冬薔薇
(写生がそのまま深い趣を現しているー俳句はやっぱり写生が基本)
冬薔薇我のみ見てや散りにけり
冬薔薇三輪ほどが散りしまま
冬薔薇しきりに風に吹かれをり
冬薔薇白き清楚の聖衣かな
冬の空大地の広く石一つ
我が家の二階の広く鳶の舞ふ
墓の前今日もまた通り冬椿
冬日さし鬼風の碑の隣かな
見張り塔シエナの裏道冬の暮
俳句は写生だというとき、薔薇が咲いているのを毎日通るから見ている。
白い薔薇か咲いているのは空家なのである。
そこはすでに十年くらい空家なのだけど荒れた感じはしない
誰かが戻ってきて手入れしているのだろう。
それにしてもいつまで空家のままなのだろうかとなる。
今は家が不足しているからこの辺では売れるはずだからである。
自分のみがみて冬薔薇は散りその薔薇が散ったまま残っていた。
見るというときsee、look、watchがあるがwatchingが写生である。
定点観察で見続けるのが写生である。
冬薔薇が咲いている、何輪か咲いている、一輪散った、二輪散った・・
その散った花がそっくり散ったままだったとかな見続けるのが写生である。
それはなんでもないのだけど何か深いものが写生から生まれているのである。
だから写生そのものが俳句芸術の基本になる。
自分は何か人とつきあうより何もない所に石のように黙っているのが性分として合っている。それは母の性格とにている。人といるだけで疲れるということがある。
だから付き合いがないのはそういう性分なのである。
母も何か人付き合いが苦手だしじっとしているのか向いている性格である。
だからそれは何か他から見ると人も寄りつけないというふうに見える。
ただ冷たいというのではなくそういう性分なのである。
だから付き合いがないのはそういう性分なのである。
母も何か人付き合いが苦手だしじっとしているのか向いている性格である。
だからそれは何か他から見ると人も寄りつけないというふうに見える。
ただ冷たいというのではなくそういう性分なのである。
鬼風の碑が隣にあるということが不思議である。
会ってもいないしどんな人かもわからないが何か近くそういう人がいてその碑があることが何かいるような感じになるから不思議である。
ここにもこんな人いたのか、自分ともにているなと思うから不思議である。
それは俳句を残したことや江戸時代に全国を旅していたということで親近感を覚える。
ただこの人は恵まれていたというのも自分とにている。
自分より恵まれていたと思う。江戸時代には俳句を作るとか旅するだけで相当に恵まれていた。
詩人がいたとしても戦前でもみんな貧乏であり生活に追われ悲惨なものとして終わっている。詩を書いても金にはならないからである。
その恵まれていたということはこの人に関しては貧乏で苦しんだとか語る必要はないし
お前は恵まれているとかも言われないともなる。
だからこの人の墓に冬の日がさしているときそこから不遇だったことは語られない。
一茶などとも全然違っていた。
ただそんな恵まれていた人が東北の辺鄙な村に町にいたということが不思議なのである。それでも商人の家なら江戸時代でもこんな片田舎でも恵まれていた人がいたということである。
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