冬の雨
(墓は特定の一人のことを想うことが普通である)
冬の蝶二羽や田舎に老ゆるかな
墓一つ誰か想うや冬の雨
我が家も老々介護や冬の雨
冬の蝶というときこれも老人をイメージする。都会だとなかなか老人をイメージできない、田舎だとやはり老人がふさわしい場所だともなる。若い人はとうしても都会があっているのだ。
墓も何か自分のテーマだった。墓もやはり都会より田舎があっている。
だんだん親もしんでゆく人が多くなると墓も身近になる。
墓守になってしまうのも老人である。
だから故郷から家とか土地とか墓をもっていると離れにくくなるのである。
若いときはむしろ故郷を離れたいという気持血か強かった。
しかしだんだん人間はとしとれば定着思考に自然となってしまう。
だんだん親もしんでゆく人が多くなると墓も身近になる。
墓守になってしまうのも老人である。
だから故郷から家とか土地とか墓をもっていると離れにくくなるのである。
若いときはむしろ故郷を離れたいという気持血か強かった。
しかしだんだん人間はとしとれば定着思考に自然となってしまう。
実際ここ七年は遠くに行っていないし行けない
今年は本当に行かなかった。仙台にも一回しか行っていないのだ。
そうなると回りとか家での暮らしになる
それでも介護して家事をしていると忙しい。
家事は何を買うのかからむずかしい。
買うから楽に見えても買うことが結構手間なのである。
毎日のように通販で買っている。
車がないから通販は便利である。
なぜかというと必要なものが必ずでてくる、その時即座に調べて買えるから便利なのである。
それをこの辺では探して買うこと自体手間になるのである。
墓はやはり明治以降家族墓になったけどその墓に埋まっている家族全部を偲ぶことはない、ましてや他人だったら余計にそうなる。
江戸時代が個人墓だったように墓はもともと個人を偲ぶものだったのである。
墓も何だろうと考えるとこれせきりなくある。
墓は明らかに物体ではない、石というものが大事なのではない
死んだ人を偲ぶのが墓である。人を偲んでいるのであり墓ではない
だから母の実家の墓は墓だけ残っている。
そこに25歳で死んだとあるとき、肺病で死んだことは知っている
するとその人にんのことを墓にゆくと必ず想うのである。
家族墓として何人も想うのではなく誰か特定の一人を想うことが多いのである
俳句はともかく何か深く背景を読まないと鑑賞できない、この三句は平凡でも何か深いものがあるかもしれてい、自分で言うのもなんだが簡単なものに深いものがあった。
写生俳句は一見平凡なもの月並みのものが多いがまた何か深いものがある。
ただそれを読み込むことがかえってむずかしいのである。
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