参政党はキリストの幕屋の応援ありー政治と宗教の問題がイランでも起きた
【公明党が衰退するのは何故ー国民政党に成れないから】
参政党はカルトの指摘に神谷代表が反論するも墓穴を掘った
キリストの幕屋はカルトとは違う、手島氏は純粋なキリスト信者だった
でも熱烈にイスラエルを支持した。それはその時アラブの敵に囲まれて国家滅亡の危機にあったからである
でも今になるとガザでジェノサイドになったいる、それは容認できるのか?
爆弾に何か信者が書き込み祈っているのは異常ではないか
ただこの人は左翼である。手島郁郎氏は偉大でもその後に残された団体がこうなることは問題である
すでにガザで5万人も死んでいるからである
●イランの政教一致がもたらすもの
政治と宗教の問題はいろいろある。それは今回のイランとイスラエルアメリカが戦争になったときアラーとエホバが戦うと見たのもそのためである。どちらの神が強いのかとなる。そんなことは実際にはない、でもアメリカでもイスラエルでも宗教的権威であり権力者であるホメイニ氏を暗殺しようとした。
それはなぜなのか
そこに聖なる権威と権力が集中しているからである。それは飾りではない実質的な権力を持ち軍隊に命令できる権力者である
だから政教一致なのである。イスラムは聖職者が政治家であり権力を持ち操作できるからこそそのトップを殺害すれば下々でも
聖なる権威を持つ人が殺されたとなりその権威を失うのである。カリスマの権威を失いその体制も崩壊する
カルト教団は必ず一人の教祖がいて権力と権威を持つ絶対的存在である。だからこそそのトップがあえなく暗殺されればその体制自体が崩壊する。創価などでも完全な政教一致であり池田大作が権威と権力を具現したカリスマだった。
だから選挙でも池田先生のために選挙運動になる。その活動は宗教活動であり政治活動でもある
でも池田大作が死んだときその影響力も喪失した。池田大作の影響を受けた人達も高齢化したからである
なにかわからないけど参政党がキリストの幕屋から応援を受けていた。その創始者の手島郁郎氏が熊本の出身でありそこの集会に参加していた。手島氏はイスラエルが回りのアラブの国と戦争したとき宗教的立場で熱烈な支援者になった。
それはトランプ大統領を福音派が応援しているからイスラエルの味方になると似ている
ただそれはその時イスラエルは本当に周りを敵に囲まれて滅亡の危機にもあった
だから時代的に応援することはキリスト教信者ならありえたとなる。
でも今の状態がそうではない、ユダヤ人がナチスになるように虐殺している、ジェノサイドになる。それをキリストの幕屋が応援しているのは正しいのかとなる。つまりキリストの信仰より旧約聖書の時代に逆戻りしたのである。
旧約時代だと異民族神の命によってエホバによって容赦なく殺していたからである。それが2000年過ぎて再現されたのである。だから2000年後にアラブ側からすれば大迷惑だとなるのもわかる。しかしなぜそれが容認されたのかはユダヤ人の虐殺ホロコーストがありその贖罪のためにドイツは応援している。
それで迷惑なのはアラブ側だとなる。
ともかく政教分離があっても不可分に政治と宗教は結びつく分離できないのである。何か軍事力であれ経済力であれそれだけでは人間を従わすことができないのである。だからヨーロッパの歴史でカトリックが政治的にも大きな力を持っていたのである
ただアメリカはイスラムのイランでもそのトップのハメネイ師でも恐れていない、だからこそ核施設に爆弾を落としたのである
トランプ大統領は政治でもデールであり得すればいいということで外交するからである
●キリストの幕屋がなぜイスラエルを支援するのかーガザの殺戮に手を貸すのかの疑問
結局神が味方する仏が味方する天皇が現人神(あらひとかみ)が味方するから勝つということはありえなかった
科学技術力の差が勝敗をを決めた。ただ旧約聖書の時代はそうした軍事力でなくそこに神の力が働いて勝利したのである
モーゼは杖一本でもエジプトの大軍と戦って勝ったのである
だからイスラエルが旧約の時代とは違うその背後に巨大な強国アメリカがいて勝利するとなる
それは杖一本で戦ったモーゼとは全く違ったものである。だからパレスチナでのガザでの虐殺は容認できるのか問題である
ただまたイスラエルは神が定めた地球の中心でありそこにユダヤ人でも聖殿を再興することは世界で認めるべきだとなる
それも周りでもアラブ世界でも認めるべきだとなる。それがイスラエル国家なのかまたユダヤ人の特区になるのかわからないにしても確かなことはイスラエルが地球の中心として神が定めたことはそれは否定できないのである
それにしてもキリストの幕屋とか出てくるのも何なのか、その団体がまだ活動していたのかとなる
手島郁郎氏の原始福音というのも特殊だった。現代に奇跡中心のキリスト教がありえるのかと見たからである。
ただそこに聖書のエッセンスがありそれを実行した人だとなる。それでも人を殺すなと説いたキリストの教えは異民族にあてはまるのが新約聖書の時代である。だからあれだけ無惨にアラブ人が殺戮するのを容認できるのか?
