中海に出る
地中海に面してヨーロッパと結び
海の風が吹きそよぐ
遂には大西洋をわたり
アメリカが発見されぬ
その西海岸より望む
そのかなたが日本なり
世界はイスラエルを中心にして
歴史は展開するを定めぬ

ドイツのライン河の詩 (河の文明−ヘルダーリンの詩を読む)

2024年10月28日

公明党は選挙で負けて終わりに・・・・ 【創価も公明は一体だから衰退して終焉】


公明党は選挙で負けて終わりに・・・・
【創価も公明は一体だから衰退して終焉】

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●創価は比叡山の僧兵集団でもあった

今回の選挙で自民党と同じく公明党も肝心の常勝関西でも議席をかなり減らした。だからそもそも公明党であれ創価であれ終わりに向かっている
選挙でも仏法の戦いだとか前の池田先生のために選挙は勝たねばならないとかそんな前時代的なことが平然として実行されていたことが異常だった。

でも宗教を振り返ると

多くの荘園を持ち、経済基盤がしっかりしていた大寺院は力を持ち、発言力を増していました。
そして、彼らの利権に不利なことが生じると、寺院に属する僧兵たちが都の朝廷に押し寄せる「強訴ごうそ」を行ったのです。
これこそ、白河法皇が何とかしたかった問題でした。

そしてこの平家物語で表わされた逸話は、裏返すと「賀茂川の水、双六の賽、山法師」以外の全てが思いのままになる、という白河法皇の絶大な権力を示したものだったのです。

この山法師が僧兵が創価であり公明党にもなる。
寺院は一つの独立国であり不可侵の領域であり時の権力者でもそこを侵害することはできなかった。
そして信長が敵対したのは敵として戦う浅井とかに味方したからである。それで容赦なくつぶす殺戮してまで潰すとなった
それも空恐ろしいことだがそれほど信長にすれば許せないものがあった。敵の浅井と組んで歯向かうとなるし僧兵もいて武装しているから余計にそうなった

●創価の活動は選挙に勝つことが至上命令

ただこいうことは昔のことであると見るが歴史は繰り返すとなる
自民党に一時創価公明党は逆らったが攻められてので従うようになり利権を得ることを優先したのである。
創価の活動は24時間選挙活動なのである。そのために会合して祈り戦う集団である。政治団体であり権力奪取が目的であり総体革命とかで日本を支配することである。

周りが創価の人に成れば従わざるを得なくなる。ともかく一票を得る為なら手段を選ばないのである
学生時代に私を入れた人にしても親が地方の議員でありそのために結局選挙活動員としていいように使われただけである。
そこでは一切罪とか本来宗教が教えるものとは関係ない
御利益追求であり狂気のように御利益を得てこの世での栄誉栄華を求めているだけである、その人がなんであれ問わない,一票になればいいだけである。教義でも国立戒壇とかあり完全な政教一致だからである。

そして何かというと反対する者に宗教を持ち出して罰当たるとか地獄に堕ちると平気で攻めてくる異常な狂気的団体なのである

だから公明党党首の石井は選挙で負けて仏罰があった!痛快だと言われる

あまりにも仏罰だと平気で言っているから因果応報で今度は仏罰が当たりと国民からも言われることに成る
それは宗教をこの世を支配するための道具として使うからそういわれるのでありそのこれまでの所業が悪徳が跳ね返ってくる
そういうふに宗教をテコにして脅迫まがいのことを平気でしてきたからである

●地獄に行くほかないと言った親鸞などが本当の宗教家

地獄に堕ちるとか言える人間なのか、むしろ地獄が一定の住処なりとか地獄に行くほかないのが自分だと言って親鸞のような人が本当の信仰の人なのである。
日蓮の弊害として強烈なナショナリズムとなる危険がある
だから戦争の時も日蓮を信仰して戦争する人達がいたのである
つまり宗教となると何かおとなしいと善良な人達と見ているがそこには有象無象のあらゆる人間は入ってくる。要するにその人がどんな人かは問わない、一票になればいいだけなのである。
創価と公明は一体であり分離するこはできない、もし公明党が生き残るなら国民政党ににならなければならないが創価と分離できないから不可能である。一蓮托生であり滅びるときも一緒に滅びるとなる

いずれいしろ自民党一党独裁の時代は終った。公明党も終わりとなり創価も衰退して消滅する。そしてその悪が暴かれるともなる。
宗教の詐欺集団であありそれは宗教を悪用したものだからその罪は相当に重い
だから成仏するとかない、来世でその悪が罪が暴かれ裁かれるのである。
ただそんなことはどうでもいい現世で栄誉栄華を得られればいいだけの宗教である
一番恐れていることはこの世で利益を得られないことであり損することなのである
高邁な宗教など関係ないのである。
ではなぜ創価が増えたのかそれは様々な現代社会の問題がありそれがナチスのようになった。だから創価がナチスのもなりえた

●創価だけがカルトなのか共産主義者もカルトだった

でも創価だけなのかとなればカルト宗教は同じである。
共産主義でもマルクス主義でも宗教でありソビエト連邦であれ中国であれカンボジアであれ一千万人以上が粛清されて殺されているのである、だからこれは何なのだろうとなる
宗教の思想でも強制されることでこれだけの人がある。だから死んだということで民主主主義が生まれた。それが完全なものではないにしろ共産主義よりはいいとなったのである。

ただ正直別に一票入れても何か社会参加しているとも感じない
相馬市で新しい花屋で花を買った時花屋やでももうかりとか街を活性化するとかなる。消費して社会参加していると感じる
一票入れても社会参加しているとも感じないのである

なぜなら何十万何百万の一とかしかならないからである。
そこに民主主義もうまくいかない限界に来ている。ではどうすればいいのかとなるとわからないとなる
第一民主主義はギリシャの一万くらいのポリスで始まったのでありそれが何千万人が参加するとなると全く違ったものになった。だからこそナチス党は選挙で正式に選ばれたのである。

つまり現代は大衆の時代であり大衆ファシズムになりやすいのである
ただインターネットかで情報環境も変わって来た、選挙速報でもテレビではなくyoutubeでみれたからである。そこでは公明党批判が創価でもしているがテレビでは一切しない。だからマスコミに一方的に報道されていたことでも変わったのである
ただテレビ局でもこれだけ増えると選ぶのに苦労するとなる
posted by 天華 at 09:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2024年10月27日

相馬市へ5か月ぶりとか行く 【晩秋の城下町に情緒−新しい花屋で花を買う】


相馬市へ5か月ぶりとか行く
【晩秋の城下町に情緒−新しいシイ花屋で花を買う】

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自転車に田舎の細道秋あざみ
日立木に木の葉の散るや薬師堂
街道に松の根っこや秋あざみ
相馬市に木の葉色ずく移る季〔とき〕

相馬市や新しき花屋に我が入りて花を買いにき秋の暮かな
街道に木の根残して秋の暮草の花咲き日も暮れむかな

相馬市へ行った、何か5ケ月くらい行ってなかった。というのは暑くてその後が雨で行けなかった、今日も風が結構あった
自転車は雨風陽射しに弱い、何か未だに体の調子が悪いのである

相馬市は通りでで店が出て祭りだった。新しくできた花屋に入り花を買った。店とは見せるから始まっているから見せるように作るの大事である。相馬市と原町には新しいものが店もできるが鹿島にはできない、ただ障害者の学校とか老人の施設とかできた
そして知っている人は建築工事の仕事から怪我したので介護の仕事になったのである。
つまり何か障害者であれ介護であれそういう方面のものは増えてくるのである。でも新しい店は新し通りができても生まれないのである。
鹿島の森の花屋は相当に花に詳しい、でも最近行かないのは暑くて花がすぐにしおれるのだる。だから今年の暑さいろいろ影響した。老人は熱中症だけではない他の病気になり死んでいるし体が弱ったのである

相馬市は城下町であり藤の花が似合っていた。

城下町松の古りにき藤と月

長々と藤の花垂れ城下町夕陽のさして暮れにけるかも

ただ物足りないのは何かあそこに城があったとしても物語がそれほどない、そこで何があったのかよくわからないのである。
それでも碁盤の目のように街があり路地があるから城下町なのである。でも物語がないから物足りない、昔を偲べない、野馬追があるとしてもでは城下町で何があったのかわからないのである。
イオンがあったところは空地化した、かなり広い、イオンのような巨大資本のものは
商売にならないと撤退する。その影響も大きいのである
その穴埋めができなくなる。でもスーパー菊池とかシシドとかは地元であり残る
イオンは他でも撤退している。だから巨大資本を入れることは問題にもなる
街全体に影響するからである

日立木からの街道の松は当時をしのばせる。細い道でありあの道は変わっていない、そして薬師堂はかならず村の中心にあった。
薬師堂は病の直ることを祈る場所であり村ではどこにでもあった。つまり病院に機能を果たしていたとなる、ただ祈るだけで直すことはできなかったとなる。ただ残念なのは松がかなり枯れている、松は枯れやすいのである
だから喫茶店のあった六号線の五本松三本になり二本になり全部消えたのである枯れる松

ともかく季節にしても晩秋となるのか秋深しとなるのか、異常な暑さで四季の感覚が狂ってしまったのである。


2024年10月26日

選挙で社会を変えられのか 【既得権者の破壊は血を流して成しえたー明治維新と戦後の変化】


選挙で社会を変えられのか

【既得権者の破壊は血を流して成しえたー明治維新と戦後の変化】

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私の親は地方役人だから既得権者だったもなる

●明治維新は下級武士が成した革命

選挙だけど選挙で社会が劇的に変わるものだろうか
社会が本当に変わった時は明治維新と戦後である
でもその時はやはり犠牲があり血を流して成ったことである
明治維新は実は侍のなかで上級武士と下級武士がいてその階級闘争だったのである
それを象徴していたのは初代の総理大臣になった伊藤博文である
足軽の家に養子になって最低のクラスだったからである
江戸時代は強固な身分制社会であり生まれつきで決められる社会である。
福沢諭吉でも下級武士であり明治に成りあがったのは下級武士である。

つまり既得権者といっても侍のすべてが既得権者ではなく侍の中でも身分がありそれが強固な物であり下級の武士は上に上がることができなかったのである。それは生まれた時から決められていたのである。そこに鎖国が外国人が入って来て破られたのである
その変化は劇的でありそのために会津の悲劇などが起きた
つまり社会を劇的に変えるためにはそれだけの犠牲も生まれる
血を流さないとそれだけの変化が起きないのである。

それは太平洋戦争でも戦後大変化したのは3百万人も死んだ犠牲がありそのとき地主とか財閥などが解体された、既得権者がその既得権を喪失したのである。戦前は小作は最低であり苦しんできたが土地を我が物にすることができたからである。
つまり社会が変わるにはこれだけの犠牲があってできることである

●はたして選挙で変えられるのか?

戦後民主主義になっても選挙で変えられたかとなれば一回だけ自民党が政権を失ったがその一回だけでも民主党は批判されてたちまち自民党一党独裁が続いたのである
何か政変というとき自民党内での政変であり既得権者内での政権交代であり実際は何も変わらない、表紙だけを変えてきたようなものである。
むしろ報道分野だとテレビが衰退してインターネットが選挙でも左右する時代になったことが変化である

ともかく選挙で社会が根本的に変わるのか、それが戦後なかったのである。自民党は既得権者として胡坐をかき改革できない、ただ自民党内の派閥争いとかであり劇的に変わることがない、また自民党には2世3世が多く既得権化している。
何か必ず社会は既得権化してそれが次の代にも受け継がれる、それが江戸時代の身分制社会にもなる
ではその既得権化した社会を変えられるのか、選挙で変えられるのか、そこに疑問がある。

既得権というとき東大出で固められた官僚もそうであり選挙で政権交代しても官僚自体は変えられないとか根本的に社会を変えることができるのか、
それは明治維新を戦後の焼け野原から発展したことをみればわかる。その犠牲は余りにも大きなものだったからである
つまり社会を変えるということはそれだけ一票入れたくらいで変えられるのかとなる、血を流すような犠牲がないと変えられない。だからここ70年はただ政権でも表紙を変えただけなのかとなる。それだけ自民党は政権が長いから『権力は腐敗の傾向がある。絶対的権力は絶対的に腐敗する』となった

●民主主義がなぜ危機になっているのか

なぜ今民主主義への信頼がゆらいでいるのかそれは社会を選挙だけでは変えられないという現実があるからそうなる。みんな一票なんか何の力もないとなっているからである
だからアメリカでも選挙自体が不正でありと議会に暴力でおしかけたのである。つまり最後は選挙で決めるのではなく暴力で決める内戦にもなるとしている、民主主義自体の危機となっている
つまりいくら選挙をしても社会を変えられないからそうなる。

何か劇的な変化は余ほど大きなことが明治維新の時とか戦後の焼け野原いなったときとかそれだけの大変化があって起きるのであり選挙くらいで変化しないとなる。だからどうせ一票入れても変わらないとして投票率も上がらないのである
馬鹿真面目に投票するのは創価公明党のカルトくらいである。
それも今や自民党の腐敗を裏金議員を応援するとか出で批判される、創価とは選挙が最大の仏法の戦いである、創価は選挙のためにあり信心と選挙が一体化した政教一致のファシズム団体なのである。
そして既得権者になりたくて自民党と一体化したのである

ともかく既得権を破壊することは選挙くらいではできないとなり民主主義に疑問をもち投票率も上がらないのである。
でも世界でもウクライナの戦争とか北朝鮮が直接兵士をウクライナに送ったとか何かキナ臭くなっている。台湾有事も迫っている
だから世界の変化に日本がどう対応するのかが問われる
そのとき既得権者の破壊がおこなわれるかもしれない、常に日本は外部からの外国からの影響で大変化したからである。それがないと変われなかったからであある。
ただ小党が林立しても困る,参政党にいた医者の人が別な新党を起こしたとかわかりにっくなる。ただ日本新党などもできるときやはり社会が変化するとき様々な党派が生まれ争うともなる、それは明治維新と似ているのである。
posted by 天華 at 09:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2024年10月25日

