2024年11月30日

文目(あやめ)と菖蒲の相違【その内面化した短歌】

文目(あやめ)と菖蒲の相違【その内面化した短歌】

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紫の色の濃くして草深き田舎の道に文目咲くかな
雨しとと岩の鎮まり紫の菖蒲の心に沁みて咲くかな
池映る紫の菖蒲ひそかに水の波紋かすかにたちぬ
ひそけくも人のあれかし文目咲く時に歩みぬ人まれにして



「あやめ」の名の由来は、「花びらに網目の模様があったことから、文目(あやめ)と呼ばれるようになったといわれています。

一方、「しょうぶ」はその昔、飛鳥・奈良時代には「あやめぐさ」と呼ばれていた歴史があります。「しょうぶ」を「あやめぐさ」と呼ぶようになった理由は諸説ありますが、「しょうぶ」を使った邪気払いの儀式をしていた女性を「あやめ」と呼んでいたことが理由といわれています。

あやめ / 菖蒲、文目、綾目[アヤメ科]
・花びらの根元に網目模様がある
・葉脈は目立たず、細長い
・畑や草原など乾燥した場所に群生





文目は野に自生しているものであった。乾燥した地に咲く、一方菖蒲は池などの水際に湿地帯に咲く、文目は日本に自生していたが菖蒲は中国から入って来た。今大概見ているのは菖蒲であり花が大きいのである。私は川の土手とか歩いて文目を見ていた
そこは確かに乾燥していたのである。山の方でも崖の下に咲いていたりと水がないところにも咲いている。
ただこれは混同しやすいのである。今大概見ているのは菖蒲である。

ともかく文目はより繊細な感じがする。花びらも小さいからである、何かそれで細身の母に似ている、私の母は内気であり陰の性格でもあり自分もその性質を受け継いでいる。遺伝は逆らえず現れる。
つくづく私は混雑した人混みの都会はあっていない、誰も通らないような田舎の道を一人歩いているのが向いている
そこでアヤメをみていると心がなごむとなる

この心境を絵で表すのはむずかしい、絵では人間の心すべて表せない、内面的なものになると言葉が必要になる。
花を見る鑑賞するにしても都会ではできない。野の花は野に咲いている時映えるからである。草深い田舎に咲いている時映える
ごみごみした都会では映えないのである。だから花でもいろいろあるが田舎で日常的に見ていないとわからない、文目というのは今は野でもなかなか見れなくなっている。私は前はすぐ土手の道で見ていた。でも今は見ていない、それで山深く入った所に咲いていた。そこは乾燥した所だったのである。
いずれにしろ文目の方は見ることが難しくなっている

花を見るにしても常に見ていないと花を知ることはできない、文目は随分昔に40年前とかに見ていたなと記憶していて思い出している、花でも一回くらい見ても心に残りにくいからそうなる





冬の虹【鍋冠山【ナベカンムリ山】かかる】


冬の虹【鍋冠山【ナベカンムリ山】かかる】

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朝日さし鍋冠山【ナベカンムリ山】に冬の虹

白鳥の群れ飛び山に朝の虹

山の方が雪雲になりそこに虹がかかった。珍しい光景である
鍋冠山とはまさにその名の通りなのである。ただこの辺に欠けているのは高い山がないことである
阿武隈山脈は阿武隈高原でもあり低い山である。新地の鹿狼山でも400メートルでこの辺では一番高い
何か高い山を毎日見ていたら心にも影響する。ここでは高い山がないから何か平凡化する
景色が引き締まらないのである。ともかく朝に風が唸り吹きまた本格的な冬になるのだろう

ネットの醍醐味はリアルタイムで報道する時感じる。今感動したことを時間差がなく伝える
でも見る人はいない、奇妙なのは放送する方が今感動したことを伝えることで一人興奮している
でもリアルタイムで見ている人はいないのである。今は何かそうして気軽に放送できても見る人が観客がいないのである
でも放送する人は興奮しているのである






2024年11月29日

相馬地方の横穴古墳の謎 【鎧兜に馬を操作する渡来人集団の移住】


相馬地方の横穴古墳の謎
【鎧兜に馬を操作する渡来人集団の移住】

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都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと、生没年不詳)は、『日本書紀』に伝わる古代朝鮮の人物で、加羅国王の息子と言う。

『日本書紀』では「都怒我阿羅斯等」、他文献では「都怒賀阿羅斯止」「都怒何阿羅志止」「都奴加阿羅志等」とも表記される。また『日本書紀』では別名を「于斯岐阿利叱智干岐(うしきありしちかんき)」とする。

意富加羅国(大加耶/大加羅、おほからのくに、現在の韓国南部)の王子で、地名「敦賀(つるが)」の由来の人物といわれる。

〈御間城天皇(=後述する崇神の名)の世に、額に角のある人が一つの船に乗って、越国の笥飯の浦に着いた。ゆえに、そこを名づけて角鹿という。〉
 「どこの国の人か?」と尋ねると、「額に角のある人」は答えます。
〈大加羅の国の王の子、名は都怒我阿羅斯等。〉…。
 「牛頭の冠」をかぶっていたので角に見えたのでしょう。それが地名の由来で、角鹿は敦賀の古名。笥飯の浦とは敦賀湾の気比の松原あたりです。

 1世紀から6世紀ごろまで朝鮮半島南部にあった小さな国の連合体を伽耶または加羅といい、なかでも有力な国を「大加羅」と称しました。加羅や新羅の最高の官位が「角干」で、訓読みだと「ツヌカン」。これが「ツヌガ」の意味のようです。

相馬地方の蝦夷の謎 (渡来人地名は蝦夷と混血したためか?)

横穴墓の壁画は群馬栃木埼玉などのいわゆる毛野文化圏にはほとんど存在していない、しかもそれらは日本列島の中央部にはあまり見られず九州と山陰それに関東と東北の太平洋岸のみに分布しているものだという。
つまり横穴壁画文化を携えた人間たちは九州から集団移住してきた形跡がある。その移動経路は当然海路であったろう。各地の横穴壁画に船の絵が多いという事実がそのことを物語っている。
横浜墓を営んだのは侵攻の有力農民層であり彼らは濃厚集団とあると同時に武力集団騎馬集団であったことはすでにふれたが彼等はまたこう航海集団水軍集団でもあったのである

こうした横穴墓は普通数体の遺骸が納められていることから家父長個人の墓ではなく家族墓であったと推定される。副葬品には従来の古墳のような銅鏡は見当たらないが玉類や金は見られ特に目立つのは鉄製の窯、斧、直刀、矢じり、轡、鐙金具などの農具である。
彼ら群衆墓に葬られた人々は農民層であったと同時に日常的に武装した武力集団騎馬集団であった様がうかがわれる。

彼らは大和政権の覇権が北関東東北の浜通りに及ぶずっと以前からこのうち根付いたパイオニアだったのだだから彼らとても大和政権の支配者に言わせれば単なる野蛮な蝦夷でしかなかった
【古代東国物語ー永岡治】

横穴系の埋葬施設は、中国大陸(塼槨墓)の影響下に、その波は朝鮮半島の高句麗から南下し百済・加耶、そして日本列島へと伝播した。4世紀後半から5世紀初頭に石積みの石室に現れ、北部九州において横口の石室を生み出し、横穴式石室へと整備され、5世紀は畿内も含み限定的な展開に留まるが、6世紀には列島各地で採用されるに至る。

埋葬思想の独自性〜多様な墓制〜

古墳時代、5世紀後半の九州北部の豊前地域に淵源を持つと考えられている。おもに6世紀中葉に山陰・山陽・近畿・東海地方まで盛行した。7世紀初頭までには北陸・関東・東北南部まで分布した

年代的には4世紀後半から5世紀初頭が想定される。埋葬された人物は、古墳の立地や築造年代からも新田川流域を治めていた浮田国造の初祖・鹿我別命だったと考えられる。しかし、2箇所の棺の痕跡は何を意味するのかなど今後究明すべき点も多い。

そして物部軍はヤマト国に進軍し、出雲王家の分家である磯城王朝を滅ぼし、ここに物部王朝が誕生します。
この武勲により、豊国物部氏には三河の地(愛知県)が与えられます。
なので愛知県には「豊」がつく地名が多いのです。

宝田氏によると、群馬県富岡市にある貫前神社の神官である物部公と浮田国造(鹿我別(かがわけ)王)は同族であるそうです。

北関東に追いやられた豊国物部氏

学会では福島県に安曇氏が来ていたことは否定されています。
福島県の綿津見神社の創建は、中世に建てられたのがほとんどだそうで、古代安曇氏との関連はないそうです

南相馬市にあるほぼ全ての綿津見神社は、江戸時代幕末まで「八竜神」「八竜権現」という社名だったのです!
つまり、南相馬市では竜神信仰、「アラハバキ信仰」が江戸時代幕末まで行われていたのです!




桜井古墳は東海から来た物部氏がかかわった。最初に物部氏がこの地にかかわった。物部吉名という人がいて小高に吉名郷がある。
また鹿島の右田の御刀神社は明らかに物部氏のものである
だから物部氏が一番古く氏族としてかかわったことは確かである。
その割にはなぜ物部氏の跡がないのかとなる、神社もないのである
それでなぜまた綿津見神社がこんなに南相馬市の原町区に多いのかとなる、それは古代ではなく学会では中世のものとしているという、その論文も誰が書いているのかもわからない、綿津見神社と山津見神社はこれだけ多いということ古代に安曇氏が来たという証拠になるとしても確かなことは安曇氏の後継者の八木氏とか犬養氏が開拓に入ったのである。
それが八木沢峠とか相馬市から宇多川を上った玉野村から霊山に行く道に八木原があり石戸村に犬飼という地名がある。だから地名化するくらいだから古い、でもそれがいつの時代になるのかそれが問題なのである。それは古代ではなく中世だとなるのか?八木氏とか犬飼(養)氏は平安時代からでも大きな氏族として継続している

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でも疑問なのはたか神社の脇に綿津見神社が残されてその脇に式内社の立派な多珂神社(たか)神社がある。するともともとそこは綿津見神社がありそこに後から多珂神社が建てられたともみる
第一立派な多珂神社の隣に綿津見神社を作ることはない、つまり綿津見神社の方が古いから新しく立派な多珂神社が作られたと見るのが普通である。
綿津見神社がこれだけ多いのはなぜなのか、いつの時代に建てられたのかが問題である、そもそも古代からこんなに多く綿津見神社が建てられことはない、それを考慮すると古代ではなく平安時代以降となっても不思議ではない、安曇氏自体は消失してもその後継者の
八木氏とか犬養氏は継続して現代まで存続しているからである。

ただ大和王権の支配下に入ったのは南相馬市の鹿島区であり真野郷なのである。真野郷は古代の官製の正式に記録に残されたもである。鹿島の鹿島御子神社は武御雷の神を奉る大和王権の武神である
鹿島区には大和王権がかかわり支配した。だから原町区に桜井古墳があっても真野郷に浮田国造が置かれた。それは大和王権が最初に支配したからである。それで寺内の前方後円墳に金銅双魚佩が発見された。それは中央の政府から有力な氏族から贈与され双魚佩たのである。
だから大和王権に最初に従属した支配したのは真野郷であり鹿島区であり原町区ではない、だからなぜ綿津見神社が原町区に多いのか

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また桜井古墳はなぜあれだけ大きいのか、つまり物部氏がこの地に最初に来て支配して桜井古墳を作る首長が存在した
二つの棺があったというときそれは原町区の勢力の首長と大和王権の真野郷の首長なるものが埋葬されたとなる。
宝田氏によると、群馬県富岡市にある貫前神社の神官である物部公と浮田国造(鹿我別(かがわけ)王)は同族であるそうです。
これは重要な指摘である、つまり桜井古墳の埋葬された二つの木の棺は物部氏と浮田国造の鹿我別王(かがわけ)となる

ただわからないのは安曇氏系統の八木氏であれその人達がこの地に入って来たのはいつなのかとなる。それは古代ではなく中世だとすると確かにこれだけ神社があるのだから中世とかにならないと建てられないとなる。ただ最初は小祠であり神社になったのは後だともなる。

ただ古代の伽耶と海人族の安曇氏とかは一体化していた。伽耶の王子がツノガノアラシトでありこのツノは地名化している
小高の角部(ツノベ)相馬市の松川浦の津神社はツノミツ神社でありツノガノアラシトなのである。それは間違いなく古代に遡る
また横穴古墳に描かれたもの渡来人のものであり鎧に兜をかぶる刀も持っていて馬を操る人でありそれは縄文人とかとはまるで違った先進文化を持った武人である。ではこの人たちは何者なのかとなる。それは韓半島系統の渡来人であり横穴古墳を作った人達である
でも桜井古墳の方が古くそれは物部氏がかあったとなる

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この船は相当に大きい船である。前に8人が確認されるが破片であり全体になると
十数人20人くらいになるのか?梶でも20くらいになる、これは内海だけではない
外洋にも乗り出したのかもしれない、何故なら人数が多いからである

安曇海人ー宗像(宗像)海人、大山祇(わたし)和邇氏

安曇海人ー宗像(宗像)海人、大山祇(わたし)和邇氏は海人族であり和邇氏でもその系統に真野氏が存在していたのである。
つまり航海にたけた氏族である。だからこそ真野古墳群から20人くらいが乗る船の絵が発見された。20人も乗れるということはそれだけ大きな船である。それだけの技術と航海術も持っていたとなる
だから焼畑の技術であれ鉄作りの技術であれ船を作る航海できる技術であれ鎧兜をみにまとい馬を操る人達は縄文人とかとはまるで違った異質な人達だった。だから縄文人は圧倒されて従属させられたことが明確に見える
ただ時代的に時間軸でみるとわからなくなる。

つまり横穴古墳にこのような絵を描いたのは誰なのかとなる。それは物部氏ではなくその後に来た人達であ安曇族系統の人たちになるのかとなる
最初に大きな古墳が作られて次に群集古墳となる小さな古墳が作られる、横穴古墳も家族とか小さな単位の集団が作った
大きな古墳となる桜井古墳でも大きな集団をまとめるものとして作られた、だから二つの棺があったというときそれは誰なのか、物部氏でありもう一人は誰なのかとなる、浮田国造の加賀分け王なのかとなる。大和王権が今の鹿島区の真野地区を支配して原町区の物部氏の勢力と合体した、そこにまた安曇氏系統の海人族がどのようにかかわったのか、海人氏系統の八木氏とか犬養氏は古代から後の平安時代以後にかかわったのかとなる。時間軸で見るのがわかりにくいのである。

そして大和王権が真野郷を支配して真野の草原の万葉集の歌が作られた。その真野の草原(かやはら)とどうしても草原ー萱の原にはならない。

陸奥(みちのく)の真野(まの)の草原(かやはら)遠けども面影(おもかげ)にして見ゆといふものをー笠女郎

陸奥の真野の草原のように遠いけれど私にはあなたの面影が見えるというのに…
草原ーかやはらは萱が茂っている所ではない、確かなことは遠い場所であり地名なのである。つまり大和王権に反抗する蝦夷の地域が服属したということで知られるようになった。

笠女郎もまた加佐でありこれは韓国の地名であり笠は当て字であり各地にある。

稲荷山古墳出土鉄剣は、1968年に埼玉県行田市の埼玉古墳群の稲荷山古墳から出土した鉄剣。
カサヒヨ(カサハラ)。其の児、名はヲワケの臣。世々、杖刀人の首と為り、奉事し来り今に至る

カサヒヨ(カサハラ)があり渡来人の名のである。
その前にすでに渡来人がかかわりその渡来人が実は大和王権に反抗していた。それで蝦夷とは大和王権に反抗する人達のことでありすでに縄文人は先進文化をもった渡来人と一体化して鎧兜を身に着けた馬を操る人達がいたなら手ごわい相手になったのである。

南相馬市の原町区と鹿島区の古代史の相違
 (鹿島区が大和王権に先に従属した理由−真野の草原の歌の意味)



2024年11月28日

2024年11月27日

南相馬市の名前の考察 【地名は方角地名が基本−東西文明の興亡】


南相馬市の名前の考察
【地名は方角地名が基本−東西文明の興亡】

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北辰は北極星

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庄内藩の旗印

●相馬藩の北郷(鹿島区)の由来

地名の基本がなぜ方角地名が基本になるのか、それは常に人間は太陽の昇る方向と沈む方向に注意する、そしてそのことで方角を知る。福島県でも浜通リになると常に太平洋に面しているから太陽は海から昇る,ところがすぐ近くの飯館村だと山から太陽が上り山に沈むのである。それで私は自転車で行って方向が分からなくなった。東の方向と思って行ったらそれは西の方向だったのである。それはなぜかわかったかと言えば太陽が山に沈む方向だったからである。

つまり回りが山で囲まれていれば方向が分からなくなる。その方向が分からなければ道に迷ってしまうのである。だから方向を知るということは大事なことになる。そして人間の一番意識するのは太陽は昇り太陽が沈む方向なのである。
つまり一番意識するのは太陽は昇る東の方向と太陽が沈む西の方向は基本になる。だからこそ世界は東西に別れたのである。

●東西から見る世界史

欧米では東西の世界にそれぞれオリエントとオクシデント (Occident) の表現を用いることがある[1]。イースト (east) とウエスト (west)、オリエントとオクシデントはいずれも方向を指し示すもので、ラテン語であり、もとはギリシャ語からきている[。「オリエント」の語源はラテン語で「日が昇る方角」(=東)を意味するオリエンス (Oriens) である。

東は太陽の昇る方向である。オリエントの範囲は広くメソポタミア地域からインドから中国まで入る。そして東が先進地域であり文明の発祥地域である。誤解するのは今でもオリンピックでアジアというときエジプトであれ中東であれイスラエルでもアジアなのである。西洋というときまず東があり西が生まれた、東がアジアが古いのである、それが誤解しやすいのである。
ともかく東西南北とあるが東西の感覚が陽が昇り沈む方向が基本なのである、それは地球を横に見るのである。

西欧というとき東があって西がある。ただ人類は東から西に発展して大西洋を渡り西のアメリカにわたりさらにアメリカの東部から西のカリフォルニアに西部開拓として進みまた太平洋に閉ざされたのである、でもさらに西に向かいアメリカが日本に到達した。ペリーが船で日本が開国を迫ったのである。
日本は極東であり陽が昇る東であり西の果てでありその結節点にあった。つまり東西を結ぶ結節点に位置していたのである

