冬の日(今年の終わりも近いー短歌十首)
庭の石旧家に落ち着く冬紅葉
柚木村月影さして冬菜かな
柚木村文久の墓や冬の月
朝日さし冬薔薇二輪赤にじむ
朝早み残月光り冬の雁
朝霜や未だ日のささず冬薔薇
松一本新築の家や海よりの太陽のぼり日のさしにけり
高々と白鳥二羽の飛ぶを見ゆ雲紅くそめ朝日昇りぬ
残月も欠けゆくものや冬の朝いくばくの余命あわれ深まる
99なお生きるものや冬の朝残月山に誰か見るらむ
冬の日に我が家のあわれ九十九母とともにしある時間かな
姉死して遠くならむや我が家に母の介護や年も暮れなむ
我が家の庭に一つ新しき石を置きにし冬日さしなじむ
我が町に味噌を作る家古りぬなお残りしも冬の日の街
しみじみと冬の日過ごす今はしもわずらいなきや石を見るかな
北風の戸をゆすり鳴りたずね人我が家になしも冬の日静まる
玄関の曇り硝子に今日もまた冬の紅葉の写り風鳴る
今年も終わりが近い、母はまだ生きている。人間百まで頭も普通に生きていたら死なないのではないかとすら思うだろう。
最近朝早く起きて外に出る、すると残月が光っている。その残月が日々欠けてゆくのも幽遠である。月は欠けてゆくのが特徴である。その欠けてゆくのが何かやがては病気になり死んでゆくとかの感じになる。
今年は仙台に一回しか行っていない、何かと忙しくていけない、家事に追われてまだ家がかたづかない、家が大きいと家に生きているという感じになる。
家を一つの自分の城のようになる。冬は特に家に籠もることが多いから余計にそうなる。だから川越の旧家のことを放送していたが何か昔が偲ばれる所が冬にはいい、自分の街でも古い家は残っているが街では味噌作りしている家である。
ただこの味噌も今ではスーパーにゆくと全国の味噌があるからどれを選んでいいかわからない、ところが昔は買う所は決まっていた。住んでいる街の店でしか買えなかったのである。味噌でもそれを全国に売れるのだが売るとなるまた競争になるから今は地元で作ってもそれだけでは商売が成り立たないとかなる。
家を一つの自分の城のようになる。冬は特に家に籠もることが多いから余計にそうなる。だから川越の旧家のことを放送していたが何か昔が偲ばれる所が冬にはいい、自分の街でも古い家は残っているが街では味噌作りしている家である。
ただこの味噌も今ではスーパーにゆくと全国の味噌があるからどれを選んでいいかわからない、ところが昔は買う所は決まっていた。住んでいる街の店でしか買えなかったのである。味噌でもそれを全国に売れるのだが売るとなるまた競争になるから今は地元で作ってもそれだけでは商売が成り立たないとかなる。
自分は石をテーマにしている。だから石について百編以上の詩を書いている。
それらをまとめるのが仕事であるがなかなかすすまない、家事に時間がとられるのである寝る時間をのぞいて何かかにかすることがある。だから近くすら余裕をもって出れないのである。
それらをまとめるのが仕事であるがなかなかすすまない、家事に時間がとられるのである寝る時間をのぞいて何かかにかすることがある。だから近くすら余裕をもって出れないのである。
でも田舎だと自然が近くにあるから毎日でもあきないものがある。白鳥がずいぶん高く飛んでいた。白鳥はあまり高く飛んでいない。それから冬の薔薇が霜を背景にして畑に二輪咲いていた。これも朝らしい、そして良く見ると赤い薔薇に白い点があり霜がおりたのかもしれない。これも写生だった。肉眼では見えないものがデジカメで見える。
今は本当に写真の時代である。氷河の写真を見たけどすごい風景だった。
あれをとれただけでもすごい、氷河となると見ることができないが写真で感動した。
今は本当に写真の時代である。氷河の写真を見たけどすごい風景だった。
あれをとれただけでもすごい、氷河となると見ることができないが写真で感動した。
今年も終わりが近い、今年は家の片づけ方で追われた。今もかたづいていない、自分は今いろいろと整理になっている。創作でもそうだし家のことでもそうである。
自分の家で最後に残ったのは自分一人である。自分の家をになっているのは自分一人なのである。
だから背負わされたものが重くもなる。
人間はやはり一軒の家でもそれぞれ事情があり外から計り知れないものがある。
自分の家は外からわかる人がいないだろう。
その複雑な事情をかかえて自分は長い間過ごしたのである。
それは自分だけではない、それぞれの家はその土地に根付いて何代もつづいている
二代つづいてもそれなりの歴史が生まれる。
だから避難して故郷から離れるとそうした家々のことが忘れられるとういことがある
他の土地に移るとそうして継続されたものがなくなる。
その土地でははじめからやり直すことになるからである。
だてからそもそも簡単に家を捨てることができるのかとなる。
それも町や村自体がなくなるということは精神的な面でも深刻である。
第一飯館村で6000人の数は多い、なぜなら廃村でも規模がもっと小さい百人単位でも多いくらいだからである。その規模が大きいからこんなことあったのかとなる。
自分はここ7年間は塗炭の苦しみの連続であった。今はなんとか落ち着いた。
だから体力も一年でトータルになるとかなり回復してきた。
一時的には弱ったときもあったがトータルではかなり体力が回復した。
二年間は身体障害者だったし本当に自分の家に来た人は自分を苦しめる人たちしかいなかった。
弱さにつけこんで苦しめられた。この恨みは本当は根深いし復讐したいとなる。
弱いとき攻撃されたりしたら絶対そのことは忘れられないものとなる。
その時弱くても今度はそうした奴らには全力で復讐するということがあるから気をつけるべきである。
ただ自分としてはそのことは忘れる、いくら憎んでも結局時間がたつと忘れるのが人間だからである。
ここ30年間は人とかかわらなかったのがやはり良かった。
人と関われば悪い人ととかかわることになる、人とかかわること自体何らか必ず問題が生まれてくのである。トラブルにきこまれてゆくのである。
そういうトラブルにまきこまれたことも今年もあったが大きなことにはならなかった。
選挙もしたがこれも適当だった。どうしても自民党にいれたくない、なぜなら自民一人勝ちになることが嫌なのである。他はだめでもそれが動機だった。
自民独裁になってしまうことが嫌なのである。独裁になったら民主主義はなくなる。
何でも自民の主張が現実に通ってしまうのである。それに対抗もできなくなるからである
自民独裁になってしまうことが嫌なのである。独裁になったら民主主義はなくなる。
何でも自民の主張が現実に通ってしまうのである。それに対抗もできなくなるからである
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