中古のパソコンには説明書がない 【簡単なこともパソコン関係はわからないことがある】

中古のパソコンには説明書がない
【簡単なこともパソコン関係はわからないことがある】

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電源ボタンが黒くなっていてわからなかった

今日アマゾンで買ったパソコンの会社に直接聞いた
電源ボタンが黒くなっていたわからなかった。
何か簡単なことでも説明がないとわからないことがあり解決できない、この中古会社の人は聞いたらあなたはパソコンの初心者ですかとか不機嫌だった。そんあこともわからないのかということである。
ただこれは説明書があれば一発でわかったことである。
他でもカメラなどでも説明書がないと簡単なことでもわからないことがある。私は別に初心者でもない、でも消費者から見れば簡単なことでもわからないことがある。

パソコンなどは何か簡単なことでも聞く人が近くにいないと困る、でも私はいないから困る。
つまり説明書は大事は大事になる。そこには電源ボタンを図解して出ているからである。
だからすぐに説明書を見ればわかったのである。電源ボタンが黒くなって気ずかなかったのである。
でも連絡先が書いてあって電話で連絡できたからわかった
やはり電話で連絡できるのは便利である。ただ電話されるのを嫌うのは面倒だからだろう。中古品はそこまでサービスしないからである。品物はいいものだった。16000円で買い得である

ただすみませんと謝るのは客の方だったとなる、パソコンとか
IT関係は教えてくれる人がいないのが問題である、でも正規の電機店で中古品は売っていないのである。
要するに簡単なことでもわからないことがありそれで困ることがある、説明書がないと簡単なことでもわからずに使いないこともある。それが問題だと思った。ただ今回は電話で連絡できたのでわかったのである。それでも迷惑だということで聞きずらいとなる。そこまでのサービス料が入っていないからである

とにかくこの品物はお得なものである、画面も明るいしソフトもついている。使い勝手もいいももである。だから中古品でもいいものが出ている。前とは違ってパソコンは豊富に出ているから安くなったのである。ただちょっとしたことがわからないで使いないともなるのが怖い、今回は販売店と直接連絡できたので良かった、そうなら安心だとなる。
電話はメールより直接対話して説明されるからwかりやすくなる。でも電話応対するのは人手がかかりめんどうになる。金もかかるから電話できくことができない、
そこに問題がある、でもコストの面から人手をかけられないということである。

介護が主な仕事になる異常 【介護社会というのは異常であり成り立つのか?】


介護が主な仕事になる異常
【介護社会というのは異常であり成り立つのか?】

医療・介護分野の就業者数は、2040年において1751万人になる。製造業の2倍を超え、医療・介護は日本最大の産業になる。
現在の我々の感覚からすると、これは、異様としか言いようのない産業構造だ。

低生産性産業人口の急増大で日本の賃金は長期停滞必至、2040年に医療・介護就労者が製造業の2倍に!


介護というときその人は親が介護度2であり脳梗塞になってから杖をついてわずかの距離も歩けなくなった。
手も悪いとかあり介護度2から3にも近づきつつある
その息子は建設工事現場で働いていたが怪我をして何か最近介護の職についたらしい、でもその人は親の介護もまともにしないのである。その親が息子のことを常にくどいているからである
手も悪く料理するのも苦しいのに手伝ってくれず何かと文句ばかり言っていると愚痴をこぼす。その人はとても介護に向いているとは思えない、ただ車の運転はできるから人を運ぶ仕事ならいいとなる。でも介護となるとどうなるのか何か向いていないとも見る。

介護というとき私自身二人の親を四苦八苦して介護した。私自身がその間に二回も入院したりと最悪だった
その時助ける人はいなかった、そのために金は盗まれるとか借金した人が来て要求されるのは金だけだった。
ただ介護は自分だけではない全国で苦しいんでいる人が相当な数だろう。朝一万くらいいの街を回ったら三人くらいが車で送られる。車椅子を車にそのままのせて施設に行く人もいる
だから介護されている人は相当な数でありこれからも増える
隣の人も寝たきりらしく20才くらいの孫が介護している
その息子は何か仕事もしていないから引きこもりなのだろう。
とにかく介護している人は多い、だからこそ

2040年において1751万人になる。製造業の2倍を超え、医療・介護は日本最大の産業になる。

これは確かに異常である。そんな社会が成り立つのかということである。20代だったら何かその歳でするべきことをしないと後はできない、介護してそれで何が身につくのかとなる
でも隣の若者は何か親に甘えている一人っ子でありそんなことをしているが似合っているのかとも見る。ただ若い時は貴重だからそこで時間を消費することが将来どうなるのかということである
人間は20代でその人の未来は見える決まる。その人を見たら生涯引きこもりになると見える。何故なら両親が働き働かなくても暮らせるからである。

私は意外と20代は波乱万丈だった。家を出て東京の大学に入り運動部に入ったとか自分にとっては信じられない経験をした
その後カルト教団に入ったり危険なアルバイトをしたり後は放浪の旅の人生となったのである。
だから20代は波乱万丈であり苦労したともなる
若い時は買ってで苦労せよというのを計らずもそうなったのである。それが一人っ子で甘やかされた自分とっては返って良かったのである。

「鉄は熱いうちに打て」ということわざは、鉄という物質の性質に由来している34。硬い鉄も、高温で熱すると柔らかくなり、打って形を変えたり、曲げて加工することができる。鉄はすぐに冷えてしまうので、冷えて固まらないうちに打つのが重要だ

若い時でないとできないことがある。若い時楽をしていると後で苦しむことになる。だからはたして20頃から介護してそれが後でいいものとなるのか疑問である。でもその人は何かそれがふさわしいとみる、引きこもりだからふさわしいとなる。そしてその人は将来どうなるか?親が働けるうちは困らないでも親が働けなくなったらまた介護になるかもしれない、それは遠い先でも自分の経験から見えてくるのである。つまり20代でその人の未来が見えてくる。だから20代で未来が決まるとなる

20代で親に強制されたようにカルト教団の親に育てられた者もすでに未来が見える、その人は素直だから他のことは全く見えなくなっていたからである。
だから人生で大事なのは20代である。そこでその先が将来が決まるからである。それで若き内神を知れというのが大事だったことを知る、なぜなら30過ぎたらもう神をしることができないとしたらショックだからである35過ぎると人生も余禄だとかなる
40になるとすでに白髪が出たりと老いるのが早いのである。

つまり求道するのは早い時期からするべきであり老人になってするものではないしできないのである
その時すでに時遅しとなっているのである
何かスキルを身に着けるのも若い時である。大工でも昔は18歳以下だと弟子にしないとかあった
それだけ早時期にしないと身に着かないからである、その人の向き不向きもあるがやはり若い内になんでしていないとももスキルでも身につかないのである

いずれにしろ介護が主な仕事になるという社会は何なのだろうとなる、そんな社会が成り立つのかとなる。ますます日本は衰退するのではないか、高齢化社会になると中国でも介護の仕事が増える。でもそんな社会がどうなるのかとなる
確かに若い時は20代が人生の方向を決める、隣の若者でも祖父の介護しているがすでにその人は介護が仕事でありそれしかやることがないのかともみる。一生引きこもりのとなる先が見える
ただ結局人間はそうしたことを自覚できないのである。そして後でみんな後悔しているだけなのである。
posted by 天華 at 10:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2024年10月24日

アマゾンで買った中古パソコンが使えなかった 【アマゾンで全部点検していない、保証されていない】


アマゾンで買った中古パソコンが使えなかった
【アマゾンで全部点検していない、保証されていない】

予備として二万もしない中古のノートパソコンをアマゾンで買って失敗した
起動しないのである。富士通の製品であり富士通は前も使っていたからいいと思って買った。前もデスクトップパソコンの中古品で富士通のを買っていた。別に普通に使えたのである
アマゾンは点検しているから安全だと思った。
今のdellのパソコンんは6万でいいものだった。それで失敗したのは新しいものでも今はそれほど高くないから新しいのを買うべきだった。整備品というのは別にアマゾンで点検しているわけでもないらしい、不具合はメールで相談とあるがめんどうになる
いずれにしろパソコンんは安くなったから中古品でなくても良かった、

パソコンでもスマホでも使いこなすのがめんどうであり今回のように起動すらできないとなると困る
何か今は富士通であれ外国製でも変わりない、ただ中古品や整備品は安すぎる、だから返って安心できない、アマゾンでいちいち点検していないのが出品されているみたいだ
何かアマゾンと富士通というメーカーを信頼して買ったが失敗だった
はそういう時代ではない、ともかくパソコンの使い方に時間をとられると肝心な私の追求していることに集中できないのである。

パソコンであれスマホであれ使いこなすのがむずかしいのである。どうしても予備のパソコンが必要である、何か不具合があったとき安全のために予備のパソコンが必要である
WIN10のデスクパソコンが使いなくなったのは痛かった
ウイルスに感染するとか危険になったからである。
ただパソコンは安くなったから別に新しいのを買ってもいい、
でもタブレットが一万とか売っている、これはデーター保存のためにいいかもしれない、それでもこれも使いこなすのがむずかしい、何か老人になると新しいことをするのが億劫になる
正直新しいdellのパソコンでも6万くらいであるから安い、だからケチすることもない、ともかく何らかパソコンは安全を計らないとデーターが消失するのが怖いのである

ヤマハのYPJーXCも故障して使いなくなった、でも十分使ったから悔いはない、買ったばかりなのに使いないのはショックになる。パソコン関係は使いこなすことが難しいのである。
家でも何でも使えばそれで元がとれるとなる。もし家でも建てたばかりで地震とかで壊れたりしたら大損だとなる。でも50年住んでいたとかなれば元をとれたとかなる。
何か価値とは使用されることで価値がある、空家がこれだけ増えて使われないことが問題なのである。
だから使用しないものは無料でもいいから譲るべきだとなる。地主が土地を持っていても自ら土地を使用して使わない、所有する権利がないと小作人の土地が自分の所有となったのは理にかなっていたとなる

2024年10月23日

秋の暮に川の辺りで老人が昔を語る【AIの詩】


秋の暮に川の辺りで老人が昔を語る【AIの詩】

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川のせせらぎに耳を傾け、
昔話を語り合うひと時 
失われた時間を取り戻すように、
 心の奥に刻まれた記憶を紡ぐ。
故郷の風景と共にある、 変わらぬ川の流れ
その優しい音色が、 今も心に響き続ける
残る虫が懸命に鳴き 老人はここに生きたことを語る
思い出はこの地とともにあり、懐かしく振り返る
苦しみも悲しみもありただ今は昔となる
まもなく冬が来て山脈に冬の陽が輝き没する
樹々の列はそこに深く根ずき
みちのくの山は深い眠りに入る

何かAIで詩を作るのも不思議である。ただこれも半分くらいは付け加えて直した。真野川の土手にいつも85才の老女がいて私の家のことを又自分の家のことを語る。
そこに昔を語り通じ合うものがある。

心の奥に刻まれた記憶を紡ぐ

これはうまい表現ではないか、昔の記憶を互いにたどり通じ合う。そして意外と見逃されているのは記憶と場は結ばれているし記憶は場に記されている。
だから一つの石が木があるとしてそれはその場を通じてあり場を離れてはあり得ないのである。
だからその場を離れるとそうした記憶が失われることがある
だから原発事故で避難区域の人たちが移住したことに問題がある
でも便利な地域に移れたからいいのではないかもなるが何かそうしたものではなく精神的なものとして失うものがあった

だから老人は長年住んだ場所から離れがたいのである
共にそこに苦労があっても共に生きたということで連帯感が生まれていたからである。
とにかく何か語るにしても自然の中で語る時家の中で語るのとは違ったものになる。辺りの環境が自然が影響して違ったものとなる、そのとき自然と語り合う人間が一体化するともなる

これが大都会のビルの下とか騒音のなかで語っても活きないのである。何か記憶はその土地と一体となり記憶されている。だから辺鄙な村が消失してゆくときそうした記憶も失われるから問題なのである。人間はすべてえ便利さとか効率だけでは計れないものがあるからそうなる。

hearing to the murmuring of the river,
and tell each other stories of the past. 
As if to regain lost time,
We weave through the memories engraved in the depths of our hearts.
The unchanging flow of the river that accompanies the landscape of our hometown
Its gentle tone still echoes in our hearts.
The insects that remain chirp with their own strength, and the old man tells of how he lived here.
Memories are with this place, looking back with nostalgia
There has been pain and sorrow, but now is now past
Soon winter will come and the winter sun will shine down on the mountain range
Rows of trees are deeply rooted there
The mountains of Michinoku fall into a deep sleep

Translated with DeepL.com (free version)

Its gentle tone still echoes in our hearts

heartsと複数になっているのは二人で語り合うことによりそうなったのである。


残る虫【最後に老人はその人生を語り懸命に訴えて死ぬ】

残る虫【最後に老人はその人生を語り懸命に訴えて死ぬ】

残る虫しきりに鳴くや訴えぬ
残る虫めぐりて聞きぬ街あわれ
耳すまし我は聞くかな残る虫
墓いくつここに見出し残る虫

数匹の鳴き合いひびく残る虫小さき町の我は住むかな
我が街に昔を語る老女かな残れる虫を耳すまし聞く

季節の感覚は今は晩秋であるがまた秋深しとなるがそういうふうに感じないのは夏が猛暑で長引いたとかのためである
秋はすでのお盆過ぎると秋の気配が感じられたのである。
それが9月でも夏であり10月でも暑かったりしたから秋が短くなる。夏が長くなり秋が短く冬になる。

