2014年10月25日

秋深む (ふるさとの墓地を尋ねるー郷土史研究には墓地を尋ねるべし)


秋深む

(ふるさとの墓地を尋ねるー郷土史研究には墓地を尋ねるべし)

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小池の墓地


古き碑に木の葉の散るや身近にも

墓のみそ残りて誰や虫の声

故郷の墓地を訪ねて秋深む

故郷に残れる墓地や秋薊

故郷に名もなき墓や草の花


小池の墓地奥の墓地は不思議である。二十数基あり 半分は戒名もあり主に個人墓である。
墓は最初は個人墓であり次に明治になり夫婦墓になり家族墓になった。
ただあそこの十数基は戒名が記されているし墓も立派である。あとの半分くらいは石塊であり名前も記されていない。おそちく使用人とかなのだろうか。ただ卒塔婆に名前だけ記されたものがある。
それはやはり墓を作れない人だった。小池とかじさ原にはそういう名を記されていない墓地がある。
立派な墓ではない、だからあそこの墓が戒名があり立派な墓なことが不思議なのである。
辺りを見ても家もまれであるから江戸時代になるともっと何もない原野だったろう。
そこになぜあれだけの墓があり江戸時代後記から明治までつづいていた。
その後はあの墓地は使用されなくなった。

小池村の中心はあんな奥ではない、戦後も引揚者が開墾に入った人を知っている。
その人は自分の父親が勤めていた新山の酒屋で働いていた人だった。
それはタマゴ屋の漬け物倉庫のある所だからあんな所でも開墾する場所があったのかと思う。
それだけ開墾の歴史は長いし農業が仕事となっていた時代が長かったということである。
いづれにしろ墓は江戸時代になれば文化財となるから捨てるのはまずい。
最近墓を守るものがなく大量に捨てられている。その墓には元禄というのもあった。
西の方だからめずらしくないのかもしれない。この辺では元禄と記された墓は滅多にない。
墓は家がなくなっても残るものだから歴史の証になりやすいのである。
郷土史でも謎になっているのが多いのである。
墓は書類と違って無味乾燥なものではない、そこに確かに生きた人が埋まっている。
そこの土地と一体化してあるから身近に感じる。
その土地に根を張るようにあるのが墓なのである。
だから他のものと違い簡単に捨てられない、今でも地元の人が花をささげているということは
やはり供養する人がいるということで捨てられた墓とも違うのもしれない、ただあそこは継続して墓地としなっていないことが問題なのである。
やはり継続してないとやがては何でも捨てられるから歴史には継続が大事だとなる。

今年はなんか日ざしが暑い、温暖化なのだろう。それで秋が深まっているのだけどそういう感じがしない
四季がなくなると俳句には困る。四季があって季語あって成り立つからである。





タグ:墓地
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