2025年06月10日

観光は水ものー北海道の有名な観光地はインバウンドでも人口減少 【外国人によって破壊される日常の生活】

観光は水ものー北海道の有名な観光地はインバウンドでも人口減少
【外国人によって破壊される日常の生活】

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ラベンダーの聖地で何がー富良野の変化

私はずっと航空業界にいて、その間に湾岸戦争だとか、911だとかいろいろありましたから身をもって体験しているんですけど、観光って本当に水もので、災害、天変地異、政変、テロなど、何かあったらピタッと観光客は来なくなります。

観光は水ものです。
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観光を重点にして市町村を作ることに失敗する。それは北海道でニセコは有名だけど富良野市でも小樽市でも函館でも有名な所が
かえって人口が減少している。観光だけでは活性化維持できない、でも土地でとれた農産物をブランド化した所は生き残る
また十勝とか酪農農業地帯は観光ではなく生き残る。つまり一見観光がいいようで観光だけでは人口減少を食い止められない
ではなぜそうなるのか?それは観光は水ものであり何かの影響でぱったりと来なくなる
コロナでもそうだった。何か異変があると来なくなる。だから観光を中心にすると失敗するとyouyubeで放送している

パブルの影響を最も受けたのは温泉街であり廃墟化した。それも会社の団体旅行が中心でホテルはそうした人のために作られた
そこで宴会でも行われた。何か小規模な卸店でも小売店とは客を旅行に連れて行っていた。
ということはどれだけ団体旅行があったかということである。私の母は大正生まれで働きずめの人生だった
それで旅行もしなかった。でも豆腐の卸す所でも旅行に招待したのである、近くの呉服店でも着物を買う客を招待したのである
それは大きな会社だけではない、こうした本当に小さなな卸業でも客を団体旅行に連れて行ったのである
だから温泉街は活況になりホテルが建った。それが廃墟化したのである
今は家族や個人が主体になり会社など団体旅行は激減した。

だから今度は円安とかで外国人観光客で活況になるとしてもまたリゾート地としてホテルでも増えてもやはり日本のバブル崩壊のようになることがありえる。つまり観光は水ものだからである。何か異変があると一番影響を受けやすいのである
そして意外なのは今北海道でも外国人で賑わっている所でも人口が減っている、街自体が寂れている
それはなぜなのか、観光だけではそもそも市町村が成り立たない、富良野でも観光だけに重点を置いて街作りをしても人口が減っている、街が寂れている。何か定期的に継続しないと市町村は維持しにくいとなる

それにしても廃墟化する温泉街とか空家が900万軒になるとか北海道でも札幌を除いて衰退している。旅した所が衰退している
函館でも小樽でも観光地であり外からテレビだけから見ているそうは見えないのである
通りでも外国人で埋め尽くされているのを見るからである。でも裏の飲み屋とかは店が閉まり閑散としている
他の店でも閉じている。そして人口が減少している。それも5000人減るとか減少数が大きいのである
でもその人達はどこに行ったのかとなる。札幌に集中するのはそのためなのかとなる
地方でも若者が流出するのは東京に集中する。でも現実はそこで豊かな暮らしができるわけでもないのである

youtubeとかプログではそうした裏の事情が放送される。飲み屋街などマスコミでは映さないからである
だからテレビだけを見ていると誤解するのである。テレビは常に一部分だけが映されるもので全体は映されないからである
とにかくyoutubeを見ていると日本全体で街でも衰退していると実感する。
現代は世界的にも観光の時代である。世界から観光客が押しかける。それで観光公害となる。地元の人の日常の生活が乱される
そもそも観光客が威張り迎える人は召使のようになる。何かこれはおかしいのである。そこに住んで生活する人が主体であり
その生活が乱されるとなると主人が観光客であり金を出せば何でも許されるとなる
つまりここでも金だけが力となり迎える方にしても歓迎しなくても金のために仕方がないとなる

ただ江戸時代になると湯治とかありそれは観光とは違う、農民の労をねぎらうものとして温泉があった。
それで芭蕉はそういう農民を見て俳句を作った
 (語られぬ湯殿にぬらす袂かな)というのは農民の日頃の苦労がありそれは語られないものであり同情したとなる
ただこの語られぬ苦労というのはあらゆる職業である。その苦労がわからないのである
今の温泉とか外国人が利用するときは日本人でも何か娯楽である、ただ息抜き癒しの面は今でもある
ともかくすべてが資本主義ではグローバル化して金さえ払えばいい、なんでも許されるとなる
それで金を持っていれば何でも買えるとなり横暴になる。
本当はよその土地に行ったらその土地の人を気ずかい見させてもらいますとなるのが礼儀ともなる
金さえはらえばむしろ見てやるとなるのも異常になる

北海道でも農業が酪農が中心にしている所は観光を主体にした所より衰退していないのである。
なにかすべて金があれば金を払えば許されるというのが問題になる。資本主義社会はそれが極端化したとなる
それもグローバル化でも拡散された。日本でも中国人に土地が買われて水でも買われてあらゆるものが買われる
遂には日本人の心まで金で買われる、現実には実際そうなっているのである
お互い様だと日本人の良さが無くなり金がすべてとなったのである。それはアメリカに戦争で負けてアメリカ流になったからだともなる。アメリカの良い点は習うにしても悪い点まで習ったというころである

いずれにしろ観光は水ものである。観光を中心にすることは危険である。それはバブルであり突然外国人が来なくなり温泉街のように廃墟化する。何かともかく金になればいいということは危険である。でも金の力があまりにも大きくなりすぎたのである
そして人間の心も日本人の心まで失われたとなる。


posted by 天華 at 17:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層