土手の道にいつも85才の老女がいる。その人は私の家で店をしていた時豆腐をおろしていたのである。だからそのことで母のことも知っていて昔を語る時通じ合うのである

人間は老人になると昔を語る、姉にしても戦争のことを従軍看護婦だったこともう必死になって死ぬ直前まで語っていた、語ることは訴えることである。短歌でも歌は訴えるから来ている
人間は特に老人になれば人生を語る、それは私はこうして生きたんだよということで何か生きて来た意義を認めてもらいたいからである。実際はまもなくこの世か消えてゆく死んでゆくからである。例え別に庶民でもその生きた人生が意味あるものとしたから訴えるのである。

残る虫というとき最後の時を懸命に訴えて鳴くのである。そして命は尽きて行くのである。はかないと言えばはかないのである。
ただ虫一匹でも何かを訴えて鳴き死んでゆくのである。

残る虫というときこのサイトで俳句を集めている、
これはわかりやすいし残る虫の感覚がわかる

2024年10月22日

AIが作った詩の謎−田舎の細道 【それを私が直して私自身の詩として作った例】

AIが作った詩の謎−田舎の細道

【それを私が直して私自身の詩として作った例】

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田舎の細道

静かな田舎の細道、
緑のカーテンに隠れて、
足を踏み入れる者少なく、
ただ風が語りかける場所。
木漏れ日が揺れるアーチの下、 
足跡を刻む一歩一歩、 
鳥のさえずり、虫の歌声、 
自然の交響曲に包まれて。
曲がりくねる道の先に、 
心の安らぎ、隠れた宝。 
人知れぬ場所にこそある、
 真の美しさが秘められてある

AIが詩をどうして作れるのか不思議である。詩を作ることは相当な高度なものと思っていたかである、とてもAIでできないと思っていた。だからこれは何なのかとなる
ただここで最後の一行だけ直した、真の美しさが広がっているとあったがー秘められてあると直した
その他は直すことがない、そもそも詩は普通作れないし鑑賞自体がむずかしいのである。だからどうしてAIが作れるのか謎である。

一本松と隠された墓地(AIが作った詩)

細道の奥にひっそりと、 一本の松がそびえ立つ。
風に揺れる緑の影、 長い歴史を物語る。
松の根元に隠れた墓地、 忘れ去られた石碑たち。 
苔むす姿に時の流れ、 語らぬままに眠り続ける。
静寂の中、松の囁き、 古の魂に語りかける。
道行く者に見守られ、 永遠に続く静寂の歌。

私が作り直した詩

細道の奥にひっそりと、 小松が根ずき立っていた
そこに小さな墓地があり 先祖は静かに眠っている
忘れ去られた石碑たち 私は目をとめる
苔むす姿に時の流れ、 語らぬままに眠り続けるが
秋あざみが咲き 草の花が咲き 残る虫が鳴く
静寂の中、松の囁き、 先祖にに語りかける。
何をかを語れ ここに生きたる物語を・・・・
秋の陽ははや山に没せんとす  代々の古い家ありぬ


こうしてAIの作った詩を直すと確かにAIよりいい物が作られる、AIが創作のヒントを与えるのである。だからAIとは何なのか謎になる。ただ必ずそこに人間が関わる余地はある
でも芸術までAIが深くかかわることの不思議である
ただAIとは何なのかまだわかっていない、それはあらゆる分野に影響してくる。ただこの詩では6割くらいは直しているから創作したのは私であり著作権は私にある
でも最初のものは一行しか直していないからどうなるのかそれもわからないのである。




2024年10月21日

秋の暮に南相馬市鹿島区塩崎を尋ねる 【岩屋堂に日吉神社の謂れ】


秋の暮に南相馬市鹿島区塩崎を尋ねる

【岩屋堂に日吉神社の謂れ】

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南無阿弥陀仏とあり越中(富山県)からなどの移民の墓


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ここを整備して休むのにいい、やはり草茫々になっているとまずい、花を植えるのがいい

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日吉神社

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ここに家があった



墓地ありて小松一本秋あざみ
20羽ほど山鳩群れて秋日和
岩屋堂古りしや木の根秋深む
蔵三つ農家代々秋の暮
休まむや木の根二つ秋の暮
秋深む日吉神社の古木かな
石4つ残して家なき秋の暮

ここに立つ松一本や知られざるも墓をたずねしも秋の暮かな

塩崎の細道を行く。一本の小松があり小さな墓地があった。そこに真宗の南無阿弥陀仏の墓がありここにも越中からなどの移民が入って来た。山間であり狭いところに田がある。ともかく相馬藩の特徴は天明の飢饉で欠け地が増えて移民が三分の一くらい入ってきたことである。それは墓を見れば南無であるからすぐわかるのである。ここでも奥の方に開拓するために入った

ただなぜ室町時代の岩屋堂があるのか?塩崎は船着とか市庭という地名があり平安時代からある。そこまで海が入り込んで港があったからである。それで津波で本当に船着当たりまで津波が押し寄せて海になったことには驚いた。つまり津波は千年前以上前の状態を再現したのである
岩屋堂の隣には寺があったみたいだけど跡地があるがなくなった
ただその御堂は閉ざされて何を祭ってあるのか見えなかった

そういう所でも蔵が三つある家があった。石の倉は多いがこれは明治時代から建てられたもので新しい、木の蔵は江戸時代からのものがある。
三つも倉があるということは栄えた家だともなる、でもこんな場所で栄えるのかとなる。

山鳩が20羽くらい見かけた。ここになぜ集まったのかわからない、今日は晴れて秋日和だけど朝は寒かった、秋の暮とか秋深しとかなるがその季節感は狂うとなる
もう冬になるからである。

日吉神社に寄ったがなぜあそこの高い場所に住んだかとなれば当時はまだ敵に攻めらるということで天然の要塞となる場所に住んだ。でも不便な場所になる。
その後は南朝の末裔の只野氏一族が鹿島の街のあるところに住んだ。平地に住んだ方が暮らしやすい、ここは只野一族が先祖となる場でもある。

山を下りて真野地区の通りを来ると4つの大きな石が残された空地があった。そこには家があり空地化した。とにかく街中で家が壊され空地がふえてゆく、私の家のまわりもそうなのである。
それでも石だけは残されかつて人が住んだ標しにもなる

真野地区の通りに家があったのだろう。大きな石が4つ残っていた

2024年10月20日

新プロジェクトX「革命の自転車 つなげ、感動のバトン 〜世界初 電動アシスト自転車ーその感想


新プロジェクトX「革命の自転車 つなげ、感動のバトン
 〜世界初 電動アシスト自転車ーその感想

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電動自転車の開発はヤマハで行われた、私は早い時期から近くにヤマハの販売店があり乗っていたのである。
電動自転車を作る苦労は自転車でありまた原付きのバイクの中間にある。だから自転車なのか原付なのか判断しにくかった
警察にも法律上認められないとかあった。でも自転車と認められたのである。

何かその開発に当たった技術者が母親が遠くの畑に行くのに難儀していた。それで楽にさせたいということで電動自転車なら楽になるとして開発したとかその動機もいいものだった
また坂を自転車で上ることに苦労していたからそれも電動自転車なら楽になるとして開発の動機になった。
働くという言葉が端を楽にするということからできたとするときまさにそうだったのである。

ただ最初はオモチャのようなものだとか酷評がありなかなか認められなかった。オモチャのようだというとき最初のパソコンでもそうだった。オモチャのようでありそれが世界中に普及するとは思わなかったのである
それが爆発的に普及したのである。電動自転車もそうである。
だから技術というのは何が当たるか最初の内はわからないのである。そしてどうしても売れないとなると開発でもやめることになる。優秀な技術者でも離脱して人がいたからである。

ヤマハの電動自転車で最初の内でも驚いたのはでこぼこの山道をぐいぐい上ることができたことである。馬力があることに驚いたのである。やはり自転車は坂で苦労するからである。
私は本当に自転車旅行でも坂では苦労して自転車を折りて引っ張り登ったからである。

ともかく電動自転車の利点はそれは原付バイクでもないまた自転車でもない、両方をかねそなえたものである、原付バイクだあったら足でこぐということもない、自転車のいい点は機械任せではなく自分の足で踏み自分の力で動かしているということで充実感が生まれる。体でも動かすから健康にいいのである。
今電動自転車でも自分の足を使わないでバイクのように走るものもできている。それだと何か自分の力が加わらないので自分で動かしている感覚がなくなるので満足感が得られないのである。

つまり何でもすべて機械任せになる時人間は満足しない、自分で動かしているという感覚があるといき満足感がある。
車になるとそうした感覚がなくなる、達成感がなくなる。
何かAIが発達して絵でも詩すら作れるのには驚いた、でもそこに自分で創造したという感覚が消失する。機械が何で代わりにするとなると人間は満足しない、それが大きな問題だと気ずいたのである。機械でもコンピューターでも補助役ならいいが人間はいらないとなればどうなるのか?人間の生きがいを奪ってしまうとなり問題になる。

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パナソニックのXEALTS5にはサスペンションがないのが弱点
悪路は走れないの注意


ともかく自転車人生でもあったから自転車には興味がある。
何か自転車の不思議は百台の種類の自転車があったとしてそれがみんな乗り心地が違うのである、それは人間が個性が違っているようにみんな違っている不思議である。
今回ヤマハのYPJーXCが故障したので買ったパナソニックのXEALTS5は乗り心地が全く違っていた。
YPJーXCは大型であり大きな馬に乗っている感覚だがXEALTS5は小型であり地ついて走る。これは長距離用だと思った、つまり長く乗っていても疲れにくい、そしてautoにすると百キロは行く、バッテリーも平地だとそれほど減らないからである。

そして小回りがきくのである。だから街乗りにもいい、馬だったら小型のモンゴル馬である、ypjーxcは今の大型の馬だとなる
ただ馬力はYPJーXCの方がある、なぜならhighよりもっと強力なxpanがあり坂を上るからである。これはマウンテンバイクとして作られたので馬力がある
このように自転車の不思議は乗り心地が百台種類の違ったものがあるとして乗り心地が違うことが不思議なのである
ということはそれぞれのいい点わるい点があるがそれぞれに楽しめるとなる

この番組ではすでに最初から開発したヤマハの技術者は老人になっている。そしてのその開発苦労を語る時共に満足する
つまり老人は過去に何か協働して成し遂げたということで連帯が生まれ満足するのである。それでそいうことがなければ老人は連帯感が生まれないし友にもなれないのである。
共に苦労して成し遂げたということがないと連帯感は生まれない
若ければこれから共に成し遂げようとすることがあるが老人にはそういうことができないからである。


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2024年10月19日

なぜ起きたカンボジアの虐殺ー中国の文化大革命も同じ】 【知識人が憎まれた理由ーAI化でかわる労働

なぜ起きたカンボジアの虐殺ー中国の文化大革命も同じ】
【知識人が憎まれた理由ーAI化でかわる労働

●毛沢東の文化革命、カンボジアの200百万虐殺の恐怖

960年代半ばでは、ポル・ポトは、カンボジアを強大なクメール王朝の「神話的な過去」に戻し、外国援助と西洋文化のような不健全な影響を根絶して、農村社会主義を復元するといった目標に沿って、マルクス・レーニン主義における自らの思想をカンボジアの状況に適合するように再構築した

クメール・ルージュ政権は頻繁に、専門家、知識人、仏教僧侶、少数民族だけでなく、カンボジアの旧政権や外国とつながっているという疑いで誰も彼も逮捕して処刑した。型にはまったように、眼鏡をかけたり複数の言語を話したりといった特徴で知識人と見なされれば、クメール・ルージュに反抗するおそれがあるとして処刑された[71]。、ビジネスリーダー、ジャーナリスト、学生、医師、法律家に加えて、それまでのカンボジアの軍、政治指導部の粛清につながった

医者や教師、公務員などの人たちは問答無用で知識人の対象として扱われましたが、そのほかにも以下のような理由だけで、連行の対象になったそうです。しかも家族ごと。

都会に住んでいる
メガネをかけている
自営業を営んでいる

毛沢東思想でも文化大革命でも同じようなことが起きた。今なら中国でも都市戸籍をもている人と農民は持てないので差別がある
農民中心のしゃかいだったらならなかったのである。

文化大革命とは、毛沢東と彼を支持する学生たちが起こした共産主義革命である。毛沢東の継続革命論に感化された知識層の学生らは紅衛兵と称して暴力的な革命を試みた。
毛沢東に扇動された紅衛兵は毛沢東の政敵である共産党の幹部、役人・教師、地主や親までも弾圧の対象となり、犠牲者20万人から50万人とされ、被害者は1億人に上ると言われている。なお、文化大革命の後、紅衛兵の学生らは、下放と称して辺境の農村部に強制移民させられた

また知識層を信用していなかった毛沢東は、下放と呼ばれる知識青年の再教育制度を行った。下放により、毛沢東を熱烈に支持した2000万人を超える青年たちが辺境の地に赴き、慣れない手つきで農作業に従事した。絶望的な貧困に直面し、毛沢東の死後、1000万人が、都会へ逃げ帰ったと言われている。

何故こういうことが起きたのか、その時代は農民中心社会であり額に汗して働いている人が多数だった時代である。
そこでは知識人とか

ビジネスリーダー、ジャーナリスト、学生、医師、法律家に加えて、それまでのカンボジアの軍、政治指導部の粛清につながった

こういう人達が粛清された。医者も入っていることに驚く、こういう人達は知識人でもあり楽しているとみなされた。つまり農民からみればそう見えるからである。だから国を支えているのは農民であり知識人は楽していると見られたのである。医者は別にそうでなくても特権階級にみられたのかもしれない、このことが何か特殊なことに見えるが今でも現場で働く人たちと事務とか設計しているとかの仕事に分かれる

