2014年10月14日

古い道と新しい道(古町のことなど)


 
古い道と新しい道(古町のことなど)

roadoldnew1.jpg
抽象画(古い道と新しい道)
http://musubu.sblo.jp/article/104552247.html

道には古い道と新しい道がある。道も変わり安いのである。古い道は古い通りは忘れられてゆく、相馬市は城下町だから道が碁盤上になっていてそれほど変わっていないのだろうでも駅前通りはまっすぐだったのかわからない。
昔の道は曲がっていた道が多い、鹿島駅からますぐな道は新しいかもともと脇に入った細い道が昔の道でありそこに店屋があり映画館があった。
日立木の道の駅でいつもたねろしている老人は日立木の生まれで学生のとき鹿島の映画館によっていたという。映画館という言葉自体死語になった。
映画で動画のニュースを見ていた時代があったのだ。そのニュースは相当に遅れていた、テレビのようにリアルタイムのニュースではない。フィルムを汽車で運んでいたとなるとそうなる。あのころは時代劇全盛の時代だった。。鞍馬天狗とか良く見ていたのである。嵐 寛壽郎(あらし かんじゅうろう)今でも覚えている。
ともかく老人になると昔の話を語りあうことで妙に同胞意識をもつのも不思議である。
昔の話があわないとやはり何か友達にもなりにくい。
家に来た二年くらいしか年が違わない農家の出の人の話は本当に面白かった。
同時代だから話があったのである。

道にも古道があるが町にも必ず古町がどこにでもある。都路に古道とあるのはその道が古い道になったからである。
どこの街でも古町があるのはそこがもとは栄えていたからである。
南会津でも古町温泉とかあり地元の人が入っていた。
ここが古町だったのかと山奥だから不思議に思った。

会津田島駅発内川行き → 針生 → 山口 → 古町温泉入口下車(乗車時間約1時間) 
福島県南会津郡南会津町古町 字太子堂186-2

古町温泉赤岩荘
http://www.sayurinosato.co.jp/akaiwa/access.php


古町や会津の奥の湯秋の暮

ここに自転車で寄ってこの風呂に入ったのである。写真を見ると赤い岩の温泉だった。
旅の面白さはこうしてふらりと地元の人しか入らない温泉などに入るとなつかしく思い出す。まずホテルなどに泊まったら旅情が今はないのだ。豪華な温泉にとまってもそうである。旅は別にそれほど金がなくてもできる。
何度も言っているけど金より時間なのである。それと体力があるといい、自転車だと最近何か筋肉か疲れて原町に行っても筋肉痛になっているのだ。
これではもう長い旅を自転車でははできないと思った。
あの辺で栃餅を売っていてうまかった。柳津で粟餅だった。自転車で旅していたらただでもらったりした。その粟餅屋が火事になったのには驚いた。
自転車の旅だと何か車とは違い目にとまり話かけられたりする。別に金がないわけではないがそんなふうにしてくれるというのも思い出に残る。
旅というのは道が二つに分かれていたとすると本当はこの道を行ってみようかと思いがけないと所に出るの面白いのである。今は車で道があらかじめ決められる。
何か旅自体が道(未知)への旅がなくなった。どこもあらかじめ知られているという感しになって観光地に行ってもつまらないという人が多くなったのはそのためである。
芭蕉がみちのくを旅したのは全く未知の世界だからこそ「奥の細道」を残したのである。

まず日本では道がまっすぐな所は少ないだろう。何か曲がりくねっている。高度成長期の日本改造で道はいたるところに新しく作られた。その道はまっすぐなのが多い
それは結局スピードを出して早く目的地につくという物量の道であり旅の道にはふさわしくない。浜街道でも日立木に入る道は細い道なのである。六号線からそうした脇道の昔の街道に入ると旅情があるが旅人は注目しないしそれが特殊な歴史趣味の人しか見ないのである。相馬市の道の駅には休んでもまた六号線を行く、だから旧街道のことを知らずにすぎてしまうのが普通である。
これは自分でも東海道に行ってもそこが昔の街道なのか良くわからないことがあった。
他から来ると今の道ばかりに目が奪われるからわからないことか多いのである。
よそから来ると昔を偲ぶことはむずかしくなる。外国などは特にわかりにくくなる。
最近はインターネットで思い出す旅をするのに便利になった。古町温泉とキーワードを入れればでてくるからである。

相馬市は城下町の名残の細い道や路地が残っている。だから多少昔を偲ぶことがてきる。そして景観にも注意している。公共的な建物は切り妻風の建物にしているから落ち着いた感じになる。やはり建物は相当に人間の心に影響する。馬場野の一人暮らし用の長屋風の建物のことを書いたがあれはも木の造りで落ち着くのである。やはり木の家は落ち着くのである。それは芒がなびいていたり菖蒲が咲いていたりとそうした日本の景色と和するのである。つまり文化とは一つのものではなく全体だから全体が消失すると部分だけを作っても文化にはならない、茶室などでも大都会の隅に作っても全体が高層ビルやマンションになったら合わないのである。京都すら町家の前がおしかぶさるようにマンションが建っているからだ。

老鶯の句に宇陀の古町
http://hai575.info/sa06f/20/20.htm

ここに老鶯の句を集めていた。自分の俳号も老鶯にしていた。ここの句は選ばれているからいい句がでている。古町とキーワードで引いたらここがでてきたのが面白い。こういう利用方法がインターネットならではである。そのときインターネットが活きる時なのである。
インターネットの活用方法がいろいろあるが使いこなすことがむずかしい。
それはソフトと使いこなすのと同じである。何かありすぎるのだけどもう一つ利用方法がわからないということがある。要するにあらゆるものがあっても分散しすぎてどこに何があるかわからなくなっているのだ。最近自分はこれまで書いたもの印刷したりと分類して整理している。
この作業が大変なものになっている。相当な時間と手間がかかる。
しかし小冊子にしてみるとまた違ったものに見えるから不思議である。

失われた旅の神秘性(未知の欠落)
http://www.musubu.jp/hyouronkannshou3.htm#m


タグ:古い道
posted by 老鶯 at 09:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 明治維新-明治以降
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