それは何かキリストの教えからも越脱しているとも見る。
というのはキリストが殺されたのはユダヤ人の民族主義者によってだった。その民族主義者がイスラエルの国家を再興したのである。新約聖書時代から旧約聖書の時代に逆戻りしたのである。
ともかく左翼から見ると参政党は右派でありそれが宗教団体と結託するから批判するのも一理ある
でも内村鑑三でも右派であり日本を愛するとしてキリスト教を説いたのである
ただ内村鑑三の場合は天皇不敬事件があったから右派というのではなく外国人に頼らないキリスト信仰を説いたのである。
アメリカにも頼らない愛国心を助長したのである。何か左派になると愛国心と結びつかないのである
それでキリストの幕屋を敵視したとなる。でも愛国心は否定されないだろう。戦争など奨励するものではなく平和の愛国心は必要なのである、だからこそ内村鑑三はロシアとの戦争で非戦論者になったのである。それは本来の愛国心とは違ったものとして見ていたからである
●カルト宗教団体の異常な御利益追求ー公明党は国民政党になれないのはなぜか?
政治と宗教の問題は複雑であるけど宗教と権力が一体化することが矛盾なのである
それが創価の場合あまりにも露骨なのである。権力を得るためなら何でもいい票を集めて権力奪取するのだと狂気のように祈る
ナチスとファッシズムと似ているのである。そこに本来の宗教を求めたものがゼロなのである
だからこそ一時あれだけ増えた。それは創価に入れば御利益―権力が得られるとしとそうなった
だからカルトでありナチスと似ていて文明の都市化の病理的現象だったのである
つまり政教分離が必要なのはたとえばABという商店がある。Aは創価の会員であり繁盛を願い祈る。でもBは会員でないけど
売れるように工夫する。菓子屋だったらうまい菓子を作る。別に信仰していないから神仏に祈ることはしないけど売れるように努力する。でもそうしたことと関係なく創価の会員は信者の仲間であるAの店から買うことになる。
そこにかえって不公平が生まれる。一方はそれで御利益があったとますます祈り選挙でも公明党に入れるとなる
でもBの店では売れないとなれば不公平となる。だから宗教がかかわると世俗的生活でも不公平になる
だから政教分離だけではない政経分離も必要だとなる。商売でも競争があるが宗教がかかわると不公平になる
そして悪質なのはBの店が繁盛しないのは罰があったとか言うのである。それが異常なことでも宗教団体では平気で言うのである
公明党がなぜ衰退したかとなるとこうしたことが原因なのである。会員となる仲間なら助け合うがそうでないものは助けないとなれば票を増やせない国民政党になれないのである。ただ祈るだけいいとはならないのである。
ただこの世の中常に党派があり仲間がいて団体化する、すると団体化したものが得するように働く、労働組合にしてもその組合の利益は追求するが中小企業だと大きな組合とならず政治でも圧力をかけられない、それでそういう人達の受け皿に宗教団体とか少数政党がなる。
とにかく人間は利益と離れられずある。日々利益を追求するからである。そこに矛盾と不公正が生まれるからである
それで出家したり世俗の利益とかかわらないことで宗教の純粋性を維持したのかもしれない。でも宗教でも世俗の力が強いからその力に屈服してそこが世俗以上に欲望の限りない追求と化したのである
煩悩即菩提とかなりあらゆる欲望が容認され強い欲望を持てとまでなった・つまり完全に俗化したのである。
それはプロテスタンシズムでもそうだった。もともと修道院から生まれたものであり他者への奉仕として勤勉に働くことだとなった。つまり節制して働くことは他者への奉仕だったのである。そのために富を得てもあくまでもそれは他者への奉仕としてあり寄付するともなる
それも全く世俗化してただ金を得れば限りなく欲望追求することが容認されるものとなった。これも宗教の堕落であり俗化だとなる。それだけ人間の欲望は強いからそれを抑えることができないからそうなる。