設計している人達は冷房にきいた室内で仕事しているが建設現場で働く人は炎天下でもはたらくとか過酷だからである。
農民も外で働くから老人が畑で熱中症で死んだとかある、建設現場でも危険であり事故で死ぬのが多いのである
だからこういう対立は今でもある。

●現場労働者の苦労から知識人の排斥

大工さんというのも現場仕事であり高い所で仕事することがあり危険である。だからその人は私に向かって本を捨てろとか何とか知識人であることに憎悪していた。お前は本ばかり読んで文を書いたとしても楽だと見られたのである
別に古代から知識人が時に為政者に憎まれたことあがある。

始皇34年(紀元前213年)、博士淳于越(中国語版)は郡県制に反対し、いにしえの封建制を主張した。丞相の李斯は、儒者たちがいにしえによって体制を批判していると指摘し、この弾圧を建議した。始皇帝はこの建議を容れて、医薬・卜筮・農事以外の書物の所有を禁じた「挟書律」を制定した。

ここでは医薬はのぞかれている。農業させるために下放されたというのも毛沢東思想であり今の習近平首相もそうなのである。
トルストイでも手を見てその人を判断した、農民として仕事している人の手とそうでない事務仕事と化している人の手は違っているとして判断した。

トルストイによれば、ロシアは農民の国からわざわざプロレタリアの国に変わる必要はないこと。彼が最も道徳的で正しいと考えたのは、どの国においても農民の生活だった

ロシアと中国も農民が多数であり当然そうなった。マルクス主義はその農民社会に適合したのである。その後の工業社会ではない、土地を基盤とした農業社会に適合して革命になった
毛沢東革命も農民社会があり農民を基盤にしていた社会だから起きたのである。

丘や聞きく、国くにを有たもち家いえを有たもつ者ものは、寡すくなきを患うれえずして均ひとしからざるを患うれう。貧まずしきを患うれえずして安やすからざるを患うれう、と

均ひとしければ貧まずしきこと無なし

こういう思想はもともとあった。ただ共産主義国家は等しく貧しくなり豊かになれなかったのである。金融資本主義になったとき反発される、ただ数字をそうさして莫大な富が一部の人にはいるからだる。

●労働の機械化ロボット化AI化で起きること

いずれにしろ危険な重労働から人間は解放されるのか、労働というカルマから解放されるのか、それがAIとかで返って知能労働者が不用になってくるというのも何なのだろうとなる。
むしろ肉体労働であれエッセンシャルワーカーは代わりになれない、それでも自動運転とかロボットが改良されれば現場の仕事も肩代わりする。すると別に現場で働く人も知識階級とかを楽なものとして恨むことがなくなる。
実際なぜニートとかこれほど多いのか、それは社会に余裕があり家族でも養っているからである。
私自身にしても家事を全部してプログでも書けるのは全部機械化しているからである。
なぜなら戦前であれ戦後十年くらいは電器製品がないから家事だけでも重労働になる。それで私の母が東京で女中していたように女中を裕福でなくても雇っていたのである

だから機械化ロボット化AI化で人間は嫌な労働から解放される
その時知識人でも現場で働く人から責められることもなくなる
ただ労働自体はなくならない、人間にとって負荷が大きい肉体労働はなくなる。それが理想となる。そうなれば知識人でも現場で働く人から責められないからである。
そして人間は何をするのか遊戯をする人間になるかもしれない、
遊ぶという価値が増大する、何かAIとかでもそれはコンピューターが成すのであり人間は何もしないとなる。
つまり人間の出番がなくなる。それも不思議な世界である。

絵や詩までAIが作るとしたら人間の価値は何なのかとなる
ただその時現場で働く人も機械化ロボット化するときブルーカラーの人の知識人とか事務員とかトルストイとか毛沢東の思想のようなものは消失する。
ただSF的なものとなるがそこにもやはり矛盾が生まれ人間の問題は解決しないのである。仕事がなくなれば金だけではない生きがいとして仕事を与えてくれともなるからである。

●人間は金でなく仕事そのものをしたい人がするのが理想

そもそも金にならなくても人間は生きがいを求めるから仕事は必要なのである。それは強制されたものではなく自主的に仕事するものとなる。・
そもそもに天職についている人などどれくらいいるのだろうか。金のために働いているのはほとんどではないか、せいぜい1割がいればいい方だろう。もしその人の天職があれば金を払っても仕事する
ソローが森の生活をしたのは金のために働くことしたくなかったからである。
だからこそ機械がロボットが代わりに仕事すればいいとなる。

自分自身も流れ作業とか建設現場の危険な仕事しかなかった。
大学を出ても旅と学問とか芸術とか追求して終わるとなる。そこで金をもらったことはないのである。あとは教師のまねごとをしたがそれも失敗だった。
つまり人間は本当に天職についている人がどれだけいるのかとなる。医者でも親が医者になるとかでなるとかその人の適性を考慮しないからである。
ただ正直何が適正なのかわかりにくいのである。

ソローが言ったようにほとんどが強制されて金のために仕事している。すべての仕事の成果は金で計られるのである。
あなたは立派な仕事しましたとかその価値を認める人はなかなかない。リホームした大工さんは立派な仕事したから認めている
その人の天職だったのかとなる。実際は天職についている人がどれくらいいるのか、これだけ仕事が多様化したとき個々の仕事が見えないのである。

だから現代では仕事についている人はかえって部品のように見える。人間が巨大な複雑な社会の一部品となり卑小化されるのである。その部門でいくら優秀でも巨大な社会の一部品になっているからである。
それでニーチェのような超人志向になったりヘンリーミラーとか上野霄里(しょうり)氏の原生人間とか何か全人間をトータルに生きるエネルギーに満ちた天才だとなる

何か人間でも無数の細胞がありその一つの細胞を見ているだけだとなる。何か共産党では党員は細胞というときもそうである。
創価とかカルト教団でもそこはただ一票とみられるだけであり後は何もない、一人など一票でしかないのである。無数の大衆を相手にして大衆を操作するためにある、ファシズムになるのが現代なのである。

●機械がAIが主役で人間が補助役になる

ともかくAIというものでも絵画を詩すら作るのに驚く、でも何か自分で創造した感じがない、だから達成感みたいなものが生まれないのである。コンピューターの価値は高くなるけど人間の価値は低下してくるのである。
それで奇妙なのは田植えでも機械で今しているがそれでも端のほうが全体でできないところがありそれは手で植えている。
中国でも膨大な麦を刈り取るがそれでも地形的にコンバインでできないところを前々から出稼ぎに来ていた人がコンバインでできないところを刈り取っているのである。

だからいくら機械化されても人間のすることはある。それでも何か機械の補助役となり主役でなくなる
それはAIの知的仕事でもそうなりつつある。人間は補助役であり主役はコンピューターになる。だからどうしても何か自分で工夫して自分の才能で作ったという感覚がもてないのである。

コンピューターが人間の頭脳化するときどうなるのか、
これはSF的なものとなる。人間はいらないとまでなる。多くの人は特に知的な事務員とか医療関係でも人がいらなくなる。
まずyoutubeはインターネットは学びの場である。それはインターネットはもともとパソコン通信から始まったから対話的なのである、マスコミはマスを大衆を相手にするがインターネットは個々人を相手にして対話的なのである。
だからヤホーニュースの解説でも私自身が答えることができる、他のyoutubeでも答えることができるメデアなのである。
マスコミはそれができないのである。ただ大衆洗脳装置となっていたのである。




posted by 天華 at 16:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2024年10月18日

天上への花の階段【Floral Stairway to Heaven】

天上への花の階段【Floral Stairway to Heaven】

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風の精【fairy of the Wind】

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秋の夕べ、金色の野に 風の精は踊り出す。 
その姿は見えずとも、 葉を揺らし、草を撫でる。

囁き声は、古の物語、 遥か遠い山々の声を運び、
 静寂の中に響く旋律、 風の精の歌声が紡ぐ。
高き空を舞い、低く大地を滑り、 無形のままに、自由を謳う。 
人々の夢を運び、希望の種を撒く、 風の精は永遠に舞う。
【 Microsoft Edge hatGPT】

Spirit of the Wind

On an autumn evening, the spirit of the wind dances in the golden fields.
Even though they cannot be seen, they shake the leaves and caress the grass.
Whispering voices carry ancient tales, the voices of distant mountains,
Melodies echo in the silence, spun by the singing voice of the wind spirit.
Soaring high in the sky, sliding low over the earth, they sing of freedom as it is intangible. 
Carrying people's dreams, scattering seeds of hope, the fairy  of the wind dances forever.

Translated with DeepL.com (free version)



老人になると人生の総決算として問われる価値 【二人の間でも家族内での価値があり多様な価値】


老人になると人生の総決算として問われる価値
【二人の間でも家族内での価値があり多様な価値】

●身分で決められた価値【江戸時代など】

老人になると何か一番価値が問われる、常に子供の時からでも価値が問われるとしても若い時は将来が未来がある者としてあり価値は今に無く未来にあるからそれほど問われない、確かに勉強ができるとか頭いいとかまたスポーツで肉体的に優れているとかある。だから若くても常に人間の価値判断はある

でも若ければそれほど問われない、ただ老人になると何か厳しく価値が問われる。
この老人は何の価値があるのかとみる。ただ馬齢を重ねただけなのか何をしてきた人なのか問われる。
ただ人間の場合は余りにも価値が多様なのである。何が価値あるかも定かではない、ただ江戸時代なら身分で価値が生まれた時から決められれてしまう、どんな家に生まれるかで価値が決められているからである、侍の家に生まれればそれだけで価値があるとなる。この辺で野馬追いあるのでそれが昔を偲ぶだけの祭りと見えても実際は身分制社会の再現でありそれが現実社会に適応されるのである。

この辺で只野という姓が多い、南朝の末裔であり霊山が炎上して落ち延びてきた侍の子孫だとなる。だからその只野氏というだけで何かその価値を誇りにして上下関係を強制するとまでなる
現実野馬追では相馬氏の子孫が依然として殿様でありその殿様を中心にして野馬追がある。依然として殿様が活きている場なのである。でも他の祭りは京都辺りでの時代祭りとかではそれはただの昔を再現するパレードでありそこに身分制などない、なぜならその祭りに出る人は貴族の子孫でもなくただ庶民から選ばられた人だからである。
でも野馬追は侍の子孫でなければ出れないのである。だから現実に江戸時代の身分制社会の再現なのである。そこが他の祭りとは違っている。

●身分社会から能力主義社会へ

人間は常にこうして上下関係をつくるものである。侍でも明治維新を成し遂げたのは下級武士であり身分の低い侍だった
天は人の上に人は作らず人の下に作らずという福沢諭吉でもそうである。明治になった時そうした身分制社会は終った。
だから初代の総理大臣になった伊藤博文は足軽でありそれも実際は足軽の家に養子になったのかそんなものでしかなかった。でも総理大臣になったのである。このことが身分で価値を決めていた時代の終わりを知らしめたのである。

では何が価値あるものなのか?それは身分では決まらない、能力で決まる社会である。学力に秀でれば学校でも価値あるとなる
能力主義になったのが明治以降である。医者になる弁護士になるその他社会の重要な地位につくには学問が必要となり学問のすすめが福沢諭吉により書かれてベストセラーとなったのである。
それは現代でもそうであり学歴社会が依然として通用するとなればその継続だとなる。でも大学でも半分が大学に行く時代に大学が粗製乱造された。戦後の団塊の世代でも大学に行ったのは50人学級で5人くらいであり少なかった

でも大学は私立文系とかならばマスプロ大学となり千人とかを講堂につめこむとか何かそこはレジャーランドとか公園だったかなっていたのである。要するにそこはエリート養成の場でもない
戦前の旧制高校とかとはまるで違った大衆化したものでありそれで学生運動が起きたのである。戦前は大学は選ばれた者のものでありその人たちは大学を出れば重要な地位に着いたのである。
戦後の大学は別のそうしたエリート養成の場ではなくなった
ただ大衆化した大学であれ増えた生徒を詰め込む場所に過ぎなかったのである。だからゼミでも教授であれニ三回しか会っていないのである。それは三流大学の文系だからそうなっていたかもしれないが戦前の大学との相違が大きかったのである
つまり大学に入る価値が文系なら相当に低落したのである。

●技術の優劣で決まる価値

だから何か大工さんが他の大工さんと違っていて庭作りもできる
壁塗りもできる塗装もできるとかなるとその人は相当に価値あるとなる。その人の人格は関係なく技術的には優れているとなる
技術的に優れているというときそれは江戸時代の個々の職人にもありやはり医者でも物つくりでも技術が関係する、その技術で優劣が決められる、それが今や戦争でも技術の争いである。

それは昔からあったにしろ例えば中国の夜郎自大国が漢に負けたのは銅と鉄で鉄の武器を持った漢に負けたのである。技術の優劣で勝敗が決まったのである。それは信長軍と武田軍の戦いで鉄砲を主体とした信長軍が武田軍の騎馬軍団に買ったのと似ている
グローバル世界になると常に技術の優劣でその国の価値は決まる。戦争でも今や遠隔操作のドローンとかロボットが戦いその技術力で勝敗が決まるとなる。日本が最後に戦争に負けたのもアメリカに作った原子爆弾を落とされたからである。
現代は科学技術でその優劣が決まってくるのである

●誰か一人でも価値を認めても価値ある人となる

ただ一般的に価値といってもその価値があまりにも多様なのである。最近私の家で店をしていた時豆腐を下ろしに来た人と川の土手の散歩道で語る。その人は私の家の事情を知っていて母親のことを語るとき何か親しみを覚えてその人に価値見いだしたのである。その人自体は豆腐を造っていたということで誇りを見出していないことがある。でも私は母のことを語ってくれるのでその人に親しみを覚える価値を見いいだしたのである。