●方角地名で大事なのは中心となる地域とその変遷

南相馬市の名前の由来は市町村合併から生まれたものであり新しい、でもなぜ南相馬なのかとなると実はもともともとは小高に相馬氏の城を最初に築きそこが中心となった。だから北郷【鹿島区】というとき小高から北だから北郷なのである。
でも南相馬市になったのは中村が今の相馬市に城が築かれて中心になったのでそこから南ということで南相馬市になったのである
つまり方角地名で大事なのはどこが中心となるかである

それは例えば中国でもなぜ北京があり南京があるのか、これも北京がモンゴル帝国の首都となり中心になった。それは相馬氏が中村に城を築いたと似ている。北京が中心となりその南が南京となった。だから中心地が変わりそうなった。
今の西安は長安であるなぜ西安なのか、それは東に中心がありそこから見て西だからだとなる、でも長安は始皇帝が最初に中国
を統一したのである。でもその後中心が移り西安になった。
だからその中心が変わることで地名も変わるのである

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●日出る処の天子、書を、日没する処の天子に致すの意味

ともかく地理はまず東西南北の方角を知ることである。次に境界を知る。この二つが基本になる。そして方角が大事だというとき人間の地理感覚は太陽が昇り沈む方向が基本になるのは一致している。

日出る処の天子、書を、日没する処の天子に致す。恙なきや

聖徳太子は中国から進んだ文化を学ぼうとして、遣隋使という使いを中国に送りました。その代表が小野妹子です。『妹子』ですが、この人は男性ですよ。この国書は、小野妹子が隋の皇帝に渡したものです」
これは中国の隋の皇帝の煬帝(ようだい)が激怒した。でもそれは別に方向を言っただけである。中国を下に見るとか同等だとかではない、世界を意識する時方向が基本だからそうなっただけである。
ただ韓国でも日本海という名称の反対している。だから日本海は東海になっている。韓国から見ると東海さからそうなる。太陽の昇る方向だから日本と韓国では相当に違った感覚になる

日本でも日本海は太陽が沈む方向であり陽の昇る太平洋とはまるで違った感覚になる。つまり太陽が昇る東と西の感覚で相当に違った感覚になる。また方向を知るというとき何故北斗七星が北極星が信仰までになったのかというと遊牧民にとって常に移動しているのだから方向を知ることは命にかかわることでもある。だから信仰までになったのである。
それで相馬藩の相馬市の旗印は北斗七星であるそれは妙見信仰となっていたのである。その信仰は中国からさらに遊牧民から伝えられたものなのである。相馬氏が馬を操るのに長けていたということは遊牧民の末裔だからだともなる。

『妙見』は仏教では菩薩ですが、天の中心にあって星々を従えていることから神道では『天之御中主尊(あめのみなかぬしのみこと)《北辰妙見尊星王(ほくしんみょうけんそんじょうおう)》』となります

●東(あずま)は東西の境界ー京都の東山と柿本人麻呂の歌

地理ではまず方角を知るのが基本である。東西南北とあっても東西が基本になるのは太陽が昇る方向と沈む方向が基本になるからである。日本でも東となるとき東(あずま)でありそれは私は琵琶湖の湖西から名古屋の関ケ原の方向から太陽が昇って来たの見た時なるほど関ケ原が東西を分けるものでありそれは日本の地理の境界でもあるが歴史の境界であったと認識したのである。
だから東と西が方向の基本としてある。京都でも東山となれば陽が昇る方向であり意識される。

春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは、少し明かりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。(枕草子)

それは東山である。

東の野に炎の立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ 
万葉集巻1 48番歌 柿本人麻呂

これも東は炎の立つ見えてとなり明るい感じになるが西は月が傾くとなる。それは東西文明の興亡も感じられる壮大な歴史のドラマも象徴しているとなる。東洋文明が興隆して西洋文明が興隆して今また西欧文明が衰退して東洋文明が中国がインドが日本がアジアが興隆するとなる、その周期が500年とかなると長いのである。



2024年11月26日

金閣の美【the beauty of KINKAKU temple】

金閣の美【the beauty of KINKAKU temple】

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金閣の美

金閣寺眩く映えて
中島に亀のいて
春日を浴びてくつろぐ
池の水面に映る金閣
桜も映り映えて
苔むす庭に椿の赤く散り
千年の都の美かな

金閣の眩く映えて苔むせる庭に椿の赤く散るかな

Kinkakuji Temple shines brightly
Turtles on the island of Nakajima
Relaxing in the spring sun
Kinkakuji reflected on the surface of the pond
Reflected in the cherry blossoms
Camellia reddish in the mossy garden
The beauty of the city of a thousand years

金閣寺の俳句(2)(千年の都の美)



金閣の写真はネットから切り取ったものだから著作権違反になるかもしれない。ただ他にも同じような写真が多いからわからないとなる。何かネットこうした切り貼りとか引用がしやすいのである

2024年11月25日

認知症と発達障害の共通点 【計算ができない、漢字が読めない、文章が理解できない】

認知症と発達障害の共通点
【計算ができない、漢字が読めない、文章が理解できない】


発達障害者の謎ー読み書きソロバンができない (でも他は普通に話せるしわかっている―学習障害者ともなる)

発達障がいは病気ではなく特性であり、完治させることは難しいです。しかし周囲の人がその人の発達障がいの特性を理解し、早いうちから適切な療育につなぐことで、社会に適応する力を身につけていくことができます。

発達障がいの特徴とは?種類や症状、気になる行動への対応について


発達障害とは何なのか,それに興味を持った持ったのは私が直接認知症の人を介護したからである。最初に驚いたのは字が読めない漢字が読めない漢字が書けない数字がわからない計算ができない銀行に自分の金があってもおろせない。どうしておろしていいのかも分からなくなった。ここに一番驚いたのである。
では他のことが何もかもわからなくなったのかというとそうでもない。長く生きた人生経験がありそれでわかることがある。話が通じることがある。そこが発達障害との相違かもしれない

でもまた確かに発達障害の人は漢字が読めない文章は書けない計算ができない数字のことがわからない。もっと不思議なのはアマゾンからその人は買い物していたカードがないのに買い物をしていたのであるコンビニで品物を受け取っていたのであるその人はいつもスマホとかでゲームをしたりしている。今度はタブレット型のスマホ持って操作していた。だからこの点は老人になって認知症になるのとはまた違って高度なことができているともなる

何か住宅を借りているのだがその保証人がいなくなり私に頼んできた。そこには保証人になるための契約書は市の方から送られてきたのである。ただその契約書の文面を読むことができないから私のところに来て頼みに来たのである

私は迷惑をかけません

そう言って頼みに来たのである。もともと母親を知っていていろいろ前から知っていたからその話を聞いたその発達障害の人はすでに52歳くらいになっている。でも発達障害とは子供の時からかかるのでありそれは学習障害として現れる。だから認知症とは違って子供の時からの障害なのである。だから先天的障害なのかとなる認知症の場合は老化してそうなるのでありそれは非常に優れた人でもなるのである。ただその症状が似ている面があるそれで一番思ったことは文章が読めない漢字が読めない計算ができない数字のことがわからないこのことなのである。

でもぜんぜん話が通じないことなるとその人は迷惑をかけませんとか相手に対して心遣いをしているのである。そして確かに契約書が読めないのだが話してみるとどういう状態にあるのかわかっているのである。それは認知症でも確かに漢字は読めない計算もできないとなるがこれまで経験したことがあり話が通じたのである

とにかく認知症と発達障害の共通点は何かというと計算できない特に引き算はできないというまた漢字が読めない文章が読めない漢字が書けないこのことは共通しているのである
ではなぜそうなっているなどなどだろうか?それが脳の謎があり共通した問題がある。

つまりそれは人間であることが動物と違うのは抽象化能力だということである。太陽があり月があり星がある。でも対応と書いてもそれは太陽ではないし月でもない。そうであっても太陽と書いてあれば太陽をイメージする。その人間の能力が文明を作ったとなる。なぜならエジプト文明のヒエログリフはまさに文字を発明したことで文明を作ったとなるからである

ただ一見表意文字のように見えたのだが表音文字だったのであうる。漢字は表意文字だからであるだからもともと文字というのは表音文字が先にあり音から幼児でも覚えるからである
ということは文字というのは音より高度なものとなる。だから文章を読むということ文章を書くということ高度なものとなり認知症でも発達障害でも理解できなくなる。。

その構造は似ているのである。まだ文字がなければ商業も発達しない。それは口約束では破られることがあり書類で文書で契約することによって信頼されるものとなったからである。だから発達障害の人でも認知症の人でも書類を読めないということ書類を書けない漢字を書けない文字が書けないということは社会生活を普通にできなくなる。
そこに共通した問題はあった。
ただわかることは数字にしても一人の人間を一個として数えることはむずかしいしし進歩下したことなのである。だからこそうして麦であれ米であれ収穫量を数値化する官僚が力を持ったのである。エジプトでも書記が神の如く崇められたとなる

とにかく抽象化能力は高度なものでありだからなぜ発達障害であれ認知症であれそこに障害が出てくるということはどうしてなのだろうとなる。そこに人間の脳の問題が共通してあるということである。ただ症状的に見ると発達障害より認知症の方が症状も進むし悪いとなる。
だからといって人間として話が通じないわけではないのである。発達障害の人は子供の時から障害者であり認知症の場合は80以上とかになってなるものでありそれまでの経験したものがすべて失われることではない。だからこの人は何も分からなくなったということでもないのである。ただ接し方が難しいとは言える。


2024年11月24日

兵庫県知知事の斎藤氏当選が提起した問題 【マスコミに対抗するSNSが民主主義を促進】


兵庫県知知事の斎藤氏当選が提起した問題
【マスコミに対抗するSNSが民主主義を促進】

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●空間軸と時間軸で見る事件の報道

今回の兵庫県知事の斎藤元彦氏が当選した事の何が問題なのか。それが分かりにくいのはこれまでの経過時間軸で見ることができないからである。ニュースというときとにかく無数のニュースがありそれが確かに空間軸では見る。どこどこで何が起きたとかは瞬間的にわかる。でもそこで問題なのは時間軸で見ることができないことである。時間軸で見ることは本当に難しいからである。

イスラエルの問題にして2000年前まで時間軸で見なければ理解できないからである。そうでなくても何か問題が事件が起きたとき時間軸で見ることが難しい。数年前から兵庫県では斉藤知事のことは問題になり批判されていた。
でもそのことに関心がなければ時間軸で見ることはできないそして瞬間的にニュースを見るから斉藤知事というのは悪い奴だとその瞬間的なニュースの印象でそうなってしまう。時間軸で何が議論されて何が問題になったのかもわからないからテレビの放送での瞬間的な印象で決めてしまうのである。

その時テレビは本当に斎藤知事が悪い奴だと印象受けていた。でも時間軸で何が起きたかを知ることが面倒だからその印象づけに乗せられることになる。そういうことがニュースを見る時多いと思う

●原発事故でNHKの偏った報道の問題

それはこの辺の津波や原発事故でもおきたのである。 NHKで津波の被害者と原発事故の被害者でもめることがあり問題になった
その被害者が同じビルとか仮設住宅に隣あって住んで争うことにもなった。そしてNHKではどういうふうに放送するかということ会議で決めていた。津波の被害者より原発の事故の被害者に味方することにしたのである。

だからその番組を見た人は必ず原発事故の被害者が補償金等で優遇されたから津波の被害者は特に30キロ圏外だと補償金は出ていなかったのである。それで飯館村の人が相馬市に避難してトマト栽培の農家に勤めようとしたが津波被害者の方が優先されて採用したとそのことだけ取り上げ印象付けたのである
するとその番組を全国で見れば

そのトマト業者は冷たい人だ!

こう見るのは当然だと思う。そういうふうに印象づけるようにテレビでは一方的に放送しているのである。双方の言い分テレビで放送しないのである。でも私が疑問に思ったのは地元に住んでいるから飯館村の人はかなり補償金が高くもらった。だから当面はは困らないな津波の被害者は相馬市の場合もらえなかった。原発の被害にしても30キロ圏内で区切られて相馬市で一人6万くらいしか貰っていないのである。

そしたら困っているのは津波被害者であり原発避難者ではなかったのである。だから別にトマト業者の農家が冷たいということはなかったのである。公正に判断しているのである。 NHKこそが偏った判断をしたのである。でも事情を知らなければ全国の人はトマト業者は差別して冷たいとか印象付けられてしまったのである。そういうことが今回の兵庫県の斎藤知事の問題でも起きていたのである

斉藤知事はなんて悪い奴だ!

全国から見れば兵庫県のことが分からないしその瞬間的なことで判断するからそうなってしまったのである。一見NHKとかは中立に見える中立ではないのである。なぜならすでに幹部の人が会議で原発避難者側につくということを決めたからである。それで放送でも一見中立のように見えてもそうではなかった
津波の被害者が悪いとして印象づける放送をしていたのである

私自身は別に飯館村の人がいいとか悪いとかではない。地元だから事情が分かり中立に見ていて判断したのである。なぜなら地元では補償金で揉めていたからそのことを自らも知っていたからである。ただ全国的になるとそうしたことも分かりにくいからNHKの放送で津波の被害者は悪いと印象付けられてしまったのである。

●偏向報道の怖さ―ナチスになる怖さ

だから今回の斎藤知事の問題もテレビの影響はマスコミの影響はあまりにも大きいものとして作用した。常に斎藤知事が悪いとして印象付けられてしまったのである。実際に悪かったのは斉藤知事を裁く百条委員会の県会議員の方だったのである。

NHKでもテレビでもマスコミでも中立ではない。必ず偏っているのである。なぜなら報道するにも幹部が会議でどちらに味方するかを決めていたからである。その方針に則って放送するのだからそうなる。それでまたSNSはすべて正しいかとなればそうでもない。でもSNSはマスコミのテレビの圧倒的な力に対抗できるものとして存在感を増したことは悪いことではなかったのである。
そこに問題があるとしてもあまりにもマスコミがテレビでも一方的に放送できる圧倒的力を持っていたということが問題だったのであるだからそれに印象づけられて国民の判断も誤るのである。

それが恐ろしいのはナチスがゲッペルスを用いて大衆を洗脳して悲惨な結果になった。つまりマスコミでもテレビでも大衆洗脳装置となるそうなりやすいのである。その対抗するものとしてインターネットがSNS生まれたことは民主主義の促進になったことは確かである。ただインターネットにもさまざまな問題がありすべていぃとはならない句点でも圧倒的な力を持っていたテレビやマスコミのの対抗手段がのメディアが生まれたことは民主主義を促進することは確かなのであるである。

神は偏り見ない

人間は必ず偏り見るとぴうことである。そこに人間の限界がありだからこそ人は人裁く権能がないから裁くなとなったのである。
マスコミはNHKでも裁判官になり裁く力を持ったことが問題だったのである

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2024年11月23日

故郷の家の思いの短歌−悲しむ人―増える空家 【冬に入る、北風吹く】


故郷の家の思いの短歌−悲しむ人―増える空家
【冬に入る、北風吹く

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この石は皺を刻んだ老人に見える―それで皺石とした
浪江の高瀬川の上流の道にある

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農家になるとさらに古い歴史がある

(我が家への思い)
我が母の苦しくも生く歳月や今は安らふ遺影に偲ぶ
我が姉のこの家に来たり福のあり幸をもたらす女にあれ
我が兄の悲しくもあれその墓標参る人無く我が参るかな
我が家に歳を重ねつ北風のまたうなり吹く守らるべしかな
故郷に歳を重ねて根を張りぬ木の如くあれ北風の吹く
歳月に刻まるものあり年輪を重ねる重み冬に入るかな
我が家に北風吹きてなお生きむここに刻まる歳月長しも
この家を作るは姉と母なりき忘れざるべし冬に入るかな
(近くの知人の死と残した家)
知る人の墓を参りてあわれかな故郷に生きし歳月思ふ
知る人の残せしものや家と庭その人思い冬に入るかな
その家に芙蓉の咲きて主なし玄関に岩をすえてそありし日思ふ
(悲しむ人)
変転す世にしあれば何頼る神の守りて我が生終えむ
故郷に共に生きにし女(ひと)にあれ老いて悲しく昔を語る
人の世のかくも変わるや災いのその大きさや悲しみ深し
人の世の悲しみ知らむ年を経てそを知らざれば人にあらざれ

家があれば家という物の対して人の思いが残る、家がなくなると人の思いは何に対してあるのか?墓があり墓という物に対して亡き人を思う、でもまた墓がなくなれば何に対して思うのか、家の仏壇があるとか遺影があるとかで思う、つまり人の思いは何か物に対して思い物に思いが残る。
でもいずれ何もなくなったら何に対して思うのか、その人の物語がありその人を偲ぶとかなる。
ただ人間は悲しむ存在である。一緒に長く暮らしても必ず死があり別離がある。また様々なことで悲しむ、必ず貧であれ病気であれ自然災害であれ悲しみと苦しみがある、それは避けられないのである。

でもそもそもなぜキリストは悲しむ者は幸いなりと言ったのだろうか?それは人間のみが悲しむことができる、また笑うこともできる。動物はできないのである。悲しむことで人間は何か深いものを知る。だから悲しまない者は人ではないとまでなる。人の悲しみを知らない者は人でもないとまでなる
悲しむことにやって互いに共感することがあるからだとなる

ともかくこの年になればやはり家に対する思いも深くなる。
北風が唸るというとき姉が認知症になり家族もばらばらになったとき私は一番悲しく泣いた。現実にばらばらに住むようになったからである。その時は私は一人であり悲しみ泣いてないていた

だからその時家に北風が唸り吹きつけた。北風が家に吹きつけるとそれを思い出すのである。その時が最悪だった。それから地震が二回あり家に家に家に被害があった。その前に台風の洪水が子供と時ありその被害も大きかった。それで二階建ての大きな家を早い時期に作った。二階に洪水の時逃げるためである、それまで平屋だったからである。こうして家というのには歴史がある
それはみんなそうであるそれぞれの家に歴史がある。古い農家とかなるとさらに長い代々の歴史がある、だから空家が一千万軒になるというのは何なのだろうとなる

