2014年12月24日

南相馬市鹿島区大内村の中国で戦争を経験した人の話 (中国の捕虜になった人は残虐に殺された!)


南相馬市鹿島区大内村の中国で戦争を経験した人の話

(中国の捕虜になった人は残虐に殺された!)


その人は故郷にいるより日立製作所で働いていた。
だから戦争のときも日立製作所関係の技術担当で中国に出征した。
福岡から船で韓国の済州島により上海に上陸して南京まで進撃に加わった。
何かしらないが南京攻撃では中国側にアメリカの武器をもっていて
それで日本兵が多数死んだという
その時アメリカがすでに中国に武器を与えて応援していた
南京は中国の首都であり陥落したことが中国を支配下にするということでもあった。

実際に負け続けた後、蒋介石は”米国が中国を支援しないと共産主義化する”とルーズベルトを脅し、無償武器援助を勝ち取った。(『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』加藤陽子著の書評)

蒋介石軍に武器援助をしていた。アメリカは中国に肩入れしていた。
 

その人は飛行機の技術担当でありそれで従軍した。
特攻隊は片道の油しかなくアメリカの空母に体当たりする前にほとんど一斉射撃をあびて何ら戦果もなく死ぬだけだったと言っていた。
つまり無駄死にだったとその人は盛んに言っていた。
油は帰りの油がないのだから帰ることができない
だから死ぬほかない、成果があがるもあがらないも死ぬために出撃したのである。

腕をあげるための訓練用ガソリンも枯渇した。
航空潤滑油も枯渇し航空機も粗悪品だらけとなり、概ね25%程度(4機に1機)は機器が故障し本来の目的を達し得ないまでになった。
特攻機も多くエンジン不調でひき換えすか、不時着している(25%程度)。 これも潤滑油にその問題の要因があったような気がしている。当然日本国内と熱帯で同一の潤滑油は使えない
http://www.d4.dion.ne.jp/~ponskp/yamato/tokkou/tokkou_1.htm

日本は燃料がない、肝心の飛行機でもう飛ばす燃料がなくなっていたのである。
その人の話で一番興味深かったのが捕虜になったときの話である。
南京虐殺のことを盛んに言われるが捕虜になった人はさらに中国人に虐殺されていたのである。

首を木の枠で固定して吊るし餓死するまでそのまま放置するなど、中国兵は様々な拷問方法で捕虜を虐待殺戮したとシメンさんの父は彼にそう言ったという
http://redfox2667.blog111.fc2.com/blog-entry-80.html


この写真を見たらショックである。いかに戦争がむごたらしいものになるか、それは戦国時代と同じである。中国人の復讐も凄まじいものがあったのだ。
こんなところで捕虜になったら生きた心地がなくなっていたろう。
その人の話では食べるものなく脱出して食べ物を近辺の農家に盗みに行ったという、
ところがそれを中国人が知っていて日本兵の捕虜を狙い撃ちして殺したという。
これも悲惨な話しである。中国人もいかに残虐だったかということである。
戦争はこういうものだというけど欧米の捕虜になったらここまではならない。
一応捕虜を扱うルールが戦争のルールがあったといえばあったからである。
中国にはそれがなかったのである。

その人が言うにはロシアにシベリアに連れていかれなくて良かったと言っていた。
シベリアの捕虜は最悪だったのである。
戦争で日本だけが残虐だったのではない、アメリカも原子爆弾を落としたように
中国も捕虜を残虐に殺したようにロシアはさらに日本と戦わないのに被害ものないのにシベリアに抑留して殺したのである。
戦争というと日本の残虐性ばかりとりあげられるがどっちもどっちなのである。
戦争というのはもう人間を人間でなくならせるから怖いのである
もう人間の普通の感覚常識すらなくなる。
食べ物がないということは一番苦しい、殺されると思っても脱出して食料を得たいとなる戦地ではもみ殻を食べていたというし兵士は何を食べていたのかわからない。

戦争もだんだん忘れられる。でもまだ90才の人が生きているから20才で戦争に行った人の話が聞ける。これももうやがて直接戦争のことが聞けなくなる。
その時また戦争に対する見方も変わってくる。
やっぱり戦争というのは喧嘩両成敗であり日本だけが悪いというのは欧米とか中国とかロシアからおしつけられた見方なのである。
もちろん日本側も戦争だから人殺すことが戦争なのだから残虐なことはあった。
では原爆を落としたアメリカが残虐ではないのか?
中国の日本兵に対する残虐な殺し方はあまり伝えられないのである。
いづれにしろ戦争の暗黒面をさらしだしたらきりがなく反吐がでるだろう。
だからあんまりそうした暗黒面を見たくないということはあるがそれだと戦争を美化するという危険性が出てくるのである。
だから現実を見るということが歴史では大事なのである。
戦争の現実は眼をおおいたくなるような残虐なものだったのである。
津浪の被害もそうだったが戦争もまたあまりにも残虐なものだった。
ただそれらに眼をそらし忘れるということもまた後のかためにならならない。
津波の被害もあまりにも残酷だったので語りたくないとして伝わらなかったとも言われる人間はあまりに残虐なことは語りたくないし戦争で人を殺したことなど語る人はいないだろう。
ただそういうことを隠しておおってしまってしまうと戦争を美化する人がでてくる。
いづれにしろ戦争のことを直接聞ける人はもういなくなる。
その時そうした戦争を美化することがありまた戦争になるということがあるから怖いのである。

タグ:戦争の話
posted by 老鶯 at 20:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 明治維新-明治以降
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