その人に何が価値があるかというとき別に何でもないその人が特別な技術を持っていなくても価値を見出すことはある。
だから価値はあまりにも多様だから一概には言えないのである。
このように見い出せられない価値は結構ある
例えばこのように私と2人だけでもそこに2人だけの価値が生まれたということもある、何が価値があるかというとこうして 2人だけの間でも互いに価値を認め合うことがある。それは家族内だけの価値もありそれは外から見てわからないのである。

何か価値があるというときそれがなかなか見出されないことがある。そのことが本人にとっては価値がないと思ってもつまらないと思ってほかの人にとっては価値あるものとなる場合がある
だから常に価値は変わり価値は新たに見出されてゆくのだから何か価値がない人間というのもいないのかもしれない。
価値というものもまた常に変わり新しくつくられてゆく。新美南吉のおじいさんのランプというのもランプから電気に変わったときランプは必要になり壊された。つまり価値のないものとなってしまったのである。そういうことは科学技術の分野では常に起きてきたのである。

ともかくあらゆる人は価値を認めてもらいたい無意味な無価値な人間とされたくないのでそれを障害者すら価値を認めてもらいたいとなっているからである.障害者でも何の価値もないとされたくないのである。そしてその価値判断で障害者とかは負担をかけるだけであり抹殺するべきだとなるのが怖いのである
若い人は老人は集団自殺しろというのもそうである
優生思想はそうである。民族差別もまたそうである。白人に価値があって黒人は価値がないという差別もそうである。
でも黒人でも優秀な人がいるから肌の色だけで優劣が決められるというものでもない。

ただ老人が無益なもの無用なものだという時すべてがそうではない、個々人の価値はこのように多様であり違っているからである
とにかく老人はどうしても最後の人生の総決算として価値が問われるのである。


2024年10月17日

中国の理解はやはり地理から見る 【南朝―北朝の時代【洛陽】―百済の武寧王陵】


中国の理解はやはり地理から見る

【南朝―北朝の時代【洛陽】―百済の武寧王陵】

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中国六朝・唐・宗の文化【世界文化史第7講】


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洛陽の白馬寺からこの光景が見えた、北朝は遊牧民の地帯でもある


●まず地理から空間軸から理解する

中国を理解するとなると巨大だからどうして理解するのかとなる
まず地歴とあるが地理は空間軸であり歴は時間軸で見る。
そこで難しいのは時間軸で見ることである。だからどうしても空間軸で地理から見るのがわかりやすいのである。

中国に使者を送ることが難しくなってしまいます。 しかし、魏が公孫氏と戦い、楽浪郡や帯方郡を支配下に置くと、卑弥呼はすぐさまそこに使者を送り込みます。 当時、最も勢いがあったとされる魏と交流を図ろうとしたわけです

邪馬台国の時代になぜ卑弥呼が知られていたのかまた魏と交流があったのかとなる。それを地理でみるとわかりやすい、魏と朝鮮半島は隣接して朝鮮半島を通じて日本に来れた。それで魏志倭人伝が残された。
つまり日本が最初に正式に外交を結んだのは魏なのである。それは地理から見ればわかりやすいのである

もう一つなぜ中国最初の王朝が統一国家が長安を首都とした北に生まれたのか、それも地理を見ればわかる。中国より先進国は西にあり西から先進国の文化が入って来たからである。
仏教もインドから長安に入って来て唐の時代に文化が興隆した。
つまり世界との交流は長安が窓口となり先進文化が入って来た
また遊牧民族と接する接点にあり兵馬桶のような騎馬軍団が形成された、

実在の将兵をモデルとしてつくったと考えられ、民族による身体的特徴まで再現されている。顔立ちは鼻が高くて唇が厚い「西方顔」と、鼻が小さくて顎が細い「東方顔」の2系統を中心として、北方の遊牧民像であり、秦と戦った「匈奴(きょうど)」の姿もあった。秦が各国・各民族の出身者を混在させた統一王朝であったことをうかがわせる

鼻が高く、目が長く、胸が突き出している
と言う容貌から連想されるのは、中国人というより中央アジア人か白人種のようです。
ここからは、始皇帝が当時の秦人と違った容姿を持っていたという

秦には古くから、中央アジア、地中海、インド方面から多種多様な人種が流入してきた事を意味しています

唐の時代の興隆はこうして西からでもインドからでも先進文化が入って来たことである。それは人だけではないそれと同時に文化や技術や思想でも宗教でも入って来た。だからこそ長安が唐の首都となり栄えたのである。



439年、北魏が、中国北部を統一します。

この北魏の華北統一により、北朝が始まります。

北朝の歴史A北魏の分裂
524年、六鎮の乱が起こります。
これにより、北魏が分裂し、東魏と西魏が成立します。
550年、東魏は、北斉となります。
557年、西魏は、北周となります。


420年、宋が成立します。
宋は、中国南部を統治している王朝でした。
この宋の成立により、南朝が始まります。
南朝の歴史A宋→斉→梁→陳
南朝では、王朝が頻繁に変わりました。
479年、宋の皇帝は、蕭道成に権力を受け渡し、斉が成立します。(宋の消滅)
502年、斉が内部反乱で滅亡し、梁が成立します。
577年、梁は、侯景の乱によって滅亡し、陳が成立します。
南朝の歴史B南朝の終わり
589年、隋の攻撃により、陳は滅亡します。
これによって隋は、中国を統一しました。
こうして南朝の時代は終わりました。

●武寧王陵は日本と関係

古墳は王妃を合葬した磚室墳で、棺材が日本にしか自生しないコウヤマキ(高野槙)と判明したことも大きな話題となった。このほか、金環の耳飾り、金箔を施した枕・足乗せ、冠飾などの金細工製品、中国南朝から舶載した銅鏡、陶磁器など約3000点近い華麗な遺物が出土した

武寧王の出生の話として雄略天皇紀5年(461年)条に、百済の加須利君(蓋鹵王)が弟の昆支王を倭国に貢る際、自身のすでに妊娠した婦を与えて、途中で子が生まれれば送り返せと命じた。一行が筑紫の各羅嶋(かからのしま・加唐島)まで来たところ、一児が生まれたので嶋君と名付けて百済に送り返した。これが武寧王であるとしている

 雄略天皇の記録の中に、百済の蓋鹵王(21代王)の御代、彼の弟である軍君(こにきし)に告げて、日本に行って天皇に仕えよと命ずる。そのとき弟は王にあなたの夫人を一緒に連れて行くように願った。王はその夫人が臨月であることを承知で、弟の願いを聞き入れた。その代わり、途中で出産したら夫人と子供は返すようにということであった。

その夫人は日本に行く途中に筑紫の加唐島で出産。その子を「嶋君(せまきし)」と名付けたという。また、「百済新撰」にはこの弟の名を昆支(こんき)君となっている。

1971年に発見された、武寧王陵から発見された碑文には「斯摩」となっていることと(日本書紀では嶋君と記録)、出生の年代も一致することから、記録が事実ではないかという見方が強い。

つまり、武寧王は日本で出生したということとなる。

武寧王陵の煉瓦で作られた王陵で発掘された
「寧東大将軍百済斯麻王、年六十二歳、 癸卯年(523年)五月丙戌朔七日壬辰崩到」
と記され、王の生没年が判明する貴重な史料となっている。古墳は王妃を合葬した磚室墳で、棺材が日本にしか自生しないコウヤマキ(高野槙)と判明したことも大きな話題となった。この他、金環の耳飾り、金箔を施した枕・足乗せ、冠飾などの金細工製品、中国南朝から舶載した銅鏡、陶磁器など約3000点近い華麗な遺物が出土した

これは南朝から入ったものである。

武寧王陵

福島県の地理(会津)から韓半島の地理
 (地理は現実にその場に立たない限り実感できない)

春武寧王陵

日本征人来
武寧王陵立
別名斯摩王
大河岸春草
黄金王冠映
銀匙使優雅
煉瓦精緻組
中国南朝産
百済栄交流

●南朝と北朝の時代

中国は北朝南朝があり何長は後に宋となる、つまり中国は地理的に南と北がありまた西と東がある。基本的には南と北なのである
でも最初の中国の統一国家を作ったのは始皇帝であり東西の接点にあった。また日本でも西と東があり西から先進文化が入って来て栄えたのは西なのである。その原因は西から韓国経由で文化が入って来たからである。ある地域が栄えることは外来の文化が入ることが条件になる。
ともかく中国でも大雑把に地理から理解するとわかりやすいのである。時系列になるとわかりにくくなるのが歴史である
だからまず地理から世界を見る。それで外国を50才から旅したことで地理の実感を得たので良かったのである
ただ正直中国は広大であり地理自体を理解することが至難である。そこからどうしても誤解が生まれてくる。


洛陽の白馬寺とか雲崗石窟は有名である。

北朝南朝ー洛陽

岩窟に頑なに己を持する
堅忍の仏の像
ここに座して千年は過ぎむ
大河の岸辺に洛陽の都そ古りぬ
白馬寺や彼方を見れば
鉄路に羊の群れの移動
騎馬民族の勇壮なる
遊牧民の北朝の中国
北朝と南朝に分かれる
北朝は質実剛健や
南朝は豊な詩文華の地
農耕の民にして土に根ざす
隠者を養う山水画の伝統
死して巌根にあらば骨も也た清からん


日本は明治以降ひたすら欧米に習った。そして中国は遅れた国として蔑んだ。だから中国のことが分からなくなった。隣国でも同じ漢字を使っていてもわからなくなった。

文化的交流も過去のものであり減退した、ただ不思議なのは江戸時代でも儒学があり中国は活きていた。そして漢詩を知識人が侍が作っていたことはやはり中国文化を習っていたのである
そして明治になった時漢詩が一番興隆したといのもヨーロッパ文明が押し寄せても和魂洋才があり中国文化でも活きていたのである。それでもヨーロッパ文明を受け入れるのに漢字で訳したのが日本である。その日本人が訳した漢字を今中国人が使っている。その数も多いのである。
ただ正直中国でもでも何なのかそもそも東洋とは何なのかとなるとわからなくなったのである。








2024年10月16日

なぜ中国の雲南省の人とか前の社会主義のシリアが素朴だと言うのか 【ヨーロッパ文明が入る前の日本人と似ている―情を失った日本人】


なぜ中国の雲南省の人とか前の社会主義のシリアが素朴だと言うのか
【ヨーロッパ文明が入る前の日本人と似ている―情を失った日本人】

【年金いくら?】73歳「生活保護より貧困-世界放浪した話

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●中国の雲南省とかシリアとかラオスの人たちは素朴

むしろ豊かであることを捨てて平等であることを取ろうとするのである。これが古代からの中国の風格であった。そろばんで固まったようなニクソン大統領さえも1週間の間に時々瞑想にふけった。そして妙に東洋的な風ぼうを備えつ去っていった
文明の反逆―藤堂明保

この人は何なのだろうと理解できなかった、何か大学の教授していたとかあり何なのか、中国が長くそこで生活していた。
特に雲南省で生活していた。何でもバス停で寝ていたりしたが警官がきてもとがめられなかったとか親切だったというのも不思議である。住人も親切だったという、まず外国慣れしていない自分など外国で宿もとらずに野宿することが考えられない、怖くて眠ることもできないだろう。ただその人は世界を放浪した人であり慣れている
そして社会主義の人は素朴であり親切だというのは本当だろう

私がトルコの安宿にいたとき50位の人がシリアに行った、そしたら素朴でいい人達だったしきりに言っていた。
雲南省でバス停で寝た人もそのことを言っていた。またラオスに行った人も素朴だと言っていた。
社会主義とか共産主義が悪いとばかり刷り込まれているが現実はそうでもない。そういう社会では資本主義民主主義国家より人間は素朴であるというのは何かそれは明治前の江戸時代の人を見たヨーロッパ人で同じことを言っていた、人間が素朴でありだからヨーロッパ文明を日本に入れることはいいことなのかと疑問を呈していた。

●なぜ内村鑑三はアメリカを嫌ったのか?