この辺では津波で家自体が流され喪失して村自体喪失した所がある。そんなことまである。それは家だけではない村が消失したのである。そんなことまでなることをイメージできなかった
つまりこの世は変転する無常の世である。今日ある物は明日はなく今日共にいても明日は死んで二度と会わないとなる。
無常の世なのである。

2024年11月22日

原町のイオンの隣のツタヤの書店CDビデオレンタルの店が閉店 【相馬市ではイオンが撤退の影響が大きい―全国で大型店の撤退が増える】

原町のイオンの隣のツタヤの書店CDビデオレンタルの店が閉店
【相馬市ではイオンが撤退の影響が大きい―全国で大型店の撤退が増える】

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イオンが発表した60店舗の撤退戦略が、地方都市を揺さぶっている。その中心は、不振を極めるジャスコなどの総合スーパーだ。核店舗の閉鎖は、ショッピングセンター(SC)の撤退に直結する一大事だけに、地元への影響も計り知れない。撤退騒動に揺れる街の今を追った。

それに対し、おのだサンパークを運営するのは、小野田商工会議所の役員らが経営幹部に名を連ねる小野田商業開発という地域密着の会社だ。

 「イオン九州の本社サイドが収益が上がらない店を閉じるドライな判断をするのは、商売である以上仕方ない。他方、小野田商業開発はまちづくりの使命感を背負っているから、閉店という選択肢は最初から存在しない。

おのだサンパーク」は、山口県山陽小野田市の地域に根ざした複合商業施設です。
ここでは、ショッピング、食事、カルチャーといった多彩な体験を一日中楽しむことができます。




相馬市のイオンが撤退して空地化した。その影響は大きいものとなる。いつもあそこで休み食事などしていた。ただ市街の方ではあまり食事などで利用しなかった
今日原町のイオンに行ったらツタヤが書店の部もレンタルビデオとかCDなどももう閉店で売らない。書店とか音楽でもネット化して売れなくなった。その影響が大きい。

雑誌でも売れない、みんな楽天の一か月300円から400円でネットで読んでいるから書店でわざわざ雑誌を買う人も減ったのである。そもそもyoutubeで専門的なものでも時流的なものでも無料で見れる。その説明がわかりやすいのである。学校の先生より教え方がうまいし優れている、地方の学校の先生とかレベルが低いからである。世界史のyoutubeでは先生が政界旅行している。それも何十か国とか普通に実際に行っている。団塊の世代で先生自体がそれだけ世界旅行している人はいなかった
だから授業もつまらなかったのである。

今は円高の時は貧乏人の若者でもフリーターとかアルバイトとかでも世界を回っている人がいたのである。海外旅行は実地のその場に行っている人といない人の差が大きいのである。なぜなら外国のこと本を読んでも映像で見ても実地にその場に立たないと実感できないからである。砂漠が日本ないとしたら砂漠を理解できないのである
だから海外で留学したとか仕事したとか人は実感として世界を知るのである

今や誰でも本は出せなくてもインターネットで放送できる、個々人が放送局になれる。それも一人でもできるとなる。今までのテレビ局はその装置だけでも莫大な金がかかるからできなかった。
兵庫県知事選挙でもあれほどマスコミに叩かれた斉藤知事がネットの応援で大差で勝ったことは驚きだった。ネットが明らかに現実に社会に大きく影響する時代になった。インターネットなしで社会でも世界でも知ることができないとか社会参加もできない時代にもなっている。だからテレビであれ新聞であれオールドメデアとしていることが如実に変化したことを示している

つまり古町と新町があり古町になった。現実の古町はヨーロッパの歴史地区として価値があるがメデアの場合はないから消失してゆく。
それでマスコミが第三の権力とまなったのである。
とにかくツタヤはネットに駆逐された、書店もそうである。
今は自分の関心あることをネットで探して後はアマゾンで古本でも莫大な量があり選び買う、だから書店がなくても困らなくなったのである。個人でも放送局にもなれるし出版社にも新聞社にもなれる。ただ取材となるとなかなかできないから記者とか必要になる。

イオンとかの大資本は商売が成り立たなくなれば簡単に撤退する
それが街全体に大きな影響があっても撤退する、でも地元密着のスーパーはそういうことがない、商店街は地元の人が住んで経営していたからである。その商店街もスーパーができて廃れた
それは車社会になったことの影響が大きかった。別に車なら遠くてもかまわないからである。それで商店街には駐車場とかもないので不便になり廃れたのである

何か地名で古町とあり新町とあるとき古町はもともと栄えていたところである。それも意外と近くが古町であり新町でも離れていないのである。それはヨーロッパだと歴史地区が必ずありそこに城があり古い教会がありとか観光客は歴史地区を観光するのである。古町が観光の場になる。

ともかく巨大資本は巨大なるがゆえに土着的ではない、その弊害がある。商売が成り立たないとなると撤退する、その跡が大きな空洞になってしまうから困る。原町のイオンでももし撤退したらその影響は大きい、でも相馬市のようにならないとは言えないのである。全国でも巨大資本のスーパーでも撤退しているからである。



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紅葉と白鳥【Autumn leaves and swans】


紅葉と白鳥【Autumn leaves and swans】

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real phpto-現実の写真 朝の太陽が月に見える

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2024年11月21日

一軒の空家が語るもの―渡辺英夫氏死亡 【全国で増える空家は何を意味しているのか―失われる歴史―物語】


一軒の空家が語るもの―渡辺英夫氏死亡
【全国で増える空家は何を意味しているのか―失われる歴史―物語】

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一軒の空家

玄関に大岩を据えて
また庭に直立した岩
主は死ぬも重々しくあり
この家の道を毎日我が通りぬ
今冬に入るかな
その家を建てし苦労話を聞く
今は亡きしもなおそこに
主のあるごとしも
一軒の家に重みあり
故郷に土着したる一軒の家
主の死してその歴史を語る


その家の主は最近死んだ、85才だった。その家の主は知っていた。その家をどうして作ったのかを聞いた。20代ですでにその家を建てたのだ。そのためにトラック運転手をして人の2倍のものを運び稼いだ。それだけ仕事があり稼げる時代だった
その庭は特別立派であり岩だけで石だけで相当な価値がある

それを自慢していたのもわかる。そもそも20代でそれだけの家を持つことができたのは時代である。高度成長時代を生きたからである。その時若い人でも別に親から遺産を受け継がなくても20代で家と立派な庭を持つことができた。それはローンでもなかったのである。高度成長時代に別にその人だけではない、みんな好景気で働けば働くほど収入が増えて家も建てたとなる

私の家も店が繁盛して昭和42年 → 1967年頃今の家を親が建てた
大きな家なのでまわりの人が驚いた。でもその時代は高度成長時代だから例えば東京でも大都会でも小さな工場でも仕事がいくらでもあり金の卵として地方の中卒者が集団就職したのである
つまり社会全体が活気に満ちていた時代だとなる

今の時代20代でいくら働いても一軒の家もそれも立派な庭を持つことはできない、だから今の若者は将来に希望がもてないのである。
とにかく家というものは一軒家はその土地に土着して存在感がある。でも都会の団地とかマンションとかになると何か存在感がないのだる。市営住宅などでもそうである。その土地に根ずき土着した感覚がないのである。
重みが感じられないのである。

でも空家が増えているのがもったないとなる。立派な庭があり家も立派なのも多い、しかし人が住んでいない、特にこの辺では原発事故の避難区域になった所は空家だらけであり廃墟化したのである。街全体がそうなった。
ただそれは極端にしても全国で空家が増大している。それは何を意味しているのか、失われたものは家という建築物だけではなない。その家と共にあった人間の歴史も失われたとなる

何か必ずそれぞれの家には物語がある。私の家は二代にしても父親が双葉の新山で酒屋お丁稚をして暖簾分けしてこの地に土地を買い家緒を建てたとなる、そのご姉と母が高度成長時代に今の二階の家を建てた。それで私は苦労もせず二人は死んだが住んでいるのである

つまり家というものはただ物としてあるのではない、そこに必ずヒストリーがある。ストリー物語がある。それが失われてゆく
物が失われるだけではないその物と一体化したものが失われてゆく、ただ家が残っていれば依然としてその家のことを考える
家もなくなったら何が残るのかとなる、その人の墓は近くにある。一人娘は結婚して相馬市に住んでいるが墓は家の近くにある

でもそ家は一代で終わり受け継がれない、ということはいずれ墓も受け継ぐ人もいなくなり無縁墓にもなる。それは日本全国で起きていることなのである。たであこの辺は津波の被害や原発事故で町が廃墟化するとか極端なものとして現実化したのである。

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近くなる知りにし人の墓参る冬の日静か我が一人かな

親しかった女性が病気になり杖ついて歩くのがやっとだから墓参りすると言ったがそれも困難になる
その人は生きている時は文句を言っていたが死んでからは車でいろんなところに連れて行ってもらってよかったとか言う
いい思い出だけを言うのも死ぬと余りその人の悪いことは言いたくないともなるのか
この墓は娘一人がいるにしても相馬市に嫁いでいるから墓は別になる
だから墓誌があってもその後は記す人はいない、実家にも墓がある。でも将来的には参る人もいなくなるのか
ただ孫とかいるからそうでもないのか、空家も増えて墓も捨てられる。継続できないのである
妻は早めに死んだが夫は偲んでいた。でも墓誌にはこれ以上記されることはないのである。





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2024年11月20日

文化力がないと大国になれない 【小国でも文化力があれば大国であり後世に遺産を残す】

文化力がないと大国になれない
【小国でも文化力があれば大国であり後世に遺産を残す】

●大国は軍事力経済力技術力で決まるのか

大国の条件として軍事力経済力技術科学技術力などがあるが欠かせないものとして文化力があると中国の学者がいっていた。
何か文化力というとき余り話題にならない、常に軍事力であり経済力であり技術力が前面に出て語られる。でも文化力というときそれは何なのか前面に出てこない。でも世界の大国になる時必ず文化力が必要でありそれなくして指導的国家とはなりえない。
だから内村鑑三が後世に遺産を残した国がイスラエルとかギリシャとかの小国であったと指摘した

日本に今外国人が観光に来ているのは日本の文化力だというのもそうなのか。日本独自の文化に触れたくて外国人が押し寄せてくる。世界で大国になったというとき中国なら唐の時代に仏教を取り入れて仏教が国の根幹となった。今でもその仏教遺跡を中国で見ることができる。そして仏教は中国で普及して日本へと電波してきたのである。それは軍事力でも経済力でもない。文化の力があって唐という世界に影響を及ぼす大国となったのである。

●なぜ中国の唐が大国で日本が尊敬し学んだのか

では今の大国にアメリカに中国にロシアに文化力があるのか?
確かに軍事力経済力技術力はある。では文化力があるのだろうか
そもそも文化力とは何なのかとなる。日本がなぜ中国に遣唐使などを送ったのかといえばそれは軍事力経済力技術力とかではない、文化が中心でありその最たるものが漢字を導入したことである。漢字の持つ力が影響はどれだけ大きかったかを知るべきである。文明とはまさに文で明らかにするというように文なくして漢字なくして中国の文明はありえなかったからである
つまり中国の唐が大国となったのは文化力だったのである。
そのとき奈良時代でも漢字を導入して盛んに漢字を学んで知識人は漢詩を作っていた。その後も日本は漢字を学び中国の文化を学んできたのである

大国というとき一時モンゴルは巨大な世界帝国にもなった。でもそこには文化力はなかったのである。だからそれが人類の後世の遺産になるようなことはなかった。
でもギリシャは小国でもヨーロッパ文明の基となりイスラエルはやはり小国でもキリスト教は生まれてヨーロッパ文明を作ったのである。だから世界史を見れば大国というだけで軍事力経済力だけでは大国にはなれない。ローマ帝国でも軍事力だけではない建築技術とかその他ローマ法の整備とか文化力は大国にしたのである。ラテン語は共通の言語となったという時もそうである
つまり言葉の力は文明の基であり大きなものだったのである

●軍事力経済力技術力だけでは後世の遺産にならない

また歴史を見るときペルシャ帝国があったとしてもそれは軍事力であり何か後世に残したものがあるかというとさほどないだろうむしろ小国のギリシャこそが後の西欧文明を形成する基となったことでもわかる。
だから国が大きいとか軍事力とか経済力だけでその価値が測れるかとなると必ずしもそうではない。ただ常に議論されるのはアメリカであれ中国であれロシアであれ軍事力と経済力なのであるそれに加えて科学技術力である。文化力を言う人はあまりいないのである。

要するに小国であっても文化力があれば大国だとなりそれが世界に貢献するとなる。でもその文化力については語れないのである
アメリカであれ中国であれロシアであれそれを領土が広いとか軍事力であり経済力であり科学技術力でその価値がすべて測られる。でも世界の遺産となったのはイスラエルとかギリシャとか小国でもあった。だから大国というとき何か恐竜のようにも思える。ただ図体が大きいだけでそれは継続されずに滅びたのである
だからすべてをあまりにも軍事力経済力技術力からしか見ないということに問題がある。ただ常に議論されるのはそのことがほとんどだからである文化について語られることをほとんどないので
ある。

だから文化を興隆させるということがまた世界の大国となり後世に遺産を残すことだともなる。文化力ならば日本は小国でも大国となれるということにもなる。だから文化力を高めるということが大事になる。でもその文化について語られることはほとんどないのである。常に軍事力経済力科学技術力が世界の全てだとすべてとなり文化のことは取り上げられないのである
中国人のなぜ日本人は唐の時代など前は中国人を尊敬していたのに今は尊敬しないのかというとき中国には確かに軍事力経済力科学技術力は増進したけれども文化として学ぶべきものはないからである。
だから必ずしも国が大きくなって他国が尊敬するということはない。ただ軍事力だったらその力に従う、ただ経済力だったらその豊かさを享受したいと思う。科学技術力だったらそれを利用したいと思う。でもそれだけでは文化力がなければ世界から尊敬されない、恐れさせても尊敬することはないのである。

●今のアメリカ、中国、ロシアに文化力があるのか

今の大国はアメリカであれ中国であれロシアであれ文化力がない
イギリスは小国でもシェイクスピアが存在してそれが文化力となって注目される。常にシェークスピアは世界で語られるからである。ではアメリカで何が語られるのかとなる。アメリカの文化とは何なのかとなる。アメリカは歴史が浅いから文化力に乏しい。ただ国の巨大だから資源があり軍事力経済力がありそのことで大国となっている。でも世界の人がアメリカを尊敬するかというとそうはならないのである。

アメリカはただ図体が大きいだけでありまだ中国でもロシアでもそうであり恐竜のようにもなる。でもその恐竜は滅びたのである。だからすべてただ大きいというだけがいいという事にはならないのである。
そして文化の交流であったら国と国を争うこともないのであるその国の成果は文化にありその文化に触れるために海外旅行がある。何かアメリカでは国土が巨大でも文化に触れるということがあまりないからである。ヨーロッパには文化があるその文化を求めて海外旅行するということがある。パリが人気なのは文化力であり日本の京都が人気なのやはり文化力なのである。それはその国の精華にもなっているということである

人知が進んで世の中が開け、精神的、物質的に生活が豊かになった状態。特に、宗教・道徳・学問・芸術などの精神的な文化に対して、技術・機械の発達や社会制度の整備などによる経済的・物質的文化をさす。

哲学・芸術・科学・宗教などの精神的活動、およびその所産。物質的所産は文明とよび、文化と区別される。

文化と文明の違いとは?意味をわかりやすく解説

文明と文化の相違が混同する場合がある。ただ現代は文明の時代でありグローバル化して物質的豊かさをもたらしたが国々の文化は衰退して一様化した。例えば大都市にしてもどこでも同じような景観になっている。高層ビルが建ち車で埋め尽くされているのは同じである。でもそこには精神性がないのである。それに比べると過去の年でも建築でも文明というときイスラム文明がありキリスト教文明はあり仏教文明があった。だからその中心はイスラム文明であればモスクでありキリスト教文明であれば教会になる
それも荘厳な石のゴシック大聖堂である。そこには精神性がある。

仏教文明であれば中国でも蘇州などは仏都であり必ず塔があり寺院があり全体が仏教の都である。それは日本でも奈良や京都もそうである。そこに精神性があり建築物に精神性がある。
それは城でもそこには何か簡潔な武士の時代の象徴としての精神性がある。つまり文化があったとなる。
でも現代はどこの都市でも経済ビジネス商業都市であり精神性に欠けている。高層ビルに精神性を感じられないのである。たたニューヨークの摩天楼とか高いというだけでまた大きいというだけでは精神性が感じられないのである。つまり世界的に一様に物質化されて精神性がない、文化がない時代だとなる。だから何かただ物質的なものだけを求める荒野のようにも感じるのである。索漠とした精神なき大都市である

だからアメリカからは哲学とか芸術とか精神的なものは生まれない。すべてが実用的なものであり経済の追求でありプラグマテズムでありヨーロッパで生まれた文化は無いのである。だからそうした大国は指導的国家となり後世に遺産を残すのかとなれば歴史を見ればそうではない。ただ軍事力が経済力が技術力があってもそれは大国とはならない。また後世に何か遺産を残すことにもならない。とにかく現代は文化不毛の時代である。精神性のない時代である。


内村鑑三がアメリカを嫌ったのはなぜか 
【大国は滅び小国がイスラエルがギリシャが後世の遺産となった】








2024年11月19日

情報を判断する難しさ 【兵庫県斎藤知事はSNSの応援で当選ーマスコミの敗北?】


情報を判断する難しさ
【兵庫県斎藤知事はSNSの応援で当選ーマスコミの敗北?】

●口伝えでも情報判断は誤る

なぜ今情報が問題になるのかそれはインターネットなどが生まれてその前もテレビとかで情報の量は膨大に増えたのである。これまでは新聞テレビが情報の主流だった
今はインターネットもありその情報の量がさらに膨大に増加したのである。
そもそも別にマスコミであれインターネットであれそういうものは無い時代でも情報というのは口伝えでも必ずその伝える人でもまたそれを聞く人でも必ず違ったものとして受け取る

ヤクルトの人が怪我したと言うので別な人が来た。違った人が2人来たのだがともに重傷であり今年は配達できないと言っていた。その人はまだ若いし元気なのでどうして怪我したのか足を痛めたのか分からなかった。何か足にひびが入ったとかだから今年中は配達できないと代わりの2人は言っていたのである。それを聞いた時重症だと思うのは当然である

