老人の価値は誰が決めるのか
(本人ではなく個々人の価値観で決めている)
●差別意識は人類か始まって以来あるもの
で誰が価値あるのか何に価値あるのか決めることはむずかしい、身障者から知的障害者から貧乏人から金持ちからさまざまな人間が混在しているからてある。
世界的になればアーリア人が一番優れているとかユダヤ人か神に選ばれたから優れているとか白人と黒人には明確な差別があり黒人は劣等民族とされる。
日本人も戦争き時にはジャップと軽蔑され黄色人種は白人からすれば劣等民族だとされて原子爆弾を落としたとも言われる。
アメリカでは旅行しても博物館で入りにくくされたとかそこで暮らしていれば必ず差別がある国なのである。
中国人はどうだこうだ韓国人はどうだこうだと毎日差別発言をしているきを見ればわかる。
お互いに人種や国で分けて優劣を言っていくのが人間である。
肌が黒いとか黄色とかて人間は差別できない、欧米人が世界を主導してきたから他の人種は国は劣等だとされるているのであり肌て決めているほけではない。
ユダヤ人は神から選ばれた人種だから他は人間ではないということも根強くある。
一方でユダヤ人は常に迫害されたてきた差別されてきた民族てありそれがナチスきホロコーストになった。
宗教的にもイスラムは下位のものとキリスト教圏からは見られる。
宗教によく人間の差別も根強くある。
●悪人もサタンも神に存在をこの世で許可されている
人間とはこうしてし絶えず差別化してきたのである。 インドでカースト制がてきたのもそのためである。そもそも人間き価値を誰か決めるのか?
このこと自体が極めてむずかしいことなのである。「お前は価値のない人間だから死んでしまい」と言う事はむずかしい。 女性でも美人は価値あるがそうでないものは価値がないとかも言えない、なぜなら不美人がいて美人かいるブスか美人きひきたて役になっている。もし美人だけだったら美人は存在しないことになくからだ。
人間はあらゆくことにそれぞれに価値を決めているのである。
パチンコなどやるやつは価値がない、パチンコなどなくせばいいと言ってもそれを必要としていく価値あるとしている人たちかいるから存続している。
「暴力団なんからいらねえ、抹殺しろ」と言っても暴力団にしても社会悪としても必要なものだとも言える。現実に政治家自身が価値を認めている人もいるからだ。
つまり悪人なんかいらないから抹殺しろというけど悪人自体もこの世を構成するものであり聖書自体が神が悪人き存在をサタンき存在を認めているきである。
そもそもこの世から悪などなくなりえようがないのである。
学歴がどうのこうのというきも優劣を決めくも指標としてこだわる。社会に出たら学歴など関係ない、何かてきるか仕事かてきるかできないかで決まる。
ただ東大くらいになるとあらゆることで劣等生て高校も卒業てきないような自分は体力がありそして頭かいいという人は理解できない、天才も理解できない。
要するに学歴は何かかできたきとは違う。芸術家だったらどれたけ芸術分野で成果をあげられかである。それは作品に如実に現れるからわかりやすいのである。
それは偽ることきできないものとして提示されくからである。
中卒でも別にのしあがる人はいる。大工などでも職人ても腕がいいとはみなならない、職人には学歴か必要のないものが多い。設計とかなると学歴か学校で基本を学ぶことか必要でも社会で成功するのはそれだけでは決められない。
●老人の価値は家族になるとわかりやすい
老人の価値を決めるときもそうなのである。老人に金を使うきは無駄だだから若者に少子化たから子供にもっと税金を使いというきもは最もなのてある。
若者が老人を公共の場で施設て介護している世話している風景は何か異様なのかもしれない、今までにないことかもしれない。
家族では弱った老人を世話している光景は昔からあったろう。でもこれだけ大勢の人間か若い人か介護している情景は異様なのかもしれない。
ただそういう場で世話している若者は老人をどうみているのか?
ただ金をもらえるからしかたなくやっている。老人には何ら価値を認めていないかもしれない。
その介護する若い人でも老人の見方はそれぞれ違っているのだ。
あのばあちゃんはかわいいくないな、言うことよく聞かない、わがままだとかその性格で価値判断している人もいるだろう。そこには個々人で様々な価値判断かある。
これが家族になるとそき価値判断は施設とは違い家族内ての価値判断になる。
そき人が家族でどういう役割を生きてきたかが問題になる。苦労して家や子供に尽くしてきたということは家族なら言わなくても暗黙の内にわかっているから介護する人もいる。
妻には苦労かけたからと夫か介護している姿も見ている。
そこでの老人き価値観は家族が決めていくのである。病院での価値観になると医者でも看護師でも家族のようにはみない、病院経営を維持するものとしてまた大学病院では実験材料として見ていることが現実にある。手術をすすめるのは実験材料としてするからであるというのも恐怖だけど現実ということもある。
自分の場合はともかく人一倍家族には世話になったから普通の人より介護の動機がある。
60まで世話してもらっていたのである。ただ親でも金持ちでも親を大事にしないことかある。金持ちではたいがい高い料金の施設にあづける。かえって貧乏な親の子供か財産がなくても親を大事にすることもある。自分の親は苦労して育ててくれたから世話するという人もいるからその価値判断はマチマチなのてある。
こんな老人は価値がないというときそれは一般的な見方なのてある。
それは財政的負担が大きいから老人はいらないとなっている。だから延命治療など金のかかることはしない方がいいのである。
老人だって個々人ては違っているからである。一般的になると80以上くらいになくと戦争を体験して苦労した世代たから世話してもいいというのが社会的見方である。
団塊の世代は自分本位の人たちだと日本を劣化させたものとして常に槍玉にあげられているから老人になっても価値か認められない、特に施設てはぞんざいに扱われるだろう。
●ただ食べて寝ていくだけになるとそれは人間なのかともなる
ただ自分の価値観としては毎日食べて寝るだけの人間は人間なのたろうかとも思う。
特に認知症になった人についてはプログて書いてきた。
それだって知的障害の人でも母親は愛情をもっている。だからもしそうであれば社会では価値を認めなくても母親は愛すべきものとして価値あるものとして見ているから違っている。ただ認知症とか知的障害者になくと世話するのが苦しくなるから早く死んでほしいとなるのは批判できないのである。
例えば自分の場合寝たきりになっても頭が正常なら病院でも花をいけて見ていたいとなる。
そして俳句や短歌を作る、するとそういう人に人間の価値を認める人もいるだろう。
ただ病院ではそこつでは配慮しない、その人を知っている人でないとそこまでは配慮しない。なんか世話していてもその人か天井を見つめて寝ているだけで何も関心をもたず食べては寝ているたけなきが人間なのかと見る。
それも生い立ちでそうなったのだから批判てきない、その人が老人でも病人ても人間として価値があるかどうかは個々人の価値観で見ているのである。
そもそも花に無関心な人は別に健康な人でも若い人ちも多くいる。若いときはあまり花に関心をもたないたろう。関心をもつのは女性たとなる。
今になるとただがつがつと働き稼ぐ人間は嫌われる。成り金が嫌われるのは金の使い方かわからないからだろう。宝石などばかり身につけても金があってもそれが価値あるものに投資されないということて批判される。
でもそれはそき人き価値観だからそれは他から無駄だといっても俺のかせいだ金を何に使おうととやかく言われることはないとなる。
人間の価値観は個々人によってみんな違っている。
たから老人を見る価値観もみんな違っているのである。
いちがいに老人は価値ないというとき、そうなら成り金だって健康でも金持ちでも価値がないと見る人はいるのである。何事一様な判断はできないのである。
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