社会主義共産主義がどうのこうのと言う前にそもそも人間が素朴だというのは何か熾烈な資本主義であれ競争社会とかになっていないからだともなる
不思議なのは貧乏な人が戦後まもなくは貧乏で何もなく醤油とかで分け合ったりもらうことができたとかいう、隣近所ででも助け合ったとか言っていてなつかしがっている。今は全くそういうことがなくなたからその時代がなつかしとなる。余りにも全てが金になってしまったからである。

そして戦後アメリカに占領されてアメリカにまねた結果日本人はアメリカ人の悪いことでも真似してアメリカ人人になってしまった。
アメリカはすべて金で計るという社会になったのである。
それは内村鑑三がアメリカに明治時代に留学して肌で感じたことで嫌悪してアメリカに習うなとアメリカ嫌いになったのである。
それはまだ日本は江戸時代の続きであり日本人はすべて金ではない素朴さが残っていたためである、だからここに共通したものがある
文明とは必ずしもいいもものではない。人の心を歪めるものでもある。それでインデアンは正直な人達だったがヨーロッパ人が来て簡単に騙されて土地を奪われたとかある。契約したとしてもそれは法律で騙すものだったということもある。

●文明化で失われた素朴さ正直さはなぜ

今日の社会状況は明らかに人と人を結ぶ場が希薄となっている。もともと日本の社会は情を軸として成立していた。例えば企業の終身雇用というものも会社への強い帰属感に基づいている。情は人を縛るものであり相手の意を組むことでありこの意を抑えるものであり同時に大きな安心感をもたらすものである。すでに日本社会から集団互助的な側面は失われつつあるそれは情の社会の終焉を意味する

平和にして衣食住の足りた今日の日本は戦後の焼け跡からスタートした。半世紀前のその頃日本人の誰もが貧しくことごとく巷に犯罪が横行し争いが絶えなかった。
しかしその頃よく回想する者はこういう。人々は今よりものびのびと自由な気構えを有し未来に絶望することなく困難に際し辛抱強くしかも人々の集まるところに妙に華やいだ分があったと戦後50年日本人は大いなるものを失ったのかもしれない
素朴に生きる人が残る遠山高史

何か素朴とちょか正直とかはなくなった。その女性は馬鹿正直でありまず嘘はつかない、また情に厚いのである、でも別に大正生まれでも戦後は人間が変わり金だけで計る人間になった。だから大正生まれだかろといってそんな人は絶滅危惧種になった。そんな馬鹿正直な人はいない、でももしかしたら江戸時代ではそういう人が結構いたのかもしれない、何か時代劇だと残酷なことばかりでありとても素朴な人達がいたということが実感できないのである。

だから文明化することは必ずしもいいことばかりではない、人間本来持っている素朴さが失われたのである。
それはもともと都市の人間と田舎の人間を比較してそいうことが言われたのも似ている、でも今は全く田舎でも都会人と変わりないのである。田舎が素朴など全くないのである。そいうのはただノスタルジックに見ている時代錯誤なのである
戦後は子供時代であったが何かまだ情がある社会でありわずかな物でも醤油ですら分け合う時代だった。それだけ物がなかったからである。でも不思議なのは活気があったというとき子供がわんさといたからかもしれない。近くに神社ではいつも子供が集まり遊んでいたが今は一人も遊んでいない、子供すら見かけないとなる。
老人だけが増えて沈滞した雰囲気になっている・
そして隣の人が何をしているかもわからない、その頃人々身近で仕事していたからその仕事のことを分かっていたのである。

情が喪失して索漠となった社会

ともかく情が喪失したというときそれは世界的なものであり特にグローバル化して遠くが近くなり近くが遠くなる。身の回りのもので生活している時はやはりそこに人間の情が生まれるがグローバル化した経済となると相手のことなど思いやることなどなく冷徹な利益追求だけとなる。でも国の関係でもこじれるとたちまち日本のの放射能汚染された魚介類は中国で輸入しないとなる
いずれにしろ情を育くむとなるとやはり狭い範囲でないとできないのである。

何かロシア人は素朴さが正直さが残っているというときまだ文明化されないところがあり素朴だからかもしれない、むしろ文明化した欧米人の方が騙すとか計略するとかある。法律でも人をだますためにあるともなる。だから文明とは何なのかとなる。また社会主義共産主義がすべて悪い物ともならない、いいものでもないにしてもすべて人間に悪く作用するとはならない、むしろ資本主義は苛烈な競争社会であり弱肉強食であり残酷な社会だともなる。
ともかく欧米にすべて習うことはいいとはならなかった。それは内村鑑三などがアメリカを嫌悪したのは江戸時代の続きとして明治があったからそうなったのである。そこにはやはり素朴な日本人がいたとなるのである。

また二宮尊徳の教えが普及したのは日本人の8割が農民であり農民であれば当然自然と一体化するからその自然とアイデンティティ化したモラルが形成しやすいし理解されたということである
今田舎でも農民は一割にも満たない、ほとんどは会社員なのである。だから都会であれ田舎の差がなくなっている。それでも高層ビルを見上げて群衆化した世界で違っている。田舎と都会の差はある。でも情が喪失したというとき田舎でも同じなのである

モラルなき団塊の世代以降は弱肉強食の価値観しかない 
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2024年10月15日

私の知った人に起きた不運なこと 【でも人間に事故病気は誰にでもなる-カルト宗教団体に付け込まれるので注意】


私の知った人に起きた不運なこと
【でも人間に事故病気は誰にでもなる-カルト宗教団体に付け込まれるので注意】

●脳梗塞になりわずかでも歩くのが難儀になった73才の女性
●その52才の息子が4回のビルの住居で足の骨折
 その後交通事故でも怪我
●リホームしてくれた70才の大工さんが病気で仙台市の病院に入院
●ヤクルト配達の50才の女性が骨折ー配達できない

これに付け加えると近くの85才の人が糖尿病で最近死亡したがこれは歳であり寿命だとなるから不運とはならない。 
近くの脳梗塞になった女性はだんだん悪くなりわずかの距離も歩くこともできない、杖をついて歩く。他にも目が悪いとかで関節わるいとか介護度2になっている
息子が車に乗せて来る。その息子が住んでるビルの階段で骨折した。それで数か月仕事にも行けなかった。
その後交通事故になった。

70才の大工さんでもなぜ急に病気ななったのかわからない、一小高から原町に移住して一人で住んでいた。
でも病気になり息子が原発事故以後仙台市に移住したので仙台市の病院に入院した。そこで不運というか妻と離婚して原町で一人暮らしになった。でも病気になったので介護する人もいない、それで息子のいる仙台市の病院に入院した。妻はもともと息子の所で暮らしていた。でも離婚しているからどうなるのかとなる

そしてヤクルトを配達している女性が足を骨折して歩けない
11時までには来るのだが11時半になっても来なかったそして別な人が来た。
その人は50歳くらいで元気溌剌であり若く見えた
でも脚を骨折したというのも何なのだろうと思った

これは何かおかしいと思った。ただ60以降病気になりやすい
私は自らも病気になり親の介護で四苦八苦しているとき入院を二回した。兄弟もなく一人だから苦しかった。その時家に来たのは事業に失敗して借金しているとか後は本当に泥棒だった
入院していると時運悪く金を置いていて入院したとき盗まれた
そして親は二人とも死んだ。何か間違いなく悪いことには悪いことが重なるのである

ただなぜ周りでこんなに悪いこと災難が起きるのは何なのだろうとなる。そいうときカルト宗教の人が勧誘に来たりすると入会しやすいのである。近くの人はそうでありでも40くらいの息子が創価に入りまもなく病気で死んだ。そして後を追うように母親も死んだのである。
だから創価であれカルト宗教団体に入ってもこうした災難は人間に必ずあり逃れることができない。かえってそういう場所にはもともと何か悪いことが起きて苦しんでいる人が統計的にでも多いから当然悪いことが他の人達より起きている確率が大きいのである

ただなぜこんなに私の周りで不運なことが起きているのか?
そもそも津波とか原発事故は最大の災難であり不運だったのである。だから小高の大工さんでも多額の補償金をもらっても不運が苦しみが続いたのかちなる
でも正直何故ヤクルトの女性が骨折したというのには驚いた
何の因果なのか計りかねる。なぜこんなに自分自身でも災難が続きまた周りでも災難に見舞われる。
ただこうした災難の苦しみはカルマが関係している。確かに原発は地域を一時的には豊かにしたが事故になり御破算になった。
それもカルマだった。大工さんにしろ熟年離婚したのはその人自身に問題がありカルマとなったのである。

いずれにしろカルマの清算が60以降に強いられる。苦しみとなて現象化する。病気でもそうであり何らかその人の遺伝的なものがありカルマとなり苦しむのである
なぜ今年の暑さで私の体が不調になったのもそうである。何か蓄膿症で息がしずらく舌が乾くとか直っていない、それは遺伝的なものがありそれがカルマとなり苦しむとなる

それにしても悪いことが起こりすぎるとなる。それが何なのかわからない、そいうときカルト宗教団体に付け込まれるから要注意である。




posted by 天華 at 09:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2024年10月14日

認知症と似た症状は老人一般でも起きる―介護でも恨まれるのが怖い 【老人を一様には見れない―老人になっても人間は急に変わらない】


認知症と似た症状は老人一般でも起きる―介護でも恨まれるのが怖い

【老人を一様には見れない―老人になっても人間は急に変わらない】

初期の認知症の人とかはとくに昨日買ったものをまた買ってしまうことってよくあるんですが、冷蔵庫を開けたときの映像をカメラで録画しておけば、スーパーで買わないよう教えてくれることも可能なわけです。

「年寄りへの差別をいい加減やめた方がいい」作家・朝倉かすみと精神科医・和田秀樹が語る超高齢社会の生き抜き方

●認知症の介護のむずかしさ

私の姉は認知症になり買い物でも家にある冷蔵庫にあるものを買ってきていた。それが認知症の為だ思ったが自分で家事をしていて別に必ず冷蔵庫にある物を買ってきていたのである
だからこれは別に認知症でなくてもなる。また人の名前が忘れやすい、これも認知症でなくても私も近くの人と長く接していなかったら忘れたのである。
例えば実の息子や娘でも遠くに暮らしていると接しないと名前も忘れる、それは認知症でなくても起こり得る。

去る者は日々に疎しというときどうしても身近に接しない者は忘れやすいのである、とおもかく人間は忘れやすい、膨大なプログを私は書いてきたがそれも忘れている。そして読み直して感心しているのも不思議なのである。

だから認知症になり起きることは老人には起きる。ただ認知症は極端な現象となって驚く、まさか銀行から金を下ろすことができないというの驚いたからである。そして自分が長年住んでいた町の名前までわからなくなった。看護婦だったのに病院に行ってそこが病院だともわからなくなった。そういう極端な事が起きる
ただ老人は過去のことは鮮明に覚えてるから千回も聞いてうんざりしたのである

認知症の極端な症状として機械の操作などができなくなる。リモコンボタンすら操作できなくなった。ただすべての機能が失われたわけではない、自分が何者なのかその家でどういう立場にあったのかわかる。
だからこの家は私が建てたと家に尽くしたこと言う、それは事実であり無視できない、それで自分を大事にすべきだということを訴えていたのである。それは本当のことだから無視できないのである。それで私は認知症になっても姉を大事にしたのである。そして自分が大事にしたということを最後にわかってくれたので救われたのである

●認知症は心が通じないことはない

つまり認知症はなにもかもわからなくなった人とは違う、人生を経験してわかることはわかるから全く意思疎通できないとはならない。だから馬鹿だとして冷たくできないのである。それが大きな問題にもなる

認知症になったら日本語が通じないみたいな錯覚をしている人もいますけど、認知症ってかなり重くなるまで普通に話ができますから

確かに話はちぐはぐでも人間としてわかっていることがある。何もかも全然通じないとはならないのである。それで対処方法がむずかしいのである
そして怖いのは冷たくされると根にもち恨まれる。それは普通の介護でも起きることだが怖いのである。

ある人は最後に私に【ひどい娘だわ】と電話してきてすぐ死んだ。つまり何か相当な恨みを持って言いたくてそうなった。別に私はその人と疎遠だったけどあとで同じ仕打ちをされたのでその娘がいかにひどい人か知ったのでそのこと理解したのである
介護世問題なのは辛いにしても恨みを残されて死ぬことである。死んでしまったらもう何もできないから永遠に恨みが残ったままにもなる。何か悪かったとか本人には言えないからである
すると永遠にでも恨みが残るこことになるから怖いとなる

●老人でもパターン化して見ることはできない

いずれにしろ老人でも様々であり老人とはこうだとかパターン化できないのである。また逆に若者はとかも一様にはできない、ここに違ったものとして見るべきだとなる。
また何々の団体に所属しているからと一様には見れない、何か人間は統計化数字化すると個々の属性が見えなくなる。それが危険なことにもなる。人間は何でも家族でも多様であり一様に見れないからである。選挙になればみんな一票であり個々人の持っている属性は無視されて一様化数字化されて見えなくなる
それがナチスと全体主義ともなるから危険なのである。

認知症にしてもその家族でも個々人で違っているからその人にあった看護とか治療が必要になる、それが病院とかではできない、それで病院で議員の人が番号で呼ばれて怒ったのも分る
つまり多様な人間を無視してロボットのように扱われるということで病院は無機質であり情もない空間だから嫌だとなる

●老人は新しい友を作りにくい

齢を取っていいことの一つは、そういう変わり者たちが仲間はずれを恐れず、変わり者として生きられることじゃないかな。会社勤めで生きづらかった人もそこから外れられる。齢を取るのは嫌なことばかりじゃないって伝えたいですね。

これは言えるかもしれない。どうしても学生時代でも会社員でも一つのカラーに染まりやすいそうでないと勤まらないことがある
退職したら自由にその人なりに生きればいいとなる、私自身は生涯無職だからそうしてきたのである。わがままでだらしなくてもマイペースで生きて来たから良かったとなる。それは家族に特別恵まれたからである。それで私は家族に感謝しているのである。
とにかく高齢化の問題は退職してから30年とかあれば長いのである、第三の人生があるとなるからどうすごすか問題になるのである。

でもどうしても別に老人になったから別な人間になるわけではない、人間は継続であり積み重ねだからすでに老人になると個々人で相当に違った人になることは確かである。
だから老人は新しく友を作りにくいのである。
例えば一つの建物を一緒に協力して作ったというときその成果を互いに語りまた後継者にその苦労など語る時連帯感が生まれる
でもそうでないと連帯感が生まれないのである。だから新しい友は老人になると作りにくいとなる。 




2024年10月13日

白鳥来るー今年は冬が早く来る?

秋の暮に飯館村から霊山の旧道を回り相馬へ
【福島中央道ができて旧道が寂れ歴史の道となる】

【栃窪村】

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飯館村へ

【大倉村】

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【木戸木】

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ここで80歳以上の人が畑を手入れしていたが放置された
体が痛いと言っていたからである

【飯館村草野】

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この松は枯れている

【飯館村佐須】

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坂東−西国とあり何を意味しているのか?