でもこうして口伝えの情報でも誤った情報が常に伝えられる。その原因が重症だと思わせることを言った人たちが実際は直接その本人にお見舞いしたり聴いていないからだとみた。もし直接会って聞いていたらそんなことを言わないと思ったからである。だから何かを伝えるにしても人はいい加減なのである。実際は軽傷であり別に昨日配達に来たからである
だから情報とか人を判断することは本当に難しいと思う何が事実なのかもわからないのである。だから目撃証人にしてもその人を見誤ることは常にある。それで誤解が生まれる。

●簡単に判断できない情報摂取の問題

今回の斉藤知事の問題で何があったのかこれを理解すること自体難しい。でマスコミでも議会でも厳しく批判しているのだから斉藤知事が悪いと言うことが刷り込まれるのであるそれを私自身も発言したように同じだったのである。
なぜならその事を深く知ることは難しいから表面的なことで判断していたのである。いろいろな事件があってもそれを深く知ることはできない。
だからマスコミの報道することそのまま受け入れてしまうのである。あらゆることにいろいろ事件があってもそもそもそのことを深く知ることは難しいからである

だからこそ簡単にいろいろ事件があっても人のことでも判断することは危険なことになる。でもマスコミからばかり情報を見ているとそれも誤解するのである。何かテレビの場合必ず一方的に情報が刷り込まれるのである。

それでイラクの戦争のとき一羽の海鳥が油まみれになっていた映像は世界中に流されそれでイラクはひどいと世界中の人に刷り込まれたのである。だから報道というのは誰かの意図があって放置されることがあり中立ではないのである。それで正しい判断ができなくなるのである

●地域の情報はそこに住んでいないからわかりにくい

SNSにしてもインターネットでも確かに今やユーチューブでも誰でも意見を言うことができる。そして今回の斉藤知事の当選したのはSNSの情報発信がありその応援があって当選したと言われる。
つまりマスコミが敗北したとされる。なぜなら斉藤知事の悪い面しか伝えられなかったからである。そして何が真実なのかを知ること自体容易ではない。それは兵庫県である兵庫県のことは何か分からなかったからである。そういうことは常に起きてくる。福島原発事故でも他県の人はわかりにくくなるのである。

でも私自身は地元だから発信してきたのである。今までならこれはできなかった。それはやはり福島県地方新聞でもテレビでも報道するだけでありそこに地元に住んでいる人が報道することはできなかったのである。それはインターネットで変わったのである。つまり個々人が報道して意見を言うということができるようになったことは大きな変化だったのである
だから斉藤知事があれだけバッシングされているのに選挙で当選したということはなぜなのかとなった。それを若い人たちがインターネットSNSを通じて応援したからだととされる

今やマスコミだけが報道機関ではなくマスコミ自体が常に批判にさらされているのである。マスコミは本当のことを言わない原発事故でもその危険性を指摘しなかったことが大事故にも繋がったのである。なぜならマスコミは宣伝費に頼っているからその宣伝費を出してくれる会社のことは批判できないのであるそれで原発の場合は電事連から600億円なのかなのか莫大な金が主要な新聞社にマスコミに支払われていたのである
そのためにマスコミでも原発の安全神話を作る方に回っていたのである。

●相馬新報の意義―地域からの情報発信の時代

確かにインターネットでもSNSでも問題がある。それは何が真実なのか事実なのかわからないこともある。でもマスコミでも必ずしも真実を追求しているわけではなかったのである
むしろインターネットの方が別に大掛かりな装置など必要ないし金もかからないのだから誰でもできるユーチューブでもテレビ放送でもできる。プログなどをさらに簡単である誰でも気軽に発信できるので手間がかかって金はほとんどかからないからである
ただそれが読まれるかとなるとそれが非常に難しい。その数が多すぎて埋もれてしまうからである
ただSNSのインターネットの強みはマスコミはまさにマスコミュニケーションだけど全国のニュースは話題になるけども一地域に根ざした情報発信はできない。だから福島県でも広いから地域に根ざした情報発信ができない。福島県だとハマナカアイズがあり歴史も風土も違っているのである

それで原発事故のときちょうど3月頃に海から東風が吹くその東風は福島市の方まで吹いて放射線量は福島市の方のが高かった。海側はかなり低いものになっていたのである。そしてその東風が吹いたために飯館村がその風の通り道になり放射線が高かったのである。だから何か事故でも問題が起きる時take placeでありその場所は問題になるのである。でもその地理とか風土は外からはなかなかわかりにくいのである
だからこそ私は相馬新報をプログで発信できるようになったのは大きな変化であり一個人でも力を没ようになったということである。これまでどれだけマスコミが力を持っていたかそのために情報も歪められていたのである

だから斎藤知事のことは深く知らないとしてもSNSはインターネットが相当に普及してそれが影響して斉藤知事が当選したとなる。それは大きな変化だった。どうしてもあれだけ批判されていれば外から見れば当選するとは思わなかったからである
だから今やインターネットSNSを無視しては社会参加もできないと言う状態にもなっているのである。すでに60代くらいでもスマホみんなしているしま70代になると少なくなるやはり時代の影響でスマホは使えるから無視できなくなったのである。
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2024年11月18日

冬に入る玉野村 【知られざる世界がまだ身近にあった】

冬に入る玉野村
【知られざる世界がまだ身近にあった】

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【玉野村の歴史冬に入る俳句短歌】
冬に入る玉野村

トンネルを抜けて開けた平地があった
玉野村や大根干す家冬に入る
昔の道が残り古い碑が並んでいた
枯草に二つの大石動かずも
近くの家の空家となりて淋し
我がそれを心に留めて帰り来ぬ

人間は近くでもわからないことがある。何故玉野村でも本体がトンネルをくぐった所にあったことは意外だった
前に行ったことがあったが直線の近道をいつも行っていたのでわからなくなった。それでこんな所に平地が開けて村があったことが意外だった。ただ江戸時代とか交流がない時代はそういうことが結構あった。それで柳田国男の遠野物語では山の奥に立派な家があったとか何かそうした家が神秘的なものとして語られている
それは何故かとなれば人々が交わらない生活をしていたからだとなる、歩くしか移動する手段がないからである。
それで隣の村でも麦付きに来た若者が蛇だったかの伝説がこの辺で伝わっている。それは人が交わらない結果としてそうなったのである。

だから玉野村に来てここに村があったのかと不思議だった。前に来たことがあったが全く忘れていたのである。
こんな所にも人が暮らしていたのだと再認識した、実際は忘れていたので初めて来たのと同じだった。このように近くでもわからないことがある、江戸時代とかなると歩くほかないのだから余計にそうなる。

そして玉野村の平地を出て二つの大石が並んであったのが印象的だった。二つ石とかなる。でも空家が一軒とか何か寂れて行く
何故玉野村が形成されたかは平地があったからである、山の中ではめずらしいともなる。山の多い日本では平地があることがが村落を形成することになる。

いずれにしろ山が多い日本では閉ざされた世界で生活していた
だから山に遮られて隣の村でも知らない未知の世界にもなっていた。ただあそこにおトンネルがありそこをぬけると別世界があったとかなる、ともかく日本はトンネルが多い、自転車で怖いのはトンネルなのである。歩道を歩くほかないが歩道がない所もありそうなると本当に真っ暗であり車が来るから危険なのである

ともかく真っ暗な道を丸森まで自転車で行ったことはまた旅であった。筆甫は真っ暗であり人家の灯もわずかだった
街からは相当離れている。旅の行程としては梁川から白根から松坂峠を上ったことは何か制覇した感じになる
ただバッテリーが切れて歩いたことで後で体の節々が痛くなった
結構無理したし体力がなくなっているからそうなる
やはり真っ暗な夜に行ったことで印象深いものにもなった
そこは道を知っているから行けた。もし遠くで知らないところだと不安になり危険にもなる。でも若い時なら体力がまだあるから行けたとなる。今はそれができないので残念だとなる

2024年11月17日

関心領域の欠如が人間の問題であり危険になる 【中国連続殺傷事件も関心をもたせるために起きた】


関心領域の欠如が人間の問題であり危険になる
【中国連続殺傷事件も関心をもたせるために起きた】

●人間は他者の苦しみに関心が持てない

人間は他者にそもそも関心を持てない、映画『関心領域 The Zone of Interest』では隣でナチスの収容所が殺されていても関心がなく普通の生活が行われていた。これは極端な対象で映画化した
ただ人間はそういうことがある

人間は他人の苦しみに無関心である
自分が苦しまない限り関心を持たない

私自身が自らも病気になって親の介護で四苦八苦していても他者は関心をもたなかった。ある人は笑っていたし喜んでみていた
他人の不幸は蜜の味になる。そこまでいかなくても無関心なのが普通である

10年も過ぎたが津波で大被害があり死者も相当数出た

そこで八沢浦が美しい入江にもどったとプログに写真を出して書いたらお前は何のだここで人が死んでいる、泥に埋もれた赤子が掘り出したのだとか激怒した書き込みがあった、他の人責めるのも当然だったと思う。
では自分が介護で死ぬほどの苦しみを受けていた時誰が関心をもったのか?関心を持った人は確かにいたがそれは金を奪えるとなって関心を持ったのである。何か助ける気持ちなどなかった
そのために大金を盗まれたり散々な目にあったのである

人は自分の苦しいことには敏感であり訴える

でも自らが被害がないとかなれば無関心なのである。何か隣でナチスの収容所で殺される人たちがいても平然と楽しみ暮らしていたのである。それは特殊なことではなく人間に起きることである。
相手がどんなに苦しんでいようが別に自分に被害がなければ無関心なのである

●津波原発事故で起きたこと

そいうときなぜ小高の人たちが避難して仮設住宅に入った
その人達はかいそうだとして全国からボランティアが来て毎日のように援助したのである。それでおかしいのは親戚で事業に失敗した人がパチンコ屋で働いた。そのとき避難した人たちが何もすることがなくパチンコ屋に押しかけていたからである
だから私が苦しんでいるのになぜパチンコ屋で遊ばさせるために
働いているのかと不満だった。
ただこの時混乱状態であり何が何だかわからなくなっていた

確かにあなたは津波で八沢浦が美しい入江となった喜んでいるのは何なのだとなり叱責された、その理由もわかる
でも人間は他者に対して関心をもたない、私を一目見れば痛々しい姿でも他者は何とも思わないのである
私に関心を持ったのはあいつは金があるからこの際奪いばいいとしかなかった。現実にそうだった。火事場泥棒として私の家に侵入したのである。
そして私の所に来た人も金で苦しんでいたからそうなったのである

ともかく人間は他者が苦しいんでいてもわからない、関心領域に入らない、無関心なのである。何が苦しいのとなる。
それは津波のことで自分でもそうだったのである。あれだけの被害がすぐ身近で起きてもそこで苦しんでいる人を見ないということがあった。ただ自分自身が苦しんでいるのだから他者を思いやる余裕がなくなっていたのである

●中国の無差別殺傷事件も関心を持たせるため起きた

中国でなぜ連続して無差別大量殺害がおきているのか、それも相当な不満があるけど察してくれる人がいないので爆発したとなる
私自身も力車の青年にカメラを取り上げられ危険な状態になったことがある。それはまだ中国は貧乏な時代だったあのである
そして今なぜ無差別殺傷事件が中国で起きているのか、マグマのように不満が鬱積していてそれが爆発した。裁判にも不満があったとなる。経済的に苦しくなればこうした事件はまた起きて来る

ともかく人間の関心領域は狭い。自分が安全なら何も苦しまないなら他者が苦しんでいても無関心である。外国でいくら残酷な殺し合いの戦争があってもそれを映画のように楽しむことさえありうる
そんなこと私に関係ないとなる。隣でナチスが人を殺害されていてもそうだとなる。それだけ人間は無関心なのである

ただ関心というときinterestであり興味があることは利益があるよ言うとき関心持つのである。あいつは苦しんでいるがあいつは金を持っているから今が奪うチャンスだとなる
それが人間の実体なのである。隣でどんなに苦しんでいる人がいても無関心である、ただ他人の不幸は蜜の味となるのが普通である。
ただそういう人を見逃していると社会にとって危険なものとなる
爆弾をかかえることになる、いつ爆発するかわからないからである
それで無関心でも関心を持たせるために中国の無差別殺傷事件にもなる

八沢浦が元の美しい入江に戻った!
(南相馬市鹿島区の津波の被害写真)

posted by 天華 at 22:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2024年11月15日

なぜ公明党は選挙で負けたのか 【創価の信者が会員が減っているため―創価と公明は一体不二で不可分】


なぜ公明党は選挙で負けたのか
【創価の信者が会員が減っているため―創価と公明は一体不二で不可分】

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創価の信者が増えれば公明の票も増えて力が増大する
公明の力が増大すれば権力で御利益を配分する
でも公明の議員がへり弱体化すれば創価も弱体化する
創価と公明は一体不二であり不可分であり一蓮托生であるから

●創価と公明党は一体である

今回の選挙でなぜ公明党が惨敗したのか、それは創価の信者が会員が減って増えていなためである。会員の高齢化も影響している
活動している人は70代80代が多いからである。その人達は活動する力がなくなっている。

そしてなぜ公明党は伸びない―国民政党になれないのか?

それは創価と公明党が一体であり分離できないからである
もし分離できていたら今回の国民民主のように三倍もの票を得て躍進できる、ではなぜ国民政党になれないのか。それは創価というのは宗教団体の創価の信者の票に頼っているからである
その人達は信仰として仏法の戦いに勝利するために選挙活動を熱心にする。一票を入れることは信仰の重要な主要な行為なのである。それによって功徳があるとかなり必ず公明党に入れるのである。だから完全な政教一致である。
選挙の時座談会でも御本尊の会員は祈り票をとりにゆく、また池田先生のためと票をとりにゆく、なぜそうなのかわからない、ただ池田大作は生き仏だとか絶対的存在であり神格化仏格化している。だから逆らうことはできないのである

政教一致というとき太平洋戦争でも天皇が神ともなり御真影となり神の国だから絶対に勝つとして天皇陛下万歳として結果的に3百万人が死んだとも似ている。
選挙で死ぬことはないがそのくらい選挙に熱を入れているのである。選挙は具体的に教団の勢力拡大であり自民党を下支えして権力を動かすことができる。創価の目的は日本の権力を奪取して池田大作が日本の王になることだったのだる
だからこそ創価とは軍隊組織になっていた。隊長とか参謀とか軍隊組織であり権力を得ること目的とした団体でありその先兵となるのが公明党であり議員になる。

●信仰の一貫として選挙は最重要である

公明党が選挙に強いというとき創価は信仰の一貫として公明党を応援するからである。ただ逆に信仰と関係ない国民は票を入れるのに限界があるから伸びないし創価の会員が減れば公明党の力も減退する。
つまり創価と公明は一体不二であり不可分なのだから創価の会員が信者が増えれば公明党も強くなり票も増える、逆に創価の信者が減れば公明党の力も弱まる、票も減るからである。
だからたそもそも政教一致でありそのことが信者以外の票が入らないから国民民主のようない一挙に何倍もの議員を増やすことができない矛盾になっている

そして何か常に仏をを批判するものは仏罰があたると脅すのである。別に政治的にはいろいろとあっても政策論議で仏罰が当たるな言わないが政教一致だと平気でそういうことを言うからそのことでマインドコントロールされているのは信者だとなる
つまりカルトとはサタンに支配されたものでありマインドコントロールされた団体である。そこにそもそも法華経の信者がいるのか?ただ御利益とこの世の権力を求めそれを邪魔するものは仏罰が当たると脅す悪質な団体である。
ではなぜ権力を得ることに固執するのか、それは具体的に御利益であれ権力を得れば配分できるからである。御本尊を拝めば何でも叶えられると言っても実際はそうはならないからである。でも政治的権力を持てば具体的に配分できるし議員にも大臣にもなれるとなる。

そして御本尊とか拝んでも人間には必ず悪いことが起きる、もしそうでないいいことばかり起きるとしたら誰で入る
現実はそうならない、近くの人は息子が入信して病気になり次に母親が病気になり死んだ、学生時代活動していた人が交通事故で死んだ、池田大作の息子も若くして死んだとかきりないくらい不幸がある。ではそれは仏罰だったのかとなる。あれだけ会員がいればやはり同じように不幸がある。自分自身の家の不幸のことを書いてきたが別に創価の会員でも不幸がある、それは誰も逃れられないカルマとして苦しむとなる

●創価のような巨大詐欺集団が成り立つ不思議

創価の問題はそれは宗教でも何でもないカルトであり宗教詐欺でありマインドコントロールなのである。新興宗教団体は同じである。だからなぜそんな巨大な詐欺が公然としてこの社会で成り立つのか理解できないとなる。普通みんな金にはシビアである。でも宗教となると金を出すことの不思議である。それで何か問題が解決するならいいがしないからである。その金に何に使われるのかとなる。本部職員の給料となりまた勢力拡大のために使われる

結婚式場やホテルを運営する藤田観光が、25,000uもの広大な日本庭園を持つ老舗の名門結婚式場「太閤園」を創価学会に売却しました。藤田観光は太閤園の売却益として329億円を計上しています。太閤園は藤田財閥の総帥藤田伝三郎が建てた藤田邸がもとになっており、2019年にはG20大阪サミットの閣僚会合の会場にもなった超名門の施設です。

これ程の金があることに驚く、そんなに宗教とは金が集まること自体それが宗教ではないことがわかる。お釈迦様は家もなく乞食でもあったしキリストも枕するとなしであったがカトリックは莫大な富を財産を築きあげたからである。それに反発してプロテスタントが生まれたのである
そもそもみんな十円でも無駄にしたくない、何か見返りがなければ金など払わないからである、ここのところが一番理解できないのである。免罪符をカトリックでは売ったりして腐敗した

●宗教では仲介する者【牧師など】によって支配される

なぜ宗教となるこうして巨大な詐欺が公然と成り立つのか不思議になる。そんな団体にどうして貢ぐのか理解できない
成仏とか天国に行けるというのは詐欺だとなる。そんなことは神しか約束できないからである、それは教会に行って牧師に頼んでもできない、それは仲介者でありその仲介者が問題になり牧師のいないプロテスタントが生まれたからである。

