2014年10月15日

福島県の観光の魅力 (旅する経路が問題ー浜通り→中通り→会津の横断でわかる)


福島県の観光の魅力

(旅する経路が問題ー浜通り→中通り→会津の横断でわかる)

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●福島県を横断してわかる地形

福島県は今振り返ると広大であり地形の風土の魅力が大きい。海があり山があり川がありと変化に富んでいる。旅をするときよく自転車でも六号線を東京から青森とか旅する人はいる。つまり日本列島縦断が多い。どうしても日本列島を旅するとなると縦断が多くなるそれが最短距離だから遠くに旅する場合はそうなる。
そこに旅の盲点があり旅をつまらないものにしていることがある。
福島県を理解するにはこれは相当な時間と労力が必要である。
これは福島県に住んでいてもそうである。福島県全域を旅しても福島県は広いなとつくづく思う。特に会津は山国でありここはわかりにくい、山の領域が広いからわかりにくい。どれだけの山があるのかと思う。阿武隈山脈は山ではない、高原であり山の醍醐味がないのが残念なのである。
福島県ははま、ハマ、ナカ、アイヅに分かれている。ここでは気候も相当違っている。
浜通りは海に面しているから風土も違う、会津は全く山に囲まれている。
この相違も相当に大きい。
もともと福島県ができるとき磐城県と二本松県と会津県とに分かれていたのは歴史的にもそうだし風土地理的にもそうだったのである。
前にも書いたけど二本松の城にたつとあそこが福島県の中心のように感じる。
天守閣が高く一望できるからである。
中通りはもともと江戸時代から大動脈でありそれは平泉に通じていたのは鎌倉時代からだった。だから頼朝が国見町の圧樫山で藤原氏の軍勢と戦ったのがわかる。
芭蕉が来たのもこの道である。江戸からだとどうしても最短距離になるからである。

今は旅が便利すぎて旅にならない、旅はもともと不便であり不便だからこそ旅になっていた。新幹線で三時間で平泉に着いたとなると何の感懐もなくなる。だから名所がつまらないとみんな言っている。そもそも旅は過程にあるからだ。その過程がぬけおちたら旅にならないわけである。芭蕉の奥の細道がまさに徒歩のリズムで過程にあったから書けたのである。ただ芭蕉でもみちのくは一回しか旅していない、旅は実際はその過程にあるのだから旅の経路か違えば旅はまた違ってくる。
自分の人生がほとんど旅に費やしたというときそれでも福島県を知るのは容易ではないことがわかった。それだけ福島県は変化に富んで広いからである。
旅は福島県を中通りだけを通過したらつまらない、浜通りから中通り会津からさらに日本海へ横断すると日本がいかに変化に富んだ地形であるかわかくだろう。
そして会津から浜通りへ出て太平洋を望んだときの感激も大きいのである。
日本海から会津から浜通りへ太平洋へ出るとそれも同じ横断でも方向が違っていても全く違った感懐を抱くのである。
結局旅の経路はきりがないから一人の人間の旅する時間が限られているから知ることも限られているとなる。

旅をするときどうしても東京からとか大阪からでも縦断が多くなる、福島県を横断するとなるとまた時間がかかりすぎるからそうなる。今は車だからそれがしやすいか車だとまた早すぎて印象に残らない場合が多い。例えば車だと風を感じないのも致命的になる。
夏の盛りに阿武隈高原を越えて太平洋の方に向かうと涼しい風が吹いてきて救われた感じになった。福島市は暑く蒸し風呂のようになるからだ。
その風を感じるのは自転車だといい。自転車はまたきつい坂を上ることを記憶している。あそこを息咳って苦労して登ったと体に記憶されるのである。
まず風土とか地形を知るにはいくら立体地図をみてもわからないのである。
峠があったとしてもそこを登る体験をしないと実感しないのである。
バイクだって早すぎる楽なのである。自転車とは全然違っている。
だから40すぎてから自転車旅行しているとき若い者がバイクで飛ばしているのも変だった何だ若いのに楽だなと見ていたのである。

●猪苗代湖の湖西は隠された地域

福島県を旅するとき会津に入るのにも郡山市から入るが旧街道の白河街道を昔の福良とかを回り旅すると興味深いし情緒がある。あそこはあまり車も通らないからいい。昔の街道の感じが残っていたのである。

雨しとと田植えの人や湖西かな

奥羽山脈の中にあり、北に磐梯山、南に猪苗代湖、東に郡山盆地(安積原野)、西に会津盆地がある。
湖南は郡山市の領域であり会津の方に向かう所は湖西だったのか?琵琶湖でも方角でそれぞれ違った趣をだしている。方角地名は地名の基本である。

湖南出身の民俗学者・橋本武氏が、安積から湖西に嫁にきた<おたかばあさん>(当時75歳)に聞き取りをしたときの記録です。
<おたかばあさん>、<大正のはじめごろはこの地の田んぼは1反歩3俵ぐらいしかとれず、1町3反歩耕作していたがくらしは貧しく、炭焼きをするしかなかった・・・>
http://eigaku.blog.ocn.ne.jp/test/2011/08/post_72af.html

経沢(へざわ)――福島県会津若松市――の物部守屋一族落人伝説
http://blogs.yahoo.co.jp/mas_k2513/30535860.html

これらのインターネットの説明は興味深い、なぜかというとここが黄金とか鉄の生産と関係していたとなるとそこになぜかここに

荒脛巾 (アラハバキ)神社と扁額に書いてある神社がある。
http://blog.goo.ne.jp/hi-sann_001/e/ca6443348a2c24f9128edd076cdfe454

これは知られてはいるが東北でもあまり見かけない神社なのである。大和王権に滅ぼされた蝦夷だという説がある。阿部氏と関係しているのも東北では多い。
この辺は何かまだ知られていない秘密的な場所である。白河街道の方を来る人は少ないからである。
この辺は前にも書いたけどまたそれからいくらでも発展して書けるのかインターネットである。インターネットだと本のように固定しないのである。常に簡単に書き換えられて新たなものとして展開してゆく、それが本との相違である。本は固定しているからである。今はある地域に詳しい情報がインターネットででている。
本で探していたら容易ではないしできない、本はまず一冊は厚くて読めないから触りだけでも読むのがいいのである。それだけでも全国となると広いから助かるのである。

足とめて清水を飲むや野菊咲く

夕日さし白河街道芒かな我がたどりゆき会津に入りぬ

次回はまた旅のご案内を御期待!

タグ:福島県
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