鎌倉3代将軍の実朝の時代に西国霊場を模して開かれた東国最大の札所です。発願地・鎌倉から結願地・館山まで一都六県にまたがり、距離は1,300kmにも及ぶ広大なものです。
開創当時は上級武士や僧侶に参拝は限られていましたが、室町時代には庶民にも身近となり、今では西国三十三所と並ぶ大規模な札所となっています。

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大石と川又と書いてある道しるべ



霊山から旧道

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二本の松ー夫婦松

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松に夕月


相馬市へ

【玉野村】

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eveningmoon11.jpg

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栃窪の土蔵に日さし柿なりぬ
月舘へ別れ行く道秋の暮
飯館に山の動かじ実りかな
飯館の母なる山や実りかな
大石に家一軒や草の花
大石やここに眠らむ秋の蝶
大石や旧道を行く秋の蝶
丘の辺の墓地や暮れに木山に月
夕月や清流響き峰高し
山に月家一軒や残る虫
山に月清流岩にひびくかな

【栃窪村】
栃窪に土蔵の古りぬ秋日さし柿のなりにき継ぐ人のあれ
【飯館村】
木戸木にそ住む人いかに草うもる畑や虫の鳴くかな
飯館に道の標と松一本枯れゆくあわれ秋の暮かな
草の花また草の花飯館や家もまばらに実りのありぬ
山鳩の木村に隠れ静まりぬ家もまばらに秋の夕暮
秋日さし古き碑のあれ佐須の村ここを受け継ぐ生活(たつき)のあらむ
飯館に虫の音幽かその声を我が聴きつつ帰りけるかな
【霊山から相馬への旧道】
旧道に二本の松残りけり秋の日さして我が見て返る
数本の松の残りぬ旧道に月の光りぬ秋のくれかな
八木原の名前残りぬ古道なりしや秋の日暮れぬ
【玉野村】
玉野村昔の道に並ぶ家ここより相馬秋の暮かな
古き碑を我が見て帰る玉野村秋の夕日のここにさし没る
玉野村伊達と相馬の境越ゆ碑の並び古り秋の夕日没る
玉野村屋並みのあわれ秋の暮旅人人れ過ぎゆきにけり
【相馬市へ坂を下る】
我が急ぐ道にしあれや滝の音夕べ轟く秋の夕暮
月の出て夕べ響けり滝の音南朝滅び逃る落武者
霊山に滅ぶ南朝の末裔の鹿島に住みぬ秋の暮れかな


何か5ケ月ぶりとかに飯館村へ新しい自転車で行った。今度の自転車は長距離に適していた。前のよりバッテリーが長持したし疲れにくかった。乗り心地が長距離用に作られている
現実に飯館から霊山相馬へ回って来てもバッテリーがまだ20キロ以上残っていたからである、だから実際本当100キロm行けるものだった

ともかく東北中央道ができて前の道は車がほとんど通らずに旧道となりサイクリングには最適である。ときどきバイクを飛ばす若者がいるがサイクリング道路となった不思議である。
それでそこにある松などが違って見えた。何かより落ち着いて根づいている感じである。それは何故なのか?
つまり車が通らないことでそれが違ったものに見えるようになったのである。落ち着いて根ずいて日本の松が夫婦のようにも見えた。だから夫婦松にもなる。これでわかるようにいかに車社会が人間の心まで変えてしまったかである。

何でもない二本の松でも違って見えた。そこに夕月が出て風流を感じる。つまり自然が映えるというとき車がひっきりなしに通っていれば本来の自然は感じないのである。
ただ玉野村を出るとソーラーパネルが山の斜面に敷き詰められてがっかりするとなる。

ただ東北中央道は高い所を行くので見えない、一方旧道化した道は何とも不思議である。要するに車が通らない道で感じることが違っている。それを経験することは貴重である、何か何でも車ばかりを頼りそれで失うものがあった。だからもしかしたらこの旧道化した道が貴重なものとして見直されるかもしれない。
明かに歩いて感じるものを失っている。それも大きな損失でもあった。ただそれに気ずいていないのである

相馬市へ坂を下ると月が山の端に出ていた。車が通らないからそれも違ったように見えたのである。つまりいかに車が人間の心まで深く影響したかである。車は自然を遮断するし人間関係でも車だと旅は道ずれにもならないそこで人間的な者を失ったのである、旅は道連れ世は情けなどまるでなくなったことでもわかる

この道は実際は古道であり古代からあった、何故なら八木原は安曇族の系統である八木氏から名ずけられたからである
それだけ古い道なのである。そしてこの道をたどり霊山が炎上して逃れた落武者が只野氏とかであり鹿島中心に住んだのである。
ただ卒塔婆峠は埋もれて今は通れない、そこから真野川伝いに鹿島へ落ち延びてきたのである
だから歴史の道であり古いのである。




2024年10月12日

秋の暮に飯館村から霊山の旧道を回り相馬へ 【福島中央道ができて旧道が寂れ歴史の道となる】

秋の暮に飯館村から霊山の旧道を回り相馬へ
【福島中央道ができて旧道が寂れ歴史の道となる】

【栃窪村】

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飯館村へ

【大倉村】


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【木戸木】


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ここで80歳以上の人が畑を手入れしていたが放置された
体が痛いと言っていたからである


【飯館村草野】

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この松は枯れている


【飯館村佐須】

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坂東−西国とあり何を意味しているのか?

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大石と川又と書いてある道しるべ



霊山から旧道

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二本の松ー夫婦松

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松に夕月



相馬市へ

【玉野村】

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栃窪の土蔵に日さし柿なりぬ
月舘へ別れ行く道秋の暮
飯館に山の動かじ実りかな
飯館の母なる山や実りかな
大石に家一軒や草の花
大石やここに眠らむ秋の蝶
大石や旧道を行く秋の蝶
丘の辺の墓地や暮れに木山に月
夕月や清流響き峰高し
山に月家一軒や残る虫
山に月清流岩にひびくかな

【栃窪村】
栃窪に土蔵の古りぬ秋日さし柿のなりにき継ぐ人のあれ
【飯館村】
木戸木にそ住む人いかに草うもる畑や虫の鳴くかな
飯館に道の標と松一本枯れゆくあわれ秋の暮かな
草の花また草の花飯館や家もまばらに実りのありぬ
山鳩の木村に隠れ静まりぬ家もまばらに秋の夕暮
秋日さし古き碑のあれ佐須の村ここを受け継ぐ生活(たつき)のあらむ
飯館に虫の音幽かその声を我が聴きつつ帰りけるかな
【霊山から相馬への旧道】
旧道に二本の松残りけり秋の日さして我が見て返る
数本の松の残りぬ旧道に月の光りぬ秋のくれかな
八木原の名前残りぬ古道なりしや秋の日暮れぬ
【玉野村】
玉野村昔の道に並ぶ家ここより相馬秋の暮かな
古き碑を我が見て帰る玉野村秋の夕日のここにさし没る
玉野村伊達と相馬の境越ゆ碑の並び古り秋の夕日没る
玉野村屋並みのあわれ秋の暮旅人人れ過ぎゆきにけり
【相馬市へ坂を下る】
我が急ぐ道にしあれや滝の音夕べ轟く秋の夕暮
月の出て夕べ響けり滝の音南朝滅び逃る落武者
霊山に滅ぶ南朝の末裔の鹿島に住みぬ秋の暮れかな


何か5ケ月ぶりとかに飯館村へ新しい自転車で行った。今度の自転車は長距離に適していた。前のよりバッテリーが長持したし疲れにくかった。乗り心地が長距離用に作られている
現実に飯館から霊山相馬へ回って来てもバッテリーがまだ20キロ以上残っていたからである、だから実際本当100キロm行けるものだった

ともかく東北中央道ができて前の道は車がほとんど通らずに旧道となりサイクリングには最適である。ときどきバイクを飛ばす若者がいるがサイクリング道路となった不思議である。
それでそこにある松などが違って見えた。何かより落ち着いて根づいている感じである。それは何故なのか?
つまり車が通らないことでそれが違ったものに見えるようになったのである。落ち着いて根ずいて日本の松が夫婦のようにも見えた。だから夫婦松にもなる。これでわかるようにいかに車社会が人間の心まで変えてしまったかである。

何でもない二本の松でも違って見えた。そこに夕月が出て風流を感じる。つまり自然が映えるというとき車がひっきりなしに通っていれば本来の自然は感じないのである。
ただ玉野村を出るとソーラーパネルが山の斜面に敷き詰められてがっかりするとなる。

ただ東北中央道は高い所を行くので見えない、一方旧道化した道は何とも不思議である。要するに車が通らない道で感じることが違っている。それを経験することは貴重である、何か何でも車ばかりを頼りそれで失うものがあった。だからもしかしたらこの旧道化した道が貴重なものとして見直されるかもしれない。
明かに歩いて感じるものを失っている。それも大きな損失でもあった。ただそれに気ずいていないのである

相馬市へ坂を下ると月が山の端に出ていた。車が通らないからそれも違ったように見えたのである。つまりいかに車が人間の心まで深く影響したかである。車は自然を遮断するし人間関係でも車だと旅は道ずれにもならないそこで人間的な者を失ったのである、旅は道連れ世は情けなどまるでなくなったことでもわかる

この道は実際は古道であり古代からあった、何故なら八木原は安曇族の系統である八木氏から名ずけられたからである
それだけ古い道なのである。そしてこの道をたどり霊山が炎上して逃れた落武者が只野氏とかであり鹿島中心に住んだのである。
ただ卒塔婆峠は埋もれて今は通れない、そこから真野川伝いに鹿島へ落ち延びてきたのである
だから歴史の道であり古いのである。




老人の心理を若い人が知るのはむずかしい―老人は過去を語り通じ合う】 【凶悪犯罪を暴力団の78才のヒットマン】


老人の心理を若い人が知るのはむずかしい―老人は過去を語り通じ合う】
【凶悪犯罪を暴力団の78才のヒットマン】

「マシンガン」をぶっぱなし、「手りゅう弾」を投げ込む…。「還暦ヒットマン」の凶行が身勝手すぎる理由
そのため今のヒットマンは、ごく一部の例外を除き、獄死覚悟の老人ばかりだ。

 犯行が弱々しいわけではない。というよりむしろ逆である。

 2011年8月、暴力団会長の自宅に乗り込んだ78歳のヒットマンは、二丁拳銃とマシンガンを所持し、侵入した庭で手りゅう弾を爆発させ、ランボーさながらに暴れた。
 2019年10月、神戸市の暴力団事務所前で、実話誌のカメラマンに偽装して待ち伏せ、2人を撃ち殺したヒットマンは逮捕時68歳だった。
 この2人のヒットマンにはもうひとつ共通点がある。重病のため余命幾ばくもなく、実際、すぐに亡くなったのだ

●78才のヒットマンの恐怖

老人になれば凶悪犯罪など犯さないと思う。でも老人の心理を考えるとそうでもない、老人の心境は後がない、若い人のように先がないのである。後何年生きるのかとなる。その気持ちがわからないのである。どうせ間もなく死ぬという心境がわからないのである。
どうせ何であれこの世からおさらばするからこの世のことなどどうでもいいちょにもなる。その点気が楽にもなるのが不思議である。なぜ若い人が人生を生きることが重荷になるのはその先が長く欲望もありその欲望をかなえるために苦しむ
生きることの重圧は若い人の方が大きいのである。

78歳のヒットマンは、二丁拳銃とマシンガンを所持し、侵入した庭で手りゅう弾を爆発させ、ランボーさながらに暴れた。

こんなことができるのも自分はどうせ間もなく死ぬということで思い切ったことをする。何か家族のしがらみとかもなく現実にその人は78才で病気であり焼けにもなり自殺のようにして凶悪犯罪を犯した。その人は実際にまもなく病気で死んだんのである。
いずれにしろどうせ間もなく死ぬのだから世間のことなどどうでみとなった。世間のことなど気にしなくなったとなる。

実際こんな歳になれば世の中のことをいろいろ考えてもしょうがない、無駄だとなる。まもなくこの世からおさらばするからどうでもいい知ったことではないとなってしまう。その心境が若い人にはわかりずらいのである。だからこれだけ乱暴なことをするのはどうせ先がないから思い切ったことができる。
つまり世間のこと周りのことを気にしなくなる。世間体などもなくなる。第一死ねば世間もなくなる。だから世間のことを気にしなくなりこうした無謀なこともできる

でも若かったらかえってできない、なぜなら若いということ生きたい欲望があって生きたいとなる。若い人は人生に希望をふくらませているからである。老人にそうした未来はない、老人はこれから何かをしようとか達成しようかということではなくこれまでしてきたこと達成したことを語るのである。

●老人は協働して何か成し遂げたこと語り通じ合う

そしてともに何か協働して成し遂げたことを語るのである。そこに連帯が生まれる。でも若い人はこれから何かを成し遂げようとして協働する、連帯するのである。その相違が大きいのである
だから老人は友達とか作りにくいのである。過去に協働していればそのことを語る。何々で苦労したことそして協働して協力して成し遂げたことを語る、それで連帯が生まれる

それで私の家で店をしていたとき豆腐を下ろしに来ていた人が私の死んだ家族の事情を知って語る時何か通じ合うものがある。
その人も豆腐作りとか売ることの苦労を語るからである
つまり協働していたから心が通じ合うとなる。だから未来へ向かって共同する若い人達とは違ったものでありその協働とは過去何かをしたことで共同しているとなる
これは農民が大半だった時代なら同じ地域で協働していたのだから老人になっても心が通じ合うのである

●なぜデンデラ野で 老人が共同できたのか

 遠野のデンデラ野はその棄老の地としての姥捨て山で
『蓮台野(れんだいの)』が訛ったことによって呼ばれた伝わったとされていま

それでデンデラ野という老人だけが村の中で集まり共同して暮らす、そこで助け合い看取りもしている。それができるのはこれまで村の中で共に協働して暮らしていたからできることなのである。今の社会はそういうことができない、職業が多岐に分化して相手のことがわからなくなったからである
そしたら老人になってその人が何をしたとしても共感しないし心が通じ合わないのである。