牧師を介さずに直接神を知ることである。だから宗教では仲介する者が大問題になった。仲介する者がまるで神の代理人のようになってしまったからである。その代理人が詐欺師であったとなる
でも創価のような国を乗っ取るような詐欺が成り立つのかとなる。それが理解できないのである。余にも巨大化するとその悪も見えなくなる。その巨大な権力に政治家でも何でも警察でも従うようになるのが怖いのである。
でも創価を支える人たちがいて成り立つ、それは共産党でもそうである。底辺層は頼る所がないから頼る、それは別に宗教とは関係ない、話を聞いてくれる何か援助してくれるから頼る、だからそうした底辺層がいるかぎりカルトでも存在するのかとなる。
共産主義もカルトとと似ているからである。
いずれにしろ創価とは何であったのか、その清算の時がカルマの清算の時が来ている。時代の変化でもそうなってきたのである
公明党は国民政党になれないことで政治て役割は終わり創価はまた宗教的役割も喪失して衰退して消滅するとなる。


posted by 天華 at 20:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2024年11月14日

北畠顕家【花将軍】南朝滅ぶ 【霊山城炎上落武者の末裔只野氏一族】


北畠顕家【花将軍】南朝滅ぶ
【霊山城炎上落武者の末裔只野氏一族】

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南相馬市鹿島区真野の一石坂を上る野馬追に出る馬ー旗印は只野氏と菊池氏である


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顕家の命短く朝桜一時映えてはや散りにけり


南朝の栄一時霊山を落ち延ぶ武士や花の吹き散る
山桜はや散りにしをそのあとに滝の轟き夕暮れにけり
野馬追いの旗にし残る南朝の落ち延ぶ武士やその裔を知るかな
南朝の裔も交じりつ相馬氏の治めし城や時は経にしも

春の日短歌十首(飯館村の佐須から霊山から山上へ
-南朝滅ぶ歴史の道)


北畠 顕家が死んだのは21才というから早すぎた。でそれでも戦功があり太平記で語られ歴史に残った。

1337(北:延元2、南:建武4)年1月8日、南朝方の鎮守府(ちんじゅふ)将軍・北畠顕家と陸奥太守(むつたいしゅ)・義良親王(のりよししんのう)は、国府の多賀城(宮城県多賀城市)を棄てて霊山の山頂付近に国司館を建設しました

南朝を受け継いだ明治維新その古代からの歴史 (菊の紋の旗が江戸城入場に出ていた―野馬追にも菊の紋の旗が出る)

光胤をはじめ一族九七人が侍939人、その他多数のものが討ち死にした。
親胤の子の松鶴丸は当時13歳は母と共に小高の西、釘野山の麓の農家の宅にかくれ山野に辛苦をなめたものの、良くその身を全うすることができた

中秋にあたり松鶴丸が一族譜代の墓に詣でて従者に和歌二首をたむけさせた

去年の今日別れし人の墓に来てみのりを問えば涙こぼるる
我一人残るこの世の憂きづまいおもうがままに後世は問われず 

南朝と北朝の争いは複雑である。明治天皇は南朝を受け継いでいるとされた。相馬市は北朝に味方したがそれも一方的ではなく複雑だった。だからこそこの歌が生まれた。
霊山城が炎上して落ち延びた只野一族は南朝であった。
その旗印は菊の紋であり天皇の旗であった。宝財踊りは只野一族などが南相馬市の鹿島区に落ち延びたことを記念して祭りとなった。
相馬藩でも南朝北朝で争いこの歌が残された
みのりを問えば涙こぼるる・・・というとき要するの南北朝の争いはその理由もよくわからないのである。何かこの争いで実りがあったのか問うている。
人間がなぜ争ってきたのかその理由も明確ではない、それはウクライナ戦争でもそうであり世界的な覇権争いであり双方譲らないから悲劇となる。

2024年11月13日

玉野村ー霊山ー石戸村ー梁川ー丸森−相馬へ 【玉野村の歴史ー冬に入る俳句短歌】


玉野村ー霊山ー石戸村ー梁川ー丸森−相馬へ

【玉野村の歴史ー冬に入る俳句短歌】

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この石は見ごたえがある、ピラミッドのようでもある。定め石と名ずけたが他にいいながあるだろう

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この上に隠されるように小さな山津見の社がある

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空家が多い 薔薇が咲いていた

【玉野村】

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ここは空家であり井戸があり蔵もあった

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廃校になった玉野小学校‐結構大きい校舎だった
山村はこうした廃校が多い
それを宿にした所もある

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この二つの石は大きいい
近くに家が一軒あったが空家だろう

【石戸村】
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【梁川町】

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梁川の大きな養蚕していた家

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梁川の街中にあった禅宗の門はめずらしい

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丸森へ松坂峠を上る所にあった
こういうことは時代劇でやるが事実でもあった



渓流の響き朝散る木の葉かな
空家咲く数輪あわれ冬薔薇
【玉野村】
大根干し玉野の村の暮らしかな
古碑並ぶ昔の道や枯れし菊
残りたる昔の道や冬の草
動かざる大石二つ冬に入る
草枯れて大石二つ家一軒
【梁川】
禅門の古りて残るや冬に入る
梁川や商家も古りて冬柳
【丸森】
雲に月時雨あわれや丸森に
闇深く冬の灯ともし筆甫かな
〔金山城〕
もののふの城を守るや冬の月
【相馬】
街道の松の変わらず冬の星


【宇多川上流】
大石のここに定めと重々し動かざるかな冬に入りしも
【玉野村】
トンネルを抜けて村あり平地あり玉野村の冬に入るかな
【石戸村】
社一つ落葉に埋もれ参る人なしも山津見の神社なるかな
【梁川】
梁川に蚕を飼いぬ大きなる家も古りにき冬に入るかな
一本の杉の根を張り古りにけり禅寺の門冬の梁川
【丸森】
我が一人松坂峠越えて来る筆甫の灯る冬の灯ともしも
闇深く響く流れに沿い行きぬ丸森の道冬に入るかな
その道の闇の深しも我が知りぬ雲間に冬の月の光りぬ
【相馬へ】
月影に峠の道の照らされぬ我がたどりゆく冬の夜の道



疫神社(八坂神社がなぜ多いの?) 
(渡来神と疫病除けの神の謎ー災難が連続するのはなぜなのか)

石戸村に八坂神社がある

玉野村歴史

天正年間石田村石田豊前・大石村大石長門は「奥山」一帯を家臣9人に分与した。「霊山嶺続キ小山ヲ猪取山」とある。鳥獣捕獲の「奥山」は「猪取山」と呼ばれていたのである。(2)慶長3年(1598)上杉氏家臣横田大学は相馬海岸と伊達郡を結ぶ往還の中間地点に、「人馬疲労ニ難堪ヲ憂ヒ」、宿駅本玉野村を開いた。宇多・伊達郡から作間備中・堀江与五右衛門ら14人が移住し、「草分百姓」となった。
福島県歴史資料館

これは興味深い、石田では猪を捕ることをことを生業としていた。山で感じることは平地が少ないから田畑が作りにくい、となると何をもって生活していたとなるから猪を捕っていたとなるから理解できる。食料源にもなったということである。
玉野村は旧道の方を行くとトンネルがありそこ抜けると玉野村の本体があった。そこに旧道があった。そこを抜けると霊山の道に出てくる。確かなことは霊山に南朝があった時は玉野村はない、江戸時代になって玉野村に入る人がいた
なぜえおこに玉野村の本体があるのかそれは平地が広がっていた、する田畑にしやすいことで村が生まれたのである。日本は山が多いので平地がないから苦しんだ歴史がある。田を作るに土地を均すことが必要であり苦労した、石戸村なども平地がほとんどないからだる。だからこそ猪を捕って暮らしていたというのも理解できる。

慶長3年(1598)上杉氏家臣横田大学は相馬海岸と伊達郡を結ぶ往還の中間地点に、「人馬疲労ニ難堪ヲ憂ヒ」、宿駅本玉野村を開いた。宇多・伊達郡から作間備中・堀江与五右衛門ら14人が移住し、「草分百姓」となった。

相馬藩より米沢藩とか伊達藩は先に入って来たのである。そこは新しく開墾された地域だった。
でも石戸村とかには南朝を伝える祭りがあり丸森村にも伝説の桜がある。玉野村は江戸時代に開墾された地域で新しいとなる

「人馬疲労ニ難堪ヲ憂ヒ」、宿駅本玉野村を開いた。

歩いた時代はどうしても疲れるから宿駅が必要になった。

とにかう石戸村を出て梁川に出てそこから白根の方に行き松阪峠を登ったが途中で電動自転車のバッテリ―が切れたので歩くほかなかった。電動自転車の問題はこうしてバッテリーが切れることである。でも今度の自転車はバッテリーがきれても普通の自転車のように走れる、ただ坂は歩くほかないのである。

丸森の筆甫まで行くところには家はなく真っ暗だった。その道が川沿いにあることを知っていたので安心ではあった。でも雲が出て来た雨がポツリポツリ降って来た、これはまずいと思った月が雲間から光っている、だからそれほどの雨は降らないと見た
それは時雨でもあった。それからやっと筆甫に出た、一見一応店があり寄った。辺りは真っ暗でほとんど人家の灯が見えなかった、そこから丸森の街の方に出た。そこからまた坂を上り相馬の方行く、その坂もあるくので苦しかった、でも雨は降らず助かった、そこでトラブルがあった。紐が自転車の車輪にからまったのである。これも直すのに面倒だった、そうしているうち時間過ぎて帰ったのは10時ころだったのである。

色々あったにしろ道は知っていたので暗くても安心ではあった。またそれほど車も通らないから危険もまねがれた。何か福島高速道路ができて霊山までの道は車通らないからサイクリングロードになった感じである。でもバイクを飛ばす人はいる。
今年の暑さで体が不調になったが何とか回復してこれだけ運動ができた、やはり運動しないと返って体も強くならない。今度買った自転車は長距離用だとわかった。バッテリーが切れても普通の自転車として走れたからである。でもどうしても坂になるとバッテリーが消耗するのが問題である。ライトはなぜか切れなかったので助かった。自転車も乗りなれないとまずい、危険にもなる。
ただこれは長距離用であり遠くにはいいと思った、ただ日帰りになると梁川まででありそれ以上は無理である











2024年11月11日

古い碑が語る故郷の昔−消防隊員が殉職した碑【秋の暮、菊、柿、冬に入る】


古い碑が語る故郷の昔−消防隊員が殉職した碑【秋の暮、菊、柿、冬に入る】

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我が一人里の細道秋の暮
目にとめぬ隠さる道の残る菊
柿なるや古き碑語る昔かな
山茶花や殉職の碑故郷に
碑の一つあきつあまたや故郷に
日のさして蔵の白壁黄菊映ゆ
冬に入る大岩残し死にし人

この碑は新しいと見ていたが平成7年であり1995年である
すでに30年過ぎている。一時は騒ぎになった、でも30年過ぎると定かでなくなる。でもこうして記念となり碑が仲間の協力で建てられたということは浮かばれるとなる。
ただやたら田舎で顕彰碑が多い、もうそれは何を意味しているのかもわからない、尋ねる人もいない、でも壊されず残っている
こうなると存在意義があるのかとなる。誰も個人の農民の顕彰碑を探る尋ねる人があるのかとなる
ただ江戸時代の碑となると貴重である、骨董品でも江戸時代なら価値がある。

この碑に【寒菊の花咲く石碑の除幕かな】という俳句の碑が添えられている、寒菊はいいとしてそのあとはどうかな見た
寒菊の石碑(いし)とあるが(寒菊や石碑(いし)に刻まる標しかな)とかがいいかもしれない、私は【山茶花や殉職の碑故郷に】した
何か山茶花が似合っていると見た。

事故死より30年過ぎてあわれかなひそかにあれや山茶花の咲く

こんなふうになる。ただ30年が過ぎたとしても古い碑はそれ以上時間が過ぎているから比較的新しいとなる、その人のこと現実にあって覚えている人見る、でも30年過ぎると忘れられてゆく
ともかく死んだ時点で忘れられ行く、忘れるのが早いのである
家族でも死ぬと忘れるのである。そこに人間の無常がある、だから仲間によって記念碑が建てられたことは増しの方だとなる。

近くの人も二か月前なのか死んだ、家は空家になり大きな岩が残された、その人は岩のようにがっちりした人だった。でも死んでやはり忘れられてゆく、でも近くで付き合った女性がその人のことを語りまだ語られることにより活きるとはなる









原発事故の責任は誰にあったのか? 【責任は必ず誰かかが取らされるのがこの世ー現代は金が責任になる】


原発事故の責任は誰にあったのか?
【責任は必ず誰かかが取らされるのがこの世ー現代は金が責任になる】

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国民は官僚が悪いといい、官僚は軍部が悪いといい、軍部は政治家が悪いといい、政治家は国民が悪いといって元に戻ってしまい、責任の所在が消えてしまう。そのうちに「空気が悪い」「時代が悪い」ということになる。総・無責任体制と表現できるだろう
なぜ日本はここまで「衰退」したのか…意外と知らない、多くの人が取り憑かれた「病理の正体」

●責任の範囲が広すぎる問題―責任の大小を明確にする

東電が悪い、政府が悪い、東京都民が悪い、福島県民が悪い、双葉であれ大熊であれ原発を受け入れた自治体が悪い、科学者が悪いー国民が原発に賛成だから悪い・・・その時代の空気であり空気が悪い

こうして誰も責任をとらなくなる。

例えば東京都民が悪い、福島県民が悪いとかいうけどその範囲が広すぎるのである。国民が悪いとなればさらに範囲が広すぎる
それは結局時代が悪いとかなり誰も責任をとらない、それは太平洋戦争の日本と似ている、誰が責任者なのかわからなくなる。
責任のなすりつけになる
ただ人間社会は必ず責任から逃れられないようにできている
誰かが責任を取らされる

300百万人戦争で死んだ!

それが責任だった、だから責任は空恐ろしいものとなる。
原発事故でもそうである。故郷に住めなくなったということが最大の責任として地元の人たちがとらされた
ただそれは避難区域になったところであり南相馬市なら小高区がそうである、つまり原発からの距離に比例して責任をとらされたのである。ただ一方で補償金が多額でもあり返って良かったという人までいる、そういう人は別に東電を恨んだりしないのである。

ある人は補償金でいい車を買った遊んでいたとかある。小高から原町に移り住んだ、でも病気になり仙台市に息子が住むようないなりそこで移り入院した。だからこうして補償金をもらっても浪費した人もあるし苦しいことになった人もいる
その人は別に東電を恨んでもいなかったがいろいろ苦しいことがあれば恨むことにもなる。
むしろ恨まないことがいいとはならない。原発は悪いものではないとなり今はどうしても安上がりの電気が必要だとして原発推進になっている。躍進した国民民主が自民党より原発推進だったのには驚いた。結局エネルギーが不可欠だからそうなった。でもそのリスクが大きすぎるのである

●原発の距離に比例して責任が課せられていた

いずれにしろ誰が責任があったかとなると全部では時代のためだとかしたらすべてあいまいになる。確かなことは責任には優劣がある。福島県民が悪いというが福島県でも広いのだから全部が悪いとならないし第一浜通リにしても被害の濃淡がありそれに比例して補償金が払われた、南相馬市では30キロ離れた鹿島区隣の原町区と比べると三分の一だった。この差は大きかったし鹿島区は医療費でも半年くらいしか無料でなかった。原町区だと10年くらい無料だったし高速も無料だったのである
これが納得いかなかったのである。放射線量は山側が高かったが海側は浪江でも低かったのである。つまり放射線量は一律ではなかったのである。でも補償金は距離で区切られたのである

そもそもどうして原発が作られたのかわからない。国が指導して県がまた地元の地権者の許可があれば作れたととまなる
そして一番の障害が漁業権を持っている漁業組合だともなった。なぜなら事故前も多額の補償金をもらい原発御殿が建ってていたとかうらやましがられていたからである。
それで浪江の請戸の漁師が特等室に入り家を建てると豪語していたのである。それだけ手厚い補償がなされていたのである
だから責任となれば漁業組合が反対すれば原発は建てらなかったとすると漁業関係者にある。事故後ならしかたないがなぜ事故前にも補償金をもらっていたのかと問われることになったからである。

結局責任とは何か?
権限を権力を与えられた者にある

なぜなら権限も権力もなかったら何もできないともなるからである。ただ金をもらえばいいとはならない、その金には責任が付きまとっている。つまり現代の責任は金なのである。金の額に比例して責任が課せられている。金を多く持つ者はそれだけ責任を持たされている。それがわかりやすいのである。だから東電に天下りした官僚などはその金を返還すべきだとなるがそんなこと指摘もしないことが不思議なのである。

●漁業者が事故前も補償金をもらっていたことの責任

とにかく責任の大小があることは確かである。責任は一様ではない、その目安として東電であれ政府であれ金を貰っている額で責任の多寡を見るとわかりやすいのである。現代社会の責任は金にあんったからである。地位があっても金がさほどもらわなければ責任はないとなるからである。
だから責任を負いたくなければ極力金をもらわないとなることだがとにかく金をもらえればいいとなる。だからこそ漁業関係者は事故前も多額の補償金をもらっていたから事故後のその責任をとわれることになったのである。
もし事故前に金をもらっていなかったら事故後に金をもらっていたらそれほど責任は問われなかったとなる、だから安易に金を受けとなるが金をもらえばいいとしかないのが現実である。
そこに金の怖さがある
ただ言えることは責任は必ず取らされる、誰かが取らされるのこの社会である。戦争で300百万死んだというのも国民自体が責任をとらされたのである。責任が誰にあるにしろ必ず責任を誰かが取らされる

原発事故でもそうである。故郷に住めなくなったということで責任をとらされたのである。小高の人が原町に移住して病気になり息子が移住した仙台市の病院に入院したというのもそうである
その人は東電のことを悪く言っていない、むしろ津波に被害にもあったが津波の被害には補償金が出なかったが原発の補償金が手厚かったということで批判しないのである

とにかく国民にしても責任があり原発事故で莫大な国民の税金がとられた。それは国民にも責任があったためである。福島県民だけを責めるのは筋違いだとなる。責任はまねがれないとなる
posted by 天華 at 09:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2024年11月09日

加治将一氏の原発問題の意見−誰に責任があるのか? 【東京から見れば福島原発は迷惑だった―福島県民が悪い?】


加治将一氏の原発問題の意見−誰に責任があるのか?
【東京から見れば福島原発は迷惑だった―福島県民が悪い?】

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山本太郎VS福島の農家バトル動画!東電の思うツボ!】
熱い思いだけでは、解決にはならない。核心を捕まえ、根本を動かして

加治将一チャンネル

●東京や近辺も県で福島県民は原発を作ったことに怒っている

加治将一氏がまずい何をいをうとしてるのか正確に把握す射る必要がある、youtubeの問題は意外と話すことでありそれでなかなかその言ってることが一回聞いても分らない、つまり文章化するとわかりやすいし考えることもできるとなる

加治氏の原発の視点が何なのかまず要約する必要がある
東京でまた近辺の県で茨城県でも福島に原発を東電に作らせて迷惑だったと言っている、これは意外だった。東電はミカドが天皇がいる場所には作らない、作れないとしている
東京はそもそも日本の首都だからここに行政であれあらゆるものが集中してあるから事故が起きたら大変なことになる
現実に一部の人が会社でも大阪に移住したり移転した。

でもわからないのは

福島の県民は原発を作ることに賛成したのだから迷惑だった!

こんな風に見ていたのかと
なると意外だった。一番迷惑しているのは福島県民だったとなるからである。

お前らが原発作らせて迷惑だった、福島県民が悪かったのだ!

それは浜通リにしても被害状況が違っているし原発事故の被害も違っている。それで南相馬市では小高が避難区域になった
そこでなぜ小高の人は原発に反対しなかったのかと南相馬市内でも被害者意識が生まれた、不思議なのは原発の距離に比例して責任が問われたことである。鹿島区だと30キロ離れている、30キロまでは放射線の被害が大きい、だから一応30キロで線引きされた。
でも実態は相馬市の市街の方が0・5マイクロシーベルトとか高かったし確かなことは山側は高かったのとホットスポットがあり一様ではなかった、だから補償金で不満があった、30キロで区切られた鹿島区は原町区に比べると三分の一しかもらっていないのである。それより相馬市になると一人6万くらいしかもらっていないのである。

おそらく原発事故がなぜ起きたのかという責任論として常に追及されることなる。東京の人は別に福島県に原発を作りたいわけでもなかった、福島県民が引き受けたから建ててやったのだともなる。むしろ経済的な面から豊かにするために原発を作ってやったのだともなる、だから事故がなければ東電に感謝せよとなっていたのである。

●原発に関わっていたのは大企業でもありその労働者でもあった

また原発を推進する勢力は政治であれ大企業であれ大きいものだった。大量の電気を安く使うには原発がいいとなっていたからである。その大企業がゼネコンも加わり原発は推し進められた
それで電事連となるとそこで働く組合の人達も原発に賛成だったのである。そのために800億なのか宣伝費がマスコミに支払われたとか言われる。その額に驚くのである、事故後6兆円と除染に使われそこに大手ゼネコンが参加して利益をあげたのである。つまり大企業が参加した国家的大事業であり戦争するのとも似ていた。そのためになかなか反対できない構造ができ上っていたのである。

ともかく原発は大企業でも参加していたということは電気関係する人々も労働者も関係していたのである。そういう背景があるとき原発をやめるということは簡単にできなかった。でも新潟県の巻町では小さい町なのに原発を拒否したから福島県民でも拒否できた、でもしなかったのはお前たちの責任だとすることもできる
だから原発事故の責任は一体は誰にあるのかとなる
もしかしたら原発を作ること自体に作る者に責任があるともなる
核戦争になればその責任は原発を作った科学者にあるともなるし現実に日本に原爆を落とした責任は原爆を作った科学者にもあるとなったのである
原発事故の責任を問うとわからなくなる。大企業もあるとするとなるとそこに働く労働者にもあるとなる。また原発を容認した国民にもあるとなる。でも原発は電気を作るのだから電気文明自体が問題だともなってしまうのである。

原発と核の問題はそもそもその核兵器を作り出すこと自体が問題であり原発も同じである。それが便利でもどれだけ危険な物かということである、それで核自体を知ったことが災いの元だったともなる、核を発見してそれを作り出すこと自体が問題だったともなる。それは人類滅亡にもなるものだからである。
だからその危険から逃れるには核を廃棄する他ないともなる
エネルギーは別に他に安全な方法で作れるからそんな危険なものは作るべきでないとなる。

●農業漁業の被害があっても5パーセントしかいない

農業でも漁業でも放射線被害で福島県産が売れないというとき
それに携わる人たちは5パーセントしかいないというのも事実である。ただ広い範囲が田んぼである畑だというとき何か面積から見ると錯覚する。

でも浪江の人は原発の電気関係で働いていて補償金もらって返ってよかったというとき周りが田畑が草ぼうぼうになっても関心がないのである、それだけ農業とか漁業にかかわる人が少なったということである。
そしてグローバル化広域化社会になると地元の農産物で米でも買って生活するわけではない。いくらでもうまい米でも入ってくるから金さえあればいいとなった社会である。
だからこそ農業でも漁業でも金にならないとかなり漁業の場合は事故前でも多額の補償金をもらっていた、事故になって批判されるようになったのである。

加治氏は移住すればいいというが老人になると簡単にできない、
ただ奇妙なのは老人は先が短いから放射線被害などどうでもいいから故郷に住みたいとなる。10年でも20年先のことを考えてもしょうがないとなる、癌になるといってもどうせ死んでいるとなるから飯館村で80才過ぎた人がキノコを食べていると言っていたのである。

確かに農業が主体の時代なら明治維新で侍が北海道に移住したように可能である
でも今の時代は第一次産業に従事するのは一割に満たないから耕作放棄地が膨大になっている
戦後引揚者が辺鄙な所に開拓に入ったのはやはり農業中心の社会でそうなった

第一満州に進出したのも広大な土地で農業するためだった、農業には土地が不可欠だからである、満州は寒冷地帯で稲作には向いていないけど米作りを日本人はしたのである、それは農業中心の時代だからそうなったとなる
そこに時代環境が違っているから敢えて他に移って農業をすることは簡単にできないだろう
北海道自体が農業したり牛を飼う人が減っているからである。だから簡単に移住することも難しいとなる
ただそれぞれの見方がありそんな見方があったのかとなり何かのヒントにはなる


















posted by 天華 at 22:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

団塊の世代から喪失した教育 【青年は利を離れて理想を求めるー旧制高校の寮歌】

団塊の世代から喪失した教育
【青年は利を離れて理想を求めるー旧制高校の寮歌】

●大衆化したマンモス大学

教育もだめになったというときそれは団塊の世代だと常に学校では競争が強いられいかにして点数を上げるかどうか勉強するのは何のためかとなれば得するためだとなる。そこで何か理想を語ることはないのである。ただ知識を詰め込む場所に過ぎない
その知識にしても得をするためであり社会で得をして楽をするためだとなる。親にしても子供そうした得をするためにいい会社にまた得する楽して得するところに入れて自分も親も楽したい自慢したいというだけになる

奇妙なのは大学に入るとそこは何だったのか。マンモス大学であり何かそこは公園だとかレジャーランドだとか文系の場合はなっている。だから朝から麻雀している人もいるしただ遊びと暇つぶしの場となっているの不思議であった
何か教育する場という所でもなかった。だからこそそうした大学に不満で学生運動が起きた原因でもあった。大学というのはすでに戦前の旧制高校のようなエリートとは違う。大衆化したマンモス大学だったのである。だからゼミでも教授と会ったのは1 2回しかない。つまり教授は何を教えないのであるまた大学というところ講義に出なくても良いしむしろ授業に出ないことを自慢していたのである。
これも不思議なことである大学というのは別に先生がいても教えるところでもない各自自主的に勉強する場であり教授は研究する人であり教える人でもないのである
それでも団塊の世代は高度成長時代でありどこかの会社に必ず就職はできたのである。ただ私が入ったのは三流の私立の文系だからそうなっていたが他は違っているかもしれない。

●利を求めない教育

教育とは何かというとき膨大な知識がありその知識でもとても消化できるものではない。教育とは本当は利益追求の場であってはならない。
でも現実は必ず勉強すれば得するとかいい会社に入れるとか楽な暮らしができるとか目的になっているのである。そうなったのは戦前の旧制高校のエリートなどとは全く違ったものになっていたからである。大衆化したマンモス大学であり講義を受けるにしても千人も入る講堂でしているということで何か興味がなくなっていた。ただもモラトリアム」の時期(猶予期間)であったとなる

ただそれは学校だけではない。社会というのは常に利益を求めるところでありそれが大学でもそうなったということである。福沢諭吉の学問とは立身出世のためでありそこからして利益と離れないものとしてあった
それは宗教でも同じである。カルト宗教になると異常なほどご利益を説くから宗教はそんなに御利益を説くということは異常である。御利益となるということで異常な熱気となっている
創価などはまさに御利益しかないし社会的に高い地位を得られるとか大臣でもなれるとかそんなことしか言わないしそれが目的となっていたのである。だからこそ大衆化してあれだけの人数になったのである。利益になる金になるそのことは誰でもすぐに理解する。
発達障害の人でも利には聡いのである。即座に利益になることは理解するのである

人間は総じて功利的である。利に聡いし利益になることは何の理屈もなしに理解するからである。でも純真な若い時代は青年時代はそんなに利ばかり説くのは青年らしくないし歪めてしまうのである。青年は青臭くても理想を語る、利を離れて一時期でも理想語ることに意義がある。

●旧制高校の寮歌の高邁な精神

嗚呼玉杯に花うけて
第一高等學校寮歌(明治35年)
作詞:矢野勘治 作曲:楠正一

嗚呼玉杯に花うけて 克に月の影やどし
治安の夢に耽りたる 榮華の巷低く見て
向ヶ丘にそゝりたつ 五寮の健兒意氣高し

芙蓉の雪の精をとり 芳野の花の華を奪ひ
清き心の益良雄が 劍と筆とをとり持ちて
一たび起たば何事か 人生の偉業成らざらん

濁れる海に漂へる 我國民を救はんと
逆卷く浪をかきわけて 自治の大船勇ましく
尚武の風を帆にはらみ 船出せしより十二年

花咲き花はうつろひて 露おき露のひるがごと
星霜移り人は去り 梶とる舟師は變るとも
我のる船は常へに 理想の自治に進むなり

行途を拒むものあらば 斬りて捨つるに何かある
破邪の劍を拔き持ちて 舳に立ちて我よべば
魑魅魍魎も影ひそめ 金波銀波の海靜か

治安の夢に耽りたる 榮華の巷低く見て

ここに利を求めない、理想を求める、利益を一時期は離れて理想を求める

星霜移り人は去り 梶とる舟師は變るとも
我のる船は常へに 理想の自治に進むなり

ただこれがありえたのは特別なエリートとして戦前は大学は社会に認められていたからである。だから自ずと学生の心意気もそうなったのである。大衆化した大学はただ増えた学生を詰め込む場所でありあとはいい会社に入る場になった
戦前のエリートの学生はすでに社会の重要な地位に着くことが約束されたからこそこうした寮歌も生まれたとなる。
ともかく社会に出れば常に利益を追求することしかない。ただ学生ならば一時期であれ利から離れて理想を語ることができる場としてあった。そこに学生としての意義があったのである

青年は志高く理想を求め理想に生きる
理想の成らずも理想に死ぬこともあれ
理想の峰は崇高に星々は清らかにきらめき合う
まず神の国を求めよ、そこに理想は成りぬ
神はその理想をかなえパンは与えられぬ
利をパンを求めず理想をまず求めよ
さらばパンは与えられるべし

結局パン(利)が先でありそれで歪められている、学校でもそうでありすでに利に汚されている。カルト教団などでも御利益を求め理想はないがしろにされる。
だから旧制高校のような高邁な精神は養われない、ただその時代があり真のエリートとして選ばれた人達だからあり得た




posted by 天華 at 11:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育心理学など

2024年11月08日

内村鑑三がアメリカを嫌ったのはなぜか 【大国は滅び小国がイスラエルがギリシャが後世の遺産となった】


内村鑑三がアメリカを嫌ったのはなぜか
【大国は滅び小国がイスラエルがギリシャが後世の遺産となった】

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●横への拡大が常に戦争になった歴史

禍いなるかなこれらは家にいて家を建て連ね田圃に田圃を増し加え余地を残さず己一人国に住まんとす(イザヤ)
この世のの富豪、実業家の成すことはすべてこれである。そして成すこともこれに変わりない、土地に土地を増し加えて己一人国に住み、世界を横領せんとす、即ち横に平面的に大地主また世界の王と成らんと欲す
内村鑑三全集28−[拡張の横縦]大正13年

大陸の歴史は横の拡張であった、横に土地を拡大するために奪うために戦争があった、それが歴史の興亡いなる。横とは空間の拡大である、空間軸で形成される、それで絶えず衝突があり戦争になる、それは現代でもウクライナ戦争でロシアが横に拡張して戦争となっている。
また歴史を振り返れば大航海時代がありこれも横への拡張であった、そこでアメリカが発見された、そのアメリカも広大であり西部開拓へ西へ西へと拡大する、そして西へ拡大する果てに日本があった。それでアメリカと日本の戦争となった。
横領するとは横に拡大して領地を拡大することである。それが世界の歴史でもあった。またグローバル化というときも横の拡大である、貿易でも横の拡大である、でも必ず横の拡大は衝突があり戦争となって来た。今アメリカと中国が衝突するのも横に拡大拡張すいるからそうなる。

その黄金多き故に霊魂を失う、戦ってこれを倒す必要はないアメリカ自分で滅びる状態にある。
一等国の運命はすべてかくのごとくである。エジプト、アッシリア、バビロン、ペルシャ、ローマ皆一等国となりて滅びた。
イスラエルはバビロンとエジプトの間に挟まれた小国であった
科学、哲学、美術の基礎を定めしギリシャは欧州アジア大陸の間に位置して小国であった、アメリカの大とは日本の大とは根本の精神を異にする、彼の大は物質的のバビロンであり我の大はユダヤ的また理想的ギリシャであらねばならなぬ、日本はアメリカに習わんとして自己存在を否定するものである。
習うべき国】内村鑑三

●イスラエル、ギリシャ、オランダは小国でも大国

一等国というのは覇権国である、覇権国というとき大国でありかつてソビエト連邦であり今でもロシアがそうである。中国が覇権国としてアメリカと対立するのもそうである。大国が必ずしも世界を導く国ではない、神が祝福するのは小国であった。イスラエルは小国だったからである。では小国が世界的にとるにたらぬ意味なき者かとなれば違う、イスラエルは神に選ばれた国でありギリシャは今のヨーロッパ文明の基となったものである。
だから大国に習うことがいいことではない、日本はアメリカに支配され習うことで腐敗したともなる。
いずれにしろ大正13年頃にすでにアメリカと対立してそれが太平洋戦争と発展したともなる。なぜ内村鑑三がアメリカをこれほど嫌ったのか、それはアメリカにも留学して肌で感じるものがあったからでありその頃の日本は日本人的良さを持っていたから比較してそうなった、今は日本人はアメリカ人となってしまったから日本人の良さがわからなくなったのである。

確かなことはアメリカに習うべきではなかったということである。それがアメリカに占領されたことで強制されて日本的良さを見失ったのである、だから日本人はアメリカ人になった,あらゆることが金で換算されてしまうのである。アメリカはすべてが金でありそれで嫌った。そしてアメリカが生み出したのは何、「それは物質的なもの繁栄であり精神が欠けたものである
だからアメリカからはイスラエルから生まれたものギリシャから生まれたものが生まれない、すべて金に換算される黄金を求める国だとなる。物質の繁栄でありそこに精神はない、だからアメリカに習うべきではないと警告した。
日本は小国でもかつてのイスラエルであれギリシャであれ文明の基となるべきものを提供できるとなる。つまり大国を目指すべきではない、またなれない、それは太平洋戦争の失敗だったことが示している。小国であってもむしろ小国を神は祝福する、大国は滅びて行く、それが歴史の教訓だからである

●日本は小国でもその特性を発揮すれば大国になる

だから中国が小日本と言って蔑むとき果たして中国がそれだけ誇れる国となるのかならない。おそらく国の大きさではなくその質を高めることである。だからイスラエルにギリシャにオランダに見習いと内村鑑三は言ったとなる、小国で世界の遺産となるべきものを残したからである。アメリカが果たして世界の遺産となるべきものを提供しているのか軍事力であり経済力であり科学技術力だけで世界に貢献したとなるのか。

だから大国だから世界に貢献するとか限らない小国でも世界に貢献するものを提供できるとなる。その見本がイスラエルでありギリシャでありオランダとかなる。経済力軍事力だけなら世界に貢献するとはならない、世界を支配したとしてもそれで世界に貢献するとはならない、
ヨーロッパが大国がなくてもそれぞれ個性を発揮して互いに切磋琢磨して世界を導くようになったのはむしろアメリカ中国ロシアのような大国でないからそうなった。大国になるとどうしても政治軍事に力入れるから文化的なものが疎かになるとはいえる
だから日本はアメリカに戦争に負けてアメリカに習ったことが日本独自のものを失ったとなる。だから日本独自のものの再興復興こそが日本をにほんたらしめるもんおとなる。

アメリカにならいアメリカ人になることではない、キリスト教でもヨーロッパやアメリカに習うキリスト教ではない、内村鑑三の武士道キリスト教のように日本の伝統の上に接ぎ木するキリスト教である
ヨーロッパとかアメリカのキリスト教は本来のキリスト教ではないというときもともと宗教は東洋が発祥のものだからそうなる。
そしてアメリカがキリスト教国家のように見えて違っている
ただ何かアメリカで生活した人でもアメリカを礼讃する人とアメリカを酷評する人に分かれるのはなぜかとなる。

とにかくアメリカから得るものは物質的なものであり精神的なものはないとして内村鑑三は批判した。アメリカはマモンを財神を崇拝してプラグマテズムの国だとなる、トランプ大統領にしても外交はデールだというとき商売として政治をすることでもわかる、金ねなるかならないかで判断する、得になるかならないかで判断する。高等な精神とか哲学とかはないのである。得すれば付き合う得にならなければ切り捨てる、金の切れ目が縁の切れ目となる。何か世界に貢献するとかはない、損なことは一切しないとなる、それで世界の指導者になれるのか、そこにアメリカが衰退する原因がある。それは中国も同じだとなる。大国は衰退するのはただ軍事力とか経済力で支配しようとするからである。