農民社会だったら死んでも山に帰り御先祖様になり田植えになると手伝いに山から下りてくるとかなる。そんなこと今はありえないのである。死んでも村の中で協働していたからこそその死後も御先祖様となり村の中で生きていたとなる
世代が死んでも断絶することなく農民社会だったら継続されたとなる。

ともかく高齢化社会の問題はさらに深刻化する。どうしても病気になり介護状態になる人が増えるからである。朝は一万の街を見回ったら三台も介護のために車椅子とかで車にそのまま乗せられて介護施設に病院に行く人を見た、それだけ介護される人が多いということである。その数はさらに増えてゆく。その負担も大きいから日本経済はさらに苦しくなる。

2024年10月10日

衆議院の区割りが変わり浜通リは福島県の4区になった 【いわき市が30万だからやはりそこが中心になる】


衆議院の区割りが変わり浜通リは福島県の4区になった
【いわき市が30万だからやはりそこが中心になる】

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●古代から鎌倉時代と福島市の山側からの影響はあった

衆議院議員の区割りが変わった。前は福島市と相馬地域が区割りだった。今回は一区割りが減って4区となり浜通リが4区となった
何か福島市が同じ区割りなのは不自然な感覚だった。
地理的に見るとどうしても阿武隈山脈高原に遮られて浜通リは福島市の方が見えない、断絶している。地理的一体感がないのである。

でも古代史で南相馬市の鹿島区が浮田国造が置かれた。それは毛毛野氏系統であり山側からの影響でそうなった。
だから別に山側から福島市の方からの影響も歴史的にあった。
古代もそうでありその後の鎌倉時代でも義経の郎党の佐藤氏が福島市から相馬市に進出して相馬市は佐藤氏が勢力を持っていた
磯部に佐藤氏が支配していて今の道の駅に鬼越館があった。それは佐藤氏の館であった。それで相馬氏と争ったのである。
だから山側から福島市からの影響もあった。

●相馬藩の地域は仙台市の影響が大きい

でも古代でも磐城の方からの影響が大きくなっていった。それえ磐城国となった。現実に磐城太田駅がありまた葛尾村に磐城落合とかの地名が残っている。だから磐城国は地理的一体感がある
でも相馬藩の地域は仙台市の影響が大きくなった、もともと通勤していた人たちもいるし仕事で仙台市から来る人も多いからである。何か面倒な病気になると仙台市に行く人が結構いる
福島医大に行く人もいるが仙台市の方が便利である

だから震災以後仙台に移住した人が多い。小高の人は原町の空家を買って住んでいたが病気になり息子が仙台市に移住したので仙台市の病院に入院した。2011年の津波震災の被害で仙台市に移住した人が多い。
今社会は広域化している。磐城からも震災の時瓦を直しに来たのは磐城の会社だった。またユニットバスを作ったのは仙台市の会社であり格安だった。最近AUの自転車保険に入っていて自転車を運んでもらったのは何故か須賀川市から来たのである。
トイレでも修理してもらったのは郡山市の会社だった、このように社会は広域化してグローバル化している。

●福島4区は浜通リであり地理的一体感はある

ともかく前の磐城国が福島4区になったとき地理的一体感はある。常磐線も通じているからである。でも意外と磐城も遠いと感じる。常磐高速ができたとしても私は車がないから遠いと感じる
鉄道だと常磐線でも原町駅から便数が少なくなるからである。
むしろ仙台市は近く感じるのが相馬地域なのである。

でも津波や原発事故では磐城も被害があり地域的の浜通リは一体感がある。それでも意外なのは放射線被害は飯館村が汚染度が高くまた東風に乗って放射性物質が福島市の方まで流れた
そして福島市がかなり海側より高かったのである。それは意外だったのである。そうなったのは春になると海側から東風が吹くからそうなった。だから地理的に福島市でも通じていたとなる

前の福島市と同じ区割りの時も福島市の影響が大きかった。今回でも浜通リが同じ4区になってもいわき市が30万とかの人口があればその影響が大きくなる。つまり現代は大きな都市の影響を受けやすいのである。それは社会が広域化しているからそうなる
車社会だからそうなる。

●福島4区浜通りに課題は依然として原発事故からの復興問題

ともかく福島4区の浜通リの課題は依然として原発事故からの復興が課題になる。でもそれも未だに進んでいない。肝心の人は流出して戻ってこないからである。確かに建物は作っても人が住まないのが致命的なのである。少子高齢化もあり若い人が住まない

ただ原発周辺地域から人が南相馬市の原町区でも鹿島区でも相馬市でも新地でも移住している。つまり現代は広域社会であり移動しやす、移住しやすいのである。
農業中心の社会だったら土地がなければ生活できないが今は農業の比率が一割にも満たないというとき移住しやすいのである

だから便利な仕事ある仙台市に震災以後移住した人が多いのである。ただ仙台市でもこれから人口が減ってゆくというとき日本全体が縮小してゆくとき何か集中して住まざるをえなくなる。
この辺では津波原発事故で集中化したとはなる。それがいいかわるいかはわからないが結果的にそうなったということである

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2024年10月09日

老人の役割価値は何なのか 【過去を昔を語ることで死んだ人も生き続ける】


老人の役割価値は何なのか
【過去を昔を語ることで死んだ人も生き続ける】

●私の家の事情を知っている人と話す

その女性はいつも土手にいる。毎日散歩しているからである。
85才になるが私の家で店をしていた時豆腐を卸しに来ていたのである。だから意外と私の家の事情を知っていたのである
私の母親が会津旅行に連れて行った時泣いていたという
何かうれしくて泣いていたという。それは私の母親はめったに外に出ないで家で台所仕事とか店の仕事をしていたからである。
もう一つは姉がいて外に出させなかったということもある

それで外に旅行に出て嬉しかったのかも知れないそのこと聞いてそんなことがあったのかと母を思ったのである
母は働き詰め一生を終わったのである。何か楽しむということもなかったのである。それはすでに若い時からそうであり若いときは原町紡績に勤めていて糸取りをして働いていたからである
そのあとは東京に出て女中だった。そして私の家に後妻になっても働きずめだった。だから花などいらないとなって庭に豆を植えていたのである。それは戦時中に戦後でも食べることができないことを経験しているからそうなった
それが私にとって嫌なことだった。ただそうなったのは強いられてそうなったのである。

●金持ちでもケチな人がいるし貧乏でもケチでない人

ただ不思議なのは知っている人は貧乏であり日々食べるのも事欠くのに刺身でもいいものを選び買う、また電気器具でもいいものを選び買うのである。普通なら金が無いのだから安物でもいいはずであるがそうならない。それで好感を持つのも不思議である
なぜなら私の母親戦後は豊にになったが節約するだけだった。別に花を買っても十分に金もあっても何か無駄だとなり金を使わず貯めるだけだったとなるからだ。要するにケチだとなる
金があってもケチな人はいる。有効に金を使わないのである。

ユダは金銭への執着が強い人間でした。 ある女性がイエスの足に非常に高価な香油を塗って愛と尊敬を表したとき、ユダは「どうして、この香油を売って、貧しい人々に施さなかったのか」ともっともらしいことを言いましたが

ユダはケチだったのである。それをキリストがとがめたことは理解できる、金があってもケチな人はいる。なんかそういう自分も実際は遺産をもらうまでは贅沢したことはなくケチだった
どうしても習慣となり貧乏人はケチになる。

だから普通は貧乏ならケチなるのはやむをえないとなる。ただケチというとき金持ちであれ貧乏であれ共にある。金持ちでもケチな人は相当にいるしその人は貧乏人のことなど無視する

ともかく人間は様々な人がいる。でも私は引きこもりであり自然に没入して禅僧のような生活していたから人間関係を嫌いうといのである。社会性がなく異常だったと思う

老人の役割価値とは何となればこうして死んだ人であれ語ることである。何か不思議なことはこうして言いにしろ悪いにしろ語る時死者での活きてくる。いつも川の土手にいる女性が私の家の事情を知っているので親しみを覚えたのである。
それで私の母親が会津の旅行に連れていってもらい泣いていたというのは知らないことだったからである
その頃会社でも社員旅行とか盛んであり団体で温泉街につめかけて飲み食いして騒いでいたのである。だから田舎の小さな問屋でも旅行を企画して連れて行っていたのである。その頃は高度成長時代であり会社でも景気がいいからそういうことができた
今やその温泉街も団体旅行の人が来ないから寂れて廃墟化したのには驚くのである。

●老人の役割がなくなり価値が認められない

いずれにしろ老人の価値と役割はこうして過去を昔を語ることなのである。その時不思議に死んだ人でも語られることによって生きることになる。だから2000年前でもお釈迦様やキリストのことは語られ続けているのである
つまりヒストリーとはストリーのことであり物語となるのである私は小説は苦手だから小説は書けないがもしその能力があればこれは一つの小説なのである

とにかく今老人は役割が無く無価値とされるのはなぜなのか。それは例えばこうして何かを語るにしてもそれが通じる場がなくなったからでもある。もし小さな村で共同で生活していれば昔はどうだったとか昔はこうしたとか同じ農民だから通じるものがあり聞く人もいたのである。

でも職業でもこれだけ多様化すれば理解することが難しい。でも老人の価値と役割はやはり過去昔を経験したこと語ることでその時確かに死んだ人でも生きているとなるただなぜかそうして語られる人は少ない

近くの開業医なった人は生きているときは必ず話題になっていたがその医者も死んで一時息子が後を継いだまもなく元の妻のいる東京の方に行ってしました行ってしまった。そして立派な家があったのだがそれも空家化してしまった
その地震などあって屋根が壊れているわ誰も直す人もいなくなっている
その息子も78歳で死んでしまったからである。

だからその医者について誰も語らないということが何なのだろうとなる。語られなければ死者は本当に死んでしまうのである
ただその医者は見立てがよく優秀ではあったのだが口が悪く冷たいところがあったズケズケと物を言う人でありそれで私の母は嫌って優しい別な医院に言っていたのである。ところがその医院も最近全部壊されてしまったのである。

老人の役割と価値はこうして過去昔を語ることにある。だからこそ昔話が残っているのである。だんだんそれが記憶も薄れてゆくと伝説のようになってしまうのである。ただ伝説にしてもそれが語られるとき死んだ人も生きているとなるのである何も語られなくなればその人はまさに本当に死んでしまったとなる
そんな人は多数なので今世間を騒がせてもたちまちいずれは語られなくなるのである、だから語られ続けるということは歴史に残る人であり本当に価値ある人だとなるのである

2024年10月08日

幸福な家族と不幸な家族 【障害者を持った家族はうまくいかないー親の世話できない悲劇】


幸福な家族と不幸な家族

【障害者を持った家族はうまくいかないー親の世話できない悲劇】

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85才の夫婦は夫がマメであり料理を仕事ととして妻に食べさせている。妻はなにもしなくていいのである。だから楽だと見た。ただ問題として私の家は二人親ともなる女性がいたが一人は何もしなかった、もう一人が食事を出していたからである
結果的に何もしない方が認知症になったのである。別に食事を作ってもらっている方がいいと普通は思う、でもそうなるとただなまけるだけであり頭も体も働かせないから認知症になる危険性が増す。だから人間はいいと思うことが必ずしもいいとはならないのである。
夫の方はともかく料理に精を出している。妻は何もせず提供されたものを享受するだけだとなる。だから楽だとは見る
そして息子が医者だから経済的にも恵まれているとみる

一方の家族は市営住宅に住み狭い部屋であり脳梗塞になり今や歩くこともままならずわずかの距離でも歩けないのである。また目が悪いとか介護度2なのである。見ているだけで73才なのに老けているし85才のように見える。
そして50歳の息子といるが同居にはなっていないが常にまともに台所に立って仕事ができないのに手も悪いのに食い物に文句を言ったりいじめられという、なぜそうなのかとなれば障害者を一人持ったために兄弟でもないがしろにされえ育ったからだと見る

その発達障害の息子が世話すればいいのだが何か母親のことを世話できない、依然として子供のような状態にあるからそうなる。
普通だったらそれだけ親が困っている苦しんでいるならば50才も越えたら助ける気持ちが出るはずだがそれもないのである
だから金もなく苦しみ助けもなく苦しんでいる
まず障害者を持つと家族全体が不幸になる。だから兄弟でもお前が一番よくされたのだから世話しろとなる。その最も世話された人が何もできないのが悲劇なのである
その女性は二回も離婚していていい夫とめぐりあわなかった。
その原因が不細工だったからかもしれない、でもその女性は話すると物事が分かった人であり花に詳しいので話して楽しいとなり援助している。

とにかくなぜこのように白と黒のように家族は違っているのかとなる。その家族を知らない人は何も感じない、おそらくただ無視するだけだとなる。
なぜこうして不幸な人はさらに不幸になるのか?もしまだ73才だったら普通に元気な人はいる。すでに介護度2であり3に近づいている。一生がただ苦しみの連続だったともなる。その原因はなんであったのか?それはやはり障害者をもったことにあった。
その障害者の子を持った結果兄弟でも他はおろそかになり介護状態になっても金もなく面倒を見ない、冷たくされるのが悲劇なのである。私の場合は特別大人になっても良くされたからずぼらであっても親二人の介護で必死になって世話したのである。

だから家族の事情は様々であり分かりにくいしなかなか家族の中にはいりにくい、でも介護となると実際は家族だけでは対応できないのである。限界がある。でも実際は家族にまかされてそれで殺したとかの悲劇が生まれる。家族だけに負担がかかりすぎるのである。私の場合は一人っ子だから負担が全部かかってきたのである。結局それも自分のカルマだったのである。
でもなぜその女性がただ苦しみの連続なのか理解できないのである。ただ一般的に障害者を持った家族は不幸だということは確かである。その負担が大きすぎるのである。
こうして家族でも比較すると見えてくるものがある。ただ直接接しなければ家族というのが様々でありわからないのである。