だからこそアメリカは衰退してゆく、それは歴史でも大国が衰退したのと同じである。軍事力だけでは軍事力経済力だけで栄えることはできない、そこに精神的なものがないと真の栄はないのである。それを内村鑑三はキリスト教徒として主張していたのである。だから小国でも栄えることがあるし世界に貢献することができる。むしろ小国に神の祝福があり神は小国から神の子となるめきものを選ぶとなる、それがイスラエルだったのである。

●米国が日本を「犠牲」にしても守りたいものとは一体

米国を「恐怖の底」へ突き落とした中国!米国が日本を「犠牲」にしても守りたいものとは一体何か

世界の覇権を失うことをアメリカは一番恐ている。だからそのためには中国がその覇権を奪うものとして敵対する,その狭間で日本は洗濯を迫られ苦しむ、願はくは米中対立して恐竜と恐竜が戦い共倒れになることだが日本もまきこまれてしまうから恐怖なのである。核戦争となり人類滅亡の恐怖にもなる。

そして人類最終戦争ハルマゲドンが迫っているのかとなる。人類滅亡の時が迫っているのかとなる、それはイスラエルがローマ帝国に滅亡して2000年後に復活したことでも何かその日が近づいているという不安がある。大国である中国であれロシアであれアメリカであれ禍いの国となる。やはり核戦争が起きるのが最大の恐怖である。

posted by 天華 at 17:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

アメリカを中国をロシアなど巨大国家を理解できないのはなぜか 【大陸国家は奴隷を階級を作り出してきた―アメリカの貧困層】


アメリカを中国をロシアなど巨大国家を理解できないのはなぜか
【大陸国家は奴隷を階級を作り出してきた―アメリカの貧困層】

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【トランプ圧勝】マスコミはなぜ読み間違えたのか?ハリス偏向報道を生んだ上級国民目線〜格差社会を直視せず、米大統領選を左右対決にした

ハリス優勢がマスコミで言われたけど実際は格差で苦しむ人たちがいて
その人たちがトランプを選んだ、マスコミに乗せられると偏る
でも日本尾マスコミも同調するからどうしてもハリスが優勢だと見ていたのである。だからアメリカにしろ日本にしろマスコミは中立ではない

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米大統領選】「ラスベガスでは1か月暮らすのに最低75万円」アメリカで急増するホームレス トランプ新大統領に望むことは




●アメリカがなぜ銃社会なのか

アメリカがどうして理解しにくいのか、その広大な土地がありそれ自体日本と比べると理解できなくなる。一つの州でも日本より大きいとなる。そんな広さの国をどうして理解するのか?
だから広大な土地に牧場を持つにしても盗賊が牛でも奪いに来ても守る人がいない、警察がいたとしても保安官だけでは足りない、頼りにならないから自衛するほかないから銃を持つのが公認される。西部劇では犯罪者を町の人と一緒になって捕まえる
町の人もみんな銃を持っているからすぐに警官にもなれる

ただ町であれ守るの住民が主体である、そうしなければ守れないのである。それで州ごとに法律があり独立国家のようになっているのもそれだけ広いからもともと自分の家にしても家族でも守るのは自分の家の者でありまた家に従属する人だとなる
そういう国柄は歴史的に作られたそれも200年くらいの歴史で作られたのである。
そしてアメリカとは様々な国や人種の寄せ集めなのである。だからどうしても一つの民族としてまとめられない。そこに常に軋轢が生まれる国である


●極端な格差社会のアメリカ

そして極端に金が力を持つのもそれもやはりそんな広大な土地で何が頼りになるのとなると金だとなってしまうのかもしれない。
アメリカは国が広大であり資源も豊かであり億万長者であれ生み出す国だからそうなる。それも日本の金持ちとと違って桁違いの金持ちを生み出すアメリカンドリームの国だとなる

でも貧富の差も極端であり貧困に苦しむ人たちが4000万もいるとなるとみんな豊かではない、極一部の人が巨大な富を持つ国だとなる。それは中国でも同じであり国が大きいから最初の皇帝の始皇帝でも地下にまで宮殿を持ち死んでも住む贅沢な宮殿で暮らそうとしたし酒池肉林にもなる。つまり古代から一部の支配者に富が手中する国である。国が巨大になるとロシアでもプーチン宮殿が別荘が作られたのと似ている。

日本はそうした富を生み出せる国ではない、古墳が大きいからやはり王の権力が大きいからだと見るが古墳は王の墓なのか何なのかよくわからないのである。確かなことはアメリカや中国のようにその王でも富を集中することもできないしそれだけの富を生み出す力も資源もなかったとなる。
だから江戸時代でも侍でも贅沢していないし食べるものでも庶民とさほど変わらなかったのである。つつましかったのである。大陸国家のような富を生み出すことができなかったのである。

●なぜアメリカ州ごとに法律も違い独立国家のようになるのか

そもそもとてつもない広大な国に住んでいる人たちの気持ちはどういうものにあるのか?小さな狭い所で村として暮らしアイデンティティを作って来た社会とは余りにも違いすぎる
つまりそこからして理解するのが基本的にむずかしくなる。
州ごとに法律が違っているということは州自体が独立国にもなっているのかとなる。それは江戸時代の藩のようなものかとなる
その藩にしても一州にしても日本にょり大きいから一つの国であっても不思議はないのである。
それでテキサスが独立するというのもわかる。資源も豊かであり
エネルギーでも自立できるしその方がいいともなる。

だからそもそもアメリカが一つになること自体容易ではない、人種も混交しているし最近は南米とかからの移民が増えている、するとその人達は英語が喋れない人もいるしそれで意思疎通を図るのに困っているという、言葉が通じなかったらアイデンティティを作ることもむずかしくなる。日本人だったら日本語が通じないということなどありえない。ヨーロッでも言葉は通じやすいのである。ドイツ語が基になったのが英語だから通じやすいとなる

ただやはり言葉が違うことはそのアイデンティティのベースとしてあるから問題なのである、中国でもなぜテレビのテロップで漢字を流したり漢字でコミュニケーションを図る。それはもともと言語も様々であり音で通じないから漢字を共通語としてコミニケーションを図ったのである、日本人でも漢字を書いて意思疎通するのと同じである。だから漢字の発明はまさに文明だったとなる。何故なら文は漢字で書くからである。
商業でもフェニキア人がアルファベットを発明したように商業でも必ず文字が必要になるからそうなる。文字ない所に文明はないともなる。

●巨大国家は何をアイデンティティとしてまとめるのか

とにかくアメリカであれ中国であれロシアであれ国家が巨大な土地を持つと統一して治めるのが容易ではないから分裂しやすい、だから中国では三国志が生まれたとなる。
アメリカは何をもって統一できるのか、もはや移民はいらないというとき移民は国を乱すし愛国心も養われない、金を目当てに来るだけだからそうなる。それは他の国でも日本でも移民は日本の一体感アイデンティティを乱すから拒否反応が生まれる
ただ一方でアメリカは優秀な人達を移民として受け入れて発展した国だともなる。中国でもい始皇帝は長安で最初の中国国家を作ったのもその出自は西の人たちだったとなる

いずれにしろアメリカは何も持って統一されるのか?様々な人種
がいて言葉も違う。国土も広大であり共有のアイデンティティを持つことはむずかしい、ただアメリカンドリームがあり移民する人も多かったが今や4000万人が貧困医喘いでいる超格差社会にもなる。そのことでも一体感をもつことがむずかしい。どうしてもこうした巨大国家は奴隷階級が必然的に生み出す、それは大陸ではヨーロッパでもそうでありロシアでもそうであり中国でもそうである。一将成って万骨枯るになる、それは中東でも同じであり大帝国が築かれても奴隷階級が作られる
だからそもそもアフリカ人を奴隷として連れて来たのもそういう歴史があったからだともなる。アメリカは超格差社会であるが大陸国家は大帝国を作るも奴隷階級が生まれ超格差社会になることで共通している、アメリカが民主主の国で平等の国かとなるとそうではない、アメリカの富裕層は莫大な富を得て金に物言わせる国である。すべてが金だというとことでアメリカに留学した内村鑑三はアメリカ嫌いになったのである。それは中国でも似ている。奇妙なのはロシア人はまだ素朴なものがあるという。

●トランプが選ばれたのは経済問題で貧困層が指示したから

トランプ大統領が選ばれたというとき貧困層が物価高とか家が買えないことで苦しんでいる、それを民主党のハリスは考慮しなかったから負けたというとき身近な経済問題が影響したとなる
そこに民主主義に危機がある限界がある、そうした格差は一票が与えられても簡単に解消しないからである。日本では貧富の差があっても飛びぬけた金持ちは極わずかである。だからそうした金持ちへの不満が比較的少ないのである。でも人間社会から格差をなくすことは不可能に近い、社会主義共産主義でも中国でもロシアでも大金持ちが生まれて格差が生まれ共産党幹部が兆の金を持つとかなった。だから格差をなくすことは人間社会ではできないのかとなる。

ただ時間差で格差も解消することがある、何代も貧乏を続けることもなく金持ちも栄えた帝国も没落しているからである
驕れる者久からずも真理である。金は天下の回りものというときも一所に金が貯められない、必ず金は回って行くからいつまで貧乏人が貧乏人になることもない、富める者もいつまでもそ富を維持できないのである。それが歴史でも証明しているし人間の無常を語るとなる。日本でも国民民主が103万から170万まで税金をかけないというのが受けたのと似ている、身近な問題が勝敗を分けたとなる。


内村鑑三がアメリカを嫌ったのはなぜか 
【大国は滅び小国がイスラエルがギリシャが後世の遺産となった】










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2024年11月07日

思い出に残る旅 【人生最後に残るのは思い出ー老人は思い出を語るのみ】


思い出に残る旅
【人生最後に残るのは思い出ー老人は思い出を語るのみ】

●共にその土地で苦労して昔を語り連帯する

人間は老人なり残るものは何なのか?そんなこと考えて生きる人はいないだろう、でもそれが後になり老人になるとわかる
何かをするというとき仕事でも実は後でそれが充実した思い出になるとき老後はそのことをもい出して語り合い共感して連帯する
だからこの辺で原発事故とかで故郷を離れて暮らすようになった人たちは他の土地でまた新たな思い出を作ることは容易ではない。でも若い人ならそれができる、それだけの生きる時間があり例え移住してもそこが故郷となる
要するに生まれた所が故郷とは限らない、長く住んだところが故郷になる。そしてその土地と切り離せず思い出が作られる

それで浪江の津島というと本当に街からは欠け離れた辺鄙な土地である、でもそこに戦後開拓に入った人たちがいて共に苦労した人達でありそこに連帯が生まれて思い出も作られた
だから辺鄙な所でも離れたくないというのが理解できる、なぜならそこには苦しくても共に生きたという思い出があるからそうなる。他の土地に移ったら確かに便利な生活はできてもそこに共に生きたという思い出は語り合えないからその土地の人との連帯は生まれないのである。だからすべてがいくら補償金を多くもらってもそうしたことが補えないのである。そういう精神的なものは補うことはできないのである。

だから熟年離婚が多くなっているがそれが損なのはもはや60過ぎてから新たな生活を始めてもなかなか思い出を作り連帯することが難しい、そのためには時間がかかるからである。何か家族であっても息子娘で一旦離れてしまうと疎遠になり他人のようにもなったしまうのである。つまり一緒にくらしていないと例え孫でも外孫になると親密にならないしおばあちゃんおじいさんという感覚も持てないとなる。遠く離れて暮らせばそこで思い出が作れないからそうなる、ただ近くであれば交流がありそうはならない、遠くになるとどうしても疎遠になってしまうのである。

●自転車の旅の思い出

思い出とはいろいろある。それは個々人によって違っている
何がいい思い出になるのかわかりにくい、でも大概どんな人でも老人になるとその過去を人生を語る。何故かとなればそれが人生だったとなってしまうからである。それで何も語らない人は何か後ろめたいことしてきて語らないのかとなる
別に特別な人でなくても必ず過去をそれぞれの人生を語るからである。つまり老人は思い出の中に生きているのである。

私の場合自転車で旅したことが思い出になった。そんなこと遊びではないかとなるがやはり自転車で旅することは車とか電車で旅するのとは違い達成感があり感じることも違ってくる。だから一見歩くことで移動して時代は不便でも江戸時代でも思い出に残ったことは確かである。何か鉄道であれ車だと印象に残りにくいし自分の力で行ったという達成感がないのである。自転車だとあの坂を苦労して上ったとか記憶に残る、それで後から思い出して詩にしたりしている。つまり思い出として残すには鉄道とか車の旅だと残りにくいのである。ただ移動しているだけだともなる

だから芭蕉の旅でも歩いて旅したからこそ深い俳句が作られあのである。つまり何でも空間軸と時間軸で作られる、空間軸でも別に飛行機なら一挙に遠い外国に行けるが途中が省かれるから体験としては本当に外国を体験するとはならないのである
其れが大航海時代のように何か月もかけて外国に行った時の感動はないのである。それでも戦前は船ででもアメリカでもヨーロッパでも行っていたのである。
だからその時代時代で印象に残るものは違ってくる
それで芭蕉が平泉まで歩いて旅して感じたことは今は感じることはできないのである。それでも私は何度も平泉に行った、そこで

旅人の平泉去る秋の蝉

これは時間軸で感じたものである。季節の変化で感じたものである。もう秋かここで栄えたみちのくの都もあったがそれも遠い昔となった。旅人は秋の蝉の声を聴いて去ってゆくとなる
芭蕉の五月雨の降り残してや光堂というのはそうした空間軸と時間軸で作られたものである。はるばるここまで旅をしてきたが五月雨に朽ちもせず黄金の光堂が残っていたとなる深い感慨を句にしたのである。それは新幹線で東京から二時間半くらいで来ても感じないのである。

そして旅に病んで夢は枯野をかけめぐるというのもやはり旅して廻ったことが脳裏をかけめぐったのである。
私自身も自転車で旅したことがやはりこの句と同じように感じた。駆け巡っているのである。これは鉄道とか車で旅しても感じられないのである。人間の五感で感じるものが思い出として脳裏に刻まれ残るのである。

坂越え坂を越えつつたどりつく矢の原湿原心にしみぬ

●桜を見るにも空間軸と時間軸で見え方が違っていた

ある場所に行くのにもその行程が大事になる、そ子が現代の旅には欠けている
それは一目千本桜でも電車で行くのと自転車で行くのは相当に感覚的に違ってくる

はるばると我がたずぬれど千本の桜はみな散りし後かな

これも自転車で行ったから遠かった。でも電車で行った時はこんなふうには感じない
苦労してやっと来たのに千本の桜はみな散っていたとなり感じ方が違ったものになる
空間軸と時間軸で感じるものが違ってくる。空間軸では自転車で行けばかなり遠い所になる、
時間軸で見れば花は咲く期間は短い、だから桜はたちまち散って桜の盛りは見れなかったのである。
そこにかえって深い感慨が生まれた。だから必ずしも桜でも盛りを見るということでもない、
二本松城に自転車できた時もそうである

遠く来て霞城なれ残る花

桜が辛うじて残り咲いていたのである、どうしても桜は咲く時期が短いから満開の時を見れないのである
何かを見て感じるとき空間軸と時間軸で感じる。それが空間軸となると交通が便利になって感じれなくなる
また空間軸と時間軸は一体でありそれを切り離すことができない、そうなると浅薄な感じ方しかできないのが問題なのである
旅とは空間軸と時間軸のなかで感じるものとならないと深い見方はできないとなる

2024年11月06日

会津の風土(会津の詩) 【会津の悲劇ー会津は福島県で一番古い場所】


会津の風土(会津の詩)
【会津の悲劇ー会津は福島県で一番古い場所】

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会津の山の奥処より
流れ来る清き大川のひびき
会津の峰々高く険しも
激流は磐を打ち鬼百合の咲けり
山の上に幽邃なる太古の沼あり
人目に触れず菖蒲の咲きしも
秘境ともあれ一村や
蕎麦を育てて糧と成し
からむし織をの業を伝いぬ
里人の畑耕し朝鳥のさえずりぬ
芒なびき山間深く暮れるかな
会津の城こに忠君の松や
代々の墓に記さるその名や秋深む
城は命やその師弟は城と共に果てぬ
悲しくもあれその若人の墓標
松はなお忠君の標しと立ちぬ
清流に旨き米と酒を産みだせり
会津の冬の長しもあわれ雪に埋もれぬ
その曲屋古く馬と寝起きする暮らし
古社に杉の一本深く根ずきぬ
しんしんと積る雪の白さかな
会津の人の心は水と雪に浄めらる
ああ 美しくも悲しくもあれ
城は命と意地とあれ抗い果てぬ
城は石垣人は城
ならぬものはならぬと
その閉ざされた山国の心
その冬長く囲炉裏を囲み腹からや
雪はしんしんと降り積もるかな


福島県は広い、ハマナカアイズとあり風土も違っている。
この風土の影響は大きい、浜通りとなると常に太平洋に面して
夏は海から風が吹くので比較的涼し、雪はほとんど降らないのである。福島市とか郡山でもそれほど雪は降らない、会津は雪に運れて長い冬を過ごす、そういう場所に住む感覚がわからない。
それは日本海側でも雪に埋もれるからである。
共通しているのは水が豊かでありうまい米と酒が産出する
この辺でも山の方で栃窪とか水が清くそれが影響して米がうまいと買っていた。酒でも水の影響が大きいのである。

農産物はその土地の風土の影響を受けるのである。だからcultureはcultivate(耕す)その土地を耕しその土地から独得のものつくりだすのである。それが文化なのである。それはワインでもその土地土地の名前が付けられる農業はその土地と風土と切り離せずある。

ただ会津というと相当に広い、それも山また山であり2000メートルの山がひしめいている、だから地理がわかりにくいのである。昭和村といえば相当に奥である。
村名は昭和に入ったばかりの1927年(昭和2年)11月に大芦村と野尻村との合併で誕生したことから当時の年号にあやかって名付けられた

大芦とか野尻村の方が土着的な名である。自転車で晩秋に行ったら坂を上り下りして芒が茂っていたからである
そして矢の原湿原に着いた、そこは日本で二番目に古い沼である
何か会津には沼が多いそれも古い沼であり何か物の怪がひそんでいる感じになる。会津は奥が深く地理がわかりにくいのである。
まず会津の山を知ることは簡単にできない。2000メートル級の山がひしめいているからである。だから山に閉ざされてわかりにくくなる。
ともかく会津は福島県では一番古い場所でありそれで大塚山古墳から東北では唯一三角神獣鏡が発見されたのである
最も古くから中央の吉備とかとつながっていたのである

第10代天皇である崇神天皇の時代に、大和朝廷の支配領域を拡大するために全国に4人の将軍(四道将軍)が派遣されました。
その中で北陸に派遣されたのがオホビコノ命、関東・東北方面に派遣されたのがタケヌナカハワケでした。二人は親子でもあったのですが、二人が各地方の平定後に落ち合った場所が会津だったそうです

会津の名の起こりとしてある時それだけ早い時期に近畿の豪族と関係していたのである。三角神獣鏡は吉備で発見されたものと同はんのものだったからである
そして福島県では一番早く国として存在っしていたのである

会津嶺(あひづね)の 国をさ遠(どほ)み 逢(あ)はなはば 偲(しの)ひにせもと 紐(ひも)結ばさね

国と意識されたのは東北では会津だけである
山に住んだ人が縄文時代でも古い、なぜなら飯館村に縄文中期の土器が発見されたとかあり山に住んだ人の方が古いからである
そして国と日本で意識する時山に囲まれた地域である

倭は国のまほろばたたなづく青垣山隠れる倭しうるはし

日本では山に囲まれた所が国のまほろばになる。会津でもそうである。奈良でも京都でもそうである。それは縄文時代からそうであった、大和というのも山の国のことである

ただ山国で育まれるのは融通の利かないものともなる。ならぬものはならぬというときそうである。理屈を言わない駄目なものは駄目だと従いとなるからである。
いずれにしろ白虎隊の悲劇戊辰戦争戦争の悲劇がありそれは賛否両論あるとして山国の雪国の風土で培われたものがありそれが融通が効かないものとなった。実際は白虎隊が城が燃えていないのに燃えていると見てももはやこれまでと見て自刀したからである

別に降伏しても生きることもあり得た。それは恥でもない。ただ薩摩長州は殺気立ち横暴になっていたのである。それで会津藩は踏みにじられたのである。それは悲劇になり忘れられないものとなった。ただ白虎隊にしても侍の家に育ち城と一体化していたから城が燃えていると見誤って自刀したとなる。

人は城、人は石垣であるがやはり城はその当時持っていた意味は大きいものだった。一つの侍の共同体としてあったからである、ただ侍ではない農民とかヤーヤー一揆のように年貢で苦しめられていたので一揆を起こして氾濫したのである。だから侍は城と一体でも農民や職人であれ城といったいというものでもなかったのである。そこにヨーロッパの中世と詩とかとは違っていたのである。

奥会津の旅(鬼百合十句‐記憶の旅―写真四枚)








2024年11月05日

技術革新が起きなくなった時代 【機械は人間の五感の代わりにはなれない―人間の五感の回復こそ新たな発見】


技術革新が起きなくなった時代
【機械は人間の五感の代わりにはなれない―人間の五感の回復こそ新たな発見】

技術革新どころか世の中をひっくり返し得る新たな思想すら生まれなくなっている。共産主義や社会主義も、いってしまえば20世紀半ばまでに生み出された人間社会の画期的イノベーションの試みのひとつだ。理系のイノベーションが飛行機や宇宙ロケットなら、共産主義や社会主義は人文系のイノベーションに相当する。

世のため人のため"にはもう働けない…「怪しいビジネス」でちまちま稼ぐ残念エリートが増えている理由

●狭い範囲で親戚を延長した集団で生きていた時代

何か科学的技術的限界が生まれている。社会を変えるほどの発明がない、交通に関するなら船の進歩が世界大航海時代を開きコロンブスのアメリカ発見に新世界を開いた
次にイギリスの鉄道の発明が蒸気機関車が世界に輸出されて新時代を築いた、明治になった汽笛一声新橋を・・で日本の新時代が生まれた。不思議なのは駕籠で人は運んでいた江戸時代から飛躍的に全国に鉄道が普及したといことで日本が藩を中心にした社会から国民意識が形成された。その時関所も廃止されたからである
だから江戸時代から明治の変化は最も大きな変化を経験した
それは科学技術のレベルだけでなく社会そのものをあらゆる点で変えた。鉄道で日本のどこでも自由に行けるということ自体ありえなかったからである。つまり鉄道が生まれて日本国民という意識をもったとなる。狭い藩内の村で暮らしているのとは大きく変わったからである。

そもそもオーストラリアのアボリジニとか原住民を研究して調査している人がまず人間はみな顔見知りであり親戚関係の人間関係で暮らしていた。その範囲は狭いから江戸時代の村と似ていた
めったに見知らぬ人とは出会わない出会うとしたら相当に警戒したのである。それはまさに江戸時代である。
この辺でも隣の村でも人は交わらない、それで隣の村でも麦つきの仕事に来た人が蛇だったとかの伝説が残っている
また明治に飯館村でも大倉村と佐須村が民情が違うので合併できないとあった
大倉村と飯館村は5,6キロくらいしか離れていないのにそうなっていた。つまり人は近くでも交わらない生活だったのである
日本には無数に小国という地名がある時、人は狭い世界が一つの国であり閉ざされた世界に生きていたのである

だからそこからいろいろな問題が摩擦が生まれたのである。
人間は確かにそうした狭い世界で閉塞して生きるより広い世界で生きたいと思う、だからこそ大航海時代があり世界の人と交わることになったのだがそのために摩擦が生じてインデアンや原住民であれインカ帝国マヤ文明であれ一挙にヨーロッとパからの侵入者によって破壊されたのである。
それは第一次第二次世界大戦となり何千万も死ぬ甚大な被害となった。文明の衝突が起きたのである。

●交通の発達が鉄道、飛行機、車が社会を変えた

世界がグローバル化するというときどうしても交通の発達がありできる。それは飛行機の発明でグローバル化した。この発明は大きなものだった。海外力旅行も庶民でもできるようななって知見を広めることになった。海外旅行ブームになったのはハワイ旅行が始まりだった、でもその時飛行機代が馬鹿高いから誰でも行けるものではなかった、ましてやヨーロッパ旅行は高嶺の花であり極一部のものしかできなかった

でも田舎でも南相馬市の鹿島区で火力発電所ができて烏崎の港の漁師の家の人がヨーロッパ旅行に行っていたのである。
その費用は50万とか相当に高かかったのである。まず飛行機代が高いからそうなった、海外旅行が一般化して普及したのは飛行機代が安くなったからである。
何か火力発電所であれ原発であれこの辺では相当に影響した。
特に漁業関係者は特別補償金が事故前も優遇されたもらっていたのである。それだけではない原発は地域の経済に相当に影響した。やはりそれも科学技術の進歩がもたらしたものである
ただ原発事故でそれも裏目にでて故郷に住めないとか荒廃してしまったのである。

いずれにしろ科学技術の影響が社会を変えたのである。その科学技術も明治以降は飛躍的なものであり社会そのものも変えたとなる。特にその後は車が発明され一人一台とか持つようになりモータりゼーションの社会になった。
この影響もいかに大きなものだったか社会も人間も変えてしまったのである。近くが遠くなり遠くが近くなるということになった

●情報通信の発達―テレビからインターネットへ

交通の発達は近くが疎遠になり遠くが身近になる。それは情報の発達でもそうなった。遠い外国で起きることが隣の村で起きるように感じるのである。世界が一つの村になるとマクルーハンが言ったことが現実化した。イラク戦争で一匹の油まみれの海鳥の映像が世界に放送されたイラクはひどい国だと世界の人が見た
でもそれはアメリカによって作られたフェクニュースだったのである。でも一枚の写真でも世界に影響したのである。
それは世界がテレビとかさらにインターネット化してそうなった
現代の発明は技術革新は通信とコンピューターにありそこでAIとか人工知能の開発に進んでいる

ただ顕著な技術革命がなくなったというときそこに閉塞感が生まれているとなる。だから知的エリートは姑息なことで株を操作したり何か政府からでも巧妙に金をくすねる悪知恵で儲けているとなる。大きな技術的革新が起こらない、宇宙でもそこに新世界は発見されないのである。

何か新しい技術は新しい体験することである、船に乗る飛行機に乗る車に乗るでもそうである。
電動自転車に初期の段階から乗っていたがこれも新しい経験だった。電動自転車はバイクとは違う自らの力でこぐということでただ機械任せではなく自分の力で走るという感覚があり達成感が馬まれる、それで自転車は風とか光でもまともに感じるから自然とも融合するものになる。車だと便利でも自然を遮断してしまうのりものだからである。
本当に自然とか地球を体験するには飛行機とかでは確かに目的地には行くが途中が飛ばされるから体験したとはならない。つまり中国からでもシルクロードを伝いヨーロッパに到着したとき本当に地球を体験したとなる
飛行機ではシベリア上空をとんでもただ真っ暗な闇であり何も見えなかったからである。

●人間五感に優るものはないー五感を回復することが発見に

いずれにしろ科学技術でも革新がないというとき新しい体験ができないとなるが奇妙なのは歩くことが新しい新鮮な体験になるのも不思議である、昔の街道を歩くと今まで感じないことを感じるからである。それは車だとただこれも目的地に早くゆくものであり途中が省かれる。でも歩いてみれば全く新しい体験をする。
それが新鮮なものである、現代は余りにも科学技術の恩恵を受けて暮らしているがそこで失われたものがありそれが見直されるのである。確かに新し科学技術などの革新はなくなっても人間的五感磨くことはできる。芭蕉の俳句がなぜ生まれて今の時代にうまれないのかといのもそれだけ現代は人間の五感が喪失したからである、確かにカメラなどは人の目の代わりになるが人間の五感で感じるものをすべて表すことはできないのである

五月雨の降り残してや光堂

この短い句のなかに自然がまた人間の歴史を空間軸と時間軸で感じているかということとである。それも歩いて地の果てのような所に旅してきたからこそ感じたものなのである
それは人間の五感があって生まれた俳句なのである。
つまりいくら技術が進歩しても人間の五感に優るものは作りだせない、だから科学技術には限界がある、いくらAIが進歩しても人間の補助にはなるがすべて置き換えることはできないのである
それでルソーも自然人間を主張したりニーチェの超人思想とか
上野霄里(うえの しょうり)氏の原生人間が主張されたのはそのためである。科学技術には限界がある。だから進歩がないというとき逆に人間の五感こそが返って新しいものを作り出すとなる。それが新鮮になるのも余りにも機械に席巻された時代だからこそなったのである。

「クルマを捨ててこそ地方は甦る」藤井聡を読む







2024年11月03日

何が得か損かわからない 【不正をして繁盛するのかー損して得をしろの意味】


何が得か損かわからない
【不正をして繁盛するのかー損して得をしろの意味】

●損得勘定だけで成り立たない商売や社会

人間の習性として誰でも損したくない、そしてまで商売したくない、そもそも損していたら商売自体成り立たないからである
だから誰でもともかく利益を得ようと必死になる。
でもカルト教団とかでは宗教でも異常なほど御利益を説く、得するから信心に励めと狂気のように祈っているのである。
だから不思議なのは王宮に住んでいた釈迦が乞食ともなり修行したのかとなる。これほど損なことはないからである。
カルト教団になると絶対に損になるようなことはしない、すべて計算ずくで御利益になることだけを考えている、御利益になるとか信心に励めとなる、だからこそあれだけ数が増えたのである
それが個々人でもそうであり会社とか団体でもそうである。
みんな利益を追求しているのだからそうなる、誰も損して何かをやる人はいないし会社でもそうである。

だから銀行でも

投資御信託は絶対に損しないから奨める

何であれ客は損したら客の損であり銀行は絶対に損しない
手数料は確実に入り銀行は損することはないのである
損するの客であり銀行は絶対に損しない、でも客が預金したものを投資する時がやはり大きな損をすることがある
だから投資信託は銀行では絶対に損しない商品なのである。
これは何か不公平ではないか、別に投資が悪いというのではない
でも人から預かった金で投資させてその手数料で稼ぐ、実際は銀行はそもそも株のことなど素人だから証券会社に預金している人紹介するだけだとなる。ただ確実に客が損しても銀行は損しないからいい商売だとなり奨めるのである
もしかしたらそれは詐欺とにっているかもしれない。

●宗教は最大の詐欺になりやすい

カルト教団でも異常なほど信じれば拝めば後利益がありますよ説く、だから布施をしなさいとなり莫大な金を集める。
そのことが理解できないのである。宗教はそうして金を集めることができる。何ら苦労もないとなる。農民でも大工でも土木作業員でも汗水たらして酷暑のなかで働き死ぬ人もいる
でも銀行員とか何か公務員とか士業といわれるものは何か損悪路もないとも見る、それは政治家にも言える、裏金のように労せずして多額の金が入って来るとかなる
それで反発されたのである。宗教とかを職業にしている人は何か胡散臭いとなる。していることはただ拝んでいるだけではないかともなるからである。だからパウロはテントを作り職人として稼いで布教していたのである

でも今のカルト教団は布教のためにまず莫大な金を集める、それは御利益が得られるからだと説いている
これも巨大な詐欺ではないか?そもそもなぜそんなことが堂々と成り立ち巨額の金がカルト教団に集まり消費されるのかとなる。
その金を払う人も御布施する人ひたすら御利益を得たいために払っているのである。魚心あれば水心ありとなる
でも金にシビアな人間がそんなに金を払う貢ぐことを理解できないのである。
だからそんなことこの世で成り立つのかとなる。それで創価公明は衰退して消滅してゆくのが当然だとなる。そもそもそんな宗教団体が成り立つこと自体が異常だった。

宗教だと別に資金もいらない、紙一枚の御本尊を大量にすればいいいけだとなる、それを拝めば後利益があるとなる
だからそもそも資本はかからないのである。何か事業を起こすにしてもその負担は大きい、でも宗教の場合紙切れ一枚すればいいとなるから坊主まるもうけとかなっていたのである
何の苦労無くてももうかるということである

●損して得をせよもまた真理

人はともかく絶対に損しないと見がまえている。損になることは箱一つでも運ぶのを嫌がる、ただではしたくないということである、はたしてそういうことで逆に成功するのかとなる
もちろん無料でやれというのではない、損になることは一切しないとなっていたらそもそもが商売でも繁盛するのかとなる

いずれにしろ宗教が商売になるようになったらどうなるのか、そういう団体は維持できなくなる。会社でもただ利益だけを追求していたら成り立たなくなる、一切利益にならないことはしないとなったら何でも繁盛するのかとなる
だからカルト教団とか銀行であれ会社であれ何らか実際は利益だけではなく人にサービスして助けるということがあっって成り立つ、結果として繁盛するとなる。不正して繁盛することはない
だから商売でも経済でも正義が関係しているとなる。不正に儲けて巨利をえているとなるとそうした会社であれ国でも成り立たないだろう。いつか崩壊する。資本主義でも強欲資本主義となり極一部の人に莫大な富が集まることは格差社会は自壊してゆくとなる

ともかく損して得せよということま人間社会では格言として残されている、そうした諺とかは別に難しい哲学とかではなく人間がかわらないから高度な科学技術社会でも活きているのである
その人は技術者としては優秀であり事業を始めた、でもそ人は何か他人のために尽くすとかではない、頭がいいから自分の優れているところを見せたいからだともなっていた
だからその人は他人の為に箱一つも持ちたくないとなっていたのである。それで事業に失敗したのかもしれない、ただ詳しいこてわからない。その人は損なこと絶対にしないとなっていた

こういうことは普通にある。例えば電器量販店でその店で買ったものでないものをパソコンの使い方を教えてくれと言ったら教えてくれたのである。それは簡単なことでもパソコンだとわからないからである。それは利益にならないのである
確かにそこの電器量販店では結構買い物はしている、でもそこで買わないもの教えないのが普通である。でも教えてもらったころで恩義を感じたのである、その結果として通販で安いものがあったが多少高くてその店で買ったとなる。通販は売るだけであり他のサービスはしないからでわる。
普通はみんな絶対に損しないと身構えて商売している、だからその店で買わない者に教える必要がないとなるのが普通であり責められないのである。

損して得をせよ

これもまた一面の真理なのである。そこでその店で買わないのその操作を教えてくれたということで恩義を感じたからである。
それが見返りがないようで後で見返りがあるともなる。それはわからないにしても損したようでも得になることは確かにある

●無料では何もしない問題と通販はアフターサービスがない

人はともかく絶対に損しないと見がまえている。損になることは箱一つでも運ぶのを嫌がる、ただではしたくないということである、はたしてそういうことで逆に成功するのかとなる
もちろん無料でやれというのではない、損になることは一切しないとなっていたらそもそもが商売でも繁盛するのかとなる

いずれにしろ宗教が商売になるようになったらどうなるのか、そういう団体は維持できなくなる。会社でもただ利益だけを追求していたら成り立たなくなる、一切利益にならないことはしないとなったら何でも繁盛するのかとなる

だからカルト教団とか銀行であれ会社であれ何らか実際は利益だけではなく人にサービスして助けるということがあっって成り立つ、結果として繁盛するとなる。不正して繁盛することはない
だから商売でも経済でも正義が関係しているとなる。不正に儲けて巨利をえているとなるとそうした会社であれ国でも成り立たないだろう。いつか崩壊する。資本主義でも強欲資本主義となり極一部の人に莫大な富が集まることは格差社会は自壊してゆくとなる

2 「三方よし」とは?
3 近江商人の商売十訓
3.商売は世の為、人の為の奉仕にして、利益はその当然の報酬なり
3.売る前のお世辞より売った後の奉仕、これこそ永遠の客をつくる


今は通販の時代だけど

売る前のお世辞より売った後の奉仕、これこそ永遠の客をつくる

これが欠けているの問題なのである、そのために買えないということがある。ただどうしても私自身でも安いから買うのである
でも自転車だけは後の修理があるから通販では買いにくいのが問題なのである。でも通販で買えないものが多いからどうにもならないともなる








posted by 天華 at 22:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題